Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

アンティキセラ機構(Antikythera Mechanism)


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アンティキセラ機構(Antikythera Mechanism)
                 2014年3月 Mystery Hunter

今回はYouTubeで見つけた
       Ancient Discoveries: Antikythera Machine
についてご紹介しましょう。

映像時間50分。実物は次のURLでお楽しみ下さい。


Antikythera Mechanismはアンティキティラ島の機械(Wiki)などの訳もありますが、今回はアンティキセラ機構としました。

突然ですが、今日(27日)我が横浜団地内のいつもの朝の散歩で桜が咲き始めた木が1本。近くには連翹(れんぎょう)の黄色い花が綺麗に咲いていました。

春ですねぇ。
そこで皆さんもどこかで聞いたことがある杜甫と李白の絶句を。

絶句   杜甫
 江碧鳥逾白 江、碧にして鳥逾々(いよいよ)白く
 山青花欲然 山、青くして花然(も)えんと欲す
 今春看又過 今春看々(みすみす)又過ぐ
 何日是帰年 何れの日か是れ帰年ならん

黄鶴楼送孟浩然之広陵(李白)
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る
 故 人 西 辞 黄 鶴 楼 故人西の方、黄鶴楼を辞し
 煙 花 三 月 下 揚 州 煙花三月揚州に下る
 孤 帆 遠 影 碧 空 尽 孤帆の遠影、碧空につき
 惟 見 長 江 天 際 流 惟(た)だ見る長江の天際に流るるを
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<YouTube>Ancient Discoveries
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1901年、嵐を逃れた海綿(スポンジ)採取船は、アンティキセラ島近くの海で海綿の採取作業を始めようと潜水夫を水深60mの海底に送り込んだ。
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すると潜水夫は海底に人骨を見つけ、仰天して船に戻ってきた。別の潜水夫に調べさせると、人骨と思われた物は大理石像、ブロンズ像で、宝石類も見つかった。
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2千年前、貴重な品々をギリシャからローマに運ぶ船がアンティキセラ島の近くで海綿採取船と同じように嵐に会い、こちらの船の方は嵐を逃れることが出来ず沈んでしまったのだろう。

大理石像やブロンズ像と一緒に不思議なものが見つかった。
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(左)再現映像          (右)ギリシャ国立考古学博物館の展示品

その不思議なものはアンティキセラ機構と呼ばれ、仔細な調査が行われないまま博物館に展示されていた。

発見から50年経った1950年、エール大学のプライス教授が当時の新技術―X線―を使って解明に取り組み、1974年に論文を出した。
       Gears from the Greeks(古代ギリシャの歯車)
       The Antikythera Mechanism-A Calender Computer
          (アンティキセラ機構―暦コンピュータ)
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論文によるとこの機構は29個以上の歯車で構成された天文学に関係するアナログコンピュータで、2千年も前に造られたとは思えないこともあって世界から関心を集めることになった。

アンティキセラ機構より6百年ほど後に造られた類似の装置で使われていた歯車の数はたった8個だからアンティキセラ機構の複雑さは際立っている。

数千年前、エジプトやギリシャではクレプシドラ(Clepsydra:水を盗むの意)と呼ばれる水時計が使われていた。2つの壷を使ったもので、上の壷の底に明けられた孔から下の壺に水が流れ出ると、上の壷の水位が徐々に低下する。この水位の変化を壷の内側に付けられた印で見て、経過した時間を読み取った。
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しかしこれはタイマーであって時計ではない。上の壷の水が無くなれば時間の計測は止まる。
・・・・・このことからrun-out-of-time(時間が無くなる)という英語の慣用句が生まれた。

また、容器の水の流出速度は水位が高い時は速く、水位の低下につれ遅くなる。
従ってフロートを使った時計(下左)では時間を示す目盛りの間隔を徐々に狭くしないと均一な時間表示にならない。
(下右:目盛の間隔には“グラデーション”がある。)
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エジプト・アレキサンドリアの床屋の息子テシビアスは店で水がタンクから滴り落ちるのを見て時間の計測について考えるようになった。

彼は考えた。
      時間の計測では出ていく水より、入ってくる水の制御が重要に違いない!

常にオーバフローしている、水位が一定の容器の底から流出する水の速度は変化しない。その水で水車を回せば水車は常に同じ速度で回転する。この回転を使って時間を計ればよいのだ。

こうして彼は世界で初めて水力を使った水時計を完成させた。
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30日で一回転する円柱(日付)、円柱に沿って24時間で下から上に一定速度で上昇し上限に到達すると、数秒で下まで下降し、また24時間かけてゆっくり上昇するキューピット(時間)、1時間毎に羽を羽ばたかせクークーと鳴くフクロウ(時報)。これらが一定速度で回転する水車で動く世界初のcuckoo-clock(鳩時計)だ。何か月も動き続けるこの水力機械は時計でありカレンダーでもあった。

水時計の開発でテシビアスはmaster-of-time(時間を手懐けた男)と呼ばれるようになった。

アテネには「風の塔」と呼ばれる建物がある。100年ほど前までソクラテスやプラトンの墓ではないかと考えられていた。しかし今では時刻を知らせる施設だったことが判っている。
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都市の管理には太陽が出ていないと時を計れない日時計では役に立たない。風の塔の内部にはテシビアスが発明した機構を使った大掛かりな水時計が組み込まれていて、昼夜を問わず時を刻み、人々に時刻を告げていたのだ。

テシビアスが発明した時計やその技術資料はアレキサンドリア図書館に保管されていた。
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(上)現在のアレキサンドリア
(下)アレキサンドリア図書館の想像図と今でも残っている資料の一部
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当時、アレキサンドリア図書館はローマ、ギリシャ、エジプト、シリアなどの優れた文献や物件を集めた特異な場所だった。世界各地から科学者や哲学者などが訪れては議論を交わし勉強して新たな技術が発明され新たな文化が生まれていった。

かのアルキメデスもアレキサンドリア図書館でテシビアスの記録や時計を見たに違いない。

アルキメデスはプラネタリウムやアルキメディアン・スクリューの発明などでも知られる優れた科学者だ。
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彼はテシビアスの時計にヒントを得てchiming clock(チャイム時計)を造った。
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1時間毎に鳥の嘴が開き、中から鉄球が飛び出して鈴に当たっては音を出す。同時に、女の目の色が変化して時間の経過を表示する。

走行距離計も発明した。走行距離計とは自動車のパネルに埋め込まれ、走行した距離を示すメータの総称だ。これを使ってローマ帝国はローマから延びる道筋に沿って距離を測りマイルストーンを建てて帝国を管轄したのだ。
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アルキメデスの科学者としての能力が卓越していたことは史実から明らかだ。しかし本当に彼がアンティキセラ機構を開発したのだろうか?そして彼の開発した機構のレプリカがギリシャで造られ、ローマに運ばれる途中で海に沈んでしまうことになったのだろうか?

アンティキセラ機構は本当に2千年も前に造られたのだろうか?このように複雑な機構を造る技術が当時あったのだろうか?この機構の用途は何だったのだろうか?

ロンドン科学博物館のライトはプライスの論文から30年後、改めてアンティキセラ機構をX線分析し2千年前にも存在していたと思われる技術だけで完全コピーを造れるか挑戦した。
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アンティキセラ機構は、科学知識と鑢(ヤスリ)のような原始的な道具で造ることが出来た。
別の場所で発見されていた類似装置の文字盤などから、太陽、月、惑星の動きと太陽暦を示す装置だったに違いない。

本当にアルキメデスが発明したのだろうか?

その証拠はない。しかし、2千年も前、何十年もの周期で動く天体の運動を複雑な機構で再現することが出来たであろう人間はアルキメデス以外には思いつかない!彼の頭脳と技術力なしでは造る事はできない。

今日、アンティキセラ機構と同じ結果を得るにはコンピュータが必要だ。
2千年以上もの昔、現在を凌ぐ技術が存在していたのだ!

(フィルム完)

<補足>
順不同で紹介します。

Ctesibius(テシビアス):紀元前285-222年
アレキサンドリア生れの発明家。本格的な水時計を発明しmaster of timeの名もある。

Archimedes(アルキメデス):紀元前287-212年
シシリア島生れ。当時超一級の科学者。数学、物理、天文学に秀で、発明家、機械設計者でもあった。浮力の原理で王冠が純金製か見分けた逸話が有名。彼が発明したアルキメディアン・スクリューは粉黛や流体の搬送用として今も使われている。
ローマ帝国の内紛時、アルキメデスを召還して活用しようとした皇帝が兵士を派遣したが、兵士の呼びかけを無視して思索に耽っていたので怒った兵士に刺し殺された。
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アテネ国立考古学博物館:
アンティキセラ島近くで1901年にスポンジダイバーが見つけた「アンティキセラの若者」「哲学者」のブロンズ像と共に「アンティキケセラ機構」が展示されている。

アンティキセラ機構の概念図(YouTube):
木製の箱に入っていて携帯用に出来ていた。側面のダイヤルを回すと表面及び裏面の複数の針が動いて、年月、太陽・月・惑星の満ち欠けや方角などの天文的状態を表示した。
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アレキサンドリア図書館の現状(YouTube):
何度も火災に会い多くの資料が焼失した。僅かに残った資料は、昔の図書館の位置に建設されたモダンな建物の中で展示されている。
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(Antikythera 完)
P.S.
次回(4月初旬)はストーンヘンジの秘密(BBC)をご紹介します。お楽しみに。

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チョリータ(ベルー・ボリビア先住民女性)衣装の不思議:解答篇


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チョリータ(ペルー/ボリビア先住民女性)の民族衣装の不思議:解答編
              2014年3月 mystery hunter

<質問>
ペルーやボリビアの、特に年を取った女性は、なんであんなダサい民族衣装を今でも着ているのか?その衣装はいつ頃、どんなきっかけで着られるようになったのか?

<解答>あくまで個人的なものです!間違いかもしれません。その時はご容赦を!

まず、あのスタイルの発祥の経緯ですが、3つの記事が見つかりました。

その1)Yahoo-Peru:チョリータファッションのWeb
http://www.cholitapacena.com/2012/10/las-cholitas-pacenas.html#.UyUJcemKBjo

その2)Yahoo-Espana:BBCレポート
本年2月20日付けの記事で私がボリビアにいた日ですから何かの因縁かも。
http://www.bbc.com/news/magazine-26172313

その3)Wiki:日本版

BBC(英国放送協会)レポートに掲載されていたチョリータ衣装です。
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ポイントは上から、山高帽、髪、宝石、ショール、スカート、ベティコート、です。

発祥の経緯ですが下記の通りです。

ファッションWeb:
「18世紀の終わり頃、スペイン征服者の長がボリビアの女性にあるタイプの衣装を義務付けた。当時のスペインの女性の衣装だったスカート、ブランケット、ブーツその他の身に着ける物を先住民に身に着けさせたのだ。」

BBCレポート:
「ボリビアのチョラのファッションという調査報告を書いたバレリエ・サリナスは言っている。“スペイン人は、自国の闘牛士のアシスタントが着ていた服と似ている欧州の服を着るよう、土着の女性(チョラ)に弾圧的に強要した。”」

Wiki日本
「これらはスペイン統治時代のなごりを残す伝統的な衣装とされ、一説によると、スペイン人の妾となった人たちが当時のスペイン女性の格好をまねたことに端を発するという。しかし、これらは基本的に「和服を着た日本人女性」に近いイメージのものであり、都市部に住む先住民系の女性を中心に必ずしも当てはまらないことが多い。」

ショールを2つに折り、風呂敷のようにして物を包み肩に担いで歩く女性をペルーやボリビアで頻繁に見かけました。特に田舎では多いです。町ではたまに見る程度。中年以上の女性に限られているようでした。しかし、どこの国でも女性は働き者ですね。そこへいくと男は遊びや手抜きばかり考えていて頼りにならない時が多いです。
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さてチョリータ衣装ですが、今から200年程前、ペルーやボリビアなど旧インカ帝国の領土を統括したスペイン人統治者が、当時のヨーロッパの衣装をペルーやボリビアの先住民女性に強制したことが発祥の理由である、としても好いでしょう。

その後の経緯を短くまとめると次の通りです。

「チョリータ衣装は先住民女性達が強制されて着始めたものだが、先住民女性の嗜好も加わり、少しずつ変化しながら“ユニフォーム”として定着していった。しかしこの衣装を着た女性、つまり先住民女性、は召使や行商人のような仕事にしか就くことが許されず、公共施設・バス・レストラン・大統領官邸前広場などへの立ち入りを禁止されるなど、長い間虐げられていた。

20年程前に始まった先住民の権利見直し運動で2003年に初めて先住民出身の大統領が選ばれるとチョリータ(先住民女性)及びその衣装は急速に市民権を得始め、チョリータが銀行や役所で事務員として働いたり弁護士になったりするケースも出てきた。また商業化の波で豪華なチョリータ衣装も現れ始め、これまで見向きもしなかった中上流階級の女性達も着るようになると、チョリータ衣装のファッションショーやフェスティバルも開かれるようになり数百万円もする宝石でショールを留める女性も多くなっている。」

詳細はBBC記事(英語)で確認下さい。状況が実感できると思います。
http://www.bbc.com/news/magazine-26172313

ところでチョリータ衣装は本当にダサいのでしょうか?

次の写真を見て下さい
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ラパスのチョリータ・フェスティバルの写真です。衣装の艶やかさもありますが、みんな笑顔でチョリータ衣装を着ている喜びを体全体で現しています。こうして大勢で楽しく踊っている様子をみるとチョリータ衣装も華やかなものですねぇ。
このフェスティバルへの参加希望者は年々増えていて主催者の悩みの種になっているとのことです。昔ならチョリータ衣服を着た人を見ると同性の女性すら蔑んだのに、大きな意識の変化です。

しかし、残念というか、今回の旅ではこのように鮮やかな衣装を着けた人には出会いませんでした、たった一人を除いて!それは20代の日本人女性で、ラパスの飛行場で見かけました。女友達とボリビアに旅行で来て豪華な衣装を購入し、これを着て旅を楽しんでいたのではないかと推察します。

恐らくチョリータ衣装はイベント用と日常生活用に2分化していると思います。

なお、フェスティバルの写真を見て、チョリータ衣装は「ユニフォーム」の性格が強い、と思いました。つまり一人だけで着て楽しむのではなく、大勢で着きる衣装です。
ユニフォームなら、いつも同じ服を着ていても恥ずかしくありませんし、連帯意識・仲間意識も持てるので安心感があります。貧しい女性でも一着だけ入手しておけば衣服を理由に劣等感を感じることがありません。

多分それで世界の民族衣装はどちらかといえば社会的、経済的に劣勢の女性達の間でユニフォームとして持て囃されてきたのではないかと思います。

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(左)トルコ民族衣装         (右)スイス民族衣装

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サウジの女性はいろいろ制約があります。外出する時は黒い服を着なければなりません。自動車の運転や競技場・サッカー場などスポーツ施設への出入りは禁止です。こんなに虐げられていても大きな騒ぎが少ない理由には、女はみんな同じ服を着るという平等感もあると思います。

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ベトナムのアオザイです。チャイナドレス(旗袍)を模したのが始まりです。
材料はアオザイでは麻が普通で、チャイナドレスでは絹が正統です。
サウジの女性民族服もこのアオザイもそうですが作るのは簡単そうです。

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中国の人民服と軍服:
人民服は都市では全く見かけなくなりました。
しかし共産党員には重要な式服で、これなしでは公式行事に参加できません!

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1938年8月、来日したヒトラー・ユーゲント幹部・団員と写る将官および将校
やはり軍服はユニフォームの代表格と言えるでしょう。

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フェリス女学院大卒業式。普段、制服は着ないようです。
但しフェリス女学院高校では毎日制服の着用が義務付けられているようです。

民族衣装やユニフォーム(制服)には、比較的簡単に作れる、材料が入手しやすい、よって製作コストが安い、という特徴と、それでいて連帯感を高められる上に機能的で活動しやすいという特徴があると思います。よってどちらかというと貧しい国の女性ほど民族衣装やユニフォームを着ているケースが多いと思います。

大勢の中で一人だけ民族服やユニフォームを着ていると凡そダサく見えます。なぜならその服は基本的には質素だからです。しかし、質素な服を着た人が大勢集まっていると素晴らしい服のように思えてきます。丁度タンポポやコスモスが一輪では冴えない花なのに野原一面に咲いていると、こんなに素晴らしい花はない、と思えるように。

結局、民族服やユニフォームがダサいかどうかは、見る時の条件と見る人の意識の問題と言えそうです。勿論、着てる人がどんな人か、楽しそうな顔をしているか、も服の印象を決める大きな要素であることは間違いないでしょう。

<補足>
*チョリータのスタイル:
「スカートはプリーツ(襞(ヒダ)スカート)でボリュームを持たせるため5枚重ね着することもある。山岳地方ではリャマ、ビクーニャ、羊の毛で、自然の染料で染めている。首都ラパスでは糸は輸入された明るい色のものが使われる。」

「ショールはスペインのある地方の、シフォン(薄い柔らかい布)、絹、リネンなどで造られた伝統的な女性用ショールを真似たものだ。ペルー山岳地帯では寒さを凌げるようビクーニャの毛を使った。
これを落ちないように留めるピンは、インカ時代からの習慣から宝石などが使われたが、ヒスパニックの流れから金や銀で出来たものも使われている。」

「しかし何といっても特徴的なのは帽子だ。19世紀の終わりまではいろいろな形や色があったが、20世紀前半、イタリアの山高帽が入ってきて、間違って女性用として使われ始めた。しかし、三つ編みの頭に載せてピンで留め、帽子のバランスを維持しながら背筋を伸ばして歩くことがファッションとなった。」

*和服:
中国や朝鮮から入った服が、遣唐使が廃止され外来文化の流入が減ると少しずつ日本独自の形に変わっていき今の服になっていったようです。
洋服が導入され始めた明治時代以前は猫も杓子も和服を着ていたわけで、帯や、生地や、染めや、模様や、扇子や、根付、髪型などで貧富の差がついていたのでしょう。

和服用衣紋かけに掛けられた和服を見ればわかりますが、矩形で造り易く、従って安い布を使えば仕立て上がりもかなり安かったのだと思います。襟の部分は矩形ではないようですが、昔は矩形部を折りたたんで襟を造ったようで、不要になった和服をほどくと矩形の布きれになり、他のものに無駄なく転用できるので経済的な優れものでした。
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これが今は安い物でも○十万円もするのですから、普段はめったに和服を着ることがなく、成人式もレンタルで済ます女性が多くなりました。私の女房殿は何がきっかけなのか知りませんが着物教室に通うようになり和服も何着か(も?)持っていますがやっぱ高価です!帯も高価です!年1回程度着るだけですけどねぇ。今も時々お仲間で集まる時はみんな和服を着ていくようですが、楽しいのですかねぇ。やっぱ楽しいのでしょうね。

(解答篇:完)

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南米で出会った人達の不思議:補足


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               214年3月18日 mystery hunter

「南米で出会った・・」を投稿後、2つの動きがあったので補足させて頂きます。
チョリータ衣装の不思議の解答は次のブログで。

<補足その1>
ブロともさんからラパスの親子の記事に関する示唆がありました。

  「吹き出しを付けると面白い記事になるかも・・」

で、さっそく科白を付けてみました。
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皆さんならどんな科白を付けますか?

二人とも、お母さんの言うことをきいて偉いですね。
へこたれるなよ!3人で助け合って元気に生きてけよ!

<補足その2>
私が海外でふらふら旅をしている間、女房殿は質素な生活をして私の帰りを待っているはずだ、と既報で私の推測をお知らせしましたが、数日前、結婚し独立している娘も交えた横浜駅近くのレストランでの食事時、女房殿は脱いだコートの下のネックレスを娘に見せて言いました。

このネックレスいいでしょ!プラチナ850で○十万円したのよ。
プラチナ1000がほしかったんだけど見つからなくて!
でも今度プラチナ1000のネックレス見つけたら、これあなたにあげるね。


これで私も女房殿に遠慮なく次回の旅行を企画できる!と思いました。

(補足:完)

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ペルー・ボリビア女性の民族衣装の不思議


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ペルー/ボリビア女性の民族衣装の不思議
               2014年3月 mystery hunter

南米旅行を決めた時、どんな不思議をブログ投稿しようか考えました。

マチュピチュの不思議は既にThe National Geographicのフィルム解説で解き明かしてしまったし・・・

で、思いついたのが2つ。「チチカカ湖・ウユニ塩湖の対比」とイ「ンカの女性が着ているチョリータ服」です。

湖の問題はネットで調べていくと面白そうなネタに気づいたので、質問・回答を作成して質問は出発前に公開、回答は帰国後、現地で収集した情報を追加して公開させて頂きました。

しかし「チョリータ服の不思議」は内容が無いような気がして悩んでいました。

その後、南米を旅行し、特に田舎で中年以上の女性がチョリータ服を着ているのを頻繁に見かけました。都会でも時々見ました。

いつ頃からあんなダサい山高帽やヒダが付いたスカート(どうも3枚も4枚も重ね着するようです!)を穿き始めたのか?何故いまでもダサい恰好を続けているのか?若い女性は見向きもしていない様子なのに、と思って見ていましたが、その発祥理由や今日の女性達の感想を現地で訊いてみることもないまま帰国しました。
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(上:ラパスのALASITAS広場前の通りで撮影)
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(上:Yahoo-Peruで見つけた写真)

そろそろ次のブログのネタを、とYouTubeから「Antikythera Mechanism」というフィルムを見つけ、ブログ原稿も完成しました。でもチョリータ服が相変わらず気になり続けていたので、少し調べ直したら、これまで気付いていなかった情報がネットで見つかり、ひょっとすると面白いブログに化けるかな?という気がしてきました。

が、どうも内容不足は否めそうにありません。そこで暫くの猶予を頂き、もう少し調査したいと思いますが、私よりも皆さんの方がよくご存知かもしれないと考え、とりあえずブログで質問を公開することに致しました。
以下がその質問です。

<ペルー・ボリビアの女性の民族衣装の不思議>
ペルーやボリビアの、特に年を取った女性は、何故あんなダサい民族衣装を今でも着ているのか?その衣装はいつ頃、どんなきっかけで着られ始めることになったのか?

私の持つ情報はまだ朧で解答にまとめ上げられるか自信も得られていませんが、今後の調査で得られるはずの情報を基に解答篇をまとめ上げ、10日以内に披露させて頂く予定です、どんなにつまらない内容だったとしても。

なお、私は、あの民族衣装その物がチョリータ(Cholita)だ思い込んでいましたが間違いでした。

下記に「Wikiチョリータ」の全文を掲載しますのでご確認下さい。

チョリータ :  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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正装したボリビア・エル・アルト(mh:県の名)のチョリータ(右はルイス・イナシオ・ルーラブラジル大統領(mh:任期2003~2011年))
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識字教育を受けるチョリータたち(mh:撮影時期不明。少し古そうです。)

チョリータ(cholita)又はチョラ(chola)とは、主にボリビアやペルーで、先住民(インディオ)の血を引く人々のうち、女性を指す言葉。あるいはその民族衣装を身にまとった女性を指す言葉である。

ボリビアやペルーでは、ケチュアなど先住民のインディオ及びスペイン人とインディオの混血(メスティーソ)のうちインディオの特徴を強く持っている人たちのことを一般に「チョロ(cholo)」と呼ぶが、チョリータはこの単語の女性形「チョラ(chola)」に愛称を示す語尾"-ita"をつけたもので、一般的には「先住民の血を引く若い女性」を意味する語である。

チョラ及びチョリータを特徴づけるポイントは日本の和服同様に民族衣装で、帽子と髪型と服装である。

帽子は、いわゆる山高帽で、出身地によって色や形などが少しずつ異なる。ラパスなどのアンデス地域では黒や茶色で丸みを帯びた帽子であることが多い。コチャバンバやタリハなどのバジェ地域では白などの明るい色で角張った形であることが多い。

髪型は、長い三つ編みである。腰までの長さの三つ編みを2本下げていることが多い。地毛が短い人はつけ毛をすることもある。先に黒の毛糸で作ったぼんぼり状の飾りをつける人もいる。

服装は、ポリェラと呼ばれる、ひだが多く、すその広がったスカートである。色や形などは出身地によって異なる。一般に、寒冷なアンデス地域では長く、温暖なアマゾン地域では短い。 寒冷な地域では、羊毛やアルパカの毛などで作ったショールを肩にかける人が多い。

これらはスペイン統治時代のなごりを残す伝統的な衣装とされ、一説によると、スペイン人の妾となった人たちが当時のスペイン女性の格好をまねたことに端を発するという。しかし、これらは基本的に「和服を着た日本人女性」に近いイメージのものであり、都市部に住む先住民系の女性を中心に必ずしも当てはまらないことが多い。

チョリータという呼び名は、先住民系の住民が大半を占めるペルーやボリビアでは日本で言うところの「娘」や「お嬢さん」に近い意味合いで用いられる語であるが、歴史的な経緯等もあり、チョロ、チョラとともに、侮蔑的な意味を持つことがあるので注意が必要である。 しかし、チョリータは愛称形であることと、自分がチョリータであることに誇りを持つ女性が多いことから、文脈に気をつければ日常会話で用いても差し障ることはあまりない。ただし、外国人は用いない方が無難である。

在ボリビアの日本人が日本語で話す場合には、敬意を込めて「チョリータさん」と「さん」づけで呼ぶことが多い。
現在では、チョリータは田舎の貧しい娘であるという印象でとらえられることがあり、都市部に住む女性は母親がチョラであっても典型的なチョリータの格好をすることを嫌がることがある。 しかし一方では、農村部の出身、先住民の出身であることに誇りを持ち、頑に伝統的な格好を守る女性も多くいる。
(以上Wikiより)

(補足写真)民族服の例:ネット、Google-Earthから転載

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(質問編完)





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南米で出会った人達の不思議


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南米で出会った人達の不思議

            2014年3月   mystery hunter

旅行中に色々な人に出会いました。今回はその人達についてご紹介しましょう。

出来上がったブログがとても長く、分割投稿や削除を検討したのですが、この際一括掲載させて頂くことにしました。
拾い読み、流し読み、飛ばし読みなどして楽しんで頂けたら幸いです。

1.リマの物売り少女

リマ旧市街の団体観光に参加しました。1台のマイクロバスに英語ガイドと観光客10人くらいで日本人は私一人でした。

San-Martin広場で30分の自由時間が与えられ、バスを降りて広場をぶらぶら歩いていると、お土産売りの女の子が声をかけてきました。勿論スペイン語で話しかけてくるのですが当方は全く解しません。その上ペルーのお土産は既に手早く別の店で買い揃えていたし、女の子が持っていたのは小さな片手に3、4匹は入るようなアルパカの人形と絵葉書といった極めてありきたりのお土産でしたから、時々、首を左右に振ってはその気がないことを示し、無視し続けました。

それでも私の後をいつまでもついてきて話しかけるので少し強い表情でダ~メ!という素振りをすると 、やっと諦めたようで何処かに消えてゆきました。

暫くすると、冷たくし過ぎたかな?と気になり始め、今度は私が彼女を探しまわりました。やっとバスの出発時間ギリギリに見つけ、アルパカ人形を3ドルで買う代わりに写真を撮らせてもらいました。
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気づくと近くに父親らしき男性がこれまた土産物を手にして笑って立っていました。どんな人なら買ってくれるか永年の感で見分けたのでしょう。彼女の思惑通りになってしまったわけですが、かわいい娘さんには優しくしてやらないとね。
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(フクロウはお土産店で、アルパカ人形は女の子から買いました。)

2.スペイン女性

マチュピチュからクスコに戻る電車で隣席したスペイン女性と話しました。年の頃は25~30歳位でしょうか?
バケーションで来たとのこと。期間は6週間でドイツ、フランス、イタリアなどでも大体同じ位の長さのバケーションが普通だと思います。
羨ましいですね、人生は仕事だけではない!との気概。

で、母親は日本人だ、というので、え~?と思いましたが、よく聞くと、父親が2度目に結婚したのが日本人で、子供が生まれ今18歳らしい。大阪に住んでいると言います。またまたえ~?と思いましたが、よく聞くとその子が生まれて数年で離婚したらしい。

まとめると、隣に座った女性はスペイン人の母親の子供で、彼女の母親と離婚か死別かした父親は日本人の女性と再婚したがまた離婚し、日本人の元義母は子供と一緒に日本で暮らしている、ということのようです。ややこしいですね。
フランスの大統領も実質結婚―いわゆる同棲―していた女性と別れ、モデルと再び同棲するなど、欧米人の結婚観は家庭というものに縛られません。
うらやましいですねぇ、自由な発想が!

で、このお嬢さんはというと、クスコからマチュピチュまで自転車と徒歩で2泊3日で移動したとのこと。私なんか、車と電車を乗り継いで3時間程で移動したのですから、なるほど、マチュピチュに行く過程も楽しむのだなあ、とスペイン人の旅行観にも感服しました。長いバケーションも羨ましい。かく言う私も女房殿の冷たい視線を無視すれば、1ヶ月くらいの自由はなんとかなる、いや、やっぱりならないか。

3.ストライキとその関係者

チチカカ湖畔の町プーノを発ってラパスに向かう朝、約束の6時に30分遅れてガイドがホテルに現れました。ストライキのためバスでは行けそうにないので対応を検討している、9時まで待ってほしい、とのこと。

好い天気だったので、これ幸いと徒歩30分のチチカカ湖畔まで歩き、湖を見たり写真を撮ったりしてホテルに戻ると、レセプションに電話が入り、バスはダメだが小型車なら行けるかもしれない、120ドル払ってもらうことになるが好いか、と言います。
好いも悪いも、その日にラパスに行かないことには翌日早朝のウユニ行き飛行機を逃すことになるのですから是非もない。「OK!」と即答しました。
午後1時に中型車が到着し、ガイド、私、それに偶然一緒になった2人の日本人女子大生、が乗り込んで出発しました。

プーノの町を出ると直ぐ渋滞にぶつかりました。バスや小型車など20台は停まっていたでしょう。
見ると道路には30cm位の岩がゴロゴロ転がっていて、脇では20人ほどの男が一列に座って見物しています。

ん?ここがストライキの現場かな?

ガイドが車を降りて岩が転がっている所にいる数人の男の処に行き、何やら話すと戻ってきました。通してもらえるらしい!
数人の男達が岩を動かして出来たスペースを我らが車は素早く通り抜けました!現場に到着して通過し終えるまで10分もかからなかったでしょう。
ガイドによると、プーノの町に到着して郊外のホテルに向かっているところだとストライキの責任者に説明し、特別に通してもらったとのことでした。事前に交渉し、ひょっとすると若干のお金を手渡していたのではないかと思います。

その後通過した町では、道路脇のサッカー場のような施設の、板で段状に造られた観客席に大勢の住民が座っていました。集会のようです。直接民主主義の現場をペルーでみたのかな?

ストは、急激な電気・水料金のUpに怒った住民が強行に及んだ結果とのこと。とすれば、怒りを向けるべきは政府、役所、電力・水道会社でしょう?
道路を封鎖して関係ないバスや車を止めるなんて、ストじゃなくてテロです!

しかし経緯の詳細について全く情報を持たない観光客が自分の都合だけで批判するのもはばかられ、住民は余程困っていたのだろうなあ、難しい問題だなあ、でも通れて好かったなあ、と思います。

本題から少し離れますが、世の中の出来事って、意外にバランスがとれたところに落ち着くものですね。順風満帆ではないが困窮至極というわけでもない。贅沢ばかり言ってはいけないな、と思いました。

4.ラパスの親子

ALASITASという広場で毎年一月になると1ヶ月間やっているEKEKO祭りが今日も3時からある、とガイドから聞いていたので行ってみました。
EKEKOはボリビアのビリケンさんでゲン担ぎの神様です。

祭りの場所がはっきりしなかったので、出会った人に何度か聞きながら行くのですが、笑いながら、それは確かにあの場所だ、と指さす先には青いビニールテントの屋台のような店が斜面一帯に張り付いた公園があります。公園の中を歩いていたらEKEKO像に出くわしました。
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こんな処でどんな祭りがあるのだろう、といぶかしく思いましたが、ほかに行く当てがあるわけでもなし、兎に角、3時まで待とう!と決め込んで祭りの2時間ほど前から陽だまりのベンチに寝そべって時間を潰していると、歩道をはさんで私の向かい側に一人の少年がやってきて座り込みました。

じっと下の広場を見ています。そこでは子供達が楽しそうに遊んでいました。
そのうち一匹の犬が少年の所までやってきました。
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ふと脇をみると、少年から10m程離れたところに小さな女の子とその母親らしき女の人が居ました。少年は少女の兄で、3人は親子だったのです。

暫くすると少年は母親の元に行き、アルミの薬缶を持って通りの下の塀の中に入ってゆき、数分後には水を汲んで戻って来ました。その水で干飯のようなものやフライドチキンのような肉をほぐして、3人で分け合って昼食です。
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私が3人を見ていた1時間半程の間、少年も少女も、勿論、いつも私に背中を向けて座り込んでいた母親も、一度も笑顔を見せはしませんでした。
父親らしき男は現れません。とうの昔どこかに去っていったのでしょう。

どんな事情が、どんな人生があったのだろう?この少年は、少女はこれからどんな人生を送り、どんな大人になっていくのだろう?小さな妹や母親をさりげない素振りで気遣うあどけない顔の少年が、近づいてきた犬に寄せた思いはどんなものだったのだろう?

どんなに辛いことがあっても悪に染まることなく、たくましい男、思いやりのある女になってほしい、と願いました。

私があまり長い間そばに寝そべっていて、時々写真を撮っていることに気づいたのか、母親が鋭い目を私の方に向け始めたのを機に、祭りの3時には少し早かったのですがALASITAS広場に行くことにして親子と別れました。

少し感傷的になったのは事実ですが、ラパスでは物乞いは少なく、この3人もそんな素振りは全くありませんでしたから、私などが心配しなくても大丈夫、しっかり生きていくと思います。物乞いと言えばチチカカ湖からラパスへ続く長く緩やかな下り坂の道路には居眠り防止のためか1km位の間隔でハンプ(hump道路に出来た蒲鉾状の突起)があり、多分草原の遠くにポツンと見える家の子供がハンプで減速する車のドライバーに帽子を出して物乞いする場面に何度か出合いましたが、しつこさが感じられず、貧しいボリビアだが、家族みんなでそれなりに幸せに暮らしているのかな、とも思います。

ところでガイドが言っていた年1回のEKEKO祭りですが、3時になってもそれらしき動きは全くなく、思うに、夏の1ヶ月間公園が屋台業者に開放され、駄菓子屋とかおもちゃ屋とかゲームコーナとか軽食屋の青いビニールシートの屋台で公園が埋め尽くされているのを祭りと言ったようで、だから私が祭りの場所は?と聞くと、みんな笑っていたのでしょう。3月になると段々と秋めいて寒くなるので、ALASITAS公園を訪れる人も減り、商売にならない屋台業者はビニールシートで出来た店を畳んで、また翌年の1月まで閑静な公園に戻るのだと思います。

5.いろいろな日本人達

旅先では多くの日本人に出合い、話しました。色々な人がいるものですね。
名誉棄損にならぬよう気をつけながらご紹介しましょう。

*若い男性
リマからクスコの機内で隣に座った男の子。二十歳前でしょう。スキー場で自営業をしていて、ひと月ほど前南米から戻った友達がウユニは好かったと言うので来た、とのこと。明日マチュピチュに行き、その後ウユニに行くと言っていました。

今は2月。日本ではスキーシーズン酣で、ゲレンデはどんな自営業でも書入れ時のはずなのにどうしてこの時期に、と不思議に思いましたが、寡黙な若者に訊くのははばかられました。

で、ウユニには何日くらいいるの?と訊くと、いつ行くか、いつ戻るか、決めてないと言います。勿論、どこに泊まるかも決めていません。
恐らく、飛行機の日程は決まっていると思うので、決まっていないのは泊まる場所だけだと推察するのですが、それにしても若者の特権というか、見知らぬ異国でも思いのまま振る舞おうとする気持ちは純粋で、でもとても危なげです。

しかしその後、南米で若者が行方不明に!などというニュースを聞いていませんから、無事帰国しゲレンデで自営業に戻って仲間にウユニの話でもしているのでしょう。やっぱ、世の中、何とかなるものですね。

*1971年生まれの男性
一人の若者と、ラパスからマイアミに向かう飛行機の、中継地サンタクルスからマイアミまで同席しました。相手の日焼けした顔に驚いたことをきっかけに話しが始まったのですが、20代後半のような若造りの顔をしたおとなしげな好青年が実は1971年生まれで42歳。私が大学を卒業して電機会社に入社したのが1970年ですから、その時は生まれていなかったですね、と言われ、改めて自分の年齢を思い出しました。

一人で世界中を旅行するのが彼の趣味のようです。お土産を買ったというし、昔は商社に勤めていたが今は別の会社で働いていて8連休をとってウユニを中心に観てきたのことでしたから奥さんもお子さんもいるのかもしれません。
日本で往復の飛行機だけ手配し、あとは現地で決める旅行を続けていて、今回は小遣いを入れても25万円程度らしい。私の方はマチュピチュに行ったということもありますが、65万円は使ったでしょうか。お土産代はたった1万円程。

「今までいろいろ回ってどこが一番おもしろかったの?」と極ありきたりの、でも最も関心がある質問をすると「う~ん、ナミビア砂漠かな?」と言います。「実は私もアフリカには興味があって、ブログでナイル川の不思議、って記事投稿したんだけど、ナイル川って世界で最も長くて、最も直線的に北に流れる川なんだよね!ブログでその理由を解き明かしてもいるんだよ!」と言ったら「え!?そうなんですか?ナイル川が?そんなこと一度も考えたことがなかったです。面白い見方ですね。」とこちらの気持ちを汲み取ってくれます。いい男ですねぇ。

ナイル川の話をしていると、彼は源流の近くに行ったことがある、と言います!また驚かされました。でも、そういう人って結構いるんですよね。Google-Earthを見ると、アフリカの奥地でも沢山の投稿写真がみつかります。投稿者は欧米人や豪州人以外に韓国人や中国人もいて、世の中変わってきたなあ、と思います。

「エジプトは政情不安で今は行けないけど、場合によったらキリマンジャロにでも行ってみようかなと思っている。」と言うと「あそこは入山料が高いですよ。ブータンも外国人に対しては1日いくらと滞在費を取ってます。」と教えてくれた。何でもよく知っているなあとまた感心させられました。

私は海外旅行をする時は荷物はいつも少な目で機内持ち込みで済ましてしまうタイプですが、彼の荷物の量は私の70%程度で、これも驚きました。バックパックとキャスターなしの布製手提げバックの合計2個だけです。

英語はペラペラそう。マイアミでは入国審査を一緒にしましたが、場所や手順は既に知っていて、結構ひろくて入り組んだ空港内を迷わず進んでゆきます。また驚かされました。手続きが完了したところでビールでも、と思ったのですが、気を利かせたのか消えてしまいました。
その後、テキサスの空港でも会いました。私のほうは空港に隣接したHyatt-Regency-DFWという豪華な響きのホテルに泊まって一晩過ごし翌朝成田に向かったのですが、彼はターミナル内で一夜を過ごしたはずです。言っていました、いつもそうしていると。

*ラパスの大食堂の妙齢集団
私のホテルの向かいのPresident Hotelの食堂が好いらしい、との情報を今回の旅行をアレンジしてくれた会社の担当者から仕入れていたものですから、夕飯時にさっそく行ってみました。なるほど、16階にあってグルリと巡る窓から素晴らしい夜景を望むことが出来、室内もゆったりした配置です。

広い食堂の中央には妙齢(何歳くらいから妙齢というか知識がないのですが、恐らく55歳以上?)の女性14、5人と男性1人の日本人集団が大きなテーブルを陣取って食事をしているだけで、ほかには客はいません。私は一人でしたから、この集団から離れた、見晴らしの良い窓側の席を選んで座り、久しぶりの厚いミディアムレアに焼いたビーフを注文し、値段(90ボリビアーノだから概略1500円)に含まれているというサラダを肴にしてボリビア産ビールを飲みました。結局、ビール、税金、チップも含めて120Bs(ボリビアーノ)だったのですが、やはりボリビアは貧しい国で、その分物価は安いと思います。
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厚いビーフを半分ほど平らげた時だったでしょうか、「○○さん、誕生日おめでとう!」と甲高い女性の日本語が聞こえました!「ありがとう!」との声に続いて「乾杯!」ときて、その次は「わー、ありがとー!」でしたから、多分名前がチョコレートで書かれたケーキか何かが運び込まれてきたのだと思いますが私は背を向けていたので詳細は判らないのです。

私は女房殿を日本において一人ボリビアまで糸の切れた凧のような頼りなさでやってきましたが、世の中には、亭主殿を日本において、友達と大挙してボリビアまで来られる奥方達もいるのだなあ、私も望みの南米に来ることが出来て幸せだと思っているが、彼女たちは幸せなんか飛び越えてまさに自由を謳歌しているなあ、と思いました。

私の女房殿は私が不在の間はショッピングしまくるような口ぶりでしたが、長年一緒に暮らしてわかっていますが、決してそんなことはせず、いつも通り節約して暮らしているはずです。私が好きなことをするように、女房殿も好きにしていいよ、と言ってあるし、そうすると言ってはいますが、人間の生活習慣というのはなかなか変えがたく、急に贅沢しろと言われてもできないものだと思います。

ボリビアに集まって、偶然でしょうが誕生日を迎えた仲間をレストランで祝うことができる女性たちに「皆さんお幸せそうですね!」と言ってみたい気もしましたが、気障か、嫌味か、なにこの老人は?などと思われるのが落ちでしょうから、何も聞こえていなかったふりをして彼女たちより早めに会計を済ませることにしました。

なお妙齢の女性集団の中の黒一点(?)の私よりたった少しだけ若そうな男の人は、推定ですが、現地駐在中か駐在経験がある商社上りのような洒落た服装で恐らく今回のツアーのコンダクター役だったと思います。しかしうらやましいです、大勢の女性に囲まれて海外の豪華なレストランでディナー、しかも誕生パーティ付きなんていうのは。

*ウユニの男子4人グループ
海外で会う日本人は若い女性のグループの確率がやはり高いですね。多分50%はそうです。男一人、老若男女のカップル、もいますが、若い男4人のグループというのは滅多に出会わないのではないかと個人的には思います。

が、今回、ウユニのホテルで出会いました!チェックインしようとしているとやってきて「ここで水を買えるかなあ?」「あの女の人(ホテルの受付の多分メスチーソ、現地人と欧米人の混血です)に訊いてみたら?」「でも俺、英語下手だから、通じるかなぁ?」「やってみればいいじゃん!」などと大声で言い合っていましたが、結局訊くことはなく、どこかに行ってしましました。
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(ウユニ塩湖から切り出した塩のブロックで出来たホテルの外観と内部です。)
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*マチュピチュの7人女性グループ
クスコに戻る電車で同席した女性と話をしました。国立の医学部の卒業記念で仲間7人で来たとのこと。6年間、大学で勉強し、卒業してから何年か実習を積んで一人前になるのでしょうが、良い女医を目指すなら、タレント業には手を出さぬ方が好いだろうことは、他山の石がありますから理解されているでしょう。

国立医学部の学費は年50万円なんですってね。安いですね。もっとも私は工学部で年2万円(1万2千円?)でしたが、50年程前の話ですからこんなもんでしょう。
私の子供たちは私立の薬学と工学ですが年150万円だったと思います。国立医学部に入ると親孝行ですね。町医者になったとしても、新しい医療技術に目もくれず金もうけだけを考えたりしないよう、結婚したとしても直ぐ医業を放棄して国がつぎ込んだ税金を水泡にしてしまわぬよう、心して医業を全うしてほしいと思います。
ということで、かしこそうな女医の卵さん達に言うことは多くはありませんが、皆の期待を裏切らない好いお医者さんになってほしい、とだけお願いしておきましょう。

6.ペルー人ガイド

クスコからチチカカ湖への観光バスのガイドはいかにもインカの末裔といった顔つきの30代男性で、きれいな英語で判り易い説明をしてくれ、人柄も立派な感じで信頼できそうでした。
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そこで、内々で教えてほしいことがある、と前置きして訊きました。

「インカ帝国を滅ぼし、皇帝を殺し、異教(キリスト教)を強制的に信仰させ、言葉も強要したスペイン人を憎くはないのか?リマ旧市街のアルマス広場のリマ大聖堂にインカ皇帝を斬首した征服者ピサロのお墓まで祀るのはどんな心情からなのか?」

一度ペルーに行けばすぐに気づくことですが、名誉あるインカ帝国の末裔のはずのペルー人の言語はスペイン語、宗教はカソリックです!どの町でも一番きれいな建物は教会。首都リマの旧市街にある大聖堂(お金を払うと内部を見せてもらえる博物館も兼ねてました)にはインカ帝国を滅亡させた征服者フランシスコ・ピサロの棺が祀られているのです。しかし、これは外面を繕っているだけで、心の中では快く思っていないのではないのか?そこの辺りの本音を聞いてみたかったのです、一般論ではなく、実際に影響を被った人の声を。
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下の写真はプーノに向かう途中の町の教会です。石畳が洒落てるでしょ?
外観は控えめですが中の造りは絢爛豪華。撮影は禁止です。
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インカの末裔は教えてくれました。
「スペイン人は憎い。でも人民を忘れて身内で帝位争奪の内戦に現を抜かしていた皇帝やその一族がスペイン人に殺されても涙は出ない。」
「スペイン人征服者はインカの女性と結婚し定着した。だから新しい同朋でもある。」
「私は生まれると自分の意思とは関係なく物心つかぬ内に洗礼を受けてカトリックになった。洗礼は義務だったから当然だ。しかし今は個人の意思で選択できる時代だ。私の子供達には判断できる年齢になったら自分で決めさせてあげたい。だからまだ洗礼を受けていない。」
「私はカソリックだが、古いインカの神々も敬っている。それは太陽、川、山だ。食べ物を与えてくれる大切な神々なのだ。私のようにインカの宗教を信仰する人は今増えつつある。」
凡そ想定していた回答でしたが、インカの宗教への回帰が進んでいるのはどんな理由からなんでしょうか。ルーツに戻って少し見直してみようという心境かと思いますが・・・

イタリア、ギリシャ、フランス、スペイン、には行ったことが無いのですが、イタリア語、ギリシャ語、フランス語、スペイン語、を話す国では英語の道路標識や観光説明パネルをあまり見かけないのではないかと思います。先のフランシスコ・ピサロの棺の説明パネルもスペイン語だけで、英語しか理解できない私には、何の何なのか、さっぱりわかりません。観光ガイドが、ピサロの棺がある、と教えてくれたのでお金を払って大聖堂に入り、探しまわっていたら、数人の韓国人旅行者のガイドが英語で説明しているのを耳にして、これがピサロの棺か!と気付いた次第。

私の邪推かもしれませんが、イタリア語、ギリシャ語、フランス語、スペイン語、を話す人は、自分たちの文化を重視するという気持ちからか、英語より自分たちの言語の方が歴史的にも品格的にも優れているという自負があって、余程で無いと英語など使わないと決めているように思われます。ビジネスマンは日本人なんかよりずっと上手な英語を話すし、外国で会うスペイン人なども英語が上手です、が一般の人はそうでない人が多いような気がします。

しかしわが日本も、高校で日本史を必須科目にとか、道徳の時間を設けようとか、美しい日本をとか、内向きの話が多くなっています。そうすれば、つい数日前に千葉県で起きた24歳の若者の連続4件の殺傷事件、自分を否定する社会への仕返しだと若者は言っているようですが、が減る社会になるのでしょうか。
若者に生きがいを与え、社会に貢献してもらうことが一番で、そのためには、日本史や道徳や美しい日本を義務教育で教え込むより、英語や物理、化学、農業、医療などの知識や技術を習得してもらうことの方がもっと重点を置かれるべきだと思うのは私だけではないでしょう。

どうも人間は困り果てると、外に向かって働きかけるのではなく、内に向かって籠ることで外界との繋がりを弱め自らを美化して満足しようとする傾向があるように思います。多分その方が心が休まるような気がするからでしょうが、決して良い答えは得られないと思います。このままではイタリア、ギリシャ、フランス、スペイン、それに日本も、国際化するビジネスについていけなくなり弱体化してゆくと想定されるので、日本円はオーストラリアドルなど資源も国際性もある通貨に変えて保管することをお勧めします。

それにつけても世界は狭くなりどの国でもグローバル化が重要なテーマなのですから、どんな言語でもよいのですが、世界を繋ぐ言語、これを多用すべきだと思います。現時点では英語が断トツの世界言語と言えるでしょう。マスターできたなら、恐らく世界のどこに行っても、他の言語よりずっと役に立つこと請け合いです。おもてなしの日本人としては、スペイン語を勉強する前にまず英語はマスターしてほしいと思います。
実はかくいう私の薬剤師の娘は一時期スペイン語教室に通っていたようですが、形ばかりだったと悟ったようで今は心を入れ替えて、英語をやるわ、と言っていました。しかし私と同じで飽きっぽい質なので物になるかどうか。

(完)

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チチカカ湖とウユニ塩湖の不思議:補足


お知らせ:
このブログに張り付けておいた写真は手違いで消去してしまいました。
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チチカカ湖とウユニ塩湖の不思議;補足

              2014年3月7日 mystery hunter

筑波の産業技術総合研究所(産総研)の研究者が「リチウム資源探査の最前線:ウユニ塩湖」を2010年6月の地質ニュース670号で発表していました。レポート中の図を中心に簡単に内容をご紹介します。

なお、このレポートは、私が昔勤めていた電機会社の生産技術部の先輩が、私の拙いブログを見てもう少し情報があるよ、と教えてくれたものです。
Pdfで全7ページです。興味のある方は下記URLを参照下さい。
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/2010_06_10.pdf

<産総研レポート「リチウム資源探査の最前線:ウユニ塩湖」抜粋>

第1図:ウユニ塩湖周辺の地質図
        第1図
ボリビアのアルティプラーノ(チチカカ湖~ウユニ塩湖一帯の台地を指すスペイン語で英語ならPlateau;台地)の生い立ちを調べたものです。

これによると、4つの湖(Titicaca,Poopo,Coipasa,Uyuni)は全て「塩湖」です。Wikiではチチカカ、プーノは「湖」でした。しかしチチカカ湖もソルトリッチになりつつあり、ポーポ湖に至っては既に紹介したように塩原も出現し始めています。

第2図:ウユニ塩湖における最上位岩塩層の層厚(m)分布
     第2図
塩湖は、岩塩層と湖沼性堆積物の層が交互に積み重ねられて出来ています。
一番上の層、つまり我々が写真で目にする白い塩原、それが最上位岩塩層です。

塩湖北東で最も厚く、10mです。

突然ですが、ここで不思議な質問です。何故、北東で最も厚いのか?

皆さんは何か思い当たることがありますか?
可能性として雨季に岩塩を溶かして流れ下る雨水の河口がこの辺りにある、とも考えられますが・・・
ポーポ湖が雨季にオーバーフローして流れ込む川の河口はもう少し北に寄っていると思うので・・・

やはり判りません。いっそのこと産総研の研究者に質問メールして!?

第3図:ウユニ塩湖のリチウム濃度平面分布図
     第3図
塩湖表面の岩塩(塩の層)に含まれる液体(かん水、と呼ぶようです)1リットル中に含まれるリチウムの量(グラム)の分布です。

南東に最大値(2.0)が現れています。
そこには第2図で示されているようにグランデ川(Rio Grande)があります。


物の本によればリチウムはウユニ塩湖の南方の火山から噴出する岩石に多く含まれているようで、そこに水源を持つグランデ川が運んでくると考えれば、グランデ川河口に近い程リチウムが多い、というのも頷けます。

第5図:深度別かん水中のリチウム濃度変化分布図とウユニ塩湖中央の模式的柱状図
第5図
タイトルから判るように塩湖の真ん中でボーリング調査した結果です。

湖底までの深さは121メートル!表面から湖底まで12の岩塩層があり、岩塩層と岩塩層の間に湖沼性堆積物が挟まって多層構造を形成しています。岩塩層中の液体(かん水)のリチウム濃度は小さな正方形の「点」で図示されています。
柱状図から、湖底に近い程、つまり古い時代ほど岩塩層が厚くなっています。
湖沼性堆積物が出来た時期は、チチカカ湖方面からの塩水の流入が多かったと考えられます。

第6図はご参考として掲載しました。解説は少々面倒なので省略させて頂きます。

第7図:ボリビアのアルティプラーノの南北模式断面図
第7図
私のブログの解答篇から引用したのでは!と思われるような図です!!?

勿論そうではありません。岩塩層と湖沼性堆積物の重なり具合とこれらの層が形成された年代を調べてゆくと、時代と共にチチカカ湖の湖面が低下し、逆にウユニ塩湖の湖面は隆起していることを示しているようです。チチカカ湖の湖面が低下するとその分の水がウユニに流れ込んでいることになり、ウユニのリチウムやカリウムなどが希釈され、その後乾燥して逆に濃縮する(?)という複雑なサイクルを繰り返し今に至っているとのことのようです。
(なんのことか理解できていません!が、とりあえず記事から抜粋してみました。)

実はこれらのデータは日本が現地調査したものではなく、全て海外のレポートからの引用です。第1図はFlicker et al.,2005とあり、他は図のタイトルに付記されています。

以前、ブログで紹介しましたが、ボリビア政府が外国資本を排斥したため、ウユニ塩湖に関する調査や塩・リチウムなどの資源開発はほとんど停止してしまい、塩湖周辺には目立った産業はありません。
現金収入の道は恐らく観光業だけでしょう。勿論、農業や牧畜(リャマ、アルパカ、ビクーニャなど)もやってはいるのでしょうが、乾いた砂地で、塩も多く、植物や野菜の生育には不向きだと思われるので十分な収穫もなく、牧畜も動物の食糧となる草が少ないので規模が小さく、現金収入の道とはなりえないはずです。そのためでしょうが多くの住民は質素な暮しをしています。にもかかわらず、生活環境が大きく変わることへの拒否反応で産業誘致や観光業の拡大には反対らしく、私のガイド(実はよそ者で、ウユニに単身赴任の出稼ぎに来て3ヶ月とのことでした)は、ラスベガスのように賭博場を誘致して一気に巻き返すという妄想を披露してくれました。砂漠の歓楽都市ベガスと不毛の荒野の町ウユニを同じ境遇と捉えた思い付きだと推察します。

(補足:完)

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A航空の不思議


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A航空の不思議

              3月4日  Mystery Hunter

2014年2月、南米のマチュピチュ、ウユニ塩湖などを訪れた時に搭乗したA航空の飛行機に関するお話です。

行きは成田⇒ダラスダラス⇒リマ、帰りはラパス(⇒サンタクルス中継)⇒マイアミマイアミ⇒ダラスダラス⇒成田、と計5回、飛行機を替えて移動しました。
全てA航空です。
(ペルー/ボリビア内は地元の飛行機でA航空ではありません。)

1)成田のチェックイン

成田のA航空カウンター前に出来た列に並ぶと、まず、カウンターから4,5m離れた処に2,3台並んでいる自動チェックイン機でチェックインをさせられました。

液晶画面にタッチして入力するのですが英語版と日本語版があり、当然ですが日本語版でトライ。しかし、便名(A***)の入力画面でEチケットの便番号(***)を入力しても前に進みません!英語版で試しても同じ結果です。近くに待機していた、私のような人を助けてくれるスタッフが来てくれ、一緒に手続きをしました。するとスーパーのレジでもらうレシートのような紙が出て、それを持ってチェックインカウンターに進み、パスポートや手荷物を見せたりしてチェックインし、やっとボーディングチケットを手に入れたのです!

何のために自動機で入力作業したのか?チェックイン機ではなかったのか?
今でも判りません。

2)ダラス⇒リマ

全員が搭乗を終えハッチが閉まると、飛行機はボーディング・ブリッジを離れてランウエイ(滑走路)に向かい滑り出しました。そろそろテイク・オフ(離陸)かな?というタイミングで機内アナウンスが流れます。

「当機は‘re-fuel’のため一旦戻ります!」

‘Re-fuel’つまり‘燃料再詰め込み’です。タンクが空のまま5時間のフライトに飛び立とうとしていたのです!空港ビルに戻り、燃料を詰め込んで離陸したのは予定時刻の2時間半後でした。

‘re-fuel’アナウンスが流れた時は機内に一瞬不思議な静寂が訪れ、続いてあちらこちらで失笑が漏れました。

もし離陸後に気づいたとすると近場の飛行場に緊急着陸し、燃料を詰め直して再出発でしょうから、リマ到着は6時間以上遅れたに違いありません。旅の全日程の変更が必要になる人も出たでしょう。離陸前に気づいてくれたのはラッキーでした。

ここで一息いれましょう。ウユニ塩湖で撮影した写真です。
ガイドとドライバーがランチのテーブルを準備してくれました。
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メニューはビーフ、茹でたジャガイモ、パスタ。飲み物はコーラとワイン。
私の好物ばかりで楽しいピクニックになりました。
ガイドもドライバーも好い人でした。

3)機内のオーディオ・ビデオ機器

機器が正常だったのは最初の成田⇒ダラスの1便だけ。他の4便はrefuel問題のあった機も含めてダメでした!

チーフパーサー(?)はその都度しきりに復旧に努めてくれたようですが「対応中です。暫くご辛抱ください。」と何度かアナウンスの後、諦めたようです。

特記すべきは、帰りのダラス⇒成田のオーディオ・ビデオ機器です。
機内の天井に組み込まれたプロジェクターで中央正面の壁に貼られた白いスクリーンに映しだす方式です。乱気流で飛行機が揺れるたび天井でプロジェクターがギシギシと重そうな音を立てます。その下に座っている人は落ちてこないかさぞ心配していたことでしょう。

音楽や映画は全くダメでしたがフライトプランは中央の大型スクリーンに映し出されていました。でも、刻々と映し出される現在位置、巡航速度、地図上の地名、の表記に使われている漢字や片仮名は10年以上前のものと思われる古めかしいフォントでした。
一方、私の目の前の背もたれに組み込まれた小さな液晶画面では‘プログラムをダウンロード中’の英語が離陸から着陸までズーと出っ放し。

オーディオ・ビデオ機器や映像ソフトはかなり旧式ではないか、と見ました。恐らく修理は不可能でしょう。同じ機体が再び成田からアメリカに飛び立つのでしょうが乗客になられる皆さんはお気の毒様です。

なお、マイアミ⇒ダラスでは通路を挟んで隣の席に、タブレット型パソコンをしきりに操作する若いアメリカ人男性が座りました。離陸して暫くすると「ネットが繋がらない!」と傲慢な態度でスチュワーデス(ではないですね、キャビンアテンダントです)に噛みつき始めました。3時間位はネットなしでも我慢すればいいではないか!と思いましたが、機内でネットを使うためのお金を払ってあるのにどうしてくれるのだ!とも言っていました。もしかすると、その前に乗った便でもネットが使えず、溜まった不満をぶちまけたのかも知れません。

払ったお金はきっと返してもらえるはずです。でも申告の手間がね、問題です。

4)ダラス⇒成田、&全般

成田への帰国便で私の隣に座ったアメリカ人(A氏としておきます)は、100匹のヒツジと7匹の犬がいる牧場をテキサスに持っていて、不在時は召使に管理させ、シンガポール、クアラルンプールで薬の買付け販売をしているとのことでした。
フィリピン人の妻と子供とは既に別れ、今は仕事一筋。2ケ月に1,2回は出張し、その都度2,3週間を東南アジアで過ごしているとのこと。
そのA氏の指摘で私も「そう言われると!」と気付きました。

「年寄のキャビンアテンダントばっかりだろ!?」

日本、韓国、中国、東南アジアなどの航空会社では若くて美人で(一部には中年の、普通の方もおられますが)笑顔も美しい(セクハラだ!と言われそうなのでもうやめます!)、いわゆる三拍子そろったキャビンアテンダントが多いのですが、A航空では三拍子全てに欠けた方々が結構多いのです!
過酷な生存競争の中で、低賃金で雇えるキャビンアテンダントを選りすぐり経費を節約しているのでは?と邪推しました。としたら笑顔が少ないのも頷けます。

ここでまた一息。ウユニ塩湖のトリック写真です。
一面の白で遠近感が喪失することを利用しています。
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5)ダラス⇒成田

機内で病人が出ました!おかげで成田着陸では優先されたようですが。

「アスピリンのような薬を持っている方はお申し出てください!」
とのアナウンスが機内に流れると隣のA氏がまた私に囁きました。

「ファーストエイドキットも常備していない!どうなっていると思う?」

キャビンアテンダントについてのコメントをもらい、私にも少し考えるところがあったものですから「Poor managementのせいなのでは?」と、思わず根拠もない無責任な批評をしてしまいました。

以上がA航空の5つの不思議です。

他の飛行機では、このような不思議が5つも重なることはないでしょう。顧客サービスを忘れたコスト優先経営ではいずれ破綻するのでは?と他人事ながら心配になりました。人の命がかかっているので安全だけは確保してほしいものです。

まず入れ替えるべきはオーディオ・ビデオ機器ではなく、マネージメントの頭の中でしょう。経営トップは現場に出て実情を知るべきです!(エッヘン!)

最後にご紹介する写真はウユニ湖畔の乾いた畑で栽培されていたキヌアです。
熟すと赤くなり、小さな実がつきます。宇宙食に使われて有名になり価格が高沸して以降、地元の人は簡単に買えなくなりました。昔からの主食穀物の一つでスープにしたりして食します。日本でブームになったことがある、と知人が言っていました。
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なお2月はまだ雨季で、私は気づかなかったのですが夜中に雨が降ったようです。やはり水が無いと植物は育ちませんよね。

ウユニ地方の気温差は朝晩で20度もあります!昼の日差しは強く、塩湖に出ると1日で顔は真っ黒!帰国後、知人に原住民のようだと皮肉られましたが、皆さんも行かれる時は日焼けにはご注意下さい。日焼け止めクリーム、サングラスは必須です。が、サングラスはメガネザルのような、逆パンダのような顔を造る可能性があるので使い方は要注意かも知れません。

次回は現地で出会った人々をテーマに投稿します。

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