Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

シルクロードの不思議な質問(1)の答え


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シルクロードの不思議な質問(1)

 「シルクは、シルクロードを通って中国からローマに運ばれたのでしょう?
 なら見返りに、シルクロードを通ってローマから中国まで運ばれたものは何だったのでしょうかねぇ?」


この不思議な質問(1)の解答篇は力作(?)で、とてもとても長い論文です。
最後まで付き合い切れない方が多いと思いますので、答えを紹介しておきましょう。

<答え>
 シルクは、シルクロードを通って中国からローマまで運ばれ、ソリドゥス金貨に交換された。
 交換に使われたソリドゥス金貨はシルクロードを通ってローマから中国まで運ばれた。


不審や関心がありましたら、以下の長い長~い論文にお進みください。

なお、シルクロードの不思議な質問は、私が30年余りお世話になった電機会社の生産技術OBで構成される生産技術研究会のネットワークで2013年7月~8月にかけて公開し、メール、懇親会で質疑応答をして楽しませてもらいました。ひょんなきっかけでブログを開設することになり、不思議な問題シリーズを掲載させてもらうことにしました。少しでも楽しんで頂けると幸いです。

不思議な質問シリーズの予定は次の通りです。
 1)シルクロードの不思議な質問(1): シルク  (公開済)
 2)シルクロードの不思議な質問(2): 韻    (近々公開)
 3)インドの不思議な質問       : 釈迦の生涯 (近々公開)
    (以上は生産技術研究会で公開済みです。)
 4)南米の不思議な質問  : ???2014年2月に旅をします。どんな不思議に出会えるのか?
 5)エジプトの不思議な質問: ナイル川  (完成。適当な時期に公開)

実は来年2月はナイル川クルーズに参加する予定でした。ナイル川に関する不思議な質問も答えも、骨格は既に完成していたのですが、ある日、旅行会社から電話がありました。
「エジプト情勢が不安定で観光客が少なく、クルーズ船がキャンセルされました。代わりにバスで移動する企画で、皆さんに了解いただいてます。いかがでしょうか?」というのです!ナイル川舟下りがないエジプト旅行なんて、山葵がない寿司(?)のようなものですよね。そこで、エジプトは次に譲り、いつか行きたいと思っていた南米の旅を予約しました。
  ルートはリマ✈クスコ🚃マチュピチュ🚌チチカカ湖🚌ラパス✈ウユニ塩湖✈ラパスです。
マチュピチュ🚌チチカカ湖🚌ラパスはアンデスの渓谷をぬってバスで移動するのです!!スペイン語の教材を入手して勉強しようと意気込んでいますが、泥縄なので役立つとは思えません。しかし、何とかしなければならない一人旅です!
この南米ルートに関係する不思議な質問があればお聞かせください。現地調査してきます!

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シルクロードの不思議な質問(1)の解答篇            
     2013年7月7日  Mystery Hunter

6月、阪急交通社の「悠久のシルクロード」に参加して中国を訪問した。バスや電車や飛行機で移動しながらシルクロードの古跡を巡るのが目的だ。烏魯木斉(ウルムチ)から吐魯番(トルファン)に移動するバスの中でK氏が私に訊いてきた。それがシルクにまつわる不思議な質問だ。

本題からそれるが、問題提起者のK氏についてもう少し説明しておこうと思う。
K氏は、秦の始皇帝に不老不死の薬を探すよう命じられた徐福の‘子孫’で、横浜の家族から離れて伊東の別邸に一人で暮らす70代の男性だ。野良仕事と中国語版三国志本の読破・分析三昧という、文字通りの晴耕雨読らしい。当然、中国語には堪能で、会話も読書も思いのままだ。9月には「1級管工事施工管理技術士」認定試験を初めて受験するとのことで、今回は例題集を持参してきていた。それを私の目の前でちらつかせては私の知識を試したり、途中で立ち寄った上海や西安の空港内の本屋で買い求めた中国語版三国志本数冊を読み耽ってはページの余白に何やらメモを書き込んだり、という具合で、ユニーク、奔放この上なく、今回のツアーの人気者だ。中国語版三国誌は東京丸善でも探すのが大変らしい。毎年中国で催される徐福会に参加しては北京や空港の本屋に立ち寄り、三国志に関係する本なら何でも構わず購入していたとのことだった。日本と比べたら価格は安く種類も豊富なんです!と嬉しそうに話していた。

K氏の質問はこうだ。
「シルクは、シルクロードを通って中国からローマに運ばれたのでしょう?なら見返りに、シルクロードを通ってローマから中国まで運ばれたものは何だったのでしょうかねぇ?」

質問は単純で答えもやさしそうだ。しかし正しいと思われる答えが咄嗟には見つからない。不思議な質問だ!金か銀では?とも思うが、シルクと交換に使われたのか疑わしいし、ローマの金銀なのか特定するのも難しそうだ。

訊かれて何も答えないのはまずい!と思い、運よく思いついた生産技術研究会の次回テーマの「ガラスでは?」と応えてみたもののK氏も私も得心がいかない。そこで、中国人ガイドの物知り陳さんに訊くと、暫く考えて「金だ!銀かも。」と言う。予想通りだ。「ガラスはどうだ?」と探りを入れると「それもあるかもしれない。が、胡椒かも。」と言い、挙句の果てには「象だ!芸能団だ!」と言い出す始末で心許ない。

そこで、また自分で考えてみた。やっぱり判らない!不思議な質問だ。

帰国後、生産技術研究会のメンバーにK氏の不思議な質問を投げかけてみた。すると「武器だ!」「金だ!」「キリスト教だ!」「ピタゴラスの定理だ!」「貨幣だ!」と、いろいろな答えが寄せられた。しかし、いずれの回答も重要な何かが欠けていて正解とは思えない。

そこで私は、質問のもつ意味とその答えについて改めて仔細に調査・分析・検討を行った。
その結果、ついに満足のいく答えに到達することが出来たのだ。以下に、これを解説する。

「シルクが、シルクロードを通って中国からローマに伝わったのだろう?なら見返りに、ローマからシルクロードを通って中国にきたものは何か?」

この質問に答えるには、まず質問の意味を正確に把握する必要がある。
質問を見ると、二つのセンテンスで構成されていることに気付く。

第一の質問:
「シルクがシルクロードを経由して中国からローマに伝わった、というのは本当か?」

第二の質問:
第一の質問の答えが「Yes」なら、「シルクに代わり、ローマから中国に、シルクロードを伝わって運ばれたものは何か?」

第一の質問に対する考察
シルクロードに関する知識を持つ人なら誰でも、第一の質問を聞いた途端に「Yes」と答えるだろう。シルクがルクロードを伝って中国からローマに運ばれたのは疑う余地がない事実のように思われる。

いちいち証拠をあげて解説すると時間がかかるので今回は差し控えるが、歴史学者により「中国で造られたシルクが、永い間、ローマで貴重品として上流社会の女性を中心に重用されていた」ことは証明済みである。タクラマカン砂漠西端の町カシュガル(喀什)や、パミール(帕米爾)、インド(印度)など、中国以外でもシルク(丝绸、絲)は造られていた。しかし、これらのシルクは、品質が悪かった。ローマで上流階級の女性達のお眼鏡にかなうのは、中国シルクでしかなかった、と歴史学者は断言している。

中国のシルクがローマで垂涎の的になっていることを伝え知った当時の中国皇帝(紀元3世紀、洛陽に都をおく晋の武帝か?)は交易利益を独占するため蚕の国外持ち出しを禁じた。以降、ローマのシルクは中国の専売となった。

蚕の国外持ち出し禁止に関連する逸話がある。ある時、政略結婚で、西国の王に中国から花嫁が贈られることになった。かねてから上質な絹を我が物にしたいと考えていた王は、蚕を中国から持ち出すよう花嫁に頼みこんだ。王の願いを聞き入れた花嫁は、ターバンの中に蚕を隠して嫁いだのだ。イギリスのスタイン探検隊がタクラマカン砂漠南端の町ホータン(和田)で発見した絵がある。YouTube: The Silk Road 01(NHK英語版)のワンシーンでも紹介されている。絵の中の侍女が指さす花嫁のターバンには蚕が入っているのだ!
   蚕とターバン

中国シルクはローマまで運ばれていたに違いない!しかし、それでもまだ、「万全」と言い切れない何かが残っている気がしないでもない。「何年ころ、どのくらいの量のシルクが、中国からローマに運ばれたのか?」を明確に示す資料は見つかっていないのだ。ローマに運ばれたシルクは僅かで、翡翠や陶器(チャイナ:後の中国の国称になった)の方がエキゾチックだと喜ばれて大量に運ばれていた可能性だってある。そうでないというはっきりした証拠はない。

このように疑いだすと、当時の資料文献を大量に集めて精査しないと何が正解か判らないとも言えそうだ。しかし、例えそうであっても、第一の質問を聞いた途端、圧倒的多数の人が「Yes」と即答するだろう。それは、「シルク」という言葉の響きが持っている不思議な魅力によるものだと私は思う。

19世紀末、ドイツ地理学者リヒトホーフェンが、中国から西方に伸びる物流ルートを「シルクロード」と命名し、これが世界に広がった。シルクという言葉の不思議な響きの効果だと言えよう。もしも「文化文明ロード」とか「ユーラシア街道」としていたらどうだろう。第一の質問は「中国のシルクが文化文明ロード(又はユーラシア街道)を伝ってローマに運ばれた、というのは正しいか?」となり、問われた人は「そうとは言えないだろう。根拠もなさそうだ。」と応じるはずだ。文化文明ロードなんかではなく、シルクロードだったから問われた時の反応が変わるのだ。それ程「シルクロード」という名は、第一の質問に不思議なトッピングをかけている。

長々とした解説になってしまった。この辺で第一の質問の答えは「Yes」とし、第二の質問、すなわち「第一の質問の答えを「Yes」とするなら、シルクに代わって、ローマから中国にシルクロードを伝わってきたものは何か?」の検討に移ろう。

第二の質問に対する答えの探求
答えの探求を始める前に、シルクが持ち出された中国の時代特定をしておこう。この質問で取り扱う中国とは、西暦581年に興きた隋から西暦907年に亡んだ唐まで、都として繁栄を謳歌した長安(現西安)を中心に、半径1000Kmの範囲とする。長安から1400Km北西の敦煌は西域であって、中国ではないとする。

ところで、世界遺産の莫高窟や鳴沙山がある敦煌は甘粛省西端の町で、数10km西はもう新疆ウイグル自治区だ。「新疆」の語意は「新たに獲得した土地」で、漢民族がウイグル族から獲得したという意味を含み持つ。中華人民共和国からの独立を目指すウイグル族による紛争は、自治区の首都ウルムチで今でも絶えることがない。

閑話休題。
ローマで持て囃されたシルクが中国産だったことは既に述べた。しかし、常識的に考えれば、中国の全出荷量におけるシルクの比率は低く、大半は、果物、野菜、穀物、香辛料、書籍、小道具、装飾品、綿製品など、もっと日常的なものだったはずだ。これらの中国製日常用品の多くは、ローマまで到達することなく、シルクロードの途中の町で他の物に交換され、生活の糧として消費されていた。

日常用品と比べ出荷量が少なく、多くはシルクロードの途中で他の物と交換されたはずのシルクも、何割かは最終目的地ローマにも到着し、そこで代替品と交換された。その時、シルクの代替品となったものも、少なくとも何割かが長安まで運び戻された、と推定される。この代替品とは何だったのだろう?第二の質問に答えるということは、この代替品を特定することなのだ。

古い昔の異国の話だ。これこそがローマにおいてシルクと交換され中国まで持ち運ばれたものだ!と断言できる代替品、つまり答えを、現代に生きる我々一般人が特定するのは楽ではない。どんな答えも根拠薄弱で、真実味に乏しいのではないかとさえ思われる。

中国人ガイドの答えは「金?銀?ガラスもあるかもしれないが、胡椒?象?芸能団?」だった。いずれも「正解かもしれない!」と感じさせる何かに欠け、思い付きの羅列にさえ聞こえる。

生産技術研究会のKN氏の「キリスト教(基教)」というのは、かなり正解に近い。中国からローマへ運ばれた代表的な商品を「シルク」とするなら、その代替としてのキリスト教は、シルクと同等またはそれ以上の重量感を感じさせる。紀元1世紀に生まれたキリスト教は、ローマ司教や教皇が派遣した宣教師により異国に布教されてきた。キリスト教こそ、シルクロードを通って中国に運ばれた代表的なものの一つと言えるだろう。キリスト教がシルクロードを伝わった証拠はある。唐の時代、シルクロードのオアシス都市や長安には既に教会があり、今も残っているのだ。トルファンで発見された絹織物の中にも、キリスト(基督)が描かれた布片がある。YouTube:The Silk Road 01で紹介されている。
   基督図

よって「キリスト教がシルクと交換されて中国に来た」とする向きもあるかもしれない。しかし、第二の質問では、シルクという“製品”の代りに中国に運び返された“物”を特定することが求められているのだ。従って“物”ではないキリスト教は不正解と言わざるを得ない。

生産技術研究会のHR氏の「お金(貨幣)」は正解に近い!が、貨幣は紙幣と硬貨の総称なので「不正解」である。貨幣でなく硬貨だったら“概ね正解!”としても好かった。

正解、すなわち「ローマでシルクと交換され、シルクロードを通って中国まで運ばれた物」とは「ローマ皇帝の名が刻印された金貨」である!!以下に根拠を述べる。

ローマ皇帝の名が肖像とともに刻印されたローマ帝国の金貨、別名ソリドゥス(東ローマ帝国時代はノミスマの愛称で呼ばれた)金貨は、厳格な管理の下、ローマ帝国内で鋳造され使われていた。時期は3世紀~11世紀で、長安が中国の都だった時期に重なる(出典;Wiki)。しかも、金貨に刻印(鋳型成形?)されたローマ皇帝の名前から、いつ頃鋳造されたのか正確に判明し、シルクがローマで持て囃された時期に重なっていることも確認できる。
   ソリドゥス金貨 ノミマス

このソリドゥス金貨は中国でも発見されているのだ!西安の歴史博物館、碑林博物館には西安近郊で発掘されたローマ金貨、つまりソリドゥス金貨が展示されている。シルクロードのオアシス都市でも発見され、町の博物館に展示されているとの情報もある。当時、ローマで造られた「物」は、シルクロードを経由し、間違いなく長安まで運ばれていたのだ!

一方、今も残るローマの文献に「品質が格段に秀でた中国のシルクの価値は、同じ重さの金と同じだった」との記事が見つかっている。
きっと、シルクは金貨で買われていたに違いない!

駱駝一頭が運べる重量は凡そ200kgだ。中国から来た駱駝の背中にはシルクが凡そ40kg、残り160kgは食糧や水が載せられていたはずだ。この40kgのシルクは、ローマで40kgのソリドゥス金貨と交換された。そして、中国に帰る駱駝の上には、シルクの代わりの金貨40kgと、来た時と同じように160kgの食糧や水が背負わされたのだ。これで運搬上は、なにも問題ない。

しかし、もし、シルクとの交換に銀貨が使われたとするとどうだろう。金貨と銀貨の当時の交換比率は不明だが、現代と大体同じで1gr当たり金4、000円、銀70円、同価値重量比で1:60とする。金貨40kgは銀貨2、400kgに相当するのだから、銀貨だけで12頭の駱駝が必要になる。それ以外に食糧や水を運ぶ駱駝がないと中国には戻れないのだ。そんなに沢山の駱駝をローマで調達することなど出来ない。シルクを買おうとするローマ人にとっても大変だ。2,400kgもの銀貨を市場まで運ばねばならないのだから!
シルクを買うのは上流階級の人で、シルクは銀貨を山ほど積まないと買えない高額商品だったことも考えれば、金貨をもってシルクと交換していたとして間違いない!

また、当時のローマには、シルク以外には金貨を持って代替すべき中国製品は恐らく無かったと言ってよい。中国では貴重品の翡翠などの玉製品もローマで売られたとは思うが、流行していたという記録はない。玉製品は、中国独特の文化によるもので、ローマ人の嗜好に合わないのだ。よって、中国で見つかったローマ金貨は、殆ど全てがシルクと交換する時に使われ、中国まで運ばれた物である、として間違いはないはずだ。

なお、芸術品がシルクの代替品としてローマから運ばれた形跡は、僅かだが、ある。ローマ製と記載された説明パネル付きの小さな像が西安歴史博物館にも数体、展示されていた。

私のささやかな居間の壁には平山郁夫「楼蘭砂漠を行く・月」が飾ってある。絵などを買い求める客層が少ないイトーヨーカ堂の催し物コーナーで、画商に「助けるつもりで!」と乞われ、半額の○十万円で手に入れたものだ。
  新しい画像 (2)

当然、スクリーンプリント(シルクが台紙として使われていたかも!)で、複製は何百枚もある。本物は山梨県北杜市の美術館に展示されている。大きさは1平方メートル程度、重量は推定0.2kg、価格は推定3億円。金の比重は19.32だから3億円なら75kgで体積は4リットルになるが、平山郁夫の絵なら軽量コンパクトで、はるばる中国まで持ち帰るには都合が好い。
もし、当時の中国人が欲しがる、平山郁夫画伯の絵のような価値を持つ芸術品、例えば、パピルスに書かれた世界地図、玉で出来たビーナス像などがあったとしよう。それとシルクが交換された可能性もある。しかし、そのような芸術品はローマで二つとない代物だったはずで、シルクの代りに渡すわけにはいかなかったと考えられる。よって、第二の質問の答えにはなりえない。

長安で見つかったソリドゥス金貨の多くは、シルクがローマで交換された時に使われたものだと言える。また「ローマ金貨(ソリドゥス金貨)」という語は、シルク、という語に対応しえるネームバリューを持っている。ローマ銀貨では重すぎる上に格不足だ。絵画や彫刻などの芸術品もあり得ない。よって、ローマ金貨がローマでシルクと交換され、シルクロードを通って中国に運ばれた、とするのが最も正しい。金は長い道中で錆びてしまうこともないのだから。

以上で、徐福の子孫のK氏がシルクロードで突然口にした不思議な質問と、これに対する私の答え、その根拠についての解説を終わります。私の想像力も尽きて、解説も堂々巡りを始めてきました。

最後まで読んで頂き、大謝!
次回のMysterious Questions in the World「シルクロードの不思議な質問(2)」も是非読んで下さい。

なお、シルクロードのターミナルは諸説あるようです。以下Wikipedia「シルクロード」の抜粋です。
「シルクロードの中国側起点は長安(陝西省西安市)、欧州側起点はシリアのアンティオキアとされるが、中国側は洛陽(河南省洛陽市)、欧州側はローマとする説などもある。日本がシルクロードの東端だったとするような考え方もあり、そもそもどこが起点などと明確に定められる性質のものではない。」

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悠久のシルクロード:旅行記

お知らせ:
このブログに張り付けておいた写真は手違いで消去してしまいました。
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                       2013年12月21日 Mystery Hunter
シルクロードの不思議な質問(1)の答えは次回に譲り、今回は現地の写真を紹介しましょう。

烏魯木斉
(上)新疆ウイグル自治区の首都ウルムチ(烏魯木斉)のレストランで飲んだ地場ビールWusuです。
30元(450円)と現地では高めの旅行者向け価格でしたが、癖が無く、少し物足りないが飲みやすい一品でした。品質が優れているという意味の「優質」が簡体字(略字)で描かれています。現地の人は、恐らくコクがある地場啤酒(ビール)を飲むのだと思います。左下隅に写っている薄茶色の物体は私が日本から持って行ったビールのツマミ「ホタテの干物」です!

高唱故城 講堂
(上左)トルファン(吐魯番)の高昌故城にある寺院跡です。
(上右)三蔵法師がインドに行く途中、高昌故城のこの講堂で説法をしたのはAC629年でした。

兄弟 女性ダンス
(上)ウイグル族の若い兄妹の家です。入口で出迎えてくれました。奥庭の葡萄棚の下にはちょっとした広場があって、妹さんがダンスを披露してくれました。お礼も兼ねて自家販売の干し葡萄を買いましたが、約400grで200元(3千円)と高価です。400grで50元(750円)のものもありましたが、トルファンまで来る日本人は最高級品しか買わないのです!日本に持ち帰った干し葡萄は、生産技術研究会の懇親会でも試食してもらいましたが、好評で、直ぐ無くなってしまいました。

バス
(上)ゴビの砂漠をチャーターバスでひたすら移動しました!トイレ休憩は、勿論、大自然の真っただ中です。道路を潜るように造られたコンクリートのトンネルは女性専用。男性は砂漠に向かって用を足します。トンネルは、水路用に違いありません!天山山脈の雪解け水は、時には川となって砂漠に流れ込んでくるのでしょう!砂漠より2mくらい高台になった道路が水をせき止めて、おかげで浸食されてしまわぬよう、水を山側からゴビ砂漠の方向に逃がすのです。このトンネルは、およそ1km毎に掘られているようでした。トンネルの写真撮影は、さすがにははばかられました。でも、写真で、道路の右側にブロックが積まれたところがありますね。その下がトンネルです。

月牙泉
(上)敦煌の鳴沙山の砂丘に上り、名勝の月牙泉を見下ろした写真です。三日月形をした、砂漠の中の池です。水は何百年も枯れたことがありません。砂山の登りはズルズルと足が滑って疲れました。が、下りは転げ落ちるように一気です!

ホテル円形
(上)敦煌のホテルの窓からは遥かに鳴沙山が望めます。鳥取砂丘と比較したら鳴沙山に失礼です。

莫高窟
(上)鳴沙山の東の端にある莫高窟の入り口です。洞窟一帯は撮影禁止でカメラは持ち込めません。

タマリスク 駱駝草
(上左)嘉峪関で見つけたタマリスクです。名前が洒落てます。ラピスラズリ(瑠璃)もタマリスクも多分、語源は同じ地域で、ゴビ砂漠の西のタクラマカン砂漠の周辺に違いないと思っていますが・・・
(上右)駱駝草です。ネットから借用しました。駱駝草には写真で判るように大きな棘があって、初めて口にする赤ちゃん駱駝は血を流しながら食べるのです。でも、我慢して食べ続けていると、上手く、おいしく食べられるようになります。駱駝にとっては、貴重な砂漠の栄養源なのです。
なお、タマリスクも駱駝草も砂漠でよく見かける草花です。

鐘楼
(上)ライトアップされた西安の鐘楼です。左奥には鼓楼が見えます。

兵馬俑
(上)兵馬俑の発掘区です。見えている兵士の俑は実物大の本物で、模型ではありません。

酒器 唐三彩
(上左)西安歴史博物館に展示されている酒器で紀元前15~13世紀のものです。
(上右)西安歴史博物館の唐三彩です。薄暗い展示室の通路の真ん中で、ガラスに囲まれ、スポットライトを浴びて輝いていました。

割符 warifu-panel.jpg
(上左)西安歴史博物館の虎の割符です。青銅製で紀元前221~207年のもの。体は2分割できるように造られていて、皇帝と戦場の将軍との間で行き来する密書の照合に使われました。しかし、体のどの部分で、どう繋がって一体化しているか、ガラスケースの外からは判りません。体長は20cm足らずの大きさです。
(上右)虎の割符の展示パネル(解説図)です。刻印された金色の文字がはっきり見えます。

西安に行く機会があったら、是非、歴史博物館を訪れて下さい。きっと満足するでしょう。3時間は観賞したいところです。できたら、敦煌、トルファン、ウルムチ、はたまたタクラマカン砂漠の西の果てのカシュガルにも足を踏み入れてもらえると、シルクロードの魅力を更に実体験することができると思います。

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シルクロードの不思議な質問(1)

シルクロードの不思議な質問(1)
                         2013年7月  Mystery Hunter
6月22日~29日の間、阪急交通社のパック旅行で中国に行った。

ウルムチ・トルファン・敦煌・嘉峪関・西安の旅はとても楽しかった。日本からのメンバーは参加者17人+阪急交通社コンパニオンの若い女性1人の計18人。現地では日本語が堪能な中国人ガイド が同伴し、飛行機(成田―上海経由西安、西安―ウルムチ、嘉峪関―西安、西安―上海経由成田)バス(ウルムチ―トルファン、敦煌―嘉峪関)、電車(夜行:トルファン―柳園(敦煌最寄駅))で各地を移動し、シルクロードに纏わる中国4千年の歴史と、スケールの大きな自然を満喫することが出来た。スケールの大きな自然、つまり、どこまでも続く砂漠だ。が飛行機からは、万年雪が沢山残る天山山脈や祁連山脈、またバスの車窓からはポプラの並木道も楽しめた。

旅行メンバーの年齢構成は、30代以下:コンパニオンのHS女史と、もう一人、シルクロードを訪れることを楽しみにしていた母親が病気で急遽参加できなくなり、一人で参加した女性、の計2人。40代:多分未婚の男性1人。その他は、間違いなく60代以上と言える男女で、夫婦が2組、女一人旅が3人、残りは私を含む男一人旅という構成だ。男女別で表現すると、男は単独参加が9人と夫婦者2人の計11人、女は単独参加4人、夫婦者2人、コンパニオン1人の計7人。合計で18人となる。

この中に、今回の旅で親しく話すことになったK氏がいる。K氏は70代で、2組の夫婦の一人だ。西安からウルムチへの機中では、奥さんが窓席、K氏がその隣、私はK氏の隣の通路席に座った。直線距離で2000km離れたウルムチへのフライトは4時間と、予想外に時間がかかった。この間、K氏と、中国に関する雑談をしている内に、仏教や遣隋使・遣唐使の話になり、「中国からは鑑真和尚が苦労しながら日本に渡って仏教の発展に大きく寄与しましたね。そういえば、不老不死の薬を探すよう始皇帝に指示された徐福が、九州とか、和歌山などに漂着した、という伝説があると聞いたような気がします。」と私が僅かな知識を誇らしげに披露すると、「おぉ!実は私は徐福の子孫なんです!最近まで徐福会のメンバーで、毎年、中国を訪れて中国の徐福会と交流会をしていました!」とのこと!えーっ!?徐福の子孫?徐福会?それはまた、何ということだ!さらに続けて「私の苗字は○○といって、山梨県の笛吹川にもその名がついています。ここも徐福との関係があるところです。」と言う。えーっ!?私の生まれ故郷の県ではないか!!何という偶然!

実は、トルファンから敦煌への寝台車のコンパートメント(一部屋4人)で夜明け前に起きだしてゴビ砂漠を車窓から眺めながら4人で話をしていたら、一人を除く3人が山梨県生まれと分かり、「中国で山梨県人会が開けますね!」という冗談も出た。偶然とは重なるものだ!

徐福の子孫のK氏の話に戻ると、徐福の家系という人は日本には結構大勢いて、徐福会なるものがあり、日本のあちこちに支部があるらしい。K氏は神奈川県支部の会員だったとのことだが、徐福会(日中友好協会?)のメンバーで国会議員だった加藤紘一氏の自宅が右翼に放火され消失した事件があり、政治がらみは性に合わない、と徐福会を脱会して、今は奥さんと離れて伊東の別荘で、晴耕雨読の生活を送っているらしい。

ウルムチに到着し、市内や博物館の観光を終え、翌日、ウルムチからトルファンに移動するバスの中で、私はバスの最後尾の一列を独占して、寝転んだり左右の窓際に移動して勝手気ままに景色を楽しんだりしていた。すると、前の席からK氏が移動してきて、「暫くここに座っていいですか?」と訊く。一人で退屈していたところだったし、飛行機内での話から、なかなかユニークで面白い人だと思っていたので「無論です!」と私の隣に場所を用意した。2人で楽しく雑談し、話もそろそろ終わり、という時、K氏は、「ところで」と前置きして、「シルク ロードで中国からシルクが輸出されんでしょう?その見返りに何が中国に輸入されてきたんでしょうかねえ?」と訊いてきた。

それまでの話と何の脈絡もなく突然訊かれたこともあるが、今、振り返って考えてみても、簡単だが不思議な質問で、その時は咄嗟には答えが思い浮かばなかった。

実は、今でも曖昧なのだが、K氏の質問には「ローマ」という語は入っていなかったかもしれない。が、私の頭の中には、K氏の質問は次のように刷り込まれたのだ。
「中国産のシルクはシルクロードを伝ってローマに出荷されたのでしょう?なら、ローマでシルクと交換されて、シルクロードを伝って中国に運ばれてきたものは何でしょうかねえ?」

金や銀ではなさそうだ。ありきたり過ぎる。「ローマで造られた貴重品は何かなあ?」と必死に考えると、幸い、来月の生産技術研究会のテーマとして予稿が届いていた「ガラス」が頭に浮かんだ!そこで、「ガラスですかね?」と応え、何とか当座の面目は確保した(と思う)。しかし、正解が判らない!
「シルクと交換され、中国に届いたものは一体何だろうか?」

小職の「ガラスですかねえ」を聞いたK氏は、「そうですかねえ」と納得しない様子で、前方の席に戻っていった。勿論、私も納得していない!暫く考えてみたが、やはり判らない!そこで、バスの最前列に座っていた中国人ガイドの物知り陳さんの処に行って、小声で同じ質問をしてみた。その後も、帰国して現在に至るまで、K氏の質問を思い出しては答えは何か、と考えたり調べたりしつづけてきた。
その結果、やっと自分でも納得できる答えに到達することができた。

さて、徐福の子孫のK氏の質問「中国産のシルクはシルクロードを伝ってローマに出荷されたんでしょう?なら、ローマから、シルクに代わって中国にシルクロードを伝って運ばれたものは何でしょうかねえ?」の答えは何だと思いますか?

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