Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

世界の七不思議6:アレクサンドリアの大灯台

今回は紀元前3世紀頃にエジプトのアレクサンドリアに建てられた灯台をご紹介しましょう。
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ファロス(Pharos)という名の島に建てられたのでファロス島の大灯台、とか、ファロスが灯台の代名詞になってアレクサンドリアのファロス(Pharos of Alexandria)とも呼ばれています。

紀元前331年にマケドニアのアレキサンダー大王がこの地を征圧した時、町はRhakotis(ラコティス)と呼ばれていました。それを大王がアレクサンドリアと改名したのです。

その後、アレクサンドリアは急速に発展して世界最大の都市になります。ローマ帝国の傘下に組み込まれた頃は、ローマが世界最大でしたが、アレクサンドリアも第二の大都市でした。

古代のアレクサンドリアには2つの有名な施設がありました。大灯台と図書館です。入江を挟むように建てられていました。
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アレクサンドリア図書館について簡単にご紹介しておきましょう。
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図書館(Great Library)は前300年頃、プトレマイオス朝のファラオ、プトレマイオス1世によって建てられ、世界でも最大規模の資料が集められました。

しかし、西暦600年頃には度重なる火災で廃墟となり、近年、跡地に建てられた近代的な図書館に展示されている焼失を免れた資料はわずかです。
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広々とした空間の館内。
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焼失を免れた昔の資料の展示コーナー
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さて、それでは大灯台についてご紹介しましょう。

大灯台が建てられたファロス島は、入江の入り口にある人工の小島でした。
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15世紀後半に領主カーイトバーイが建造した砦(the Citadel of Qaitbay)が残っています。
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灯台の痕跡は全く見当たりません。
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灯台は10世紀、及び14世紀の大地震で崩壊し、消滅してしまったのです。島に残っていた建材は砦の建築に転用されました。

1994年、フランスの考古学者が砦近くの海底で灯台の痕跡調査を開始しました。
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御影石や石灰岩のブロックが沢山見つかります。7百年間、眠っていたものです。
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5エーカー(1.4km四方)に散在しています。
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5トンもの大きな石柱も採取されました。
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海底調査は今も続いています。
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沢山あるブロックの形状、サイズ、重量から、大灯台の実態を把握しようとしています。
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(Wiki;アレクサンドリアの大灯台)
紀元前332年、アレクサンドロス3世によってナイル河口にアレクサンドリアが建造された。アレクサンドロスの死後、エジプトは部下のプトレマイオス1世の統治下に置かれ、ここにプトレマイオス朝が開かれた。プトレマイオス朝はアレクサンドリアを首都としたが、この都市の周辺は平坦な土地が広がっており、沿岸航行や入港の際に陸標となるものが何もなかった。そのためプトレマイオス1世は陸標となる灯台の建造を決定した。

建造の指揮はクニドス(注参照)のソストラトスに任せられた。
(注)クニドス:小アジア(Asia Minor:現トルコ)の町。前回のブログ「ロドス島の巨像」の島の直ぐ近くにあり、当時はマケドニア帝国の小都市でした。

建造地にはアレクサンドリア湾岸のファロス島が選ばれた。島とアレクサンドリア港との間は人工的な通路で結ばれた。紀元前305年から工事を開始し、完成したのはプトレマイオス2世の代だった。

アレクサンドリア鋳造のコイン:
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左の裏面にはローマ皇帝アントニヌス(在位138-161年)、右の裏面には同コンモドゥス(在位180-192年)の肖像画が刻印されている。
(Wiki完)

大灯台は紀元前3世紀に完成しました。建設には数十年を要しました。
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高さは400フィート(120m)を超え、何百年もの間、世界で最も高い建造物でした。
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頂の大きな炉では火が燃えていました。燃料は木材や油だったと考えられています。
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その光は15マイル(24km)離れた場所からも見ることが出来ました。

建物は3つのセクションで構成されていました。
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基礎の上には正方形の塔が建てられました。その高さは70mでした。
第二のセクションには八角形の塔が載っていました。

これらの塔の中には螺旋の通路があり、ロバが燃料を運び上げていた、との記録が残っています。

頂には大きな炉とブロンズ製の反射鏡がありました。太陽光を集めれば敵の船を攻撃できた、との逸話が伝わっています。
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灯台は10世紀の地震で大きく崩壊するまで約1300年の間、建設された当時の姿で立ち続け、世界の七不思議の中で2番目に長続きした建造物になりました。で一番長続きしているのは、というと、エジプトの大ピラミッドです。
(緊急修正:ハリカルナッソスのマウソロス霊廟は1600年の間そびえていた、という事実を度忘れしていました!よってファロス(灯台)は七不思議で3番目に長続きしている不思議です。)

古代世界の七不思議シリーズは、いよいよ次回が最終回。唯一現存するエジプト・ギザの大ピラミッド(クフ王のピラミッド)です。

皆さんの中には既に実物を見た方もいらっしゃるでしょう。また、TVの特集番組を見て、いろいろな情報をお持ちの方も多いと思います。従って、ご紹介できる内容は新鮮味に欠けるのではないかとの危惧を持っていましたが、ネットで一生懸命ネタを探しているうち、久しぶりに不思議な質問に出くわしました。それは・・・来週月曜日までのお楽しみです。
(完)

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mh徒然草-6:世界終末時計

世界終末時計:Doomsday Clock

日本への原子爆弾投下から2年後、冷戦時代の1947年、にアメリカの科学誌 Bulletin of the Atomic Scientists (原子力科学者会報)の表紙絵として誕生した時計で、最後の審判の日(Doomsday)までどのくらい残されているのかを概念的に表す「時計」です。45分から零(ぜろ)時までが図案化されています。
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毎年1回、原子力科学者たちが見直していますが、福島原発の津波事故の翌年は残り4分、今年の1月の見直しでは残り5分になりました。原子力だけではなく異常気象も考慮されるようになったとのことでした。

世界中の人類を葬(ほうむ)ることができるものとしては、原子爆弾、異常気象(植物の滅亡)、疫病、宇宙的挙動(隕石衝突・太陽肥大化など)が考えられます。
しかし、一発の銃弾で殺されても、その人には終末ですから無視できません。

中国人民解放軍の予算は年率10%以上Upしています。尖閣の領有権を巡り中国と対立する日本は対抗策として2014年の国防費を対前年2.8%Upしました。NATO北太平洋条約機構はロシアのウクライナへの覇権行為に対抗し、軍事費2%増Upを決めました(9月5日のニュース)。

軍隊の膨張は他国への侵略か国内でのクーデターを起こすことが歴史で証明されています。

日本に関する卑近(ひきん)な例では日中戦争・太平洋戦争があります。明治維新の後、薩摩・長州・土佐の官軍から大日本帝国陸軍が生まれました。日清・日露・第一次世界大戦の勝利で味を占めると、帝国の拡大を求めて中国や韓国、東南アジアに侵略していき、日中戦争・太平洋戦争を仕掛けたのです。おかげで多くの民間人が犠牲になりました。
そういえば、国会中継で安倍首相に「日本が始めた侵略戦争についてどう思うか?」と野党議員が質問したら「侵略戦争という定義はありません。」と答えてましたね。侵略とも戦争とも認めていないのか?多分、戦争だが侵略ではない、という主張かと思いますが・・・
中国人や韓国人に限らず、多くの人は、相変わらず訳の分からぬことを言う首相だ、とあきれたに違いありませんが、首相の言う通りだ!と同調する人も最近は多くなってきたようですから、日本も段々と不穏になりつつあります。

軍隊によるクーデターは世界各地で起きています。

エジプトではジャスミン革命で独裁政権が倒されました。その後に選挙で選ばれたムルシー大統領はイスラム色を強く押し出し、これに対する国民の反感を切っ掛けに彼を引き摺(ず)り下ろした軍のリーダーが政権を掌握し、もう1年以上居座り続けています。

タイではインラック首相に反対する野党のデモが長期化し、鎮静に乗り出した軍が首相の席を乗っ取って居座っています。過去にも軍によるクーデターが何度かありましたが、その都度国王(ラーマ9世)が事を収めたので、軍事政権は短期的なリリーフでしかありませんでした。しかし、国王も今は84歳ですから、調停能力は衰退し、今回は長続きしそうです。

タイのお隣のビルマ(現ミャンマー)でも英国統治から独立した第二次世界大戦以降、軍事政権が半世紀以上も続いています。この間、国民民主連合のアウンサンスーチー女史が軟禁されたり、クーデターが起きたりしていますが、調べたらクーデターは全て軍同士の争いでした。結局、国民の声を武器で封じながら、軍部内で権力闘争を繰り返していたのです。

タイもミャンマーも仏教国です。クーデターはイスラム国家の専売品ではありません。

一旦権力を掌握した軍事政権は、甘い蜜の味が忘れられず、自発的に政権を国民の手に戻すことはありません。民衆が蜂起すれば、指導者は国家騒乱罪で投獄され、死刑になるでしょう。軍事政権を政権の座から引きずり下ろすには、更に強い軍事力を持つ国、例えばアメリカ、ロシア、中国など、の軍隊に頼るしかありません。すると今度は、外国の軍隊が居座り、外国の思惑で自国の未来が決まる運命を辿(たど)ります。

食物連鎖で頂点に立った人類は、地球資源を消費し、人類を抹殺(まっさつ)できる兵器を獲得し、殺し合いを繰り返しながら最後の審判の日Doomsdayに向けて突き進んでいるかの様です。

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世界の七不思議5:ロドス島の巨像

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2千3百年前に造られたブロンズの巨像(Colossus)で、ギリシャのロドス島(The Rhodes Island)にありました。
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16世紀にオランダ人画家ヘームスケルクが描いた絵です。

ロドス島はエーゲ海の東南に位置する島でギリシャの領土です。

話が飛んで恐縮ですが、ネットで探したギリシャ地図(下図)を見て驚いたのですが、トルコ(アナトリア)の直ぐ沿岸にある島も大半がギリシャ領なんですねぇ!
お釈迦様が仰(おっしゃ)るように、因果応報、原因があってこその結果ですが、どんな経緯(いきさつ)があったんでしょう。
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ロドス島の面積は1,400平方kmで人口12万人(2001年)。沖縄本島(1,208平方km)より若干大きいのですが、人口密度は沖縄本島の14分の1です。
緯度は東京とほぼ同じ北緯36度ですが地中海式気候のため冬でも温暖で、リゾートとして人気の島です。
Youtubeのフィルム“探偵エルキュールポアロ(主演デビット・サッチェット)”で舞台になっていてましたから、イギリス人にはよく知られている島のようです。

さて、話を戻すと、ロドス島の北端にはロドスという港町があります。
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町を代表するマンドラキ(Mandraki)ハーバの入り口では、一対の雌雄の鹿の像が訪れる船を迎えてくれます。
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鹿にはelafos 、elafinaという名があるようですが、由来は判りませんでした。20世紀、一時的にイタリア領になり(!?)その時に造られたようです(!?)。
対岸に小さく見える鹿の向こうには砦もあって観光スポットの一つです。

この鹿の像の間を抜けてハーバに入ると、正面にあるロドス城が大きく見え出します。
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聖ヨハネ騎士団(キリスト教の巡礼の保護を目的に派遣されていました。)の拠点として14世紀に造られたもので周長2kmの城壁に囲まれています。

冒頭に挙げた絵では、巨像は、ハーバ入り口の一対の鹿が建つ場所辺りをイメージして立っているようです。
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私が見たフィルムにも港の入口に立った像のCGが紹介されています。
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別のフィルムでは、鹿の像より外海側の入り口に立つ巨像のCG画像がありました。
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しかし、巨像が港の入口に建っていて股の下を船が通過するこれらの絵は、全て観光客向けのものです。記録による像の寸法は小さくて、このような構図は考えられないとのことで、今では、港を見下ろす高台の、基礎が岩盤で固い所、例えばロドス城がある辺り、に建てられていたのではないか、と考えられています。
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巨像は太陽神ヘーリオス(Helios)で、ギリシャ神話のオリンポス十二神でゼウスの息子のアポロンと同一視される神のようです。
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本体は高さ33メートル(110フィート)、台座を含めると約50メートルに達した、との記録が残っています。

ニューヨークにある自由の女神はロドス島の巨像をイメージして造られた像で、足から頭の上までの高さが34メートル(111フィート)でロドス島の巨像と同じです。
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台座の高さは47メートルで、地上からトーチ先端までは93メートルとのことですから、かなり高い建造物ということになります。

日本の銅像と比較してみましょう。
奈良の大仏(東大寺の盧舎那仏)は本体の高さが15mです。3mの台座に座っているので全高は18mになり、ロドス島の巨像の半分以下の高さです。
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奈良の大仏とよく比較される鎌倉・高徳院の阿弥陀如来坐像は、奈良より一回り小さくて本体の高さは11メートルで、台座の高さは2メートルです。
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さて話をロドス島の巨像に戻すと、物語は前305年に遡ります。アレキサンダー大王亡き後のマケドニア帝国は領土確保のためエーゲ海に戦線を拡大し、ロドス島にも押し寄せました。
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マケドニア軍の10分の1の戦力で船団に立ち向かったロドス島民は、彼等を打ち破ります。この勝利を記念し、島で豊富に産出されていた青銅(ブロンズ)を使って大きなモニュメントを造ることにしたのです。
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高台の基礎に木の支柱3本を立て、フレームで像の形を組み上げました。
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フレームに青銅板のピースを貼り付けて像の外観を整えました。
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像を安定させるため、足の空間に石を詰めて重くします。
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組立は下から進め、上を組み立てる時は土のマウンドを築いて材料を担ぎ上げていきました。
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最後に土を除くと巨像が現れたのです。
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大きくて不安定なことを配慮し、カモフラージュした第三の「足」を付けて巨像を支えました。
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着工から12年後の前284年に完成しました。

巨像は60年間立ち続けていたのですが、前224年、地震で倒れてしまいました。
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像全体が捻じれながら、膝から折れるように崩れていったと考えられています。
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その後、数百年の間、放置されていました。
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しかし、14世紀にロドス城が造られた時、部材のほとんどが溶かされて再利用され、僅かな痕跡しか残りませんでした。

近年、観光の目玉にしようと再建話も出ているようですが、費用の目途が立たず進んでいないとのことです。

フィルムは下のURLでお楽しみください。7分半です。
https://www.youtube.com/watch?v=GTjfWwd6h9s

タイトル:The Colossus of Rhodes
(完)

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mh徒然草-5:異常気象

久しぶりに漢詩をご紹介しましょう。大好きな李白の作品です。

子夜呉歌
   長安一片月  長安一片の月
   萬戸擣衣聲  萬戸(ばんこ)衣(ころも)を擣(う)つの聲
   秋風吹不盡  秋風吹いて盡(つ)きず
   總是玉關情  總(すべ)て是れ玉關(ぎょっかん)の情
   何日平胡虜  何れの日か胡虜(こりょ)を平(たい)らげ
   良人罷遠征  良人、遠征を罷(や)めん

長安の空に一片の月がかかり、家々からは冬支度のために衣をうつ音が聞こえてくる、秋風が吹き止まないのは、玉關の情が込められているから、いつになったら胡虜を平らげて、愛する人が遠征から帰ってくるのでしょう
(mh)
 玉關(ぎょっかん):玉門関。敦煌(とんこう)の西の砂漠にあるシルクロードの関所
 胡虜(こりょ):胡(こ)人。漢人にとっては異民族で、主にタクラマカン砂漠以西の人

子夜呉歌とは樂府の一種。子夜という娘が作った呉の地方の歌である。李白はこの曲に合わせて、春夏秋冬それぞれを歌った四首の詞を書いた。これは秋を歌ったもので、四首のなかでもっとも有名なものである。

(以上はネットからコピペしました。漢詩と言えば絶句・律詩が普通で、前者は4つ、後者は8つの句で構成されるのですが、この詩では句は6つ。女性の形式と言われています。
しかし、いい詩ですねぇ。長安の甍(いらか)を覆(おお)う、海の底のように静かで蒼い夜空。その中にひとつポツンとあって煌々と輝く一片の細い月。暗闇に包まれていた長安の町は霜が降りたように白く浮き上がります。その町のあちこちに、遠く離れた戦場の夫を思いながら衣を打つ妻たちの機織(はたおり)の音が、静かに、リズミカルに流れているのです。満月ではなく一片の月なのも一人寂しく機(はた)を織る妻の心情を鮮烈に映し出しています。)
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mh徒然草:異常気象

8月30日、NHKスペシャル「異常気象」でHiatus(ハイエイタス)という単語を初めて聞きました。翌31日(今日です)に辞書で調べたら「中断、とぎれ」だと知り、納得しました。

番組の要旨をmh流に纏(まと)めると次の通りです。
「これまで経験したことがない規模の、竜巻、大雨、干ばつなどが頻発するようになった。その原因は偏西風の蛇行パターンの「固定化」だ。インドネシア付近の海水温が0.3℃上昇し、付近で高温の水蒸気が多くなり、これが上空に昇って結合して更に大きな水滴になって雲になる時に熱が生まれ、上空の大気温度が上昇し膨張する。すると、この付近を通過する偏西風は弾(はじ)かれて、北向きの力を受ける。インドネシア付近で常に偏西風が北向きに流れることで蛇行パターンは固定化しやすく、一旦偏西風の南の領域に入ると、その地域では大気温の高い日が長く続き、北領域に入ると大気温の低い日が長く続ことになって、異常乾燥、異常降水が起き易い。」

「地球温暖化で全体の温度が上昇傾向にあることは間違いない。しかし、この百年間の大気温と海面水温だけ見ると、右肩上がりで上昇してきたものの、この10年は上昇が止まっている。この現象を学者たちはHiatus(ハイエイタス:中断、とぎれ)と呼んでいる。地球の温度は上っていないかのようだが、実は水深700m以下の海水温は0.03℃上昇している(注を参照)。その理由は判明していない。Hiatusは、近い将来、さらに大きな気象変化を引き起こす可能性が高い。」
(mh注:海水の熱容量は大気の熱容量の1000倍です。深海の海水温が0.03℃上がるということは同じ体積の大気なら30℃の上昇に相当しますので大きなエネルギーです。)

地球の温度が急速に上昇してきた原因は明確ではないようですが、大気中の二酸化炭素の増加が最も疑われています。場合によると、気象学会などは既に2つの因果関係を公式に認めているかもしれません。

二酸化炭素の排出量は1900年頃から急速に増加し、2010年は1960年の2.5倍です。
大気中の二酸化炭素量は、50年で315ppmから379ppm程度までUPしました。
http://www.jnfl.co.jp/recruit/energy/warming.html
一方、二酸化炭素を酸素やその他の物質に変換してくれる森林は減少しています。
http://www.shinrin-ringyou.com/forest_world/menseki_gensyou.php
二酸化炭素を生み出す人間の数は今後も増加していくことが予測されています。
http://arkot.com/jinkou/

mh流にまとめると「人口の増加が異常気象に拍車をかけている」のです。

最近、穀物や野菜、果物の不作が散発し、スーパーでも値段が高くなりました。高値は居座って、更に高値を呼ぶ可能性もあります。農家も大変です。今までと同じことをしていては自活できなくなるとの危機感から、山形のあるサクランボ農家は北海道でサクランボ栽培を始めたとか、ある農業研究機関が高温に強い稲を開発し農家への普及を進めている、といったニュースが番組でも紹介されました。その一方で、特に年配の人に多いようですが「今更ほかの場所に移ったり、他の作物を手掛けたりしても、成果が得られる保証がないから、今の場所で、今の作物で耐え凌(しの)ぐ」と決めている人も多いようです。

人口増加による食料消費量の増加、温暖化による異常気象での食料生産量の減少。
これら二つの傾向は今後も続くと想定されますから、食糧不足は常態化し、お金を沢山払わないと必要な食べ物が入手できなくなっていくのです。日本でもホームレスや一人暮らしの年金生活者などから餓死者が出始めるかも知れません。
異常気象による作物の不作を待つまでも無く、日本では農業政策の失敗で食糧自給率は低下の一途です。海外の食糧生産国にも異常気象は等しく発生しますから不作の時が多くなり、食糧争奪戦が世界中で勃発(ぼっぱつ)することも想定されます。

そのような状態にならぬよう、二酸化炭素の発生量を減らす施策を進めて温暖化を解消しよう!という意気込みだけでは大きな改善は期待できません。後進国では、車の台数は急速に増加し二酸化炭素排出量は増え続けています。だからと言って「車を持つな!」という権利は先進国にはありません。

となれば、やらねばならぬことは一つ。食料の増産です!

幸い、日本は水が豊富です。農業に適した国だと言えます。また、海に囲まれて海産物にも恵まれています。
山には温暖化を想定した種類の果物を植え、平地には機械が入れる田畑を拡大して少ない人数で沢山の米や野菜が作れる工夫をする、異常気象に備えて室内栽培の比率を増やし、田畑が洪水でやられぬよう治水対策を進める、海では海産物の養殖や繁殖を促進する、などなど。打てる施策は山ほどあります。

年金生活者の私がこれから農業や漁業を始めるのは不可能ですが、農業や漁業の拡大を目指して頑張る若者や企業を、投資という観点から支援することは微力ですが可能なので、外貨建て投資一辺倒の方針を若干見直してみようかな?なんて考え始めています。
(完)

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世界の七不思議4:ハリカルナッソスのマウソロス霊廟

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ハリカルナッソス(現在のトルコ共和国ボドルム)にあったマウソロス王(在位:前377~前353)の墓です。妹で妻だった王妃アルテミシアによって完成したとされています。

ハリカルナッソス(現ボドルム)はエーゲ海に面したトルコのリゾートで、世界七不思議のアルテミス神殿があったエフェソスの南100kmにありました。
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ボドルム湾入口の東には城跡、西の高台には大きなプールがあります。
マウソロス霊廟跡は海から2百mで、更に2百m山側には円形劇場跡があります。
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円形劇場からの風景。湾に突き出した城跡が見えます。
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高台のプール!Google Earthで「何かな?」と思い調べてみました。結構大きく洒落ています。
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1404年、ロードス騎士団(聖ヨハネ騎士団)が造ったボドルム城(聖ペテロ城)。
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騎士団は、聖地エルサレムと、聖地に向かう巡礼者を守るために派遣されていました。
城のあった場所は島でしたが、埋め立てられて陸と地続きになりました。

霊廟は街の中でひっそり隠れるように保護されています。
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敷地への入場料は5トルコリラ(約300円)です。

マウソロス(Mausolus)は、前377年から前353年にかけて小アジア(アナトリア;トルコ)西部のカリア国を統治したアケメネス朝ペルシャの州知事です。父の後を受けてカリア国の統治者になりました。

当時、カリア国は、ペルシャの首都ペルセポリス(イランの南西部の古都)から離れていたことに加え、州知事だった父が野心家で、近隣の都市や地域を支配下におさめていたため、事実上の独立国でした。息子マウソロスもまた、さらに領土を拡大し、最終的には小アジアの南西部全域を手中に収めようとしていたようです。

マウソロスの妻アルテミシアは実の妹です。当時、カリア国の統治者はその姉妹と結婚するのが慣習でした。家族内で権力と富を継承し続けるためです。

マウソロス霊廟(Tomb of Mausolus)は、マウソロスとその妻アルテミシアの遺体を安置するために造られました。
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この霊廟は、マウソロスの死後に妃アルテミシアが夫のために建造したとも言われていましたが、実際はマウソロスの生存中に建造が始まり、王の死の3年後、アルテミシアの死から1年後の、前350年に完成したようです。
霊廟の壮大さから「マウソレウム(mausoleum)」という、霊廟を表す名詞が生まれました。

この霊廟のモデルになったのはペルシャ王ダレイオス1世(Darius the Great)の墓です。
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ダレイオス1世:前558年頃 - 前486年、アケメネス朝ペルシャ第3代王

今でも、マウソロス霊廟をコピーした建物が見受けられます。
ワシントンDCにあるフリーメイソンの寺院
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オーストラリア・メルボルンの神殿
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マウソロス霊廟はギリシャ人建築家のピュティオスとサテュロスが設計しました。
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大きさや構造に関する信頼できる情報が伝えられています。
高さは42m。基礎部は一辺33mの正方形でした。
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頂きには、王と子供を抱いた王妃が乗った四頭立ての戦車像がありました。
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像が載っていた屋根は階段状で、エジプトのステップ・ピラミッドに似せたものでした。
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屋根を支える大理石の柱は36本で、強度を保つ工夫がされていました。
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積み上げられた石柱は金属製の連結部品で繋げられていたのです。
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同じ工夫は基礎にも使われていました。
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金属部品で石のブロックを連結して礎石としました。おかげで、軟弱な土壌の上に建てられた霊廟も強固に支持されていたのです。
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柱の下の大きな台座には、高名な彫刻家によってレリーフ(浮彫)が施されていました。
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実物の2倍以上の大きさの彫像も並べて飾られていました。
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墓室は台座の下にありました。
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デンマーク人により発掘されました。
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中は既に盗掘されていて空でした。
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マウソロスが死ぬと妻アルテミシアは女王に就任しますが、2年後、王の後を追うように亡くなりました。
夫マウソロスの遺灰をワインに混ぜて飲み、悲しみのうちに息絶えたといわれています。
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この伝説から、アルテミシアは献身的な妻の象徴になりました。マウソロスとアルテミシアの遺灰を入れた骨壷は完成間近の霊廟に収められました。廟の完成はアルテミシアの死から数年後のようです。

以降、マウソロス霊廟は、ハリカルナッソスの中心地に聳(そび)え続けていました。
前334年にアレクサンドロス大王によって町が陥落した時も、前60年前後に海賊の襲撃を受けた時も、ほとんど被害を受けませんでした。

廃墟になった町を見下ろしながら聳えていたのですが、建設から1600年後、度重なる地震のために柱が崩れ、屋根の馬車像は地に落ち、1404年には土台が確認されただけでした。

石材は湾入り口のボドルム城(1404年完成)に転用されていることが確認されています。
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最後にマウソロス霊廟跡の現在の状況写真をいくつかご紹介しましょう。
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(完)
月曜:世界の不思議
金曜:mh徒然草
を投稿します。  Mystery Hunter

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MH徒然草-4:中国人が中国を捨てて逃げる先は?

8月23日の朝日新聞一面に「子に米国籍を・中国人出産ツアー」とあり、二面にはこの続きで「年2万人・中国人妊婦が殺到、投資と引き換え・米国永住権、新富裕層・将来見通せず移民」と題してレポート記事が載っていました。
その中に、家族や資産を海外に移し、自(みずか)らは中国で働く官僚の存在が紹介されていました。「裸官(ルオコワン)」と言う名が付けられ、広東省だけでも2、190人、内866人は左遷されたとのこと。

記事の最後は次のように結ばれていました。
「中国には、経済成長を経てもなお未来を信じることができない富裕層がいる。米国は、その資金も糧(かて)に経済危機からの立ち直りをはかる。二大経済大国のいびつな関係を、ヒトとカネの動きが映し出している。」

中国の共産党独裁政権は、歴史が示すように、今後も膨張を続け、最後は外力または内紛(クーデター)で崩壊する運命を辿(たど)ると思われます。中国には選挙制度がないので国民が民主的に政治体制を変革してゆく手段が無いのです。ソ連邦の無血(?)解散をもたらしたゴルバチョフのようなリーダ、中国の場合は主席、が出現すれば国の破滅は回避できるかも知れませんが。

国家主席以外の共産党高官には、独裁政権の流れに乗って世を渡る選択肢しか残されていないのですが、新たな文化大革命(クーデター)が起きて天安門広場で公開処刑される可能性もありますから、そうなる前に海外脱出する算段を整えている「裸官」が多いのも頷(うなず)けます。

しかし、脱出先の第一候補が主義主張で対立する米国、というのは皮肉です。
なぜ日本ではないのでしょうか?

理由は明白です。日本には魅力が少なく、外国人を受け入れる土壌もないのです。とすれば、中国人でなくても、国外脱出先に日本を選ぶことはありません。

旅行で訪れて日本を好きになってくれる人は沢山いますが、日本を永住先として選ぶ人は稀(まれ)で、まずはアメリカ、欧州諸国、時には中国(!)を選ぶのです。
となると、中国脱出に備えている中国人より日本に住み続けるしかない日本人の方が、将来は暗い!と言えるかも知れません。

(完)
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世界の七不思議3:オリンピアのゼウス像

ギリシャ神話によれば、アテネの北300kmのギリシャ最高峰オリュンポス山(海抜2917m)の頂きにオリュンポス十二神と呼ばれる12人(?)の神が暮らしていました。

  1.ゼウス    2.ゼウスの妻ヘーラー  3.ゼウスの娘アテーナー
  4.アポローン  5.アプロディーテー   6.アレース
  7.アルテミス  8.デーメーテール    9.ヘーパイストス
  10.ヘルメース 11.ポセイドーン    12.ヘスティアー
前回のブログで紹介したエフェソスの女神アルテミスも含まれています。

12人(神)なのは1年が12ヶ月あることに関係あると思います、確証はありませんが。

十二神の中でも特にゼウス(Zeus)は、ギリシャ神話の主神たる全知全能の存在で、全宇宙、天候(特に雷)、社会秩序を司る天空神、つまり神々の王です。

このゼウスが赤ん坊の頃、彼を喜ばせようと4人の男がオリンピアと言う場所でランニング競走をしたのですね。
オリンピアはペロポネソス半島西部、現イリア県、のエリスと呼ばれていた町の一角です。
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このランニング競走を記念して、4年に一度オリンピアでオリンピックが開かれることになったのは紀元前776年でした。スタジアムやゼウスを祀る神殿などが造られました。
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右上の、黄色いピンがある全長200mの白い長方形の場所はスタジアム、そこから150mほど西(左)がゼウス神殿です。

神殿は紀元前460年に完成しましたが、その時はまだゼウス像は祀られていませんでした。

同じ頃、アテネのアクロポリスにパルテノン神殿が造られ、十二神の大理石像が次々に据え付けられていました。女神アルテミスを造ったのは彫刻家ペイディアスでした。
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彼はアルテミス像を完成させると、オリンピアの神殿にゼウス像を据え付ける仕事を命じられ、現地に派遣されました。オリンピアでは競技大会も開かれていて彼も見学したはずです。
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スタジアム脇のゼウス神殿は天井が高く、小さな像ではバランスが取れないので大きな像を造る必要がありましたが、完成している建物に大理石の巨像を据え付ける技術はまだ確立していませんでした。
そこで彼は象牙を使い、「張りぼて」の巨像を造ることを思いついたのです。
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象牙を大きな甕(かめ)に漬けて柔らかくし(補足を参照)、切り開いて板状にします。
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それをいろいろな形に加工して、木枠の架台に張り付け、胴体や足などの部位を造りました。
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全ての部位が完成したところで、解体します。
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解体したパーツを神殿内に準備した木枠に張り付けてゼウス像が完成したのは製作開始から7年後の紀元前435年のことでした。
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神殿の奥に収められ、その全幅は神殿の通路幅とほぼ同じでした。座像でありながら、全高は約13メートル(約45フィート)もあり、前1世紀の地理学者ストラボンは「もし、ゼウス像が立ち上がったら、屋根を突き抜けてしまうだろう」と像の壮大さを表現しています。
座部(椅子)は金、象牙、黒檀、宝石で飾られていました。右手には勝利の女神ニケの彫像を持ち、左手には鷲が止まった錫杖を持っていました。
その姿は硬貨にも残されました。
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昔描かれたイエスの絵には、ゼウス像に似た構図がよく見受けられます。
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米国ワシントンのリンカーン大理石像はゼウス座像をイメージしたものでした。
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ゼウス像が神殿内で完成すると、その壮大さが評判になり、ギリシャ国内にある唯一の七不思議に選ばれて参拝者は絶えませんでした。

しかし、ギリシャがローマ帝国の属国になると、帝国の国教だったキリスト教による「カルト排斥」で、神殿は閉じられ、オリンピックも中止になり、オリンピアは凋落してしまったのです。

建造から800年後の西暦395年、ゼウス像は、発足したてのビザンツ帝国(東ローマ帝国)の首都コンスタンティノポリスに移されました。その後の消息は不明ですが、7世紀の中頃に焼失したと考えられています。

神殿跡は、オリンピアの古代遺跡群としてスタジアム跡などと共に世界遺産に登録され、多くの観光客が訪れています。
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神殿西面の梁(はり)の上の空間に飾られていた彫像群(オリンピア考古学博物館蔵)
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現在のオリンピア・スタジアム。奥に見える入場通路の先にゼウス神殿があります。
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(付録)
象牙を柔らかくする方法ですが、ドイツ人が見つけたオリンピアの遺跡から沢山の甕(かめ)の欠片が発見され、その中にゼウス像の制作者ペイディアスの名が刻まれたものがいくつも見つかったので、液体を使って象牙を軟化したのではないかと考えられています。実際の方法についての記録は見つかっていませんが、酢に漬けると軟化することは確認されています。

また「張りぼて」の像ですが、日本でも仏像を似た方法で製作していました。
       <興福寺の国宝、阿修羅像の前面と後面>
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脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり):
木製の芯木で像の骨組みを作り、その上に粘土(塑土)を盛り上げて像の概形を作ります。その上に麻布を麦漆で貼り重ねて像の形を作ります。麻布の大きさ、貼り重ねる厚さなどは像によって異なりますが、おおむね1センチほどの厚さになるまで何回か貼り付けます。こうしてできた張り子の像の上に最終仕上げの漆塗りをして完成させた後、背面などの目立たない部分を切開して中味の塑土を掻き出して内部を空洞にし、そこに補強と型崩れ防止のための木枠を組みこめば完成です。
こうして造られた阿修羅像は高さ153cm、重量は台座を含めても25kg足らずとのことです。

NHK大河ドラマは私の趣味ではないのでいつも見てはいないのですが、家族が見ていて、それを漏れ聞いていたら「軍師官兵衛」で高山右近が「ゼ(デ?)ウス様」と言っていました。
「あれ?」と思って調べると次の通りだと判りました。

日本にキリスト教が布教された時、神(具体的にはキリスト)を日本人に教える際、ラテン語・ポルトガル語で神を意味するDeus(デウス)を使いました。決してZeus(ギリシャ神話のゼウス)ではありません。が、デウスは少し発音し辛い上にゼウスとも聞き取れるので、混同しがちなのです。この辺りについて正確に知りたい方は次のURL(wikiデウス)の「日本のカトリックにおけるデウス」の項でご確認下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9

7不思議のゼウス像の製作から焼失に到る歴史を紹介したフィルム(11分)です。
Seven Wonders of The Ancient World-Statue of Zeus at Olympia
https://www.youtube.com/watch?v=xQI58xjcNVg

オリンピアにある考古学博物館の紹介フィルム(4分)です。
The Archaeological Museum of Olympia - Greece
https://www.youtube.com/watch?v=EwKxxKtJblo

なお、年代や像の寸法に関するフィルムとWikiの情報には一部で不一致がありましたのでmhが選択した数値を紹介させて頂きました。七不思議の概要を知る上では支障はないと思います。ご了承下さい。

(完)
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MH徒然草ー3:ふるさと納税

TVワイドショーでふるさと納税を解説していました。コメンテータとして出演していた元総務大臣で元鳥取県知事の片山氏は、問題がありそうなシステムだが、やり方次第で地方活性化も可能かもしれない、と言っていました、というのはmhの見立てで、本人に確認すると違うかもしれません。また、TVなので本音の半分も披露していないかもしれません。

インターネットで調べた結果を例に紹介すると次の通りです。
妻と2人の子供をもつ年収7百万円の男が3万円をふるさと納税したとします。すると、年末調整で2万8千円が戻ってきて実質出費は2千円となります。しかし、3万円を贈られた「ふるさと」から、感謝のしるしに米10kgx6袋が送られてくるのです。
(1万円なら米10kgx2袋、という実例があったので、3万円で6袋としました。)

10kgのお米は凡そ5千円ですから6袋なら3万円です。つまり3万円をふるさと納税すると3万円相当の米をお礼でもらうことができ、後日2万8千円の税金還付(かんぷ)がありますから、結局、2千円で3万円相当の米を手にすることが出来るのです!!!

納税先の「ふるさと」は生まれ故郷(こきょう)でなく、全国、どこの市町村でも好いとのこと。

こんな旨(うま)い話は放(ほう)っておいてはいけませんね。どの市町村なら幾らの寄付でどんな返礼をしてくれるのか、直ぐにインターネットで調べましょう。但し年収によって納税限度額が決まっているので事前に確認してください。年収5百万円だと2万円が限度のようです。戻ってくるお金は1万8千円で、実質出費はこの場合も2千円です。

しかし・・・・・・話が旨(うま)過ぎます!
そこには当然ですが、カラクリが潜(ひそ)んでいるのです!

実は、還付されるお金の凡そ20%を国が、80%を納税者が住む自治体が負担して納税者に返済するのです。
結局、国と、納税者が住んでいる自治体の税収は、ふるさと納税が増えるにつれて減少するのです。既に国は1000兆円の赤字で、自治体も赤字だと思いますから、赤字が更に積み上がることになります。

この赤字は、国民や自治体の住民が、いつか必ず負担しなければいけないのですから、ふるさと納税した人が得(とく)した分、ふるさと納税しなかった人が負担することになります。「だったら、負担するよりも負担してもらう側に回ろう!」と猫も杓子(しゃくし)もふるさと納税に走ったとしても不思議はありません。

しかし、私は、やらぬ人に損害が及ぶようなふるさと納税に飛びつくつもりはありません。

なんで、こんなミョウチクリンな、国民を猫や杓子にしてしまう方法が導入されることになってしまったのか。田舎の活性化を狙ったのでしょうが、ねずみ講のような納税システムを思いついた政治家、官僚の発想は貧困で、歪(ひず)んでいるとしか思えません。

このような情けない税制、税の運用、溜まる一方の赤字への不感症、が平然と蔓延(はびこ)り続けるようでは、日本の崩壊は間近いでしょう。「日本円を米ドルか豪ドル、加ドルなどの外貨に代え、いざとなれば海外に移住する体制を加速しないといけない!」との思いを新たにしました。

中国の共産党高官にはアメリカ西海岸に別荘を持っている人が多いようです。中国人の若い女性だけが大勢くらしている「中国人リゾート」と呼ばれる町も出来ています。いざとなれば中国を、場合によれば家族も捨て、アメリカに逃げ出す計画なのです。卓越した先見性であり、見習うべき行動力(!?)と言えます。

(完)
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世界の七不思議2:エフェソスのアルテミス神殿

アルミテス神殿は下の絵で、左列、上から2つ目です。
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紀元前2世紀頃ギリシャ人が選んだ「死ぬまでに見ておきたい七つの建造物」のひとつ、アルテミス神殿はトルコ西海岸のエフェソスと呼ばれた町にありました。

神殿は千年以上も前にほぼ完全に消滅して、今は基礎の石が僅かに残るだけの草地です。しかし、古代の町エフェソスに残る他の遺跡が多いので、これを見るために訪れた観光客が、ついでに神殿跡地も観光している、というのが実態ではないでしょうか。

そこで、今回は、アルテミス神殿だけでなく、その周辺にもスポットを当ててご紹介します。

何はともあれ、まずはアルテミスについて紹介しなければいけないでしょう。
アルテミス(Ἄρτεμις, Artemis)は、ギリシャ神話に登場する狩猟・純潔の女神です。
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上はベルサイユに残るアルテミス像で、ローマ風の彫像です。

ギリシャだけでなく、小アジア(トルコ、シリアなど)でも広く信仰を集めた女神で、各地に彼女を祀る神殿が建てられましたが、七不思議に選ばれたのはエフェソスの町のアルテミス神殿です。

エフェソス、現在のセルチュク(トルコ語:Selçuk)、にある「エフェソス考古学博物館」には、紀元前1世紀に造られたアルテミス像が展示されています。
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胸に沢山の乳房(ちぶさ)が付いていて、豊潤の女神としても崇められていたようです。
この写真を見て思ったのですが、ひょっとすると、ギリシャ神話のアルテミスは、ブログ「メソポタミアの不思議」で紹介した女神が元なのかも知れません。つまり、メソポタミアの神がギリシャ神話になった、という可能性です。

エフェソスはトルコの西海岸の町で、ピタゴラスが生まれたサモス島は目と鼻の先です。
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町は紀元前10世紀に造られました。前129年に共和制ローマの管理下に入って繁栄し、5万人が暮らしていました。

以下はDiscovery Channel、Google Earthなどから抜粋した映像です。

神殿の大きさですが、幅45m、奥行き108mで、アテネのアクロポリスにあるパルテノン神殿の約2倍の面積でした。
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建材の大理石は10km離れた場所で切り出されました。
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大理石の円筒を何段か積み上げた柱は高さ12mで、126本ありました。
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紀元前550年頃にクレタの建築家ケルシプロンが設計し、裕福なリディア王クロイソスの負担で建築されました。設計士ケルシプロンの死後、建築は息子に引き継がれ、完成には50年を要したのです。
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完成から150年ほどした紀元前356年のアレキサンダー大王の誕生日の夜、女神アルテミスはその祝福に出かけて神殿が留守になりました(!)。その時を狙ったように、自分の名を後世に残そうとした男が火をつけ、木で出来ていた屋根や梁などが燃え落ちて神殿は崩壊したのです。

しかし数十年後に再建され、七不思議にも選ばれました。
この再建の最中にはアレキサンダー大王の東征があり、彼もエフェソスに立ち寄ったようです。
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せっかく再建された神殿も、約6百年後の西暦268年、ゴート人(ゲルマン民族;大移動によってドイツ平原から南下してきていた)によって再び破壊され、その後は大理石が教会の建材に流用されるなどして、とうとう姿を消してしまうことになったのです。

1869年、英国博物館の後援で探検家ウッドが発掘調査をしたのですが、古代の大理石は少なく、4世紀の修理で使われた石だけが英国博物館のエフェソス・スペースに展示されています。
神殿跡には、散乱していた建材を積み上げた柱が1本、ランドマークとして立っています。
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神殿跡地の奥にモスク、その右後に教会跡、モスクの後方の丘には城壁が見えています。
いずれも神殿より新しい時代の建物ですが、神殿を見た観光客の多くがついでに訪れるスポットになっています。

それではアルミテス神殿の周辺とエフェソスの遺跡について紹介してゆきましょう。
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エーゲ海(左下隅)に面した海岸からおよそ4km内陸にエフェソス地区があり、その約2km東に神殿地区(現在のセルチュクの町)があります。

まずエフェソス地区ですが、注目すべき観光スポットがいくつかあります。
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今でこそ海岸線から4kmほど入った場所になってしまいましたが、2千年前はもっと海岸線に近い場所にあり、短い運河で海に繋がる港が町の入り口でした。
紀元前40年頃、かのクレオパトラ7世とその恋人、共和制ローマの権力者アントニウス、が2人で訪れて甘い休日を過ごしています。

港から東に延びる主要道路を進んでゆくと突き当たりに大きな劇場(オデオン)がありました。
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オデオンの前のT路地を右に折れて進んでゆきます。
突き当りには金属屋根で保護されたテラスハウス跡、その右側に図書館跡があります。
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この図書館はエジプト・アレキサンドリアの図書館にも並び称される有名な図書館でした。
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図書館に向くと左側にある金属屋根の建物の内部です。
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テラスハウス群と呼ばれているようですが、山の斜面に沿って階段状に沢山の住居が並んでいました。屋根の付いた部分が発掘され保護されている住居群ですが、エフェソスの道路脇の平地や斜面にはビッシリと住居が造られていて、多くの人が暮らしていたようです。

アルミテスの像が飾られているテラスハウスもありました。ローマ風ですね!
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図書館の正面からは山に挟まれた緩やかな上り坂が続きます。
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上の写真は坂の上の方から図書館側を見下ろしたものです。中央の道路を下った突き当たりが図書館、その左にテラスハウス跡保護の金属屋根が見えています。
同じアングルの拡大写真をみると、山に向かう道路に沿って神殿の跡も見受けられます。
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坂を上りきると、広場が開(ひら)けていて円形劇場や神殿跡が見受けられます。
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そこから暫く登っていくと聖母マリアが余生を過ごした住居(!)があります。
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中には祭壇が設けられています。
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実は、この建物は数百年前まではイスラムのモスクだったのですが、記録を調べると、どうもマリアが暮らしていたらしい、ということで近年、といっても百年程前ですが「マリアの家」として認定されたようです!!

引き続いて神殿地区をご紹介します。
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セルチュクの町の東側のアヤスルクの丘には城(Ayasuluk Castle)があります。
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(写真上:アルテミス神殿越しにモスク、アヤスルク城を望む)

6世紀には城の正門は完成していたようです。
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神殿と逆方向から飛行しながら撮影された風景です。モスクも見え始めました。
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下は別の上空写真です。アルテミス神殿は視野の外で、右側にあります。
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上空から見た聖ヨハネ大聖堂(Basilica of St. John)跡。完成は西暦565年です。
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聖ヨハネ大聖堂跡
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聖ヨハネ大聖堂跡から見たイサベイモスク(Isa Bey Mosque)。完成は西暦1375年です。
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下は、アルテミス神殿跡地からモスクと城を拡大撮影した写真です。
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以上で「エフェソスのアルテミス神殿」の紹介は終わりです。

最後に4分ほどの飛行撮影フィルムをお楽しみ下さい。
アヤスルク城の上空を北から南に飛んだ後、エフェソスのオデオン上空に移動し撮影を続けます。大画面で見ると迫力がありますよ。
https://www.youtube.com/watch?v=M3B-oFcQlbg

(エフェソスのアルミテス神殿:完)
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