Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

mh徒然草39:見えないものこそ尊い!

お金、食べ物、着物、住宅、家族、友達などは幸せに生きるためには必要な物の様に思われます。しかし、ふと思ったのですが、これらのものは、全て見えるんですねぇ。触(さわ)ることもできますし、他の人に、説明するのも簡単です、「これがそうですよ」って実物や写真で示すことが出来ますから。

しかし、物質ではないのに名詞で呼ばれる「時間」は説明が難しいですねぇ。
例えば「今」っていつのことか?「昨日」って何か?言葉でどう説明してもイマイチだし「これが今だよ」「昨日ってこれだよ」って指し示すことも出来ません。

不思議な特性を持つ「時間」というものは、お金や食べ物よりも尊いものではないかな、とふと思いつき、その思いをブログに書こうとPCを叩き始めてみたのですが、どうもうまく纏(まと)まりません。ということで、終わりにしようと思ったら、時間以外でもう一つ、不思議な性質を持つものに思い当たりました。「幸せ」です。

考えてみれば、いや、考えるまでもないことかも知れないのですが、見えないものこそが尊いのかも知れません。

漢詩は韻を踏むが日本の詩は韻を踏まないのは何故か?について自説を滔々(とうとう)と述べたブログでご披露させて頂いた金子みすずの詩をもう一度ご紹介して終わりにしたいと思います。

星とたんぽぽ:金子みすず

青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春がくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

Bobby Vinton Mr lonely
https://www.youtube.com/watch?v=TV3MgR-W0uk

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ティンブクトゥの不思議

今回は、西アフリカ・マリ共和国の古都ティンブクトゥTimbuktuに纏(まつ)わる物語をご紹介しましょう。

ティンブクトゥはギニアGuineaの山脈を発してギニア湾に注ぐ全長4,180Kmの大河ニジェールNiger川の中流域に広がる砂漠の町です。
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ニジェール川は水量が多く、底が浅いボートなら上流から下流まで数千Kmを移動できるので、昔から、人や食料、動物、特に砂漠では大切な塩、そして今回のキーワードの黄金、を運搬する物流路として使われています。川辺では農業や牧畜を営めるので昔から人々が住み着く町が点在し、ガーナ王国、マリ帝国、ソンガイ帝国といった国家が興亡を繰り返しました。

次の写真は古都ティンブクトゥの現在の町並みです。
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今回のブログの主人公はマンサ・ムーサ(مانسا موسى‎ Mansā Mūsā)です。マンサとは王の意で、マンサ・ムーサはマリ帝国10代目の王でした。彼の時代に帝国は最盛期を迎え、莫大な黄金も蓄えられていたのですが、彼はこれをあることのために使ってしまうのです!

それではYoutube「Digging For The Truth – Timbuktu」をお楽しみ下さい。
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アフリカのエル・ドラドとして知られた古都ティンブクトゥ。
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この町の伝説は1324年に始まる。
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巨大なキャラバンがカイロを目指していた。マンサ・ムーサが率いる6万人(!!!???)がメッカ巡礼に旅立ったのだ!
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13トンの黄金(注)を持って!
(注:現在の金価格は1grで約5千円ですから13トンだと・・・650億円!)

メッカに向かう途中の国々でこの一行に出くわした人々は、これまで名前も聞いたことが無い王が莫大な黄金を持ち運んでいるのを知って驚いた。この黄金のために、エジプト・カイロの金相場は数年間に渡って完全に破壊されてしまったという。

この話はヨーロッパにも伝わった。1375年にスペインで製作されたアフリカの地図には玉座に座るマンサ・ムーサが金塊を手にしている絵が描かれていた。
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金に目がくらんだヨーロッパ人探検家が大勢やって来た。
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彼らのほとんどは砂漠の中で死に絶えたり、土着の盗賊に殺される羽目になったという。
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マリ共和国の現在の首都バマコの近くにある村の村長はマリ帝国の子孫だ。活きた歴史書の彼は口伝(くでん)のマンサ・ムーサ物語を楽器の音にのせて語ってくれた。
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村民や子供達も楽しそうに聞いている。
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私(レポーターのHunter Ellis)には意味が判らなかったが、彼の表情や口調から、どんな内容が語られているのか想像できて楽しめた。
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1265年から1645年まで続いたマリ王国の物語を村長は語ったようだ。王国は当時、モンゴル帝国に次ぐ広大な国だった。
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1235年には市民の権利を保証する憲法も出来ていた、マグナ・カルタ(注)の20年後だ!

(注:Wikiマグナ・カルタ(大憲章)
イングランド王国のジョン王がフランス王フィリップ2世との戦いに敗れてフランス内の領地を失ったにもかかわらず新たに戦を仕掛けて再び敗戦したために、1215年5月5日に貴族の怒りが爆発した。貴族側はジョン王の廃位を求めて結託し、ロンドン市が同調する事態になるとほとんどの貴族と国民は反ジョンでまとまってしまった。当時はこのように臣民の信頼を失った王は自ら退位するか処刑されるしかなく、その後新たな王が立てられるのが通常であったが、このとき、ジョン王が「王の権限を制限する文書(マグナ・カルタ)」に承諾を与えて事態の収拾を計ったことで制定されることになった。)

マリ帝国の憲法は口で語られ、文字では記されなかったから多くの人が知ることにはならなかったらしい。
ところで、通訳でガイドのブブカによれば、村長が語った物語にはマンサ・ムーサは登場していなかったらしい!!!彼がマリの黄金を持ち出したことで王国は破産状態になったため、人々は彼のことを好く思ってはいなかったからだという。700年後の今ですらマンサ・ムーサの名を語ることはタブーに近いらしい!そんなことは考えてもいなかったので驚いた!

ブブカがパンファンと呼ばれる特別な場所を紹介してくれた。
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13世紀、ここで王たちに帝王学教育が行われていたという。マンサ・ムーサも勉強したらしい。
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神聖な場所とされ、発掘調査は禁止されている。間近で見ることすら憚(はばか)られる場所で、今回は特別に許可してもらったらしい。
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ところで、マンサ・ムーサはどこで黄金を手に入れたのだろう?今でも金の採掘が行われているナレナという村があるという。行って見よう。

ガイドは金鉱の村に行く前にすることがあると言う。
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尊敬と善意を示すため、プレゼントを買うのだ。
「60ドル!」「40ドルでどうだ?」「なら50ドルだ!」ということで、結局50ドルで子羊を買った。
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車の中に乗せると小便で汚れるので屋根に乗せて運んだ。羊も快適だろう。
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途中で奇妙な形の岩山に出くわした。村は近いらしい。
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金鉱の村についた。早速、リーダーと撮影交渉する。
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マンサ・ムーサの時代から続いている金鉱で、今も2千人の人々が金の採掘で生計を建てているという。
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一つの縦穴を掘り尽くすと、1mくらい離れた場所に次の穴を掘る。辺りを掘り尽くしたら数Km離れた場所に村全体を移して金の採掘を続けている。
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数週間前、ある女性が1日で10オンス(注)の金を見つけたらしい。数千ドルの儲(もう)けだ。
(注:1オンスは16分の1ポンドで約28.35グラム)

今でも金はマリ共和国の重要な輸出品だ。毎年60トンを輸出する。多くの金は近代的な設備で採掘されるが、この村ではバケツと盥(たらい)を使う昔からの方法だ。この方法でもマリ全土になると毎年数トンもの金が採掘されているらしい。

これを聞いて元気を得た私は竪穴に入って金を探してみることにした。
「ところでこの竪穴は中で作業しているうちに崩壊しないの?」
「そうだなぁ、雨季だと時々そんな事故があるけど、今日は大丈夫だよ。」
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深さは60ft(18m)ある。穴の周りの壁は滑りやすい。楽な仕事ではない。
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中はとても暑い!110F(43℃)だ!それに酸素も少なくて息をするのも苦しくなる。
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穴の底で掘った土砂はバケツで引き上げてもらう。
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大きな岩を取り除き、小さな粒の土だけ盥にのこしてから水で泥を洗い流す。
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何もない??いや、あった!とても小さな金の粒が!労働の報酬だ!
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2杯目のバケツからは1.5grの金が見つかった!40ドル相当だ!
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こんな方法でも何千人かで毎日作業すればマンサ・ムーサが持っていた莫大な量の金塊も採れそうだ!
しかし、村から500kmも離れた町ティンブクトゥがこの金で有名になるというのも不思議だ。

ここはマリ共和国のハイウェイとも言えるニジェール川沿いの港。
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町には食料、衣服、スパイスが豊富だ。昔は金も沢山あった。
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それをティンブクトゥに運ぶのだ、船で!
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ニジェール川は西アフリカでは重要な交通路だ。命の川だ。マリを豊かな国にしてくれた。
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全長2600マイル(4160Km)で5ヶ国を流れている。マンサ・ムーサの時代、マリ帝国中がこの川で結ばれていた。
北からは駱駝のキャラバンがティンブクトゥに物資を運んできた。
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南からは川を伝って船で金などがティンブクトゥに運ばれた。おかげでティンブクトゥは国際商業都市として栄えることになった。
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運ばれたのは物資だけではない。文化も運ばれてティンブクトゥで交流が行われていた。
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ニジェール川をティンブクトゥに向けて下っている途中、船から美しい建物を見ることが出来た。
「あれがこの村のモスクなのか?」
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とても美しい!
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カヌー・レースをしている人々に出会った。隣の町と競争しているらしい。毎年、国の大会も開かれるという。
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ティンブクトゥへのカヌーの旅は230マイル(370Km)も続く。時間たっぷりの船旅だ!
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川岸には緑も多い!
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あの船の大きさを見てくれ!
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大勢の人々がこの川に依存していることが判る。屋根も人や荷物で一杯だ!
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昔、金が川に沿って北に運ばれたのには理由がある、と船長はいう。
「塩と交換するためだ!ティンブクトゥでしか塩を得ることができなかった。」
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3日間ニジェール川をボートで下って、やっとティンブクトゥ近くの港に到着した。町に向かって暫く歩く。
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道で出会う車は少ない、落ち着いた町のようだ。
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世界遺産のモスクやマドラサ(イスラム教修道院)もある。
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砂漠が多いマリでは脱水症に罹(かか)りやすいという。マラリヤや猩紅熱(しょうこうねつ)なども流行(はや)っている。いずれも血液中の水と電解質(electrolyte)が欠乏すると罹(かか)り易い。
私の血液を確認してみよう。スペクトル分析器で直ぐに結果が判る。
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平常値で問題なかった!

しかし、砂漠の国で暮らす人は塩分の欠乏で病に罹りやすい。
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そこで重要なのが塩だ。ティンブクトゥの600km北の町タオウデンニに岩塩田があった。7百万トンも眠っているらしい。
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採取された岩塩はマリ帝国の首都に運ばれた。岩塩の板は1枚60ポンド(約30Kg)ある。4枚を1頭の駱駝にくくりつけて運ぶ。
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大体、駱駝40頭で1隊商を構成していた。
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当時、塩は同じ重さの金と同等の価値があると言われ、「白い金」とも呼ばれていたらしい。
こうして北から運ばれた塩はティンブクトゥで金塊と交換されていたのだ。
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キャラバンは塩以外にも重要な物を運んできた、知識だ!
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マンサ・ムーサも、メッカ巡礼から帰国した時、沢山の本を持ち帰った。
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建築家や学者も中近東から連れてきた、モスクや大学を造るために! 彼が造った建築物のいくつかが今も残っている。
これは彼がティンブクトゥに造ったマドラサ(イスラム修道院)だ。
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今でも子供達が勉強する場となっている。
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男の子も女の子も一緒だ!平等と多様性が同居しているのは昔からだという。
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ティンブクトゥには10万人が住んでいた。そのうちの2万5千人が学者だったという!つまり、ここは知識の町だったということだ。
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イスラム教だけでなく、天文学、数学、歴史、薬学などを学ぶために人々は集まった。
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ティンブクトゥの黄金時代は過去のものだ。
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でも、いくつかの宝はまだ残されているという。
ティンブクトゥに暮らす、ロイヤルファミリーの子孫で学者の家を訪ねた。
宝物はこの部屋に残されている。
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古代の経典や教本だ。
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16世紀から残されているものが多いという。シリアのダマスカスやイラクのバクダッドで千年以上も前に作られた本もある。

このような書籍は彼の家に山ほどあるという。しかし、外からやって来る征服者たちから守るために地中に埋めて隠したり、虫に食われたりしたために劣化が激しい。
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その上、製本されていないので、ページがバラけると本の体裁が無くなる。そこで、これらの書籍を少しずつ図書館に移し、整理して保管しているという。
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このような図書館はティンブクトゥには沢山あるらしい!書籍の多くはイスラム国に関係するものだが、アリストテレスやプラトン、ピタゴラス、などのギリシャの哲学者に関して書かれたアラビア語のテキストもある。世界のどこにも残っていないものも多いという。
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これらの書籍を研究するグループができ、書籍の整理やデジタル化が始まっている。
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今までなら見ることすら困難だった書籍が、世界中の誰もが簡単に読めるようになるのだ。
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これらの書類の解読が進めばアフリカの歴史は書き変えられるかも知れない。

ここに「マンサ・ムーサ」と書かれている!
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マンサ・ムーサの旅行記は今、目の前にあるのだ!皇帝もきっと天国で自慢しているに違いない。

Digging For The Truth - Timbuktu (Full Documentary)
https://www.youtube.com/watch?v=yDr0J12sKRc

以上がYoutubeフィルムですが、泥で作られたモスクの写真をいくつかご紹介しましょう。
ティンブクトゥのモスク
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??のモスク(Google Earthで見つけましたが、どこの町か失念しました!)
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ジェネのモスク
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ディアファラベのモスク
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Google-Earthの衛星写真をみると、緑が多いかどうかが判ります。ティンブクトゥは砂漠にある町で、ニジェール川の恩恵で農耕もできるようですが、十分な収穫は期待できないようです。
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「Wikiトンブクトゥ(ティンブクトゥ)」
かつては10万人以上の人口を数えたトンブクトゥも、交易形態の変化や衰退により2000年代には5万人あまりに減少。かつての規模から比べれば、少し大きな村といった規模となった。ただし、現在も砂漠地帯の中の物資の集散地点であることは変わらず、岩塩や手工芸品などの取引が行われている。市内は日干し煉瓦で出来た家々が並び、ひどい貧困に見舞われている状況にある。また、周囲の砂漠化が進行し、町が砂漠に埋もれる危険性も指摘されている。

近年、周辺が世界遺産に登録されたこと、パリ・ダカール・ラリーの通過地になっていたこと(開催年によってはコースから外れることもあり)から、次第に知名度が高まり、観光客も増えつつあるが、インフラは依然として整っておらず、ホテルのキャパシティも小さい。

イスラム系武装組織が街を占拠すると、組織が自家発電により電気と水を供給するようになったが、フランス空軍の空爆により組織が撤退すると電気と水の供給が停止した。」

(完)

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mh徒然草38:イランの原子力開発を止める権利?

イランが原子力発電のプロセスの中で、ウラン濃縮技術や設備を強化し、原子爆弾を造る計画を粛々(?)と進めていることに対して、アメリカを中心とする列強は経済封鎖で対抗し、これにイランが反発して世界が不安定になっていました。マフムード・アフマディーネジャードMahmoud Ahmadinejad氏が大統領だった2005年8月から2013年8月までの間です。

この経済封鎖は欧米や豪州を中心に進められ、輸出入が減って必要物資に枯渇したイラン経済は疲弊し、国民生活は大変だったようです。強硬だったイラン指導部もさすがに折れて、1年半ほど前に就任した穏健思想のハサン・ロウハーニーHassan Rouhani氏(勿論、イスラム教指導者の一人です)が、原子力の軍事利用に対して一定の制約を加える、例えばイランの原子力施設で原子爆弾などの兵器開発を進めていないかを検証する欧米人科学者の立ち合い調査を受け入れる、ことを約束し、見返りとしてアメリカは経済封鎖の緩和を約束しました。
本日4月6日時点ではオバマ大統領が封鎖緩和の方向で合意しただけですので、今後、アメリカ議会で承認されない場合は、約束の履行ができなくなり、全ては白紙にもどってしまうようですが、経済の改善を期待するイランの人々は「これで生活は好くなる!」と街頭でのTVインタビューに答えていました。よほどうれしかったようです。

しかし、前大統領のアフマディーネジャード氏も国連での演説で言っていたと思いますが、第二次世界大戦の戦勝国イギリス、フランス、ロシア、中国、アメリカの5ヶ国だけは原子爆弾を造ったり保持したりしても好く、他の国は保有することを禁止する、これに逆らえば打撃を与える、っていう発想はいかがな物でしょう?私は大国のエゴだと思いますねぇ。どう考えても不公平だと思います。しかし、多くの人は、現実を見ると、仕方ない結論でもある、と考えるのではないでしょうか。何故、仕方ないのか説明を求められても、まともに答えられない曖昧な判断基準で、仕方ない、って考えてしまっていると思います。

原爆に限らず、あらゆる兵器は削減されるべきだと思います。しかし、多くの人は削減されないことに対して仕方ないことだと受け入れています。この「仕方ない」というのは、もう少し突っ込んで考えてみると、1週間前のブログでも取り上げたように、個人の力では何もできないのだから諦める、不満があっても現実を無条件に受け入れる、ってことです。

しかし、どうして原爆の保有数を減らす動きが進まないんでしょうかねぇ?イランに原爆開発を止めさせたければ、我々も原爆を減らすから、あたなは開発を止めてほしい、ってな提案をすれば、イランだって、判りました、止めましょう、ってなことになると思うんですが、そんな事は考えてもいないようです。

こうした大国のエゴを見ていると、いつかは大国同士でひと波乱、つまり第三次世界大戦、が起きるまで武力拡充競争が続いていくのだろうな、と思います。これまでのブログで何度も言わせて頂きましたが、中国人民解放軍はウイグル人やチベット人や共産党の方針に反対する中国人民を苛(いじ)めるだけでは物足らず、ベトナムやフィリピンや、日本にもちょっかいを出したがっていますし、我が尊敬するお釈迦様の教えを大切にし、微笑みの国なんて呼ばれたりもしている(いた?)タイ王国も、国民が2分された内紛を抑えるためと称して乗り出した軍部は、昨年5月、政権を掌握して以降、今も居座っていているし、そのお隣の仏教国ミャンマーでも軍事政権が続いています。イスラム国でもイスラム指導者や国王が君主として居座り続けていて、国民投票でリーダーを選ぶシステムを導入するつもりは毛頭ないようです。

この、どう考えても不合理で偏った状態を創り出しているのは、悪魔などではなく、我々と同じ人間です。お釈迦様ではありませんが、人間は深い業(ごう)を持っているんですねぇ、やっぱり。これを断ち切るにはどうしたらよいのか?お釈迦様は断ち切ったのだと思いますが、普通の人間には、なかなか出来ることではありません。となると、業を認めた上で、さて、どうしたものかと考えるしかないのですが、せめて自分は、他の人を根拠も無く虐(しいた)げたり、困らせたりしないよう姿勢を正していようと思います、なかなかシンドイですが。

補足(5月21日)
いよいよ明日、本ブログ公開、というところで1ヶ月以上前に完成させていたブログを詠み直し、肝心な観点が抜けていることに気付きました。原爆被爆国の観点ではなく、原爆保有国の観点です。

現在、原爆を保有している国にとって、自分以外の国が平和的な問題解決を望んでいるとの確信が得られないまま原爆を手放すことは抵抗があるんですねぇ。そして、どの国も平和的手段だけで問題解決するつもりはありません、いざとなれば使える武力を持っていて、いつ戦があってもいいように訓練しています。
とすれば、原爆保有国は自ら進んで原爆という効率的な殺人兵器を手放すことはありません。そして、出来れば、他の国がこれ以上の原爆を持つことに抵抗します。だって、他の国の武力が高まるほど自国の武力の相対的な威力が減るわけですから。

つまり、最後は武力による問題解決しかないだろう、と考えている限り、原爆の廃棄が行われることはないし、新たに原爆を持つ国が出ることを簡単に認めることはない、っていうのは傲慢な人間の心理として当然の帰結ではないかと思います。
しかし、原爆保有国は保有している危険についての認識が欠乏しているのではないかと思いますねぇ、その爆弾は他国に向けて打ち込まれるのではなく、自国に不満を持った男が安全装置を解除してスイッチを入れることで自爆してしまう可能性が最も高いでしょう。

If You Love Me (Really Love Me)
https://www.youtube.com/watch?v=lYjqtYBDmFk

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デイビッドとソロモンの王国???

タイトルの「デイビッドとソロモンの王国」を見て、いつ頃、何処にあった、どんな男達の王国かを思い描くことが出来たあなたは間違いなく物知りだ、と私は太鼓判を押します。私などは「ソロモンと言えば「ソロモンの秘宝」とかいう歴史冒険物語が子供の頃にあったかな?」程度の記憶しか持ち合わせがなく、ましてやデイビッドの王国となるとイメージすら浮かんできません!

今回のブログはYoutube「Kingdom of David and Solomon(2008年)」に私がWikiで調べた情報を加えた大作です!!!大作、つまり長いぞ!映像が沢山あるぞ!ってことですが、加えて、旧約聖書が生まれた経緯、現在のイスラエルの首都エルサレムの歴史、はたまた放浪の民イスラエル人について、私と同じ仏教徒の皆さんなら馴染みの薄い史実を含んだ、それはそれは、やっぱ大作としか言いようがないブログになるはずです!

ということで、これから1時間ほどお付き合い頂けない方には、ブログの内容が理解できないかも知れないし、私のいつもながらの回りくどい解説を読んで誤解するかも知れない、ということを予めお断りしておきます。実はYoutubeのストーリー展開も時代が進んだり戻ったりして進行するので、何度も繰り返して見た私でさえ、話のどこが始まりでどこが終わりなのか混乱気味で、ましてやその私が纏めたブログとなれば、皆さんは更に頭を悩ますことになるのではないか、と心配です。

さてさて、いつも通りの長~い前置きになってしまいましたが、このブログを読んでみてもいいよ、という寛大な方に、出来るだけ正確に理解して頂けるよう、Youtubeフィルムの紹介の前にWikiから得た基礎知識をご紹介しておきましょう。

まず一つ目の基礎知識です。
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なになに?この彫像は何だ?誰だ?
これはルネッサンス期のイタリアの巨匠ミケランジェロが作ったと言われるダビデ像です。何故、これを紹介するかというと、この男こそが正に今回の主人公「デイビッド」だからです!ダビデ、すなわちデイビッドDavidで、決してギリシャ神話の神ではなく、旧約聖書に最も頻繁に出現しているイスラエル人なのです!

デイビッドは農夫の息子でした。
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当時、デイビッドが暮らしていたイスラエル人の国はソールという名の王が統治していましたが、実に手の付けようの無い困った男で、神は彼のことで頭を痛めていました。ある日、ゴリアテという名の巨大兵士がやって来て「俺と一対一で戦う勇気のあるものはいるか?」と問い質した時、立ち上がったのはデイビッドだけでした。彼はたった一発の投石でゴリアテを仕留めます。すると彼の名声はイスラエル中に広がりました。王ソールはデイビッドに嫉妬し、何度も殺そうとするのですが結局デイビッドにしてやられます。そしてソールが死ぬとデイビッドはイスラエルの王になります。

もう一方のソロモンはというと王デイビッドの息子です!従って「デイビッドとソロモンの王国」は、この2人の親子が造り上げた国のことです。それはどこに、いつ頃あったと思われる王国で、実在していたのか?について史実、遺跡、証拠書類を辿(たど)りながらYoutubeフィルムのストーリーが展開していきます。

2つ目の基礎知識は「神殿の丘Temple Mount」です。
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ヨルダン領の東エルサレムにありますが、イスラエルが実行支配しています。
東西約2百m、南北約3百mの長方形の石組みの壁で囲まれた丘の中央には金色のドーム「岩の神殿Dome of the Rock」があり、その手前にアル・アクサー・モスクAl-Aqsa Mosqueが、そして丘の西側、写真では左側、の石壁(写真では壁の位置はわかりますが西壁自体は死角で見えていません)は「嘆きの壁Wailing Wall」と呼ばれる所です。

「岩の神殿」の中にはその名の由来となる大きな岩があります。
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言い伝えによれば、神ヤハウェYahwehの指示に従ってエイブラハムAbrahamは息子のアイザックIsaacを生贄に捧げようとしました、この岩の上で!

アル・アクサー・モスク(「遠隔のモスク」つまりメッカから離れているモスク、の意)はイスラムの預言者ムハンマドMuhammadが天馬ブラークに跨(またが)って昇天したことを記念するために造られました。

つまり、神殿の丘「Temple Mount」は3つの宗教、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教、の聖地なのです!

まだまだ必要な基礎知識が沢山残っていますが次で最後としましょう。
3つ目の基礎知識は「エイブラハムAbraham」です。彼については別のYoutubeフィルムからご紹介しましょう。
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このフィルムも3回ほど見ましたが大幅に端折ってご紹介すます、ご容赦下さい。

デイビッドやその息子ソロモンが造った王国を滅ぼしたバビロニア軍は、イスラエルの民を奴隷としてバビロンに連れ戻ります。バビロンに幽閉されたイスラエル人はバビロニア人に内緒で聖書の原典「ヘブライ語聖書」すなわち旧約聖書、を編纂(へんさん)します!!!

懐かしい故郷イスラエルに戻りたいという気持ちから、昔からあった原典の中にバビロンで創作した作り話を加えました。その作り話の一つはエイブラハムの物語です。

“イスラエル人のエイブラハムは、父が崇拝する多神教の神を受け入れることはできなかった。彼にとって信ずるべき神は一人ヤハウェだけだ。ある日、その神が彼に次の様に告げた。”
「私が指示する場所、つまりお前の国に行け。そこを、お前とお前の子孫たちのための偉大な国にしてあげよう。」
「私はお前を祝福する者を祝福する。お前を呪うものを呪う。地上の全ての人民はお前によって祝福されるだろう。」

神は、エジプトの近くの「テイナ」と言う所にエイブラハムを導き、そこで彼を試します。
「エイブラハム、エイブラハム。お前のただ一人の息子アイザックを、私が指示する山の上で火の中に入れて生贄にせよ。」
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山の頂に着くと祭壇(これがエルサレムの「岩のドーム」の岩ということになります!)を整え、火を燃やし、「ナイフで殺してから」と息子に手を伸ばしました。すると神の使いの天使が彼に呼びかけます。「エイブラハム、エイブラハム。息子を手にかけてはならない!お前が神を恐れ敬っていることが判った。私が準備する子羊を息子の代わりに生贄にせよ!」エイブラハムが辺りを見ると近くに羊がいました、神が放った子羊です!!!その羊を石の上で殺して、神に肉と血を捧げます。

エイブラハムが神に従う確証を得た神は彼に確約します。「お前の信仰心を讃えて、お前に多くの祝福を与えよう。星の数ほどの子孫繁栄を与えよう。」
こうしてエイブラハムの遺伝子を持った人々が沢山産まれることになってイスラエル人が出現することになった、という壮大な叙事詩というか作り話とも言える物語が出来上がるのです!!!

ノアの箱舟の話もエイブラハムと同時期に旧約聖書に盛り込まれた叙事詩というか作り話です。既にブログでご紹介していますので省略しますが、もしご存知でなければ3月30日公開の「ノアの箱舟の不思議」をご覧ください。

さて、この辺りで長い長~い前置きを終えて本題のフィルムの紹介を始めましょう。
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「デイビッドとソロモンの王国Kingdom of David and Solomon 」
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ヘブライ語聖書の中で最も頻繁に現れる人物はデイビッドだろう。彼はエジプトからメソポタミアまで広がる王国を築き上げたと記されている。王国の首都はエルサレムだ。
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ヤハウェ(神)とイスラエル人の間の契約で、デイビッドとその子孫はこの地を永遠に支配することが認められていた。デイビッドの息子ソロモンはヤハウェを祀る寺院を建てた。寺院があった場所は、今は「イスラエル国State of Israel」が保護している。
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聖書によれば、その王国は神により創られた統一国家だった。
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数百年の間、デイビッドとソロモンが造った王国の痕跡を求めて考古学者たちはエルサレムの発掘を行っている。
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しかしエルサレムでの遺跡発掘には異論が多い。何故なら、この町は現代の3つの唯一神宗教の聖地だからだ。
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神の御子(みこ)キリストはこの地で活動し、埋葬された。
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イスラム教の預言者ムハンマドは尊い巡礼で訪れた。
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ユダヤ教徒にとっては彼等の先祖のデイビッドやソロモンが暮らした所だ。
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そのことはちゃんとヘブライ語聖書(旧約聖書とも呼ばれる)に記述されている!
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3つの宗教の聖地として手が付けづらいエルサレムで、何とか許可を得てデイビッドとソロモンの王国を探し求めて発掘を続けている考古学者がいる。エイラット・マザールだ。
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この辺りでは数千年に渡って破壊と再建が繰り返されてきたので、当時のまま残る遺跡を見つけるのは至難の業だった。
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しかし、幅3m、長さは発掘した範囲で30m、の壁が見つかった!
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大きな建築物の一部分だ。「王国の城壁に違いない!」と彼女は考えた。
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(CGで宮殿一帯を描き上げていきます。上の写真の右上には神殿の丘にあるアル・アクサー・モスクのドームが見えています。)
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城壁に囲まれた王宮だとしても、本当にデイビッドの王国なのだろうか?
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そうだとしたら紀元前1千年頃に建築されたものでなければならない。
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しかし、石の壁だけでは建設された時代を特定することは出来ない!
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土器が見つかるとある程度の年代は把握できる。
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土器による年代特定には2つのアイデアがある。
一つは形による特定だ。同じ形なら同じ時代のものだろうとの推定が成り立つ。
もう一つは埋められていた地層(stratum)による特定だ。深い所にあるもの程、古い時代の土器だと考えて良いだろう。
この2つで相対的な年代比較が可能だ。考古学者がいう比較年代測定法だ。
しかし・・・
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しかし・・・どちらがどのくらい古いかという相対的年代は判るが、絶対的年代、つまり何年前のものかを特定することは出来ない!

この問題を解決しようと、聖書考古学の父とも言われるオーブライトは、聖書やエジプト、メソポタミアのテキストを参照して、土器の形で凡その年代を知る手法を整備した。
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彼の年代推定法は後継者達によって少しずつ改善されながら考古学者の間で使われるようになっている。
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エイラットは、発掘場所で、この近辺のものではない赤と黒の土器を見つけた。オーブライトの年代推定法によれば紀元前1千年頃の典型的な土器だった!
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ということは、エイラットはデイビッドの王国を掘り当てたのだろうか?
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彼女は主張する。「発掘中の建物は大きい。エルサレムでも最も古い場所に造られている。それにオーブライトの土器年代推定法によれば紀元前1千年頃の遺跡だ。デイビッドの王国の跡に違いない!」
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エイラットの主張は土器の形による年代推定を重要な拠り所にしている。つまり聖書の記述が正しいと認めた上での推定だと言い換えることが出来る。

しかし、考古学者の多くは聖書にかかれた事が全て正しいとは考えていない!土器の形や地層の順以外の、もう少し信頼性の高い年代特定がなければ、科学的に導かれた結論だと見なすことに抵抗がある。
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土器より信頼性が高い年代特定方法はある。カーボンデイティング(放射性炭素年代法)だ!
女性学者エリザベッタはイスラエルの20か所以上の場所で見つけた種子や炭などのサンプルでカーボン・デイティングを行った。
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土器と一緒に種子や炭などが見つかれば、土器と年代との関係が特定できる!
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その結果、エイラットが見つけた土器はデイビッドの70年後頃のものだと判明した!古い昔のことなので、70年という違いは無視できる。この結果、城壁はデイビッドのものだという可能性が出て来た!

古代タピー・アルファベットが書かれた石が見つかった。
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デイビッドとソロモンの時代のものだ。やはり、ここが彼らの王国か?
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しかし、もしそうだとすると聖書(ヘブライ語聖書)で書かれた王国のサイズと比べてあまりに小さい!
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これではエルサレムは首都というよりも田舎の町のようだ。
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しかし、話はそんなに単純ではなかった。
他の考古学者が発見した種子のカーボン・デイティングによって、タピー・アルファベットの石が紀元前10世紀頃の物だと判った。
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誤差±30年を配慮しなければならないが、デイビッドの王国の可能性が高まってきた。
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幸運にも聖書(ヘブライ語聖書)は王国の存在の確認に関する別の記述を含んでいた。
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神は、デイビッドが建国し息子ソロモンがこれを堅固に造り上げるよう指示を与えていた。
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「これがソロモンに課せられた仕事の目的だ。すなわちヤーウェイ(YHWH神)の神殿、エルサレムの城壁、・・・」
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「ハッツァーHazar、メギッドMegiddo、ゲザールGezerの城壁を造ることだ。」

ここがハッツァーHazorだ!ソロモンの建設計画の一つだったはずの場所だ!
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記述にあるように門は6つの部屋を持っていた。
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聖書に記された3つの門は相次いで発見された!
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みんな似た構造だ!同じ王国の門だったと考えて好いのではなかろうか?
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ということは、3つの門で守られた広大な王国があり、エルサレムの王宮がその中心だったと考えて好いのではないだろうか?

しかし、それがデイビッドやその息子ソロモンの王国だという確信を得るにはどうすればよいのだろう?その答えのヒントはエジプトの遺跡に残るヒエログリフに見つかった。
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シィシャックという名の第22代エジプト王朝のファラオの戦いに関する記事があった。イスラエルにも侵攻した王で、そのことは聖書の中に記録されていた。
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「レホボーン王の5年目、エジプト王シィシャックはエルサレムに進軍し、神殿と王宮にあった宝物の全てを持ち去った。」

エジプトの年表によれば、侵攻した年は紀元前925年だ。聖書の記事の年代がこれで現実の年代と関係付けられた。つまり、ソロモンが死んだのは、エジプト軍の侵攻の5年前で紀元前930年ということだ。
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このことから、デイビッドとソロモンという2人の男たちが紀元前10世紀に生きていたことの明確な証拠が一通り集まったとも言える。

エジプトの壁に彫られたヒエログリフには別の事実も見つかった。シィシャックが征服した場所についても記述があったのだ!
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その一つはゲザールGezerだ。1960年代にイスラエルで発見された。
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ソロモンが造ったと言われる、6つの部屋を持つ3つの門の一つだ。

もう一度よく調べてみよう。下の石はしっかりしている。中間の石灰石は少し脆(もろ)そうだ。一番上の石は熱で溶けて崩れた様になっている。
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紀元前925年にシェシャックによって火責めにされた門だと考えられる。つまり火責めの5年前に死亡したソロモン王が造った門だと言っても良いだろう。

これだけの証拠が揃うと、デイビッドが造った南北に広がる広大な王国が紀元前10世紀に存在し、エルサレムがその中心だったという考えは信憑性がある!
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エルサレムは政治の中心であると同時に信仰の中心でもあった。そして、エルサレムの持つ不思議な力は、そこに造られた寺院そのものだったとも言える。唯一神ヤハウェを崇めるための神殿だ。
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一人の神ヤハウェの国、ユダヤ人の国、それがエルサレムを中心とする王国の骨格だった。
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当時のイスラエル人の信仰が今のユダヤ教と似ている点は少ない。
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一体、寺院はどんな構造をしていたのか?どんな儀式や祈り作法でヤハウェを崇(あが)めていたのか?
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当時のイスラエル人の信仰を理解するためには寺院の発掘調査が極めて有効だ。
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しかし、それは簡単ではない。寺院の跡地と考えられている場所は、イスラム教の第三の聖地で、岩のドームも含まれていて、発掘許可が取れないのだ。ソロモンの造った寺院の欠片すら今も発掘確認されていない。
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しかし聖書の中には寺院の構造について細かな記述があった。
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「ソロモン王がヤハウェYHWHのために建てた寺院は、長さ60キュービット、幅20キュービット、高さ30キュービットだった。」
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「建物内の聖なる場所に、ソロモンは2つのチェラビーンを造った、夫々の高さは10キュービットだった。彼はチェラビーンを金箔で覆った。」

この記述のレイアウトは別の場所に造られた、別の神を祀る寺院の構造と似ている!
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エルサレムの北数百Kmの、シリアのエイン・ダラAin Daraで発見された寺院。
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聖書に記されているソロモンの寺院と構造も大きさも似ている。聖書ではチェラビーンと呼ばれるスフィンクスの像もある!
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エイン・ダラに特徴的なのは、ここに棲(す)んでいた神の大きな足跡があることだ。
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この足の先に最も神聖な場所がある。
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これで、ソロモンの寺院がどんな様子だったのか、イスラエル人がどのように神を崇めていたのか、がかなり細かく推測できる。

寺院の前の広場には大きな祭壇があった。
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寺院に入ると神聖な場所Holy Placeがあった。
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その奥の階段の上には「最も神聖な場所The Holy of Holies」があった。2頭のチェラビーンも控えていた。
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そして、伝説によれば神の言葉が記されたタブレット(石板)が収められたArk of the Covenant(注)が置かれていた。
(注:Ark of the Covenant契約の箱。モーゼが神から与えられた十戒が刻まれたタブレット(石板)が入っていたとされる。)
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そこは世界で最も神聖な場所The Holy of Holiesだと考えられていた。そこで神の存在を見ることが出来たからだ!

イスラエル人は彼等の神ヤハウェが特殊な要求をしていたと信じている。その証拠は今もパレスチナのギャラジーン山で行われる生贄の儀式に残されている。ここの住民は自分たちこそイスラエル人の直系だと信じている。伝説によれば2500年前にイスラエル人が行っていたという生贄の儀式を今も続けている。彼らに言わせると、人間の世と神の世を結び付ける儀式だ。その儀式に必要なのは血だ。血こそ生命そのもので、最も神聖なものだ。
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当時、少なくとも説教者たちは神ヤハウェに忠実であり続けたようだが、他のイスラエル人たちもそうだった、というわけではなかったようだ。イスラエル人住居遺跡からは当時の信仰の対象とされていた像が見つかる。
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豊潤を約束する女神の像だ。この像は豊潤の証(あかし)の子供を抱いている!

この、ヤハウェではない、異教徒の女神は誰だ???

それは1968年に明らかになった。南イスラエルの墓から見つかったタブレットに彼女の名が書かれていた。「ヤハウェ」と併記されていた。「アッシャラ」だ!
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拡大してみると良くわかる。
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アッシャラの像はイスラエルのあちらこちらで見つかった!多くの考古学者はこれがアッシャラの顔だと信じている。
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神ヤハウェの女房だ!数百年もの間、唯一神ヤハウェへの信仰は裏切られていたのだ!
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ボブと言う名の神も信仰されていたようだ。
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エイブラハムによって「ヤーウェイこそがイスラエル人の唯一の神とされねばならぬ」と定められていた。
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そしてモーゼの教えにもあるように、ヤハウェだけを信仰することをイスラエル人は神に約束していた。

しかし・・・
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「私(神)が彼等(イスラエル人)に呼びかければ呼びかけるほど、彼等はバール(異教徒の神)に献身し偶像(idols)に焼香している!!!」

イスラエル人は神と別の約束もしていた!「もし教えを守れば神は彼等を祝福し、裏切れば神は彼等を罰するであろう」と。

偶像や異教徒の神を信仰し続けていた報(むく)いだろうか。神ヤハウェは、イスラエルの外部にある力や武器を使ってイスラエル人を罰することにしたようだ。王ソロモンが死ぬと北の10部族が反乱を起こし、王国は南北に分離した。
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その後、ヤハウェに約束された土地はアッシリア人の巨大な国に飲み込まれてしまう。
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紀元前722年、アッシリア軍は北のイスラエルを滅ぼした。
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住民は南のイスラエルに逃げた。
その中の一人ジョサヤ王はエルサレムの寺院で聖書を見ることになった。
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そこには「神ヤハウェを裏切ると罰が与えられる!」とあった。
ジョサヤ王が見たのは恐らくドドラノミーと呼ばれる聖書だ。Dライターとも呼ばれるスクロールだった。
(mh;ヘブライ語聖書と呼ばれる旧約聖書の元になったのは、それ以前に書かれていたテキストです。そのテキストにはいくつかあって夫々にドドラノミー(Dライター?)やらEライターやらPライターやらあるようです。恐らく、それぞれが異なる内容の教えを含んでいて、これら全てを編纂し、ついでに新しい創作話を追加して出来上がったのがヘブライ語聖書、つまり旧約聖書です。)
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神とイスラエル人との契約を詳しく記載したものだ。
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「お前たちは私(神)を愛さねばならない、なぜなら私はイスラエルを愛しているからだ。」神はイスラエルを愛する見返りとして絶対的な忠誠心を要求していた。

「神ヤハウェを裏切ったからこんなことになってしまったのだ!」と王ジョサヤは怒り、イスラエルにあった全ての像と寺院を壊すように命じた。
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神とイスラエル人との約束事は十戒にも明記されていた。
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「私はヤハウェ、お前たちの神だ。お前たちは私以外の神を崇拝してはならない。
偶像を造ってはならない。偶像に礼拝したり偶像を崇拝してはならない。」
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この十戒はジュジュラノミーとエクセディスの2つのバイブルに記されている。
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それは神との約束であると同時に人々の行動規範だった。そしてこれが西洋文明の理想的行動基準にもなっていった。

しかし、このような約束や規範があったのにもかかわらず、古代イスラエル人は他の神を信じていたのだ!

アッシリアに打ち負かされた後の紀元前568年、今度はメソポタミア軍がイスラエルに侵攻してきた。
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バビロニア軍は神聖な都市エルサレムを破壊し焼き払ってしまった。
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そしてイスラエル最後の王サヤカヤを捕え、目を潰してしまった。
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とうとう、神ヤハウェとイスラエル人が交わした約束は崩壊してしまうことになった。永遠に続くはずだったデイビッドとソロモンの王国は建国から400年後に消滅してしまったのだ。
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バビロニア人はイスラエル人を鎖と縄で縛り、奴隷とすべくバビロニアに連れていった。
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楔形文字で残されたバビロンの記録によれば、聖職者も王も、イスラエル人は全てバビロニアに追放されたとある。
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寺院も王も土地も失ったイスラエル人は、どうしたら生き残れたというのだろう。
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しかし・・・寺院に収められていた重要な書類、スクロール(巻物の経典)、はイスラエル人説教者などによって火事の中から持ち出され、密かにバビロニアまで運ばれた。

そして物語は消失を免れたスクロールに記述されていた内容から始まる(???)。
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推定によれば、イスラエルからバビロンに連れてこられた説教者達はバビロンで聖書の編纂を始めた。これがヘブライ語経典と呼ばれる聖書だ!
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Jソース、Dソース、Eソース、これらを編纂しなおしてPソースが出来た、トーラと呼ばれる最初のバイブルだ。
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単に編纂するだけでなく、エイブラハムの物語も、神との約束も追加した。
(mh:神がイスラエル人に土地を与える、という約束事はバビロンに連れて行かれてから創作されたものです!!!ってことは、それまで暮らしていたイスラエルは約束でもらった国ではない、ってことになります。この辺りから話は混沌とし始め、タイムマシンで昔に戻っては歴史を塗り替える作業を繰り返す、捉えどころの無い物語と化していくのです。)

「お前はお前の肉を捧げねばならない。それが私とお前の契約の証となるであろう。」創造記17章。
この一節を記すことで、バビロンに幽閉されたイスラエル人は自分たちが選ばれた民である、という特殊性を確認しあったのだろう。
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エイブラハムが息子を生贄にしようとした話は信仰の力を表現したものだ。Pソースでエイブラハムがバビロニアの首都バビロンよりもユーフラテス川下流の町ウルUrで生まれた、とされたのは単なる偶然ではない。
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バビロンに幽閉されていたイスラエル人は、生まれた土地に帰ることを夢見て、エイブラハムという男を創造し、彼をして神に約束された自分達の土地イスラエルに帰る物語を創作したのだ。
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紀元前6世紀、バビロンのイスラエル人の間で、この物語は強力な影響力を持ち始めた。かつて(?)彼等のために行動してくれた神は、もう一度、立ち上がってくれるのではなかろうか?

彼等はイスラエルに戻る話が書き込まれたテキストをみんなで読み合った。
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生まれ故郷から遠く離れても、王や寺院や土地や宗教指導者が無い今でも、神を尊敬し崇拝し、神との契約を守ることを誓い合った。これはユダヤ教の起源となった。幽閉されていた間に新しい宗教が生まれることになったのだ。

そうしてヘブライ語聖書の最初の5巻(注)が完成した。
(mh注:律法(トーラー)5巻。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)

この経緯はもっと古い証拠によって裏付けられることになった!?
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もっとも明確な古いバイブルは「死海スクロール」だ。1947年、死海の近くの洞穴で羊飼いが偶然、見つけた。
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暑く、乾燥した砂漠だったので、長い間、そのままで保存されていたのだ。49巻あった!
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羊の革やパピルスで造られたスクロールだから永い年月をかけて編集されたものだろう。
調べたら紀元前2世紀のものだった。イスラエル人のバビロニア幽閉から300年後だ。
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幽閉される前にイスラエル人がイスラエルで暮らしていたという事実がもっと確実に証明されなければ、イスラエルと言う国や、イスラエル人という人々の存在すらも疑わしい、と考える考古学者もいた。
「彼等はイスラエルという国があったという物語を創造しただけではないのか?」

エルサレムの古い修道院で新たな発見があった。
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紀元前7世紀ジョサヤ王の時代につくられた洞窟が見つかった。最初、ひどく荒れていたので大きな期待は持たれていなかった所だ。

ある日、ボランティアで発掘作業を手伝っていた13歳の少年が洞窟の床を叩くと一部が崩れ落ちた。床ではなくて天井だったのだ!
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下の床に煙草の吸殻(すいがら)のような小さなものがあった!
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長さ25mm、直径12mmの小さなものだった。銀で造られていることが直ぐ判った。結局2つ見つかった。それらは小さなスクロール(巻物)だった。
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イスラエル博物館の研究室に持ち帰り、慎重にスクロールを広げてみた。
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何かが書かれている!
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神の名のようだ!
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ヤハウェという名が確認された!
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ヘブライ語聖書の一部だ!
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「神をしてあなたを祝福し支えさせん。神をして、その顔を輝かせ、あなたを讃えさせん。神をしてあなたの前に立ちあがらせ、あなたに平穏を与えさせん。」
最も古い聖書の一つに書かれている内容と同じだ!紀元前7世紀の陶磁器に書かれていた記載とも同じだ。死海スクロールより4百年前のものだ。
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つまり銀のスクロールに書かれているヘブライ経典、はイスラエル人がバビロンに幽閉される前のジョサヤ王の時代に書かれた経典の内容と同じだと考えられる。
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やはり、トーラといわれる最初のバイブル(ヘブライ語の経典)はバビロンに幽閉されていた人々が編纂したと考えて好い。
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ヘブライに幽閉された彼等は厳しい現実に立ち向かわねばならなかった。毎日、悩んだ。「何故バビロニアで辛い生活を送らねばならならぬ羽目に陥ったのだろう?何故ヤハウェは我々を見捨てたのだろう?」
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もし別の神を崇拝する王国に打ち負かされたとすれば彼等の神の方が力があったということだ。とすれば自分たちの神を見捨てて彼等の神を崇拝すればよい。しかし生き残ったイスラエル人はヤハウェを敬い続けた。そして、このような悲劇が起きることになった原因はなんだったのだろうか、と苦しみ続けたのだ。
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そこで、イスラエル人は多神教を捨てることを決めたのだ。考古学的証拠がこれを裏付けている。偶像はイスラエルの遺跡で沢山見つかっていた。
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しかし、王国が破壊されると、この信仰は完全に消滅していた。
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バビロニアへ連れていかれて以降、現在の神の概念が生まれることになった。
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一つの国、一つの民のための神ではなく、宇宙全体の神の概念が造られたのだ。
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紀元前539年、バビロニアはペルシャ帝国に吸収される。
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各民族の文化や宗教に寛大なペルシャ帝国の下で、ヤハウェの信仰は公然と町の通りでも語り始められた。
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その説教者の中にエズラという男がいた。彼はイスラエルに戻ると朝から晩まで、通りに出ては人々に聖書を読み聞かせた。人々は神の言葉に魅惑されていった。イスラエル人の追放生活は終焉を迎えたのだ。

このバイブルはヘブライ語聖書となり、現代では旧約聖書として30億人の神聖な聖書になった。旧約聖書は新しい宗教を産んでいったのだ。

イスラム教・・・
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キリスト教・・・
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ユダヤ教・・・
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イスラエル人の神ヤーウェイは3つの宗教の唯一神になった。経典の教えから、現在のモラルと正義は生まれた。
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そうして、3千年前の物語は今も続いている。
(完)
Kingdom of David and Solomon DISCOVERED - Scriptures In The Bible Documentary(2008)
https://www.youtube.com/watch?v=4mKWrIVLNpI

聖書には旧約聖書と新約聖書があります。今回のフィルムはヘブライ語聖書とも呼ばれる旧約聖書の誕生を紹介しています。もう一つの聖書、つまり新約聖書は、キリストの生涯と言葉(福音)や教会の歴史、教会指導者たちの書簡で構成されていて、ギリシャ語聖書と呼ばれています。紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれました。

なお、ユダヤ教はヘブライ語聖書しか認めていないため、新約聖書と区別する旧約聖書という言葉を使わないようです。つまりユダヤ教徒にとってはヘブライ語聖書だけが唯一の聖書で、新約聖書はキリスト教徒が勝手に創ったものだ、といことでしょう。

いやはや、旧約聖書がこのように複雑な経緯の中から2千5百年も前に生まれた物語だとは今回、初めて知ることになりましたが、どこの国でも神を建国の祖に祭り上げる発想はあるようですねぇ。エジプトも神が支配していて、神の子のファラオ、つまり権力者、は神だから国民を統治する権利がある、とか、日本の天皇も天照大神の血統で神の子だから日本帝国のリーダーだ、と言われていました。こういう話を聞くにつけ、神話とか神様というものは、その時の統治者達が、自分たちの権力を正当化するために編み出した方便という気がしてなりません。

そこへいくと我が尊敬するお釈迦様は偉いですねぇ、統治者だった王家に生まれたのに、特権を捨て、人間の幸せとは何かを求めて修行して悟りを開いたんですから。私は断然、神様や聖書に書いてあることより、お釈迦様の教えを信用することに決めてます。
(完)

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mh徒然草37:人間の「異常行動」

5日前の3月24日、ドイツ格安航空会社ジャーマンウイングスのエアバスA320がフランスの山に墜落し150人が一瞬にして命を捨てることになりました。事故から5日後の今日、副操縦士が酷い鬱病で乗客を道連れに自殺したことが墜落原因とほぼ確定しました。世界にショックを与えたこの種の事故の再発を防ごうと、コックピットのドアの遮蔽方法や、2名体制で操縦中に1名がコックピットから離れる時は、別の1人を内部に入れる規則を導入する、などの対策が検討されているようです。

このような、直ぐに実施できる応急対策は必要だと思いますが、効果は少ないでしょう。というのは、操縦士の一人が飛行機を墜落させようとしたら、隣に人がいたって墜落させる方法はいくつもあると思われるからです。むしろ完全自動操縦にした方がましかもしれません。

今回の事故で改めて、世界は混沌としてきたなぁと思いました。個人の意思が尊重され、能力差による貧富差が当然視され、開放的で多様な生活スタイルが定着してきて、落ちこぼれや利己主義的な人は増え、彼らが武器を入手したり、自暴自棄になったり、国家権力を握ったりすることでトラブルは起きやすくなりました。このような社会を創り出したのは私たち人間であり、問題を起こすのも私たち人間です。

昔、システム・ダイナミックスという発想がありました、今も研究されているかも知れません。システム、つまり我々が生活している社会、はダイナミックに動いている。その動きに影響を与える要素は何か、それらはどんな条件下でどう影響し合うのか、更には、要素自体の変質、分裂、統合はどんな条件下で起こり得て、その結果はシステムをどう変えていくのか。これをコンピュータで分析し、未来予測しようという考えです。

例えば、世界中の人々の個人情報や行動様式をコンピュータに入れ、これらの人々で構成されている社会が1年後、2年後、どうなっているのか、を予測しようという発想です。

コンピュータやそれを操作する人間の能力は限界がありますから、60億人の細かなデータをコンピュータに入力することなど出来ないし、仮にできても、何が何にどんな効果をどのくらい与えるか?その結果、システム(社会)がどう変わり、それが再び個々人にどう作用しどう変質させていくか?といったアルゴリズム(論理式)やプログラムを創ることは容易ではないので、結局はプログラムを創り出す人の能力が及ぶ範囲に社会システムを単純化するしかないのですが、このシステム・ダイナミックスを使って世界情勢や経済動向の予測が可能になったという話はまだ聞いていません。気象予測はスーパーコンピューターでかなりの精度で行えるようになりましたが、社会は人間という、発想と行動が理解困難な動物が関与しているのでスーパーコンピューターをもってしても予測不能です。

移動手段や通信手段の発達で世界は小さくなりました。国の垣根も低くなりつつあります。この影響もあって価値観や思想の多様化も進んでいます。その結果、相違は拡大し、紛争が起き易くなることが想定されます。世界のどこで起きる紛争であれ、それは進む国際化の中で、誰もが無関係ではいられないし、無関心でいては良い結果が得られるとは思えません。ならば何をするか?

システム・ダイナミックスではありませんが、世界の60億人もの人によって世界情勢が決まるのですから自分一人が何かしても世界は変わらないと考えて何もしない、つまりは何が起きてもそれに従う、受け入れる、としたら、それは自分の考えで社会を変えることを放棄することに他なりません。こういう人は何が起きても愚痴など言わず、粛々(しゅくしゅく)と従わねばなりません。(話が飛びますが、昨日4月5日、菅官房長官と沖縄の翁長県知事の初めての会談があり、翁長さんは「官房長官が粛々という言葉を使えば使う程、沖縄県民の心は日本政府から離れていくのですよ。」と言っていましたが、まさにその通りだと思います。菅さんは沖縄県民の気持ちを無視しているか、理解する能力を持っていないか、のいずれかでしょう。)

しかし「世の中がどうなっても受け入れるから私は何をするつもりもないよ、何をしたってどうせ価値は無いし」と考えるのは、世の中を自分の思い通りにしたいと画策する人を増長させるだけですから、癪(しゃく)ですね、私は!そこで私は、出来る範囲で、合法の範囲で、自分の思いに沿わない社会に歯向かうことにしています。なぁに、大それたことをするわけではありません、嫌な政党とは別の主張をする政党に、老齢の政治家よりも若い政治家に投票する、っていうだけの話です。

ところで、今回の話はドイツの航空機の副操縦士の身勝手な自殺で罪も無い大勢の乗客が死ぬことになったが、このような不幸が二度と起きないようにするにはどうしたらよいか、を考えてみることから始まったのですが、話があちこち飛び過ぎました。ここで強引にまとめたいと思います。

個人の力が作用しあって世の中が動いている。しかし個人の力は小さいから、世の中がどうなろうが何もせずに全てを受け入れる、という以外の選択肢として何があるのか?ということになります。

突然の結論で付いて行けないよ、と言われるかもしれませんが、世の中を棲み易くするには困っている人を減らす必要があると思います。そのためには、困っている人に手を貸すのは当然として、困っている人が自立できる援助をすることが一番効果的だと思います。自立した人が多い社会ほど安定した社会で、依存しないと生きられない人が多い社会ほど不安定だ、という考えです。

で、困っている人が自立するのを手助けする方法は何か?これはいろいろありますが、まずは困っている人が何で困っているのかを知ることですねぇ、言うまでもないことですが。つまり、困っている人に対する関心を持つ、その関心の度合いを深める、ということだと思います。

さてさて、いつものように締りのない結末になり恐縮です。墜落事故を起こした副操縦士には親身になって相談にのってくれる人がいなかったのではないか、と思うと返す返す残念です。事故で亡くなられた方々に哀悼の意を捧げ、終わります。

John Denver Take Me Home, Country Roads
https://www.youtube.com/watch?v=oTeUdJky9rY

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パラオの失われた種族

パラオ(パラオ共和国)は東京から南に3千Km、フィリピン諸島から東に9百Kmの太平洋に浮かぶミクロネシアの島国の一つで、珊瑚礁の国、南国のパラダイス、という代名詞がぴったりです。
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人口は2万1千人で、凡そ250ある島のうちの大きな島に集中して暮らしているようですが、ほとんどの人はコロールという町の近くに住んでいるようです。
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16世紀、まだ国の体系を整えていない太平洋の島々にヨーロッパ人がやってきました。パラオは、1885年にスペイン植民地になり、搾取やヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘のおかげで島民数は90%減少したとのこと!!!

その後、スペインからドイツに身売りされましたが、1914年に始まった第一次世界大戦でパラオに派遣された我が(!)日本帝国海軍が敵国ドイツ軍を降伏させると、日本の統治下に入りました。
昭和18年(1943年)、パラオの中心コロール一帯に住む人は33,960人でしたが、日本人25,026人、朝鮮人(朝鮮半島出身日本人)2,460人、パラオ人先住民6,474人、他にスペイン人・ドイツ人宣教師18人、とのことですから、4人に3人が日本人で、日本は完全にパラオを乗っ取ってしまいました。欧米や我が国の身勝手な植民地政策が終わってまだ百年経っていませんから、ウイグル人やチベット人の国に漢人を送り込んで名実共に完全統治しようとしている中国共産党は「ヨーロッパや日本の植民地政策を継承しているだけで、他国から非難されるのは筋違いだ」と考えるのも無理からぬところがあります、勿論、悪いことなのは間違いありませんけれど。

日本の委任統治領時代のコロール
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太平洋戦争で日本が敗れるとアメリカが統治し、1994年、晴れて独立してパラオ共和国が生まれ、今に至っています。

今のコロールの拡大衛星写真です。
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町の大通りですが、意外に閑散としていますねぇ。
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世界遺産ロック・アイランドはコロールの南西10Kmにあります。
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Google Earthで見るとロック・アイランドにはコテージのようなものは見当りませんから、コロールに宿泊し、ボートで島々の散策にでかけ、場合に寄れば島の近くでスキューバ・ダイビングを楽しむというのがパラオの典型的な観光コースではないでしょうか。

インドネシア・ジャカルタに2年半ほど駐在していた時、高速ボートで2時間、ジャカルタの北数十キロのプラウ・スリブー(千の島の意)と呼ばれる島々の一つに行き、2泊したことがあります。島の周囲はせいぜい1km程度でしょう、15分もあれば浜辺を伝って一周できました。珊瑚礁に囲まれ、コテージがいくつか並ぶホテル、プール、珊瑚礁に突き出した桟橋、その袂(たもと)に建てられた大きなレストラン、が人工建造物の全てで、テレビは無く、日本から遊びにやってきた女房殿と、海で泳いだり、スケッチしたり、昼寝したり、近くの島にボートで行ってみたり、という、優雅というか、のっぺりとも言える時間を過ごしました。

しかし、南国の楽園、サンゴ礁の島、というのは、浜辺に寝そべって本を読んだり、夜は、場合に寄れば、フラダンスや火や槍を使ったダンスを見ながらの夕食を楽しんだり、星空観賞するだけですから、四六時中スマートフォンに触っていないと落ち着かない人にはお勧めできません。そのような現代人にはパラダイスではなく退屈至極な監獄だと言えるでしょう。

コロールがある島の北隣の、同国最大のバベルダオブ島には、首都機能をもつ場所、ンゲルルムッド(パラオ語: Ngerulmud)があります。
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そこには草原の中にぽつんと国会のような建物が造られています。
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しかしGoogle Earthで見る限り、住居のような建物は近くに見当りません。ひょっとすると国会も年1回程度しか開かれず、閑古鳥が鳴いているのではないかと邪推したくなる雰囲気です。

さて、いつものように長い前置きになってしまいましたが、いよいよYoutubeフィルム「Lost Tribe of Palauパラオの失われた種族」の始まりです。
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太平洋の小さな島に、これまで見たことも無いような人々が暮らしていた。
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体が小さく、顔つきが奇妙で、これまで見たことが無い種族だ。
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彼等は誰なのか?
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どんな方法やルートで絶海の島にやってきたのか?
そして、なぜ、急にいなくなってしまったのか?
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科学者たちと一緒に彼等の衝撃的な歴史を調べてみよう。
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2006年6月、アメリカ人の人類考古学者(paleoanthropologist)リー・バーガーは長期連休で太平洋に浮かぶパラオ諸島を訪れていた。
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最後の日、何か新しい発見はないかと、カヌーで小さな島の間を移動してみた。
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リーは興味あるいくつかの発見実績を持つ考古学者の一人だ。
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何かないか、と眼を皿のようにしていた。
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すると、現地人ガイドが幅100mくらいの小さな島の洞窟に案内してくれた。
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洞窟は木々で覆われ、蔦(つた)が小さな滝のように垂れ下がっていた。
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天井には雨水でできた小さな鍾乳石が張り付いている。
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ガイドは洞窟の奥にリーを連れていった。骨がある!リーは直ぐ気づいた「人骨だ!」
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ハンターが迷い込んで出られなくなり死んだのか?
それとも第二次世界大戦の兵士か?
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しかし彼は頭蓋骨が普通とかなり異なることに気付いた。厚いのだ!それに、広い鼻と小さな目・・・異常に平坦な顔の特徴だ!
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こんな人種は現在どこにも生き残っていない!
最も奇妙なのは頭蓋骨のサイズだ。現在の大人の平均より25%も小さい!
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数万年以上も昔の人類の特徴だ。これまで気付かれていない人種が生活していたのか?
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それとも突然変異(mutation)で生まれた人類か?

もっと詳しく調べたかったが、他の専門家たちと相談することが先決だ、と考えてアメリカに戻ることにした。しかし、早く戻ってこないと誰かに骨を持ち去られてしまう心配がある。この発見はとても重大な出来事かもしれないのだ。
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人類の進化は想像することも難しい多くの変化に富んでいる。
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2003年、インドネシア・フローレスで古代人が見つかった。
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ホベッツと呼ばれる人種だ。パラオの骨はその子孫かも知れない。
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ホベッツはピグミーのように小さいが、我々の祖先ホモエレクトウスの子孫であることは間違いない。1万3千年前まで生きていたと考えられている。
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このホベッツがパラオに流れて住み着き、繁栄したのだろうか?パラオは近くの大きな島から800Kmも離れている孤島の島国だ。人類が移り住んだのは最近で、ぜいぜい3~4千年前ではないか、と考えられていた。
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5つの大きな島を250もの岩でできた小さな島が囲んでいる。2万1千人が主要な島を中心に住んでいて、小さな岩の島の多くは無人島だ。
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もしホベッツだとしたら、どんな手段でパラオにやって来たのだろう?もしそうでないとしたら、なぜ、こんなに小さな人類の骨が残っていたのだろう?
見つかった骨が答えを教えてくれるかも知れない。
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6週間後、リーは、人間の進化に詳しい専門家などと共に再びパラオを訪れた。詳しく調査するためだ。
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8日間の調査の初日、リーは心配になっていた。骨は、盗まれたりせずに、残されているのだろうか?
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見つけた骨が人類の新種のものだとしても、科学的に証明されなければ価値は無い。
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ここで少し本題を離れますが、このフィルムに出てきた漁船の舷側や船尾に書かれている船名を見ると日本語の漢字や中国語の漢字が見受けられます。日本漢字の船は沈みかけていたので戦争前のものでしょうが、中国漢字の船(上の写真の3艘)は塗装状態も良いようですから現役の、中国からやってきた漁船団ではないかと思われます。としたらパラオの港に中国漁船が頻繁に来ているってことでしょうから、どうなんでしょうかねぇ?日本の漁港に韓国や中国の漁船が屯(たむろ)しているって話は訊いたことがありませんから、パラオは漁業権を中国に切り売りしているってことがあるんでしょうか?それとも、中国が、一方的に勝手に宿泊港として使ってるってことか?何の情報もないので考えても無駄なことでしょうが、気になります。

閑話休題!
調査チームはいよいよボートで問題の島に出かけることにした。島の周りは浅くて、満ち潮でなければボートは近づけない。
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今を逃すと半日以上待たねばならない。
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前回来た時の足跡を辿(たど)って洞窟に入っていった。
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骨は前に見た通りの場所に残っていた!いよいよ本格的な調査の開始だ!

昔は洞窟を覆っていた岩の天井は大半が崩落していて、広場のような場所が出来ていた。
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奥に行き止まりのトンネルがある(上の図の右上に細く入り込んだ部分)。その一番奥が、リーが初めて骨を見た所だ。

調査を始めて直ぐ、研究者チームは新たな発見をした。骨が広い範囲で見つかる!
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特徴的な骨を見つけた場所には黄色の小さな旗を立てていく。この様子だと8日の調査では調べきれそうにない!ここは大勢を埋葬した墓場か?それとも大量虐殺の場か?
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頭の額の幅は現代人より広く、眉の部分は突き出ている。古い人類の特徴だ。
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骨は全体的に小さくて子供みたいだ。本当に大人の人類なのか?新種なのか?それを知るためには、骨の年代を知る必要があるだろう。骨のサンプルをアメリカ・フロリダの研究所に送りカーボン・デイティング(放射性炭素年代測定)してみよう。いつ頃、もしかすればどんな理由で死んだのかが判る。

調査結果を記録し、後日の検討が容易に行えるよう、洞窟の形状をレーザー格子で3次元計測することにした。
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そしてこれをCG化し、バーチャル・ケーブ(仮想洞窟)を造る。
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第二の頭蓋骨が見つかった!鍾乳石で固まった床の中に潜り込んでいる。大人の頭蓋骨に子供の頭蓋骨が重なっているようだ!母と子供のものだろうか?
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この洞窟では子供から大人の骨まで見つかる。大きなファミリーが住んでいたのかもしれない。
見つかったどの骨からも、過去に例が無い程小さな人類だと確認できた。大人の身長でも120cmしかない。今なら概略5歳の子供と同じ身長だ!
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3百万年前の人類は背が低かった。3.5フィート(107cm)だ。
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この小さい人類が1万年前まで生きていたということは考え辛い。としたらどこかに問題があるのかも知れない。

人類の祖先で直立歩行したホモサピエンスはアフリカで生まれ、6万年前に移動を開始した。まずは中近東へ、更に西ヨーロッパへ、アジアを経由してオーストラリアへ。しかしパラオは移動ルートから孤立している。うまく説明できる仮説がない。
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多くの考古学者達は3,4千年前、記念碑的な航海の後にインドネシアの東の島からパラオに移り住んだのだろう、と考えていた。
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もしそうだとすると、考えていたよりも早い時期にパラオに移動していたことになる。
しかし大海を移動するボートが無く、保存できる食料も少ない昔、1週間以上をかけて海を移動してきたとは考え辛い。

研究者たちはまた重要な発見をした、歯だ!
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食生活と健康状態を教えてくれる。DNAも調べれば、どこから来た人類かもわかるかも知れない。しかし妙だ。頭蓋骨は小さいのに、歯は現代の大人並だ!
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ここで暮らしていた人類の外観が徐々に判ってきた!しかし、もっと正確に知るにはもっと多くのデーターが必要だ。
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メイン・アイランドの国立博物館に戻り、発見した骨の整理を開始した。
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調べていくうち、骨は古代の人類のものと似ていることが判った。いつ頃のものか知ることが重要だ。骨は年代測定のためアメリカに送られた。

同時に、これまでの人類とは異なるようだとも判ってきた。ホベッツとも異なる!
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小さくまとまった体、広がった鼻、細い目、を持っている、

しかし、骨にへばりついていた石灰石を取り除いてみると、意外に近代の人種と同じ特徴があることも判った。結局、たいした発見ではなかったのだろうか?
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しかし、骨が新しいということは、別の新たな発見をもたらす可能性もある。

調査3日目、これらの骨は古代人のものではない、と確信するに至った。近代に生きていた、未知の小型の人種だ。環境に合わせて体の特徴も変化していったに違いない、それも、恐らく我々科学者がこれまで考えていた以上の速さで!人類に想像以上の多様性があった証拠になる。
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カーボン・デイティングの結果を見ずに断言するのは早計だが、もしこれらの人々が3千年前に繁栄し西暦500年、つまり今から1千5百年前まで生き残っていたとしたら驚きだ!元々小さな人種が島にやってきたのか?それとも食糧事情の悪い島で暮らしているうちに小さな体になっていったのか?

魚や残飯(ざんぱん)のようなものしか食べることがでず、脂肪やタンパク質など、他の重要な栄養源が不足すれば体が小さくなる可能性もある。カロリーが不足すると体が小さくなっていく傾向があることは確認されている事実だ。

骨が小さいのは子供のものだからではないのか、という疑念もあったが、そうではなかったことが確認できた。顎(あご)の骨を調べたら親知らずWisdom Toothが無かったのだ。
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大人の骨で間違いない!他の頭蓋骨もX線で調べてみたが親不知は見つからない。やはり、小さな体の人類だったことは間違いない。

しかし小さな頭蓋骨と大きな歯の関係はどんな理論で説明つくのか?

人間が変化する時、歯の変化速度は体の変化速度より遅い!従って、大きな歯と体をもつ人類が、ある時期は体だけ小さくなっていることが考えられる。しかし、歯の変化が全く追い付かない速度で体は縮んでいくものなのだろうか?3,4千年前にこの地に来た人々が急速に変化した結果なのだろうか?
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3,4千年前、パラオの祖先達がこの地に移住してきた。当時、食料事情はきっと厳しかっただろう。
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従って、たった数百年で急速に体が小さくなったのかも知れない。としたらこれまでの科学常識を見直さねばならないが、その、考えられないようなことがパラオで起きたのかも知れない!

洞窟の調査は4日を残すだけになった。骨は壁に沿って並べられていたように見つかっている。洞窟自体が大きな墓場だったのかもしれない。
(下の写真はCGです。)
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しかし、その考えに問題があることは間違いない。墓場なら子供や老人の骨が多くて若者や壮年の骨は極めて少ないと考えて好い。また、伝染病や戦争などの異常な理由で大勢が死に絶えたなら、いろいろな年代の人骨があるだろう。この洞窟の骨の様子はまさにそうだ!つまり自然死した人々ばかりではないということだ。

どんな惨事が起きたというのだろうか?戦か?島の食糧が切れたのか?それとも侵略者が来たのか?オーストラリアやフィリピンから体が大きくて腕力も強い部外者がやってきて体の小さな人々を殺戮(さつりく)してしまい、その殺戮者が今のパラオの人々の祖先の可能性だってある。
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しかし洞窟で暮らす人々には侵入者よりも恐ろしいものがありそうだ、母なる地球だ!

例えば津波!大きな波が洞窟の人々を一飲みにしてしまったのではなかろうか?
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とすれば洞窟の奥に逃げ込んだ人々はみんな溺れ死んだことだろう。この考えは後日、検証すれば真偽を明確にできるかも知れない。

調査の最終日がきた。
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しかし、子供の顎(あご)が大人の骸骨に重なっている骨は岩にこびり付いていて取り出せずにいた。
完璧な頭蓋骨で今後の検討に重要なものだ。グラインダーで石灰石を切り、やっと岩から取り外した。
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チームは沢山の化石の宝を持ち出すことが出来た。戻ったらじっくり調査するのだ。DNAやカーボン・デイティングをすれば多くのことが判ってくるはずだ。
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リーはアメリカに帰る前に別の場所も少し調べてみることにした。
パラオには沢山の島や洞窟がある。多くの重要な情報が見つかる可能性がある。
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これまでの調査でいろいろ判ってきたが、まだ氷山の一角しか見ていないかも知れない。

見込みがありそうな洞窟がある、という情報が入ったので調べてみることにした。それは本島の反対側の海岸から6.5Km離れた島だ。
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別の島にも小さな人種が移動していた可能性はあるのか?
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もしここでも小さな人種の骨が見つかれば、新しい理論が出てくるかもしれない。
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前の洞窟と似ている。しかし、ここでは天井は壊れていない。完全な穴の洞窟だ。中は冷えていて骨は無いようだ。

いや、あった!化石化した骨で一杯だ!!!別の島でみつけた骨と同じだ。
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本島の反対側にも住んでいたのだ!!!そして、ここでも骨は洞窟の隅の壁際に集まっている!
完璧な頭蓋骨も見つかった。岩に挟まっている!
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これらの骨のDNAとカーボン・デイティングの結果が判れば新たな理論が確立できるだろう。
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リーはアメリカに戻った。そろそろ最初の洞窟の骨の結果が出る。

結果は予測とかなり一致していた。骨は全て3000年前から1500年前までのものだった!
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ということはこれらの人々は想像を超える速さで環境に合わせて体が小さくなったと考えて好いだろう。

また年寄りや子供の比率が少ないことも確認された。ということは、大惨事で突然、全ての人々が死んだ可能性もある。津波か???
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しかし大きな本島を挟むように浮かんだ2つの島の人類が津波で同時に消滅したというのも考え辛い。結局、何が洞窟の人々を殺すことになったのかはミステリーのまま残されることになった。

しかし人間の弾力性が証明されたのではなだろうか?人は短期間で環境に適応して変化する能力があるのだ。多くの人はそんなに早い変化はあり得ないと言うが、今回の発見は新理論を裏付ける証拠になるはずだ。
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伝統的な考えによれば人間は環境を変えて来た。しかし、パラオではその逆が起きたことが証明された。環境が人間を変えてしまったのだ!
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以上でフィルムは終わりですが、ここで残念なお知らせがあります!!!

念のため、と考えて古人類学者LeeのWikiを調べたら次の記事が見つかりました!
「パラオの人骨化石」
“2006年、休暇中に彼と同僚がミクロネシアのパラオで「小さな体の人間」を発見したと発表した。しかし、彼らが見つけたのはピグモイド(Pygmoid別名ホベッツ)か、偏狭な小人症(原因が断定できない小人症)で小さくなった人々ではないかとの異論が出ている。この研究に参加していなかった考古学者ジョン・ホークスはピグモイドで間違いない、とも主張している。”

つまり、インドネシア辺りに暮らしていたピグモイドが1500年前までパラオでも暮らしていた、というだけのこと、という可能性も高いってことのようです。

mhなりに考えてみると、さらに別の疑問や仮説が見つかりました。
まずは事実を整理してみましょう。
1) 骨が見つかった洞窟は岩で出来た小さな島にある。
2) その島は本島とも言える大きな島から数Km離れている。
3) 骨は洞窟の奥の隅に沢山見つかる。
4) 骨は大人から子供まで均等にあるようだ。(まるで津波かなにかで、老いも若きも一時期に死んでしまったかのようだ。)
5) 骨の年代は今から3000年~1500年前のものがほとんどだ。
6) 大人の骨といえども身長1.2mくらいしかない。

まず4)と5)は矛盾しています。もし津波か流行り病で全員が死んだのなら、死んだ時期が1500年も違うということはありえません!みんな1千年前に死んだ人の骨だった、とかなるはずです。

死んだ時期に1500年もの幅があるとしたら、津波などのイベントで死んだのではなく、1500年の長い間、脈々と生き、老化や病で死んだ人たちの骨に違いありません。つまり、洞窟はどこにでもある普通の墓場だったのではないかと考えます。

この点について、古人類学者リーは「墓場なら子供や老人の骨が多くて若者や壮年の骨は極めて少ないと考えて好い。」と言っていますが、今回見つかった骨の年齢分布についてデータが公開されていません。一体、何人の骨を調べて年齢分布の傾向を判断したのか???更に、墓場なら、どの墓場も若者や壮年の骨が少ない、なんて統計は聞いたことも見たこともありませんから、リーの偏った思い込みではないか、と考えます。

インドネシア・フローレスで見つかったホベッツという古代人は1万3千年前まで生きていたという事実が紹介されていました。
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改めてGoogle Earthで確認すると、フローレスからパプアニューギニアは簡単な船旅を繋いで島伝いに行けそうです。
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パプアニューギニアからは太平洋を流れる海流に乗ればパラオに行き着きそうではありませんか!
(ミクロネシア近辺の海流図:7月頃)
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古代人ホベッツは1万3千年までフローレスで生存していたのですから、それ以前に既にフローレスにやってきていたわけで、古い昔から海を移動する手段、つまり船とか筏(いかだ)、や移動用の食料などについての知識や技術を持っていたと考えてよいでしょうから、ホベッツがパラオに移動したという考えは無理が無いと思います。ホベッツは小さい人種だったとのことですから、パラオで見つかった骨とも一致します。

しかし、パラオに移り住んだホベッツが、本島のような大きな島ではなく、今回、遺骨が見つかった小さな島にしか住んでいなかった、と考えるのは無理筋だと思います。

つまり1500年もの間、小さな、岩で出来た島だけで暮らしていたというのは不自然です。骨が見つかった洞窟の島はどうみても畑で耕作できるような島ではありません。ってことは、海の幸だけで暮らしていたっていうことになりますが、南太平洋で主食だったはずのタロイモも食べず、魚介類だけで1500年も生き延びた人類などはいないはずだ!というのがmhの言い分です。

言い換えると、洞窟で見つかった人の骨は、そこで1500年もの間、綿々と遺伝子を繋ぎながら暮らしていた人の骨ではない!ってことです。

mhは次のように断言します。
「ホベッツはインドネシアからパプアニューギニアへ、そして海流に乗ってパラオにも移り住んだ。彼らは海の民で、船や筏で大洋を移動する技術に長けていたのだ。」
「パラオに移ったホベッツは、漁業ばかりではなく農業もできる大きな島で生活を始めた。しかし、果物、タロイモ、魚しか栄養源はなく、豚や牛や鶏肉を食べるチャンスが少なかったので歯はそれなりに大きかったが体格のほうはさっぱりだった。」
「島の生活は海の状況に左右されることが多かった。魚や、海草など、海の幸を抜いた生活は考えられない状況だった。船で漁に出ていると台風にあって恐ろしい目も味わった。従って、海に対する尊敬や畏怖のようなものが芽生えていった。」
「親や子供が死んだら、恵みの海の直ぐ近くで、穏やかな死後の生活を過ごさせてあげたい!そう考えて、死者を船に乗せ、近くの洞窟に埋葬する習慣が生まれた。その結果、洞窟がある、比較的近くの無人島が埋葬場所に選ばれた。」
「こうした海への畏敬の念は時と共に軽んじられ、今から1500年ほど前に、遺体を島に運んで供養する行為は打ち切られてしまったのだ。」

以上のmhの説はフィルムで紹介された事実と矛盾がありません。もし、大きな島の、昔なら部落があって、近くに畑も作れただろう所から古い人骨が見つかれば、信憑性は担保されることになります。近々、そんなニュースが入ってくるかもしれませんが、ミクロネシア・メラネシア・ポリネシアの島民は竹や椰子で造った住居に住んでいましたから、古代遺跡や住居跡を残すことがありません。更には、つい最近まで、タロイモ、漁業、バナナ・椰子を食料とし、人が死んでもいちいち埋葬などせずに海に流す水葬が行われていたと考えるほうが合理的ですから、大きな島では人骨はほとんど見つからないのではないか?と推察します。

さてさて、最後はとうとう、いつものように、mhの繰言(くりごと)がダラダラ続くことになり、読者の皆様には申し訳ない結末になってしまいました。
次回は、かなりましなブログになることを保証します。既に完成していて、「これは大作だ!」と自負できる作品です、例に漏れず、とても長~いのが玉に瑕(きず)ですが・・・お楽しみに。
(完)

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mh徒然草36:日中韓の行く末

昨日3月21日、ソウルで日中韓外相会議が開かれました。今日22日(日曜日)のTVニュースによれば、韓国は慰安婦問題、中国は歴史認識、を強く主張し、日本は未来志向つまり過去にはふれない、という姿勢だったといいますから、3ヶ国の主張は平行線を辿(だと)ったままとも言えますが、早期の3か国首脳会談の必要性については合意したとのこと。そりゃそうでしょう、極東の経済大国である日中韓が三竦(すく)みでいて、それぞれの国民が幸せであるわけはありませんから「今更つまらんことをいっていないで、さっさと仲良くしなさい!」と叱ってやりましたが、しかし、3ヶ国の首脳会談をいつ開くかについては何も決まらなかったようですから、このブログが公開される五月初旬には、そんなことは話題にもならない位に忘れ去られ、首脳抜きの人や物の交流だけが進んでいるのではないかと思います。

何度も繰り返して恐縮ですが、中国の共産党独裁体制、韓国の朴大統領の無能さ、日本の安倍首相の独善、は救いようがなく、この三竦み状態を打破するには、これらの3つの内のいずれか一つが実権から離脱するしかないでしょう。中国共産党が朴大統領や安倍首相より早く消滅するとは考え辛いので、朴大統領または安倍首相が別の人に入れ替わるまで三ヶ国首脳会議は開かれのではないかと思います。また仮に開かれたとしても、安倍首相だけ歴史認識が異なる、との理由で無視され、実質的には中国・韓国の2ヶ国から日本がのけ者にされる構図だけが浮き彫りになって、日本の孤立が世界に改めて認識されることになります。

そうそう、今日のニュースで自民党の三原じゅん子議員(むかしTVドラマ「金ぱち先生」に出演し有名になった女の子)が「八紘一宇(はっこういちう)」の思想を世界に知らしめるべきだ、と国会で発言したことが採り上げられていました。

「日本が太平洋戦争前に海外進出したのは、相手の国の繁栄を思う有り難い天皇の意思に基づいたものである」との意味が含まれた言葉のようです。どう考えても三原議員がこんな言葉を自分で思いついて発言に組み入れたとは思えませんが、それにしても物おじせずに堂々と八紘一宇を国会でまくし立てる姿を見て、恐ろしい国になってきたなぁと感じました。くしくもチュニジアの首都チェニスでは、テロで日本人観光客3人を含む20人以上が無くなり、世界の平和も身勝手な主張の暴力集団によって脅かされています。日本も自衛隊という武器をどう使うか腐心していますから、その内に武力で日本を守る動きが独り歩きを始め、相手を殺して日本に平和をもたらす、という恐ろしい結論が導かれる可能性は高くなっています。

三原議員の発言はネットでも採り上げられていたのでご紹介しておきましょう。
日刊ゲンダイ(3月17日)
見出「「八紘一宇」持ち出した三原じゅん子氏に沈黙する国会の異常」
「まさか、21世紀の国会で、この言葉を聞くとは思わなかった。16日の参院予算委で、質問に立った自民党の三原じゅん子議員(50)が「八紘一宇」という戦前・戦中のスローガンを唐突に持ち出し、「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」とまで言ってのけた。

 八紘一宇とは「全世界を天皇の下にひとつの家のようにする」という意味が込められている。先の大戦中には朝鮮半島・台湾の植民地化、中国・東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして喧伝された。

三原議員の発言は企業の国際的な租税回避問題を取り上げる中で飛び出した。「八紘一宇の理念の下に、税の仕組みを運用していくことを安倍総理こそが世界に提案すべきだ」と語ったが、この時代がかったセンス、戦前日本の侵略行為への無反省、戦前回帰の発想にはホント、目まいがしてくる。(以下省略)」

話が大分それてしまいましたが、日中韓の関係に話を戻すと、朴大統領または安倍首相の退陣は近い将来に必ず行われます。一方、中国共産党はこの2人よりも早く崩壊することはないでしょう、中国人民には気の毒ですが。
朴大統領が早めに退陣したとして、次の大統領なら安倍首相と組むか、というと、韓国の国民感情を無視する度胸はないでしょうから、やはり歴史認識や慰安婦問題を前面に押し出し、日本に譲歩しないでしょう。

ご参考:三浦議員の国会での発言映像を見たい方は次のURLをどうぞ。下段にあります。
http://matome.naver.jp/odai/2142649853278949201
映像を見ると、彼女は国会議員というより、自民党の長老に操(あやつ)られているスポークスマン(ウーマン)か役者みたいですねぇ。

いずれにしても安倍首相は分が悪いですねぇ。満州帝国や日中戦争については日本に一方的に問題があったのではない、と考えているようですし、慰安婦問題はなかった、という認識のようですから、「それはさて置いて、まずは仲良くしましょう」なんて言ってくれる韓国大統領は現れないでしょう。勿論、中国共産党も「侵略は無かったことにしてお付き合いしましょう」とは言ってくれません。

結局、安倍首相が別の人に代わるまで、日中韓の首脳が胸襟をひらいて会談する機会はない、というのがmhの見立てです。

つまり、安倍首相が日本のリーダーである間、日本と中国・韓国との武力対立の危機は高まる一方で、大袈裟にいえば、一触即発の緊張の糸は張りつめられ、そのうちに切れてしまうのではないか、という不安は増していくでしょう。武力抗争がどの国の国民にとっても不幸をもたらすことは判っていても、人間は愚かですから、結局は避けられないというシナリオは十分な現実味があります。「核兵器を使う準備はできていた」というプーチン大統領のクリミア編入から1年後の回顧発言に大勢のロシア国民が赤の広場に集まって拍手で称賛するニュース報道もあったばかりです!いよいよ世界は少し派手な殺し合いが起きないと落ち着かない状態になったのかも知れません。

膨らんだ緊張の風船は過去の歴史を繰り返すように割れる運命か?それともその緊張の空気を少し抜いて危険を和らげることができるのか?個人の力でどうこうできるものでもなさそうですが、だからといって他人事ではない、というのも事実です。さて、どうしたものでしょうかねぇ。

John Lennon - Imagine - Lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=RwUGSYDKUxU

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エジプトのガラスの不思議

サハラの奥深い砂漠の中にそのミステリーは散乱している!
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奇妙な黄緑色のガラスだ!
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どんな経緯で形成されたガラスなのか?科学者は考えあぐねていた。
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古代エジプト人はガラスの存在に気付いていた。
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しかし、どこでどのように造られたのかについては何の情報もない。科学者たちはガラスの秘密を解き明かそうとサハラの調査を開始した。

「BBC Horizon:ツタンカーメンのファイヤー・ボール(火の玉)」
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科学者たちを乗せたクルーザーがサハラの中のある目的地を目指して進んでいく。
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そこには不可解なガラスが何トンも散乱している。何故、いつ、そこでガラスが形成されたのか?そのミステリーを解き明かそうというのだ。
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サンディナ国立研究所(アメリカ・ニューメキシコ州)の科学者ボズロフ博士は言う。
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「どのようにして造られたガラスなのか、まだ判っていない。異常現象で造られたと思うが、解けない謎ではないだろう。私なりの仮説はあるが裏付けが必要だ。」
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「20年も調査しているがサハラに来たのは初めてだ。コンピュータの前に座っていても多くの情報を得ることはできるが、インスピレーションは現場を訪れないと得られない!」
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地理学者バラカットと地質学者コーベルも加わった3人の科学者チームはサハラで起きたはずのミステリーの解明に取り組む仲間だ。

オーストリアのウイーン(Vienna)大学教授コーベルは言う。
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「我々は砂漠のガラスに強い関心を抱いている。ほかの場所で見つかる天然ガラスとは異なる不思議なガラスだ。」
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地理学者バラカットは砂漠のガラスのエキスパートだ。1998年、カイロのエジプト博物館を訪れた際、あることに気付いた。
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ツタンカーメンのマスクが展示されている部屋の隅に首飾りが置かれていた。
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中央には奇妙な色のスカラベ(scarabカブトムシ)が飾り付けられている!
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材料は“カルセドニー”と呼ばれ、宝石の一種だと思われていた。しかし鉱物学者たちはどんな物質か確信を持っていなかった。

バラカットと友人はこの石を検査する許可を取り、詳細に調べてみた。その結果、宝石ではなくガラスだと判った!
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しかし、エジプトでよく目にするエジプト・ガラスとは異なる!
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彼は情報を求めてカイロの図書館で古い文献を調べてみた。
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10世紀にアラビア語で書かれた本の中に、この物質に関する記事が見つかった。サハラで見つかったものだという!
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ガラスは「ペリドット」と呼ばれていた。
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よく似たガラスはカイロの別の博物館にも展示されていた!英国人探検家パトリックがサハラで見つけたものだ。
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1932年、パトリックは「ガラスの破片がそこら中に散らばっている!」と調査報告書の中で述べている。
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破片は数千平方kmに渡って散乱していたという。何故そこにあるのか、どこからきたのか、は彼には判らなかった。が、兎に角、サンプルを持ち帰ったのだ。

以来、多くの科学者がサハラに入り込み、ガラスがどこから来たのか突き止めようとした。今回の調査チームは一番最近の調査隊だ。(mh:2005~2006年頃の調査のようです)
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ガラスが見つかる場所に辿(たど)り着くには3日3晩、砂漠をドライブし、凍りつくような寒い夜も過ごさねばならない。
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しかし、どうしてサハラの真ん中の広い範囲に奇妙なガラスの破片が散在することになったのか?
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「他の天然ガラスと異なる点は、透明感があり、黄色で、成分のほとんどがシリカ(二酸化ケイ素SiO2)だと言う事だ。」
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天然ガラスは火山活動で形成さることが多い。
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溶けた熱いマグマが水と出会って急速に冷却される時に形成される。
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こうして出来るガラスの化学成分や色は砂漠のガラスと全く異なる。
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砂漠のガラスがどのようにして形成されたかについては、これまで多くの議論があった。

昔、サハラには沼地が広がっていた。水が干上がって砂漠になる時、沼の底に沈殿した物質がガラスになったのではなかろうかと言う説がある。とすれば、低温で長い時間をかけてガラス化したことになる。
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「面白い考えだと思った。しかし低温で造られたかどうかは科学的に分析してみなければ断言できない。」

地質学者コーベルはウイーンViennaの博物館で電子顕微鏡を使って砂漠のガラスを分析した。するとジルコン(注1)が含まれていることが判った!
(注1:ジルコン;ケイ酸塩鉱物の一種。化学組成は ZrSiO4)

ジルコンは安定した物質だが温度が高いと結晶化しないでジルコニウム原子Zrなどの形で分散してしまう。黒い部分はジルコンが無くてシリカが入り込んだ所だ。
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つまり、黒い部分ではジルコニウムZrは少なくシリコンSiが多い。
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この結晶の様子やSi/Zr比からガラスの形成温度は1800℃と推定された。

火山性マグマの温度は約1100℃だ。
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つまり砂漠のガラスが出来た温度は信じられないくらいの高温だと言える。このような高温は隕石meteoriteが地球に衝突した時のものとしか考えられない!
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毎日、何トンもの物質が宇宙から落ちて来くる。多くは塵(ちり)とか小さな石のサイズなので空中で燃え尽きるが、時には大きな隕石が高速で地球に衝突することもある。
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熱で地面の物質を溶かし、溶けた物質の一部が気化することもある。
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隕石衝突で溶けた岩が急速に冷却されればガラスが形成される可能性がある。

例えばこれはテクタイトと呼ばれるガラスだ。隕石衝突で出来たクレーターから数百Km離れた場所で見つかった。
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色や形や大きさは砂漠のガラスと大きく異なる。

砂漠のガラスと、隕石衝突で出来たこのガラスとは多くの点で異なるが、隕石衝突以外の原因は考え辛い。隕石衝突でできたという確実な証拠を見つけることは出来るだろうか。
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ガラスを求めて砂漠の真っただ中までやってきた。
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とても人が暮らせる所ではない。10年も20年も雨が降ったことがないだろう。夏は50℃以上になる。道もないし、勿論、車も走っていない。膨大な量の砂で造られた砂丘が数百Km広がっているだけだ。

車で砂丘を越えるのはチャレンジだ。へたをすると砂に埋まって動けなくなる。
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やっとガラスの砂漠に到着した。
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火星のような所だ。
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ガラスが砂の上に散在している。どのくらいあるのか誰も知らない。数10万トンはあるのではなかろうか。
ここにもそこにも転がっている!
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砂の上に見つかるガラスは小さくて丸いものが多い。風に飛ばされた砂がガラスを削るからだ。

しかし砂に埋まっているガラスは大きくてゴツゴツした形のものが多い。
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砂丘は風で毎年10mの速さで動いていく。すると埋まっていたガラスが地表に現れる。だから毎年同じ場所でガラスが見つかることもある。
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バラカットは岩の中の何かを見つけようとしている。
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以前ガラスを探している時、小さく光るものが含まれた黒い岩を見つけた。持ち帰って調べるとダイヤモンドだと判った。
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このようなダイヤモンドは隕石が落下した所でしばしば見つかっている。隕石衝突時の高い温度と圧力で形成されるのだ。

大きな隕石の衝突は別の形跡を残すことがある。それは顕微鏡で調べると簡単に見つけられる。
普通、岩の中に含まれる水晶の粒子はクリアーだ。しかし、特徴的な線がある水晶が見つかることがある。
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ショック・クォーツ(衝撃水晶)と呼ばれ、隕石衝突で出来たと考えられている。このショック・クォーツはサハラでも見つかっていた!

やはり隕石衝突はあったのだ。しかし、それだけでは他の場所で見つかる隕石衝突で出来たガラスと砂漠のガラスとが異なる理由を説明できない。

サハラで見つかるガラスは透明に近いものが多いが、中にはそうではないものもある。この黒い物質が含まれたガラスが新しい情報を提供してくれるかも知れない。
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ウイーンにある研究室で中性子を1週間照射したところ、イリジウムIrが検出された!
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地球の通常の岩にはほとんど見られない原子だ。隕石衝突で出来た証拠と考えてもいいだろう。が、だからといって絶対に間違いないとは断言できない。

更に時間をかけて調べるとオスミウムOsmium(原子記号Os)が見つかった!通常の50~100倍の密度だ!更に、これが重要なことだが、オスミウムのアイソトープ比は通常のオスミウムのものと異なる!地球外物質に間違いない!
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隕石衝突がガラス形成の原因だったことは間違いないだろう!
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しかし未解決の懸案もある。最も大きな問題は衝突の痕跡が見当らないことだ!

この辺りにクレーターらしきものは無い!永い時間をかけて表面が砂で削られ、その上に砂が溜まって、今ではどこにあるのか判らなくなってしまったとも考えられる。

しかし、もしかするとクレーターが巨大で、地表では気付かないのかもしれない。宇宙から調べてみたらどうだろう?

上空を周回する人工衛星が撮影した写真を1960年代から分析し続けている男がロンドンにいる。彼はこれまで20以上のクレーターを見つけた。
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「大きすぎるクレーターは宇宙からでないと特定できないことが多い。それに古いものほど見つけることが難しい。」
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「この砂漠のガラスは隕石衝突で出来たと考えるのが自然かも知れない。しかし、それを確かめるにはガラスが産まれた時代にクレーターが存在していたことを証明する必要がある。と言うことはガラスの年齢を知ることが優先課題だ。」
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しかし・・・砂漠のガラスの年齢を特定する方法などあるのだろうか?

ある!一つの手法はイリニウムIllinium元素の崩壊比を調べることだ。研究室で調べてみたらガラスが出来たのは3千万年前だと特定できた。重要な情報だ!しかし、そんな古い時代にできたクレーターの痕跡は、今でも地上に残っているものなのだろうか?

「3千万年位前のクレーターなら、どんな浸食や風化があっても何らかの痕跡を残すものだ。例えば、これはリビアの南チャドで見つかったクレーターの写真だが、2億年前のものだ。」
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「従って、3千万年前のクレーターなら検出できる可能性が高い!衛星写真を見てみよう。確かに、この辺りにはクレーターの跡が見受けられる。」
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「しかしその右上の、話題になっている一帯にはクレーターの痕跡がない!砂丘が写真の上から下に筋のように造られているだけだ。ということは、砂漠のガラスを形成したクレーターは見つかっていない、ということになる。」

さなる調査が必要になった。調査領域を絞っておこう。ガラスが沢山見つかる中心地から半径1百Kmだ。
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世間には、隕石衝突でガラスが出来たという説に納得しない科学者もいる。クレーターが見つかるかどうかは別にして、更なる隕石衝突の裏付けはないのだろうか?ひょっとするとボズロフ博士の新しい理論が助けになるかも知れない!

その理論を思いついたのは60年前のメキシコの砂漠での出来事からだ。
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世界で初めて原子爆弾が破裂した場所トリニティ・サイト。ベンジャミン軍曹は撮影チームの一員で、若干22歳の若者だった。
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撮影用カメラは爆発試験場の近くの数か所にセットされた。
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ベンジャミンは爆心地から10Kmのシェルターに待機していた。
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1945年7月16日の朝、爆弾は破裂した!そこにいた誰もが身の毛のよだつ体験をすることになった!
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(mh:Wikiによれば次の通りです。
「原子爆弾はアメリカ合衆国が最初に開発に成功した。開発は1942年からのマンハッタン計画で進められ、1945年7月16日にニューメキシコ州のアラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で人類最初の原爆実験(トリニティ実験)が実行された。この原子爆弾のコードネームはガジェット (Gadget) と呼ばれた。」
広島への原爆投下は8月6日、長崎は8月9日でしたから、メキシコ州の砂漠での爆発実験の20日後には日本に投下されたことになります。日本がもう少し早く降伏していたら、広島や長崎の人々だけでなく、南方や沖縄の多くの兵士たちも犬死にする必要はなかったのです。)
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「決して忘れることが出来ない、最も驚くべき体験をした瞬間だった!」
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キノコ雲がTNT2万トンの爆発力で湧きあがった。

1週間後、爆発の中心地グラウンド・ゼロへの立ち入りが許された。
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そこにあったはずの何トンもの鉄柱は気化して消滅していた!
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更に驚いたことに、辺り一面は緑のガラスで覆われていた!砂が緑のガラスに変質し、直径6百mくらいの一帯を覆っていたのだ。
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「薄い氷の上を歩くようだった。歩くたびに足元でバリバリと音を立ててガラスが割れた!」
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似たことがサハラで起きたのだろうか?恐らくはもっと大きなスケールの爆発が・・・
砂漠のガラスが見つかる場所はとてつもなく広大だ。ここから30Km離れた所でも見つかる!
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原子爆弾の数千倍のエネルギーの爆発があったとしか考えられない!そんな大きな爆発が自然界で起きていたという話は今まで聞いたことが無い。

唯一のヒントはトゥングスカの出来事だ!シベリアの森で起きた!1927年、巨大爆発の調査のためソビエトの調査隊がトゥングスカに入った。
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実は、爆発は19年前の1908年に起きていたのだ!
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しかしトゥングスカは首都モスクワから遠い場所だったので調査は20年近く遅れて始まることになった。そこで探検隊は驚くべき風景を目にした。1千8百万本以上の木が倒されている!
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科学者たちには理解できなかった。どんな爆発がこのような事態を引き起こしたと言うのだろう?

思いついたのが隕石衝突だ。しかしクレーターが見つからない!研究室に戻ってモデルを造りシミュレーションしてみた。しかし、この時は何も解明できず、全てはミステリーとして残された。

今ならこう考えられている。隕石のような地球外物質が大気圏に突入し、8Kmほど上空で爆発したのだ!火炎や爆風が襲ってきて木はなぎ倒された。しかしクレーターが残ることは無かった。恐らく2千万トンのTNT爆発と同じ規模だっただろうと推定されている。
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「これと同じような空中爆発がサハラでも起きたのではなかろうか?」それがボズロフ達の研究チームが到達した結論だった。
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空中爆発があったという説の更なる検討を進めていると、1994年にある事件が起きていた。彗星シュー・メーカー・リービーが木星に衝突したのだ。木星軌道に入った時に分裂し、12個になった。
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そして12個は、1個ずつ木星に落ちていった!
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このような現象が確認されたのはこの時が初めてだった。
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直ぐにコンピュータで爆発のシミュレーションをしてみた。

以前の検討で、衝突の衝撃は大きな火の玉を創り出すという結果を得ていた。
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シミュレーションによる、時間ごとの映像とハップル望遠鏡で撮影した衝突の連続写真はとても似ている!
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火の玉が木星表面から飛び出しながら段々と大きくなっていのもシミュレーションと同じだ。3千Km上空まで成長しながら上昇した!
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この爆発は恐らく人類が知る最も大きな爆発だろう。これと同じようなことは地球でも起きたのだろうか。

砂漠のガラスの研究に見せられた科学者がここにもいる。世界的にも有名な隕石研究者ワッソンだ。
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彼はエジプトで見つかった、あるガラスに関心を持っていた。その石には幾つかの筋(すじ)状の層がある。
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「密度の高いガラスと密度が低いガラスの層だ。密度の高いところには気泡がなく、低い所には沢山の気泡がある!」

「気泡は上空の高温物質からの輻射加熱で出来たのではないかと考えている。トゥングスカの数千倍の爆発が上空で起き、このガラスが形成された可能性がある。シュー・メーカーのような連続爆発がサハラでも起きたのかもしれない!」

ボズロフはコンピュータ・シミュレーションの信頼性を上げるため、更なるデータを探していた。
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まず、ガラスが散乱している面積だが、6500平方Km(注3)くらいだと考えられている。
(注3:完全な円だとすると直径約100Kmになります)
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サハラは7千年前に砂漠になったばかりで、隕石衝突があったと考えられる3千万年前には湖や川があった。
(mh:ブログ「サハラの不思議」8月18日によると3百万年前に砂漠化が始まっています。)

地質学者コーベル「ガラスが生まれた3千万年前、ガラスはそれほど広い範囲に散らばっていなかったのではなかろうか?その後、長い年月をかけ、風や砂、水などの自然の力で広い範囲に拡散していった可能性もある。」

ボズロフも同じ考えだった。小さなクレーターを造る可能性がある隕石を想定したシミュレーションをしていた。
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その結果、小さな隕石でも砂漠のガラスを造り得る温度が生まれることが確認できた。火の玉は上空に立ちあがっていく!シュー・メーカーの木星衝突と同じだ。
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3千年前、大きな隕石がサハラをめざして落下していた。
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大気の中でそれは大きな火の玉となり、地上に衝突する前に爆発する!
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その火は地上を覆っていき、地表温度は1800℃に達した!
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地表の岩や砂は溶けて黄緑のガラスに変化した。
一方、上空には火の玉が拡大しながら上昇していった。
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空中爆発の影響は、隕石が地上に衝突した時よりも大きかった。

NASAが小惑星マティルダを調査したことがある。浮かんだ「瓦礫(がれき)の山rubble-pile」のような脆(もろ)い星だ。
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ゆっくり回転していた。密度は小さく、軽くてもろい。宇宙に浮いている「瓦礫の山」が大気に突入すると、燃えながら崩壊してしまう可能性が高い。

100年に一度位の頻度で、シベリアのトゥングスカのような隕石衝突の可能性がある。エジプトで起きたと思われる大きな爆発の発生確率はもっと小さいだろう。

しかし、別の場所で起きた大きな爆発の証拠もある。これは東南アジアで見つかった隕石だ。
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同じ石がタイ、カンボジア、ベトナム、中国南部などで見つかっている。しかし奇妙なことにクレーターは見当らない!

ワッソン教授の推論はこうだ。80万年前、「瓦礫の山」の集団が地球に落下した。
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各々の隕石は火の玉となって落ちていった。
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東南アジア一帯は火で包まれた。人類を含む全ての動物は死に絶えただろう。
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このような爆発がまた起きる可能性はゼロではない。
残念ながら、ハリウッド映画のように、隕石が落ちる前に宇宙で爆発させることは不可能だ。将来、どこかに小さな隕石が落下し大きな事故を起こすことはあり得る。もしロンドンのような都市に落下したなら、その結果は絶望的なものになるだろう。
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可能性は小さい。しかし、いつか起きるだろう。問題は、いつ起きるかだ。
(完)
インターネットで調べると、砂漠のガラスがオークションに出品されていました。ご希望があればご自身で検索してください。価格はそんなに高くはなさそうです。
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Ancient Egyptian Unexplained Mysteries- Strange Glass –BBC
(放映は2006年7月20日BBC2チャンネル)
https://www.youtube.com/watch?v=CGi4Vizlrv8

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mh徒然草35:新幹線が過疎化を加速する?

昨日(3月14日)北陸新幹線が開通しました。東京・金沢間は最短で2時間28分とのことですが、ネット時刻表で調べると、東京14:24発かがやき531号は金沢着16:55で、所要時間2時間31分、料金14,120円です。
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金沢の知人によれば、14日の開通日、新聞はお祝い記事や広告で分厚い特別版だったようで、新聞受けに入り切れなかったとのことでした。

途中駅の長野や富山といった比較的大きな都市は大きいプラス効果があるのでしょうが、停車駅のない田舎町は、東京に出る時は若干便利になるものの、頻繁に東京に行く用事がある人は少なく、結局、プラス効果は小さいのではないでしょうか。

移動時間の短縮は日本経済に大きなプラス効果を与えると思います。ファスナー(ジッパー)で世界的に有名な企業YKKは北陸新幹線の開通を見込んで早目に本社機能を東京から富山に移しているようで、TVインタビューを受けた総務の人は「東京では通勤で3時間だったが、富山に移ってからは車10分で会社に行けるので家族との団欒時間が増えてよかった」と喜んでいました。富山の新鮮な山や海の幸、澄んだ空気など、東京では高根の花だったものが、簡単に、安く手に入るようになり、自然味が溢れる生活を満喫しているのではないでしょうか。

住むなら、空気が汚く、人混みばかりで、せかせかした東京などより富山や金沢の小都市のほうがずっと快適だろうという気がしますが、人間の幸せというのはそんな単純な観点や物差しで測(はか)ることが出来ないのはご承知の通りです。

東京が近くなり、観光客が大勢来てくれるのではないか、との期待もある一方で、金沢や富山を離れて東京に移る人が多くなって、過疎化が加速するのではないか、と心配する人は大勢います。調べてみましたが、これは決して杞憂ではなく、直ぐに現実のものになると思います。

都市人口推移をキーワードに検索すると総務省HPに「特集 ICTが導く震災復興・日本再生の道筋」なる資料があました。
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(出典)国土交通省国土審議会政策部会長期展望委員会「国土の長期展望」中間とりまとめ

それによれば1970年には日本総人口の23%が暮らしていた東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉辺りの関東平野一帯のことかと思います)の人口は2050年には33%になるというのです。1.5倍です!
大阪や名古屋近辺の人口は横ばい、東京・大阪・名古屋を除く人口は54%から43%に減少します。

これを少し厳しく、皮肉っぽく言うと、日本が近代化すればするほど、自然との縁が薄い東京に住む方が暮し易い、となります。

東京には仕事や娯楽施設や交通網が集中していて生活費の確保が容易な上に便利です。山や海の幸がそこら中にころがっているってことはありませんが、お金を出せば金沢から冷凍車で運ばれた海の幸もばかりでなく、沖縄や北海道の幸も手に入れることが出来ます。

四国・徳島の過疎化した田舎町がインターネット環境を整備し、安い料金を提供してIT企業を誘致し、ベンチャーが進出している、というニュースがありました。
ICTはInformation & Communication Technologyの短縮abbreviationですが、徳島県では「愛(I)し(C)て(T)」徳島、のキャッチコピーで情報関連企業の進出を誘致する運動を展開しているようです。

情報網や交通網が発達すると、どこにいても仕事ができる人が増えるので、過疎化にブレーキがかかると思いきや、徳島県のように特別のキャンペーンをやらないと過疎化は加速する、というのが現時点での結論だと言ってよいでしょう。

過疎化を止めたければ情報網や交通網の整備・改善を止めればよいとの逆説が成立しますが、これでは都会も田舎も不便で仕方ないでしょうから、やはりICTや移動手段の更なる改善は推し進めるべきでしょう。その結果、過疎化したら、過疎の町や村の生き方を変えることを考える、というのが筋で、過疎化を止める方法を考えるのは無理筋です。

いずれ誰もが年を取るわけですが、老後は子や孫に迷惑をかけずに暮らそうとなれば、老人ホームに入るのが好いと考えていて私もそのつもりでいますが、老人ホームって不足しているようですねぇ。お金がないと良い老人ホームに入れないようだし、その一方ではお金がある人は、公共の安い老人ホームに入る権利はないというような話もあるようですが、いずれにしても老齢化が進む日本には、老後をゆっくり楽しめる老人ホームは少ないようです。老人ホームなんて入りたくない!っていう老人も多いようですが、それは、取りも直さず、入りたい老人ホームが少ない、ってことです。

としたら、新幹線で東京から2時間の、過疎化した、しかし、海や山の幸が一杯の町や村に老人ホームをたくさん造ってくれたら、人生の最後は海の見える部屋で暮らしたい!という私の夢も叶うというものです。近くに温泉でもあれば、更に好いですねぇ。5,6年前でしょうか、伊豆・下田を訪れると丘の上の温泉付きマンションが安く売り出されていました。もしこのマンションが老人ホームにでもなっていてくれていたら真剣に考えさせてもらいたいと思います。

新幹線の開通とは関係がありませんが、東北・三陸では震災後の過疎化が深刻です。陸の孤島とも思えるような三陸海岸沿いの小さな町が、津波対策だと称して、海が見えなくなるような高い防波堤を築いたりしたら、自らの命を縮めることになるのは自明の理でしょう。過疎化が嫌だからそれに対抗する案を考えたり、津波が怖いから、津波に対抗する防波堤を築いたりする発想では過疎化や津波に押しつぶされることは必至だと思います。過疎化や津波を受け入れ、それと共に生きる方法を考えることが求められているのではないかと思います。

なお、北陸新幹線開通で、富山や金沢といった都市部では人口増加するのでは?との淡い期待をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、減少するでしょう。東海道新幹線では東京の人口は増え名古屋、大阪の人口は横ばいです。名古屋や大阪より弱小の金沢や富山は、現状維持は不可能でしょう。
♫ Scottish Music - Loch Lomond ♫ LYRICS
https://www.youtube.com/watch?v=eCZXUxkuOZg
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全くの蛇足ですが、実は私、この歌のロッホ・ロモンド(Lochは現代英語でLake:湖)を訪れたことがあるんです、羨ましいでしょう!20代の後半だったと思います。工場進出の候補地調査をする10人程のチームの末席に加えてもらい、スコットランド、アイルランドを3週間ほど旅行しました。スコットランド庁やアイルランド政府の手回しで、行く先々でVIP待遇を受け、史跡や由緒ある建物、長い歴史をもつ伝統的なパブなどへも案内してもらい、今も記憶に残る思い出深い旅のひとつです。幸せ者だと思います。

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