Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

オルメカ(Olmec)文明の不思議

3千年前、どうしてこのような巨大なモニュメントを造ることが出来たのか?
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オルメカと呼ばれる人々はどんな人たちだったのか?
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中央アメリカのジャングルの中に考古学者たちを数十年以上も悩まし続けている文明がある。コロッサスColossusのストーン・ヘッドだ!
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コロッサスとは「巨大な像(スタチュー)」を意味する、ブログ「世界の7不思議:ロドス島のコロッサス(昨年9月22日公開)」から生まれた言葉だ。
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一枚岩のこのヘッドは10トンある。誰が造ったのか?どんな方法で?

メキシコと言えば、アステカ文明が生まれたところだ。
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5百年前、20万平方Km(注)の国土を統治し、巨大な都市や寺院、ピラミッドなどを造った。
(注:日本国土面積は38万平方Kmです。)
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寺院では数千人の生贄(いけにえ)が神に捧げられていた。
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しかしコロンブス以降、大西洋を渡ってきたスパニッシュ・コンキスタドール(征服者)に破壊されてしまう。
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マヤ文明もアステカ同様、メキシコで発達した。
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石を使うところはアステカ文明と似ている。
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25万平方Kmの王国に2千万人が暮らしていた。
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寺院の壁に残されたレリーフや壁画は彼等の神や王の盛衰を今に伝えている。
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しかしアステカやマヤよりもずっと昔・・・キリストの誕生より1千2百年も前・・・エジプトではツタンカーメンの時代・・・
メキシコ南部のジャングルで文明が生まれた。オルメカ文明だ!
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アステカやマヤと比べれば極わずかな数のオルメカ人たちが、ジャングルで覆われたこの地でメソ・アメリカ(中央アメリカ)で初めて文明を創造したのだ。
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彼等の実態は秘密のベールに包まれている。彼らが創造したもののほとんど全てがジャングルに飲み込まれ、覆い隠されてしまっているのだ。
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誰も文明があったことに気付かなかった、最初の大きなヘッド(頭)が見つかるまで!コロッサス(巨人)のヘッドだ。
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いままで17個が見つかっている。メキシコ人類学博物館には6つ展示されている。最も沢山のコロッサス・ヘッドを見ることが出来る場所だ。

勿論、当時は金属製の道具はない。どんな方法で石の巨像を造ったのだろう?
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「石に対しては石だった!硬い石で大きな岩を叩いて砕き、磨いて造ったのだ。」
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オルメカ人とはどんな種族だったのだろう?巨大な顔は何を意味しているのだろう?
最大のヘッドは高さ3.3mで重さ20トンもある。どのヘッドも独特なヘルメットを被(かぶ)っている。
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表情も個性的で同じものは無い!
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厳しい顔、穏やかな顔、力強い顔・・・
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もっと詳しく知るため、オルメカ人が造った最初の都市サン・ロレンゾに行ってみよう。
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湿地とジャングルの中にある。考古学者が調査するのには最悪の所だ。
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土器や石以外で造られた物は見つかっていない。木材や布で出来たものは土と化して残らなかった。

「ここがサン・ロレンゾだ!」
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オルメカは他にもいくつかの集落を造っている。しかし、ここが一番ふるい。この丘から全てが始まった!
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文明の跡を探すことは困難だ、マヤ文明などと異なり全てはジャングルの土の中に深く埋まっている!

3千2百年前、川が流れ、沼があり、深いジャングルが一帯を覆っていた。
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開拓が進んだ現代ですら、ここが中央アメリカの文明発祥地だったとは思えない。

20年以上発掘を続けているサイファーズ博士に訊いてみた。
「見えているところは大体70平方kmの広さよ。5千5百人がこの地に住んでいたの。」
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60年も発掘が続いているが、全体の1%程度が終わっただけだという。

一枚岩から彫った10個のコロッサスがこの地で見つかった。最初の発見は1800年代だ。
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大きな人間の頭はみんなを驚かせた。
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土の中に埋まっていた!
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この種の古代遺跡は考古学者も見たことが無かった!
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人々にとってはミステリーだった!
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それぞれが異なる表情をしていることも議論を呼んだ。どんな曰(いわ)くがあるのだろう?
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メキシコ人の祖先の顔のようには見えない!
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アフリカからの移民が彫ったのか?アトランティスの生き残りではないのか?
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1940年頃、原住民が造ったものだということが考古学者によってやっと確認された。この文明が以降の中央アメリカの文明を生み出していったのだ。
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ここはコロッサスNo8が発見された場所だ。
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博物館の入り口に展示されている。
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顔は東を向いていた。まるで意図的に隠すように地中に埋められ、小さな山になっていた。他のヘッドと比べて風化が少なく、肌がきれいな理由はわかっていない。

巨大なヘッドを造り出したオルメカ人の生活について判明していることは少ない。考古学者カールはそれを解き明かそうと調査している。彼によれば、オルメカを特徴づける一つの重要な物が近くに残っていると言う。その場所に連れていってくれた。
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タールで一杯の湖だ!
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「どんな用途で使われていたのか?」
「明確な証拠はないが、塗料とか、接着剤とか、が考えられる。」

土器に入れて加熱し、不純物を除いて乾燥し、固形化した。そうすれば保存や持ち運びに都合がよい。
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乾燥したタールを交易していたことは何千Kmも離れた所でタールの石が見つかることから明らかだ。
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調査はサン・ロレンゾの一帯70平方Kmで今も行われている。地中から土壌サンプルを掘り出し、その中に何か残っていないかを調べる、気が遠くなるような作業だ。石以外のものは腐ってしまい残っていないのだ。
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いろいろな場所で土壌サンプルを採り、その位置と深さのデータも記録に残す。
時には拡張棒を継ぎ足して19mの深さまで掘ることもある。
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アステカ人が生活していた地面まで18mもあるとしたら、調査はなんと大変なことだろう。しかも、探すのは金や宝石ではなく石だ!

コロッサス(巨人)の石はサン・ロレンゾから60Km離れたトォウーストラ山地から運ばれたことが判っている。火山が多い所だ。
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多くは火山から吹き出た溶岩だ。比較的柔らかい。しかし、オルメカ人はいろいろな種類の岩でコロッサス・ヘッドを造っている。中には固い石もある。
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現地でリチャード博士が説明してくれた。
「長方形にきちんと切断された岩だ。」
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「ここに出っ張りがある。移動するためにロープをかけた所だと思う。」
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「面は綺麗だ。人が目的を持って加工したものだ。」
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「今は2つの大きな岩になっている。」
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「しかし、最初は一体の大きな岩だった。祭壇に使うつもりの岩だった。」
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「しかし、何故、火山の岩を使ったのだろう?」
「私の考えだが、溶岩は地中から出て来たものだ。地下に住んでいる神の力を持っていると考えたのではなかろうか?石工はここで岩の外形を整えてからサン・ロレンゾに運んで最終仕上げをした。」

40トンもある石を60Km離れた場所にどんな方法で運んだのだろうか?しかも途中には沼や川やジャングルがある!
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オルメカの人口は少なく、その上、いくつもの町に分かれて暮らしていたようだ。川で魚を獲ったり、小規模に農業をしたりして暮らしを支えていたと考えられている。それが紀元前1200年、リーダーが現れて集団としての機能を持ち始め、コロッサスが造られるようになったのだ。
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それにしても60Kmも離れた首都にどんな方法で巨石を運んだのか?これが最大のミステリーだ!
今なら簡単だ。電話一本で済む!クレーン車を呼べばよい。この石は14トンだが、持ち上げて運ぶのにも汗を流す必要がない。
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しかし、3千年以上もの昔、オルメカの人はこの2倍もの重さの岩を運んでいる、ジャングルの中を!!!
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当時なら人手以外の方法は考えられない!ロープや梃子(てこ)を使うしかないだろう。1個0.5トンくらいの小さな石で試してみよう。
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びくともしない!エジプトのピラミッドを造る時と同じように大勢を集めるしかない。
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Mh:以下暫くの間、Youtubeフィルムでは石を運ぼうと大勢がすったもんだする様子が続きますが大幅に省略します。運搬作業はなかなかの大仕事のようです! 映像の石は0.5トン。オルメカ人が運んだのは平均でも7,8トンですからこの14倍以上です。大きい物は40トンもあったようですから千人以上は必要だろう、とフィルムでは言っていました。

下の映像のように、木橇(きぞり)を使うと、少し楽になるようです。当時、車輪は発明されていなかったので、最善の方法は丸太をコロ代わりに使う事だろうとのこと。本当ですかねぇ?
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何とかして移動したとしても湿地や川に出合ったらどうしたのだろう?

町の人口は少なかったが、サン・ロレンゾでは沢山の土壌を他の場所から運んで農耕地を造ったという。
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リーダーの権力が強かったのだ。土を盛ってテラスが造られた。
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80万平方メートルの、中央アメリカでは類を見ない広大な耕作地だった。
その時のリーダーは誰だったのか?コロッサス・ヘッドがミステリーを解く鍵かも知れない。
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幾つかのヘッドには耳のある辺りに妙なマークがある。玉座や祭壇の側面に彫られたものと似ている!
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そうか!祭壇を再利用して造られたコッサスか!
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それで顔も平らになる傾向があるのだ!
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多分、その考えに間違いないだろう!
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岩を運ぶのは大変な作業だ。恐らく、リーダーが死ぬと、祭壇や玉座として使われていた岩がコロッサス・ヘッドにリサイクルされたのだ。

それが事実かどうか判然としない部分もないではないが、明確なこともある。リーダーは人々を統率していた。大勢の人間に岩を運ぶよう指示できたはずだ。
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大勢の人を使って岩を運んだ。多分、木の橇(そり)を使っただろう。川まで運ぶと筏(いかだ)かボートを使ったはずだ。その時、ボートなどに水が入り込まないよう、シール材としてタールが使われた可能性がある。
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この船は石器時代のボートと形は異なるだろうが運搬方法の検討には問題ないだろう。
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これで石を運べるのか?それとも沈んでカイマン(注)の餌食(えじき)となるのか?
(注:Caiman中南米に生息するワニ)
この辺りには川が多かった。川を使えば陸地を運ぶより効率は好いはずだ。考古学者は海も使ったのではないかと考えている。
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多くの学者が様々な運び方について提案している。今回は我々が考えた方法で試してみよう。
まずは我らがボートが使えるか、チェックだ。問題なさそうだ!
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同じサイズのボートを3つ繋(つな)いで筏を作る。
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その上に石をみんなで担いで移す。これが一番大変な作業だ!
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やっとボートに載せ終えた。
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我々が運んだ岩は0.5トンでボートは3隻だ。40トンなら80倍だから240隻ものボートが必要になる!!!
オルメカ人は長さ15mのボートを使っていたというから14隻で済む。としたら、この方法も少しは現実味が増すというものだ。

ボートを寄せ集めた大きな筏の先には誘導ボートも付いていたと思われる。
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3千年前、オルメカはコロッサスの岩を火山から降ろし、川や海を使ってサン・ロレンゾに運んだ。彼等の支配者はきっとコロッサスの顔をしていたのだろう。
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彼らは中央アメリカで最初の文明を創り上げた。それがマヤやその後のアステカ文明などの源となったのだ。
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(補足)
オルメカ文明で造られ、発見されたものはコロッサス・ヘッドだけではありません。
Wikiで紹介されていた発掘品を2点、ご紹介しましょう。

Fish Vessel, 12th–9th century BCE.魚の容器;紀元前12~9世紀
Height: 6.5 inches (16.5 cm). 高さ16.5cm
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Olmec jadeite mask 1000–600 BCE
オルメカ硬玉のお面;紀元前1000~600年
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Wikiには次の記述も見つかりました!
「オルメカの文化は、出土するさまざまな石像に現れている。人間とジャガーを融合させた神像は、彼らにジャガーを信仰する風習があったことを物語っている。祭祀場では儀式としての球技が行われ、その際には人間が生贄として捧げられた。また、絵文字や数字を用い、ゼロの概念を持つなど、数学や暦が発達していた。」

BBC英国放送協会監修のYoutubeフィルムも見ました。始めから終わりまで、どんな方法で巨岩を運んだのか、をある考古学者のアイデアに基づいて現地で試みた様子を記録したものです。
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筏(いかだ)に石を移す作業をしているところですが、ここまで運ぶ方法も、筏に載せる方法も、面白味のない非効率的な方法で、なんとか筏に載せ「川に乗り出そう!」としたら筏が川底に座礁していて、結局、水に浮かぶ場面は撮影できずじまいでした!

ピラミッドの石を運び上げる作業もそうですが、木製の橇(そり)やらコロやら、ロープ、梃子(てこ)などだけで運び上げるのは難事業で、宇宙人や神様などの超自然力を借りたのではなかろうか?なんて異説が出てくるのも判らないではありませんが、そんなことがあったはずはないでしょうから、やっぱり、大勢で引っ張って運んだのでしょうか?

イースター島のモアイ像もそうだし、世界の七不思議の神殿に使われた大きな大理石もそうですが、昔の人たちが巨石を運んだ方法が図などで記録され残っていたという話は聞いたことがありません!エジプトならヒエログリフという文字があったのですから、もしも空からやってきた宇宙人が手伝ってくれたのなら、それらしい記録が残っているはずで、そんな驚くような方法でなかったとしたら、やっぱり、誰もが考えるように、斜面をロープで引きずりながら巨石を持ち上げた、といった平凡な方法だったから、記録に残されるべき内容がなく、従って記録も見つからない、と考えるべきなのでしょう。

なお、エジプトのヒエログリフにはヘリコプターや宇宙船に似た不可解な絵があります。
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「やっぱり宇宙人が来たのだ!」と唱える人の根拠になっているようですが、その人も話を面白くするのが目的で、宇宙人説を真面目に信じてはいないでしょう。
(完)
Island Kings Of The Stone Age (SECRET ANCIENT HISTORY DOCUMENTARY)
https://www.youtube.com/watch?v=tNqe5470a9U

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mh34;韓国と価値を共有しない日本

今日3月5日、NHK朝7時のニュースのトップ2(?)で外務省の韓国紹介Webから「基本的価値を共有する」の記載が削除されたと紹介されました。記事をネットで見つけました。
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これに続く9時の民放番組で、元首相の鳩山由紀夫氏が「普天間飛行場を日本に返還してもらおうと私は考えていたが、外務省の強い反対にあった」と言っていました。

今更ぐちる鳩山さんには、あきれて物申す気もしませんが、それにしても日本の外務省って時の政府の方針を無視して動くんですかねぇ?政府方針に従わないお役所があり、それで済むのだとしたら、悪いことをする人が多い政治家なんか不要で、省庁の役人に国を運営してもらえば好い、ってことになります。

日本のお役人は政治家なんかよりもずっと頭が良いし、長い間、同じ分野の仕事をしているので、知識や情報は豊富で、頭の悪い政治家が浅はかな考えを押し付けてくるのには耐えられない、という気持ちも判らないではありません。だからといって、政治家が言う事と全く逆のことをする程、お役人は大胆でもないし、馬鹿でもないと思いますから、お役人が言ったとかやった、というのなら、やっぱ政治家の方針に沿った行為ではないかなぁと推察します。

とすると、外務省の韓国紹介記事の見直しは、岸田外務大臣の、指示は無かったかもしれませんが、少なくとも承認があった、と考えて好いのではないでしょうか。岸田外務大臣は、お見受けする所、ご自身の考えを持たないお方のようなので、安倍首相の意向を忖度(そんたく)したのでしょう。忖度(そんたく)というのは、簡単なことを難しくいうのが好きな政治家が好む言葉で、「他人の心をおしはかること」です。判り易く言えば「言われてはいないが、多分、相手はこう思っているだろうと思い図(はか)る」行為です。

岸田外務大臣は、首相から直接あるいは間接的に指示されたか、または首相の意向を「忖度」して、外務省に韓国紹介記事の見直しを指示したか、指示しないまでも承認しました。

または、岸田外務大臣から言われる前に、外務省の役人が、岸田大臣の気持ち、ではないですね、彼は自分の考えがない人ですから、安倍首相の意向、を忖度して記事を修正したのです。

鳩山元首相のコメントを参考にすれば、ひょっとすると外務省が自分勝手に韓国紹介記事の書き換えを決めたのかもしれません。外務省のお役人は外務大臣や首相よりもずっと頭が好いですから、大臣や首相の意向などを聞く姿勢も少なく、「外交で優位性を確保するにはこの際、韓国など無視しているよ、という態度を相手に伝えておこう!」と考えて自発的に行った可能性もあります。

どんな経緯があったにしろ、何で今、「基本的価値を共有している、というのは間違いだった!」なんて態度表明する必要があるんですかねぇ?日本の方針が変わったのなら、面と向かって伝えればいいのに、偶然、ネットで検索しないとわからないような隅っこの記事を密(ひそ)かに修正しておく、ってなやり方は、陰険(いんけん)だし、非効率的で、相手に揚げ足を取られかねない愚策だと思います。そんなことはやらないし、言わないで済ます方法こそがスマートな外交でしょうから、日本の外務省も二流、三流に成り下がったと思わざるを得ません、いやいや、日本の外交は元々、二流以下だったという見方もできるでしょうから、とうとう馬脚を露(あらわ)してしまった、とも言えます。

それにつけても、最近は、この種の、やられたらやり返す、という負の連鎖が多くなってきた気がして、世の中、これからどうなってしまうんだろうか、と気がかりです。

確かに、韓国の朴大統領の言動には大きな問題があって、たまには苛(いじ)め返してやりたい気持ちも判らないではありません。しかし、それは日本の安倍首相だって同じです。この2人に決定的に欠けているものは「相手を思いやる心」でしょう。2人とも親族が国のトップを務めた家庭で苦労というものを知らずに育ちました。そういう人は他人に優しくなれないんですねぇ、自分本位ですから。こういう時こそ裏方(うらかた)のお役人が諌(いさ)めないといけないと思うんですが、お役人も順風満帆で出世街道を駆け登った人が多く、「自分が一番正しい」という考えに陥(おちい)っています。

くどくて申し訳ありませんが、我が尊敬するお釈迦様の言葉を再度ご紹介しておきましょう。

「世間では、人々は諸々の見解のうちで勝れているとみなす見解を「最上なもの」であると考えて、それよりも他の見解はすべて「つまらないものである」と説く。それ故にかれは諸々の論争を超えることがない。」

「かれは見たこと、学んだこと、戒律や道徳、思索(しさく)したことについて、自分の奉じていることのうちにのみすぐれた実(みの)りを見、そこで、それだけに執着(しゅうちゃく)して、それ以外の他のものを、すべてつまらぬものであると見なす。ひとが何かあるものに依拠(いきょ)して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである。それゆえに修行者は、見たこと、学んだこと、思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。」
  (中村元訳「ブッダのことば」(スッタニパータ)より)

合わせて、我が尊敬するもう一人の先人、孔子先生のお言葉もご紹介しましょう。
「詩三百、一言以蔽之、曰思無邪」
 (「詩経という本には300もの沢山の教えが書かれているが、それらを一言で表せば「思いに邪(よこしま)無し」と言えるだろう」と孔子先生は仰(おっしゃ)った。)

今日の朝日新聞によれば近々開かれる中国・全国人民代表大会(全人代)の報道官が「2015年度の国防予算は対前年10%前後Upになる見通しだ」と明らかにしました。戦後70年、殺し合いで大勢の人が死んでいった戦争を体験したことが無い人たちが国の将来を左右する立場についた今、我が国の意向に従わないなら武力で!という風潮が頭を持ち上げ始めました。相手がそうでるならこちらも負けずに!と日本も軍備増強を進め、軍拡というマイナス効果しかない競走がエスカレートしていきます。歴史は繰り返すといいますが、こんな様子を見ていると、戦争という名の殺戮が懲(こ)りもせずにまた行われるのかな、と危惧(きぐ)せざるを得ません。人間の愚かさは今も昔も変らない、という冷(さ)めた見方もできますし。

「もしそうだとしても、せめて私が生きている間には戦争がありませんように!」と神にすがりたくなりますが、神は心やましい者には冷淡ですから「人類はこの際、滅ぼしておこう!」なんて考えないとも限りません。

なんとも物騒(ぶっそう)な世になってきました。この辺りで中国共産党、朴大統領、安倍首相には退陣ねがい、平和志向の、若くて、できたら苦労した経験を持つ人たちに、国際関係の改善をお任せできたら、未来は少し明るくなるように思えますが、みなさんはどう思われますか?
(完)
Jackie Evancho: Danny Boy (with lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=8s_jleJFR_M

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トンレサップ湖の不思議

2015年2月21日~25日にかけてカンボジアを訪れました。シェム・リアップSiem Reap(シャム人敗北の地の意味)というアンコール・ワットまで数Kmの町のホテルに3連泊し、初日はアンコール・ワットAngkor Wat、アンコール・トムAngkor Thom、2日目はアンコール(王都)を流れる川の聖なる水源Kbal Speanクバル・スピアン、最終日の午後はTonle Sap湖に行ってきました。
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2月は乾季で、蒸し暑く、風が吹かない日が続いて、太陽の日差しを受けながらの観光は結構しんどかったのですが、特に2日目は同行してくれたメンバーに恵まれて、楽しい時間を過ごしました。彼等についてはブログ「mh徒然草33:アンコールで出会った人達」でご紹介します。

アンコール(王都の意)についてはブログ「アンコール(Angkor)の不思議(2014年11月公開)」の記事作成時に情報を得ていたので、今回の旅ではその確認も出来ました。百聞は一見に如かず、という諺(ことわざ)があります。昔なら「聞くのと見るのは大違い」という意味でしょうが、今のご時世では、既にYoutubeなどで映像を見ているのですから「わざわざ行かなくたって」という御仁もいらっしゃるかもしれません。しかし、写真や動画でみるのと実際に自分の目で確かめるのとでは、百倍以上の違いがあると言えるでしょう!一期一会の出会い、現地特有の食事や果物、マーケットやストリートの喧騒、吹き渡り、時には淀んでいる空気などは、現地を訪れてこそ実体験でき、それこそが旅の醍醐味と言えるでしょう。

電子アルバムを作ってみました。次のURLでお楽しみください。
http://www.digibook.net/d/6ec4cd33905f2a74734696b5ec75c40b/?viewerMode=fullWindow&isAlreadyLimitAlert=true

今回は久しぶりに不思議な質問も準備してみました。
東南アジア最大の湖トンレサップ湖に関する質問です。
不思議な質問1:
琵琶湖とトンレサップ湖が同じ瓢箪型になった共通する理由は?
不思議な質問2:
琵琶湖の3~4倍の広い面積を持つトンレサップ湖の最大水深が1~1.5mしかない理由は何か?
不思議な質問3:
トンレサップ湖に居住する水上住民は100万人とのことだが、現金収入源は漁業だけなのか?
不思議な質問4:
トンレサップ湖の水上生活者を脅かす、進行途上の重要な問題とは?

この4つの質問の答えはブログの後半でご紹介しましょう。

それでは、アンコールの旅の最終日の午後に訪れた東南アジア最大の湖「トンレサップ湖Tonle Sap Lake」の不思議をご紹介しましょう。
まずは、いつものようにWiki情報から湖の概要をご説明します。
カンボジアの首都プノンペンPhnom Penhの西北100Kmにある瓢箪型をした湖で、クメール語の巨大な淡水湖 (sap) と川 (tonlé) の2語からトンレサップ湖(Tonle Sap (Lake))と呼ばれています。
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アンコール・ワット観光拠点の町シェム・リアップは湖の北にあり、そこから湖方向に約10Km南下すると「プノム・クロムPhnom Kromの丘」があります。
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どこまでも広がる平地の中で、ここだけが約90m程ポツンと突き出していて、そこを更に1Km南下すると観光用ボート乗り場に到着します。
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次の写真はボート乗り場の桟橋で撮影しました。
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乾季でトンレサップ湖の水位が下がっていて、水面はチケット売り場がある建物から突き出した桟橋からは10mほど下にありました。写真の奥に見えているのがプノム・クロムの丘で、丘の上にはアンコール・ワットより約200年前の9世紀末に造られたヒンドゥ寺院があります。
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トンレサップ湖は雨季と乾季で湖面の面積が大きく変化することで知られています。雨季は湖の東を流れている国際河川メコン(川)の水が流入して水かさが増え、面積は乾季の4~5倍になるのです。

次の地図で濃い青は乾季、その周りの淡い青は雨季の湖面領域を表しています。
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比較のため琵琶湖の図を黄色で張り付けておきましたが、乾季でも琵琶湖の3、4倍の大きさであることが判ります。雨季の9月頃の面積が最大で、プノム・クロムの丘は完全に水で囲まれて島になるとのこと。ボートで渡り、丘に登る階段から見ると次の写真(GoogleEarth)の風景が広がっているのです。
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乾季には次の写真(G.E)のように広大な陸地が出現し、麓(ふもと)の道路にそった街並みの周りには水田や蓮(はす)畑が広がります。
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ボート乗り場でチャーターしたボートにガイドと乗り込んで水路を移動していきます。
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水路は狭いところで幅50mくらいではないでしょうか。岸に近い部分は浅く、大きいボートは座礁する恐れがあるので往来する船は水路の真ん中の深い部分で交差することになり、結構危険な場面もあるようです。

水路を半分ほど移動したところで投網(とあみ)をしている人に出くわしました。
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更に進むと鉄柱が見えました。鉄柱の真ん中辺りから上に黄色のペンキでマークが描かれていて、雨季にはその下まで水位が上昇します。
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雨季と乾季の水位差は凡そ7mです!!!

乾季でも琵琶湖の3~4倍、雨季には乾季の4~5倍、つまり琵琶湖の20倍くらいの面積に変化するトンレサップ湖の最大水深は、乾季で1~1.5mというのですから驚きです!!!琵琶湖の最大水深は104mですから、トンレサップの湖底は「真っ平」と言っても差支えないでしょう!

水路の両脇にはマングローブの林が広がっていて、木の枝にゴミがへばりついて残っています。この辺りまで水位があった証拠です。
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写真を取り損ねてしまいましたが、マングローブで覆われた岸にはベトナム人が住んでいるという貧相な造りの家がポツン、ポツンと建っていて、お墓もありました。カンボジア人は火葬ですがベトナム人は土葬とのこと。そう言われれば、メコン・デルタの観光でホーチミン市からメコンに向かうバスに乗っていた時、道路の両脇の水田の真ん中辺りに立派なお墓が見えていたのを思い出します。ベトナム人に土葬が多いのは信仰上の理由ではなく、火葬の費用が高くて捻出できない人が多いからのようです(ネット情報)が、とするとカンボジア人でも貧しい人が多いのですから、火葬費用は地方自治体が負担することが多いのでしょうか?

15分ほどボートで移動すると、やっと水路を抜け出して湖に出ました。暫く進むと水上生活者の居住区が大きく見えてきます。
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家は、湖底から柱で支えているものは極めて少なく、ほとんどは水面に浮いています。浮力は木材や小型ボート、ドラム缶などを使って確保しています。竹の桟橋のようなもので多くの家同士が連結されて船を使わなくても人が移動できるようになっているのでは?と想定していたのですが、ほとんどの家が孤立していて、風で流されないよう湖底に突き差した棒にロープで結ばれていました。
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学校もありました。
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コンビニとレストランが一緒のボートもありました。
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教会も浮いていました。
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カンボジアの宗教人口比は仏教徒が96%、イスラム教徒が2%、キリスト教徒は1%なのですが、社会の急速な変化に追従できない(貧しい)人々の間で福音伝道(神の言葉を広める活動)を重視する福音派キリスト教が急速に広まりつつある(Wiki)ようで、貧しい水上生活者は、時々、水上教会に行って、食糧の無料配給を受けながら聖書や讃美歌を宣教師から教えてもらっているのではないかと思います。
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なお写真を撮り忘れましたが、勿論、仏教寺院も見ました。木の柱で支えられ湖面から10mほど上に造られた高床式の寺院でしたが、きっと浮上寺院もあると思います。

ところで、トンレサップ湖は琵琶湖と同じように瓢箪型をしています。お釈迦様の教えによれば「因果応報」ですから必ず訳があるのですが・・・

不思議な質問その1:
琵琶湖とトンレサップ湖が同じ瓢箪型になった共通する理由は?
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そんなのあるわけないよ、偶然でしょ?と切り捨てては身も蓋もありません!念じれば通ず!形が似ることに到った共通理由はあるのです!!!

ブログ「ナイルの不思議:解答篇」でご紹介したように、平地を流れる川は蛇行する、という法則があります。蛇行して流れているうちに地殻変動で地盤沈下が起きると、一番深く沈下した所を中心に湖が生まれ、河の蛇行形状に沿って湖面は上流及び下流に拡大していきます。その結果、蛇行した湖、即ち瓢箪型の湖が生まれる確率は高いのです。

琵琶湖もトンレサップ湖も地殻変動で出来たはずですが、海の水が地殻変動で閉じ込められた湖ではなく、河から湖に変化したことはネットや地理的特徴からも明らかで、よって瓢箪型になりました!

しかし、この理論には一抹も二抹も疑わしい点があり、強要するのは心苦しいので、後はご自身でご判断下さい。

不思議な質問その2:
琵琶湖の3~4倍の広い面積を持つトンレサップ湖の最大水深が1~1.5mしかない理由は何か?

最大水深が1.5m以下の9月なら、身長1.75mの私は幅30km、長さ120kmという広大な湖の中をどこまでも歩きまわることが出来るのです!!!

こんなに広い湖が乾季には1.5m以下の最大水深になった理由は、周辺の川が運んできた土壌に関係していると思います。

王都アンコールが15世紀に放棄されてプノンペンに遷都された理由は、北方の異民族からの襲撃もありますが、川底が低下して水田に水を引き上げるのが困難になったことが理由の一つです。直径10mもありそうな大きな水車を造ったところもあるようですが、水車で汲み上げることが出来る水量は僅かです。農業が成り立たなくては多くの住民を養うことは出来ません。そこでアンコールを放棄してしまったのです。

で、川底が数百年で10mも低下した理由ですが、アンコール一帯は平地で、雨季は雨が多く降ります。南国ですから温度が高く、南国特有のラテライト(赤土)で出来た小さな石は日に照らされて脆くなり、雨の浸食もあって更に細かな粒子に変化して、雨水に溶け込んで川に集められ、湖に運ばれていきました。ラテライトの赤い粒子が細かくて、なかなか水にも沈まないことはトンレサップ湖の水の色が土色をしていることからも確認できます。泥沼のような茶色をしています。この細かな粒子が、長い年月をかけ、浮いては沈んでの繰り返しを経て平坦な湖底を形成しているのです。

不思議な質問その3:
トンレサップ湖に居住する水上住民は100万人とのことだが、現金収入源は漁業だけなのか?

湖の底にある価値のある鉱物を採取している、ってことは全くありません。湖からとれる収入源は魚とエビが中心なのは間違いありません。しかし、最大水深1m程度の湖で、かつ泥沼のような水質の中で暮らしている魚で大きなものは鯰(ナマズ)くらいのもので、あとは精々、鯉位の魚が最大で、大半は小魚ではないかと思われます。水があんなに濁っていては、小魚を餌にする大(おお)魚は餌の小魚が目の前をフラフラしていても気付くことがありませんから、結局は、水中のプランクトンなどの栄養物を主食にしているのです。となれば大きな魚は生存チャンスが少ないのは自然の理です。しかし、雨季にはメコンから逆流する水で湖の色も少し青っぽくなるらしく、産卵のために中型の魚も湖にやってくるとのWiki情報がありますから、その時の漁獲高は乾季の十倍以上ではないかと思います。しかし、こんな不安定な漁業だけで一家を養うのは困難です。

実は、乾季になると水が引いて陸地になる川底面積はべらぼうに大きく、そこでお米や蓮根を栽培する漁農兼業の水上生活者が多いのです。水が多くてかつ高温なのでお米の収穫は年2回の2期作が普通とのこと。
(Wikiによると「トンレサップ水系で採れる魚は、カンボジア人のたんぱく質摂取量の60%を占める。」とありますから、漁獲量は意外に多そうです。)

しかし、このような水上生活者にとって重大な問題が現実化しつつあります。

不思議な質問その4:
トンレサップ湖の水上生活者を脅かす、進行途上の重要な問題とは?

これは聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。メコンのダム問題です。
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<Wikiメコン(川)>
延長4,023 km 水源の標高約 5,200 m 平均流量16,000 m³/s 流域面積795,000 km²
メコンの名はタイ語に由来する。メ(メー)はメーナーム(川)の短縮語、コン(コーン)の意味には諸説ある。有力な説は、コーン(Khong)はサンスクリット語のガンガ(ganga=ガンジス川)の転訛とするもの。すなわち、メコンは(ガンジス川のように)偉大な川、大きな川と解釈する。メという語に、すでに川の意味が含まれているので、さらに「川」をつけるのは不自然とする立場から、メコンとのみ称することもある。(Wiki完)

チベットに端を発したメコンは中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを流れてホーチミン市の近くで南シナ海に注ぎます。

上流の中国はご承知の通り、水不足で悩んでいます。長江(揚子江)の水を、黄河を越えて北京まで運ぶ運河は1400年前に既に完成しているのです!古い時代は運輸で使われたのですが。
<Wiki京杭大運河(けいこうだいうんが)>
中国の北京から杭州までを結ぶ、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河である。途中で、黄河と揚子江を横断している。戦国時代より部分的には開削されてきたが、隋の文帝と煬帝がこれを整備した。完成は610年。運河建設は人民に負担を強いて隋末の反乱の原因となったが、運河によって政治の中心地華北と経済の中心地江南、さらに軍事上の要地涿郡が結合して、中国統一の基盤が整備された。この運河は、その後の歴代王朝でもおおいに活用され、現在も中国の大動脈として利用されている。2014年の第38回世界遺産委員会で世界遺産リストに登録された。
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しかし、ご承知の通り、2008年の北京オリンピック時、北京の水不足を解消しようと、運河の拡充が行われています。世界の大河黄河は2000年頃には1年で3ヶ月ほどの間、水量不足で黄海に注ぐ河口から数百Km上流で水が完全に枯れていました。異常気象(温暖化)で、水源のチベットでの降雪量が減り、川面からの水の蒸散は増え、川の中流域では灌漑のために川から多量の水が農耕地に引き込まれてしまうことが大河の黄河が海まで流れずに途中で消滅してしまう理由です。首都北京で淡水が使えなければ暴動が起きかねませんから、人民の反動を最も恐れる共産党としては長江周辺の田舎住民が少々文句を言おうが、なんとしても首都の近くの黄河水域に水を引かねばなりません!しかし、もしメコン上流にダムを造り、そこから長江に水を引き込めば、長江や黄河の流域住民の心も休まり、問題は一気に解消します。となればメコン下流の他国民が何を言おうが、中国の土地で生まれた水を分け与える必要はない!となってダム建設を進め、水が余れば、下流の他国民に有料で提供する、ってなことになる展開は十分に考えられるのです。

幸い、中国のダム計画はまだ動き出していないようですが、ラオスではタイ資本によって建設中のダムがあります。
Published July 11, 2014(2014年7月11日発行)
Dam Projects Ignite a Legal Battle Over Mekong River’s Future
ダム計画がメコンの将来についての法廷闘争に火をつけた!
Opponents see threats to fish spawning, food supply, and a way of life in Southeast Asia.
反対派は東南アジアの魚の産卵、食糧供給、生活様式に恐怖を与えると主張。
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In northern Laos, a boat heads toward the site of the Xayaburi Dam on the Mekong River. The dam is about 30 percent complete.
ラオスの北部でボートがシャヤブリ・ダム方向に向かっているところ。ダムは30%完成している。

発電が目的のようですが、受電できて文化生活が営めるタイ人が増える一方で、漁民や付近で水没する家や畑をもつ住民の不安が生まれています。次のURLで記事写真を見ると心配事の凡そが判ります。
http://news.nationalgeographic.com/news/special-features/2014/07/140711-mekong-river-laos-thailand-dams-environment/

また別の記事も見つかりました。
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Thai villagers celebrate outside the Supreme Administrative Court in Bangkok which ruled on June 24, 2014 that it would hear a lawsuit filed against the Xayaburi Dam's Power Purchase Agreement.
「タイの村人は「シャヤブリ・ダムの電力購入契約に反対する訴訟を審議する」とのバンコク最高裁判所の決定に喜んで裁判所前で歓声をあげた!」
プラカード「将来の世代のためにメコンを救え!」

国際河川については2004年に国際法律協会が作成した「水利用に関するベルリン規定The Berlin Rules on Water Resources 」があって「流域住民のエコロジカルな生活を破壊しないこと。関係各国で協調して対応すること」などと定められているようですが、どうとでも解釈できそうなので、最後は国際法廷で裁くことになるのでしょうが、尖閣諸島や竹島、はたまた北方領土、などでも判るように、ゴリ押しする方が勝ち、という風潮が蔓延(はびこ)っていますから、仮に中国が暴走しても下流各国は軍事力で劣勢なので勝ち目が薄い訴訟を続けているうちに日本の北方領土がそうであるように強国中国に好き勝手にされてしまうことになるのではないかと懸念されます。

しかし、利害が対抗する国際問題は、軍事力か、それが双方に被害がありすぎるとなれば外交力とか経済力を背景に折衝して決着をつける、つまり妥協する、という手段しか残っていませんから、日本は他国との協調や自国の経済力の改善を進める努力を怠ってはならないと思います。
幸い、日本は海に囲まれ、地続きの国境や国際河川がありませんから、煩わしい問題は東南アジア諸国よりも少ないのですが、冗談半分に囁(ささや)かれているように、中国が米国と太平洋を2分して管轄する、とでもなれば日本は中国管轄領域に入るでしょうから、苛(いじ)められる可能性があります。今も沖縄や対馬の海域で、中国や韓国による漁業問題が起きています。小笠原諸島周辺では赤珊瑚乱獲もありました。中国沿岸は流れ込む川が汚染されていて水質が悪く、乱獲もあって、漁獲高は急激に減少しているでしょうから、日本領海に侵入してくる漁船の数は増えるかも知れません。これに軍備拡充して対抗するのは下策で、あるとしたら防衛の質の見直しでしょうが、まずは外交も含め、平和的手段で対抗すべきだと思います。日本の漁業や農業の構造改革や技術革新の速度はまだまだ遅い気がしますので、これを加速する施策も効果的でしょう。株投資をするのなら自分が儲かることだけ考えずに、漁業や農業を育成する投資が好ましいと思いますが、いくら探してみても、この目的にピッタリの投資先はなかなか見つかりません。ということは、そういう動きが少ない証拠でしょうか。
(完)

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mh徒然草33:シェム・リアップで会った人々

2月21日~25日、カンボジアのシェムリアップSiem Reapという都市に宿泊して、アンコール・ワットやトンレサップ湖などの観光を楽しんできました。温度と湿度が高くて、どこに行くにも汗だくで、だらだらゆっくり歩きがちですが、すると日差しに差されている時間も延びる訳ですから疲れは更に加速する、といった塩梅で、観光の疲労は予想以上でしたが、訪れた場所の魅力はこれを吹き飛ばしてくれるものばかりでした。

H社のツアーに加わったのですが、一人旅行追加料金の1.5万円を含めても、契約料金は10万5千円で、お小遣いを含めても16万円で済みました。現地で3日間の観光時間があり、うち1.5日は自由時間ということで、オプショナルツアーで「ブログ:アンコールの不思議」でご紹介したKbal Spean(クバル・スピアン:アンコール(王都)の水源地)や、Tonle Sapトンレサップ湖に行きました。トンレサップ湖については後日、ブログでご紹介しようかなぁ、なんて考えています。

で、今回はクバル・スピアンへのツアーで一緒になった日本人をご紹介したいと思います。
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クバル・スピアンはアンコール(王都の意)から数10km離れた山中の水源地で、11世紀頃の王の命令で川底の岩などにヒンドゥ教のシバ神の象徴のリンガが数千個も彫られていて、その上を流れる水は聖水となってアンコールを祝福する、という構図です。

カンボジアに1千年以上も前からヒンドゥ教が伝えられることになったのは、インド商人の影響のようで、その後でアンコールに造られた寺院の多くはヒンドゥ寺院です。しかし、仏教寺院として建てられたものや、ヒンドゥ寺院から仏教寺院に変更されたアンコール・ワット(王都の寺の意)などもあり、結局、9世紀頃から14世紀頃にかけて数百の寺院がアンコール(王都)に造られることになりました。
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上の写真はクバル・スピアンでガイドに撮影してもらったもので、水源に到着して10分くらい付近を歩いた後のものです。1.5kmの登り道をダラダラと1時間かけて登った後にも拘わらず、私を除く4人は元気そうな顔をしていますが私はサンダルを履いてきたこともあり、結構疲れて、木陰で何度か一休みしながら若者たちに遅れないよう頑張って、やっとたどり着いた!というところです。(実は、足の爪が伸びていて、靴を履いて歩くのが辛かったのでサンダルを使うことにしたのです。)

クバル・スピアンを見学後、山を降りて昼食を摂り、午後はベン・メリアンという遺跡を観光しました。
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ここでの私も、午前中の疲労と、暑さと、昼食で飲んだビールのおかげで、もうホテルに戻って昼寝したい!という気分でした。

このベン・メリアンという寺院は、アンコール・ワットと比べると規模や装飾は大幅に劣りますが、構造は全く同じでお濠の中に3重の回廊があって、5つの塔が建てられていました。今は回廊も塔も南国の木で覆われ、1975年に共産主義を旗印に樹立されたポルポト政権(クメール・ルージュ:赤色クメール)以降の内戦による砲撃や、共産主義者による遺跡破壊、樹木による倒壊などで基礎を除く大部分は崩壊して瓦礫の山と化していましたが、木陰で本を読んだりしながらのんびり過ごすには好いところだったと思います。
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観光が終わり町に戻ったところで、誰ともなしに「折角一緒に観光したのだから!」ということになってレストランKhmer Kitchen でみんなで早目の夕食会を持つことになりました。
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メンバーをご紹介しましょう。まずはレディファーストで。

中央の女性はバックパッカーでシェムリアップにもう3週間ほど滞在しているようで、昔、10年程、ある会社で就業していたのですが、その後は、働いてお金を貯めたら海外旅行を楽しむ生活を繰り返しているようで、年齢は30代前半ではないかと思います。物静かな雰囲気でしたが、しっかりした人生観と判断力を持っている方とお見受けしました。安いホテルを見つけ、レンタルバイク(自転車)で色々なところを訪れてアンコールを満喫しているようで、このレストランもオールド・マーケットにある、彼女のお薦めの店です。彼女の助言に従い、早かったのですが、5時頃に行って席を確保し、団欒を楽しんで6時半に終わる時には店の外には空席待ちの人々が大勢並んでいました。

で、彼女の両脇の2人の美人は、同じ大学の仲間で、学業は終了し、大手の金融関係に就職することが内定していて、入社する4月までは卒業式を控えているだけ、という幸せいっぱいの時期にシェムリアップを訪れたとのこと。幸せな人っていうのは、よく笑うんですねぇ。誰かに聞いたのですが、不幸せな時でも、無理してでも笑顔を造るようにしていれば、幸せな気分になれるっていいます。この2人は、一杯な幸せで囲まれている時間の中にいましたから、笑顔は更に映えて、周りの人まで幸せにしてくれました。

残る1人の男性ですが、彼もやはり、仕事が始まる4月までの自由時間を旅行で過ごそうとやってきたとのことです。学生時代は円盤投げの選手で、見た通り頑強な体格の持ち主です。過去にアフリカのザンビア、マラウィ、モザンビークなどでJICA(国際協力機構)の派遣メンバーとして3年ほど滞在した経験を持っていて、この4月からは、茨城県(だったと思うんですが)の高校の体育教師に内定しているとのことでした。屈託のない若者で、その上ハンサムですから、もしも女子高にでも当たったら、教師の仕事にも支障がでるほど、毎日、フアンの女子生徒に追い回されるのではないかと思います。

その彼が言ってましたが、JICAで3年もアフリカに滞在したが、何の貢献もできなかった、とのこと。確かに、突然、見知らぬ、言葉も伝わらない国に行って、みんなに喜んでもらえることが出来るとは限りません。サバンナの村で井戸を掘りあてたり、畑や果樹園などを造ったとしても、一人が3年で出来ることには限りがあります。で、私は彼に言ってやりました。「東日本大震災で困っている福島に毎年1週間、滞在している人が“自分は何もできない”って言っていたけれど、福島の被災者たちは、彼が毎年来てくれるだけで嬉しい!て言っていたのをTV番組を見たよ。苦境にいる人って、何をしてくれなくても、そばに寄り添っていてくれる人がいれば救われるってことだと思うよ。私は僅かな支援金を赤十字社に送ったけど、その後はすっかり忘れて自分の生活だけを考えているんだから、3年間もアフリカの原住民と苦労を共にした君はお釈迦様みたいなもんだよ。」

「そうでしょうかねぇ?」「そうだとも!」
と言い合って2人でアンコール・ビールの入ったマグを捧げて乾杯しました。

シェムリアップ最後の日、アンコールワットの日の出の見学に行くと、前日の仲間の若者3人と再会しました。
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若い女性からは「お父さん」と呼ばれ、喜んでいいやら悲しんでいいやら。

ま、皆さん、帰国したら新たな人生を、新たな職場で、明るく元気にスタートして下さい!

で、ご紹介した写真や記事内容は、個人情報に触れるのですが、ブログに載せても気にしない、と気前よく事前承認を戴いていますので、世の中には、こんな人もいるんだなあ、ってな具合に思っていただければそれで今回のブログの主旨は十分お伝えできたことになります。

最後になりますが、Wikiによればシェムリアップという名前の由来は次の通りです。
「この一帯は、何世紀もの間、シャム(現在のタイ王国)の領土かその王権の属国であった。Siem Reap は直訳すれば「シャム人敗戦の地」で、17世紀にクメール人がシャムのアユタヤ王朝の軍隊に勝利し、かつての首都を奪回したことにちなむ。」

アンコールに生まれたクメール王朝はアンコール王朝とも呼ばれ、9世紀から15世紀まで東南アジアに存在したクメール人の王国です。次の地図は西暦900年頃の版図で赤い部分がクメール王朝です。今のカンボジアだけではなく、タイ、ベトナム、ラオスも勢力範囲においた強力な王朝でしたが、王都アンコールは、北からの異民族の襲撃と、付近の川底の低下による水田の荒廃もあって、1431年頃に放棄され、約250km南東に離れたプノンペンに王都が遷りました。
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Lyrics~Stand By Me-Ben E. King
https://www.youtube.com/watch?v=BTCfQ6Bb8QE
(完)

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神秘の炎の不思議

<Wiki:ゾロアスター教>
ゾロアスター教(Zoroastrianism)は、古代ペルシャを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。

ゾロアスター教の起源は古く、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシャが成立したときには、すでに王家と王国の中枢をなすペルシャ人のほとんどが信奉する宗教であった。紀元前3世紀に成立したアルサケス朝のパルティアでもヘレニズムの影響を強く受けつつアフラ・マズダーへの信仰は守られ、3世紀初頭に成立した、後続するサーサーン朝でも国教とされて王権支配の正当性を支える重要な柱とみなされた。ゾロアスター教は、活発なペルシャ商人の交易活動によって中央アジアや中国へも伝播していった。

7世紀後半以降のイスラムの台頭とペルシャ人のムスリム化によってペルシャのゾロアスター教は衰退し、その活動の中心はインドに移った。17世紀以降のイギリスのアジア進出のなかで、イギリス東インド会社とインドのゾロアスター教徒とのあいだで関係が深まり、現在、きわめて少数派ながらインド社会で少なからぬ影響力を保持している。

ゾロアスター教の教義は、善と悪の二元論を特徴とするが、善の勝利と優位が確定されている宗教である。一般に「世界最古の一神教」と評されることもあるが、これは正確ではなく、その教義のなかではアムシャ・スプンタなど多くの神々が登場する。

ペルセポリスにのこされたプラヴァシの像
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開祖はザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)とされる。経典宗教の特徴を有し、その根本教典より「アヴェスターの宗教」ともいえる。そうしたイラン古代の宗教的伝統の上に立って、教義の合理化・体系化を図った人がザラスシュトラであるとも考えられる。

ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」(アヴェスター語: アータル‎)を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれる。ゾロアスター教の全寺院には、ザラスシュトラが点火したといわれる火が絶えることなく燃え続けており、寺院内に偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する。中国では祆教(けんきょう)とも筆写され、唐代には「三夷教」の一つとして隆盛した。他称としてはさらに、アフラ・マズダーを信仰するところからマズダー教の呼称がある。また、この宗教がペルシャ起源であることから、インド亜大陸では「ペルシャ」を意味する「パーシー(パースィー、パールシー)」の語を用いて、パーシー教ないしパールシー教とも称される。

今日、世界におけるゾロアスター教の信者は約10万人と推計されている。インドやイラン、その他、欧米圏にも信者が存在するが、それぞれの地域で少数派の地位にとどまっている。

開祖「ザラスシュトラ」
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ザラスシュトラの肖像(3世紀)
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世界最古の預言者といわれるザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトストラ)は、紀元前1600年頃から紀元前1000年頃にかけて生きた人といわれるが、その生涯の詳細についてはよくわかっていない。しばしば、ゾロアスター教の創始者といわれ、「ゾロアスター教」の呼称も彼の名に由来するが、その活動には今なお不明なところが多い。

ゾロアスター教発祥の地と信じられているのが、古代バルフ(Balkh)の地である。バルフは現在のアフガニスタン北部に所在し、ゾロアスター教の信徒にとっては、ザラスシュトラが埋葬された地として神聖視されてきた。

守護霊
ゾロアスター教の守護霊プラヴァシ
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ゾロアスター教の守護霊は「プラヴァシ」と呼ばれている。プラヴァシは善をあらわし、また、この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在として、ゾロアスター教における神の神髄をあらわしていると考えられており、善のために働き、助けを求めている人を救うであろうと信じられている。


さて、ゾロアスター教についての基礎知識を学んだところで、いよいよブログ「The people of the Flame炎の人々」の始まりです。
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古代国家の真ん中(the heart of the ancient nation)で2千年も消えずに燃え続けている神聖な炎・・・

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の源にもなった炎だ。
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ベールに包まれた信仰ゾロアスター教。その神秘な炎に出会うため、これから3千kmの旅をする。
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私はデイビッド・アダムス、オーストラリア人ジャーナリストだ。
(下の写真でバイクに乗って道路を走っている点のようなのが私です。)
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今、私は欧米の文明から最も遠い場所(コーナー)に旅立とうとしている。多くの欧米人が訪れるのをためらう国、イランだ。
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勿論、イランは世界の果てというわけではない。しかし特に西洋の人々を拒絶しているので隔絶された国だと言えよう。
私の旅はイランの首都テヘランTehranからスタートする。
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道路は車で一杯だ。信号もあるし警官もいるが、誰も従わない。道を横断する最善の方法は毅然とした態度で車の波の中を歩き渡ることだ。
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ここでは西洋人の全てが快(こころよ)く思われている訳ではない。
テヘランの米国大使館の跡だ。
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入口のエンブレム(紋章)はコンクリートで塗りつぶされている!極右革命団によって、52人のアメリカ人人質がこの塀(へい)の向うに1年以上閉じ込められていた。イランは、今もアメリカを「偉大な悪魔」と呼ぶ。
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指導者アヤトヤ・ホメイニの絵は至る所に見受けられる。彼はイスラム革命の父だ。
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女性は黒い布を纏(まと)い、男はビールを飲めないが、昔ほど厳しくはないらしい。

キリストが生まれる数世紀前、一人の男がこの地で生まれ、世界を形作っていった。彼の名はゾロアスター。
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神聖な火・・・善良なものには天国、邪悪なものには地獄、神なる救世主・・・最後の審判・・・

ゾロアスター教の生まれた所に行ってみよう。最初の目的地は中継地エルバースElburzだ。
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ここだ!ここで北の山岳地方に向かうバスを捕まえるのだ。
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同行してくれる通訳はアッシンという若者だ。イスファハーンまで一緒に旅をする。英語教師で、大統領のボディガードもしたことがあるらしい。

バス停で店を開いている男に聞いてみた。「バスは何時にくるの?」
「3時だ!」「ってことはあと3時間か!」
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年寄りのチケット売りは完全に盲目だが、店の中の何処に何があるか、見えているかのように判っている!しかし、バスが時刻通りに来るかどうかは判っていないようだ。
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心配は現実になった!到着予定時刻の3時を過ぎると老人は早々とバスの到着をあきらめて、店を閉め、孫と一緒に家に帰ってしまった。長く待たされそうな予感がする。
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バスはまだやってこない!
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望みが消えかけたころ、心地よい響きと共にトラックがやってきて、親切にも気の毒な旅人を乗せてくれた。

荷台は快適な場所とはいえないが、景色は手に取るように見える。近くの山々は3千メートル以上で中央アジアとこの地を分けている。
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やっと探し求めていた男に会えた。山岳専門家のワレイザだ。
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彼はエベレストに登頂したことがある4人のイラン人の一人で、私の最初のミッションには最適なアシスタントだ。これから「鷲の教えEagle’s Teaching」とも呼ばれているアラムト山に登るのだ。
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普通の山の形とは変わっているし雰囲気も異様だ!もし敵が岩山の上まで攻め登ろうとしても不可能だろう。自然の要塞としては完璧だ!
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昔、この山の上に誰もが恐れた男が棲んでいた。彼の名はハサン・アルサバ。この山から下界の人々に恐怖を振りまいていた。12世紀に進軍してきた十字軍のリーダを殺害している、暗殺と言う方法で。その後も彼の崇拝者たちは王女や将軍や十字軍の王を殺してきた。

ハサンから安全だったものは誰もいない。ハシイシと呼ばれる仲間を引き込んだという。後(のち)に欧米でアサシンassassin(刺客)と呼ばれるようになった。

ハサンは山を訪れる客に「この崖から下してあげようか?」と言っては縮み上がらせていたらしい。実際、この崖の底で何百人もの人がアサシン(暗殺)の運命に会ったという。
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しかし、アサシン(暗殺者)には気の毒だが、今回、私は山岳道具を準備しているし、殺人者ハサンの代わりにヒマラヤ登山の経験者が付いてくれている。
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その日の夕方、洞窟で焚き火をした。きっと昔、ハサンもここで恐怖に満ちた計画を同志と語ったに違いない。
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明日はゾロアスターの最初の炎が灯されたタクテ・スレイマンTahkt-e Suleiman、つまり「ソロモンの王座(throne)」と呼ばれる場所に行く。
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目的地が見えてきた!
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伝説によればソロモン王が杖でこの地を突くと直ちに湯気(ゆげ)と共に泉が湧き出たらしい。おかげでシバの女王は温泉につかることが出来た。
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しかし別の伝説もある。

ゾロアスター寺院が泉のほとりにあるのだ。
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求道者(ミスティックmystic)ゾロアスターが生まれた場所だと考えられている。
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この堀の中でゾロアスターの炎が燃え始めたという。
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マジ-と祈祷師が呼ぶ永遠の炎Magic flame・・・マジックの語源にもなった。
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ユダヤ人の王家と4つの宗教(注1)の神話が出現した所でもある。
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(注1)4つの宗教とはゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教です。

3人のマジ-(祈祷師・預言者)が新しく生まれる子供を探して星に導かれながら旅立った所でもある。星は、彼等をベツレヘム(注2)に導いた。神の子でイスラムの偉大な預言者でもあるジーザス、つまりイエス・キリスト、の誕生に立ち会うのだ。
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(注2)Wikiベツレヘム:
ベツレヘム(Beyt Leḥem「パンの家」の意)は、パレスチナのヨルダン川西岸地区中央に位置し、首都エルサレムの南に隣接する人口2万5千人の都市で、パレスチナ自治区にある。経済は主に観光で成り立っている。世界遺産の降誕教会Church of the Nativity(キリストが地上に降りてきた(生まれた)場所)がある。
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私の旅はさらに続く。旅につれ少しづつ昔に戻っていく気分だ。一説によると、この辺りのどこかで歴史が始まったらしい。
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ここが「エデンの園」だと言うのだ!アダムとイブが「ここがエデンの園だ!パラダイスだ!」と言ったとしたら、彼らはきっと戯(たわむ)れで言ったのに違いない!
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(mh:エデンの園だったと言われる場所は中近東に4,5箇所はあるようです。全ての人間(キリスト教の信者限定?)の先祖となるアダムとイブが実在していたかどうかは別にして、神話「エデンの園」の元になる場所は、恐らくどこかに在ったと思われます。神話は作り話が多いが全て嘘ということは少ない、という法則がありますから。)

ここがエデンの園なんて、そんな馬鹿な!と思いながらカーブを曲がると、その先に村が現れた!
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岩に掘られた住居群だ!
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溶岩台地に円錐状の岩山が乱立している!
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住居が岩山に掘られている!(mhトルコのカッパドキア風です)
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村の名はカンダバン。地面に掘られた場所、という意味らしい。
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エデンの園とは言い難い所だ。しかし、ここにはエデンの園から水が流れていたという。
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住民の先祖は蛇に導かれてやってきたらしい。
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どんな家か中を見たくなった。
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男が家の中を見せてくれるという。
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親切にも食事に招待してくれたので夕方、もう一度でかけることにした。
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仲間の牧夫(シェパード)も集まって宴会が始まった。オーストラリアでは羊が多い、何百万の何百万(注3)もいる、と言ったら皆が驚いてくれた。
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(注3)millions of millionsと言っていましたが、百万の百万だと10の12乗ですから、え~と・・・兆になりますね。ネットで調べたらオーストラリアの羊の数は概略1億匹で中国(1億5千万匹)についで世界2位のようです。因(ちな)みにオーストラリアの人口は2千万人です。

しかし、彼らが単なる羊飼いではなくミュージシャンだったのには驚いた!
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エデンの園のイメージからはほど遠かったがイランの魂の中心に近づいた気がする。しかし、更に近づくためには旅を続けねばならない。

次の目的地は美しい町イスファハーンIsfahanだ。そこで戦闘士たちとの約束がある。
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アレキサンダー大王、成吉思汗(ジンギスカン)、マルコポーロも歩いた道を南に下る。
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イランの中心、イスラムの華麗な聖地、のイスファハーンに着いた!
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イランの文化の中心、魂の源だ。
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世界で一番広いイマーム広場(王の広場)。
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広場を囲む建物の中を歩いてみた。外観は昔と変わっていない様だ。
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バザールでは何世紀も続いてきた方法で銅の器を叩き出している。
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世界遺産のモスクの大きさには驚かされる。26年かけて1638年に完成したらしい。
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「ズッカーナにようこそ!」ズッカーナとは「力の家」という意味だ。
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何千年もの間、イランの男たちは体を鍛(きた)え、神に近づこうとしてズッカーナに集まった。
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しかし、ここはジムではない。申し込めば直ぐメンバーになれるというわけではない。1カ月間、見学し、瞑想してから、誰の弟子になるかを決めるのだ。イスラム固有の軍事訓練のような性格もある。ここでの指導者は腕力だけではなく精神的なリーダでもあるのだ。

この棍棒はギャオと呼ばれる。腕力、体力を付ける道具だ。
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イラン・スタイルのレスリング
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私もレスリング・チャンピオンのマーシャンから兆戦を受けた。これを逃げては男ではない!
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彼は私に恥をかかせないよう気を使ってくれた、床に転がされる前にタオルが投げ入れられてドロー(引き分け)だ。

翌日マーシャンが私をもう一つのイスファハーンの伝統の場所に招待してくれた。この橋を通ってそこへ行く。
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橋の向うに渡るのではない、橋の中に行くのだ!
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そこにはティー・ハウスがあった。
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引退したレスリング・チャンピオンたちが過去の栄光を語り合って寛(くつろ)ぐ所だ。
紅茶を飲む時は、先に砂糖を浸して口に放り込んでから飲むのが習慣だ。
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そのうち、水タバコ「フッカー」が到着した。
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イランには古いことわざがある。「もし神を見つけたいのならフッカーの中を見ろ!」

しかし、それが本当だとは信じがたい。いつもは煙草を吸わないので頭が痛くなった私は外の風に当たることにした。
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イスファハーンを立つ前に寄りたい所があった。近くの岩山だ。
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登るのはきついがその価値がある。見晴らしは最高だ!それにゾロアスターを実感できる所がある。
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古代の寺の跡だ。
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イスラムが生まれた時よりも古い時代の世界に私は引きずり込まれていく。
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ここでも神聖な炎が燃えていた。
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いよいよゾロアスターの源となった炎が何千年も燃え続けている場所に行くのだ。

翌日、まずペルセポリスに向かった。イスファハーン南東の遺跡で、ペルシャ帝国の首都だった所だ。
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ペルセポリスはギリシャ語で、古代ファージ語ではパーサーと呼ばれていた都市だ。
王宮跡には70フィート(21m)の石柱が残っている!
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2千4百年前、上下水道が完備され、世界最大の図書館もあった。
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ここから世界の果てまで手紙を送り届けることも出来た。
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だからアレキサンダー大王は紀元前3世紀にパーサーを破壊したのだ。

しかし、私がここに来たのは、ペルセポリスが国家の重要な宗教だったゾロアスター教の中心地だったからだ。岩山に掘られた寺院がある。行ってみよう。
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信者たちがダリアス大王の墓の前で祈りを捧げていた。
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羽根の付いたものがゾロアスターの印だ。
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こうした宗教儀式は最近まで禁止されていた。
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祈りの中心にはいつも炎がある。何故、炎を置いて祈るのか?

「世界の中心は太陽だ、炎は太陽のシンボルだ、世界を照らすものだ。光は幸せの象徴だ。」と信者の一人が言った。
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とうとう炎の人々(People of Flame)を探し当てた。しかし、もっと古い時代から灯(とも)し続けられている炎そのものに出会いたかった。数千年前、ゾロアスターによって灯された炎だ!そのためには、更に東に旅をしなければならない。
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マルコポーロも通った道を辿るのだ。その道を行くなら駱駝でなければいけない!

21世紀にいる、ということを忘れてしまう。もしもマルコポーロが生きていたら、この谷が昔のままの姿を残していることに驚くだろう。
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目指す先はチャク・チャクだ。
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やっと目的地に着いた。大きな岩山の裾に寺院が張り付いて造られている。
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この階段通路を登りきった洞窟の中に寺院がある。
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そこが旅の終点だ。神聖な炎を見ることが出来る場所だ。
手と顔を洗い清め、靴を脱いで寺院に入っていく。
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奥には炎が灯されている!
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旅の目的だった神秘で神聖な炎だ!
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人々が炎の周りで祈りを捧げている。
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辺りには祈りが満ちている。祈りの言葉の意味は分からない。しかし人々の顔を見ていれば凡そ推察がつく。

私も炎を見つめながら祈りを捧げた。2千5百年の間、蝋燭(ろうそく)から蝋燭に、薪(まき)から薪に伝えられ、一度も消えたことがない神聖な炎。ゾロアスターが灯した最初の炎だ。
私は今、神が与えてくれた贈り物の炎を見つめているのだ。
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炎を見つめながら、今まで消えることがなかったこの炎の価値を最初に創造した男のことを考えていた。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの宗教が生まれる前、世界で最初の唯一の絶対神を見た男がゾロアスターだった。天国と地獄、救世主、最後の審判、この世の始まりと終わり・・・彼はそれらをこの炎の中に見た。永遠に、世界の終わる日まで燃え続けるこの炎の中に!
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(完)
Iran - People of the Flames Zoroastrians(2001)
https://www.youtube.com/watch?v=iPLXnteRDO4

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Mh徒然草32:欧州におけるイスラム移民の排斥運動

今日(2月5日)は中近東で暴挙を働いているイスラム国に湯川氏、後藤氏が殺害されて1週間程経過したところですが、ニュースによれば、フランス、ドイツ、ノルウェーなどでアラブ系の移民を排斥するよう政府に働きかける市民運動が激しくなっているようです。

このデモは欧州各国に溜まっていたアラブ系移民によるイスラム教拡大運動や、欧米文化と異なるイスラム文化に対する恐れのようなものが、とうとう抑えきれなくなって起きたのであって、2名の日本人の殺害や、これに続いておきたヨルダン人パイロット焼き殺し事件との関係はない、とTVで解説されていました。

ドイツで行われたアラブ系移民排斥デモについてメルケル首相は「人種差別であり、デモを許容することはできない!」とデモ参加者に警告していました。
片や、これまでイスラム教徒に特段の反感を持っていなかった人が「イスラム国から逃れてやってきたのに、我々の社会に溶け込まず、イスラム教が唯一の宗教だという考えを押し付けてくるので恐ろしくなってきた。いつか、何か大きな問題を起こすのではないか、と思うようになったので今回はデモに参加した」とTVカメラに語っていました。

イスラム教徒にもいろいろな人がいて一概に言えないのは勿論ですが、以前にもお話ししたように、イスラム教徒は日本人の仏教徒などよりずっと信心深く、コーランの教えに忠実に生きています。世俗化したイスラム教もありますが、事があれば原点(原典)に戻る、ということでコーランの記述が最優先される可能性がありますから、すると「アラーの外には神はなし」となり、「アラーを非難する者は死に値する」となりかねません。

日本に暮らすイスラム教徒は少ないのでイスラム教のもつ問題点が語られることは少なく、「イスラム教だからといって排斥してはならない」というドイツのメルケル首相の考えに賛同する人が圧倒的に多いと思いますが、イスラム教徒が身近に大勢暮らすようになると、日常生活で些細なトラブルも起きたりして、やっぱり排斥すべきだ、と言い出だす人が増えてくるのは必定だと思います。(イスラム教徒でなくたって、異なる考えの人が一緒にいれば、何か問題が起きますからね。)

ドイツでイスラム系移民排斥デモに参加している人が「ドイツの風土に合わせることが出来ないなら、生まれた国に戻れ」と言っていましたが、生まれた国では生きていけないからドイツに移った、という気の毒な境遇の人がほとんどですから、そんなに冷たいこと言わなくてもいいじゃあないの、という気もしますが、考えれば考える程、難しい問題だと思います。

しかし、日本は、人ばかりでなく、地下資源や食糧資源も乏しくて、海外から石油、鉄鉱石、大豆、小麦などを輸入しない限り、経済どころか生活すら維持できません。つまり、いやが応でも外国とお付き合いするしか生きていく道はないのです。としたら、どんな国のどんな人と、どんなお付き合いをどのくらい深く行うか、は重要な課題です。

日本は、外国とお付き合いする姿勢を持ち続ける必要があります。普段は冷たくしていて、必要になった時だけ「助けて下さい!」ってお願いしても「いいですよ」って言ってくれるとは思えませんからね。今、日本人の好感度は世界でも高いと思いますが、韓国や中国では低下していますから、改善が必要だと思いますねぇ。

よい関係を維持するには、常日頃から相手にたいする関心を持つことが、まず大切だと思います。ということで、今後も、私mhのブログ「世界の不思議」をご贔屓(ひいき)頂くよう、よろしくお願い致します。

Mariah Carey - Without You (With Lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=J8vZUqxlW88
(完)

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アナサジの不思議

アナサジの不思議

今回は北アメリカ南西部の峡谷を中心に暮していた「アナサジAnasazi」と呼ばれる人々の生活遺跡についてご紹介しましょう。

皆さんもご承知のように、先コロンブス期(注1)の北アメリカではインディアンと呼ばれる人々が暮らしています。しかし、インディアンよりも前から住んでいた人々を祖先にもつ、プエブロと呼ばれる人々も暮らしてました。
(注1:先コロンブス期とはプレコロンビアンPre-Columbian eraとも呼ばれる、南北アメリカにおいて、コロンブスが大陸を発見する前の、白人の影響が現れる以前の時代の総称)

プエブロ人の祖先、つまり古代プエブロ人Ancient Pueblo People、は俗に「アナサジ」とも呼ばれていますが、現代のプエブロ人が好む呼び方でないようです!「アナサジ」をWiki検索すると「古代プエブロ人」に転送される、という事実から推定するに、聞く人によって侮蔑(ぶべつ)的に響く、ということなのでしょう。

しかし、古代プエブロ人ではまどろっこしいし、ブログのネタ元となるYoutubeでも「アナサジ」が使われていましたので、今回は私も使わせてもらうことにします。

ブログは峡谷の岩壁に造られた住居遺跡からスタートします。下の写真は「古代プエブロ」を紹介するBBCからコピーしました。
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遺跡群は現代のアメリカ人が「フォー・コーナーズfour corners」、つまり「4つの角(かど)」、と呼ぶ一帯に分布しています。

フォー・コーナーズとは、アメリカ合衆国のユタUtah、コロラドColorado、ニューメキシコNew Mexico、アリゾナArizona、の4つの州が交わる「点」を指します。
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州境が直線で、2本の直線が直交している点がfour-cornersです。
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丁度、その点をサン・ワン川San Juan Riverが(南東から北西に)流れていて、近くにはモニュメントバレーMonument Valleyと呼ばれる、西部劇ではお馴染みの景勝地もあります。
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それではYoutube「Digging for the Truth:Mystery of the Anasazi」の始まりです。
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コロラドの南西にある峡谷(Canyonキャニオン)の一角に19世紀になってから初めて発見された遺跡がある。
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アメリカでは有名な遺跡だ。発見以来、大勢の観光客も訪れている。
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岩壁に貼り付いたような住居跡だ。
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なぜ、アナサジはこの峡谷に移住したのか?
そして、なぜ、たった数十年でこの地を去ってしまったのか?

このミステリーは考古学者だけではなくアナサジの子孫たちの間でも論争になっている。

アナサジは西暦1世紀からこの一帯で農業を営んで平和に暮らしていた。始めは散在する小さな集落を形成していたのだが、12世紀の中ごろに何かが起き、岩壁に移住して集団で暮らし始めた。

この辺りには4つの集落が崖(がけ)に貼り付くようにして造られている。
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しかし、住み始めて50年も経たないうちに、身の回りの物を残したままどこかに去って、歴史から消滅してしまうのだ!
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他の部族に侵略されたのか?
飢饉にあったのか?
なぜ彼等の文明は突然崩壊することになったのか?
何が起きたのか?

ロリーサは観光客を案内したり学校で生徒達に遺跡を解説したりしているレンジャーだが、プエブロ人の子孫の一つ、ホーピー族の女性だ。
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ホーピーはアナサジの子孫だと考えられている。
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「なぜ、人々は、急にこの岩壁に移住し、50年も経たないのにまた出て行ったのだろう?」と訊いたら「今、水はこの近くに無いけれど昔は崖から水が湧き出ていたので住居を造って移住したの。でも旱魃(かんばつ)で水が枯れたので別の場所に移っていったのよ。」と言う。

ロリーサの説明は理に適っている。しかし、それが本当の理由なのだろうか?
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なぜ、こんな危険な場所に住むリスクを冒したのか?

考古学者たちはアナサジの暗い部分を指摘する。大量殺人、カニバリズム(人肉嗜食じんにくししょく)だ。つまり暴力が彼等を崖に追いやったと言う。

崖(がけ)にある石造りの建物は見事だ。このような遺跡が周辺に数百もある。

恐らく、他の住居を調べると、なぜアナサジが、突然この地を去ったのも判るだろう。
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少し見方を変えて、2人乗りの2つプロペラの手造り飛行機で空から眺めてみよう。
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4つの州が接する点フォー・コーナーズ。千年以上に渡りアナサジのホーム・グランドだった。
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平地や斜面の大半はpinyon pine(松)と juniper(常緑の低木)で覆われている。9百年前はトウモロコシ、スクヲッシュ(squashかぼちゃ)、豆類が栽培されていたようだ。
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4~5万人のアナサジが住んでいたと考古学者は考えている。
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ホーピー族の子孫ロリーサが言ったように水が枯れたので泉の噴出している岩壁に住居を移したのかも知れない。しかしそのためだけで、赤ん坊や子供も引き連れて危険な崖に移住しなければならなかったのだろうか?
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なぜ崖で暮らすリスクを取ったのか?
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地上に戻って自分の足で探索を続けてみよう。

ボーンはこの地区の保全の仕事をしながら長年アナサジの遺跡を調べている。この辺りなら自分の家の裏庭のように熟知している。
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まずは車で行けるところまで行こう、その後は徒歩だ。
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崖の中腹に建物跡が見える。
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崖の上には見張りの塔の跡がある。住民はこの辺りを管轄していたのだろう。
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しかし彼等は一体、何を見張っていたというのだろう?夜は塔から出て崖を降り、ねぐらに戻ったというのだろうか?
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崖の下までは数百フィート(7,80m)ある。もし頭を下にしてロープに吊り下げられたら死活問題だ!
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住居跡だ!
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驚いた!8百年以上前のトウモロコシの芯が今も残っている!昨日まで暮らしていたようだ。
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赤い岩肌に渦模様が描かれている。「ここに我々が住んでいる、移住してきた」という印なのではないかという説がある。
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羊の絵。
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まるで岩壁が大きなキャンバスのようだ。
なぜ、こんなところに子供達も一緒に連れてきて暮らし始めたのだろう?
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この石組みの壁はモルタルで固めている。その向うは切り立つ崖だ!大変な作業だ。
「判らない。しかし、何かが彼等にここでの暮しを強いたのだ!」
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覗き窓も造っている。誰か近づいてこないか、見張っていたのかもしれない。
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崖の上の見張りの塔もといい、この覗き窓といい、いったい誰を見張っていたというのだろう?
インディアンのナバホ族がアナサジの敵だったのは有名だが、ナバホがここに来たのは数百年後だ。どんな外敵も13世紀まで来たことが無いはずだ。ほかに敵がいたとでもいうのだろうか?

岩壁に移り住む前、アナサジがどんな暮らしをしていたのか調べる必要がある。古い友人に会ってみよう。コルテズに住んでいる。
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彼の名はアーキー・ハンソンだ。(Archie Hanson , Indian Camp Ranch)
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彼はアナサジが放浪の旅に出ることになった原因に関する証拠を掘り当てたという。
西暦650年から1150年までの間、この集落には4家族20人くらいの人がずっと暮らしていたらしい。
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「キーバ」と呼ばれる円筒状の公共の場所。そこに住空間に繋(つな)がるトンネルがある。
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住民は男が5フィート4インチ(162cm)、女は5フィート(150cm)くらいだった。6フィート(180cm)で189ポンド(86kg)の私には狭いトンネルだ!
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ここには3つの「キーバ」が掘られていた。しかし、そこではカニバリズム(人肉嗜食じんにくししょく)が行われていた!恐ろしい殺戮の場所だったのだ!

「沢山の人体がバラバラになって見つかっている!砕かれた頭蓋骨もあった。カニバリズムがあったことはほぼ間違いない。見つかった骨には切り傷が沢山ついている。刃物で何度も切られた跡だ。食用になった動物の骨に付いている傷と同じだ。ポットに入れて煮た痕跡も見つかっている!」
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この集落では、このような証拠が沢山見つかっているという。
インターネットで調べてみると50か所でカニバリズムを示すと思われる骨が見つかっているらしい。
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これが議論を呼んでいる。原住民の子孫は「我らの祖先がそんな野蛮なことをしたはずはない!」と言う。

友人のアーチーに訊いてみた。「なぜ、人々は他の場所に行ってしまったのだろう?」
彼の答えはこうだ。「恐らく、外からの侵入者によって追い出されたのだと思う。メキシコから来たと言う説もあるが、証拠は見つかっていない。大きなミステリーだ。」

興味を引くのは、これらの出来事が全て同じ時期に起きていることだ。西暦900年から1150年の間だ。
実は、これはアナサジがチャコー・キャニオンChaco Canyonを支配していた時期と重なる。チャコーは、今は荒涼とした砂漠に残る遺跡だ。PPG(パワード・パラグライダーpowered paraglider)で空から見てみよう。25マイル/時(時速40km)と低速なので都合がよい。
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渓谷を吹く風には注意しないと岩壁に打ち付けられる!PPGは4ガロン(15リットル)で3時間飛ぶことができる。このような場所を探索するには都合が好いし、その上とても経済的だ。
チャコー遺跡が見えてきた!
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チャコーの繁栄期は西暦900年から1150年だ。宗教都市だった。80km離れたところからも人が集まってきた。
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プエブロ・ベニードと呼ばれる4,5階建ての建物には8百の部屋があって数千人が暮らしていた。1800年末までに造られた、世界で最も大きなアパートだと言われている。歴史前のアメリカで、このような場所はここにしかない。
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チャコーは単なる都市ではなかった。何マイルも離れた場所から人々がやってきて、このような「キーバ」で神に祈りを捧げた宗教センターでもあったのだ。
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しかし、1150年までに人々はどこかに去っていって都市は完全に放棄された。
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旱魃(かんばつ)か?それとももっと不吉な原因があるのか?
残された石壁はヒントを与えてくれない。
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チャコー遺跡の中で、部屋として完全な形で残っている場所を訪れた。木製の梁(はり)は何か教えてくれるかもしれない!
アリゾナ大学年輪研究室のジェフに指導してもらい、年代測定用の小さなサンプルを取得することにした。この部屋がいつ造られたか判る!
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アメリカ南西部における年輪による年代測定法(dental chrenology)でジェフの右に出る者はいない。彼は数千の木のサンプルと、それから得た年輪データを持っている!

年輪をみれば、例えば1119年や1121年ではなく1120年の年輪と断言できると言う。更には年輪の幅からその年の雨量が推定できるらしい。
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「確かに、西暦450年に旱魃(かんばつ)があったようだ。洪水も起きていたはずだ。」
「住民が居なくなった理由は旱魃かもしれないが、都市人口が多過ぎたことも考えられる。」

旱魃は昔から何度も起きていたことは年輪データからも判っている。1100年代の旱魃が偶然、人々を他の場所に追いやったというのだろうか?

話が少し戻るが、チャコーが大きな宗教センターになったのはどんな理由からだろう?
メキシコから宣教師たちが来たのではないか、と考える考古学者達がいる。ある学者は侵入者たちがチャコーの人々を殺戮したのではないか、とも言っている。

私は遺跡調査でメキシコに何度か行ったことがある。そこでは昔、トーテクやアズテクが人間を生贄(いけにえ)にしていた。
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この風習が突然、アナサジの歴史に出現したのかも知れないが証拠が無いので単なる仮説でしかない。

チャコーの南、数十キロの砂漠で小さな村の遺跡を調べているジョージア州立大のチームがいる。チャコーと村との関係を調査しているのだ。彼らなら何か教えてくれるかもしれない!
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この村では3,40人が暮らしていたと思われる。自給自足していたが、宗教センターのチャコーと関係があったようだ。巡礼で訪れていたのかも知れない。

チャコーの宗教がどんなものだったのかを明確に知っている人はいない。多くの考古学者はダーク・サイド(暗闇)を持つ宗教だったと考えている。カニバリズム(人肉嗜食じんにくししょく)が行われていたからだ。

しかし、なぜ人々は50マイルも歩いてチャコーの神のそばにまで行ったのか?
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宗教上の貴重な物があったのだろうか?それを得るために人はチャコーに行ったのだろうか?

チャコーから離れたこの場所で、トルコ石や貝が見つかっている。
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チャコーに巡礼に行き、物々交換してこの貴重な物を持ち帰っていたのだろうか?
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1150年頃、旱魃(かんばつ)はあった。しかしそれはそれまでのものと比べれば小さい。

一方、チャコーには社会的な混乱、つまり暴力的な事件が起きた可能性がある。丁度その時期、カニバリズムもピークだった。
大量虐殺とカニバリズム・・・これから逃れるために、数千のチャコーの住民が岩壁の住居に移って行ったことも考えられる!

だんだん全貌が見えてきた気がする。しかし、まだヒントになりそうなものが残っている。それを調べてみよう。
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どんな理由だったかは別に、兎に角、人々は峡谷の岩壁に逃げることになった。
プエブロ族、ズーニ族、そしてホーピー族は祖先の歴史について夫々の伝承を持っている。
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ホーピー族の伝承によれば、アナサジは水を求めて岩壁に移ったという。
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その伝承をもう少し調べてみよう。ホーピー族の年配者達と一緒にホーピー族保護地内の川を下り、ペトログリフ(petroglyph岩に掘られた古代の絵)を調べてみるのだ。
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アナサジという呼び名はこの辺りの人にはあまり好かれていない。ナバホの敵、という印象が強いかららしい。代わりに古代ペブロと呼ぶ。

ペトログリフ(petroglyph)がある岩壁にきた。直立している!
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そこに1500年前のアナサジが描いた実物大の絵がある。
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しかし、古すぎて今のホーピー族には解読できないようだ。

近くに見かけた記号がある、渦巻き文様だ!ボーンと一緒に訪れた岩壁住居近くの岩肌に彫られていたマークと似ている!
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同行していたホーピー族の年配者達は言う「これはマイグレイション(migration移住)を表すシンボルだ。」
このフォー・コーナーズに暮らすことを希望している人を示しているという。
「社会的な混乱や暴力ではない、単に時が来てこの地に移住しただけだ」

彼等に一番辛らつな質問をしてみた。
「アナサジはカニバリズムの習慣があったのか?」「そんなことは断じてない!マイグレイション(移住)が始まった時は敵などいなかった!インディアンのナバホ族がやってくるまで、敵なんかいなかったし平和に暮らしていたんだ!」

しかし、敵は侵入者ではなかった!という考えはどうだろうか?つまり外敵がアナサジをクリフに追い込んだというのではなく、周辺に住んでいた仲間のアナサジから逃げるために岩壁の住居に移ったという考えだ。

ホーピー族の年配者が言うように、アナサジは消えてしまったのではない、単にこの地を去っただけかも知れない。移住していったのだ。年輪によると13世紀後半に大きな旱魃があったという。しかし、旱魃でもなく暴力でもなく、単に移住しただけだ、と考えることも出来る。
現地で調査している専門家の推定では外部からの侵入者によってアナサジは岩壁の棲家(すみか)に追いやられたことになっているが、ホーピー族の年配者達の言うように、単に新しい生活を始めるために南に移動していっただけなのかも知れない。

ゴムボートに乗ってホーピー族の祖先が住んでいた住居遺跡を訪れた。彼らにとって神聖な場所だ。そこでトウモロコシの粉を捧げて先祖の霊を敬った。
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(完)
Digging for the Truth - Season 1, Episode 13 - Mystery of the Anasazi
https://www.youtube.com/watch?v=_q1rVTvrDss

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mh徒然草31:ペット犬と暮らす人

最近はペットと暮らす人が多くなりました。ネットで調べたら総務省の統計が見つかりました。今回のテーマのペット犬に着目すると18%の家庭で犬を飼っています。そして42%の家庭で今後、犬を飼ってみたいと考えていますから、60%が犬を飼うことに関心を示しているということになります。
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実は我が家は団地で、10階建てのビルに合計100戸が暮していますが、管理組合の規則で、犬や猫は飼えないことになっています。私は「そんなに冷たいことしなくてもいいんじゃあないの?飼いたい人は条件付で飼えるよう規則を変えたらどうなの?」って考えですが、いつになっても規則の見直しは行われません。恐らく10匹くらいの犬が、我が団地ビルに暮らしていると思いますが、同じビルに暮らす仲間としての礼儀からか、犬を見ても黙認し、はっきり苦情を申し立てる人はいないので、どうなんですかねぇ、早く規則を見直すべきだと思うんですが・・・

で、犬が何処で暮らしているかっていうとですね、家の中が多いようですねぇ!我が団地では当然、家というよりコンクリートの部屋の中でっていった方が好いと思うんですが、そこで暮らしています。統計を見ても、室内で飼われている犬の方が圧倒的に多いんですね、70%がそうですから!
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しかし、犬にとって室内で年を取って死んでいく、というのでは、あまりに犬的ではないので、時には散歩に連れ出さねばなりません。ということで、私の朝の日課の団地内の散歩中には、犬を連れて散歩しているというか、犬に引かれながら歩かされているような人によく出会います、30分の散歩で平均3,4人というか3,4匹でしょうか。途中の広場では、毎日、犬の愛好家が6,7人集まっています。土日と雨の日を除く朝8時ころから4,50分、犬を遊ばせながら、みんなで雑談?情報交換?しているようです。

散歩中に見かける犬には、飼い主を自分の思う方向に引っ張っていくような元気な犬もいますが、時々、乳母車のようなものの中にうずくまって、じっと前だけ見ている犬もいます。恐らく、年取って自分の足で歩くのが億劫(おっくう)になり、家の中でじっと座り込んでいるのを、飼い主が見かねて、外に連れ出しているのだと思います。

犬を載せる乳母車というかショッピングカートというか、つまり台車については、犬用カートと呼んでいるようで、いろいろな種類のカートが市販されているようですね。
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上の写真のカートは約1万円で、高い物では5万円台もあり、平均は2万円前後のようです。また、カートにうずくまったまま外に連れ出すのではなく、自分の足で歩いて元気をつけてもらおう、という歩行補助具も売られています。
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こうして飼い主に大事に飼われている犬は、寝る場所や食べ物で心配する必要もなく寿命も外で暮らす犬より数年ながいようですが、一緒にいてくれる友達は飼い主だけで、自分の、つまり犬の、家族をもたず、さみしい生活をしているのではないのだろうか?と心配です。できれば、雄雌の番(つがい)で飼って、子供も産んでもらい、充実した人生(犬生)を送らせたいものだと思いますが、飼育環境や費用の面から、なかなか思いうようにいかない現実もあります。

となれば、むしろ犬は飼わない方が、結局は犬のためになるのではないか?犬も野生で暮らすべきではないのか?という考えもあると思います。

しかし、犬を飼っているほとんどの人は「うちの子がね」と言って犬を自分の子供のように愛しているんですねぇ。そこまで思っていてくれるなら、犬も「まぁ、我が家では一匹だが、時々、外にも連れて行ってくれるし、食べ物は不自由しないし、大事にしてくれるからいいか!」なんて考えてくれるのかも知れません。

でも飼い主が一人暮しで、老齢で、ペットの犬を残したまま、一人で死んでしまい、部屋の中に残された犬は食べ物も無くなって一匹寂しく餓死していく、っていう悲しい事実もあるのではないでしょうか。それではペットが可哀想です。いや、ペットだけでなく、一人で死んでいく人も可哀想です。

その解決策として、一人暮らしの人は、早目にペットOKの老人ホームに入る方が、ペットのためになるだけでなく、自分のためにもなるのではないかな?と思います。同じ境遇の人や犬が集まれば、一人と一匹で暮らしていた時とは違う、新しい生活が開けるはずです。犬はセラピーの効果も高いようです。
「犬と一緒に暮らす老人ホーム!」なんだか、楽しそうで、私もいつかお世話になりたい気がします。

なお、ペット犬については次の事実もあるようです。
まず遺産ですが、ペットに残すことは出来ません。ペットの面倒を見てくれるという条件付で、個人またはペット会社に残すというか委託することはできるようです。

またペットは健康保険が効かないので病気になると治療費は結構かさむようです。

ペットを海外旅行につれていくことは出来るようです。全日空ではペット用ケージに入れて貨物室に載せ、目的地まで運ぶようで、次の資料が見つかりました。
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アメリカまでのペット運賃は4万円です。10時間分の水や食事はケージの中に入れてチェック・インします。機内では飼い主はペットの元に行くことは出来ません。万一ペットが死んでも航空会社に損害賠償請求しない、という同意書に事前にサインしないとペットは載せてくれません。

How much is that Doggie in the Window? lyrics
https://www.youtube.https://www.youtube.com/watch?v=1hVo8Xjx6Vgcom/watch?v=1hVo8Xjx6Vg
(完)

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