Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ナイル川の不思議


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<ナイル川の不思議な質問>     2014年2月 Mystery Hunter
 
 「全長が2,000kmを超える大河は世界に41河川もあるのに、
  ナイル川が一番長くて、最も真っ直ぐ南から北に流れています!
  そのわけはなんでしょうか?」

上の質問を、どう思いますか?

  「本当なの?なにかの間違いではないの?」
  「わけなんかあるわけないでしょ!」

いやいや、何かといろいろ在るのです!!

Wikipediaで入手した情報をご披露しておきましょう。

まず“川の長さ/全長”とは何か?セントローレンス川を例にオサライです。
01:definition-river
水源: 川の流れの源となる場所。
河口: 下流に向かう流れが停止、または計測不能になる場所。

全長: 河口と、河口から最も遠い水源までの、流れに沿った距離。

水源は通常、山奥に複数あります。踏み入って探さねばなりません。
雨季と乾季で位置は異なります。

途中の湖は、全長決定時の水源とは見なしません。
上流からの水が河口に向かって流れている「通過点」と見なします。

大きな入江を持つ川では、河口位置を探すのは大変な作業です。
広い入江のどの地点まで水が常に下流に向いて流れているのか?
潮の満ち干による潮流の影響をどう排除して計測するか?

つまり、川の全長の測定・決定には、想像以上の労力と困難が伴うのです。
それでも、多くの関係者の不尽の努力で、川の全長は“確定”しています。

「世界の大河図」「長さ順の一覧表」を見て下さい。(いずれも2千km以上)
ナイル川は、最も長く、もっとも直線的(注1)に北に流れています!
05;atlas-river
「長さ順の一覧表」(Wiki「長さ順の川の一覧」より)
(全長が2千kmを超える41河川に絞っています。)
06;ranking-1
07;ranking-2

2千kmといえば北海道知床岬から鹿児島大隅半島の佐多岬までの距離です。
日本最長の川は信濃川ですが、たったの367kmです!
中国人が「小日本(シャオ・リー・ベン)」と言うのも頷けます。

以下はナイル川の資料(Wiki「ナイル川」)です。
出来るだけ図を拡大するため、北を左側にもってきています。
02;nile from satelite
左端の青いのは地中海。右端の湖はビクトリア湖です。
下流は砂漠で上流は熱帯雨林。見事に分かれているのですね!
03;nile on the map
ナイル川流域図です。
04;white & blue nile
ナイル川上流拡大図です。
ビクトリア湖から流れ出る水の色はタナ湖からの水と比べ灰色です。
それで白ナイルと呼ばれ、青ナイルと区別されます。

   「ナイル川の不思議な質問」
    1)何故ナイルなの?
    2)本当に一番長いの?
    3)その上、最も直線的に北上しているなんて本当?
    4)何故そんな偶然が重なっているの?何か理由があるの?

     (いずれも全長2千km以上の大河41河川が比較対象です。)

  さて、上の質問をどう思いますか?
  ナイル川の不思議を解けますか?

私の答えは2月5日に公開します。お楽しみに。

(補足)
川の定義:Wikiによると「絶えず水が流れている細い地形」で「途中で水が涸れる川(ワジ)」も川です!

ワジと聞くとNHKシルクロードで見たタクラマカン砂漠の南側の町ホータン(和田)を流れる玉龍河を思い出します。崑崙山脈、カラコルム山脈から流れ出る雪解け水が、翡翠を砂漠の町に運んできます。毎年、川に出てはその年に運ばれてきた玉石を見つけ、市場で売るのです。いいお小遣いになるようですよ。
waji-hotan.png

世界で一番長いナイル川は英語では「The Nile」で「River」は付きません!
が、二番目のアマゾン川は「The Amazon River」が普通の表記のようです。
日本で一番長い信濃川はWikiでは「The Shinano River」で「The」が付きます。
しかし、小さな川は普通「The」は付かないと最近、何かの記事で見ました。
「The」は、特別な、多くの人に価値のあるもの、だけに付くようですね。

「日本で一番短い川」をWikiで調べたら「ぶつぶつ川」とありました。
butubutu river
右が上流。民家の石垣の下から湧き出す水が水源です。左の粉白(このしろ)川に合流するまで全長13m。和歌山県の那智勝浦町粉白にある2級河川です!
この川が日本最短になったのは2008年。それまでは山形県の全長15mの川が日本最短でした(Wiki)。

それでは「世界最短の川」はどこにある何という川なんでしょうか?
ネットで調べたら知床の「プレペの滝ではないか?」との記事がありました。
purepe-fall.png
岩壁の途中から流れ出して直下のオホーツク海に落ちるので全長ゼロ!とのこと。

どうも、短い川を採り上げて騒ぐのは日本人だけなのかもしれません。

そもそも川の定義は上に挙げたように「水が流れるところは全て川」ですから、全長が短い川を探しだしたら際限なく見つかる筈です。名前を付けるのも面倒だから、小川、渓流、などと一般名詞で呼び捨てるのです。

固有名詞がない川は、日本一とか県下第一とか呼ばれることはありません。
もし、我等が町の小川を日本一短い川に登録して自慢してみたい!と思ったら、その川に名前を付けねばなりません。正式に名を付ける権利があるのは国、地方自治体です。国は一級河川、地方自治体は二級河川の名を付けます。

もし、あなたの町の役場が、小さな湧き水から流れ出て小川に注ぐセセラギを「せせらぎ川」と名付けたら、せせらぎは突然、二級河川に格上げされ、日本で一番短い川にだってなれるのです。

勿論、川に名を付けるには、そこの自治体にとって何らかの価値があることが条件で、気まぐれに名づけることはできないようです。しかし「ぶつぶつ川」(湧き出る水の音から名付けたようです)は2008年に日本一になったとのことですから、それまで見捨てられていた名もないセセラギだったわけで、突然名がつけられることになった経緯には、魂胆があったのでは?と疑うのは私だけでしょうか。

「世界一短い川」をネットで探しても、既に述べたように滝しか見当たらないので、日本以外の国では、短い川については関心がないようです。ギネスで世界一短い川の記事があるとしたら、事情は変わってきますが、多分、そんな記事は載っていないでしょう。もし、ギネスについて覚えていて、本屋でギネスブックを見つけたら、世界一短い川の記事があるか、調べてみましょう。そしてもし、見つかったら、このブログで「お詫びと訂正」を投稿することを約束します。

(注1)“直線的に北”の定義
   川の全長を決める流れ(全長と関係ない支流は除きます)に着目し、
   この流れが内接する、緯線と経線に平行な辺をもつ長方形を求め、
   この長方形が最も細長い(長辺長÷短辺長が最大になる)場合に
   「最も直線的」と定義します。
   長方形で、上流が南、下流が北なら「北に流れる」と定義します。

(質問編:完)

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文明の起源は何?(BBC-TVより)


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文明の起源は何か?
(What is the origin of the civilization?)


来月(2月)訪問するペルー、ボリビアについて調べていた時にYoutubeで見つけたBBC(英国放送協会)のドキュメンタリー番組を紹介しましょう。
タイトル; Once Upon A Time In Peru--BBC TV Special
whttp://www.youtube.com/watch?v=qDmm-MymkSkhat force gave to the civilization?

ペルー太平洋側の砂漠地帯を流れる川のそばで発見されたCaral(カラル)遺跡の発掘を進める女性考古学者とその仲間を追った記録映画です。
ペルーの首都Limaの北北西140km、太平洋岸から17kmの場所で1994年に見つかりました。BBCの撮影開始は2001年です。On-airは2003年頃か?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界文明の発祥地は6つに絞られています。
(エジプト/メソポタミア/インダス/中国/マヤ/ペルー)
1文明発祥地
             (上図:Google Earthで作成しました。)
これらの場所はMother City(母なる都市)と呼ばれます。
(MysteryHunter注:中国の文明は、かつて黄河文明と呼ばれていました。最近は中国文明と呼ぶのが一般的のようです。遺跡が揚子江付近にも分布しているためです。)
   
文明の発祥地に共通するものがあります。
   暦の概念、暦作成の計算能力
   記号・文字(岩などに刻印された絵文字や記号)
2カレンダー文字

   数字記号・陶器
3記号土器

   金属器・大型施設(Monumental Architecture:ピラミッドなど)
4金属器モニュメント

勿論、川、水も発祥地に欠かせない条件ですが十分条件ではありません。  
   
   What is the origin of the civilization?
   文明の源は何か?

   How does it happen? When does it happen?
   Why does it happen?
   文明はどのように、いつ、なぜ発生するのか?

   crossing the great(historic) divide:偉大な(歴史的)断絶を渡る!
   the missing link:失われた連結輪(リンク)!

   平穏な生活を捨て、必ずしも必要ではない文明に踏み出したのは何故?
   リーダが生まれ、都市ができ、組織的な社会を構成し始めたのは何故?
   大きな建造物、文字、記号などが現れたのは何故?


これらは考古学者にとって重大な関心事の一つです。

多くの考古学者は次のように考えています。
    文明誕生のきっかけは「争い(Warfare)」だ。
    身を守るため、リーダを核とする組織を生み都市形成に至った。


しかし、この仮説が正しいという証拠や理論はまだ十分ではありません。
  
1994年、ペルー人考古学者ルース・シャーディ(1946年生;下の写真)が首都Lima近くのCaralで不思議な山に気づき、ペルー軍の支援を受けて海外の考古学者らと共に発掘を始めました。
5考古学者
6軍隊による発掘

山はピラミッドでした。
7ピラミッド発掘

祈祷場と思われる円形遺跡も見つかりました。
8円形祈祷場

石器も見つかりました。土器や金属器は見つかっていません。
9石器発見

とうとう、草で作られた縄のようなものを見つけました。
10縄発掘

この縄を放射性炭素年代測定法で分析すれば、年代が判ります。
10Carbon-dating
分析の結果、2、600年前の縄だと判りました。南米で一番古い遺跡です!

しかし、文明発生のきっかけだったはずの、争いの痕跡―惨殺死骸や武器―が見つかりません。
(下の写真は参考例です。Caralで見つかったものではありません。)
11殺戮死体

争いの痕跡を求めて発掘を続けると、コンドルの骨で出来た笛、沢山の綿の種、綿の織物などが見つかりました。
12コンドル骨笛
13綿の種、織物

炭素年代測定法で調べたら5千年前の綿と判明しました。
   エジプト文明と同じ頃に生まれた、世界でも古い文明だったのです!

Caralから30km離れた海辺の遺跡で綿の魚網が見つかりました。
Caralの畑で作られた綿が使われたに違いありません。
fishing-net field

熱帯雨林から来たと思われる、祈祷師がトランス状態に入るための麻薬、アンデス山地のトウモロコシ、海水魚の骨、なども見つかりました。

考古学者は結論を出しました。
  Caralは商業・農業都市だった。
  川を灌漑して畑を造り、収穫した野菜や綿を、太平洋海岸の漁村、
  アンデス山中の農村、アマゾン熱帯雨林の村などで採れる、魚、トウモロコシ、
  コカ、などと交換して文明を育んでいった。
  殺し合いの跡は全く見当たらない。
  争いを文明の起源とする説は、少なくともCaralには当てはまらない!

そろそろ発掘も終わろうかという時、小さな穴が見つかりました。
草で出来た包みがあり、中には骨が入っていました。
15骨の発見

殺戮か?それとも南米で顕著な人身御供(Human Sacrifice)の犠牲者か?
16人身御供、装飾具

調べると生後2ヶ月の子供の骨でした。
一緒に埋葬された石のビーズも見つかりました。愛情の現れなのでしょう。

やはり、Caralは、紛争からでなく、農業・商業から生まれた文明都市でした。
5千年前の古い昔に生まれ、1千年以上の間、平和都市として栄えたのです。

caral-location.png
18コラル全景
19コラル拡大
上はGoogle-Earth,下はBBCのCG映像です。
20コラル当時想像図

(完)

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Mysterious Question about Buddhism: Answer

Mysterious Question in the World: Answer of ‘Buddha’
                                 Mystery Hunter
First of all, let us confirm the question.
The Buddhism was bone 500 to 1,000 years earlier than Christianity and Islam but did not spread as they did especially in Middle-East Asia, Africa, Europe, Australia, and South and North Americas. Why?

King Ashoka who lived from 304 BC to 232 BC and reigned the Indian Subcontinent for the first time was an enthusiastic Buddhist and tried to spread the Buddhism into the world. According to Wikipedia, he dispatched missionaries to the Hellenism countries and the Asian countries.
 西への伝播 東への伝播
(above left) Spread to ATENS(Athens), ANTIOCH(in Syria) and ALEXANDRIA is marked with ‘?.’ It seems the expansion toward West was not successful.
(above right) The expansion toward East seems successful.

It was year 2001 when the big Buddha statue in Bamiyan in Afghanistan was destroyed by Talibans. The statue was built in 5th through 6th centuries more than 100 years earlier than the enlightenment of Muhammad by Allah.

In Afghanistan, the Buddhism had been popular before Islam came!
However 99 % of Afghanistan people is Moslem now! What is the remaining 1 %?
It must be Hindus, maybe Christians but never Buddhists.

How about in Pakistan that is between Afghanistan and the Buddha’s birth country, India?
97 % is Moslems, 1.5 % is Hindus, 1.3 % is Christians, and 0.2 % is Zoroastrianists.
Zero % for Buddhist although Pakistan is contacting to India in the east boarder!

In Moslem countries, non-Islam religions is persecuted, destroyed and vanished.
   No God besides Allah!
Every other religion than Islam is fake and to be vanished for Moslems.

How about in Europe far apart from India?
The Christianity has been believed for 2,000 years although it was born 500 years later than Buddhism! Why not Buddhism that is older than Christianity?

The Christianity has spread under the supports of Rulers and Holy Fathers in Rome.
The Age of Discovery started in 15th century accelerated the expansion of Christianity. Many countries in Europe competed each other to invade into Africa, North and South Americas as earlier as possible than other countries. They brought Christianity with them when invading.

In North America, the Puritans moved there in 1620 by Mayflower. Later, other Christian people followed and they finally occupied the land and the Indians who had lived on the land originally are now in the Indian Reservations.

In Peru where I am visiting next month, Spanish army of 168 soldiers, one cannon and 27 horsed invaded in 1526. They killed and expelled Inca soldiers and destroyed the Inca Empire when they cut the neck of the Emperor Atawarpa in the prison.
It was the first time when Indio saw a horse. They must got frightened when seeing horses running with a soldier on the back. Inca solders had no iron weapons at that time.

In the countries that were occupied as described above, and also in African countries that were controlled by plantation policy, the Christianity that was brought by rulers started to grow. Todays, almost all countries are Christian Countries there.
Was it because the Christianity was forced to be accepted by rulers? It was not.
It was because the governed people believed in Christianity better than indigenous religions.

On the other hand, the Buddhism had thrived in China as Faxian(c.337-422) and Xuanzang(c.602-664) brought back Buddhist scriptures from India to China. Later by the delegations by the government at the time and Jianzhen(c.688-763) who was a great monk in China and became a great monk in Japan too, the Buddhism was brought to Japan and expanded.

But, the Buddhism was not accepted widely in the world except several countries in Asia. Even in China that taught us the Buddhism, the Buddhism is not so popular anymore.

Why did not the Buddhism spread in the world?

Answer
The reason why the Buddhism did not spread except in several countries in Asia is that the Buddhism is difficult.


Why? What is how difficult?

Difficulty-1
There is no God in the Buddhism. So it seems worthless to believe!

The God is ,for example, Christ, or Allah, or Amaterasu in Shintoism, or Shiva in Hindu, or others. Other Gods are the fire in Zoroaster, woods, mountains and rivers in primitive religions.
Every one of them is not a human. They are Gods that transcend the human.

But in genuine Buddhism, there is no God!

What? There are many Gods, aren’t there, like Yakushi-Nyorai, Fugen-Bosatu, and so on?

You are wrong! Those gods are not God literally. They are called Hotoke in Japanese and different from Gods in Japan.

I don’t think any God or Hotoke does appear in Buddhism scriptures even if Buddha whimsically put in his tale the names of Gods popular in India at that time.
Many Buddhists tend to think Hotokes are Gods in Buddhism. But They did not appear in the original Buddhist scriptures maybe except Bonten(descrived later in this report).

After the death of Buddha, his teachings were spoken from the pupils to the following pupils repeatedly for several decades until the teachings were written down in Sanskrit or Parli. While these teachings becomes scriptures, someone introduced Gods of Hindu and Baramon maybe because he aimed to get good impressions for the Buddhism from people to whom such Gods were familiar. At the same time, Buddha happened to become one of Hotoke as Shakya-Nyorai. But Buddha is not a Hotoke. He is a wise man of Shakya, or Shakya, or the Awakened One, or the Great One, or the Buddha.

There is no God in Buddhism so that you cannot ask for help to God in Buddhism.
Can’t we get any help from God even if we believe in Buddhism? No, you cannot.
The fact that there is no god in Buddhism makes people feel unreliable on the Buddhism. And it is possible that there are many people who think the Buddhism having no God is not a religion.

But think again here.
Christ is a child of God. He come back to this world after his death as he is a God and not a human.
Allah is a God, a sole God in the world for Moslems.
As Christ and Allah are Gods, they have super power that no human has! In the Testament and the Koran, you may see a lot of paranormal that Gods performed.

But if you go to a church or a mosque and pray for your health, or getting much money, or passing the entrance examination to a university, do you think Got does as you pray for? Probably, nobody does not think so. You may feel relieved psychologically but there is no guarantee of your wish to come true.

Perhaps you have often heard ‘Inshalla!’ ; as God wishes!
It is very usual that things do not go as you wish. This is probably due to Inshalla.
However if there is any God, I wish he could do something more to reduce wars, conflicts and murders. Is my wish ‘Inshalla’ too?

Nevertheless, we tend to feel helped if there is some gods that we can ask for help.
For those people, the Buddhism without any gods seems unreliable.


Difficulty-2
The Buddhist scriptures are difficult to understand.

In the Testament or the Koran, there are teachings that are explained or instructed very clearly.
The typical one for both religions is probably ‘Believe in God!’
‘Don’t doubt! Do as I have told or you will get blessed!’
This seems like a contract between God and his believers, easily understandable.

In the Koran, there is a instruction as follows:
*Do not make any promise with non-Moslem. If you must do, then you must at first do ----
*Do pray at prescribed time, every day. Before praying, you must wash your hands and legs as instructed ---------
*Do not get married with non-Moslem.
One of my acquaintances got married a Moslem lady. Before getting married, he became the Moslem, asked her parents for his propose and visited Mecca! How do you think about this? Islam is easy to understand, isn’t it?

Besides, I guess there is a sentence ‘You are to be punished if you do not follow my teaching!’ If you change your religion from Islam to others, you might be punished by death!

There are many Islamic countries in where there are many people who are struggling to get food for living. Some of those leave their countries for Europe or USA that are Christian countries. Even if they started their second lives there, they usually do not change their religion. Even if they changed their religion from Islam to Christianity, they would never tell about it to their Moslem friend. If some Moslem knew it, he might kill not only the people who changed their religion but their relatives.
For Moslems who are strict to follow the Koran, the people who give up praying to Allah must die.
An Pakistan girl, Malala, was almost killed by Moslems because she wanted to study at school. This happened according to the teaching of Allah! In the Koran, there are many musts and must-nots for women and maybe getting educated is one of must-nots for wemen. Or getting educated is not a must-not but women cannot afford to study if they follow what Allah asks them to do. Women must be too busy in following Allah’s instruction to study.
This must-not is becoming not-must-not today in many Islamic countries. This trend must be called Islamic Secularism, different from Islamic Fundamentalism.

What happens if Christians change the religion to others? Probably they get baptized to become Christians so that they would be punished if they would change the religion because changing the religion to others is a sort of breaking the contract.
I have checked what kind of the punishment are prepared by God on the Internet but could not get any information.

Anyway, I think I must finish talking such nonsenses before getting punished by Gods!

But I am quite sure that there is no rules of punishment when one leave from Buddhism to others. It is completely up to us whether we stay in Buddhism or leave from it!
This is another difficulty! What to do and what not to do are not clear in Buddhism.
There is any instruction written in Buddhist scriptures clearly about them. What are written are always difficult to understand.
For example:‘ a color is a vacancy, a vacancy is a color.’
For example: ‘four noble truth and noble eightfold path.’
What are these teachings? What does Buddha asksus to do in these teachings?

I, however, think the teaching of Buddha himself is very easy to understand.

I think the essences of his teachings, not the Buddhist teachings, are summarized into the following five keywords.
1)Im-permanence
Everything changes and never stays at same position/status.
Even the Earth disappears in 5 billion years as the Sun expands and absorbs the Earth.
2)Moderation
Do not be extremely right nor left.
You cannot tell which is truly correct.
Being extreme usually causes failures that you cannot recover easily.
3)Self-reliance
Achieve the aims by your own effort!
Do not rely on me (Buddha) much! I am not a God!
4)Cause-Result
There is a Result due to the Cause.
Good results are achieved by good causes.
5)Do goods!
Do what makes other people happy.
Then you become happy.
I guess my definition about the teaching of Buddha is much selfish but easy to understand, isn’t it? I am very confident although there are several wrong words in the sentences, the meanings completely match to the teachings!!?

However, even if the teachings of Buddha are easy to understand, it is difficult for us to carry them out.

’Easy to understand but difficult to carry out’ is another reason that Buddhism is difficult!

Difficulty-3…..Maybe this is the supreme difficulty?
Buddha himself told his teachings difficult!

Buddha told his pupils as follows: from ‘ABC of Buddha’ by Hajime Nakamura
‘The teachings I have got are, deep, difficult to see, difficult to understand, still, exquisite, beyond the thought, superb, and only the wise man understand.’
Then he adds like:
‘However, the people in the world enjoy the desires, indulge in them and play with them. They do not understand even if I teach them.’
He says we cannot understand his teachings as we stick to the desires. Of course we cannot carry them out even if we understand them!
It seems he abandoned us!

According to the Scriptures, as Bonten that is one of the Gods appeared and asked Buddha to try teaching what Buddha achieved to other people, he at last started to try to teach. Bonten is as same as the God Taishakuten who is nominated as the God at the temple in Katsusika-Shibamata where is famous in the movies titled ‘Tora-san.’ Taishakuten is a God in Brahmanism, Hinduism and Zoroastrianism. Bonten must have been used in Buddhist Scripture by someone who intended to the Scripture sound more familiar to Indian people.

Mr. Hajime Nakamura says:
 Even Buddha who was enlightened worried what to do? Which is good, trying to teach people or not?
There is other story that Buddha failed teaching a man who Buddha first met after enlightenment. Buddha was not a God but a human who is not always complete ! 

There are three difficulties in Buddhism.
  1) There is no God in Buddhism so that Buddhism seems unreliable.
2) The Scriptures are not easy to understand.
3) Buddha himself said it is difficult o understand what he achieved.


Due to these three difficulties, I think, the Buddhism was not accepted by Europeans, Americans and Arabians, who tend to decide everything by logics. Do it did not spread widely in the world

Buddha did not write down by himself anything about himself, his teachings and what he said while he was alive. It was about one hundred years later his death when his teachings were started to scribed in the Scriptures. Nobody can know what he said, and when he said to whom he said, precisely.
I think the fact that Buddha did not write any scripts by himself makes his teaching difficult to understand.

(end)
Thank you very much for reading through my long awkward report.
When I disclosed my report in Japanese, it was longer than this report. But I think I should omit several episodes on Buddha this time.

Below is the photograph I took in Kushinagar in India. It is the spot where Buddha has been sleeping for about 2,500 years.
クシナガル涅槃堂

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マチュピチュ(ナショナルジオグラフィックより)


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天空都市マチュピチュ
今回は2月12日~24日の南米旅行中に訪れるマチュピチュの謎を追跡したドキュメンタリー映画の内容を紹介しましょう。Youtubeで見つけたものです。
タイトル:Machu Picchu The City of the Incas
URL:http://www.youtube.com/watch?v=nJv0_Oz59W4
作成:The National Geographic (映像:52分)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
誰が造ったのか?
何故ここに造ったのか?


城壁がないので砦ではなさそうだ。
代わりに水路や泉、神殿や祭壇がある。
高度な技術で造られた石組みには一分の隙間もない。
鉄器、車輪、文字(Written Language)を持たない人々がどのようにしてこの素晴らしい建造物(master piece)を造ったのか?
01;machupicchu
02;monuments
03;monuments

謎を解明するため、新たな発掘調査が開始され、多くの人骨が見つかった。
04;excavation,skelton

標高2450mの山の上の、0.5haの緑地に造られた、綺麗に切断された石組みの天空都市マチュピチュ。

誰が造ったのか?
何故このような不可能な場所(impossible place)に?
そして、何故この都市を捨てたのか?
・・・・・ここで「National Geographic」のロゴが出ます!・・・・・
05;Title of film

インカ帝国には文字が無かった。代りに、キープという、紐で作られた伝達手段が使われていた。そこにスペイン軍が侵攻してきた!
06;quipu

スペイン侵攻の時期に生れたインディオの画家が、インカ帝国の様子や当時の生活を絵に残した。帝国の興亡や人々の暮しの様子を伝える重要な資料だ。
07;drawings

インディオは皇帝を中心とする南北3800kmのインカ帝国を造りあげた。
08;map-inca

しかし驚くべきは、たった100年でこの帝国が崩壊したことだ。
原因は流行病、内戦、そしてスペイン軍の侵攻だ。

インカ帝国にはスペイン軍も見つけられなかった都市があったという。
その都市の名はビルカバンバ。黄金の都市と言われている。

ビルカバンバはどこにあるのか?
幻の黄金都市を求め、アメリカの若き考古学者ハイラム・ビンガムは原住民と共にウルバンバ川に沿って進んでいった。
(Mystery Hunter注)
ウルバンバ川はクスコの東約20kmを流れている。北上しマチュピチュを巡ってアンデス山脈の渓谷を流れ、熱帯雨林に出るとアマゾン川に合流して東に流れ、マナウスを通って大西洋に注ぐ。

1911年、ビンガムは山の上に遺跡を発見した
09;old-picture
10;old-picture
11;old-picture
12;old-picture

インディオはマチュピチュと呼んでいたが、ビンガムはこれが黄金都市ビルカバンバではないか?と考えた。

調べてゆくと沢山の人骨が見つかった。80%は女性の骨だ!
13;old-p-skeltons

8歳から死ぬまで皇帝に仕えた処女たち(Virgines of Sun)ではないのか?
スペイン軍から逃れて密かに集められたのではないのか?
14; girl

ビンガムは、この場所こそ黄金都市ビルカバンバだと確信し、The National Geopraphicに投稿した。
記事は1913年4月に公開され、大センセイションを巻き起こした。
そしてビンガムは一夜にしてヒーローになった。
15;Book Bingham
16;Book-front

しかし、ここに一つの問題があった。
彼の理論は間違っていたのだ!

いろいろな資料によれば、スペイン軍は全ての施設や都市を破壊した。
ビルカバンバも破壊されたはずだ。
しかし、マチュピチュは手つかずで残っていた!

ビンガムの理論に対する最大の反論は、埋まっていた骨が物語っている。
小さいからといって女性だったとは限らない。インディオの体型は小さいのだ。
ビンガムが見つけた骨を新たな技術で再調査したところ、80%が女性だったという説は否定された。

としたら、ビルカバンバではないのだ。だったらこの都市はなんだったのか?

マチュピチュから20kmほど離れた遺跡で頭蓋骨が見つかった。
頭の傷は武器による打撲の跡だ。兵士が住み、戦いがあったのだ。
一方、マチュピチュには寺院や祭壇が沢山ある。
マチュピチュは軍事要塞だったのか?それとも宗教の中心地だったのか?
17;Damaged-Skeltons
                        (上右:インティワタ)

この疑問を解く鍵はインカ帝国の首都だったCuzco(クスコ)に見つかった。
毎年行われるローマンカソリックのお祭りでは聖母マリアなどの輿が町を繰り歩く。
18;float

しかし、インディオたちが踏み鳴らすステップや音楽はインカの時代から継承されてきたものに違いない。
19;Dance,music

インカ帝国の時代、音楽やダンスとともに繰り出された輿に載っていたのは聖母マリアではなく、皇帝のミイラだったのだ。
20;Mummy Float

インカ帝国でも最も偉大だった皇帝パチャクテクは、死後も、ミイラとなり儀式に現れて民衆を導いたのだ。この皇帝の指導なくして、高度な建築技術と多くの労力を必要とするマチュピチュ建設は実現しない。
21;Stone Structure

最も決定的な証拠はクスコに残されていたスペイン人の記録にある。
「ピチュという町をインカユパンキ、またの名をパチャクテクが所有していた。」
22;Records in Cuzco

マチュピチュは偉大な皇帝パチャクテクによって造られたのだ。
皇帝の力があってこそ、高度な建築技術で、あのような不可能な場所に、見事な都市を築くことが出来た。

急峻な地形だけが建設上の問題ではなかった。
毎年、雨季になると激しい雨が降る。これは地滑りの原因になる。
地震もあった。2ヶ所の断層が見つかっている。
23;Machupicchu-base

しかし近くには泉と建材用の岩も多くあった。

皇帝の指示で工事が始まった。まずは急な斜面をテラスで固め、基礎を整備した。
狭いが耕作地としても利用できる。
24;terrace

テラスは、下から瓦礫、小石、肥沃な土壌、の3層構造をしている。
激しい雨を少しづつ流して町の土台の崩壊や滑落を防ぐことが出来る。
25;terrace

テラスだけではない。町が造られる丘にも瓦礫と小石を敷き詰めた上に土をかぶせ基礎を造った。町に降る雨は少しづつ瓦礫の中を流れて排出されてゆく。
26;town base

このように、マチュピチュ建設の50%は基礎の整備に費やされた。
そして、完璧な基礎があったからこそ、何百年もの間、その姿は残ることになった。

鉄器を持たないインカでは、石の加工は石を工具として行われていた。
大きさや固さの異なる工具用の石を準備し、目的に合わせ、削りたい部分に工具用の石を打ち当てて、砕き、削り、磨いて加工した。
大きな石の搬送には、ロープと丸太が使われた。
27;stone curving

16の泉も用意され生活の便を担った。

しかし、なんのためにパチャクテクは、このような禁断の地に町を造ったのか?
宗教的な目的なのか?太陽、水、山などを信仰対象とした?

南米には子供の人身御供(Child Sacrifice)の慣習がある。
1999年、アルゼンチンの高山の山頂付近で子供の死体が見つかった。
間違いなく生贄にされた子だ。山は神聖な儀式の場所だったのだ。
28;Child Sacrifice

Cuzcoから徒歩5日のマチュピチュも神聖な場所だったのではなかろうか。
Cuzcoの近くには、あきらかに山岳信仰を思わせる聖なる岩もある。
29;Cusco-Religious Icon

マチュピチュを訪れると、まずワイナピチュ山を後ろに控える街並みが川によって囲まれている光景を目にすることになる。
川は農業を重視したインカ帝国ではとても大切な祈祷対象だった。
その川がマチュピチュを囲んでいるのだ!
30;Machupicchu-with-river

マチュピチュで一番の高台にあるインティワタは4つの神の山の交点にある。
31;Intiwaka-alignment

パチャクテクは、どのようにマチュピチュを利用したのか?

マチュピチュで見つかった人骨は、女性ばかりではなかった。
兵士たちばかりでもなかった。
貴重品が見つかっていないので高貴な人々とも思えない。
骨の形から建築労働者たちだったとも思えない。

詳しく調べるため、骨をアイソトーピック分析してみた。
粉末にしてから、その中に吸収された食糧を見つけるのだ。
そこには沢山の13C(炭素)アイソトープが見つかった。コーンの兆候だ。
コーンはインカ時代、主に高貴な人々の食糧だった。
マチュピチュのテラス(段々畑)ではコーンの栽培も確認されていた。

マチュピチュは皇帝の別荘として、また神聖な場所として利用されていたのだ。
住人の多くは、皇帝やその客をもてなす人達だった。
32;Parade-to-machupicchu

しかし、マチュピチュの近くの遺跡では沢山の兵士の骨も見つかっている。

マチュピチュは平和の町か?戦いの町か?

1400年代の中頃に帝位を継承した第9代皇帝パチャクテクは、戦いによって周辺の小国を併合していった。血生臭いこの戦いを人の目から隠すために平和都市マチュピチュ建設に着手したのだ。
人々に天空都市を見せ、誰が皇帝なのか知らしめようとしたのだ。

としたら、帝国の全ての都市を破壊し略奪を繰り返したスペイン軍は、何故そのような重要な都市を壊滅しなかったのだろう?

偉大な皇帝パチャクテクの死後、子供に帝位が引き継がれていく過程で権力は徐々に弱くなっていった。
流行病で帝国の活力も削がれ、やがてマチュピチュへの関心は薄れた。

結局、スペイン軍はマチュピチュの話を聞くことも無かったし、これが重要なのだが、マチュピチュを見つけることもなかった!
幸運な間違い(lucky mistake)でビンガムが先に見つけることになったのだ。


(完)

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Mysterious Question about Buddhism

Mysterious Question in India: Buddha
Although the Buddhism occurred 500 years earlier than Christianity and 1,000 years than Islam, the Buddhism did not spread to the world so widely as Christianity and Moslem did, especially in Middle-East, Africa, Europe, Australia, North and South Americas.
Why didn't the Buddhism spread to the world so widely?


First of all, let’s check the religious distribution in the world today.
宗教分布図
*India: Orange/Hinduism
*From north Africa to West Asia; green/Sunnism,Shiism
*North/South America, Europe, Rusia, Middle/South Africa, Austlalia:
Pale purple & blue/Catholicism,Orthodoxism,Protestant
*Myanmar, Laos, Thailand, Cambodia, Sri Lanka: yellow/Theravada    
*Korea: yellow-green/Mahayana 
*China: brown/Taoism 
*Japan: pale violet/Shintoism!! 

The result of the survey done by a Ministry of Culture of Japan:
Shintoism; 107 millions, Buddhism; 89 millions, Christianity; 3 millions, Others; 10 millions
It becomes 209 millions in total, about 90 millions more than the Japanese population!
This is because the figure is based on the report from religious groups and they tend to make the figure of their religion larger. The other is that many people tend to think like they are Buddhists and also Shintoes!

If asked on the street, about 30 % of the people reply that they have a religion. But remaining 70 % reply they have no religion or they are non-religious.
For me the result from the street seems more realistic.

I have known that the Buddhism disappeared from India due to a persecution by Hinduism/Moslem and even from China which taught Japan the Buddhism. However, I have not recognized Japan is a Shintoism country! In my feeling, Japan was a Buddhism country.

The pile graph below shows the population rate of each religion in the world.
Religion rate
Although the Hindu people are approx. two times of Buddhists, the Hindu is not taken account of one of the biggest three religions. But the Buddhist is.
This is because the Hindu is much concentrated into India. On the other hand, the Buddhism is popular in several countries.

Me? My family has been belonging to a sect of Buddhism so the religious rituals are done in Buddhism style. Because of this, I am probably a Buddhist. Actually I do not have so much interest in Buddhism. But I do not complain to be named as a Buddhist because I think Buddha is a ‘Great One.’
However, when I visit shrines, I always ask Gods something good to come for me or for my family and throw coins into the donation box at the entrance of the main building. Perhaps I am a Shintoist too? I really do not know what to say about my religion.

Anyway, it is memorable that Buddhism is getting less popular even in Japan where Buddhism was once a National Religion!
Buddhism is one of the oldest religions, older than Christianity and Islam. But why is it not so popular in the world, especially in Middle-East, Africa, Europe, Australia, North and South Americas?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
This question & answer was disclosed last October on the network of Production Engineering Research Group that consists of retired engineers from an electrical company in Japan. Unfortunately, this question & answer could not get good reputation as they are too long to read, although there are a few people who kindly said it was interesting.

In a week, I am going to show you my answer to the mysterious question!

Before closing this blog, I would like to report about my tour in India in last October.

First of all is the route of the tour.
route
The Indian guide was waiting for me at Delhi Airport. He was very fluent in Japanese.
On the second day in Dehli, we visited several spots that are ‘world heritages’and the Gandhi Library too. I was astonished that Gandhi had a strong will not beaten by British Empire.
In the night, we took the sleeper train to Vanarasi(red route in the picture above), the most sacred spot for Hinduists.
Then I started a-sort-of pilgrimage with my guide and a driver by a small automobile(yellow route in the picture above).
I visited all spots named as the Buddhism's Eight Most Sacred Spots in India and Nepal.

The Buddhism's Eight Most Sacred Spots:
1)Lumbini (in Nepal): The birth place of Gotama Siddhattha
2)Bodh-Gaya: 'Awaken' place where Shiddhatta became Boddha
3)Sarnat: First successfully Preaching Spot
4)Raj-Gir: Expansion Place
5)Sahet/Mahet: Base of the sect 'Sanga.' Known as Gion in Japan.
6)Sankasha:
Place where Buddha descended to from Heaven after preaching for his mother!
7)Vaishari: Place where Buddha departed for the last journey.
8)Kushinagar: Place where Buddha passed away.

After driving on the bumpy road in the vast field, we drove as we walked in small towns because there were cows, dogs, rickshaws, food stands, and people gathering for bazar. But I could not complain about it as Buddha himself walked the road!

While driving in the morning, I saw many female highschool students riding on bike with their back straight. How beautiful they were! Most of them were young Ingrid Bergman or Audrey Hepburn.
On the last day, I visited Taj Mahal in the morning and moved to Delhi in the afternoon for the flight to Japan in the late night.

It was a tour of patience and inconvenience. Never-the-less, it was a very wonderful one!

  ルンビニ
(above) Lumbini in Nepal. Shiddhattha was born in this place. The white building is Mayadevi temple named after his mother Maya.
 マハボディ寺院 marker stone
Inside the building(above left), there is a spot covered with a sheet of glass(above right).You see a green stone on which Shiddhattha was born about 2,700 through 2,500 years ago.

Outside the building, on the left side of it, you can see the brown pillar called 'Ashoka Pillar.'
Ashoka was a king who lived from 304 BC through 232 BC and reigned the Indian Subcontinent for the first time. He was an enthusiastic supporter of Buddhism and visited Buddha’s historic spots in India, repaired if there were damages and built the pillar with the comments about the spot on the surface of it.

But after the prosperity in India, the Buddhism started declining in 5th century as the Hindu denounced that the Buddhism was a bad religion. In addition, in 14th century, many buildings and statues on the spots were destroyed by Moslem that became popular in India.
However, if you find the ruins with the Ashoka Pillar, you can say they are for Buddhism.

In Lumbini, I happened to talk with a female Zhen instructor and her pupils from Finland. They said they have been to Kyoto in Japan too. I think Buddhism is getting popular slowly in the world.

  アーナンダストゥーパ
(above) Ashoka Pillar and Ahnanda’s stupa, a pagoda in English. Ahnanda is one of the great pupils of Buddha.
On the pillar was a statue of a Lion. I saw an Elephant as the statue in other place.

In this place, Vaishari, there is a story remained.
When Buddha came to Vaishari, a famous dancer asked him to visit her house and stay for a rest. Buddha accepted her proposal.
Later, a rich man came and asked Buddha the same thing. But Buddha refused his proposal saying that he had already had a promise.
As this story shows, Buddha was fair to everyone. He did not admit the sexism and the Caste, the human discrimination based on one's birth.

玉座囲 菩提樹
(up-left) Surrounded by a yellow fence is the Bodhi-tree in Bodh-Gaya
(up-right) Leaves of the Bodhi-tree.

The Bodhi-tree has expanded its branches. Under the branches, I saw many pilgrims probably from Thailand or Myanmar sitting and praying silently. If you are lucky, you will get the leaf of the Tree coming down from the branchs. It must be a good souvenir for the visit to Bodh-Gaya. But you won’t get it unless you sit there several hours, or days with the mind of respecting Buddha.

  宝座
I took the picture ubove with my camera putting inside the yellow fence. The place with the flowers is called a Golden Spot or a Diamond Spot where Shiddhattha was sitting and got enlighted after one-day meditation.

Could he get enlightened in one day? Of course not!
He left his position as the prince in Shakya kingdom and his family when he was 29 years old to be free from sufferings by getting enlightened.
He tried ascetic practices as hard as he could for six years to get the peace in mind but he couldn’t. At last, he realized that the peace in mind could not be achieved by ascetic practices. So he left the cave in the mountain where he usually had meditated. He was almost skin and bones due to the hard training. When he was bathing in the river, a young girl, Sujata, came to him and gave him a milk soup. After having the soup, he walked to a Bodhi-tree, sat under it and started meditating with the determination that he would not leave the spot until he got enlightened. After one-day meditation, he could finally get enlightened. So it took six years for Shiddhattha to get enlightened!

After enlightenment, Shiddhattha became a Buddha, or an Enlightened One, or an Awakened One, or the Great One as you like in English.
If you can get enlightened, then you are a Buddha too!

   クシナガル涅槃堂
This is Kushinagar where Buddha past away. Between Shara-twin-trees, you can see the temple and the pagoda behind it. The exact spot Buddha past away is just behind the pagoda. His body was cremated and divided into eight for eight people who were deeply respecting Buddha. Some of the bones were left here in the pagoda. The pagoda in the picture is not a genuine one but a 'cover'. The genuine one is inside the white pagoda.
Buddha has been sleeping in this place for almost 2,500 years.

  クシナガル涅槃仏
(above) The sleeping Buddha in the Kushinagar Temple.
It was made about one thousand years ago. Around the Buddha, there were many people sitting and praying. Outside the temple, around the pagoda, a monk was preaching to his pupils probably from Thailand.

Hajime Nakamura, one of the famous scholar of Buddhism explains how Buddha past away in his book;'ABC of Buddha.’
‘When Buddha has arrived at Kushinagar with his pupils, he told Ahnanda, one of his pupils:
‘Ahnanda! Please make a bed between the Shara-twin-trees with the head north. Ahnanda, I got tired. I want to lie down.’
Then Buddha's last preach was done. Every pupil cried.
‘Stop crying, Ahnanda. Do not mourn! Do not lament!
I have always told you like this. Everyone goes to a different world someday departing and leaving from loving ones, favorites. Everything appears, exists, gets made and gets destroyed.
So it never happens that anything does not get destroyed.
Ahnanda! You have worked for me,a awakened man, with affection, generosity, words and body that are peaceful, pure and endless. You did good things. Keep studying hard. Then you will become a pure one.’
Then, Buddha past away.

  ナーランダ大学
This is Nahranda University, one of the oldest universities in the world. It was built in 5th century. There were 10,000 pupils and 1,500 teachers at maximum for studying Buddhism. The mound on the right in the picture is a ruin of a temple build over the pagoda of Shariputora, one of the great pupils of Buddha.

In the area of the university, there were many buildings for pupils and teachers too. In one of them was a small room in which Xuanzan ,a Chinese monk, stayed for 12 years to study Buddhism. He brought back many scriptures to China through the Silkroad and made the Buddhism popular in China.
The buildings, temples and statues were almost destroyed by Moslems and only ruins remains.

The teachings of Buddha which are fair and free had been believed in by many Indians for about 1,000 years. But Hindus and Moslems who thought that the customs, rituals and caste were important have persecuted the Buddhism. And finally Buddhism has almost disappeared in the birth place;India.

End

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インドの不思議:補足

インドの不思議:補足・修正
                  ’14年1月18日 Mystery Hunter
私の大作『インドの不思議な質問』の論文ブログを読んでくれた奇特な方からコメントを頂いたので私の感想も付記してご紹介します。
(実は、読んでくれる人は少ない、と踏んで、予めいろいろな伝手を使って、読んでくれるようお願いしておいたのです。仲介してくれた人、読んでくれた人には大変感謝いたします。また、もうひと方からも読んだよとの連絡も頂きありがとうございました。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<読者X氏>
仏教でいう「仏」とは、普遍の真実の道理に目覚めた者:悟った人という事です。
成仏とは、人が修業をして仏になる~ということです。
一神教でいう「神」とは違うように思います。
このことの理解を助けてくれる書物に
 ☆『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎・大澤真幸著
      講談社現代新書 2100円  
その本の帯には、日本人の神様とGODは、何が違うか?とあります。

<Mystery Hunter:私です!>
インドの不思議をまとめている時から、神と仏の差がいまいち不鮮明でした!

Wiki(神)で仏教の中の神について調べてみました。
仏教は、本来は神のような信仰対象を持たない宗教であった。
原始仏教は煩悩から解放された涅槃の境地に至るための実践の道であり、超越的な存在を信仰するものではなかった。
現在は神と同じ様に崇拝されている開祖のゴータマ・シッダルタも、神を崇拝することを自分の宗教に含めず、また自身を神として崇拝することも許さなかった。
時代が下るにつれ、ゴータマらの偉大な先人が、悟りを得たもの(仏)として尊敬を集め、崇拝されるようになり、仏教は多神教的な色彩を帯びていく。(以下省略)

Wiki(仏の一覧)で調べてみました。
本来、「仏」とは、仏教における最高の存在であり、悟りを開いた者である仏陀(如来)とする(狭義の仏)。しかし後に、仏陀に準ずる存在で悟りを開こうと修行している菩薩、密教特有の尊である明王、天部の護法善神などを含めた、仏教の信仰、造像の対象となる尊格を、広義の解釈として「仏」と総称するようになった。・・・

仏の一覧によると次の通りです。
1)如来部
  釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、五智如来(含:大日如来、盧舎那仏)、他
2)菩薩部
  金剛総持(そうじ?)、金剛薩埵(さった)、観音菩薩(含十一面観音他)
  文殊菩薩、普賢菩薩、他
3)観音部
  観音菩薩、他(過去現在未来で呼び名が異なるようです。山ほどいます!) 
4)明王部
  五大明王(含:不動明王)、孔雀明王、他
5)天部
  四天王、梵天、帝釈天、弁財天、大黒天、韋駄天、他
6)開祖・高僧
  十大弟子(仏陀直属のアーナンダ、シャーリプトラなど)、羅漢、他
7)垂迹神(すいじゃくしん)
  秋葉権現、熊野権現、他
8)その他
  麻耶夫人、他
羅列された仏を全て数えてみると、とも思いましたが、多すぎるのでやめます!

やっぱり、神と仏の差はわかるような、わからぬような・・・

X氏によると「ふしぎなキリスト教」の本の帯に、日本の神とGod(基督?)の違いが書いてあるとのこと。帯を見るだけならタダですから、直ぐに調べてみましょう。
大きな本屋しか置いてなさそうな本です。帯だけでは判らないなら立ち読みすることになりますが、キリスト教にもミステリーが沢山ありますから買う必要もでてくるかも。直ぐ思いつくところではモーゼが海を割いて逃げた(割いたのは神でしょうが)、とかノアの箱舟とか。その他にも神話と呼べそうな不思議が山ほど聖書には詰まっているでしょう!

<読者X氏>

自力本願とありましたが、他力本願もあります。
自力本願の代表とも言うべき禅は、・・・・(以下省略)
(X氏は禅をやっているようです!)
しかし、明治政府は・・・・・・明文化する必要が生じました。
そのため、道元禅師の「正法眼蔵」は、仏の教えをどう受け取るべきかを、懇切丁寧に説法したものですので、明治時代になって「修証義」としてコンパクトにまとめられました。 ☆「正法眼蔵」を読み解くー書と共に味わう「修証義」         編著:中野東禅  発行:一粟社 発売:心交社

他力本願については☆「他力」 五木寛之著 講談社、にあるように「目に見えない自分以外のなにか大きな力が自分の生き方を支えている~という考え方なのです。 目に見えない大きな宇宙の力と言ってもよく、大きなエネルギーが風のように流れていると感じるのです。

<Mystery Hunter>
ネット辞書で他力本願を調べました。
たりき‐ほんがん 〔‐ホングワン〕 【他力本願】
 1 《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。
 2 《誤用が定着したものか》俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。

私は、はなから他力本願の意は2だと思っていましたが、阿弥陀仏が絡んでいるなんて驚きです。
しかし、1にしても、自分の力ではなく、阿弥陀仏が本願して(悟って)くれることにより自分が救済される、ということのようなので、結局2と同義のように思われます。これがなぜ誤用と呼ばれるのか?理解する力はありません。

この解釈よりもX氏が紹介してくれた五木寛之氏の解釈の方が価値がありそうですね。

(補足・修正:完)

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インドの不思議な質問:答え


お知らせ:
このブログに張り付けておいた写真は手違いで消去してしまいました。
保管しておいたpdfから再生したブログはライブドアのブログに張り付けておきましたので
もしご関心がございましたら、つぎのURLでご確認下さい。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/preview/edit/c1cfdbef0ab4f50168310ae547671c3e
なおライブドアブログのホームページURLは下記です。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/

インドの不思議な質問(仏教):解答篇
                                     Mystery Hunter
まずは質問を確認しておきましょう。

仏教は、キリスト教やイスラム教より500~1,000年も早く生まれたのに、中近東、アフリカ、欧州、豪州、南北アメリカなどに広まらなかった。何故だろう?

仏教を最初に広めたのはインドを統一したアショーカ王(BC304-232)です。
Wikiによるとヘレニズム諸国やアジアを中心に伝道師を派遣したようです。
 西への伝播 東への伝播
左上図:ATENS(アテネ)ANTIOCH(アンティオキア:シリア)ALEXANDRIA(アレキサンドリア)は“?”です。どうもインドより西方への伝道は心許ない!
右上図:インドより東方への伝道はかなり成功しています。

アフガニスタンのバーミヤン石仏がタリバンに爆破されたのは2001年です。
造られたのが5,6世紀。イスラム教の開祖ムハンマドがアッラーの啓示を受けた610年より100年以上も前のことです。

アフガニスタンに仏教は伝わっていたのです。イスラム教よりも早く!
しかし今や国民の99%はイスラム教徒です!残りの1%は?
恐らくヒンドゥ教徒です。キリスト教徒はありえても仏教徒ではないでしょう。

アフガニスタンとインドに挟まれたパキスタンではどうでしょうか。
イスラム教97%、ヒンドゥ教1.5%、キリスト教1.3%、ゾロアスター教0.2%です。仏教は数字に現れません。アフガニスタンよりも仏陀の国インドに近いのに!

イスラム国家では他の宗教は迫害され、破壊され、衰退していきます。
   アッラーの他に神はなし!
イスラム教徒にとって他の宗教は全てまがいもの、消滅すべきものです。

インドから遠く離れたヨーロッパではどうでしょうか。
仏教から5百年も遅れて誕生したキリスト教が2千年もの間、ずっと信仰され続けています。仏教から見れば新参者なのに、どうしてでしょう?

キリスト教は権力者の保護を受け、ローマ教皇の指導の下で成長しました。
15世紀に始まった大航海時代には拡散に勢いが増します。競って海外進出した欧州列強が、アフリカ、南北アメリカを植民地化しながらキリスト教の布教を進めたのです。

北米では、1620年、Mayflower号でイギリスから清教徒(Puritan, Pilgrim Fathers)が初めて移住しました。その後、キリスト教徒の移住が続き、原住民のインディアンは駆逐され、今や片隅(居留地:Indian Reservation;直訳でインディアン確保区!)に追いやられています。

来月(2月)訪問する南米ペルーでは、1526年に侵入してきた、わずか168名の兵士、1門の大砲、27頭の馬によるスペイン軍隊によってインカ軍は一掃されます。侵入から7年後の1533年には、幽閉されていた皇帝アタワルパが斬首されて帝国は滅びました。
(インディオが馬を見たのはスペイン軍侵入が初めてでした!人を乗せても素早く走ることができる動物にさぞかし驚き、翻弄されたことでしょう!インカ軍は鉄の武器も持っていませんでした。)

このようにして征服された南北アメリカや、プランテーション政策によって植民地化されたアフリカには、征服者、管理者、為政者と共にキリスト教が輸出されました。
この、征服者たちから強要されたキリスト教が、不思議にも根付き、今ではみんなキリスト教国家です。強要されたから根付いた、とは思えません。きっと、それ以前の宗教より頼りになる、と人々が認めたからでしょう。

一方、拡散力に乏しい仏教も法顕(AD337年生)、玄奘三蔵(AD602年生)がシルクロードを伝って経典をインドから持ち帰ったおかげで、まず中国で繁栄しました。
これが、遣隋使、遣唐使、鑑真などによって日本にもたらされ、時の天皇の保護を受けて日本全土に広まることになったのです。

しかし、アジアの、限られた国を除けば、仏教は受け入れられなかったのです。
兄弟子の中国ですらも今や劣勢です。

仏教はなぜ世界に広く浸透していかなかったのか?

答え
キリスト教やイスラム教よりも500年~1000年以上先行したにも拘わらず仏教が東アジア、東南アジア以外で広まらなかった理由、それは「難解」だからです。


なぜ?どこが、どう難解なのか?

難解:1
仏教には崇めるべき神が存在しない。よって心許ないのです!

神とはキリスト、アッラー、天照大神(神道)、シバ(ヒンドゥ)などです。
中にはゾロアスター教のように火を崇拝したり、森の木や山、川などの自然を崇拝するものもあります。
いずれも人間ではありません。人間を超越したもの、つまり神です。

しかし、真の仏教には神は存在しません!

えぇ?仏教にも神様が大勢いるでしょう!?薬師如来、普賢菩薩、観音菩薩、帝釈天、毘沙門天、などなど数えきれないほどの神様が!との声が聞こえてきそうです。

これらの方々(!)は神様とは呼ばれません。
仏様と呼ばれ、神様とは別のもの(方々)として扱われます。
勿論、仏陀の教えにも現れていなかったはずです。時には仏陀も気まぐれで当時のインドで親しまれていた神々の名前を口にしたかもしれませんが。
仏教の神々と思われている薬師如来、普賢菩薩、その他あまたの神々ではなく仏様が現れているのは、仏教経典の中だけです。いや、ひょっとすると経典では現れていないかもしれません。わずかに、梵天(後述)は初期の経典に出てきているはずですが・・・

仏陀が亡くなると仏陀の教えは弟子から弟子に口伝されました。これがサンスクリット語やパーリー語で記録されはじめたのは仏陀の死後、数十年経ってからです。この記録が経典になっていく過程で、誰かがバラモン教やヒンドゥ教の神々を取り込んでいったのです。恐らく、その誰かは、神々に慣れ親しんでいる人々におべっかを使って、受け入れてもらおうと考えたのです。そのついでに仏陀も神々のひとつ(一人ではないですねぇ)のように釈迦如来などと呼ばれることになるのですが、仏陀は神や仏ではありません。シャーキャ族の賢者、つまり釈迦であり、覚った人、つまり仏陀です。

よって本来、仏教には神はひとつ(一人ではないですねぇ)も存在しません。
だから、仏教を信奉しても神様が助けてくれるということはありません!!

信奉しても神様が助けてくれないの??と頼りなく思いませんか?
この‘頼りなさ感’が仏教の信仰を躊躇させるのです。
神がいない宗教は信じる価値がない、と思う人もいるはずです。
事実、神がいない仏教は宗教ではない、との意見もあります。

しかし、考えてみて下さい。
キリストは神の子です。死後に復活もしています。
また、イスラムが崇めるのはアッラーで唯一神です。
神なら人知が及ばない絶大な力を持っているはずです。聖書の中でも神にしかできない多くの超常現象が記録されているのですから間違いないでしょう。

でも、教会やモスクに足しげく参拝して、健康に過ごせますように、とか、お金持ちになれますように、とか、試験に合格しますように、とお祈りすれば、神様は必ず願いをかなえてくれる!と思いますか?多分お祈りしている人の多くも思ってはいないでしょう。
教会やモスクで神様にお祈りすれば心の安寧は得られるかも知れません。
しかし、願い事が聞き届けられ、実現する保証は何もありません。

よく聞くではないですか!「インシャラ―」!全ては神の御心のままに!と。
世の中は望む通りにいかないのが常です。それも神の御心なのです。
それにしても、世界各地で絶え間なく続いている紛争や殺人事件を、神様のお力で、もう少し何とかしてもらえると助かるのですが・・・
この願いもやっぱり「インシャラ―!」なのでしょう。

そうは言っても、とりあえずお願いできる神様がいれば少し心が休まります。
そのような人達には神様がいない仏教は頼りないのです。

難解:2
経典にかいてあることが解りづらいのです。どう振る舞えばよいか曖昧です。

聖書やコーランでは、いろいろな教えが具体的に書かれています。
両者に共通する一番明確な教えは「神を信じよ!」でしょう。
「疑うな!私(神)の言う通り行動せよ。さすれば恩恵あらん。」
という神と信者との契約スタイルです。とても判り易い。

コーランには次のようなアッラーの指示があります。
*異教徒と約束(契約)するな。どうしても約束が必要ならまず・・・。
*毎日、決められた時に決められた方法で祈りをささげよ。
 その方法とは、まず、手と足を次の手順で洗うのだ。・・・・
*異教徒と婚姻を結んではならぬ。  などなど。
私の知人にイスラム教徒の女性と結婚した人がいます。彼は改宗し、先方の両親の許しをもらい、メッカ巡礼も済ませた後で晴れて結ばれたのです。
どうです、判り易い教えでしょう!

また、コーランには「教えに反したら罰する!」ともあるはずです。
例えば改宗はアッラーに対する最大の侮辱です。よって死罪です!

イスラム国家の中には経済発展が遅れ貧富の差が大きい国があります。暮らしに困った人々は、この瞬間も、難民となって欧米などのキリスト教国家に流出しています。移住が成功しても、彼らは移住先の宗教に宗旨替えしません。仮にしたとしてもイスラム教徒の仲間には決して洩らしません。改宗が知れたら、自分ばかりか親族さえも殺害されかねないのです。特にイスラム原理主義者にとっては改宗は見逃せない、死をもって償うべき行為ですから、神に代わって誅殺する!となるのです。

女だてらに教育を受けるとは!とパキスタンの少女マララさんが殺されかけたこともアッラーの教えの影響です。恐らくコーランには女がすべきこと、してはならぬことについても細かな指示があって、神の教えに忠実に解釈してゆくと、女が教育を受けてはならぬ、という結論も導かれるのです。さすがに現代では、女に教育を受けさせないのはやりすぎだ、との考えが広まり、教育を受ける女性が多くなっていますが、多分、これはイスラム原理主義に反する、いわゆるイスラム世俗主義と呼ばれる流れなのだと思います。

キリスト教徒が宗旨替えする場合はどうなるのでしょうか?
キリスト教の信徒になるには洗礼を受けます。これはキリストに仕えるとの誓約でしょうから、改宗となると誓約の破棄を意味します。ならば罰則が与えられる、というのが普通の流れです。キリスト教ではどんな罰則が用意されれているのでしょうか?ネットで調べてみたのですが判りません。

あまり能天気なことばかり言っていると「神を冒涜する不届き者!」と天罰が下りそうです。根拠のない推論はこれで打ち切りましょう。

仏教はその点では明確です。仏教徒になるのも止めるのも個人の自由です!
そこがまた判りづらい所です。何をしたらよいのか?何をしてはいけないのか?
知りたいことが経典には明確に書いてない!書いてあるのは難解なことばかり。
例えば般若心経の「色即是空、空即是色」・・・わかるような、わからぬような・・・
例えば「四諦八正道」・・・消化不良になりそうな・・・・

しかし、仏陀の教えは判り易くて近代的、というのが私の今の感想です。

仏教ではなく‘仏陀の教え’と言うべきだと思いますが、それは次の5点に集約できると思います。
1)諸行無常
   すべてのものは変化する。同じ状態にとどまることはない。
   50億年後は地球さえ消滅します。膨張した太陽に吸収されてしまうのです。
2)中庸尊重
   どちらにも偏らない。
   どちらが好いか、予断は不可能なことばかりです。
   また、偏り過ぎは取り返しがつかない事態を起こしがちです。
3)自力本願
   目標は自分の努力で達成せよ。
   「あまり私(仏陀)を当てにするな!私は神ではない。」
4)因果応報
   原因があるから結果が生まれる。
   良い結果は、それなりの原因があってこそ得られるのです。
5)善行奨励
   ほかの人々が幸せになる行為(善い行い)をせよ。
   それが己の幸せ(好い結果)につながるのです。
 
独断的過ぎるかもしれませんが、どうです、判り易いでしょう?
表現には多少(?)問題もあると思いますが、中身には自信があります!!?

しかし、教えは容易に理解できても、実践は容易ではありません!
理解できても、実践が難しい!・・・これも「難解」の理由????

難解:3 ・・・これが決定的な理由か???
仏教の開祖となった仏陀自身が「難解だ!」と言っています!

悟りを得た仏陀は弟子たちに述懐しています。(「ブッダ入門」中村元著より)
 「私のさとったこの真理は、深遠で、見難く、難解であり、静まり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。」
 その後でこうも続きます。
 「ところがこの世の人々は、執着のこだわりを楽しみ、執着のこだわりにふけり、執着のこだわりを嬉しがっている。説いてもわかってもらえないだろう。」

平たく言うと「人は執着を捨てることができないので、教えても私が得た真理(仏陀の悟り)を理解することはできない。(ましてや実践をや!)」となります。
冷たく突き放された感じです。

経典によると、梵天が現れ、そう言わずに教えを広めるように、と何度もお願いしたので、それではやってみよう、と決心したとなっています。
梵天とは寅さんで有名な葛飾柴又にも祀られている帝釈天のことで、バラモン教、ヒンドゥ教、ゾロアスター教でも現れる神様です。
この話は既に述べた通りで、神々に馴れ親しんでいるインド人の受け狙いで、後の人が経典の中で梵天の名をかたったに違いありません。

宗教学者中村元氏は次のよういいます。
 さとりをひらいた人でも迷うものなのだ。
 さとった内容を伝道すべきか、自分だけで楽しむべきか。仏陀も悩んだのです。

また、最初に会った人に説法したが失敗した、と仏陀は語っているようです。
これも仏陀の人間味を示す話です。

以上をまとめると、仏教には3つの‘難解’があります。
  1)神が存在しないので拠り所がない。
  2)経典に書かれた教えが判りずらい。
  3)仏陀本人が難しい教えだと認めている。


この3つの理由で、特に欧米人やアラビア人のように、どちらかと言えば理屈で物事の白黒をつける傾向が強い人々にとって、仏教は難解だった。
よって、世界に広く拡散できなかったと思うのです。

欧米やアラブ諸国は遊牧民族系、インド、中国、日本、韓国、東南アジアなどは農耕民族系とも言えます。
仏教は遊牧民族の発想ではなかなか理解しずらい。
争いを嫌う気質の農耕民族でないと判りずらい教えとも言えそうです。

仏陀が自ら記した経典や記録は何もありません!弟子から弟子に口伝された仏陀の教えや生きざまが記録されはじめたのは死後何十年も後のことです。
よって、仏陀本人が、いつ誰に何をどう語ったのか、正確には判らないのです。
僅かにパーリー語やサンスクリット語で書かれた経典原典などから推察するのですが、誇張や誤解も紛れ込んでいる上、人によって解釈は異なります。
大乗仏教、小乗仏教、チベット仏教、浄土宗・浄土真宗・真言宗・曹洞宗・天台宗・日蓮宗・禅宗などなど、世界や日本に沢山の宗派があるのもそのためでしょう。

仏陀は自ら記録を残さなかった!
このことこそ仏教が難解である最大の理由とも言えそうです。

以上で私の「答え」は終わります。
いつものように長い長~い論文になりました。
ここまで読んでくれた方に感謝します。

しかし私の長い論文はまだ未完です!!
最後に仏陀に関する逸話、トピック記事を紹介させて下さい。


1)“仏陀の教え”が自力本願だという根拠:  
以下は釈迦と弟子の阿難(アーナンダ)の「自明灯・法明灯」の会話です。
阿難:
お師匠が大病にかかり、一時はどうなることかと思いましたが、回復されてうれしいです。お師匠が、我々弟子どもに、最後の教えを与えてくれることがないまま死んでしまうようなことがない、と分かり、安心しました。
釈迦:
お前たちは私に何を期待するというのだ。私は既に内外の区別もなく法を説いた。まだお前たちに教えていない、などという秘密は一切ないのだ。だから、お前たちは「自分を灯明とし、自分を拠り所とし、他人を拠り所とせず、法を灯明とし、法を拠り所とし、他を拠り所としないように。

2)キリスト教衰退の例
イギリスでは衰退の一途で、イスラム教と仏教が伸びているようです。
  関連URL: http://labaq.com/archives/51045491.html
また、ドイツ(イギリス?)のある町の教会をイスラム教徒に売却することになった、との記事を最近ネットで見ました。教会の利用率や信者数は減っているのです。

3)仏教の日本での衰退
  仏教関連のお寺や住職の数が減りつつある、とみなさんもお感じでしょう。
  葬儀では、他のお寺から応援の僧侶が駆けつけるのが普通です。
  住職がいないお寺も増えています。

以下は「ブッダ入門」(春秋社;中村元著)の抜粋です。
4)シッダールタが29歳で家族を捨て、自己の安寧を求めて出家した理由:
身勝手だ!との非難に、中村氏は次のようにシシッダールタを弁護します。

“人生には愛欲、実利、義務、解脱、という年齢とともに行わねばならない義務がある”との考えが古代インドにはあって、今でもヒンドゥ教の中に残っている。
シッダールタは結婚し、男の子も産まれた(愛欲)。シャーキャ(釈迦)族の王子なのでお金も十分ある。よって妻子は生活に困らない(実利)。
そこで“これからは社会を幸福にし(義務)さとりを得ねばならぬ(解脱)!”と考えて出家したのではないだろうか。

5)ビンビサーラ王と仏陀の会話:
正覚した仏陀がラージギルという町に入ると、その姿の崇高なことに感激したビンビサーラ王が仏陀に話しかけます。
ビンビサーラ:
そなたは容姿も端麗で生まれもよさそうだ。どこのどんな生まれなのか教えてほしい!
仏陀:
王よ、私は、富と勇気をもつシャーキャ族の民です。姓は太陽の裔です。
ビンビサーラ:
象の群れを先頭とする精鋭の軍を整え、財もあげよう。それを享受せよ。
仏陀:
王よ。私はシャーキャ族の王子を捨て出家したのです。欲望をかなえるためではありません。
諸々の欲望は患いの有ることを見て、また出離は安穏であることを見て、つとめに励むために進みました。私の心はこれを楽しんでいるのです。

つまり、ビンビサーラはシャーキャ国とラージギル国で共同して敵国を攻めよう、と提案したが、仏陀は王の提案を拒否したのです。

6)ブッダガヤでシッダールタがさとったこと:
仏典によって言うことがみな違うのです。十二因縁により真理をさとった、と書いてある書物が多いが、原典をよくみると、さとった後で十二因縁の道理に気づいたとなっています。その他でも原典と書物で一致しないことが多い。がそれでもかまわないと思います。それから得られる結論は、
第一には、仏教そのものが特定の教義を持っていなかったということです。釈尊自身、自分のさとりの内容を形式化して説くことを欲しなかったということです。
第二には、あらかじめ教義をたてず、現実をあるがままに見る態度があれば、合理的な答えが得られるということ。
第三には、人間の理法というものは固定したものではなく、具体的な生きた人間に即して展開するものであるということ。
――だと思います。

7)ガンジス川を飛んで渡る話:
旅で川(ガンジス)にであった時、釈迦が船頭に「川を渡りたい」と言うと「それではお金を下さい」と船頭が言う。「わたしにはお金は無いのです」と釈迦が応えると、「それでは渡してあれられませんよ」とのこと。
すると釈迦は、すっと空中に飛び上って向う岸に飛んだ。

当時のインドでは、修行僧や妊婦などに渡し場などで料金を払わせてはならない、との決まりがあったが、船頭はその決まりを守らなかった。しかし、釈迦は、船頭をとがめず、自分で空をとんで向う岸にいってしまった。――そういう伝説です。

8)マガタ国アジャータサットゥのたくらみ:
あるとき釈迦はラージギルにある霊鷲山にいた。その国の王アジャータサットゥはバイシャリのヴァッジ族を滅ぼし、その富を得たいと考えていて、部下のバラモン(僧侶)に次のように命じた。
「釈迦のもとにいけ。そして我が言葉として、ごきげんいかがですかと言え。そしてこのように言え。“マガタ国王はヴァッジ族を征伐しようと考えています。それについて尊師のご意見を伺いたい。”」

王の命を受けたバラモンが釈迦のもとに出向くと、そこには釈迦と、その後ろに高弟アーナンダが控えていた。バラモンが王の言葉を伝えると、釈迦はそれについては何も答えず、アーナンダに次のように質問し、アーナンダは次のように答えた。

釈迦:
ヴァッジ人はしばしば会議を開き、会議には大勢の人があつまっているか?
アーナンダ:
はい、その通りです。
釈迦:
ヴァッジ人は共同して事に当たっているか?
アーナンダ:
はい、その通りです。
釈迦:
ヴァッジ人は、定められた法を大切にしているか?
アーナンダ:
はい、その通りです。
釈迦:
ヴァッジ人は古老を敬い、そして古老の言葉をきくものと考えているか?
アーナンダ:
はい、その通りです。
釈迦:
ヴァッジ人は女子供を、暴力をもって捉え、押しとどめたりしていないか?
アーナンダ:
はい、しておりません。
釈迦:
ヴァッジ人は、霊場を敬い、法に従って供養したり供物を供えたりしているか?
アーナンダ:
はい、その通りです。
釈迦:
ヴァッジ人は、良き人達に正当な防御と保護と支持を与えているか?
アーナンダ:
はい、その通りです。

これを聞いていたバラモンは「この(七つの事項の)うち一つを具えているだけでもマガタ王はヴァッジ人に手をつけられないでしょう。全てを具えているならなおさらです。」と言って辞した。

9)バイシャリ(最後の旅の出発地)を発つ時の仏陀の感想:
「アーナンダよ。バイシャリは楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい。ゴータマカ霊樹は楽しい。サッタンバカ霊樹は楽しい。バフプッタ霊樹は楽しい。サーランダダ霊樹はたのしい。チャーパーラ霊樹は楽しい。ああ、この世界は美しいものだし、人間の命は甘美なものだ。」
(土饅頭のような塚があって、その上に繁った木をみて楽しいと感じたのだろう。)

釈迦はこの時、自分の運命にきづいておられたと思います。この世を去るに当たって恩愛の情に打たれ、人生というものは奥深い、味わいのある、楽しいものだという感懐をもらされたのです。これは後代の伝統的・保守的仏教の教義ではあまり好ましくないことなのですね。さとったはずの修行者が「この世はいいところだなあ」などと言ったら、さとっていない、ということになるでしょう。だから後代の教義学者からいえば都合の悪い発言です。けれども経典のなかにお釈迦さまの言葉としてはっきりと残されているということは、お釈迦さまの人間としての正直な感懐が現れているから、後代の人もこの部分を消し去ることができなかったのではないかと思います。

10)最後は、質問編でも紹介した仏陀の最後の説法です。
クシナガルの河の近くで、釈尊はアーナンダに告げます。
「アーナンダよ。私のためにサーラの双樹の間に、北に向けて床を敷いておくれ。アーナンダよ。私は疲れた。横になりたい。」

そして最後の説法がなされる。お弟子たちが泣きます。

「やめよ、アーナンダよ。悲しむなかれ。嘆くなかれ。アーナンダよ。私はかってこのように説いたではないか。すべての者は、愛するもの、好むものから別れ、離れ、異なるに至るということを。あらゆるものは、生じ、存在し、作られ、破壊さるべきものであるのに、それが破壊しないということが、どうしてありえようか。アーナンダよ。長い間おまえは、慈愛のある、人のためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、身と言葉と心との行為によって、向上し来たれる人(私)に仕えてくれた。アーナンダよ。おまえは善いことをしてくれた。つとめはげむことを行なえ。すみやかに汚れのないものとなるであろう。」

そして、やがて釈尊はなくなりました。
(以上:中村元「ブッダ入門」より)

(完)
クシナガル涅槃堂

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Mysterious Question on Silkload: Answer

What was it that was used in Rome for silk and carried back to Xi’an???
Jan.,2014 Mystery Hunter

The report about the answer to the question above is very long.
I am sure there must be many people who cannot follow through it.
So I tell my answer Now!

What was used in Rome for silk and carried back to Xi’an was 'the Solidus', in other words, a Roman gold coin.

If you have any doubts about my answer, please read my long report about how I reached this answer after hard work.

For your reference, this question and the answer of ‘Mysterious Question on the Silkroad’ was disclosed last July among the members of Production Engineering Research Group which consists of retired engineers from an electrical company in Japan.
I could enjoy discussing with members through the network opened only for the Group.

My mysterious questions in the world are already listed as follows:
1)Mysterious Question on the Silkroad: Silk (disclosed)
2)Mysterious Question on the Silkroad: Rhyme
Already disclosed in the Group but will not disclosed in English as the translation of the question and the answer is too tough for me with poor English ability especially about the poems and the relics.
3)Mysterious Question on India: Buddhism
Already disclosed in the Group and will be disclosed too, in English.
4)Mysterious Question on South America: Theme not fixed yet
This February, I am visiting Machu Picchu in Peru and Salar de Uyuni (or Salar de Tunupa) in Bolivia. I am trying to find out a mysterious question there.
If you have any question about these places, please let me know and I will try to gather the information on it while visiting there.
5)Mysterious Question on Egypt: the Nile
The question and its answer are finished as I intended to visit Egypt and enjoy the cruising on the Nile. But unfortunately the cruise on the Nile is canceled as the visitors from foreign countries to Egypt are decreasing in numbers due to the trouble between the government and an Egyptian political party. So I changed my destination from Egypt to South America. I think I will visit Egypt someday.
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Answer to the mysterious question on the Silkroad: Silk
July 2013 Mystery Hunter

While traveling in the Gobi desert by bus, Mr. K who is a 'descendant' of XuFu suddenly asked me his mysterious question:

The silk traveled from China to Rome, right? Then what traveled from Rome to Xi’an for the silk?

The answer seemed to be gold or silver. No, it must not be!
Maybe glass? Elephants or entertainers’ teams as my Chinese guide says?
I tried hard to get the answer while I was in China on the tour. And back in Japan, I did too. But I could not reach to the answer.

Then, I disclosed Mr. K’s mysterious question among the members of my Production Engineering Research Group. Their answers are:

It is a weapon. It is money. It is gold.
It is a religion; Christianity. It is the Pythagorean theorem.

I gave 'Wrong!' to every answer like: There is no evidence you can show that it was used in Rome for the silk and carried back to Xi’an on the Silkroad.

But I also gave my comment like:The Christianity is to be the answer as there is a picture discovered in Turfan that shows the figure of Christ and his pupils.
基督図
There still remain churches along the Silkroad and in Xi’an too!
Moreover, the name ‘Christianity’ has a profound value as the name ‘silk’ has.
However, Christianity cannot be the answer.
Because you cannot exchange Christianity for silk!
Christianity is not a goods to be used to replace with silk.

Money, gold or silver may be an answer. However it is hard to tell it was carried back to Xi’an from Rome. Moreover, you cannot show any evidence that it was used for silk.

In order to get a genuine answer to this question, I think, it is important to analyze the question precisely at first.

The question is made of two sentences!
First sentence goes: The silk traveled from China to Rome, right?
Second sentence goes: Then what traveled from Rome to Xi’an for the silk?

Let’s check the first sentence: The silk traveled from China to Rome, right?

You will notice that it is a question!: Did the silk travel to Rome from Xi’an?
The answer is ‘Yes.’ It is very natural for the people to think the silk traveled from Xi’an to Rome because the road used for carrying it is called ‘Silkroad!’
The silk was carried on the road. That is why German Geologist Ferdinand Freiherr von Richthofen named the road ‘Silkroad’ in late 1900s.

There is an old document found in Rome that says:
In Rome, the silk made in China is an utmost favorate among ladies in a high society because clothing made of silk is marvelously beautiful and light.

The silk had to be made-in-China because the quality of it was superior to any other silks made in any other countries. Then emperor in Xi’an around 3rd century AC prohibited exporting silkworm to foreign countries to protect his trade benefit. Since then, the silk in Rome had been a Chinese government monopoly for a long period.

There is a story about a bride who was given to a barbarian in a country west of a China dynasty.
Her bridegroom asked her to take silkworm out of the dynasty. So she did.
The fact is in the picture found in Hetian; a small town on the south edge of Taklamakan desert. In the picture, her maid is pointing with her index finger at the wedding veil on the bride's head. In the veil, there is silkworm!
蚕とターバン

The answer to the first question is ‘Yes.’ The silk was carried to Rome from Xi’an and changed with something.

Let’s go to the second sentence:
Then, what traveled from Rome to Xi’an for the silk?
What was it that was used to get silk in Rome and carried back to Xi’an on the Silkroad?

Think carefully about the goods that might have been exported from China more than 1500 years ago. Then you may notice many possibilities like fruits, vegetables, grains, seasonings, books, tools, accessories, cottons and any other goods that were used in everyday life. Among one of them was silk.

Most of the exported goods from the Chinese dynasty were consumed at towns on the Silkroad and did not reach to Rome. But the Chinese silk reached to Rome although some or most of it was consumed or lost on the Silkroad. In Rome, the silk was exchanged for something and this something was carried back to Xi’an.
What was the ‘something?’

This something was a Roman gold coin called ‘the Solidus.’

The Solidus coin was made in Rome in 3rd century through 11th century.
This Solidus coin is made of gold and also made in Rome under the severe control of Roman emperors.
As the evidence that the Solidus was made in Rome, it has the portrait of then emperor with his name on it.
ソリドゥス金貨 ノミマス

The Solidus coins are founded in Xi’an and at several small oasis towns along the Silkroad!
If you visit Xi'an, you can see them at Xi’an History Museum and Xi'an PeLing Museum.

In addition, the document about silk was found in Rome that says:
In Rome, China silk is exchanged with gold which weighs equivalent to silk.

The buyers must be Roman merchants or rich mans.
They usually use money when buying something.

There is a possibility that they used silver coins for silk.
But this did never happen.

Think about the values of silk, gold coin and silver coin.
The value of silk was equivalent to the gold of the same weight.
It is hard to tell the exchange rate between gold and silver at that time.
Suppose the rate in Rome was almost same to todays' rate in the world.
The value of one gram gold is equivalent to the value of approx. 60 gram silver.

One camel can carry the burden of approximately 200 kilograms. Probably the camel must have carried about 40 kilos of silk and 160 kilos of water and food for a long journey from Xi’an to Rome through deserts. This '40 kilos of silk' was traded with ’40 kilos of Roman gold coins’ in Rome.
On the way back to Xi’an, the gold coin of the same weight of silk was on the back of the camel with water and food.

But what happened if the silver coin were used for silk? The coins equivalent to silk of one camel came to the weight of 2,400 kilos! You need twelve camels only for carrying the coins! It must have been impossible to gather so many camels in Rome. Even for the buyer, it was too tough to carry 2,400 kilos of silver coins to the market. Rich people never carry such heavy coins with them just to exchange for something. It must be gold coin and never be silver one.

There is other valuables that might have been used for silk in Rome. For example, pictures drawn by famous painters. On the wall in my small living room, there is a picture titled ‘going through Loulan Ruins: Moon.’ Loulan was an ancient small dynasty in the middle of the Taklamakan desert. Today, only the ruins remain although it is hard to find as the ruins is covered with sand.
The painter is Ikuo Hirayama, one of the most famous painter in Japan who passed away several years ago.
  新しい画像 (2)

I bought it at a special corner opened temporalily in Ito-Yokado, near my condominium. Generally they handle goods which are not so expensive.
I had been watching several pictures at the corner and leaving there when the man came to me and said:
‘I beg you to buy one of pictures for god sake. There is no customers who buy any picture here! If you are very kind to buy a picture, I give you 50% of discount. Please! Help me!.’
So I bought the picture to help him!

The price was about 3,000 USD after discount. Of course, the picture is a fake. I mean the picture is not original. It is a picture copied maybe in a silk-screening method.
The original is on display at a museum in Yamanashi prefecture, north of Tokyo. The price might be around 3 million USD. The size is approx. 100cm by 40cm and it weighs about 200 grams! It is extremely valuable, small and light! So it is very suitable to the goods for the costly silk. It is also very easy to carry back on the long way to Xi’an. The art like this picture must be an answer to the mysterious question on the Silkroad!

However, it cannot be the answer. Because, such valuable art is an only one and no other! People don't want to leave such only one valuable art easily even for silk. Neither did Romans! The Roman must have used gold coins for silk.

In China, it is very popular to collect goods made of special stone like jade, for example.
Some goods made of jade in China might have been carried to Rome and exchanged with Roman gold coins. If so, the Roman gold coins found in Xi’an were not only for silk but for Jade!
However, many jade goods were never sold in Rome because the taste of Romans was different from Chinese. Romans did not have much interest in Jade!

It was the Solidus coin or Roman gold coin that was used to get silk in Rome and carried back all the way through Silkroad to Xi’an.

Q.E.D (quod erat demonstrandum)

I thank you very very much for your patience to read this long and silly report.
If you have time, please check the next mysterious question about Buddha that is going to be disclosed in a week or so.

Best regards
Mystery Hunter

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インドの不思議な質問:仏教


お知らせ:
このブログに張り付けておいた写真は手違いで消去してしまいました。
保管しておいたpdfから再生したブログはライブドアのブログに張り付けておきましたので
もしご関心がございましたら、つぎのURLでご確認下さい。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/preview/edit/a6a76d8b385d8d73a8ccb8184127444d
なおライブドアブログのホームページURLは下記です。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/

<インドの不思議な質問>
仏教は、キリスト教やイスラム教より500~1,000年も早く生まれたのに、中近東、アフリカ、欧州、豪州、南北アメリカなどに広まらなかった。何故だろう?

世界の宗教分布の現状をご紹介しておきましょう。
宗教分布図
*インド:オレンジ/Hindoismヒンドゥ
*アフリカ地中海側から東アジアにかけての地域:
   緑系/Sunnism,Shiismスンニ派シーア派のイスラム               
*南北アメリカ、欧州、ロシア、アフリカ南部、オーストラリア:
   薄紫・淡青系/Catholicism,Orthodoxism,Protestantキリスト教    
*ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、スリランカ:黄色/Theravada小乗仏教    
*韓国:黄緑/Mahayana大乗仏教 
*中国:茶/Taoism道教 
*日本:薄紫/Shintoism神道 

文部科学省の宗教統計調査による日本人の宗教人口は、神道系約1億700万人、仏教系約8,900万人、キリスト教系約300万人、その他約1000万人、合計2億900万人で、日本の総人口の2倍弱にあたり、神道系と仏教系だけで2億人にもなります。
合計が人口より多い理由は、宗教団体に頼った集計なので大目に申告される、神仏両方に回答した人がいる、などです。

街頭で訊くと「宗教や信仰をもっている」と答える人は30%で、残る70%は無宗教(無信仰)または無神論者とのこと。文科省統計よりも実態に近そうです。

念のため、無宗教と無神論を辞書で調べました。
*無宗教:一定の信仰を持たないこと。また、宗教そのものに無関心なこと。
     葬儀などで,どの宗教の儀式にもよらないこと。
*無神論:神の存在を否定する立場。
     自然主義・唯物論・無神論的実存主義などが属する。

仏教発祥の地インドではヒンドゥ教やイスラム教からの迫害もあって仏教がほぼ消滅し、日本に仏教を伝えた中国すら道教に押されていることは知っていましたが、日本が神道の国だったとは!てっきり仏教国だと思っていました。

下のグラフは世界の宗教別人口割合です。
世界の宗教人口比
ヒンドゥ教徒は仏教徒の2倍なのに三大宗教ではありません。
インド一極集中だからです。仏教は複数国に分布しています。

私はというと、家系は日蓮宗で葬儀は仏式ですから仏教徒なのでしょうが、実態は無宗教者でしょう。仏陀は尊敬すべき人だと思うので仏教徒と呼ばれても不平は言いません。
でも初詣などで神社にいくとお賽銭をあげて願い事をしますから神道かも。
・・・どうもはっきりしません!!

兎に角、仏教は今や肩身が狭くなっています。日本においてさえも!!!
キリスト教やイスラム教より早く生まれて普及してきたはずなのに。何故??


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この質問は2013年10月の「仏教の八大聖地を巡る旅」の翌月、30年余り働いていた電機会社のOBで構成される生産技術研究会に公開しましたが、例に漏れず長い論文のため不評でした。
話が長すぎるが面白かったよ!と言ってくれた人もいるにはいたのですが・・・

そこで今回は、少し簡素化してみなさんにも公開させて頂くことにしました。

私の答えは近々、公表させて頂きます!!

質問編は以上で終りです。

が、それでは味気ないのでインドの旅の様子をご紹介しましょう。
まずはルートです。
route
デリー空港で日本語が堪能なインド人ガイドが出迎えてくれました。
2日目はデリーの世界遺産を何ヶ所か見たあと寝台特急でヒンドゥの聖地ベナレスに移動。そこからはチャーターした小型車で、ドライバー、ガイド、私の3人で仏教八大聖地を巡りました。ベナレスでは、ガンジス川でデンマーク人夫婦と一緒に小さなボートに乗り、川岸のガート(沐浴場)風景も観てきました。

仏教八大聖地は次の通りです。
1)誕生の地:ルンビニ: ここだけネパール。他は全てインドにあります。
2)成道の地:ブッダガヤ: 覚りを得て仏陀が生まれた、最も重要な聖地です。
3)初転法輪の地:サルナート: 仏陀が初めての説法をした場所です。
4)布教の地:ラージギル: 王舎城。「城」は町の意で山で囲まれた場所です。
5)教団の地:サヘート・マヘート: 祇園精舎の鐘の声、の祇園精舎です。
6)昇天の地:サンカーシャ
      天国で母マーヤに布教してから降り立った場所。唯一の伝説上の聖地
7)最後の旅の地:バイシャリ: この地で説法した後、最後の旅に出ました。
8)涅槃の地:クシナガル: 故郷カピラバストゥへの途中、この地で入滅しました。

畑の中の凸凹道を走り抜けてやっと集落に辿り着くと、牛や犬や人力車や道路まではみ出た出店や屋台やバザールに集まった人々を避けながら、車はゆっくり走ります。いくらノロノロ運転でも文句を言うのはバチアタリというものです。仏陀は歩いたのですから。

朝は、背筋をピンッと伸ばして自転車通学する女子学生を見かけます。その姿のなんと美しいこと!イングリッドバーグマンやオードリー・ヘプバーンの若かりし頃はかくあらん、と何度も感激しました!

最終日は、午前中タージマハルやアグラ城を見学し、午後は車でデリー空港まで移動して深夜便で帰国しました。
我慢、不便の多い旅でしたが、今思うと楽しいことばかりです。

  ルンビニ
(上)ネパールのルンビニ。ゴータマシッダールタ誕生の地です。白い建物はマヤデビ寺院で、母マーヤ(麻耶)から名付けられました。
 マハボディ寺院 marker stone
建物の中(上左)の、ガラスで覆われた1メートル四方の地面(上右)に岩が見えます。紀元前7~5世紀にシッダールタが生まれた場所です。生まれた年には諸説あり定まっていません。

建物の外の左側に立つ茶色の塔はアショーカピラー(アショーカ円柱)です。仏陀の死から凡そ200年後、仏教の熱烈な信奉者でインド亜大陸を統一したアショーカ王(BC304-232)は、仏陀史跡を巡り、由来を刻印した大理石のアショーカ・ピラーを建立して史跡の整備も行いました。

その後、仏教はインドで重要な宗教になっていきましたが、5世紀頃から衰退を始めます。よからぬ宗教だ、と言ってヒンドゥ教が排斥を始めたからです。
その後14世紀にインドに広まったイスラム教の信者たちによって仏教史跡は破壊され、なんの跡なのか判らなくなったものも多くあります。
しかし、アショーカピラーが見つかれば、そこは仏教の史跡です!

ルンビニではフィンランドから来た禅のインストラクターという女性とその生徒4,5人と話しました。京都にも行ったことがあるとのこと。みんな若い人ばかりで、仏教も静かに親しまれているのだなぁ、との思いを持ちました。

  アーナンダストゥーパ
(上)バイシャリ村にあるアショーカピラーとアーナンダのストゥーパです。
バイシャリは高弟アーナンダ(阿難;多聞第一)の故郷です。ピラーの上にはライオン像が載っています。他の聖地では象(エレファント)が載ったピラーもありました。
アショーカ王は、アーナンダの墓をレンガなどで立派なストゥーパ(卒塔婆)に仕上げ、ピラーを建てて功績を称えたのです。

バイシャリに関する伝承があります。
釈迦(仏陀)の一行がバイシャリに着くと、釈迦を尊敬していた娼婦が「私の家で食事をして休んでいって下さい。」と頼みました。釈迦は、これを受け入れました。
そのあとで豪族が来て「私の家で休んでいってほしい。」と頼みましたが、釈迦は「既に約束がある」と断りました。

この伝承が示すように、釈迦は誰にでも平等でした。当時の、そして今でもインドに残っている身分制度(カースト)や性差別をよしとしなかったのです。

玉座囲 菩提樹
(上左)成道の地ブッダガヤの菩提樹です。黄色い柵で囲まれています。
(上右)「仏陀の菩提樹」の葉です。先がカブトガニの尾のように伸びています。
菩提樹という名はサンスクリット語Bodhidrumaの音写で、仏陀の木、英語ではBodhi-Treeです。

仏陀の菩提樹は広く枝をのばし、その下でタイやミャンマーなどからの巡礼者たちがお祈りをしていました。運が好ければ、葉が落ちてきます。好い思い出になるはずです。私も、と思って暫く枝を見続けていましたが、ダメでした。
ガイドによると、葉を拾う幸運に恵まれる観光客はほとんどいないようです。やはり、何時間も、何日も、座ってお祈りする信仰心がないといけないのでしょうね。

  宝座
仏陀の菩提樹を囲む黄色い柵の隙間からデジカメを差し入れて金剛宝座を撮影しました。花が供えられている場所です。2千5百年もの昔、ここに座って丸一日瞑想したゴータマシッダールタはさとりを得て仏陀になりました。

たった1日でさとったの??いえいえ、そんなに簡単にはさとりは得られません!

29歳になったシッダールタは心の安らぎを得たいと考え、王子の身分や家族を捨てて出家しました。その後、6年間、骨と皮だけになりながら前正覚山の洞窟で苦行を積み重ねたのです。しかし苦行では悟りを得られない、と考え、山を下ります。近くの尼連禅河で沐浴しているとスジャータという娘が乳粥をくれました。これを食べて元気を得たシッダールタは、さとりを得るまでここを動かじ!と決意し、ブッダガヤの菩提樹の下で瞑想を始めました。そして1日、やっとさとりを得たのです。

“さとる”は「悟る」「覚る」「成道する」で、英語ではbe awakened(目覚める)、be enlightened(啓発される)です。
さとりを得たゴータマシッダールタは、仏陀、仏、釈迦(シャーキャ族の人)、釈迦牟尼、釈迦如来、釈尊などと呼ばれています。英語ではBuddha, The Awakened One, The Great Oneなどと言います。
もしもあなたが悟りを得ることが出来たなら、あなたも仏陀です!
シャーキャ族ではないので釈迦と呼ばれることはありませんが。

   クシナガル涅槃堂
ここはクシナガル。仏陀入滅の地です。手前の沙羅双樹の間に涅槃堂、その左奥には椀を伏せたような仏舎利塔が見えます。仏陀はこの仏舎利塔の直ぐ裏で入滅しました。
火葬され、遺骨は八つに分配されて信者達に分け与えられました。
仏舎利塔の中にはその一部が残されています。
それからずーっと2千5百年間、仏陀はここで眠り続けているのです。

  クシナガル涅槃仏
クシナガル涅槃堂内の涅槃仏です。1千年ほど前に造られました。涅槃仏の周りには多くの巡礼者が座ってお祈りをしていました。外の仏舎利塔の周りでは、ハンディマイクを持った僧が、海外から一緒に訪れた信者たちに法話をしていました。

宗教学者中村元の著書「ブッダ入門」で涅槃の様子が語られています。
“アーナンダと共にバイシャリを発った一行がクシナガルに到着すると、
 河の近くで釈尊はアーナンダに告げます。

「アーナンダよ。
 私のためにサーラの双樹の間に、北に向けて床を敷いておくれ。
 アーナンダよ。私は疲れた。横になりたい。」

そして最後の説法がなされました。お弟子たちが泣きます。

「やめよ、アーナンダよ。悲しむなかれ。嘆くなかれ。
 アーナンダよ。私はかってこのように説いたではないか。
 すべての者は、愛するもの、好むものから別れ、離れ、異なるに至るということを。
 あらゆるものは、生じ、存在し、作られ、破壊さるべきものであるのに、
 それが破壊しないということが、どうしてありえようか。
 アーナンダよ。
 長い間おまえは、慈愛のある、人のためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、
 身と言葉と心との行為によって、向上し来たれる人(私)に仕えてくれた。
 アーナンダよ。おまえは善いことをしてくれた。
 つとめはげむことを行なえ。すみやかに汚れのないものとなるであろう。」

そして、やがて釈尊はなくなりました。”

  ナーランダ大学
世界で最も古い大学の一つと言われるナーランダ大学の一画です。5世紀頃に造られた仏教を学ぶ処です。学生は最大時1万人、教師は1,500人でした。
奥にそびえる寺院跡は仏陀の高弟シャーリプトラのストゥーパの上に建てられています。シャーリプトラという名は聞き覚えが無いかもしれませんが、しゃりほつ(舎利弗:知恵第一)なら聞いたはずです。僧侶があげるお経に時々出てきます。

広い敷地には学生の宿舎跡も残っています。ここで、我らが玄奘三蔵も学生として6年、教師として6年、修行しました。彼の部屋だったと言われる場所はレンガで囲まれた四畳半程の、野ざらしで何の変哲もない空間でした。例にもれず、イスラム教徒によって建物や仏像は破壊され、基礎や壁の一部だけが残ったのです。写真の寺院跡も実は基礎だけで、その上の建物は無いのです。きっと昔はさぞ大きな寺院だったことでしょう。

平等で自由な釈迦の思想はインドで凡そ千年の間、多くの人に信仰されました。
しかし、慣習や儀式や身分制度を重視するヒンドゥ教、イスラム教などにとって目障りだったため、迫害を受け、誕生の地インドで急速に衰退してしまったのです。

(完)

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シルクロードの不思議な質問(2)答え


お知らせ:
このブログに張り付けておいた写真は手違いで消去してしまいました。
保管しておいたpdfから再生したブログはライブドアのブログに張り付けておきましたので
もしご関心がございましたら、つぎのURLでご確認下さい。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/preview/edit/d0cb731a37ef7624094a755707ebe2ed
なおライブドアブログのホームページURLは下記です。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/

シルクロードの不思議な質問(2)の解答編 (公開:2014年1月6日)
                           2013年7月 Mystery Hunter
<質問2>。 
「ところで、漢詩は韻を踏むのに、日本の詩は韻を踏まないのが普通ですよね。
 どうしてですかねえ?」


質問(2)が入試問題なら次の解答が正しい。
  漢詩では韻が必要条件に定められている。上等な漢詩は韻を踏むのだ。
  日本詩では韻や音に関する規則はない。
  和歌なら文字数が五七五七七、俳句なら五七五で季語を含むという程度だ。
  以上から、漢詩は韻を踏み、日本詩は韻を踏まないのだ。

しかし、このような紋切型の一般解で好奇心旺盛な生産技術研究会の諸兄が満足するわけがない。K氏も納得しないはずだ。
もっと本質的な説得力ある答えが求められている。

そのためには、時空を遡って漢詩と日本詩の起源に迫らねばならない。
努力の甲斐あって、私はついに諸兄も納得するであろう答えに到ることができた。

答えの解説の前に、韻がどのように使われているか確認しておこう。

1)大友家持
  新しき 年初め 初春   今日降る雪  いやしけ吉事
 万葉仮名表記
  新   年  波都波流 家布敷流由伎 伊夜之家餘其騰

2)金子みすず:雀のかあさん
  子どもが小雀つかまえ。 その子のかあさん笑って
  雀のかあさんそれみてた。 お屋根で鳴かずにそれ見てた

3)金子みすず:星とたんぽぽ
  青いお空底ふかく、 海の小石そのように、 夜がくるまで沈んで
  畫のお星は目にみえぬ見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ
  散ってすがれたたんぽぽの、 瓦のすきに、だァまって、 春のくるまでかくれて
  つよいその根は眼に見えぬ見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ

4)<涼州詞 王翰>
  葡萄美酒夜光  葡萄の美酒、夜光杯
  欲飲琵琶馬上  飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
  酔臥沙場君莫笑  酔って砂漠に臥すとも、君、笑うことなかれ
  古来征戦幾人  古来、戦に行き、幾人が帰って来たというのだ。

5)<春望 杜甫>
  國破山河在  国破れて山河在り、
  城春草木  城春にして草木深し
  感時花濺涙  時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
  恨別鳥驚  別れを恨みては鳥にも心を驚かす
  烽火連三月  烽火 三月に連なり
  家書抵萬  家書 万金に抵(あた)る
  白頭掻更短  白頭掻けば更に短く
  渾欲不勝  渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す

以上は質問編で紹介済みのものだ。日本詩は韻といえるか疑わしい。
しかし、漢詩は明らかに韻の規則に従って作られている。

中国語の文法的特徴と韻との関係は見逃せない。
上の4)涼州詞の第2句「欲飲琵琶馬上」(飲まんと欲すれば琵琶、馬上に催す)は「欲飲琵琶馬上」とも書ける。むしろこの方が自然な中国語だ。しかし、それでは韻のルールから逸脱する。そこで語順を入れ替えて韻を踏ませているのだ。
この「語順の自由度」は漢詩に韻を適用し易くしている。

他の詩(歌)も見ておこう。
6)山部赤人
  田子の浦ゆ うち出でてみれば ま白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りけり
  田兒之浦従 打出而見者    真白衣  不盡能高嶺尓 雪波零家留

7)額田王
  にぎたつに ふなのりせむと つきまてば しおもかなひぬ いまはこぎいでな
  熟田津尓  船乗世武登   月待者   潮毛可奈比沼  今者許藝乞菜

6)7)とも全く韻を踏んでいない。

8)Yesterday : Beatles
  Yesterday,
  All my troubles seemed so far away
  Now, it looks as though they’re here to stay
  Oh, I believe in yesterday,
  Suddenly,
  I’m not half the man I used to be.
  There’s a shadow hanging over me.
  Oh, yesterday came suddenly

9)From Mother Goose's Melodies
  Hush a bye baby, on the tree top,
  When the wind blows, the cradle will rock.
  When the bough breaks, the cradle will fall.
  And down will come baby, cradle and all.

10)Die Forelle(鱒):作詞シューバルト、作曲シューベルト
  In einem Bächlein helle  Da schoß in froher Eil
  Die launische Forelle Vorüber wie ein Pfeil.
  Ich stand an dem Gestade Und sah in süßer Ruh
  Des muntern Fischleins Bade Im klaren Bächlein zu.

上の例から、英語やドイツ語の詩でも韻が踏まれていることが確認できる!
10)鱒は、作詞者シューバルト、作曲者シューベルトというのも偶然の「韻」だ!
ラテン系の英語やドイツ語の詩も、漢詩と同じで韻を踏むのが条件なのだ。
鱒はシューベルトの曲として演奏を聞くことが日本では一般的だ。しかしドイツでは歌詞を付けて歌われる方が好まれている、と某氏から聞いた。
鱒に限らずYesterdayもMother-Gooseも歌が好まれているのは周知の通りだ!

11)北国の春
  白樺、青空、南風、
  亭亭白桦 悠悠碧空 微微南来风
  TingTingBaihua YouyouBiKong WeiweiNanlaifeng
  辛夷(こぶし)咲くあの丘北国の、ああ北国の春
  木兰花开山岗上 北国之春天 啊北国之春已来临
  Mulanhuakaishangangshang Beiguozhichuntian A Beiguozhichunyilailin
  季節が都会では、判らないだろと、
  城里不知季节变换 不知季节已变换
  Chenglibuzhijijiebianhuan Buzhijijieyibianhuan
  届いたお袋の小さな包み、
  妈妈犹在寄来包裹 送来寒衣御严冬
  Mamayouzaijilaibaoguo Songlaihanyiyuyandong
  あの故郷に帰ろかな帰ろかな
  故乡啊故乡 我的故乡 何时能回你怀中
  Guxiang-A-guxiang Wodeguxiang Heshinenghuinihuaizhong

日本語の歌詞では最後の「帰ろかな~か~えろ~かな」が韻とも言えるが他では韻は見当たらない。
これに反し、中国語の歌詞では韻のオンパレードだ。

しかし日本でも、韻を踏んだ(?)詩が著名な詩人の間でも出始めている。
12)高村光太郎:道程
  僕のに道はない、僕の後ろに道は出来る、
  ああ、自然よ、父よを一人立ちにさせた広大な父よ
  から目を離さないで守る事をせよ、常に父の気魄を僕に充たせよ
  この遠い道程のためこの遠い道程のため

これは、文化が時と共に変化している証であろう。「聞いて心地よく、詩情が味わえるなら、語呂合わせであろうとも、それで好し!」とする風潮が生まれているのだ。
しかし、まだ韻が日本の現代詩の規則に組み入れられたわけではない。本屋に行っても「教本:漢詩の韻の踏み方」はあるが「教本:日本詩の韻の踏み方」はない。

ここまでくると、韻と文字・言語が密接に関係していることに気付く!

そこで、まず文字の歴史を俯瞰しみよう。
文字

紀元前3千年頃、エジプトでヒエログリフ(絵文字)が、ほぼ時を同じくしてメソポタミアで楔形文字が生まれた。
紀元前7世紀頃には、2つの文字からラテン文字(ローマ字)が地中海東部で生まれ、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ギリシャ語、英語が派生した。

中国では紀元前1600年の殷で甲骨文字が生まれ、発達して漢字となった。
漢字は紀元3世紀頃(古墳時代)に日本に渡り、平安時代に平仮名・片仮名に変化して現在に至っている。

以上の情報を頭に入れたところで、いよいよ時空を遡り、漢詩と日本詩における韻の違いに迫ってみよう。
そこから唐/奈良時代(7世紀)まで辿れば答えが見えてくるはずだ。

数百万年前にアフリカで生まれた人類の祖先が、永い時間をかけて全世界に拡散し、今日の人種や民族が生まれたことは、最新解析技術「細胞内のミトコンドリアDNAの系統解析」で証明されている。漢民族のルーツは北京市郊外で見つかった北京原人ではなかったのだ。わが日本民族もアフリカで生まれた祖先を持ち、気の遠くなるような年月を経て大陸や海を伝って日本列島に辿りつき、定住し、現在に至っている。
人類の移動と年代
<斎藤成也国立遺伝学研究所教授による人類の移動とその年代を示した図>

日本人のルーツは、旧石器時代(我らが祖先が日本列島へ移住した時期~1万6千年前)に始まった。その時代には日本列島は海で大陸から分離していた。
Wiki「日本列島の旧石器時代」では「青森県外ヶ浜町大平山元I遺跡出土で、炭化物のAMS法放射性炭素年代測定暦年較正年代法で1万6500年前と判明した土器」と、「9〜8万年前(岩手県遠野市金取遺跡)に遡る日本人の足跡の化石」が掲載されている。

祖先が北方からきたのか、南方からきたのかは諸説があり特定できていない。
幼児の尻に蒙古斑ができることから、日本人はモンゴロイドに属する。
が、モンゴロイドは、中国、モンゴル、朝鮮だけでなく、インドネシアなど東南アジアにも広く分布しているので、モンゴロイドだから北方から来たとは言えない。恐らく、北方と南方の両方から海を渡ってきたモンゴロイドが今の日本人になったのだろう。
人種分布

しかし「韻」の検討では、日本人がどこから来たのかより、日本の文化がどこからきたのか、の方が重要だ。
従って、これ以上日本人のルーツに拘る愚を避け、旧石器時代には既に人が日本列島に定住していた、という事実だけを強調しておきたい。以降、時代は、前6世紀までの新石器時代/縄文時代、後3世紀までの弥生時代、その後の古墳時代、飛鳥時代、奈良時代(710~794)と移ってゆく。

アジアにおける文化の成長を眺めてみると、日本の文化がインドネシア方面から来たとするのは無理がありそうだ。
そこで、少なくとも文化の源は、北方から伝わって日本に定着し、それが発展して日本の文化になった、と考えて検討を進めてみる。

Wiki「モンゴル語」によれば「モンゴル語は日本語と同じ語順で「私は(主語:S)モンゴル語を(補語:O)学ぶ(述語:V)」のSOVだ。また、関係代名詞がなく動詞が連体形を取って名詞を修飾する、つまり「私が(主語)学んでいる(動詞連体形)言語(名詞)」という点でも同じである。」

一方、Wiki「日本語の起源」では、「日本語は、いまだに系統関係が不透明な言語のひとつ」だとしつつも次の事実が指摘されている。
 1)朝鮮語と日本語は語彙や音韻で違いがある。
   しかし、文法構造(SOVなど)で類似点が多い。
 2)琉球語と日本語の差は、語彙と、動詞及び形容詞の活用である。
   しかし、その他は類似点が多い。
 3)中国語と日本語は、文法構造が異なる。
   つまり中国語ではSVOで日本語はSOVだ。
   しかし、語彙では、一部の大和言葉と中国語に類似性がある。
   例えば身体を表す、目、耳、口などの名詞や、
   倒れる、香る、壊れるなどの動詞だ。
   このような類似性は日本語と朝鮮語との間にはないものである。
 4)アルタイ語(モンゴル語もその一つ)と日本語の関係は強いとの主張がある。

以上から次の有力な仮説が成立する。
1)モンゴル、朝鮮、日本では語彙発音は異なるが文法は同じだ。
  その文法は中国の文法とは異なる。
  だから漢詩が韻を踏んでも、モンゴル/朝鮮/日本の詩は韻を踏まないのだ。
2)中国は隣接するモンゴルや朝鮮や日本に、言葉や生活の面で影響を与えてきた。
  従って、日本語における単語のいくつかが中国語と同じなのは当然だ。
  例えば中国語の口(kou;コウ)は大和言葉の口(発音は未確認)に同じだ。
  恐らく、朝鮮からの渡来人や遣隋使などが伝えたのだろう。
3)アルタイ語はモンゴル、朝鮮、を経由し、日本にきた。
  漢民族の文化の中心は長安近辺の黄河中流域だ。
  したがって中国東北地方の満州族は支配を免れていた。
  しかし、ついには中国全土を制圧して中国最後の清王朝を築いた。
  これは映画「ラストエンペラー」でも紹介されている。
  この満州族は祖先がツングース族で、アルタイ系民族に属し漢民族ではない。
  つまり中国語圏を迂回して伝わったアルタイ語とつながりを持つ日本語は、言語学的に中国語と異なる言葉なのだ。
4)日本が島国であるという特殊性も無視できない。
  違う言語をもつ民族との交流は海で遮断されていた。
  小さな邑で農業に勤しみ、平穏に暮らしてきたのだ。
  地続きで多くの国と接する中国と比べ、異国人と言い争う必要性がなかった。
  よって、日本人の言葉の調子は穏やかで、沢山の語彙は不要だった。
  自分の意見や感情を強調する抑揚なども必要なかったのだ。
  このことは、漢詩には韻があり日本詩にはないことと関係しているはずだ。

いずれの時代であろうとも、人が生活するにはコミュニケーションが絶対必要だ。
縄文時代も、その前の石器時代でも、石の矢じりを使った矢で敵と戦をしたり、集団で農業を営んで暮らしていたはずだ。
ならば意思疎通が必要で「言葉」が使われていたに違いない。
つまり、言葉はかなり昔から日本にもあった。

言葉の出現と比べると、文字の出現は遅い!
縄文土器や弥生土器は数多く発掘されている。
しかし、文字が記された土器は発見されていない。
古墳時代、飛鳥時代でも見つかっていないのだ。
(木簡は古墳時代にもあったようではある。)
奈良/平安時代になり、中国から輸入された漢字を使った古事記、日本書紀、万葉集などが現れるようになって、やっと日本の文字文化は始まったと言えるだろう。

当初は、漢字の意味は無視し、ひとつの漢字を、母音単独または子音と母音の組合せで作られる一つの音に割り当てた。万葉仮名だ。日本で始めて生まれた詩集「万葉集」に使われた。
しかしこの時点では「漢字の音訓だけを借用して日本語を表記しようとした」だけで、「漢字の意味を活かして詩を造る余裕」はなかった。
韻や抑揚などを詩の中に盛り込む余裕などは全く無かったのだ。

中国ではどうか?
紀元前1600年の殷代の亀の甲羅や青銅器から漢字が発見されている。
漢字は、漢詩が隆盛を迎える唐時代より2千年も前に使われていたのだ!

漢字は「木、日、火、山、川、田、子」など事物の形から生まれた象形文字が起源だ。
例えば「木」は、台地に根を張り、空に枝を広げた樹木の形から生まれた。
次に生まれた文字は会意文字だ。「林、森、炎、東(木と日から成る)」など、象形文字を組合わせた、他の意味を持つ文字だ。
更に、意味を表す部分と発音を表す部分とを合成した形声文字も生まれた。
「河」は、さんずいが水を示し、可は音を示す。「忘」は亡が音を、心が‘こころ’を示す。
また、抽象的な概念を示す指示文字も生まれた。「一、二、三」などがその例である。
文字の数では、会意文字が一番多い。(日本語倶楽部編「漢字の謎」より抜粋)

漢字は、いろいろな用途で使われるようになり語彙を増やしていったが、同時に、問題も生まれた。数が多くなりすぎて、話し言葉で使おうとすると混乱を起こすのだ。

漢字は、人類史上、最も文字数が多い文字体系で、その数は10万文字をはるかに超え、他の文字体系を圧倒している。しかし、歴史的な文書でしか見られない頻度の文字も多い。中国で機能的非識字状態にならないためには、3~4千文字を知っていれば十分という。

そうは言っても、最低で3000もの文字が必要で、これら全てに音が付かないと会話ができない。
母音と子音の組合せでつくることが出来る音は少なく、字数は多いので、音だけで字の区別を付けるのは不可能だ。
そこで、音に抑揚、つまり四声をつける方法を使って、一つの漢字を少ない音で区別する方法が生まれた。

漢字は見れば意味の違いが直ぐ判る。
例えば「買」は買うで、「賣」は反対の「売る」の意だ。
ところが、いずれの字も中国語の音はmai(マイ)で同じだ!
字は異なり、意味も正反対だが、発音が同じ、というのでは都合が悪い!
そこで、前者は「四声(四つの音調)」の第三声ӑ(aの音が一度下がって直ぐ上がる‘マァイ’)、後者は同第四声à(aの音が高い音から急速に下がる‘マィ’)と決めた。
これで、同じmaiでも「mӑi」か「mài」かで聞き分けられるようになった。

漢字は、象形文字として生まれた直後から、会意文字、形声文字、指示文字、と次々に新しい字を生み出しながら成長した。語彙も多く、見れば意味が瞬時に分かり、意思疎通に好都合だ(覚えるのには苦労しそうだが)。ピンイン(四声)で聞き分けられるという特徴もある。
そうして、便利な文字の漢字は中国人の生活に溶け込み、漢字文化が成長した。

漢字が完成すると、自然への畏敬の念や人間の感情などを書き留めたり他人に伝えるための漢字表現の一つとして詩が生まれた。これが発展を続け、唐王朝初期に、詩を創る楽しみ、見る楽しみ、読む楽しみ、を深める工夫(遊び心とも言えるのだろう)として、文字や句の数、韻、平仄(四声)、などからなる規則(条件)が生まれ、体系化され、近体詩としての漢詩が確立したのだ。

<解答のまとめ>
漢詩に韻が生まれたのは、「漢字」が早い時期に生まれたことが理由だ。漢字の誕生から2千年後の唐王朝初期には、自然や人間の感情を表現する文章は、韻や平仄(四声)も組み入れた漢詩文化として完成したのだ。

片や日本では、中国から輸入された漢字を使った万葉集が文字文化の始まりだ。
まだまだ未熟で、韻や平仄(抑揚)を詩に組み込む余裕などなかったのだ

(最近、韻を踏む詩も少し現れだした。文化は時とともに変化している。)

以上でQ. E. D. (ラテン語 Quod Erat Demonstrandum:証明完了)です。
いつものように長い長~い論文になり、本当に恐縮しています。
ここまで読んで頂いた方に感謝します。

最後に、K氏と、昔、電機会社で大変お世話頂いたKH氏が、これは中国語だ!と教えてくれた、日本語とタイ語を紹介して終わりたいと思います。
<K氏:シルクロードにて>
中国語      ピンイン・発音           対応日本語        
听不懂、看不懂  ting-bu-dong,kan-bu-dong      チンプン・カンプン
   http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/preview/edit/d0cb731a37ef7624094a755707ebe2ed      ティンプートン、カンプートン
听:聞く、看:見る、不:否定、懂:分かる、理解する
⇒聞いてもわからない、見てもわからないの意

<KH氏:バンコクにて>
中国語      ピンイン・発音      対応日本語      対応タイ語  
没有       mei-you           ない         meimi
         メイヨウ         (無いよう)    (発音:メイミー)                     
没:ない、持ってない、達しない
有:有る。
⇒没有:有りません、無い、の意

中国語は、日本、韓国、ベトナム、タイ、ミャンマー、モンゴルなどで、生活に溶け込んで、脈々と生きているのです

(完)

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