Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ローマ帝国の不思議/宇宙考古学


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ローマ帝国の不思議         2014年4月 my: mystery hunter
BBC Documentary 2013「Rome’s Hidden Secrets」(ローマの隠された秘密)の紹介です。

その前に例によって立夏の漢詩をご紹介しましょう。
 登科後 孟郊
   昔日齷齪不足誇 昔日(せきじつ)の齷齪(あくそく)誇りに足ら不(ず)
   今朝放蕩思無涯 今朝(こんちょう)放蕩として思い涯(は)て無し
   春風得意馬蹄疾 春風意(しゅんぷうい)を得て馬蹄疾(ばていはや)し
   一日看尽長安花 一日看(み)尽くす長安の花

 むかし、あくせくしていたことは自慢にはならない
 今朝は合格発表心伸び伸び嬉しさ極まりない。
 春風は徳満面ひずめの音も軽やかにする
 今日一日は見尽くせる長安の花を

科挙の試験に何度も落第し、46歳になってやっと合格した作者の嬉しさを表している。昨日まで、きっと肩身の狭い思いをしていたはずである。得意満面、同じ春風も、ひずめの音も、違っている。とくに、長安の王侯貴族の庭は合格者には無礼講。長安の都はボタンの花でいっぱい。作者孟郊は手ばなしに喜んだ。
(mh:漢詩と解説はネットからコピーしました。この詩は昔、NHK教育TVの漢詩で紹介されていました。科挙の試験に受かると、馬車を駆って長安中を走り廻り、誰の家の庭であろうと許可を得ずに入って牡丹の花を観賞する権利が与えられていたのです。粋ですねぇ。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ローマ帝国。最盛期はヨーロッパ、アフリカ北部、中近東に5百万平方マイル(mh:日本国土面積の34倍、中華人民共和国の1.3倍)の領土を持ち、歴史の中で氷漬けされ(frozen in time)、世界で最も長い間に渡ってこの地球を支配した。

帝国の維持を可能にしたものは何だろう?その秘密を探す旅にでかけよう。
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ローマ帝国の秘密探索の旅はアメリカ南部から始まる。
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アラバマ大学の助教授Sarah Parcak(サラ・パルカック)は、昼は大学で講義をする。
しかし夜は別だ。
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Sarahは新しい科学分野「宇宙考古学」のパイオニアだ!
500マイル(800km)上空を飛ぶ高解像度カメラ、赤外線カメラを備えた軍事衛星のデータを解析して地上の遺跡などを見つけ出す。直径1m以上のものなら検知可能だ。
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1年前、エジプトに12百もの寺院、墓、ピラミッドを探し出すという快挙を挙げた。
(mh:このフィルムは見つかりません!BBC記事は見つかりました。これによると赤外線カメラは地面に埋もれている異物をハイライト(強調抽出)できるようです!例えば地中のレンガは周辺の土壌と密度が異なるので赤外線分析で検出できるとのこと。)
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Sarahは、この新しい技術を駆使してローマの秘密を解き明かそうとしている。しかし今度は難しい。ローマ帝国はエジプトの6倍の面積がある。
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Sarahの活躍を紹介しよう。プレゼンテーター(Broadcaster)はDan Snow(ダン・スノウ)。
(下の写真:右端がDan Snow,左端がSarah Parcak)
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(mh:ローマ帝国についてmh流に簡単に説明します。
世界で最も長く続いた帝国で、東西に分かれた時期もあり、その歴史は複雑だ。
アウグストゥスが初代皇帝になった紀元前27年、ローマを首都に帝国が誕生。
1453年コンスタンティノポリス(⇒ビザンチン⇒現イスタンブール)を首都としていた東ローマ帝国がオスマン帝国の攻撃で滅亡し、帝国は終焉した。都市ローマは一時的に首都ではない時期もあったが、帝国の最も重要な町として存在し続け現在に至っている。)

(下:ローマの港ポータスにあったと思われる灯台のCGとフィルムのタイトル画面)
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少なくとも6千万以上はいた人民をわずか30万人の軍が管理したローマ帝国。ローマ軍は当時最も精鋭な軍隊だったが、こんなに少ない軍でどうして広い帝国を統括できたのだろう?

帝国の首都ローマの西にポータス(Portus)という港があった。帝国中から集められた食糧、嗜好品、日常用品、大理石などの建材は船でポータスに運ばれ、一旦荷揚げされて小舟に移し替えられ、ティベル川を伝ってローマに運ばれていたと考えられている。ポータスには150艘の船が停泊できた。
(mh: Google-Earthによればローマからポータスまで22kmです。)
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(mh:ポータスから海岸線まで3.3km。昔は海岸線はもっと近くにありました。)
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Sarah とDanはまずローマに飛んだ。
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エンジン付ボートに乗り換えてティベル川を下り、手漕ぎボートで‘失われた宝石’と呼ばれるポータスに向かった。
広大な領土を管理した手法を解き明かすヒントが見つかるかもしれない。
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(ポータスへの入り口)           (六角形のポータス)

ローマには1百万の人々が暮らしていた。ポータスは、市民の暮しに必要な物資を帝国中からローマに運び入れる拠点だった。
しかし、どのように機能していたかについては不透明なことも多い。Sarahの技術がこれを解き明かしてくれる可能性がある。運河や灯台などの遺跡が見つかれば大きな進展だ。
(下4枚の写真はポータスのCGです。)
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Sarahの懸命な努力にもかかわらず、衛星データから新たな事実は見つからなかった。
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そこでひとまずポータスを離れ、2世紀に重要な軍事拠点だったトランシルバニア(現ルーマニア)に移動した。ローマ軍と蛮族が最も激しく戦った所だ。
(Google-Earth:セルビアとルーマニアの国境の黄色ピンマークで戦があった。)
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川幅1マイル(1.6km)のダニューブ川(ドナウ川)の畔にはローマ軍に敗北し自ら命を絶った蛮族の長デケバルス(Decebal/Decebalus:?~106年)の顔が彫られた岩もある。
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デケバルスを打ち破ったローマ軍は蛮族の国サルミを征服しダニューブ川に全長1マイルの橋を2年間で造ると更に東征を進めた。その橋は、当時、世界で一番長く、ローマ帝国の歴史の中でも最も大きな建築物の一つだ。
川底を調べると橋の基礎が残っていた!
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占領したサルミには、管理や蛮族の侵入への備えのため5百人の軍隊を残した。しかし、たった5百人で、どのように防御し管理できたのだろうか?

その痕跡を求めて小型飛行機で上空から探索した。
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GPS(全地球測位システム)と今回新たに準備した距離計測装置を使う。
距離計測装置は異なる2つのパルスビームで樹木で覆われた土地の表面の凹凸を測定するもので、GPSデータと組み合わせれば木々や家などを消去した地表の三次元地図を描くことが出来る。
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データを分析したら森(下左)の場所に溝(下右)を発見した。砦の跡ではなかろうか?
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考古学者と一緒に現地を調べたら人工的な溝が確認できた!
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砦の堀の跡に違いない!軍事キャンプがあったのだ。800人の補強場所も準備されている!
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2か月後、ローマの港ポータスのデータから、ある痕跡が見つかった!

ポータスは地中海を走る大きな船が着く港で、そこで貨物は小舟に移し替えられ、ティベル川を遡ってローマに運ばれたと考えられている。
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しかしティベル川には船の移動を妨げるいくつかのボトルネック点があって沢山の小舟が移動するには問題が多すぎると思われていた。
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Sarahはティベル川の東岸近くに長さ20~30m、幅5mくらいの溝が隠れているのを発見した。考古学者に見てもらうと、運河の可能性があるという!
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そこで現場を調査したら、やはり運河の跡と思われることが確認できた。
Sarahの運河はティベル川に沿って真っすぐローマまで延びていた。小舟は直線的に効率よく行き来して貨物を搬送していたのだ。
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2千年前、精鋭な軍隊で名を馳せたローマ帝国は、帝国内の多くの場所に港や運河や道路などの公共施設を造り民衆の生活を支える事業を進めていたのだ。帝国の管理も容易になる。

ローマ帝国の統括の様子を更に調べるためアラビアの現ヨルダンに飛んだ。
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何故ローマ帝国はこの地まで勢力を拡大してきたのか?目的はペトラの獲得だ。
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ピンクの薔薇と呼ばれる世界で最も美しい都市の一つペトラはナバディアと呼ばれる小国の首都だった。紅海とシリアを結ぶルートの途中の町だったこともあり、商業、税金や関税、で利益を得て繁栄していた。ローマはその富を狙って侵攻したのだ。
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ローマ軍がペトラに入った時、トランシルバニアの時のような大きな抵抗は受けなかった。多分、ペトラの住民がトランシルバニアの蛮族と違って、商取引の体験から知的だったからだ。ローマ軍に保護してもらえれば安心して商売で利益を上げられる!平和と繁栄が維持できる!

ペトラ周辺の衛星データを調べると、ペトラから10km四方に新たに50個の廃墟の跡らしきものが見つかった。
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現地を調べてみた。農家の跡のようだ。陶器の破片も見つかった。人が住んでいたのだ。
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(下の右左の図はCGです)
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オリーブや穀物を栽培して繁栄していた。平和と繁栄をもたらすローマ帝国の庇護の下で住民は抵抗する気も失せていたのだ。

ここでもう一度考えてみよう。
 どのようにしてローマは広い帝国を管理したのか?僅かな軍隊で。
その答えは多分「協力」(Co-operation)だ。
 ローマは精鋭軍で蛮族から住民を保護し平安と秩序をもたらした。
 ローマ帝国に従属することで住民は繁栄と幸福を得たのだ、少なくともペトラでは。

衛星データからポータス港の近くに新たな痕跡が見つかった、畑の中に!
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円形競技場(amphitheater)のようだ!
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ローマに有名なコロシアムがある。5万人の聴衆を収容出来た。演劇、会議、剣闘士(Gladiator)の剣戟(けんげき)などが行われ、市民に娯楽とバイオレンスという相反する2つのものを提供していた。つまりコロシアムは完璧な管理と恐ろしい暴力の象徴とも言える。このパワフルな組み合わせは帝国の維持に有効だった。

このようなコロシアムが帝国内の多くの場所に造られていたことは遺跡からも明らかだ。そのコロシアムがポータスにもあったのだ。
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(上の写真は二つともローマの現在のコロシアムのものです。)

ポータスでの発掘は今も続いている。
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そこには幅200m、高さ14mの軍艦造船所があった。
(CGです。)
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というところで1時間1分40秒のフィルムは突然終わっています!多分Youtubeへの投稿時に手違いがあったのだと思います。続編が見つかりませんが、フィルムの大半は観終えたと思いますので今回はこれで終わりにさせて頂きます。

本編の詳細は下記でお楽しみください。

mh;Youtubeのフィルムがブロックされてしまいました!
「この動画には BBC Worldwide さんのコンテンツが含まれているため、著作権上の問題で権利所有者によりブロックされています」

Sarahが発見したエジプトの遺跡に関するBBCの記事URL(2011/05/24)は次の通りです。
http://www.bbc.com/news/world-13522957
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その中にある1分程度のフィルムでSarahが地中に隠れていた古代エジプトの首都タニスの街並みを紹介しています。カイロより地中海側の場所で見つけたようです。
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(完)

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レンソイスの不思議


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レンソイス・マラニェンセスの不思議
                 2014年4月  Mystery Hunter
今回はYoutubeで見つけたNHKの英語番組から紹介しましょう。
      NHK - Nature Wonder Land: Fish Springing from Sand Dunes
        (NHK:自然の不思議:砂漠から飛び出た魚)
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NHK「ダーウィンが行く」で放映されたと思いますので見た人もいるのではないでしょうか。

ブラジルの東海岸の赤道直下、石英の粒だけで出来た砂が光を乱反射する、世界で最も白い砂漠があります。雨季はラグーン(lagoon;潟)が出現し、そこには何処からともなく現れる亀やカエルや魚が生息するのですが、ラグーンが消滅する乾季は何処へともなく消えていってしまうのです。

何処から出てきて何処に行ってしまうのでしょう?

それは見てのお楽しみ!
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(写真:いずれも番組映像からコピーしました。)

英語のナレーションはヒアリングの勉強と思って聞きながら美しい映像をお楽しみください。

ご参考に私が気付いたいくつかのキーワードを紹介しておきます。
Lençóis Maranhenses レンソイス・マラニェンセス国立公園
           (ポルトガル語で「マラニェン州のシーツ」の意)
equatorial エクアトーリアル 赤道の
lagoon ラグーン 潟(かた、池や沼、小さな湖など)
dry season ドゥライシーズン 乾季
rainny season レイニーシーズン 雨季
Fish appears from nowhere. フィッシュ・アピアーズ・フロム・ノーウェア
            魚が何処からともなく現れる。
mist ミスツ 靄(もや)・・・風で舞う砂が靄のように見える、と言ってます。
dune デューン  砂漠
clay layer クレイ・レイアー 粘土の層
transparent トランスペァレンツ 透明な
crystal クリスタル 結晶
quartz クヲーツ 石英
tortoise タゥータス 亀(turtle(タートルの同義語)、レンソイス固有種だと言ってます)
frog  フロッグ  カエル
レンソイス固有種で大きさ2cm。世界でもっとも小さい、食料が少ないので育たなかった、天敵も少ないので生き延びている、と言ってます。
There are some theories: ゼアラーサムセオリーズ:幾つか説がある。
レンソイスの研究は始まったばかりで魚が乾季はどうしているか判っていない、2つの説があり、一つは乾季でも水が残るラグーンがあってそこで生き延びる、もう一つは、乾季はみんな死んでしまうが、卵は地下の粘土層の上の水を多く含んだ砂の中で生き延び、雨季に孵って魚になる、という説です。
10種類以上の魚がいて3cmの魚から20cmの熱帯魚もいるといってます。
mh:乾季の半年の間に卵から20cmの魚に成長するとしたらすごいですね、餌も少ないラグーンですから!
oasises オエィシズ オアシス(の複数形)。2つあって森に囲まれ住人がいます。
village/villager ヴィレッジ/ヴィレッジャー 村/村人
男の村人はレンソイスを2時間かけて横切って海で家族2日分の魚を採り2時間かけて帰ります。また2日後に海に来るのです。ラグーンの魚は非常時用で普段は採らないのです。
mh:一年の半分は休み、半分は海で魚を採って暮らす!ビールがあれば最高の人生ですねぇ!
migrating birds マイグレイティング・バーズ 渡り鳥(複数)
large-billed tern ラージビルドゥ・ターン 大ハシ・アジサシ(と言う名の鳥です)
tadpole タドポー おたまじゃくし
hatched ハッチトゥ 孵化した(過去形)
frantically フランティカリー 必死に

それではNHKがフィルムを消去する前に早めにご鑑賞ください。


実は次回のブログ(28日公開します)「ローマ帝国の秘密」もYoutubeからの紹介記事ですがBBCが消去したのでフィルムは見れなくなっています!残念!
まさか私が何度も繰り返して見たのでBBCが気づいて消去した、ということは無いと思いますが。

なおNHKのアーカイブをネットでざっ~と見ると、予告編は無料ですが本編は有料が多いのでレンソイスの不思議も英語版しかないと思われます。

(完)

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青天蓋モスクの不思議:ウズベキスタン


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青天蓋モスクの不思議:ウズベキスタン

                   2014年4月 Mystery Hunter
6月、ウズベキスタンに行くことに決めました。東京から直線距離6400kmの国で首都タシケントには成田から直行便が飛んでいます。
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いくつかあるシルクロードの最北ルートが長安、烏魯木斉、イシククル湖、を経由してこの国の都市サマルカンドを通り、ローマに続いているのです。

サマルカンドといえば中国、インド、ペルシャ、トルコ、ロシアなど、東西南北から行商人が集まって交易した町で、文化交差路の枕詞付きで呼ばれるシルクロードで重要な拠点でした。

今回は4つの世界遺産の町(ヒバ、ブハラ、サマルカンド、タシケント)を巡ります。そこには必ずモスクが有ります。それも調べてみると青天蓋のモスクが多いのです!
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青天蓋モスクについては、多くの疑問が浮かびます。
1.イスラム教が布教される前はどんな宗教だったのか?
  8世紀にアラブ人が侵攻してイスラム化が進んだようですが、その前はどんな宗教だったのでしょうか?インカ帝国と同じように太陽・山・川・湖などが信仰対象だったのでしょうか?

2.当初から青天蓋モスクが多かったのか?
  青天蓋でなく土色のレンガそのものの天蓋モスクも沢山あります。
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が、青天蓋は土色のレンガの街並みの中で空を背景に映えて浮かび上がります。

1220年、当時の都ヒバは成吉思汗によって完全に破壊されましたが、150年後、英雄ティムールがサマルカンドに都を移し、青天蓋のモスクも造られ、今に至っているようです。

3.何故青なのか?
  宗教的な意味があるのか?単なる美的感覚からなのか?それとも・・・

4.レンガの造り方:どんな型(モールド)を使うのか?
  レンガと天蓋サイズの関係は?レンガを使わずに造ることも多いのか?

5.レンガの固め方は?
  日干しなのか?焼き固めるのか?それとも初めから石を使うのか?

6.レンガの現地への搬送方法は?
  特に上に持ち上げる方法。ロープだと思うが・・・建築状況のスケッチがないか?

7.ドーム形状に組み立てる手順は?
  足場を組んで、外側から、下から、丸く一層ずつ組み上げてゆくのか?

8.レンガの隙間はどうするのか?
  レンガを削る?接着剤を塗り込む?雨は元々少ないところだから隙間は気にしないのか?しかし水がしみ込むと天井壁画などが劣化してしまうから隙間は埋められているはずだが・・・

9.どんな方法で青い色が付けられているのか?
  青い塗料をレンガに塗って日干しにするか焼き固めるのだと思うが青の原料は何か?
ラピスラズリまたは類似の青い石を原石のまま使っていることはないはずだが・・
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ラピスラズリ (lapis lazuli) :
方ソーダ石グループの青金石(ラズライト)を主成分とする。和名は瑠璃(るり)。ラピスはラテン語で「石」 (Lapis)、ラズリはアラビア語で「群青の空の色」を意味する。ラテン語では「lazhward(天・空・青)の石 (lapis)」となる。

青の塗料といえばフェルメールの「真珠の首飾りをした少女」(青いターバンの少女)が有名だ。ラピスラズリを使った絵具のはずだが・・・
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ラピスラズリは希少なので、石そのものをドームの材料とせず、粉末で塗料として使った可能性はあるが、ドームの面積は広く消費量が多いので金がかかり過ぎる。よってもっと安く手に入る材料が使われたはずだが・・・
青タイルは昔からアラブで造られているから同じ手法だと思うが・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いずれの質問の解答もありきたりなのかもしれませんが、ひょっとすると不思議が潜んでいる可能性もあります。青がドームの色として好まれているのにも理由があるはずです。お釈迦様も仰っているように因果応報、原因があってこその結果ですから。

そこで、現地で可能な限り情報を入手して、帰国後、皆さんにご紹介したいと考えています。
ドームの建築方法はイスラム教と一緒に伝播したと思われるのでイスラム世界共通の方法や材料が使われている可能性も高いと思いますがウズベキスタンでは青天蓋が他の国よりも多いような気もします。固有の理由が隠れているかも知れません。

ドームと言えばイタリア・フィレンツェのサンタマリア大聖堂も有名です。
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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂: Cattedrale di Santa Maria del Fiore
ドームは1420年に建設が開始され、1434年に頂頭部の円環が閉じられて一応の完成をみたとWikiにあります。木の仮枠を組まずに作られた世界で最初のドームで建設当時世界最大だったようです。キリスト教にドームの教会があるんですね!

実はサンタ・マリア大聖堂のドームは2重構造になっているのです。外から見える八角形の屋根はコンクリートで作られているようです。この内側に第二のドームがあります。2つのドームの間には人が立って歩ける広い半球状の空間があります。この空間をレポーターと専門家とカメラマンの3人が普通に歩きながら内部を撮影し紹介したTV番組を見た記憶があります。

内側のドームを建物の中からみた次の写真を見ると外側と同様に八角形のようです。
表面の絵は「最後の審判」です。
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<最後の審判>Last Judgement
キリスト教には、世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、あらゆる死者を甦らせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分けるという話があるようです。仏教の話で、地獄で閻魔様が善人と悪人を分ける作業と同じですね。閻魔は死んだら直ぐに裁くはずですが、キリストは世界の終末にみんな死んでしまってから、それまでに死んだ全ての人を一気に裁くようですから、何人を裁くことになるのか想像もつきませんが、大変な作業です。仏教徒も裁いてくれるんでしょうかねぇ。

蛇足ですが、2月の南米旅行で立ち寄ったペルーの田舎町の教会にも壁に大きく最後の審判が描かれていましたので教会壁画としてはポピュラーなようです。

トルコ・イスタンブールには有名なアヤソフィアがあります。円天井です。
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東ローマ帝国時代に建設され何度かの火災や震災の後、西暦994年頃の修復で現在の形のドームになったようです。勿論キリスト教会として完成しました。しかし1453年、オスマントルコに征服され、モスクになりました。

内部はイスラム文様に改装されたのですが、キリスト教徒の絵があまりに見事だったので一部は残ることになり、特に御子を抱いた聖母マリアの絵は観光の目玉になっているようです。
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バチカン教皇庁にあるセント・ピータ大聖堂(サン・ピエトロ大聖堂、イタリア語:Basilica di San Pietro in Vaticano)の創建は4世紀。現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したものですがドーム型です。
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しかし創立当時はドームではなかったようです。
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旧サン・ピエトロ大聖堂復元図

ドーム型の屋根が現れたのはいつ頃か?キリスト教とイスラム教のどちらが早くドームを使い始めたのか?キリスト教はイスラム教より6百年早く生まれたのですから最初は尖塔型の教会で、後にドーム型も現れ始めたのかも知れません、モスクの影響を受けて。
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上:ドイツ・ケルンの大聖堂Cologne - UNESCO World Heritage - River Rhine, Hohenzollernbrücke , the Dom Cathedral of Cologne – Germany

ドーム(丸天蓋)の造り方は様々なようですが、今回の不思議な質問はウズベキスタンの青天蓋ドームに限定し、その解答を探す、ということにさせて頂きますのでご了承下さい。

こうしていろいろウズベキスタンの関連事項を調べていると異国情緒にあふれる国のように思えてきて段々と期待感は高まってきます!
大好きなビールについても確認しましたが、地産ビールが見つかりました!他にも数ブランドありました。旅行先でビールを飲む!これも楽しみの一つです。
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ビールと言えば既報「ビールの不思議」で私が第三のビールを毎週2缶飲んでいると書いたのを見た私のブロトモから、私なんか毎日2缶、サントリーのプレミアモルツを飲んでいる、と言ってきました!ベルギーでも沢山飲んだとも言ってました。
しかし、毎日2缶も飲むなんて、ありがたみと味の深みが薄れて水みたいになってるはずです、きっと。
なんでも節度というものが重要なことはお釈迦様も言ってました、つまり中庸が大事だと。
とはいえ、私もウズベキスタンで水みたいにビールを飲んでみたいです。
(完)

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ビールの不思議な質問


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ビールの不思議
             2014年4月  Mystery Hunter
1.いつ頃、どこで生まれたのか?
2.造り方は?
3.種類は?
4.泡はどんな原理で造られるのか?
5.銘柄はどんなものがあるか?
6.グラスにはどんな種類があるか?
7.何故おつまみと一緒に飲まれることが多いのか?

私の大好きなビールですから不思議な質問が盛り沢山です!
長いブログになりますので、答えは簡素に纏めるよう努力してみます。

その前に、時期が遅くなってしまいましたが、春とお酒を詠った漢詩を一つご紹介しましょう。
清明 杜牧
   淸明時節雨紛紛   清明の時節 雨 紛々
   路上行人欲斷魂   路上の行人 魂を断たんと欲す
   借問酒家何處有   借問す 酒家は何処に有る
   牧童遙指杏花村   牧童 遥かに指す 杏花村
私もこの行人(旅人)みたいに杏の花が咲く桃源郷でビールを飲みながら長閑な風景を満喫したいものです。

<1.いつ頃、どこで生まれたのか?>

全ての穀物は空気中の酵母で自然発酵しビールに成り得えますので、知らないうちにビールが出来て飲まれていた、ということは世界のあちこちであったと想定されますが、これらはさておき、意図をもってビールが造られた事が記録で残っている有名な場所はエジプトとメソポタミアです。

古代ビールは、正確にはエール(Ale;上面発酵ビール。種類の項参照)ですが、紀元前5千年の古代エジプト、メソポタミアで製造されています。

下の写真の陶器はAlulu(Aleの語源?)の受領書で紀元前2050年の古代イラクのものです。表面に楔形文字で内容が記されています。
        beer101.png

陶器の内表面の化学分析の結果、7千年前の現イランで多分世界で最も早くバイオ化学処理によりビールが意図的に製造されていたことが判っています。

古代メソポタミアで‘醸造は尊敬される職業で主に女が行っていた’と記された粘土板が見つかっています。Ninkasiというビール製造を司る女神から許可を得た神聖な仕事だったようです。
2度焼きの大麦パン(bappirと呼ばれる)が醸造専用で使われていました。今ならパンでなく大麦そのもの(麦芽)を使います。

紀元前2500年、シリアでビールを造っていたと記されたレンガ板も見つかっています。

バビロニア(現在のイラク中・南部とクエート)ではビール醸造の証拠が見つかっています。当時、醸造は主に女祈祷師(巫女)の仕事で、ある種のビールなどは宗教儀式専用だったようです。
紀元前2100年、バビロン王ハンムラビは王国の法律「ハンムラビ法典」に居酒屋の管理規定を盛り込んでいます。
    beer102.png
ハンムラビ法典が台座及び裏側に楔形文字で記された石(大きさ不明)

  beer103.png
   台座の拡大写真

エジプトでもパラオが5千年前から飲んでいました。焼かれた大麦のパンが使われ、宗教儀式でも使われたとのことですので、メソポタミアとの関係もありそうです。

欧州でも今から5千年程まえの新石器時代に自前で醸造されていたようですが、その証拠が何かは不明です。

欧州では7世紀には僧院を中心に地域毎にエール(Ale)が醸造され販売されていましたが、産業革命(18世紀半ばから19世紀)で職人的製造から工業生産に変化し、19世紀の終わりには地域の醸造者は姿を消してしまいました。

主に比重計と温度計の発達で醸造工程の管理が正確に出来るようになり、条件を細かく変え、造り方も工夫されるようになってビールの種類は増えました。

2006年、世界で1330億リットル、3000億ドルの売り上げがあったようです。
当時の人口は下の統計グラフで約65億人。大人が70%(45億人)とすると一人当たりビール29ℓ/年(350ミリℓ缶で毎日0.23缶)飲んでいることになります。
   beer104.png

毎日1缶は飲みたいと願っていますが、4ヶ月毎の旅行費用捻出のため1週間に2日だけ1缶づつ、と女房殿からきつく言い渡されていますので、世界平均の1.6缶/週より0.4缶/週多いとはいえ十分楽しんでいるというにはほど遠い状況です。早く次の旅行先に行って現地で一人、羽を伸ばしたいです。次は6月ウズベキスタンで、地産ビールがあることは確認済みです。

<2.造り方は?>

ネットから見つけた手造り方法の説明資料です。
試す時は違法にならぬよう注意が必要です。最下段の付録を参照ください。
  beer105.png

商業生産方法です。島根県の「大山ビール」醸造会社のウェブを借用しました。
beer106.png  beer107.png
写真1:原料の用意               写真2:糖化/ろ過
麦芽(大麦の実です)をローラで       温水に麦芽の粉を入れる。
潰す。                        ⇒麦芽中の酵素が麦芽の澱粉を
                             糖分に変える。
                           ⇒フィルターで麦芽粕を除去し
                            麦汁だけ取出す。

beer108.png beer109.png
写真3:煮沸(100℃)                写真4:冷却
⇒濁りの元になるタンパク質を凝固         煮沸で凝固したタンパク質を
させ、同時に殺菌する。                除去し、10℃前後に下げる。  
ここでホップを入れるとビール独特
の苦みと香りが生まれる!
(mh:品質保持効果もあるようです。)

beer110.png beer111.png
写真5:発酵・熟成                 写真6:ろ過
低温になったら酵母を投入し、寝かし      細かい珪藻土フィルターで酵母
ておくと酵母が糖分をアルコールと炭      と凝固したタンパク質を取り除く。
酸ガスに分解する。
するとビール(若ビール)が出来るが、
これを熟成させ香味を安定させる。
ここで酵母が造った炭酸ガスがビール中に溶け込む。
発酵・熟成期間:下面発酵(ラガー)で40日、上面発酵(エール)で25日。
(mh:3ヶ月寝かせるビールもあります。)

beer112.png beer113.png
写真7:ろ過前のビール                 写真8:ろ過後のビール
スタウト、バイツェン、ベールエール           ピルスナー

beer114.png beer115.png
        大麦                     ホップ

     beer116.png
酵母:栄養体が単細胞性を示す真菌類の総称。詳細は省略。

<3.種類は?>
大別すると2つ、エールとラガーです。

Wiki:エール(英: Ale)
ビールの一種。上面発酵で醸造される。大麦麦芽を使用し、酵母を常温で短期間で発酵させ、複雑な香りと深いコク、フルーティーな味を生み出したビールのスタイルである。

エールのほとんどはホップを使用して苦味と香りを与えて麦芽の甘味とバランスを取り、ビールを保護する。

エールは、イギリス、アイルランド、ベルギー、ドイツ、カナダ東部の州、米国の地ビールで一般的である。

Wiki:ラガー
原料に麦芽を使用し、サッカロマイセス・カールスベルゲンシスという酵母を用い、低温(10℃以下)で熟成させながら比較的長時間の発酵を行う。酵母が最終的に下層に沈み込むため、下面発酵と呼ばれる。

元々は、ドイツ・バイエルン地方のローカルなビールであった。この地方の水は軟水のため、硬水でなければ酵母が活動しにくいエールビールを作ることが困難だったが、土地の醸造師たちは、軟水でも低温下で活動する酵母の存在に気づき、特殊な製法でビールを醸造するようになった。秋の終わりにビール樽を洞窟の中で氷と共に貯蔵し、翌年の春に取り出すのである。この貯蔵(=ドイツ語で、「ラガー」:Lager。動詞形ならlagern)されたビールをラガービールと呼んだ。エールビールと較べて短期間で作ることができるため、19世紀以降、冷却機などの設備が発明されると、瞬く間に世界中に普及し、それまで主流だったエールを凌ぎ、ビールの主流となった。

生産には、大規模な設備を必要とされるが、短期間で大量に生産することが可能。そのため大資本が生産に参入し、現代では日本を含め世界の大ビールメーカのほとんどがラガービールを生産し、世界のビール生産量の大部分をこれが占める。

<4.泡はどんな原理で造られるのか?>

泡の正体は、酵母が糖分を分解した時にできた炭酸ガスです。

<5.銘柄はどんなものがあるか?>

星の数ほどあります!私の好みでいくと、アサヒ辛口、ハイネケンですが、現実は第三のビール(半ダース6本で5百円台!)でして、それを紹介してもつまらないので、大御所を挙げると、ピルスナー、ギネス、バドワイザーなどでしょうか。
beer117.pngbeer118.png beer119.png
beer120.png
バドワイザー( Budweiser 、略称 Budバド )は、アメリカ合衆国ミズーリ州のアンハイザー・ブッシュ社が生産・販売するビールですが、2008年に買収され、現在はベルギーのアンハイザー・ブッシュ・インベブの傘下です。1876年に生産が始められ、今では世界一の販売量を誇っています。

実はバドワイザーには商標問題があります!
詳しく説明すると長くなるので要点だけ紹介すると、「バドワイザー」(Budweiser)と名が付いたビールはチェコが起源で、アメリカのバドワイザー製造会社はこれを真似て製造販売を開始しました。
チェコの本家より有名になったまでは好いのですが商標権問題から欧州向けは「Bud」(バド)または「Busch」(ブッシュ)の名称で、アメリカ内ではBudweiserで出荷しています。
(上の2つの写真は同じ会社のバドだがラベルが異なる。)

<6.グラスにはどんな種類があるか?>

    beer121.png    beer122.png
ヴァイツェングラスは、ヴァイツェン    ピルスナーグラスは、軽いタイプのビー
またはヴァイスビアとして知られる     ル用のグラスで、その名のようにピル
白ビール用のグラスである。ドイツ     スナー向けのグラスである。
のグラスであり500ミリℓを注 いで    通常パイントグラスより小さく、
泡を含めて一杯になる容量をもつ。    250ミリリットルまたは330ミリℓ
パイントグラスよりも背が高い。底は    の容量で、背が高く細く先細である。
非常に狭く飲み口は僅かに広い。     ヴァイツェングラスがピルスナーグラス
ベルギー等の他の国では250ミリℓ   に間違えられることがあるが、ピルス
又は330ミリリットルの容量である。   ナーグラスは直線的な先細である。
グラスの背が高いことで、このスタ    ピルスナーグラスはピルスナーの色、
イル特有の厚くフルーティーな泡を    発砲、透明な美しさを示し、きめ細か
芳保ち、香をグラス内に閉じ込め、    な泡を保つ。
見た目にも美しい。

         beer123.png
パイント・グラスは、1英パイント(568ミリリットル = 1.2米液量パイント)の容量を持つグラスであり、通常ビールを飲むために使用する。パイントグラスには3つの一般的な形状(タンブラー型、広口ジョッキ型、ラッパ型)があり、他のバリエーションもある。パイントグラスは、スタウト、ポーターおよび英国エール向けである。

beer124.png beer125.png
ビアジョッキは、伝統的なドイツビールのタンカードまたはビアマグであり、ピューター製、銀製、木材製、陶磁器、土器、またはガラス製である。ビアシュタイン(シュタイン:ドイツ語で石の意)は通常、親指レバーを押して開く蝶番蓋付きである。蓋はペストの大流行時に、ビールを感染した虫から保護するために着けられた。

味だけではなく、見た目の楽しさもあって、液体の色、泡の様子、もビールの醍醐味です。それでビアグラスは透明なものが多いのです。

奥行きが深いですねぇ、ビールっていうものは。

<7.何故おつまみと一緒に飲まれることが多いのか?>
そんなものに大した理由はないんじゃないの?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、世の中、何だって何らかの理由があるものです。ブログ「仏教の不思議」で紹介したお釈迦様の教え、因果応報(原因があるから結果がある)は何にでも当てはまる真理なのです。日本酒だってそうですが、特にビールはサイドディッシュと一緒に嗜むのが普通です。みなさんもそうされているでしょう?

ビールとおつまみが切り離せない理由はいくつもあるはずですが、私が気付いたものをご紹介しましょう。論理的な証拠は準備できていないので省略します。

1)お腹がすいているから
ビールを飲むのはひと仕事終わった後が圧倒的に多い、つまり仕事中に飲むことはほとんどありません。仕事を一生懸命やると、お腹がすきます。そしたらその後は何か食べたくなるでしょ?勿論ビールも飲みたい!
で、ビールと食べ物はいつも一緒に嗜まれるのです。

2)つまみの食材の味が引き立って美味しいから。
ビールを飲むと舌の表面がアルコールで綺麗に洗浄されるのです。ホップの苦みで味覚もリフレッシュされます。従って食べる食材は頭脳に強く新鮮な刺激を与え、思わず、旨い!と思うのです。

3)ビールの味が引き立って美味しいから。
ビールだけ飲み続けるとホップの刺激に味覚が馴れて刺激が薄れます。おつまみを食べると、その刺激が一旦、断ち切られるので、次に飲むビールのホップは再び新鮮な刺激を味覚に与え、ビールのおいしさが継続されるのです。
・・・そろそろ頭の回転が鈍ってきて堂々巡りになりそうです。ビールで頭をリフレッシュする必要がありますが今日はビールの日ではないので、この辺りで打ち切らせて頂きます。

<付録>手造りビールに関するQ&A(国税庁ウェブからコピー)
Q3 「手造り麦芽飲料用」の缶入り、いわゆる「ビールキット」を購入して、自宅で自家製ビールを造ることに問題はありますか。

A 酒類を製造する場合には税務署長の免許が必要となります。
 酒類とは、酒税法上、アルコール分1度以上の飲料(薄めてアルコール分1度以上の飲料とすることのできるもの又は溶解してアルコール分1度以上の飲料とすることができる粉末状のものを含みます。)をいい、当該製品により製造されたものがアルコール分1度以上の飲料となる場合は、酒類製造免許が必要になります。
 ただ、ビールの製造免許は、年間の製造見込数量が60キロリットルに達しない場合には受けることができません。
購入された商品については、アルコール分1度以上にならないよう製造方法が取扱説明書に具体的に記載されていると思われますので、その注意書に沿って、アルコール分が1度未満となるようにしてください。

 酒類の製造免許を受けないで酒類を製造した場合は、10年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられるほか、製造した酒類、原料、器具等は没収されることになります。

根拠法令等:酒税法第7条、第54条

mh;駄目と言わず、1%以下で楽しんでください、と逃げてます!国税庁も困ってますねぇ。

自分で作ったコメや麦で酒やビールを造って飲んでなんで悪いんだ!と裁判に訴えた人がいるようです。海外では地酒も認められているようですが日本では禁止。愚痴っても仕方ないですが、はやり日本は他国から見ると特殊な国なんですねぇ、きっと。容疑者の取り調べで刑事が使う「ゲロすれば楽になるよ!」ではないですが、早く規制を解消して国税庁も楽になったほうがよいと思います。ビール製造業界からの突き上げを気にしているのかもしれませんが、自家製ビールを楽しむ人が増えるとビールの販売量も増え、ビール業界も潤うはずです。

(完)

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レイライン、ダウジングの不思議


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レイライン、ダウジングの不思議:Mysteries of Ley Lines & Dowsing
                           2014年4月  Mystery Hunter

不思議の紹介の前に例によって春に詠った漢詩を一つ。

   山中與幽人對酌   山中にて幽人と対酌す  李白
       両人對酌山花開   両人対酌して山花開く
       一杯一杯復一杯   一杯一杯復(ま)た一杯
       我酔欲眠卿且去   我酔うて眠らんと欲す 卿(きみ)且(しばら)く去れ
       明朝有意抱琴来   明朝、意有らば琴を抱いて来たれ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

図書館で借りたミステリー「名探偵クマグスの冒険」(東郷隆著)にイギリス留学中の南方熊楠(1867年-1941年)を探偵に見立てた短編ミステリーが5編ほど紹介されていました。

その中の一つ「妖精の鎖」(mh:Fairy Chains)で、熊楠がコーンウォール地方を訪ねた際、レイラインを知っているか?と訊かれ「‘主の道筋’とか‘小妖精の筋’とか呼ばれている、台地に描かれた正体不明の直線のことだ。主に古代遺跡群の近くに存在する。新石器時代の頃、古代ブリトン人が霊感によって作った道の痕であろうというが。」と解説していました。

これを見た時「おぉ?次回ブログ原稿“ストーンヘンジ”と関係あるな?」と思いました!

ストーンヘンジ(投稿済)の原稿完成後ネットで調べたらやはり関係がありました!

Wiki: Alfred Watkins(アルフレッド・ワトキンス)より

イギリス人のアマチュア考古学者でありビジネスマンでもあったアルフレット・ワトキンスは1921年、イングランドのヘレフォードシャーの丘に立っていた時、古代の特徴的な物(ancient features)が直線上に配置されている、という啓示を受けた(mh:と本人は思ったようです)。偶然だが'ley'という文字が名前に含まれている町を通過する線が多い。そこで1925年'The Old Straight Track'(古代の直線道)という本を発行して自説を公開した。
(Wiki完)
     ll-01.png

Wiki「レイライン」より

レイライン(ley line)は、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をさす。レイラインが提唱されているケースには古代イギリスの巨石遺跡群などがある。レイラインの存在は1921年にイギリス人のアマチュア考古学者アルフレッド・ワトキンス(Alfred Watkins)によって提唱され、その著書『The Old Straight Track』(古い直線路)によって遺跡の直線的配置性が世間一般の注意を引きつけることとなった。

地図を開けば、遺跡が一列に並んでいるように見える直線を見つけることはそう難しいことではない。にもかかわらず、レイラインの存在を認める動きは学術的には主流とは言えない。その理由としては、レイラインが実在するならば、古代の人々がどうしてそのような直線性を持たせたのかが不明であり、さらには存在するかに見えるその直線性はまったくの偶然にでも発生するのではないかという疑いをぬぐえないためである。
(Wiki完)

イギリスのレイライン地図の一つを紹介しましょう。ラインが山ほど有ります!
     ll-02.png

有名なのは聖ミカエル(St. Michael:大天使)とマリア(Mary:聖母)のレイラインです。
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図をよく見てもらえると判りますが、一本の直線に付いたり離れたりする実線の聖ミカエル線と破線の聖母マリア線がイングランド東のHoptonから同南西のコーンウォール半島の先までの約580kmに渡って描かれています。

太陽マーク(白い○)が描かれた場所にある町には聖ミカエル教会か聖母マリア教会か、石などでできた遺跡か小山(mount)などがあることを示しています。

しかし別の図では2つのラインは次の通りです。
ll-04.png ll-05.png

上の2つの地図に載っている町をGoogle-Earth地図にプロットするとイングランド南西コーンウォール半島にあるデヴォン州の中で約30kmの範囲に分布していることが判りました。
(一部の町は地図上では見つけられませんでしたが、この範囲内にあるはずです。)
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聖ミカエルラインにある○○torの’tor’は尖った岩山の意です。なだらかに起伏するイングランド特有の平地の中に'tor'と名の付いた小高い岩山がGoogle-Earthで確認できましたが、どうでしょうかねぇ、そんなに特徴的な山とは思えませんが・・・

580kmのラインの方が正しいのか、それとも30kmのラインの方が正しいのか。
有名というからにはイングランド全体を貫く長い線の方でしょう、多分。

レイラインの語源として使われたleyという文字を持つ町もGoogle-Earth地図にプロットしてみました。長方形の黄色破線がその町です。
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(Alderley, Bexley, Hinckley, Dudley, Tadley and Rugeley)
有名なレイラインThe St. Michael and Mary Ley Lines(白の破線:St. Michael’s Mount, Stonehenge, Aylesbury, Royston and Hopton)と直交するような方角にバラバラ分布していて、直線状に分布しているわけではありません!
なんでこんな町の名がラインの語源になったんでしょうかねぇ。

ley lineでネットを調べると次の地図も見つかりました。
ll-15.png
イースター島・マチュピチュ・ギザ(エジプト)/マヤ・ギザ・中国(皇帝の陵)を結ぶ2つの線です。
英文コメント:「ピラミッドと大量虐殺のラインが一致するのは偶然か?」

以前の私のブログ「文明の起源は何?」で考古学者も言っていましたが、権力者が誕生していた証拠となる巨大な墓の近くには、権力争奪戦の跡つまり大量の死体があることは多いのです。よってピラミッドと大量虐殺の跡が同じ場所で見つかるのは不思議ではありません。

実は、上の地図と同じレイラインを紹介するYoutubeフィルムがあり、一見、大学の教授のような考古学者のような人達が真面目な顔で解説しているのです、これらのラインの意義を!

線上に並ぶことになった理由として中国人が言う「気」も考えられるとのこと!
「気」とは大地や宇宙を支配している力とでも言いましょうか、風水とも繋がる、心とか精神の力といった類のものです。

ところでレイラインは日本にも沢山あるようです!
「太陽の道」と「ご来光の道」が有名だ、との記事がみつかりました。

「太陽の道」
奈良の長谷寺、三輪山、桧原神社、国津神社、箸墓古墳を結ぶ、東西に延びる線。
東の長谷寺から西の箸墓古墳まで6.2kmです。
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「ご来光の道」
‘春分と秋分の日、太平洋に上った曙光が貫くレイライン’と言われているようです。
千葉県上総一ノ宮の玉前神社、神奈川の寒川神社、静岡の富士浅間神社、富士山頂、日蓮宗の霊山として名高い七面山、琵琶湖に浮かぶ竹生島、大山、出雲大社の北の日御崎神社が並ぶ全長7百kmのラインです。私も地図で確認しましたが東西に延びる直線上にほぼ載っています。
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しかし人間が築きようもない自然地形が多く含まれている上、規模が大きすぎてレイラインの暦説(というのがあるようです!)には当てはまらないだろう、とのコメントが付記されていました。

以上がレイラインの雑多な情報ですが、レイラインの不思議を科学的に解き明かすのは不可能です。

レイラインに懐疑的な人の意見はこうです。
ランダムに打った点の数が多ければ、3つ以上の点の上を通る直線を引くことが出来る。
     ll-10.png
つまり3つ4つの点が一本の線上に並んでいても、特別な理由があるとは限らないのです。

そうは言っても、太陽の軌道にそってスポットが造られることは世界中どこでもあることで、例えば中国北京の故宮を中心とした半径約4kmの円上には、東西に日壇と月壇、南北に天壇と地壇という皇帝が神に祈りをささげる施設があります。これもレイラインと言えば言えなくもないです。

レイラインを調べていたらダウジング(Dowsing)という言葉が見つかりました!

Wiki:ダウジング

ダウジング(Dowsing)は、地下水や貴金属の鉱脈など隠れた物を、棒や振り子などの装置の動きによって見つける手法。
ダウジングは数千年の間に様々な形に発展してきたが、木の枝を使い生活に必要な水をさがすことがその原型であると言われる。
16世紀のドイツにおいては、金属探索のためのダウジングが地質調査の方法として確立されていた。この手法はドイツ人坑夫がイギリスに渡ったことで広まった。
    ll-11a.png
    (mh:持っているのは木の枝です!)
(Wiki完)

ダウジングをキーワードにネットで検索するとドイツのダウジング機器メーカの広告が見つかりました!いろんな機器がネット販売されています。
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グリップ部から伸びた細いワイヤーの先端に尖った錘がついているだけのもの、L字に曲がったハンドルのようなもの、糸や鎖の先に金属・玉などで造った錘がついたもの、などなど。
みんな1万円以上ですから結構いい値段です!

原理がわからない最新式(?)のダウジング機器も売っています。何十万円もします!
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会社の建物も洒落ています。ピラミッドを模しているようです。
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レイラインもダウジングも信じる人には何かの意味があり、信じない人にとっては、コメントしようがない無意味なもので、どこか宗教と通じるところがあります。

宗教の一つだと思いますが、私の女房殿は大安とか仏滅といった高島暦の信奉者で、服や靴を買ってもその日に卸すことはほとんどなく、好い日が来るまでお預けです。大安ならいい、というわけではなく、それ以外の判断ポイントもあるようで平均して1週間は卸せない、つまり卸せる日は2週間で1日!という感じです。細々とやっている投資の案件も、今日は悪い日だからファンドは買えないとか売らない、といった感じで、どうなんですかねぇ、こういう意思決定の方法は。私が口をはさむ余地は残っていないので考えても意味がない状況にはあるのですが・・・

愚痴はさておき、これ以上深入りしてもレイラインとダウジングの不思議を合理的に解き明かすことは不可能と判断し、今回のブログを終了します!

次回のテーマは・・・まだ決まっていません。

(完)

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ストーンヘンジの不思議:BBC-Timewatchシリーズより


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ストーンヘンジの不思議:BBC-Timewatchシリーズより
                   2014年4月  Mystery Hunter

すっかり春めいてきましたねぇ。
そこでストーンヘンジの記事紹介の前に春を詠った漢詩をひとつ。

尋胡隠君(胡隠君を尋ぬ) 高啓

  渡水復渡水  水を渡り復(また)水を渡る

  看花還看花  花を看(み)還(また)花を看る

  春風江上路  春風、江上の路

  不覚到君家  覚えず君が家に到る。


江南地方(長江下流一帯)に訪れた長閑な春が目に浮かびます。
急に行きたくなりました!蘇州夜曲なんか、いいですよねぇ。

蘇州夜曲  作詞:西条八十/作曲:服部良一

  君がみ胸に抱かれて聞くは 夢の舟歌鳥の歌

  水の蘇州の花散る春を   惜しむか柳がすすり泣く


さて、本題に戻りましょう。

今回はBBC(英国放送協会)のTimewatchシリーズから「Stonehenge(ストーンヘンジ)」(Youtube)を紹介します。

'henge'は環状遺跡の意で、ストーンヘンジは「石で出来た環状遺跡」となります。
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フィルムは6年前の2008年の3月から4月にかけて行われたストーンヘンジ発掘調査及び遺骨調査にスポットを当てて製作されていますので放映は恐らく2008年の夏頃でしょう。比較的あたらしい情報です。「ストーンヘンジの不思議」が少し解きほぐされるのではないかと思います。

日本では関心が薄い遺跡ですが、イギリスを代表するBBCとしては自国の世界遺産への強い思い入れがあります。この辺りを頭の片隅に入れてお読みください。

フィルム解説ブログを見て頂く前に、予備知識のWiki情報です。

Wiki: ストーンヘンジ(抜粋)
ストーンヘンジ(Stonehenge)は、ロンドンから西に約200kmのイギリス南部・ソールズベリーから北西に13km程に位置する環状列石(ストーンサークル)のこと。現在のイギリス人、アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時にはすでに存在していた。

円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなり、世界で最も有名な先史時代の遺跡である。考古学者はこの直立巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。しかしそれを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。

馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。夏至の日に、ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ることから、設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。また、当時としては高度な技術が使われており、倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。

遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。
(Wiki抜粋完)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<Youtube: Timewatch “Stonehenge” by BBC>
URL: http://www.youtube.com/watch?v=U8DqKArmdyo
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どんな目的で造られたのか?
太陽や月を崇めた神社か?天文学に基づく暦か?祖先を祭る寺か?
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ストーンヘンジの環(サークル)内の発掘が許可され、秘密の一部がベールを脱ごうとしている。
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ストーンヘンジはエジプト・ギザのピラミッドと同時代に造られた、当時ヨーロッパで最大級の高度な建築物で、何世紀もの間、人々の関心を集めて来た。

大半の発掘は20世紀に行われた。最後の本格的な発掘は50年前の1964年だ。
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ストーンヘンジ建設は4段階に分けて行われたことが判っている。
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4千数百年前、木造建築物があった跡地に小さな石のサークルが造られた。(第一段階)
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それから2百年後、小さな石を取り除いて大きな石のサークルが造られた。
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内側には小さな石のサークルが挿入された。(第二段階)
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次に大きな石のサークルの外側に小さな石のサークルが付け加えられた。(第三段階)
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最後に大きな石のサークルが一番外側に設けられて完成した。(第四段階)
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その後は徐々に崩壊が進んで現在の状態になった。
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(mh:以上は世界のBBCも言っているのですから間違いないでしょう!!)

夏至には太陽は一番大きな石の門の間から昇る。この日の出を見ようと毎年数千人が集まってくる。
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古代のカレンダーではないかと言う人がいる。
1920年、周囲から50体ほどの遺骨が見つかり、祖先を崇拝した場所では?と考える人もいる。

しかし未だに、いつ、何のために造られたのか明らかではない。

秘密を解き明かすには建設当時の有機物か骨を見つけ、カーボン・デイティング(放射性炭素年代測定)を行うなど新たな証拠の発見が必要だ。

50年前の発掘時は分析技術レベルが低く、重要事項はミステリーとして残されてしまった。今回許可されたサークル内の発掘でその一部が明かされるに違いない。

発掘初日(DAY-1)の2008年3月31日、世界中から報道陣が押しかけた。
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発掘は2人の教授の指揮で始まった。
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昔からストーンヘンジを信仰対象にしている集団も集まって発掘の開始を祝った。彼らは高さ7mもある大きな石にパワーがあると信じている。
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しかし2人の考古学者の考えは違う!
    白い大きな石はこの辺りでよく見つかる普通の石だ。
    青い1m位の小さな石(以降“青石”と呼ぶ)が重要だ!
最も古い時代の石で遠くから運ばれてきた。癒しの力(healing-power)があるという言い伝えもある。
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(上:2人の考古学者が青石を囲んで話している。その後ろ側が白い大きな石。)

そこで発掘場所を一つの青石の近くに定めた。面積は3.5mx2.5mだ。
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癒しの青石の欠片を持ち帰ろうと人々が石を割った時に落ちこぼれた小さな破片が見つかるかもしれない。また思いもよらぬ癒しの力を裏付ける証拠が出てくる可能性だってある。

発掘以外に癒しの力を裏付ける証拠を探し出す方法はないのだろうか?

2002年、5km離れた町アムズベリー(Amesbury)の小学校の基礎工事中に人骨が見つかっている。4千5百年位前に埋葬されたものだ。

人骨と一緒に金の飾りや宝石、それに加えてフリンジ(火打石)の矢尻も発見された。
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この人物はAmesbury Archer(アムズベリー射手)と呼ばれ、そこに建てられた学校は“Amesbury Archer小学校”と名付けられた。
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豪華な埋葬品や特殊な矢尻に加えてアムズベリー射手の骨には他にない特異性がある。
保存が完全で、極めて好い状態で発見されたのだ。

この骨がストーンヘンジに癒し力があったとする理論を補強してくれないだろうか?
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よく調べると左膝に怪我の痕が見つかった。乗馬中に怪我をした可能性がある。
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左右の大腿骨の太さが異なる。
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左膝をかばったので右大腿骨が太くなったのだ。怪我を癒すためやって来たのではないか?

青石の出所は西に150マイル(240km)離れたカーンメニンだ。小さな青石のストーンヘンジと数十の墓石が昔から存在している。
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カーンメニンの青石が世界遺産のストーンヘンジの青石と全く同じ成分であることは1923年の石の結晶分析で判明している。

薄くスライスされた石のミネラル分の調査で裏付けられたのだ。
またカーンメニンには泉もある!
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(左:薄くスライスされた石の顕微鏡写真)  (右:カーンメニンにある泉から流れる水)

この泉は昔から治療効果があると言われ、今でも多くの人々が治療のために訪れている。

近くには傷が付いた青石がある。運搬しようと加工した痕に違いない。カーンメニンの青石は癒しの力が強く、貴重な石だと信じられ、150マイルも離れたストーンヘンジまで運ばれたのだ。

どのように運んだのかを示す証拠は見つかっていないが、海上を海岸線に沿って、その後はエーブン川を伝って運ばれたのではないかと多くの学者は考えている。
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その昔、80個以上もの重い石を150マイル運ぶには大きな危険が伴ったはずだ。青石には危険を冒す価値があったのだ。

発掘5日目、見つけた白石と青石の欠片の数を比べたら、青石が白石の約3倍になっていた。
   (下:右手の下にあるのが大きな白い石の破片。その左隣りが青石の破片)
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白い石は7mの大石で青石は1m足らずだ。大きな白い石より小さな青石の破片の方が多く見つかったのは何故だろう?
お守りにして癒し力を授かろうと切り欠いた時にこぼれた破片ではなかろうか?

1976年、ストーンヘンジから十数mの土塁(マウンド)から若者の骨が見つかった。
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体を折り曲げ横たわって死んでいる。埋葬されたにしては不自然だ。土器や装飾品など冥土の旅の副葬品も見つかっていない!

改めて調べると背中のあばら骨の左右に4つの傷がある。矢を射られて殺された可能性がある。
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射殺され、地面に掘った溝に投げ込まれ、埋められてしまったに違いない!

なぜ殺されたのだろう?

見つかったのはストーンヘンジの入口の近くだ!矢は後ろからあばら骨に当たっている!
骨と一緒に3個の青石の欠片も見つかっている!青石を盗んで逃げる時にストーンヘンジの守り人に発見され弓で射殺されたのではなかろうか?

歯を調べてみよう。歯の中のストロンチウムから彼がどんな土壌で育った食物を食べていたのか判る。酸素からは育った気候が判る。
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ストロンチウムと酸素の分析結果を当時の地図と気象データに照らしてみるのだ。
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分析の結果、若者はストーンヘンジ周辺の住民だと判った。ならば青石を盗み出すことの危険は知っていたはずだ。
彼には癒しの力を持つ石を必要とする理由があったのだ!

アムズベリー射手の歯も調べてみた。すると射手は1千km離れたアルプス地方から来たことが判った。
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アルプス地方ではビーカーという土器が使われていた。ビーカーは、欧州全土に拡散し、農業を主体とする新たな文化を生み出して、人々が自由に使える時間、技術、富は増えていった。

ストーンヘンジの建設は大きなプロジェクトだ。この推進は遊牧や牧畜を生業とする人々では不可能だ。建設作業者の食糧や宿泊施設、衣服、建築用機材やロープなどが無ければプロジェクトは実現できない。時間と技術と富を兼ね備え、農業を主体とし一ヵ所に定住する多くの人間の力が必要だったはずだ。

これを裏付ける証拠がサークル内の発掘現場から見つかった!4千年前のビーカーの破片だ。農業を生業として定住していた人々がいたのだ。
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紀元前2300年頃、アムズベリー射手が恐らく癒しのために訪れた時、ストーンヘンジは既に存在していた。過去の調査では紀元前2600年頃に造られたことになっている。

アムズベリー射手の骨を更に見直すと下顎の歯茎に大きな空洞があることに気付いた。
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こんな大きな孔があったら痛くて飲食もままならなかったに違いない。感染症も現れて極めて危険な状態だっただろう。この空洞による病で死んだ可能性もある。

射手の直ぐ近くで発見された別の人骨を調べ直したら、射手より若い男で、足の関節の骨が射手の骨と異常に類似していることが判った。普通ならこのような類似が起きる確率は2%しかない。

若者は射手の血縁だったに違いない。若者の歯を調べたら子供の時期を射手と同じアルプス地方で過ごしたことが確認された。
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アムズベリー射手は病で治療が、平安が必要だった!それで強い癒しパワーを持つストーンヘンジまでやって来たのではなかろうか?血縁の若者の助けを借りて!

更に、過去にストーンヘンジ周辺で発見された遺骨の中から13人の歯の分析すると、およそ半数の人がストーンヘンジから遠い地方から来たことが判った。青銅器時代から巡礼地になっていたと思われる。

発掘11日目、穀物の粒が見つかった!農業があったのだ。人が定住していた。カーボン・デイティングでストーンヘンジの建設が始まった時期について何か判る可能性がある。
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穀物の出現は、人々に、狩猟や牧畜生活から農業をベースとした安定した生活を促すことになった。安定し定住する人々の出現でストーンヘンジの建設が可能になったのだ。

農業はストーンヘンジの建設だけでなく石の配置にも影響したと考古学者は考えている!

多くの人は夏至にストーンヘンジに来て、主門の間から昇る太陽を見ながら数千年の伝統に浸る。
しかし、彼らは全く間違った時期に、間違った方角を向いている!
考古学者が重要視するのは12月21日冬至の夕日だ!
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(左:夏至の日の出とそれを見る人々)      (右:冬至の日の入りのCG)

冬至の夕方、ストーンヘンジ内の小さな狭い2つの隙間を通過した太陽光はその外の2つの石の間を通過する。昔、人達は冬至の日の入りを崇め、新しい農業年の始まりを祝ったのだ。
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処で、ストーンヘンジには治療が必要な人だけでなく、治療できる人、つまり薬剤師や祈祷師なども集まっていなかったのだろうか?

ストーンヘンジの近くで見つかった骨の中に後頭部が平らな頭蓋骨があった。
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小さい頃から戒めなどで異常な力が加え続けられていたのであろう。この人物は何のためにストーンヘンジに来たのだろうか?

平坦な頭をヒール(heal:治療)するためか?
ある考古学者は推論する:「彼はヒーラー(healer:治療をする者)として来たに違いない!」
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発掘終盤の12日目、掘り起こした土の中から百個ほどの有機物を見つけ14個をカーボン・デイティングにかけてみると驚くことに紀元前2300年のものと判明した。
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ストーンヘンジは紀元前2600年から建築が始まったと考えられていたが、実はそれよりも300年程あとの紀元前2300年に青石が到着し建設が始まったのだ。
まず青石のサークルが造られ、その200年後、青石が撤去され大きな石のサークルが造られ、内部に青石のサークルが設置された。
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紀元前2300年                    紀元前2100年

その後、外側に青石のサークルが追加され、紀元前1900年に一番外側の大石のサークルが追加されて完成した。
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                               完成:紀元前1900年

青石が到着して建設が始まった紀元前2300年は射手が埋葬された時期に一致する!
射手はその埋葬品から高貴な人物だったことが判っている。

ストーンヘンジ設立に重要な関係がある人物だったに違いない!
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また穀物のカーボン・デイティングからは紀元前7千年が割り出された!

何故ここにストーンヘンジが造られたのかは謎のままだ。しかし古い昔からこの地には農業を主体とする人々が定住し、ストーンヘンジの建設の素地が整えられていたのだ。そして青石の重要度はあきらかだ。なぜならその石はサークルの内部に据え付けられているのだから。

紀元前2300年に建設が始まった。そして人々は集まってきた。

   病人は回復するために。 The sick came to get better.
   怪我人は治癒するために。The injured came to get healed.


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(完)
 

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