Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

mh徒然草73:日本人は曹操が一番好き?

徒然なるままにネット新聞を見ていると、台湾メディアの記事がありました。

見出:中国人には理解不能!日本人が一番好きな中国史上の人物は“あの人”
記事:2015年12月4日、台湾メディア・中時電子報は記事「予測不可能!日本人が一番好きな中国人はあの人だった」を掲載した。
日本人が一番好きな中国史上の人物は誰だろうか?先日実施された調査によると、三国志の曹操だという。中国では乱世の梟雄(きょうゆう;残忍で荒々しい人物)という評価が一般的で、三国志ならば諸葛亮、関羽、趙雲などが人気のキャラクター。なぜ日本人は曹操が好きなのだろうか。
その理由は江戸時代にまでさかのぼる。『絵本通俗三国志』という絵つき小説が大ヒットしたのだ。同書は中国の『三国演義(三国志演義)』を翻訳したものだが、独自に史書の内容を加えるなどより歴史事実に近い内容になっている。以来数百年、日本では三国志人気が続いており、さまざまな本が出版され、中国とは異なるイメージが構築された。
また日本人の好みもある。日本では強権の政治家が人気となるのだ。また自ら皇帝を名乗った劉備や孫権と違って、形式的には最後まで漢王朝に仕えたのも忠義の士が好きな日本人に響くポイントだろう。

ご参考に「絵本通俗三国志」をご紹介しましょう。縦横22cmx15cmの本でネット・オークションでも沢山出回っています。
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中身を見たら平仮名とルビが振られた漢字が並ぶ頁が凡そ90%。
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絵はというと10%程度のようで、見開きで描かれているものばかりのようです。
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日本人の曹操好きを取り上げた中国メディアの記事もありました。
見出:日本人が選ぶ一番好きな中国の歴史上の人物、中国ネットも納得?=「これは反論のしようがない」「日本人の観点は正しいと思う」
記事: 6日、日本人が一番好きな中国の歴史上の人物は曹操との調査結果について、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。写真は河南省許昌市魏武帝広場の曹操像。
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2015年12月6日、中国メディア・新浪は台湾メディアの記事を引用し、日本人が一番好きな中国の歴史上の人物は曹操だと伝えた。
日本で最近行われた調査によると、日本人が一番好きな中国の歴史上の人物は三国志の曹操だった。その理由について新浪は、「三国志は日本で人気が高い。日本人は凶暴で荒々しく強権な人物を好む傾向があり、漢王朝に最後まで忠実だったから」とした。
このニュースが中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で伝えられると、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。
「能力では曹操が一番上」「これは反論のしようがない」「俺は日本人の観点は正しいと思う」「曹操が好きというのは間違っていない。劉備の方が野心的で偽善的だ」「劉備が好きという方がむしろおかしい」「中国人は仁義に厚い関羽が好き」「中国でアンケートをしたら絶対に趙雲が1位だ。強くてカッコよく、主人に重用され、長生きしたから」「日本人の三国志好きは半端ではないな」「日本人は漢文化に対する理解と普及率が非常に高い。中国の若者ももっとたくさん本を読んで歴史を知ってほしい」「日本人が好きなのは歴史上の曹操か?それとも小説での曹操か?」

最初に記事を見た時、何でこんな埒(らち)も無いことを取り上げているのかしら、と不思議に思ったのですが、台湾メディアが、日本で行われた「あなたが一番好きな中国人は誰ですか?」という調査結果を取り上げたのが発端で、中国メディアは台湾メディアの記事を引用し、中国人の感想を付記して記事にしたという経緯だったんですね。で~誰が「あなたが一番好きな中国人は誰ですか?」という質問を日本で行ったかは明確ではありません。

mhがブログを始めた切っ掛けは2013年6月22日~29日に訪れた中国ウイグルの旅で出会った徐福の子孫K氏が発したシルクロードの不思議な質問「シルク ロードで中国からシルクが輸出されんでしょう?その見返りに何が中国に輸入されてきたんでしょうかねえ?」(2013年12月19日ブログ公開)です。

解答篇ではK氏について次の通り書かせて頂きました。
「本題からそれるが、問題提起者のK氏についてもう少し説明しておこうと思う。K氏は、秦の始皇帝に不老不死の薬を探すよう命じられた徐福の‘子孫’で、横浜の家族から離れて伊東の別邸に一人で暮らす70代の男性だ。野良仕事と中国語版三国志本の読破・分析三昧という、文字通りの晴耕雨読らしい。当然、中国語には堪能で、会話も読書も思いのままだ。9月には「1級管工事施工管理技術士」認定試験を初めて受験するとのことで、今回は例題集を持参してきていた。それを私の目の前でちらつかせては私の知識を試したり、途中で立ち寄った上海や西安の空港内の本屋で買い求めた中国語版三国志本数冊を読み耽ってはページの余白に何やらメモを書き込んだり、という具合で、ユニーク、奔放この上なく、今回のツアーの人気者だ。中国語版三国誌は東京丸善でも探すのが大変らしい。毎年中国で催される徐福会に参加しては北京や空港の本屋に立ち寄り、三国志に関係する本なら何でも構わず購入していたとのことだった。日本と比べたら価格は安く種類も豊富なんです!と嬉しそうに話していた。」

でぇ、mhも実は三国志のファンでした。吉川英治の文庫本「三国志」全8巻を何度読み返したことでしょう。永久保存版として保管していたのですが、有る時、狭い団地の部屋の居住性を改善しようと、本棚の大々的な棚卸をした際、思い切って捨ててしまいました、随分いたんでいましたしね。
一番好きだったのは諸葛孔明で、次は関羽でしょうか。

でぇ、日本で行われた「あなたが一番好きな中国人は誰ですか?」というアンケート調査ですが・・・本当に行われたんでしょうかねぇ。とすれば、誰がどんな目的で行ったのか。もし私が尋ねられたら、少し考えてから、孔子か、李白、比較的最近の人物なら周恩来を挙げたと思います。しかし、もしあなたが街頭で「一番好きな中国人は誰ですか?」って突然きかれたら、どう思います?何て、突拍子もない、荒唐無稽な質問をするのかしらって思いませんか?
恐らく、若い人なら「そんなこと訊かれたって、中国人なんてあまり知らないし、一番好きな人なんて言われてもねぇ」って反応を示すと思いますね。嫌いな人は、と聞けば、とりあえず習近平、って答えるかと思いますが、それだって、習主席のことをどれだけ知ったうえで嫌っているのか怪しいものです。

「中国人で一番好きな人は?」と訊かれた日本人の反応は味もそっけもない、白けたものだろうことは、普通の日本人なら先刻ご承知でしょうから、このアンケートは日本人が企画したものとは思えません。きっと台湾メディアの関係者が思いついたか、場合に寄れば、アンケートもせずに、中国通の日本の知人と話してみたら、三国志では曹操が人気があるようだと思い、それを記事にしたのかも知れません。そういえば、三国志を取り上げたゲーム・ソフトが人気を博していた気がしたのでネットで調べてみると、沢山みつかりました。つぎのAMAZONでは「三国志13」ってなってますからシリーズ第13作ってことかと思います。
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カバー絵の一番上で剣を目の前で引き抜いている男が恐らく曹操です。一番大きく描かれていますから、ゲームに最も頻繁に登場する敵役(かたきやく)の人気キャラクターかも知れません。

だとすれば、日本人の若者が「誰が一番好きな中国人か」と訊かれて「曹操!」って答えた可能性はなくはありませんが・・・

それにしても、こんな質問、何のためにしたんですかねぇ。何度考えてみても日本のメディアが思いつく質問とは思えません!きっと台湾メディアのでっち上げだと思うのですが、ならば、何故、台湾メディアはそんなことをしたのか?しかも曹操という答えを聞いて“江戸時代に『絵本通俗三国志』という絵つき小説が大ヒットしたことが根底にある”って理屈も付けていますから驚きです。よくまあ、そこまで発想を拡げられるものだと感心してしまいます。

更には、台湾メディアの記事を引用した中国メディアの記事に、中国人読者が「これは反論のしようがない」とか「日本人は漢文化に対する理解と普及率が非常に高い。中国の若者ももっとたくさん本を読んで歴史を知ってほしい」とまで持ち上げてくれているとなると、日本人のmhとしてはこそばゆくなります。

三国志の登場人物の中で中国人が最も身近に感じるのは関羽ではないかと思います。敵ながらあっぱれな関羽に惚れ込んだ曹操は関羽の母親を囮(おとり)にして自分の部下に引き込み、名馬“赤兎馬”を与えますが、関羽は赤兎馬と共に曹操のもとを去りました。劉備、張飛と三人で結んだ桃園の誓いを守った関羽は中国人の心を引き付け、彼が亡くなると神として崇め、中国のあちらこちらに、いや、中国だけではなく華僑が進出している海外においても、関羽を祭る神社、つまり関帝廟、を建てることになりました。mhのおひざ元の横浜中華街にも関帝廟があって、観光スポットになっています。
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で、関帝廟にお参りすると一体どんな御利益があるかご存知ですか?
Wikiにこうあります。「関羽は(塩湖で知られた解県の出身である為)塩の密売に関わっていたという民間伝承があり、義に厚いとされる事から商売の神として祭られた。この事に起因して、そろばんの発明をしたという俗説まで生まれた。そのため世界中に華僑が散らばっていったときに、商売が繁盛する様にとその居住区に関帝廟を立てた。そのため世界中の中華街などで関帝廟を見ることが出来る。」
関帝廟は神戸にもあります。中華街から少し離れているようですが。
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つまり、関羽は商売の神様で、お金持ちになれるようにってお祈りするところが関帝廟なんですね。世界の商人とも言われる華僑を産み出した中国で、曹操より関羽が崇められることになったのは当然の帰結といえそうです。

で、その中国や台湾が日本人が好きな中国人はどんなタイプなのかを気にかけているのです!日本と中国は、政治や宗教の違いはどうであれ、経済では相互依存関係が強い証拠が「日本人は曹操が一番好き?」という記事が生まれた理由だと思いますね、尊敬するお釈迦様が仰った因果応報なんですが。

Love Potion Number 9 - THE SEARCHERS - Lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=QAR_nTbcquc
(完)

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スンダーバンズの不思議

スンダーバンズとは何か???その不思議とは???

あなたはスンダーバンズって何んのことかご存知ですか???恐らく、ご存知ないだろうと思います。しかし「このブログはガンジーPart-1、Part-2の次だからきっとPart-3で、ガンジーに関係あるだろうから・・・ひょっとしてガンジス・デルタなんかと関係あるんじゃあないの?」と気付かれた方、おめでとうございます!貴方は賢いと認めましょう。

スンダーバンズって言うのは英語The SundarbansのTheを除いた部分の音で、後にご紹介するYoutubeフィルムでmhが聞き取った音をカタカナで表したものです。「シュンダーバンズ」って言っているのかも知れませんが、このブログではスンダーバンズとさせて頂きます。日本語Wikiでは「シュンドルボン」です!
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Wikiにある通り、スンダーバンズの面積は1百万haですが、Youtubeフィルムではグレイター・ロンドンGreater Londonの6倍の面積だと言っていました。これを聞いて「何々、ロンドンのたった6倍しかないの?」ってな考えを持ったあなたは浅はかです!
Greater Londonは、大ロンドン、つまりロンドン市街周辺を含む行政区で、London(正確にはCity of London)とGreater Londonの関係は、東京(23区)と東京都の関係です。面積は1,572 km²で、東京都の2,191km²に対しては70%と若干ちいさめですが、スンダーバンズの面積はと言うと、東京都の5倍となり、凡そ青森県と同じ広さです。それがガンジス・デルタの一部で、マングローブが群生する湿地帯の面積だっていうんですから驚きです!

バングラデシュについても簡単にご紹介しておきましょう。Ganges Part-1で生い立ちは説明済みですから、現在のバングラデシュについてのみご説明します。
<Wiki:バングラデシュ>
バングラデシュ人民共和国(ベンガル語: গণপ্রজাতন্ত্রী বাংলাদেশ、英:Bangladesh)、通称バングラデシュはイスラム教徒主体の国で、イギリス連邦加盟国、通貨はタカ、人口1億5,250万人、首都はダッカ、北と東西の三方はインド、南東部はミャンマーと国境を接する。南はインド洋に面する。西側で隣接するインド西ベンガル州とともにベンガル語圏に属す。公用語のベンガル語に加え、英語も官公庁や教育機関で使用されており事実上の公用語である。
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1971年にパキスタンから独立。バングラデシュはベンガル語で「ベンガル人の国」を意味する。都市国家を除くと世界で最も人口密度が高い国で、人口数は世界第7位。
・・・
で~、小国だと思っていましたが、国土面積14万4000km2は38万km2の日本の概略5分の2ですから驚きました。ま、日本も小さい国ですから驚くのは可笑しいも知れませんが。
イスラム教徒90%、ヒンドゥ教徒9%、残り1%が仏教徒・キリスト教徒だと言います。選挙で選ばれる国会議員から行政の長である首相が選ばれる民主国で、大統領もいますが、儀礼的な職務を行うだけのようです。一人当たりのGDPは2,080ドル(2013年)で、日本は38,000ドル(2015年)ですから日本の20分の1程度の経済力しかない貧しい国だと言えるでしょう。
Dhakaの交通(Youtubeより)
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Dhakaの裏道(Youtubeより)
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以上で冒頭の不思議な質問の一つ「スンダーバンズとは何か???」はご理解頂けたとおもいます。ガンジス・デルタの一角にある、面積が青森県と同じマングローブの湿地帯です。

でもう一つの質問「その不思議とは???」つまり「スンダーバンズの不思議とは何か?」ですが・・・それは日本に暮らす我々の理解を越える、自然及びそこで暮らす人々の生活です!その辺りをYoutubeのGanges Part-3「GANGES or GANGA - FLOWING INTO SUNDARBANS(Waterland)」からご紹介します。
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ガンジー・・・
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巨大なバンゴード平原を横切って最終段階に到達する所まで来ると、全能の川の流れは更に緩やかになり、それと共に川幅も広くなって8Kmにもなる。
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川が生まれた場所から2千Kmの辺りまで来た所でガンジーは、いくつかの支流に分岐し、神聖な水が海に到達すると長い旅は終わりとなる。
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そして、海の近くには、水と大地が織りなす不思議な一帯が生まれた。
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ガンジス・デルタはインドとバングラデシュに広がる、人口密度が世界一の平原だ。
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しかし、そこには驚くべき野生のスペースも残されている。
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21世紀の今でさえ、デルタで生きる全ての生物は偉大なガンジーからの恵みを受けているのだ。
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乾季は大地が乾き切り、モンスーンがやって来れば水浸しになる極端な気候と自然の中で、生物や人間はどのように生きているのだろう。

水と大地の場所Waterland
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1億以上の人間がガンジーのデルタで暮らしている。しかし、そこには全く野生の土地も残っている。
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珍しい動物が棲息する不思議な所でもある。
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この神秘的な森はスンダーバンズThe Sundarbansと呼ばれている。
そこは怖くて人々が行きたがらない所だ。
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今ここに集まった人たちは世界で最も危険な仕事に出かけようとしている。スンダーバンズに行くというのだ。
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いよいよ出発の時、イスラム教徒の彼等は神アッラーに祈りを捧げる。これから先、彼等を守ってくれるものがあるとしたら神の加護だけだ。
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残された家族は、全員が無事では返れないかも知れないことを知っている。
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これが最後かもしれない。
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しかし、勇敢な彼等は、一番早く森に行き着こうと先を競って村を離れた。
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見送る家族は心配そうだが、これも生活のためだ。致し方ない。
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今はガンジス・デルタで最も貴重な品物の収穫の時期だ。
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何世紀もの間、毎年、同じ品物を収穫するため、彼等は森の中心を目指して船旅をしてきた。

スンダーバンズはインドとバングラデシュの海岸線に横たわるマングローブの森だ。
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世界でも飛びぬけて広く、Greater Londonの6倍もある。
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マングローブは唯一、塩水でも成長する木だ。ここには30種以上のマングローブが生えている。
Wiki: マングローブ(英: Mangrove)
熱帯 - 亜熱帯地域の河口汽水域の塩性湿地に成立する森林
(汽水:淡水と海水が混在した状態の液体)
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そこにはマングローブの花を頼りとする巨大アジア・ミツバチGiant Asian Honeybeeが棲息している。ミツバチとしては世界最大で、とても攻撃的だ。
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刺されると高い確率で死に至る。しかし、人々はこの蜂の蜜を採るために船でやって来る。
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迷路のような水路を数百も通ってここまで来た。船を下りると、適当な間隔で広がって蜂の巣を探し始める。見失わないよう「アーァ」と声をあげて互いの位置を確認しあって歩く。
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巣が見つかった!10m以上近づいたら危険だ。これまで、多くの人が蜂の群れに襲われて死んでいる。
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攻撃的な蜂を追い払う方法は簡単だ。草を燃やして煙で燻(いぶ)すのだ。
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立派な蜂の巣なら20Kgの蜂蜜が採れる。
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黄金の液体だ!
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仮に蜜が一杯の巣でも、半分は残す。次の収穫のためだ。
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ここで危険なのは蜂だけではない。最も評判が悪い住人の足跡が見つかった!
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トラが近くをうろついていた!トラは人を攻撃することで知られている。しかし、蜂の巣はトラの縄張りに多いのだ。
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毎年、この森では100近くの人が殺されている。何故そんなに大勢の人が殺されているのか、誰も気付いていないようだが、トラは木々の間に埋もれていると気付かれ辛いのだ。トラの生活パターンについては知られていることは少ない。
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スンダーバンズはトラが棲んでいる所なら、とてもいそうにない動物の棲みかにもなっている。沢山の鹿が棲息しているのだ!
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ここには真水は少ない。塩水を飲むのでトラが攻撃的になっていると考える人もいるようだ。

トラはどんな生活をして生き永らえているのだろう。どうすれば人が殺されなくなるのだろう。それを調べている人々がいる。スンダーバンズ・タイガー・プロジェクトの面々だ。イギリス人の生物学者がリーダーでトラの生態調査をしている。
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スンダーバンズは巨大な面積だが、ガンジス・デルタの一部でしかない。
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(上の写真で深い緑のところです。)
その周辺では、人間が支配的な動物であることは間違いない。
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多くの人がガンジーのそばで暮らしている。
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モハンマド・ジェリーはスンダーバンズの縁の、ガンジーの支流の岸部で暮らしている。
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他の場所と同じようにモハンマドの村でもコメ作りが最も重要だ。冬の初めはデルタでは農繁期Golden Timeだ。年に3回、収穫する(三期作)。
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耕して水田になった土地に大型動物は住んでいないが、時には役に立つ動物もいる。カエルは昆虫の異常発生を抑えてくれるし、巨大タニシGiant Apple Snailは水草algaeを食べてくれる。
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農夫たちは農薬よりも、こうした自然の力を利用して耕作している。どの水田もエコ・システムで循環しているのだ。

しかし、どんなところにも食物連鎖で最高位にいる捕食者predatorはいるものだ。ハシビロ・ロコウノトリOpen bill storkだ。
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健全なコウノトリが多いということは水田が健全だと言う証だ。だからだろうか、デルタのインド側では吉兆だと考えられている。
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子育ての時期は群がって巣作りする。
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1万匹のコロニーも出来上がる。
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沢山の鳥が鳴いてうるさいのだが、村人は気にしていないようだ。鳥が近くにいると悪魔祓いできると考えている。
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デルタで人は自然と関わりながら暮している。しかし、この漁師ほど自然との関係が強い人はいないかも知れない。今朝はどこなら大漁か、そのヒントを探している。
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いた!川イルカだ!きっと魚も多い。
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漁場を決めると、連れて来た動物を水に放す。訓練して育てたカワウソotterだ!
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首には縄がまかれている。
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縄は竹の棒に繋がれ、その竹を漁師は足で操作してカワウソを操(あやつ)る。
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川岸で網を沈めると、カワウソを水に潜らせ、魚を追い立てて網に誘い込む。
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漁は朝だけ行う。
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カワウソがごちそうを貰えるのは、仕事が一段落してからだ。仕事中は空腹の方がよく働いてくれる。
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漁師は子供のカワウソも育てている。別の村の漁師から買った。いいカワウソは100ドルで、貧しい漁民にはかなりの負担だ。
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しかし、この漁業を続けるのなら、その価値はある。
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デルタで暮らす全ての人が頼りにするのはガンジーの水だ。
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しかし、好い時ばかりが続くわけではない。

80Km離れたスンダーバンズの森の中では夜が訪れようとしていた。
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タイガー・プロジェクトのメンバーにとって貴重な時間がやってくる。
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1週間まった甲斐があった。メスのトラが準備していた餌の近くにやって来てくれた。麻酔銃で精神安定剤tranquilizerを打込んでから、逃げるトラを追いかける。数十分の追跡の後、横たわっていたトラを見つけた。
追跡できるように発信機を首に付けてから、体重や爪、歯の状態を調べる。
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翌朝、トラの追跡を開始した。どこで、何を食べ、人と出会っているのかなどを調べる。トラは、いつも縄張り内をパトロールしてライバルがいないことを確かめる。だからいつも見張っていないと動きを正確に掴めない。
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マングローブの森は潮の満ち干で水の流れの様子が変わる。そんな中で、見事に適応している動物がいる。
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トビハゼmudskipperだ。泥に隠れていたが、水が引いて出てきた。魚のくせにヒレを足の様に使って跳ねるようにして歩く。魚なので、時々、水に入らないと干上がってしまう。
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餌やメスを巡って喧嘩をする時は体に青いスポットが現れて相手を威嚇する。が、そのうち、水が満ちてきて、喧嘩もほどほどの所で終わるようだ。
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トビハゼだけが水が引いた川底をうまく利用している動物というわけではない。シオマネキFiddler crabも泥の中に隠れていて、水が引くと現れる。雄だけが片手に大きなはさみを持っている。
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満ち潮の水位が海の水位を決めているが、水位は毎年、低下傾向にある。
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デルタは乾季に入った。4月だ。雨は去年の10月から降っていない。スンダーバンズの外では大地は緑から茶色に変化していた。
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おもな支流では、まだ水が流れている。しかし、水位は随分と下がってしまった。毎年、6mも下がる。
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現れた川岸は鳥の棲みかだ。
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川の流れは弱くなり、風に逆らって船を曳いて移動させることもできる。
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干上がった田んぼではコメの刈り取りが行われていた。
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動物たちは地中か水中か森に潜み、乾いた大地に出てくることは少ない。村人たちにも厳しい季節だ。農夫は土地を耕し続けるが、乾き切っていて新たな作物を育てることは難しい。
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村人の中には、建築工事で使われる砂を採取して生活費の一部を稼ぐ人もいる。
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彼らが掘っているのは川底だったところだ。
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乾季にはデルタにある多くの水路が完全に干上がる。
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上流の人々が飲み水や灌漑などで沢山の水を使うようになったからだ。
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ガンジーの全流域で一番水で困窮しているのは、本来なら川下で沢山の水で潤っているはずの人々なのだ。
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主要な支流でも、水が流れるのは川床の、一番深い部分だけだ。
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全能のガンジーの川底さえも「埃が溜まった鉢dust-bowl」になることもある。
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僅かな水はまだトラの縄張りの森まで届いていた。そこでは一時的な漁村が出来上がって、人々は忙しそうに働いていた。
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ここは、天気が好い、暑い時期だけ使われる、魚を乾かすためだけで暮らす村だ。
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スンダーバンズの周りの海は魚の宝庫だ。最近は多すぎるくらいの漁獲高が続いている。
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働き手が不足し、8歳の少年も駆り出されて魚の選別をしている。
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周りの森から干し魚に魅かれて現れる動物もいる。イノシシwild-boarだ。勿論、鳥もやってくる。
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今は忙しい時で、昼も夜もずっと仕事をする。
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漁師たちが漁村を離れ始めた。トラが頻繁に現れるようになったからではない。
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天候が変ってきたからだ!漁民は森の外の家族が暮らす村に戻っていく。
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風は日ごとに強くなってきた。太陽に焼かれ、乾き切った大地を覆っていた暖かい空気は上昇して、水分を含んだ海の空気を呼び込みだした。
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モンスーンが始まった!
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雨は、一旦降り出すと、数か月間、インド亜大陸の北部に大量に降り注(そそ)ぐ。
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そして全ての水はデルタまで流れ来る。
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川は水かさを増していく。
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たった数日の間に、ヨーロッパの全ての川の水量が流れてくる。
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水位は8mも上昇し、大地の様相は一変する。
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この地に住む多くの人にとって、洪水は生活の一部だ。しかし、水位が上がると危険を運んでくる。
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コブラやその他の毒蛇が隠れ家が水浸しになって巣穴から出てくるのだ。
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水がない場所を探して水田を泳ぎまわる。
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このデルタでは数千人が蛇に噛まれて死んでいる。そのほとんどはモンスーンの3ヶ月間だ。
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川は、蛇からだけではなく、河に近い村に住む人の家も奪っていく。水位が上がった川の水が川岸を削り取っていくのだ。
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1ヶ月前、この家は岸から100mにあった。しかし今は水で流されようとしている。
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急いで家を解体し、次に建て直す時のためにトタンなどの材料を取り込んでいく。
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浸食による崩壊は突然、予告なしに起きる。兎に角、速く、引っ越しするしかない。
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一度の雨季で数百メートルの土地が川岸から削り取られて失われていく。家を失った人々は、とりあえず小屋が建てられるところ、ということで、道路の近くに仮の住まいを建てた。
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スンダーバンズもモンスーンに襲われていた。
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風は木々を押し倒し、強い波が岸に打ち寄せている。
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鹿も森の中でうずくまって動かないことが多くなる。
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イノシシもこの雨の中では飛び回って餌を探すことも出来ない。
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時々、雨も上ることがある。しかし、洪水の流れが止むことは無い。動物がわずかに残された狭い陸地に集まり始めた。鹿は漁村のあった浜辺で、辺りを気にしながら草を食(は)んでいる。
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そこにパトロール中のトラもやってきた。
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鹿は慌てて陸地を離れていく。
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モンスーンの間はひとも動物も忍耐が必要だ。しかし、水が引くと、重要な贈り物が残される。肥沃な土壌だ。
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おかげで多くの人々の生活が支えられているのだ。
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mh:この娘さんは人通りが多い場所で誰かを待っているような感じで佇んでいました。穏やかないい笑顔ですねぇ。
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21世紀、急速に工業化しているインドでさえも、ガンジーは生命の川であり、女神だ。
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あちらこちらでガンガー女神を崇(あが)める祭りが行われる。
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彼女は気まぐれな女神Caplicius Goddessなのだ。
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柔らかい大地は川の流れで簡単に洗い流される。毎年、数千人が川岸の崩壊で家を失う。モハメッドもその口だが、新たな希望も芽吹いている。
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ガンジーは奪いながらも、与えてくれる。川岸から泥を流し取りながら、その泥を堆積もする。泥は少しずつ川岸を形成したり、時には川の中に小さな島を造ったりする。
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何年か後には島は大きくなり、耕して農業ができるようになったりもする。
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土地を失った人は新たな土地を獲得したりする、たとえそれが狭いとしても。
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ガンジーはアマゾン川の2倍の量の泥をデルタに運んでくる。泥の大地は数百Kmに渡って海まで続いている。
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スンダーバンズは全くの平地だが、土砂が海に流れ出るのをマングローブの森が押しとどめている。
ここは、見た目よりも生産性が高い場所ではないかと思われる。
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例えばコウノトリなど300種以上の鳥がいる。
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9種のカワセミkingfisherはクリーク(creek入り江)で魚を捕って暮らしている。
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塩水で棲息する鰐(ワニ)や・・・
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巨大水トカゲgiant water monitorを含む50種類の爬虫類reptileが辺りを巡回している。
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泥はマングローブを育て、マングローブは全ての動物を育てている。ある猿はマングローブの根を食べる。
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鹿は葉を食べて暮らしている。驚くべきことに、このマングローブには数千頭の鹿と、数千頭のイノシシが棲息しているのだ。
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そして恐らく、沢山の食糧があることでトラが生き残っている。時には獲物がそばを通っても何もせずに見過ごすこともあるくらいだ。
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タイガー・プロジェクトの調査によれば3百匹以上のトラが棲息し、世界でも最もトラが集中している場所だという。トラは保護を必要としていた。それは人間も同じだ。毎年、大勢がトラに噛まれて死んでいるのだ。
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ここ独特の条件がトラを攻撃的にしている、というにはまだ早すぎる。付近の住民はトラに出会ったときにどう振る舞うべきか知っていない。

タイガー・プロジェクトのメンバーは村人にトラに対する注意を教えていた。
「森に一人で入るな。」「夜は働くな。」
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漁業や材木切り出しや蜂蜜採りでスンダーバンズにくる人たちをトラから守るのは難しい仕事だ。
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しかし、トラがいるから仕事が続けられるという側面もある。トラへの恐怖からスンダーバンズへ押し入るのは勇気のあるものに限られ、大勢が押し掛けることは無い。しかし、トラがいなければ、マングローブの森は人々によってなぎ倒され自然は消滅しているだろう。
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スンダーバンズでは、他のガンジー沿いの土地と同じように、全ての生物がガンジーの偉大な力によって生かされている。
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ヒマラヤを発して叙事的な旅をしながら肥沃な土壌を運んでくるガンジーは、平原やマングローブの森に滋養を与えてくれる。
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ガンジーは偉大な文明を育てる上で重要な役割を果たし、今も世界の人口の10人に1人を育んでいる。
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しかし、ガンジーが造り上げてきたものの未来はどうなっていくのだろうか。
地球の温暖化で、今世紀の末までにはデルタの面積の10%は失われるかも知れない。増加する人口が今のペースで水を使い続けていくなら、いつの日か、ガンジーはデルタまで届くことなく干上がっているだろう。
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しかし、偉大な川の将来にも望みは残っている。
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サガ―島はガンジーが海に到達する時に出会う最後の島だ。毎年1月、数百万のヒンドゥ教徒がここに集まってくる。
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川に感謝を捧げるためだ。肥沃な土壌を与えてくれるガンジーが、人々の罪をベンガル湾に流し去ってくれるよう祈る。
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人々は川が彼等の生活を支えてくれていることを知っている。その川がいつまでもガンガー女神として彼等を見守ってくれるように願って祈る。
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川の未来と川が支えている生命は人々の手中にあるのだ。
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mh:これをもってガンジー3部作は完結です。
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GANGES or GANGA - FLOWING INTO SUNDARBANS
https://www.youtube.com/watch?v=d0NnJsEROU0
(Ganges Part-3: End)

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mh徒然草72:どっちもどっち?

今日(12月3日)Yahooのネット新聞に次の記事がありました。

見出:靖国爆発 “反日無罪”の韓国 犯人逮捕・身柄引き渡しは新たな日韓の火種にも
産経新聞 12月3日(木)19時54分配信
【ソウル=藤本欣也】靖国神社内の公衆トイレで爆発音がした事件に韓国人の男が関与した疑いがあることについて、韓国外務省報道官は3日、「現時点で事件の容疑者は特定されていないと理解している。日本政府から公式に捜査結果の通知や、協力要請を受けていない」と語った。
 ただ、男はすでに韓国に帰国したとみられており、男が容疑者として特定された場合、11月初めの首脳会談を受けて改善に向かいつつある日韓関係は、新たな火種を抱えることになる。日本側は韓国への捜査協力要請などで、慎重に対処していくことになりそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151203-00000573-san-kr
この記事への読者のコメントがありますが「好いね(サムアップマーク)」の投票が多い共感順のコメントをみると・・・
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上の字が小さくて見辛いでしょうから下記に転記します。
1位:大問題だと思います。日本の威信にかけても、絶対に逮捕すべきであり、これが許容されることがあれば、今後も同様の事件が多発すると思います。
2位:協力しないのは確実です。
3位:ちょっとまて。結構良い展開かも(笑)
4位:引き渡さないのならそれで国交を絶てばよいと思います。

ネタ元が産経新聞ですので、セウォル号沈没事故の後、産経新聞のソウル支局長が朝鮮日報の記事を引用した「朴槿恵(パク・クネ)大統領が旅客船沈没当日、行方不明に・・・誰と会っていた?」で提訴された腹いせもあって、日本の世論を煽っているのではないのかしら、と思って、別の新聞記事も見てみました。

見出:靖国トイレ爆発音、防犯カメラの男は韓国人か
読売新聞2015年12月03日 06時13分
 靖国神社境内のトイレで爆発音がした事件で、現場から見つかった乾電池は韓国語表記のものだったことが捜査関係者への取材でわかった。
 現場付近の複数の防犯カメラに映っていた不審な男に酷似した韓国人の男が事件当時、東京都千代田区のホテルに宿泊しており、事件後、韓国に帰国していたことも判明。男は短期滞在で入国していたという。警視庁公安部は、男が事件に関与していた疑いがあるとみて、捜査している。
 捜査関係者によると、現場の男子トイレの天井裏には、火薬とみられる砂状の固形物が詰められた鉄パイプが発見された。床には韓国語で注意書きが記された乾電池のほか、リード線が接続された3桁表記のデジタルタイマーや基板などが発見され、時限式発火装置が仕掛けられていたとみられている。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20151203-OYT1T50008.html

で~、たった今、TV朝日の報道ステーションで「使われたタイマーは日本のものではなく、使われた9本の電池にはハングル文字が書かれていた。事件の2日前に来日し事件当日、韓国に帰国した27歳の男が神社の監視カメラに映っていた。」との情報が流れてきました。

どうも、この韓国人が事件に関与している可能性は高いようです。そうだとしたら、法に照らして罪を償ってもらわねばならないと思いますが、現時点では裏付けが不十分なのか、警視庁の断定的コメントも出ていないし、警視庁から韓国の警察に容疑者の逮捕とか事情聴取とかを依頼したという事実も公表されていません。従って、もう少し様子を見るべきだと思いますが、上に挙げたように、ネットでは既に韓国を非難したり、国交断絶するくらいのつもりで事に当たるべきだ、という意見が大半です。

ネットに投稿する人は、凡そ極端な意見を持ち、それを顕示したがる人が多いので、お釈迦様ではありませんが、このような展開になっているのも極めて自然かな、とも思います。
それにしても、まだ韓国の警察に逮捕や事情聴取を依頼してもいないうちから、依頼しても断るだろうとか、国交断絶してもよい、といった意見が出てくるのも、どうかと思いますねぇ。韓国にだって良識はあるはずですから、日本が正式に依頼すれば対応してくれるでしょう。それまで静観すべきだと思います。

セウォル号沈没当日の朴大統領空白の7時間に関する事件では、朴大統領が男と密会していたとしても、そうでなかったとしても、朝鮮日報の記事を転用した日本の新聞社の支局長を捕え、訴訟にかけたのは不適当な行動です。こんなんなら男と密会していたと勘繰らざるを得ません。やはり朴槿恵氏は大統領の器ではないでしょう。韓国民のみなさん、ご愁傷さまです。

で、靖国神社問題ですが、ここに東条英機が英霊として祀られていることには、私は大反対です。太平洋戦争では、大本営発表だと言って負け続きの戦も大勝利と嘘の報道して国民を騙し、日本国土にB29爆撃機が何度も襲来して戦争に負けたことが明確になっても、一億総火の玉だ、といって国民を死に追いやろうとしていた張本人が、どうして国の英霊でありえましょう。安倍首相は太平洋戦争は侵略戦争ではないと言い、東条英機を裁いた極東裁判は不当だと言って、東条英機の罪は認めていないようですし・・・日本軍が攻め込んできて爆弾も落とされた中国や、国民を日本兵として駆り出された朝鮮の人々にとっては東条英機は憎むべき人間でしょうから、彼を英霊として祭る日本という国を許せないという気持ちも理解できます。負け戦を強いられ戦死していった多くの日本人も、東条英機が英霊に加わっていることについては心憎く思っているのではないでしょうか。

韓国の極右も大統領もひどいけれど、日本人の極右も総理大臣も間違いだらけだと思います。どっちもどっち。喧嘩して殴り合うより、お互いに助け合う方が幸せになれることを忘れてはいけません。

追記:12月4日の夕にネットで見つけた関連ニュース記事です。
見出:靖国爆発音の犯人は韓国人?韓国政府は「調査を見守る」=韓国ネット「もっと深刻に受け止めて!」「日本旅行に行くのが怖い…」
Record China 12月4日(金)11時25分配信
韓国人の反応も様々です、当然ですが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151204-00000024-rcdc-cn&pos=1

MASSACHUSETTS (LIVE 1989) BEE GEES
https://www.youtube.com/watch?v=6ohReNWXTrk
(完)

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ガンジス川の不思議(2)

ザ・ガンジーズThe Ganges(ガンジス川の英語発音です)。
(以下ガンジー/ガンガーとさせて頂きます。)
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これらの神聖な水(watersとsが付いて複数の流れ)とそれらが流れる平原(sがついて複数です)は想像を絶する多様な生命に滋養を与え続けている。
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そして、その岸辺に暮らす人々はガンジーがもたらす自然と強く結びついて生活している。
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しかし、このように密接な関係は、何世紀も経緯する時の流れの中からどのように生まれ、育まれてきたのだろう。どんな生物が現れては繁栄し、または消滅しようとしているのだろう。
(砂漠を流れるガンジーの支流)
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(タージ・マハルを流れるガンジー)
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(コブラの村)
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(ガンジーに棲息する川イルカ)
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(コルカタのゴミ山を住家とするブラック・カイト)
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(ガンジス河岸を越えた洪水)
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(ヒンドゥの聖地バラナシ)
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(バラナシ付近かと思いますが・・・)
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River of Life命の川・・・
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12年に一度おこなわれているクンブ・メーラKumbha melaには5千万人がガンジーの岸部に集まってくる!
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ヒンドゥ教のこのお祭りは世界で最も人が集まる行事だろう。
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この光景に出会うと、ガンジーが5億人の生活を支えている川であることに改めて気づかされる。
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地球上の10人に一人が、肥沃なガンジス平原に支えられて生きているのだ。
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しかし岸辺に集まる巨大な群衆はガンジーが持つ偉大な力の一部を示しているに過ぎない。
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ガンジス平原は、かつてインドでもっとも野性に満ちた場所だった。ガンジス川は山岳地帯から流れ始め、世界で最大のデルタに流れ出て終わりとなる。
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約2400Kmに渡って北部インドの中心を流れ下る大河だ。
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この広大な平地はガンジス平原として知られている。

川は山々が連なるヒマラヤの麓で初めて平地に出会う。
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ヒマラヤ山地を流れ下る水は冷たく、速い!
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山を下るにつれて流れは緩やかになり、平地に出て広がると、海を目指してゆっくり流れ始める。
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平地では、流れの周辺に草原がうまれた。
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この青々した平原はテライと呼ばれ、インドで有数な農耕地の一つだ。
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草は1年で4mも延びる。
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大型の野生動物だって何処に隠れているのかわからない。
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テライのほとんどは農耕地として開拓されているが、それでも部分的にこのような草原が残されていて、野生動物の棲む場所になっている。
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かつて、この地に暮らしていたインド犀(サイ)はガンジス平原全域にまで勢力を広げていた。鹿は今でも多い。
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しかし、獲物の近くには必ずそれを狙う捕食者(プレデターpredator)がいるものだ。
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このような湿原にトラが暮らしているのは驚くべきことだ。
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生息数が少なくなったとはいえ、まだこのような動物が生き残っていることは、かつてガンジーがどれほど豊かな自然を産み出してきたかを物語っている。
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そしてこのような土地に人が初めてやってきたのは4万年前だった。
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人はガンジーが彼等の生活を支えてくれる多くの生命で満ちていることに気付いた。
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そこで川岸に住み着くことにした。今日でも多くの人が魚を捕って生計を立てている。
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ガンジー河岸に集まってきた人々は流れに沿って徐々に広い地域に拡散し、増えていった。
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ダライを離れて流れ出たガンジーは川幅を広げながら、焼けつくような大地が広がる場所にでる。
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ガンジーを1本の川と考えると理解することは出来ない。というのは何千もの支流の水を集めながら海まで流れているからだ。
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多くの支流は、それ一つでも大河だ。
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ガンジーの南側の台地から流れ出る水もガンジーと合流する。
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とても考え付かない所から流れ出している支流もある。
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西インドの砂漠から流れ出すチャンブァルChambal川だ。
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mh:Chambal川は次の地図の左端部を流れる大河です。
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地下から湧き出る泉の水を集めて平原に流れ出る。
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かつてガンジー一帯で繁栄していた動物がまだ川辺で見受けられる。
渡り鳥のバー・ヘディッド・ギース(?Bar-headed-geese)はヒマラヤから、この砂漠の地にやってくる。
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スプーン・ビルSpoon-bill(スプーン状の嘴(くちばし))
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インディアン・スキナーズが魚を捕る姿は1年じゅう見受けられる。
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水面すれすれに飛びながら下の嘴(くちばし)の外側で魚を感知して捕まえる。
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人間の影響で川は大きく変化してきたが、今も川に住み着き、自然の恵みを受けている変わった生物もいる。
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夜のとばりが砂漠に落ちると現れるのだ。
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5月の暖かい夜、カリオァと呼ばれる鰐(わに)は奇妙なうめき声に導かれるように陸に上がってきた。
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カリオァのメスは砂の中で卵から孵(かえ)った子供の泣き声が聞こえてくる所を掘り返し、子供が楽に地中から出られるよう手助けする。
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捕食者に見つかり食べられてしまわないよう、子供は素早く砂浜を下って母なる川を目指す。

カリオァのメスの体長は6mもある。彼等は夜、狩りをする。
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子供のカリオァは、昼間はいつも母親のそばを離れない。他の動物に食べられないよう守ってもらうのだ。
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6ヶ月は子供の面倒をみる。時には母親同士が交替で面倒を見て、手がすいた方が狩りをする。

平地からガンジーに合流する支流は少なく、多くの支流は雪山から流れ出している。
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水源は高山が連なるヒマラヤ山脈だ。
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エベレストもガンジーを潤す山だ。
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ここで水を生み出すのは雨ではなくて氷だ。
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氷から生まれる水は、乾季でもガンジーに安定した量の水を提供している。ガンジーの水のほぼ半分は氷河が生み出しているのだ。
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5月、平地の気温は急上昇して50℃になる。
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流石のガンジーも干上がって、細く、浅い流れになる。
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大地は太陽で焼かれて乾燥していく。
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もう耐えられなくなった頃、大気の様子が変化し始める。海からの風が大量の水蒸気をはこんできて、夏空には雲が現れる。
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6月中旬、黒い雲と共にモンスーンが到着する。
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連日、灰色の空が続き、大量の雨が降る。
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モンスーンが乾いた土地で暮らす全ての生物を生き返らせるのだ。
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誰もが待ち望んでいた雨だ。
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3か月間大地に降り注いだ大量の雨水は、再び海まで流れていく。

しかしヒマラヤに降った雨は、山を削り、土砂を平地に運んでくる。
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ガンジーは大量の水を保持し続けられず、余剰の水を川岸の外にまき散らしていく。
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こうして何千平方Kmもの平地が洪水に襲われ、水浸しになる。
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モンスーンが終わり、あふれ出ていた水が引くと、自然の恵みが現れてくる。肥沃な土壌だ。
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ヒマラヤのミネラルや有機物を含んだ5億トンもの土壌が毎年運ばれてくるのだ。
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数百万年の間くりかえされ、平地は肥沃な土壌に生まれ変わっていた。ところによっては、この土壌は深さ5Kmもある。
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お蔭で何千年もの間、この肥沃な平原は、ガンジーの水の恵みも受けながら、ここで生活する人々に大量の収穫を提供してきた。
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農業が安定し、繁栄し始めると、人々は奇蹟的な恵みをもたらしてくれるガンジーに深い感謝を示すようになった。
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mh:マリーゴールドだと思うんですが・・・
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インドでよく見かける花です。神へのお供えや花飾りなどでよく使われていて、火が付いた蝋燭にこの花が添えられたフロート(灯篭流し)がガンジーを流れるシーンが後段で出てきますのでご確認下さい。
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しかし、人々に最も尊ばれている植物はなんといっても「米(コメ)」だろう。
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乾季と洪水が繰り返された7千年の間、コメはずっと主食の穀物だった。
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平原は水田で埋め尽くされ、この地はインドの食糧倉庫になった。
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米作は大地の姿を変えただけではない。新しい生物に住家を提供することになった。家鴨(あひる)だ!
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インド人は動物を天才的な方法で使う名人だ。家鴨飼いは古くから伝わる、実入りの好い職業だ。卵を産んでくれる。
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足のびれで水田の泥をかき回してくれるし、雑草を食べてくれるし、有機物に富んだ糞は肥料としてコメの成長を助けてくれる。
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湿田は家畜や家鴨だけではなく、野生の鳥にも住家を提供してくれる。
幸運を運んでくると言うソーレス鷺(さぎ)だ。首を延ばして立つと2mもある世界最大の飛鳥だ。
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優雅にダンスをし、ゆっくりと羽ばたいて飛行する。
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環境の変化に合わせて繁栄する動物もいる一方で、農業の拡大で生存が危ぶまれる動物もいる。
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木々が茂る島のような土地には、アフリカのサバンナを思わせる動物がいる。ライオンだ!
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かつて大量のライオンやチーターがインドで生息していたことは忘れ去られようとしている。
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人間の生活環境が変わり、それにつれて自然の環境が変わる中で、このような捕食者(他の動物を捕まえて食べながら命を繋ぐ動物)はいつまで生き残れるのだろうか。
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ガンジーは交通手段を提供し、文明を育んできた。それにつれて野生動物は徐々に住家を失っている。
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水上交通が発達し始めると、小さな取引で始まった村は大きな港町に変化していった。
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文明が成熟し、それと共に宗教は高度化していった。
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mh:この花です!黄色のマリーゴールド?きっと聖者か神像に捧げられていた花輪です。
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そして、ガンジーの岸部でヒンドゥ教が生まれることになった。
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周辺の自然を組み入れながら多様な神々を生み出していく。
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しかし、どんな時でもガンジス川、つまりガンジー、が信仰の中心に置かれていた。そしてガンジーそのものもがヒンドゥ教にとって重要な地位を占めることになった。ガンガー、創造と豊潤の女神だ。
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ガンジーで、他の場所よりもずっと尊いと考えられている場所がある。
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バラナシだ。ガンジーのほぼ中心に位置している。
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バラナシはガンジー河畔で生まれた最古の町で、ヒンドゥ教と強い関係を持っている。
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多くの信者が訪れて沐浴し、川に向かって祈りを捧げる所だ。
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ヒンドゥ教ではいろいろな動物が神として崇められている。象の頭を持つガネーシャ、サルから生まれたハヌマンという戦士、はよく知られているが、それ以外の多くの動物も神と考えられている。
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神とされる動物があまりに多いので、どの動物の神がどんな理由で崇められるようになり、どんな幸運を運んでくれるのかを正しく理解することは難しい。
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時には、ある人には神でも、他の人には悪魔だ。
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毎年、2万人のインド人がコブラの毒で死んでいる。多くのインド人はコブラを嫌っているが、この村では違う。重要な信仰対象だ。おかげで、村のあちらこちらでコブラに出会う。
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村人はコブラと共に暮らし、コブラを見ても、コブラが近づいても怖がらない。
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コブラに噛まれるのはこの村では稀なことではない。しかし、噛まれても治療を受けることを拒否するという。
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村では誰もコブラの毒で死んだ者はいないという。
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子供でさえも奇蹟的な回復をしている。
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mh:ここでも黄色いマリーゴールドが使われています!

村人はコブラの神に毎日、祈りを捧げている。
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ヒンドゥ教はガンジーに沿って急速に広がっていった。
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信仰は野生動物の保護にもつながっている。自然を敬うという思想だ。
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ここバディシュロという町では住民が身近な動物に極端に寛大なのに驚かされる。
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ゲトゥマキャッツ(?猿ですが・・)は町中でも我が物顔に振る舞っている。
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焼いたナンは、ちょっと目を離すと、直ぐに盗られてしまう。
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しかし、この地の人々にとって、サルとの出会いは別の意味があるのだ。

数千年の間、ヒンドゥ教徒は川と共に暮らすことが極めて神聖だと考えて来た。
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mh:で、この女性も魅力的ですねぇ。インドは美人が多い国だと思います!
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しかし、およそ1千年前、物事は変わり始めた。西からイスラムの風が渡ってきたのだ。ムガル帝国の誕生だ。影響はガンジス平原を覆うことになった。
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イスラムを受け入れると、新しい技術、文化、芸術が花開いた。
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イスラム様式の繊細な建築や装飾が取り入れられていった。
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精緻な文様はムガルの世界の魅力を表している。
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しかし彼等の自然に対する姿勢は、昔からこの地で暮らすヒンドゥ教徒と大きく異なっていた。
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王宮の庭には、捕まえてきた動物を放し飼いしていた。
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中央アジアの砂漠からやってきたムガルはガンジーの野生動物に魅かれたのだ。
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彼等はインドで初めての自然崇拝者だと考えられていたが、熱を挙げた野外活動もあった。貪欲なハンターだったのだ。対象が強敵であればあるほど、狩りの対象となった。大型のネコ科の動物の多くが殺された。しかし彼等の次に現れた侵入者たちと比べれば、ムガルが行った野生動物の殺戮はささやかだったと言えるだろう。
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英国人は商売目的でインドにやってきた。
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彼等はガンジス平原が秘めた可能性に直ぐ気付いた。そして農業は重要な産業に成っていく。産業の振興とって猛獣は邪魔者だった。それで多くの猛獣が殺されることになる。

今日、350匹のライオンが生き残っているが草原からは完全に消えてしまった。
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インディアン・チーターは更に悲劇的だった。20世紀の中頃に絶滅したと宣言されている。
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狩りは野生動物に致命的な打撃を与えたが、象の場合は異なっていた。森林で暮らしていた象は、森林を伐採してできた木材を運ぶために活用され出した。
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自然は急速に破壊されつつあった。インドは工業化に向かって動き出していたのだ。
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木材の需要は巨大だった。特に鉄道網の拡大には欠かせなかった。
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1870年代、拡大する線路への対応で、毎年1百万の寝台車Sleeperを造る必要があった。木材の切り出しは加速していた。
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英国が去った20世紀中旬、平原にあったほとんど全ての森林は失われていた。かつてはその森林で暮らしていた象はホームレスになってしまったのだ。
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今日では機械化が進んで、象が労働で活躍するチャンスもめっきり少なくなっている。

沢山の動物が取引されている所がガンジス沿いに残っていた。
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ソンフォルメイラはアジア最大の牛の取引場だ。ここでの取引きは数千年前に始まったが、以降、規模が大きくなってきた。
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11月の最初の満月の日、人々は家畜を売買するために北インド中から集まってくる。
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牛はガンジス平原では最もポピュラーな動物だ。
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馬も、集まってきた人々に娯楽を提供してくれる動物だが、何んと言っても象はみんなの注目の的だ。
毎朝、象たちは川辺で水浴びをする。
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その時は象を崇拝する数千の人々が集まってくる。
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人と象の親密な関係は数千年続いてきた。今も象は人々から高い尊敬を受けているのだ。
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ガンジスは東に流れ、終わりのない農耕地を抜け出してバンゴードに入っていく。
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バンゴードでは米の収穫の秋になっていた。
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しかし、ある村では、まだ完全に実り切る前から忙しく刈り取りが行われていた。
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夜が迫ってきた。刈り取ったコメを囲いで守られた所に急いで運び込む。
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闇に紛れてやってくる攻撃者に対する準備を始めなければならないのだ。
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それは以降6ヶ月の間(注)、毎晩行われる戦いだ。木の上の小屋から周囲を見張る。
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攻撃者は戦場に向かって移動しているようだがまだ遠くのようだ。暗いのでどこにいるのかはっきり判らない。特殊カメラを使って撮影してみよう。

いよいよ姿を現した!食糧を探している!
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草原のコメはほとんど収穫済みで象の取り分は少ない。村を襲ってくるかもしれない。象を村から遠ざけねばならない!村人は象を追い払うために戦場に出ていく!
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飢えた象は攻撃的で危険だ。象の神ガネーシャを崇拝する人も、この戦いを避けることはできない。

戦いで、バンゴードだけでも毎年100もの命が失われている、象から、そして人間からも。
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今夜はほとんど血を流すことも無く、収穫したコメも守られた。しかし空腹のまま逃げることになった象はさらに激しく攻撃してくるに違いない。
(注:6カ月間、象と村人との戦いが毎晩続く、とフィルムで言っています。恐らく二期作で、年2回、コメの収穫があり、その都度、象との戦いが行われることになる、という意味だと思います。ってことは、一年中ってことですかねぇ。)

ガンジーはバンゴールを流れながら海の近くまでやってきた。
(下の写真は海ではなくて川です!しかし広そうですねぇ!)
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そこで、川はいくつかの支流に分かれ、海に向かって流れていく。
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支流の一つフーグリー川Hooghly Riverは東インド最大の都市コルカタKolkataを流れている。
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イギリス統治時代の首都だ。
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市外一帯を含めると15百万人が暮らしている。
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技術と工業化が町の経済を支配する、急速に変化を続ける大都市だ。
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野生とはかけ離れた所だが、消費される全ての食糧はガンジーが生み出したものだ。
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人が造り出した都市環境の中で繁栄し始めた生物もいる。
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人が生み出したゴミの山で。他の生物は生存できないだろう。
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ゴミ山から取り出すことができる価値のあるものは極めて少ない。
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しかし、ここが天国だという生物もいるのだ。
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ブラック・カイトだ。ゴミの中から餌を見つけ出す。
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餌を巡って仲間同士で戦いもする。
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この地に初めてガンジーが到達して以来、ガンジー流域の形態は大きく変化してきた、元の姿も判らないほどに。
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ガンジーは多くのものを生み出し、繁栄させてきた。それは今後も続くだろう。しかし、どのくらい長く続くのだろうか。

ヒンドゥ教徒がこの世を去る時、もっとも好まれる場所はガンジス河岸だ。
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体は灰となり、産みだしてくれた水と共に流れていく。
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魂は救われ、罪は消える。ガンガーが来世を保証してくれるのだ。
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永久に続く、生と死と再生の輪廻はヒンドゥの信仰の中心にある。
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新しい朝が川の上にやってくる時も、ガンジーは予知することが不可能な未来に向けて流れ続けていた。
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人口の増加は川を汚染し、水量も減りつつある。しかし、全てが失われていくわけではない。
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川イルカはガンジスの水で生きているもっとも素晴らしい生物だろう。
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この素晴らしい動物も他の動物と同じように減少しつつある。
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しかし、川イルカが生き残っている限り、新たな自然を産み出せるかもしれないという希望は残されているのだ。
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デルタで、ガンジーは輪廻の最後の段階に入る。広大な海の中の流れとなり、生命を育て生命を奪う川として再び生まれ変わるのだ。
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GANGES or GANGA - FLOWING FROM HARIDWAR TO CALCUTTA
https://www.youtube.com/watch?v=aDKZSpDyn-Y

補足
12月6日(日曜)の朝日新聞特番Globeで見た記事をネットで見つけたので追加します。
National Geographic
「Learning to Live With Leopards豹と共に生きる方法を探して」

As humans encroach on their habitat, the big cats are adapting. Can we do the same?
人が侵害してきても大型ネコ科動物は適応している。我々もおなじことができるだろうか?
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Lit by a camera-trap flash and the glow of urban Mumbai, a leopard prowls the edge of India’s Sanjay Gandhi National Park.
動物検出カメラのフラッシュと都市ムンバイの灯に照らされ、インドのサンジャイ・ガンディ国立公園の縁をうろついている豹
About 35 leopards live in and around this park.
およそ35匹の豹が、公園と周辺に棲息している。
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http://ngm.nationalgeographic.com/2015/12/leopards-moving-to-cities-text

(ガンジーPart-2:完)

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mh徒然草71:直ぐやる3つのこと

(mh:当初公開予定より1週間送らせて頂きました。(11月25日))

あけましておめでとうございます。実は、今日も11月15日で、前回のmh徒然草「あけまして・・・」を投稿して小雨の中、団地から20分の横浜地下鉄ブルーラインの駅で女房殿を見送って、たった今、帰宅したところですが・・・

鉄は熱いうちに打てといいますけれど、mhの場合は、記憶が消え失せる前にメモしろ、ということで、前回のISのテロに関係して思いついた、もう一つのことを記しておきたいと思います。

ISテロの根源を象徴的に表現すれば「砂漠と石油」ではないかとベッドの中で思いついた、ということは前回のブログでも申し上げたはずです、少々、記憶が薄れていて怪しいのですが、概ね正しいでしょう。

で、その時、同時に、どういう訳か、早く3つのことをやるってことも思いついたんです。多分、砂漠と石油では2つしかないから、教育を上げて3つにしないと、という潜在意識もあったのではないかと思います。

で、“直ぐやる”と“3つのこと”にどんな因果関係があるというのか?それがあるんですねぇ、お釈迦様も仰ったように全ての事象は相互に影響を与え合っているのです。

“直ぐやる”と、“3つのこと”の関係を、文字通り説明する一番判り易い例をご紹介しましょう。それはmhが若かりし頃、TVか何かで、誰かがのたまわっていた「他人に説得力ある解説をするための重要な手段」なんですね。いたく納得したので、今も忘れずに覚えているのです。

具体例を挙げるとこうです。TVなどでコメンテーターが「今回のパリにおけるISの集団テロの根源は何でしょうかねぇ?」って聞かれたとします。優れた、つまり説得力や影響力のある対応をしたければ“直ぐ”こう答えるんです。「3つの根源があります!」

で、直ぐ答えるのは、間を置くと視聴者の興味が薄れ、以降は真剣に聞いてくれなくなるからのようです。で、3つというのは、凡そ物事には最低でも3つ以上のポイントがあり、1つ2つでは少な過ぎ、4つ以上だと視聴者の関心が散漫になるので、3つが最も好い数だというのです。

で、「それには3つのポイントがあります。」と直ぐ応え、「まず第一は砂漠です!」と言います。およそ、ほどほどの情報や知識がある人なら、最低でも2つ位は頭の中にあるはずだと言います。でも「3つあります」ってまず応えるんですねぇ!

そして一つ目のポイントを話しながら、頭の中にあった2つ目のポイントを整理していきます。そして2つ目のポイントを「で、第二は石油です」などと話しながら、または一つ目のポイントを話している最中に、3つ目のポイントを見つけ、どう話すかは2つ目のポイントを話している最中に整理するのです。前回のブログでは、これが「教育」でした。

早くやることの効果については、以前、mhの信条としてご披露したと思いますが、簡単にまとめれば「人間は自分が思う程、頭は良くないのだから、やってみないと判らないことが多く、やって初めて判ることは沢山あるので、失敗を恐れずにまず、直ぐやること。その結果、間違いをしてしまったなら躊躇せずに直ぐ改めること。」となります。

なお、Wiki「銃規制」によれば欧州諸国の状況は次の通りでした。
「ドイツ、フランス等、国民への護身用目的の銃を認めている国もある。ただし、当局より護身用として使っても良いという許可を得る必要があり、この審査は厳格で、フランス、ドイツともにライセンスを所持しているのは100人を超える程度である。警備員(要人警護担当のみ)や宝石商など危険にさらされやすい職業にも護身用に許可されるケースが多い。全米ライフル協会のような大規模なガン・ロビー団体がないため、凶悪犯罪が起きるたびに規制が強化される傾向にある。」
Yahoo知恵袋の回答の中には次の記事がありました。
「フランスは、比較的銃規制が緩い国です。民間で所持されている銃は1900万挺あり、人口100人あたりに換算すると31.2挺、これは178カ国中12位になります。
銃を所持するためにはライセンスが必要で、それは18才以上という制限があります。合法的な所持目的としては狩猟、標的射撃の他、「護身目的とセキュリティ」も認められます。
自動小銃や、ある種の危険な弾薬の所持は禁じられています。拳銃の所持は狭い範囲でのみ許されています。
ライセンス取得の際には犯罪歴や精神疾患がないかどうかといったバックグラウンドチェックがあります。既にライセンスを取得しているものでも、DVを起こしたりすると剥奪されることがあります。所持できる銃や保管しておける弾薬の量にも制限があります。
公共の場所で銃を隠して持ち運ぶことは、特別な許可があれば可能です。」

そのうち、TVでも取り上げられ、この辺りがクリアーになるのではないかと思いますが、恐らくYahoo知恵袋の回答が実態に近いのではないかと想像します。

フランスのフランソワ・オランド大統領は声明で「我々はへこたれない。ISには徹底抗戦する」と言ってましたが、ブログ「ヒッタイトの不思議」でもご紹介したヒッタイト王テリピヌなら「ISの今回の行動に復讐しない」という選択をしたでしょう。目には目を、という発想で「ISを潰そう」言い換えれば「ISを皆殺しにしよう」というつもりのようですが、イスラム系の国家に貧困がある限り、そして貧困は解消することは当分は無いのですが、ISのような神の名を語るテロ集団が根絶されることはありません。なら、イスラム系の国家をなくす、つまりイスラム教を完全になくすか全く異なる宗教に修正すればよいではないか、という発想もありますが、これを実現することはキリスト教徒には不可能で、仮に実現したとすれば、こんどはキリスト教徒のテロ集団CS(Christian State)が生まれるだけで鼬(いたち)ごっこです。フランスやアメリカ、それにロシアはシリアのISに空爆を続けています。そんな中でISの過激思想に共感して、フランス、イギリス、そして我が日本でも、ISに加わりたいと考える若者が生まれていることを忘れてはならないと思います。

もし欧米や中近東の国々が仏教を受け入れたなら、このようなテロ事件は減るのではないかと思いますが、イスラム教では改宗を認めていませんから、なかなか大変です。結局、イスラム教徒はイスラム教に矛盾があると思ったって、それを修正することができず、矛盾を抱えたままイスラム教が、コーランが、唯一の正しい教えだと信じて生きていくしかないとすれば、ムハンマドは罪作りな男だと私は思います。
Simon & Garfunkel - Bridge over troubled water (with lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=k0WU1ePzhOI
(完)

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ガンジス川の不思議(1)

ガンジス川と聞けば「あぁ、インドの大河ね」と誰もが直ぐ応えることでしょう。少しインドに詳しければ、ヒンドゥ教徒にとって重要な川で、バラナシ(Varanasiワーラーナシーが正しい。日本ではベナレスとも)が聖地で、祭りにはインド中から人が集まってガンジス川で沐浴する処として有名だよね、って言うでしょう。
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Wiki;ガンジス川
ヒンディー語やサンスクリットではガンガー(गंगा)と呼び、これはヒンドゥー教の川の女神の名でもある。また漢語ではこれを音写し恒河(こうが、中国語音は Hénghéヘンホゥー)と呼ぶ。英語では the Ganges と呼び、これは和名の由来でもある。the Nile などと同様、それだけで完結する固有名であり、本来は Ganges River のような言い方はしない。

Wiki;ガンガー
ガンガー(Gaṅgā, गंगा, 恒河(ごうが))は、ヒンドゥー教に伝わる、ガンジス川を神格化した女神。現地のひとは、川自体も「ガンガー」と呼んでいる。「母なるガンガー(Gangamataji)」とも呼ばれる。乗り物(ヴァーハナ)はワニのクンビーラ。
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ワニ(クンビーラ)に乗ったガンガー女神。ニューデリー国立博物館蔵

神話によると、始めはガンガーはヴィシュヌ神の足の指から流れ出て、天界にあるブラフマーの町の周囲を周っていた。賢者バギーラタは、誤ってカピラ仙の怒りにふれ焼き殺された祖先の霊を浄化するために必要なガンガーの聖水を地上にもたらそうと、ヒマラヤ山中で修業を積んだ。ガンガー女神はその願いを受け入れたが、天界から地上へ落下するガンガーの奔流を受け止められるのはシヴァ神のみであると伝えた。バギーラタはカイラス山に赴きシヴァ神に祈りを捧げ願いを聞き届けられた。
(Kailash with Shivas Faceシバの顔を持つカイラス山:チベット)
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シヴァ神は地上に落下するガンガーを豊かな髪で受け止めヒマラヤ山中に注いだ。バギーラタの先祖の遺灰はその水で浄化され、霊は天国へ昇ることができた。それ以来、ガンガーは聖なる川として地上の人々に恵みをもたらし続けているとされる。
ガンジス川(ガンガー)は現在でも「聖なる川」としてヒンドゥー教徒の信仰の対象であり、この川の水で沐浴すればすべての罪は浄められ、死後の遺灰をこの川に流せば輪廻から解脱できると信じられている。
(Wiki完)
つまり、ガンジス川はヒンドゥ教徒にとってはガンガーという女神なんですね。生前(注)に何をしようが、沐浴すると全ての罪は浄められ、死後(注)に遺灰を川に流してもらえれば生前にどんな悪さをしていても輪廻を脱して天国に迎え入れられるっていうのですから、ご都合主義というか、身勝手な理屈もいいとこだと思います!

(注)「生前」とは生きている時のことなんですが、何故「生の前」と言うのか??この疑問は既にネットに投稿されていて、ベストアンサーは「死後との対比。死⇔生、後⇔前、で死後の反対だから生きている時を指す」でした。

ヒンドゥ教のこの身勝手な理屈を聞いて、数日前の11月28日に行われた昔の会社の仲間との定期情報交換会のテーマ「イスラム・中東」で話題になった死後の話を思い出しました。イスラム教では、生前に悪いことをしていると死後には地獄に落ちるんですね。これはキリスト教徒もおなじかと思います、最後の審判で裁かれますからね。イスラム教徒には地獄があると本心から信じている人が多いようですね。しかし、ついつい悪いことをしてしまい、地獄へ行かねばならぬという恐怖に駆られるのですが、この恐怖から逃れる方法があったんです。「ジハード」なんですね。聖戦と訳され、イスラムに対抗する異教の信者を殺害すれば聖戦すなわちジハードだから、死後は天国に行けるらしいです。イスラムの聖典クルアーン(コーラン)では殺人は禁止しているんですが、恐らくクルアーンの解釈の仕方だと思いますが、異教徒を殺すのは許されているんですね。ご都合主義もいいとこですが、集団的自衛権は違憲ではない、って論法も日本ではまかり通ってますからイスラム教徒だけを非難することはできません。

クルアーンで定められている、イスラム教徒がしなければならないことは5つ(五行、5柱)です。
1. 信仰告白(シャハーダ)
「アッラーフ(神)の他に神はなし。ムハンマドはアッラーフの使徒である。」とアラビア語で唱えること。
mh:アラビア語で言わないと御利益(ごりやく)はありません!
2. 礼拝(サラー)
カアバ(カアバ神殿)に向かって1日5回の礼拝を行う。1回目は夜明け、2回目は夜明け以降、3回目は影が自分の身長と同じになるまで(お昼)、4回目は日没から日がなくなるまで、最後は夜となっている。
(メッカのカアバ神殿)
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3. 喜捨(きしゃ;ザカート)
困窮者を助けるための義務的な喜捨。制度喜捨あるいは救貧税とも訳される。自由喜捨と制度喜捨がある。
4. 断食(だんじき;サウム)
ラマダーンの月の間、日の出から日没まで断食する。断食中は食べること、飲むこと、喫煙、性交が禁止される。
mh:日没してしまえば断食は無用です。
5. 巡礼(ハッジ)
メッカ(マッカ)への巡礼の事を指す。

そして6番目として奮闘努力(ジハード)があります。異教徒に対する戦い(聖戦)という解釈は過激派やイスラムを正確に理解できていない異教徒に持て囃(はや)されている身勝手な解釈のようです。クルアーンには異教徒を罰することをどう描いているのか?邪教を撲滅するのは正義だと定義していたなら、ISやアルカイダ、タリバン、ボコハラムなどの主張の方が教えに忠実だということですから恐ろしい宗教と言えますが・・・どうなってるんでしょうねぇ。イスラムの教えを捨て、無神論者やキリスト教信者に改宗するのは重罪で死に値するということは書いてあると思います。

イスラム教やキリスト教には天国と地獄があって、最後の審判でどちらに行くのか裁かれると聖典に書かれていますが、仏教ではそんな馬鹿げたことことはありません。えぇ?あるでしょって言うんですか。あぁ、閻魔様の所に連れていかれ、生前の行状が記録された閻魔帳を基に、天国に行くか、それとも地獄に落ちるかの審判を受けるって話ですよね。それは作り話です!我が尊敬するお釈迦様は天国や地獄については一言も仰らなかったはずです。少なくとも、お釈迦様が亡くなって100年後くらいにまとめられたお釈迦様の教えの原典には出てこない発想です。お釈迦様は、当時、インドの人々の関心事だった輪廻転生についても話されなかったようですよ。人間が死ぬとどうなるのかとの問いには笑って答えなかったと言います。偉い人ですねぇ、お釈迦様は。全てをご存じだったんです。

あらあら、ブログの本題「ガンジス川の不思議」からどんどん離れてしまいました。ここで少し軌道を本題の方向に戻しましょう。

なんでガンジス川はそんなにも重要な川になったのか?
それは勿論、インドの農業には極めて重要な恩恵をもたらしてくれる川だったからです。この川なしで生活は成り立たなかった。それは人間だけではなく、他の多くの動物にとっても同じです。
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それで、人々が川の周辺で川の恩恵を受けながら暮らしているうちに、河に対する崇敬の念が生まれ、川はガンガー女神として崇(あが)められることになりました。

で、ガンガー女神はヒンドゥ教の神の一人に加えられていますから、ガンガー(ガンジス川)を考える時、ヒンドゥ教についても知っておかねばなりません。mhは、ヒンドゥ教が生まれていなかったとしてもガンガーという神は生まれていたのではないかと推定していますが、ヒンドゥ教やガンガー女神の詳細をここでご披露するには知識不足ですし、おそらく、仏教徒の日本人には理解の範疇を越えると思いますので、ここでは「ヒンドゥ」とは何かについてご紹介しておきたいと思います。

Wiki:「ヒンドゥ」 Hindu
サンスクリットでインダス川を意味する sindhu に対応するペルシア語。「(ペルシアから見て)インダス川対岸に住む人々」の意味で用いられ、西欧に伝わり、インドに逆輸入され定着した。

つまり「インダス(川)」が語源なんですね。
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2015年6月、私はインダス川沿いのカラコルムハイウェイを通ってパキスタンのイスラマバードから中国のカシュガルに抜けました。途中にはヒンドゥクシュ山脈がありました。ペルシャ語で「インド人殺し」の意だとWikiにあります。インダス川対岸の人つまりインド人がこの山で大勢死んだんですね。奴隷として山を越えてペルシャや中央アジアに連れていかれる時に亡くなったんだと思います。それで、この名が付きました。

インダスIndusの水に対する崇敬の念に端を発して生まれた宗教がヒンドゥ教になっていくのですが、実は古代、インダス川にそって流れていたサラスヴァティという川がありました。次の地図ではインダス川に並行して流れるサラスヴァティ以外に、ガンジス川に沿って流れるサラスバティも記されていますが、それはサラスバティ川がヒンドゥ教徒のインド人にとって重要な川である証(あかし)です。
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インダス文明は、どちらかと言うとサラスヴァティ流域で生まれ、発達した文明といえる位で、古代インドの聖典ヴェーダの一つで「シンドゥ七大河の筆頭の河川であり、「河川賛歌」に賛美される十の河川のうちのひとつ」になっていて、この川だけが賛美された賛歌があるくらいなのです。
サラスヴァティについては2014年11月24日公開のブログ「インダス文明の不思議」をご参照ください。地震による地殻変動でサラスヴァティの流れは東に振られ、今ではガンジス川の水源の一つになっていると考えられています。

さて、やっと本題のガンジス川・ガンガーについてご紹介できる段階となりました。いや、しかしちょっと待ってください!やっぱ、もう一つ触れておかないと理解が深まらないのではないかと思いますのでご披露しておきたいと思います。それはインド発祥の経緯です。

次の図は大陸移動説で取り上げられたパンゲア大陸で、今から約2億年前の三畳紀(さんじょうき、Triassic period)、地球を覆う海のなかに、たった一つだけあった大きな島ともいえる大陸です。
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このパンゲア大陸が、現代の科学に照らして言うとプレート・テクトニクス( plate tectonics)によって分割され、移動し、ユーラシア大陸とインド亜大陸がぶつかって出来たのがヒマラヤで、今もヒマラヤは毎年2cm高くなっていて・・・ってなところまで遡って今日のインドが出来るまでを話し出すと、それこそ取り留めがなくなるので・・・時間をぐっと戻して西暦1370年当たりから始めましょう。

Wikiによればモンゴル帝国は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家です。創始者チンギス・ハンと『四駿四狗』やその他の後継者たちは、西は東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国を築き上げました。
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領土の変遷の様子は次のURLでご覧できます。1206年に生まれた国は80年足らずのうちに世界最大の帝国になったんですねぇ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD#/media/File:Mongol_Empire_map.gif

で、このモンゴルの襲来を受けた国から生まれた王朝がありました。ティムール王朝(1370年 - 1507年)とも呼ばれ、始祖は英雄ティムール。首都は現ウズベキスタンのサマルカンドでした。王朝の最大版図は次の図です。インダス川を擁するパキスタンや北西インドも含まれていました。
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ティムール帝国末期の16世紀、ティムールの末裔のバーブルが北インドへ南下し、1526年にデリー・スルターン朝(ローディー朝)を倒して ムガル帝国を打ち建てます。150年後には現在のパキスタン全土、インドの南端部と東端部を除くほぼ全土、バングラディッシュ全土を版図とする帝国になりました。
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「ムガル」とはモンゴルを意味するペルシャ語「ムグール」が転訛して出来た言葉です。元々の帝国を創ったティムールは成吉思汗と血縁があったと主張していたようですから、その子孫たちも、自らの正統性を誇示したかったのでしょう。

しかし・・・
1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがカリカット(現コルカタ、英語名カルカッタ)へ来て以降、インドや東南アジアでは植民地化が進行していきます。そしてムガル帝国も欧米の帝国主義に蹂躙(じゅうりん)される運命をたどりました。ポルトガル領インド、デンマーク領インド、フランス領インド、などが生まれていき、1760年、フランスとの勢力争いに勝利したイギリス(イギリス東インド会社)がムガル帝国領土の実質統治を開始するに至ると皇帝の地位は急速に衰退してしまいます。

イギリスはムガル帝国にとどめをさすと、1877年、それまで英国王朝の手先だったイギリス東インド会社を解散してイギリス領インド帝国を成立させ、イギリス国王をインド皇帝に推戴しました。しかし、ガンジーなどの努力によってインドの独立が実現するのですが、ヒンドゥ教徒とイスラム教徒の確執から、インド帝国はヒンドゥ教徒が住むインドとイスラム教徒が住む西パキスタン、東パキスタンに分裂し、後に東パキスタンはバングラディッシュとして独立しました。
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いつものように徒然なるまま、ガンジス川の説明に入るための関連情報をご紹介してきましたが、ついてきて戴けたでしょうか。

それでは、ガンガーとも呼ばれるガンジス川についてご説明致しましょう。
次の地図をご覧ください。
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ガンジス川Gangesは、ヒマラヤに端を発し、一部ではデカン高原などの砂漠地帯から流れくる水も集めながらインド平原を東に流れる、全長2525Kmの大河です。川の長さはナイルやアマゾンの半分以下ですが、雨季の水量でみると、水量世界1,2位のコンゴ川、アマゾン川に優るとも劣らないようです。

で、上の河川図には気になる別の大河が現れていますねぇ。ヒマラヤ山脈の北のチベットを、ガンジスに沿って東に流れるYarlung Zangbo(Tsangpo)という川があって、これは下流にいくとBrahmaputraという川になってガンジスの下流のPadmaと言う川に合流し、さらに下流ではMeghnaという川も合流しているではありませんか!!!

ガンジスの下流はバングラディッシュではPadmaと呼ばれる川なのですねぇ。つまりガンジス川はガンジスという名でベンガル湾に注いでいなかったのか!

と思われるでしょう?

私も気になって、この辺りを調べてみたのですが、やっぱり、ガンジスはガンジスと言う名ではベンガル湾に注いではいないんです!!!

ガンジスの下流はガンジス・デルタ、別名というか正式名はシュンドルボンSundarbans、で沢山の支流に分岐するのですね。この分岐点でガンジス川という名は消滅してしまいます。ガンジスから分岐した支流で一番水量が多い川はPadmaで、その他の支流もガンジスとは異なる名が付いています、mhが地図で確認する限りにおいてですが。

ガンジス・デルタは世界最大の河口湿地帯で平地ですから、沢山の支流が生まれるのは自然の理で、それぞれの支流の水量(規模)は些細な理由から変化すると考えられますから、30年後はPadmaは小さな支流に格下げされ、コルカタに流れ下るガンジスの支流フーグリー川の水量が最大にでもなれば、コルカタはインドの大都市ですし、バングラディッシュはイスラムですがインドならヒンドゥですから、河の名前はヒンドゥ教徒にとって最も神聖な名、つまりガンガーと命名されるのではないかと思います。

では、上流はどうなっているのか?上に挙げた地図ではGangesという名のまま、ヒマラヤまで続いているように見えますが、そんなことはないのですね。およそ世界の大河で、河口から水源まで一つの名前しかついていない川は少ないと思います。特に国際河川となると国が変われば名前も変わるのが普通です。

上流にはどんな川があるのか?どこが河口から最も遠い水源か?上流における川とヒンドゥ教との関係はどうか?について紹介するYoutubeがありました。3部作ですが、以下は第一部です。

砂漠を流れる支流:これは第二部で詳しく紹介されています。
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これも第二部の映像でしょう、ガンジス平原をゆったり流れています。
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ヒマラヤから流れ下る支流。
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下流に近いところの映像だと思います。
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BBC Documentary「Ganges」シリーズのタイトル画面です。
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GANGES or GANGA-DAUGHTER OF MOUNTAINS(Part-1)

で~、このYoutubeフィルムに沿ってGangesをご紹介しようと思って見始めたのですが、Part-1ではガンジス上流にあるヒンドゥ教の聖地に焦点をあてたもので、映像は綺麗なのですが、ストーリーをそのままブログ化することが難しいと思われましたので、mhの独断で、mhがネットで蒐集した情報を使ってお伝えすることにさせて頂きました。このブログを全て読破された諸氏は、きっとYoutubeフィルムを楽しむことが出来ると思います。ということで、今しばらく、お付き合い頂きましょう。

まずガンジス川の水源についてですが、地理学的にはガンジスに流れ込む水源は全てガンジスの水源で、それは無数といってよいほど沢山あります。その中で河口から一番遠い水源は後述する聖なる山ニルカンタから聖地ガンゴトリを流れるバーギーラティー川のようです。しかし、インド人、正確にはヒンドゥ教徒にとっては、ガンジス川はガンガーであって神そのものですから、地理的ではなく宗教的な水源が重きをなすのです。

「ヒンドゥ4大聖地」をキーワードにYahoo検索したら、秘境ツアーの企画で知られるS旅行社の企画がヒットしました。
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「ヤムノートリー、ガンゴトリ、ケダルナート、バドリナートの四大聖地巡礼」
「ヒンドゥ教徒が一生に一度は訪れたいと願う憧れの地へ。聖地に到達し、歓喜する人々の篤き信仰の姿に触れる冒険行」とあります。地図もありました。
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上の地図によればバドリナートとケダルナートを流れる川の合流点にルドラプラヤグという町があって、そこから「ガンジス川」として流れ始めているようです。

所で、ヒンドゥの聖地については四大聖地とか十大聖地とかあるようですが、インドではChar Dham (4つの場所) と呼ばれるヒンドゥの尊い巡礼地があり、バドリナートBadrinath、ドワルカDwarka、プリー Puri 、ラメスワラムRameswaramだと言います。

バドリナートはガンジス川水源のヒマラヤにありますが、ほかの3つはガンジス川とは無関係の、いずれも海岸近くの町です。

ドワルカはアラビア海岸の町でインダス川河口の近く。
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プリーはベンガル湾岸の町でガンジス・デルタから数百Km離れています。
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ラメスワラムはインド亜大陸の南端で、スリランカ(セイロン島)に向かって伸びる細い半島の先にある町
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このChar Dhamから派生したのだと思いますがChota Char Dham(Chota小さなChar Dham4つの場所)というヒンドゥの巡礼聖地も定められています。この4つの聖地がS旅行社のパンフレットで取り上げられている場所、つまり聖なる河ガンガーの水源に設けられた聖地で、ヤムノートリーYamunotri、ガンゴトリGangotri、 ケダルナートKedarnath、バドリナートBadrinath、なのです。

つぎの映像はGoogle EarthにChota Char Dham(小さな4つの場所)をピン・アップしたものです。
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4つの場所は首都ニュー・デリーの北東300Kmのヒマラヤの雪の中に集中してプロットされています。
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バドリナートBadrinathの近くにはニルカンタNilkantha山(6,596m)があり、聖山の一つと考えられています。
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この山を見て思い出したのですが、これと似た聖山が約200Km離れたチベットにあります。
聖山として有名なカイラス(Kailash6,656m)です。
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カイラスは仏教(特にチベット仏教)、ボン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の聖地で、巡礼者が訪れ、何週間も、時には五体投地しながら何カ月もかけて山の裾を一周するのですが、この近くに水源をもつソンポTsungpo川はチベットを東に流れ、拉薩(らさ)の南を通過してからも更に東へ流れ、ブータンを迂回してからバングラディッシュでガンジス川と合流するのです!

それではインド・ヒマラヤ地方にある4つの聖地をご紹介しましょう。デイブルー(ヒンドゥ語で神の地)と呼ばれる一帯にあるのです。
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第一の聖地:ケダルナートKedarnath
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近くには雪豹Snow leopardもいます。
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寺院の標高は3千5百m
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春になって雪が融けると巡礼者が集まってきます。
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ガンジス川で洗濯をする女性。きれいですねぇ。私のタイプです。
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沐浴をする信者。雰囲気は聖者そのもの。修行僧なのは間違いないでしょう。
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インドには聖者のオーラを持つ男が山ほどいるけれど、本当の聖者は一握りの男達で、後はみんな山師だろうというのが捻くれた根性のmhの見立てです。

第二の聖地:ヤムノートリーYamunotri。温泉で身を清めたりしています。
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第三の聖地、、バドリナートBadrinath
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橋の突当たりの上にある神聖な寺院。
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神の使いの動物が本殿の床を支えています。
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第四の聖地:最も神聖な寺院ガンゴトリGangotriです。
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礼拝に訪れる巡礼者は途絶えることなく続きます。
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ガンガーの水は、この世界で初めて、この場所に現れたと信じられています。
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寺院の前を流れる川にそって上っていくと段々と聖地の中の聖地に近づいていくのです。
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その先には既にご紹介した聖なる山ニルカンタNilkanthaがあり、その直ぐ向うは第一の聖地バドリナートBadrinathです。この水源が地理学的にガンジスの河口から最も遠いとされています。

少し下流にあるデヴパラヤッグDevaprayagの町
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ここで第一、第三、第四の聖地を流れた川が合流したアラカナンダAlakananda川(右)と、バーギーラティーBhagirathi川(左)が合流してGanges(手前)になります。
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デヴパラヤッグから約40Km下流のハリドゥワーHaridwa
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毎夕、川岸の階段に人々が集まってお祈りが捧げられる、ヒンドゥの重要な聖地の一つです。輿に載っているのはシバ神です。
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以上がGanges Part-1で紹介されている、デリーから東北100Km以遠の神聖スポット、つまりガンジス川の上流一帯散在する聖地の情報です。

Part-1のタイトルとURLは次の通りです。
GANGES or GANGA-DAUGHTER OF MOUNTAINS
(ガンジス・ガンガー:ヒマラヤ山脈の娘)
https://www.youtube.com/watch?v=UM9aPy7H534
綺麗な映像でヒマラヤの自然、ガンジス流域の動物、花などが紹介されたフィルム(50分)です。ご関心がありましたら、是非ご覧ください。

でぇ、Part-2のタイトルは・・・
GANGES or GANGA - FLOWING FROM HARIDWAR TO CALCUTTA
(ガンジス・ガンガー:ハリドゥワーからコルカタへ流れる)
これは次回のブログでご紹介する予定です。

更にはPart-3ってのがあるんですねぇ
GANGES or GANGA - FLOWING INTO SUNDARBANS
(ガンジス・ガンガー:サンダーバン(日本語:シュンドルボン)に流れ込む)
まだ最初の部分しか見ていませんが、デルタの自然を中心にしたものだとすれば、パスさせて頂くかも。
(Part-1完)

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mh徒然草70:あけましておめでとうございます。

mh:当初の公開予定日1月1日から1週間遅らせて頂きました(11月25日)。

気が早い、というか暇が満ち溢れているmhは、この記事を11月15日に書いているのですが、今年分のmh徒然草の投稿は完了し、このブログは1月1日の公開です!たった今まで、それに気付きませんでした。

実は今日は日曜日ですが、女房殿が七五三の着付けアルバイトで横浜みなとみらいの貸衣装屋に朝早く出かけるというので、早目に起きて朝食を仕込み、女房殿が出かける7時半まで若干の時間があるので、パン焼き器に食パンを放り込み、このブログを書き始めました。パン焼き器のスイッチONは25分後なので、それまでに終えられるかどうか。

こんなに慌ててブログを書くことにしたのは、日本時間14日早朝のパリの乱射事件について思うことがあったからです。
朝日新聞一面トップ「同時テロIS犯行声明」とありますが、亡くなった人の数は一面には記されていません。120人を超えると昨日のニュースで言っていましたから、重体の方も多く、死者の数はもう少し増えるのではないかと思います。

ISやこれに組するイスラム系テロリスト集団がいる限り、このような惨事は続くのでしょうが、それはフランスが日本などと比べたら膨大な人数のイスラム系外国人を受け入れているからだけではなく、ひょっとすると銃器の個人所有を認めているからではないのかしら、とふと思いました。本来なら直ちにネットでこれが真実か否かを確認するmhですが、今は女房殿のパンを焼く仕事が待っていますから、疑問はそのままとしておきます。

もし銃の所有をもう少し厳格に法律で定め、管理していたら、事故は起きなかった可能性があります。アメリカで散発している学校や教会などでの乱射事件では、その都度、国民から銃規制の話が出てくるのですが、銃の製造メーカーや愛好家で構成される全米ライフル協会などが「こんなだからこそ、自分の身は自分で守らねばならない」といって、むしろ銃の個人所有を奨励する話が出されています。こんな発想では世界から原爆が無くなることはないでしょう。

で、ISのテロがなぜ生まれることになったのかについて、以前、ブログで貧困を挙げました。サウジアラビアやブルネイではイスラム国にも拘わらず、テロは起きていません。使い切れない富を地中に埋まっている石油が生み出してくれ、国王は世界でも屈指の富豪ですから、国民の反発を抑えるために生活費の一切合財を国が保証しているので、国民は働かなくても綺麗な家に住み、食事を楽しみ、車を乗り回し、教育も受けられるのです。じゃあ、レストランのコックやウェイター、ゴミ収集作業や病院の看護師などは誰がやっているのかというと外国から来た出稼ぎ労働者です。

このように石油で富を得ている国は、石油が枯渇するまで、国民の不満は抑えられるのかも知れません。しかし、そうではない中東やアラブ、北アフリカの、砂漠が国土の大半を占めている国はどうでなるんでしょう。砂漠と石油。この2つがISが生まれる根源ではないのか?と朝、ベッドの上で思いついたので忘れないうちにしたためることにした次第です。

しかし、落ち着いて考えてみると、砂漠と石油で貧富の差は生まれ、これがテロの温床になったという考えは間違いではないでしょうが、マララさんではありませんが、やはり教育の貧困がテロ集団を産んだのだと思います。偏りのない知識を得て、自分の人生について広い目で考えることさえ出来たなら、仮に貧困でも、自分の思想のために他人を殺すという発想は生まれないと思います、中にはそんなことを考える変人もいるでしょうが、それは僅かで、群れを成して複数の、何の罪もない人達を殺すという集団テロなんて起こらないでしょう。

まだまだ書き足りないことが残っていますが、もう時間です。
折角のお正月につまらない記事を投稿することになって申し訳ありません。新しい年もよろしくお願いいたします。

(追記:11月24日)
フランスの銃規制は緩(ゆる)い、というニュース報道がありました、やっぱりですね。また米国ライフル協会のスローガンは「Guns don't kill people, people kill people.(銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ)」で、米国銃所有者協会のスローガンは「銃規制が人を殺すのだ。銃は人を救います。」とのこと。殺す側に正義、殺される側に罪がある、という発想で、銃所有者は自分が神だと考えているかのようです。人を殺してよいとキリストは言っていないはずです。ISが行動の言い訳にしているイスラムの神アッラーは「異教徒は亡ぶべきだ」と言ったんでしょうね、多分。いずれにしても、キリストもアッラーもお釈迦様には及びません!

Helen Shapiro - You don't know – 1961
https://www.youtube.com/watch?v=y1t8AeIrkhw
(完)

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砂漠の王国の不思議

2014年1月26日「文明の起源は何か? (What is the origin of the civilization?)」でカラル遺跡についてご紹介しました。1994年、ペルーの首都リマの北140Kmで女性考古学者が偶然見つけたのは砂山ではなくてピラミッドだったのです。発掘してみると沢山のピラミッドが見つかりました!
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地中から出て来た漁獲網の綿糸のカーボンデイティングから、5千年前の文明だと判明し、メソポタミア文明やエジプト文明にも匹敵する古代文明が南米で見つかったことに世界中の考古学者たちが驚いたのです。
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詳細は2014年1月26日公開ブログ「文明の起源は何?(BBC-TVより)」をご参照ください。

しかし、ペルーと言えば、なんと言ってもインカ文明でしょう。その象徴「マチュ・ピチュ」は2014年1月21日にNational GeographicのYoutubeフィルムでご紹介させて頂きました。ウルバンバ川に囲まれた急峻な山の上に造られた、恐らく信仰の中心、皇帝のリゾート地だったのです。
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勿論、私も訪れさせて頂きました。遺跡の後ろに控えている神山ワイナ・ピチュWayna Picchuにも登りました。一歩踏み間違えれば、一瞬にしてウルバンバ川まで転げ落ちていたでしょう。
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マチュ・ピチュへの旅の起点はクスコです。標高3400mで、マチュ・ピチュより1000mも高いんです!
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クスコへはペルーの首都リマから飛行機で約2時間だったと思います。お昼前に到着してその日の観光を終えた夜、高山病で七転八倒!昼間に飲んだジュースか、サクサイワマンSaqsaywamanに行く途中の坂道で食べたトウモロコシが当たった可能性もあります。頭はキリキリ痛み、足はふらついて、その上、ひどい吐き気に襲われてベッドとトイレを何回も往復し、7千円前払いして予約していたフォークロア・ディナーショーどころの騒ぎではありませんでした。それでも翌朝は、なんとか回復し、マチュ・ピチュに向かうことができたのです。
<クスコの夜景>
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クスコはインカ帝国の首都でした。帝国は、初代皇帝パチャテクが即位した1438年から、フランシスコ・ピサロ率いるスペイン人コンキスタドールに皇帝アタワルパが処刑された1533年まで100年続きましたが、帝国になる以前は、現在のエクアドルの首都キト辺りから南下してきたケチュア族が12世紀頃に興したクスコ王国で、首都は同じクスコでした。

しかし、クスコ王国が生まれる2世紀以上も前の9世紀中ごろからインカ帝国に征圧される1470年頃まで凡そ600年続いた王国がペルーにあったのです。今回はその王国に関するBBC Documentary :Lost Kingdoms Of South America - Episode 4 「Kingdom Of The Desert砂漠の王国」をご紹介しましょう。

でぇ、今また思い出したのですが、5百年以上も栄えていたのにインカ帝国に滅ぼされた文明がもう一つありましたねぇ。2015年6月1日、ブログ「チャチャポヤの不思議」でご紹介したチャチャポヤ文明です!住民は「雲海の人々People of the Clouds」とも呼ばれていました。
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Lost Kingdoms Of South America - Episode 1 People Of The Clouds - BBC Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=GvGf0JIat0s

ここまできたら、フィルムの内容をご紹介する前に南米ペルーを中心に発達した文明の発祥地を確認しておいた方が良いでしょう。カラル、マチュ・ピチュ、クスコ、チャチャポヤ、そして首都リマ、更には、今回のブログの主題「チムーChimu(Chimor)王国」の首都チャン・チャンChan Chanをプロットしてみました。
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初期の人類と言われるアウストラロピテクス(猿人)がアフリカに現れたのは600万年前ですが、現代の人類の祖先と言われるホモ・サピエンス(Homo sapiens)が現れたのは20万年前というのが定説のようです。
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ホモ・サピエンスは、10万年前頃アフリカから拡散を始めました。ベーリング海峡(当時は地続き??氷原??)を渡って北アメリカ大陸に入ったのは1万5千年前。以降わずか1000年で南アメリカ南端に到達したと言われています。
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たったの1000年で北アメリカ北端から南アメリカ南端まで行ったってことは・・・やっぱ太平洋に沿って移動したとみて間違いないかと思います。海岸線には太平洋岸に沿って走るロッキー山脈やアンデス山脈から流れ出る川が沢山ありますから、生存に必要な水に不足しませんし、砂浜を含め、海の近くは基本的に平地ですから、移動も楽です。山が突き出していたら、小さな船で迂回する手段もあります。

こうしてアフリカを10万年前に出発したホモ・サピエンスの子孫は、5千年前に首都リマの北140Kmのカラルで文明を興し、更にはカラルの北360Kmのチャン・チャンで、1千年前に王国が誕生していたというのは、我が尊敬するお釈迦さまも仰るように、因果応報、つまり原因があったからこその結果であって、自然の摂理に適(かな)ったものでありました。

さてさて、いつものように長い前置きになってしまいました。ではEpisode 4 「Kingdom Of The Desert砂漠の王国」をお楽しみください。
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ペルー北部の海岸・・・太平洋とアンデスの間に広がる砂漠・・・
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この地に生まれ、450年以上繁栄した後に滅びた王国があった。その王国について知られていることは少ない。中心には都市があった。ここがその跡だ!
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都市の名はチャン・チャンChan Chan。産業と呼べるものが生まれる前の、言わば古代の都市だった。
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私はジャゴ・クーパー(Dr. Jago Cooper, British Museum)。南アメリカを専門とする考古学者だ。南米固有の信仰や神秘に富んだ禁断の地は、知れば知るほど深い歴史があることに驚かされる。
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ペルーの歴史の全てはインカとスパニッシュ・コンキスタドール(スペイン人征服者)の物語で語り尽くされると思われがちだが、忘れられている過去も沢山ある。

チムーChimu/Chimor王国は5世紀に渡り、太平洋とアンデスで挟まれた海岸線に広がるペルーの砂漠の北部一帯を統治していた。世界でも最も過酷と言われる気候条件と自然の中で!

人々は砂漠を農地に変えていた。
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砂漠にはオアシスを造っていた。黄金や銀も製造していた。信仰すべき神も持っていた。
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西暦900年から1400年にかけて帝国を築き上げた。何故、他の王国を侵略までして帝国になっていったのか?プレ・コロンビアン・アメリカ(注)でどのようにして都市を建てたのか?なぜ、この大都市は砂漠の中に消えていく運命を辿(たど)ることになったのか?
(注:プレ・コロンビアンというのは「コロンブスの前」ということで、アメリカ大陸がコロンブスによって発見される1492年より以前の時代を指します。)

「南アメリカの失われた王国Lost Kingdoms of South America」
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「砂漠の王国 Kingdom of the Desert」
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ペルーと聞くと直ぐ思い浮かぶのはインカだ。しかし、インカよりも古い時代、チムーChimu/Chimorという王国があった。15世紀には帝国になっていた。その版図(はんと)は太平洋とアンデスに挟まれた海岸にそって南北1千Kmに及んでいた。
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mh:王国と帝国の差
ネット辞書によれば「王国Kingdom:王を主権者とする国、帝国Empire:皇帝が支配する国家」と、味も素っ気もない解説が見つかりました。帝国の例に「大日本帝国」が出ていましたので、これから類推するに、異なる人種(日本帝国の場合は朝鮮人、満州人、台湾人、ミクロネシア人など)を併合した王国が帝国と呼ばれ、帝国の国王は皇帝(日本では天皇)と呼ばれる、ということかと・・・

ここでチムー王国の首都チャン・チャンをGoogle Earth写真でご紹介しておきましょう。
海岸の近くに首都の中心つまり王宮が集中していたようです。海岸線から黄ピンまで2Kmです。
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次の写真中央の砂漠と、農耕地を挟んでその左の小さな砂漠に世界遺産に指定されたチャン・チャン遺跡が残されています。
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複数あるうちの一つの王宮の拡大写真です。250mx400mの長方形の敷地は城壁で囲まれています。
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城壁の高さは概略10m。新しい王が就任するたびに、新たな王宮が建てられ、町に在る王宮の数は10を越えています。
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(フィルムに戻って・・・)
王国の記憶が末裔の原住民からさえも忘れ去られていた頃、この地に初めてやってきたヨーロッパ人は、この丘を登り、この光景を目にすることになった。
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町の跡だ!
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それがチャン・チャンだった。天日煉瓦(テンピレンガadobe)で造られた世界で最大の都市の一つだ。
(見えているのは山並みではありません、全て城壁です!!!)
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3万5千人が暮らしていた。
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彼等は10世紀に町の建設を始めた。そして5百年をかけ、町は都市に成長していった。
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城壁の高さは10m以上もある!
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城壁の中には10の神聖な宮殿があった。
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チャン・チャンはジグソーパズルのような建造物で造られていた。それは複雑な階級社会を象徴しているのかも知れない。
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西暦1530年代にスペイン人がやって来た時、彼等の関心は黄金と、住民にキリスト教を強制することだけだった。
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チャン・チャンでは発掘と保存作業が進んでいる。
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当時、階級社会の最高位にいたのは王族だ。選ばれた人、エリートだ。
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伝説によれば、チャン・チャンは海からやってきたタカイナモという男によって創られたという。そして彼の子孫が歴代の王として君臨し続けた。
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チャン・チャンは全能の海とも言われる太平洋に面している!
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その海の向うは・・・地球を半周する距離にあるオーストラリア大陸だ!海はとてつもなく広く、人智は及ばない!

この海は何百年にも渡ってチムーの人々に海の恵みをもたらしてくれた。
針で魚を釣る人・・・その向うにはペリカンが・・・
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網で魚を獲る人・・・
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海の恵みを受けられるか、その日の天候は穏やかか。それは全て海の神が決めることだった。
(mh:また、ペリカンです!実はチムー王国の象徴的な鳥、つまり国鳥みたいなものでした。それは後で判ります。)
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今日の収穫はこれだ。黄色く見えているのはカチェーマcachemaという鯵(アジ)に似た小魚で、この辺りでは好く獲れる。
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南極から赤道に向かう寒流「南太平洋海流」が流れているが、周期的に暖かい海水になる(注)ことがあり、するとプランクトンなどの滋養が減って魚の群れは逃げていく。
(注:エルニーニョのことを言っています。)

全能の海は気まぐれだ。魚や貝だけを当てにしていては王国の人々は生きていけない。時には一匹も獲れないまま岸に戻らねばならぬことだってあるのだ。人々はそのことを痛い程、知っていた。生き残るためには、陸地での収穫に目を向けねばならない!
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ペルーの海岸線は砂漠ばかりで暮らしていくのは難しいだろうと思うかもしれない。しかし、命を支えてくれる自然も多いのだ。
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アンデス高地からは多くの川が海まで流れ下っている。この川の水が人々の生活を支えているのだ。川に沿って渓谷があったことがチムー帝国が生まれるきっかけになった。
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首都リマの考古学博物館を訪れ、渓谷がどのようにチムーの人々を支えていたのかを考古学者のジェフに訊いてみた。
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彼によれば、ペルーの海岸沿いの砂漠には、世界文明を育てるために必要な要素は全てそろっていたと言う。

チムーの前にはモチェMoche文化が栄えていた。
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2000年程前から1300年程前まで、モチェ川沿いに繁栄していた文明だ。
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アメリカでも、最も暴力的だが、高度な文化の一つだったと言われている。
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600年以上の間、モチェ川渓谷で勢力を持っていた。
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しかし、西暦700年頃、カタストロフィー(大惨事)とも言える異常気象に襲われて消滅したと考えられている。
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その200年後、チムーが同じモチェ渓谷から生まれて来たという!チムー文化は消滅したモチェ文化が生み出した陶器や灌漑システムなどの生活基盤の中から生まれて来たのだ。
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モチェが消滅して200年後に、同じ場所からチムーが生まれた。チムーの生活様式はモチェとほとんど同じだった。チムーが受け継いだ最大の生活技術は砂漠の変革手段、すなわち運河だ!
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モチェの人々は数百年をかけて運河を造り、維持してきた。しかし、チムーの人々は、この運河をモチェの時代とは比べ物にならない規模に拡大していたのだ。

チャン・チャンの約110Km北のヘケテケ渓谷にきている。
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チムーの人々がどのように環境を変えていったのかを知るためだ。この土地が農業などには全く適さない砂漠だったとは信じられない。
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昔の運河の跡を辿りながら考古学者のルイスに尋ねてみた。
「灌漑によって、チムーの人々は、どのように砂漠を農業が出来る土地に変えていったのでしょうか?」
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「いやぁ、まずこのことは知っておいてほしいんだけれど、ここの砂漠は、言わばサハラのような砂漠だったんだよ。どんな植物もなかったし、動物も暮らせるところじゃあなかった。そこを灌漑して水を引いたとしよう。そうすれば何が出来ると思う?湿った砂漠だよ。水を引くだけじゃあ農業が出来る土地にすることはできない。チムーの人達は土を入れ替えたんだよ。緑が多い土地から土を運んで来たんだ!そうして土地を変革していった。」
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車輪も発明されていない当時、数千トンの土壌を運んだとすると、大勢の人々が長い時間をかけた作業だったに違いない。
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「その後、運河を引き込んだのだが、それは真っ直ぐに流れる運河ではなく、曲がりくねっていたんだ。水はゆっくり流れて、農業に適する環境を産み出していったんだ。」

チムーの人口が増えるにつれ、運河の規模は拡大し、農耕地も拡大していった。この農業方式を他の場所にも展開することでチムー王国がチムー帝国となる素地が生まれた。
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収穫した果物や野菜は、生活を守ってくれるリーダー達に貢物として差し出された。リーダー達は見返りとして、人々の生活を守った。こうして人口が増え、それにつれて国力も増していった。

1300年になると4平方マイル(10平方Km)だったチムーの土地は340平方マイル(870平方Km)に膨れ上がっていた。しかし、海と同様、陸地も気象の影響を受けやすかった。人口が増えるほど、大規模な飢饉も起き易くなっていった。危機に出会うと、人々は神に救いを求めたようだ。
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2011年8月、チムーと、神々と、子供達の関係が人々の目に晒(さら)されることになった。
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その時に見つかったものは、チャン・チャンの博物館に保管されていた。考古学者のガブリエルが紹介してくれた。それはガブリエルばかりではなく、多くのペルーの人々に驚愕や恐怖を引き起こすものだった。
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43の遺骨が見つかった。歯の鑑定の結果、彼らが10歳から14歳の子供ばかりだと判明した!
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大量の生贄殺人ではないのか?およそ半分の頭蓋骨の額には赤いインクが塗られている!儀式のためだろう。
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肋骨(ろっこつ)には刃物で割かれた跡が見つかっている。きっと心臓を取り出すためだったのだ!
しかし、どういう理由で、大人が、大量の子供を殺さなければならなかったのだろう。子供たちにだって両親はいた。親から子供を引き剥がし、生贄として殺してしまったのだろうか?

ガブリエルは言う「チムーの社会を想像するに、子供を差し出すことによって、親は何らかの見返りを受けていたのだろうと思う。」仮にそうだとしても、何故、子供の生贄を必要としたのだろう?チムーでは大雨で作物に打撃がでることが多かったという。雨を止めるための生贄なのだろうか?

当時の人々が恐れていたのは海と月の神だった!この2つの神が自然を司っていると考えていた。
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子供達が殺害された頃、大きな気象異常があったことが気象学者によって判ってきた。突然の気象変動で、「エルニーニョ」と言う名で知られる、周期的に発生する現象だ。
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この乾き切った砂漠にも雨が降り続いて風景を一変させることもあった。
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多くの苦難に会いながらも、チムー王国は、砂漠を灌漑によって耕作地とし、王国を拡大し続けていった。
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チャン・チャンの北約200Kmのラ・レチェLa Lecheは、モチェが衰退した750年以降、ランバヤケ文明が生まれていた所だ。
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これはかつてピラミッドだった。
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この地でランバヤケのエリートは交易を管轄し、貴金属や貝殻などの装飾具を取り扱っていた。
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その富がチムー王国の関心を惹(ひ)くことになる。

ここトゥクメイには多くの建造物の遺跡が残っている。数百年に渡り繁栄し、26のピラミッドも造られていた。14世紀、チムーはトゥクメイを占領した。そしてピラミッドよりも高い地位にチムーのエリートを据えて町を管理したのだ。
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チムーはどんな方法でこの地の勢力を維持していたのだろうか?
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トゥクメイの北50Kmの別の遺跡を訪れてみた。この地にもチムーの影響がじわじわと伝わっていたようだ。
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シェロ・サッポロというこの発掘サイトはチムー帝国の他の場所とは全く異なる。
チャン・チャンから250Km離れているこの地に、一帯を統治する行政者がチャン・チャンから派遣されていた。
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調査を続けている考古学者によれば、ここは町というより政治的、行政的な中心地だったという。
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帝国の国境を警護する砦のような所だったのだろう。

戦の跡は見つかっていないので、チムー帝国の北方拡大は平和裏に行われたようだ。灌漑技術も提供され、その見返りに、交易ルートがチャン・チャンに富みを運んでくれた。

100年に渡る遠征の結果、チムー王国は帝国となっていった。モチェ渓谷から生まれたチムーは1400年にはキーウィ―渓谷群の北から南まで1千Kmに渡る地域を統治するようになっていた。
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交易ルートや渓谷群を耕作地に変えたことから得られた富はチムー帝国の首都チャン・チャンに集中した。
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15世紀の初頭までに、チャン・チャンは王家の中心地になっていた。ペルーで最大の宗教センターで、最強の帝国だった。
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今日、大勢の旅行者が訪れる人気の観光地となっている。
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何世紀もの砂漠の嵐は、昔あったはずのレリーフなどの装飾を風化させてしまった。
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当時の様子を垣間見ることはできる。(チムーの国鳥のペリカンです!)
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しかし、これらは全て張り子だ。グラスファイバーで造られている。
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僅かに残ったレリーフの写真を元にしてレプリカとして造られ、遺跡の復元にも使われている。観光客は、このようなレリーフで飾られた王宮群を見ることが楽しいようだ。
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しかし、考古学者は本物にしか関心がない。王宮と庶民たちの住居がどうなっていたのか確認してみよう。王宮の近くでも王宮を見ることは出来ない。高い城壁で囲まれているのだ。
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若い考古学者ギエルム・ゴンザレスがチムーの階級社会について教えてくれた。
「エリートは城壁の中で、その他の人は外で暮らしていた。この2つには明確な差があったのだ。それがチムーの特徴だ。」
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「エリートの建物は天日煉瓦(てんぴれんが)で造られていた。一般人が住んでいた城壁外の建物は石組みの基礎だけが残っている。その上にあった家は藁ぶきなど、耐久性がない材料で造られていたのだ。」
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「この差から、チムーには明確な階級社会があって、人民はエリートに貢物を差し出し、その見返りにエリートは人民の生活を保証していたと考えている。」
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エリートと庶民は城壁で完全に隔てられていた。
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農民は王宮から離れた農耕地で暮らしていた。

そして城壁の近くには・・・小さく区切られた部屋が並んでいたようだ。職人artisanや職工craft-peopleが住んでいたと考えられている。
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都市に運ばれてきた材料を使って、職人や職工たちは、王宮や城壁の修復をし、エリートたちが使う土器類、装飾具などを造っていたのだろう。
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チャン・チャンの住人の90%がこのような職人だった。それはチャン・チャンにおける権力と芸術の関係の強さを暗示している。
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無彩色で磨かれて光沢のある陶器はチムーのユニークな文化の象徴だ。
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しかし、チムーの文化の本当の象徴は・・・
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これだ!貴金属芸術だ!
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この芸術がチムー文化を有名にした。エリートたちの地位の象徴だった。
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墓からは貴金属でつくられた装飾品が見つかっている。
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チムーは、あらゆることがエリートたちのために行われる、典型的な階級社会だったと言える。
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城壁の内側では、生贄の儀式や饗宴が執り行われていた。
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倉庫には金銀が詰まっていた。しかし、金銀よりも貴重な物があった!それは当時なら簡単には手に入らないものだ。
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今、再び海辺に来ている。その貴重なものを見るためだ。
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スポンディラス・シェルSpondylus-shellだ。チムーでは高貴な人だけが手にすることができた貴重品だ。
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二枚貝で、外側は赤く、内側は白い。殻は装飾用に、中の身は神への捧げ物として使われていた。
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外観はどうということはないが、これを加工することで貴重な装飾具に変えていたのだ。この貝を使った占いも行われていた。

mh:スポンディリダイSpondylidaeは日本ではウミギクガイ(海菊貝)と呼ばれ、房総半島より南に分布しているようです。牡蠣(かき)の一種なのか、志摩半島では食用になっているとのこと。
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海では、今日も沢山のペリカンが群れを成して飛んでいた。
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スポンディラス・シェルSpondylus-shellは土産屋の店先に並んでいる。
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他の文明と同じように、エリートが亡くなると、使っていた装飾品などの貴重品が一緒に埋葬されていた。チムーの女性の遺骨が見つかった場所にいってみよう。発見されたのは2010年だ。

チムーの陶器、銅の胸飾り・・・
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最も大切なものは彼女の右手に握られている。スポンディラス・シェルだ!
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スポンディラス・シェルは黄金と同じように貴重品として大切に使われていた。この貝を獲るためには、10mくらいの深さまで海に潜らなければならなかった。
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エリートたちだけが貝が敷かれた道を歩くことができた、死の旅立ちの時でさえも。
エリートたちは王宮の中で自分が持っている貝の数を数えながら、王国を管理していた。ほかの人達と比べたら、エリートたちは神のような存在だっただろう。
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しかし、統治者が亡くなると、信じられない、驚くべきことが行われていたのだ。

王の死は、次の世界への旅立ちだった。その様子は見事な手工芸品となって残されていた。これはペルーだけでなく、南アメリカでの風習だったようだ。

それは博物館の箱の中に大切に保管されていた。王宮を模(かたど)ったもののようだ。木で造られていて、魚のレリーフが彫刻されている。
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首都チャン・チャンで行われた生と死の行列を表現している。
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行列の人形も木で造られている。
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白い貝と赤い貝が嵌め込まれている。勿論、スポンディラス・シェルだ。
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沢山の人形はひとつひとつ手を加えて造られているようだ。
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息を飲むような見事な出来栄えだ。

発見されたのは1995年だった。祈祷師や楽団など、いろいろな人たちが並んでいる。チムーの年代史といえるかも知れない。
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カラフルなバスケットも運ばれている。ミイラ化された遺体が入っていたはずだ。
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ロイヤルファミリーの行列の中に妙な人形がある。
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裸のまま、後ろ手で引かれているようだ。生贄にされる人だろう。
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最前列にはバスケットを持ち、スポンディラス・シェルで装飾された人形がある。バスケットには何が入っていたのだろう。
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王宮の壁は日干煉瓦で出来た城壁を連想させる。
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チムー文化を代表する芸術作品と言ってよいだろう。

チャン・チャンの遺跡にある墓場につくられたこのプラットフォームで、考古学者は300人の若い女性の遺骨を発見した。
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恐らく、これらの女性も人形の行列で手を縛られて現れていた生贄と同じように、葬儀に参加させられていたのだろう。

これから王の玄室に入っていく。
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そこは小さな暗室だった。
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王が死ぬと新しい王が同じ家系から指名された。しかし、王の遺産は次の王には引き継がれることはなかった。貢物を捧げてくれた人民にその富を返すのだ。新しい王は、自分の富を自ら造っていかねばならなかったのだ。
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つまり、新たな王は、自分の王国を自分で造らねばならぬという、強い野心と行動力を示さねばならなかった。
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新しい王や女王が自分たちで自らの地位を確立しなければならない以上、新たな領地を獲得するための軍事行動が必要だっただろう。このことはチャン・チャンに70もの王宮が異なる時代に造られることになった理由の一つだ。
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チムーの10の王宮は水を砂漠に導くことに成功し、莫大な財宝を獲得した王国の勝利の記録と言える。
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衝撃的ともいえる子供の生贄は神への忠誠を示したものだった。

しかし西暦1460年代、チムーは崩壊を迎えようとしていた。エルニーニョによってではなく、南米の地に生まれた他の勢力によって。
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チムーが北に向けて王国の拡大を続けていた時、別の帝国もアンデスの山中で拡大に向けて進軍していた。インカだ。
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アンデス高地で繁栄を遂げたインカは、ついに海岸線も征服する準備が整っていた。
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1463年頃、インカの精鋭部隊はアンデスを下り、チムーの軍隊と出会うことになった。
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1470年、チムー最後の皇帝はインカの前に敗れ去り、クスコに引き連れられていった。450年の間、階層社会構造で成り立っていたチムー帝国は突然、リーダーを失ってしまったのだ。帝国を管理する者がいなくなると、チムーは消滅するしかなかった。

その後、20世紀になって考古学者が見つけ出すまで、チャン・チャンは忘れ去られていた。
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エルニーニョがチャン・チャンを、文字通り失われた都市に風化してしまっていたのだ。
今、若い考古学者達が中心になって遺跡の発掘と修復作業が続けられている。修復プロジェクトの監督をしている考古学者のマルガリータが決意を語ってくれた。
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「今やらなければ永久に失われてしまうわ。兎に角、根気強く作業を続けていくだけよ。」
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今日、チャン・チャン遺跡では風化から長期保存に向けた動きが続いている。
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1986年、チャン・チャンは世界遺産に指定された。ペルーの偉大な文明の生まれた場所として大勢の人の記憶に植え付けられ、残されていくだろう。
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Wiki:チムー王国(チムーおうこく、Chimú)
「ペルー北部の沿岸部でチムー文化(スペイン語版、英語版)を担った王国で、850年頃から1470年頃まで存在した。後期中間期(プレ・インカ)最大の王国で、1000kmの海岸線とアンデスの人口の2/3を含んだ。現存する最大の遺跡はチャン・チャン。

チムー王国はモチェ文化の遺民によって興された。最初の谷々が喜んで武力を合わせていたようだったが、シカンを征服した。カハマルカ文化とワリ文化の影響を大きく受けていた。伝説によれば、首都チャン・チャンは海からやってきたタカイナモという人物によって創られたという。

チムーはインカ帝国を止めるチャンスがあった最後の王国だった。しかしトゥパック・インカによるインカの侵攻が1470年代に始まり、タカイナモの子孫である国王ミンチャンカマンは敗れ、ワイナ・カパックの即位した1493年には侵略はほぼ終了していた。

チムーの陶器は漆黒だった。また、精巧複雑な金工でも知られ、先コロンブス期で最先端技術の一つだった。」

Lost Kingdoms Of South America - Episode 4
Kingdom Of The Desert - BBC Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=2Sy9IM8vuNg
(完)

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mh徒然草69:あけましておめでとうございます。

当初、1月1日に公開する予定だったブログの内容が元日にあまりふさわしくない内容だと気付き、急遽、元旦向け徒然草を新規製作させて頂くことに致しました。と言っている今日は11月25日です。相変わらず、仕事が早いというか、気が早いですねぇ、mhは。

何はともあれ、本年もよろしくお願い致します。
mhのブログの公開当初に紹介した「シルクロードの不思議な質問(韻)」で引用しましたが、万葉歌人、大伴家持の新年を寿(ことほ)ぐ和歌からこの一年を始めさせて頂きます。

新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事
万葉仮名表記:
新  年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰

元旦用のブログの差替えに心を配ることができたのまでは良いのですが、では何を書こうか、と悩み、取り敢えずネット新聞の記事一覧を見てみたら次のニュースがありました。これもイマイチなのですが、他に適当な物が見当たらないもので・・・

「低所得年金者に3万円給付へ…対象1000万人」
読売新聞 11月25日(水)6時36分配信
「政府は2015年度補正予算案で、低所得の年金受給者向けに1人あたり3万円の給付金を配る方針を固めた。
安倍内閣が掲げる「1億総活躍社会」の実現に向けた対策と位置付ける。しかし、3万円という水準は、過去の事例と比較しても高めで、来夏の参院選を見据えた「バラマキ」との批判が強まる可能性がある。
対象は約1000万人にのぼるとみられ、財源は3000億円程度となる見込みだ。
政府は、1億総活躍社会の目標として、〈1〉国内総生産(GDP)600兆円〈2〉希望出生率1・8〈3〉介護離職ゼロ――を掲げている。年金受給者は、景気回復に伴う賃上げの恩恵を受けていないととらえ、給付金で個人消費を活性化させてGDPを伸ばす。」

見出しの「低所得年金者にお金を渡す」ってのを見て、ま、悪いことでもないかな、と思ったのですが、記事をコピペしながら、これは怪しい施策だな、と思いました。一体全体、誰が、こんなつまらない案を思いつくんでしょうか。政治家?それとも財務省の役人?

つまらないと思った心境を思いついた順にご披露しましょう。
まず、今後の展開を見る必要がありますが、低所得年金者1000万人って、どういう手段で択ばれるんでしょう。年金受給者であって、確定申告で、年間所得が低い順に1000万人、ということならとても判り易いのですが、所得が少なくたって財産が山ほどある年金受給者も沢山います。それに、1000万人といえば日本人の10%ですから、凡そ10人に1人です。支給は年金受給者に限られるわけですから、年金受給者が2000万人とすれば2人に1人が3万円のお年玉をもらえることになりますが、そんなに沢山の人が、3万円貰わないと生活できない状態だとは思えません。

しかも、毎月3万円ではなくて、年1回受給したらそれで終わりです!本当に困窮している人が年3万円を1回だけもらって、一体全体、何の足しになるって言うんでしょう。

本当に困っている人だけに毎月3万円渡すっていうのなら、まだ理解できます。その場合、お役所は、どの人が本当に困っているか、判るんですかねえ。もし、判っているなら、1000万人に3万円を1回だけ支給するなんていうつまらぬ施策を思いつくことはないでしょう。結局、政治家もお役所も、何も判っていないと思いますね、私は。こういうことは、日ごろから困っている人達に接しているNGOなどの意見を訊かないといけないと思います。

この施策が生まれた背景も気に入りません、一億総活躍などという訳の分からない施策の一環だというんですから。もっと平たく言えば、景気をよくするためでしょう?つまり、大勢の人にお金を使ってもらおうってことです。ふるさと納税や、自治体のクーポン券みたいなものです。しかし、ふるさと納税もクーポン券も、活用する人は貧困者ではありません。十分なお金を持っている人ばかり。これらのプレミアムを活用して自分の出費を減らそうという魂胆ですから、結局は市場に出回るお金が増えることはなく、お金持ちの貯金だけが増えていくんですね。その穴埋めは、お金持ちでない人たちから集めた税金が充てられるのです。その税金には蓄えがなく、国債を発行することになるのですが、国の借金はたまりにたまって1000兆円を超えました。毎年、年収とほぼ同額の40~60兆円の借金が生まれ続けているんですから、信じられない国家運営だとしか言いようがありません。

まとめれば「低所得年金者1000万人に3万円支給」の施策は、国の借金が増えるだけで、お金持ちの負担は減少し、本当に生活に困っている人には何の足しにもなりません!!!言い換えれば、この施策は低所得者向けのものではなく、お金持ちを更にお金持ちにする施策でしかありません。今回の施策はそれを意図したものかもしれない、とすら、疑い深いmhは思ったりもします。

私は、国の借金は減らすべきだと思います。従って、今回のようなつまらぬ施策で3000億円も使うべきではないと思います。借金を減らすためなら消費税のUPはやむを得ないでしょう。無駄をなくし、収入を増やすことは必要です。しかし、合わせて、お金持ちに特化した税制を考えるべきだと思います。世界経済はマネーゲーム化し、貧乏人はますます貧乏に、金持ちはますます金持ちになって格差は広がる一方です。この風潮は既にフランスの経済学者ピケティ氏も指摘していますが、その流れを変える作業は、大袈裟に言えば、人道的で気高い精神の持ち主でないと実践できないでしょう。そんな人はいないよ、って仰るかもしれませんが、利己的で強欲な政治家や役人だって、心を入れ替える意志さえあれば、いま少し、ましな施策が作れるはずです。が、それらしい兆候は全く見当たらず、相変わらず、お金持ちのために、もっと端的にいえば自分のために無駄遣いを続ける政治家や役人が多いのには、あきれてしまいます。

何度も言ってきましたが、貧しい人にとって、日本はますます暮らし辛い国になるでしょう。国を捨てて外国で暮らすことを提案したブログを何度か公開させて頂きましたが、「じゃあ、どの国へ逃げていくの?」って質問があり、答えに窮してしまいました。でも、もし、女房殿や子供達のことを心配する必要がない条件が整ったなら、mhが行きたいところは沢山あります。空気が澄んでいて、自然が多くて、寒すぎなくて、労働すれば生きるための食糧が確保できるところで、困っている人がいれば助け合う人達が暮らしているところです。それは恐らく、大都市ではなく、小さな村か、小さな町。川が流れ、海の近くで、一年中、半ズボンで暮らせるところだろうと思います。

George Harrison - My Sweet Lord
https://www.youtube.com/watch?v=8qJTJNfzvr8
(完)

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