Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

チベットの不思議Part 4/5

BBC Documentary A Year In Tibet EP04 Monks Behaving Badly
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南チベットの真冬・・・
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この時期、温度は零下20℃まで下がる日が多い。
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mh:ツェフンTsephunが凍った池で遊んでいます!
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農家は、春の種まき時まで大してやることも無い。
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今回のエピソードでは、長年、共産党の党員として働き、退職年齢になったブートゥリーButriが予想していなかった出来事にあう。
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ギャンツェの人力車手ラクパLhakpaは仕事を求めて北に向かうが・・・
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期待していた歓迎を受けることは出来なかった。
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そしてギャンツェの僧院では・・・
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価値のある仏像の盗難が発覚した。公安(警察)は内部犯罪ではないかと疑っている。
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A YEAR IN TIBET: Monks Behaving Badly
チベットの1年:悪事を働く僧侶(撮影;2007年春)
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ギャンツェから車で30分の小さな村タンマイTangmai
(mh:ドンダンと祈祷師ツェデンの兄弟が暮らす村です。)
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1960年代に毛沢東によってつくられた村社会に属する集落だ。今も中国共産党の厳格な規律に則って運営されている。
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リーダーは地域の共産党書記長だ。
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彼を補佐するのは地区共産党員、例えばブートゥリーだ。
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「ここには1千人以上が集まっているわ。18歳以上なら、歩けない年寄りを除いて、この集会にあつまらなきゃぁ駄目なのよ。」
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ブートゥリーは毛沢東の共産党に40年前に加入した、どうみても堅物die-hard党員だ。
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「チベット自由化の前は封建制度の独裁者によって抑圧されていたわ。つまりダライ・ラマDalai Lamと彼の徒党が悪政の張本人よ。だからみんな、チベットを中国から切り離そうとしている彼等に逆らうことにしたの。今日の中国の慈悲と比べたら昔のチベットがいかに酷(ひど)かったかが判るわ。」
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チベットは1951年以降、中華人民共和国の一部となっている。このような村全体集会を通して北京の中央政権は欧州共同体の2倍の面積を持つ地域で党の意向を行使することが出来る。
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チベットで3番目に大きな町ギャンツェの朝・・・
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公安(警察)はいつものように忙しそうだ。
公安「ギャンツェは大きな郡countyだから特に祭りの時期は殺人や盗難事件が多い。」
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早朝、ここ数週間、僧院で連続発生している盗難事件がまた起こった。
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僧侶たちが、二つとない貴重な像が2体も無くなっていることに気付いたのだ。
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公安「ここに、どんな具合に保管されてたんだ?」
僧侶「夜間はいつも3人で見張りをしてます。私もその一人でした。」
公安「今朝はこの講堂ではオイルランプを点けておくことになってたのか?」
僧侶「いいえ。建物管理人がやる仕事です。私は見張りの責任があるので上の階に行きました。上司はいつも全体を見張るように言ってますから。行ってみたらドアが開いていました。」
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僧院長のチョエフェルChoephelにとっては像の紛失は重大事件だ。それ以上に悪いかも知れないのは盗難が起きた原因だ。
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チョエフル「もし盗賊が外部の人間なら、像が入っていた箱を開けるだけでも結構な時間がかかったはずだ。」
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「しかし、今回の盗難は短時間で起きている。我々は内部の人間がやったかも知れないと疑っているんだ。」
盗難事件は今後、数週間に渡り僧院長チョエフェルにいくつかの難題を巻き起こそうとしていた。当地の共産党による厳格な立ち入り検査が行われるはずだ!
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ギャンツェの大通りではラクパが乗客を探して人力車を流してた。
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彼は最近増えつつあるチベットの下流階級の人間で、仕事なら何でも、どこであったって飛びつく男だ。彼は最近、気に入った女の子the girl of his dreamsを見つけた。2人は既に所帯を持つ相談もしている。

「俺、時々、休憩しにこの店にくるんだ。」
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「俺たち、ここで出会って、話をしているうちにお互いのことを好く知るようになったんだ。出会った時から判ったけど、彼女とても素敵きなんだ。」
(mh:私もそう思いますよ、ラクパさん。)
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「最初は彼女の姉と俺の兄貴と俺たちだけで冗談ばかり話していたんだ。そのうち段々と・・・」
彼女(ダドンDadonって言います)「私はラクパのこと知らなかったわ、だけど姉は知ってたの。彼は好い人だって言ったわ。で、田舎に住んでいるより、ここで暮らす方がいいんじゃぁないかと思って・・・」

ラクパとダドンは先月から一緒にラクパの家で暮らしている。中国では、こうしたことは眉を顰(ひそ)める行為だが、チベットでは違うようだ。
ラクパ「みんな、そうしてるよ。」
ダドン「私たちも同じだけよね?」
(mh:そう言った後、二人とも照れています!)
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僧院では僧院長チョエフェルの手に余る出来事が起きている。
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盗難事件ではなく、何人かの若い僧侶たちの問題行動だ。
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さらに悪いことに、事態がどうなっているのかを調べる監視団が当地の共産党から送り込まれてきた。
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彼らが僧院と話したいことは盗難事件だけではないことをチョエフルは気付いていた。
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チョエフル「監視団が来る目的は3つある(mh:やっぱ3つだったんですね、説得力を増すコツです)。」
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「“国を愛し、宗教を愛せ”という教育プログラム、今回の手工芸文化財盗難事件の調査、それに将来に向けて僧院での諸々のことを再構築し改善するということだ。」
(mh:3つめの理由が意味深長ですねぇ。共産党とチベットの関係が不安定な証拠です。)

チョエフルは監視団が僧院の運営状況を細かく調査するだろうということを察知している。
チョエフル「我々は事件について、既にかなり細かく報告してある。だけど、またやってきて調査をするんだ。そして将来のためにもっとセキュリティに注意するよう指示してくる。」
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どんな手段で仏像が盗まれたのか、まだ誰にも全く判ってはいなかった。像が入っていた箱は宗教民生局Religious and Naionaliy Bureauによって管理され鍵がかかっていた。入り口のドアも警備員によって鍵がかけられていた.
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監視団は僧院の管理体制を変革する計画を練り上げていた。
監視団「仏像類は撮影禁止に決まっていて、取りまとめ役のテンジンTenzinには既に伝えていたはずだ。これらの仏像の前に撮影禁止札を吊るしなさい!札が無けりゃぁ参拝者には判らないでしょ?札は中国語と英語で書いておきなさい。」
僧院長チョエフェルは彼等の言う通りにしないとだめだと感じていた。
チョエフル「ここの鍵も変えとかなきゃぁだめだろうな。これじゃぁ簡単に侵入できる!」
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僧侶たちへの次の指示は在庫のチェックだ。
監視団メンバー「これがそうか?」
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監視団「ここにあるのはこの仏像か?記録内容を見るとそうみたいだな。写真は実物と同じか?像についている番号を確認してみろ。」
僧侶「9番です。」
監視団「いいや、これは付け直されている!800番ってあるぞ。800番はこっちにある。」
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セキュリティのレベルが低いとの理由で、監視団は僧院の全ての重要物件を鍵付き倉庫にしまうよう命令した。
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全部で5千点もある!
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mh:ツルトゥリムも仏像を倉庫に移動しています。
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余りに沢山あるので僧院長のチョエフルも手伝った。これはTaraという女神だ。
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僧院前広場で人力車手のラクパは客待ちしている。
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しかし、なかなか客は見つからない。女友達のダドンと一緒に生活するには、このままでは駄目だ。
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ラクパ「もっとお客が多くないと。でも今のままじゃぁ増えない。ここに来る人たちは5,6人の家族ずれのお参り客が多いけど人力車rickshawだと2,3人しか乗せられないから大抵の人はオートバイ台車motor rickshawを使うんだ。」
オートバイ台車との競争が激しいので、ラクパは他にアルバイトして稼がねばならない。
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倉庫管理人「うちで雇っている人足はみんな人力車手だ。道で声を掛けると直ぐやってくるよ。彼等はみんな真面目だ。チベット人はよく働いてくれる。昔もそうだし、今もそうだ。」
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で~賃金は?
ラクパ「10元(180円)だ。人力車じゃぁなかなか稼げない額だよ。」
荷物の運搬労働は沢山あるラクパのアルバイトの一つでしかない。
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人里離れた山麓・・・
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ブートゥリーは小さな尼寺に向かっている。
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彼女は共産党員としての仕事の一つとして、この尼寺を定期的に訪れている。1960年代、チベットでは宗教施設を見境なく破壊する行為が行われていた(mh:文化大革命です)。6千を越える仏教寺院が破壊され、残ったのはほんの一握りだった。
今では寺院や尼寺が建て直されつつあるが、僧侶や尼僧の生活は政府が厳格に管理することになっていて、ブートゥリーの重要な仕事でもある。
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ブートゥリー「この尼寺は1998年に再建されたの。3ヶ月かかったわ。その間に33の新しい決まりが出来ているの。これらがきちんと守られているか確認するために来てるのよ。」
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僧侶や尼僧の日常生活のほとんどは政府によって決められている。共産党への異議や反動を素早く察知して速やかに対処するためだ。
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ブートゥリー「私は尼僧たちが愛国教育プログラムに沿った政府の決まりに従って生活しているか確認するの。火事や盗難への対応も調べるのよ。」
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共産党の規則はとても厳格だ。ブートゥリーのような人でも国が定めた仕事以外の目的で僧院を訪れることは許されていない!(mh:共産党員は、参拝は出来ても、寺院の建物に入る、つまり僧侶と接触し情報交換するのは禁止されているということのようです、推定ですが。)
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ブートゥリー「月に1,2回、この尼寺に来ているわ。そして尼僧たちに何をすべきか、何をしてはいけないかを教えるの。彼女らは黙って聞いていて、何も言わないわ。今日は、最近行われた、この地区の共産党大会の決定事項を徹底するのも仕事のひとつよ。」
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ブートゥリー「この規定書はもうここに届いている?」
尼僧「ええ。」
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ブートゥリー「この冊子には社会主義の8つの栄誉と8つの罪悪について書かれているの。全部書いてあるから、勉強しておかなくちゃぁ駄目よ!この寺には文化遺産がある建物が多いから火事や盗難には気を付けてね。」
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ブートゥリー「最近ペル・コール僧院で盗難事件があったの。だからここも気を付けてね。あなたたちは家に戻る時、僧院に1元(18円)渡してる?」
尼僧「ええ、1元ですよね。」
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ブートゥリー「で、もし、その支払いが遅れたり行われなかったりしたら罰金5元(90円)払ってる?」
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尼僧「ええ、5元ですよね。」
ブートゥリーは共産党に40年の人生を捧げて来た。そのためには、チベットの他の共産党員と同様、仏教の教えを放棄しなければならなかった。チベット人にとっては一大決心だ。
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しかし、古い習慣はそんなに簡単にはなくならないものだ。
But, old habits die hard!
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ブートゥリー「私の平穏のためにお祈りしておいてくれない?私の干支はトラよ。」
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ブートゥリー「もし宗教に関する指針に違反したら、関係した尼僧は地方の共産党に釈明しなければならないのよ。その違反が政治的なものだったりしたら結果は重大なものになるわ。責任は尼僧にあるんだけど、私の指導不足も問われることになるんだからね。」
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尼僧たち「ブートゥリーさん。Tashi deleg!平穏に」
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mh;こんな人里離れた山間にも尼寺があるんですねぇ・・・
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ギャンツェ・・・
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タルチョー・・・
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ラクパは恋人ダドンと家にいる。
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兄弟たちは町での仕事が少ないと不満をこぼしていた。
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中国の地方からの労働者がギャンツェに来るようになってから労賃は下がっていた。
「よその土地から流れ込んできた労働者たちが多いので少ない仕事を取り合うようになってきた。中国人のトラック所有者も前なら1台分の荷の上げ下ろしに150元とか180元払ってくれていたのに、今は100元以下だ。」
ラクパはもっと沢山お金を得る新しい案を持っていた。600Km離れたナチゥNaquという町で建設工事の仕事をしようと考えていたのだ。しかし彼の案はリスクがあった。
ラクパ「ナチュでの仕事にはかなりの危険があるんだ。でも、ここでの仕事では1日10元しか儲からない。それ以上は無理だ。だから、危険な仕事であろうと、それをしてもっと金を稼ぎたいんだ。もう契約は済んだ。厳しい仕事で賃金はあまり高くないけど、胴元がその都度、きちんと支払ってくれるなら問題ないさ。暫くの間、みんなとは会えなくなるなぁ。」
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彼等(4人がナチュに出稼ぎに行こうとしています)が北に向かう長旅の日まで、あと2日しかない。

ギャンツェの僧院では公安はまだ盗賊を逮捕出来ていなかった。しかし、僧院の作業チームはセキュリティの改善を早く進めたいと考えていた。
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副僧院長のツルトゥリムは事態を改善するよう指示を受けていた。彼の最初の仕事は重要な仏像などの周りに金属格子の仕切りを造ることだ。
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ツルトゥリム「寺院には仏像を区分けしてしまっておく沢山の長持(ながもち)があるけど、それでも盗難が起きているんだ。だから鉄格子を使ってもっとしっかりと守るよう準備作業している。とても重要な仏像8体を守るんだ。前回の盗難で、そうしたほうがいいと決めたんだ。とにかく盗難問題を解消したいんだ。多分、これからは大丈夫だ。」
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「これまでも何回も盗難事件を解決してきたんだ。だから今回も何とかなると思う。」
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ラクパと彼の兄ニドンNyidonたちがナチュに出発する朝になった。
mh:ここから暫くラクパの家の様子がレポートされます。内容を理解して頂くため、家族構成を紹介しておきましょう。
合計8人で、老いた母、ラクパ、その恋人ダドン、ラクパの兄ニドンNyidon夫婦と1人の男の子、心臓病を患っている少年オザOzer、その母ヤンチェンYangchen(若い未亡人)、です。
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母親「一生懸命働けよ。体に気を付けてな。」
出かけるのはラクパ、恋人ダドン、兄ニドン夫婦、の4人だ。ラクパの母は彼等の計画に不安を持っている。
母「兄弟で助け合ってな。2人の女の子の面倒をきちんとみろよ。」
出がけにカタKhata(白いマフラー)を贈るのは幸運を願う伝統だ。
母「向うで好いことがありますように。体に気を付けろよ。ニドンNyidon、お前が一番年長だから、みんなの面倒をよ~く見るんだぞ。みんなで沢山かせいでこいよ。ダドン、お前は一番若いんだからみんなの言う事をよく聞くんだぞ。」
ニドン「じゃあな、息子」ラクパ「じゃあな、オザ」
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ラクパ「2人の子、泣き出しそうな顔してたな。」
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母「一生懸命働けよ。我々のことは心配するな。」
ラクパ「判ったよ。じゃあな母さん。もう家に入ってろよ。」
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母「ダワ・ドンドゥブ(ニドンの子)は泣かなかったけどオザは泣いてたな。」
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mh:出稼ぎへいく4人です。オザの母ヤンチェンも彼等を見送るためバス停まで同行していますが、この写真には写っていません。
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しかし・・・
ラクパの母は、北に行った息子たちが直ぐトラブルに巻き込まれることになろうとは、この時は知る由も無かった。
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みんなバスに乗り込んだ。見送りで来たヤンチェンYangchenはバスの中で最後の別れをしながら涙ぐんでいる。彼女は残って、2人の子供とラクパの母親の世話をするのだ。
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mh:とても優しそうな女性です。私のタイプですね。このフィルム撮影は2007年ですから、もう9年たっています。優しい旦那を見つけてオザと3人で幸せに暮らしていてくれるといいのですが・・・

ニドンの妻「ヤンチェン、大丈夫よ。たった2、3ヶ月留守にするだけだから。」
ニドン(レポーターに)「ヤンチェンは体調もよくない子供達の面倒を見なきゃぁいけない。大変だと思うけど、俺たちが稼がないと家族はやってけないんだ。」
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mh:ヤンチェンが何も言わず、じっとバスを見送ってます。胸が打たれました。
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ナチュNaquまで600Kmのバスの旅は2日かかる。彼等にとって、これまでで一番の遠出だ。
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ギャンツェのペル・コール僧院・・・雪がちらついている。
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中国共産党は、僧侶たちがダライ・ラマを密かに支持し、チベットの独立を画策していないか、いつも心配している。
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共産党は、それがチベットの安定に対する最大の驚異だと見ている。
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今回の盗難事件はペル・コール僧院におけるそういった活動ではないのだが、調査団は何人かの僧侶の日常行動に不審を抱いていた。
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それで盗難事件を口実に僧院内で何が起きているか細かく調べ始めた。
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調査団「今日はまず、共産党の愛国教育プログラムがきちんと実施されているかチェックする。そしてから盗難事件も調査する。」
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僧侶たちは調査団の説明に憤慨しているかも知れないが、彼等に出来ることは指示に従う以外、何もない。
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そして最も悪い話が飛び出してくる。
調査団「共産党によって認められている信仰の自由については、みんなの間で学習され、理解されていなければならない。これを破ればどんな言い訳も認められない。」
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調査団「僧院の72人の僧侶は、大半は善(よ)い僧侶で問題はない。しかし1,2名の破壊分子がいる。我々は彼等を徹底的に教育するつもりだ。」
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(僧侶たちが僧院の屋上で雪かきしています。)
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(おぉ、ツェフンもいますね。)
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ラクパたちはナチュNaquに到着した。
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チベットの東北部で、他から隔離され、海抜が高く、荒涼としたチベット高原の町だ。冬は長く、乾燥していて寒い。
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夜になると温度はしばしば零下20℃まで下がる。
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ここにはラクパのような人に向いた沢山の仕事がある。というのはこの地の人は家を造る時には中国の他の場所から来た移民労働者よりもチベット人を使うのを好む傾向があるからだ。
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ラクパ「金を稼ぐのにはいいところなんだ。それで兄貴が一緒に行こうって言うんで、2人で業者と契約して来ることに決めたんだ。」
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ラクパ「ここでは男達は30元(5百40円)の日当を貰っている。女は28元(5百円)だ。」
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しかし、これからの数週間でラクパは事態がどんなに厳しいのかを悟ることになる。

ギャンツェ砦の前の広場・・・
mh:イギリスの支配に対抗した闘争の記念碑「Gyangtse Mount Dzong Monument to Heroes(江孜宗山英雄纪念碑)」が建っています。

毎年3月に北京で開かれる全国人民代表大会に合わせて中国全土で地方大会が開かれる。
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それはギャンツェでも同じだ。
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党のメッセージを13億の人民に伝達するための一つの手段だ。
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共産党地方メンバー「党の書記長は3つの点を強調した:政治委員会の仕事を強化するため、全国的な人民の一体化を強化する。社会の安定を強固にするため、必要な措置を遂行していく。これらは全て完遂されねばならない。(mh;一つ欠けてます。)」
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前年度、ペル・コール僧院は党の指導に正しく従ったと称賛された。
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今回はなんの報奨も称賛も、非難もなかった。端的に言えば無視されたのだ。
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僧院長チョエフェル「今年になって僧院で起きたことを考えれば賞を受けなくても当然だ。それだけのことだ。たしかに、ちゃんとやってきたとは言えないところがある。」

「起立!国歌斉唱!」
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中国共産党の統治が始まって既に50年の今も、チベットの田舎では自然のリズムだけが生活を支配している。
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タンマイTangmai(注)の村には春がやって来た。そろそろ種まきの時期だ。
注:タンマイは祈祷師ツェデンが暮らす村です。
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チベット人は毎年20以上の伝統的な祭りを行う。共産党職員のブートゥリーの仕事は祝い事の最中に人々が適正に振る舞うよう監視し指導することだ。
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ブートゥリー「お祭りの最中はいろんな出来事が起きるの。お酒を飲んでギャンブルしたりするの。そんなことが起きないよう、規則はしっかり決められていなきゃぁならないの。18歳以上の誰もから、指紋と、トラブルを起こさないっていう誓約を取っておくのは当然よね。どんな地方や村や家族も、兎に角みんな規則に従うって誓約しなけりゃぁ駄目よ。」
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今日は牛競争祭りだ。共産党の規則はチベット人が娯楽を楽しむのを制約してはいないようだ。
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mh:2頭の牛の角を木の棒で結んで二頭立てにし、その棒に結んだロープを牛の尻から1m位のところで別の棒に結び、その棒の上に立った御者が牛の尻を鞭で叩きながら砂利道のレース場を駆け巡ります。
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mh:すごい砂埃をたてながら、凡そ時速20Km位で走って競争しています。
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mh:コースの片側には観客。
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mh:時には御者が振り落とされ、観客の笑いを誘っています。レースの間、太鼓や鐘を打ち鳴らして、はやし立てています
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ラクパたち4人がナチュに来て1ヶ月が過ぎた。しかし、工事現場でトラブルがあった。ラクパが喧嘩を仕掛けたと訴えられたのだ。
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建設業者は彼に会って事故の処分をしたいようだ。
業者「お前、仕事を拒否したんだってな。」
ラクパ「うん。」
業者「レポーターさん。彼等は喧嘩を起し、相手の一人は口から血を流したんだ。彼等をとっちめてやったけど、仕事を止めろとはストレートには言ってない。俺がいる所で喧嘩をするなって言っただけだ。俺が言うことには間違いないよ。兎に角、何が起きようが仕事は終わらなきゃぁだめだ。」
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ラクパ「俺は悪いことはしていないよ。」
業者「嘘をつくな!」
ラクパ「あんたがちゃんと日当を払ってくれりゃあ、文句は言わないよ。」
業者の仲間「煩(うるさ)い!もう行け!」
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ラクパ兄弟は工事現場から追い出されてしまった。兄は顔を殴られた。
業者「戻って来てトラブルを起こすなよ!」
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ラクパ「ギャンツェから来たばっかりの時は問題なんかなかった。みんな親切に接してくれたんだ。しかしある時、全てが変わって、オーナーは意地汚くなった。全く別人みたいになったんだ。ここを出て行ってほしいと考えていたようだが、賃金をはらうのは渋っていた。」
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工事現場責任者「彼等はここを離れる前に賃金を払ってほしいって頼んできた。でも俺は言った、お前らまだ家の建設を終わっていないんだぞって。」
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「俺が依頼主からまだ金を貰ってないのに、どうしてやつらに払うことが出来るっていうんだ。」
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4人は急いでナチュを出てギャンツェに戻らなければならない。一番早く戻るには鉄道だ!
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ラクパ「我々は放り出されたようなものさ。もうここにいるな!ってある日言われたことがあるんだ。俺たちに出て行ってほしいんだよ。」

駅員「何人ですか?」
ラクパ「4人。」
駅員「硬座?軟座?(普通?1等?)」
ラクパ「硬座」
駅員「204元です。」
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ラクパ「村のみんなで俺たちを叩いたんだ。建設業者はニドンのここんとこを叩いた。」
ニドン「俺たちはいつも大きな石を運ばされた。150Catty(45Kg)、時には200Catty(60Kg)もあった。その石を女の作業員たちの背中に載せてやる仕事だった。ある時、俺は石を持ち上げられなくなったんだ。そうしたら、やつらは俺の手を石で殴った。爪が剥がれて手が腫れちゃったよ。痛くて一晩中ねむれなかった。それ以降は力仕事ができなくなった。」
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構内アナウンス「ラサ行の切符を持っている乗客の皆さん!荷物の金属探知検査が済んだら切符を手元に準備してお進みください。」
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汽車に乗るのはみんな生まれて初めてだった。
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チベットとその他の中国とを繋ぐ新しい鉄道は標高5千m以上の、世界でも最も高地を走っている。空気中の酸素量は海面の半分しかない。
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ナチュでのトラブルはあったものの、ダドンはラクパとの将来のことを既に考えていた。
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ダドン「わたしたち、老後のためにお金を貯める必要があるの。年とったら仕事もそんなに出来なくなっちゃうから。それに私、なにも手に職をもってないし。」
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ラクパ「今年、俺たち正式に結婚する予定なんだ。だからもっと金を稼がなきゃあならない。俺は残りの人生を彼女と一緒に過ごすと決心しているんだ。」
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僧院では僧院長チョエフェルが全員を集めて檄(げき)を飛ばしていた。彼は僧侶たちに懲罰査定を読み上げようとしていた。
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チョエフル「悪い知らせから話しておこう。僧侶全員が気分を滅入らせる信じられないような事件が起きた。これが解決するまで、誰も手当を受け取ることはできないだろう。」
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僧院長代理のツルトゥリムは規律に関する責任者だ。彼は僧侶の行動を管理するため、ボーナスと罰金に関する新しい方針を立てるよう申し渡されたばかりだった。勿論、今回は罰金の方がボーナスよりも多い。
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ツルトゥリム「注意して聞いてほしい。これからボーナスと罰金について発表する。盗難事件を許すことになった倉庫番の僧侶は、いつもの300元は今年は支給されない。ドンドゥプDondupは500元の罰金。」
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「ニマ・ツェリンNyma Tsering500元の罰金、セワン・ギューメTsewang Gyurme500元の罰金、また掃除をさぼった13人の僧侶は100元の罰金。罰金の総額は1万7千280元だ。更に、院の外で喧嘩をしたということで、ニマ・オザNyima Ozer500元の罰金、フーブ・ドルジェPhubu Dorje500元の罰金、」

僧院長チョエフルは僧院の規律を維持するために厳しく対応していくことをみんなに伝えた。
チョエフル「この僧院の多くの僧侶は仏教の学習に熱心で振る舞いにも問題はない。」
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「しかし僧院の決まりに従わない僧侶が2,3人いる。」
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「何人かは町に出てレストランなんかにも言っているのは誰もが知っている。ナイトクラブに行って女性と関係を持つ僧も何人かいる。私の意見では、もし僧侶が誓いを守らないなら、誓いっていうのは仏教徒の基本的な誓いのことだが、そういう者は僧院を去り、修行の道を捨て、自ら責任を取る必要がある。」
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ラクパはギャンツェに戻った。新しい仕事が上手くいかないと、彼はいつも人力車の仕事に戻る。
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ラクパ「このナットが締まらないのが問題だ。パンクは大体1年で10回以上は起きているかな。でもそれ以上大きいトラブルはないよ。」
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タンマイ村では、ブートゥリーが仕切らなければならない新しい問題がまた起き上っていた。
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6ヶ月前、学校の建物が危険だと非難されていた。それで子供達は野外で勉強しなければならなくなっていた。
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共産党員の立場にいるブートゥリーは、建物の修繕を取り仕切るよう求められていたのだ。
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ブートゥリー「現在では7歳から10歳の子供たちは外国や政府の援助で造られた家の近くの公立学校に通学できるようになっているの。でも建物の崩壊がひどくなったから修理しなけりゃぁいけないのよ。」
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しかし、作業は順調にはいっていなかった。品質の悪い建材が準備されていたようでセメントと上手く結合してくれない。
ブートゥリー「その砂とコンクリートの混ぜ方じゃあ粗くないの?」
ブートゥリーは共産党の労働者で建築業者ではない。門外漢にも拘わらず、口を出し過ぎた。
ブートゥリー「この壁じゃぁ前と同じよ、蹴ったら直ぐ倒れちゃうわ。もっとセメントを足さなきゃ駄目よ、そうすれば強くなるわ。判った?学校の建物を造ってるのよ。後で苦情を持ち込まれたくないわ。」

しかし、苦情は、まさにブートゥリーに降り懸かってくることになる!
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ラクパは大儲けしようとオートバイ台車を買う計画を立てていた。
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ラクパ「母さんや兄貴や、知人から借りたり、わずかな貯金も全部はたいて資金を準備したんだ。オートバイ台車なら1日で50から60元(約1千円)稼ぐことが出来る。ガソリン代は1日13元(230円)だから結構いい稼ぎになるはずなんだ。」
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バイク屋のおやじ「このバイク台車はとても経済的だよ。座席なんかも前のモデルよりもずっといいし全体的に質が好くなってるんだ。」
ラクパ「ホーンもあるみたいだな。」
おやじ「これ、2,950元だ。」
ラクパ「2,900じゃぁどう?」
おやじ「いつ払ってくれるの?」
ラクパ「今日はらうつもりだよ。」
おやじ「もしそうなら2,900でいいよ。これならかなり稼げると思うよ。」
mh:ラクパはキャッシュで代金2千9百元を払います。
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ラクパはこれまでオートバイ台車を持ったことは無かった。でも、チベットでは免許は不要で、保険も強制的ではない、例え人を乗せる場合でも。
ラクパはとうとう、新しい生活への一歩を踏み出したのかも知れない。
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政府の調査団は、ツルトゥリムが担当した新しいセキュリティ・システムを確認するため、また僧院にやって来た。
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調査団「仏像類のどのくらいが倉庫に保管され、どのくらいが展示されているのか、検査しに来た。」
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600年の歴史の中で今回初めてペル・コール僧院は21世紀の監視下に置かれることになった。
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監視カメラの映像は一ヵ所で集中監視できるようになっていた。
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しかし僧侶たちはもっと昔からのセキュリティ手法も頼りにしている。
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「この鍵はダブルロック式だな!」
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公安や監視団の努力にも関わらず、未だに盗難事件の張本人は見つかっていなかった。

ツルトゥリム「疑わしい2,3人の僧侶が拘置所に入れられていたが、たった今、釈放された。彼らが有罪か無罪かは判らないままだ。」
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「関与をしていたかどうかは、事件が解決して盗人が逮捕された時に明らかになるだろう。彼等は既に一人当たり5千元(9万円)の年俸カットという罰を受けている。」
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ブートゥリーは学校の工事に関する村の責任者との会合に呼び出されていた。彼等は工事の進行に満足していないようだ。
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責任者「強風が吹き倒したぞ。」(mh:塀が倒れてしまったとかいうことかと)
ブートゥリーが担当していた所だ。彼女は自分の立場を弁護しなければならない。
ブートゥリー「私たちは自分たちだけで建てなきゃいけないと思っていたの。でもタンマイ村の若者たちが急いて仕事を始め出したのよ。」
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責任者「どうして、もっとましなものを造れなかったんだ?これは今まで見た中で最低の出来だ。」
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責任者達の誰もがブートゥリーの仕事に批判的だった。
別の責任者「確かに彼女は公式に監督官として指名されてはいたが、建築工事についてなんの経験も持ってないんだ。砂とセメントの混合方法も知ってない。作業者はやりたい放題だった。だから監督官が居ない時は作業者は正しい砂との混合比を知らないまま自分らが好きなだけ、セメントを突っ込んでいたんだ。」
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責任者達との協議で出て来た問題を整理し、上司に全て報告するのはブートゥリーの役目だ。早速、本部に電話する。
ブートゥリー「もしもし、バペンBapen委員長と話せますか?今、学校からかけてます。今日は学校の建設計画について村の責任者と話をしたところです。あと3日くらいかかるだろうって彼等は考えています。」
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しかし・・・学校の建築問題はブートゥリーに跳ね返って彼女に憑(と)りつくことになる。
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ギャンツェのペル・コール僧院・・・
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ラクパは手に入れたオートバイ台車で新しい仕事についていた。
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彼は観光客のガイド役もこなしている。今日は初めて観光客と通訳をギャンツェの古い砦に案内していた。イギリスとの間で行われた歴史的な戦いの場となったところだ。
(mh:女性が通訳で、テンガロンハットの白人男性が観光客)
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戦いでは数百人のチベット兵士が圧倒的な武器をもつ英国軍に虐殺されている。
ラクパ「ここはイギリス町とも呼ばれていたんだ。1904年、イギリス軍はチベットに侵略し、戦いは3ヶ月続いたんだ。」
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「1990年以降、この一帯の開発はかなり進んでいる。政府が建ててる学校なんかもあるんだ。」
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「辺りには羊、牛、ヤクなんかを飼育する広大な牧草地もあった。」
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通訳「で、いつ封建制度は終わったんですか?」
ラクパ「1954年だ、チベットが解放されたのは。」
観光客の前でラクパは注意しながら、無難な対応をしている。
通訳「ということは、共産党政権がチベットを自由化したのはよかったと思ているってこと?」
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ラクパ「うん、その通りだよ。昔と違って今は自由なんだ。全てがよくなったよ。」
通訳「じゃあ、なぜあなたは三輪バイクなんかに乗ってるの?」
ラクパ「俺たちはとても貧しいんだ。」
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通訳「ほかの生き方はないの?」
ラクパ「ない。」
通訳「ないのね?」
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(mh:この若い女性の通訳はイアリングや、洒落た帽子、ブーツを身に付けていてどこかお金持ちの家に生まれたチベット人で、大学で英語を勉強して、普段は北京か上海、ひょっとするとラサ(拉薩)で生活しているんじゃあないかと推察します。ラクパと話すんだからチベット人だと断定してほぼ間違いないでしょう。)

ラクパ「順調にいけば、オートバイ台車の借金はあと2ヶ月で返せそうだ。」
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「お金を沢山ためたら、この仕事は止めたい。車の運転を習ってタクシー・ドライバーになるんだ。今は夢でしかないけどね。」
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ペル・コール僧院では仏像保管担当チームの作業が数週間続いていた。僧院長チョエフルは大声で明確な指示を与えていた。
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チョエフル「まとめると、我々は次のことを推進していかなければならない。」
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「まず、これが一番重要だが、政治教育委員会が要請してきたように、政治的な問題はもう起こさないということだ。」
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「第二には、我々は先代から続く文化的な伝統を維持していかなきゃぁならないってことだ。だから、昔から伝えられてきた遺産の保護に勤めなけりゃぁならない。」
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「第三には、我々には昔から伝わる手工芸品を新たに造ることは出来ない。よって当局の責任者から指示されたように、今残されているものを大切に管理していかなきゃぁいけないってことだ。我々はこの指示を受け入れるしか道はない!」
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(mh:こうやって組織のリーダーが大声で誰もが予測できるような指示を大勢集めて伝えている時って、皆さんも想像できると思いますが、聞いている方はみんな、白けているんですね。優れたリーダーとは、そんなことをする必要がないよう、普段から体制や方式を改革している人だ、とここで申し伝えておきたいと思います。)

ブートゥリーは共産党委員会での打合せから戻ってきたばかりだ。
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彼女と共産党の地区書記長クィミQuimeは知らせにショックを受けている。
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クィミ「昨日、組織委員会から指導者のブートゥリーを委員会に連れてきてほしいって言われたんだ。」
ブートゥリー「彼等は言ったわ。女なら55歳、男なら60歳になったら、引退しなきゃぁ駄目だって。」
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クィミ「結局は追い出されたんだ。別に悪いことをしたからってことじゃぁないのに。」
ブートゥリー「私は少なくても月々300元の年金を受けられるはずよ。私、委員会に“止めさせないでくれ”って頼んだの、だってこれまで何十年も一生懸命尽くしてきたんだもの。」
ブートゥリーの村で、党の決定に対して彼女を弁護をしてくれる人はいない。村から委員会には代表者を出していないのだ。
クィミ「ほかの19の村でも、今回、解雇されてるんだ。」
(mh:クィミはブートゥリーだけじゃぁないんだからあまり悪くとるなよ、って慰めてるんですね。)

ブートゥリーは共産党のために40年も働いてきたが、書面による業務契約をしていない。従って年金は受けられないだろうと言う。
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ブートゥリー「1元たりとももらえないのよ。共産党委員会のメンバーは私たちのような下っ端のことなんか面倒みる気がないのよ。生活の全てを取り上げられてしまった感じだわ。党は私をゴミの様に投げ捨てたのよ。」
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ブートゥリーは今、不安定な将来に直面している。
ブートゥリー「私、ずっと彼等のために働いてきたわ。でも、何も与えられないまま切り捨てられるの。今は、共産主義には整合性なんてないって思ってるわ。」
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次回は・・・
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ペル・コール僧院の僧侶が亡くなり、チベットの伝統的な葬儀が行われる。
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mh:鳥葬でしょう、多分。
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僧院で一番若い僧侶ツェフンが院から追放の危機に会う。
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そして僧院長代行のツルトゥリムは一年で一番重要な行事“仏陀の誕生日(注)”の準備をする。
(注)仏陀の誕生日は“お花まつり”、釈尊降誕会(しゃくそんごうたんえ)、灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)などと呼ばれます。
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チベットの春・・・畑を耕しています。
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BBC Documentary A Year In Tibet EP04 Monks Behaving Badly
https://www.youtube.com/watch?v=rvsIyFHAV50
(Part4/5完)

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mh徒然草77:ソウルの日本大使館前の少女像

英語ではComfort Womanと言うようですね、慰安婦のことを。Sex Slave性奴隷とも言われていたと思いますが、こちらの方が実態に合っているのではないかな、と思います。

次のシーンは慰安婦像ではなく「少女像」です。
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「この少女像は2011年12月14日、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が日本に慰安婦への謝罪を要求するため、日本大使館前の歩道上に違法に設置したのが始まり」とネット記事にありました。以降、この少女像は韓国政府の後押しや、韓国系アメリカ人などが働きかけてアメリカの都市や町に何体か設置されています。今回調べていて判ったのですが、アメリカにも設置された像は慰安婦像ではなく、少女像なんですね、像はある作家のデザインになるもので、全て同じです。

安倍首相や愛国主義者によれば、(民間の日本人の人買いが何をしたかは知らないが)日本の政府や軍が韓国人慰安婦に関与したことはなく、お金を稼ごうと自らの意志で売春行為をしたものもいて、そもそも日本政府が韓国に詫びる必要はないし、日本が韓国の女性を冷遇したことなどもない、という立場だったと思います。百歩譲って、日本政府や軍が関係した部分があったとしても、終戦後に締結された日韓協定で、慰安婦を含むすべての問題は円借款などで解消されたのだから「あやまれ」「見舞金を出せ」などと今更言われるのは筋違いだ、との考えのようです。

この辺りの経緯について正確な情報をもたないmhがコメントを挟むのは問題あると思いますが、それを承知で言わせてもらうなら、日本政府は過去に、韓国に損害賠償し、そこには慰安婦への賠償金も含まれていて、韓国政府もそれでよしとしたのではないかと思います。

しかし、最近、政府が資金援助する日本の人権団体が韓国で行っている慰安婦支援活動をレポートしたTV特集を見ましたから、日本政府も内心では、過去に清算済みと切り捨てるのはまずいと感じているのでしょう。

そんな中で、安倍首相になってからだと思いますが、急に慰安婦問題がクローズアップし、朴大統領もこれを政治的に利用したことで、日韓関係がこじれ始めました。

しかし、この問題で、経済や文化の日韓交流がいつまでも滞(とどこお)っていてはまずいと韓国側が考え始めて日本に提案したからだと思いますが、12月28日、急遽、日韓外相会議が開かれたのです。
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日本政府は「軍の関与で慰安婦として働かされた女性に対し“尊厳を傷つけることになり深く反省している”とした上で、10億円を韓国政府が関与する慰安婦支援を目的とする財団に拠出することにした」んですね。その代わり、韓国政府は、以後、慰安婦問題を蒸し返すことは無い、と約束したと言うんです。つまり「不可逆的な解決に到った」と言うんです。

さらに次の記事もありました。
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つまり10億円の拠出はソウルの日本大使館前の少女像の移転(撤去ではないんですね!)が条件で、韓国政府もこれで良しとしたって言うんですが、韓国の慰安婦支援団体は不満なようで、像撤去までの道のりは厳しいようです。

この一連の記事を見て、こんな簡単に片付く問題ではないだろうに何かおかしいなぁと思って、その考えをブログにし始めた途端、また新しいニュースが発表されました。
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この記事を見て、韓国にもまともな考えの人はいるんだなぁと再認識しました。

韓国政府が合意したばかりで、その詳細はまだ韓国政府から韓国民に解説される以前でしょうが、その本質をちゃんと見透(みすか)かしている人はいたんですね。逆に言うと、今回の合意は妙なことばかりで、専門家でなくたって、これは信用ならないぞ、と直ぐに判る程度の内容しかないと言う事でしょう。

たった10億円で、不可逆的解決を公約し、その上、ソウルの日本大使館前の少女像を、撤去ではないですね、移転するなどという日本に都合が好過ぎる話が実現するとは思えません。私は、こんな公約をした韓国政府は救いようがない阿保(アホ)で、そんな実のない公約を取り付けて喜んでいる日本政府もかなり阿保だと思います。

これらの経緯を見るにつけ、かねがね愚痴っているように、朴大統領は国のリーダーとして落第で、その朴大統領と実りが期待できない約束を結んで胸を張る岸田外相の姿を見るにつけ日本国民として情けなくなりました。慰安婦問題は、朴大統領と安倍首相がいる限り解決されることはないでしょう。

ありゃ、ありゃ、このブログを校了しようかななどと考えながらのんびりとYahoo Newsを見ていたら、なんと次の記事が出ているではありませんか!
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やっぱりね。阿保は日韓外相と朴・安倍両首脳です。日韓両国民の皆さま、ご愁傷さまです。今年は比較的いいことが続いたmhですが、大晦日を明日に控えた今日になって、つまらぬニュースに接することになり、新年は視界不良になりました。

あらあら、またまた驚きのニュースが大晦日に見つかりました!
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一体全体、どうなっているのか?ここまでくると、マスコミが事実を曲げて報道してでもいなければ、日韓外相が阿保なのは確定です。これ以上本件をフォローするのは馬鹿らしいので、これを持って打ち切ります!!!

今回のブログに相応しい曲は・・・これしかありません。
2回目のUpですが・・・「丘の上の馬鹿」!
こちらの馬鹿は日韓外相より、ず~っと利口者です。
The Fool On The Hill - The Beatles tribute – Lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=sSODrY9ueoo

(完)

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チベットの不思議Part-3/5

(警告)
今回のブログも・・・長いです。
最後まで読んで頂くには20分以上必要かと思います。

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初冬・・・「チベットの1年」の撮影開始から半年が過ぎた。
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この時期になると気温が零下の日が多くなる。チベットの冬は寒く、晴れの日が多く、空気は澄み切っている。
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日は短くなり農家は畑仕事から解放されて暮らす。
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仕事が少ないこの時期はチベット人には巡礼の時でもある。(mh:ラサ・ポタラ宮前です。)
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祈りを捧げ、前世での過ちを償うのだ。
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この時期は、厳しい寒さと希薄な空気も手伝って、年寄りだけでなく若者にも、健康維持が大変な季節だ。医者は一年で一番忙しい。

今回のエピソードでは・・・
農村の若い医師ラームーLhamoの病は西洋医学でも治らない。
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前世の悪いカルマ(karma業ごう)のせいではないかと彼女は考えている。
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ギャンツェGyantseでは5歳の少年オザOzerが心臓病で病院に急いでいる。
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夜が明けるまで生きていられないかも知れないと家族は恐れている。
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ギャンツェの町のホテル・オーナーのジェンザンJianzangは奥方と車の中だ。
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新しい事業を始めようかと考え、危険を冒してチベット高原を横切る旅に出かける。
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しかし、この時期、車での移動は危険だと直ぐに気付かされることになる。
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そして・・・年の瀬が迫り、誰もがチベットの正月ロゥサLosarを祝っている。
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A YEAR IN TIBET: Faith, Hope and Charity
チベットの1年:信仰、希望そして慈善
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チベットで3番目に大きな町ギャンツェ。年の瀬が近づいてきた。
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僧院は町の人々の生活の中心を占めている。
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人々は僧院に集まり、僧侶と一緒にチベット新年ロゥサLosarを迎える準備を始めた。今年の正月は西暦では2月だ。
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新しい旗柱に入れ替えるため、古い旗柱を下し始めた。しかし作業は危険で、事故も起きやすい。
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ツルトゥリムは僧院の副院長だ。手に余るトラブルが起きないか心配している。
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「今やっているのは「祈祷旗の儀式」で、古い旗柱を下しているところだ。」
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「儀式担当の僧侶や町の関係者で構成された委員会のメンバーが、ロープを弛めて旗柱を下して・・・」
しかし、今年は上手くいかなかったようだ! 地面に近いところで、バタンと倒れ落ちた!
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正月を迎える祭りの間、ギャンツェの通りは人で一杯になる。新年に必要な品物の買い出しの時だ。
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人力車の運転手ラクパLhakpaには、おこぼれの仕事をもらえるチャンスでもある。
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「今日は通りに出店が多い。毎年こうなんだ。大通りに人力車が入っちゃぁいけないことになっていて、公安に止められちゃったよ。だから歩道を使ってやってきたんだ。」
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冬は農家だけではなくホテル・オーナーにとっても暇な時期だ。
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ジェンザンJianzangはギャンツェの町で中流のホテルを経営している。今年は好い年だった。今は旅行客もまばらで、時間を持て余している。
しかし・・・そうもいかなくなったようだ。
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中国人の友人スー氏Mr.Suが訪ねて来た。隣人との間に起きた訴訟で敗訴したばかりだった。6千ポンド(1百万円)の賠償金の支払を命じられている。チベット人の平均年収の10倍以上だ。上告することにしたが、彼は友人のジェンザンに助けを求めることにした。
スー「プロの弁護士に頼んでも多分、勝てないと思う。彼等は他の訴訟で忙しくて、真剣に取り組んでくれそうにないんだ。」
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ジェンザンはその道では少し名が通っている。過去に、自分で勝訴したことがある。
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彼自身もアマチュア弁護士として結構やっていけそうだと自信を持っている。
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ジェンザン「何の理由もないのに裁判に訴え、他人を脅して金をまきあげようという輩(やから)も多い。そういうやつらを許す訳にはいかないよ。チベットの社会のクズだよ。」

スー氏は、さっそくジェンザンを問題が起きた場所に連れていった。
スー「相手は、俺が家を造っている時にやつらの排水施設を壊したって言ってるんだ。」
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スー「この排水溝は俺が造ったものだ。幅2mある。でも工事中、水なんか漏れ出ていないんだ。」
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一審ではスーが他人の排水溝を壊して、工場を再開不能にしてしまったとして有罪になった。
ジェンザン「これが操業再開不能になったっていう工場かい?豚小屋よりひどいじゃあないか。」
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ジェンザンは裁判所の判定を覆すのは楽では無いことを知っている。弁護の方法を変えなきゃあだめだろうと考えていた。
ジェンザン「この一帯は農業専用区画のはずだ。とすれば最新の法規ではほかの用途に使うのは禁止されてるはずだよ。」
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弁護の準備期間はあと数日しかない。

人力車手のラクパLhakpaはこの時期、お客が少なくて実入りが悪い。しかし、幸運にも、いつもやる仕事があった。
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しかし、問題がない訳ではなかった。
ラクパ「この時期はいつもペンキが不足するんだ。だから沢山の仕事を引き請けられないんだよ。仕事を始めるのはいつも7時半さ。」
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ラクパは、田舎を捨てて町に移った。チベットで最近増加傾向の、典型的な低所得者だ。
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その日暮らしの不安定な生活を送っている。だから、どんな仕事だって出来るなら全て引き受ける。
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「俺たちは、沢山の塗装の仕事をこなしてきた。仕上げの掃除をしない塗装業者もいるけど、俺たちは最後まで手抜きなどしない。だから大勢の人からやってほしいって声を掛けられるんだ。」

ラクパは年老いた未亡人の母親と一緒に町の古い家が並ぶ一画で暮らしている。家族で一番若いのは甥っ子のオザだ。
オザ「やめてよ、むずむずするよ。頭は洗ってないんだ。でも、いつもはちゃんと洗ってるよ。」
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ラクパ「問題ないさ。これ以上綺麗にする必要なんかないよ。」
オザ「おじちゃんも綺麗にしてるね。」
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mh:オザの向うで笑ってるのがオザの若い母親です。旦那はフィルムでは見かけませんでした。死んでしまったのかもしれません。

ラクパの父親は年老いた母を残して数年前に亡くなった。おかげで母親は大家族の面倒を一人で見なければならなくなって家事に追われている。
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ラクパ「うちの家族は土地を持ってない。だから町で暮らしていて何を手に入れるにもお金が必要なんだ。」
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「だからお金は飛ぶようになくなっていくんだ。」ラクパにはこれからもっとお金が必要なことが起きることになる。
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二審が開かれる日になった。ジェンザンは新しい弁護方法で勝訴できるのではないかと密かに期待していた。
ジェンザン「きっと大丈夫だ・・・少なくとも80%は大丈夫。でも裁判所が公平に判断してくれるかどうか・・・」
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ギャンツェの裁判所は、裁判官と職員が全員チベット人なのを除けば、他の中国の裁判所と同じだ。裁判では中国語だけが使われる。チベット語しか話せない人には通訳が付く。
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従って、少なくとも理論上は、チベット人だからといって不利になることはない。
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裁判官「被告人スー・ウェン・シューと代理人ジェンザンは出廷してますね?では審議を始めます。まず原告側から起訴理由を申し述べて下さい。」

原告人も被告人のスーも中国人だ。しかし、両者ともチベット人を代理に立てている。チベット人の裁判官に好い印象を与えたいとの理由からだ。
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原告代理人「スー・ウェン・シューが建築工事を始めた途端、昔からあった排水管を壊してしまいました。基礎を掘り起こした工事で排水の全てが停止してしまったんです。工事が終わったら、我々のためにセメント製の排水管を準備すると彼等は言っていました。彼等はそれを約束したんです。間違いありません。」
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いよいよジェンザンの出番だ。攻撃が最大の武器だと彼は確信していた。
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彼には証拠の全てを覆すことは不可能だ。そこで別の切り口で試すことにした。
ジェンザン「裁判官殿、原告人の土地権利書を見せてもらえますか?」
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ジェンザン「建築図面関連書類は関係役所の承認が必要のはずです。しかし、これを見ると承認を得ているという証拠記述や印がありません。よって、原告の建築は違法です。中華人民共和国の法律は破られています。事前調査結果についても承認が見当たりません。」
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ジェンザンはこの正攻法で勝訴できるのではないかと期待していた。

裁判官「以上で聴聞は終わります。これから判決の日程を伝えます。」
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どんな結果になるかは全く不透明だ。中国の裁判制度の成り行きに期待するしかない。

町の道の真ん中で緊急事態だ。ラクパの甥(おい)で5歳のオザが病院に緊急搬送されようとしていた。
オザ「ぼく、行きたくないよぉ」
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オザは生まれながら遺伝性心臓欠陥を持っていた。これまでも時々、体調を崩していた。今度は、今までで最悪の状態だ。午後、2回も意識を失っていた。母親は彼を直ぐに病院に連れていかねばならなかったのだ。

オザを救う最善の方法は酸素供給だ。
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カーマーイKarmaiはギャンツェから車で30分の小さな農村だ。四番目に大きな村で百家族が暮らしている。
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収穫が終わり、人々には暇(ひま)な時間が多くなった。しかし、厳しい冬は病気も連れて来る。村の病院には大勢の人が受診のために訪れていた。
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ラームーLhamoと夫は村の医者だ。冬のこの時期、彼等には休む暇がない。
ラームーは2年間の訓練も終えていた。
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彼女の病院には一般的な薬剤と器具しか置かれていない。だから十分な診断や治療ができずに苦労していた。
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チベットでは生まれた子供の3人に1人が1年以内に死亡する。7歳児の半分は栄養失調に罹(かか)っている。
ラームーは最善を尽くして治療している。ストレスは彼女の健康を蝕(むしば)んでいた。
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「体調が悪いの。だから治療に集中できなくて落ち込んでいるわ。急患があれば昼でも夜でも直ぐに出かけなけりゃぁいけないし、食事も決まったように取ることが出来ないわ。食事抜きで長時間働くこともあるの。」
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「それで多分、腹痛の持病があるのよ。」
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医者なのにラームーは自分の病気の診断が出来ていない。ギャンツェの病院で専門家に見てもらう必要がある。

オザの病院での初日の夜、家族は心配しながら時を過ごしていた。
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海抜が高いため、冬になると空気中の酸素量は海面上の半分しかない。それがオザの状況をさらに悪くしている。
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ラクパ「オザの心臓病は先天性だ。薬は一時的なもので、ずっと効いてくれはしないんだ。最悪のことも考えなきゃぁならないかも知れない。」
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家族はみんな、それを恐れていた。
母親「オザの唇が青くなっちゃってるわ。」

ギャンツェの朝・・・
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ペル・コールPel Kor僧院では僧院長のチョエフェルChoephelが塗装業者を院内に入れて建物のお色直しをさせていた。新年を迎えるお祭りロゥサLosarの重要な準備作業だ。
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チョエフェルは塗装業者がどう作業したらよいかについて考えを持っていた。
「もう一人作業者を加えて、塗料造りをやらせたらどうなの?」
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装飾業者を僧院内に入れるのは修行僧たちには気疲れが多い。
僧侶「とても気が散るんだよ!」
mh:まだまだ修行が足りませんねぇ、そんなことで愚痴ってるようでは。
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僧侶「もし作業者50人使ったら直ぐにでも作業は終わるはずだ。そうしたって費用は同じだろ?」
業者「僧院は作業するのが大変な所ばっかりなんだよ。高い場所が多いから危ないし。白い壁も全部塗るんだから。そんな簡単に作業者を増やせないよ。」
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丘の頂を走る高くて長い壁も塗り直さねばならない。
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病院では・・・オザの状態は改善してはいなかった。
看護婦「この子を別の部屋に移します。そこならドクターが直ぐ診れるから。見て、この唇。真っ青だわ。また咳(せき)を始めたわ。心臓の具合が悪くなってる!」
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オザの状態は悪化しているようだ。看護婦は上級医師を呼びに行った。
mh:オザのお母さん、辛そうですね。最善を尽くして天命をまつ。それがお釈迦様の教えです。最後までオザについていて下さいね。
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この子の病を完全に治すには大掛かりな心臓手術しかない。
女医(上級医師かも知れません。)「手術はラサLhasaの病院ですることになるけれど10万元(1百80万円)以上かると思います。」
ラクパと家族全員がいくら頑張ったって手が届かない額だ。
母親「もう直ぐ気分がよくなるわよ、オザ。」
オザ「おかあちゃん!」
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女医のラームーも病院にやってきた。自分の病は胃潰瘍で、治療の効果が出ていないのではないかと思っている。そこで専門の医師に診てもらうことにしたのだ。
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医師「歳は?」
ラームー「33、いや34です。」
医師「胃の具合が悪いの?」
ラームー「きつい腹痛があります。原因は判りませんがゲップが出たり・・・風邪も引きやすいんです。」
医師「消化器系が弱そうだな。この処方箋の薬を毎日飲むように。」
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医師「ソツ・ダシャルTsotu Dashalも追加しておいたから。」今度はチベットの薬Tsotu Dashalが彼女を救ってくれるかも知れない。
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ジェンザンとスーは裁判所に呼び出された。これから判決結果を聞く。
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驚く結果だった。裁判官が判決文を読み上げた。
「法廷は水のトラブルで引き起こされた資産の損害補償で8万元(150万円)を要求している原告側の主張を支持しない。」
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「裁判所は建物の損傷に水のトラブルが直接には関わっていないという弁護側の主張を支持する。」
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ジェンザン「裁判所の判決はとても公平だ。本当に公平だった。今はとても幸せだ。」
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裁判が終わると、ジェンザンには急いでやらなければならない仕事があった。

ギャンツェの夜・・・
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病院ではオザの具合がさらに悪化していて母親は取り乱していた。
ラクパ「ヤンチェンYangchen!大丈夫だよ、心配するなよ。あんたが泣くと俺も泣きたくなっちゃうよ。」
療で既に80ポンド(1万6千円)かかっていたが、無料の診療を受けられないことにラクパは腹を立てていた。
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「手術費が18万元(320万円)ってのは高すぎる。とてもそんな金を集められない。家族みんなが身売りしたって無理だよ。」
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「今までだって精一杯のお金を集めて払ってきたんだ。」
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「オザは身障者扱いしてもらえないんだ。両手両足が普通についているからだめだっていうんだ!」
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母親「息子の手が凍りつくように冷たくなってるわ!」
オザは病と必死に戦っていた。

僧院では新年を迎える準備で僧侶たちは忙しく動き回っていた。
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彼らの主な仕事の一つはヤクのミルクからバターで花飾りや置物を造ることだ。
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僧侶「子供のころからこの飾り物を造ってきた。文化大革命の間はやれなかったけど、その後でまた始めたんだ。もう25、6年やってるね。」
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ペル・コール僧院の僧侶たちはこうしたトーマtor-maを6百年以上作り続けている。
作業中の僧侶「これを造るのには2日、急いで1日かな。」
(注:トーマtor-ma(朵玛)チベット仏教で使う、小麦粉やバターで造った儀式用の飾り物)
ロゥサLosarのたびに僧侶たちは置物作りで0.5トンのヤクのバターを使う。時間がかかる仕事だ。
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ジェンザンはホテルに関する、ある計画を持っていた。「ついでに買い物もしたい」、800Km離れたネパールNepalで!
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「うちのレストランで使う外国人客向けの特別な食材と香辛料をネパールで手に入れたいんだ。勿論、事業も拡大したい、出来るかどうか自信ないけど。」
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冬は旅行気分になれない時期だ。国境方面から戻ったばかりの運転手は好いニュースを持ち帰ってなかった。
ジェンザン「タシ・デレッグTashi Deleg(平穏を)、運転手さん!」
運転手「ジェンザンさん。タシ・デレッグTashi Deleg!」
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ジェンザン「車を雇って、6日に」は出発したいんだけど。」
運転手「道路がどうかなぁ。通れないかもしれないよ。」
ジェンザン「6日まで4,5日あるよ。巡礼もしたいんだ。それに外国人向けの料理ができるシェフも見つけて連れてきたい。」
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ラームーの胃の具合は一向に良くなる兆しはなかった。彼女は西洋とチベットの医療への信頼を失くしつつあった。
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敬虔な仏教徒のラームーは治療で奇蹟を起こす法力があるという高僧の手に委ねてみることにした。
僧侶「どのくらいの間、具合が悪いんですか?」
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ラームー「これまでず~っとです。最初はお腹が痛かっただけですけど、いまでは胆嚢(たんのう)も痛くなってきました。」
すると僧侶はラームーの胸に、数回、息を吹きかけて言った。
「もう大丈夫です。」
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自分の治療が終わった医師のラームーは、外で待っている患者を診断し始めた。
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彼女はいつでも医療鞄を持って移動している。時には無料で診療する。しかし自分の健康はというと・・・改善はないままだ。
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ネパールに続く道・・・
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一緒に行ってくれるという運転手を探し出したジェンザンは、いよいよギャンツェを出発し、カトマンズKathmanduまで800Kmの厳しい旅を始めた。
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目的は仕事だ。彼と妻にとってはチベットの長い冬の間にとる休暇旅行でもある。
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しかし、道中は困難に満ちていて、楽な旅ではないはずだ。
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ジェンザン「ここはギャショラ峠Gyatshola Passだ。海抜5千mある。」
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道はチベットとネパールを繋ぐ主要道路だった。
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中国全土での交流を改善するため、政府が特別投資で建設した。
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道路はチベット高原を横切って走っている。数Km南にはエベレストの山頂がある。
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風で回るマニ車・・・
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タルチョー(風馬旗)
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ジェンザンは成功したビジネスマンだ。だから中国人パスポートを発券してもらえる。これがあればネパールにも行ける。
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しかし、運転手を含め、多くのチベット人はパスポートを発券してもらえないので合法的には土地を離れられない。
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ジェンザン「俺は今、ナーバスになんてなってないよ。楽しくて仕方ない。経験を積んでない運転手じゃないと今時この道を通ることなんかできないよ。彼なら大丈夫だ。」
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「しかし、こんなに雪が積もってると、雪かき作業者は危険だなぁ。もしここで天候が急変したらどうするんだろう。」
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ジェンザン「見ろよ、こんなに雪が積もってるんだぜ。崩れたら俺たち、トラブルに巻き込まれるな。」
運転手「そうなれば俺たちも直ぐ埋まっちゃいますよ!」
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順調なのはそこまでで、とうとう雪で動けなくなってしまった。
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運転手「向うで雪かきしている。多分、そんな長くはかからんでしょう。」
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もし状況が改善しなければ、旅はすべて諦めねばならない。

ラクパと彼の兄弟たちは新しい金儲けの方法を思いついていた。
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田舎の農家で子犬を買い取り、町で番犬として売ろうというのだ。
「すみません、お宅の家の犬、見せてくれませんか?」
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「子犬、こっちへ連れてきてもらえませんか?母親の犬、かみつきそうだし・・・雑種みたいだな。あんまりいい犬じゃあなさそうだ。」
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彼等の思い付きは悪くはない。しかし、まずはいい犬を安く買う事が先決だ。

「これはだめだな。耳が小さすぎるし値段も高すぎる。」
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「この商売、結構いい実入りがあるってみんな言ってる。いい犬はとても高く売れるけど悪い犬は買ってもらえないんだ。うん!この犬は好さそうだな。」
とうとう探していた犬を見つけたかもしれない。
「でも犬のことを知らないと駄目じゃあないの?病気になっちゃうかも知れないし、血統が悪いかも。この犬で金儲けするんだってこと忘れちゃぁ駄目だよ。儲けなきゃぁ意味ない。」

カトマンズKathmandu・・・
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ジェンザンと妻はとうとうやってきた。
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ネパールはいつの時代もチベットと強い関係を保っていた。2万を超えるチベット人難民が暮らす国でもある。
「チベット人ならネパールに来たらここに参拝しなけりゃあ駄目だ。」
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「ネパールで暮らすチベット人のほとんどはカトマンズにいるんだ。ここは拉薩(ラサ)のバコールBakhor通りみたいなもんだな。」
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ほとんどの難民は1959年のチベット暴動の後、中国当局の虐待を逃れてやって来た。今日でも推定で3千人が毎年、非合法的に国境を越えてネパールにやって来る。そのほとんどはインドに住み着くようだ。しかし、ジェンザンはと言えば・・・そう、もう仕事をはじめなければ!

チベットでは、ラクパたちが買値の何倍もの値段で子犬を買ってくれそうな客を探している。
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通行人「で、この犬、いくらで売るって言うの?」
ラクパ「最低でも500元(9千円)だよ。」
通行人「じゃあ、こっちの黒いのは?」
ラクパ「600元だ。」
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通行人「500元以下にはならないの?」
ラクパ「それは駄目だ。」
通行人「ほかにも誰か犬を売ってないか、その辺を探してみるよ。もし見つからなけりゃあ戻ってくる。じゃあな。」
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犬を売りたければ、ラクパはもう少し現実的にならないと駄目なようだ。

ラームーの調子は良くなっていない。伝統的な薬も、僧侶の魔力も彼女の問題の解決には役に立たなかった。そこで彼女は少し違うものに頼って見ることにした。

ギャンツェから車で1時間の場所に、ちょっと変わった治療魔力があると言われる神聖な洞窟がある。
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「私は農家の出身で仏教を信仰しているの。薬が駄目の時、ここにきて助けてもらっているのよ。」
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洞窟は巨大な腹(はら)に似た形で、お腹のトラブルを治療する力があるとこの辺りの人は信じている。
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信心深い仏教徒のラームーは病気の原因がずっと昔にあるのではないかと疑っている。
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「私、現世では何も悪いこと、していないわ。ひょっとして前世に問題があるのかも知れない。」
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「現世の健康は前世の行為の影響を受けるの。だから、来世は良い人生が訪れるようお参りしているの。」
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ラクパは子犬の値段を下げざるを得ないようだ。
通行人「4百元だって?高すぎるよ。」
ラクパ「じゃあ、いくらなら払うつもりがあるの?」
通行人「まぁ、1百元ってとこかな。雑種でしょ?」
ラクパ「とんでもないよ!」
客「1百元しかだせんな。」
ラクパ「それじゃあ安すぎるよ!」
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とうとう交渉は成立したようだ。

レポーター「で、いくらで買ったんですか?」
通行人「1百元だよ。悪い買い物じゃあなかったよ、アハハハ!」
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この結末はラクパたちが想定していたものじゃぁなかった。
レポーター「であなたは、あの犬、いくらで買ったんですか?」
ラクパの弟「45元。一応、55元は入ったんだ。」
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期待していた程もうからなかったが、好いニュースがあった。

オザが好くなったようだ。やっと病院から解放してもらえる。
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母親「いまからこの請求書をもってそこに行くよう、医者が言ったわ。」
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チベットでは治療費の70%は戻ってくる。しかし、多くの人は、30%を払うのに苦労している。だから病院に行くのを避ける傾向が強い。今回はオザの治療費を払うことが出来たようだ。
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ジェンザンがカトマンズにきた目的の一つは新しいシェフを見つけることだ。
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しかし準備不足でカトマンズに来ることになってしまった。そこで昔からの友人ウーグスUgsに電話して助けを頼むことにした。
(mh:チベット人がオーナーのホテルかもしれません。)
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ジェンザン「ウーグスと私は数年前に出会ったんだ。その頃、彼は毎年チベットに来ていた。うちのホテルにも何回も泊まってくれたんだ。」
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ウーグス「ジェンザンが探しているシェフを見つけてほしいって電話してきた。でも驚いたよ。もっと早く電話してくれていたら、俺も探していたのにって。」
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ジェンザンはそのシェフにギャンツェで一度会っていたが、電話番号を書いたものを失くしていた。名刺もいくつかあるが、シェフの名前を忘れている。
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ウーグス「それらしい男の名前と住所、電話番号をメモしてもらったから電話して確認してみるつもりだ。もし彼がそのシェフなら、このメモは大当たりJackpotってことになる。」
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レポーター「事前に調べておけなかったんですね?」
ジェンザン「うん。この旅行の前にお祭りがあったんだ。親戚の家に行った時はすっかり酔っ払っていて記憶ははっきりしていないし、毎日、眠くて仕方なかったんだよ。」
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チベット・・・ギャンツェのペル・コール僧院。
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僧侶たちはまだ捧げものの準備で忙しかった。
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小さくて平らな皿はトーマtor-ma(飾り)に秘められた精神的エネルギーを表わしている。通常は繊細な花の形に造られる。
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「作りたい物を作ればいいんだ。制約はない。」
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「毎年バターの像を作り変えている。一年中きちんとした形のままでいられるように心を込めてトーマtormaを造っているんだ。」

ジェンザンはシェフを見つけられなかった。ネパールを離れる時はシェフ抜きだ。
彼は次の旅行の心配を始めた。
「最近、ネパールとインドの国境辺りでグループ同志の闘争があってそれが暴動になったって聞いてる。」
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「この張り紙はおまじないだ。」“旅行客のみTourist Only”
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「我々は旅行者であってここの者じゃぁないってことをはっきりさせときたいんだ。今日はルンビニLumbiniに行く。仏陀が生まれた所なんだ。だからとても重要な旅なんだよ。」
mh:私も既に訪れさせていただきました。
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「ルンビニ近辺の通行は危険だって聞いている。」
ネパールではこの辺りで暗躍している毛沢東主義者の暴徒たちと軍が戦っている。
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毛沢東主義者が道路を閉鎖して通過しようとしている人を人質として捉えるのは稀ではない。時にはもっと悪い結果になることもある。
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ラームーは“神聖なる洞窟”を訪れた後も体調がよくなる兆しはない。しかし、もう一つ試したい治療があった。
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ラームー「大麦ワインをまずどうぞ。」
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彼女は湯治に望みをつないでいた。
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「私、少し酔っ払っているわ。アハハハ。」

温泉のオーナーが効用に完璧な自信を持っていることは驚くべきことではない。
オーナー「1日当たり少なくても60~70人が湯につかっている。ほとんどの人が例えば手や足の骨を折っているなどの問題を持っている。でもみんな直ってしまうんだ。」
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ラームー「洞窟の効果についてはまだ何も現れていないみたい。」
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ラームー「でも薬は湯治をしている8日間も、づっと飲み続けているわ。ここのお湯はどんな病にも効くってみんな言っている。」
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オーナー「問題を解決しないで帰る湯治客は誰もいないよ。」
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ラームーにはもう湯治しか頼るものは残されていなかった。
「でも、なんか、好くなった感じだわ。帰ったらどうなってるか判らないけど。」
ラームーの子「ママ、待ってよ!」
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ジェンザンと妻は無事ルンビニに着いた。
「ここがお釈迦様が生まれた寺院だ。チベット人なら出来るだけお参りしなきゃぁいけない所だ。」
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「もっと大勢の人に来てほしい。ツアー旅行を企画してみようかな。ここに来て、色々な物も観たんで、簡単な旅行ガイドを作れそうだし。ま、正確な情報は不足しているけどね。」
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ルンビニ訪問が終わったジェンザンはカトマンズに戻って、やり残している仕事をかたずけねばならない。でも今はとてもいい気分のようだ。妻と二人で馬車に乗り、歌いながらはしゃいでいる。
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奥方もご機嫌がいいようだ。
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ギャンツェの夜・・・
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オザは家に戻った。気分はかなり良さそうだ。しかしラクパに悪い出来事が起き上った!
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ラクパ「ここに連れてきてから何かまずいことをしちゃったのか見てくれないか。」
ラクパの母「二匹ともかい?」
ラクパ「こいつら昨日、昼前に死んじゃったんだ。」
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家族にとっては大きな損害だ。売れ残っていた大切な子犬が二匹、死んでしまったのだ。
「こいつらを買った時はどこも何にも悪くなかった。とても元気だったのに、家に連れてきたら病気になっちゃったんだ。でも死ぬなんて思ってもいなかった。本当についてないなあ。こんなことが何度も起きたら、この商売はもうできないかもしれないなぁ。」
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臨時収入を得ようと考えていた家族の望みは突然消え失せてしまった。

中国ではラクパのような困っている人達を支援する体制がない。
ラクパ「共産党はこれまで俺たちによくしてくれた。しかし、最近は昔ほどよくないよ。一生懸命働いて金持ちになろうとしている人間は政府が元気づけて支援しているようだけど、俺たちの様に貧しいものにはそうじゃあない。時々、無視されているって感じているよ。」

カトマンズ・・・
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ジェンザンは仕事に打ち込んでいる。旅行会社をいくつも訪れてパンフレットを渡し、自分のホテルを客に紹介してくれるよう頼み回っていた。
ジェンザン「私はホテルをもってるんです。」
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持ってきたホテルのパンフレットが無くなってしまうと、帰国前の最後の仕事にとりかかった。食材を仕入れるのだ。そう、ホテルで客に出す西洋料理の食材だ。

しかし、思う程簡単ではない。
ジェンザン「50でどう?」
店主「いやいや、50じゃなくて、55」
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ジェンザン「停電で暗くてラベルが好く見えないよ。懐中電灯はある?・・・で価格は卸値だね?」
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店主「これには・・・2008年11月って書いてある。」
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ジェンザン「で、もっと値段さげてくれない?36?それって卸値?」
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ジェンザン「高すぎるって感じじゃあないな。沢山買いたいけど賞味期限を過ぎたりしないかなあ。
で、合計金額は・・・10,360でOKかい?」
店主「その通りだ。ぴったしだよ。」
ここで奥方が何か声を掛けた。
ジェンザン「いいんだ、品質がもっとも大事なんだ!品質が良くないってのが一番危険だ。」
mh:奥方は高すぎない?って言ったんだと思いますが、ジェンザンには哲学があったんですね。

電気が戻って灯が点(つ)いた。ジェンザンは商品ラベルの小さな文字を確認したかったところなので助かった。
「これならいい。それにちゃんと賞味期限も書いてある。賞味期限が書いてないものや嘘の賞味期限を書いたものもあるんだ。」
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レポーター「前回ここに買い物に来たのはいつ頃ですか?」
ジェンザン「そんなこと聞いちゃだめだよ。企業秘密だ。俺がいつ最後のストックを買ったかってのはね、秘密だ。」
mh;いつチベットを離れたか、当局に情報が伝わり、ひょっとして当時はパスポートを持ってなかったってことがばれるといけない、って考えた可能性もあります。
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ジェンザンの仕事はこれで終わりだ。妻と一緒にチベットに帰る時だ。
「Good bye」
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ギャンツェGyantse
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ラクパとその家族は経済的な問題はとりあえず忘れ、ロゥサLosarを祝う準備を始めていた。
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今年の御馳走(ごちそう)は資金不足で“切り身”しか買えなかった。
「今日はひとつ12元(200円)だった。長く火のそばにいると煙で目が痛くなるよ。」
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焼いているのは羊の頭だ!
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僧侶たちも彼らなりの新年を迎える準備を始めた。
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「飾り物は出来上がって並べ終えたが、まだ少し隙間がある。明日、バターで造ったカンデラをそこに置いて賑やかにして、お釈迦様に喜んでもらうつもりだ。」
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ロゥサLosarには、人々は僧院を参拝して新年の祈願をする。
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医師ラームーも参拝で訪れていた。
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「今日も仕事で忙しいの。無理して時間を作ってやって来たのよ。祝福を受けられるよう、もっと何回もお寺参りをしなさいってみんな言ってたわ。」
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僧侶「僧院の飾り物は仏教の仕来りに従って全てお祈りを捧げてから置いてあるから、お参りに来た人に祝福と平穏を授ける力が備わてるんだ。体の悪い所があればそこを擦ったらきっと治る。」
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ラーマーはトーマtormaの神力が体の苦痛を和らげてくれないか期待している。
「ギャンツェの病院には通ってるわ。でも気分は好くならないの。」
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「チベットの迷信だって言うかもしれないけど、捨てきれないから、とにかくお参りして病気を直してくれるようにお願いしているの。」
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「来世は健康で幸せに暮らしたいわ。」
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多くのチベット人にとってロゥサLosarは宗教的なお祭りであると同時に、家族が楽しむ祭りでもある。丸15日間つづく。
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ラクパ「羊の頭は冷えてから食べるんだよね?脳みそを食べちゃぁ駄目だってみんな言うけど、昔から食べているし、結構うまいんだ。」
母「弟にも上げてよ。」
ラクパ「ビールに合うんだよ。」
オザ「おじさんは今日はすごく酔っ払っていて、他の人の分まで飲んじゃうんだよ。」
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この瞬間、家族全員でロゥサLosarを祝っている間だけは、ラクパの金銭問題は忘れ去られている。
母親「コップのビールを空けちゃいなよ!そうすりゃぁあんたも元気になるよ。」
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オザ「花火を上げにいこうよ。」
5歳のオザも今日は昔の自分に戻って更にはしゃいでいる、少なくとも次の体調危機がやってくるまで。
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今夜は家族にとっては、去っていく年の悪霊を追い払う時だ。
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そして新年を新たな気持ちで迎えるのだ。
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僧侶は全ての準備を終えていた。今日の仕事は新しい旗柱を上げることだ。
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この行事はチベットの暦の上でとても大切だ。僧侶だけではなく町中が一緒になって柱を引き上げている。
僧院長チョエフェル「柱をそのロープで縛れ!そぅしてから引っ張って立てろよ。」
(mh:この僧院長は、悪い人間じゃあなさそうですが、軽いんですねぇ。副僧院長のツルトゥリムの方が威厳があります!)
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中国による50年の占領統治にもかかわらず、チベットは今も五行干支(ごぎょうえと)に従った自分たちの暦を使っている。
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2007年は火豚Fire Pigの年だ。12ヶ月は金銭面で乱高下することになっている。
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少なくとも旗柱が立ち上がっていく間は、金銭運も下がるより上がる傾向が強いかもしれない。
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旗柱が完全に立ち上がって固定されると、本格的に新年が始まる。幸多かれと祈念し、大麦粉を掛け合って新年を祝うのだ。
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次回の予告
僧院長のチョエフェルが寺院の一つで盗人を見つけた!
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ラクパは憧れの女友達に出合い、二人は仕事を探してギャンツェを離れる。
しかし・・・
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エンディングシーンです。雲一つないチベットの正月の空・・・
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mh:読者のみなさん、ここまで読んで頂き、お疲れ様でした。今回は、フィルムのナレーターと、登場したチベット人が喋ったことの、ほとんど全て、正確には90%以上でしょう、を翻訳し書き下ろしました!フィルムは50分強ですから、mhがブログ作成に投入した時間はっていうと・・・大雑把に言って、ま、大体・・・3日ですかね、合間には、女房殿と昼食兼買い物などに出かけていますから、それなりに休息時間を挟んではいますが・・・
疲れました!!!が、結構、楽しい時間を過ごせたのも事実です。みなさんの中にも楽しんで頂けた方がいらっしゃったら幸いです。
BBC Documentary A Year In Tibet EP03 Faith Hope Charity
https://www.youtube.com/watch?v=KQqpFmdN9-g

(Part3/5完)

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mh徒然草76:朴大統領記事事件

今日は2015年12月末です。産経新聞のソウル支局長が投稿した「セオル号沈没時の朴大統領の空白時間」を取り上げた記事が名誉棄損(?)だとして支局長が拘束されたり、韓国の裁判所に起訴された一件は、数日前に“無罪”となりました。

本件については、当初から韓国政府(青瓦台)の暴走ではないかとの疑いをmhは持っていました。つまり男と会っていたかいなかったか、はっきりしない“密会記事”を憎き日本の新聞社が投稿したことで平常心を失った朴大統領が、面子を保つことだけに固執し、日本人執筆者を告訴したのだろうと思っていました。

日本の世論は、当初から、朴大統領側の暴走という見方が大勢だったと思います。韓国人の多くも、そう感じていたのですが、火中の栗を拾う愚を避けて動向を静観していたのでしょう。狡い態度だと思います。

いずれにしても、結果としては、誰もが考えていた、落ち着くところに納まったということだと思いますが、今更ですが、どんな記事が投稿されて問題を引き起こしたのか、mhは正確な情報を持ち合わせていなかったのです。恐らく、このブログの読者の多くもそうではないかと思い、今回、これをmh流に解明してみたいと思います。

まずはネットで見つけた問題記事の全文を下記に挙げますのでご確認下さい。記事はネットで公開されたようで、産経新聞韓国版に掲載され公表されたものではないようです。

「産経新聞WEBニュース」2014.8.3 12:00更新【追跡~ソウル発】
見出:朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?
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記事:
「調査機関「韓国ギャラップ」によると、7月最終週の朴槿恵大統領の支持率は前週に続いての40%となった。わずか3カ月半前には6割前後で推移していただけに、大統領の権威はいまや見る影もないことを物語る結果となった。こうなると吹き出してくるのが大統領など権力中枢に対する真偽不明のウワサだ。こうした中、旅客船沈没事故発生当日の4月16日、朴大統領が日中、7時間にわたって所在不明となっていたとする「ファクト」が飛び出し、政権の混迷ぶりが際立つ事態となっている。(ソウル 加藤達也)

 7月7日の国会運営委員会に、大統領側近である金淇春青瓦台(大統領府)秘書室長の姿があった。まず、質問者である左派系野党、新政治民主連合の朴映宣院内代表と金室長との問答を紹介する。

 朴代表「キム室長。セウォル号の事故当日、朴大統領に書面報告を10時にしたという答弁がありましたね」
 金室長「はい」

 朴代表「その際、大統領はどこにいましたか」
 金室長「私は、はっきりと分かりませんが、国家安保室で報告をしたと聞いています」

 朴代表「大統領がどこにいたら書面報告(をすることになるの)ですか」
 金室長「大統領に書面報告をするケースは多いです」

 朴代表「『多いです』…? 状態が緊迫していることを青瓦台が認識できていなかったのですか」
 金室長「違います」

 朴代表「ではなぜ、書面報告なんですか」
 金室長「正確な状況が…。そうしたと…」

 《朴大統領は側近や閣僚らの多くとの意思疎通ができない“不通(プルトン)大統領”だと批判されている。大統領への報告はメールやファクスによる「書面報告」がほとんどだとされ、この日の質疑でも野党側は書面報告について、他人の意をくみ取れない朴大統領の不通政治の本質だとして問題視。その後、質問は4月16日当時の大統領の所在に及んだ》

 朴代表「大統領は執務室にいましたか」
 金室長「位置に関しては、私は分かりません」

 朴代表「秘書室長が知らなければ、誰が知っているのですか」
 金室長「秘書室長が大統領の動きをひとつひとつ知っているわけではありません」

 朴代表「(当日、日中の)大統領のスケジュールはなかったと聞いていますが。執務室にいなかったということですか」
 金室長「違います」

 朴代表「では、なぜ分からないのですか」
 金室長「執務室が遠いので、書面での報告をよく行います」

 朴代表「答えが明確ではありませんよね。納得し難いです。なぜなら大統領の書面報告が色々問題となっています」

 《朴代表はここで、国会との連絡調整を担当する趙允旋政務首席秘書官(前女性家族相)に答弁を求めた》

 朴代表「趙政務首席秘書官、マイクの前に来てください。女性家族部相のときも、主に書面報告だったと聞いています。直接対面して大統領に報告したことがありますか」
 趙秘書官「はい、あります」

 朴代表「いつですか」
 趙秘書官「対面報告する必要があるときに」

 朴代表「何のときですか」
 趙秘書官「案件を記憶していません」

 朴代表「では、調べて後で書面で提出してください」
*
 一連の問答は朴大統領の不通ぶり、青瓦台内での風通しの悪さを示すエピソードともいえるが、それにしても政府が国会で大惨事当日の大統領の所在や行動を尋ねられて答えられないとは…。韓国の権力中枢とはかくも不透明なのか。

 こうしたことに対する不満は、あるウワサの拡散へとつながっていった。代表例は韓国最大部数の日刊紙、朝鮮日報の記者コラムである。それは「大統領をめぐるウワサ」と題され、7月18日に掲載された。

 コラムは、7月7日の青瓦台秘書室の国会運営委員会での業務報告で、セウォル号の事故の当日、朴大統領が午前10時ごろに書面報告を受けたのを最後に、中央災害対策本部を訪問するまで7時間、会った者がいないことがわかった」と指摘。さらに大統領をめぐる、ある疑惑を提示した。コラムはこう続く。
 「金室長が『私は分からない』といったのは大統領を守るためだっただろう。しかし、これは、隠すべき大統領のスケジュールがあったものと解釈されている。世間では『大統領は当日、あるところで“秘線”とともにいた』というウワサが作られた」。

 「秘線」とはわかりにくい表現だ。韓国語の辞書にも見つけにくい言葉だが、おそらくは「秘密に接触する人物」を示す。コラムを書いた記者は明らかに、具体的な人物を念頭に置いていることがうかがえる。コラムの続きはこうなっている。

 「大統領をめぐるウワサは少し前、証券街の情報誌やタブロイド版の週刊誌に登場した」

 そのウワサは「良識のある人」は、「口に出すことすら自らの品格を下げることになってしまうと考える」というほど低俗なものだったという。ウワサとはなにか。

 証券街の関係筋によれば、それは朴大統領と男性の関係に関するものだ。相手は、大統領の母体、セヌリ党の元側近で当時は妻帯者だったという。だが、この証券筋は、それ以上具体的なことになると口が重くなる。さらに「ウワサはすでに韓国のインターネットなどからは消え、読むことができない」ともいう。一種の都市伝説化しているのだ。
 コラムでも、ウワサが朴大統領をめぐる男女関係に関することだと、はっきりと書かれてはいない。コラムの記者はただ、「そんな感じで(低俗なものとして)扱われてきたウワサが、私的な席でも単なる雑談ではない“ニュース格”で扱われているのである」と明かしている。おそらく、“大統領とオトコ”の話は、韓国社会のすみの方で、あちらこちらで持ちきりとなっていただろう。
*
 このコラム、ウワサがなんであるかに言及しないまま終わるのかと思わせたが途中で突然、具体的な氏名を出した“実名報道”に切り替わった。

 「ちょうどよく、ウワサの人物であるチョン・ユンフェ氏の離婚の事実までが確認され、ウワサはさらにドラマティックになった」

 チョン氏が離婚することになった女性は、チェ・テミンという牧師の娘だ。チョン氏自身は、大統領になる前の朴槿恵氏に7年間、秘書室長として使えた人物である。
 コラムによると、チョン氏は離婚にあたり妻に対して自ら、財産分割及び慰謝料を請求しない条件を提示したうえで、結婚している間に見聞きしたことに関しての「秘密保持」を求めたという。

 証券筋が言うところでは、朴大統領の“秘線”はチョン氏を念頭に置いたものとみられている。だが、「朴氏との緊密な関係がウワサになったのは、チョン氏ではなく、その岳父のチェ牧師の方だ」と明かす政界筋もいて、話は単純ではない。

 さらに朝鮮日報のコラムは、こんな謎めいたことも書いている。

 チョン氏が最近応じたメディアのインタビューで、「『政府が公式に私の利権に介入したこと、(朴槿恵大統領の実弟の)朴志晩(パク・チマン)氏を尾行した疑惑、(朴大統領の)秘線活動など、全てを調査しろ』と大声で叫んだ」

 具体的には何のことだか全く分からないのだが、それでも、韓国の権力中枢とその周辺で、なにやら不穏な動きがあることが伝わってくる書きぶりだ。
 ウワサの真偽の追及は現在途上だが、コラムは、朴政権をめぐって「下品な」ウワサが取り沙汰された背景を分析している。

 「世間の人々は真偽のほどはさておき、このような状況を大統領と関連付けて考えている。過去であれば、大統領の支持勢力が烈火のごとく激怒していただろう。支持者以外も『言及する価値すらない』と見向きもしなかった。しかし、現在はそんな理性的な判断が崩れ落ちたようだ。国政運営で高い支持を維持しているのであれば、ウワサが立つこともないだろう。大統領個人への信頼が崩れ、あらゆるウワサが出てきているのである」

 朴政権のレームダック(死に体)化は、着実に進んでいるようだ。」
・・・・・・
以上が問題視された記事の全てです。全く同じ内容が次のURLにあります。
http://www.sankei.com/world/news/140803/wor1408030034-n1.html

で、この記事が口さがない人々の話題になると4日後の8月7日、 ソウル中央地検が加藤の出国禁止処分を決定しました。当日、韓国政府(青瓦台)が記者会見し声明を発表します。それが翌8日の韓国メディア中央日報で報じられました。
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mh:
つまりWEB記事を見て「けしからん」と青瓦台(韓国政府)が考えただけで、記事投稿者は韓国から出国禁止になってしまったんですね!これだけ見ても、随分と横暴な政府だと思わざるを得ません。

その後に、大統領の名誉棄損を理由に起訴されます。が、細かなところに立ち入ると朴大統領の名誉をさらに“棄損”してしまう可能性を察知していたのでしょう、韓国の裁判所は審議を十分に行うことなく放置し続け、1年以上も判決を延ばしていましたが、ついに12月17日の一審で裁判官は「被告が記事を書いたのは韓国の政治や社会の事情を日本に伝えるためで、誹謗(ひぼう)することが目的だったと見ることは難しい」などと指摘し、「無罪」を言い渡しました。その5日後、次の記事が流されました。

見出:産経新聞 前ソウル支局長 無罪確定へ
12月22日 18時17分
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韓国の検察は、22日、無罪が言い渡された1審判決について控訴しないことを決め、前支局長の無罪が確定することになりました。
控訴を断念した理由について検察は記者団に対し、「記事が虚偽であることはすでに明白になった。韓国外務省から両国関係の発展という大局的な観点で善処を要請された点なども考慮した」としています。
無罪が確定することになった産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長は「韓国の検察当局が控訴を放棄する手続きを取ったことは、当然のことと受け止めている。そもそも起訴したこと自体が間違っていると考えており、公訴は判決前に撤回されるべきだった。これまで心配し、ご支援を寄せてくださった方々に改めて感謝を申し上げたい」とするコメントを発表しました。

また、産経新聞社の編集担当の小林毅・取締役は「韓国の検察当局の控訴断念の判断は、当然とはいえ喜ばしい限りだ。この裁判は執筆したコラムを理由に外国人記者に対して刑事罰を適用することの是非を争うものであった。今回の無罪判決の確定が、韓国における言論、報道、表現の自由の保障に資するものになると信じ、期待したい」とするコメントを発表しました。
(記事完)

長い記事になってしまい、読んで頂いた方に「お疲れ様です」と言いたいです。ご苦労様ですっていうと見下した表現になるようですね、そう言われてカッとなり相手を殴ったっていう人がいたという事件がありました。

で、もうこれ以上長くコメントすることはなるべく控えようと思っていますが、トップで引用した問題の記事を2度ほど読み直してみましたが、これで投稿者を監禁してしまうのは誰が考えても異常だと思いました。しかし、朴大統領だけがそう感じなかったんですねぇ。で~側近にも大統領を諌(いさ)める人は誰もいなかったから問題はずるずると肥大化していったのだと思います。それは側近の責任というよりも、“反論を許さない大統領”と側近に恐れられている朴大統領側に問題があると思います。

やっぱ、朴大統領は早く退陣した方が韓国のためだとの確信は深まりました。
翻って、日本の安倍首相と側近を見ると、韓国と似た言論統制の様相が出て来たと思います。無能と独善。両方とも手が付けられません。日韓とも、早くまともなリーダーに代わってほしいと思います。

さて今日の音楽は数日前のラジオ英語会話で取り上げられたポール・アンカのOldiesです。
なおOldiesは当初、Oldies but Goodiesとして知られた言葉だということです。
My Home Town ( 1960 ) - PAUL ANKA
https://www.youtube.com/watch?v=0VUZfCho7vU
(完)

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チベットの不思議2/5

(2006年)9月・・・撮影開始から二カ月目・・・
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普通の人々の、普通からはかけ離れた暮らしぶりを紹介していこう。
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農夫たちが収穫作業を始めた。
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この一帯での生活様式は昔から大きくは変わっていない。
mh:おぉ!トラクターを運転している男は・・・
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しかし伝統も少しずつ新しいアイデアや技術に道を譲りつつある。
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工事業者には、農作業で忙しい時期、労働者を集めるのは楽ではない。
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小さな町では、僧院の僧侶たちが楽しく遊んでいる。
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結婚にも好いタイミングだ。
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誰でも華やかな結婚式は好きだ、花嫁を除いてだが・・・
布を被って大声で泣いている人を女性2人が無理やりどこかへ!!!
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A YEAR IN TIBET Part 2/5: Three Husbands and a Wedding
(3人の夫と一つの結婚)
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タンマイTangmaiという小さな村・・・
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農家の嫁ヤンドゥロンYangdronは家事で忙しい。
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義理の父親の世話をしなければならない上に・・・
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4人の子供、そして・・・3人の夫と暮らしている!
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その3人は兄弟だ。
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チベットのこの地域では兄弟が一人の妻を分け合って一緒に暮らすのが一般的だ。
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そうすることで、土地を分割せず受け継ぐことが出来る。だから代々、農業を営んで暮らしてこれたのだ。

ドンダンDondanはヤンドゥロンYangdronの第二の夫だ。
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「農家にはそれが一番いいんだ。畑仕事で手がいる。大抵、一つの家には何人かの男達がいて畑仕事をする。仕事に出かける者がいれば、家にいて動物の世話をする者もいる。もし男が一人だけだと・・・(mh:字幕スーパーでドンダンが言っている英語翻訳が解読できません!)」

ダンドンの弟で第三の夫は・・・祈祷師のツェデンTsedenだ。
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僧侶で占星術師でもある。

ヤンドゥロンYangdron「ツェデンと私はお互い丁重politeなお付き合いをしているわ。」
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「彼は祈祷師の仕事で忙しいから一緒の時は少ないの。でも私は彼を尊敬しているわ。畑仕事はドンダンDondanと一緒にすることが多いのよ。」
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「ロゥガLogaは・・・あまり家の助けにはならないの。」
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ロゥガLogaはヤンドゥロンの最年長の夫だ。しかし精神年齢は子供と同じだ。
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彼が出来るのは家の周りの単純な仕事だけだ。
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「あの人は普通の人ではないの。動物を見ながらお祈りしたり、気分が悪い時は物を投げたり。でも私のことを決して悪く言わないの。」
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「牛糞をそっと持ってきて!割っちゃぁ駄目よ!」
mh:火を起こす燃料ですね。
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「きっと私、3人の夫と、そこそこ公平に付き合ってると思うわ。」
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祈祷師ツェデンの今日の最初の仕事は・・・結婚の相談だ。
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訪問者は礼金と食べ物などの手土産を持ってツェデンを訪れた。重要な行事では祈祷師にお伺いを立てるのがこの地方での習わしだ。新郎の父親と新婦の母親は、今度の結婚が適切なものかどうか、ツェデンの見解を知りたがっている。

「占ってみよう!」
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「新婦側の干支は土龍earth dragon(中国の占星術の動物)で土蛇earth snakeだ。新郎側は火虎fire tigerだな。これらの星がどう関係しているかだが・・・干支(えとearthly branches)と五行(five elements木火土金水)を見る限りは、いい組合せのようだ。」

両親が設定する結婚はチベットで一般的だ。また、新婦の家では、結婚について新婦となる娘には何も話さないのも伝統だ。ツェデンの妻ヤンドゥロンの結婚もそうだった。
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「結婚式の当日まで、誰と結婚するのかも知らなかったわ。その時になってから何となくわかっただけよ。」
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「誰も相手のことを話してくれなかったわ。」
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祈祷師ツェデン「その時、私はまだ子供だったんだ。結婚なんて考えてもみなかった。11歳だったから6歳違いで、彼女は17歳だった。」
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ヤンドゥロン「その時、泣きじゃくったのを覚えているわ。」
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「私の家族は・・・それで私は悟ったの、・・・」
(mh:本当に申し訳ないし残念なのですが、字幕スーパーがかぶってしまい、ヤンドゥロンが何て言ったのか判りません!しかし、必ず味わい深いことを言ったと思います、間違いありません!好い顔してます!働き者の上に気立てがいい、素敵な人だと思います。)
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村のリーダーが笛を吹きながら“もみ殻分け作業場winnowing groundに集まれ!”と触れ回っている。各戸は代表者を参加させなければならない。
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ドンダンの家族が暮らすタンマイTangmaiは96家族、およそ500人の小さな村だ。
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とうとう全員が揃(そろ)ったようだ。出欠を取って確認する。
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勿論、ドンダンも家族を代表して集会に参加していた。
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チベットでも健康と安全は重要事項だ。
村のリーダー「全てのトラクターは道路を通らなきゃだめだ。安全第一で運転するように。」
自宅で醸造する大麦ビールは誰ものお気に入りだ。
「ビールを飲み過ぎて畑で酔っぱらってちゃぁ駄目だ。特にトラクターなんかを運転している時は注意しろよ。無謀な運転はするな!」
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「以上だ!」
mh:耳が痛いお言葉です!
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チベット、正確には「中華人民共和国のチベット自治区」の面積は西ヨーロッパと同じだ。
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平均海抜5千mのこの地では農業は希薄な職業tenuous occupationだ。10人中9人は農業以外の仕事で生計を立てている。
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山岳も多く、耕地面積はたった1%しかない。今年の秋は多雨だったので収穫時期がいつもより遅い。
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集会が終わるとドンダンは直ぐにトラクターで畑に向かった。もう直ぐ始まる雨季の前に収穫を終えねばならない。
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それがうまくいかないと来年の生活はきつくなる。
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ヤンドゥロンも畑に急いでいた。早くドンダンに合流して大麦の刈り取りを手伝わないと!
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「秋になると5時に起きて子供達の朝食を作って、学校に送り出す支度をするの。」
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「それからお弁当を作って乳しぼりをして・・・畑仕事に出てこれるのは午後3時頃かしら。」
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チベット高原の天候は気温変動が大きい上に乾燥しているので、予測が難しい。収穫時期が遅れると実りが少ないことを人々は知っている。その上、一瞬のうちに全ての収穫を台無しにするものがある。雹(ひょう)嵐だ。
「こいつが一番の心配事だ!」
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昔なら、ドンダンの弟ツェデンが祈祷でこれを撃退して畑を守っていたところだ。
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「昔、私が雹と戦っていた時分は、冬の3ヶ月間は瞑想して祈り続けていたんだ。」
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「瞑想では、予め神に奉納しておいた乳棒、木の板、土偶を使う。どんな材料から作っているかは教えられない。」
「毎年、雹を作る悪霊がいるんだ。しかし、そいつらはほら貝の音を聞かせれば退散できる。間違いない!」
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地方自治体は雹対策で新しい道具を採用していた。高射砲だ!
高射砲作業者「昔は村人は祈祷師に雹対策をまかせていたけど、1997年に9基の高射砲を買ったんだ。ヨウ化銀の粒を雲に打ち込めば雹嵐を止められるんだ。」
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ツェデン「村には高射砲があるんだが、今でも私に雹対策を頼んでくるんだ。でも私は出かけて行かない!“高射砲にやらせたら?”って言ってやるんだ。」
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新しい技術のおかげでツェデンは昔から続いていた雹嵐を退治する仕事と、その報酬として毎年村からもらっていた2トンの大麦を失った。
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幸運にも、結婚式に関する依頼は今も続いている。今日はある家に呼ばれていて結婚がうまくいくかを占うことになっている。「両家が私に良縁かどうか星占いをしてほしいと言ってきたんだ。占いで凶と出たら結婚は取りやめるって言っている。」
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花嫁の家に着くとツェデンは祈祷の準備を始めた。
「今から悪霊を追い払う経を唱えるんだ。」
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「普通、親たちは候補者3、4人から、子供にとって最適な結婚相手を選ぶ。一番だったからといって、それで100%OKと言う訳じゃあない。問題が出たら私が解決するんだ。その時は、お守りとして1枚の紙とか1個の石なんかを2人のポケットに入れるか襟(えり)に縫い込んで持たせておく。」
そう言い終えるとツェデンは座り込んで読経を始めた。
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タンマイ村から車で30分に在る人口8千人の町ギャンツェGyantse。チベットで3番目に大きな町で郡の役所が置かれている。
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ギャンツェには僧侶76人が修行するペル・コールPel Kor僧院がある。
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現在のチベットで最高位の僧パンチェン・ラマの来院行事を無事終えたばかりだ。
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成功裏に終えたので僧院の総務責任者ツルトゥリムTsultrim は僧侶全員を引き連れてギャンツェ・ホテルで打ち上げパーティーを開くことにした。
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「今日はみんなに楽しい時間を過ごしてほしい。昼食もたっぷり準備してある。」
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「タシ・デレッグTashi Deleg幸運を!みんなありがとう。乾杯だ。」
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ツェフンTsephunは僧院で一番若い僧侶だ。こんな豪華なホテルに来たのは初めてだ。
ツルトゥリム「慌てて食べなくてもいいよ。まだ沢山あるからな。」
ツェフン「うん、判った!」
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今日は僧侶たちには滅多にない無礼講の日だ。これまでのうっ憤を晴らすかのようにいろいろな遊びが始まった。
ビリヤードや、麻雀・・・
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それにカード。現金が行き来している!
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勝者は1ヶ月分の手当てと同じキャッシュを手にした。
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ツルトゥリムはもっと驚くことを一週間後に予定していた。
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夜が明けた。
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リンチェウRincheuはギャンツェで暮らす建設業者で、裕福で、チベットでも中流階級に所属している。今日、忙しい日が始まる。彼は政府と契約を結んだばかりだ。それは急を要していた。しかし労働者になってくれるはずの人達は野良仕事に忙しくて十分な数が集まらないまま数週間が過ぎていた。やっと必要な人数がそろったのだ。
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直ぐにでも工事現場に行って作業を始めなければならない。そこは町から遠いので作業者達は工事が終わるまでテント暮しをする。出発前に30人の作業者が数週間生活するのに必要な食料を準備しなければならない!
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やっと作業者たちはトラックで出発だ。
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しかしリンチェウには、やらねばならないことが残っていた。パワーショベルの燃料dieselがまだ届いていない!
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なんとか入手できた!追加の食糧も買い込んで直ちに出発する。
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「今回の請負金額は30万元(540万円)だ。」
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「何とかうまくやり遂げて、次への弾(はず)みにしたいんだ。」
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工事現場でテントの建設が始まった。これから3週間暮らす大事な住居だ。
「入口は太陽が差し込むよう南に向けておけよ。」
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チベットでは収穫期には僧侶も実家に戻り仕事を手伝うのが慣習だ。
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その前にツルトゥリムには僧侶たちを引き連れてしなければならぬ儀式があった。
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夏だが水の温度は凍りつく一歩手前だ。
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「夏はみんな田舎に帰らなくちゃならない。」
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「だから十分、体を綺麗にしておくんだ。」
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「寒いよぅ!」
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「ツェフン!あったかいお茶を飲め!」
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ギャンツェの町・・・
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僧院でのパーティーは終わった。実家に帰って農作業を手伝う時だ。
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ツェフンは12歳になってからずっと僧院で暮らしている。両親と会える機会はめったにない。
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家は典型的な農家で、ギャンツェから車で30分の村にある。ツェフンが僧院に行くことになったのは家族にとっては名誉だった。おかげで村では尊敬を受けている。
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しかし今日は僧侶としてではなく、農作業を手伝わねばならない。
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まず、トラクターが動くように整備しないと。
「この工具ならOKだ!」
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mh:これがツェフンのお父さんです。優しそうですねぇ。
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レポーター「息子さんの運転、心配ですか?」
父親「もちろん!危なくて見てられないよ。」
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父親「スピード出すなよ!」
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ツェフンが畑仕事でトラクターを使いこなすには、もう少し時間が必要なようだ。車庫入れで燃料タンクを何かにぶつけてしまった。
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レポーター「父さん、君にまた運転させてくれるかなぁ?」
ツェフン「多分ね。でもボルトがどこかにいっちゃった!だからブレーキが効かないんだ。」

父と息子が肩を組んだり、背中を叩き合ったりして家に戻っていく。父親は大目に見てくれたようだ。
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冬はもうそこまで来ていた。
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花嫁の村・・・
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収穫作業が最優先だから結婚式はまだのようだ。しかし、花嫁の母チュァンChangは大事なものの準備を始めなければならない。
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まずはチャンchang仕込みだ。大麦からビールをつくるための蛋白源として使われる。結婚式だからいつもより多めに仕込まなければならない。冷えたら桶に移し替えて保管する。
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「今回の結婚話は4,5ヶ月前、夏になりかけた頃に向うが持ち込んできたんだけど、祈祷師ツェデンの意見を訊くまで正式な回答はしていなかったの。」
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畑の中の道を一人で黙々と歩いている男・・・
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我らが祈祷師ツェデンだ!
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雹嵐を退散させる仕事は完全に失っていた。チベットは急速に変化しているのだ。おかげで家族の収入は不足気味だ。今日はこれから役所に行き、祈祷師ではなく、普通の親として資金援助を申し込むのだ。

役所の外で休憩しているのは顔見知りで、ツェデンのことを頼りにしている人達ばかりだ。
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実はツェデンの長男ジンメイが中国中部の大学に進むことになったのだが、資金が足りない。

ツェデン「シャンザンさん。学生ローンの申し込みをしたいんだけど。」
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ツェデン「学校に行っている子供が4人いる。で、教育費を確保するのに苦労しているんだ。」
役人「いくらくらい必要なんですか?」
ツェデン「授業料だけで2,500元(5万円)。」
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ツェデン「その他を含めて7千元(13万円)くらいだ。」ツェデンの家の年収と同じ額だ!
役人「収入が少なくて資金が不足しているからって申込書に書いていいですか?」
ツェデン「うん。勿論ですよ。」
役人「でも、この申込要綱に限度額6千元(11万円)とあるなぁ。」
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ツェデン「じゃあ6千元で申し込んでくれないか。不足分は何とかするよ。世の中には心配することって沢山あるんだなぁ。アハハハ!」
申し込みの結果が判るのは2週間先だ。
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リンチェウRincheu「仕事が予定の期日までに終わりそうにない。まだ石材が届かないんだ。」
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「今は、パワーショベルで運河の溝堀作業をやってる。」
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南チベットでは夏季の雨量は5,6cmしかない。だからこうした灌漑運河が重要なのだ。
リンチェウは費用を節約するため、石材をトラックで運んでもらうのを諦め、近くから掘り出すことにした。
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彼にはまだ別の節約手段もあった。
「普通、作業者の日当は70元(1260円)だ。最低は26元(470円)。でも、最近、私は一番若い者にも30元(540円)出すことにしてる。」
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レポーター「で~君はいくら日当をもらうの?」
少年「18元(320円)だよ。」
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レポーター「お金は自分で使うつもり?」
少年「いや、家族に渡す。」(mh:感心な子です!)

パワーショベルの活躍で運河の基礎工事は完了した。
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両側に石を積み上げるのは人手だ。
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僧侶たちが実家に戻ってしまうとギャンツェで暮らすツルトゥリムには時間が余り出した。そこで料理をし、出来たものを畑で作業する家族に届けることにした。
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「この料理はドゥルDouruっていって、カブと、黒キノコと、うどんと、肉を煮込んで作るんだ。」
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出来上がった料理を持ってツルトゥリムは畑に向かう。
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多くの農家では主に大麦を作っている。その量は他の穀物全てを足したのと同じくらいだ。粉にしたサンパtsampaは毎食使われる食材だ。その上、大麦はビールの原料になる。1960年代の文化大革命時、政府は小麦の栽培をチベットの農家に強制した。この実験は全くの見当違いで、大飢饉が起きて数十万の(!)チベット人が亡くなることになった。
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mh:次のシーンは、作ったドゥルDouruをツルトゥリムが女の人に勧めている所ですが、撮影されているので恥ずかしくてお代わりを断っています。
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以降、チベットは伝統的な農業に戻ることになった。
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天気もいいので、誰もが仕事をかたずけてしまおうと一生懸命働いている。
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運河の工事現場でも総出で作業していた。
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「石を掘り出して、積み上げて、金網で崩れ防止する作業に、あと6,7日かかりそうだ。」
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ツェフンが家にいれるのもあと数日だ。彼はやっと父親のトラクターの使い方を習得したようだ。
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好い天気の下、ヤンドゥロンYangdronとドンダンDondanは野良仕事の追い込みをしていた。
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ヤンドゥロン「うちの畑は24mu(4acres≒10万平方メートル=3百mx3百m)で大体60俵の大麦がとれるの。」

しかし、悪い知らせが届いていた。長男ジグメイjigmeの学生ローン申し込みが拒絶されてしまったのだ。収穫の何割かを売った上に、どこかから不足分のお金を借りねばならない。
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ダンドン「我々には十分な蓄えはないんだ。今年の収穫が例年より多いのは幸いだけど、お金は十分じゃあない。どうするか・・・難しい問題だな。」
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ツェフンは父親と一緒の農作業の時間を楽しんでいた。しかし、もう直ぐ僧院に戻らねばならない。
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収穫が終わると、いよいよ結婚の季節だ。式は花婿の家で行われる。
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花婿の父ブッチョンBuchungは花嫁を迎える準備で忙しい。
レポーター「息子さんは結婚のこと知ってるんですか?」
ブッチョン「知ってるよ。」
レポーター「で、相手の娘さんはどうでしょうか?」
ブッチョン「チベットの伝統通りのはずだから、まだ何も聞いていないと思うよ。」
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レポーター「で、結婚するのは息子さんだけなのですか?」
ブッチョン「そうだよ。二番目の息子も話せば結婚に同意するかもしれないけど、まだ学生なんだ。結婚したいって言っても学校が休みをくれないよ。」

リンチェウRincheuの工事現場では作業者達が一日の仕事を終えて戻ってきた。食事タイムだ。
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料理は・・・ジャガイモだけ?リンチェウはあらゆる経費を削減しているようだ!
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mh:リンチェウRincheuともう一人の男(実務責任者だとおもいます、息子かも)は労働者が食事をしているテントから離れた木の下で少し豪華な夕食です。飲んでいるのは水だと思いますが大麦ビールだったりして!いや、きっとそうです。封をした瓶に入っていますから水じゃあないでしょう!
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食事が済むとリンチェウRincheuは労働者が休んでいるテントに行って発破をかけた。
「予定よりもかなり遅れている。もっと頑張ってくれれば遅れは1日まで取り戻せるよ。」
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ギャンツェの夜・・・城塞の上を雁が・・・
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3人の夫ロゥガ/ドンダン/ツェデンと働き者の嫁ヤンドゥロンの家では、長男ジグメイJigmeが大学にいく前夜になった。彼はナーバスになっている。
ジグメイ「ゴンカーとか他の弟たちに僕の本を触らせないでね」
母親「わかった。言っとくよ。」
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学生ローンを借りることが出来なかったから厳しい年になりそうだ。しかし、子供達に良い教育を受けさせることは家族の最重要課題なのだ。

ドンダン「この村では誰も大学に行っていない。」
レポーター「あと2人の息子さんも大学へ?」
ドンダン「勿論だ、大学に行ってほしい。もし試験に受かれば、みんなでサポートするつもりだよ。」
mh:偉いお父さんですねぇ。頼り甲斐があります。弟の祈祷師ツェデンと顔が似てます!
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翌日早朝、タンマイTangmai村から車で5時間のラサの新しい駅・・・
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海抜4千mにある世界最高地の駅だ。
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外回りの仕事はツェデンの役割だ。今日は息子を見送るため一緒にやって来た。
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駅での検問は厳しい。チベットと中国の関係が微妙だからだ。それはさておき、鉄道のおかげでチベットと中国の移動は安く、速くなった。

ツェデンの家にとって晴れがましい瞬間だがジンメイは緊張しているようだ。学生生活に溶け込めるか気にしている。
ツェデン「腹いっぱい食べるんだぞ。入れ込み過ぎるなよ。判ったな?」
息子「・・・」
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ツェデン「一緒に行く友達がいてよかったな。忘れるなよ、荷物の数は全部で6つだ、いいな?」
息子「・・・」(mh:撮影しているので恥ずかしさもあると思います。)
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「おい、息子!こっちを向いて顔を見せろ。」
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中国では4%が大学に進むが、チベットでの進学率はこれより大幅に低い。
ツェデンは電車が去ったプラトフォームに一人残って、祈りの言葉を呟き続けていた。
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ジンメイはこれから36時間、電車に揺られていく。
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結婚式が近づいてきた。
レポーター「もうそろそろ結婚式ですよ。もう何日も残っていませんねぇ。」
チュャン「娘の式は今度の週末よ。まだ1週間もあるわ。」
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「これからマスター(祈祷師のツェデンです)の所に行って意見を訊かないと。」
で~花嫁は?
「遠くに嫁(とつ)ぐわけじゃあないから、まだ話してないわ。」
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花婿の父ブッチョンBuchungは息子の晴れ着の買い出しに出かけた。晴れ着など一着も持っていないのだ。
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ブッチョンは村一番の金持ちだ。それは直ぐに判る。
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ブッチョン「安くしてよ。そうしたら2着買うよ。で、いくらなの?」
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店員「650元ってオーナーに言われてるんだ。」
ブッチョン「600元でどうだ!」
店員「630元なら・・・」
ブッチョン「600元だ!いいだろ?」
これで花婿の準備は完了だ。
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で~花嫁の方は・・・
「まだ娘は知らないわ。」
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レポーター「なぜ、まだ黙ってるんですか?」
チュャン「誰かに頼むわ。」
レポーター「誰かって、誰ですか?」
チュャン「隣の友達に頼んで話してもらう。」

結婚式を迎える花婿の家・・・
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とうとう結婚式の朝になった。
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花嫁の家では家族たちが身支度を始めていた。
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で~この娘さんは???
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彼女は何も聞いていないようだ!!!
「話したら、多分結婚なんかまだしたくないって言うわ。だからまだ言ってないの。」
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「でも娘を説得してくれる親戚や友達がいるから大丈夫よ。」

花婿の家では、父親が正装を着始めた。そろそろ準備万端だと言うのに・・・
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肝心の花婿は・・・
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式には関心が薄そうだ。
レポーター「何歳ですか?」
新郎「19です。」
レポーター「今日は何の日か知ってますか?あなたの結婚式の日ですよね?」
新郎「まぁ、そうだけど。」
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結婚式の最初の行事が始まった。まず花嫁の両親が花婿の父親にお酒を注いで敬意を表する。
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それが済むと、今度は花婿の親が花嫁の親にお酒を注いで敬意を返す。

次の段階は「ハタkhata」という白いスカーフの交換だ。敬意と崇拝の印だ。
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で~花嫁の方は???
「アハハハハァ!!!」
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工事現場ではリンチェウRincheuが大声で指示して仕事を急がせていた。
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「今度の仕事は楽じゃあない。」
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「しかし、予定通り終えることが出来れば、次の仕事をもらうのが楽になるはずだ。」
mh:若い作業者の男が女を尻で・・・
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押しました!
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若いですねぇ二人とも。楽しみながら働いています。今更ですが、工事現場の作業者は若者ばかりです。10代前半の少年もいました!
「シェパード犬みたいに、彼等を見張ってないとね。」
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「パー、ツェリン!石をいくつかこっちに持って来いっ!」
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「7月からこの工事を始めたが、なんとかいい仕事ができたと思っている。」
mh:字幕スーパーが英語を隠してしまうのでチベット人が何を言ったのか、分からないことが多くて困ります!で、この字幕ですが、どうもベトナム語のようですね、なんという因縁でしょうか。この原稿を作成しているこの瞬間は12月31日、午後6時。来年2月はベトナム・ハノイですからね。
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ツェデンは占いによって、花嫁が家を出る最適なタイミングを厳密に決めていた。
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その他のタイミングだと不幸が訪れると考えている。
ツェデン「新婦の星占いで、新婦が家を離れる最適な時間が判った。」
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「新郎の星占いでは、いつ新婦が新郎の家に着けばいいかが決まった。」
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「まだ娘には話してないわ。***(翻訳が解読できません!)」
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リンチェウは期限内に予算内で工事を終わらせることが出来た。荷物を整理してトラックに載せ終えると、辺りは既に暗くなってきていた。
「そうじゃあないだろぅ?なんで少年たちboysは少女たちgilrsよりも怠け者なんだ!」
(mh:これは世界中で同じ傾向ですね。)
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「何か忘れものあるんじゃないの?」
「いいから、心配しないで出発しろ!」
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家を出る1時間前に結婚を告げられた娘が泣きじゃくっている!本来なら、両親に挨拶してから家を出るのだが、とても無理のようだ。
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「誰もがみんな、こうしてきたのよ、って言ったら、あの子、“信じられない!”って言ったわ。」
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親戚の女たちも新婦には同情的ではないようだ。
「私もそうだったわ。暫くの間は実家に戻りたくて仕方なかった。でもそのうちに慣れてしまったわ。」
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チュャン「私も知らなかったわ。」
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レポーター「で、結婚って聞いた時、どんな気分でした?」
チュャン「心の中は真っ白emptyだった。」
レポーター「でも今は幸せそうに見えますけど。」
チュャン「選択肢はなかったのよ。」
レポーター「誰かほかに結婚したい人はいたんですか?」
チュャン「えぇ。いたわ。」
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結局、娘は泣きながら家から連れ出されることになった。
レポーター「どうしてドアに鍵をかけていたんですか?」
チュャン「一人にしておけば泣きつかれたら寝てくれるだろうと思って。」
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親戚の女「姪のところにいって“これは人生の通過点で、女ならみんな通る道よ。”って慰めてやったわ。」

朝3時。新郎の家では新婦を迎える準備で忙しい。大麦ビールの準備も始まった。
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ツェデンが指示したように、2つの家族は夜明け前に新郎の家に集まってきた。
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新婦はまだ自分の境遇を受け入れきれず、泣きながら連れてこられた。
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で~新郎は?
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チベットでは、好いか悪いかは別にして、生活様式は昔から大きく変化していないことが多い。今回の場合、若い二人には選択肢はなかったのだ。

新婦は新郎の脇に座らされた。新郎はハタ(白いスカーフ)を新婦にかけて慰めているようだ。
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ツェデン「それを手に取ってタシ・デレッグTashi Deleg(幸運を)!って言いなさい。」
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結婚は2つの家族の結合を意味する、好い時も、悪い時期であっても、以降、何世代も両家の関係は続くのだ。

結婚式から4ヶ月たった春・・・
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新婦のゾンガZhongarは新しい家族に溶け込んでいるようだ。
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「朝起きると水汲みをしたら牛の乳しぼり。その後はいつも畑仕事をするの。」
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「手がすいたらまた牛の乳しぼりをして、布織(ぬのおり)をして、夕食の準備よ。」
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ゾンガには運命を受け入れるしか選択肢はない。
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新郎は結婚式の翌日、仕事で近くの町に出かけて行った。来年には大学を卒業する新郎の弟が彼女の2番目の夫になるかも知れない。
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次回の予告です。
ギャンツェの僧院のリーダーのチョエフェルChoephelは建物の塗装を・・・
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5歳の心臓病の子供が病院に・・・
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ホテル・オーナーのジェンザンJianzangがネパールへ車で・・・
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そして誰もがチベットの新年を・・・
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早朝のギャンツェGyantse遠景・・・
中央左の丘が城塞、その右側の奥には僧院の丘が見えます。
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BBC. A Year In Tibet 2 of 5.Three Husbands and a Wedding
https://www.youtube.com/watch?v=mqSThU4Irfk

ご参考:
チベットの結婚についてネットで調べた中から、参考になりそうなURLをご紹介します。
http://www.gesanmedo.or.jp/uli219.html
これには複数の夫と一人の妻に関する記事がありません。

別の記事には次の内容がありました。
「過酷さゆえの一妻多夫制」
なぜ一妻多夫制が始まり、そして今も残る文化であるかを考えてみたいと思います。
*家の資産を守るため
チベット社会では基本的に父系制による婚姻の形態をとり、夫の家族と居住をしているため、息子たちが結婚によって分家してしまうと、家産が分割して土地や財産が目減りしてしまいます。その点、息子たちが同じ女性を妻とし結婚し、同じ家で暮らせば資産を分割する必要がなくなります。
*婚資金の軽減
兄弟それぞれに結婚資金を準備することは両親にとって大きな負担となります。一般的に貧しいチベット族は、なんとか捻出した1人分の資金で妻を迎え、兄弟でその一人の女性を共有したほうが効率的であると判断したようです。
*労働力の確保
チベット族は牧畜や商業で生計をたてるのが一般的な労働形態になります。チベットの土地は恵まれておらず、農作物の収穫だけでは生活することが難しくなります。その為、働き盛りの男性が遠隔地に働きに出て現金収入を得ることもあります。その際、兄弟(夫)のうち誰かが留守にするとしても、妻は安心して家で生活することができます。他の兄弟は畑仕事や家畜の世話、料理、子育ての手伝いなどをして、妻と一緒に家を守ります。妻を共有することで経済的にも協力することが可能となるのです。
*兄弟間の精神的結びつきの強さ
兄弟間の精神的結びつきが強いのはチベット族の伝統的な考え方に由来します。兄弟を一つのまとまりと考えており、一般的な一対一の夫婦関係が当たり前だとは思っていません。チベット族は兄弟を一つの心ともみなします。
なので、兄弟型一妻多夫制度は、心の通い合った兄弟が一人の女性と結婚することであり、その点からは一夫多妻制と何ら変わりません。妻に対する兄弟間の嫉妬心もなく、どの家庭でも生物学的に誰が子供の父親であるかは大きな問題ではありません。子供は自分の父親も、おじさんも全て「お父さん」と呼びます。

mh:つまり、ブログに登場した、大学に進む長男ジグメイjigmeは、祈祷師ツェデンTsedenの子供で、同時に2人の兄の子供です。
別の英語記事に「伝統的な結婚である一婦多夫polyandryでは最年長者の夫が全ての子供の「父親」と呼ばれる。嫁選びと家族の財産管理は最年長者が行う。次男以下のものが僧侶になると全ての資産を管理する権利を得ることもある。花嫁は数日前まで結婚については知らない。普通は15歳以下で結婚式を挙げ、数年、実家に戻って成熟した女になってから新郎たちの家に入る。」ともありました。
なんともコメントしようがない不思議な習慣ですが、薄れつつあるようですから、生活レベルが向上し、個人の意思を尊重できる基盤が整いつつあるということではないでしょうか。
(チベットPart2/5完)

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mh徒然草75:マネーゲームの行先は?

今日は2月10日水曜日。明後日はmh徒然草の更新日ですが、仕事が早いmhは2ヶ月も前に仕込んだネタを既にポスト・アップ済みです。しかし、ブロトモから、タイムリーでない、つまり2ヶ月も前の情報じゃあ古すぎる!との意見が届き、私も、的を射た指摘であると認め(この辺りがmhの美点なんですね、自分で言うのもなんですが)、新しい情報でブログを作成する時間は十分残っているし、明後日の公開ブログは?と調べると「mh徒然草:しょっつるアタリメの値段?」という、埒も賞味期限もない記事なので、反省を実践で示すことに決めてネット・サーフィンで見つけた記事は・・・

<長期金利>初のマイナス 株安円高、日銀に誤算
毎日新聞 2月10日(水)0時10分配信
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明後日の公開ですから、元ネタが消去されていることはないと思いますが、1ヶ月後は消されている可能性がありますから、原文をコピペしておきましょう。

「世界の投資マネーが日本国債に流入している 。
 9日の東京債券市場は、長期金利の指標となる新発10年物国債の市場利回りが一時、マイナス0.035%まで低下し、史上初めてマイナスとなった。日銀がマイナス金利導入を決めたことを受け、日銀にお金を預けておくと損をする金融機関が国債を買う動きを強めていたことに加え、欧米市場の株安を受けて東京株式市場でも株価が急落し、安全資産とされる国債を買う動きが広がったためだ。日銀のマイナス金利は世界的な株安に歯止めをかけると期待されたが、これまでのところ世界を取り巻くリスクを打ち消せずにいる。
【マイナス金利、企業や個人への影響は?】
 日銀は1月29日の金融政策決定会合で、マイナス金利の導入を決定。中国経済の減速懸念や原油安を背景にした年明け以降の株安・円高の流れを止めたい狙いもあった。金利が低下すれば円安が期待できることに加え、企業が借り入れを増やして設備投資を積極化し、株価の押し上げにもつながるとみていたからだ。

 ただ、市場では「世界経済の先行きに対する不透明感は強く、株安・円高・金利低下の流れは長引く可能性がある」(大手証券)との見方が強い。8日の欧米市場での株安は、米国のエネルギー企業や欧州の金融機関の経営不安がきっかけだ。年明け以降、新興国を中心に世界経済先行きへの不安がくすぶる中、欧州の景気回復の遅れや、景気のけん引役となっている米国経済の減速も強く意識され、9日の東京株式市場では、日経平均株価の終値が前日比918円86銭安の1万6085円44銭と急落。下げ幅は一時1000円に迫り、2013年5月以来、約2年9カ月ぶりの下げ幅を記録した。東証1部上場企業の98%超が値下がりする全面安の展開となった。

 株安に拍車をかけたのが外国為替市場で進んだ円高だ。リスクを避けるため比較的安全とされる円が買われ、円相場が1ドル=114円台前半まで急騰。円相場は前日午後5時時点に比べて3円超も円高・ドル安が進み、14年11月以来、約1年3カ月ぶりの円高水準となった。輸出企業の採算が悪化するとの懸念から、自動車や電機など輸出関連企業の株式が売られたほか、長期金利がマイナスになったことで運用収益が落ち込むとの見方から銀行株も大幅に値下がりする結果になった。

 株を売ったお金は安全資産の国債に向かい、9日の債券市場では長期金利がマイナスとなった。国債を高値で買うため、満期まで保有してお金が返って来ても損失が出る異常事態。だが、価格変動リスクの大きい株に比べると国債価格の値動きは安定しており、「国債を高値で購入して損は出たとしても、株を保有して大きな損を出すよりはまし」という投資家の安全志向の心理が働いた。

 日銀が導入を決めたマイナス金利は、こうした投資家の不安心理を抑える効果が期待された。金利低下で貸し出しが増え、お金の流れが増えるとみられるためだが、現状では、運用難になる金融機関の経営悪化や消費者が受け取る利息の減少の方が強く意識されており、市場の動揺は収まっていない。

 この日、マイナスとなった長期金利は企業への融資や住宅ローンを組む際の金利の指標とされる。このため、お金を借りたいと思う企業や家計にとっては恩恵となる。ただ、金融機関は国債の運用で安定的な収益を上げることが難しくなるため、収益を維持するために預金金利の引き下げに踏み切る動きが出ている。資産運用会社も国債などで運用する投資信託「MMF(マネー・マネジメント・ファンド)」の販売停止や償還の前倒しに踏み切っており、個人の資産運用は見直しを迫られている。
【中井正裕、鈴木一也、土屋渓】」

記事を読んで、いくつも不思議に思う事があったんですが、それについて考えるためには、お釈迦様ではありませんが、正確な情報を得ることが最優先です。

で~国債の金利って誰がどう決めてるのかしら?ってまず思いました。
調べた結果、日銀が決める金利と、市場が決める金利、の2つがあるとの結論を得ました。

日銀が決める金利とは、日銀が新債券を発行する時、その債券を満期になってから持ってきてくれたら、元本にこれだけの金利を付けて現金化するよ、っていう金利です。これには固定金利と変動金利があって、固定金利は満期まで固定ですが、変動金利は日銀が市場動向を見ながら(恣意的に)変更するんですね。

で~市場金利については後で説明させてもらうとして、国債ってどんな形で発行れているのかと思って調べたら次の見本の債券の写真が見つかりました。
「利付国庫債券(2年)、○兆億円、利率年0.1%」とあります。
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その下には細かな文字が続き、最後に「財務大臣」が捺印されています。
つまり、この債券と交換に○兆億円の現金をくれるなら、2年後に債券を持って来たら○兆億円に年利0.1%の利息を付けて買い戻しますよって約束事が書かれているんですね。現在は、このように印刷した債券ではなく、電子国債として市場で取り扱われているのではないかと思いますが、コンピュータだって故障したりしますし、役人や銀行マンは昔からのやり方が一番確実だと固く信じているはずですから、全ての債券は紙に印刷され、日銀か大手銀行の金庫にしまわれているのではないかと推察します。場合に寄れば、個人投資家でも債券の実物を箪笥にしまわれている方もいらっしゃるかもしれません。

この債券がマネー市場で商品化されているんですね。市場に出回っている以上、あなたも買うことが出来るはずです。その時、価格はっていうと、債券にどう書かれていようが、市場価格、つまり売り手と買い手の間で決まるんですね、当然ですが。しかし、もし上の写真の債券を買ったなら、いくらで買おうが、満期には債券に書かれたお金、つまり○兆億円プラス年率0.1%の現金しか入らないのです。

この売買に、どんなメカニズムが働くのか、お釈迦様の仰るように因果応報で理由は当然あるのですが、市場で○兆億円プラス0.3%の年利、とか、割引して○兆億円マイナス1千億円、などとして売られるんです!売れたとすれば買った人がいたわけで、売った方も買った方も、メリットがあると思ったから売り買いしたってことですね、当然ですが。

で、冒頭に紹介した2月10日のニュースによれば「9日の東京債券市場は、長期金利の指標となる新発10年物国債の市場利回りが一時、マイナス0.035%まで低下し、史上初めてマイナスとなった」って言ってるんです。市場利回りマイナス0.035%ってのは、債券に書かれた国が約束した金利じゃあないんですね。で~、国が定めた金利はいくらの債券なのか?どうも0.19%なのですね、勿論プラス0.19%です!

これを伝える記事が日経に見つかりました。
日本経済新聞:速報2016/1/14 15:12
「長期金利が最低更新 0.190%、リスク回避強まる 」
「金融市場で投資リスクを避ける「質への逃避」が加速している。14日の東京市場では日経平均株価が前日終値に比べ700円強下がって一時1万7000円を割り込むなど大幅に反落する一方、安全資産とされる債券を買う動きが強まり、日本の長期金利は過去最低の0.190%まで低下した。原油安や中国経済の減速など先行きへの懸念も投資家のリスク回避を促している。

 長期金利の指標となる新発10年物国債の利回りは一時、前日比0.015%低い(債券価格は高い)0.190%を付けた。これまで過去最低だった昨年1月20日の0.195%を約1年ぶりに下回った。
 長期金利が0.2%を下回るのは、世界的に見ても歴史的に見ても異例の状況だ。」

で、突然ですが、だらだら、長々と続くブログはそろそろ纏めねばなりません!

国が、10年持っていてくれたら年率0.19%の利息を付けて買い取るよ、って約束している債券の市場金利がマイナス0.035%に下がった理由は、他のものに投資するよりも安全だから、と記事で紹介されていますが、一般的日本人のmhには理解不能です。10年後、明らかに円での金額が減っている国債を、今、わざわざ、現金を出して買う必要はありません。箪笥にしまっておく方がましってものです。今なら銀行の貯金口座だって僅かですがプラスの金利が付いてますから、銀行に預けておけばいいんですね。ま、銀行が破綻(はたん)する可能性は日銀が破綻する可能性よりも高いですから、やっぱ銀行はやめて、タンス預金って考えでも間違いではないとmhは思います。

額面価値が下がることが確定しているにもかかわらず、何故、市場で出回るマイナス金利の国債を買うのか?円なら確実に減るのだから、マイナス金利の日本国債を買うのは外国人投資家だけなのか?外国人にとっては円高になってくれれば、買う時に換金した額よりも多い自国通貨を手にすることになりますからね。よって、マイナス金利の日本国債を買うのは外国人投資家だけなのではないのか???

しかし・・・きっと、そうではないと思います!日本の大手銀行も、日本人の個人投資家も、マイナス金利の日本国債を買っていると思います。その理由は・・・買った人に訊かないと判りません!しかし、損するつもりで買う人はいないはずですから、何かに賭けているんですね、きっと。例えば、3年後、国債が高く売れる可能性があるとか。もし、日銀が紙幣を大量印刷して、国債は全て高値で買い戻すってな施策を打ち出したとすれば、そしてそれは十分可能性があるとmhは思うのですが、国債の市場価格は高くなります。しかし、箪笥にしまっておいた現金は増えてはいません。国債の買戻しで日銀が市場に大量の現金を流出するとインフレが進んで物価は上がります、当然、国債も売買される物価に連動しますから、国債の市場価格は上がるってことですね、繰り返しになりますが。

こんな風にして食糧や住宅や衣類や燃料や薬などの価値のあるものが流通するのではなく、債券や紙幣などという、それ自体は食べることも、薬として使う事も出来ないものが市場に出回って、誰かが付けた市場価値で売り買いされながら日本経済はどんどんとマネー・ゲーム・ワールドに変化していきます。国債を発行すれば、買戻しのために、いつか、それと同額の紙幣の印刷が必要になり、流通通貨額が増加して物価が高くなりますから現金資産はどんどん目減りするんだから、マイナス金利でも国債、つまり換金が保証されている‟物”、に替えておく方が得だと考える人も増え、ゲームはエスカレートする運命にあるのです。

このゲームに巻き込まれたら、一般庶民はきっと損するとmhは思います。そんなゲームから少しでも身を切り離してとばっちりを回避する秘訣ですが・・・最善策は、お金は早目に、自分がしたいこと、買いたいものにつぎ込んで使ってしまうことですね。自分の身になるもの、例えばカルチャー・スクールにいって技術や知識を付けるとか、海外旅行して綺麗なものを見たり、感動する体験をするとか、食事を含め、健康に、少ないストレスの下で、毎日を楽しく暮らせる施策につぎ込むとか。勿論、老後に備えて若干の蓄えは必要ですが、その場合は、お金は半分は外貨にしておくことをお勧めします。何度もブログで書きましたが日本円は当てになりません。今は円高方向ですが、円安・インフレは時間の問題です。

A LOVER'S CONCERTO - (Sarah Vaughan / Lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=2l8Cg5qb0C4

(完)

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チベットの不思議1/5



チベットその1:訪問The Visit

今回はYoutube:「BBC. A Year In Tibet 1 of 5. The Visit:BBCチベットの1年Pt1/5訪問」をご紹介しましょう。
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Pt2/5は「BBC. A Year In Tibet 2 of 5.Three Husbands and a Wedding:3人の夫と1回の結婚」となってますが、一体全体、何を暗示する題名か、私も現時点では全く知りません。それは見るまでお楽しみということで次回ブログまでお待ちください。

これから5回も紹介するかも知れないとなると「チベット」の基礎知識を仕込んでおく必要があります。

まずは不思議な質問「チベットとは何か?」
・・・
Wikiで一定の答えを得ることは出来ます。
Wiki:チベット(英語:Tibet, チベット文字:བོད་; ワイリー方式:bod, 発音ポー, 簡体字:藏区, 拼音: ザンシー)
南はヒマラヤ山脈、北は崑崙(こんろん)山脈、東は邛崍(きょうらい)山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。チベット人自身は「プー (bod) 」(チベット語)と称する。日本語のチベットは英語「Tibet」経由で明治期に成立した呼称である。
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チベット人は「チベット」と言わず「プー」って言うんですねぇ、驚きです!

で~PCで「ちべっと」と入力すると「チベット」「西蔵」が出てきます。「西蔵」でいいと思うでしょ?しかし、それは少し違うようなんです。これもチベットの不思議ですねぇ。

Wiki: 西蔵(せいぞう/シーツァンXīzàng)
歴史的チベットのうち、アムドやカムを除く、西南部2分の1程度を占める部分に対する中国語による呼称として成立した、地域概念の用語。
つまり、チベット=西蔵は不正確なんですね、指す範囲が狭くなってしまうんです!

調べるにつれチベットが複雑な歴史を持っていることが判りました。どう複雑なのか正しく理解できていないmhが解説しても読者諸氏は混乱するばかりでしょう。「細かいことはいいから概要だけね」ってことでしょうから、mhの関心に力点をおき、一般論はさらっと流したいと思います。といっても、ダラダラ、長々はいつものことですのでご容赦下さい。

まずは中国におけるチベットの立ち位置を地図で。中国の西の端にあるんですね。
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紀元前2世紀、始皇帝が創った秦の都「咸陽」は中国中央部の陝西省にあります。中国に行かれた方はご存知かも知れませんが、咸陽は西安、昔の長安、から川一つ隔てた西側の都市で、その川というのは中国史をかじった方なら一度は聞いた「渭河」、あの「渭水」です!
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でぇ、言わんとすることですが・・・西蔵自治区省や青海省が、陝西省を避けるように配置されながら、意外に内モンゴル自治区と近いってことです!内モンゴルがあるのは、当然、外モンゴルという概念があってのことで、外モンゴルってのは・・・いまのモンゴル、つまり日本語の正式名で「モンゴル国」、英語ではMongoliaです。首都はウランバートルですね。

モンゴルMongoliaは中国の省ではなく、れっきとした独立国ですが、内モンゴル自治区、青海省、西蔵自治区は中国共産党が管轄する中華人民共和国の“省”です。ついでに言えば、西方の新疆ウイグルも中国共産党が管轄する自治区です。

以降、暫くWikiを引用させて頂くと・・・
チベットつまり西蔵は、今から2千年程前には「羌(きょうQiāng)」更には「氐(ていDī)」とも呼ばれ、現在のチベット自治区を主とし青海省の一部にも広がる地域でした。農民や遊牧民が暮らし、中国の手が及んでいない未開の地でした。リーダーが台頭したのは吐蕃(とばん)王国の代で、7世紀から9世紀中頃までチベット一帯を統治していました。

その後、1206年にチンギス・カンが創ったモンゴル帝国(注)に組み込まれ、帝国の属国というか同盟国のような国体を保ち、モンゴルから統治者を受け入れたりしながら、それでも中国には組み込まれずに独立性を維持しています。17世紀半ばにはダライラマ政権が誕生しました。

注:モンゴル帝国
そんな国があったのかしら?歴代の中国の国の名前の一つかと思っていたけど・・・ってな考えを持っていたとしたら(白状するとmhは錯覚していました)中国通とは言えませんねぇ。

モンゴル帝国はチンギス・カンGenghis Khan(1162年- 1227年)が創った国です。彼が死ぬと帝国の勢力は急速に弱体化しますが5代皇帝フビライ(1260年 - 1294年)が建て直し、最後の皇帝リンダン・ハーン(1603年 - 1634年)が死ぬと消滅しました。首都カラコルムはウランバートルの西300Kmで、長安からは北に1千5百Kmも離れています。モンゴル帝国が成立していた1162年から1634年、中国では南宋/金、元(モンゴル帝国の息がかかった政権)、明、清が古代漢王朝の流れを汲んだ王朝として存在しています。
ご参考に中国と日本の王朝年表を挙げておきましょう。
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17世紀半ばにチベットに生まれた「ダライ・ラマ政権」ですが・・・
Wiki検索すると「ガンデンポタン」に飛ぶんですねぇ!
Wiki:ガンデンポタン(ダライ・ラマ政権)
ダライ・ラマを長とし、ラサを本拠として1642年に成立したチベットの政府。太平洋戦争が終結した後の1959年、チベット動乱の際、ダライ・ラマとともにインドに脱出、現在はチベット亡命政府として十数万人からなるチベット難民組織の頂点に位置する。

ガンデンポタンが「チベット」だと特定する領域は現在のチベット自治区と青海省の全てです。
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で~ダライ・ラマとは何者かですが・・・
Wiki:ダライ・ラマ (Dalai Lama)
チベット仏教ゲルク派の高位のラマ(チベット仏教の僧侶)であり、チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマ(注)の名跡である。その名は、大海を意味するモンゴル語の「ダライ」と、師を意味するチベット語の「ラマ」とを合わせたものである。
(注)化身ラマ(けしん らま):チベット仏教の教義上において、この世の衆生を教え導くために、如来、菩薩、過去の偉大な仏道修行者の化身(応身)としてこの世に姿を現したとされるラマを指す。

ダライ・ラマが没すると、その遺言や遺体の状況、神降ろしによる託宣、聖なる湖であるラモイ・ラツォ湖(注)の観察、夢占い、何らかの奇跡などを元に僧たちによって次のダライ・ラマが生まれる地方やいくつかの特徴が予言される。その場所に行って子どもを探し、誕生時の特徴や幼少時の癖などを元にして、その予言に合致する子どもを候補者に選ぶ。その上でその候補者が本当の化身かどうかを前世の記憶を試して調査する。例えば、先代ゆかりの品物とそうでない品物を同時に見せて、ダライ・ラマの持ち物に愛着を示した時、あるいはその持ち物で先代が行っていたことと同様の癖を行ったりした場合に、その子どもがダライ・ラマの生まれ変わりと認定される。

(注)聖なる湖ラモイ・ラツォ湖
Google Earthで特定出来ませんでしたが、ここを訪れた僧侶のブログに次の写真がありました。お坊さんが嘘をつくとは思えませんから本物でしょう。ラサから145km離れた山の上にあるようで、観光客が訪れる場所ではないとのこと。意外に小さいですね。近くにはお寺もあるようです。
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(Wiki「ダライ・ラマ」続き)
認定された転生者は幼児期にして直ちに法王継承の儀式を受けるが、この時点ではあくまで宗教的権威に留まる。成人に達すると(通例は18歳)「チベット王」として改めて即位を執り行い、初めて政治的地位を持つこととなる。先代の遷化(死亡)から新法王の即位までの間は、摂政が国家元首の地位と政務を代行する。
ダライ・ラマは17世紀(1642年)に発足したチベット政府(ガンデンポタン)の長として、チベットの元首の地位を保有し、17世紀から1959年までの間のいくつかの特定の時期において、チベットの全域(1732年以降は「西藏」を中心とする地域)をラサから統治するチベット政府を指揮することが“あった。”
(mh:“あった”ってことは“なかったこともある”ってことでしょうから、3世紀の間、いつもダライ・ラマがチベットを統治していたのではなさそうです。とすれば、代わりに誰が統治していたのか、それとも統治者がいない時期があったということか。恐らく後者だと思いますが、裏付け情報はありません!)

で~、ダライ・ラマの居城だったポタラ宮はチベット自治区首府の拉薩(ラサ)にあります。
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1994年ユネスコ世界文化遺産に指定されました。

現在のダライ・ラマですが~
ダライ・ラマ14世(2012年10月)
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Wiki:ダライ・ラマ14世
1935年、アムド地方(現在の青海省)の農家に生まれ、幼名をラモ・トンドゥプといった。4歳の時にダライ・ラマ14世として認定され、1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に就いていたが、1959年に中華人民共和国からの侵略と人権侵害行為に反発してインドへ亡命して政治難民となり、インドのダラムサラに樹立された中央チベット行政府(現「チベット人民機構」、通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元首を務めている。

で~、ダライ・ラマ14世とは別に、パンチェン・ラマという高僧もいるんですね、ブログにも登場します!
Wiki:パンチェン・ラマ(Panchen Lama、漢語表記: 班禪喇嘛)
チベット仏教ゲルク派においてダライ・ラマに次ぐ高位の化身ラマへの称号である。無量光仏(阿弥陀如来に相当)の化身とされ、転生 (生まれ変わり) によって後継者が定められる。

上位のダライ・ラマがインドにいるのでパンチェン・ラマがチベットに暮らす人々の心の支えになるはずなのですが、実は、ダライ・ラマが認めた本来のパンチェン・ラマは所在が不明(中国政府に幽閉されている?)で、中国政府が認めたパンチェン・ラマは政府のお膝元の北京で暮らしています。名前はギェンツェン・ノルブで、チベット人には政府の傀儡(かいらい)だと思われています。1990年生といいますから現在25歳で、フィルムPart1/5撮影時は17歳です。撮影は2006年夏~2007年夏に行われています。

mhも必ずやチベットを訪れ、ポタラ宮やチベットの自然、人々の暮らしぶりなどを見せて頂くつもりですが、海外からの旅行者がチベットに入る手段は2つ、飛行機か鉄道です。恐らく往きが鉄道なら帰りは飛行機という組合せでしょ。

で~鉄道ですが、これがまた好いんですねぇ、青蔵鉄道です!
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Wiki:青蔵鉄道(せいぞうてつどう、靑藏鐵路チンツァンティエルー)
中華人民共和国西部の青海省西寧とチベット自治区首府ラサ(拉薩)を結ぶ高原鉄道で総延長1,956km。西部大開発の代表的なプロジェクトとして、1984年までに一期工事が行われ、2001年からの二期工事を経て2006年7月1日に全通した。建設の目的については、中国によるチベット支配の徹底と独立運動の抑制にあるという趣旨の指摘がなされている。

外国人と台湾人がラサまで乗車する場合は、チベット入域許可書が必要だが、個人的な入手は困難なため、旅行代理店が主催するツアーに参加する必要がある。

青蔵鉄道チベット区間は唐古拉(タングラ)山脈を超え、最高地点が海抜5,072 m の唐古拉峠である。その近くの唐古拉(タングラ)駅Tanggula railway stationが海抜5,068mで「世界一高い場所にある鉄道駅」となる。
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Google Earthではホーム全長は700m余りです!辺りに建物は見当たりません!何のために造ったのか・・・お釈迦様が仰ったように、因果応報、原因があってこその結果ですが・・・ここでmhの根拠のない思い付きを並べるのは控えさせて頂きましょう。線路に沿って走る道路は西寧からずっとラサまで続いています。
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プラットフォームの様子は冬ならこんな感じ。
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Wiki続き:青蔵鉄道の平均海抜は約4,500m、また海抜4,000m 以上の部分が960km もあり、このような高所に鉄道が建設されるのは世界でも例がない。まさに世界の屋根を走る鉄道といえる。ちなみに並行する青蔵公路の唐古拉(タングラ)峠は海抜5,231mである。

空気の希薄な地域を走行するため、航空機メーカーでもあるボンバルディアの技術を導入した25T系客車が投入されている。高所走行中は外気から酸素を抽出して生成される酸素濃度の高い空気を車内に供給し、車内の酸素濃度を平地より2%高い23%に高めることで、標高5,000mのタングラ峠通過時でも標高約3,000m並みに過ごせるようにしているという。
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見どころ
西寧〜ゴルムド:
旅客列車の多くはこの区間を夜間に約13時間かけて運行するため、景色は楽しめない。青海湖の北側湖畔を通過する。
ゴルムド-ラサ:
旅客列車の多くはこの区間を昼間に約13時間かけて運行するため、景色を楽しめる。
ゴルムド駅(海抜2829m):
ここで約20分間停車して、機関車を換えて、給水車で給水なども行なう。
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駅前広場の反対側は・・・町が広がっています。
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もう一つの交通手段の飛行機ですが・・・
「拉萨贡嘎ラサ・ゴンガルLhasa Gonggar机场Airport」に飛ぶんですね。
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ラサから直線距離で南西45Kmの、東西に流れている大きな川の視界良好な河原に飛行場は造られました。
で~何んという因縁でしょう!!!この川は東に流れてから南下し、ガンジス川に合流するYarlung Zangbo(Tsangpo)川なんです!
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お釈迦様の手のひらで飛びまわった孫悟空の心境です。因縁・因果応報がここまで及んでいたとは!!!

チベットと聞くと多くの読者はチベット仏教(これもお釈迦様です!)を思い浮かべるのではないかと思いますが、どんな仏教かというと・・・

Wiki:チベット仏教
チベットを中心に発展した仏教の一派。と、定義は単純明快です!

つまり、チベットに固有の仏教なんですね。Wikiを更に見ていくと次の解説があります。
「チベット仏教は、根本説一切有部の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。また、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ち、漢訳経典に依拠する北伝仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統をなす。
特に密教については、主に漢訳経典には前期密教〜後期密教が伝わっているのに対し、チベット仏教は国家仏教として8世紀-12世紀にかけて後期密教(無上瑜伽タントラ等)の教えを中心としたインド密教を広範に受け入れ、独自に消化した点にも大きな特徴がある。また、密教に限らず、中期・後期中観派の著作・思想なども含め、総じて8世紀以降の、イスラーム勢力の台頭によって中国にまで伝達されにくくなった(そしてやがて滅ぼされることになる)インド大乗仏教の系譜を、ヒマラヤ山脈を挟んで目と鼻の先という地の利を活かし、事実上世界で唯一継承・保全してきた極めて貴重な存在だと言える。」

以上をmh流に単純化すると「チベット仏教の特徴は、インドからヒマラヤを越えて直に伝えられた古代「密教」が残っていることである。密教とは、仏の教えを経典で伝える「顕教」の対義語で、秘密の教え、つまり経典に書かれることがなく、師から弟子に口伝される教えである。経典がなく、かつ古代の教えに近いということで、インドでの仏教が消滅した現在、チベット密教は世界でも独特の教えとなっている。」

で~チベット仏教の様子は、今から紹介するYoutubeに出てくるのではないかと思いますから、それを見て「あぁ、なるほどね。mhの言っていた通りだね」ってな感想を持って頂けたら幸いです。

最後にもう一つ、Pt1/5の撮影が行われた町ギャンツェGyantseのGoogle Earth情報をご紹介しておきましょう。
ラサから南西170Kmにあります。東には妙な形の大きな湖「yamdrok tso lake 羊卓雍錯」がありますが、これも「神聖な湖」と呼ばれているようです。
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・・・・・・・・・・・・・・
田舎町の寺院・・・
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小さな町ギャンツェGyantse・・・8千人のホームタウン。
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住民のほとんどはチベット人だ。
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最近は中国人も増えて来た。町の一画に集まって暮らしている。
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町を行きかうチベット人夫婦。
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チベット人にとって中国人と一緒に暮らすのは時にはしんどいようだ。
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大半のチベット人は、めまぐるしく進む生活様式の変化に関係なく、伝統的な暮らしをしている。
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このシリーズでは近代化が進んだ地域から隔離された神秘的な場所で暮らす普通のチベット人のユニークな生活を1年かけてレポートしよう。
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「A YEAR IN TIBET: (Part-1)The Visitチベットの1年:訪問」
(2006年夏~2007年夏)
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mh:
上の写真はラサから170Km南西の町ギャンツェGyantseの遠望です。右奥の肉まんのような形の丘は町の中央にある城跡、その手前に横たわる、長城のような壁が峰を走る丘の向う側の裾には僧院が在ります。その僧院は今回のレポートの舞台の一つです。

1951年、チベットは中華人民共和国(以下中国)の一部となった。
首府ラサ・・・ポタラ宮
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強力な中国軍に占領されたのだ。
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中国政府は自分たちのみが正統なチベット統治権を持っていると主張している。
ラサの大昭寺Dazhao temple
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ラサの様子は昔のままだが、占領されて以降、大勢の中国人民軍が駐留している。
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占領から50年以上経過した今、生活が好い方向に変化したことについてはチベット人も評価しているようだ。
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ラサの南西170Kmにある町ギャンツェ・・・
15世紀に造られたペル・コールPel Kor僧院がある。
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チベットを代表する僧院の一つで、中国政府に政治的なチャレンジを加える力も秘めているようだ。
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ツルトゥリムTsultrimはこの僧院で経理を取り仕切りながら弟子の教育もする高僧だ。
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僧院の最高責任者チョエフェルChoephelは、部下のツルトゥリムに数十年に一度の重要な役割を果たすよう指示した。
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「彼はいつくるんですか?16日?」
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ツルトゥリムは20年ぶりにこの地を訪れるパンチェン・ラマを迎える儀式の段取り一切(いっさい)を取り行うよう申し渡されたのだ。

ツルトゥリム「パンチェン・ラマがバイジュ僧院Baiju Monasteryを訪れるのはとても稀なことだ。」
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「恐らく1989年以来だろう。」
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中国政府がパンチェン・ラマ11世を指名したのは彼が6歳の時だ。これが大きな論争を巻き起こした。
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今でも彼の立場について異論が噴出している。彼が来るまでの数週間、彼を迎える準備を任されたツルトゥリムには悩ましい問題が付きまといそうだ。
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ツルトゥリムは一番若い修行僧のツェフンTsephunに手伝わせることにした。ツェフンは15歳。12歳の時にやってきた。
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「僕の仕事は、お茶を入れたり、洗濯したり、掃除したりすること。あぁ!いけない!バター茶に塩を入れるの忘れちゃった!」
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ここ数年、ギャンツェGyantseは西洋人や中国人の旅行客に人気の観光地になっている。
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チベット人のジェンザンJianzangは新しいスタイルのホテルを経営している。
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ホテルには40室あるが、ほとんど空室だ。
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小さなホテルを経営するのはリスクが高い。一晩で大きな利益が出るかと思うと、全く宿泊客がない日もある。

ジェンザンの心配事は他のホテルとの顧客獲得競争だ。「シガツェShigatseに向かう大型バスが今通過したけれど、あれはギャンツェ・ホテルの客なんだろうか。ちょっと行ってみてこよう。多分そうだろうけど・・・」
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ツェフンTsephunの朝の仕事は終わった。急いで修行堂に向かう。
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修業堂は丘の中腹だ。もう少し登らなければならない。
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「経典scriptureはほとんど判らないよ。講師の修行僧はあんまり教えてくれないんだ。」
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「僕はずっと僧侶になりたいと思っていた。」
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「学校は好きじゃなかったんだ。授業はさぼってばかりいた。」
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mh:次の建物は僧院から約8百m離れた丘の城塞Dzong Castleです。
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ジェンザンのホテルにオランダ人の夫婦連れが来た。ここまで連れて来た中国人の運転手が料金をふっかけているようなので助けてほしいと言う。
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教育も受けているジェンザンは中国語に堪能だ。しかし自分が中国人だと思ったことは無いと言う。中国人とのやりとりはいつも緊張が伴う。

中国人「俺はもっと料金を貰ってもいいはずだ。英語が判らないから、あいつら俺を見下しているよ。ジェンザンは英語を話すけど俺のこと、ちゃんと扱ってくれるよな?」
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中国人「シガツェShigatseまででいいって彼等は言ったんだ。だからその料金をほしいんだよ。

ジェンザン「しかし、あんたは途中で客を拾ったんだろ?それはないよ。」
中国人「俺は親切心で彼等を載せてやったんだ。せめてガソリン代だけでも払うべきだ!」
ジェンザン「漢人はわたしらよりも優遇されているんだよ。わたしらが優遇されることなんか何もないだ。あんたは法律を破っている!認可も受けずに客を乗せてお金を取っているんだからね。あんたが旅行業者か警察にかけこんで訴えても、損するのはあんただよ。もう行った方がいいよ!」
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中国人「ガソリン代くらい貰たっていいだろう!」
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ジェンザン「彼は、料金が少なすぎるて言ってたけど“認可を受けていないんだから十分なお金だろ!”って言ってやったんだ。彼は嘘をついている。2人を乗せただけじゃないんだ。他に3人も乗ってたんだ。なのに一人50元(¥800)も請求している。本当のタクシーだって25元なんだから、彼はもう十分なお金を手にしているんだ。」
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チベット人と中国人の関係は簡単ではない。ジェンザンは、客も中国人ではなく外国人に来てほしいと思っている。
「外国人はみんなマナーや態度がいい。中国の特に貧しい地域から来た人は、態度が悪いし、安い料金でいいホテルに泊まりたがるんだ。おかしいだろぅ?」
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タンマイTangmaiはギャンツェから車で30分の、典型的なチベットの村だ。
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チベット人の90%はこういう田舎町で暮らしている。
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生活スタイルは何世代経ってももなかなか変わらない。

ツェデンTsedenは近くの村の僧侶だが祈祷師でもある。父から息子に、代々伝えられている精神的な法力を持っていると主張している。
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今日も既に村人5,6人が病気を治してほしいと来ることになっている。何人かは歯痛で、一人は喉が腫(は)れていて、感染病infection(風邪?)の人もいるらしい。

最初は歯痛の奥方だ。
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チベットの呪術は仏教が伝えられる前からのもので、数千年も続いている。祈祷師は半分は治療士だが半分は助言者だ。つまり物質の世界と精神の世界をかけもちしている。
「毎日20人から30人の患者がやってくる。40人もやって来ると待合室が一杯で外で待っててもらうんだ。」

祈祷師ツェデンは何事かを念じながら歯痛持ちの女性の顔に唾(つば)をプッ、プッと吹きかけている。病気は体内に悪魔が住んでいるからで唾を吹き掛けて追い出すのだという。
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唾を吹き掛けられている女性は目をつむり何かお祈りをしている。
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脇で様子を見ている亭主はニヤニヤ笑っている。
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おまじないは効いたようだ。「痛みが消えた」と喜んで帰っていった。

沢山のマニ車が並ぶ参道。マニ車の側面にはマントラ(お経)が刻まれていて、回した数だけお経を唱えたことになるという。
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ギャンツェGyantseの朝・・・
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パンチェン・ラマが来る日まであと2週間だ。ツルトゥリムはパンチェン・ラマの座布団の準備に取り掛かった。
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誰も何年も倉庫に入ったことが無い。どこを探したらいいか誰も知らない。垂れ幕も探し出さないと・・・
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「ところでこれはどのくらい前に造ったものなんだろうか?」
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「かなり前さ。」
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「これなんかは2千年前のものかも知れない。」
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ギャンツェGyantseの主要道路・・・
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町には西洋スタイルの病院がある。
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若い妊婦が訪れていた。お腹が痛いようだ。医師は心配している。
「痛い?」
「それほどじゃあないわ。」
「痛くなって3日目なのね?」
「そう」
「じゃあ、服を少し上げて!恥ずかしがらないで!」
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妊婦の名はデキィDeki。8月13日にも緊急治療室に来たことがある。今日の検査の結果だと妊娠7ヶ月だ。このままではお腹の子が死ぬかも知れない。
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「妊娠中に大麦ビールを飲んだ?」
「少しだけ。」
チベットのビールは妊婦には悪い。それが原因かもしれないと医者は心配していた。超音波診断してみないと正確なことが分からない。
「朝、目が腫(は)れていない?」
「うん、少し耳鳴りがして、頭が痛いだけよ。」
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デキィDekiの村・・・
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家族はデキィとお腹の子供のことを心配していた。
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彼等は全てを西洋医術に委ねることに懸念している。
「仕来(しきた)り通り、祈祷師に頼んでデキィの体内の悪霊を追い払う儀式をしてもらおう。それが一番だ!」
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mh:横で黙々と仕事をしながらこれを聞いていた奥方は迷信深い亭主を信じておらず、デキィの体のことを心配している様子です。古い家の年取った家長っていうのは、どうも困ったものです!
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儀式となれば祈祷師ツェデンの出番だ。
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馬車に大きな太鼓やその他、儀式に必要な道具を載せてデキィの村に向かう。
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デキィの家に着くとツェデンはバターと大麦粉でルーLuを造る。悪霊への捧げものだ。
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これを使って悪霊を説得し、家から出て行ってもらうのだ。

「最上段の黄色い傘の下に座っているのは仏陀。その下の黄色いのはお経、ツァーツァtsa-tsaは仏陀の心を表わしている。仏陀の脇に立っているシルクの白い矢は家族の長寿を祈るものだ。」
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「下に配置した2つの人形は父母を表わしている。」
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「これは白い悪魔。」
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「黒いのが死の神、赤いのが無知、嫉妬、強欲の悪魔、青いのが体の悪魔。」
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悪魔を追い払うため、祈祷師ツェデンは1日中、デキィの家で教を上げていた。
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新たな朝がギャンツェGyantseにやってきた。
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ジェンザンJianzangは少しでも利益をあげようと奔走していた。
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つい最近、彼のホテルは2つ星の資格を取得したばかりだった。しかし、それでホテルの料金が高そうに思われて予約が少ないのではないかと危惧していた。
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そこで自ら問題を解決しようと動き出した。資格を返上しようと考えたのだ。それは思ったほど簡単ではなかった!地方旅行局の許可を貰わねばならない!電話で主旨を伝えると数人の役人がやってきた。
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彼等はチベット人だった。しかし大半の役人がそうであるように、彼等の給料も少ない。「ツイン・ベッドが基準に合っていないなぁ。新しいホテル管理基準だと中国式じゃなけりゃあ駄目だ。でもこれは西洋式だ。」
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どうも雲行きが怪しい!ジェンザンJianzangの思い通りに事を運ぶには、少々、忍耐と寛容を示す必要がありそうだ。
役人「2つ星を取るのは楽じゃあないんだよ。ある業者が、あんたのところのサービスは良くないって言ってたよ。今は競争の時代なんだから!中国の貧しい地方からだって大勢やってくるんだ。彼らがホテルの等級に関心がないって思ってるの?」
ジェンザン「いやぁ、ひょっとすると彼等も等級にびびって泊まらなくなっているかも知れないし・・・値引きを要求し辛いしね。」
役人「いずれにしても直ぐに対応はできないなぁ。帰って少し検討しないと。」
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最後は、中国式の妥協をして、誰も面子を潰さないところに落ち着いたようだ。
「私は政府の役人が来る時だけ2つ星の看板は吊るしておくって提案したんだよ。それ以外の時は私の事務室にしまっておくんだ。」
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病院ではデキィが重大な決断をしていた。体の調子は良くないのに病院を出ると言い出した。病院側は明日も、その次の日も観察する必要があると考えていた。その後なら返っても好いかもしれない。
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「私、これまで4人の子を産んだわ。でも3人目は死んだの。今、家には子供が3人いるわ。」
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デキィの家では祈祷師ツェデンが儀式のクライマックスを迎えようとしていた。まず天井の梁に釘を打たせて、そこから大太鼓を吊るした。炭火が入った碗(わん)に護摩のようなものをかける。
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シンバルみたいな「鐃鉢(にょうはち)」を吊り下げた棒で太鼓を叩きながらドン・ドン、ジャン・ジャンと景気好い音を立てて何やらお題目を唱え続けている。
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悪魔を追い払うのは医師なのか、それとも祈祷師か、いよいよ決着がつくのだろうか。
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祈祷師はデキィの家の屋上にもオマジナイの小さな旗を掲げさせていた。
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パンチェン・ラマの訪問日が迫っていた。僧侶ツルトゥリムTsultrimが責任者で進めている飾り物の準備作業は予定より遅れていた。裁縫士たちは連日、残業をかけて追い込んでいたのだが未だ完成しない!
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裁縫士「これはパンチェン・ラマが床で跪(ひざまず)く時に使うクッションだよ。一昨日(おととい)は5人で仕事をしたし、今いる3人は4日間も働いている!夜遅くまでやるんだ。でなきゃあ、とても終わらないよ。」
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やっと日傘(パラソル)が完成した!ツルトゥリムは出来栄えを念入りにチェックする。
「ゆっくり回してみて!」
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垂れ幕の飾り付けも始まった。
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観光客が物珍し気に集まってきた。
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デキィは病院から家に戻っていた。病院と祈祷師の両方にすがった甲斐があったようだ。
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デキィ「お医者さんは病院で産めって言ってたわ。」
レポーター「具合はどう?」
デキィ「退院して暫くたつけど、体調はいいわ。歩き回れるし腫れも引いたわ。」
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ツルトゥリムの飾りつけの仕事は順調に進んでいた。しかし問題が一つ残っていた。僧院は50匹の野良犬の住家になっていて、僧侶たちは犬との生活を楽しんでいた。しかしパンチェン・ラマが来るとなると犬が僧院をうろついていては具合が悪い。
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悪戯(いたずら)好きな犬はなかなか犬小屋に戻ってくれない。
「眠り薬を試してみよう。死んだりしたら悲しいけど、そんなこと無いだろう。」
ツルトゥリムはツェフンに命じて薬入りの餌を犬に与えさせた。
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しかし効果は無かった。犬が神経質になる理由もあったのだ。犬小屋の扉から中へ入れられたのは5匹だけだ。
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45匹はまだ外を歩き回っている。
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助っ人を頼んで、少し手荒い手段に訴えることにした。
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これで49匹目・・・
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残る一匹は・・・ツェフンが捕まえているみたいだ。
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朝3時、体調が悪化したのでデキィは急遽病院に行くことになった。チベットでは初産の場合10人中1人の子供は死産になる。中国の平均の3倍だ。あと4週間で出産予定だというのにデキィの調子は悪い。病院では注射して薬を持たせ自宅に戻ってもらったのだが数日で体調を崩してしまった。他のチベット人同様、デキィの家族は迷信深い。妙なことをすると不吉なことが起きると信じている。
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もう直ぐパンチェン・ラマが来場する日だ。
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ツルトゥリムは仲間の僧侶と一緒に院内の清掃を始めた。
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20年程前にパンチェン・ラマが来て以来、こんな大掛かりな掃除はしたことがない。
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何処から手掛ければいいのか誰も知っていない。
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ホコリの量は相当なものだ。でもこれでかなり綺麗になるだろう。
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「きっとこの20年で一番きれいになったはずだ。」
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「ツェフン!最初は濡れた布、その後は乾いた布で拭くんだよ!」
「判った!」
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「もっと落ち着いてしっかり擦(こす)って!急いで拭いちゃ駄目だよ!」
「判った!」
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「パンチェン・ラマは多分、僧院全体を視察して・・・」
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「みんなの長寿を祈念する儀式をすることになると思う。」
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「広場や道の掃除も徹底的にやらないと・・・」
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パンチェン・ラマが数日後に来るというのでホテルの部屋も観光客で満杯に近づいてきた。ジェンザンにもツキが回ってきたようだ。
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「町ではギャンツェ・ホテルの次にうちのホテルがいいって評判だ。海外客も多いんで、中国人の宿泊希望客とも価格交渉できる!」
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2つ星を返上したので申込みやすくなったのだろう。ジェンザンの思い付きは成功したようだ。ホテルのレストランも客で埋まってきた。
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村の診療所で、デキィの子供が生まれた!男の子で2.9Kgある。
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「もう子供は生まない方がいいわよ。次はIUD(Intrauterine device 子宮内避妊用具)を使わないとだめよ!」

1970年から一人っ子政策が実施されているが、チベット原住民には適用されないので何人産んでも好い。この子はデキィの5番目の出産だった。
「近頃は子供を産むより、育てる方が大変なのよ!学校や養育費は高いんだから!」
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ギャンツェでは飾り幕の裁縫仕事は終わり、犬は小屋に押し込み終え、僧院の掃除も完了した。
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しかしツルトゥリムには、まだ沢山の仕事が残っている。
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ジェンザンのホテルは客で満室になろうとしていた。
「朝食付き1泊310元(22ポンド:5千円)でも泊まってくれるようになったよ!ホテルを始めて以来、今日は最高の日だ!」
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僧院では最後の準備段階に入っていた。警備体制の見直しも始まった。
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僧院責任者チョエフェル「新しい身分証が警察から配布されたんだ。前のと全く違う!」
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「これは私の。Aって書いてある。多分パンチェン・ラマの近くに行けるってことじゃないかなぁ。」
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mh:ツルトゥリムTsultrim はBでした!
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「ツェフン!もう少し上に上げて!」(彼は当然Bですね。)
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町の空気は張りつめていた。パンチェン・ラマが来る日だ。
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僧院と警察の関係はこれまでいつだって単純ではなかった。警察は僧院のメンバーの誰かが(政府が選んだ)パンチェン・ラマの来場に反対したりしないかと心配していた。
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僧院では僧侶たちと町の責任者たちがパンチェン・ラマを迎える手順で揉めていた。こういう時は権限があって声が大きい方の主張に従うことになりがちだ。

ツェフンは花束を持って行列に加わることに決まった。
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mh:「ラッパ隊はここから出発して僧院に向かうんだ。」と町の責任者が指示しています。
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mh:地区警察が安全上の理由から(暴動が起きないよう)僧侶の数を減らすように指示してきたので「以前のように派手な儀式にはできそうにない」とツルトゥリムは愚痴をこぼしています。
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mh:ということで、どうすれば大勢の僧侶がいるように見せられるか、議論しています。
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mh:ここでも町の責任者が大声で自分の考えを僧侶たちに伝えています。
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ジェンザンのホテルでは詰まっていた排水溝の修理がやっと完了した。ジェンザンは業者にチップをはずんむ。
「今日は好い日だ!」
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義父「デキィ!気を付けて!ゆっくり!」(馬車の荷台に乗るところです。)
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義母「はい、このマフラーをして!自分の健康のことを考えるんだよ。いやになったらすぐ帰っておいで。あまり外へ出ちゃ駄目だよ。あんたと赤ちゃんに健康と幸せが訪れますように。」
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(デキィが実家に帰るんでしょう。義母はデキィに優しい言葉をかけてやったんですね。顔つきや振る舞いをみていて「好いお母さんだろうな」って思っていましたがやっぱりそうでした。)

とうとうその日になった。準備はすべて整っていた。正確には、ほとんどと言うべきだろうが。
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最後の仕上げは僧院への参道を飾る仕事だ。
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20年ぶりのパンチェン・ラマの来院だ。
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今回は新しいパンチェン・ラマの初めてのお披露目になる。
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ギャンツェには、かつてない厳しい警戒体制が敷かれていた。新しいパンチェン・ラマの選出については、ずっと問題視され論争が続いていたのだ。
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「このブーツ、右も左も関係なさそうだな。きちんと履かないと脱げそうだ。」
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「僕、はずかしいなぁ。」
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「いいか!撮るぞ!」
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ツェフン「見せて!こんなに沢山の花を持っているなんて、変な感じだなぁ。」
ツルトゥリム「そうでもないよ。とてもいいよ。」
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誰もがパンチェン・ラマが来るのを今は遅しと待っている。
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いよいよ出迎えのトランペットが鳴り出した。やってきたようだ。
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パンチェン・ラマ11世だ。名はギェンツェン・ノルブ。17歳だ。
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昔は大勢の候補の中からダライ・ラマがパンチェン・ラマを選んでいた。しかし中国政府はダライ・ラマの決定を拒絶し別の人物を指名した。これが今も論争の原因だ。ギェンツェン・ノルブはチベット委員会メンバーの息子ではない。8歳でパンチェン・ラマに指名され、以降、ずっと北京で暮らしているのだ。
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読経が始まった。終わると僧侶一人一人の頭に手を触れ、彼等を祝福することになっている。
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外ではギャンツェの善良なる人々が並んで、自分が祝福を受ける番を待っている。
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おばあさんは列に並びながら手を合わせてお祈りしている。
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来院者は金属探知機ゲートを通らされていた。
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mh:で~この警備員は、美人ですねぇ、私の尺度ですが。
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mh:他にも若い女性警備員がいますが、どういうわけか、みんなサングラスをかけているんですね。視線を隠す目的なんですかね。もったいないです。

金属チェックが終わるとマニ車が並ぶ参道に沿って一列にならんで順番を待つ。
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列の先にあるのは僧院の入口だ。
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中に入るとパンチェン・ラマのいる本堂に向かう。

現在のパンチェン・ラマの選出には問題があることはチベット人なら誰もが知っているが、仏教徒としての彼を受け入れ、敬意を払う。
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パンチェン・ラマは一人づつ頭に手をふれて祝福する。
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今日、僧侶は参拝者の一人一人にパンチェン・ラマの写真を配布した。
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一方、ダライ・ラマの肖像写真はチベットでは厳禁だ。
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持っていることが分かれば逮捕される。1959年以降、ダライ・ラマはチベットでは暮らしていない。
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そんな事情があるとはいえ、今日は町の人にとって特別の日であることには間違いない。
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僧院責任者チョエフェル「パンチェン・ラマは満足していたようだ。予想より上手く対応できたと思うよ。先月から準備した甲斐があったよ。」
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ツルトゥリム「やぁ~!無事終わって今はほっとしているよ。」
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パンチェン・ラマの祝福を受けたら、願い事をするのが僧侶たちの習わしだ。
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「人々が平和で幸せでありますように」とか・・・
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以下はPart2/5の予告編です。
祈祷師ツェデンの次の仕事は田舎の結婚式を取し切ることだった。
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太鼓を打ち鳴らし、両家と若い二人の幸運を呼び込もうとしている。
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しかし花嫁はこの結婚を喜んではいないようだ。(mh:大声で泣き続けています!)
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ツルトゥリムは仲間の僧侶たちと一緒に河原に行って体を洗っている。
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ツェフンは素っ裸だ!
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みんな、リラックスしたりはしゃいだりしている!
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(フィルム完)
ギャンツェの僧院(8百m離れた丘の上の城塞からの写真)
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Youtubeは次のURLからご覧になれます
BBC. A Year In Tibet 1 of 5. The Visit
https://www.youtube.com/watch?v=BA8eXDLVNTU
(Part1/5完)

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mh徒然草74:女の子の方がいい。

11月に初孫が生まれました。娘が高齢だったこともあり、予定日より1ヶ月以上早かったのですが帝王切開し、今日12月20日、そろそろ孫もICUでの生活を終えて、娘の家に戻る時期のようです。
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女房殿は七五三の着付けアルバイトもそっちのけで娘の家に行って、家事手伝いなどして楽しんでいるようですが、孫娘(女の子でした)はまだ体重が少なくて病院で大切に面倒を見てもらっていて、娘は母乳をやるために毎日、病院に通っているので、川崎にある娘の家に居続けても大してすることも無く、今は横浜に戻っていますが、孫娘が退院して川崎の家に入れば、娘も忙しくなって、我が女房殿の出番も増え、嬉しそうに川崎に出かける日が増えるのではないかと思います。

でぇ、お爺ちゃんになったmhはって言いますと、まだ孫にはお目にかかったことはなく、川崎に戻ったお正月でも遊びに行ってみてもいいかな?ってな、張り合いの無い感慨しかなく、娘に対しては「なるべく母さんをこき使って喜ばせろよ。父さんはお金で支援してやるから」ってな声援を送るだけです。

そんな今日、Netニュースで「“ティッシュって甘いんだよ”幼い姉妹、母と空腹の日々」という記事を目にしました。このブログが公開される来年2月5日になると消去されている可能性が高いので全文と写真を掲載しておきましょう。
「朝日新聞デジタル 12月19日(土)21時41分配信
白飯、サラダ油、しょうゆ。2年前に生活保護を受けるまで、長野県に住む女性(30)の食卓に、しょっちゅう並んだ献立だ。ざっくり混ぜて食べると、油のコクで空腹が満たされる気がした。最初はツナ缶の残りの油をかけていたが、缶詰は買えなくなった。長女(9)と次女(8)は「おいしいよ」と食べた。

 おなかをすかせた2人は当時、女性に隠れてティッシュペーパーを口にした。次女は塩をふってかみしめた。「ティッシュって甘いのもあるんだよ」。後になって長女が教えてくれた。いい香りのするもらい物のティッシュは、かむと一瞬甘いという。

 そんな困窮状態になっても、周囲に「助けて」とは言い出せなかった。

 2010年、夫の暴力に耐えきれず家を出た。派遣社員として工場で働き、月収は多くて15万円ほど。だが、うつ状態で休みがちになった。収入は落ち込み、光熱費を滞納し始めた。

 夫から「役立たず」「ダメなヤツ」と罵倒され続けてきたことで、「自分がすべて悪い」という心理状態が続いた。夏でも窓を閉め切り、買い物に出かけるのもためらった。

 国民健康保険料を滞納したために呼び出された役所では、「収入10万円でも払っている人はいるんだ」と職員に言われた。ぜんそくの長女が風邪をひき、手持ちがないまま訪ねた薬局で、「後日必ず払います」と懇願したが、「慈善事業じゃない」と断られた。

 親類や知人も生活は苦しく、「甘えるな」「節約したら」と言われた。「人を頼っちゃいけないんだ」。そう思い込んだ。

 2012年暮れ。次女が風邪をひいた。この状況を何とかしなければと訪れた病院で、小児科医らに生活保護を勧められた。だが役所では、うつだと話しても、「もう少し働いたら」と何度も促された。「やっぱり頼っちゃダメなの」。申請をあきらめた。その後、クレジットカードのキャッシング(借金)を繰り返したが、数カ月で返済が滞った。

 13年12月。電気の止められた部屋で、野菜の切れ端が入った薄い雑炊を3人で1杯ずつすすった。ろうそくの炎を見つめるうち、長女から「死んじゃうの?」と聞かれ、決意した。

 あのときの小児科医に助けを求め、福祉相談に応じている病院の職員に付き添われて生活保護を申請。うつが悪化し、就労は困難だとして認定された。

 今は月18万円ほどで暮らす。前は何も欲しがらなかった長女や次女が、「マック食べてみたい」「弁当にから揚げ入れてね」と言うようになった。

 女性は振り返る。「周囲の厳しい視線を感じて殻に閉じこもった。周りの人もがんばってるんだから自分だけ助けてって言うのは恥ずかしく、なかなか言い出せなかった」
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小学校からの帰り道、姉妹は母の手をぎゅっと握った=18日、長野県、内田光撮影
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151219-00000070-asahi-soci

困ったら、恥ずかしがらずに、人に助けを求めるって姿勢で好いと思いますが、ティッシュペーパーを口にして甘いと言う娘に、母親は済まないという気持ちで一杯だったでしょう。こんなに苦労して娘2人の面倒を見ている母親に、元父親はなぜ手を差し伸べないのか?多分、その日暮らしをしているとしても夜はヤケ酒を飲んで世間をののしり、お金に余裕があるとすると、別れた女房や娘の心配などせず、若い女とチャラチャラすることばかりを考えているのではないか、と同性のmhは推察します。

中国では一人っ子政策で、男の子が圧倒的に増えたといいます。女の子では力仕事ができないから稼ぎが悪く、老後の面倒を見てもらえないとの発想からだと思います。しかし、mhは、孫が女の子でよかったと思いますね。女の子は男の子と比べると優しいですから。あまり孫を甘やかすと立派な女に育たない可能性がありますから程ほどに、と思っていますが、支援してやるつもりです、娘も孫も。

Ave Maria(フランツ・ペーター・シューベルトFranz Peter Schubert)
https://www.youtube.com/watch?v=vws-xQiAHlI
(完)

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ベトナムの悲惨な歴史

今日は12月13日、日曜日。横浜はいつ雨が降ってもおかしくない曇天(どんてん)ですが、以前に散歩で拾った透明ビニールの雨傘を片手に、MP3プレーヤーでお気に入りの音楽を聞きながら、いつものコースを胸を張り(猫背の矯正が目的です)手足を大きく振りながら朝の散歩を済ませた所です。

昨日、Ganges-Part3を校了してブログ化も完了したので、このブログ「ベトナムの悲惨な歴史」は今から一カ月半後の2月1日公開予定です。実は、次の「世界の不思議シリーズ」のブログ・テーマを何にするか、散歩中に考えあぐねていたのです。2月に出発で予約したベトナム旅行に関する不思議を、と悩んだ末に「ベトナムの不思議」ではなく「ベトナムの悲惨な歴史」に確定してキーボードを叩き始めました。

1月~3月は神田の会社に関係した仕事がポツポツ発生しそうなので、短めの旅行をと考え、いつか行こうと思っていたハノイ/ハロン湾を全6日の旅程で訪れることにしました。ベトナムのパック旅行というと、ベトナム・ハロン湾⇒カンボジア・アンコールワット⇒ベトナム・ホーチミン(旧サイゴン)という3都巡りが多いのですが、アンコールワットは旅行で、ホー・チ・ミンは神田の会社の仕事で何度か訪れているので、今回はハノイ周辺限定の旅にしました。
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気の早いmhは既に事前調査を済ませ、Youtubeで2月のツアーコースそのものを撮影したとも言えるフィルムも見つけて一通り見終えました。

何度も見て頭に残ってしまうと現地でのサプライズが減る心配がありますから、もうフィルムは観ないことにしたのですが、今回の旅行記をブログ投稿する予定はないので、まだハノイ近辺を訪れたことが無い読者のために、簡単に観光スポットをフィルムに従ってご紹介しておきましょう。

首都ハノイの周辺から通勤している人達のレポートから始まります。
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電車やバイクで橋を渡り、ハノイ中心に向かう人の群れ・・・
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電車を降り、歩いて仕事場に向かう人の群れ・・・
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町ではバイクが主流ですがホー・チ・ミン市(旧サイゴン)ほど多くはないようです。
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パレードのようですね。太鼓は台車に載っています。
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公園のパゴダ(pagoda:仏塔)
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Wikiによれば、ベトナムの宗教は仏教が大半とのことですが、それぞれの公認教団の信徒数は、2008年時点で仏教1,000万人、カトリック550万人、カオダイ教240万人、ホアハオ教160万人、プロテスタント100万人、イスラム教6万5千人となっていて、更には“共産党員はホー・チ・ミン元国家主席のみを信仰する傾向がある。むろんホー・チ・ミン信仰は宗教ではないが、それに匹敵する影響力を有する(ホー・チ・ミン自身は自らが崇拝の対象になることを徹底的に嫌っていた)”とありました。人口は9千万人なのに信徒数は全て足しても2千万人というのは少なすぎます!ってことは・・・共産党員は無宗教で、その上、田舎で暮らす人が多く、彼等の宗教調査はしていない???
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市内の寺院です。道教か?柱には漢字が!!!
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ベトナムの正式な国名は日本語では“ベトナム民主共和国”ですが、ベトナム語で "Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam" (Công hoà xa hoi chu nghia Viêt Nam.oga )。略称 "Việt Nam" (ベトナム語発音: [viət˨ næm)。漢字(チュニョ)で「共和社會主義越南」とWikiにあります。どうも、ベトナムの文化は中国の影響が大きいようですね!中国語で、と言わずに漢字で、って言ってます!その上、「漢字」を中国語で発音すると「ハンツゥ」のはずですがベトナムでは「チュニョ」って言ってます!!!

Wikiベトナムには「北属期」という言葉が見つかりました。北に属していたってことは・・・

Wiki:北属期(ベトナム語: Bắc thuộc)
北ベトナム最初の統一王朝である呉朝が建国されるまでの間、ベトナムが中国の諸王朝に服属していた時期である。一般的に、前漢の武帝が交趾郡、九真郡、日南郡の三郡を北ベトナムに設置した紀元前111年から、呉権(ゴ・クエン)が呉朝を建国した939年までの時期を指す。ベトナム人にとっては屈辱的な時代と捉えられており、ベトナムで編纂された史書においては「外記」「前編」といった、真正の国史が始まる前の前段階として扱われている。

ベトナムは1千年以上も中国の支配下にあったんですね。
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北属期が終わった10世紀からベトナム人による王朝が始まりますが、19世紀中頃、フランスの植民地に組み込まれました。

Wiki:フランス植民地支配
1847年4月15日、フランス軍艦がダナンを砲撃し、フランスの侵略が始まる。1858年9月、フランス・スペイン連合艦隊、ダナンに進行。1862年6月、第1次サイゴン条約でフランスに南部3省を割譲。1867年6月、フランス領コーチシナ成立。1874年3月、第2次サイゴン条約でフランスに紅河通商権を割譲。1882年4月、フランス、ハノイ占領。

更には、フランスからベトナムを解放するってつもりだったのか、フランスの後釜を狙ったというのが正しいと思いますが、日本が攻め込んでフランスに成り代わってベトナムを苦しめるんですね、太平洋戦争です。終戦で日本が引き揚げると、またフランスが戻って来てベトナムを苦しめるんです!!!

その辺りは後で詳しく解説するとして、まずは観光に戻りましょう。
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ハノイ旧市街
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道路の両脇には屋台が並んでいます。ホー・チ・ミン市(旧サイゴン)でもそうですが、ベトナムの都会で暮らす人は朝夕とも外食が多いようですね。当然ですが、お釈迦様も仰るように原因があってこその結果です。
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外食が多い理由ですが・・・mhの推測ですが・・・3つあります!
まずは共働きが多く、家で料理する時間が取れない。2つ目ですが、貧しくて、自宅には水道がなく、調理することが難しい。で3つ目は、以上の2つの理由をキーボードで叩きながら考えていたのですが・・・恐らく、自宅で料理するよりもバラエティに富んだ食事がリーズナブルな値段で楽しめるってことではないかと思います。これと異なるご意見や情報をお持ちの方はご教示ください。
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次は“典型的なベトナムの家”として観光客に公開されている家のようです。
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しかし、どう見てもお金持ちの家に違いありません!観光客用ですから、仏像や生花、壁には掛け軸もあります。お土産品として販売されているものもあるのでしょう。
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水上人形劇はポピュラーな観光客向けアトラクションです。
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有名なタンロン水上人形劇場は旧市街にあります。
(タンロン(昇龍):ハノイの旧称)
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mhも旅行中に鑑賞させて頂くことになっています。別の劇場かもしれませんが。
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11世紀に生まれた芸能で、日常生活の演目が多いと言われています。

mhが2年半、単身駐在していたインドネシアには、インドの古代叙事詩『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』などを主な演目にした影絵芸能ワヤン(Wayang)がありました。
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ベトナムの人形劇が日常生活をテーマにしたものが多いってことは・・・昔から仏教が主体で、インドネシア(当時はヒンドゥです)と比べて宗教上の縛りが緩かったからだと思います、全くの推定ですが。

で、次はハノイから約100Km南のニンビン。
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mhも2時間のボートでの川下りを楽しむ予定です。
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石灰岩の山が削られて洞窟になったところもあります。この一帯は世界自然遺産です。
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次はベトナム・ツアーの目玉「ハロン湾クルーズ」です。これも世界遺産。
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クルーザーが港を出ていきます。
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“ハロン湾”は“下龍湾”という漢字のベトナム読みです。伝説によれば、ここに龍が天から下りて来たってことですね。小さな島が多いのですが、人が暮らす大きな島が一つだけあって、そこには広い畑もあります。
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島の波打ち際の家の住人の職業は、っていうと漁業と観光客相手の商いでしょう。
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大型クルーザーが集まるこの辺りには観光の目玉があるんです。
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ティエン・クン鍾乳洞Thien Cung grotto、フランス語で“大理石の洞窟”
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中は結構広いようで、派手な色でライトアップしています。
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ジャンク(戎克、英: Junk;帆船)のクルーザー。
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mhも船で1泊する予定です。期待できますねぇ。天気が好ければデッキでビール・ジョッキ片手に、沈みゆく夕日を見ながら、日本から持参するスルメの足をしゃぶりながら至福の時を過ごすのです。
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で~、ミステリー・ハンターを騙(かた)るmhとしては、この旅行をテーマにどんな不思議を皆さんにご紹介するか、ずっと頭を痛めていたのです。しかし、ネットで「ベトナム・不思議」をキーワードに検索しても、自然、人の生活、ってなものしか見つからないんですね。ブログにし辛いテーマです。

で~、「ベトナム・歴史」でYoutube検索すると・・・戦争のフィルムばかりです!

1961年アメリカ大統領に就任したケネディは、ロシアとの東西冷戦で主導権を取ろうとベトナムへの派兵を決定し、17度線で2分されていた南北ベトナムの内、サイゴンを首都とする南ベトナムを支援して、北ベトナムを支援する中国やロシアと対立することになりました。
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ケネディがダラスで暗殺され、1963年に就任したジョンソン大統領の代の1964年にトンキン湾事件が起きると、アメリカは北爆を始めます!
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以降、1969年に大統領に就任したニクソン、1974年に大統領に就任したフォードもベトナムでの戦争を継続します。
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北ベトナムは、ホー・チ・ミン率いる北ベトナム軍を中心に、南ベトナム解放民族戦線、いわゆるベトコン、と共同戦線をはってアメリカが後ろ盾の南ベトナム軍に対抗します。開戦から10年以上経過した1975年、北ベトナム軍が南ベトナムへの全面攻撃を開始(3月)してサイゴンが陥落。これで南ベトナムが崩壊して同年4月30日にベトナム戦争が終結すると、5月にはサイゴンはホー・チ・ミン市と改名されました。

この戦争で、460万人のベトナム民間人と100万の北ベトナム軍人、30万の南ベトナム軍人が死亡し、200万のベトナム人行方不明者が出ました。第二次世界大戦で死亡した日本人の数は軍人230万人、民間人80万人の計310万人と言われていますから、ベトナム戦争がいかに悲惨な争いだったのかが判ります。

北ベトナムが勝利し、ベトナムの統一と独立を成し得たのは、北ベトナムの初代ベトナム民主共和国主席ホー・チ・ミンあってこそですが、彼はサイゴン陥落より5年以上も前の1969年9月2日に79歳で死んでいるのです!その時mhは大学4年でした。彼の死後も5年以上続いた戦争はTVで見ましたが、電機会社に就職し、自分の将来だけを考えていたmhは、ベトナムへの関心が薄く、日本経済への影響はどうなのかしら、といった能天気な事を漠然と心配していたのです。

ベトナムの不思議は、5百万人以上も亡くなったベトナム戦争から40年経過した今、東南アジアで目覚ましい復興を続けているベトナムという国そのものだと思いますが、それではmhのブログにならないので、いろいろ調べた挙句、今回は「ベトナムの悲惨な歴史」と題し、ホー・チ・ミンという人物を紹介するYoutubeフィルムとWikiなどのネット情報を織り交ぜてご紹介させて頂くことにした次第です。

ホー・チ・ミンはベトナム独立の父でもあり、今も、ベトナム人に一番尊敬されている人物でしょう。79歳で心臓病で亡くなりましたが、今もハノイのホー・チ・ミン廟で眠っていますので2月の旅行でお会いできるかと思います。
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彼の遺書には「遺骸を火葬して北部、中部、南部に分骨して埋葬すること」とあり、個人崇拝につながる墓所や霊廟の建設は望んでいなかったのですが、ベトナム労働党政治局はこの部分を遺書から削除して公開し、遺骸はウラジーミル・レーニンにならって、永久保存(エンバーミング)され、南北統一後、ハノイのバディン広場に建設されたホー・チ・ミン廟に安置された、とWikiにありました。
・・・・・・・・・
Wiki:ホー・チ・ミン
ベトナム語: Hồ Chí Minh, 漢字: 胡志明,1890年5月19日 - 1969年9月2日
ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した。初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席。
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幼名はグエン・シン・クン(Nguyễn Sinh Cung, 阮 生恭)、成年後はグエン・タト・タイン(Nguyễn Tất Thành, 阮 必成)。第二次世界大戦までに使用していた変名のグエン・アイ・クォック(Nguyễn Ái Quốc, 阮 愛國)でも広く知られる。ベトナム人民からは、親しみを込めて『ホーおじさん(バック・ホー、Bác Hồ, 伯胡)』の愛称で呼ばれている。
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伝記Biographyシリーズ
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以降、なるべく沢山、彼の顔をご紹介するつもりです。ホーという呼び方も使わせて頂きますのでご了承ください。特に欧米人はそう呼ぶのが習慣のようです。
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ホーが北ベトナムのリーダーだった時の軍事パレードの映像です。
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ホー・チ・ミンHo Chi Mihn胡志明・・・
でぇ、ホーの名前ですが・・・幼名はグエン・シン・クン阮 生恭。成年後はグエン・タト・タイン阮 必成。第二次世界大戦(ドイツ軍がポーランドに侵入した1939年~1945年)までに使用していた変名はグエン・アイ・クォック阮 愛國。Youtubeフィルムに寄れば1941年、つまり日本が12月に真珠湾攻撃を始めた年、にホー・チ・ミン胡志明を名乗るようになったようですが・・・

今更ながら気付いたのですが・・・名の漢字表記ですが・・・

幼名は「生恭」、成年後は「必成」、変名は「愛國」、で最後は「志明」です。幼名は父親が付けたのだと思いますが、“恭(きょう)”と言えば“恭(うやうや)しい”ってことで、控えめで他人とうまくやるって含みだと思います。が、成年後は自分が名付けたはずで、まずは“必成:必(かなら)ず成し遂げる”、次は“愛國:国を愛する”、そして1941年、つまり彼が51歳で新たに付けた名前が“志明:志は明らかなり“と続いているんですねぇ。信条と言うか、ベトナムを解放したいという強い意志を感じます!

ホーは小柄で、フィルムでは4ft11inと言ってましたから丁度150cmです!体重は100ポンドで45Kg!

「しかし、歴史上で彼ほど、頑強に銃に歯向かった男はいないだろう。卓越した政治家で、見事な“アクター”だった。揺るぎない意志を持ち、ベトナム解放を成し遂げ、軍事大国を手玉に取って打ち負かした。」
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19世紀の末期、インドシナはフランスの重要な植民地だった。
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フランスは主にゴムとコメを搾取して莫大な富を得た、特にベトナムの地で。
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しかし、当のベトナム人は、その恩恵を受けることはなかった。
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自ら生産したコメはほとんどフランスに持ち出され、わずかなコメだけが残された。将来への希望が持てる状況にはなかった。
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ホー・チ・ミンの家庭は他と比べて若干恵まれていたようだ。父グエン・シン・サック (越:Nguyễn Sinh Sắc)はキム・リエン・オー村の出身だった。
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それはベトナム中部の貧しい村だった。
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1890年5月19日、彼の妻が3人目の子供で2番目の息子を産んだ。
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子供はニュエン・シン・コーNguyen Sinh Cungと名付けられた。後にホー・チ・ミンHo Chi Mihn(HCM)として世界で知られる男になる。
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ホーが11歳の時、悲劇が襲う。母親が3人目の息子を産むと直ぐに死んだのだ。その時、父は仕事で家を離れていた。
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ホーの父親は地方のマンダリン(注)だった。家にいないことが多かった。幸運だったのは親戚の人々がホーたちの面倒をみてくれたことだ。

注:マンダリン (Mandarin)
中国(主に明朝から清朝)やベトナムの官僚を、西洋人が呼んだ語

ホーが教育を受け始めた頃は、文字は伝統的な漢字で、儒教の教えを学ぶ時間が多かった。
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mh:次の写真では“抗日読本”となっています。
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1890年生まれのホーが小・中学生の頃は日清(1894~95)・日露(1904~05)戦争の頃ですから、抗日ってのはどうなんでしょう、少し時期が早すぎると思いますが・・・中国の影響か?このフィルムを造った人たちが中国系だったのか?ベトナムを植民地化していたフランスは嫌われていて、太平洋戦争でこのフランスをベトナムから追い出した日本もベトナムでは嫌われていましたから・・・ま、日本はアジアのどこの国でも嫌われていたと考えてよいでしょうが、好かれていたって考える日本人が安倍首相を筆頭にけっこう多いってのは、どういうもんなんですかねぇ。

ホーは予備校でフランス語を学んでいる。父親はフランス統治下の役人で、ベトナムの独立などは考えもしていなかったようだから、ホーには宗主国フランスに関する仕事をして成功してほしいと望んでいたのだろう。
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父親は死ぬまでベトナム中を転々とし、生活費を稼ぎだすことに汲々としていた。それが理由でホーとの関係は薄くなる一方で、ホーの思想にも大きな影響を与えたはずだ。
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当時のベトナム人は悲惨だった。不平をこぼすと、フランスの役人に捕えられ、鞭で打たれ、時には殺されることもあった。
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1908年、ホーは17歳で国立学校の学生だった。
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ある日、学校の近くで、農民たちが役人の高い賃金と自分たちへの過剰な税金に抗議してデモを行った。
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ホーは農民の要求をフランス語に翻訳した。ホーにとって初めての革命行為だろう。彼の訳文はフランスの秘密警察の目に留まった。
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翌日ホーは国立学校から追放され、以降、彼がベトナムの学校で学ぶことは無かった。
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フランスへの恨みが芽生えただろう。しかし、この時点では、フランスの思想や文化についての関心の方が強く、それを学んでみたいと考えていた。(mh:と言うのはフィルムを作った欧米人の都合が好い解釈で、実はいつか見返してやるために敵を知ろうと考えたのかも知れません、多分そうでしょう!)

21歳の時、商船学校でコック(料理人)の修行を積んだ。
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直ぐにフランス商船の見習いコックに採用されることになり、1911年、21歳でベトナムを離れて世界中を旅することになった。
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以降、数年の間、植民地を訪れるとその状況を自らの眼で確認することになった。感じることは多かっただろう。
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とうとうホーはベトナムの支配者であるフランスに足を下した。
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植民地の悲惨さを嫌と言う程見てきたにも拘わらず、ホーは“フランス植民地学校”に入学願書を提出した。卒業生が海外のフランス植民地で役人として働くことを目指す学校だ。
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しかし、ベトナムでの反フランス活動を理由に願書は却下された。

これを機に、彼の心の中に、フランス植民地に溶け込むのではなく、それを外から見てみようという考えが生まれた可能性がある。とすれば、この時、革命家としての精神が芽生えたと言えるかも知れない。ホーは1,2年、フランスを転々と渡り歩いた。庭師になったり皿洗いをしたりしながら生活費を稼いだ。

1917年まで続いた船のコックの仕事で、ホーはアフリカ、南アメリカ、そしてアメリカ合衆国も訪れている。アメリカではボストンからニューヨークに船と共に移動している。
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ニューヨークで初めて高速道路、地下鉄、摩天楼を見た。特に驚いたのは自由の女神像だったらしい。
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ホーは暫くニューヨークの中華街で皿洗いをして暮らした。
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その間、外国からの移民にもアメリカ人としての全ての権利が与えられることを知って驚いた。
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フランス統治下のベトナムでは、自国にも拘わらずベトナム人に自由が認められていない!
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ホーは合衆国の人権に対する考え方に痛く感動したようだ。

第一次世界大戦が始まる直前、ホーは合衆国を離れてイギリスに向かった。
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ロンドンでは、名門カルトン・ホテルの台所の仕事を見つけて働いた。
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上司は伝説的なフランス人コックのエスコフィエだった。
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エスコフィエはホーがフランス語を話し、腰が低く、よく気が付く男であることに感動したようだ。
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ロンドンにいる間、インド、アフリカ、アイルランドで反植民地主義活動をする人々と知り合い、自分も祖国独立のために尽力したいと考えるようになった。
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1917年、ケーキ菓子シェフを目指すため、パリに向かった。
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そこで革命家の道へ踏み出すことになる。
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第一次世界大戦の終わり頃、ホーはパリに到着した。
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パリには大勢のベトナム人が移り住んでいた。パリに関してもっと重要だったのは、そこでベトナムの全てが決裁されていたことだ。
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彼は祖国に対するフランスの考え方を変えたいと希望していた。その前に、まずしなければならないことがあった。パリについて知ることだ!

ホーは美術館も訪れたが、ミュージカルが好きだったようだ。
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歌手ではウィリッシュ・バリエイが好きで、彼の真似をして麦わら帽子を振りながら歌ったりもした。
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コックや写真の修正作業など、様々な仕事をした。
mh:写真の修正といえば、次のホーの写真は修正されている感じです。
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ボクシングのレポートや、映画のレヴュー記事をフランスの新聞社のために書いたりもした。

しかし、本当に力を入れていたのはベトナムからパリに移住していた人々と共にフランス政府に働きかけて祖国の状況を改善しようとする運動だった。
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当時のホーの知人はこう言っていた。
「彼は、意志が強く、知識に貪欲で、極端な程に理想を追求する若者だ。」
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しかし、最も印象的だったのは、相手の魂を射るような鋭い眼差しだったと言う。
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ホーは彼の立場に同情的な多くのフランス人と知人になった。おかげでベトナム人の仲間と共にフランスの植民地主義に反対を唱える新聞を発刊することが出来た。
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新聞はパリで読まれるだけでなく、ベトナムにも密輸出されていた。
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新聞には植民地におけるフランスの弾圧の様子が記されていた。しかし、ホーの関心は、どうすればこの事態を改善できるかだった。
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この時、ホーはグエン・アイ・クォック(Nguyễn Ái Quốc, 阮 愛國)というペンネームを使っている。
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彼が要求したのは、ベトナム人をもっと人道的に取り扱う事と、平等の権利を与えてほしいということであって、愛国主義が強く打ち出されたものではなかったし、革命を目指すものでもなかった。しかし、ベトナムにいるフランス人たちには、ホーが帰ってきたら逮捕して死刑にするとまで非難された。
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1919年、アメリカ大統領のウィルソンは世界平和14ヶ条を提案した。そのひとつは、全ての国は自国の将来をその国の人々が決める権利を有する、との主張だとホーは理解した。
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つまり、アメリカは、植民地主義は終結されるべきものだと言っている、と考えたのだ。
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ホーはアメリカがフランスに圧力をかけてベトナムでの植民地主義が改善することを期待していた。

ホーはウィルソン大統領に直訴状を送ろうとしたが、結局それは叶わず、ウィルソンもフランスに働きかける兆しを示さなかったことに大いに失望した。

ホーは救いを他に求めるしかなかった。
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当時、ウラジミール・レーニンは植民地での改革は共産主義しかない、と主張していた。
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ロシアが植民地主義を止めるべきだと主張したのは植民地で虐げられている人のことを考えたからではない。植民地主義を推し進めている西側諸国の力を弱体化するためだ。

しかしホーはレーニンの考えに従うことに決めたようだ。マルキシズムを認めたからではなく、植民地の原住民を解放して自由の身にしたいという、それだけの理由だった。

1920年、30歳のホーはフランス共産党の創立メンバーとなった。革命のためにはプロパガンダも必要だということで宣言文の書き方も学びたいと考えた。それを学べる所はロシアしかない!
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1923年、ホーはコモンターンから招待状を受け取った。コモンターンはマルクス・レーニン主義を世界中に広めることを目的とした組織だ。
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ホーはその提案に飛びついてモスクワに移った。何の連絡もなく突然失踪したことはパリの友人ちを驚かせたようだ。モスクワに移った目的は、恐らく祖国への愛国心だ。祖国を解放したかったのだ。

ホーはコモンターンの重要なメンバーになり、モスクワの指示に従って活動していた。
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いよいよ祖国解放を進めるプランが出来るのも近そうだと考えていた。

初めての国際的な仕事としてホーは中国の広東で共産党結成を支援するよう指示された。
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その中国で、以降30年の人生を決める体験を積むことになる。
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彼は、所謂(いわゆる)地下組織のメンバーとして中国で活動した。
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1927年、ホーは中国のリーダー蒋介石に捕えられそうになった。
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蒋介石は共産主義者を一掃しようとしていた。大通りでの処刑も日常茶飯事だった。
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ホーはサイヤムに逃げることにした。現在のタイ王国だ。
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そこにもフランスの秘密警察の手は伸びていた。ホーはタイ語を学び、頭を剃り、仏教修行僧に変身して旅をした。
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タイの東北部にはベトナム人が多く住む地方があった。そこで、身を隠しながら村から村を渡り歩いた。
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変装し、名も変えながら長い年月を隠れて暮らしたリーダーは歴史上で彼しかいないだろう。
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そんなことまでする必要があったのか?それとも、それは彼にとって一つの人生ドラマだったのか?

凡そ10年の間、ホーがどこにいたのか、誰も知らない。彼は死んだというレポートも出回ったほどだ。

1939年に始まった第二次世界大戦の直前、彼は再び歴史の舞台に登場した。ベトナム解放の運動を始めるのには最も適切なタイミングだっただろう。
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ドイツはフランスを攻撃していた。
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ベトナムの独立には都合が好い!
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1941年の始め、ホーは中国との国境のジャングルを抜けてベトナムに入った。1911年にベトナムを離れ、30年経過して初めて帰国したというのは何かの巡り合わせかもしれない。
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彼を守るのは彼の思想だけだった。彼は、祖国を解放し独立国家にしたいという強い意志を持っていた。
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武器も、お金も、支援者もほとんどいなかったホーだが、人々を組織し、ベトナムに居座る列国に対抗することになる。
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1941年、彼は初めてHo Chi Minhと名乗った。ホー・チ・ミン(ベトナム語: Hồ Chí Minh, 漢字: 胡志明)、つまり明確な志だ!

30年もベトナムを離れていた男がベトナムのリーダーになるなんて神話と言えるかも知れない。
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彼は自分の思想を広めるメディアの支援も持っていなかったのだ。当時、凡そ95%のベトナム人は田舎の小さな村で暮らしていたが、ホーについて知る人はなく、その上、ほとんどの人は文字すら読めなかった。
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勿論、ホーがグエン・アイ・クォック(Nguyễn Ái Quốc, 阮 愛國)の名で書いた記事を読んだことがある人もいたが、それはサイゴンやハノイなどの大都市に住む一部の人達だけだった。
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ホーは村々を訪れては人々と話し、信頼を勝ち得ていった。後に彼のことを批判する人は、この時の彼の行動を、成り上がるための計算に基づいたものだと言う。
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しかし、彼の最終目的、つまりベトナムの自主独立、から自然発生したものだと考える人が多い。いずれにしても、彼は農村地帯でリーダーとなる基盤を造った。
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彼は恋愛や家族などには目もくれず、人生のすべてをベトナムの独立に捧げていたという意見もあるが、これは、ひょっとすると神話かもしれない。
mh:で、次の写真の女性は恐らくグエン・チ・ミンカイというベトナム人女性だと思います。後述するようにWikiにそれらしい名前が出ていましたから!
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実際の所、公式に結婚していたかどうかは別にしても、何人かの女性が話題に上っている。
例えば香港で中国人の妻または妾を持っていたという根強い噂がある。
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その女性がその後どうなったのかは詳しくは判っていない。仮にそれが事実だとしても、彼は妻を捨ててベトナムに戻った。なんとしても祖国を開放したいと考えていたのだ。彼に必要なのは妻ではなく、独立に向けて共に戦ってくれる仲間だったのだ。
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mh:ホーの妻、愛人についてフィルムでは多くを語られていないのですが、Wikiで調べたところ、次の情報が見つかりました。

Wiki:ゼン・シュエミンZeng Xueming (曾雪明;1905–1991)
ベトナム語はタン・ツエ・ミンTăng Tuyết Minh。中国・広州の助産婦で、1926年10月、ホーと結婚した。
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Wiki(続き):現代のベトナム政府は、「ホー・チ・ミンはその生涯において誰かと恋愛関係にあったことはなく、結婚もしていない」(mh:つまり全てを革命に捧げたってことです)としているが、革命の同志であるグエン・チ・ミンカイや中国人の曾雪明などとの恋愛・結婚があったとの研究もある。また、これらの研究を報道したメディアが処分を受けるなど、1990年代に入っても本人の意志に反した個人崇拝が政府によって強要されている。

ま、俗物のmhとしては、一人二人の妻や愛人くらい、許されてしかるべきだという考えですから、女には目もくれずに独立国家を目指したって言うベトナム政府の見解はとても受け入れられません。

ベトナムに戻ったホーの最善の決断の一つは、ヴォー・グエン・ザップ(ベトナム語: Võ Nguyên Giáp, 漢字:武元甲)を仲間に入れたことだろう。ザップは生まれながらの軍人のセンスとリーダーの資質を持っていた。その彼がホーと共に南ベトナム連合軍との戦いを指揮することになる。
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次はWikiで見つけた写真です。フィルムにも使われたものでしょう。身長150cmのホーよりもザップは小さいんですね。
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Wiki:ヴォー・グエン・ザップ(ベトナム語: Võ Nguyên Giáp武元甲、1911~ 2013)
ベトナムの軍人、政治家。ベトナム共産党政治局員。ベトナム人民軍 (QDND) 総司令官である。最終階級は大将であった。
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Wiki(続き):優れた軍事戦術家であったザップは、フランスの植民地支配の際、ディエンビエンフーの戦いによって、フランス領インドシナからベトナムを解放し、ベトナム人民軍の指導者としてアメリカ軍及び南ベトナム軍との戦いを指揮し、ベトナムを再統一する大きな原動力となった。その名采配から、西側諸国からは「赤いナポレオン」と呼ばれ、ベトナム人民からは「ベトナム救国の英雄」として、ホー・チ・ミンと共に、深い敬愛と尊敬を集めた。

ホーは他の愛国者グループを自らの旗の下に集めることになる。
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しかし、そのためには共通の目的を明確にする必要があった。
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それは「独立」と「社会正義」だった。よりよい生活と民主化だ。共産主義を広めるなどと言う発想は持ってはいなかった。
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1941年12月7日・・・
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日本は真珠湾のアメリカ艦隊を爆撃した。
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同時に、東南アジアにあったイギリスとオランダの植民地に侵攻を開始した。
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1週間もしないうちに香港、マレーシア、シンガポール、インドネシアが日本帝国軍の手に落ちた。
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日本帝国はドイツと同盟を結び、ドイツの敵フランスの植民地ベトナムへも攻め入った。
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ホーは同じアジアの日本となら上手くいくのではないかと思った。しかし、日本はフランスよりも残虐な国だった。そこでホーは中国を訪れることにした。中国も日本帝国軍と戦っていた。だから支援をもらえると考えたのだ。
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しかし、驚くべきことに、共産主義者だとの理由で、地方の役人に逮捕され、刑務所に投げ込まれてしまう。
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彼は牢獄で「私の心は千里離れた祖国に飛んでいく。罪もないのに、1年も牢獄に居る。涙をインクにして魂の叫びを詩に変えている。」との漢詩を残している。
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ホーは結局14ヶ月を牢獄で過ごした。日本軍と中国軍との戦は激しさを加えていた。中国では囚人の監視もままならぬ状態になっていた。そのうち釈放になるだろうと見越したホーは日本軍の機密情報を集め始めた。

1943年、ホーは釈放され、ベトナムまでの長い道のりを徒歩で戻った。
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ベトナム愛国戦線はホーが死んだものと思っていた。しかし、戻ると再びリーダーになった。その時、彼は53歳だった。
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アメリカが日本に対する攻撃を本格化し始めると、アメリカの支援がベトナム独立に必要だと考えるようになった。
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アメリカの飛行機が北ベトナムで日本軍に攻撃されて落下すると、ホーは落下傘で脱出したパイロットを助け出し、アメリカに送り返すために中国に連れ出した。
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この行動にアメリカの情報局は関心を示した。「ホーはパイロットを助けてくれるだけでなく、日本軍の情報も提供してくれる!」
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アメリカはホーとの同盟を考え始めた。ホーの軍隊を訓練し、無線装置などを提供し、兵士の訓練方法も指導してくれるようになった。
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ある時、ホーの命は再び危険にさらされることになった。恐らく悪い微生物にやられたのだ。しかしアメリカ軍が提供してくれた薬で奇蹟的に回復した。ホーは彼等の支援に深く感謝した。
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ホーは英語の読み書きや会話が出来るだけではなく、アメリカの文化も理解しているように見えた。
その上、とてもアメリカ的な習慣を身に付けた。フィリップ・モーリスPhillip Morrisを喫うのが好きになったのだ。しかし胸のポケットにはいつもベトナム煙草を持っていて、ベトナム人の仲間に分け与えていたようだ。
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1945年8月、2つの原子爆弾は戦争の突然の終結をもたらすことになった。
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日本が無条件降伏すると、ベトナムは無管理状態となった。その時、ホーは迅速に動き、北ベトナムを彼の勢力下に引き入れることに成功する。9月2日、50万人がハノイで行進した。
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ホーは独立宣言を発し、誰もが自由で、平等に幸福を求める権利があると演説した。
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彼はアメリカの独立宣言を引用したのだ。アメリカは彼と共にあると考えていた。彼はマルクス・レーニン主義を求めてはいなかった。ただベトナムの独立を望んでいただけだった。
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共産主義者かと聞かれると「いや、違います。私はインドシナが解放されることを望んでいるだけです」と何時も応えていた。

彼はアメリカの情報局に完璧な英語で手紙を書いている。「戦争が終わり、我々は小さな権利を手にした。十分な権利を得るには更に戦わねばならないだろう。」
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1946年、ホーはパリにいた。ベトナムを植民地としてではなく、フランス連合国の自治州として認めさせるためだった。
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しかし、彼は目的を果たせなかった。
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ベトナムでの状況は第二次世界大戦以前より悪化していった。
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フランス軍がベトナムに戻り、国中で残忍な軍事行動を再開したのだ!飢饉がおき2百万人が餓死することになった。
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その間も、貴重なコメはフランスに向けて輸出されていたのだ!
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ホーは国連に何とかしてほしいと申し入れたが、何の音沙汰も無かった。
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当時、ソ連の台頭による東西冷戦で、アメリカはフランスの支援を必要としていた。
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それで、フランスがアメリカに同調する見返りとして、アメリカはフランスの植民地政策に口を挟まなかったのだ。
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1946年暮れ、ホーはジャングルの中に戻り、フランスに対抗してゲリラ活動を開始した。
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ベトナムがフランスを打ち負かすことなど誰も想像しなかっただろう。
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しかし1954年頃になると、フランスは終わりの無い辛い戦いに決着をつけたいと考え、ホーの軍隊を殲滅(せんめつ)しようと大作戦を実行した。確かに狙い通りに戦争は終結したのだが、結末はフランスが望んでいたものではなかった。
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1954年3月、ディエンビエンフーの戦いでフランス軍はホー軍を捕えたかに見えた。しかし、実は罠にはまっていたのだ。1万5千人の兵士が死ぬことになった。
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それはインドシナにおけるフランスの敗北を意味した。アメリカの独立戦争以来、初めて欧州が植民地を失う戦いになったのだ。
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ホーの指導力が勝利に大きく貢献したことは言うまでもない。
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フランスとの戦いを通じ、ベトナムと中国共産党との同盟関係は強化されていた。
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ホーはその動きを少し冷やそうとした。このまま突き進んでいくと東西冷戦に巻き込まれてしまう!
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フランスとの戦いには勝利を収めたが、ベトナムの将来は第二次世界大戦の戦勝国が集まったジュネーブ会議に諮(はか)られることになった。
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その結果、ソビエトと中国によって17度線でベトナムを2分する案が承認されてしまう。
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ホーはこの決定で妥協することに考えを決め、同僚の説得に奔走した。1954年以降、ホーと仲間たちは17度線の北側でベトナム民主共和国を設立すべく動き出した。
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17度線の南では共産主義に対抗すべくアメリカが支援するベトナム国が誕生し、ゴ・ディン・ジェムが大統領に就任、国名をベトナム共和国と改めた。ゴはベトナム国民の間ではほとんど知られていない男だった。
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ジュネーブ会議でホーは南北ベトナムで統一選挙を行い、ゆくゆくは国を統一すると宣言していた。
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しかし南のリーダーは統一選挙の実施を認めなかった。
1960年、南ベトナムのゴ・ディン・ジェム大統領に反対するゲリラ活動が南ベトナムで始まった。
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ベトコンとして知られるこのゲリラ活動を北ベトナムが支援すると、アメリカは南ベトナムの支援を強化し始めた。東西冷戦におけるアメリカの立場を確保するためだ。
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ホーが恐れていた通り、ベトナムは東西冷戦の戦場と化していった。1966年、ベトナム戦争は本格化していた。ホーは76歳で戦争を指揮するのは辛い年齢だった。それでも彼は北ベトナムを指導して戦いに全力を注入した。どんな犠牲を払ってもこの戦いに勝利せねばならない!

1969年9月2日、ホー・チ・ミンは79歳で世を去った。
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ベトナム戦争で北ベトナムが勝利するまで6年も残されていたが、彼こそがベトナムの独立と統一に最も貢献した人物だとベトナム国民は今も信じている。
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今日、ホー・チ・ミンが残した遺産については異論もあり、単純ではない。それは彼という人間の評価についても同じだ。
ホー・チ・ミンは愛国者で、国を独立に導いたリーダーで、儒教の教えに忠実な人物だったという見方がある。
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その一方で、国際的な共産主義の手先だったという見方もある。

しかし、ホーにとっては、終わりがいつも重要なのだ。祖国を解放すること、ただそれだけだったのだ。
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独立と自由を勝ち取るための犠牲があまりに大きすぎたという批判もある。
1945年にホーは言っていた「私はベトナムに独立と、自由と幸福とをもたらすことを目指す」と。確かに独立は実現した。しかしそれは自由と幸福を伴うものではなかった。
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共産主義者たちは政敵を粛清していた。この時、リーダーだったホーがどんな役割を果たしていたかは明確ではない。
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若者だった時、ホーはベトナムを変えることを夢見ていた。しかし、どれほどアメリカを変えることになるかなどは考えもしなかっただろう。
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外国で愛国者たちと戦うことが、いかに大きな犠牲を伴うのか、アメリカはホーによって痛い程思い知らされたのだ。
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(mh:しかし・・・のど元過ぎればなんとやら。ベトナム戦争終結から40年、欧米はこの失敗を忘れ、同じ間違いをしようとしています。)
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1946年以降のベトナム人死者は3百50万人以上だと推定されている。ベトナム人も、ホーすらも考えもしなかった死者数だ!
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ホー・チ・ミンは見事に独立を成し遂げた。それは20世紀における記憶されるべき成功だろう。フランスとアメリカを相手に戦い、打ち負かしたのだ。
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彼がそれを成し得たのは、祖国のためなら自分の全てを捧げても好いという意思を貫いたからだろう。
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以上でフィルムの紹介は終わりです。ご自身で楽しみたい方は次のURLでどうぞ。
Biography - Ho Chi Minh
https://www.youtube.com/watch?v=d6-bM39doUM

これでホー・チ・ミンという人物についての理解は深めて頂けたと思いますが、フィルムでも言っていたように、彼の正体はなんだったのでしょうか?神か、はたまた悪魔か。彼を駆り立てたのはヒューマニズムだったのか、それとも共産主義的な利己主義だったのか。
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子供と遊ぶホーの映像は彼の真実ではなく、単なるプロパガンダだったのか。
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フィルムを見て改めて感じたのですが、欧米や旧ソビエト連邦が行った植民地主義というのは、本当に極悪非道な振る舞いですねぇ。日本も欧米に遅れまいとして中国や朝鮮、東南アジアなどを植民地化しましたが、統治側の鬼畜生のような人々も、統治されて搾取され、自由を奪われた人々も、同じ人間で、状況が変われば統治する側とされる側の立場が入れ替わることだってあるわけですから、人間というものは恐ろしい動物だなぁと改めて感じました。もし、自分は鬼畜生ではないと考えているなら、何を根拠にそれが正しい、いつだって正しい、ってことを証明できますか?尊敬するお釈迦様なら「欲を捨てよ」と仰るでしょう。欲がなければ戦争や植民地主義を推し進めるはずがありませんからね。

欲を持っているかいないかで鬼畜生かそうでないかが決まるとすれば、およそ全ての人は鬼畜生の資質を持っていると言えるはずです。しかし、もう少し、判断基準を下げるとしたら・・・そうですねぇ、「自分がされたくないことは人にはしない」という至極当たり前のことをいつも実践している人なら鬼畜生ではないと言えるかも知れません。

で~、ホーですが、私は純粋な愛国主義者だったと思います。それ以上でもそれ以下でも無かった。ベトナムのためなら自分にも嘘を付ける男だった。何故そう思うかと言うと、フィルムでも紹介されている彼の顔、特に目ですね。一つのことだけを見つめるような目です。彼は東条英機よりも多くの自国民を犠牲にしました。しかし彼がしようとしたことと東条英機がしようとしたことは、全く異なります。ホーは仲間を弾圧者の手から解放しようとし、東条英機は仲間を弾圧者に仕立てあげようとしたのです。繰り返しますが、人は神にもなれるし、悪魔にもなれるってことだと思います。お互い、大変だと思いますが、少しでも神様の側に立ちたいですねぇ。

ハノイ周辺の観光スポットのYoutubeフィルムは次のURLでどうぞ。
Hanoi - Halong Bay -- Voyage to the land of junks and sampans (Documentary, Discovery, History)
https://www.youtube.com/watch?v=gx3-JfGgAQE

(完)

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