Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ジェイソンとアーゴノウツ の不思議

ウシュグリ村
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ジェイソンJasonとは何者か?
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そしてアーゴノウツ Argonautsとは?
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船は、何故、どこに、何を探して出航したのか?
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途中で出会った美女は何者か?
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王の娘のようだが・・・
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今回は、あるギリシャ神話にまつわる旅行記をご紹介しましょう。

神話の主人公ジェイソンJason(日本語Wiki;ギリシャ語発音に似せてイアーソン)はギリシャの小国テッサリアの王子でしたが、父王が死ぬと叔父が王位に就いてしまいます。ジェイソンが成人し、王位の返還を求めると「黒海の果てコルキスにあるという黄金の羊の毛皮(フリースfleece)を持ち帰ったら王位は返還する」との条件を出されました。そこへ行くにはボスポラス海峡を渡らねばなりません。ジェイソンはアーゴArgoという名の船を作り、アーゴノウツ Argonauts(日本語Wikiアルゴナウタイ)と呼ばれる、ヘラクレス(!)など50人の勇者と共に出航します。コルキスでは王の娘メディーアMedeaに一目惚れされました。彼女は魔法を操ることができ、結婚を条件にジェイソンに協力します。おかげでジェイソンは目的を達して生まれ故郷に帰るのですが、そこには悲劇が待ち受けていました。

という、とても長い話しで、Youtube映画は2時間を越えますが、ご関心がありましたら次のURLでお試しください。
Jason and the Argonauts FULL MOVIE
https://www.youtube.com/watch?v=hJo485wQLQo

で~今回のブログはっていうと、この神話の舞台になった「黒海の果てのコルキスという小国」を訪れ、その魅力を紹介する旅行記です。プレゼンテイターは以前「神秘の炎の不思議(15年4月)」「黒いファラオ(15年1月)」「シャングリラの不思議(15年1月)」で登場したオーストラリア人写真ジャーナリストのデービッド・アダムスDavid Adamsです。

それでは早速、旅行フィルムをご紹介しましょう。
・・・・・・・・・・・・・・
ここは西洋が東洋と出会う遊牧民の世界だ。多くの民族が暮らし、戦いを繰り返した山岳地帯で、トランスコケージア(Transcaucasia南コーカサス)と呼ばれる。
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ここに残る崩壊しつつある塔はアレキサンダー大王やモンゴルのハーン、ボアーズ・イルソン(?)をも打ち破ってきた。
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私は写真ジャーナリストのデービッド・アダムスだ。今、ジョージアにいる。
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過去に征服されたことが無い土地シェティだ。しかし、ここは伝説の舞台でもある。ジェイソンとアーゴノウツが黄金のフリースを求めてやって来た場所だ。
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Journeys to the ends of the Earth:地球の果てへの旅
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In search of Jason and the Argonauts:ジェイソンとアーゴノウツを追って!
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今、私はジョージア(注)の海岸沖を帆船で走行している。
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(注:ジョージア (Georgia又はジョルジャ)は日本語ではグルジアと呼ばれた国ですが、今はジョージアと呼ぶことになったらしいです。)

かつてはソビエト連邦の共和国だった。私は、これから、世界を最初に探検した男達の足跡を辿ろうとしている。
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2千5百年程前、ジェイソンとアーゴノウツが乗った船がここを通った。後ろに見えている灯台はリオニRioni川の河口に建てられている。
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黄金のフリースを求めてジェイソンたちが伝説の旅をした川だ。私はこれからその伝説の旅に隠されていたもの、もしジェイソンが今も生きていたなら見つけたものを探したいと考えている。

旅は黒海の東海岸からスタートする。そしてアーゴノウツが辿ったであろう神秘のルートを通ってコーカサスの奥深く入り、カスピ海に抜けるつもりだ。勿論、これは想像、つまり神話に基づく企画であることは当然だ。
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伝説によれば、ジェイソンは彼に与えられた挑戦に応えるためアーゴという名の船で出発した。もし地の果てに行きついて金のフリースを持ち帰れば王位を取り戻せるのだ。
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彼の足跡を辿るには私の足となるアーゴが必要だ。青天の霹靂と言おうかout of the blue、それは市場で見つかった!
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これまで見たことが無い型だ。青くて、輝いていて、ロシア製で。しかし、売りに出ているのかしら?

「これ売り物?」「ロシアのバイク?」見て分かるようにジョージアの言語は私には分からない。「何年ぐらいのもの?10年くらい前?」会話はいつまでも埒が明かない。しかし突然、予想もしていなかった守護天使の女性が現れた。

「お手伝いしましょうか?May I help you?」
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「このバイク、売りに出ているってのは判ったけど、彼が何んて言ってるのかわからないんだ!」
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古さも、走行距離も、状態も好さそうだ。で~値段は?2千ジョージアン・ラリlari(12万円)だという。
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「動くかなあ?」今のところ、なかなか良さそうな感じだ。しかしエンジンがかからない!彼がトライすればするほど興味は薄れていく。
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「私がトライできるかな?私の方がバイクに慣れていそうだし・・・」
オーストラリアの林の中で古いトレイル(オフ・ロード用バイク)のエンジンをかけて以降はバイクに乗ったことがないのだが・・・

誰よりも私が一番驚いたのだが、一発でかかった!
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周りの人は妙な表情でこちらを見ている。私が知らない何かを知っているのかも知れない。
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しかし、このバイクに賭け、買うことにした。
そうなると、今度はガイドが必要だ。ひょっとすると、彼女が・・・

彼女ミーイアは他のジョージア人と同じように黄金のフリースの伝説に詳しかった。
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「で~ジェイソンと仲間はここに来たのかな?」
「そうよ。彼等は帆船でリオニ川をさかのぼったの。今は障害物も沢山あるから、そんなに奥までは船では行けないけど。」
「山では金が採れるって聞いてるけど本当?」
「スヴァネティSvanetiのことね?」
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で~ミーイアは私と一緒に旅してくれるのかな?
「今忙しいの。帰ってチェックしてから連絡するわ。」
「OK。でも私が運転するバイクに乗る勇気が必要だってのは覚えていてね。」

説得が功を奏したようで、バイクと、ロシア兵士のヘルメットで、我々は北に向かうことになった!
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「大丈夫?地図がないけど。」
「大丈夫よ。私、道、よく知ってるから。」
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直ぐに判ったけれど、古い型式のバイクをたくさん見かける!ジョージアは夏。緑が多く、木々が並ぶ道の景色はヨーロッパと全く同じだ。小アジア(Asian Minor)にいるとは思えない。コーカサスと言う名はかなり広い地域を指す。ジョージアという名はアラビア語のジャージー(オオカミの土地)が崩れて出来た新しい名だ。
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少し走るとリオニ川に出た。2千5百年前にアーゴノウツが通った川だ。
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ここはクテイジィKutaisi。昔のコーカサスの首都だ。
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クテイジィには大きな建物が多い。大抵はソビエト連邦時代に造られた。見えているのは、ロシアの将軍や共産党員が使っていた温泉というよりも娯楽の殿堂だ。
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特別な処方をしてくれる。拷問(ごうもん)台のような施設があった。特殊なハーネス(装着ベルト)で体全体を延ばすのだ。
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私が体を伸ばしている時、彼女の方はもっと拷問に近いマッサージを受けていた。昔から言われるように「痛み無くして得るもの無しno pain no gain」だ。
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この温泉施設は共産党の上層部や将軍たちが使っていた。最初に入ったのは最も有名な客だ。就任を祝って招待された、悪名高いジョージア人ジョセフ・スターリンだ。1930年代から1940年代に渡って大勢の人を投獄し、数百万人が殺された事件の責任者だったモンスターだ。彼はここで、閣僚や将軍たちと悪だくみを議論した。
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議論しなかったのはスターリンの欠点だ。
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湯を出ると川に飛び込んだ。水の量は今ではアーゴが通るのには不十分だが。
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明日は黄金のフリースを求めて旅したジェイソンの足跡を辿ってスヴァネティに向けて出発する。
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クテイジィはジョージアで二番目に大きな町だ。
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ジェイソンとアーゴノウツの伝説によれば、黄金のフリースを見つけたのはここクテイジィだ。
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私は黒海からトランズコケージア(南コーカサス)の高地までジェイソンの足跡を辿っている。
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黄金のフリースはどうもこの辺りに隠されていた。この公園の樹木の枝に掛けられていたのかも知れない!
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毛皮を手に帰ろうとすると、コルキス王から新しい2つの条件が出された。まず、火を吐く2匹の牡牛を倒し鋤のハーネスを付けること、次には大蛇に打ち勝つことだ。
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ジェイソンはこの条件を果たし、フリースを手に入れる。
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すると王の娘メディーアは結婚を申し込んだ。
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これらは神話だ。しかし、いくつかの現実も含まれているはずだ。それを探して、更に山奥の危険な地域を目指して進む。
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高地を目指して進んでいくとチェック・ポイントがあった。国連の平和維持軍が監視している。ここではロシア兵が警備に当たっていた。
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何世紀もの間、トランスコケージア(南コーカサス)に暮らす民族同志で戦いが行われている。
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我々は、紛争の中にある村スヴァネティで暮らすファーン族の、ある人物に会いに行くところだ。
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「ファーンっていうのは小さな民族集団で、山で暮らしているけど、いつスヴァネティに来たのかは誰も知らないの。」
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登るにつれ、危険が高まっているようだ。監視している警官の脇を通って進んでいく。
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1週間前、旅行者がこの道で誘拐された。ギリシャからコーカサスに来るには別のルートもあるという。
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「道の脇にある祠(shrine)は何?」
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「交通事故などで死んだ人の祠よ。」
ここの祠は独特だ。中にウォッカが置かれている!
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「これを飲んで、亡くなった人を偲ぶのよ。」
「もし、祠、祠、祠、って続いていたら、飲んで、飲んで、飲んでってことで、ひょっとすると崖から落ちちゃうかもね。」

ジョージアでは飲酒は広く嗜(たしな)まれている。生きている我々としては死者に乾杯しなければならない。「誰だか名前を知らない人に“乾杯to remember!”」
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「しかし、こんなに強いお酒なら誰だって慣れるってことはなさそうだな。運転、おぼつかなくなるかも。」
「大丈夫?」
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山岳地帯に入った。いくつかの峰は5千5百m以上の高さだ。
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スヴァネティに着いた。2千年の間、他の町から孤立していた所だ。
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この農村は民族舞踊で有名だ。
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まず中世の王女の物語を歌いながら女性が踊る。
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そして中世の服を着た若者が踊る。
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かなり昔から続いていて、2千年前、偉大な地理学者ストラボゥも旅行記に記しているくらいだ。
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ここでは戦(いくさ)も続いていた。民族内で行われたものがほとんどだという。略奪と仕返しが繰り返されていたのだ。
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「墓石に死者の顔が彫られている。信じられない光景だ。」
「これがスヴァネティの伝統なの。」
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多くは若者だ。
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「内紛の原因は?」
「女性だったり、資産だったり、土地だったり。去年も殺し合いがあったわ。」
「シシリー島みたいだね。」

身近なもの同志の争いから身を守るため、多くの塔が建てられることになった。
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しかし、今はほとんどが使われていない。
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「みんな、いつもここで暮らしていたの?」
「いつもじゃあないわ。いざこざがあった時だけよ。」
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この塔は数千年前のものだという。梯子を取り払っておけば、籠城戦ができる。
1階は家畜、2階が食糧、3階は住空間・・・
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最も重要な空間は最上階だ。
「で、ここでいつも時間を過ごしていたの?」
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「そうよ、安心できたの。敵が攻めてくると直ぐに見えたし。」
「それに下にいる敵を攻撃しやすい。」
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紀元前1世紀にこの地を訪れた地理学者ストラボゥが書き記していたことが、もうひとつあった。
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住民は羊のフリースを使って川で黄金を採っていたという。ジェイソンの伝説が生まれた場所に違いない!

明日はさらにコーカサスの山に踏み入っていく予定だ。野生の男達が悪魔の様に馬を駆り、伝説の黄金が一杯の川が流れる所に。
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ここは世界でも有名な分水嶺の一つだ。コーカサス山脈の北ではヨーロッパに、南では小アジアに向けて川は流れる。
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何世紀もの間、トランスコケージア人は渓流で金を採取していたという。

スヴァネティを去ってコーカサス山脈に沿って東へ進んでいく前に、古代のギリシャ神話に関連して是非、見つけておかなければないものがあった。
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ラリ村はコーカサス山脈の高地にある。ミーイアが私をここに連れて来たのは、ここにはスヴァネティの伝統的な金採取人(gold miner)がいるからだと言う。
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「昔、ここでは大勢の人が金を採って暮らしていたの。」
「それってジェイソンと関係あるのかなぁ?」
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「勿論よ。今だって昔のようにフリースを使って金を採ってるのよ。」
ラリ村を訪れる人は少ないようだ。小さな村で住民はみんな知り合いだ。我々が探しているのはギアという男だ。
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ギアはこの地の羊飼いsheperdだ。しかし、長年、金探しをしている。
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今も、手が空いた時間は、近くの川に出かけていく。
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金は今でも採れる。それは直ぐに判った!
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皿を使うのは近代の方法だが、伝統的な方法ではフリースを使う。
まず木の流しの一番下側に羊の皮フリースを装着する。
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流れの速い所に流しをセットし、そこにシャベルで掬(すく)った土砂を流す。
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すると重い金はフリースに残るのだ。
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フリースの中から金を探すのには熟練が必要なようだ。ギアは慌てず・・・金を見つけ出した!
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彼は祖父からこの方法を教えてもらい、今も生活に十分な収入を金で得ているという。

ここはジェイソンの伝説の旅の始まりでしかない。何故なら、彼は、王位を取り戻すために、黄金のフリースをここから西のギリシャまで持ち帰らなければならなかったのだから。
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しかし、神話の別のバージョンによれば、アーゴノウツは西には戻らなかった!彼等は東へ、カスピ海へ向かったという。
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私も彼等を追って東に向かう。
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神話の作者はこの辺りの地勢を理解していなかったに違いない。山が多く、川は南北に流れ、東西に流れるものは少ない。。
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黒海から船でここまで来ることは不可能だ。神話の作者はこの事実を無視して楽しい物語を作ることにしたのだろう
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コーカサス山脈から少し離れたシェティという土地に入るためには馬が必要だ。
「この辺りには夏じゃあないと来れないだろうね。冬は雪で覆われているだろうから。」
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再び塔が現れた!これらの塔は以前に見た塔と目的が違う。
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15世紀に造られた狼煙(のろし)台で、敵の侵入を知らせるためのものだ。敵はチェチェンだ。山岳が国境でチェチェン(共和国)はその向うだ。
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最後に塔が使われたのは1926年の戦いの時だったと言う。

マルティシャ渓谷の住民に出会った。レバンと彼の父は、夏になると羊たちを引き連れて高地の牧草地に移動する。
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「レバン。馬に乗る時はいつもサドルを付けるの?」
「遠出の時はつけるけど、普通はサドル無しだ。」
「アメリカン・インディアンみたいだね。」
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レバンは、この辺りの人と同様に優れた騎手だ。

良い騎手かどうかは生死の問題だった。何世紀もの間、シェティの男は馬にのってチェチェンと戦ってきたのだ。今は平和目的で馬に乗る。数日後には世界でも最も野性的な馬のレースがある。
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レバンの家を訪れた。
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シェティの伝統的な肉団子ハメイニを造っている。今晩のディナーに招待された。
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ジョージアの夕食にアルコールは欠かせない。
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乾杯は短時間に何度も行われる。
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歓迎の乾杯が終わると誰もが直ぐに馬の話を始めだした。
「どうして上手な騎手になれたの?」
「生まれたのが馬の上だったからじゃあないかなぁ。」
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争いが多かったからシェティの男は馬に乗ることが重要だったのだ。

グラスをぶつけ合って、また乾杯だ、ジョージアの上等なワインで!乾杯を逃げることは出来ない。その上、いつだってグラスの底まで飲み尽くさなければならない。
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でもへべれけになっては駄目だ。飲んだ後、かならずダンスがある!

ジョージアのダンスでは、男性がリードする。その後に女性の番だ。ミーイアについて知らない事があったようだ、彼女は美しい踊り子だった。
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翌日、レバンが、少しグロテスクなシェティの習慣を見せてくれることになり、村から離れた谷の上にやってきた。そこにはDIYの墓場がある。
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墓穴を掘ることも、教会も不要だ。ここにきて岩の穴に入って横たわって死ねばいい。
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今ある遺骨は3世紀程前のものらしい。
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昔は各戸にこのような墓があったという。遺体を持ってくるのではなくて、不治の病だと思った時、ここに来て横たわるのだ。子供が病気で助からないと思ったら、母親は揺り籠に入れて運び、子供を置いていったという。
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死はコーカサスではいつも継続的にやってくる現実だ。(mh:コーカサスだけではありませんよ、デービッドさん。)
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その夜もみんなで集まって夕食を楽しんだ。アコーディオンに合わせて歌が始まる。
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悲しみの歌を聞きいている時・・・
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塔の上では炎が立ち上っていた。
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敵が攻撃してきたのではなく、優れた騎手たちに集合を知らせる合図だ。明日はレースがある。厳しいコースの、長い距離のレースで、私も参加する予定だ。
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ジョージア共和国では、1年に一度、コーカサス山脈の高地に暮らすシェティの人々が人里離れた谷間まで下りてきてレースをする。世界でも最も厳しいコースでのレースだ。
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谷の精を祀る小さな祠で祈りを捧げる。朝8時、ウォッカを神に捧げ、勿論、みんなで乾杯もする。
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ウォッカだけでは心もとないから、蝋燭に火をつけて勝利を祈願する。
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もう11時になった!ウォッカでみんな勢いづいてきた頃合いだ。いよいよレースの時だ。ジェイソンと関係があるのか、レースの賞品はフリースだ!
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スタートラインに向かう。サドルを付けるかどうかは乗り手の好みだ。距離は8Km。かなり乱暴なレースだ!
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レースが始まると、雨が降り始めた。
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特に過酷なレースでは悪い条件だ。
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ゴールライン当たりでは観客もやってきて大混乱になる。
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時には喧嘩になる。で~勝利者は?それは喧嘩の結果で決まりそうだ。
この少年の父親は自分の息子が勝利者だと言う。
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私は、というとサドル付きの馬に乗ったのだが、手綱(たづな)が切れてしまい、完走することはできなかった。
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雨が降っていたが、ワインをとことん飲んで、ダンスして、馬の話をして一日を過ごす。
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夕暮れが近づくと、人々は馬に乗って自分の家に向け長い道のりを帰っていく。
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間違いなく何人かは酔っ払ったまま帰途に就くのだ。
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残念だが、そろそろお別れの時だ。ミーイアは仕事で町に戻らなければならない。私はジェイソンの足跡を辿って東に向かう。我々はジョージアの首都トゥビリシTbilisiに向かった。ミーイアが暮らす町だ。
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城と、大きな通りboulevardと、オーソドック・チャーチ(Orthodox Church正教会)の町で、1千4百年間、ジョージアの首都だ。
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しかし、盛衰の激しい都市でもある。
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私が以前、若いジャーナリストとしてスクープ取材のために来た建物がある。国会議事堂だ。
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初めてジョージアに来たのは10年前で、まさにこの場所だった。
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近世のジョージアの歴史で最も重要な瞬間だった。新大統領コーディアが、傾きかけていたソビエト帝国からの独立を宣言した時だ。
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「興奮の瞬間だ!」
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「ジョージアは再び、独立した共和国に戻るのだ!」
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しかし、独立の喜びは束(つか)の間だった。8か月後には内戦の嵐が吹き荒れた。
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8年後、ジョージアは貧しいながらも安定と独立を成し遂げた。

私は、ジョージアを離れて東のカスピ海に向かう。ミーイアは自分がバイクを運転するという条件で、私を見送ることに同意した。
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アゼルバイジャンとの国境に着いた。同行者とガイドにお別れする時だ。
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ミーイアは普段の生活に戻る。私は東に向けて旅を続ける。

「バス停が近くにあるから大丈夫よ。」
「大丈夫?ありがとう!楽しかったよ。無事に帰ってね。」
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別れは辛いが、私は旅を続けねばならない。
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これから辿るのは最も古い道、シルクロードだ。ジェイソンとアーゴノウツの最終章だ。
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1日5回、この僧は伝統的なコールを行う。
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アゼルバイジャンの町シェキのモスク。彼が呼びかける時、スピーカーなどの電気機器は一切使わない。

「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」
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町中に響き届きそうな見事なアザーンだ。
ここはトランスコケージア(南コーカサス)の小アジアだ。
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キリスト教国のジョージアに比べれば、イスラム教国のアゼルバイジャン人は遊牧民ではないのかも知れない。
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私は今、ジェイソンとアーゴノウツの霊の導きに従って、黒海からカスピ海への旅の最終段階に入った所だ。アゼルバイジャンでは、ジョージアと異なり、緑の大地は少ない。アーゴノウツが船で川を下るのは難しいだろう。ほとんどの川で水は少ない。
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不思議な庵があってそこに暮らす隠者が旅人の安全を祈念してくれるというので訪れてみた。
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言語、国籍、宗教がなんであれ、昔から、誰でも祝福してくれるらしい。
「私は旅人で、旅をしてここまで来て、これから・・・」
私が何を話しているか判っているかどうか知らないが、彼は私を祝福してくれることになった。
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彼のメッセージは単純だ。「どんな宗教を信じているかではなく、神と信念という2つを心の中に持っているかどうかが重要だ。心の中に神を持っていれば、その人は善人だ。」(mh:神を持ってない人は悪人だとは言ってないようですのでホッとしました。)
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「アーメン!」
これなら聞いたことがある。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通の言葉だ。
(Wiki「アーメン」:ヘブライ語で、「本当に」「まことにそうです」「然り」「そうありますように」の意。アブラハムの宗教(旧約聖書を経典とする宗教)で使われる用語)

隠者は石で、私の額を撫ぜ、背中を軽く2回叩いた。
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そして顔に水をふりかけてから小さなプレゼントをくれた。プラスチックのラップで包んだ石のお守りだ。

これから道を下ってバクーBakuに向かう。下るというのは、文字通り下がって行くことだ!カスピ海に近づく程、海面よりも低くなる!カスピ海面の標高は海面下27メートルだ。
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その海岸に石油大国アゼルバイジャンの首都バクーがある。
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この辺りは数千年の間、石油で知られている。
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絹が交易されていたように、石油もシルクロードを伝って交易されている。ランプの灯、燃料、アノインティング(注)の炎として。イエス・キリストのアノイント(注)はここから来た油だと言う。
(注:アノイントanoint;礼拝で油を体に塗ること、その油)

アゼルバイジャンの町はイランの町の雰囲気がある。
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しかしバクーの通りを歩いてみると、全く違うことが判る。イスラムの国とは思えない大胆さだ。
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西洋のデカダンスとは異なるイスラムのデカダンスがここにある。ベリーダンスはかつてカリフやサルタンやハーンやボアーズ・イルソン(?)を楽しませたが、今はバクーに暮らすマフィアの暴力団員を楽しませている。
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マフィアを引き付けたのは石油だ。オイル事業にはマフィア・シンジケートの陰が見え隠れしているという。

しかし「オイル漏れ(oil-leak?)」はマフィアよりも質(たち)が悪いものを隠している。毒蛇だ。噛まれたら即死する毒だが、ここでは毒以外の利用価値がある。心臓病の薬になるのだ。外科手術にも使われるらしい。
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この人は何年も蛇を捕まえる仕事をしている。使うのは特別にあつらえた鉄の棒とトングとバッグだ。危なくて近くで撮影できない!
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研究室に持ち込んで毒を抜き取る。1grで2万円というから黄金より価値がある。ジェイスンが大蛇と格闘したことを思い出した。
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しかし、正直に言うとゴーベスタンの岩山に行ってみるまで、ジェイソンのことは忘れていたのだ。
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辺りには数千年前から人が住んでいた証(あかし)の岩絵が残っている。
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古代の羊があった!
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さらに驚くことに、船の絵もある!
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これが神話を作るインスピレーションになったのだろうか?もしかするとジェイソンもここに来たかも知れない。

私は旅に戻る。私のアーゴで船出しようとしている。
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もしジェイソンが今も生きていたとしたら、どこに行くだろうか?どんな男になっているだろうか?
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多分、石油王になっているだろう、黒い黄金「石油」をカスピ海で見つけて!
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経済を牽引している石油は、今も神話を輝かせている。真実は神話ほどロマンチックではない。しかし、ジェイソンとアーグノウツの神話の陰には真実もあるに違いない。それはきっと航海と発見の物語だ。東に長い旅をして物語を持ち帰った勇敢な男たちの物語だ。
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Journeys to the Ends of the Earth - In Search of Jason and the Argonauts
https://vimeo.com/144932851

(完)

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mh徒然草81:政治家は 欲の塊?

今日1月28日のネット記事に次のニュースがありました。
・・・
「自民議員がTV番組ドタキャン BS日テレ「党方針で出演せず」と説明 甘利氏問題追及避けたか…」
産経新聞 1月27日(水)23時38分配信
 自民党の秋葉賢也衆院議員が27日夜に生放送されたBS日テレ番組への出演を急きょ取りやめた。番組のテーマは「政治とカネ 一票の重みどうする?」で、甘利明経済再生担当相の金銭授受疑惑を取り上げた。

 番組では冒頭、キャスターが「今日主演予定だった秋葉さん、本人は番組出演に非常に前向きだったそうだが、『政治とカネ』をテーマにした番組への出演を見合わせるという自民党の方針で、残念ながら出演していただけなくなった」と説明した。「急なことで、われわれもビックリだった」とも述べた。

 番組内で放映したニュースでは「自民党幹事長室が出演を自粛するよう指示した」と報じた。秋葉氏は、維新の党の小野次郎政調会長とともに出演予定だったが、代わりに大学教授が出演した。

 小野氏は「(秋葉氏が)出てきて厳しく甘利氏の問題を指摘する可能性があり、それを避けようとしているとしか思えない」と指摘。その上で「姿勢が根本的に間違っている」と批判した。

 自民党議員のテレビ番組出演をめぐっては、昨年6月に放映されたテレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ」でも、予定していた議員が突然出演を辞退したケースがあった。当時は、自民党若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」で報道機関に圧力をかける発言が出たことが問題視された時期だった。
・・・
で~ブログ「イスラムの不思議(1)」の投稿をやっと終えて、さて、mh徒然草を、ってな調子でこの原稿にもどると、なんてことでしょう、新たなニュースです。

「甘利経済再生担当相が辞任表明
 甘利明経済再生担当相(66)=衆院神奈川13区=は28日夕、内閣府で記者会見し、週刊文春が報じた金銭授受疑惑の責任を取って辞任すると表明した。甘利氏はこれに先立ち、安倍晋三首相に辞意を伝えた。」
別の記事によれば
「甘利氏は「国会議員としての責任、閣僚としての責務、および政治家としての矜持(きょうじ)に鑑み、本日、閣僚職を辞する決断をした」と述べた。」

つまり、賄賂を受け取ったってことです。いくらなのか、当方、金額については大した興味を持っていませんでしたが、少なくとも1回、大臣室あたりで面会した男から封筒入りで現金50万円を受け取っているのはTVバラエティ番組の再現ドラマで見ましたから間違いありません。たったこれっぽっちではなく、恐らく累計で数千万円位は、納税もせず、申告もせず、懐に収めているのではないかと思います。政治家になると、周囲から賄賂が持ち込まれ、みんな、この程度の金額なら一々断ったりせずに受け取ってるんじゃあないかな、ってなことを考えだして、結局、懐にいれてしまうんでしょうね。詳しくは知りませんが、政治献金として申請すれば、問題はないのではないかと思いますが、特定の個人からもらうと、どうしてもその人に有利な政治活動をしがちだから、個人献金は禁止されているのかも知れません。としたら、直ちに「そんなもの受け取れないよ、違法だよ」って言ってやればよかったんでしょうが、欲のなせる業、お釈迦様ではありませんが、自業自得でしょう。欲を捨てよ!これはお釈迦様の教えの第一ですが、甘利氏は結局は凡人で、国民を幸せにするよりも自分の資産を増やすことを選択したのです。

で~、実はこのブログ、甘利氏を非難するためではなく、自民党の体質を非難するために書き始めたのものです。

えへん!冒頭に挙げたネット記事によれば「自民党の秋葉議員がTV出演し、個人の意見を述べることを自民党幹部が差し止め」ました。「お前なぁ、自分の意見をTVで話すな!」って自民党が言ったってことです。つまり、党利のために言論統制している訳です。これじゃあ自由民主党は中国共産党と変わらないじゃあないですか!こんな有様をみていると、自民党議員なんて、安倍首相や長老の操り人形で、いてもいなくてもいい議員ばっかりってことです、許可を得られなければ行動できないんですから。

そんな首相や長老が牛耳る自民党が国会を牛耳っている構図を思い浮かべると空恐ろしくなります。やっぱ、日本の将来は真っ暗ですね。このままでは、近い将来、日本国民は共産党に押さえつけられている中国人民と同じ境遇に陥るでしょう。しかし、こんな独善的で傲慢な首相や長老たちを国会に送っているのは国民ですから、国民ってバカですねぇ。何かに書いてあったと思います、国会は国民を映す鏡らしいです。

今日みたTVで、甘利氏の賄賂問題に関する街頭インタビューが流れていました。40代くらいの女性が「あのくらいのことで大臣を止める必要はないと思うわ。現職のまま、しっかり経済政策を推進してほしいわ」って仰ってました。やっぱりね。

Patti Page - Tennessee Waltz
https://www.youtube.com/watch?v=6ZmBcpwJa6o

(完)

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イスラムの不思議

イスラム国(ISIS)、タリバン、ボコハラムなどのイスラム系テロ集団が世界中の罪もない人々を震撼させています。彼等はコーラン(Quranクルアーン)に書かれている神の教えに従って行動していると自負し、異教徒のみならずイスラム教徒の同朋すら拷問し殺害し、やりたい放題の暴挙を働いていますが、キリスト教徒や仏教徒の中にも共鳴して仲間に加わる若者がいます。その数は決して多くないのですが、なんせ、マシン・ガンで無差別に人を殺すのですから、一体全体、何がどうなっているのか、お釈迦様に訊けば、必ず、その辺りを的確に解説してくれるのではないかと思います、世の中の全ては因果応報ですからね。
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しかし、コーランの教えに忠実に従って行動していると主張する彼等は、同朋のイスラム教徒たちから恐れられ、イラク北部やシリアを占領しているISISはイスラム国家のサウジアラビア、トルコ、イラクなどの正規軍の攻撃を受け、つまるところ、イスラムのつまはじき者なのは間違いありません。

それにしても、イスラム教は、一体どのように生まれ、どのような教えを、どのように広め、現在のイスラム世界を形成することになったのか?仏陀を崇拝する無神論者のmhとしては、他の宗教を否定し、改宗を認めないなどという独善的なイスラム教の詳細をいまさら学んで参考にするつもりは毛頭ありませんが、これだけ身近で騒ぎを起こしている集団が、間違った解釈をしているとはいえ、コーランの教えを唱えるイスラム教徒である以上、イスラム教の歴史に無関心ではいれません。

そこで今回、Youtubeで見つけた「Islam Empire of Faith」を中心に、Wikiなどからの情報を付け加え、イスラム教の教えというよりもイスラム教の生い立ちを中心にご紹介します。なお、余計なお世話であることを承知の上で、現在イスラム教徒でない方にはイスラム教に改宗しないことをお勧めします。改宗すると、別の宗教を信仰したり、宗教を捨てて無神論者になったりしたら死罪に当たります!昔、イスラム教徒の女性と結婚した同僚がいたことをご紹介済みですが、彼はイスラム教に改宗しました。そうしないとイスラム教徒の女性と結婚できないんです。逆に言えば、イスラム教徒の女性は他教の男性とは結婚は出来ません。何故なら、イスラム教によればイスラム教徒の結婚相手はイスラム教徒でなければならず、その上、イスラム教を捨てることはできないのですから、一旦、イスラム教徒に組み入れられたら、言い換えるとイスラム教の家族に生まれたら、その女性はイスラム教徒の男性としか結婚できないんです。このような、固い結束を重視し、これを破る人間には死罪をも与えるという考えは、程度の差こそあれ、どのイスラム教徒にも否応なく植え付けられていると思います。礼拝に出ていかなければ改宗したと思われてしまうので、何が何でも礼拝に出なければなりません。現在なら仕事や旅行で外国にいる場合は許されたりするようですが、その時でも1日5回、メッカに向いて礼拝する義務はあります。どうして、こんな縛りを入れることになったのか、この辺りもフィルムを見ると垣間見ることが出来るかもしれません。

以前もブログで言わせて頂きましたが、信者から自由を奪うイスラムの教えを広めたムハメッドは罪作りな男だと私は思います。しかし、考えてみれば、改宗を認めないというのはイスラムに限る話しではなく、恐らく、どんな宗教も、それに似た面を隠し持っていると思います、改宗は仲間たちが寄って立つ宗教の崩壊を意味するのですから。そんなこともあって、mhはいかなる宗教とも与(くみ)しないことを信条としています。仏陀は崇拝しますが、仏教徒に無条件に同調したり、仏教徒と共に他宗教を排除する活動なんかするつもりは毛頭ありません。幸い、仏教徒はよほど迫害を受けない限り、他の宗教を非難する性格がないようなので安心できます。

前置きが長くなってしまいました。それでは「Islam: Empire of Faith. Part 1: Prophet Muhammad and rise of Islam (full; PBS Documentary) イスラム:信仰の帝国パート1」をお送りしましょう。おぉ、その前にこのタイトル、Prophet預言者となってますね。フィルムの中に出てくるタイトルではmessenger伝令者でした!これを使徒と訳すとProphetと同じニュアンスがでてきます。ムハメッドは、自分は使徒ではなく伝令者だと主張していたようです。ムハメッドも言ったように、彼が語ったのは、神の言葉であって、ムハメッドの思想ではないんですね。神が言ったことを唯、伝えただけです。つまり彼は人間なんですね。つまり、神は唯一、ひとつ(一人ではありません、神ですからね、ややこしいです!)であって、自分は単なる人間だという立場を取っていたようです。これが昔からの宗教に凝り固まって行き詰っていた砂漠の民ベドウィンbedouinと呼ばれる遊牧民nomadに受けたようです。

いつものような長い前置きはこれで終えましょう。
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カイロ・・・
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イスラム教徒がイスラム教徒に呼びかけている。
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1日5回、世界中の都市で行われているアザーン(Adhan:礼拝への呼びかけ)だ。およそ世界の4分の1の人々がこの呼びかけに応じてモスクに集まり、イスラムの精神を保ち続けている。
(mh:モスクに入れるのは男だけで、女は外で礼拝します。)
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「神は偉大なり。アッラーのほかに神はなし。ムハンマドは神の伝令者なり。来たりて祈れ。来たりて繁栄せよ。神は偉大なり。アッラーのほかに神はなし。」
God is the most great. アッラーフ・アクバル 
I testify there is no other god but God. アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イッラッラー 
I testify Mohammad is the Messenger of the God. アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー 
Come and pray! ハイヤー・アラッサラー
Come and flourish! ハイヤー・アラルファラー
God is the most great. アッラーフ・アクバル
There is no god but God. ラー・イラーハ・イッラッラー

人類の歴史でイスラム文化は一つの重大なことを成し遂げた。信仰だけで広まる力は精神革命を引き起こし、3つの大陸にまたがる帝国を打ち建てた。
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ベールにつつまれたイスラムは西洋には誤解されがちだ。しかし、イスラム文明は西洋の文明に驚くべき影響を与えた。西洋が暗黒時代だった時、レオナルド・ダ・ビンチが生まれる600年前、ギリシャ文明に影響を与えたのはイスラム教徒の学者だった。
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それはルネッサンスの種となった。病を癒す方法から10進法の計算手法まで、文化はイスラム文明によって形成されてきた。
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これらは全て、たった一人の普通の人間の人生から始まったのだ。彼が伝えた深淵なるメッセージは世界を永遠に変えた。
彼の名はムハメッド(フィルムのナレーターは“ム(モ)ハメッド”と言っています。ムハンマドとも言われます)。

<ISLAM Empire of Faith:イスラム;信仰の帝国>
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イスラム教徒なら誰でもムハメッドの物語を知っている。その中で語られている多くのミステリーやそれと同じくらいの事実は全て神聖なものだと信じられている。
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「何世紀にも渡り選別され伝えられている預言者ムハメッドの伝承はイスラム教徒たちが残したいと希望しているものだ。普通の人間ムハンマドに関するこれらの伝承の出所がどこなのかを調べ、真偽を正そうとしても、それは不可能だ。」
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彼は西暦570年ころ、アラビア半島の砂漠で生まれたことは判っている。砂以外は何もない殺伐とした砂漠の中で、ベドウィン(砂漠の遊牧民)たちが終わりを知らぬ戦いから抜け出せずにいる中で、両親の最後の男子として生まれた。
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「彼はメッカで暮らしたこともあったが、両親ともども町を追い出されベドウィンたちと暮らすようになった。町にはベドウィンの子は合わないと排除されたのだ。ベドウィンは放浪者で、文化や家族関係や生活習慣が町の住民と異なるからだ。」
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Wiki:ベドウィンbedouin
バーディヤ(アラビア語badawī:町ではない所)に住む人々の意。
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ムハメッドが6歳になる前に両親は死んだ。彼は叔父に育てられることになった。叔父は部族clanの長だった。
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幼少時の彼がどのような生活を送ったのかは不透明だ。
「部族長の甥だったから、誰からも自分の子供の様に可愛がられていたかもしれない。」
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アラビア半島に暮らすどの部族もそうだったのだが、ムハメッドの部族でも口伝の物語が何世代も語り継がれていた。当時のアラビア世界では、仲間が集まっては口頭で自己表現し、昔話を繰り返すことが習慣だった。
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部族の重要人物の何人かは詩人(吟遊詩人)で部族の過去の栄光を繰り返し語った。
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「語られる詩は祖先の昔の出来事が多かった。勝ち戦を讃え、負け戦を嘆き、ベドウィンたちは連帯を強めていた。」
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戦(いくさ)は危険な瞬間だ。叔父はムハメッドに、勝ち残り生き残る戦の手法を教えた。預言者でも1本の矢や槍で殺されてしまうのだからと言って。
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砂漠では、一つの井戸を巡って血眼の戦いが何世代も繰り返されてきた。その中から家族familyや部族clan、種族tribeの繋がりが重視されるようになった。
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家族や部族や種族の保護がなければ、誰も砂漠では生きてはいけない。こうしてアラビア半島中に無数の部族や種族の集団が生まれ、これらの間で交易ルートや、井戸を巡る戦が繰り返されていた。
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ベドウィンが暮らしていた土地のほとんどが乾き切った土地だったということは重要な点だ。水は誰もが最も重要だと考えるものだった。水が豊富にある土地で育った人には、1年に数回しか雨が降らない砂漠で暮らす人がどれほど水に執着するのかを理解することは出来ない。わずかな水が生と死を分ける時もあるのだ。
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それぞれの部族は、それぞれに固有の水や風、火、闇、などの神やトーテム(totem自然や動物などの信仰対象)を信仰していた。
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その中心はキャラバンの町メッカMeccaにある、木と石と土塊で造られた「カアバKaaba」と呼ばれる寺院だった。アラビア語で立方体の意だ。
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イスラム以前、アラビア人は精神的な神、木・石・泉など自然に関する神、など多くの種類の神々を崇拝していた。カアバはこれらの神々を一堂に集めた最高位の聖地だった。数世紀も前のヘブライ聖書の中でもエイブラハムがカアバのような神殿について言及していた。
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カアバには神聖な黒い石が収められていた。天から降ってきたものだという。混乱が支配していた当時、カアバは人々に平穏な時を与える数少ない場所の一つだった。カアバから出る時、ベドウィンは砂以外には何もない砂漠の恐怖に打たれるのだった。

イスラム以前、布で覆われたカアバは神聖な場所だった。カアバを囲むように人々は集まり、交易した。メッカはその中心地になっていった。
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そこではアラビアの香、異国情緒あふれる香水、インドの香料、中国の絹、エジプトのリネンなどが交流されていたが最も価値のある宝は豊かで多様な“文明”だっただろう。
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メッカの近場から集まってくる人達はそれぞれの部族や種族の神を敬う人々だったが、遠方からはクリスチャン、ユダヤ人、その他の異教徒なども集まってきていた。メッカは地中海とインド洋を結ぶ交易の中心で、ビザンチン帝国とペルシャ帝国を結び、インドや中国とも繋がっていたのだ。
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成長するとムハメッドは商人になった。実際の所、彼は大きな情熱を持って交易の仕事に取り組んでいたようだ。25歳の時、北のシリアに向け駱駝の隊商caravanを組んで移動していると、寡婦で裕福な女商人ハディージャに見初(みそ)められた。彼女は彼の手を取り、プロポーズした。
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「ハディージャは妻であると同時に商売の師匠mentorでもあったようだ。強い意志の持ち主で、仕事でも有能だった。ムハメッドは彼女を助けて仕事をすることになった。彼は彼女から多くを学んだのではないかと思う。彼は世界の各地からアラビア半島に来る多くの商人たちと接触する機会を持った。とても賢い男だったようだ。寛容で、多様な人々と意見交換もできた。偉大なカリスマ性も持っていただろう。」
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ムハメッドは人を扱う知恵を持ち、いさかいを仲介して解決する能力に長(た)けていた。
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ある時、カアバの修理をしなければならなくなり、ひとまず場所を移すに当たって、誰が神聖な黒い石を移動する栄誉を与えられるべきかについて部族長たちの間で口論になった。
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喧嘩になる直前、ムハメッドは公平な解決策を提示した。4人の長は共に栄誉にあずかったのだ。
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喜んだ4人はムハメッドにも石を運ぶ栄誉を分け与えた。以来、彼は「信頼に足る男:アールアニン」と呼ばれるようになった。(mh:黒い石を載せた絨毯の一ヵ所を持つ若い男・・・これがムハメッドです。)
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ムハンマドが宗教に関して強い関心を抱いていた証拠は沢山残っている。それは普通の人に比べ格段に強かったようだ。アラブの聖人sageの話や、ユダヤ人やキリスト教徒の聖人について語ることが多かったという。近くの岩の丘に登って瞑想したりもした。

ある時、メッカの近くにあった洞窟の中で、ムハメッドは人生を決める瞬間に遭遇した。
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彼が言うには、人間の姿をした天使が目の前に現れ、全能の神の言葉を彼に語り聞かせた。彼にとっても青天の霹靂で、とても混乱したという。
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普通の人間が、他人より少し強い人生感や感覚を持っていたとしても、有る時突然、天からの声を聴き、それを他の人に話し始めた瞬間を思い描くのはなかなか難しい。しかし、その瞬間から、預言者としてのムハメッドの人生が始まることになったのだ。

多くの啓示を得るためには、更に数か月が必要だった。叙情的な調べを持つ力強い言葉、すばらしいアラビアの詩よりももっと美しい言葉。しかしそれ以上にムハメッドは人々に伝えるべき一つのメッセージを持っていた。簡単で急進的な宣言だ。「神は一人しかいない。There is only one God.」
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「イスラム教の根本は神々の統一だ。神は一人だという彼の言葉がもつ意味は人々を驚かせた。それぞれの種族が崇拝しているそれぞれの神という区別はなくなってしまう!革命的な発想だった。」
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メッカでは金持ちや貧乏人が混在し、多くの種族が混在していた。そのような人々にとって、神は唯一人だという考えは驚くべきものだったはずだ。しかし、誰もが同じ神を信仰するという考えは、人種や貧富の差を越えて、誰もが平等な人間として神を敬うという公平感を生むことになった。ムハメッドが彼の言葉を公衆に語り始めると、大勢の人が彼のメッセージに共感した。
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ある人は彼を詩人と呼んだ。また、詩人は昔から欲望に駆られて話しているのだから彼は詩人ではない、彼の声は欲望の声ではなく、神の声なんだから、と言う者もいた。ムハメッドに従う人の数は少しずつ増えていった。彼等は自らのことをムスリム(Muslimイスラム教徒)と呼ぶようになった。アラビア語で「神に帰依する者」という意味だ。
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彼等はムハメッドが語り伝えた神の言葉を書き記し始めた。コーランの始まりだ。
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コーランは人々に、そして後の世に、正確に神の言葉を伝えるために記された。人々はオリジナルのコーランから手書きで複製を作り、神の言葉を人々の間に広めていった。
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コーランは倫理的・社会的な指導書で、精神的な教えという「啓示」でもあった。アラビア語で記され、アラビア語で伝えられた。
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「コーランの特徴は“自然らしさnaturalness”だ。それは精神の親密さをもつ宇宙の力で、強制と寛容が一体となり、永遠に存在する表現で書かれていた。」
(mh:歴史宗教評論家の抒情的解説を翻訳しているので、なんとも訳の分からない記述になってしまい恐縮です。つまるところ、アラビア語だけを使い、誰もが理解できる易しい言葉で、神の言葉や教えが、いつの時代でもオリジナル通りに書き写され、読まれ、理解される経典。それがコーランだ、ってなことを仰っているのではないかと思います。)
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コーランは言葉だけを使って神の教えを信者たちに語り伝えた。ベドウィンたちが昔から詩で語りついでいたものを凌駕する死後のイメージも語られている。

「砂に囲まれ太陽に焼かれて暮らしている様子を思い浮かべてほしい。」
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「風は肌を刺すように吹き荒れている。その中を、オアシスを目指して歩き続ける。気温は急激に下がってくる。すると、ふと風は途絶え、辺りに静寂が訪れる。オアシスだ!」
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「一面が緑だ!水があふれるパラダイス!そんな中で発せられた言葉で書かれたのがコーランだ。(mh:これもまたなかなか理解しがたいのですが、雰囲気は感じ取っていただけるかも知れません。)」
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しかし、コーランに出てくる天国のイメージには、明確な「神」という表現はない。ミステリーは残された。
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「神について語ることは難しい。神を人か物のように定義することは出来ないのだから。そのことが、イスラム教徒が偶像を忌み嫌う理由だろう。偶像は危険に満ちている。神に具体的なイメージはないのだ!」
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「具体的な神の姿とか、ムハメッドなどより、コーラン自体がもつ“美”がイスラムを讃えているかのようだ。神の言葉それ自体が美しいのだ。絵などはいらない!ムハメッドの顔を描いた絵もいらない。何故なら彼は神ではないのだから。」
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過去のある時期、人々がムハメッドのイメージを描いていたことがある。
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それは宗教的な意味を持つムハメッドの姿ではなかった。聖人とか神としたものではなかった。単にムハメッドの歴史的な存在を表しただけのものだった。
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彼は白い背景の中に薄く描かれたり、顔に白い布をかぶって描かれたりしていた。
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ムスリム集団が膨張し始めると、これに対抗する集団の力も増えていった。人々はムハメッドに対して懐疑的だった。「見てみろよ、預言者だとよ。なにが奇蹟なんだよ。コーランやモーゼが奇蹟だっていうのか?キリストが奇蹟だって?」
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これに対してムスリムは「これが奇蹟だ。奇蹟はコーランそのものだ!」と応えた。

しかし、先祖から伝えられた神を信仰している人がその答えで納得することはなかった。彼等の疑いは膨らんでいった。死後の生命という考えも彼等には受け入れ難かった。「お前は、俺が死ぬと、バラバラの物質になるが、それがまた集まって生命を得られるって言うのか?」(mh:私も信じられません!)
コーランはこれらの挑戦に答えることは出来なかった。
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「ムハメッドはまた、不正の永久的な裁きについても語った。彼は詩的な表現で次の様に説明している。“世界の終わりになると、山が崩れ、空が落ちてくる。その時になると自分が犯した罪の重さを知ることになる。”(mh:最後の審判のことかと思います。)“天使が炎になる”という表現もある。」
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ムハメッドを信じていない人々にとっては、彼が話す神の話は荒唐無稽だった。ムスリムはメッカの住民を勧誘してはコーランの教えを説いていった。その行動はメッカの世情を不穏にしていった。
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町は安心できるところではなくなり、カアバを訪れる巡礼者や商人たちは長逗留せず、直ぐに町から離れていった。
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これではメッカは落ちぶれてしまう!町のリーダー達はモハメッドとその主張を町から永遠に追い出さねばならないと考えた。彼等はムハメッドの伯父から部族長の資格を取り上げるべきだと要求した。これは追放というより暗殺に近い意味がある。
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しかし伯父は要求を拒絶した。それなら戦いで決着をつけるしかない!
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「ムハメッドは重大な時期だと考えたはずだ。通常の対応ではだめだ。ムハメッドは昔からの神々や種族間の仕来りを放棄するようベドウィンたちに説いてきたので反発は強かったのだ。」

ムハメッドに従うムスリムは交易からはじきだされ、生活に困窮し始めた。部族の保護を受けられないムスリムは拷問されたり殺害されたりした。

西暦619年、ムハンマドの妻ハディージャが、追うようにして彼の伯父も死んだ。
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彼が最初に愛した女と彼を保護してくれた男がこの世からいなくなったのだ。
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彼の敵にとっては好機だった。

しかしメッカの北のヤスリブYathribというオアシス町がメッカから逃れて来るムハメッドと彼の仲間を受け入れることになる。
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ヤスリブでは部族間の争いが絶えず、仲介者を必要としていた。住民はムハメッドが信頼でき、紛争の仲介をする能力がある男だという噂を聞きつけていた。そこでムハメッドたちに町に来るよう勧誘したのだ。ムハメッドは招待を受け入れた。

自分たちの土地や部族を捨て、ムハンマドと共に町を出るか、それとも町に残るかは、ムハメッドと彼の教えに対するムスリムの献身度を確かめる機会にもなった。
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メッカを離れる旅を機に彼等は新たな社会、新たな種族を造ることになる。血ではなく信仰で繋がる種族の誕生だ。ひとかたまりのキャラバンとなって砂漠を移動しながら、イスラムはその第一歩を記(しる)すことになった。この旅はヒドゥラ(聖遷)と呼ばれ、キリスト教徒暦(西暦)の622年はイスラム教徒の第1年となった。
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Wiki:ヒジュラ暦(イスラム暦)
第2代正統カリフウマル・イブン・ハッターブが、預言者ムハンマドがメッカからメディナへ聖遷(ヒジュラ)したユリウス暦622年を「ヒジュラの年」と定めヒジュラ暦元年とする新たな暦を制定した。
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ムハメッドは直ぐにヤスリブの人々に溶け込み、人々は彼の連帯と平和のメッセージを発展させることになる。
「ムハメッドは人々から種族間の緊張を解放するソロモンのような役割を期待されていた。」

彼の仕事が上手くいき出すと、ヤスリブの町は預言者の町として知られるようになった。メディナMedinaだ。
(Wiki:メディナ:アラビア語で「預言者の町」を意味するマディーナ・アン=ナビー(madīnat an-nabī)の略)
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メディナにおけるムハメッドの重要な役割は様々な集団の仲介と信者たちの調和を企画することだった。メディナに暮らす異なる部族たちにムハメッドは連帯感を植え付けることに成功した。しかし、この時点では他の宗教への挑戦は行ってはいなかった。神はそれを求める所に現れるのだ、例えばモーゼやキリストのところにも、人々が迷っているところならどこにでも。コーランを見れば人間性や人としての謙虚さや、神から与えられた義務が骨格をなしていることが判る。
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メディナでイスラム教徒の集団が大きくなると、簡単な献身と儀式の生活が生まれた。解放されたアベセニア人の奴隷のビラウがムハメッドの家で信者たちに礼拝への集合を呼びかる最初の男になる。
「アッラーフ・アクバル」
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初めてのモスクの出現だ。
(Wiki「アザーン」:イスラム教における礼拝(サラート)への呼び掛けのこと。ユダヤ教のラッパ、キリスト教の鐘と同じような役割をしているが、肉声で行われることに特徴がある。「神は偉大なり」という意の句「アッラーフ・アクバル」の四度の繰り返しから始まる。)
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「みんなが集まって祈ることは連帯感を生み、信仰を確認する好い機会となった。揃(そろ)って跪(ひざまづ)き、体、心、精神を統一して祈りを捧げる。これが一体感の象徴でなくてなんであろう。」
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メディナに居た時、ムハメッドは「メッカのカアバの方向に向いて祈れ!」との啓示を受けたと言われている。異教徒の偶像に染まっていた人々にとっては世界で初めて唯一神を信じたエイブラハムの寺院と同じようなものだっただろう。
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しかし・・・
ムスリム達がメッカに向かって祈りを捧げている時、メッカのムスリム対抗者たちは進軍を開始していた。目的は一つ、ムスリムの抹殺だ!

ムハメッド達は出来る限りの武器を集め、戦の準備を始めた。ムハメッド軍は年寄りや子供を含めても313人で、武器も少なかった。攻め寄せてくる敵は十分な武器を持ち、千倍も強力な軍勢だ。ムスリムを平和裏にメッカに連れ戻したいとずっとムハンマドは望んできたが、今は戦いの時だ。
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ムスリムは以前に所属していた自分たちの部族と戦うことになった。兄弟は兄弟と、息子は父と、信念と信仰を味方にして。ムハメッドは神が勝利を導いてくれると信じていた。
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「それは本当に血にまみれた戦だった。」
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3年間、ムスリムは完全に分が悪い戦に耐え抜いた。

戦の様子を伝える話しが広まるにつれ、周辺の砂漠の民は神の下に戦うムハメッドの勢いを感じるようになっていた。そして徐々にムハメッド軍に加勢し始めた。ムハメッド軍は膨れ上がり、流れは逆転する。そしてついに、ムハメッド軍はメッカの周辺を埋め尽くすことになった。
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1ヶ月近く続いた熾烈(しれつ)な籠城戦の末、メッカはムハメッド軍の手に落ちた。630年、メッカの人々は武器を放棄し降伏した。ムハメッド軍は戻ってきた、以前の1万倍もの強力な軍となって!
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恐ろしい運命が町の住民を待っていたはずだった。「当時、種族間の戦で負けると、男は殺され、女や子供は奴隷として売り飛ばされるという悲劇が起きていた。それは、世界のどの戦でも同じだった。」
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しかしムハメッドは陥落した町に対して驚くべき行動に出た。血にまみれた仕返しはしなかったのだ!そこには寛大さと慈悲が見て取れる。そうは言っても全てがムハメッド軍の牙を逃れたわけではない。カアバに向かって進軍した軍勢は、周りを7回まわってから攻撃をしかけた。
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攻撃はカアバの中にいた異教徒たちにではなく、祀られていた神々に対して行われたのだ!神々の偶像は全て破壊された。
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「ムハメッドがメッカに入り、カアバの偶像を破壊した時はイスラムの歴史で象徴的な瞬間だった。偶像を破壊することで、固有の神や信仰を持っていた種族という社会構造を破壊したのだ。それはベドウィンにとってはショッキングな出来事だっただろう。父が信じていた神が、種族の信仰が、破壊されたのだ。モーゼがシナイでタブレットを破壊し、キリストが寺院から商売人を追い出したような信じられないショックを与えた。」(mh:この辺りの翻訳には自信がありません。)

偶像の破壊は新しい時代の始まりだった。過去を破壊することで強力な、新しいうねりが生まれ出た。メッカは手始めでしかなかった。以降、周辺の種族は次々とメッカに召喚され、イスラムの旗のもとに統一することを約束させられた。それまで例がなかった歴史、個性、信念でまとまる共同体が生まれ始めていた。
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「ムハンマドが社会に持ち込んだのは連帯感、使命感だ。そして、彼はついにアラビア半島の全ての種族を一体化した。」

イスラム軍は北に向けて進軍を始め、レバノンやシリアも傘下に加えた。西にも進軍し、エジプトを傘下に加えると地中海にそって更に進軍した。
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彼等の進軍を止めることが出来たのは海だけだった。
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「進軍は爆発的だった。西暦622年からわずか50年で小さな町メディナから歴史的な帝国を創り上げたのだ。」
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200年後にはスペインや中国まで拡大していた。ペルシャ帝国やキリスト教徒の帝国の三分の二を取り込み、ローマ帝国を凌ぐ帝国になった。西はモロッコ、東は今日のインドの国境のインダス川まで広がっていた!
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どうしてこのような拡大が起きることになったのだろう。最初は小さな軍隊が、こんなにも素早く、こんなにも簡単に、こんなにも大きな帝国を打ち建てるとは!
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「イスラムが中央アジア、中東アジア、北アフリカに拡大できたのは、そこの住民が既存の統治に飽き飽きしていたことが大きな理由だろう。ムスリムは征服した土地のキリスト教やユダヤ教などといった既存の宗教や、既存の行政機構の存続を認めた。だから征服された側は、イスラム教という教えやアラビア人による統治をそれほど深刻には考えなかった。むしろ、昔からの悪政から解放してくれたことで親近感を持つようになっていた。」
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「ローマ帝国は滅び、ビザンチン帝国は強固な帝国ではなくなっていて、何か新しい理想、新しい考え方を必要としていた時だった。ムハメッドの使命は、社会に生まれていたこの空隙を埋めることだった。ある種の一体性を誰もが望んでいた時にイスラムが現れたのだ。」
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メディナやメッカで始まったコーランの教えは世界的な規模で広がることになった。
シリア全土を占領すると、ダマスカスのセント・ジョン洗礼教会を彼等の祈りの場所とした。
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しかし、日曜日はキリスト教徒が教会に出向いて礼拝することを認め、2つの宗教は一つの建物を共用していた。
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イスラム教徒が増え出すとキリスト団体から教会を買い取り、大きなモスクに改造した。
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ビザンチンの職人を雇い、黄金に輝くパラダイスのモザイクでモスクを飾りたてた。
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このダマスカスの偉大なモスクは、以降、帝国で新たに造られる全てのモスクのモデルとなった。

アラブ人は征服地のインフラ施設を維持し改善しながら改革を進めた。チュニジアではローマの遺跡を改造して重力を利用した水浄化システムを造った。
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「中心部には2つの巨大な貯水槽が準備されている。上の貯水槽で浄化された水は下の大きな貯水槽に移り、そこからパイプで町中に供給された。このシステムは当時のヨーロッパより数百年進んでいた。」
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水の豊富な山から水を平地まで運ぶ方法も素晴らしいものだった。大きな水車を設置し、昔からの石の水道橋に水を供給して、灌漑システムを再構築した。
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おかげで地中海地方でも小麦が栽培されるようになり農業が繁栄した。

また、神聖なる都市エルサレムの記念碑的施設を保護した。ここでイスラムが最初に行った偉大な仕事は“岩のドーム”の建設だ。
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キリスト教徒、ユダヤ教徒にとって神聖な場所「神殿の丘」に建てられた。
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それは丘に造られた建物の中で最も立派だった! メッカやカアバのように、そこはエイブラハムの時代にも遡る神聖な場所だったのだ。“岩のドーム”にある“岩”の上でエイブラハムは彼の息子を生贄にしようとしたのだ!“岩のドーム”は「神殿の丘」のそばの、キリストが埋葬されたと言われる聖墳墓教会Church of the Holy Sepulchreに対抗するように造られている!
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「“岩のドーム”が特別な理由はエイブラハムや息子のイサクが関係する聖なる場所に造られていることだ。初めてここを訪れる人が何を見て何を感じるか想像してほしい。丘の上に建てられた大きなドーム。それは金色に輝いている。」
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「太陽の光の下では誰もが直ぐに目にするのだ。これは漠然とした何かではない。何か、とても偉大で、重要なものだ。」
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イスラムはこの地にやってきて住み着いた。
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たった百年でムハメッドのビジョンは世界の精神的、政治的な地図を塗り替えた。彼の信奉者はローマ帝国より大きな帝国を打ち建てた。しかし、ムハメッドはそれを見ることは無かった。
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イスラム暦の11年、西暦でいえば632年、メッカを占領してたった2年の後、ムハメッドは死んだ。
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メディナの住民は絶望に打ちひしがれ、何日もの間、彼の死を悼(いた)む儀式が行われた。
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ムハメッドは自分が死んでも自分の墓にきて祈らないよう話していた。それは神に対する冒涜だ、神は一人だけなのだからと。
神は人々に話をした。その話しを仲介することが出来たのはムハメッドだけだ。預言者がいなくなった以上、信者たちにとっては神もいなくなってしまったのだろうか?
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ムハメッドが亡くなると、彼に代るリーダーが選ばれた。ムハメッドが後継者として選んだという娘婿のアリーだ。これがシーア・アリー(アリー“派”の意)だ。しかし、この後継者に対抗する派閥が現れる。スンニ派だ。スンニ派の人は「ムハメッドは教えを熟知した年配者の中から後継者を選べと言っていた」と主張した。それはアリーではない!
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ムハメッドを崇拝するのなら彼は既に死んでいる。しかし、神を崇拝するのなら神は永遠だ。ここにイスラムの強さと深遠なる影響力の秘密がある。唯一の神による一体化の力、慈悲と思いやり、共通の信念に裏付けられた個人(mh?)。

ムハメッドは来るべき帝国のための戦を指揮することはなかった。しかし、彼の発したメッセージの力が世界を変えたのだ。イスラムが拡大を続けるにつれ、そのメッセージから生まれ出た知恵が人類を変革していった。
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イスラム教徒を待っていたのは新しい時代だ。彼等は巨大な帝国を崩壊し、新しい世界を切り開くべき運命を与えられていた。
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(Islam Pt-1)

勝手ながら、Part2,3は省略させて頂きます。サラディンと十字軍の戦い、オスマン帝国Ottoman Empireの誕生、コンスタンチノープルの陥落、など、面白そうなところもあるのですが、映像やストーリーに新鮮味が少ないのでブログ化しても面白くなりそうにありません。
が、ご関心のある方は次のURLでお楽しみください。Part1~3をスルーして放映されるはずです。
(時々、消去されています。ブログの公開直前には確認しておくつもりです。)
https://www.youtube.com/watch?v=DCzix7--MLA

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mh徒然草80: 仏舎利の不思議

ブログ「仏舎利の不思議」のネット投稿を終えました。後はタイマーが機能して3月14日午前0時に公開されるのを待つだけです。

仏陀の崇拝者の一人としては、彼の遺骨に関する大仕事を終え、感涙に咽(むせ)びながら余韻を味わっているところと言えば聞こえはいいのかもしれませんが・・・そうじゃぁないんですねぇ。で、いつもの悪い癖で、何故なんだろう?って分析を始めようとしている所です。

「仏舎利の不思議」でもコメントしていますが、疑い深いmhは、仏舎利がこんなにも世界各地にあるというのには胡散臭い事実があるのではないか?はっきり言えば、保存されているのは仏舎利ではないのに仏舎利塔(ストゥーパ)と称しているところが多いのではないのか?との疑問を完全には払拭できないのです。

仏陀が死んで150年ほど後にアショーカが仏陀や彼の高弟の足跡を辿り、ストゥーパを建てたようですが、アショーカの前の仏陀の遺骨を埋葬した墓は、簡単なものだったと紹介されていました。これはきっと正しいと思います。それが仏陀らしいと思います。

アショーカが建てたストゥーパは数百で、全てインド内でしょうし、これらのストゥーパに収められたのは仏舎利の可能性が高いと思います。他の人の遺骨だとしたら、それをアショーカが知らない訳はなく、大きなストゥーパを造って偽物の遺骨を納めるという、意味のない仕事をする必要はないはずですから、アショーカのストゥーパである以上、仏舎利が入れられた言ってよいでしょう。これはアショーカにとっては難し話しではありません。8分割された仏舎利が埋葬されていた墓を掘り起こし、骨壺の中の仏陀の遺骨や灰を、ほんのひとつまみして、いくつもの骨壺に分けてやればよいのです。もし、オリジナルの仏舎利が入っていた皿が直径20cmで、その底に1cmほど深さに仏舎利が入れられていれば、ひとつまみなら、精々0.05立方センチメートルでしょうから、一つの皿の仏舎利は6千個の骨壺に分けることができます。アショーカが造ったストゥーパが200個だとし、それぞれに等量の仏舎利が入れられていたとすると、一つのストゥーパに収容された仏舎利は1.5立方センチメートルで、角砂糖1個程度となります。

ストゥーパには、ブログ「仏舎利の不思議」で登場したように、かなり大量の仏舎利が収められたストゥーパも2,3はあったかもしれませんが、これは例外で、やはり、アショーカのストゥーパ数百には仏舎利が1~10立法センチメートル程度、収めら得ていたと考えるのが自然です。一人の人間の遺骨の量はそんなに沢山はないのですから。

で~問題はここからです。中国やスリランカなどにあるという仏舎利は、誰が、いつ、どんな方法で持ち出したものなのか?全ての仏舎利はアショーカのストゥーパに収められていたと考えるのが自然ですから、中国やスリランカだけではなく、日本の仏舎利塔などに収められている仏舎利はアショーカのストゥーパにあったものが掘り出されて移されたはずです!となると、一体、いつ頃、誰が、墓泥棒をしたと言うのでしょう?

玄奘三蔵がインドから長安に戻ったのは645年で、この時、彼は657部の経典を持ち帰ったとWikiにありました。仏舎利は?恐らく持ち帰ってはいないでしょう。

インドは13世紀以降、イスラムを信仰する外来人に統治され、この時にインド仏教の息の根が止められたとWikiにありますが、それ以前からもインド古来のヒンドゥ教徒による仏教迫害は続いていたので、ひょっとすると、この時、危機を感じたある仏教徒がアショーカのストゥーパを掘り起こし、大事なお師匠様の遺骨を取り出して、安全な場所、例えば仏教への信仰が厚いスリランカなどに持ち去った可能性はあるでしょう。

つまり、インド以外、もっと正確にいうとアショーカのストゥーパ以外の場所にある仏舎利はアショーカのストゥーパから持ち出されて外部に移されたもので、このような行為を行うとしたら、どんな人がいつ頃に行ったのか、調べないといけません。

ところが、アショーカから仏舎利を掘り出した人は、言わば盗人とも考えられる可能性がありますから、誰も名乗り出ることはなく、事実は闇から闇に葬られ、いつ、誰が、どこで見つけた仏舎利かもわからない遺骨が、世界中に分散しているってことになります。

TV番組に、なかなか人気の「なんでも鑑定団」があり、時々みますが、骨董品の価値を決める一つが、能書き書で、容器っていうのもかなり大切なようです。
で、ブログ「仏舎利の不思議」に出て来た仏舎利らしきものは能書き付きの古代容器に収められていたことから考えると、古代容器と能書きの文字が本物なら、その中に入っていた遺骨は本物の仏舎利ではなかろうか、っていう予測が正しい確率はかなり高いと思いますので、カルカッタのインド博物館で古代文字の専門家ハリー・フォーク博士Dr. Harry Falkが下した結論、すなわち「いい仕事をしてますねぇ、本物に間違いありません!」っていうのは正しいのではないかと推察します。となると、巡り巡ってこれを分骨してもらった愛知県の覺王山日泰寺の「奉安塔」の遺骨はきっと仏舎利でしょう。

しかし、他の仏舎利塔にあるかも知れない遺骨について、仏舎利だという、どんな証拠があるのか?およそ、証拠がないなら仏舎利ではない可能性の方が高いと思います。バチアタリと言われるかも知れませんが、能書き書のない、見ただけでは芸術的価値など何もない唯の遺骨を、証明するものもなく、これは仏舎利ですなんて言われて見せられても、誰だって信用しないと思います。幸い、科学は進み、遺骨のDNA分析も可能ですから、必要なら、この際、調べ直してみたらどうかと思います。もし偽物だとしたら、それを仏舎利だと言っていることこそがバチアありというものでしょうから、自信がないなら仏舎利などと言うべきではないと思います。

しかし・・・もっと根本的な疑問があります。仏舎利が収容されている仏舎利塔に手を合わせて祈ることは仏陀の教えに背く行為ではないのか?ということです。ブログ「ガンダーラの不思議」でご紹介しましたが、仏陀は、自分が死んでも墓などつくらなくていいよ、って言ってるんですね。彼の望みは彼を崇拝してくれることではなく、彼の教えを理解してくれることだったと思います。その上で、どう行動しようが、それはその人の勝手だと考えていたと思いますねぇ、私は。それでも、仏陀の声を聴きたい、姿を見たい、っていう願望が衆生(しゅじょう)にはあって、仏像やストゥーパが造られることになりました。

神社に行くと、手を合わせて「健康にしてください」「お金持ちにしてください」なんて衆生や庶民はお祈りしますが、神様は健康にもお金持ちにもしてくれません。それを仏陀は知っていました。

それで気が済むというのなら、それでもいいけど、私に頼んだからといって、私があなたを健康にすることは出来ないし、お金持ちにすることもできないよ。全て因果応報、健康でいたけれれば喫煙してはいけないよ、お金持ちになりたければ、無駄使いしてはだめだよ。でも喫煙しなくても、無駄遣いしなくても、健康になれないかもしれないし、お金持ちになれないかもしれないよ。私のお墓を訪れて手を合わせてもらっても、私は何もできないよ。

しかし・・・もし、仏舎利とDNA証明された鑑定書付きの遺骨があったら・・・
私もお守りとしたいので灰一粒でいいから分けてほしいです!一つまみ0.05ccの灰の中には恐らく数万の粒があるでしょうから、角砂糖1個相当の遺灰なら1万粒x1cc÷0.05cc=20万粒以上。1億人の仏教徒に1粒づつ渡すには500個の角砂糖(500cc)で足りますから骨壺半分程度で十分です。お寺の仏舎利塔などにしまっておかず、信者に分骨すべきだと思います。その方がお釈迦様も喜ぶでしょう。お釈迦様は「私に墓などいらないよ、みんな幸せになりなさいよ」って天国で言っているはずです。

スッタニパータSutta-nipata
仏陀の教えが記された経典の中で最も古いものだと言われています。岩波文庫「ブッダのことば」中村元著を読んで頂けると、仏陀がどんなことを言ったのか、したのか、が推察できます。推察と言うのは、仏陀の言葉や行動は自らが記したものが無く、彼の死後、数十年を経て(仏陀の死後、何年後頃にまとめられたものかについての記述はmhの調べた範囲では見つかりませんでした。)、弟子から弟子に伝えられ、やっと経典としてまとめられたので、どこまでが事実なのかは判然としないのです。しかし、スッタニパータに書いてあることを逸脱している話、例えば死後の世界についての話、は仏陀が語ったものではないと考えて良いと思います。仏陀は、今を大切に生きること、そのためには何をすべきかということ、これだけを説いたと、私は信じています。
岩波文庫本は800円。10年位前の価格です。ネットでも下記からアクセスできますが、文庫本は解説がありますし、旅行などにも持って出かけられますからお薦めです。
http://www.geocities.jp/koogakan/suttanipata.html

Roberta Flack - Killing me softly with his song
https://www.youtube.com/watch?v=R5o_i4bOE_A

(完)

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仏舎利の不思議

Wiki:仏舎利(ぶっしゃり)
入滅した釈迦が荼毘(だび)に付された際の遺骨及び棺、荼毘祭壇の灰塵を指す。「舎利」は遺骨または遺体を意味する梵語シャリーラ(śarīra)の音写。
***
2013年10月、インドの仏教8大聖地を訪れました。旅を始める前、仏陀の生涯に関するYoutubeフィルムを見たり、中村元氏の著書「ブッダのことば」(岩波文庫)を読んだりして仏陀とはどんな人物だったのか、どんな教えを説いたのか、をかじりました。そして仏陀の足跡を辿りながらインド、ネパールを旅して以降、私はすっかり仏陀のファンになってしまいました。この辺の経緯はブログ「インドの不思議な質問:仏教」(2014年1月10日)でご紹介していますので時間がありましたらご確認ください。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/archives/2014-01-10.html
釈迦誕生の地ネパールのルンビニは、ブログ「チベットの不思議」で登場するギャンツェGyantseのホテル・オーナーのジェンザンJianzangも女房殿と一緒に訪れています。

入滅の地はインドのクシナガルKushinagarです。死を悟った仏陀が弟子アーナンダ阿難を伴って生まれ故郷に戻る途中でした。

次の写真は2013年、mhがクシナガルで撮影しました。
右側が涅槃堂、その後ろ(左)には仏舎利塔があります。
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涅槃堂の中には涅槃仏があり、大勢の信者がお祈りしていました。
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仏舎利塔の直ぐ後ろに、水路で囲まれた一画があります。ここが入滅スポットです。
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遺体は、この地から1.5Km離れた場所で荼毘に付されました。そこにはアショーカ王が造ったストゥーパがあります。
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仏舎利は8つに分けられ、信者がインド各地に持ち帰るのですが・・・
勿論、遺骨の一部は残され、クシナガルの仏舎利塔の中にあると考えて良いでしょう。

8つに分けられた仏舎利は、巡り巡って、さらにまた分割されて・・・タイ、ミャンマー、スリランカ、はたまたかつてガンダーラと呼ばれたパキスタンや、玄奘三蔵の中国など、仏舎利を収めていると称する仏舎利塔は五万とあります!勿論、我が日本にもあちこちに仏舎利塔があるのは皆さまもご承知の通りです。

Wiki「仏舎利」には日本に伝わった仏舎利について次の記事があります。
「日本への仏教伝来は538年とも552年とも伝えられており、このとき仏像や経典が渡来したとあるが、舎利についての記述はない。
『日本書紀』には、推古元年正月15日(西暦593年)に、「仏の舎利を以て、法興寺の刹の柱の礎の中に置く」とある。 1956年、飛鳥寺周辺の発掘調査により、法興寺(または元輿寺)の遺構が現れた。そして今は失われた仏塔の芯礎から、木箱に収められた舎利容器が発見された。舎利は593年に芯礎に安置されたが、完成した仏塔は1196年に落雷のため焼失した。舎利は翌年いったん掘り出され、新しい舎利容器と木箱に入れて、ふたたび芯礎部分に埋めたという。
飛鳥時代には法興寺、斑鳩寺(現在の法隆寺)、現在の四天王寺など、立派な仏塔を備えた寺院が建立されているが、これらの仏塔は仏舎利を祭るものである。
『日本書紀』はまた、推古30年7月(西暦623年)に新羅の真平王が仏像・金塔・舎利などを贈ってきたとある。この舎利は四天王寺に収められたとされている。
初期仏教では仏法(教え)を貴び、またインドの慣習儀礼に基づき像を造ることがなかったので、仏舎利が唯一具体的な形を持った信仰対象となっていた。しかし日本へ伝来したときは最初から仏像があったので、仏舎利とそれを祭る仏塔は必ずしも信仰の中心ではなかった。
754年に鑑真が仏舎利を携えて来日しているが、806年に空海らが真言密教とともに大量の仏舎利を持ち帰った。以降、日本において仏舎利信仰が再燃し、仏塔だけでなく舎利容器に収めたものを室内でも礼拝するようになる。
江戸時代の鎖国、明治の廃仏毀釈などで海外との交流は途絶えるが、明治末期の1900年以降、スリランカ、タイなどの上座部仏教圏との交流から仏舎利を贈与された例がいくつかある。
第二次世界大戦後、熊本市花岡山、静岡県御殿場市平和公園など日本各地にインドのネルー首相から仏舎利が贈与され、ドーム様の仏舎利塔が多数建立された。」

熊本市花岡山のストゥーパ
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御殿場市平和公園のストゥーパ
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mhが住む横浜市の団地から直線距離で10Kmにある、江の島を見下ろす高台の龍口寺にも仏舎利塔があります。ネットで調べたら昭和45年(1970)建立とありました。ネルー首相が亡くなったのは1964年とありますから、ネルー首相から直接分けてもらった舎利ではないでしょう。
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しかし・・・こんなに沢山のストゥーパがあって、そこに真舎利(仏陀の本当の遺骨・遺灰)があるというのはどんなものでしょう、ちょっと考え辛い気がしますが・・・

そもそも、仏陀は亡くなって数日後に荼毘に付され、真舎利は8つに分けてインド各地に持ち去られ、貴重な宝物として大事に保管されていたはずです。その後、インド古来のヒンドゥ教の信者や、インドに侵攻してきたイスラム教徒によって仏教は迫害を受け、仏教寺院やストゥーパは壊されていますから、真舎利が世界中に拡散したということ自体が考え辛いのですが、仏教徒は根が優しいから、ほしいと言う人には真舎利と言えども分け与えた、ということもあるかと思いますので、日本の仏舎利塔の舎利の多くは真舎利ではないと言えるほどの確証はmhにはありません。

少なくともWikiにあったネルー首相が分骨してくれた舎利は真舎利だと思われますから、江の島の仏舎利塔は別としても、熊本と御殿場の仏舎利塔には真舎利があると考えてよいかと思います。

ここで、もうひとつの仏舎利塔をご紹介しましょう。愛知県の覺王山日泰寺の「奉安塔」です。
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1918年に完成しました。タイ国王から分けてもらった真舎利が中段の円筒の中に収められています。で~タイの国王はどこから真舎利を手に入れたのか???

それはこれからご紹介するフィルム“Bones of the Buddha仏陀の骨”と重大な関係があるんです!
“Bones of the Buddha”is a 2013 television documentary produced by Icon Films and commissioned by WNET/THIRTEEN and ARTE France for the National Geographic Channels. It concerns a controversial Buddhist reliquary(聖遺物箱) from the Piprahwa Stupa in Uttar Pradesh, India. It was released in May, 2013, and was broadcast in July 2013 in the US on PBS as part of the Secrets of the Dead series.

さらには、mhが2013年10月に訪れた時の次の写真!特に、この場所は、今回のフィルムの舞台と言って好いでしょう。
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場所の名前はKapilavastuカピラバストゥ。別名Piprahwaピプラーワー。後ろに見えているストゥーパこそが今回の不思議が“掘り出された”場所でした!!!
・・・・・・・・・・・・・
北インドの見事な風景の中を旅する著名な歴史学者チャールズ・アレンCharles Allenは、肉と血を持ち、実在した男の足跡を辿っている。歴史的な男、仏陀だ。インディアナ・ジョーンズ張りのものすごい宝物の話を今から確認しようというのだ。
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1898年、インド植民地でイギリス人の地主が驚くべき考古学上の発見をした。彼が見つけたものは恐らく数千年前のものだ。ひょっとすると仏陀自身の墓かも知れない。
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アレン「キリストの骨を見つけたことを想像してみてくれ。」
a1203.png しかし、当初から、見つかった遺物は偽物だと見なされていた。
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アレン「あなたは、さっきから、ずっと見続けているだけですが・・・これは本物ですか?」
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<Secrets of the Dead死者たちの秘話シリーズ>
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このフィルムはミステリーを追い続け、それを明らかにすることを目的としている。
北インドで見つかった墓は本当に仏陀のものか?としたら、誰が、いつ造ったのか?世界の4億の仏教徒にとって賭け率は高くはないかも知れない。
<BONES of the BUDDHA仏陀の骨>
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北インドのブッダガヤBodhgayaは仏教の最高の聖地だ。
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2千5百年前、王子の地位を捨てたシャカ・ムニ・ゴータマは、この地で悟りenlightenmentを得て目覚めた人Awakened Manすなわち仏陀buddhaになった。

ブッダガヤはストゥーパと呼ばれる記念碑的な円丘moundの始まりとなった地だ。ブッダガヤから320Km北のストゥーパはインドに沢山あるストゥーパの中で最も神聖なものなのだろうか?
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その答えを見つけるため、歴史学者チャールズ・アレンは調査を開始した。インドではなく、イギリスの町の郊外の静かな通りで!彼は数年前、そこでお宝を見たのだ。驚くべきミステリーが始まった所だ。
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チャールズと同じでニール・ぺぺもインド育ちだ。植民地だったインドのピプラーワーPiprahwaという場所で驚くべき発見をした W.C. Peppéウイリアム・クラストン・ ぺぺの孫だ。
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W.C. Peppé ぺぺの金庫には当時の資料が保管されている。
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この写真はW.C. Peppéぺぺが発掘したストゥーパを写したものだ。中央には溝が掘られている。
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このストゥーパの下6mでぺぺは重い石で造られた棺を見つけた。中にはいくつかの聖遺物容器reliquaryがあった。1千以上の、小さく、バラバラにほぐされたような宝石類、彫刻された貴石、更には値を付けるのが難しい金銀の品物もあった。ここにあるのは全て複製品で100年以上前に発掘者のぺぺが貰い受け、家族が大事に保管してきたものだ。
アレン「私はこれを見に来たんです。ピプラーワーの宝物を!」
ニール(孫)「この木製のフレームはお爺さんの手造りですよ。」
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アレン「これらの宝石品や金細工品は素晴らしい手工芸品handicraftです!数千年前のものに間違いないでしょう。しかし、どのくらい古いか、何故、このような貴重品が集められ残されていたのか。それを見つけられたらいいなぁと考えています。」
ニール「私も期待しています。」
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もし、ぺぺが見つけたものは本物だとアレンが確認することができたならば、長年の汚名を返上できる。

アレン「お爺さんが見つけたものは贋作ではないかと未だに言われていますが、そのことをあなたはどう思いますか?」
ニール「とても困惑しています。非論理的な非難だし、理解できません。家族の立場で言わせてもらうと、お爺さんが贋作を準備する能力があったとはとても思えませんし。」
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孫のニールは、祖父ぺぺが驚くべき発見をしたインドのバード・コート(邸宅)で祖父らと共に暮らしていた。
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家族はこの邸宅を50年前に離れ、イギリスに戻っている。
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6千4百Km離れた場所には、この邸宅が残っていた。
アレン「当時の面影は見る影もないほど荒れている。しかし間違いなく、ぺぺの家族3世代が同居して住んでいた家だ!」
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イギリス領インド帝国(1858年~1947年)の技師だったぺぺがアマチュア考古学者になったのは40歳の1897年だった。
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北インドのこの辺りはテライと呼ばれる広大な平原だった。平原の北側のピプラーワーPiprahwaには不思議な円丘があった。
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(mh:白い線はインド・ネパール国境線。PiprahwaはカピラバストゥKapilVastuとも呼ばれ、mhも訪れています。若き仏陀が釈迦族の王子として暮らしていた所と言われています。)

そここそ、ぺぺが発掘をした所だ。1週間ほど表面の土を掘り起こすと、作業者は煉瓦で造られた構造物の最上面のようなものに辿り着いた。その下にあったのは・・・
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アレン「ここがぺぺが発掘した場所だ。今はきれいな状態で保存されている。1898年には私が立っている所から6m上まで土の中だった。つまり、この遺跡を発掘するには、まず土壌を除かねばならなかったのだ。」
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「1898年1月、彼らは円丘の中央部に大きな溝を掘り始める。」
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「そして竪穴の底の方に小さな石棺を見つけた。それはエジプトの石棺のようだった。中にあるのは宝物か、遺体か。発掘に携わっていた誰もが興奮したに違いない。それは特別な時間だった。」
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1898年1月18日の朝、ペペ達は竪穴の底に到達した。待ち望んでいた瞬間だ。
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凡そ1トンの石の蓋を横に滑らせて箱の中を覗きこむと、ペペは作業者たちに一旦、その場を立ち去るよう指示した。
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そして、現場監督者数人を残し、自らの手で、中身を取り出し始めた。

アレン「まず、水差しのようなものを取り出したことが記録に残されている。特別のものではなさそうだった。それを隣に控えていた現場監督に渡した。」
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アレン「次は石で造られた見事な出来栄えの蓋付き容器のようなものだった。ペペは少し興奮したに違いない。それをまた現場監督に渡した。」
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次のものは何か素晴らしそうな品物だった。背の低い、蓋付き容器だ。
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これも新聞紙で注意深く包まれ、木箱に移された。

しかし、これらよりも素晴らし品物が現れる。
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アレン「これが一番すばらしい、とペペは思った。何故ならそれは、結晶のように光り輝いていたのだ。魚の形のツマミがついた蓋をもつ容器だった。蓋を開けた瞬間、彼は思わず叫び声を上げた。小さな花の形をした数百の輝石類が入っていたのだ。」
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「更に石棺の底を調べると600個以上の黄金や宝石が見つかった。石棺の底は、独特な形に造られた捧げもののような品物で埋め尽くされていたのだ。なんと不思議な瞬間だっただろう。」
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既にインドで行われていた他の古代遺物の発見と比べたら奇蹟と呼べるほどのものではなかった。しかし、今回発見したものはどのくらい前のものだろう?そして何故ここなのか?それは誰にも判らなかった。
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ペペはイギリス領インド帝国の管理者として赴任していただけで、考古学者ではない。2つ目の容器から出て来た小さな輝石類は彼にとってさほど注目すべきものではなかった。しかし、それらの小さな輝石と一緒に出て来たものがある。灰や小さな欠片だ。
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アレン「灰や小片は人体の部分ではなかろうか、とペペは考えたようだ。誰で、何歳くらいで死んだのかなどについては彼には推察すらできなかった。しかし、貴重なものかもしれないと考え、それを石の容器に戻し、蓋をし、中身が外に出ないよう包んで保管した。そして机に向かうと、重要な手紙を2通、書き始めた。」
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「1通目は30Km南にいる、地方公務員のビンスン・スミスに宛てたものだ。スミスは骨董品や遺物などに詳しい人物だった。2通目は本物の考古学者アントン・フューラー博士Dr Alois Anton Führer宛てで、当時、30Km北で発掘作業をしていた。」
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「2人とも今回の発見に驚いたようだ。そして2人とも“何か書かれたような物は出てこなかったのか?”と同じ質問を送って寄こした。」

ペペは発見した品物を調べ直してみた。一つの容器の首の周りに36個の妙な形の文字のようなものが彫られている!
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全く見たことも無い形だが文字に間違いないようだ。しかし、ペペには何が書かれているのか、全く解読できなかった。そこで、これらの文字を紙に注意深く書き写してスミスたちに送ることにした。
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アレン「ペペが写し取った文字が描かれた手紙がまだ残っていたというのはとても驚きだ。それを見ると彼がいかに注意深く写し取ったかが判る。その下にスミスは翻訳を書き記し、送り返していた。それによると最初の方の文字は“ヤー・サニダー・アニラ・ブラッサ”だ。」
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「そして手紙の裏側には次のコメントが記されている。“The relics appear to those of the Buddha himself仏陀自身が書いたもののようだ”。」
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これを見たペペの心臓は飛び出していたに違いない!仮にそうだとしても全く不思議ではない。2千5百年程前に死んだ仏陀自身が書いた記述は発見されたことはないのだから!これがそうなら、まさに心臓が飛び出す事実mind-blowing stuffだ!
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アレン「ペペがそれを発見したとしたら、極めて重大な事実だ。フューラー博士の反応はもっと明快だった。“あなたの‘寺’には仏陀自身の手書きという極めて稀なものが含まれている”と言って寄こした。」

インド北部で発掘中だったのにも拘らず、フューラー博士は1週間もしない内にペペに会いにやって来た。しかし、彼の訪問は悪い結果をもたらすことになる。当時は誰も知らない事だが“山師”との悪い噂がある人物だった。その博士に、発見から4週間で面会して相談したのだから。
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フューラー博士のスキャンダルはその数か月後に噴出した。このドイツ人の考古学者は仏陀の手書きだと称して、その根拠の報告書と、これが最悪だったのだが、偽造した古代の説明書きを付けた上で、ある手紙を売りさばいたのだ。逮捕される前に彼は退職していた。

イギリス領インド帝国の首都カルカッタの政府はこのスキャンダルに晒されようとしていた。フューラー博士は政府が発掘で雇った単なる高名な考古学者というだけだったのに。
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アレン「英国政府は彼の仕事や、彼の存在すら消し去ろうとした。沢山の宝石類と仏陀のものだと言われた灰や遺骨が見つかったピプラーワー遺跡の発見も、フューラー博士の関与があるために疑いがかけられることになった。そこで、英国政府は問題を他の国に押し付けてしまうことにしたようだ。」
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政府は一石二鳥の手段に気付いた。英国の名誉をないがしろにしていたインドの近くの国サイアムSiam(現在のタイ王国)の仏教徒の王ラマ5世に仏陀の灰と遺骨だと称される遺物を英国政府からの贈り物として与えることにしたのだ。
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フューラー博士のスキャンダルが騒ぎを引き起こす前なら外交的にすばらしい贈り物だし、内政的にはうさんくさいピプラーワーの遺物を切り捨てることができた。
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しかし、フューラー博士への疑いはペペとピプラーワーの発見に黒い影を残すことになった。ひょっとしたら発掘場所に密かに行って石棺の中に何かを入れたのではないのか?ぺぺもからんで、とてつもない贋作行為が行われたのではないのか?」
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この疑問を解明する鍵は石の容器に彫られていた文にある。「フューラー博士は容器に彫られていた文字の専門家だから、それらしく見える贋作を造ることができたはずだ。」
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この疑念は、その後1世紀以上も放置され、解明されることはなかった。しかし、当時の首都カルカッタには今でも決定的な証拠が残されている。
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インド博物館にピプラーワーで見つかったオリジナルが残っているのだ。
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石の蓋付きで、表面に記述が彫られた容器だ。本物の専門家なら、その記述の中に決定的なヒントを見つけられるかも知れない。
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アレン「博物館ではハリー・フォーク博士Dr. Harry Falkが待っていてくれる。彼は世界でもトップクラスの古代インド文字の専門家だ。彼は私からの問い合わせに応じてくれた。これから彼に会うが、何が起きるか、全く想像つかない。」

フォーク博士はドイツ人で、ベルリンの古インド学専門学院の教授だ。彼は古代インド文字を40年以上研究している。アントン・フューラー博士の見立てに対する評価はどうなのだろうか?
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アレン「では、これからご意見を伺わせて頂きましょう。いやいや、これがそうですね?」
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アレン「写真では見たことがありましたが、こんなにはっきり文字が彫られていたんですか!で、ハリーさん。あなたは先ほどからずっと容器を見続けていますが・・・偽物ですか?」
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ハリー「これは間違いなく、偽物ではないと言えます。」
アレン「何故、そう言えるんですか?」
ハリー「まず文体が間違いなく本物です。容器もです。言語についても当時の北インド辺りで使われていたものです。」
アレン「しかし、当時の政府はフューラー博士ならこれを造ることが出来ると言ってましたが。」
ハリー「できるでしょう。彼は考古学者として政府に雇われていたのですから。しかし、サンスクリット語に関する彼の知識は不十分です。その上“ナハダーニ”という、他では使われていない言葉が使われているし・・・」
アレン「なんです、それは?」
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ハリー「“ナハダーニ”、つまり容器という意味の言葉です。この言葉は他の同種の容器では見つかっていません。」
アレン「ということは、この容器が極めて特殊なものだと言うことでしょうか?フューラーがどこかで見て、それをコピーしたということはあり得ないと・・・」
ハリー「そうです、彼にそんなセンスや文字に対する理解があったとは思えません。」
アレン「ということは、やはり、この容器に書かれた文章は本物だということですか?」
ハリー「間違いありません。本物です。スキディマティナンサーハキニカーナムアプタナハダーニイヤンサダーラニ“ブッダダサリエーナカバティー”ササキヤ。そしてスペースが無くなったので蓋に2文字“ヤーナム”。」
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アレン「で、一体、何んと言ってるんですか?」
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ハリー「“この聖遺物箱relicurary、つまり・・・聖遺物箱は仏陀、テライの釈迦族の王”」
アレン「それで、あなたはこの聖遺物箱は仏陀の遺骨を納めていたものだという自信があるんですね?」
ハリー「はい、絶対の自信があります。何故なら、書かれた文章は“ブッダダサリエーナカバティー”と言っていますが、それは“これらは仏陀が書いた文である”との意味です。」
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世界的な専門家は、容器に書かれた決定的とも言える文は本物だと確信している!ペペの汚名も晴れたと言えるだろう。しかし、そうなると更に大きな不思議が現れることになる。ハリーの翻訳によると“仏陀が書いた文である”と仏陀が使った文章ならば仏陀が死ぬ時は存在していないはずなのだ。その上、彼の死後、かなりの時を経た今も、どこにも見つかってはいない。
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アレン「つまり、ハリー。あなたはこの容器には仏陀の遺骨が入っていたのは間違いないが、容器は仏陀の時代のものではなく、仏陀の死後およそ1世紀半後のものだと考えているということですか?」
ハリー「その説明は、全く的確です。」
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何故、この容器に仏陀の遺骨が残っていたと言えるだろうか?死後150年も立っていたのに!

その質問への答えを見つけるにはぺぺが容器を発見した時から約2300年前の仏陀自身が生存していた頃まで時間を遡らねばならない。
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生身の肉と血を持った男はどのように新たな宗教を生み出したのか?何故、どこで、彼は亡くなったのか?どんな経緯で、ペペが見つけた丘に彼の遺骨が納められていたのか?

アレン「ジャナポリフォーカット(というインドの本)に登場する仏陀の見事な姿は誰もが見たことがあるだろう。彼は生身の肉と血を持つ人間そのものとして描かれている。キリストやムハンマドと同じだ。彼は紀元前5世紀、インド平原で暮らしていた。多分、紀元前500年頃に生まれ、およそ紀元前410年に死んだ。」
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仏陀はピプラーワーから遠くはないルンビニで生まれた。
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王子として育てられたが30代の始め、贅を凝らした暮しの王宮から外に出て、「病、老、死」という人間の苦悩sufferingsを初めて知ることになった。そして、老いた隠者hermitを見た時、これまでの生活を捨て、隠者になることを決意した。
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王宮を去って6年間、彼は通常の暮らしぶりを放棄して修行を積み、釈迦牟尼という名を得た。釈迦族の聖なる人、という意味だ。そして、彼を覚醒させる場所ブッダガヤにやってくることになった。
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当時、そこは樹木ばかりのジャングルのような所だった。しかし何世紀も経た今はメッカやエルサレムのような偉大な聖地だ。
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アレン「何百万の信者が訪れている。彼等には、ここが宇宙の中心だ。チベット、中国、ビルマ、タイ、スリランカ、それに西洋から来た人もいる。精神的なパワーに満ちた所で、私も感動している。ここが仏教の震源地epicenterだ。ピプラーワーは知らないかも知れないが、ブッダガヤなら誰もが知っている。仏教で極めて重大な意味を持つ場所だろう。」
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聖地の中心には菩提樹bodhi-treeがある。この下で仏陀は人間の苦悩sufferingsの根源を知り、悟りenlightenmentを得た。そして仏教という新しい宗教が生まれることになった。
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およそ2千5百年前に彼が歩いただろう場所を今、巡礼者たちは静かに歩いている。
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ここブッダガヤで仏陀は時間を超越し、未来でも過去でもなく、永遠の存在になった。

釈迦族の子孫のバンティは、この永遠が彼に仏陀の力を与えてくれるという。
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バンティ「ルンビニで産まれ、過去に存在していたが、未来や、そして現在では存在していない。しかし菩提樹の下で、彼は悟りを得て仏陀として生まれ変わった。仏陀は過去の人ではなく、今も、そして未来も存在しているのだ。」

80歳頃になって仏陀は最後の旅に出た。釈迦族の暮らす故郷、ピプラーワー近くの場所に向けて。
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彼の生涯において、彼がたどった道には、後年、それを記すストゥーパや石柱などの記念碑が建てられている。最後の旅で訪れたバイシャリVaishaliの近くで最後の説教をし・・・
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次に訪れたケサリアKesariaで身近な弟子たちに真理を伝え・・・
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誕生の地ルンビニから100KmのクシナガルKushinagarでは2本の沙羅双樹の間に横たわり、そして・・・死んだ!
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クシナガルにある、この大きな仏像は、仏教徒なら涅槃とよぶ“仏陀の死”が訪れた場所に造られている。
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彼の死の後、何が起きたのかがピプラーワーのミステリーを解く鍵だ。

アレン「仏陀は死ぬと直ぐ火葬にされた。集まっていた大勢の信者たちは遺骨を分ける方法を議論し、結局、8つに分けてインドの8ヶ所から来た8人の王たちが持ち帰ることになった。この8人には釈迦族の王も含まれている。
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ピプラーワーで見つかった聖遺物箱には“釈迦の遺骨が収められている”と書かれていた。ピプラーワー(カピラバストゥ)は釈迦族が棲む土地、仏陀の故郷、の中心にある。つまり、ペペが見つけたのは、釈迦族の王が持ち帰った釈迦のオリジナルの遺骨の可能性がある。8つに分けられた遺骨の一つで、これまでで初めて見つかったオリジナルの遺骨ではなかろうか。
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当時、8分割され持ち帰られたオリジナルの遺骨の埋葬は簡単だった。遺骨は花と一緒に簡単な容器に入れられ、小さな穴に埋められただけで、ぺぺが見つけたような大きな墓などはなかった。
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従って、遺骨が仏陀のものだとしても、手の込んだあの墓は、後年、何者かによって造られたものだと考えてよいだろう。
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としたら誰が造ったのか?いつ?何故?この決定的な質問に答えを出せる場所がある。インドの中心の重要な場所にあるサンチーSanchiだ。
アレン「あそこだ。あの丘だ。あそこに大きな、世界でも最も素晴らしいストゥーパがある!」
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ストゥーパは高さ15mだ。サンチーは仏教が広められることになった場所だ。
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この素晴らしいストゥーパを造った男が、ペペが発掘したピプラーワーのストゥーパを造った男ではなかろうか?

アレン「2千年以上の長い時間を経た今も見事な彫刻が残っているというのは驚くべきことだ。息を飲むような素晴らしいストゥーパだ。」
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サンチーは偉大な皇帝によって造られた。彼は仏陀の死からおよそ1百年後、インド全体を仏教に変えていた。名はアショーカ。彼の行為は彼の人生感を完全に変えるものだった。
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アレン「アショーカは非情な王だった。不安定な性格で兄弟をも抹殺した。しかし釈迦の教えに出合い、全く新しい人間に生まれ変わった。以降、アショーカは道徳に従って行動する王になったのだ。彼こそがインドの片隅で生まれた名も無い教えを世界の宗教に広めた男だ。」
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3つの重要な事実がアショーカとピプラーワーの繋がりを示している。サンチーはアショーカがインドの数百か所に煉瓦でストゥーパを造ったことを示している。
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彼は、どのようにして仏陀の遺物がそこにあったことを知り、それを新しい場所に移設し分割していたのか?ピプラーワーもその中の一つではないのか?
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更には、仏陀の新しい哲学を世界に広める際、アショーカには、新しいサンスクリット文字を使うチャンスがある。岩山にもこの文字が彫られて残されている。
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この文字がイーディクト文字を生み出し、彼が建てたアショーカ柱とも呼ばれる大きな石柱に描かれている。
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ブラーミーと呼ばれる古代の仏教経典にも使われている言語だ。その文字はまさに、ピプラーワーで発見された容器に彫られていた文字と同じだ。
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ハリー・フォークによれば、その文字は仏陀が死んでから凡そ150年後に生まれた。丁度アショーカがインドを統治していた時代だ。
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しかし、もしアショーカがピプラーワーの墓を造ったのなら、そこは釈迦族の暮らす場所で、仏教の聖地の一つにもなっているくらいなのに、どうして、ぺぺが彫り出すまで忘れ去られていたのだろう。
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その質問への答えはアショーカ以降に仏教に起きた事件にある。
アレン「アショーカは彼の国を仏教の国に変えようと望んだ。それは遠すぎる道のりだったのだ。」
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アショーカが建てたこの仏像は勿論、最初から頭がなかったわけではない。仏教は卑しく異端の宗教だと考えていたインド古来の宗教ヒンドゥ教の信者の仕業だ。そしてヒンドゥ教徒が始めたことをイスラム教徒が引き継いで完結することになる。
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何世紀もの間、アショーカ、ブラーミー経典、インド仏教、は存在していなかったかの如く、記憶から消し去られていた。そして1800年代、英国人考古学者達が中心になり、初めて仏教遺跡の発掘が始まることになったのだ。
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ブラーミーは解読されることになった。
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アショーカの存在も確認された。サンチーのような仏教遺跡も。
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そして最後まで残っていたものの一つがピプラーワーだ。1898年、それをペペが掘り起こすことになった。全ての証拠はアショーカがピプラーワーの見事な墓を造ったことを指している。
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世界的なエキスパートであるハリー・フォークには大きな石棺が決め手になった。
ハリー「縦は132cm弱だ。」
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「寸法は他のアショーカの手による石棺と同じだ!外観や仕上がりも全てアショーカの時代のものと同じだ。」
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ハリーは石棺が砂岩で出来ていることに気付いた。アショーカが石柱に使った石材だ。ルンビニでも同じ時代に同じ石材で石柱が建てられている。
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アレン「としたら、この石棺が造られたのはいつ頃だと言えますか?」
ハリー「アショーカがルンビニの近辺にいて、彼の統治20年目くらいで・・・およそ紀元前245年だろう。」
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アレン「あなたはかなり厳密に特定しますねぇ、とても信じられないことです!」

この厳密な年は、ミステリー解明の手掛かりになりそうだ。しかし、決定的な疑問vital questionが残っている。アショーカは釈迦族の土地だから仏陀の遺骨を残す場所にピプラーワーを選んだのだろか?
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答えは永遠に埋もれたままかも知れない。しかし1970年代にピプラーワーの再調査を始めたインド人の考古学者たちは素晴らしい発見をしていた。
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ぺぺが石棺を発見した所の直ぐ下に、それより古い時代の埋葬場所を見つけていたのだ。
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そこにあった小さな2つの空間にはそれぞれに小さな骨壺と赤土で造られた、壊れた陶器の皿があった。研究者達は結論した。「この墓は仏陀の時代に造られたものだ。」
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アレンには、それはジグソーパズルの最後のピースだった。その場所こそ、仏陀の遺骨が初めて埋葬されていた所だ!
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後に、この上に造られた新しい墓に仏陀の遺骨は移されたのだ、まさに容器に文字で記録されていたように。
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アレン「ぺぺが大きな石棺を見つけた時の作業を昔に遡らせたことが起きていたのだ。誰かが陶器の皿に入っていた遺骨や遺灰を宝石や貴金属と一緒に石棺に移し替えていたのだ!」
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「恐らく、それはアショーカだったのだろう。石棺はアショーカが作る石棺と同じ材料や寸法だった。容器に描かれていた文字はアショーカの時代のものだ。この調査を始めた時、答えが得られるか判らないままだったが、今は答えを得たと確信していて、その上、感動もしている。」
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私はこれで安心してイギリスに帰ることが出来る。そしてぺぺの孫のニール氏にお爺さんは嘘つきではなかったこと、遺骨は本物だったこと、宝石も本物で・・・

ニール・ぺぺ「信じられない!素晴らしい結末だ。」
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アレンは一人の男の名誉を回復する以上のことを成し遂げることになった、世界中にいる4億人の仏教徒のために。
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彼はピプラーワーが2400年以上も昔、仏陀の骨が初めて埋められた場所の一つだと証明した。後(のち)に、そこにはアショーカが、仏陀の栄誉を讃え、仏陀自身のための見事な墓を造っていたのだ。
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ピプラーワー出土仏舎利骨壺:高さ15cm。壺の上部に文字が刻まれているのが見える。
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(インド博物館所蔵、1998年撮影)

Bones Of The Buddha
https://www.youtube.com/watch?v=yn3lk6xTF24
(完)

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mh徒然草79: You raise me upの不思議(解答篇)

まずはオペラ歌手Martin Hurkensが街頭で歌っている様子をYoutubeでもう一度よ~くご覧ください。
Martin Hurkens - You Raise me Up
https://www.youtube.com/watch?v=4RojlDwD07I

見ましたか?最後まで?

兎に角、最後まで映像を見て頂かないと「You raise me upの不思議」の問題も解答も理解できないと思いますから、出来たら、今一度、ご覧ください、勿論、Martinの歌も味わいながらです。

よ~く観て頂けましたね?いいですね?

不思議な質問「なんでこのYou raise me upが感動的か?」

2回見た人は、解答は既に判ったはずです。感動したでしょ?感動させるものが歌と撮影設定場面に盛り込まれてるんですねぇ。あなたが感動した、これ以上の解答はありません。

しかし・・・これで終わるのでは面白くありません、何かスッキリしませんよね?

で~これからmhがあなたの心の深層を解説して差し上げましょう。なぜ、あたなは感動したのか?勿論、お釈迦様が仰るように原因があるからこその結果なんですね。

感動する理由はフィルムに盛り込まれていたんです。まず歌です。
Wiki「ユー・レイズ・ミー・アップ」 (You Raise Me Up)
アイルランド/ノルウェーのミュージシャン、シークレット・ガーデンの楽曲。2002年のアルバム『Once in a Red Moon』に収録されている。2003年にアイルランドの歌手ダニエル・オドネルがカバーしてヒットした後、多くのアーティストがカバーしている。」

アイルランド民謡Danny Boy、別名「ロンドンデリーの歌」(Londonderry Air)を真似たと作曲家が暴露しているようですが、郷愁、哀愁を帯びたメロディです。ロンドンデリーの歌と言えばアイルランド人には国歌と同じ扱いを受けているくらいポピュラーなんですね。

Wiki「ロンドンデリーの歌」(Londonderry Air)
アイルランドの民謡である。イギリス領北アイルランドでは事実上の国歌としての扱いを受け、アイルランド移民の間でも人気が高い。世界で最も広く親しまれるアイルランド民謡の一つである。様々な歌詞によって歌われ、特に「ダニー・ボーイ」のタイトルのものが有名である。
曲のタイトルは北アイルランドの州の名に由来する。この曲はロンドンデリー州(デリー州)リマヴァディのジェイン・ロスにより採譜された。彼女が聴いたのはタイトルも歌詞もない器楽曲としての演奏だったが、いつどこで誰から聴いたのかなどについて詳しいことはわかっていない。ロスはこれを音楽収集家のジョージ・ペトリに預け、この曲は彼の編纂による1855年発行の「The Ancient Music of Ireland」(アイルランドの古代音楽)に収録された。この書物には無名の曲としてリストされたが、「ロンドンデリーのジェイン・ロスの収集による」という註がつけられたため、この曲は「ロンドンデリーの歌」として知られることとなった。

Wikiによれば、デリーという名前は、 アイルランド語で 『オークの木立』("oak-grove")または『オークの木』( "oak-wood")を意味するDaire(現代アイルランド語: Doire)からきているとあります 。

で~airっていうのは、ここでは風情(taste, air, elegance, appearance, hospitality, entertainment)と訳すのが適当ではないかと思います。

つまりLondonderry Airとは「ロンドンデリー地方の風情」という意味と言えるでしょう。

曲にはいろいろな歌詞が付いているようですがDanny Boyバージョンが最もポプラ―とのことですから、よろしければ、次のURLでお楽しみください。
https://www.youtube.com/watch?v=8s_jleJFR_M
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まとめると、こうです。
You raise me upは風情と哀愁を帯びたメロディであるだけでなく、歌詞が感動を呼び起こしやすいんです、「感謝の気持ち」を歌ってますからね、そばにいてくれるだけで私を元気づけてくれるっていう感謝の心です。スポーツ選手が勝利インタビューで「とにかく応援してくれたみんなに感謝で一杯です」ってなコメントをするのを聞いて、ステレオタイプとは言え悪い気分になる人はいないでしょう。

更にMartinが歌うYou raise me upには、感動させる別のネタも仕込まれています。聴衆です。様々な表情やしぐさで登場してきます。ほとんど、この町、または近郊の住民のようですが、泣いたり、笑ったり、じっと聞き入っていたり、なにが起きているのか判っていなかったり・・・何故こんなに多様な反応があるか?

Martinの方を向いているこの3人、何が始まるんだろうってな顔つきです。この時点ではイントロは流れていますがMartinはまだ歌っていません。
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このご婦人、歩きたばこしてますね。たばこは辞めた方がいいですよ、特に歩きたばこは。
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左は男、右は女です。って思ったんですが、後で挙げる写真をみると左側の人は老婦人のようです、若作りですが。
2人とも何が始まるんだろうって感じですね。You raise me upの曲はこれまで聴いたことが無いのかも知れません。
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Martinが歌い始めると、脇からチョコチョコっと出てきて写真撮影するおばさんが登場していました。珍しい見世物を楽しんでいる感じで、歌への関心は薄いようでした。
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2人とも女学生みたいですね。曲に馴染みは少ないようですが、聞き入っている感じです。
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お年寄りの御婦人、音楽が何処から流れてきているかの方に関心があるようで「あっちからみたいね?」って言ってます。
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このご夫婦、何度かクローズアップされていました。素敵な女性ですね。mhのタイプです。
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きっと親子です、じっと聞き入っている様子でした。顔も似てますが、人生観も似てる雰囲気ですね。味わい深い、いい表情だと思います。
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この女性、何かに思いを馳せながら聞き入っている感じでした。
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この2人の女の子、姉妹でしょうか。何度か登場してますが、何が起きているのか判ってはいないのでしょうが、ことの成行きには関心があったようです。
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この男性「おぉ、面白いことやってるなぁ、プロのカメラマンも撮影してるから、なんかのイベントだな?」ってな感じです。歌より雰囲気を楽しんでいると言えるでしょう。
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この3人、相合傘をしていますから友達で同年輩というところでしょうが、思い思いの顔で思い思いの方向を向いてます。「どうしよう、そろそろ行こうか?」ってな感じで心は歌とは別のところにあるようです。
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この若い女性、歌詞の意味を考えている感じ。好い顔してます!
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mhのタイプの女性、また登場しました。
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右端の黒人系の女性、笑いながら見てました。歌を味わっている感じはしません。その前でハンチング帽をかぶって聞き入っている若者、好い顔してますねぇ。彼は聴こうとしています。
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この老婦人ご一行、歌よりも、雰囲気を楽しんでるようです、時間潰しに。
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この女性、2回目の登場ですが、とうとう涙を流し始めました。何を隠そう、mhも涙なくしてこのフィルムを見ることはありませんでしたから、よ~く判りますよ、あなたの気持ち。
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また、かの妙齢の御婦人の登場です。この女性、4回登場してます。カメラマンも気にかけていた被写体のようです。
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この若者、歌よりも、歌手について友達に話しているみたいです「俺、あの男、いつかTVで見たことあるよ!」
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この3人「なかなかいい声してるわね」ってところでしょうか。聞き入っている感じもします。
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アイボリーのコートの男性と隣の女性、夫婦だと思いますが、今ここに来たばかりでした。Martinの歌はスピーカーで流れ続けていたので聞こえていたはずですが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔です。歌が終わり聴衆が拍手している時も、この姿勢、この顔をしてました。
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この犬、素晴らしいですねぇ、品があります。で、この飼い主、どんな顔をしてるんだろうって思ってみてましたが・・・
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渋い、好い顔してます。この姿勢で、この顔でじっと聞き入っていたようです。
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夫婦だと思います。奥さんは最初の方で登場してました。その時は「面白いことが始まるみたいね」ってな顔してましたが、今は旦那の胸に寄り添ってます。二人とも、歌詞の意味を理解しているようで、胸を打たれ、しんみりしている感じ。
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この2人、恋人同士でしょう。女性は歌を楽しんでいたようですが、彼氏の方は、「歌なんかどっちでもいから、早く、ショッピングに行こうよ」ってな様子で、お調子者っていう雰囲気です。
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Martinが歌い終わると右側の男性が帽子にお金を入れに出てきました。シャッタータイミングが悪く、みょうな姿勢ですが、立派な人だと思いましたね、mhと何となく雰囲気が似てました。
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最後はみんな大拍手!いゃ~よかったです、とっても。
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聴衆がフィルムに現れていると、あなたもその一人になったような気分になって、Martinの歌をその場で聞いている臨場感が生まれ、あなたの心に歌がしみ込み易くなっているのです。

アイルランド生まれのYou raise me upですから原曲は英語なんですね。で、Martinもオリジナル通り英語で歌いました、オランダの田舎町で!!!

Wiki「オランダNetherlands」
公用語はオランダ語Dutchである。フリースラント州(mh:北海の沿岸一帯)ではフリジア語も公用語として認められている。識字率は99%である。オランダ国民のほとんどが、英語を話すことができる。また、母国語や英語以外にも、フランス語Frenchやドイツ語Germanなど数カ国語を話せる人が多い。
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オランダ国民の89%は英語を話せるんですね!ドイツ語も70%です!しかしですね、やっぱ年寄りは英語を理解できない人が多いんじゃあないかと思いますから、英語を理解しない11%ってのは多分、ほとんどが老人でしょう。中には若い人も若干いると思います。英語を知っていても自分の将来に大して役に立たないって考えている人でしょう。若いうちから、見聞を限る人は社会に役立つ人にはなれないと思いますよ。勿論、赤ん坊は英語を理解しませんが、オランダ語だって判らない訳ですから、この集計には含まれていないって考えるのが筋でしょう。

Martinの歌うYou raise me upを本当に楽しもうとするなら、英語が理解できなけりゃぁ駄目だと思います。聴衆の反応は、英語の歌詞を理解しているかどうかが重要なポイントです。年取って英語なんか判るわけないよ、ってな老人と、若くても英語より遊びの方が楽しいっていう人は関心が低いので感動することはありません。日本でMartinが同じことをしたら、英語を知らない人が多いですから、一体、なんのイベントなんだろう?って考えている人ばかりで、感動する人はわずかではないかと思います。

しかしです。英語を知っている人でも、歌詞を味わうことが出来なければ、この歌の良さは半分も判らないでしょう。逆に、英語が判らなくても、よいものに感動する心を持っていれば涙してこの歌を聞くことが出来るはずです。あなたは見たことがありますか、Pretty Womanという映画。Richard Gere扮する富豪millionaireエドワード・ルイスとJulia Fiona Roberts扮する娼婦fuckerのビビアンは豪華に着飾って、これから飛行場に向かうところです。
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チャーターしたプライベート・ジェットでサン・フランシスコ(ロス?)の劇場に行き、イタリア・オペラを見るんですね。娼婦のビビアンは高校も出ていないしイタリア語なんて全く理解できないんです、私も同じですが。でも、舞台に登場した女性歌手の歌にしびれて、涙ボロボロになるんですね。
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mhは、オペラやクラシック・ミュージックへの関心は極めて薄いのですが、ショパンの「別れの曲」やシューベルトの「アベ・マリア」、ホルストの「ジュピター」なんかは好い曲だなぁと思います。でも積極的に聞くわけではなく、聞いても涙を流す程は感動しないんですね、どういうわけか。やっぱ、お釈迦様も仰るように、理由があってこその結果で、歌詞がついていないと曲を聞くことに関心があるというレベルで終わってしまい、何かを考えるってところまで踏み込めないからだと思います。

大抵の人は、好きな曲を1つや2つは持っています。この曲を聞くと、死んだ母さんを思い出すとか、別れた恋人を思い出すとか、悩んだ若き自分を思い出すとか、つまり何かの体験と結びついていて、曲そのものよりも、その時の記憶を思い浮かべて、感動が湧き上がってくるんですね。でYou raise me upを聞くと感動する人が多い理由の一つだと思いますが、感動する人は、かつて、困難に出会い、誰かのおかげで、それを脱出した体験がある人か、または、困っている誰かを助けた体験がある人で、この歌を聞くと、その時のことを思い出すので感動するんですね。人を元気づけたことが無い人、元気づけてくれた人を持たない人、はraiseとう体験を積まなかったので感動することはありません。

こう考えてくると、物事すべて、いろんな見方をして、いろんな考え方をして、最も重要なのはそれを自分でも体験する、つまり、自分のものにすることが、それを深く味わうポイントではないかと思います。

ということで・・・今日は1月12日ですが・・・2月20日にはベトナム・ハノイを訪れます。6月にはアフリカか、中国か、モンゴルか、スリランカか、キルギスか、などと旅行ばかりを空想しているmhですが、やっぱり、現地に行って空気や人に触れるってことがいかに価値のあることか、再認識した次第です。

最後にYou raise me upと似た歌詞の歌をご紹介すると・・・
Stand By Me-Ben E. King(近くにいてくれ!)
https://www.youtube.com/watch?v=BTCfQ6Bb8QE

で日本にも似た歌が無いか考えたんですが・・・
「そばにいてくれるだけでいい(おまえに フランク永井)」
しかし・・・この歌はちょっと違うような気が。実はここにURLを貼り付けていたんですが、残念ながら消されてしまいました。

どちらかと言うと次の方がぴったしでしょう。
3年B組金八先生主題歌 贈る言葉 海援隊
https://www.youtube.com/watch?v=3SWyQcAIg34
(完)

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チベットの不思議Part 5/5

いよいよ「チベットの不思議:チベットの1年」も最終回となりました。
今回も全文翻訳でご紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
凡そ600年の間、ペル・コール僧院は仏教の修練と瞑想の中心だ。
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しかしチベットはもはや近代化から隔離された存在ではなく、僧院も例外ではない。
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最終回となるこのエピソードでは、3人の僧侶の追跡を通じて、この地での暮らしがどのように変化してきたかを見ていく。

ツルトゥリムは政府の厳格な管理の下での僧院の運営の現実に直面しなければならなかった。
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一人のかなり老齢の僧侶ドンドゥルップDondrupは人生の終わりに近づき、次への準備を始める。
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一番若い僧侶はツェフンTsephunだ。師匠Masterでもあり教師teacherでもある老僧ドンドゥルップとツェフンの関係は、救いようがない所まで落ち込んでしまう。
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ツェフンは最悪の不名誉に直面しようとしていた。
「それが彼が悪いことをした証拠だ。彼は誰かを妊娠させちゃったんじゃあないかって俺は疑ってるよ。」
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A YEAR IN TIBET ; A tale of Three Monksチベットの1年;3人の僧侶の物語
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ペル・コール僧院はチベットで三番目に大きな町ギャンツェGyantseの生活の中心にある。
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50年以上、チベットは中国共産党の厳しい指導の下に置かれている。この期間、僧院での生活は劇的な変化を遂げている。
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僧院長代理はツルトゥリムTsultrimだ。「私は1986年、17歳の時にペル・コール僧院にやってきた。(mh:ってことはこのフィルムの取材時は37,8歳ってことです。) 1996年に僧侶たちで造られている委員会の委員長になった。今は僧院長代理で、総務と経理の責任者だ。」
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経理責任者として彼は帳簿の収支を管理しなければならないし、僧院参拝料や寄付の中から僧たちに手当を支給しなければならない。一番若い僧の月手当は大体20ポンド(4千円≒220元)だ。最長老の一人ドンドゥルップは70ポンド(1万4千円)以上もらっている。70年前に彼が僧侶になった時の手当と比べれば大きな差だ。
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ドンドゥルップ「私の家族は、私が7歳の時に僧院に送り込んだ。以来、師匠に仕えて来た、それだけだった。先輩の僧たちの世話もしなければならなかった。でも12歳までには経典を暗記してしまったんだ。師匠は私が経典の勉強をしていないと私をひどく殴った。」
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70年修行したドンドゥルップは、今はツェフンの師匠だ。彼の仕事は仏陀の教えを彼の若い弟子に教え繋ぐことだ。
ツェフン「俺、いつも僧侶になりたいって望んでた。学校は嫌いだったんだ。いつも学校からは逃げ出していた。」
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ドンドゥルップがいなかったらツェフンは僧院に入れなかっただろう。
ドンドゥルップ「ツェフンは私の親戚の子供だ。見習いとして採用してくれるよう、わしが僧院に申し込んだんだ。それが彼の将来のためになるだろうと思っていた。僧院に入れるには僧院のトップに頼まなきゃぁならなかったんだ。」
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中国政府はチベットにおける僧院の影響力を注視している。僧院を監督する一つの手段は僧侶の数を厳格に制約することだ。ペル・コール僧院には1千5百人の僧侶がいたのだが今は80人以下になっている。僧院長代理のツルトゥリムは大きな儀式や行事を行う必要がある都度、僧侶を集めるのに奔走している。今日、将来を託されるであろう僧侶は全て地方政府の監視対象下にある。この監視は数年かけて行われる。
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3年前にツェフンが見習いとして僧院に入ったのは家族には大きな名誉だった。しかし、よい僧侶になるだろうということを僧院の関係者に証明する必要が残されている、でないと正式な僧侶とは認められないのだ。

ツェフン「師匠、座っていて下さい。私がお茶を持ってきます。」
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ツェフン「師匠は私のおじさんってことになってるけど、本当はそうじゃあない。父さんのおじさんだから大伯父って呼ばなきゃぁいけないんだ。私は彼のために竈(かまど)の灰を取り除いたり、水を運んだりしている。彼は私が入れるバター茶は入れ方がおかしいから下痢になってしまうっていつも怒るんだ。」
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師匠の世話をしていない時、ツェフンは神聖な経典を学ばねばならない。
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ドンドゥルップ「聖典をもう一度読み直して!」
しかし、このティーンエイジャー(ツェフンです)にとって集中するのは簡単ではない。それが後に重大な問題に繋がっていく。
ドンドゥルップ「そんなに急いで読んじゃぁ駄目だ。もっとゆっくり読め。」
ツェフン「はい!」
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ツェフン「俺、経典の内容はよく判らないんだ。師匠は内容についてほとんど教えてくれない。お題目のように唱えているけど、分かってないんだ。」
彼が学ぶべき聖典の数は数百もある。

ツルトゥリム「この棚には大体1千冊ある。多くについては暗記していて何度も繰り返して読んでいる。これらのスートラ(サンスクリット語で書かれた経典)は一冊づつ金粉を使って綺麗に手書きされているので、あまり使いすぎるとボロボロになってしまうから、10年に一度しか使わないんだ。」
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1960年代、文化大革命は中国中を混乱に陥れた。毛沢東の赤軍は暴挙を尽くし、僧院の古くからの経典の多くも損傷を受けた。
ツルトゥリム「これらは我々が修理しながら造った新しいスートラだ。まだ不完全だ。文化大革命の間に破損されてしまったんだ。だからこんな状態で保管されている。途中のページがなくなってしまったものもある。」
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それは中国の誰にとっても大きな痛手の時期だった。

ドンドゥルップ「あの時、全ての僧院は破壊されたんだ。どうすることも出来なかった。革命中は世の中全てが変化していた時代だからね。変革の波を止めるものは何も無かった。私にとって最悪だったのは、刑務所に入れられたことだ、16年間もね。刑務所の台所でずっと働かされていたんだ。勿論、経典を読む時間なんかは与えられなかった。許されていなかった。経典に書かれている言葉を口にすることすらできなかったんだ。」
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ツェフンは文化大革命中のドンドゥルップの体験を理解するには若すぎる。

ドンドゥルップ「私の世代の人はテレビなんて見ることが出来なかった。経を唱えることに集中しなけりゃぁならなかったんだ。昔はどこでも、規則が厳しかった。テレビ、あれはだめだ。だから私はテレビは買わない。ツェフン、もし経を唱えられなけりゃぁ僧として役に立たんぞ。」
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ツェフン「私が経を正確に唱えない時とか映画にいったりすると師匠は叱り飛ばすんだ。」

経を唱えるのは僧侶の日常において最も重要なことだ。
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毎朝、夜明け前に読経は始まる。
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若い僧侶が突然、亡くなった。ツルトゥリムは彼の多くの仕事の一つとして、葬儀の段取りをしなければならない。
ある僧侶「あの笛の音は我々の同僚が亡くなったので明日、集まるよう、僧侶全員に告げるものだ。笛は特別な出来事がある時に僧侶を集めるために使われるんだ。」
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今回行われる鳥葬sky berialはツェフンには初めてのものだ。

葬儀の朝になった。
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鳥葬を担当する責任者masterは遺体を引き取る準備が出来ていた。
鳥葬責任者「死者の魂は既に遺体を去っている。チベット人なら遺体は埋めたり焼いたりしない。徳meritを積み上げるためにハゲワシに与えるんだ。徳を積み重ねること、それが全てなんだ。」
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この瞬間が死と再生death and rebirthの間の注意が必要な時だ。仏教徒は死者の魂が再び生まれるまで7週間必要だと信じている。
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死者の親戚のものは葬儀の実態を撮影しないように我々取材班に頼んできた。彼等は死んだ僧の魂が撮影の様子に興味を持って来世への旅立ちを遅らせるのではないかと恐れているのだ。

鳥葬責任者「俺たちは仕事をしている最中も話したり笑ったりしあっている。楽しくやっているほうが死者が旅立ちやすくなるんだ。」
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家族は誰も葬儀には参加しない。彼らが嘆くことで魂が呼び戻され、来世への死者の旅立ちは遅れてしまうのだ。
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鳥葬責任者の遺体解体の手際は熟練したものだった。
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鳥葬責任者「もし俺たちがきちんと仕事をしないと、ハゲタカたちは食べ残す。そうならないようひき肉団子みたいに、ミンチにするんだ。最初にあばら骨や軟骨を与える、食べづらいからね。次は内臓。そして最後に肉だ、ハゲタカにとって一番の御馳走の部分だ。御馳走を食べ終わったら直ぐに飛び去って行く。」
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初冬、チベットでは巡礼の時期だ。
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ドンドゥルップは人生の終りに近づいている。しかし巡礼をする体力が残っている限り、徳を積み上げるために訪れたい場所はいくつもある。彼はツェフンが僧としての資格を得るには一皮むけなければいけないことも知っていた。そこで2人は一緒に巡礼に出ることにした。しかし、その前に、2人とも体裁を整えておかねばならない。
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ドンドゥルップ「私が言った所の髪を剃れ。注意してな。もっとさっと剃れ!」

ツルトゥリム「ツェフンは好く師匠のために働いたり面倒みたりしている。他の僧侶とも仲良くやっている。時々、町の喫茶店に仲間と行くようだ、少し変わりつつある。でも、ただ店に時々行くだけで、悪いことはしてはいない。」
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ドンドゥルップ「まずお前の髪の毛を洗え。」
ツェフン「だめだ、水が熱くなりすぎてるよ。」
ドンドゥルップ「いいから言ったとおりにしろ!」
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ツェフン「熱すぎるよ!」
ドンドゥルップ「いいから、早くお前の髪を洗え。早く!」
ツェフン「熱いよ。」
ドンドゥルップ「お前は嘘つきだ。髪の毛を剃るって言ったのに、まだ剃ってない!」
ドンドゥルップ「石鹸を付け過ぎだ。もう付けるな!こっちへ来い。」
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仏教徒の僧侶や尼僧は物質世界material worldを放棄した証として髪を剃らねばならない。
ドンドゥルップ「痛いか?新品のカミソリの刃を使ってるぞ。動くな、じっとしてろ。」
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彼等は有名な僧院に向けて出発する。しかしツェフンにとって今回の旅には別の目的もある。
ツェフン(カメラマンに)「ラサにも行くのかな?町に出ていくと、師匠はいつも私に嫌味を言うんだよ。この靴、10元(180円)したんだ。師匠がずっと前に買ってくれた。でも女物なんだ。」
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「叔父さん、待ってよ。」
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ラサに行く前にドンドゥルップはチベットでも最も古くて最も重要な僧院の一つに巡礼に行くことにした。
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ガンデン僧院だ。600年前に建てられた。
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文化大革命では6千の僧院が破壊行為を受けていた。この寺院もその一つだが、完全に破壊し尽くされしまった。しかし、現在は、ほとんどの建物は復旧されている。

ドンドゥルップ「見てみろ、ガンデン僧院の荘厳さを!修行の中心ともいえる立派な僧院なんだぞ。ここを訪れるのは楽じゃぁない。感謝して経典の学習に打込めよ。」
ツェフン「ラサから歩いてとどのくらいかかったの?」
ドンドゥルップ「3日だった。」
ツェフン「3日も?」
ドンドゥルップ「そうだ、3日間、ずっと歩くんだ。」
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ドンドゥルップ「経典をしっかり勉強して優れた、いい僧侶になれよ。」

ドンドゥルップ「初めて来たのは僧院が破壊される前だ。以降、何回か来ている。今回は革命後、初めてだ。」
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ガンデンの貴重な仏像や絵画の多くは文化大革命の間に失われてしまった。
ツェフン「ギャンツェと比べたら新しい仏像や建物がとても沢山ある!」
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ガンデンはチベットの3大修行僧院の一つだ。現在のダライ・ラマは国外に逃げ出す1年前の1958年、ここから旅立った。最盛時、ここには6千人を超える僧侶がいて修行していたが、今は数百人しかいない。
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次の目的地はラサ拉薩だ。ツェフンには初めて訪れるチベットの首都だ。町は彼に強い影響を与えることになる。
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ドンドゥルップ「もうこの巡礼を続けるには年を取り過ぎた。もう直ぐお迎えが来る。最近は私も穏やかに暮らせるようになったのでこの巡礼ができたけれど、もう最後かも知れないなぁ。」
ツェフン「何処を見ても巡礼者ばかりだ。大勢がお祈りしている。」
ドンドゥルップ「当然だよ。」
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ジョーカンJokhang寺院は仏教がこの地に伝わってきた7世紀からラサの中心地にある。今日、チベットにおける最も重要で神聖な巡礼地の一つだ。
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ツェフン「ジョーカン寺院やほかの尊いお寺にこれたのはすごくよかった。師匠と巡礼するのはとても楽しいよ。」
ドンドゥルップ「きちんとお祈りしろよ、お前。」


ツェフン「私は師匠が行くところならどこでも行く。それにバルコルBarkor通りにも行ってお菓子なんかを沢山買った。」
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ラサは若い駆け出しの僧侶にこれからもずっと続くだろう影響を与えたようだ。しかし、ドンドゥルップはツェフンをラサに連れていったことを、以後ずっと後悔することになる。
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ギャンツェ・・・
年末が近くなりツェフンは晴れがましい旅からいつもの生活に戻っていた。
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僧侶たちはチベットの新年ロゥサLosarの準備をしている。ツェフンも手伝ったりしているようだ。
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しかし、巡礼から戻って以降、師匠と彼の若い弟子の関係は悪くなった。
ツェフン「彼はいつも俺のこと、文句を言うんだ。俺が捧げものを整理している時もずっと言い続けてる。朝から晩まで俺のこと、ぶつぶつ怒ってる。ちょっと威張り過ぎだよ。」
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僧侶たちはトーマtormaを造り始めている。バターなどで造った花の絵などが描かれた飾りで新年を祝うものだ。ツルトゥリムは例年通り責任者になって飾り付けを指揮している。
ツルトゥリム「この寺ではいつも1千キャティCatty(500Kg)のバターを使う。水は使わない、バターだけだ。」
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ツルトゥリムはラサから戻ってからのツェフンの行動に心配し始めていた。
ツルトゥリム「ツェフンはいつも外出している。僧侶の数が少なくて困っているけれど、我々には僧侶を採用する権利はない。でも行いが悪い僧侶には僧院を出ていくよう伝える。ツェフンはきちんとやるし修行も一生懸命やると約束してくれた。」
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新年が近づいてきた。ツェフンは久しぶりに家に帰ることになった。ギャンツェから少し離れた村の大きな農家だ。しかし、師匠からは簡単に逃げることは出来ない。
(mh:師匠もツェフンと一緒にツェフンの家に来てるのです!)

ツェフン「氷が割れ始めている。注意しろよ。倒すなよ。引っ張るのをちょっとやめて!待って、待って。氷が割れちゃう!」
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ツェフン「これ、おれの弟のダワ・ツェリンQawa Tsering。」
ツェフン「どいて!ぶつかっちゃうよ!」
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ツェフン「これが俺の母さん。干支は蛇だ。」
母「私?大体42歳よ。」
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この地方の多くの女性たちと同じように、ツェフンの母も3人兄弟と結婚している。3人の誰もがツェフンの本当の父親の可能性がある。
ツェフン「俺には2人のおじさんと1人の父さんがいる。これはおじさん。父さんみたいな人なんだ。」
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「これはおばさん。父さんの女の兄妹。おばさんは家事をする。」
おば「これ、撮影しちゃぁ駄目よ!汚れてるから。」
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おじ「ツェフン、火に少し薪(まき)を焼(く)べて!」

ツェフンの父親はペル・コール僧院からドンドゥルップと他の僧侶何人かを家に連れてきていた。
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父「僧侶たちがお祈りしてくれれば悪霊や不幸が逃げていくんじゃぁないかと思う。それにチベットの慣習なんだよ。毎年1回は僧侶たちに来てもらっている。」
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mh:間違いなく、貴方はツェフンの生物学的な父親だと思います、とても似てますよ。でも、兄弟なら誰も似ているだろうから・・・

余裕のあるチベット人なら仏陀を祝福するために年一回は僧侶を家に招待している。僧侶にとっても普段の修行と異なる何かを得たり、御馳走にあずかれる好機でもある。
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おじ「ツェフン、もう少しミルクをもってこい。」
ツェフン「わかった。」
おじ「少しミルクを注げ。」
ツェフン「わかった。少し多すぎたかなぁ。」
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父「俺たちはみんなツェフンが良い僧侶になって僧院のために好いことをしてくれるのを望んでいる。それで私のおじさんに師匠になってくれるように頼んだんだ。」
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「叔父さんも年を取ってきたから、TVのような新しいものについては古臭い考え方をしている。その一方でツェフンは近代的になってるんだ。私はツェフンの今の姿にとても満足しているし自慢に思っているよ。」
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mh:前のブログでも登場していますが、やっぱ、いい父さんです!

新年は終わった。ドンドゥルップはもう一回、最後となる巡礼をしたいと考えている。かねがね行きたいと思っていた場所だ。
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ドンドゥルップ「これから行く湖はチベットでも最も神聖な4つの場所の一つだ。そこでお祈りをするんだ。これまで一度も行ったことはない。」
ツェフン「俺、車の中じゃぁ眠れないよ。運転手さん、なにか車酔いの薬もってる?」
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ツルトゥリムは彼の兄に会うためにラサのポタラ宮に来ていた。
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ツルトゥリム「我々の祖先はこの寺を造るために一生懸命働いた。今、我々には近代技術があるけれど、祖先達の薬に相当するものはないだろう。今ならセメントを使うけど、この寺は土と木だけで建てられたんだ。建物の中も外も美しい。」
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ツルトゥリムの兄ゲサンGesangはポタラ宮で警護を担当する上級僧侶だ。建物は文化大革命時、破壊行為で惨めな状態だった。ここにある無傷の数千の貴重な像やタペストリーは難を逃れた。
a1173.pngゲサン「これはお釈迦様。金塊で造られている。隣はダライ・ラマ5世。これも金塊だ。」
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「この図はダライ・ラマ5世が建てた寺院を訪れている様子だ。」
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ナムツォ湖Lake Namtsoはチベットで最も神聖な場所の一つだ。大体、海抜5千mにあり、世界で最も高地にある塩水湖だ。
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これがツェフンにとって僧侶になる意志を師匠に示す最後の機会になる。
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ドンドゥルップ「見てみろ。湖は四方を山で囲まれている。とても綺麗な湖だよ。」
ドンドゥルップはダルマDharma(注)について何かをつかんでほしいと思っていた。
Wikiダルマ:仏教における法で、「秩序」「掟」「法則」「慣習」など

それは単に仏教の経典を学び訓練を積むといった以上のものだ。存在の基本法則の深淵を理解することだ。ツェフンのようなティーンエイジャーに簡単に説明して教えられるようなものではない。

ツェフン「俺たちは聖なる湖に祈りを捧げるためにやってきた。聖なる湖に来た?他の場所と変わらない感じがしているよ。」
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ドンドゥルップ「ツェフン、急いで戻ってこい。」
ツェフン「多分ここの方が面白いかな、セラSeraとかドレプンDrepungの僧院に行くと、2日目には飽きちゃう。でも、そことここは同じくらい面白のかも。」

ドンドゥルップ「ここにいると祝福される。特別な場所だ。周りの山々には霊力がある。」
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ドンドゥルップ「この世は4つの要素で成っている。土、水、火、空気だ。我々はこれらを調和させてバランスを取るためにルンタlungtaの祈りを捧げる。もしダルマが正しく行われれば悟りに到ることが出来る。つまり、それが悟りへの道だということだ。」
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ツェフンはギャンツェの僧院に戻って春の大掃除に参加している。
上級生「あとはお前がやれ。」
ツェフン「はい」
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湖への巡礼は大成功とは言えなかったようだ。
ドンドゥルップ「ツェフンへの期待は消え失せてしまったよ。」
ツェフン「おぉ、痛っ。」
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ドンドゥルップ「ツェフンの名前は僧院の僧侶の名簿にはない。まだ登録されていないんだ。あいつを僧院から追い出したって何も問題ないんだ。」
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ドンドゥルップは厳しかった。彼はツェフンの部屋である悪事の証拠を見つけ、ツェフンの父親に僧院に来るように伝えた。これでツェフンの見習い修行は打ち切られることになるかも知れない。
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ドンドゥルップ「おぅ、やって来たな。」
ツェフンの父「はい、おじさん。」
ドンドゥルップ「言いたい事があれば何でも言え。」
ツェフンの父「おじさん、まずは座ってください。」
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ドンドゥルップ「撮影隊が来る以前、ツェフンには経を沢山上げるように指導していた。彼は沢山の仏教儀式にも参加した。だから沢山の経を上げることが出来るようになった。で、最近、撮影隊も一緒にラサに行ったんだ。そこで色々な刺激が町に溢れているのを見た。最近は、夜にはテレビを見るようにもなった。番組はみんな男と女の薄汚い関係しか流していない。ツェフンは今はとても反抗的だ。」
父「申し訳ありません。ツェフンは師匠の言う通りに行動しなければいけないと私も思います。」
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ツェフン「ちょと外に行ってくるよ。」
父「師匠のとこに行って、許可を貰えよ。」
ツェフン「外へ行ってくる!」
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ドンドゥルップ「ラサから帰って以来、ツェフンは外に行って遊んでばかりいる。僧院にいることははほどんどない。経を読むつもりもない。わしは何度も注意しているが、彼はいつも町へ出かけてたむろしている。朝のお茶を飲む時間すら持ってないんだ。」
父「申し訳ありません。」
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ドンドゥルップ「ここでお茶も食事もしない。なぜならポケットに一杯、金を持ってるからだ。それは寄付金の一部で僧院から支給されたものだ。時々、わしにも少しくれるが、残りは一銭もくれない。」
父「ツェフン、本当か?」
ドンドゥルップ「見せたいものがある。ツェフンはこのズボンを履いてるんだ。」
ツェフン「それ、借りたものだ。」
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ドンドゥルップ「ツェフンは夜外出する時、このズボンを履いていく。まだある。女の子用のヘアブラシだ。ヘア・クリップもいくつか買ったみたいだ。ニビアンNibianって呼ばれる誰かがいるみたいだ。ツェフン、それを返せ!見てみろ、あいつを。 それに、ツェフンはこれをお祈りの場所にも持ってった。これらみんなだ!」
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父「どうしてなんだ?」
ツェフン「ロテンLotenも持ってるんだ。彼と一緒に買ったんだよ。」
父「ツェフン。お前の師匠は、お前が使わないとしたら何故買ったのかって聞いてるんだよ。」
ドンドゥルップ「もしツェフンが師匠が代らないと駄目だとか、この修行部屋とは違う部屋に行きたいとか言ったら、蹴り出してやるつもりだ。わしは責任を取りたくない。ほら、出て行っちゃっただろ。」
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ドンドゥルップ「自分が犯した悪事を聞きたくないからだ。ツェフンがよく通っている喫茶店にニビアンっていう女の子がいるのは間違いない。」

厳しい時はツェフンはいつもうどん店に引きこもる。
ツェフン「時々、おれ、ここにくる、一人で、時には友達と一緒に。食べたりお茶を飲んだりするんだ。ほぼ毎日かな?」
女の子「一日中じゃぁないでしょ。夕方の3,4時間だけよね。」
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ツェフン「食事が済むと帰るんだ。」

ツェフンの父親は息子の将来について沢山の心配事を持っていた。
父親「師匠は怒っている。ツェフンは明らかに変わったと思う。」
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「彼はまだ若くて繊細だ。親なら子供達が幸せでいてほしいと気を配るのが当然だ。子供は世の中と一緒に変化しているんだ、だからといって今の僧侶のほとんどが彼のようかどうかは知らないけれど。」

ツェフン「おー、ノー!あんた俺の弾丸2個使っちゃったよ!今度は俺にやらせて!」
女の子「これを振るんでしょ?」
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ツェフンの父は正しい。時は変化している。若い僧の行動はツルトゥリムの悩みの種だ。そうは言っても、仏陀の誕生祭には僧院にわずかに残る僧全員を動員して対処しなければならない。
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ツルトゥリム「これはチャム踊りCham Danceに参加する人達と曼荼羅を造る人達のリストだ。聖なる月“サガ・ダワSaga Dawa”の第1日目から第18日目の間、活動に参加する僧たちにこれを見て役割を確認してもらうんだ。」
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僧侶たちが、誕生祭の中心的な出し物の曼荼羅を造っている。
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曼荼羅は、瞑想している間、僧侶たちが仏陀の教えに意識を集中できるよう手助けし、神々の祝福を引き出すものだ。レイアウトは幾何学的に正確でなければならない。
ツェフン「これが回転中心線だ。よし、内側に線を引け、そうだ!」
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僧「ここに緑を?」
ツェフン「緑は白の後だ。」
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外側の円の線上には現世で苦悩している人間のイメージが描かれる。
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模様は見る人の心を徐々に曼荼羅の中心に引き付けていく。中心では僧侶たちが「虚空empty」つまり精神的な悟りへの道の始点、の意味を瞑想している。
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ツェフンの部屋で少女のヘアピンが見つかった事件はドンドゥルップにとっては最後の決め手となった。
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ドンドゥルップ「わしはもう彼の面倒は見ない。家族には彼を家に連れ戻すよう伝えた。ツェフンがいるとイライラする。」
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「もう私の前から消えてほしい。それしかない。」
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僧侶たちはこれから仏陀の誕生祭の儀式チャン・ダンスを始めようとしている。
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ツルトゥリム「そろそろ大勢の参拝者がくるから、早く段取り通りの終わらせておかねばならない。」
しかしツルトゥリムは僧侶の数が少な過ぎるという問題を抱えていた。おかげでツェフンは現時点では追放の危機からは逃れている。
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ドンドゥルップ「チャム・ダンスだけがツェフンを僧院に残している理由だ。わしは彼をしつけ、金は預かっておこうとしてきた。しかし、もう駄目だ。この祭りが終わったら彼を僧院から追い出すつもりだ。僧院には彼のような不良はいない。彼が最悪だ。」
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ツルトゥリム「ツェフンはまだ子供だ。だから時々外出している。私を見ると走って逃げていく。今の彼の行動を見る限り、悪い僧侶になるとは思わない。彼が師匠の世話をきちんとしていないことや時々は一晩中、僧院の外で過ごしているのは知っている。私はいつも彼の行動に注目していくつもりだ。」
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チャム・ダンスは数日間、毎日行われる。昔から行われている、菩薩たちから慈悲を引き出すための踊りだ。
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ギャンツェの人々にとって大きな年中行事になっている。日々の忙しさから離れて一息いれる時でもある。
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僧侶への感謝と僧院への畏敬の念を示すチャンスでもある。
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ツルトゥリム「ダンスはとても好かった。2,3日しか練習できなかったけれど、みんな上手に踊ってくれた。」

そろそろ釈迦の誕生日の前日サガ・ダワSaga Dawaの終わりが近づいている。
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3つの曼荼羅を造るために40人の僧侶と5日が必要だった。それを一瞬で壊してしまうのは束の間の生命への誠意を思い起こさせるためだ。
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ツェフン「壊すのは残念だけど、また来年も作るんだからいいんだ。」
「終わった!明日は寝るぞ。次の日も、その次の日も。」

5月の終わりになった。チベット暦で第4月の満月の前夜。
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聖なる月サガ・ダワのクライマックスの時だ。ツルトゥリムにとっては一カ月続いた忙しい仕事も、もう直ぐ終わる。
ツルトゥリム「第17日はタンカthangkaを倉庫から運び出す日だ。講堂を通らなきゃぁならないからタンカは適当な長さに巻き上げとかなきゃぁならない。第18日の夜明けには飾らなきゃぁいけないからね。」
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ツルトゥリムには最後の仕事が残っていたのだ。ペル・コール僧院のタンカを吊るす仕事だ。それは1トン以上もある二つとないタペストリーだ。村人たちが手伝いにきていた。丘の上にある僧院の壁の直ぐ下まで斜面を運び上げねばならない。
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タペストリーはテニスコート4面の広さがある。
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夜明けまで1時間になった。ギャンツェの人々はすでにやってきて祈りを捧げている。
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これは仏陀が生まれた日、仏陀が悟りを開いた日、仏陀が亡くなった(入滅)の日を敬う三重の祝いだ。
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積み重ねる一つ一つの徳meritと巡礼の一歩一歩は仏陀の誕生日には10万倍になると言われている。
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釈迦の教えを学び、巡礼を繰り返して、信者は来世に旅立つ前に更なる徳を獲得していくのだ。
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ツルトゥリムはサガ・ダワの準備で一生懸命働いた。しかし、結果には失望している。
ツルトゥリム「今日、参拝に来た人はとても少なかった。いつも1万人以上だが今日はかなり少ない。」
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学生や政府関係の仕事をしている人は宗教的な集会に出ることが許されていない。だから今日も人数が少なかったのだ。
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それは中国政府がチベット人を密かに操作し管理する方法の一つだ。中国による統治から50年以上が経過した今、多くのことが昔よりも改善されてきた。以前よりも金持ちで、健康で、良い教育も受けている。しかし、彼等は以前より幸せだと言えるのだろうか?


中国の他の場所と同じように、チベットの人々は自分たちの生活の一部始終を管理する政府について、別の選択肢は与えられていない。それにも拘らず、多くのチベット人が心の深い処に仕舞い込んでいる伝統や信仰に従って生きる道を求めることを政府は止めることが出来ていない。
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しかし・・・世の中の変化は速い。ツェフンについても事態は素早く変っている。
ツェフン「俺、別の師匠にしてほしいんだ。とても腹が立っている。今の師匠は俺がいつも外で遊んでばかりいて僧院でお経を勉強してないって言うんだ。彼は俺のこと、とても怒っていて俺をロサン・ラLosang Laの所に送るって話した。」
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ツェフンとドンドゥルップは師弟関係を解消した。しかし僧院は僧侶の数がとても不足しているのでツェフンを抱えておき、新しい師匠としてロサン・ラを当てることにした。
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多くの点でドンドゥルップとツェフンの間の緊張はチベット全体で起きている変化を反映したものだろう。ドンドゥルップは決して近代の社会に合わせることはしない。従ってその習慣を受け入れることはない。ツェフンは新しいチベット人だ。
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チベットは21世紀を急速に取り込んで変化し始めている。これからはツェフンとドンドゥルップは異なる道を歩んでいくのだ。チベットの他の場所でも起きているように、彼等の間の溝も深まっていくばかりだろう。
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BBC Documentary A Year In Tibet ; A Tale of Three Monks
https://www.youtube.com/watch?v=-iv4FDY58T4

これをもってBBC “ A Year in Tibet”のPart1からPart5までのシリーズの大団円です!!!
最後まで見て頂いた皆さん、お疲れ様です。ありがとうございました。

撮影は2006~2007年ですから9年程前でツェフンも今(2016年1月14日)は25歳です!彼はまだ僧院に残っているのでしょうか?ツルトゥリムは僧院長代理で頑張っているのでしょうか?ギャンツェGyantseのペル・コール僧院を訪れ、彼等の消息を知りたいとの気持ちが強くなりました。もし、それが実現したら、必ずや皆様にも結果をご報告させて頂きましょう。

BBCドキュメンタリー「A Year In Tibet」をブログ化し終えた今、これで終わってしまうのは何故か寂(さみ)しい気がしています。そうは言っても、お釈迦様が仰るように、万物は生じた以上、消滅するのが真理というものです。最後にもう一度、懐かしい人物に登場いただいて、このシリーズの大団円とさせて頂きます。

タンマイTangmai村の祈祷師:ツェデンTseden
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ツェデンの兄:ドンダンDondan
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2人の妻:ヤンドゥロンYangdron
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ギャンツェのホテル・オーナー:ジェンザンJianzang
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タンマイTangmai村の共産党員:ブートゥリーButri
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カーマーイKarmai村の医師:ラームーLhamo
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ギャンツェの人力車手:ラクパLhakpa、その恋人:ダドンDadon
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ラクパの甥オザOzerの母:ヤンチェンYangchen
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実家のトラクターを運転する若き見習い僧:ツェフンTsephun
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ツェフンの父
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ペル・コール僧院長:チョエフェルChoephel
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僧院長代理:ツルトゥリムTsultrim
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ギャンツェGyantseのペル・コール僧院と参道(Google Earth)
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(A Year In Tibet大団円)

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