Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

青の不思議:続編


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続:青の不思議    2014年5月28日  Mystery Hunter

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        ベネチア;サン・マルコ広場の鐘楼を望むゴンドラの舫い場

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     国際宇宙ステーションから見た日没時の地球の大気
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5月8日公開の「青天蓋モスクの不思議:なぜ青なのか?の解答(前篇)」の続編です。

BBC(英国放送協会)のフィルムから「Blue. History of Art in Three Colours(青:三つの色の芸術史)」をご紹介しましょう。
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「金」「白」「青」の三色を取り上げたシリーズで、今回は「青」を紹介します。

が、その前に少し時間を頂き、例によって漢詩を披露させて下さい。
 贈汪倫(汪倫に贈る):李白
   李白乘舟將欲行  李白舟に乘って將に行かんと欲す
   忽聞岸上踏歌聲  忽(たちま)ち聞く岸上踏歌(とうか)の聲
   桃花潭水深千尺  桃花潭水 深さ千尺
   不及汪倫送我情  及ばず汪倫の我を送るの情に


李白(私!)が船に乗り出発しようしたら、突然岸辺から足を踏み鳴らす音が聞こえた、
桃花潭の水は千尺の深さがあると聞くが、汪倫の情の深さには及ばない
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                (現在の桃花潭)
桃花潭は安徽省にある川の淵の名、李白はそこに遊んだ時、村人の汪倫というものの世話になった、この詩はその汪倫の情の深さを歌ったものだ。
(mh: 汪倫の子孫は、毎年、桃花潭に集い、この詩を読んでは李白と祖先を忍ぶようです。この詩は汪家に千年以上受け継がれた家宝なのです。集いでは、当然ですが酒が(ビールも?)振る舞われるはず。できたら私も末席に加えさせて頂き、ビールを飲んで皆さんと一緒に李白の詩を楽しみたいものです。)

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金:危険な毒々しさを秘めた最も神聖とも言える色・・・・
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白:何の意味も持たぬ時期もあったが、今では純潔・清廉の色・・・
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そして青・・・・・・・
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いつも我々の周りに在るのに、どういう訳か決して手が届かない。
例えば、海の青、そして空の青・・・
触ることは出来ないし、どこまで行っても青い水平線に到達することは出来ない。

だから我々の想像力を捉えて離さない。
青は、いつも我々の住む世界の向うに在って我々を焦らす。



青の物語は数千年前のヨーロッパの先端都市ベネチアから始まる。

アフガニスタンの商人は、砂漠や地中海を越え、遥々5千kmを旅して不思議な荷物をベネチアに運んできた、金と交換するために!
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その荷物とはラピスラズリ。Lapis(石) Lazuri(群青の空)
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空の欠片のような青・・・・・・
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先史時代の洞窟壁画に「青」は現れていない。
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ギリシャにも「青」という言葉すら無かった。
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ローマ帝国でもポンペイの時代には無かった。
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中世でも鮮やかな「青」は見られない。
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ベネチアの画家達はこぞってラピスラズリの青を手にしたいと切望した。

ラピスラズリで絵具を造るには、まず、布で包んだ石をハンマーで叩いて割る。とても硬い。
得られた小さな欠片を擂鉢に入れ忍耐強く潰す。
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石で磨り潰して更に細かくし、ワックスで包んで十分練り上げる。
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それを油に溶かし、浮き出た不純物を取り除く。
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するとラピスラズリが持つ「輝きの青」が出来上る。
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それまでは誰も見たことが無い、明るく、強く、鮮烈な青だった!

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青は数十年で西洋の芸術の中に広く浸透していった。
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写本で神聖な文を表記する時や、神聖な絵の背景として使われ始めた。
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1303年、イタリア・ルネッサンスの父、ジョトエフは「青」を神聖な色に高めることになるマスターピースを完成させた。

パジュアにある何の変哲もない教会。
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しかし建物の中は違う!
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最後の晩餐

最大の傑作は天井だ。
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幾百もの金の星が散りばめられた青い空。
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天国のようだ!
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聖母マリア、キリストは青い服を纏っている。
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これを機に、青は神聖な色と見なされ始め、教会は青を管理しようと目論んだ。
つまり供給を制限し、価格を吊り上げたのだ。

青は金より高価になった。金持ちのパトロンだけが有名な画家に青い絵具を買い与え、イコンなどを描かせることが出来た。
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<青は神聖色のようだ。>
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<青は偉大な秘密を覆い隠すベールだ。>
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<青はその向うにあるもの、星の彼方にあるものを隠す。>
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<それは神が仄めかす偉大な秘密だ。>
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<青という色を通じて・・・>

青は聖母マリアだけに許される色になっていった。
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1420年イタリア
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1445年
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1490年ドイツ
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16世紀初頭、イタリア人画家ティッシャーはベネチアにやって来た。
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ベネチアでは、運河に沿って店を覗けばどんな色の絵具も手に入った。

彼は色にうるさかった。しかし青を自由に使えないことに苛立ち、請け負った教会壁画の中で、誰もしてこなかったことをした!
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絵の中央から外れた所に青いガウンがわずかに見えるマリアを描いた!
そして中心には・・・・・・マリアではなく、青い服を纏った男を大きく描いたのだ!
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1967年、ロンドン美術館で、このティッシャーが描いた「バッカス(ローマ神話の酒神)」を修復することになった。
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埃や泥で薄汚れているがX線で調べると元の絵はどうも違うようだ!
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「バッカス」には青が使われていた!絵の左半分でふんだんに!
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中央右の女性は勿論、マリアではない。青い服を纏い右の乳房を露わにしている!

ティッシャーは、この絵を描くことで教会が管理していた「青」を解放し自由に使える色にしたのではないだろうか。
   ・・・・・・・・・・・・・・・私は青を使う。私が使いたいときに!・・・・・・・・・・・・・・・・・・

18世紀末のドイツは「ロマンテック時代」を迎えていた。
作家ノバーネスは叙事的小説を書いた。
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物語の中で主人公の若者ハインリッヒは人生に苦悩していた。そして想像の世界の中で青い花を求めてさ迷い歩くのだ。

この小説はヨーロッパに衝撃を巻き起こし、「青」が注目されることになった。
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ゴーギャンの「眠っている息子」
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ゴッホ
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ムンクの「恋人たち」
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ピカソは若い時、驚くべきシリーズを描いた!
「blue-period(青の時代)」だ。
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ピカソは1881年スペインで生まれた。19歳の時、親友キャサゲイマスと2人でパリに移った。二人は同性愛者だったのでは、という噂も出たくらい仲が良かった。ある日、親友は女友達とバーで飲んでいて口論となり、ピストルで彼女を撃った。彼女は幸運にも逃げ延びたのだが「死んだ!」と思った親友はその場で頭を撃って自殺した。

親友の死を知ったピカソは恐れた!何もかもを。
こうして「青の時代」は始まったのだ。
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行動は異常になった。親友がピストルで撃った女友達と一緒に、親友のアパートで暮らした。
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青の絵を描き続けた。
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1929年、フランス・ニース生まれの芸術家イーブ・クライム
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モノクローム(単色画/単彩画)を好んだ。
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彼のお抱え絵具師エドワー・アダンは言う。
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「彼を引き付けたのは青。海の、そして空の青だ。」
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「それが彼を引き付けたんだよ。青、つまり永遠だよ。」
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「輝くような青を造るには粉を混ぜる油が重要だ。普通の油では暗い、汚れた青しかできゃしない。やっと見つけたのがこの油だ。私はこれをミディアムと呼んでいたんだ!」
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「彼は出来上がった絵具をみて小躍りして喜んだよ!」
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青のモノクローム・・・・・・自由の世界に向いて開いた窓・・・・・・

ある日、彼はエスカポロジーを演じる。
静かな朝、アパートに忍び込み、2階の窓を開けて飛翔した!
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遠くでは電車が駅を通り過ぎてゆく。
自転車乗りは、背後で起きているドラマは露知らず、ひたすら自転車を漕いでいる。

窓から跳んだ彼の目は青い空に向けられている!
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この出来事はThe leap into the void(虚無への跳躍)と呼ばれ、世に知れ渡った。
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幸運にも柔道仲間が助けてくれたので大事には至らなかった。
が、1962年、カンヌ映画祭に参加するために帰郷した日、心臓麻痺で夭折することになる。34歳だった。

アポロ8号は1968年12月のクリスマスに打ち上げられた。
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人類史上初めて、地球の重力圏を脱して月を周回した。
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周回軌道4周目、月の影を抜け光の空間に出た時、息をのむ光景に出合った。
青い星が漆黒の闇に吊り下がるように浮いている!
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輝いている!青い惑星Blue Planetだ!
我らが故郷の地球だ!
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青は空の果てだと思っていた。届く場所ではないと思っていた。
しかし、青は我々が住んでいる地球だったのだ!
(フィルム完)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時間がありましたらご自身でフィルムをお楽しみください。
このURLでは4分割されているようです。全部で58分です。

次回は6月3日「城壁の不思議」です。お楽しみに。
     
http://www.youtube.com/watch?v=h83jaUTBlX0

(青の不思議の第2回目の完。第3回も検討中です。)

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文明の起源は宗教か?



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文明の起源は宗教?
                  2014年5月23日 Mystery Hunter

1月26日公開のブログ「文明の起源は何?」でペルーのカラル遺跡をご紹介しましたが、その中で考古学者が考える「文明発祥を示す事象」を次のように解説しました。
     暦の概念、暦作成の計算能力、記号・文字・数字記号
     陶器・金属器、大型施設(神殿、記念碑、ピラミッドなど)


考古学者の疑問も紹介しました。
  What is the origin of the civilization?  文明の源は何か?
  How does it happen?  文明はどのように出現するのか?
  When does it happen?  文明はいつ出現するのか?
  Why does it happen?  文明はなぜ出現するのか? 

  平穏な生活を捨て、必ずしも必要でなかった文明に踏み出したのは何故?
  リーダが生まれ、都市ができ、組織的な社会を構成し始めたのは何故?
  大きな建造物、文字、記号などが現れたのは何故?


そして、この答えを求めて考古学者は研究や発掘を進めている、と紹介しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
古代文明と言えば、まず思いつくのはエジプト、メソポタミア、インダス、中国、ペルー、マヤなどと言ったところでしょう。いずれも今から精々7千年前のものです。

例えばエジプトのピラミッドが造られ始めたのは5千年前つまり紀元前3千年です。
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上の写真はエジプトの「マスタバ」と呼ばれる台形状の墳墓です。
墓室は地下にありました。
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これを積み上げて階段ピラミッド、さらにクフ王の真正ピラミッドなどに変化してきたのです。
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上の写真では、手前に3つの階段ピラミッド、その奥に3つの真正ピラミッドがあります。
真正ピラミッドは右奥からクフ王(高さ147m)、カフラー王(同136m)、メンカウラー王(同65m)のものとされています。

中国の黄河流域で見つかった最も古い土器は紀元前6千年(8千年前)のものです。
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  (裴李崗文化 (はいりこうぶんか):黄河流域に発生した古代文化)

中国の書「史記」に記された‘殷’は伝説上の国ではないか?と思われていましたが黄河流域の河南省安陽市で遺跡が見つかり、今では実在の国とされています。
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(左の黄色ピンが殷墟、右のピンは孔子(紀元前5世紀)が生まれた曲阜)

殷:紀元前17世紀頃~紀元前1046年。四千年の歴史、と言われる所以です。
殷墟では、日本文化に影響を与えた漢字の基「甲骨文字」が見つかっています。
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しかし、誰にも馴染みの深いこれらの文明より更に5千年以上も昔、つまり今から1万2千年以上も前に「文明」があったことが明らかになりました!
1995年、遺跡が見つかったのです!


Wiki:ギョベクリ・テペ(トルコ語: Göbekli Tepe太鼓腹の丘)
新石器時代の遺跡。紀元前10,000年~紀元前9,000年頃に狩猟採集民によって建立された、世界最古と言われる石造の宗教建築(神殿)が発見されている。
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Google-Earthの映像です。
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以下はYoutubeからの映像です。
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ドイツの考古学者シュミット教授が1995年発見しました。
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地中を探査してみました!
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300mx300mの広さに分布しています。何層かになっているようです!
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神殿のようです。住居や食料倉庫ではありまえん。
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石柱と石で組まれた円形の囲みの中に高さ5.5mものT字型の石柱2本が対向して直立しています。
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石柱には彫り物があります。豹の立体像が彫られた石柱もありました。
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人の手とベルトが彫られた石柱もあります。
頭の部分は無く、神を表していると考えられています。
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同じ構造の建築物がいくつもあるのです!
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ストーンヘンジより6千年、エジプトピラミッドより7千年も前のものです!
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石器時代、火の使い方は習得していましたが車輪はまだ発明されていません。
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どんな方法で石を加工し、運び、神殿に仕立てたのでしょう?
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この建物を建てた人々はどんな暮しをしていたのでしょう?
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動物の骨が沢山見つかっています。
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ガゼルや羊などの骨が多く、食料だったと思われます。
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飼育ではなく野生の動物のようです。狩猟中心の生活だったようです。
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定住し農業をしていた痕跡はありません。近くに川が流れていた形跡もありません。
何故こんな場所に狩猟の民が神殿を造ることになったのか?

どうして三歳の子供がエンパイア・ステート・ビルディングを造ったのだろう?と自問している気分です!

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文明の発展は
FARMING→SETTLEMENT→RELIGION→TEMPLE→CITIES
( 農業  ⇒  定住  ⇒  宗教  ⇒  寺院  ⇒  都市)
だと思われていました。
この地では、順序が入れ替わり、宗教が農業より先に生まれたとしか思えません!
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レーダ測定から地中には更に数千年前の遺跡があることも判りました!
数十年で神殿は埋められ、その上に少し小さな神殿が!更にその上にも!
三層構造になっているのです!!!
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氷河時代の終わり頃に造られたのです!何のために?

集団生活を始めるようになり、互いの信頼を強固にするための共同作業として神殿造りが採り上げられたのでしょうか?

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氷河時代や石器時代、人間は多くの動物の中の一つでした。
しかし、神殿を造ることで動物の中心に位置するようになったのです。

Wiki:Göbekli Tepe
ギョベクリ・テぺは人間社会の形成手順に対する従来の概念を大きく変える極めて重要な発見だ。
「すべての概念が変わった!農耕民族でなく狩猟民族でもモニュメントを造ったのだ!」
「神殿がまず現れた。そして社会集団が現れたのだ!(発見者シュミット教授)」

同じパターンの神殿がいくつも造られているのもユニークだ。

しかし発掘が進むにつれ、新たな疑問が生まれてくる!

非定住の人々が住居でもない建物を何のために造ったのか?
寺院の柱に掘られた動物は他の動物を食い殺す「殺戮者」が多いのは何故か?
なぜ埋めては又、その上に造り直したのか?
なぜ同じような非居住の建物を沢山造ることになったのか?etc.


新たな発見が無い限り、ギョベクリ・ペテに関する疑問は解き明かされることはないだろう。
(Wiki完)

皆さんもご承知のアルタミラ洞窟壁画は、先史ヨーロッパ時代の区分で主にマドレーヌ期(約18,000年 - 10,000年前)と呼ばれる旧石器時代末期に描かれた、野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物を中心とする壁画です。世界遺産(文化遺産)にも登録されています。
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見学者たちの吐く息に含まれる二酸化炭素で壁画が劣化したので、1977年に閉鎖され、5年後に再開されましたが、ごく少数の人に限定され、申し込んでも3年待ちのようです。
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複製画です。バイソンが描かれています。
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前々回のブログで紹介しましたが、不思議の国アトランティスでは牛が神聖な動物とされていました。古代ヨーロッパにはバイソンのような野牛が多く、食肉用として重宝したので神からの授かり物として奉られていたのかも知れません。

しかし、エジプト文明よりも2倍以上も古い時代にメソポタミアに近いギョベクリ・ペテに巨石の神殿群が造られていたとなると、エジプト、ギリシャ、インド、それに中国などの文明のルーツは全てメソポタミア辺りか?と思われてきます。アメリカ大陸のマヤ文明やインカ文明などは、船で人が行き来して伝播したという記録も見つかっていないので、現地で自然発生したのだろうと思いますが・・・

ここまでくると文明の定義を見直す必要もありそうです。

Wiki文明
文明(ぶんめい、英: civilization, civilisation、ラテン語: civilizatioキーウィーリザティオー)は、人間が創り出した高度な文化あるいは社会を包括的に指す。

西欧語の "civilization"(英語)などの語源は、ラテン語で「都市」「国家」を意味する "civitas" に由来する。ローマ時代の文明とは、字義通りに都市化や都市生活のことであった。

文明の要素
マルクス主義の考古学者ゴードン・チャイルド(1892年-1957年)の定義では、文明と非文明の区別をする指標として次のように挙げている。
  効果的な食料生産  大きな人口  職業と階級の分化  都市
  冶金術  文字  記念碑的公共建造物(ピラミッドなど)
  合理科学の発達  支配的な芸術様式
チャイルドの定義以外に、すべての文明に共通するものとして次がある。   
  小麦、稲作、トウモロコシと言う貯蔵がきく食物の栽培。
  広範囲な貿易。
  単一の定住に比べてより広域な地域にまたがる組織や民族。
(wiki完)
しかし、これらがいくつ揃っていれば文明と呼ぶのかなど、不明瞭な点が残ります。

日本でも縄文時代(今から16千年~3千年前)には縄文土器と呼ばれる陶器が現れています。集団生活もしていたと思われます。しかし縄文文化があったと言う学者はいても縄文文明があったと言う学者はいないようです。
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文明とは何か?文化との違いは何か?にこだわるのは考古学者に任せ、一般人の私としては今の文明と文化を有るがままに享受して生きることに専念したいと思います。

さて次回は5月28日「続:青の不思議」です。お楽しみに。

(完)

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青天蓋ドーム;造り方の不思議


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青天蓋ドームの造り方
                    2014年5月18日  Mystery Hunter

ウズベキスタンの青天蓋ドームはどんな方法で造られたのでしょう?

ネット上には結構有力な情報がありますねぇ、今更ながらネットの威力を痛感しました!
それにまた、偶然というのは恐ろしい物で、何の気なしに見ていたNHK-BSでタージ・マハルの修復工事を取材した番組があり、念のためレコーダーで記録したのですが、これにもドームの構造を示す映像がありました!

ということで、ウズベキスタンに行く前にドームの造り方が概ね理解できましたので、一先ずご紹介しておこうと思います。現地で新たな情報が手に入れば、再度ご紹介します。

話が逸れて恐縮ですが、5月初旬に届いたメールを紹介させて下さい。
私が昔働いていた会社のネットワークで時々、近況を知らせてくれる先輩のものです。

「日に日に 緑深くなる今の時期が ‘惜春’ だそうで、詠んだ詩が‘年年歳歳花相似 歳歳年年人不同’。‘人同じからず’の意味するところは いろいろだろうが、私は 逝った人々を想う。夕方になると 酒が飲めたらいいなぁーーと。」

詩の出典を調べると唐の詩人のものでした。
  代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁(おきな)に代わる)――― 劉廷芝
    年年歳歳花相似  年年歳歳花あい似たり  いつになっても花は毎年同じだ。
    歳歳年年人不同  歳歳年年人同じからず  でも人は年を重ねれば同じではない。
上の2行はひとつの詩の一部です。全貌は次のURLでご確認下さい。
http://homepage3.nifty.com/TAD/poems_3/poem_35.htm

TVのコマーシャルで二枚目俳優が俳句を詠むものがあります。
   「不如帰(ほととぎす)明日はあの山、越えて行こう。」

「どうして変哲もない句を?」と思って調べてみると種田山頭火の作品でした。山頭火は、足の向くまま気の向くままの漂泊人生を送った人で、旅先で読んだ一連の句の一つが「不如帰」でした。

思うのですが、俳句は世界でも最も短い詩と言われていて、句を読むだけで作者の意図や心情を理解するのは困難です。「年年歳歳」の詩も、作者の置かれていた環境が判らなければ味わいは浅い、と思います。

でも、よく考えると、俳句や詩の観賞では、作者の気持ちより、読者、つまり我々が何を感じるか、がよっぽど大切に違いありません。
「年年歳歳」を読んで、酒が飲めない辛さを嘆いた先輩の心情を思うと言葉が出てきません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それでは、気分を変えて、まずは4月29日(木)NHK-BS3から。
(中央のハレーションはデジカメのフラッシュです。無欲の傑作!)
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下は今回修理するドームで霊廟の右隣の建物(モスク?)のものです。
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大理石の表面もドームの曲面にそって磨かれ、円みを帯びています。
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下はCG画面。
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大理石タイルの下は???レンガ構造でした!!!
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タージ・マハルは1653年に完成しました。ドームの造り方もサラッと説明されたのですが、アーチ状に積まれたレンガの上に大理石のタイルが、恐らく漆喰(モルタルmortar)のようなもので貼り付けられているのです。

下の写真はウズベキスタンのブカラにあるモスクMir-Arabの青天蓋です。アラビア文字が書かれた装飾部のタイルが剥がれた跡には粘土のような下地が見受けられます。
その上方のドームは表面に青のタイルが貼り付けられているように見えます。
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ウズベキスタンのサマルカンドにあるモスクの青天蓋です。所々で青いタイルが剥がれ、茶色の下地(多分レンガまたは粘土)が見えています。
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以上からウズベキスタンの青天蓋ドームは、レンガでアーチ状の天蓋を造り、その上に漆喰、粘土、またはコンクリートのような接着剤で青いタイルを貼り付けたものが多いのではないかと推察されます。勿論、レンガ同士の結合もタイルと同じ接着剤を使っていたに違いありません。

青タイルの造り方は後日紹介するとして、レンガのドームはどんな方法で造るのでしょうか?

Googleで「how to build brick dome」(レンガドームの造り方)をキーワードで検索するとドームの写真が出てきます。ピザを焼くための直径1~1.5m位のものが多いのですが、直径4,5mのドームも見つかりました。

まずはピザを焼くドームの造り方です。
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レンガをDIYなどで買ってきます。曲面用の角度が付いたものが何種類か販売されています!

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まず基礎を造ります。

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角度のついたレンガとコンクリートでドーム状に組み上げてゆきます。
この時、軸対象になるよう、中心に支点をもつ「ゲージ棒」を使います。これで簡単に綺麗な円形ドームを造ることが出来ます。
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ドームの上層部にレンガを積む時は接着剤の漆喰やコンクリートが乾かないとレンガが落ちてしまうので、内側に棒を当てがい、接着剤が固まるまでレンガの落下を防ぎます。
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空気で膨らむビニールボールを入れるのもレンガ落下対策に有効です!!
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アーチ状に切り取った板でレンガの落下対策をしている例もありました。
段ボール板も使っています!
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完成したドームは下の通りです。ピザ出し入れ用の開口もあります。
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以上はいずれもピザを焼く炉としてのドームで直径は2m以下です。

この方法がモスクのような大型ドームに使われているかは少々怪しいと思いますが、レンガの組み上げ順序や漆喰などで固めてゆく方法は同じではないかと思います。

つまりウズベキスタンのドームも、そのほとんどがレンガと接着剤の漆喰、粘土またはコンクリートで組み上げたもので、外面には青いタイルが、これまた接着剤で貼り付けられて造られている、と推察します。

極め付きは、インドで1998年に行われたドーム建設の記録です!
工事の様子を時系列で撮影した写真があります。
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ドームが造られた場所は南インド。目的は瞑想用で、宗教団体の要請でAuroville Earth Institute(アウロビル土木大学)の学生が造りました。ドーム直径22m、高さ8m、団体の要望に合わせ9週間という短期間で完成しました。
天蓋用レンガの大きさ(ドーム半径方向の肉厚)はドーム下側から上にいくに従い、53cm、42cm、36cmと段々うすくなり、最も頂上部では21cmです。
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特に大きなドームでは、天井の中央部は自重で落下しやすいので、薄くて軽い方がいいですよね、理屈通りです。
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上:ドームの下側で厚さ53cmのレンガを積んでいるところ。

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上:ドームの頂上近くで厚さ21cmのレンガを積んでいるところ。
ドームの軸対象性は床の中心からドームまでの距離をロープで測ってチェックしています。

ウズベキスタンのモスクの入り口部の修復前の写真がありました。
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煉瓦で出来た建物の側面に色付きタイルを貼り付けているようです。

煉瓦同士を固めてドームを組み上げる接着剤には乾燥前の雨は禁物だったはずです。一方、自然乾燥した後の粘土は想像以上に雨に強いとのコメントも見つかりました。ドームは雨が少ない砂漠地方だけでなく欧州、英国でもかなり昔から造られていますから、どこにでもある普通の粘土を使い、少々の雨でも大丈夫なよう少し工夫して工事をしていたのではないかと思います。

煉瓦は木型に粘土を詰めさえすれば同じ形のものを簡単に大量生産できます。
アーチ用の、木型を少し工夫して勾配が付きレンガも造られていたと推察されます。
耐久性をよくするため日干しでなく焼き固めいたレンガも使われていたと思われます。タイルを造る焼成技術は紀元前からあったようですから、この技術を応用した焼成レンガも紀元前から出現していたと考えてよいのではないでしょうか。が、日干しレンガでも外側にタイルを貼り付ければ直接雨に当たることがないので問題はないのかも知れません。

なお、我らがお釈迦様も仰っていたように、形あるものは必ず壊れるのですから、どんな青天蓋モスクも永遠に同じ姿で輝き続けることはありません。メンテナンス作業は欠かせません。
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            (印度;前正覚山洞窟内の断食をする仏陀像)

よって今も美しく聳えているには、連綿とした信者たちの汗があってこそと言えるでしょう。

(完)
なお次回は5月23日「文明の起源は宗教?」です。お楽しみに。

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アトランティスの不思議


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アトランティス(Atlantis)の不思議
               2014年5月 Mystery Hunter

今回はYoutubeからアトランティスについて紹介します。
が、その前に例によって漢詩を一つ。少し長いですが・・・

「行路難」李白
  金樽清酒斗十千  金樽の清酒 斗十千
  玉盤珍羞直萬錢  玉盤の珍羞(しゅう) 直(あたい)萬錢
  停杯投箸不能食  杯を停め箸を投じて食ふ能(あた)わず
  拔劍四顧心茫然  劍を拔いて四顧すれば心(こころ)茫然たり
  欲渡黄河冰塞川  黄河を渡らんと欲すれば冰(こうり)は川を塞ぎ
  將登太行雪暗天  將に太行に登らんと欲すれば雪は天を暗くす
  閑来垂釣座渓上   閑来(かんらい)釣を垂れて渓上に座し
  忽復乘舟夢日邊  忽ち復た舟に乘って日邊(注1)を夢む
  行路難 行路難  行路難し 行路難し      
  多岐路 今安在  岐路多し 今、安(いず)くにか在る      
  長風破浪會有時  長風もて浪を破ること會(かなら)ず時有り
  直挂雲帆濟滄海  直(ただち)に雲帆を挂けて滄海を濟(わた)らん


(注1)日辺:太陽の近く、という原義から、ここでは長安を指します。
my流の意(異?)訳:
 今は酒で鬱憤をまぎらわしている。人生とは思うに任せぬものだ。
 焦るな!好機は必ず来る。その時こそ直ちに世に出て大志を果たすのだ!
酒仙と称された、私の大好きな李白の力強い詩です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アトランティスの位置を特定しようと奮戦するアメリカ人考古学者が率いるチームの活動記録フィルムです。
多分、皆さんには初耳のネタではないでしょうか。
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        (フィルムの中のアトランティス(CG))

まずはアトランティスについてWiki情報をかいつまんでmh流にご紹介しましょう。

Wiki「アトランティス」
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プラトン(427-347BC)の著書「ティマイオス」及び「クリティアス」で記述された、大陸と呼べるほどの大きさの島と、そこに繁栄した王国のこと。ゼウスの怒りに触れて海中に沈められたとされている。
その名はギリシャ神話の神アトラスの女性形で、アトラスの娘、アトラスの海、アトラスの島などを意味する。ヘロドトス(484-420BC)は大西洋を既にアトラスの海と呼んでいた。現在も大西洋の英語名はThe Atlantic Oceanである。
また、スペイン対岸の北アフリカにはアトラスという名の山地もある。
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ディオドロス(紀元前1世紀)は『歴史叢書』でアフリカのアトラス山麓でギリシャ並の文明生活を送っているアトランティオイ人に言及している。

プラトン「ティマイオス」要約
ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の入り口の手前の外洋であるアトラスの海(大西洋)にリビアとアジアを合わせたよりも広い、アトランティスという1個の巨大な島が存在し、大洋を取り巻く彼方の大陸との往来も、彼方の大陸とアトランティス島との間に存在するその他の島々を介して可能であった。しかしやがて異常な地震と大洪水が起こり、過酷な一昼夜が訪れ、あなた方アテナイ(アテネの古名)勢の戦士全員が大地に呑み込まれ、アトランティス島も同様にして海に呑み込まれて消えてしまった。それ故その場所の海は、島が沈んだ際にできた浅い泥によって妨げられ、今なお航海も探索もできなくなっている。

プラトン「クリティアス」要約
9000年以上前、ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)のかなたに住む人々とこちら(ギリシャ)に住む人々の間で戦争が行われた時、アテナイ(アテネ)とアトランティスが軍勢を指揮した。アトランティス島の南の海岸線から50スタディオン (約9.25 km)の位置に小高い山があり、そこで大地から生まれた原住民エウエノルが妻レウキッペの間にクレイトという娘を生んだ。ポセイドーンは人間から隔離するために、クレイトの住む小高い山を取り囲む三重の堀を造ったが、やがてこの地をアクロポリス(中心の丘)とするアトランティスの都、メトロポリス(都市)が人間の手で形作られていった。

アクロポリスのあった中央の島は直径5スタディオン(約925m)で王宮が築かれていて、その外側を幅1スタディオン(約185m)の環状海水路が取り囲み、その外側をそれぞれ幅2スタディオン(約370m)の内側の環状島と第2の環状海水路、それぞれ幅3スタディオン(約555m)の外側の環状島と第3の環状海水路が取り囲んでいた。
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(アトランティスを紹介する古典。円形のメトロポリス(都市)が描かれている。)

一番外側の海水路と外海は、幅3プレトロン(約92.5m)、深さ100プース(約30.8m)、長さ50スタディオン(約9.25km)の運河で結ばれており、どんな大きさの船も泊まれる3つの港が外側の環状海水路に面した外側の陸地に設けられた。3つの環状水路には幅1プレトロン(約30.8 m)の橋が架けられ、それぞれの橋の下を出入り口とする、三段櫂船が一艘航行できるほどのトンネル状の水路によって互いに連結していた。

アトランティス島の南側の中央には一辺が3000スタディオン(約555km)、中央において海側からの幅が2000スタディオン(約370km)の広大な長方形の大平原が広がり、その外側を海面から聳える高い山々が取り囲んでいた。

代表的な諸説(Wiki
地中海説:
ギリシャ・サントリーニ島の火山噴火説。巨大カルデラの島で、爆発による津波でほろんだミノア王国をアトランティスとする。年代及び位置についてはプラトンの誇張があり、一桁間違っていて、9000年ではなく900年前、アトランティスの大きさも記録の10分の1であればミノア王国がアトランティスに適合する。ヘラクレスの柱もジブラルタル海峡でなく、現在のギリシャ南部のマタパン岬を指すと考えると辻褄が合う。
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mh:ミノア文明はクレタ(Crete)島で見つかった古代文明です。サントリーニ島は、クレタ島の北120kmの、青のモスクでも紹介した観光名所です。
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  (上:サントリーニ島。中央のカルデラ海にアトランティスのアクロポリスが??)
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       (上/下:サントリーニ島の青の風景)
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島にはAtlantisという名のホテル、Cafe、土産屋もあります!09398.png

大西洋説:
プラトンの叙述をそのまま適用すると大西洋にアトランティスがあることになる。しかし大陸と呼べるような巨大な島が存在した証拠はないので、アゾレス諸島やカナリア諸島などの実在する島や、氷河期の終了に伴う海水面の上昇によって消えた陸地部分がアトランティスとされることが多い。

その他、南極説、大海進説(氷河期の終焉で海面上昇があり水没した)、インド説などがある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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アトランティスはギリシャ、ローマ、エジプト、メソポタミアなど、地中海周辺に発生したあらゆる文明の起源だったと言われている。

しかし、実在したのだろうか?何処にあったのだろうか?

多くの人々がアトランティスを捜し求めてきたが成功した人はいない。
しかし今、人工衛星の情報と、新しい技術を駆使して、探し当てたかもしれない!
とすれば神話はついに現実になる!


アトランティスの話の全てはプラトンの本の中の数ページに記載されているだけだ。
ヘラクレスの柱(mh:ジブラルタル海峡だということは確実のようです。)の向うにある円形の港の都市を中心とした国だと記されている。
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このアトランティスがスペインのドニャーナ国立公園の広大な平地の中にある、と主張する考古学者がいる。ハートフォード大学(米国)のリチャード教授だ。
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ヘラクレスの北の柱「ジブラルタル岩」、南の柱「アフリカの山」、よりにある。プラトン(ギリシャ人)が言った通りだ!
リチャード教授はドニャーナにあった入江にアトランティスの中心都市が存在していたと考えている。
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実は1921年、2人の考古学者がアトランティスがドニャーナに隠れていると提唱した。
しかし多くの考古学者はこの説を無視した。
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2004年、ドイツの若き物理学者Rainer Kuehneが宇宙からの写真の解析を基にセンセーショナルな説を発表した。
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「私は今、泥の平原ドニャーナ国立公園の中にいる。」

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「まさにこの場所にプラトンのアトランティスが位置していたと私は考えている!」

Rainerは人工衛星が撮影したドニャーナの映像の中に奇妙な3つの同心円状の模様と、中心に長方形のスポットを見つけた。パターンもサイズもプラトンの記述に一致する!
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リチャード教授率いる調査メンバーの中にはアトランティスは単なる神話ではないのかと疑っている者もいた。がトロイの例もある!
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1870年、誰も信じなかったホメロスの叙事詩を追い求めたアマチュア考古学者シュリーマンは、紀元前13世紀の都市トロイを発見した。
神話と事実が時に一致することは証明済みだ!
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ではアトランティスは?本当にドニャーナにあったのか?

昔、ドニャーナには入江があった。この入江と衛星写真の同心円の位置は一致する!
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(上の絵はいずれもCG加工したものです。)

気球にカメラを付けて200mの上空から付近の撮影を行うことにした。
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津波がこの辺りを襲った証拠もほしい。大きな津波だった。町の建物は海に引きずり込まれたはずだ。近くの海に痕跡が残っていないだろうか?
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ソナー探査で水深12mの海底に異物が検知された。壁のようだ!垂直に立っている。
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しかし、この地はアトランティスではないという見方がある。ギリシャのクレタ島の文明こそがアトランティスとする有力な説があるのだ。
ミノア王国と呼ばれ、今も丘の上の粘土層で発掘が続いている。
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ミノア王国では牛はパワーのシンボルだった。アトランティスでも牛が神聖な動物として奉られていたとプラトンの記録にもある。120km北のサントリーニ島の噴火で起きた津波がクレタ島を襲った痕跡らしきものもある。プラトンの記述と同じだ!
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しかし、クレタ島の丘の上の遺跡には火山灰が積もっている。噴火で住民が死んだとすると、プラトンの言う「一日にして海に沈んで亡んだ都市」には当てはまらない。
ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)から遥かに「内(ギリシャ)側」にある点も矛盾する。

が、ドニャーナならプラトンの言う通りだ!必要なのは裏付けとなる証拠だ!

バルーンで撮影した写真を分析すると円形の場所に細長い痕跡が接続している!海に繋がる運河だろう。建物の跡と思われる四角な場所も見つかった。
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ERT(Electric Resistivity Tomography電気抵抗率断層映像法)で円形パターンの地中の様子を調べることにした。12m下まで調べられる。
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並行して口伝に着目した検討も行った。

聖書に「タシイシという南スペインの都市が、港として繁栄していた」と記載されている。

一方、タルテッサスという都市も地中海沿岸にあって、金属の産地として有名だった。地中海の周辺の都市とも行き来があった。

しかしタシイシもタルテッサスも突然、歴史から消え失せた!
タシイシもタルテッサスもアトランティスを指しているのに違いない!
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記録によればタシイシに行くには数年かかったようだ。昔、地中海のはずれにあるドニャーナに行って戻ってくる旅なら3年を費やした可能性がある。口伝通りの場所にドニャーナは存在しているのだ。

アトランティスは鉱物資源を持っていたことが知られているがドニャーナの近くにも金、銀、銅などの鉱山があった。
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更に、海の底で見つかったブロック状の岩は人工的なものだと思われる。
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壁や階段だったと思われる場所も見つかった。

陸地の調査では2つの人形が見つかった。文化があったのだ。
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円形パターンの場所で実施したERT調査による地中の密度と導電性の分布が判った。
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一挙に津波で海中に没したなら有機物は泥の中に閉じ込められ、数千年をかけて分解してガスになり地中の様相は変わったはずで、測定結果にも表れている。6~9m下には何かがある!
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カーボン・デイティングで紀元前5千年よりも古い植物が地中から見つかった。
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ここにアトランティスがあったのだ。それを確実に裏付けるには発掘調査が必要だが費用は莫大で、残念だが今は諦めるしかない。

1970年代、ドニャーナから250マイルのカンチョ・ロアノで新たな遺跡が発見された。
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南方の文化でアトランティス文化と類似している。
特に床のスレート(下右の写真)は南の文化の影響を受けた証拠だ。
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アトランティスをミニチュア化した都市だったに違いない!

神殿の儀式の間にある、動物の生贄を捧げた祭壇と思われる位置に特殊な印がある。
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     (上左:実際の状況、    上右:CGで印を強調したもの)
3千5百年前エジプトで使われていた印で、南の文化が伝わったという別の証拠だ。「エジプトはアトランティスと交流があった」とプラトンもギリシャ官僚から聞いている。
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更には神殿入口で、剣を持つ戦士と同心円状のマークが刻まれた石が見つかっている。
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このマークはアトランティスを象徴しているに違いない!海からの運河と中央の島の神殿が刻まれていてアトランティスそのものだ!

実はアトランティスにあった神殿の階段にもこの印が記されていたのだ。
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アトランティスはこのドニャーナの広大な泥の平原の下に今も眠っている!
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というところでフィルムは終わっています。

実フィルムを見て頂くと迫力ある進行を楽しむことが出来ます。是非お試しください。

なお次回は18日「青天蓋ドームの造り方の不思議」です。お楽しみに。

   
Atlantis-National Geographic Full Documentary 2014
(完)

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なぜ青か?


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青天蓋モスクの不思議:質問3「何故青なのか?」の解答(前篇)
                   2014年5月 Mystery Hunter
いよいよウズベキスタンの旅まで一カ月余りになりました。
青天蓋モスクの不思議(4月18日公開)の解答を求めてネットで調べていたらウズベキスタンの青に関する情報が多いので驚きました!

そこで一先ず、入手した情報の一部を紹介したいと思います。

不思議な質問3:何故、ウズベキスタンのモスクに青天蓋が多いのでしょうか?

私の現時点での解答をご紹介する前に次の問いについて考えてみて下さい!
「あなたの最も好きな色は?・・・赤、ピンク、黄色、緑、青、紫、黒、白?」
・・・・・・やはりそうでしたか!

それでは私が到達した解答をご紹介しましょう。
(旅行で新たな情報が見つかれば改めてご紹介します。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
青いドームと言えば、ギリシャ・エーゲ海に浮かぶサントリーニ島は世界でも有名な観光地です。白壁の建物に載った青いドームが青い空と海を背景にした構図は皆さんも一度は写真や絵で目にしたことでしょう。この青ドームは教会であってモスクではありません。
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いや~、文字通りピクチャーレスク(picturesque:絵のよう)ですねぇ。こんな綺麗な風景があるのですねぇ、世界には!

Wiki;Blue(青:英語版)を調べると多くの情報が見つかります。
古くはエジプシャンブルーという青の釉薬がありました。
古代エジプトで使われた全ての合成顔料の中で最も有名で、石英(砂漠の砂)、カルシウム(石灰岩)、アルカリ(植物灰、カリ、または砂漠の塩”ナトロン”)、炭酸塩と銅(特にマラカイト:孔雀石)の少量を約900℃に加熱して造られます。入手困難なラピスラズリやトルコ石の代用品としてガラスや陶器の釉薬に用いられました。

ダークブルーから淡いターコイズブルーへの様々なブルーの色調は、混合物中で銅とアルカリの割合を変えたり、粉砕の程度(粗挽き:ダークブルー、微粉砕:淡青色)を変えたりすることで得られます。
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左のダークブルーから右のターコイズブルーへの変化の様子を示す作品群
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が今回はウズベキスタンの青天蓋に限定していますので、以下ではウズベキスタン、青天蓋モスク、という観点から情報を紹介します。

Wiki;Blue
欧米での調査では男女とも半数以上が青を最も好きな色に挙げている
調和・信頼・信念を象徴し、空、海、氷、時には悲しみを現す色として使われる。
(Wiki完)

一方、Googleで「ウズベキスタン・陶器」をキーワードに検索すると山ほど写真が見つかりますが、キーワードに「青」を入れていないのに青を基調とした陶器が大半です!
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日本の陶器メーカーINAX(現LIXIL)が2011年末に「青の魅惑 イラン、トルコ、ウズベキスタンのやきもの」を主催しました。
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この展示会に作品を出展した作家に「なぜ青なのか?」と訊いた答えが紹介されています。

「イランの青、至高の“フィルゼ”は自然のトルコ石の色。自然にある色こそ最良である」
(ムハンマド・マフディ・アヌシュファル/イラン)

「イランでは青(フィルゼ)は水を意味する。水は命の根源。自然にも人間にも」
(サイード・アクバリー・ソヒ/イラン)

「“作家が熟練すればするほど色数が減ってゆく”という言葉は、まさにブルー&ホワイトを表す」
(メフメット・コチェル/トルコ)

「青は深遠でありながら自由そのもの。困難の末に得られる高貴の色」
(アディル・ジャン・ギュヴェン/トルコ)

「砂漠に水があると嬉しくなると同時に安心して心が落ち着く。陶器の青もそれと同じことだ」
(ルスタム・ウスマノフ/ウズベキスタン)

「青は、活力・生命力・愛情・感謝などすべての心の動きを活性化する。幸福と勝利をもたらす聖色である」
(アリシェル・ナジロフ/ウズベキスタン)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は知らなかったのですが、西アジア、中央アジア、イスラム文化圏と言われる地域は、青い陶器や青い建造物が多いことで有名なようです。特にウズベキスタンの青い空を背景にした青い天蓋の風景は、見た人に一生忘れられない程の鮮烈な印象を与えるのではないでしょうか、エーゲ海に浮かぶ島の青い教会・海・空と同じように!

それではウズベキスタンの全ての工芸は青が基調かというとそうでもないようで、例えば民族衣装は赤など華やかな色が好まれるし、毛織物、例えば絨毯、は赤が主体のようです。
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(Wiki;Blue続き)
キリスト教世界では、ビザンチン帝国の教会で描かれるキリストと聖母マリアは通常ダークブルーか紫の服を着ていることが多く、モザイクでは空を現す背景色として、ダークブルーは広く使われていた。

イスラム世界では、預言者ムハンマドが好んだ色で、緑に次いで重要な色として扱われていた(注1)。ある時期、イスラム化されたスペインや、その他のイスラム国家では、イスラム教徒のみが白または緑の服の着用を許され、キリスト教徒やユダヤ教徒は青の服を着ていた。
(注1)
Wiki;Blueの英語では次の文章で、預言者ムハンマドが好きだったのは青だと言っていると思うんですが・・・緑なんですかねえ、文法的には?自信がありません。
In the Islamic world, blue was of secondary importance to green, believed to be the favorite color of the Prophet Mohammed.

スペインから中央アジアにかけ、モスクではダークブルー、ターコイスブルー(トルコ石の青;青緑色)が広く使われていた。
(Wiki完)

イスラムの緑は、コーランの中で天国の服やソファーの色として現れているようです(Wiki)。また預言者ムハンマドのターバンの色も緑だったようで、イスラム教徒にとって重要な色とされています。

その表れとして例えば多くのイスラム国家の国旗には緑が使われています。
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上左:アルジェリア
上右:サウジアラビア
   (文字の意味:アッラーの他に神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒)

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上左:ウズベキスタン

また、イスラム第二の聖地メディーナのムハンマドが奉られている廟は「緑のモスク」と呼ばれ天蓋の色は緑です。
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(ご参考)イスラム三大聖地
第一の聖地メッカ:ムハンマドの生地(サウジアラビア)、
第二の聖地メディナ:ムハンマドの死地(メッカの北340km)
第三の聖地エルサレム:一神教の聖地、ムハンマド昇天の地(死地と異なる)

更にはコーランは緑のバインディングで閉じられているようです!
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ウズベキスタンには海がなく大半は砂漠です。その中に立つモスクの屋根の色としては晴れた空に溶け込むような青がもっともふさわしい色だったといえるでしょう。

緑や赤の天蓋を持つモスクも例外的に見つかりますが、緑は恐らく、天国とムハンマドに許される色で多用できない事情があると思われます。また赤は青い空に馴染みません。
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上:サマルカンドの青天蓋           上:天蓋を緑にした場合の絵
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上:天蓋を赤にした場合の絵          上:天蓋を青にした場合の絵

どうですか?やっぱり青が似合いますよね?
それに青はあらゆる生物に最も重要な空気(空)と水の色でもあります。
更には、繰り返しになりますが、調和・信頼・信念を表す色で、多くの人が最も好きな色でもありますからして、ウズベキスタンのモスクの天蓋は青が多いのです!

(ひとまず完。新事実があれば旅行後に紹介します。)
P.S.次回5月13日は「アトランティスの不思議」を投稿します。お楽しみに。

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ドームの不思議


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ドームの不思議
                2014年5月  Mystery Hunter (mh)
今回は公開済みブログ「青天蓋モスクの不思議」の続編「世界のドーム」をご紹介します。ネット上で見つけた情報です。

Wiki:ドーム(dome)
ドームは、アーチをその頂部を中心として水平に回転させた形状をしている。構造的にもアーチと類似しており、自重やその他の荷重をドームの面内に沿って下部に伝えるため、面外に屋根を支える支柱や壁が不要である場合が多い。このため、大空間を覆う屋根として適しており、かつ、構造上、高さが必要で荘厳な空間が形成されることから、歴史的に、古代ローマのパンテオンをはじめとする宗教建築に多く用いられてきた。

(mh)ローマのパンテオンです。
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Google-Earth3D映像を見ると屋根の様子がはっきり判ります。
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頂上部の丸い開口は眼窓 (oculus) と呼ばれ採光と換気の役割があります。
内部直径と眼窓の高さは同じ43.3m、眼窓直径は8mで、1千年の間、世界最大のドームだったようです!

内側の写真(左)と608年に万神殿からキリスト教会に変更された後の絵(右)です。
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Wiki: パンテオン(Pantheon)
ローマ市内パラティヌスの丘に建造された神殿。元々は様々なローマ神を奉る万神殿であった。最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された。
ローマ神が信じられなくなってからも象徴的な空間性のため608年頃にはキリスト教の聖堂となり・・・
(mh)英文Wikiによると外側はコンクリートで、軽量化のため火山岩を混ぜているようです。

Wikiドーム(続き)
日本語では、丸(円)屋根(まるやね)、丸(円)天井(まるてんじょう)、穹窿(きゅうりょう)とも。

英語 dome はイタリア語の教会堂 duomo (ドゥオーモ)に影響を受けている。どちらも語源はギリシア語 domos (家、住居)で、イタリア語の用法は元来「神の家」の意であった。

mh;ドームはキリスト教誕生以前にイタリアに存在していたのです!

Wikiドームの歴史の項をさらに読み進むと、メソポタミア(現イラク中・北部)のアッシリアのレリーフ(浮彫)に日干し煉瓦で造られたドームの家が描かれているようです。
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アッシリアは永い歴史を持つ国家でドームのレリーフがいつ頃の物か判然としませんが紀元前1500年頃かと思われます。イスラム教は610年頃にムハンマドが神の啓示を受けたのが始まりですから、イスラム教より2千年も前にイラク北部辺りで見受けられたことになります。

Wikiドーム(続き)
真のドーム建築技術を使い泥煉瓦でドームを建築した例は、紀元前6100年から紀元前4000年ごろのメソポタミアの Tell Arpachiyah(mh-1参照) に見られた。ローマ時代にドームを記念碑的に建築するようになるまで、中東では貧しい人々の住居としてドームを普通に使っていたと見られている。

mh-1:Tell Arachiya
現イラクの北部Nineveh Province(ニーナワー州)にあった国です。下の地図で3点のマークの所です。
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Wikiドーム(続き)
5世紀、ペルシャ(現イラン)のサルベスタンでササニド宮殿が造られ、知事官邸またはゾロアスター教寺院として使われていた。
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キリスト教以前のローマ時代のドーム建築は、浴場、別荘、宮殿、墓がほとんどだった。パンテオンも神殿としての性格も具えていたが、アグリッパ浴場の一部として建てられたものだった。

西ローマ帝国(395-476)末期にキリスト教信仰が隆盛をむかえ、ドームは宗教建築の象徴となり、東ローマ帝国(395-1453)で現世的建築にドームが使われるようになった。
(mh;ドームはモスクの専売ではなく、まずは教会として寺社建築に「布教」したのです!)

Wikiドーム(続き)
224年にアルダシール1世の建設したアルダシール宮殿の遺跡でわかるように、今日のイランの地にあったサーサーン朝はドームを造っていた。サーサーン朝の建築は、メソポタミアのドーム建築の伝統を受け継いだものと見られる。

西ローマ帝国が滅亡してから44年後の520年、東ゴート王テオドリックは、イタリアのラヴェンナにテオドリック廟に建設した。陵墓は幅10mのドームで覆われているが、煉瓦積みのドームが多かった当時としては珍しく、300トンの石板を丸く削ってドームとした。
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エルサレムの「岩のドーム」(Dome of the Rock)は685年から691年に建造された最古のイスラム建築の1つである。
聖墳墓教会など近くにあったビザンティン様式の教会を真似たと言われており、ビザンティンの殉教者廟に似ている。そのドームは木製で直径約20mあり、金で覆われている。
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岩のドームはイスラム、キリスト、ユダヤの3つの宗教の聖地中の聖地で、ドーム内には「礎石/岩/ピアスされた石」(Foundation Stone/Rock/Pierced Stone)がある。石の南東側の小さな穴は下の「魂の井戸」に繋がっているとされる。
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岩のドームの南西には「嘆きの壁」がありユダヤ教徒が管理するが、岩のドームそのものはイスラム教徒が管理している。

フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の八角形の煉瓦製ドームは1420年から1436年の間に建てられた。
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サン・ピエトロ大聖堂(イタリア語:Basilica di San Pietro in Vaticano)は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山。ドームは1588年から1590年にかけて昼夜を問わず工事が進められて架けられ、頂塔(ランタン)は1593年に完成した。
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ヴェネツィアのサン・マルコ寺院は、数百年に渡って改修や増築が続けられ現在の寺院が建てられたのは1063年で、古いギリシア十字型設計に5つのドーム(十字のそれぞれの腕に1つずつと中心に1つ)を具えている。
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トルコのエディルネにあるセリミエ・モスクは、オスマン帝国で建設された初の、アヤソフィアより大きいドームだった。八角形の土台の上に建てられ、内径は31.25mだった。
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聖ワシリイ大聖堂(露:Собор Василия Блаженного)はモスクワの赤の広場に立つロシア正教会の大聖堂。正式名称は「堀の生神女庇護大聖堂」(Собор Покрова что на Рву)。
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ムガル建築の傑作とされるタージ・マハルは、ペルシア、インド、イスラムの建築様式を組み合わせた墓廟である。1632年から1653年に建てられた。
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大理石製のたまねぎドームは高さが約35mで、7mの高さのドーム基部(穹窿胴)に載っている。

ロンドンのセント・ポール大聖堂は1677年から1708年に再建された。
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3層構造で、眼窓つきの内側のドームと鉛板で覆った木製の外側のドームの間に煉瓦を積んだ構造がある。

アメリカ合衆国議会議事堂の現在のドームは1855年から1866年に建設された。
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議事堂自体は石造りだが、ドームは鋳鉄製の鉄骨で組まれている。そのデザインはセント・ポール大聖堂のドームに影響を受けている。

第一次大戦後に発明されたジオデシック・ドームは正三角形に組み合わせた構造材を多数並べることによってドーム構造を形成している。
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ジオデシック:測地線(そくちせん、geodesics)
直線の概念を曲がった空間において一般化したもの。計量が定義される空間においては、測地線は、2つの離れた点を結ぶ(局所的に)最短な線として定義される。例えば東京とニューヨークを結ぶ地球表面上の最も短い線。実際は曲線だが、地球の中心から見ると直線になる

mh:日本のドーム
なかなか思いつきません。意外に少ないようです、野球場を除くと。

エア・ドーム
東京ドームの様に、屋内を陽圧にすることで空気圧により屋根の自重を支えているドーム建築。内外の気圧差は0.3%である。
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東京ジャーミイ・トルコ文化センター(渋谷駅の北西2.5km)
トルコ共和国の援助のもとに建立された日本最大のモスクで、「東京モスク」とも呼ばれるイスラム寺院です。
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Google-Earthによると約20m四方の建物で最も大きな円天井は直径8m。
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以上、面白そうなドームを一挙に紹介させて頂きました。

調べたところではドームは紀元前数千年に出現していて、キリスト教やイスラム教の寺を目的に生まれた建築法ではないことが判りました。

イタリアのテオドリック廟で紹介したように一つの石から削り出されたドームもありました!でもこれはかなり特殊な例で、多くはレンガかコンクリートが使われていることが確認できました。

木製もありますが、何が何処まで木製なのか、はっきりしていません。が、青天蓋モスクの不思議と関係が薄いので調査は打ち切りとします。

また、モスクのドームが青い理由に関する2つの重要な情報を発見しました!次回のブログ(5月8日)でそのさわりをご紹介します。6月ウズベキスタン訪問を終えたら現地調査結果を踏まえ「青天蓋モスクの不思議な質問」の解答総集編を発効する予定です。これもお楽しみに。

(完)

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