Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

mh徒然草23:完璧に空白な時間

今日は12月26日の金曜日です。いつもなら火曜日しか出勤していない私は、納会があるというので、非定常ですが神田の本社ビルに出勤し、午後3時に始まった納会で仲間と楽しく歓談して、いつものように山手線で品川、そこから京浜急行の快特で上大岡まで来たのですが、その途中で「完璧なまでに空白な時間がある!」ということを体得しました。

その詳細を報告する前に、時間の不思議についてオサライしておきたいと思います。

この世には、信じられないような不思議、小説より奇っ怪な事実、は掃いて捨てるほどありますが、凡そ時間ほど不思議なものはないのではないでしょうか。

時間が定義されることになったきっかけは天体の動きでしょう。古い昔、日の出から次の日の出までを1日と決め、1日の長さを24で割った長さを1時間としました。雨の日は太陽が見えないので不便だ、ということでギリシャやエジプトで水時計が発明され、時間の長さは時の流れと共に客観的に高精度で測定できるようになりました。

Wiki「時間」で確認すると1秒の長さは次の通りです。
「1秒はセシウム133原子 (133Cs) の基底状態にある二つの超微細準位間の遷移に対応する放射の 9,192,631,770(約100億)周期にかかる時間」
(Wiki完)

この定義のおかげで、光の速度と到達時間から宇宙の大きさも高精度で算出できるようになりました。しかし、宇宙という「空間」がいつ始まったのか、については議論もあります。
現在、もっとも広く信じられているのはビッグバン理論で、これによれば138億年前、無の世界でビッグバン(大きな爆発Big Bang)が起き、爆発点を中心に四方八方十六方に物質の元の素粒子が飛び散りました。その量は半端ではなく、ほぼ光速で飛び出した素粒子は、それまで無の空間だったスペース(!?)を移動しながら、雲の様に集まり、星や星雲を形成して現在に至っています。勿論、今の瞬間も我が地球が含まれる太陽系を飲み込んでいる銀河系は、他の無数の銀河とともに宇宙を飛行中で、時間の経過につれて銀河が飛行していけばいくほど宇宙は膨張していきます。そしていつかは、また無に戻るのではないか、という話があります。すると、またいつの日か次のビッグバンが起きて、また宇宙に素粒子が飛び出していく、といった寸法です!

となると、今の宇宙は一体全体、何回目のビッグバンの産物なのか?もし1万回目とすれば、最初の1回目のビッグバンが起きる前の宇宙はどうなっていたのか?も気になります。また、138億年前のビッグバンが1回目だとすれば、その前は宇宙はどうなっていたのか?も気になります。

この心配事と同じで、なかなか答えが見つからない心配事の一つに「時間はいつから始まったのか?」があります。「138億年前から時間が始まった」とするなら、その前には時間がなかった、ということになり「時間がない時間があった!というのはおかしい!」となって、堂々巡りの果てしない議論が続くことになります。

時間を理解するのはかなり高尚で難しいことのようで、ましてや誰にでもわかるように説明しようとしたら「神様が作ったもので人間には理解できないものなのです!」としか言いようがないのかも知れません。

しかし、皆さんも恐らく賛同してくれると思いますが、時間は逆行しません。つまり時間は経過する方向のみに進み、元の方向に戻ることはありません。更には、これも賛同して頂けると思いますが、少なくとも今の世の中では「時間が無い時間」というか、別の言い方をすると「完璧に空白な時間」という時間はありません!我々はいつだって、経過してゆく時間と共に存在しているのです。

それが、そうではない!ということを今日、体感しました、京浜急行の電車の中で、電車が京急蒲田駅を出てから横浜駅に着くまでの間で!!!いつもなら京急蒲田から横浜まで快特で25分くらいでしょう。しかし、今日に限り2、3分でした!間違いありません!

冒頭でも述べましたが、今日は私が勤務する神田のオフィスで納会がありました。3時から、会社の仲間と歓談しながら大好きなビールを何杯も飲み、京浜急行に乗っていたのは5時半頃でした。昼間からビールを飲んで電車に乗ると寝過ごすことがあるので、窓の外を見ながら年が明けた後の初仕事の段取りを考えていました。その時、快特電車は、京急蒲田駅を発つと、一瞬にして減速し、横浜駅に停車したのです!!!

「えぇ!!!寝ていたわけでもなく、考え事をしていたのに!一体全体、何が起きたんだ!!!」

初仕事の検討は頭の中で始まったばかりで、考える間もなく、横浜に到着です!どう考えても「空白な時間」が存在していたとしか思えません、それも完璧なまでに空白な時間です!

脳梗塞で倒れ、病院で回復するまで1週間も2週間も寝ていた人は、目が覚めた時、何故、自分が病院なんかにいるのか、いつここに来たのか、全く覚えがないそうです。
そんな馬鹿な!と思っていましたが、昼間飲んだビールのおかげで、同じような空白な時間が自分にも、こうも簡単に体験できるとは目から鱗(うろこ)でした。

しかし、よーく考えてみると、同じような体験を過去にもしたような気がして、やっぱり、時間というのは捉(とら)えどころがない不思議なものだなぁと思います。

人生の長さは概略80年、日数にすると3万日ですが、宇宙の歴史に比べればあっという間とも言えるし、宇宙の歴史がいつ始まったのかも定かでないとすると、人生の長さを宇宙の歴史を物差しに計るのも意味がない、という気もします。

「空白の時間」の長さが何分だったのか、はたまた何日だったのか、体験した人には全く判りません。となると、まだ体験したこともない死後の世界の長さを推察することなんてできる訳がありません。そんな不思議な、後戻りしない時間の流れの中で生きている我々は、誰もがみんな、価値のある人生を送っている!と言えると思います。
Sailing
https://www.youtube.com/watch?v=jQCMNXx8y6A
(完)

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エジプトBlack Pharaohs(黒いファラオ)の謎

Youtubeで見つけたフィルム・タイトル「Black Pharaohs」を見て「あれ?どういう意味なんだろう?」と思いました。

ファラオとはエジプトの国王に与えられた称号だということは間違いないはずだが、Blackというのは黒だから「邪(よこしま)な国王」という意味?まさか「黒人の国王」ってことはないと思うけど・・・

で、ネットで調べてみたら「黒人の国王」が正しい訳だと判りました!!!
つまり、私は「エジプト人=黒人」という先入観を持っていたのでBlack-Pharaohsの意味を素直に理解できなかったのです!

所謂(いわゆる)エジプト人は黒人ではありませんでした!
Wiki「黒人」に「原住民の肌色世界分布図」があります。
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欧米人は白色、日本人は黄色、と言っても正解だと思いますが、エジプト人は?と言うと、赤色というか褐色というか、いずれにしても黒色とは違うようです。

次の写真の男の人と女の人はいずれもカイロのエジプト人です。男の人の顔は少し黒っぽくも見えますが、手の色は黒とはいえません。女の人は白人か?とすら思えます!
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次の2人はナイルを遡ったスーダンの原住民で、Black-Pharaohsの子孫とされる人です。
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今回紹介するYoutube「Black Pharaohs」の番組プレゼンテイター:オーストラリア人デイビッド・アダムスが帆船「ファルーカ」でナイルを遡(さかのぼ)る時の船頭さんの顔と手の甲の色を見ると、エジプト人よりも強い褐色であることが判ります。つまり、彼らはBlack-Pharaohsの子孫であって、通常のエジプト人とは肌の色は異なるのです。
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しかし、ナイル(川)って、本当に南北に長い川なんですねぇ!ブログ「ナイルの不思議」(2月公開)でもご紹介したように、全長6、650kmで世界最長、かつ世界で最も直線的に南北方向に流れている川です!衛星写真を縦に貼ると判り辛いので横にさせて頂きましたが、左が北で地中海、右は南で水源近くにはビクトリア湖があります。その間を若干蛇行しながら南から北に流れ下る大河なのです。
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地中海に面した河口にはナイル・デルタが開けています。また、河口から約2千km上流のエジプト・アスワン市に造られたダムによって生まれたナセル湖の長さは約3百kmもあり、東京―名古屋の直線距離と同じです!!!この湖畔の、スーダンに近いエジプト領内には、世界遺産アブシンベル神殿があり、そこから40kmほど上流はスーダン領ナセル湖になります。

ナイルは、砂漠の中を東西に若干蛇行しながら更に上流の町、スーダンの首都ハルツームKhartoum、に延びていて、この町で、ビクトリア湖まで伸びる本流の白ナイルと、東の紅海側の山脈から流れ出た青ナイルが合流しています。
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実は私は全く知らなかったのですが、今から3千年程前、現在のスーダンにあった、黒人を王に頂く王国が、ナイル川下流一帯のみならず、シリア方面までも勢力を伸ばし、第25代エジプト王国を形成していたのです!

Wiki「エジプト第25王朝」
エジプト第25王朝(紀元前747年 - 紀元前656年)は、第3中間期の古代エジプト王朝。複数の王朝が並立していたエジプトに侵入してこれを統一したヌビア人達の王朝を指し、クシュ朝と呼ばれることもある。1世紀近くエジプトを支配したが、最後はアッシリアのエジプト侵入によってヌビアへと引き上げた。
(Wiki完)
mh注:
ヌビア:エジプト南部からスーダン北部のナイル流域一帯の地域名称
アッシリア:メソポタミア北部、及びそこに興った王国

そして、これも重要なことなのですが、ヌビア王はナイル下流の所謂(いわゆる)エジプト文化を取り入れてピラミッドをヌビア王国にも建設していました!!!
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以前、ブログ「世界の七不思議:ギザの大ピラミッド」で、Google Earthでナイルに沿って衛星写真を調査した結果から「ピラミッドはナイル河口から3百km以内のナイル西岸にしか分布していない」と皆さんに報告しましたが間違いでした。
今回判った事実によれば、河口から2千km以上も上流に、第25王朝がスーダンに造った2ヶ所のピラミッド群があり、いずれも川から数km離れた東岸に造られているという、おまけの皮肉も付いています!!!
浅はかな調査結果で皆様に間違った情報を流してしまったこと、改めてお詫び致します。

事実を伏せておくのはお釈迦様の教えに背(そむ)くというものでしょうから、ここは素直に反省した上で、もう少し詳しい、正確な情報を、Youtube「The Black Pharaohs - Nubian Pharaohs」(黒ファラオ;ヌビア人のファラオ)の映像も挙げてご紹介しましょう。
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Youtube番組のプレゼンテイターのデイビッド・アダムスはオーストラリア人写真家です。
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デイビッドがナセル湖のスーダン領域からナイルに沿って上流のハルツーム(番組では「Khartoumカートゥーン」と言っていましたので、私も洒落て以降「カートゥーン」と呼ばせて頂きます)までの旅をします。カメラはそれを追跡します。
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「MYSTERY of the AFRICAN PHARAOHsアフリカ人ファラオの不思議」

私(デイビッド)はこれからナイルを遡る旅に出る。
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カートゥーンまで約6百kmの旅だ。昔、人々は地中海の河口から4千km上流のカートゥーンまで帆船「ファルーカ」で往来していた。風さえ捕まえればナイルはファルーカで遡れるのだ!
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この川に沿って、約3千年前、黒人の王シュバカがナイル上流(現スーダン)から下流に攻め入り、エジプトを統治した。第25代エジプト王国の始まりだ。彼と彼の子孫は、カートゥーンから地中海の町アレキサンドリアまでの間に寺院やピラミッドを建てることになった。
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暫くの間、帆船ファルーカでナイルを遡ろう。ナイルはスーダンの水源だ。岸辺には緑の畑が広がっている所も多い。
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しかし川岸から少し内陸側に入れば直ぐに砂漠になる。

カラフルに塗り飾られた家が並ぶ町もある!
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この町も昔は黒ファラオによって統治されていた。
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パンを焼くにはコンロは不要だ!捏(こ)ねた小麦粉を鉄板に載せて庭に置けばよい。後は太陽が仕事をしてくれる。
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川の向うには砦(とりで)も見えていた。
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少しナイルを遡(さかのぼ)ると寺院があった。ツタンカーメンの祖祖父が4千年前に建てたものだ。
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レリーフは最近彫ったばかりのように真新しい。しかしナイル下流の遺跡と異なり、訪れていた旅行者は私だけだ。
いよいよ明日からクシュに入る。そこからは別のフェルーカに乗り換えてナイルを遡る予定だ。
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1896年、英国軍はこの川を上った。英国がスーダンを統治していた時、反乱鎮圧のため派遣されたのだ。戦(たたか)いの痕跡は今もナイルに残っている。
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クシュの町ドンガラに着いた。英国が最初に反乱軍を打ち破った町だ。
ここにもアガサクリスティ「ナイル殺人事件」の舞台のようなフェリーが打ち捨てられている。
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次の目的地カリーマへはバスで行く。2千8百年前、黒いファラオの軍勢2万5千は我々とは逆の方向に、ここを北に向けて徒歩と駱駝で進軍していった。自動車の時代に生まれたことに感謝したい。
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やっとカリーマに着いた。町でただひとつのホテルを紹介してもらい今日はそこに泊まる。
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昔は帝国の都だった。翌日、町の岩山に登った。天国とこの世が接する神聖な山とされていた。王家の権力を生み出す場所だった。
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岩山からは地平線まで見渡せる。近くにピラミッドもある。
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寺院もある。中には壁画が描かれている。
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しかし今、寺は放棄され、王も忘れ去られてしまった。
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翌日は汽車で移動だ。朝、カートゥーンまでのチケットを買った。安い!たったの10ドルだ。しかし私は途中のメロイMeroeで下車する予定だ。
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とても混んでいる。カリーマを出て暫くは緑の畑が広がっていた。
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しかし、直ぐに砂漠の中を走り始める。次の停車駅は?判らない!
車内はインドの電車のような雰囲気だ。
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英国統治時代の遺産のひとつが鉄道システムだ。今もスーダンでは立派な現役として活躍している。

メロイで降りるのだが、駅は無いしアナウンスも無い!勿論、汽車も減速しない。自分で決めて飛び降りるしか選択肢はない。
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陽炎(かげろう)の立つ地平線を目指して砂漠を歩く。そこにメロイのピラミッドがあるはずだ。
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しかし、こんな場所でも全く一人という訳ではない。思いがけない出会いがあった。
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ライダーは言う「カートゥーンから来た。北(ナイル下流)に行くところだ!」
世界一周を目指して1995年にドイツを出発した。いよいよ祖国に戻るところだが、あと半年かかるらしい。
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ライダーと別れて暫く歩いていくと、メロイのピラミッドが見えてきた。欧米人はめったに訪れない所だ。
タクシー代わりに駱駝を雇うことにした。
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エジプト考古学者に言わせると、2400年前の比較的新しいピラミッドだ。しかし、西洋人には19世紀の半ばまで知られることが無かった。
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黒ファラオによって建てられたものだが、専門家による発掘はあまり進んでいない。小さくて急峻なピラミッドだ。19人の王が埋葬されているという、53人の女王、奴隷、側近、馬や動物、金や宝石と一緒に。
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ここでもエジプトのピラミッドと同様に盗掘がはびこっていたようだ。

1836年頃、イタリア人の盗賊がピラミッドの頂上近くを爆破した時、爆音に気付いた現地人に捕えられ、死ぬまで牢で暮らす羽目になったらしい。
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メロイの遺跡はシーザーやアレキサンダー大王よりもずっと古い。その源は紀元前4千年だ!
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いよいよ最終目的地カートゥーン(Khartoumハルツーム)に向かう。線路を歩いていたら手漕(てこ)ぎトロッコが来たので乗せてもらうことにした。
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見てくれからは想像つかないほど速い!跳び乗らないとだめだ。
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カートゥーンではフェリーでナイルを暫く走ってみた。
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旅はそろそろ終点だ。
この地に英国軍が到着した時、この場所で反乱軍の大虐殺が行われた。
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48人の英国軍人が戦死したが反乱軍は2万5千人が殺された。槍では英国軍の武器に太刀打ちできない!

反乱軍を産み出した、イスラム修行僧で構成されるダービッシュ・アーミーは今も健在だ。毎年、集まってお祭りをし、団結を確認している。
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私はカートゥーンからまた帆船ファルーカに乗ってナイルを下ることにした。スーダンやエジプトの人々の喜びも悲しみも運んできた川だ。
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若き英国人招集兵ウィンストン・チャーチルの言葉を贈ろう。
「ナイルはこの地の命だ。そこを通らなければなにも始まらない、何も続かない、何も戻らない。」

しかし、こうも言われている「ナイルの水を飲めば、いつの日か戻ることができる。」
(完)
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mh徒然草22:フェルミ推定:貯金箱御開帳の年の算出

我が家の貯金箱は次の写真の黄色い招き猫です。10年位前だと思いますが横浜中華街で入手したもので確か2千円弱だったと思います。5百円玉だけ貯金していますが、まだ一度も開けたことがありません。
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赤い腹巻には「福」という漢字が逆さまに書かれています。福という字が倒れている、ということで「倒福」、中国語で読むと「タオフク」で「至福」つまり「福に到(いた)る」ってことは「幸福になる」と言う事で縁起が良いとされていて、「福」を上下逆にした字は縁起の良い時、例えば正月など、によく使われています。

中にいくら貯まったかな?そろそろ50万円になっただろうから、次の海外旅行資金として充当しようかな?などと気楽な私は夢を膨らませるのですが、しっかり者の女房殿は「猫の背中に明けられた硬貨投入用のスロットから硬貨を入れられなくなるまで、中のお金を出してはいけません!」という発想の持ち主で、かねがね、女房殿に逆らうと好い結果が得られないことを体得している私は反論できずに黙って言われる通りにしています、借りて来た猫のように。

一体、いつになったら女房殿の言うように、スロットから5百円玉を入れられなくなって、中のお金を旅行資金にまわせるようになるのかしら?という疑問がふと頭をよぎりました。

あと何年待てばいいのか?

女房殿がいない時、猫の置物の底にある円形のプラスチックの栓を外し、中の硬貨を全て取り出して数えることも可能ですが、面倒だし、数えたからと言って、ならあと何年で満杯になるかが判るわけでもなさそうです。

何か、簡単に、貯金箱が一杯になるまでの残り年数を推察する方法はないかしら?と思い、フェルミ推定でやってみようか、と考えました。

フェルミと言う名の人が得意にしていた、とらえどころのない量を、いくらかの手がかりを元に理論的に推論し、簡単に概算する方法をフェルミ推定と呼んでいて、貯金箱問題にも適用できるかも知れません。

フェルミ推定の有名な適用例に「シカゴの町に何人のピアノ調律師がいるか」を推定したものがあります。具体的な推定手順は次の通りです。
「まず以下のデータを仮定する。
 1.シカゴの人口は300万人とする
 2.シカゴでは、1世帯あたりの人数が平均3人程度とする
 3.10世帯に1台の割合でピアノを保有している世帯があるとする
 4.ピアノ1台の調律は平均して1年に1回行うとする
 5.調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする
 6.週休二日とし、調律師は年間に約250日働くとする
そして、これらの仮定を元に次のように推論する。
 1.シカゴの世帯数は、(300万/3)=100万世帯程度
 2.シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度
 3.ピアノの調律は、年間に10万件程度行われる
 4.それに対し、(1人の)ピアノの調律師は1年間に250×3=750台程度を調律する
 5.よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される」

それでは貯金箱にフェルミ推定を適用してみましょう。
 1. 猫の貯金箱の大きさは眼鏡のサイズから推定して直径15cmx高さ15cmの円筒と置き換えられるとする。
 2. 容器は厚み0.5cmの瀬戸物だとする。
 3. 中に入っている5百円玉の寸法は直径2cmx厚み0.3cmとする。
 4. 円筒状の容器に5百円玉をランダムに投入する場合、中の体積は5百円玉の体積の2倍が必要だとする。
 5. 現在、凡そ、内部体積の70%に5百円玉が溜まっているとする。

まずは、現在の貯金額がいくらなのか推定してみます。
 1)5百円玉が貯まっている内部空間体積:V
  V=3.14x(15-0.5x2)x(15-0.5x2)/4
 x(15-0.5x2)x70%
 ≒1400立法センチメートル
 2) 入っている5百円玉の枚数:N
  N=V/(3.14x2x2/4x0.3x2)
   ≒780枚
 3)現在の貯金総額:Q
  Q=Nx500=390,000円

得られた結果の39万円は私が常々思い描いていた金額に結構近い額です!!!

では女房殿の許可を頂き、晴れて貯金箱から全額を引き出せるまで、あと何年が必要でしょうか?それもフェルミ推定で算出してみましょう。

 1. 今後、1週間に2枚の5百円玉が貯められていくとする。
 2. 今後、5百円が埋めなければならない体積はこれまで埋めた体積の残りで、全体の30%だとする。
すると
 1. 満杯にするのに必要な5百円玉の枚数:n
  n=N/70%x30%≒330枚
    金額換算だと「330枚x500円=16万円」になります。
 2. 満杯になるまでにかかる年数:Yn
  Yn=330枚/(2枚/7日)/365日/年≒3年

この結果から、私の足腰が、あと3年、健在でないと、招き猫に満杯に貯まる55万円(=39万+16万)は、女房殿の和服に化けてしまうことになります。
私の思惑では、今後7,8年は海外一人旅に耐えられる体調の確保が可能ですから、ここは女房殿の御意見を取り入れ、貯金箱が満杯になるまで、あと3年待ち続けても何も問題はないでしょう。

勿論、私の世界旅行は、貯金箱が満杯にならなくても年3回と決めているので、女房殿の愚痴を馬耳東風と聞き流して進めさせてもらう予定です。永年こつこつと働いて貯めた資産と、労働の報酬とも言える年金は、有効に使わないと、世界の景気の回復もままならないでしょうから。

なになに?猫の貯金は私だけのものではないだろう?って言うんですね。勿論、女房殿のものでもあります。しかし、女房殿のことは心配無用です、私の旅行に見合うお金は、和服や友達との交流やアスレチックなどできちんと使ってクレジットカード払いしていますから。

最後になりますが、別の方法でも、あと何年で貯金箱が満杯になるか推定できます。
これまで10年かけて70%の体積が硬貨で埋まったのだから、1年で凡そ7%の体積が埋められたことになります。残る体積は30%ですから、これを埋めるのには凡そ4年(=30/7)と推定できます。
この計算だと貯金箱に何円貯まるか算出できないので、面白みに欠けます。その上、満杯までの必要年数が、最初の推定値(3年)よりも1年延びるというのも不満です。
Eagles - Hotel California (Lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=h0G1Ucw5HDg
(完)

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シャングリラの不思議

皆さんも一度は「シャングリラ(Shangri-la)」と言う言葉を聞いたことがあるでしょう。この言葉から何を思い浮かべますか?私の場合は杏(あんず)の花咲く桃源郷、というところでしょうか。そこに、ビールが振る舞われているオープン・レストランでもあったら「完璧なシャングリラだ!」と小躍(こおど)りするでしょう。

今回のブログでは、この「シャングリラ」をクエスト(Quest探求)します。

不思議な質問 「シャングリラはあるか?としたら、どこに?」

私の答えは最後にご紹介するとして、まずは「シャングリラShangri-la」という地名がいつ、どのように生まれたのか?私が調べた情報を皆さんにご披露するのが手順でしょう。

「シャングリラShangri-la」は、イギリス人作家ジェイムズ・ヒルトンが1933年に発表した「失われた地平線Lost Horizon」という作品で初めて登場した造語です!
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元々チベットにあったとされる想像上の桃源郷「シャンバラ」という名をヒントに「シャングリラ」と言う名を思いついたとの説もあります。

作家ヒルトンは日本でも映画公開されて話題になった「チップス先生さようなら」の原作者です。また「失われた地平線Lost Horizon」は、世界初のペーパーバック本(The first paperback ever published!)でもあります!
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Wikiによると、小説「失われた地平線」の概要・粗筋(あらすじ)は次の通りです。
「小説は11章からなる本文と、プロローグとエピローグからなる。本文は英国のパスクル駐在領事だったヒュウ・コンウェイが、熱病で一度記憶を失って重慶の慈善病院で作家のラザフォードに発見され、上海から日本経由でサンフランシスコへ向かう一緒の船旅の中で記憶を取り戻して語った特異な経験をラザフォードが書き留めて原稿の形に纏めたものである。そしてプロローグとエピローグで、ラザフォードから原稿を受け取った話者である精神病学者がその前後の経緯を説明する形になっている。」

この本の英語版はネットで見ることが出来ます。興味のある方は次のURLをお試しください。
http://gutenberg.net.au/ebooks05/0500141h.html
とても読みでがありそうで、記憶している英単語の語彙(ごい)が少なく、気も短いmhには不向きなので、日本語の、もう少し詳しい「粗筋(あらすじ)」を調べるとシャングリラについて次のような解説が見つかりました。

「主人公のコンウェイがパキスタンのパスクル(架空の町?)からペシャワール(今も実在する町)に飛行機で移動する際、パイロットが勝手に東の方向に飛んで、ある場所に不時着する。そこはヒマラヤ山脈中で、近くにはシャングリラと呼ばれる場所があった。助けられた4人は「青い月の谷Blue Moon Valley」と「カラカル山Mt.Karakal」があるシャングリラのチベット仏教修道院で暮らすことになる。修道院にはハプシコードや英文の本を所蔵する書斎もあって、僧侶や満州系中国人の若い女性「Lo-Tsen羅珍」も住んでいた。」

ご参考ですが、ハプシコードというのはチェンバロとも呼ばれる鍵盤楽器で、グランドピアノのような形をしているものが多く、鍵盤を叩くとプレクトラムと呼ばれる爪というかピックが、弦を弾(はじ)いて音を出します。一方、ピアノでは鍵盤を叩くと、固いフェルトのようなもので造られたハンマーが弦を叩いて音を出します。
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話をシャングリラに戻すと、20世紀中頃に中国に占領されたチベット自治区の東隣にある雲南省にはシャングリラ(香格里拉)県があります。
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風光明媚なので世界自然遺産にも登録された一帯で、雲南省最大のチベット仏教寺院「松賛林寺」は観光名所です。この地が「失われた地平線」のシャングリラか?とも疑えます。
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しかし、シャングリラ県は、2001年まで中甸(ちゅうでん)県と呼ばれていました。「世間で流布している名にすれば受けが好くなるだろう!」と考えた住民が、ちゃっかり名前をパクってシャングリラ県と改名したのですから、小説「失われた地平線」に現れた「シャングリラ」ではないでしょう。

では本物のシャングリラはどこにあるのか???チベット???別のヒマラヤ山中の谷間?

今回ご紹介するYoutubeフィルム「The Road to Shangri-laシャングリラに続く道」はシャングリラをクエスト(探求)したオーストラリアの番組で、旅のスタート地点はパキスタン北部の都市ペシャワールです。
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私はデイビッド・アダムス。オーストラリア人の写真家だ。今、偉大な川インダスを遡(さかの)っている。
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この川の源、ヒマラヤの奥地にシャングリラと呼ばれる桃源郷があると言われている。その場所を突き止めるのが今回の旅の目的だ。
パキスタンの町ペシャワールPeshawarからヒンドォウクシ山脈の中にある谷間の村フンザHunzaまで行ってみるつもりだ。
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マルコポーロが「世界の屋根」と呼んだヒマラヤ。その山中には、人手に触れられていない秘境の谷間がある。そこでは、超自然力と古代ミステリーが今も人々の日常生活に大きな影響を与えている。
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ペシャワールは「フロンティア都市」だ、それが町の名の由来だ。
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何でも手に入る。
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ロンドン・ブックと言う本屋でペーパーバック「失われた地平線」を買うことにした。
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基本的には飛行機で遭難した4人の旅行者の物語だ。僧侶に救助され、シャングリラと呼ばれる場所の仏教修道院で暮らす。そこは、今ならユートピアとか桃源郷と言える理想郷だ。人々は2百歳まで平和に暮らしている。
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作者ヒルトン自身は「シャングリラという名の場所は実在しない」と言う。しかし本の発売以来、理想郷を求める人々の間でシャングリラ神話は膨らんでいった。

「ひょっとするとヒルトンは何か隠しているかも知れない。ひょっとするとヒマラヤの渓谷に存在しているかもしれない!」

ヒルトンによれば、主人公のコンウェイらが乗った飛行機は、世界第二の高峰K2付近を飛行し、メンガパーベットと呼ばれるパキスタンに実在する高地を越えた付近に不時着する。彼等を助けたチベット仏教僧は、彼らを近くのシャングリラに連れて行くのだ。

従って、シャングリラを探し求める人達は、創作と現実の接点、メンガパーベット付近からヒマラヤに足を踏み入れることになる。

しかし、ここに不時着したとしたら生き残る確率はかなり低い、と言わざるを得ない。
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標高6千m以上で、空気は薄く、歩行も楽ではない。クレパスもある。次の一歩が最後の一歩かも知れないのだ。
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こんなに過酷な場所にも拘(かか)わらず、これまで多くの人々がこの地を訪れた、シャングリラを探すために!

古くは2千3百年前、アレキサンダー大王の軍勢が訪れている、「若返りの泉」を探していた。その場所ボンボヤード渓谷はアフガニスタンとの国境近くにある。現地でカラーシュと呼ばれる人々が暮らしている。
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この地はパキスタンにおける非イスラム教の最南端だった。おかげで祖先の墓はイスラム教徒に荒らされることになってしまった!
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8万人が住んでいたが今は2千5百人しかいない。
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住民はパキスタン人というよりヨーロッパ人のように見える、青い目とブロンドの髪・・・
実はアレキサンダー大王の軍隊がこの地に来た時、兵士の一部が住み着き、その遺伝子が残ることになったのだ。
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次の目的地スワット渓谷Swat Valleyに向かう。ここからはヒンドォウクシ山脈だ。
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スワット渓谷ではタントラ仏教(密教)が生まれている。1400もの仏教修道院があった。
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しかしイスラム教徒によって仏教は追い払われ、磨崖仏も壊されてしまった。穏やかな仏陀の顔があったはずの所には西洋商業主義のアイコンであるコマーシャル絵画が描かれている。仏陀を侮辱するためだ。
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シャングリラでは、僧侶たちが笛を奏(かな)で、厳(おごそ)かに読経する時間がゆったり流れていたというが、ここスワット渓谷にも穏やかな夕暮れが訪れていた。
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シャングリラを探して欧米からやってきたヒッピーで溢れかえっていた時期もあったが、今はその影すらない。
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派手なデコレーションが施されたトラックに便乗して、中国に続くカラコルム・ハイウェイを走り、インダス川上流を目指す。インダスに沿って進めばきっとシャングリラに行き着くはずだ。
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標高8千5百mのK2があるカラコルム山脈が迫ってきた。中国国境も近い。
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(mh;K2はフンザHunzaの東、中国との国境にあります。)
ここからは小型車で旅をすることにした。次の目的地はギルギットだ。
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ギルギットのポロ競技場ではゲームが始まっていた。パキスタンにもかかわらず、欧州上流階級の人々が好むスポーツが盛んだ!
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ここでポロを楽しむのには金持ちである必要はない、乗馬が得意であればよい。

ポロはペルシャが発祥地だ。しかしギルギットの、ボールを意味するポロという言葉がスポーツ名の語源だ。この地に駐在した英国人が、ポロに魅せられ、イギリスに持ち帰って広めたので、世界に知れ渡ることになった。

競技場にいた人達にシャングリラを知っているか訊いてみたら、スカードゥ村の近くに壊れた飛行機があるという。早速、出発する。
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なになに?「SHANGRILA-2KM-Turn Right;シャングリラ、この先2km右折?」

モーテル「シャングリラ」の入り口だ。広い敷地の奥には怪しげな飛行機の機体が置いてある!
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澄んだ水を湛(たた)える湖をロッジが取り囲んでいる。
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モーテルは商業的シャングリラだったが、少しリラックスできた。
明日はフンザに向かう。「シャングリラでは?」と思っている所だ。

翌朝、出発して直ぐにイスカードに着いた。K2登山口の町だ。
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登山道具ならなんだって売っている。
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そしてこの町の近くに、神秘の谷シャングリラがあるはずなのだ。フンザだ。
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ここでも英国生まれのスポーツと思われているクリケットが盛んだ!
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世界の果てとも言えるところだが、70年ほど前には英国人が訪れている。作家ジェイムズ・ヒルトンも来たのだろうか?
山の斜面には砦(とりで)が残っていた。
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遠く見えるのは、きっと「失われた地平線」だ。
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ここに来た人はシャングリラがある、と信じただろう。何故なら、ここより先は未知の世界だったのだから。

ここからは徒歩でフンザ渓谷に入っていく。

もしフンザがシャングリラだとすれば仏教修道院がなければならない。
「あった!丘の上に!」
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このパビリオンのような建物は、15世紀、フンザを統治するファミリーの娘の結婚を祝して建てられたという。
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ここが、あの「一度入(はい)ると出たくなくなる」という修道院なのか?
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ここはシャングリラを髣髴(ほうふつ)させる空気が満ちている。本によれば、シャングリラの修道院では、誰もいないのに、いつも誰かに見られている感覚があったという。
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砦だったのか、修道院だったのか、はおくとしても、ある疑問が残る。
「ここが作家ヒルトンにシャングリラの概念を芽生えさせた所なのだろうか?」
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リージャはこの建物の管理人だ。彼はフンザの歴史を知っていた。「英国軍が来るまで、ここは独立した小国だった。作家ヒルトンも軍隊と一緒に来たはずだ。」 

私には確信はないが、どちらでも好いことのように思えて来た。シャングリラという天国が存在しているとしても不思議ではないのだから。
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人はシャングリラを必要としている。
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そこは、希望に満ちた場所、世知辛い世間から離れ、安息を得られる場所だ。
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私にとってはラッキーな旅になった。とうとう自分のシャングリラを探し当てたのだから。
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以上がYoutubeフィルムの全貌です。詳細は次のURLでお楽しみください。
https://www.youtube.com/watch?v=DmPdzt3wcT4
Jouneys to the end of Pakistan

それではここで不思議な質問の答えを探求Questしてみましょう。

不思議な質問「シャングリラはあるのか?としたら、どこに?」

シャングリラはある!と断定してよいでしょう!!!
何故なら、Youtube番組「シャングリラへの道」のプレゼンテイターであるデイビッドが番組の最後で「ここが私のシャングリラだ!」と言っていましたから。
彼はシャングリラを見つけた、と言えます。つまりシャングリラは在ったのです!パキスタン・フンザHunzaがシャングリラであることは間違いありません。
また、ブログの冒頭でも述べたように、中国・雲南省にあるシャングリラ(香格里拉)県も、名を騙(かた)っただけとは言え「シャングリラ」であることは間違いありません。中国政府のお墨付きで、その名が登録されているのですから。

しかし小説「失われた地平線」でシャングリラと呼ばれていた場所が本当はどこなのか?は、作者も口を割らなかったのですから「ここだ!」と断言することは誰も出来ないでしょう。フンザは最右翼の候補地かも知れませんが、万人が納得する条件が整っているようでもなさそうです。

私mhの解答をご披露させて頂くと、こうです。
「シャングリラはあるのか?と問われれば、ある!と答える。」
「ならばどこに?と問われれば、次のように答える。シャングリラを捜し求める心の中にあると。」

神はいるのか?との問いへの答えと似ています。
あなたは神を見たことがありますか?もし見たとすれば、あなたは神がいるということに微塵の疑いも持たないでしょう。でも、これまで神を自分で見たことが無い人は、見てないのだから神はいない!と断定できるのでしょうか?私は断定できないはずだと思います。神はいない可能性が高い、とは言えるかと思いますが。

この論法はシャングリラにも当てはまります。
「シャングリラは在るはずだ、在るかも知れない、と考え、折につけシャングリラを思い描いたり、シャングリラ探しの旅に出たりする人には、シャングリラは実在しているはずだ。必ずどこかに、少なくとも心の中に、存在していて、いつか、必ず見つけることが出来るだろう。」

さてさて、このように書き綴(つづ)ると、つい最近、読み返し始めた「ぶっだのことば」(中村元)の、仏陀が言ったかもしれない教えと似ているなぁ、と思われてきました。その一節をご紹介しましょう。

「世間では、人は諸々の見解のうちで勝れているとみなす見解を「最上のもの」であると考えて、それよりも他の見解はすべて「つまらないものである」と説く。それ故に彼は諸々の論争を超えることがない。」

「かれ(世間の思想家)は、見たこと、学んだこと、戒律や道徳・思索したことについて、自分の奉じていることのうちにのみ、すぐれた実りを見、そこで、それだけに執着して、それ以外の他のものをすべてつまらぬものであると見なす。」

深い教えですが、mh流に言いかえると「異なる意見も疎(おろそ)かに取り扱ってはならない」ということかと思います。

みなさんも「シャングリラなんてあるわけないよ」なんてお釈迦様の教えに反する無粋(ぶすい)は仰らずに「あるかも知れない」と思ってみましょう。さすれば、シャングリラは白い霧の中から、少しずつ、その姿を現し、あなたを手招きしてくれるでしょう。その時は、あなたの心の赴(おもむ)くままに、ここだ!と思う場所を一人で訪れてみれば、そこにシャングリラを見つけることは決して夢ではない、と思います。

私も、隠れシャングリラの可能性がある「カンボジアのアンコール」のQuestに出かけようかなあ、なんて思案しています。
(完)

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mh徒然草21:株価Upが貧困層を更に貧困にするのは何故?

一昨日(12月14日)、衆議院総選挙が行われ、自民党は若干減少したもののほぼ議席維持、公明党はプラスで、与党合計で衆議院の三分の二を確保しました。これで、株価が上がる、と思っていた人も多いようですが、選挙の1週間前には自民党が勝利することが新聞などでも公表されていて、その時点で「選挙後も経済方針の見直しはされない」との見込みが株価に折り込まれて株価は上昇してしまったので(!)、選挙結果が判明した昨日(13日月曜日)では、アメリカの株式の影響で、日経平均株価は先週よりも百円以上下がりました。

ということで、選挙結果によって株が上がるだろう、と思っていた人は、読みが甘すぎて、結局、株を持っていたことにより、損失が生じた、ということになります。株価というのは予測が難しい一例です。

実はわが家族では、株は日本の2つの会社しか購入しておらず、買ったのは1年ほど前で、合計金額も百万円足らずです。いずれも堅調な会社ですが、日経平均は当時よりも高いのに、この2社の株価は未だに購入時より5~10%安くて、今売れば損失です。しかし、配当金は購入時の金額の概略3%ですから、3年以上持ち続けると、当面の損失は穴埋めしてくれる、という段取りなっていて、購入動機は、この配当率の高さです。「ま、10年でつぶれる会社ではないはずだし、事業運営も堅調のようだし、配当も高いし、問題ないだろう」と思ってますが、今後、株の購入を増やすつもりはなく、従来通り、外貨建て債権に投資を絞って資金運用していくつもりです。

ところで、アベノミクスの効果と言っていいと思うんですが、円安が進み、株価は上昇しました。円安の効果というか影響は、物価や会社の損益に現れていて判り易いのですが、株価の上昇は生活にどんな影響を与えているのでしょうか?

もし、あなたが株を持っていたとします。買ったのは1年前で、1株1万円x100株=1百万円投資したとしましょう。今、株は50%あがり、1株1.5万円です。100株売れば150万円になり50万円の儲けです。で、儲けた50万円は誰が払ってくれたのか??

株で儲けたお金は、株を買ってくれた人からもらったものです。ということは、株を売買した人の間で損得のつじつまがあっていて、売った人は50万円の得をし、買った人は50万円の損をした、と言えるはずだと思うんですが、そうではないんですねぇ、そこがトリックです!

株を買っていない人、株に手を出さないというか、貧乏で資金もないから株などを買う余裕がない貧しい人々にとっては、株価がどうなろうが関係ない、という考えは間違いで、実は株価が上がると株を持っていない人には損失が生じているのです!!!

「えぇ?どうして!!!」って思いませんか?

間違いありません!株を買わない人は株価Upで生活は苦しくなっています。そのカラクリをご説明しましょう。

もっとも簡単な説明は次の通りです。

株を生活にも必要なひとつの商品としましょう。食料や衣類と同じ扱いを受ける商品と考えます。例えば、値段を上げても衣類が売れるようになったとします。すると衣類を売る人は、売れるのですから、値段を上げ、いつもよりも大きな金額を手にします。すると、食料を買う時、懐(ふところ)が暖かいですから、高価な食料を沢山買う傾向が出てきます。すると食料の市場価格が上昇します。衣類でなく、株の値段が上がっても、衣類の値段が上がった時と同じ効果で、食料の価格が上昇するのです。

あなたが株で儲けて、そのお金で海外旅行に行くとすると、海外旅行ツアーは直ぐに募集人員に到達し、直ぐに受付終了、となってしまいます。株で利益を得ていないmhは、申し込んでも断られてしまうのです。すると、旅行会社は、考えます「こんなに大勢の人が申し込みたがっているってことは価値があるお得な旅行ってことだから、もっと代金を高くしても応募者数は確保できるに違いない!」
そうして、次の旅行は、前回と全く同じ内容なのに、料金は高く設定されることになるのです。

年金収入だけで暮らしている私なんぞ、株価の上昇に連動する物価上昇で、どれだけ苦しめられているか!口では説明できません!何か付加価値を生む新製品を開発し、そのために、その会社の成長が期待できるようになったので株価が上がる、というのなら付加価値が生まれてくるのだから、物価が上がっても、生まれた価値で穴埋めすることができますが、付加価値が生み出されてもいないのに株価が上がるのは、マネーゲームそのもので、ゲームで儲かっている人もいたり、損する人もいるのですが、ゲームに参加していない、株価アップに連動しない収入で暮らしている人の生活は苦しくなる一方なのです。

しかし、なんの付加価値も生んでいないのに株価があがって利益を得ても、まさにそれこそがバブルであって、バブルはいつか弾(はじ)けますから、大損を受けるのはバブルに合わせてお金を投資する人であることは間違いありません。結局、株価上下で本当に喜ぶのは、株の売買を仲介して手数料を取る証券会社だけで、自分のお金で株を売買している人は、浮いて沈んでの毎日を繰り返すだけの根無し草のような暮らしを送ることになる、というのがmhの見立てです。

何度も言ってきましたが、円安で物価は高くなりつつあります。円安もあって株価が上がっている現在、物価上昇は加速されてしまいました。でも、だからとって株に乗り換えるのは危険です。かならず大きく下落し、損失を受けるでしょう。そんな、中身のないことを繰り返している日本経済の信用は段々と失われていき、日本円の価値は更に減少して、皆さんが持っている円貯金も価値が無くなっていくばかりです。従って、身を守るためには、円貯金は、資源が豊富で経済的にも成熟している国の通貨、例えば米ドル、豪ドル、ニュージーランドドル、カナダドル、に変えておくのが一番でしょう。間違っても、株投資するのは止めておくことが身のためだと思います。

アベノミクスか、なにか判りませんが、とにかく円安になり株高になりました。その影響で貧困層は更に貧困になっていく、富裕層もバブルがはじければ損失を受ける人が生まれる、そんな時代が始まっています。こんな時こそ、地に足をつけて着実に進むことが有意義な人生を過ごす手段である、と私は思います。
Words - Bee Gees - Lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=oaXVkQruSao
(完)

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ムスタン(Mustang)の不思議

皆さんは「Mustang(ムスタン)」と聞くと何を思い浮かべますか?

私の場合、まず思いついたのは自動車の名でした。ネットで「ムスタング」で検索すると「スタング(Mustang )とは、米国の自動車メーカー、フォード・モーターが製造販売する乗用車。かつて日本では「スタング」とも表記された。」とあります。
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しかしWiki「ムスタング」で検索しても次の記事しか見つかりません!
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つまり、自動車「ムスタング」は、独立精神に富んだ馬に準(なぞら)えて付けられたネーミングだと思われます。

しかし、今回のブログで皆さんにご紹介したいMustangは馬や自動車ではありません。中国との国境にあるチベットの小さな地域、ムスタン王国Mustang Kingdomです。20世紀中頃、中国はチベットを一方的に併合しましたが、1350年に建国されたMustangは昔から独立国でチベットとは異なる国でしたので中国に吸収されず、今はネパールの自治領です。

Wiki「ムスタン王国」
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調べると、1992年秋にNHKが放映した2回シリーズのドキュメンタリー番組『奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン』で紹介されているので、以下のブログを見ると「そういえば・・・」と記憶を新たにされる方もいらっしゃるかもしれません。

今回はmhがYoutubeフィルムで入手した情報を中心にムスタン王国をご紹介します。
フィルムは2003年に公開されています。

Wiki「ムスタン王国」続き
ネパールとチベットの国境、ネパール中西部、ダウラギリ地方の北部、ガンダキ川の上流に位置する。南北約81km、東西約64km、面積3,640平方km。ほぼ奈良県と同じ広さである。チベット高原や中央アジアとインド平原を結ぶ回廊にあたるため重要な地点である。
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長い間、外国人立ち入り禁止だったために「禁断の王国」とも称される。首都はローマンタン(Lo-Manthang)。人口約9,000人で、住民はチベット人のロッパ族(チベット語で「南の人」の意味)である。そのため、王国はロ王国(Kingdom of Lo)とも言う。言語はチベット語。宗教は、チベット仏教を信仰するなど、チベット文化の影響が大きく、長い間鎖国されていた為、チベットの伝統や文化が破壊されずに原型をとどめている。特に1951年、チベットが中国の軍事侵略を受け併合され中国化されると、ムスタンは「チベットの外のチベット」「古き良きチベット」として知られる。
(Wiki完)

王国はヒマラヤ山脈の中央辺りに位置し、タクラマカン砂漠の南を通るシルクロード「西域南道(漠南道)」とインドを結ぶ、物流・仏教伝道の「街道」が通っています。この街道は「塩の道」とも呼ばれていたようです。中国・雲南省とミャンマーやラオスを繋いだ「茶葉街道」のお茶の葉のように、「塩の道」を伝って岩塩がチベットからムスタン側に、ムスタン側からはインドの雑多な商品がチベットに運ばれて交流が行われていました。
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下の写真でも推察できるように、ムスタン王国の王都ローマンタン(写真中央)は東西をヒマラヤ山脈で挟まれた峡谷の中にあり標高3850mです。
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1992年までネパール人以外の人間が訪れることは原則として禁止されていたので、5百年前の生活様式が守られていたのですが、今は首都ローマンタンには外国人向けのホテルやセブンイレブンのようなスーパーが並ぶ「目抜き通り」も出来ているようです。一度、文化的な生活を味わうと、その暮らしやすさを忘れ去ることは難しいのでしょう。
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チベット仏教同様、ネパールの仏教でもマニ車は重要な仏具です。
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最近は自動車のダッシュボードに置いて使う太陽電池型マニ車もネパールやブータンで流行っています。
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ネパールと言うと首都カトマンズーの仏教寺院らしき建物が頭に浮かんで、国民の90%以上は仏教徒だろう、と思っていましたが、Wiki「ネパール」で確認すると仏教徒はたったの11%なんですねぇ!
ヒンドゥー教徒 80.6%, 仏教徒 10.7%, イスラム教徒 4.2%, キラント教徒 3.6%, その他 0.9%(2001年国勢調査)で、「ヒンドゥー教は国教ではなくなった。」というコメントも記されていました。インドに隣接していますから、インドの主要宗教ヒンドゥー教によって仏教は押しやられてしまったのでしょう。首都カトマンズ―の寺院もヒンドゥ寺院が多いのです!
しかし、ムスタン王国では仏教が主体です。
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王都ローマンタンの概要です。赤い線はインド側から辿(たど)ったルートです。
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次の衛星写真(Google Earth)でも判るように、豹(ひょう!)の爪でひっかいたような南北に走る峡谷がヒマラヤ山脈を東西に分断しています。その峡谷にムスタン王国はあるのです。
(mh;豹(ひょう)の爪と言いましたが、実はこの辺りには雪豹が今でも出没しています。映像が消えてしまったので申し訳ありませんが今回は省略させて頂きました。)
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この峡谷を伝って、チベットが中国に占領された数年後の1959年、ダライラマ14世はインドに逃(のが)れました!
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ムスタン王国を流れるガンダキ川は一部で渓谷を形成しています。
下の写真の渓谷は幅20m位で深さ70m以上あるでしょうか。下を行く馬に乗った2人の姿は小さな点のように見えます。
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ヨルダンの世界遺産ペトラ(岩の意)のシーク(渓谷)を髣髴(ほうふつ)とさせる多様な色彩文様の岩壁があちらこちらで見受けられます。
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この文様は町の道路に沿った石組みの塀にも現れています。
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しかし、この王国が外国に知れ渡るきっかけは、ガンダキ川上流の岩壁に掘られた洞窟の存在ではないでしょうか。
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上の写真に、岩壁を登る、赤い服を着た探検家が写っていますが判りますか?

岩壁に開(あ)いた窓から中に入ると、通路で繋がった小部屋群があります。
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洞窟の内部のCG映像です。
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小部屋は竪穴で結ばれていて2~10階建てになっています。
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ある階には15の部屋も見つかりました。
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そして、通常、最上階にはお祈りの部屋があります。

次は雪原に浮かぶ軍艦のような岩山の写真です。中腹より少し上に窓のような洞窟群が見えますが、お墓です。12,13世紀頃に造られました。
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実は、岩壁が崩れたので穴が見えることになったのですが、崩れる前は完全に岩の中に埋もれていました。従って、岩壁が崩れなかったら、洞窟があることには誰も気づかなかっただろうと思います。

下の左の図は、岩壁の一部が崩れて穴が見えた状況を、右の図は、岩山の上から縦に垂直に掘られた穴の下に、洞窟、この場合は墓室、が掘られていた状況を解説する図です。
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上から掘られた竪穴は埋められていましたから、この墓の発見は偶然と言えるでしょう。
岩壁が崩れて見え出した穴に上から垂らしたロープを伝い入ってみたら、天井に竪穴らしきものがあることに気づいた、という経過を辿(たど)ったのではないでしょうか。

見つかった墓穴のCG図です。箱のような棺(ひつぎ)の外面の上半分には赤い絵の具で馬に乗る男、下半分には白や黒の絵の具で木の絵が描かれていて、中には金の仮面で顔を覆(おお)われた遺体がありました。
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豪族の墓だったのでしょう。棺の前の床には生贄(いけにえ)の動物の骨、小麦粉が載った皿、ビールが入っていたと思われる壺、がありました。不思議なのは10歳くらいの子供の骨もあったことで、その理由は不明です。

次の2つはヒマラヤ山脈というかカラコルム山脈の南側のインド北西部で見つかった純金のマスクです。
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同じようなマスクはヒマラヤ山脈の北にあるタクラマカン砂漠から更に遠くのカザフスタンに到る地域でも見つかっています。

貴金属のマスクを死者に被(かぶ)し埋葬する風習は、ウズベキスタン・カザフスタンなどの中央アジアから南のインドや東のチベット、ネパールに伝わったのではないかと推定されています。

パキスタンのビーズ(1)やイランのビーズ(7~11)も墓から見つかりました。
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中国産のシルクと、チベットでも見つかる青銅の皿状の品(鏡?)も見つかりました。
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これらの品々を見ると、ムスタンの人々や文化がヒマラヤ山脈の北または南のいずれから来たのか一概には言えず、北と南の民族と文化がこの地で交わって王国が形成されたと考えられます。
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ムスタンの人々は仏教徒です。
おばあさんが釈迦像の前で熱心にお祈りしています。水を注(そそ)いでいるお盆は頭蓋骨の頭頂部を切り取って造ったもので、縁に蝋燭が立っています。
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お祈りと共に楽器を奏でる風習はチベット仏教と同じです。
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次はムスタン王国初期の12世紀に出来た村の写真で、背景の岩壁には洞窟が見えます。
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「どんな方法であの洞窟にいくの?」と村人に聞くと「勿論、下から登るのさ。」と笑って応えてくれました。
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ムスタンを訪れたある国の探検隊。今回が2回目です。河原から垂直に立ち上がる岩壁の登頂を始める(下左)と、村人が集まってきてイチャモンを付け始めます(下右)。
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「盗掘に来たのか?我々の許可なく洞窟に入るのは困る!」

探検隊はネパール政府の許可を受けていたのですが、それを説明しても村人は納得しません!
いろいろ話してみると、彼らは結局、お金を欲しかったのです。
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議論の末、中の様子を撮影するだけ、との条件で僅かなお金を渡し、再度岩壁を登って洞窟の中を覗(のぞ)いてみたら何もありません!撮影した写真を村人に見せると、冷笑してから村に戻っていきました。

探検隊は、最初に村人の要求を聞いた時、一方的な主張に驚いていますが、冷静に考えれば、彼らの許可を得ずに外国人が勝手に、彼らの土地で、彼らの祖先が造った洞窟を探検するというのも問題があります。金のマスクなど貴重な宝が見つかり、探検隊が内緒で持ち去ってしまう可能性だってあるわけですから。

探検隊のメンバーも言っていました。「外国人が神聖な洞窟を勝手に見たりすることは制約されるべきだろう。しかし、神聖な物と世俗的な物の違いは何によって決まるのだろうか?お金か?」

岩山の岩壁に掘られた修道院群
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その中には仏教の教本や壁画が残っていました、数年前に探検した時のままです!
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壁画の現状(上)とCG修正(下)
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米国の専門家グループが王都ローマンタンの修道院を無償修復しようと訪れました。この提案を受け入れるべきか?国王は住民を修道院に集めて議論します。
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結局、提案を受け入れることになったので、修復チームは、まず天井を修理して雨漏りを防ぐことにしました。それが済むと内部の壁画に使われている顔料を調べて類似の絵具を製作し、カビ取り用の資材を準備し、足場を組んで、住民にも修復技術を指導しながら作業を進めます。
修復に数年を費やし、今、やっと一段落しました。

作業の足場を解体し、修復に携(たずさ)わった全員で記念撮影です。
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壁画の修復前と修復後の映像です。
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しかし、壁画の一部には絵を引き裂いたような白い傷が残こされることになりました。そこは原画が剥げ落ちてしまった部分で、原画の芸術性を尊重する立場から修復チームが手を付けるわけにはいかない、という欧米の発想によるものでした。
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修復祝賀式に出席して修復された壁画を見たムスタン国王は言います。
「よく出来ている。しかし不十分だ!白い傷の部分も昔のような状態に修復されるべきだ。」
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「ムスタンの人々には壁画は芸術ではなく信仰対象だ。傷が残っていては人々は心の安寧を得られない。」
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しかし、壁画には、左右が完全にずれていて原画を生かした修復が出来ない箇所もありました。
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壁画が一部だけ落ちてしまっただけの所は、後日再修正や復元ができるよう、水性絵の具を使って白い部分を埋めることにしました、ムスタンの人々が望むのだから。
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しかし、剥離面積が大きくて原画そのものが不明な部分は、後日除去できる水性絵の具を使って想像線を描くのが妥協限界だ!と伝えました。
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ムスタンの人々はこの妥協案に満足しません。修復祝賀に集まった僧たちも同じ意見でした。
「芸術ではない。信仰対象なんだ!だから完璧でなければだめだ!」
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これ以上、外部の人間が修復を進めるのは無理だ!と判断した外国人の修復チームは、白い部分をどう修復するか、誰にその修復を頼むか、はムスタンの人々に委ねて帰国しました。
その後、ムスタンの人々がどう対応したのか?は情報もなく判りません。出来るのなら私(mh)がムスタンを訪れて自分の眼で確認したいところです。

ムスタン王国では移動手段として昔も今も馬が使われています。しかし時代の波は、ネパールの奥地にも押し寄せます。道路工事が始まりました。
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レンガや石を組み上げて造られた修道院の壁は、道路を通るトラックの振動で破損する可能性も危惧されます。しかし、外部の人間ができることは現時点ではここまででしょう。あとはムスタンの人々に委ねるしかありません。

修復祝賀法要で僧侶や関係者が修道院に集まりました。中国によるチベット占領以来、この修道院で行われる半世紀ぶりの法要です。
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タルチョー(下段Wiki参照)に祈祷文を印刷し、ヒマラヤを吹き渡る風に靡(なび)かせて修道院復活を祝いました。
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(完)
Wiki「タルチョー」
タルチョー(チベット語:དར་ལྕོག་ dar lcog)はチベットの五色の祈祷旗である。寺院や峠、端に見られる。五色の順番は青・白・赤・緑・黄の順に決まっており、それぞれが天・風・火・水・地すなわち五大を表現する。タルチョ、タルチョク、マニ旗、ルンタ(རླུང་རཏ་ rlung rta)すなわち風馬旗とも言う。風の馬が描かれている場合にルンタと特に呼ばれ、仏法が風に乗って拡がるよう願いが込められている。他に願い事や六字大明呪、四神(虎、麒麟、鳳凰、龍)などが描かれている場合もある。経文が書かれている場合は風に靡くたびに読経したことになる。

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mh徒然草ー20:日本のテレビでの大韓航空ナッツ事件報道

今日、12月12日、6チャンネル「Nスタ」(17:00~19:00)で大韓航空の女性副社長が、ニューヨークで大韓航空機のファーストクラスに乗った際、出されたピーナッツが袋に入ったままだったので、大声でキャビンアテンダントを叱り、飛行機が離陸しようとしていたにもかかわらず空港ビルに戻し、責任者を同機から追い出して韓国・仁川空港にむけて再出発した、という事件の後日談を解説していました。

この出来事は1週間前に発生したもので「ナッツ・リターン」と揶揄(やゆ)され、韓国内でも彼女の傲慢な行為に非難が集中して、彼女は副社長の職を下りることが確定したようです。彼女は大韓航空の会長の娘で、これまで苦労知らずで、帝王学のような、庶民とかけ離れた教育や環境の中で育てられただろうし、韓国の会社における上下関係の厳しさを考えると、今回のような非常識な行為も「さもありなん!」という気もします。

彼女の行為は間違いなく行き過ぎでした。しかし、大韓航空の機内サービス規定では、ナッツは袋のまま出さず、小さなグラスに入れて出すよう指示があるとのこと。

それを知ったうえで「Nスタ」のアナウンサーは「私なんかはグラスではなく袋のまま貰(もら)った方が後で食べても好いし便利だから、グラスに入れなかったといって叱るのはどうも理解できませんね」ってなコメントをして、暗に女性副社長の非難そのものが間違っているような口ぶりでしたので、私は思わず彼、と言ってもテレビの画面の中の男です、に向かって「あなた!それはあなたの言い分の方がおかしいでしょ!だってマニュアルで決められた作業ルールなんだから!副社長が叱ったのは間違いではありません!叱り方はまずかったとは思うけど。」と文句を言ってやりました。「Nスタ」のアナウンサーは、副社長の何から何までこき下ろして嘲笑しようとする意図があったのではないか?とすら思いました。

特にTVを介してマスコミが大衆に迎合したコメントをするのを見聞きすると「マスコミも低俗だなあ」と感じます。なんの面白みもありませんが、淡々と事実だけ報道してもらう方がましというものです。新聞では印刷前に何度も読み返すので、コメントもそれなりに完成していて何をどんな意図で主張しているか、は理解しやすいのですが、テレビは、お調子者が持て囃されて、ついつい、知りもしないのに一丁前の意見を述べたりすることがおおく、頂けません。そういう方は、自覚もあるでしょうから、台本に書いてないことは言わないようにした方がボロがばれずに済むので好いと思いますよ。

しかし「人は苦労しないと他人の心が判らない」って言うけど、本当ですねぇ。大韓航空の女性副社長は可愛がられて大事に育てられ、若くして会社のトップに昇格し、思い上がりが生(しょう)じない方が不思議なくらいですから、今回のような事件がいつか起きるのは想定できた気もしますが、揚げ足を取って、日本のマスコミが韓国人の彼女の行為を馬鹿にする発言をするのも頂けません!

でも、まさか、大韓航空機では、規定を無視して、ナッツを袋に入れたままだす習慣が蔓延っ(はびこ)っている、ってなことはないでしょうね?もしそうなら、キャビンアテンダント側も慢心している!と言えます。ナッツのサービス規定が、大韓航空機でどのくらい守られているのか?問題を起こしたキャビンアテンダントだけが例外だったのか?といった観点で調査報道してくれたら、今回の事件についても関心が深まっただろうに、と思いますが、彼女の行為を非難しているだけでは、スキャンダルを面白おかしく報道するだけの番組、と思われても仕方ないでしょう

大韓航空の副社長も「マニュアルを守っていない!あなたは駄目だ!」ってな具合に直情的に叱らず、「マニュアルを知っているの?何故、マニュアル通りやらないの?何か事情があったの?他の人達も袋のまま乗客に渡しているの?」なんて質問していたら、大韓航空機の機内サービスの質を改善するチャンスになったと思います、とかなんとか偉そうなことを言ってますが、「もし、あなたがその場にいたら、そうしていましたか?」と問われても「勿論!」と言える自信は私にも毛頭ありません。
https://www.youtube.com/watch?v=PyxLaHmOaYM
(完)

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マヤの不思議

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中米で繁栄したマヤ文明。ジャングルに分布する多くのマヤ遺跡の中心にはいつもピラミッドがある。その数はエジプトのピラミッドの10倍だ。
なぜ沢山のピラミッドが造られることになったのだろうか?
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その答えを求めて旅に出よう。ジャングルの中の遺跡パレンケからスタートだ!
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マヤが最も繁栄していた西暦632-683年、ポコール大王はパレンケに偉大な都市を造った。
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遺跡になってしまったが今でも魅力的な場所だ。
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7世紀、住民・貴族・商人などで町は賑(にぎ)わっていた。古代のアメリカで一人の男が造った最大の都市だろう。
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マヤ独自のヒエログリフ「マヤコード」が使われていた。
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幸運にもマヤコードは解読できるようになり、記録からいろいろな事実が明らかになった。人々は「地下に神聖な国がある!」と信じていたようだ。
ポコール大王は神聖な山としてピラミッドを造ったと言う、地下の神聖な国に入るために!
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ピラミッドの最上段だ!ここに入り口がある!
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狭い空間に造られた急な石段をどこまでも下りていく。別世界に入っていく気分だ。
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とうとう大王の遺体が安置されていた玄室に着いた。
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しかし、ここは旅立ちの場所にすぎない。魂は別の世界に向けて旅立ったと言う。
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神や悪魔たちに会うため彼の魂は2年半の旅をした。川を下って神聖な場所に行く。
彼は確信していた「そこで彼等に会って我も神になるのだ!」

しかしパランケには川は見当たらない!一体、何処にあるのか?

ガイドが教えてくれた「死後の川の存在はここだ。マヤコードで記されている!」
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「地下を流れる川を伝って神聖な洞窟に行き、神や悪魔に会って神になる!」

ユカタン半島の石灰質の大地には地下水系に繋(つな)がる数千の穴が明いている。
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セノーテと呼ばれ、世界の他の場所には類が無い水系だ。これが地下の川のモデルになった!
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水温は24℃でガラスのように透明だ。水中で洞窟が網の目のように広がっている。
セノーテの調査は全体の3分の1しか済んでいない。とても危険なのだ。多くのベテラン・ダイバーが迷路から戻れずに溺れ死んでいる!
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トンネルのネットワークはまるで終わりが無いようだ。

2つめの遺跡、チチェン・イツアを訪れた。8~12世紀に繁栄した町だ。
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セノーテに囲まれ、信仰の中心地でもあった。生贄を捧げた台もある。
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勿論、ピラミッドも寺院もある。
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そして、なによりも、ここには神聖なセノーテがある!
巡礼者が「シバウバ」と呼ぶ地下世界への入り口だ。
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どうしてここが「シバウバ」への入り口だと判ったのだろうか?
「子供を生贄として捧げた」という言い伝えがある!今立っている場所が寺で、ここから下に飛んで身を捧げたと言うのだ!
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この言い伝えが正しいのかを調べた男がいる。1904年、中の水を汲み出した。
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金や玉石など多くの儀式用の貢物(みつぎもの)が見つかった。
ショッキングな発見もあった。人骨だ、それも沢山!子供の骨が多い!
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言い伝えは正しかった!人々はここでシバウバの神々に人身御供を捧げていたのだ。
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マヤで最初に訪れた遺跡ポランケでは「ピラミッドは山で、そこに掘られたトンネルは地下を流れる川に繋(つな)がっている!」と信じられていた。
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その川とはセノーテだ。セノーテこそ古代のマヤ人が「地下世界への本当の入り口」と信じていた川だ。

ユカタン半島にある沢山のマヤ遺跡は、まさにセノーテ水系の中にある。
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この美しいビーチの近くではセノーテが海に繋がっているという。
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そこに「運命の寺院」(Temple of Doom)と呼ばれる所があるのだ。山から地下に流れ込んだ水と海の水が出会う場所だ。

ダイバーは「ハロクライン(塩分躍層)」と呼ぶ。なぜマヤの人々は「運命の寺院」と呼んだのだろう?

兎に角、行ってみよう。ジャングルの中に明いた穴からセノーテに入っていく。
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カリブ海の潮の満ち引きで水流の方向が変わるという。
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暗闇の中を15分泳いだがハロクライン(塩分躍層)の兆候は見当たらない。想定していたよりも遠いようだ。

ストップサインだ。ここから先は道標(みちしるべ)のライフ・ライン(mh;迷わないよう水中に引かれたロープ)はない!注意して進んでいく。
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とうとうハロクラインに到達した!
不思議な感覚だ!見るもの全て、焦点が合わない!
ゆっくり揺れる水のカーテンのようだ。清水と海水で屈折率が違うためだ。
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ハロクラインのカーテンを潜(くぐ)り抜けると突然、視界は鮮明になった!
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カリブ海の海水域に入ったのだ!
(mh;Youtube映像ではハロクラインは上の写真よりはっきりとした違いが見受けられますが、なにぶん暗い所なので・・・)

地下水系で起きるこの不思議な現象を古代の人々はどうして知っていたのだろう?まさか人身御供になった人が告げ口したということはないと思うが・・・

ハロクラインのイメージは確かに生と死の2つが出会う場所だった。
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「ポポブー」はキリスト教の「創世記」に相当する「マヤの聖書」とも言える。
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神がどのように世界を創造したのかが記(しる)されている。
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スペイン人がこの地を制圧した時、彼等は「マヤの宗教はバンパイヤ(吸血鬼)の邪教だ!」として書物を全て焼いてしまった!
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しかし、密かにこの難を逃れた数冊がある。その一つが「パパブー」だ。
「パパブー」はグアテマラ高地の町チチカステナンゴで見つかった。現在、マヤの聖地になっている色彩豊かな町だ。
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教会の周辺にはいつも大勢の信者が集まっている。店もあって賑やかだ。
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入る前に人々はお祈りをする。
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教会の中ではマヤ信仰の特徴があちらこちらに散見された。
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一番奥のこの祭壇の後ろに、「パパブー」は150年間、ひっそりと隠れていた。
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パパブーはマヤ信仰の精神を今に伝え、キリスト教と融合して新たな宗教に生まれ変わっている。
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パパブーは世界を創造した神の物語だ。神は地上に降り立ち、人々に永遠の生命の秘密を伝えたのだ。
パパブーによると、死後の魂は山の穴から地下の川を通って、ついには生と死が交わる世界「シバウバ」に辿(たど)り着く。
近くの山の、今でも古代信仰が残る寺院に行ってみよう。
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この寺院の下にはトンネルがある。聖地として信者が掘ったものだ。祈祷師(シャーマン)はトンネルの入り口で儀式を終えてから妻と2人でトンネルに入っていく。我々もついて行こう。
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長さは30m程だ。地下世界への入り口があるなら、まさにここがそうだろう。
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5百年の間、彼らはこの地で信仰を続けていた。
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パレンケの遺跡では山として造られたピラミッドにもトンネルがあった。ユカタンでは地下の川があった。
山・トンネル・地下の川の最後の行先となる場所は本当にあるのだろうか?
ガイドは言う「ある!ジャングルの中にある!」。さっそく行ってみよう。

グアテマラのジャングルに向かった。ボートと車、徒歩で移動する。
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カンデラリア洞窟が我々の最終目的地だ。カンデラリアにはピラミッドの形の山がある!
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カヤックに乗り代えて川を下った。途中で山腹に明いた穴から水が噴き出す「地下の川」に何度も出くわした。
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山からジャングルに向かって急流となって流れ落ちていた川はとうとう淀みになった。そこがカンデラリア洞窟の入り口だ!
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想像していたより素晴らしい!
「ここだ!山の中にある川と洞窟。「シバウバ」への入り口だ!」
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ポコール大王が死の旅で通った川だ、神として生まれ変わるために。
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とうとう最も神聖な場所に到達した。川と洞穴の終点。「シバウバ」だ!
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(完)
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Digging For The Truth - Season 1, Episode 08 - Passage to the Maya Underworld
https://www.youtube.com/watch?v=s6iBbGc0G_A
https://www.youtube.com/watch?v=s6iBbGc0G_A

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mh徒然草ー19:沖縄は誰の物か?

11月16日、沖縄県知事選挙が行われました。結果は次の通りでした。
▽翁長雄志(無所属・新・64歳)当選、36万820票。
▽仲井真弘多(無所属・現・75歳)、26万1076票。
▽下地幹郎(無所属・新・53歳)、6万9447票。
▽喜納昌吉(無所属・新・66歳)、7821票。

米軍基地移設の辺野古移設で多額の補助金を国から受け取ることが決まって「好い正月が迎えられる」と取材で答えた仲井真氏は落選し、基地移転反対・縮小加速を主張した翁長氏が当選し、米軍基地の将来展開は簡単には国が思うようにいかなくなりました。

仲井真氏は2006年に県知事に当選し、2010年の選挙では日米合意の見直しと米軍基地の県外移設を主張して当選を重ね、今回は3期目の立候補でした。永年、県知事をやって初心を忘れたこと、高齢なこと、から県民が嫌気をさしたのが落選の理由かな?と思います。やはり国政も県政も、若くて心が汚れていない人が担わないといけませんねぇ。何回も当選すると、若くて心が汚れていなかった人も年とって心が汚れてきますから、8年を議員の限度にするなどの線引きも必要ではないかと思います、米国大統領の2期8年制のような。

沖縄の基地が沖縄県民に与えるマイナス面は大きいと思います。だからと言って、日本から米軍基地を直ちに撤去する、というのも問題あると思います。中国は軍事拡大し、アメリカに「太平洋を大国2つで分割しよう!」ってな提案をしたようですから。

中国が日本のみならず、小国と見なしているフィリピン、ベトナム、はたまたインドネシアなどにも横暴を働く可能性はかなり高いので、連帯して中国に対抗する戦略はきっと有効だと思います。しかし、それだけでは不十分で、なにがしかの自衛軍備を維持することは必要でしょう。それが軍備拡大、日米安保強化、沖縄米軍基地拡充なのか?については異論はあると思いますが、歴史の流れを見ていると、日本が全く防衛軍備を持たない、という選択肢は、少なくとも現在の情勢下では採用すべきではないと思います。問題は、どのような軍備をどのくらいの規模で、どこに持つか、でしょう。この辺りは当然、政府でも検討済みだと思うのですが、どうなっているのか、一般の国民には知れ渡っていません。防衛白書にはどのように書かれているのでしょう?

しかし、日本の防衛負担を沖縄に過大に押し付けている現状は問題あると思います。どんな国防がよいかの議論はなかなか結論も得られないだろうし、そうこうしているうちに中国の軍拡は進んでいく一方でしょうから、直ちに沖縄の国防力を無条件で縮小するのも問題があり、とすれば、ひとまずは米軍基地を沖縄県外に分散し負担を分かち合う案が妥当ではないでしょうか。

米軍基地問題を語る時、県外といえば海外か本土を指すようですが、本土とは何か?日本の本来の国土です。裏を返せば、沖縄は日本の本当の国土ではない!となります。だって、明治時代に時の日本政府が琉球王国を一方的に乗っ取るまで、琉球(現沖縄)は王国として独自の外交を進め、中国大陸や日本の間で平和を維持することに腐心していたのですから!やはり日本古来の国土とは言えません!そこに日本の防衛基地を押し付けているのでは日本というのはどこまで非道で理不尽な国なのだ!と非難されても反論できません。

このような問題は、個人がどうこう言うのではなく、大局に立って、国家的・国際的見地から考え、必要なら国民の意見を聞いて最終決断することが必要だと思います。
もし、英国・スコットランドやスペイン・カタルーニャ州で行われた独立賛否住民投票を沖縄で実施したら、どんな結果がでるでしょう?私の推察では次の通りです。
独立    :50%
米国に帰属:35%
日本に帰属: 5%
台湾と連合: 5%
その他  : 5%
さて、皆さんならどう読みますか?

なお、Wiki「沖縄」によると「1879年(明治12年)3月 - 琉球藩が廃止され、王府の支配が終了。沖縄県が設置される。」とありました。この時、琉球という名が消滅し、新たに沖縄という名が生まれた、ということだと思います。
(完)
最後になりましたが、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
今年も?今年こそ?ま、それはどちらでも好いのですが、兎に角、皆様にとって好い年でありますように。
https://www.youtube.com/watch?v=A3yCcXgbKrE
https://www.youtube.com/watch?v=A3yCcXgbKrE

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