Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

mh徒然草: お年寄りの一人暮らし


高齢化や晩婚化が進み、一人暮らしのお年寄りが増えているようですね。団地内で朝、散歩をしていると、徒歩20分の地下鉄の駅の方向に一人で黙々と歩いていく、リュックサックを背負った高齢者によく出会います。mhのように、部屋に閉じ籠(こも)ってブログ作成に追われているより、外に出て、歩いて、いろいろ見て回って、レストランで日替わりの食事を楽しんだり、スーパーで買ったお弁当を公園のベンチで食べたりする方が、肉体的にも精神的にも知的にも良いのは間違いないでしょう。

しかし・・・一人で歩いている姿は、どことなく寂し気です。やっぱ、家族や友人など、You raise me upではありませんが、応援団をもっていないと人間は寂しくていけないなぁと思います。その点、mhは、口うるさいという難点はあるものの、いつも気を使ってくれる女房殿がいますから、幸せ者だと思いますが、時には、この幸せを逃れて、アフリカや中国などに旅をして一人になりたいと思ったりしていますから、一概には言えないのですが・・・やっぱ、一人ではなく、誰かと繋がりながら、助けたり助けられたりして生きる方が幸せだろうと思うのです。

で・・・リュックサックを背負って毎日、一人で、どこかに遠出しているご老人ですが・・・私も、不幸にして女房殿が先立てば、そうなるのでしょうが・・・でも、思うんですが、一人暮らしをしているよりも、老人ホームに入って、同じ境遇の仲間と共同生活をし、時には仲間と外出したり、一人で図書館やダウンタウンに出かけたりして自由な時間を過ごす生活の方が楽しいのではないでしょうか。私なら断然、老人ホームの生活を選ぶと思います。しかし、一人で暮らす人が多いんですねぇ、世の中は。

お釈迦様が仰る通り、因果応報で、それなりの理由があるわけですが、もしそれが、入りたい老人ホームが見つからないということなら、日本の福祉は不十分です。防衛費よりも老人ホームを増やしてほしいと思います。で~老人ホームの加入申し込み状況を調べてみようかとも思ったのですが、ずぼらなmhの重い腰は上がらず、幼稚園や保育園に入るのも大変なんだから、老人ホームはもっと大変じゃあないの?ってな当てずっぽうな推論をもって結論することになってしまいました。

年を取って思うのですが、一人で楽しめる趣味を一つや二つは持っていないと、老後を幸せに暮らすのは難しいでしょう。それがリュックサックを背負って外出することでも好いと思いますが、また繰り返しになるのですが、時には話が出来る相手を持っていないと寂しくていけません。ブログ三昧(ざんまい)のmhとしては、口うるさい女房殿には元気で長生きしてもらい、もし、当方が愚痴をBGMのように聞き流せる心境になれたらしめたものです。

IAN & SYLVIA
Song For Canada Lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=GOVWBybPNuk
(歌詞)
How come we can't talk to each other any more?
Why can't you see I'm changing too?
We've got by far too long to end it feeling wronged
And I still share too much with you

Just one great river always flowing to the sea
One single river rolling in eternity
Two nations in the land that lies along its shore
But just one river rolling free.

How come you shut me out as if I wasn't there
What's this new bitterness you've found?
However wronged you were, however strong it hurt
It wasn't me that held you down.

Why can't you understand I'm glad you're standing proud
I know you made it on your own
But in this pride you've earned, I thought you might have
learned
That you don't have to stand alone

Lonely northern rivers come together till you see
One single river rolling in eternity
Two nations in the land that lies along its shore
But just one river, you and me
(完)

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ピラメスの不思議


ピラメス???

初めて聞いたと思われる方はブログ「ラムセス2世の不思議」を読み直して頂かねばなりませんが、時間がかかりますから、今回はパスして頂いてもよろしいですが・・・
http://mysteriousquestions.blog.fc2.com/blog-entry-187.html

“ピラメスPi Ramesses”は“パイラムセス”とも読まれているようですが、意味するところは“ラムセスの家”で、ラムセス2世(ラムセス大王;紀元前1303 ―同1213)が創った都の名前です!

で~都ピラメスは何処にあったのか?

エジプトと言えばナイルですね。ビクトリア湖から地中海に向けて流れる世界有数の大河です。mhもルクソール(旧テーベ)から上流のアスワンまで4泊5日のクルージングを楽しませて頂きました。一生の思い出の一つです。

で~ナイル中流の都市ルクソールLuxorは、古代はテーベThebesと呼ばれ、ナイル東岸にはカルナック神殿、西岸には王家の谷をもつ、エジプト帝国の偉大な都の一つです。都といえば、ナイルデルタが始まるメンフィスMemphisも有名です。カイロの中心から約20Km南(ナイル上流方向)にありました。
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で~エジプト帝国3千年の歴史の中で、最も偉大なファラオと言っても好いラムセス2世の都はというと~
テーベではなく、メンフィスでもなく、ピラメスPi Ramessesなんですね。

で~何処にあったのか?

ナイルデルタで、ナイル川の最も東側の支流の河岸にあったってことは古代の記録から判っていたようです。しかし、長い間、その場所はベールに包まれていました。で、比定されたのは3千年後。つまりつい最近なんですね。タニスTanisという町の南20Kmにありました!
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ピラメスが見つかった町の名はカンターQantirといいます。
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Google Earthで見つけた上の写真では、ラムセスのカトゥシュ(楕円の中に名を記したもの)が肩に彫られた巨像が横たわっています。ここはタニスTanisです!

えぇ???カンターQantirじゃあないの???

カンターでもピラメスでもパイラムセスでもありません!!!タニスです!

ピラメスPi RamessesがタニスTanisではなく、カンターQantirに在ったと比定されることになった経緯を
Youtube: Lost Cities Of the Ancients ; The Vanished Capital Of The Pharaoh
“古代の失われた都市:ファラオの消えた都”
でご紹介いたしましょう。
・・・・・・・・・・・・
古代エジプトの全ての不思議の中で、ラムセス二世の首都ピラメスは一際目立つ存在の一つだ。
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ラムセスは自分の都市造りに、富をふんだんに注ぎ込んだ。しかし、古い昔、その都市全体も、宝物も、地上から消え失せてしまったのだ。
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この考古学上の不思議なパズルが3千年後に解き明かされるまで、失われた都市ピラメスは伝説の中に埋もれ続けていた。何故なら、ピラメスが再び出現した時、それは間違った場所にあったのだ!
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ラムセス大王はその場所に都を造っていなかった。ラムセスが生きていた時代、そこには町などなかったのだ。

これは、どのようにして都市が失われ、数千年後に全く違う場所に出現することになったのかという、奇妙な物語だ。

エジプト:紀元前1250年
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今から3千年以上も昔、エジプトは歴史上に大きな足跡を残した建設の主Master of Builderのファラオによって統治されていた。
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ラムセス二世は古代世界で偉大な王だった。60年に渡りエジプトを統治し、百人を超える子供の父親でもあった。彼は帝国全土に寺院や記念碑を建てた。

しかし、彼の心にもっとも強く刻まれたであろう傑作は、自分にちなんだ名前の都市ピラメスPi Ramessesだ。
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巨大な砦のような王宮は、訪れる人々が感銘を受けるように設計されていた。都市はラムセスの野心的な創造物の一つだった。古代エジプトと地中海とを結ぶナイルの要衝に造られ、古代世界のハブ港としても繁栄していた。
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貴族や職人や奴隷など、30万人の富豪や貧しい人々たちが暮らしていた。商人が遠方からやってきては交易をしていた。都市の中心には、数千人の兵士やチャリオットや騎兵が常駐する巨大な守備軍基地が造られていた。数百のチャリオットと馬が常備され、王はピラメスから軍隊を率いて遠征していた。
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ラムセス二世は都市建設の手を弛(ゆる)めることは無かった。毎年、大きな像が町中で造られていた。彼が統治していた間、職人や労働者は帝国中から集められ、新しい像や記念碑の建設に充てられていた。王の権力の中心だったピラメスは、永遠に続く都市に思われた。
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しかし、造られてから2百年後、都市の全てが消滅してしまったのだ。以降、数千年間、ピラメスは全く失われたままだった。都市の運命は伝説の中に埋もれ続けていた。ピラメスを発見しようと近代の考古学者たちは競い合った。しかし、そこには考古学上の奇妙な捩(ね)じれが準備されていたのだ。
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20世紀が始まるまで、エジプト学者たちは不思議に思い続けてきた。偉大なファラオの全ての都市は発掘されていた。但し、ピラメスを除いて!
アイダン・ドドソン博士「ピラメスは見事な都市で、エジプト学者の全てが見つけたいと望む聖杯のようなものだった」
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ラムセスが、彼の都を、伝統的な権威の象徴のカルナック神殿やルクソール神殿があるテーベThebesの近くに造らなかったことは、古代の記録から誰もが知っていた。
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彼は大ピラミッドが建てられている現在の首都カイロの近くのメンフィスにも首都を造らなかった。その代り、自分が育った場所、青々としたナイルデルタ、に首都を造ったのだ。
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ナイルが分岐し、地中海に注ぎこむ所だ。記録によれば明確だ。彼は、デルタの中の、最も東寄りのナイル支流の河岸に都を建設した。とすれば、ピラメスを探し出すのは簡単だと思うかも知れない。しかし、そう考えるのは間違いだ。
アイダン博士「ピラメスを探す上での問題の一つは、当時、デルタの最も東側を流れていた支流が既に消えてしまっていたことだ」

昔から、デルタを流れるナイルの支流は、しばしばコースを変えていた。ラムセスの時代に最も東を流れていた支流は消え失せ、その位置は簡単には分からない可能性が高かった。支流の位置がわからないまま、デルタの東側で、ピラメスの遺跡を探さねばならない。
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しかし、幸運なことに、考古学者たちは、ピラメスがどんな所だったのかを古代の記録から知っていた。
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アイダン博士「まず、ピラメスは守備軍基地の都市だった。ラムセス軍がパレスタイン(中近東の古代国家)に遠征する拠点で、大規模の兵士やチャリオットが常備されていたはずだ。更には、多くの像や記念碑も建造されていた」
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ラムセスは石から像を彫りだし、磨き上げる労働者や職人や石工の生産ラインを持っていた。ピラメスには数百のファラオ像があった。石像のいくつかは20mの高さだった。
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次の特徴だが、ラムセスの名を記(しる)したカトゥシュが都市の重要な記念碑に彫られていたはずだった。カトゥシュは、それが誰のものかを物語るブランドのようなものだ。
アイダン博士「これがラムセスのカトゥシュだ。丸い太陽を頭に載せて椅子に座っている鷲が、太陽神ラーだ」
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「椅子の下の右側のマークは“メス”、隣の2つのマークは“スー”と読む。つまり“ラーメススー”となる。上の一番左のマークは偉大な神アムンだ。従って全体で“神ラメス”、“神に愛されているラムセス”となる。」

アイダン博士「ピラメスに大寺院があったことは判っている。特に、アムン神を祀るものだ。ラムセスが暮らしていた町なら寺院がなければならない」
そして、勿論、ラムセス自身が棲む王宮があった。
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アイダン博士「ファラオが棲んでいる王宮については、我々は多くの情報をもっている。長い通路と大広間があり、壁は漆喰で塗られていただろう。誰が見てもラムセスの王宮と判る構造物だったはずだ。」

もし、ピラメスと思われる所を見つけたなら、これらの重要な要素がそこで見つかるはずだ。当然のことだが、それらは、ラムセス二世の時代のものでなければならない。これら全てを見つけたなら、ピラメスを探し当てたと言える。

ラムセスの都市がついに発見されることになる物語の始まりは、1920年代に遡(さかのぼ)る。
考古学者たちはファラオの失われた宝物を探してエジプトの大地を訪れていた。どこかでピラメスが発見されるのを待っているはずだった。
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彼らは、ラムセスの失われた都市を求めて人里離れたデルタの東側を歩き回っていた。誰も訪れたことがない場所で自分がピラメスを探すのだ!

一人の男がその挑戦を始めようとしていた。ピエール・モンティPierre Montetはフランスで有数の考古学者だった。歴史に名を残す発見をしたいと考えていた彼は、探検隊を編成し、ナイルデルタを訪れた。彼はナイルの奥深くに、それまで十分に調査されたことがない奇妙な場所があるという話を聞き、重要な遺跡かもしれないと考えたのだ。失われていた宝物かも知れない!
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モンティの目的地はタニスTanisだ。ナイルデルタの北東で、人里離れた、月の表面のような所だった。
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モンティが大地に残されていた遺跡に近づいた時、見事な、失われていた世界を見つけたのではないかという気分は高まった。
モンティ「重要な遺跡のようだな」
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しかし、タニスはモンティが期待した以上のものだった。古代のナイルはどこかに消えていたが、残されている遺物は全てラムセスの都ピラメスと整合していた。見た全ての場所で、彼はラムセス大王を示す証拠を見つけることが出来た。
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モンティ「カトゥシュには“アムン(神)のラムス”とある!」
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これこそが、ピラメスであることを確認する決定的な証拠だった。
モンティが初めて訪れたタニスは、疑いもなくラムセス二世の失われた都市で、それは彼の足元に横たわっていた。
しかし、その場所は、後日、モンティが考えもしなかった理由で有名になる。
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タニスに残されていたものは、エジプト学におけるモンティの名を確固たるものにする。1年もしない内に、彼は本格的な発掘を始め、彼の指導のもとで作業は精力的に進められた。雑誌を発行し、遺跡はアムン神を祀る寺院だと公表した。作業が進むにつれ、モンティの名声と評判は世界中に広がった。彼のチームが発掘すればするほど、ラムセスの像やオベリスクが出土した。全ての品物は、ここが間違いなくラムセスの都市であることを示していた。
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記録によれば、ラムセスは、彼の統治を通じて、都ピラメスで自分のイメージをもつ巨像を造り続けていた。像を造るための労働力も十分に備えていた。間違いなく100以上の像がピラメス中に建てられていた。従って、モンティが多くの像を見つけ出したのも当然といえる。像の多くは巨大で、そのいくつかは数千トンもあった。長く姿を留められるよう、固い御影石で造られていた。遺跡を発掘すればするほど、モンティはタニスがピラメスだと確信していった。彼は、当時の都の様子さえ思い浮かべることができた。
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アイダン博士「ピエール・モンティは当時、偉大なフランス人発掘家だった。遺跡から当時の姿を想像する鋭い能力を持っていた。しかし、タニスには、何か奇妙なものを感じていた」
それは正しい。タニスには何かおかしな点があったのだ。タニスで見つかる石や像が語っていないことだった。モンティはそれに気付くのを拒否していた。
部下「何か妙な感じですね」
モンティ「数千年経(た)っているんだから、少し変でも当然だろう。・・・反論でもあるのかい?」
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同僚「そういう訳じゃあないんですが・・・本来ならあるべき欠片が見つかっていないし・・・妙な感じがするんです」
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数千年も経過しているのだから像の一部が見つかっていなくても異常という訳ではない。しかし、タニスで見つかる物は、全て、取ってつけたような感じなのだ。最初から在ったという雰囲気が感じられない。それが、この地を奇妙に思わせていた。

すると、新たな発見があった。それは、ピラメスがどこか別の所にあったと感じさせるものだった。
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モンティ「見せてみろ」
部下「彼らはこの破片を30Km離れた場所で見つけたと言っています」
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モンティ「カトゥシュは間違いなくラムセス二世のものだな。しかし、このタニスにはピラメスを示すカトゥシュが山ほどある。石像やオベリスクだってある。我々がピラメスの上に立っている証拠だ。カルナックと同じように大きい寺院だってあるんだから。さ、発掘の仕事に戻って!」
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モンティは、残りの人生の間、ラムセスの偉大な都市ピラメスをタニスで発見したと確信し続けていた。実際の所、彼は発見していたのだ!タニスに残っていた遺物はラムセスの見事な都市のものだったのだ。しかし、彼の発見には妙な捩じれがあった。何故なら、そこはラムセスが町を造った所ではなかったのだ。
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モンティがその不思議を知ることはなかった。それは60年後、科学の力によって明らかになる。

ピエール・モンティは1966年に死んだ。その同じ年、オーストラリア人考古学者マンフレッド・ビータックManfred Bietakは、モンティの発見を調べてみようとタニスを訪れた。そして彼はついに、ラムセスの失われた都市に関する秘密を解き明かすことになる。
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タニスでビータックが感じたのは奇妙さだった。論理に欠けている!
ビータック「これらは確かにピラメスの遺物だ。しかし、間違った場所で見つかっているんだ」
彼はそれを証明出来る証拠を持っていた。
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ビータックは古代のナイルの流れに関心を持っていた。タニスを訪れた時、彼はピラメスの妙な事実に気付いたのだ。彼は、ファラオの時代におけるナイルデルタでの川の様子を地図上で示したいと考えていた。
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今日では、デルタには2つの支流がある。
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しかし、支流は、何度もコースを変えていたことが判っている。歴史を通じ、ナイルはデルタのあちらこちらに流れを振っていた。昔の支流は水が涸れ、乾ききって、姿を失ってしまっている。ナイルの支流が運んでくる多くの土が河床に堆積すると、海へ続く別のルートを見つけ出そうする水が、流れの方向を変えてしまうのだ。時には、河岸を越えて、全く別の方向に流れ出すこともあった。

古代の水流の跡を調べる唯一の方法は、地上での等高線contourを調べることだった。
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古代の河床の位置の兆候は等高線地図の中に残されているはずだ。専門家ならば、今は乾燥しきっていても、昔、川が流れていた場所を探し出すことが出来る。等高線地図を分析することで、ビータックは古代にナイルデルタの東部を流れていた全ての支流を一つの地図上に描き出すことが出来たのだ。過去数千年の間に水が流れていた支流の跡は沢山見つかった。
ビータック「これがその地図だ。古代から現代までの全ての流れのルートが判る」
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地図はピラメスを示す証拠の一つになるはずだ。都市がどこになければならないかを示している。古代の記録によればピラメスは最も東を流れる支流の河岸にあった。ビータックの仕事はラムセス大王の時代に最も東を流れていた支流のルートを確定することだった。そのためには、全ての支流がいつの時代のものか年代特定しなければならない。その作業を土器で行うのだ!

古代エジプトでは、都市や居住区はナイルの河岸に造られていた。
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デルタにおいてもナイル支流の水の流れは飲料水や生活排水や運送に欠かせなかった。古代の町のように、ピラメスにも人で賑(にぎ)わう通りや居住区があり、そこには何トンものゴミや土器の破片が捨てられ、残されていた。その土器が見つかれば、年代が推定できる。つまり、都市があった時代が判るのだ。古代に流れていた全ての支流の付近で土器を見つけ出せば、どの支流に、いつ頃、水が流れていたのかを言い当てることが出来る。
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全ての土器や陶器は、それが造られた時期に応じた特徴を持っている。粘土の種類、製造方法、焼き固めたり釉薬を施したりする手法は、全て固有の時代を指し示す。
ビータック「陶器を調べるだけで、30年から50年の精度で造られた時代が判る」
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つまり、支流の地図と彼が持つ陶器の年代に関する知識を組み合わせれば、ビータックは、いつ、どこをナイルの支流が流れていたかを正確に言い当てることが出来た。更に、陶器の量は、どこに最大の居住区があったかも教えてくれる。彼は多大な努力を注入してデルタにおける土器の情報を収集していたのだ。

ピエール・モンティが予想したように、タニティク支流として知られるナイルの支流の一つは、モンティがピラメスを見つけたタニスTanisの近くを流れていた。
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問題はビータックがその支流の時代を年代特定した結果だ。支流にそって見つかった土器はピラメスの時代のものではなかった。タニティク支流はラムセス大王の時代、存在していなかったのだ!
ビータック「つまり、タニスはピラメスではあり得ない!」
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ビータックが見つけた事実は驚くべきものだった。タニスではラムセス大王の時代の土器は見つからなかった。彼の死から2百年後の土器ばかりだった。ピエール・モンティがタニスで見つけた遺物が全てピラメスの物であったとしても、そこに偉大なファラオが彼の都を建てることなどできなかったのだ!

モンティが発掘を進めていた当時、タニスで多くの土器が見つかっていた。モンティは、見つかった全ての像やオベリスク同様、土器もラムセス二世の時代のものだろうと思っていた。だから土器を詳細に調べなかった。もし調べていたら、モンティはタニスの奇妙な事実に気付いていただろう。ラムセス大王の時代、タニスには偉大な都市は無かったのだ。
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ビータック「ここにはラムセスの都市は無かった。しかし、残されていたものは全てラムセスと関係するものだ。だから問題が起きたのだ」

タニスで見つかった記念碑も、建物も、像も、疑いもなくピラメスのもので、ラムセスが造ったものだ。奇妙なパラドックスだ。素晴らしい都市が何故、造られもしなかった場所に出現したのか?最初に造られた場所は、一体全体、どこだと言うのか?
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ビータックは興味を持った。モンティが残したパズルを解かねばならないとまで思うようになった。ピラメスの本当の位置を見つけるのだ!地図のおかげで、彼はそれを探し出す手段を持っているといえた。見つかった土器の情報から、一つの川が突出していた。全長100Kmのペルージア支流Pelusischerだ。
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この古代の支流に沿って、ラムセス大王の時代の土器が見つかっている。ラムセスの時代、この支流がデルタの最も東で、活発な流れだったのだ。従って、ピラメスは、今は失われているペルージア支流の河岸になければならない。

この時点からビータックはドイツ人考古学者エドガー・プッシュEdgar Puschとチームを組んで都市を探すことにした。
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プッシュ「ここがタニス。で、ピラメスではないことは判っている。そして、ここにペルージア支流を見つけている。その流れに沿って、ピラメスの時代の土器を発見している。特にカンターQantirの一帯で見つかった土器の量は多い」
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実は、彼らはカンターがピラメスではないかと推定する手掛かりをモンティの調査から得ていたのだ。モンティが発掘調査していた時、彼はカンターで発見された石の欠片を見ていた。そこにはラムセスのカトゥシュが彫られていたが、無視したのだ!

ここがカンターだ。タニスの30Km南の地点だ。ここが失われた都市ピラメスなのだろうか?
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プッシュが初めてカンターを訪れた時、そこには見るべきものは何もなかった。像も、オベリスクも、寺院も、見当たらなかった。失われた偉大な首都だったことを示すものは何もなかった。
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プッシュ「最初にこの地を訪れた時、ショックを受けた。地上には何も見るべきものが見えなかった。どこから手を付けたらよいかを示すどんな手掛かりも無かった」
カンターはエジプトでも最も肥沃な地帯の一つだ。隅々まで開拓され、古代世界の全ての証拠は地上から消え失せていた。考古学的には焦土と同じ状態だった。
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プッシュ「我々がここで発掘を始めた時、何も見つけられないだろうと誰もが言っていた。全てが破壊されていて、何も残っていないと」
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しかし、この地のどこかに、ビータックが提案したように、エジプト考古学の聖杯が横たわっているとプッシュは考えていた。ラムセス二世の失われた都市ピラメスが!
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彼らは発掘を開始した。どんな小さなヒントすらも見逃さないよう、注意して発掘を進めた。奇跡的にも発掘から3日目、地表から10cmの所でプッシュのチームは興味深い証拠品を見つけた。
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これらの削り加工されている奇妙な品々は、カンターが、何処にでもある場所ではなく、彼らが捜しているもの全てを秘めた場所だと暗示する、地中から現れた最初の決定的な証拠だった。しかし、その時は、それらの品物が何なのか誰も判っていなかった。
プッシュ「当時、我々は、これらの欠片(かけら)を“壊れた容器の欠片”とか“壊れた花瓶の欠片”などと呼んでいた」
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発掘を続けていくと、次々と不思議な欠片が見つかった。そして遂に、素晴らしい品を発見した。
プッシュ「馬の頭に着ける一式の完璧な形の金具だ」
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「青銅を使ってエジプトで造られたもので、実物が見つかったのは初めてだ。完璧な状態なので、昨日、造ったように見える」
その金具を見つけた場所を発掘していくと、別の驚くべき発見があった。
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プッシュ「石を組み合わせた奇妙なものを見つけた。2つ並んでいた。オスの馬がこの上に立ち、穴に小便をする場所だと判った。つまり馬のトイレだ。ここに写真があるが、当時の馬と同じ大きさのミュール(muleラバ)を二頭、連れて来たところ、右側のミュールは、まさに、穴に向けて小便をしたんだ」
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6列で、各列に10の馬小屋があった跡も見つかった。各馬小屋には複数の小型の馬が飼われていた。厩舎(きゅうしゃ)は460頭の馬の住家だったのだ。そんな大きい厩舎なら軍事施設の一部としか考えられない。馬はファラオの軍隊の重要な必需品だった。
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そして厩舎があった時期はラムセス大王が生きていた時期と一致する。

何百もの不思議な品物の発見が続き、いくつかは完全な形で見つかった。それが決定的な重要証拠となった。
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プッシュ「これらが何に使われていたものかに我々が気付いたのは偶然だった。例えばこの石の節(ふしnode)はツタンカーメンのチャリオットの馬に固定される側の部品と同じだ」
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見つかった何百もの石の節は、ラムセスのチャリオット軍隊で馬とチャリオットを一体化して安定するために使われていた部材だったのだ。馬の数と結び付ければ、意味することはたった一つだ。古代の記録が、ピラメスにはチャリオットの軍勢が駐在していたと言っていたように、発見された規模から考えると、ここは正にラムセス二世の失われた都にふさわしい。
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軍の駐屯地を発掘するだけでビータックとプッシュは1年を要した。都市ピラメスは広大だ。この速度で発掘を続けたら数百年かかる。そこで彼らは新しい技術に目を向けた。土を掘り起こさなくても、カンターに眠っているものを知ることが出来る。電子電磁走査器で、時代の先端を行く技術だ。
プッシュ「誰も、それが上手く機能するとは考えていなかった。ま、折角だから、準備してやってみようか。そんな感じだった」
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古代の施設の壁や基礎は地中に何らかの痕跡を残している。電子電磁走査器は電磁波を地中に侵入させ、異物を感知する。もしピラメスの基礎がこの平地の下に残っていれば、土を掘ったりしなくても、通りや建物や壁の痕跡を見つけ出す。

当初、地中を走査して調べても何も見つからないのではないだろうかと、誰もが考えていた。しかし、それは間違いだった。
プッシュ「結果を見て、みんなが目を疑った。地中から建物が並ぶ様子が浮かび上がって来たんだ!その日のことは忘れられない」
走査器は地下数cmに建物の痕跡が広がっていたことを示していた。
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プッシュ「ここには壁が走っている。通りの跡が見えるし、建物も、沢山並んでいる」
初日の1日だけで、2平方Kmをも調べることができた。この方法の調査としては世界一の速さだっただろう。調査を進めていくと、カンターの野原の下から、数千年を経た後の広大な都市ピラメスの基礎が現れ始めたのだ。
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プッシュ「この広い一画で最も興味深いのは、中央辺りにある巨大な構造物だ。4万1千平方mもある!」
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「中心にある建物の中には沢山の部屋が連続して並んでいる。柱も全て対照的に配置されている。この構造物の機能は恐らく寺院だろう。」
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寺院は古代エジプトでは生活の中心だった。巨大な柱が並ぶ広間や壁や飾り物が人々を威圧していた。
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プッシュ「これは西側で走査して調べた結果だが、直線的に伸びている通りに沿って、高級住宅街が広がっている。この一画は壁で囲まれていて、南側にはペルージア支流があった」
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そこは豊かな人たちの居住区だった。この一帯のナイル支流に面した部分で、将軍や貴族の名前が彫られた玄関の鴨居(かもい)も見つかっていた。
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プッシュ「東側の走査結果を見ると、小さな建物が密集している一画がある。建物を隔てる路地は、直線的でもないし、格子状でもない。身分の低い人や職人が暮らす住居や仕事場があった区画だと思われる」
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高級住宅街とは対照的に、小さな住居が密集し、入り組んだ、狭い通りが一帯に広がっていたのだ。
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プッシュ「つまり町の西と東で大きな違いがあったんだ」

建物が配置されている面積の規模から、ここがピラメスであることは間違いない。特に、一つの構造物はとても見事なものように思われるのだが、電子電磁走査器では検査できない領域に広がっていた。
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現代のカンターはデルタの典型的な町で、小さな家が雑然と集合し、配置されている。その町の周辺での走査結果から考えると、今の町は、ラムセス二世の王宮の上にあるのだ。

過去の記録によれば、ラムセスの偉大な王宮は広大だった。都市の中心にあり、記念碑で装飾され、彼の統治を祝福していた。外周を囲む壁は光り輝くタイルで覆われていた。
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電子電磁走査で浮かび上がって来たピラメスは、かつて、偉大な構造物が並ぶ都市だったことが明確になって来た。

ラムセスの偉大な力がどのように及んでいたかは、他の遺跡から垣間見ることができる。
アイダン博士「ラムセスの偉大な寺院はピラメスから失われてしまった。しかし、彼がルクソール寺院に建てた塔門(パイロン)やカルナック神殿や、後年に建てたハーブ寺院を見ると、その当時、支配的な都市だったピラメスがどんな様子だったかが想像できる。
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電子電磁走査は、広大な都市の中を走る、建物が何もない場所の様子から、もう一つの秘密を明らかにしていた。空白の場所はナイルに繋(つな)がる多くの運河や湖や水路の場所を示していた。
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この事実はピラメスが特徴的な都市だったことを教えてくれるジグソーパズルの最後のピースだった。

町には広大な寺院があった。川の近くには裕福な人たちが暮らすビラがあった。町の周囲では、うねりながら伸びている通路の両側に小さな家が密接して配置されていた。そしてファラオのための王宮もあった。
しかし、ラムセスは都市をデルタに造ることで、従来とは全く異なる都市を造り上げていた。ナイルと繋がる運河や水路が張り巡らされたピラメスは、当時のベニスとも言える都市だったのだ。
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しかし、ビータックとプッシュがカンターで本物のピラメスを発見したとすれば、ピエール・モンティがタニスで見つけたのは何だったのだろう?
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アイダン博士「カンターで見つかったものがピラメスの跡だと判った時、ならばタニスは何だったのかと不思議に思うのは当然だ。そこにはピラメスから来たとしか考えられない遺物が残っているのだから。それらはタニスで何をしていたというのだろう?偽物なのか?地球外生物がバラまいた物だとでもいうのだろうか?」
ピラメスは見つかった。しかし、同時に2つ存在していたように見える。タニスには建物が残っている。基礎はカンターで見つかる。どうしてこんなことが起きたのだろう?その答えは興味深い。

ラムセス大王は都市の場所を古代ナイルのペルージア支流の河岸に選定した。
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都市はピラメスと名付けられ、支流の慈悲を受けて繁栄した。しかし、ラムセス二世の死から150年後のある日、運命は変わったのだ。川底が高くなったペルージア支流は方向を変え、当時のベニスを水のない都市のまま残すことになった。
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ビータック「ペルージア支流は、ラムセスの時代、ここを流れていたが、流れが変わり、水はタニティク支流に流れ込んでしまったのだ」
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流れていた支流が失われてしまったことはピラメスにとって大惨事を意味した。かつて見事だった大都市は世界から隔離され、放棄されることになったのだ。その代わり、ラムセス大王の死後、後継者が奇妙なことを決断する。
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3千年前、古代のエジプト人がピラメスに何をしたのかという謎に対するヒントは、思いもしていなかった場所から現れた。現代のカンターの草原の真ん中に隠されていたのだ。
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ラムセスがピラメスで建てた多くの巨像の一つの足だ!それ以外の部分はどこか別のところにある!

タニスTanisでは足が無い巨像が沢山見つかっていた。
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それは古代のエジプト人が信じられない行動をとった結果だった。足はカンターQantirに残されていたのだ。彼らは彼らの都市を移したのだ!ナイルの支流がその時に流れていた場所に。
ビータック「ピラメスは放棄され、タニティク支流の河岸に新しい都市が造られた。それがタニスだったのだ」
これが、ピラメスが2つの場所に同時に現れることになった謎を解く唯一の可能性だ。ラムセスの死からおよそ150年後、ピラメスの付近を流れていた川は方向を変え、都市の機能は停止した。意に反して見事な場所を放棄することになった人々は、都市をナイルが流れる場所に移すことにした。ピラメスの建物や像は一つずつ解体されていった。それはかつて建設された偉大な都市を甦(よみがえ)らせようという記念碑的な仕事だった。最大の石像の重量は数千トンもあった。数百人の労働者が木製の橇(そり)を使って一つの石像を運んだ。
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像やオベリスクのような記念碑は塊のまま倒され、寺院などの建物は部材に解体されて運ばれた。現実に行われていた作業に関する記録が残されないので、都市の移転にどのくらいの期間が費やされたのか、何人くらいが事故で死んだのかなどは判っていない。
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いずれにしても、巨大なジグソーパズルのように、ラムセスの偉大な都市は解体され、新たにデルタの東側を流れる支流の河岸に運ばれ、再組立てされたのだ。
アイダン博士「ピラメスは死に、ピラメスの石を使って、新しい町がデルタの東側に生まれることになった」
ピラメスの全ての像やオベリスクや寺院などの石材を使って造られたタニスは、新しいファラオの故郷に生まれ変わった。
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しかし、全ての偉大な都市や文明と同じように、タニスも、ある時期に崩壊し、歴史の中で色あせていった。3千年後に発見されると謎を生み出したが、考古学者たちは、今、やっとその解明を終えることが出来たのだ。
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Lost Cities Of the Ancients : The Vanished Capital Of The Pharaoh
https://www.youtube.com/watch?v=CFd0Afs-6YI

次の写真はGoogle EarthでみつけたTanisの遺跡です。
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像やオベリスクにはラムセス二世のカトゥシュが彫られた物が多いので、上の写真の像もラムセスかも知れませんが、後述するように、そうではない可能性も若干あるのです!?

英語版Wiki:Pi-Ramessesには次の記事が見つかります。
「ピラメス(ラムセスの家)は、第19王朝のファラオ“ラムセス二世”によって古代のアヴァリスAvarisの近くのカンターQantirに造られた新しい首都だった。セティ一世(mhラムセス二世の父)の夏のパレスとして使われ、ホルエムヘブ(mh第18王朝の最後のファラオ)の下で働いていたラムセス一世(mh第19王朝最初のファラオでセティ一世の父)によってその基礎が造られていた可能性がある」
ピラメスはラムセス二世だけの町じゃあなかったんですね。

で、畑の中で見つかったラムセス像の足の写真もありました。
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ネット記事によれば、1970年代にオーストリア人考古学者マンフード・ビータックによってQantieの調査が始まり、1999年までに75,000平方mの電子電磁走査を完了したとありました。
現在も発掘は他のメンバーに引き継がれて進んでいるようで、最近の様子は次の通りです。
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カンターQantirで発見されたラッカーで上塗りされた煉瓦にはラムセスのカトゥシュが刻まれています。
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カンターQantirがピラメスPi Ramessesだったのは間違いないと考えてよいでしょう。

YahooとGoogleのホームページで、“ピラメス”“パイラムセス”で検索しても、ラムセスの都を示す何の情報もヒットしません。ウィキ「ラムセス」にはラムセス二世の記述がありますが、ピラメスについては全く触れられていません。日本から遠く離れたアフリカの、今から3千年も前の一時期、1百年だけ首都として存在し、その後、直ぐに失われてしまった都市ピラメスに関心を示した日本人は、mhと、このブログの読者だけかもしれません。

で、次回のブログですが・・・
タニスをピラメスと早とちりして面子を失ってしまったピエール・モンティ氏の名誉挽回のお話をお送りしようと思います。
実は、モンティ氏は、タニスを調査していた時に“銀のファラオThe Silver Pharaoh”を発見していたのです!ファラオって言うんですから、王ですね。勿論、ラムセス二世のミイラを発見したわけではありません。彼は大勢の子供達と一緒にテーベThebesの王家の谷The Valley of The Kingsに眠っていましたから。

銀のファラオとはどんな人物か?
彼は何をしたのか?
何故、銀なのか?

それは次のブログでご紹介致しましょう。
(完)

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