Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

mh徒然草86:女子ゴルファーに寄付をする国会議員

IT(Information Technology情報技術)という言葉は今では知らぬ人がいないのではないかと思いますが、FTという言葉も流行り出していると、数日前のTV番組で紹介していました。Finance TechnologyのFとTから造られた造語で、金融技術とか資金技術とか財テクとかを指すようです。その意味する処は、お金とコンピューター/インターネットを組み合わせた分野で、国会にはFTを活性化する検討委員会があるとのこと。

つまり、国を挙げてマネーゲームを加速しようっていうことだな?ってひねくれた性格のmhは理解します。というのは、個人やグループがネットで寄付を集めるシステムも可能にする話が出ていたのですが、ゲスト出演していた国会議員は、プロゴルファーを目指す若い女性がアメリカ・ツアーで腕を上げたいと考えていたので寄付をした、と自慢げに語っているのを見たからです。若い人の夢を追う姿を見て応援したっていう美談と言いたのだと思いますが、mhにはそうは取れませんでした。

その番組は、熊本地震が起きた数日後、大勢の人が棲む家を失う悲劇にあっていた時期のライブ番組ですから、寄付をするなら被災者にってムードの時に、私はゴルファーの夢の実現に“寄付”をしたというのは違和感があって、国会議員なら、身内に被災者がない地震よりも若い女性のゴルファーを支援することの方が関心があるってことでしょう。

こんな考えの人が多い国会に、被災した時の支援をすがっても、大きな期待は持てません。国会議員は、困った人を助けることより、お金持ちが財テクする自由度を一生懸命検討しているようです。それはとりもなおさず、自分の資産をもっと効率よく増やせる社会を創りたいということで、結局は自分のことしか関心がないという証でしょう。

震災で閉鎖していた熊本空港が再開すると直ぐ、援助物資を抱えて羽田で飛行機に乗り込もうとする若者がTVニュースで紹介されていました。この若者はどんな環境で育ったのか?実家が被災地の近くにあるのか?身内を震災で亡くした体験があるのか?いずれにしても、日本はまだ捨てたものではないな、と思わされる出来事でした。こんな発想の国会議員が増えてくれれば、金持ちがさらに金持ちになる社会ではなく、老後の生活や社会福祉が充実した社会を目指す方向に国政の舵を切ることができるのですが、それを国会に期待するのは無理筋でしょう。となると、つまるところ、自分のことは自分で考えるしかなく、結局、万一に備えて財テクに汗水たらすという悪循環から抜け出せず、いつまでも心が落ち着くことはなく、一生を終えることになるのかと思うと、早めに反省して、心が落ち着く方向に方針転換すべきだな、と改めて思わされました。

Greensleeves - Celtic Ladies
https://www.youtube.com/watch?v=kdjYlrvVFNo
(完)

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The Buddha Part1(仏陀;パート1)

仏陀や仏陀の教えをみなさんにご紹介したいと考えていて、どうしたら上手く伝えられるか、考えあぐねていたのですが、結局、仏陀の生涯とその教えを紹介するYoutubeフィルムを、英文とmhの怪しげな翻訳を併記してもれなくご紹介させて頂くことにしました!

英語の勉強も兼ねて楽しんで頂くと共に、仏陀とは?彼の教えとは?仏教とは?についてフィルムに登場する研究者、詩人、作家などの考え、解釈をお聴きください。フィルムは1時間50分ですが、1部、2部に分かれていますので、ブログも2回に分けてお送りします。
英文はmhのミスタイプがなければ、フィルムで語られた英語そのものです!それは間違いありません!

で~翻訳は・・・mhが辞書片手に行いましたが・・・何分、大雑把な性格のmhが成せる業(わざ)ですから、意訳、誤訳があることを事前にご承知おき下さい。翻訳は原文の意図を出来るだけ正しく伝えたいと考え、可能な限り直訳形式としました。

Google Earthで見つけたブッダガヤのマハボディ寺院にある菩提樹Bodhi treeです。
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この木の下に座り瞑想したシッダールタは悟り、つまり「覚醒」を得て仏陀となりました。

今も、多くの巡礼者が木の周りで祈りを捧げています。Youtubeで流れていた読経のような響きは・・・仏陀の時代に使われていたパーリー語だと思うのですが・・・仏教集団「サンガ(僧伽)」に加わる儀式で、出家者が師匠に合わせて何度か復唱するものです。

Buddham saranam gacchamiブッダン・サラナム・ガッチャーミ
我は仏陀に救いを求める。
Dhammam saranam gacchamiダーマン・サラナム・ガッチャーミ
我は真理(ダルマ;教え)に救いを求める。
Sangham saranam gacchamiサンガン・サラナム・ガッチャーミ
我はサンガ(仏教修行集団)に救いを求める。

それではフィルム「The Buddha」をご紹介しましょう。
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He lived in India 2,500 years ago.
彼は今から2,500年前にインドで生きていた。
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Echoes of his words still remain.
彼の言葉の響きは今も残っている。
The Buddha: the Indian sage whose story inspired one of the world’s great religions: Buddhism, the fourth largest religion in the world.
仏陀:インドの聖人、彼の物語は世界の偉大な宗教の一つを動かした;仏教、世界で四番目に大きな宗教だ。

He was the son of a king, a pampered prince who abandoned a life of pleasure to seek ‘Enlightenment’.
彼は王の息子だった、甘やかされた王子で、快楽の生活を捨て、覚醒(mh悟り)を求めた。

Even Buddha himself, in order to get final enlightenment, needed hard work.
仏陀でさえ、最終の覚醒を得るためには苦労を必要とした。

It was an arduous spiritual journey.
それは苦しい精神的な道のりだった。

He was eating one grain of rice per day.
彼は一日に一粒のコメを食べていた。
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He was standing on one foot, he was sleeping on nails.
彼は片足で立っていた、彼は爪の上に立ち(つま先立ちして)眠った。

Meditating under the Bodhi tree, he attained ‘The Supreme Wisdom’.
菩提樹の下で瞑想していて、彼は‘究極の知恵’を獲得した。

There is no knowledge won without sacrifice.
犠牲なくして得られる知識はない。
In order to gain anything, you must first lose everything.
何かを得るためには、まず全てを失わねばならない。

Next, the Buddha.
今から仏陀の話をしよう。
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2,500 years ago, nestled in a fertile valley along the border between India and Nepal, a child was born who was to become ‘the Buddha’.
今から2,500年前、インドとネパールの間の国境に沿った肥沃な谷間に寄り添った所で、一人の子供が生まれた、仏陀となるべき子だ。
The stories say that before his birth, his mother, the queen of a small Indian kingdom, had a dream.
言い伝えによれば彼の誕生の前、彼の母、インドの小さな王国の王妃、は夢を見た。
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A beautiful white elephant offered the queen a lotus flower and then entered the side of her body.
一匹の美しい白い象が王妃に蓮の花を差し出し、そして彼女の脇腹に入った。
When sages were asked to interpret the dream, they predicted the queen would give birth to a son destined to become either a great ruler or a holy man.
聖人たちがその夢を解読するように頼まれると、彼等は預言した;王妃は息子を産むだろう、偉大な統治者か神聖な人になるよう運命づけられた子を。
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One day, they said, he would either conquer the world or become an ‘Enlightened Being’, the Buddha.
ある日、彼等は言った、彼は世界を征服するかもしれないし、覚醒した者、つまり仏陀になるかも知れない。

Jane Hirshfield: Poet ジェーン・ハーシュフィールド:詩人
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People like stories.
人々は物語が好きだ。
It is one of the ways we learn.
それは我々が学ぶ手法の一つだ。
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The story of the Buddha’s life is an archetypal journey.
仏陀の生涯の物語は言わば典型的な旅だ。
But it is a means to an end. It is not an end.
しかし、それは最終への手段だ。それが最終ではない。

Within ten months, as a tree lowered a branch to support her, a baby boy was born, emerging from her side.
10ヶ月すると、一本の樹が枝を下げて彼女を支え、赤ん坊の男の子が生まれた、彼女の脇から現れて。
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Seven days later, the queen died.
それから7日後、王妃は死んだ。
“The world is filled with pain and sorrow.”, the Buddha would one day teach.
“世界は苦痛と悲しみで満ちている”とある日、仏陀は教えたらしい。
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“But I have found a serenity,” he told his followers, “that you can find too.”
“しかし、私は安らぎを見つけた”と彼は彼の従者たちに語った、“それはあなたたちも見つけることが出来る。”
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W. S. Merwin: Poet マーウィン:詩人
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Everybody understands suffering.
誰でも苦悩を理解している。
It is something that we all share with everybody else.
それは他の誰とも共有できる何かだ。
It’s at once utterly intimate and utterly shared.
それは直ちに、完璧に分かり合えるし完璧に共有できる。
So Buddha says, “That’s a place to begin. That’s where we begin.”
だから仏陀は言った“そこが物事の始まる所だ。そこが我々が始める所だ。”

No matter what your circumstance, you will end up losing everything you love.
あなたの境遇と関係なく、あなたはあなたが愛する全てを失ってしまうだろう。
You will end up aging.
あなたは年老いてしまうだろう。
You will end up ill.
あなたは病になってしまうだろう。
And the problem is that we need to figure out how to make that all be all right.
問題は、これらを適切に形作ることが我々に必要だということだ。
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Mark Epstein: Psychiatrist/Author精神科医・作家マーク・エプステイン
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What he actually said was that life is blissful.
彼が実際に言ったのは、人生は幸福に満ちているということだ。
There’s joy everywhere, only we’re closed off to it.
喜びはどこにでもある、われわれがそれから遠ざけられているだけだ。
His teachings were actually about opening up the joyful or blissful nature of reality, but the bliss and the joy is in the transitoriness.
彼の教えは実際の所、喜びや至福に溢れた現実というものを目前に広げて見せてくれるものだが、至福や喜びは一時的な世界の中にある。
“Do you see this glass?
あなたはこのガラス(コップ)が見えますか?
I love this glass.
私はこのガラスが大好きです。
It holds the water admirably.
水を見事に湛えている。
When I tap it, it has a lovely ring.
私がそれを叩くと愛らしい音を立てる。
When the sun shines on it, it reflects the light beautifully.
日の光がそれに当たれば、光を美しく反射する。
But when the wind blows and the glass falls off the shelf and breaks or if my elbow hits it and it falls to the ground, I say, ‘of course.’
しかし、風が吹いて、ガラスが棚から落ちて割れたり、もし私の肘(ひじ)が当たって地面に落ちたりしたら、私は言う、‘当然だよね’と。 
But when I know that the glass is already broken, every minute with it is precious.”
しかしガラスが既に割れてしまったと気付いた時は、ガラスが在ったあらゆる瞬間は貴重だ。“

His Holiness The Dalai Lama聖人ダライ・ラマ
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Everybody, every human being wants happiness and Buddha, he acts like teacher.
誰も、どんな人でも幸せを望む、そして仏陀、彼は教師の役割を果たす。
You are your own master.
あなたはあなたの指導者だ。
Future, everything depends on your own shoulder.
未来は、全てはあなたの肩にかかっている。
Buddha’s responsibility is just to show the path, that’s all.
仏陀の責任はその道を教えることだ、ただそれだけだ。

The Buddha can shine out from the eyes of anybody.
仏陀は誰の目からも輝いている。
Inside the buffeting of an ordinary human life, at any moment, what the Buddha found, we can find.
(しかし)普通の人間の生涯のようなものの中といえども、どんな瞬間でも、仏陀が見つけたものを、私たちは見つけることが出来る。

THE BUDDHA仏陀
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Narrated by Richard Gere with Blair Brown
映画俳優リチャード・ギアのナレーションです!
Written and Directed by David Grubin
脚本と監督デービッド・グルービン
Buddham saranam gacchami
ブッダン・サラナム・ガッチャーミ
我は仏陀に救いを求める。
Dhammam saranam gacchami
ダンマン・サラナム・ガッチャーミ
我は真理(ダルマ;教え)に救いを求める。
Sangham saranam gacchami
サンガン・サラナム・ガッチャーミ
我はサンガ(仏教集団)に救いを求める。
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In southern Nepal, at the foot of the Himalayas, is one of the world’s holiest places, Lumbini; where, according to the sacred tales, the Buddha was born.
南部ネパールのヒマラヤ山脈の麓に、世界で最も神聖な場所の一つ、ルンビニがある;尊い話によれば仏陀が生まれた所だ。
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Today, Buddhist pilgrims from all over the world make their way here to be in the presence of the sage whose life story is inseparable from centuries of anecdotes and legends.
今日、世界中からの仏教巡礼者が聖人の存在の中に自分も存在したいと希望してここまでやってくる、彼の生涯の物語は何世紀も引き継がれた逸話や神話から切り離すことは出来ない。
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D. Max Moerman; Barnard College
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There are countless stories of the Buddha.
数えきれないほどの仏陀の物語がある。
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Each tradition, each culture, each time period has their own stories.
各々の伝統、各々の文化、各々の時代はそれぞれの物語をもっている。
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We have lots of visual narratives and artwork from all over Buddhist Asia.
我々は多くの見える物語や芸術作品を仏教徒の多いアジアから持っている。
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But the first written material, actually—the first biography, say, of the Buddha—really, we don’t see that before about 500 years after his death.
しかし、最初の記録された事物、具体的には、例えば仏陀の最初の伝記、など、は彼の死後およそ500年よりも前に書かれたものを見ることはない。
For the first few centuries, Buddhist narrative was oral.
最初の数世紀の間、仏教の物語は口伝だった。

Historically, it is based on something certainly that happened.
歴史的には、それは間違いなく、実際に起きた何かに基づいている。
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There must have been someone who corresponded with Gautama Buddha.
ゴータマ仏陀と会話をした誰かがいたはずだ。
But we don’t know how much of it is pure fairy tale and how much of it is historic fact.
しかし、我々は、そのどこまでが純粋な御伽噺(おとぎばなし)でどこまでが歴史的な事実かを知らない。
But it doesn’t matter.
しかし、そのことは問題ではない。
It touches something that we all basically know.
どんな話も我々が本質的に知っている何かに通じている。

The relevance of it is in the message of the story, the promise of the story.
話が関連していることは物語のメッセージ、物語の約束事の中にある。
Like any good story, it has a lot to teach.
あらゆる善い物語のように、その物語も多くの教えを持っている。
So the story of his life, then, is a beautiful way of telling the teaching.
だから、彼の生涯の物語は教えを語る美しい手段なのだ。
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“He who sees me sees the teaching,” the Buddha said, “and he who sees the teaching sees me.”
“私を見る人は教えを理解する”と仏陀は言った“そして教えを理解する人は私を見る。”

Born some 500 years before the birth of Jesus, the Buddha would grow to manhood in a town vanished long ago.
ジーザス(キリスト)誕生より500年程前に生まれ、仏陀は、ずっと昔に消滅してしまった町で大人に成長したようだ。
For nearly three decades, he would see nothing of the world beyond.
およそ30年間、彼はその町の外を見ていないようだ。
Siddhartha Part 1
シッダールタPart1
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The tales say he was the son of a king, raised in a palace with every imaginable luxury.
物語に寄れば彼は王の息子で、王宮で育てられた、あらゆる想像可能な贅沢とともに。
He was called Siddhartha Gautama, a prince among a clan of warriors.
彼はシッダールタ・ゴータマと呼ばれ、戦士たちの部族の王子だった。
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“When I was a child,” he said, “I was delicately brought up, most delicately.
“私が子供だった時”と彼は言った“私は大切に育てられた、とても大切に。
A white sunshade was held over me day and night to protect me from cold, heat, dust, dirt, and dew.
白い日傘は私の上に広げられていた、昼も夜も、私を冷気や熱やホコリや塵(ちり)や露(つゆ)から守るために。
My father gave me three lotus ponds: one where red lotuses bloomed, one where white lotuses bloomed, one where blue lotuses bloomed.”
私の父は私に3つの蓮池をくれた:一つでは赤い蓮が花開き、一つでは白い蓮が花開き、一つでは青い蓮が花開いた。”
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Robert Tenzin Thurman; Columbia University
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The father wants him to be a king; wants him to conquer the world and to be the emperor of India, which at that time was 16 different kingdoms.
父親は彼が王になることを望んでいた;彼が世界を征服し、インドの皇帝となることを望んでいた、当時、16の王国があったのだが。
Ant it was predicted that he would be able to conquer wherever he wanted if he remained as a king.
そして予言されていたのは、彼が望む所は全て征服することが出来るだろうということだった、もし彼が王のままでいたのなら。
So the father was creating this artificial environment to coddle him.
そこで父親はこの手を尽くした環境を造り出した、彼を甘やかすために。

His father wanted to prevent him from ever noticing that anything might be wrong with the world because he hoped that he would stay in the life they knew and loved and not go off, as was predicted at his birth, and possibly become a spiritual teacher rather than a king.
彼の父親は身の回りの世界にある悪いものに気付くことから彼を遠ざけようと望んだ、何故なら父親は彼がみんなが知っている世界に留まり、そして愛され、そしてそこを離れてしまわないことを望んでいたのだ、実は彼が生まれた時の予言で、ひょっとすると精神的な教師になるかも知れなかったのだ、王になるよりも。
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Shielded from pain and suffering, Siddhartha indulged in a life of pure pleasure; every whim satisfied, every desire fulfilled.
痛みや苦悩から隔離され、シッダールタは純粋な娯楽の世界に浸った。全ての気まぐれは受け入れられ、全ての欲望は満たされた。
“I wore the most costly garments, ate the finest foods.
“私は最も高価な衣服を着て、最もすばらしい食べ物を食べた。
I was surrounded by beautiful women.”
私は美しい女たちに囲まれていた。”
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“During the rainy season, I stayed in my palace, where I was entertained by musicians and dancing girls.
“雨季の間、私は王宮に留まった、そこで私は音楽隊や踊り子たちによって楽しませられていた。
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I never even thought of leaving.”
私はそこから離れることなど考えなかった。”
When he was 16, his father, drawing him tighter into palace life, married him to his cousin.
彼が16歳の時、彼の父親は彼を王宮での暮しに強く引き込んでいて、彼を彼の従妹と結婚させた。
It wasn’t long before they fell in love.
彼らが恋に落ちるのに長くかからなかった。
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He was totally in love with her.
彼は彼女と完全に愛し合っていた。

There is a story that on their honeymoon, which was about ten years long, at one time, they rolled off the roof that they were making love on while in union, and they fell down but landed in a bed of lotuses and lilies and didn’t notice they had fallen.
彼等の蜜月に関する物語が在る、それ(蜜月)はおよそ10年続き、ある時、彼等は屋根を転がり落ちた、その時彼等は合体したままで、そして彼等は落ちて蓮やユリのベッドに着地したのだが、自分たちが落ちたことに気付かなかった。

And so, the stories say, he indulged himself for 29 years, until the shimmering bubble of pleasure burst.
そして、逸話では言われている、彼は29年の間、その生活に浸っていた、光り輝く喜びの泡が破裂するまで。

His father does everything he can to never let him leave, never let him see the suffering that life is.
彼の父親は彼が離れていかぬよう、彼に人生の苦悩を見せぬよう、出来る全てをした。
But one day, he goes outside, and he’s traveling through the kingdom, and he has the first of four encounters.
しかし、有る日、彼は外に出かけ、彼は王国中を旅し、そして彼は4つの出会いの第一(の出会い)をした。
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He sees an old man.
彼は一人の老人を見た。
And he asks his attendant, and the attendant says, “Oh, that’s change. One doesn’t always stay young and perfect.”
そして彼は彼のお付きの者に尋ねた、するとお付きの者は言った“あぁ、それは老化です。人はいつも若く、完全ではないのです。”
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Then on the next tour outside, he sees a sick man and doesn’t quite understand wat it is.
そして、次に外に出かけた時、彼は病人を見た、そしてそれが何なのか、全く判らなかった。
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He asks his attendant, and the attendant says, “Oh, that happens to all of us.”
彼は彼のお付きの者に尋ねた、するとお付きの者は言った“あぁ、それは我々みんなに起きることです。”

Venerable(尊師) Metteyya Sakyaputta
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Everybody get sick, and don’t think, “you are a prince; you will not get sick.”
誰でも病気にかかる、そして“あなたは王子だ、あなたは病気にかからない”とは思わない。
Your father will get sick.
あなたの父親も病気にかかるだろう。
Your mom will get sick.
あなたの母も病気にかかるだろう。
Everybody will become sick.
誰でも病気にかかるだろう。

Then he sees that it isn’t just this sick person; in fact, it’s universal.
それで彼は判った、それはこの病人だけではない、実際の所、それは万物共通なのだ。
And something is stimulated inside of him.
すると何かが彼の中で刺激された。
So he keeps getting the chariot driver to take him out, and he sees, you know, horror after horror.
そこで、彼は御者を連れて外に出続け、彼は見た、言わば、恐怖から恐怖を次々に。

And on his third trip outside, he—he meets a corpse, and he recognizes impermanence and suffering and death as the real state of things; the world that he had been protected from, shielded from, kept from seeing.
そして、3度目の外出で、彼は死体に出会った、そして彼は非永遠と苦悩と死は物事の現実なのだと悟った、それは彼が保護され、隔離され、見ないようにされていた世界だった。
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And he was shocked.
そして彼はショックを受けた。
You know, he was shocked, and he realized, “this is my fate too.
つまり彼はショックを受け、そして彼は悟った“これが私の運命でもあるんだ。
I will also become old.
私もまた老いていくだろう。
I will also become ill.
私もまた病に罹るであろう。
I will also die.
私もまた死ぬであろう。
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How do I deal with these things?”
どうすれば私はこれらのことに対処できるのだろう?”
These are universal questions in any human being’s life: what it’s like to be in a body inside of time, and our fate, and how do we navigate that?
これらのことはどんな人々の生涯においても普遍的な質問だ。時間と生涯の中で体の中ではどうなるのだろう、そして我々はそれをどう導くことが出来るのだろう?
It really is a tale of the transformation from a certain naïve, innocent relationship to your own life to wanting to know the full story, wanting to know the full truth.
それはまさにあなたの命に対する、ある種の繊細な、初々しい関係を、全ての物語を知りたい、全ての事実を知りたい、というふうに変化させる物語だ。

And then the fourth trip outside, he sees a spiritual seeker: someone who has decided to live a life completely other than his life in order to escape from impermanence, suffering, and death.
そして、次の4番目の外出で、彼は一人の精神的な探求者を見た。その者は彼の日常の生活から完全に異なる生活を生きることに覚悟を決め、非永遠性、苦悩、そして死から逃れようとしていた。
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So he has this sort of traumatic encounter with the pain and suffering of life.
そんな風にして彼は人生の苦痛と苦悩にトラウマ的な出会いを持った。

We try to protect our children.
我々は我々の子供達を守ろうとする。
We don’t want to let our children see all the pain that’s in the world.
我々は子供達に世の中にあるどんな痛みをも見せたいとは望まない。
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But at a very early age, at a time before he could remember anything, at a time before there was conceptual thought, he already suffered the worst kind of loss that one could suffer.
しかし、とても幼い時、彼が何かを覚えることが出来る以前に、概念的な考えを持つ前に、彼は人が被る中で最悪の損失を既に被ったのだ。
Suddenly and mysteriously, his mother died when he was a week old.
突然、そして不可解にも、彼の母は死んだ、彼が生後1週間の時に。
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So something tragic happened, you know, right at the beginning.
つまり何か悲劇的な事が起きた、言わば、正に(人生の)始まりの時に。
That might be what it takes to become a Buddha—is that you have to suffer on such a primitive level.
それが仏陀(悟った人)になるよう導いたのかも知れない、つまりこういった根本的なレベルで苦悩しなければならないのだ。

29 years old, profoundly troubled, Siddhartha was determined to comprehend the nature of suffering.
29歳で、深く困惑され、シッダールタは苦悩の性質を理解しようと決意した。
He resolved to leave the palace.
彼は王宮を離れることに決めた。
His wife had just given birth to a baby boy.
彼の妻は男の子を生んだばかりだった。
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Siddhartha called him Rahula, “fetter.”
シッダールタは彼のことをラフラと呼んだ、“足枷(あしかせ)”と。

He names his son “fetter.”
彼は彼の息子に“足枷(あしかせ)”と名付けた。
He names his son “ball and chain.”
彼は息子に名を付けたのだ“ボールと鎖”と。
“This is the fetter that will keep me tethered to this life.
“これは足枷で、これが私をこの世界に縛り付けるだろう。
This is what will keep me imprisoned.”
これが私を監獄に閉じ込め続けるだろう。”

Late one summer evening, Siddhartha went into his wife’s room.
ある夏の夕方遅く、シッダールタは妻の部屋に入った。
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A lamp of scented oil lit up.
香りの付いた油のランプが灯っていた。
His wife lay sleeping on a bed strewn with flowers, cradling their newborn son in her arms.
彼の妻は花がまかれたベッドの上で横になって寝ていた、彼等の、生まれたばかりの息子を彼女の腕のなかに包み込みながら。
He gazed from the threshold, deep in thought.
彼は敷居から眺めていた、深い思いにふけりながら。
“If I take my wife’s hand from my son’s head and pick him up and hold him in my arms, it will be painful for me to leave.”
“もし私が妻の手を息子の頭から取って、息子を抱き上げ、私の腕の中に息子を抱いたら、きっと離れるのが辛くなるだろう。”
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He turned away and climbed down to the palace courtyard.
彼は向きを変え、梯子(はしご)を下りて王宮の庭園に向かった。
His beloved horse Kanthaka was waiting.
彼の愛馬カンタカが待っていた。
As he rode toward the city’s northern wall, he leapt high into the air.
馬に乗り町の北側の壁に向かうと、彼は空中高く飛び上がっていた。
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Mara, the tempter god of desire, was waiting.
欲望の気性の神マーラが待ち構えていた。
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“You are destined,” Mara told him, “to rule a great empire. Go back, and worldly power will be yours.”
“お前は運命づけられている”マーラは彼に話した、“偉大な帝国を治めるように。戻れ、そうすれば世界中の権力はお前のものだ。”
Siddhartha refused.
シッダールタは拒否した。

He left grief and probably absolute puzzlement and dismay in the hearts of wife, in the infant son, who was innocent and yet was suddenly fatherless, and, of course, his own father.
彼は妻や幼児の息子の心の中にある悲しみや、恐らく完全なる困惑や、狼狽を振り捨てた、息子は無邪気な子供だったのだが、彼は突然、自分の父親を失ってしまったのだ。
But there is no knowledge won without sacrifice.
しかし、犠牲を伴わずに獲得できるどんな知識もない。
And this is one of the hard truths of human existence: in order to gain anything, you must first lose everything.
そしてこのことは人間の存在という厳しい真実の一つなのだ;何かを得るためには、まず全てを失わねばならない。

Siddhartha was alone in the world for the first time.
シッダールタはたった一人だった、世の中で、生まれて初めて。
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On the bank of a nearby river, he drew his sword.
近くの川の岸で、彼は彼の剣を引き抜いた。
“Although my father and stepmother were grieving with tears on their faces,” he said, “I cut off my hair.
“私の父と義理の母は顔に涙をためて悲しむだろうが”と彼は言った“私は私の髪を切る。
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I put on the yellow robes and went forth from home into homelessness.
私は黄色いローブを身にまとい、家を出て家なし者になるのだ。
I had been wounded by the enjoyment of the world, and I had come out longing to obtain peace.”
私は世の中の快楽によって傷つけられてきたが、しかし今、私は平穏を得んと望んで旅立ったのだ。”

Siddhartha wandered south, toward the holy Ganges river.
シッダールタは南へさ迷い歩いた、聖なるガンジス川の方向に。
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Once a great prince, now he became a beggar, surviving on the charity of strangers.
かつては偉大な王子だったが、今は彼は乞食になった、見知らぬ者からの施しで生き続けている。
He slept on the cold ground in the dark forests of banyan, teak, and sal that covered the northeastern plain; frightening places where wild animals roamed and dangerous spirits were said to live.
彼は眠った、東北部の平原を覆っているバニヤン(インド無花果)やチークの木や、サルの樹の暗い森の中の冷たい土の上で。そこには野生動物がうろつき、危険な幽霊が住んでいると言われていた。
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He is going out to see what there is.
彼は何があるのか見るために離れていった。
He is a seeker.
彼は探求者だ。
He doesn’t have a teaching yet.
彼は教師をまだ持っていない。
He doesn’t have an understanding yet.
彼はまだ理解というものを持っていない。
He doesn’t have an insight yet.
彼はまだ洞察と言うものを持っていない。
He doesn’t have a solution yet, but he recognizes the problem.
彼はまだ答えを持っていない、しかし問題は理解している。

Siddhartha could not expect help from the religion of the time, the ancient Vedic religion, steeped in ceremony and ritual.
シッダールタは当時の宗教から救いを得ることは期待できなかった、古代のベーダ宗教だが、それは祭りや儀式に傾斜していた。
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Some of its rituals still live on in ceremonies conducted by Hindu priests, who chant Vedic formulas more than 2,500 years old.
幾つかの儀式は、今もなおヒンドゥの祈祷師が行う祭りの中に活き続けている、祈祷師は2,500年以上も昔のベーダの決まり文句を唱えている。

Satyendra Kunar Partek
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This ritual is from long ago, when civilization was first developed here.
この儀式はずっと昔からのもので、この地で初めて文明が起きた時のものだ。
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Through this chanting, we worship our gods and the planets in order to provide inner peace to all living creatures.
この祈祷を唱えることで、我々は我々の神々や天空の星々を敬う、それは生きとし生けるもの全てに内部的な平穏をもたらすためだ。

For centuries, the Vedic rituals had commanded respect for the gods and inspired conviction.
何世紀もの間、ベーダの儀式は神に対する尊敬を命令し、信念を吹き込んできた。
But by Siddhartha’s time, the rituals no longer spoke to the spiritual needs of many Indians, leaving a spiritual vacuum and a sense of foreboding.
しかしシッダールタの時代になると、儀式はもはや多くのインド人が精神的に求めているものを語ることはなく、精神的空白や前兆という感覚を残していただけだった。

Kevin Trainor; University of Vermont
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The gods become less important than the rituals themselves.
神々は儀式そのものより重要であることはなかった。
It’s a period of great unrest.
それは大きな不安の時代だ。
It was a period of social upheaval, social change.
社会的な変革、社会的な変化の時代だった。

Cities were growing, generating new wealth and spiritual hunger.
町は大きくなり、新たな富や精神の飢えを創造していた。
As one ancient voice cried out in despair: “The oceans have dried up; mountains have crumbled; the pole star is shaken; the earth founders; the gods perish. I’m like a frog in a dry well.”
ひとつの古代の声が絶望の中で叫んでいたように“海は干上がり、山は崩れ落ち、北極星は震え、大地は水に沈み、神々は死に絶えた。私は乾いた井戸の中のカエルのようだ。”
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A lot of people aren’t satisfied with the religion that they grew up in.
多くの人々は自分たちが育った社会における宗教に満足していなかった。
And when prince Siddhartha decides to give up his life, he’s doing something that lots of other people were doing.
そしてシッダールタ王子が彼の生活を捨てることを決めた時、彼は他の多くの人々がしていたことをした。

Siddhartha joined thousands of searchers like himself, renunciants: men and even a few women who had renounced the world, embracing poverty and celibacy, living on the edge, just as spiritual seekers still do in India today.
シッダールタは大勢いる彼に似た探求者、世捨て人に加わった。男も、そして数は少ないが女もいて世を非難し、貧窮や独身を好しとし、ギリギリの生活を生きた、今日のインドでも精神的な探求者がしているように。
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Now, at this time in India, there were lots of renunciants out there.
今、現在のインドにおいても、世捨て人は沢山いた。
It’s a flourishing renunciant tradition.
それは蔓延(はびこ)っている世捨て人の伝統だ。
There are many different people who have given everything up and practice austerities and meditate in order to escape from the cycle of death and rebirth.
多くの様々な人々が全てを放棄し厳粛さを実践し、瞑想している、死と再生のサイクルから逃れるために。
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The notion of reincarnation is something that’s part of Indian culture, part of Indian civilization, part of Indian religion, that was there long before the Buddha, and it was the—in a sense, the problem that the Buddha faced.
リインカーネーション(輪廻)の概念はインド文化の一部、インド文明の一部、インド宗教の一部ともいえるもので、仏陀よりもずっと昔からそこにあり、そしてそれは、ある意味では、仏陀が直面した問題でもある。

Suffering didn’t begin at birth and finish with death.
苦悩は生まれた時に始まったのではなく、死ねば終わるものではない。
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Suffering was endless, unless it was possible to find a way out, become enlightened, become a Buddha.
苦悩は終わりが無いものだった、もしそこから抜け出す道を見つけることが出来ず、悟りを得ることが出来ず、仏陀になることができないなら。

In his time, there was a sense of death not being final but of death leading inexorably to rebirth and of beings, suffering beings, bound to the wheel of death and rebirth.
この時代、死は最後の姿ではなく、際限なく再生に続く死、という概念があった、生物は、苦悩する生物は死と再生の車輪に固く結びついていた。
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It is said that Siddhartha had lived many lives before this one, as countless animals…innumerable human beings…and even gods; across four incalculable ages, the sacred texts say, and many aeons, experiencing life in all its different forms.
シッダールタも今の姿となる前に多くの命を生きたと言われている、数えきれないほど動物に生まれ、数えきれないほど人間に生まれ、神にさえもなった。神聖な経典によれば、4つの計算できないほど長い時代や多くの永劫の時を生き、様々な姿になって命を体験していた。
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His holiness The Dalai Lamaダライ・ラマ
Siddhartha’s previous lives, many aeons, sometimes as a human being, sometimes as an animal, but then gradually using his practice, becoming more higher and higher and deeper, deeper.
シッダールタになる前の命は、多くの永劫の時、時には人間であり時には動物だったが、しかし少しづつ彼の修行を活かして、高く、そしてより高く、深く、そしてより深くなっていた。
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Trinh Xuan Thuan; Astrophsicist天文物理学者
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The idea is, from life to life, to progress more and more towards the enlightenment and become wiser and wiser.
意味するところは、命から命をつなぎながら、覚醒(悟り)に向かってどんどん進歩し、どんどん賢くなるということだ。
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Robert Tenzin Thurman Colombia University
Some beings will stubbornly insist on their ignorance and their egotism, and they will charge ahead, grabbing and eating what they can in front of themselves and being dissatisfied but thinking that the next bite will do it.
ある生き物は自らの無知と利己主義に頑固に固執し、入れ込み過ぎ、彼等の前に置かれた掴(つか)めるものを掴み、食べれるものを食べ、そしてまだ満足できず、次の獲物なら満足できるだろうと考える。
And they will die and be reborn and die and reborn infinite times.
そして彼等は死に、再生し、そして死にそして再生することを無限に繰り返す。
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It could take them, you know, billion lifetimes if they are very stubborn, you know.
彼等は、つまり、十億回の人生を使うことになるのだ、もし彼らがとても固執しているとすれば。

D. Max Moerman; Barnard College
And becoming a Buddha, becoming enlightened, is the only way of getting out of the continual cycle of death and rebirth.
そして仏陀になること、覚醒すること、は死と再生の継続的な繰り返しから抜け出だす唯一の方法だ。
Now, rebirth here isn’t the popular notion that, you know, in my past life, I was Cleopatra floating down the Nile or Napoleon.
ここで再生というのは俗な概念ではない、というか、私が過去の命のなかで私がナイルを浮きながら流れ下るクレオパトラだとか、ナポレオンだった、ということではない。
It’s as if every life is going through junior high school again, over and over and over.
それはあたかも、全ての命が中学校を再び繰り返す、それを何度も、何度も、何度も繰り返すようなものだ。

With the authority of the priests worn thin and wisdom seekers like Siddhartha roaming the countryside, holy men emerged, teaching their own spiritual disciplines.
シッダールタのような薄着を着た祈祷師や知恵の探求者が田舎をさまよい始めるようになると、聖人が現れ、取得した精神的な教義を教え始めた。
Siddhartha apprenticed himself to one of them, a celebrated guru who taught that true knowledge could never come from ritual practice alone.
シッダールタは彼等の一人に師事した。尊敬されているグル(師匠)で、真の知識は儀式的な訓練だけからは生まれないと説いた。
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It was necessary to look within.
心の中を見ることが必要だ。
“You may stay here with me,” the guru told him.
“お前は私と一緒にここに留まっても良い”とそのグルは彼に言った。
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“A wise person can soon dwell in his teacher’s knowledge and experience it directly for himself.”
“賢いものなら直ぐに教師の知識を自分のものにし、それを自分自身で正確に実践することができるものだ。”
Siddhartha set himself to learn the rigorous practices the guru prescribed.
シッダールタはそのグルが説明してくれた通りの厳格な訓練法を学んだ。

The teachers of the time are already teaching forms of yoga and meditation, teaching that the self-reflective capacity of the mind can be put to use to tame the mind, to tame the passions.
当時の教師たちは既にヨガの姿勢や瞑想についても教えていた、心の内省的な包容力は心を手懐(てなず)け、感情を手懐けることから生まれてくると説いていた。
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That was already established in India.
その方法は既にインドでは確立していた。
And there were probably so many schools of yoga and meditation in those days, just as there are now.
そして、多分、当時も今と同様、多くのヨガや瞑想の学派があった。

Yogiraj Pakesh Pandey
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Yoga is not only for the body, although it benefits the body in many ways.
ヨガは体のためだけではない、多く面で体にも有効ではあるのだが。
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The ultimate goal of yoga is to achieve deep meditation.
ヨガの究極の目標は深い瞑想に到達することだ。
It does not come easily or quickly.
それは簡単には、直ぐにはやってこない。
It comes by practice.
それは訓練によってやってくる。
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Although yoga appears to focus on controlling the body, it is in fact an ancient, spiritual discipline, a form of meditation, harnessing the energies of the body to tame the mind. 
ヨガは体を管理することに焦点を当てているように思われているが、実際には古代の、精神的な教義で、瞑想の一つの形であり、体のエネルギーにハーネス(鉄枠)をはめて心を手懐(てなず)けることだ。
Some yogis learn to sit without moving for hours, breathing more and more slowly until they seem to be barely breathing at all.
何人かのヨガ修行者は何時間も動かずに座ることを学ぶ、ゆっくり、ゆっくり呼吸し、ほとんど呼吸していないようになる。
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All kinds of trance states are possible through meditation.
あらゆる種類のトランス状態(恍惚状態)は瞑想を通じて実現される。
If you hold the mind, if you concentrate the mind on a single object, you know, be it a word or a candle flame or a sound, it’s possible to transport the mind into all kinds of interesting places.
もしあなたが心を持っていて、その心をある一つのこと、そう、例えば言葉とか、ろうそくの炎とか、音とかに集中していたなら、心をあらゆる種類の興味ある場所に移すことが可能だ。

The person who was to become the Buddha was very good at all of those practices.
仏陀となるべき人(mh:シッダールタ)はこれらのことがとても上手かった。
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He was a super student, doing these practices, taking them to their limit, and no matter what he did in these practices, he was still stuck in the pain that he set out with.
彼は飛びぬけて素晴らしい生徒だった、これらの訓練もしていた、それも極限まで、そして彼がこれらの訓練の中でどんなことをしても、彼は未だに、始めに感じていた痛みに苛(さいな)まれていた。

He ascends to these very rarified states of consciousness, but it’s not permanent, and it does not bring penetrating truth into the nature of reality.
彼はこれらのかなり高度な意識まで登りつめていたが、それは永遠に続くものではなかった、そしてそれは現実という性質のなかにまで突き通るような真実をもたらしはしなかった。
So these become a temporary escape from the problem of existence, but they don’t solve the problem.
つまり、これらのことは存在している問題からの一時的な逃避だったが、それらが問題を解決することは無かった。
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Siddhartha apprenticed himself to another popular guru, but the results were the same.
シッダールタはもう一人の有名なグルに師事した、しかし結果は同じだった。
“The thought occurred to me,” he said later, “this practice does not lead to direct knowledge, to deeper awareness.”
“ある考えが私に起きた”と彼は後に語っている“この訓練は直接的な知識、より深い覚醒に繋(つな)がっていない。”
Disenchanted, he left this master too.
幻滅を感じ、彼はこの師匠からも去っていった。

Siddhartha continued to drift south, still searching for the answer to his questions: Why do human beings suffer? Is there any escape?
シッダールタは南にさまよい続けた、いまだに彼の疑問への答えを探し求めて;何故、人は苦悩するのだろう?逃げ道はあるのだろうか?
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He’s trying and trying and searching and searching, and he already experienced extreme luxuries, so now he tries extreme deprivation.
彼は努力し、努力し、求め、求めていた、そして彼は既に究極の贅沢を経験していたので、これから、彼は究極の剥奪を試みた。

Among the renunciants, asceticism was a common spiritual practice: punishing the body as a way to attain serenity and wisdom.
世捨て人の間では、禁欲主義が共通した精神訓練法だった、体を痛めつけて静寂と知恵を獲得する。
Siddhartha fell in with five other ascetics and soon was outdoing them in mortifying the flesh, subjecting his body to extremes of hardship and pain.
シッダールタは5人の他の行者とともに訓練にも浸りこみ、直ぐに彼等を凌ぐ程になって、肉体を痛め、体を極限の苦痛と痛みに晒(さら)すようになった。
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The body represents a fundamental problem.
体は基本的な問題を表している。
Old age brings a decrepitude to the body.
老化は体の退化をもたらす。
Sickness brings pain and suffering to the body.
病気は体に痛みと苦悩をもたらす。
And death is ultimately the cessation of the functioning of the body.
そして死は究極的には体を機能させることが停止するということだ。
So there was a sense that if you could punish the body sufficiently, you could escape its influence.
だからもし体を十分痛めつけられたら、体の影響を逃れられるという考えがあった。
You could transcend some of the limitations that the body seemed to impose.
体に課すことができると思われる限界のいくつかを超越できるかもしれない。
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Jane Hirshfield Poet
The ascetic pursues the truth by taking the requirements of survival down to the absolute minimum possible: barely enough food to stay alive, no protection from the elements, no heat, sit in the cold, sit in the rain, meditate fiercely for all the hours of awakening.
禁欲とは、生存に必要な事を絶対的に可能な限り最低限まで下げることによって真実を追求するものだ、生き続けるに必要なギリギリの食糧で、要素から防御されず、熱はなく、寒さの中で座り、雨の中で座り、目覚めている時間のすべてで強烈に瞑想する。

W. S. Merwin Poet
The step of renunciation, of shedding everything, of dying, the feeling that one is dying to one’s life as it was, is essential to being reborn as someone who sees.
放棄する、全てを洗い流す、死ぬ、生きて来た命を捨て去る、という過程は、物を理解する人間として生まれ変わろうとする人間には基本的なことだ。


Ascetics can still be seen in India, firm in the belief that by subduing the flesh, they can gain spiritual power.
行者は今もインドで見受けられる、肉体を従わせることで精神的なパワーを得られると固く信じている。

Bikopuri Shankapuir
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What is the truth?
何が真実なのか?
When you eat once every 24 hours, every second tells you what the truth is.
24時間で一回だけ食事する時、全ての瞬間が何が真実なのか語りかける。
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I had a home and I left it when I was sixteen.
私には家があり、16歳の時にそこを去った。
I don’t desire material things.
私は物質的なことは望まない。
I am able to follow my spiritual path by letting go of greed.
私は欲望を追い払うことに寄って私の精神的な道をたどることが出来る。

Emaciated, exhausted, Siddhartha punished himself for six years, trying to put an end to the cravings that beset him.
やせ衰え、疲れ果て、シッダールタは6年間、自分自身を痛めつけた、彼にまとわりついている欲望に見きりをつけさせようとして。
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He tortures himself, trying to destroy anything within himself that he sees as bad.
彼は自分自身を拷問にかけた、彼がそれは悪だと思う彼自身の中にある何かを破壊しようとして。
The spiritual traditions of that time said you can be liberated if you eliminate everything that’s human: you know, everything that’s coarse and vulgar, every bit of anger, every bit of desire.
当時の精神的な伝統は、人間的なもの全てを排除すれば解放されることができると言っている、つまり卑俗で低俗な全ての怒り、全ての欲望をだ。
If you—you know, if you wipe that out with force of will, then you can go into some kind of transcendental state, and the Buddha tried all that, and he became, you know, the most anorectic of the anorectic ascetics.
もし、つまり、もしそれを意志の力を持って拭い去れば、ある種の超越的な状態に至ることができ、仏陀はこれを全て試してみて、そして彼は、いわば、禁欲的な行者の中でも最も禁欲的になった。
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He was eating one grain of rice per day.
彼は一日、コメ一粒を食べていた。
He was drinking his own urine.
彼は自分の小便を飲んでいた。
He was standing on one foot.
彼は片方の足だけで立っていた。
He was sleeping on nails.
彼はつま先立ちして寝ていた。
He did it all to the utmost.
彼はそれを究極まで行った。
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“My body slowly became extremely emaciated,” Siddhartha said, “my limbs became like the jointed segments of vine or bamboo stems.
“私の体は段々と究極的にやつれていった”とシッダールタは言った“私の足は蔦(つた)や竹の茎の接合部のようになっていった。”
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My spine stood out like a string of beads.
私の脊髄はビーズの糸のように浮き出ていた。
My ribs jutted out like the jutting rafters of an old, abandoned building.
私の肋骨(あばらぼね)は古く、放棄された建物の突き出た垂木(たるき)のように突き出ていた。
The gleam of my eyes appeared to be sunk deep in my eye sockets, like the gleam of water deep in a well.
私の眼の輝きは眼窩(がんか)の中に沈み込んでいて井戸の底の水のような輝きだった。
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My scalp shriveled and withered like a green bitter gourd shriveled and withered in the heat and wind.”
私の頭皮は干乾びて青い苦い瓢箪のように枯れていた、熱と風の中で干乾び、枯れたように。

Venerable Metteyya Sakyaputta
What he was trying to do was pushing his body to the most extreme that he could.
彼がやろうとしていたことは彼の体を出来るだけ究極まで痛めることだった。
Bud then he realized that from that, he cannot gain what he wants.
しかし、その後、彼は悟った、そこからは彼が望むものは得られないと。
Trying to torture the body, the body becomes too much.
体を虐待しようとすること、これは体が中心になる。
The whole attention is given to the body, nothing else.
全ての集中は体に与えられ、他には向いて行かない。
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He surrendered himself completely to the hard training that he was given.
彼は彼に与えられた厳しい訓練に彼自身を完全に従わせた。
And what he discovered, having tried this completely for many years, was that he had not answered his question.
そして彼が発見したもの、これを何年も完璧に試みた後だが、それは彼の疑問にはまだ答えていないということだった。
It hadn’t worked.
それは役に立たなかった。
He was on the verge of death, dying, unawakened, when he remembered something.
彼は死ぬ寸前の状態だった、死にかけ、悟りを得られずにいる時、彼はあることを思い出した。
He remembered a day when he was young and sat by the river with his father and the perfection of the world as it was simply gave itself to him.
彼は思い出した、彼が若い時、彼の父親と共に川のそばに座り、そして当たり前かのように彼に与えられていた世界の完璧さとともにいた。

Years before, when Siddhartha was a small boy, his father, the king, had taken him to a spring planting festival.
何年か前、シッダールタが小さな少年だった時、彼の父親、王、は春の種まき祭りに彼を連れていった。
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While he watched the ceremonial dancing, he looked down at the grass.
彼は祭りの踊りを見ながら、時々、下の草を見ていた。
He thought about the insects and their eggs—destroyed as the field was planted.
彼は昆虫とその卵のことを考えた、畑に種付けする時には破壊されてしまう。
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He was overwhelmed with sadness.
彼は悲しみに打ちのめされた。

One great taproot of Buddhism is compassion, which is the deep affection that we feel for everything because we’re all in it together—be it other human beings, other animals, the planet as a whole, the creatures of this planet, the trees and rivers of this planet.
仏教の一つの大きな主根は慈悲(哀れみ?)だ、それは我々が全てのことに感ずる深い愛情だ、何故なら、我々はみんなその中で共にいるのだ、他の人間であれ、他の動物であれ、この星全体であれ、この星の生物全てであれ、この星の木々や川であっても。
Everything is connected.
全ては繋がっている。

It was a beautiful day.
それは美しい日だった。
His mind drifted.
彼の心は漂っていた。
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As if by instinct, he crossed his legs in the yoga pose of meditation.
まるで本能で導かれた様に、彼は足を十字に組んでヨガの瞑想のような形にしていた。
And the natural world paid him homage.
そして自然界は彼に敬意を払っていた。
As the sun moved through the sky, the shadows shifted, but the shadow of the rose apple tree where he sat remained still.
太陽が空を動くにつれ、陰も移動した、しかし彼が座っていたフトモモ(バラ林檎)の木の陰はじっと動かないままだった。
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He felt a sense of pure joy.
彼は純粋の喜びの感覚を感じていた。

Mark Epstein Psychiatrist/Author
The joy that he found is in the world that is already broken.
彼が見つけた喜びというのは既に壊れて失われてしまった世界の中のものだ。
It’s in this transitory world that we’re all a part of.
それは我々みんなが暮らす刹那的な世界のなかのものだ。
And the fabric of this world—despite the fact that it can seem so horrible, the underlying fabric of this world actually is that joy that he recovered.
そしてこの世界の織物、それはとても恐ろしいものに見えるのにもかかわらず、この世界に横たわっている織物は、実際の所、彼が取り戻したあの喜びなのだ。
That was his great insight.
それは彼の偉大な洞察だった。
“But,” he says, “I can’t sustain a feeling of joy like this if I don’t take any food, so I better eat something.”
“しかし”と彼は言う“私はこのような喜びの感情を維持することは出来ない、もし食べ物を採らなければ。だから私は何かたべるべきなのだ。”
And then at that moment, a village maiden mysteriously appears carrying a bowl of rice porridge.
そしてその瞬間、有る村の乙女が不可思議にも現れ、器に入ったコメの粥(かゆ)を持ってきた。

And she said to him, ”Here, eat!”
そして彼女は彼に言った“これ、食べて!”
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That moment of generosity and release when he accepted the rice was a decision towards life.
寛容と解放のその瞬間、彼がそのコメを受けっとった時、それは生への決断だった。
It was what in the Christian tradition might be called “grace,” that you cannot do it completely on your own.
それはキリスト教の伝統では〝慈悲“と呼ばれるもので、それを完璧に行うことは我々にはできない。
And in Christianity, the grace comes from the divine.
そしてキリスト教では、慈悲は神々から与えられるものだ。
In the story of the Buddha, the grace comes from the ordinary, kind heart of a girl who sees somebody starving and says, ”Eat!”
仏陀の物語では、慈悲はやってくる、普通の、優しい心を持った少女が、飢えているものを見て“食べて”と言う事から。
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There’s something beautiful.
そこには何か美しいものがある。
Whenever I remember that story, it makes me so happy because I see the heart of Buddha as the person he was, like the Siddhartha.
物語を思い出す時はいつも、私は幸せにさせられる、というのは人間としての仏陀の心情を見ることが出来るからだ、シッダールタと同じように幸せにさせられる。
This dish was the dish he used to be fed by his stepmother, rice pudding.
この料理はかつて彼の継母から食べさせてもらったコメのプリンのようだった。
He was missing that so much.
彼はそのプリンをずっと食べれずにいた。
And then he remembered maybe further and further, and he remembered about his wife, about his son.
そしてその時、彼は思い出した、もっと強く、思い出した、彼の妻や彼の息子のことを。
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And the deepest emotions that he had suppressed, they overpower.
そして彼が抑制していた深い感情が彼を圧倒した。
They came up.
彼等が浮かび上がってきた。
They were still there.
彼等はまだそこに居た。
And he had a feeling of missing.
そして彼は喪失感をもった。
He had a feeling of seeing his son and a feeling of being near his loved ones.
彼は自分の息子を眺めている感覚や彼が愛した人々の直ぐ近くにいる感覚を持った。
They were so powerful.
彼等はとても影響力があった。
Oh, this must have soaked his whole entire being.
あぁ、これは彼の全ての存在を吸い取ってしまうのだろうか。

He was actually an utter failure.
彼は実際の所、完全に失敗していた。
He had been clinging to the path of asceticism.
彼は禁欲主義の道にすがり付いていた。
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And when he took the food, what followed was a return of his original question.
そして彼が食物を食べた時、次に起きたのは彼の最初の疑問への回帰だった。
Life is painful.
人生は辛さに満ちている。
Life involves change.
人生は変化を含んでいる。
This is still a problem.
それは未だに問題のままだ。
The problem didn’t disappear.
問題は解消していなかった。

It wasn’t long before the ascetics who had been Siddhartha’s companions found him eating and turned away in disgust.
かつてシッダールタの同行者だった行者たちが彼が食べるのを直ぐ見ることになり、嫌悪して立ち去って行った。
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“Siddhartha loves luxury,” they said.
“シッダールタは贅沢が好きになった”と彼等は言った。
“He has forsaken his spiritual practice. He has become extravagant.”
“彼は精神的な訓練を見捨ててしまった。彼は贅沢になってしまった。”

D. Max Moerman Barnard College
But the man who will become the Buddha realizes that extreme deprivation isn’t the way to go.
しかし、仏陀になるだろう人というものは極端な剥奪は本来の道ではないと悟っている。
We can live as normal human beings.
我々は正常な人間として生きることが出来る。
We can eat and drink.
我々は食べ、飲むことが出来る。
And, in fact, we kind of need to eat and drink and be normal human beings in order to break through, in order to attain the kind of realization that he was looking for.
そして実際の所、我々は例えば食べ飲み、通常の人間であることが必要なのだ、何かを成し遂げ、探し続けていた悟りといったものを獲得するためには。

Siddhartha had put his faith in two gurus.
シッダールタは二人のグル(師匠)に信頼をおいていた。
They hadn’t helped him.
彼等は彼を助けてくれなかった。
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He had punished his mind and body.
彼は自分の心と体を痛めつけた。
That has almost killed him.
それは彼を殺してしまうかのようだった。
Now he knew what he must do.
今なら、彼は自分が何をすべきか知っていた。
To find the answer to his questions, he would look within and trust himself.
彼の疑問に対する答えを見つけるため、彼は自分の内部を眺め、自分を信頼することにした。

The Buddha - PBS Documentary Part 1
https://www.youtube.com/watch?v=dCdKg5DzMaQ
注意:上記URLのフィルムは、編集の都合だと思いますが、mhがブログ化したフィルムと、わずかな点で違いがあります。
(Buddha Part-1完)

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mh徒然草85: 真の芸術作品?

モナ・リサの秘密(5月9日公開)を投稿し終えた今日3月30日、4月22日公開予定のこのブログを作成しているところです!!!

ダビンチが描いたモナ・リサはルーブルで展示されているんですよね???
しかし、そのモナ・リサの絵は真の芸術作品と言えるのか???
言えるとしたら、それは何故か????

ってな、埒も無い疑問が浮かび上がってきたんです。その切っ掛けはブロトモが郡山で見たと言うルーシー・リーLucie Rieの陶器です。
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何事にも懐疑的な、いやな性格のmhですが“ルーシーには芸術作品が多い!”と思いました。

ところで~芸術作品とは一体全体、何なんでしょう?

いつものようにWikiに問い合わせてみると・・・「芸術」が見つかりました。
「芸術(げいじゅつ、希: η τεχνη、 techné、羅: ars、英: art)とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。」
(mh:希っていうのは中国語でギリシャ希腊の希です。羅はローマ羅馬の羅)

なるほど、改めて芸術の意味が分かりました。表現者・表現物、つまり作者・作品、と鑑賞者(mhです)が相互に作用しあうこと、ってことで、mhが感動すれば芸術作品ってことになります。

しかし~疑り深いmhには、この定義は不合格だと思います。5月公開のブログ「モナ・リサ」に感化されたのかも知れませんが・・・
芸術作品は、同じものがあってはならず、出来栄えは、それなりに優れていなければいけないと思います。

優れた出来栄えの作品でないと感動することはありません。そして、もし同じものが他にもあると、感動が薄れ、結局、その作品を芸術作品と呼ぶ気力が失せると思います。つまり芸術作品ではなくなるんですね。

素人目ではどうみても上の写真の陶器と全く同じ形や色や艶(つや)の陶器が自動ラインで大量生産されるようになったとしましょう。あなたの目の前にある陶器は、オリジナルなのか大量生産されたものなのか?

これを鑑定するには、素材のX線分析、釉薬のEPMA(Electoron Probe Material Analyzer電子触子材料分析器)、硬度、密度、ミクロン単位の寸法・形状測定などを行い、人間の手によるものか、機械で造られたものか、人間の手としても、それは件(くだん)の作家の手か等々、あらゆる科学的手法を駆使して分析しなければ特定できません。

これこそが陶芸家ルーシー・リーの手になる皿だ、と思っていた人は、同じものが沢山出回ったら、心穏やかではいられないでしょう。あなたが大枚をはたいて購入した陶器が、誰でも安く食器店で手に入れられると判った時、あなたがそれまで持っていた、大切な陶器という思いは、瞬時に砕け散り、あなたは二度とそれを芸術品とは呼ばないだろうことをmhは請け合います。

芸術品でなくたって、自分が気に入っているんだからいいじゃあないの、って言うんですか?確かにそういう考え方もあると思いますけど、念のため再確認すると、あなたが気に入っているものは、他に沢山、同じものが見つかったという時点で、芸術品ではなくなっていて、あなた以外の不特定多数が、二束三文で手に入れられるものなんですよ、それでも本当に気に入っていられるでしょうか。

こう考えていくと、やっぱ、芸術作品であるためには、同じものが2つとないことが必要条件だと思います。とすると、機械で大量生産したものではなく、人間の手によって創られた作品でなければなりません。

次の作品は・・・
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Masjid Al Azhar:モスク;アル・アザールのスケッチです。
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世に2つとない作品なのは間違いありません、保証します。芸術作品か???

で~誰の手になるものかって言うと~mhなんですねぇ。
1997年12月27日、ジャカルタで描きました。メモには「モスク裏面よりsketch。観衆多いがズーズーしく描き続ける。今から銀行closed!⇒ゴルフ」とあります。銀行に行こうかと思ったら、今日は休日だから銀行は休みだって思い当たり、結局は、いつものようにゴルフに行ったってことですね。

で~これは芸術作品と言えるか?2つと無いもので、人の手によって描かれたスケッチですから芸術作品の必要条件は備えていますが・・・

それだけでは十分条件と言えないんですねぇ。見る人を感動させないと。
Wikiによれば“精神的・感覚的な変動を得ようとする”ことがなけりゃあ芸術ではありません。で~あなたは、このスケッチから“精神的・感覚的な変動”を得たでしょうか?吐き気がしたっていうのも感覚的な変動でしょうから、とすると芸術作品と呼べなくもないってことになりますが・・・

どんな精神的・感覚的な変動でもいいってものじゃあないんですねぇ、芸術作品となると。やっぱ“心地よい変動”じゃあなけりゃあ駄目です。

纏め直すと「芸術作品とは、世に二つとない、人の手に寄る、精神的・感覚的に心地よい変動をもたらす作品」ってことになります。

この定義に従って、改めて、mhがmhの手に寄るスケッチを見るに~結構、心地よい感覚を得られるんですねぇ。ってことは、これは、やはり芸術作品ではないのか???少なくともmhにとっては!

ということで、芸術作品は、意外に身近に、沢山あるんだなぁ、と思いました。

天空之城(小娟) 完美女声吟唱版
https://www.youtube.com/watch?v=hHEK3quSSxo

(完)

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中国のピラミッドの不思議

途轍もない権力、想像を絶する贅沢、説明不能なミイラ、豪華を越えた絢爛。
古代中国の死後の世界へようこそ。
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秘密に包(つつ)まれ、素晴らしくも悲劇的な巨大墳墓。かつて全能の皇帝だと宣言し、王朝を設立してきた者たちが眠る人工の山にお入りください。
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China’s Lost Pyramid-Ancient Secrets
古代の秘密:中国の失われたピラミッド
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中国、陝西省Shaan-Xi Province。
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西安の数Km郊外。世界で最も急激に経済成長している国のハイウェイだが、今は小型機の滑走路になっている。
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これから45分間、専門家たちは小型カメラを搭載した小さな飛行機を陝西省の畑の上で飛行させる。驚くべき世界の映像を求めて。

巨大なマウンド(ぽっこりした丘)の世界。数百もの山が西安の周辺の畑に突き出している。いくつかは大きい。残りは・・・巨大な山だ!
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中に何が埋められているのかはほとんど知られていない。
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しかし、誰が中に埋葬されているかはミステリーではない。
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これらは昔、生存していた皇帝、将軍、王、皇女、富豪、権力者などの墓だ。
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2千年前、この平和な農耕地域で、軍隊が壊滅し、王国が勃興しては崩壊し、大量の血が流されていた。
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王宮では中国伝統の音楽や笑いに満ちたお祀り騒ぎが蔓延(はびこ)っていた。
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数千人の労働者が巨大墳墓を造る苦難のうめき声はそこかしこに聞こえている。しかし、死をもっても終わらないかの如き豪華な世界のモニュメントだ。

建築歴史学者トニア・エクフェルド「墓は権力、富、政治的正統性のシンボルだ。死後も永遠に生前の栄華を維持するためには、兎に角、大きな墓が最善だった。」
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中国においても、考古学者が大きな墳墓を掘り起こすチャンスは稀にしか巡り合えない。
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トニアは発掘された墓の内部調査を進めている。地中には想像を超えるミステリーが今も埋まっている。

しかし、一つ明確なことがある。何世紀も前にこのような大きな墓を造ることは想像を超える挑戦だった。
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皇帝を満足させるため、数百万トンの土を移し替え、数10mの深さの穴を掘り、遺体を埋葬すると、人工の山で覆った。どんな方法でこれを行っていたのだろう。
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紀元前246年、中国はまだ存在していない。代わりに7つのちいさな王国が覇権を競っていた。その中の一つ、チン(Qin秦)と呼ばれる王国では、新しい少年王が就任していた。若干13歳だった。
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王としての彼の指示の一つは自分の墓の建設の着手だ。13歳で死を心配するのは早すぎるが。
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しかし、考古学者チャールズ・ハイエンは2千年前の13歳は今ならもっと年配に相当すると指摘する。
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「彼がどのくらい生きていられるか、誰が答えられただろう。20代、30代で死ぬ人も多かった。だから、自分の永遠性を直ちに確保することは彼にとって重要だったのだ。」

王家の墓を造る者たちにとって、工事の成否は一点にかかっていた。場所、つまりどこに造るかだ。
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古代中国では、王の墓は、他の誰の墓よりも高くなければならなかった。しかし高台に造ればよいというものでもなかった。もし数10mの墓穴を掘る作業が簡単でなければ工事は難航する。墓建築技師は首都から9Kmのリー山(骊山;梨山)の裾野に造ることにした。
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しかし彼等が造ろうとしている墓が世界で最大の墓になることは恐らく気付いていなかっただろう。

秦の少年王は、そんなに早く墓に入ることは無かった。
(mh:Wikiによれば享年49歳です。)
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成長して、それまでどのリーダーもしえなかったことを成し遂げる。彼は敵を次々と残虐な戦で打ち破った。
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蜀Shu・秦Qin・韓Han・楚Chu・斉Qi・魏Wei・趙Zhao・燕Yan

全土は彼の下に統一され、秦(チンQin)、英語でChinaと呼ばれる王国が生まれた。
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紀元前221年、彼は世界で最大の権力者だった。彼自身もそれを自覚していた。そこで、自分を新たな称号で呼ぶことにした。秦始皇帝、中国最初の皇帝だ。彼は、自分の墓についても、何をした誰のものか、見るだけで判るようにすることを望んだ。
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自分の権力を誇示すべく、これまでで最大の廟、最大のピラミッドを造ろうと考えていた。

墓建築技師は、歴史上最大の勝利を収めた王に相応(ふさわ)しい墓をつくらねばならなかった。それは、単なる墓などではなく、中国の歴史の中で最も偉大な権力者のモニュメントでなければならない。しかし、彼等に幸運だったのは、参考にすべき見事な墓があったことだ。

1977年、中国人考古学者はゾン・ホー・イーと言う名の官僚の墓を発掘した。秦始皇帝より、およそ200年前に死んだ男だ。彼の墓は、これまでに発見されたどんな墓とも異なっていた。
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それ以前の中国の墓は、単純な竪穴だった。
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しかし、ゾン・ホー・イーの墓はさながら地下王宮だった。
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いくつかの部屋に区切られていて、さながら永遠に暮らす豪華なマンションだった。
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「始皇帝より200年前、神聖な概念があった。単なる墓などではなく王宮でなければならない。地下に造られた王宮には、用途が異なる多くの部屋があり、そこで死者は永遠に生きるのだ。」
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墓は死後の生活に必要な全てを持ち合わせていた。ゾン・ホー・イーは完全なオーケストラを必要としていたようだ。
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墓で見つかった10トンもの素晴らしい青銅の来客用食器、酒器、食器、は、当時なら最高の出来栄えのものばかりだった。
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しかし、素晴らしい音楽や豪華な食事だけでは、ゾン・ホー・イーを永遠に喜ばせることはできなかったのだろう。考古学者は彼の墓の中で若い女性8人の遺骸を見つけた。側室たちだ!主人に永遠に仕えるため道づれにされたのだ!
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ゾン・ホー・イーの死から2世紀近く経って、墓建築技師たちは始皇帝の墓、中国最高の地下宮殿の建設に着手した。
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始皇帝に相応しい墓を造るのだ!
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しかし、中国人考古学者ウォン・シュエ・リーに言わせると、彼等は、ある問題を解決するまで墓つくりに取り組むことは出来なかった。それは墓の壊滅に繋がるかも知れない問題だ。

「今いる所はリー山(梨山)から流れ下ってくる川の河口だ。山から流れ出る5つの川は全て始皇帝の墓の方向に流れている。毎年雨季になると、水かさが増し、墓の建設は洪水で悩まされていたはずだ。」
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始皇帝の墓の建設の前に、この驚異をそらしておかねばならなかった。ハイウェイを走るドライバーなら2千年前の解決策に気付いたかも知れない。
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「私は今、長さ3千m、頂上の幅が20mから70m、高さが12mから15mの土手の上に立っている。」
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「墓建築技師たちは、まず平地を掘って溝を作り、土を盛り上げ、川の流れの方向を変えていたのだ!」
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しかし、始皇帝の墓建築技師たちは建築サイトの外にダムを造るだけではなかった。
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水対策が済むと、始皇帝に相応しい広大な地下宮殿を造るための穴を掘り始めた。
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始皇帝が死んだら、これを人工の山で覆うのだ。
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彼等にとって幸運だったのは、中国で最大の墓を、歴史上、注目するに当たる材料で造れたことだ。今でも簡単に確認できる。実際やって見ることもできる。費用は極々わずかだ。

ニュージーランドのノース・アイランドで工学部の学生ジョン・チエのチームが家を造ろうとしている。煉瓦、木材、石材は使わず、土だけで造ろうと言うのだ。そう、土だ。
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木枠に入れて突き固めれば数百年、いや数千年の耐久性が得られる。
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同じ方法で造られた最古の万里の長城は今も残っている。
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単純で、しかし効果的な技術だから、数千年後の今も変わらない。
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ニュージーランドの近代的な家であれ万里の長城であれ、この技術では次の2つのことが重要だ。
まず、結合材を土に混ぜる。そうすれば、土が崩れ辛い。そして、少し水を掛けながら、よく混ぜる。
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ニュージーランドでの作業では近くで採れたフラックス・ワイバーを土の結合材として使っている。
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中国の古代の建築技師は簡単に手に入れられる材料のもち米を使った。マニュア(?)を使うこともあった。

二つ目のポイントは水だ。水が土の中にしみ込んでこないようにすることが肝心なのだ。
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一旦しみこんでしまうと水は土を泥に変え、凍り付いて膨れたりすれば土壁は破壊してしまう。そこで、土を使って建物を造るには、その中に水が入り込む空気だまりをなくすことが重要だ。

それを行う唯一の方法がある。土を木枠の中に叩き込んで空気を全て押し出すのだ。
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するとコンクリートと同じ密度の硬い土の塊が完成する。出来た土の壁は表面が滑らかで、触ってみると固いことが判る。
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西安では、考古学者が古代の将軍の墓の発掘を続けている。凡そ2千年前に造られたのにもかかわらず、穴の側面は今もかなり固くて崩れにくい。
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トニア「秘訣は小さな層を積み重ねて造ることだ。土を叩いているのでかなり固い。従ってとても安定した壁になっている。」
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「この辺りを見れば、どんな方法で造られたのかが判る。何層もの土の塊で出来ている。
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壁の一部分だけでも25から30の層で出来ている。層の境は線になっているので直ぐわかる。この作業だけでも数百人の労働者が必要だった。叩いてみると今でもコンクリートのように硬い。」
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数百もの打ち固められた土の層で、この墓穴は造られていた。将軍の墓でもそうだとしたら中国最初の皇帝の墓は比べ物にならないはずだ。辺の長さが350m、高さは50~70mの人工の山で、3百5十万トンの土が使われていたはずだ。それは単なる墓ではなかった。6千haの広さの、世界のどこにも類がない複合墳墓だった。
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始皇帝の墓はこれまで発掘されたことはない。しかし古代の記録によれば、墓の中には途轍(とてつ)もないものが造られている。
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天井は星空の如く輝いている。
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床には水銀が流れる川や海もある。そして王宮のレプリカが皇帝の魂を歓待している。
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彼は、全てのものに取り囲まれながら、地下の王国を永久に統治している。
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全てだ。全てがあったのだ。古代の書物には記録されていなかったが、墓建築技師たちは墓の一画に、彼等の力量を残していた。
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土の軍隊だ。8千体もある。今はテラコッタ戦士として有名だ。
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その近くの壕(ごう)には、別の素晴らしい像もある。
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ジャグラー、アクロバット、事務官、戦車、馬。
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青銅と土で造られた皇帝の国のモデルだ。
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そして・・・暗黒の伝統も現れた。
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始皇帝以前、中国のリーダーたちは死後にも仕えさせるために、生きた人間を生贄として道連れにしていた。しかし、この偉大な墓の場合は、死後において必要となる人数があまりに多すぎて、生贄とするのは恐ろしすぎる行為だった。
「軍隊の兵士全てを殺すことはさすがにできなかった。レプリカを造っておけば十分だったのだ。」

しかし側室は別だ!!!
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古代の記録によれば、始皇帝は子供がない側室は全て道連れにした。しかし、それは真実だろうか?2005年、考古学者チームはそうかも知れないという証拠を見つけた。高台の中に150mx120mの石壁に囲まれた80x50mの部屋を発見した。
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周辺の土壌に高密度の水銀が含まれていることにも気付いた。つまり、地下に水銀の川や海があるという話は事実で、側室の生贄についても真実かも知れない!

しかし、信じられない話は、まだこの墓に残されている。今日まで解かれたことが無いミステリーだ。
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古代の記録によれば、始皇帝の墓は完成していた。高さは150mだったと言う。今の2倍の高さだ!としたら基礎の正方形の大きさは一辺が500mくらいだったはずだ。規模は現在の5倍、エジプトのクフのピラミッドの4倍だ。
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もし、そんなに大きかったとしたら、何故、今は小さいのだろう?

多くの専門家は2千年間に受けた風雨で墓の土が洗い流されたからだと信じている。
しかし、別の考えもある。墓が小さいのは完成していなかったからだと信じている専門家たちもいる。何故、中国の最高権力者が多くの年月を自分の墓の建設に費やしていながら、完成させることが出来なかったというのか?

墓の近くの果樹園で、考古学者のジャン・ジョン・リーはその答えを見つけたかも知れない。大量の骨がある。
「これは足の骨だ。」
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「頭蓋骨はここに埋まっている。歯も付いている。だから体はこの方向に横たわっていたんだ。」

始皇帝の墓は値段の安い土だけで造られていたわけではなかったのだ。数千の安い人間の命も費やされていた。
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「一体、どのくらいの骨があるのか、まだ判っていない。死体が無作為にまとめて埋められた集団墓地だ!」

これらの人々は誰だったのだろう?最近造られた壁画が近くにある。
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始皇帝が中国全土を統一した時、中国の歴史上、最大の労働力を必要としていた。壁画をみれば巨大な墓を造るための労働の様子が判る。
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今日、ここを訪れる観光客はヒーローとして描かれている労働者に気づく。しかし、彼等の骨は異なる物語を持っていたのだ。
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「この頭蓋骨を見て下さい。」
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「歯の状態からみると30歳くらいです。しかし、彼は過酷な労働を過酷な条件下で強いられて死んだんです。」

人生の盛りの強靭な若者にも始皇帝の墓造り作業は生き地獄だったのだ。労働者は夜明けから日暮れまで働かされた。疲れ切って、睡眠や食事も満足に与えられることなく、何千人もが悲劇的な最期を遂げた。
「労働者が死ぬと、個人の墓ではなく、集団の埋葬地に投げ捨てられたのだ。骨が埋まっている層の厚さは10cmもあった。」

トニア「始皇帝の墓は、本当に印象的だ。素晴らしい。革新的で、創造的だ。同時に人の生贄も行われるショッキングなものだった。」
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墓が消費したのは労働力だけではなかった。それまで誰も注ぎ込んだことが無い程の大金が使われていたのだ。その価格は余りに高すぎた。

紀元前210年、始皇帝は死んだ。翌年、疲弊した人民は立ち上がり、反乱を起こした。3年後、彼の後継者は殺され、彼の王朝はたった15年で終わった。
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始皇帝の死後に起きた混乱で、彼の墓は完成することは無かったのかも知れない。それで、彼の墓が当初の予定よりも小さいことが説明されるのかも知れない。
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結局、たった一代で王朝は終わってしまった。しかし、始皇帝が成し遂げた偉大な成果、つまり統一された中国、は崩壊することはなかった。帝国を引き継いだ新しい皇帝たちは、どうすれば、王朝を破壊することなく墓を建てられるのかで苦労することになる。
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始皇帝が死んで8年間続いた血みどろの戦いの後、農民出身のリーダーが敵を倒し、中国の次の王朝「漢」を打ち建てた。
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「この王朝は、豪華ではなく、ドラマチックなものではなく、厳しくなく、全体主義で国家運営することに努めた。」

しかし、始皇帝の呪いは消えていなかった。彼の巨大な墓は、後継者たちなら、同じ規模の墓を造らねばならぬと威圧するかの如き存在だった。
「初代の漢王朝の皇帝は始皇帝と同じ規模のモニュメント的な墓を造りたいと望んでいた。しかし、人民に厳しい仕事を押し付けることなく進めるにはどうしたらよいのかが問題だった。」漢王朝の皇帝たちは、この問題を受け継いでいった。
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巨大な墓は首都の北に並ぶように配置されて造られている。これは偶然ではない。
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2千年前、これらの墓は漢王朝と、王朝にとって最大の強敵「匈奴」との間に造られた。毎年、遊牧民「匈奴」は北のステップから攻め込んで来て、富を奪い去っていった。そこで漢王朝は墓が王朝の守りとなるように造ったのだ。
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「墓は砦として国の守護になるだけではなく、精神的な意味でも守護となっていた。墓を挟んで、手前と向う側では人民の気分も異なっていたはずだ。」
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しかし、シンボル的な守護だけではなく、墓の近くには軍隊も配置されていた。アンリンと呼ばれる墓の近くに考古学者ジョリ・アン・カンはその証拠を見つけた。漢王朝時代に造られた城壁が道を横切って残っている。この村はアンリンの墓を守る砦の町だったのだ。
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「私の立っている場所の西側にアンリンの町があった。発掘の結果によれば東西1200m、南北800mの大きさの町だった。」
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当時、墓を造り、守るため、数万人が住んでいた。匈奴が攻めてきた時は戦った。
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しかし漢王朝には遊牧民以外にも危険な敵がいた。国境の内側に!
強力な軍を従えた能力のある指揮官や貴族だ。
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彼等は王朝を脅かす潜在的な脅威だった。これが墓の守護をする町を造った別の理由だ。皇帝は力のある官僚を選んで墓の管理を命じた。家族を墓の町に移して暮らさねばならぬとしても、その名誉は誰も拒否できない。
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見返りに納税が免除された。しかし皇帝は最大の恩恵を受けることが出来た。権力闘争のライバルとなりそうな男たちを墓の町に閉じ込めておくことが出来たのだから。
「地方出身の力のある男たちを首都に召喚し、墓の町に閉じ込めれば、彼等をコントロールできるばかりか、地方の力は弱体化して皇帝の力は相対的に強化される。」
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漢王朝の皇帝の墓の大きさは、中に何かを隠しているのではないかと思わせる。それが何か、我々は知ることが出来ない。何故なら、考古学者達はこれまで漢王朝の墓を発掘したことがないのだ。
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「彼等は中国人にとって偉大な祖先だ。そんな人物の墓を掘って調べることが正当で適切だと言えるだろうか。しかも、それは平穏に、永遠に眠っていたいと望んでいる人物たちの墓なのだから。これはとても興味深いジレンマdilemmaだと言える。」
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しかし・・・考古学者達はあの世のために造られた皇族の墓に入り、想像を絶する驚くべき世界を見ている。
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西安の始皇帝陵から東に850Kmの近代都市シュージョウXuzhou徐州。漢王朝時代、皇帝の親族が統治していた所だ。
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現在、誰でも墓の内部を見ることが出来る。そこでは皇族が地上での華麗な生活を死後も続けている。
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しかし、生活を確保するため、王は完璧な墓以外にも必要としていたものがあった。数千の翡翠の片から造られた見事な埋葬用衣類だ。
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その衣装は永遠に体を守ると信じられていた。
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記録によれば、漢王朝時、錬金術師やバーミスト(?)達は官僚の肉体で永久に新鮮な状態で保存する方法を試みていたらしい。そして、少なくとも1回は成功していたようだ。
1971年、チャンシャン市でトンネルを掘っていた作業者が、起こりえないはずの信じられない考古学的発見をした。高貴な人物シンジュエXin Zhuiの肉体だ!
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彼女はキリスト誕生より100年も前に死んでいる。しかし、信じられないことに、彼女の肉体は見事に保管されているので、解剖した医師たちは彼女が何故死んだのか、その原因を確認することができた。
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しかし、シンジュエの遺体が、これまで見つかったミイラの中でもっとも自然な状態を保つことができた理由を誰も説明することができなかった。
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mh:別のYoutubeフィルムにこの遺体を解剖する様子を特集したものがあります。気持ちが悪くなるから見ない方がよいと思いますよ。肉体は弾力があって、指で押しても凹みは直ぐに元に戻るんです!お腹を切開して内臓を取り出すんですが・・・死んで数週間後のような・・・スーパーで買ってきた生のサンマから、はらわたを取り出すような・・・ズルズルって感じで手にまとわりついてくるんですね内臓が!おぞましい光景です。)
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しかし、何人かの専門家は、墓建築技師たちが素晴らしい保管技術を行使したからだと考えている。死体は墓の中で空気や水に晒されることで速く朽ちていく。シンジュエは20mの深さの穴に埋められた。遺体はシルクで20層も巻かれ、ラッカーでシールされた4重の棺桶に入れられ、木製の箱で覆ってから1.5mの厚さの炭と、その上から、1mの厚さの高密度の白粘土で覆われた。これが空気と水を完璧に遮断した。このような証拠から、シンジュエの遺体は当時のまま、腐らず、硬直せず、肉体も弾力を保っていたというのだ。
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しかし、漢王朝時、墓は石と瓦礫で覆うのが一般的だった。何故なら、水と空気だけが墓に侵入してくるものではなかったからだ。古代中国では、墓荒らしも死後の平穏な生活を脅かすものだった。
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ある墓では、墓荒らしを退けるための宣伝を掲げていた。グレイ・シャンの墓の地下通路の壁に書かれた2千年前の記事にはこうある。
「この墓には価値のあるものはないので荒らさないでほしい。」
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しかし効き目はなかった。グレイ・シャンは全てを盗まれ、失うことになった。
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考古学者チャン・チェン・リンによれば、石や砂利は盗難防止のよい方法だったという。何故なら、孔をほれないからだと言う。「墓を掘ると直ぐに崩れてしまうため掘り続けるのが難しくて盗掘防止に効果がある。」
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それだけが、漢王朝時、墓泥棒の気力を削(そ)ぐものではなかった。漢の将軍の墓で見つかった粘土の兵士の軍隊は、死後の世界の絢爛度を1ランク下げた明確な証拠だ。
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始皇帝の実物大のテラコッタ戦士と比べてみれば判る。武器も本物と比べたら玩具(おもちゃ)のように小さい。
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「つまり、漢王朝の統治者は賢く、現実的だったのだ。」
墓は始皇帝陵と比べて少ない費用で造られることになった。

しかし、墓の調査の結果、漢王朝の墓建築技師たちは始皇帝の時代同様、冷徹だったことが判った。墓造りで死んだ労働者の遺体に鉄のシャックルが付いていた!考古学者チャン・ボーは、このシャックルがどれほど労働者を痛めつけていたかを解説してくれた。
「丸いシャックルのセットは両手首に取り付けられていた。とても重い手錠のようだ。」
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「長い棒がついた鉄の環は、労働者の首に付けられていた。」
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「棒の先は背骨を押す。だから真っ直ぐ立つことが出来ず、いつも腰を曲げて作業することを強いられた。走って逃げられないようにしていたのだ。」
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西暦220年、4世紀に渡る漢王朝は崩壊することになった。後の皇帝たちに墓を守る秘訣を謎として残したままで。
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ある王朝が、過去を分析し、素晴らしい解決策を見つけた。その墓は皇帝の栄光を未だに維持し続けている。
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漢王朝の崩壊後に数世紀続いた混乱の中から西暦600年頃、唐王朝がうまれ、以降300年、栄華を極めることになった。
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「首都の長安にはアジア各地ばかりでなく、シルクロードで結ばれたヨーロッパから、世界中から、様々な商品、人、文化が流れ込み、多民族的、多文化的、先進的な時代を迎え、繁栄を謳歌した。」
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しかし、墓については、唐王朝も昔からの問題を抱えたままだった。大きな墓だけが尊敬を保証した。しかし、墓の建造に要する多額の費用を捻出するには宝石類も手放さねばならない。すると、経済力が低下し、次の皇帝の権力は低下してしまう。
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この問題を解決する方法を探していた唐王朝は、その答えをここで見つけた。 
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バーリーンという所に造られた漢王朝の皇帝ウェン・ディーの墓だ。彼の墓だけは莫大な費用や労力を必要とする他の墓と異なっていた。
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バーリーンは、大きな孔を人工の山で覆ったピラミッドではなかった。代わりに、皇帝ウェン・ディーは山に深い洞穴を掘るよう技術者に命じたのだ。
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それは簡単で、費用が少なく、後継者の負担が少なく、多くの労働者も必要ではなかった。

「偉大な皇帝の墓なら、大きなピラミッドでなければならない。この問題は、山を墓とすることで解決された。すべきことは、一つ、長いトンネルを掘ることだ。作業者数は数十人でよい。もし、平地に同じ規模の大きさの墓を造るなら数万人の労働者が必要だ。」
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バーリーンは墓の設計に関する大革命で、唐の墓造りに大きな影響を与えた。

唐の皇帝ウェイは賢人で、人民のことを考えた施政を行い、常識も持っていた。
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彼の墓は現在の西安から83Kmのジュエゾン山(九嵕山きゅうそうさん)にある。
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649年に死んだ唐の皇帝タイジョン(太宗たいそう)の墓(昭陵)も同じだ。この山のどこかに玄室に繋がるトンネルがあるのだが、どこにあるのかを知る人はいない。
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古い記録によれば、タイジョン(太宗)の墓建築技師たちは皇帝の遺体が見つかることが無いよう、ジュエゾン山に長く、折れ曲がったトンネルを掘った。
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我々はタイジョン(太宗)の墓を調べることは出来ない。しかし、その近くにある、西暦643年に23歳で死んだ娘のチョングァーの墓には入ることが出来る。
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王女チョングァーは昔の王朝の贅沢さを明らかに1ランク下げた墓に眠っている。実物大の粘土の兵士はいない。小さな像figurineだけだ。
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台所も、宴会場も、トイレも造られていない。壁に描かれた絵だけで死後の世界を楽しんでいる。
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「何体の小さな像figurineを埋めるかについては規則があった。50体又は70体だ。像の大きさは40cmか50cmだ。異なるルールが異なる地位の人々に適用された。」 
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「唐の皇帝たちは墓荒らしにあう危険を十分承知していた。玄室にたどり着く前に価値のない小さな像が並んでいるのを見れば貴重な宝石などはなさそうだと思って諦めるだろうから、死者たちは安心して眠っていることができるはずだ。」
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今後、いつの日か、考古学者たちは始皇帝の墓を開く時が来るかもしれない。また、漢王朝の墓も調査するかも知れない。唐の墓の秘密を探し当てるかもしれない。その時、彼等は何を見つけるのだろう。
見事に生きた姿で保存された貴族たちの遺体か?
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想像を絶する宝物か?墓荒らしが残したものか?

そんな日はこないかも知れない。しかし、墓の中で眠っている、人の心を惹(ひ)きつける何かは、墓を偉大なモニュメントに仕立て上げ、古代中国を大きなミステリーにしている。
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China's Lost Pyramids - Ancient Secrets Documentary 2015
https://www.youtube.com/watch?v=0ujFpnbvHW8
ご参考にGoogle Earthの始皇帝廟を挙げておきます。
ピラミッドの一辺はおよそ500mです。
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中国ばかりでなく、古代エジプト、ペルーのカラルにも王を埋葬したピラミッドが見つかっています。
ピラミッドといえば、マヤ、テオティワカン(メキシコ)などにもありますが、こちらの方は王の墓ではなく、神殿でした。つまり、ピラミッドには個人の墓と神殿の2種類があるんですね。で、日本の円墳とか前方後円墳などは明らかに個人の墓で、エジプトや中国のピラミッドと同じ系統です。

古代エジプトでも古代中国でも、飛鳥時代の大和地方でも、権力者たちは生きているうちから自分の墓を造り始めていますので、死後の世界の存在を信じ、永遠に優雅に暮らそうと考えたと見て間違いないでしょう。このような、死後の世界を前提とした墓の建築は今では行われなくなっています。それは古代の王のような権力者がいなくなったからではなく、死後の世界に対する考え方が変わったからです。もし、立派な墓を造れば死後の世界が保証されるなら、今だって、お金持ちはピラミッドのような墓を造っていることでしょう。

昔、人々は様々な自然現象がどのようにして起きるのか理解できていませんでした。この不可解を引き起こし、管理しているのはどこに住む誰なのか?

そうです、天国に住んでいる神様だって考えたんですね。それ以外には思いつかなかったんです!で、神様は永遠の生命を持っているはずだと考えました。ならば、自分もなんとかして神様の住む国で、永遠に楽しく暮らしたいって思うようになったんです。で、大きな墓を造り、じっと眠っていれば、そのうち、天国に行けるチャンスにも恵まれるんではないかと思ったんです。しかし、科学の進歩によって、多くの不可思議には理由があって、神様が関与していないってことが分かるようになるにつれ、神様は存在しないと思うようになり、輪廻や死後の世界も架空でしかないことに気付き、だったら墓を造ることに大切な時間や資源を浪費するのをやめ、今を楽しく、充実して生きることに注力しようと考えるようになったのでしょう。

そう考えてみると、私なんぞはあんなに大きな墓に眠る仁徳天皇などよりもずっと貧乏で権力などは全く持ち合わせていませんが、仁徳天皇よりも幸せな人生を過ごしていることは間違いありません。

なお、一説によれば仁徳天皇は西暦257年~399年の人で享年142歳だったようです。権力者だったようですが、いつ生まれ、いつ死んだかも判っていないようで、仁徳天皇陵と呼ばれる古墳も本当に彼のものかどうか・・・存在すら疑わしい、おぼろな人に思われます。昔から、権力者は無駄なことばかりしてきたんですね。権力者に限定すれば、今も昔と大差は有りません。権力者の皆さま、ご愁傷さまです。
(完)

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mh徒然草84: 広島の外相会議で核廃絶を訴える日本?


この原稿を作成している今日は4月8日ですが、2日後の4月10,11日に広島で開催予定のG7外相会議について、岸田外相がインタビューに答えているニュースをTVで見ました。

ネットでも見つかったのでご紹介しましょう。
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G7外相会合「広島宣言」各国首脳に「被爆地訪問を」
(テレビ朝日系(ANN) 4月8日(金)11時49分配信)
G7外相会合で採択される「広島宣言」のなかで、世界の指導者に被爆地訪問を促す言葉が盛り込まれることが分かりました。
平和公園には本当に多くの外国人が訪れます。広島宣言には、原爆の現実を世界の指導者にも見てもらいたいという思いが込められることになります。
岸田外務大臣:「様々な被爆の実相に触れてもらうわけですので、自分の目で、自分の心でしっかり様々なものを見てもらうことが重要」
「核兵器の透明性」についても盛り込まれる方向です。これは、どれだけ核兵器を保有しているかオープンにする必要性を強調するものです。さらに、核軍縮をそれぞれの核保有国の自助努力だけに任せず、国際社会が結束して進めるべきとの考えも入ります。ポイントは「核兵器は非人道的だ」と訴えるところです。核保有国は反対しているので、残り2日間でどれだけ説得できるかが勝負です。.
・・・・・・・・・・・・
で~、このG7外相会議は、5月26日(木)~27日(金)に開催予定の伊勢志摩サミット(先進国首脳会議)の事前打ち合わせのようですが、外務省ホームページによれば、テロ・暴力的過激主義,難民問題,軍縮・不拡散,海洋安全保障等の国際社会が直面する喫緊の課題や,北朝鮮,中東,ウクライナといった地域情勢についての議論が行われる予定です。また、関連行事として,広島平和記念資料館訪問及び原爆死没者慰霊碑への献花並びに宮島厳島神社への訪問が予定されています。

原爆で身内を失った広島の人が主要国の外相などに核廃絶を訴えたい気持ちを持つのは、心情的には理解しますが、今の日本政府がいくら訴えても、何の役にも立たないでしょう。国連での討議の様子からも判るように、そもそも、核保有国は核廃絶には反対ですし、日本も時には、核廃絶決議に態度を保留したりしているのは、既にブログでもご紹介した通りです。

オバマ大統領には広島を訪問してほしいとの希望を日本政府や広島市民は持っているようですが、何故、訪問してほしいのでしょう?まさか、あやまってほしいと思っているなんてことはないですよね?

アメリカ人には、原爆のおかげで日本に終戦を決意させられたのだから、礼を言われるとしても、アメリカ大統領が広島で被災者に頭を垂れて詫びる必要などは毛頭ないという考えが強いようです。私もその考えは間違いではないと思います。

原爆投下について謝らねばならないのは太平洋戦争を始めた日本政府であってアメリカではありません。

本当に原爆を世界から無くしたければ、日本政府や広島は、もっと積極的に意見を言い、活動する必要があります。ただ単に、広島に来てほしい、だけでは子供がすねているのと同じです。

しかし・・・核保有国は核を手放さず、非核保有国の中には核保有に向けて動いている国がある中で核廃絶を訴えるのは、とても空しいことだと思わざるを得ません。ましてや、軍拡や核保有を続ける中国や北朝鮮がある以上、日本が防衛のために軍拡し、核保有するのもやむを得ないと考える人が増えている状態で、広島に来て平和を感じてほしいなどと言うだけで平和を推進している気分になっている日本にはあきれるばかりです。

本来、広島や長崎など悲惨な事例を持っている日本は、核廃絶に対し大きな貢献ができるはずでした。それが出来ずにいるのは、太平洋戦争や日中戦争、韓国併合などで、近隣諸国にかけた迷惑を心から詫びたことがなく、今は詫びる必要もないと考える人が増えている日本の姿勢にあるとおもいます。こんな日本が、広島だけが悲惨な被害を受けたような話をするものだから、どの国も真面目に聞いてくれないのです。

ひょっとすると、太平洋戦争が終わった後の国会での総括で、戦争を始めたのはまずかったとか、将来は戦争を放棄する、などとは決議したものの、戦争で重大な被害を与えた諸外国、戦争で亡くなった日本国民、アメリカ国民、アジアの人々に対して心からの遺憾の意を明確にしていないのではないでしょうか。そうでなければ、一部の国会議員や安倍首相などが、あれは侵略戦争ではないとか、軍拡は必要だ、などと言い出すはずはありません。のど元過ぎればっていいますから、不都合な歴史は忘れることにしたのかもしれませんね、いまの政府は。

ご参考:
日本国憲法第9条
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
(mh:やはり、反省はありませんねぇ。どこかに書かれているのでしょうが、どんな反省をしたのか、どんな賠償をしたのか、それは受け入れられたのか、二度としないと誓っているのか。このあたりが不明瞭だから、韓国や中国など、痛めつけられた国から何度も糾弾されるんだと思います。でも、第9条は戦力は持たないって明言してますね。自衛隊って戦力じゃあないんですね?軍拡や集団的自衛権は憲法第9条に矛盾しないって首相ばかりでなく内閣法制局トップが言ってましたが、彼等の発想は理解不可能です。矛盾を知ったうえで言っているなら看過できない事態です。)

Sealed With A Kiss Lyrics - Brian Hyland
https://www.youtube.com/watch?v=8pFEu_fVMe0

(完)

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ネフェルティティの不思議

去年の10月、mhは昔からの憧れの地エジプトを訪れ、ナイル・クルーズや、アブシンベル神殿、ギザのピラミッドなどを堪能してきました。「よかったね。ブログも見たよ。」と言ってくれる読者もらっしゃるかも知れません、いらっしゃらないかも知れませんが・・・

そのブログで、エジプトのお土産をご紹介しました。ネフェルティティNefertitiの置物とシルバーのネックレスです。
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ナイルを遡るクルーズ船プリンセス・サラー号の船上でmhがスルメの足をしゃぶりながらビールを飲んでいる10月19日、日本で公開されたブログ「エジプトの失われた都市」では、エジプト王アケナーテンの第一夫人でエジプト三大美女の一人と(恐らく日本だけで)言われているネフェルティティをご紹介したのです。
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(ベルリンの博物館島の新博物館に展示されている像)

当時、つまり紀元前1350年頃、それまでのエジプト帝国首都テーベ(現ルクソール)を捨て、ナイルを200Km以上下った砂漠に新首都アマーナAmernaを造り、太陽神アテンを崇拝した異端児アケナーテンとネフェルティティですが、二人の間に生まれたのは6人の娘です。アケナーテンの息子はというと・・・アケナーテンと、彼の姉妹のキヤKiyaという女性の間に近親相関で生まれたトゥトアンクアテン(Tutankhatenアテンの生ける似姿)でした。後にアテン神を放棄し、エジプト古来の神アムンに因(ちなん)でツタンカーメン(トゥトアンクアムン、Tutankhamun)と変名した、あの少年王です!

で~、mhがエジプトから帰国して約1ヶ月後の11月下旬から12月の初旬にかけて、あるニュースが世界中を駆け巡り、偶然、そのニュースをTVで見たmhは唖然として「えっ?本当かいな」という妙な感想を漏らしたのです。信じられないような、でも事実なら歴史の不思議が解き明かされるかも知れないとの予感も覚えました。恐らく読者の中にも、このニュースをご承知の方は多いでしょう。

「ツタンカーメンの墓の壁裏にネフェルティティの墓が?」
(記事)
「ツタンカーメン王の墓で2日間かけてレーダースキャン調査を行った考古学者らによると、データの簡易分析の結果、王の玄室には隠された出入り口が2カ所あり、その向こうに閉ざされた区画がある証拠が見つかったという。
 2015年11月28日にエジプト・ルクソールで発表されたこの内容は、英国人考古学者ニコラス・リーブス氏が提唱している、ツタンカーメン王の墓の中にはもう一人別の王族が埋葬されているという仮説を裏づけるものだ。リーブス氏は、隠された墓に眠っているのはツタンカーメンの義母で、女性のファラオとしてエジプト第18王朝を支配したとされるネフェルティティと推測している。」

で、次の図は王家の谷(Kings’Valley)KV-62;ツタンカーメンの墓と新たな「区画」を示しています。
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つまり壁画の壁の裏側にXとYという空間がありそうで、空間Yにネフェルティティが眠っているのではないか、と言ってるんですね、ニコラス・リーブス氏は!

で~、なんで今頃、mhがこんなことを言ってるかと言うとですね、実は、このブログは「ネフェルティティの遺体が王家の墓で見つかった!」と言うYoutubeフィルムを紹介しようというものなんですが・・・
ある考古学者がネフェルティティの遺体を見つけた!と言ってるんですが・・・
歯切れが悪くて申し訳ないのですが・・・お釈迦様の仰るように、因果応報でして・・・

ま、思い切ってご紹介しましょう!Youtubeでネフェルティティを見つけたと仰る方を!勿論、ニコラス・リーブス氏ではありません!!!
誰かっていうとジョアン・フレッチャーJoann Fletcher博士です。mh好みの女性ですね。
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で、彼女がネフェルティティのミイラをどこで見つけたと騒いでいるかというと・・・ツタンカーメンの墓KV-62から数十mも離れた墓KV-35です! アメンホテプ2世とその他のミイラが見つかっています。
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で、ジョアン・フレッチャー博士、以降ジョアンと呼ばせて頂きますが・・・
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ジョアンは、そこで見つかったその他のミイラの一つがネフェルティティだって言ってるんですね!
Youtube“彼女は蜃気楼の如く歴史から消え去った。”
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“今、一人のエジプト学者は思っている。”
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“私はツタンカーメンの墓以降で最も偉大な発見をしたと。”
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つまり、ネフェルティティの墓を見つけた、って言ってるんですね。
彼女がそう考えるには、勿論、お釈迦様の仰るように理由があるんです。
何年も前にKV-35で、ある考古学者が壁画の裏側の空洞に3体のミイラを発見し、それをレポートしていたんです。で、ジョアンは10年以上、このミイラについて色々考えていたんですね。3体のうちの1体はネフェルティティではなかろうか?って考えるようになったんです。確証がないのでLady-X(X夫人)と呼んでいます。

で、どうしても自分の仮説を確認したくなったんですね、ジョアンは。で、2003年、カメラ・スタッフも引き連れて、KV-35を訪れたんです。以下の写真は、その時に撮影されたフィルムから取ってますから、所謂(いわゆる)再現フィルムではありません。正真正銘の当時のものです。

ジョアンはKV-35の、3つのミイラが見つかった場所の前で、ある男が来るのを待っています。
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3体のミイラが見つかった空洞は、劣化を防ぐため、煉瓦とモルタルでシールされています。
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ジョアンが待っているのは・・・ザヒ・ハワス博士です。
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エジプト最高考古庁のトップで、これまで何度も、エジプトの不思議のブログに登場してきた人物です。
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ジョアン「あっ!こんにちは、ハワス博士。お世話になります。」
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“いかなる調査、発掘であろうとハワス博士の許可が必須だ!”
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“彼が、そうしてよい、と言ってくれなければ、墓を掘り明けることは出来ない!”
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で~、今回、ハワス博士の許可を得たので、シールを壊して中を見ることが出来るようになったんです。
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まず、ハワス博士が中を懐中電灯で照らしてみます。
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ハワス博士「ジョアン。中に入って見てみるかい?どうぞ、どうぞ。」
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“3体のミイラは衣服をつけていて、当時のままだ。”
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で、一番奥で眠っているこの遺体が、ネフェルティティの可能性がある、とジョアンが考えているLady-Xです。
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“ジョアンはこの遺体をLady-Xと命名して13年もの間、研究してきた。”
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“ジョアンは、このミイラが誰だと考えているか、ハワス博士にすら話していない。”
(mh:この表現、つまりハワス博士にすらもネフェルティティではないかと考えていることを伝えていない、という曖昧な表現に隠れている内容などが、後日、大きなトラブルを起こすんです。実は、それをmhが知ったのは、このYoutubeを紹介しようとして関連情報をネットを調べていた時なんです!で~、このブログの方向性が定まらなくなって、本当に弱ってるんです。どんな結末を迎えることになるのか、お釈迦様ではありませんが、今は「なるようになる、それを受け入れよ」って心境です。)
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“この3人が誰なのかを特定することは誰も出来なかった。”
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ザヒ・ハワス博士「何人かは試みたようだけどね。みんな、それぞれ勝手に想像しているだけさ。」
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mh:つまり3人のミイラが誰なのか、説得力ある証拠や理論を示して説明できる人はいないって彼は言ってるんですね。至極、適切で、真実を言い当てている表現だと思います、私は。勿論、この時点で、ザヒ・ハワス氏は、ジョアンがネフェルティティだと考えてていることを知っていないんですね。

“ジョアンが一人で調査できるようにと、ハワス博士は彼女を残して去っていった。”
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“Lady-Xがネフェルティティかどうかを判断するためにジョアンに与えられた時間は2時間だけだ。”
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“奇妙なのだが、左耳には一つではなく、2つのピアス穴があけられている。”
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“口元が壊されているのは何かを暗示しているようだが・・・何だろう?”
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“ネフェルティティのレリーフでも顔は全て壊されている!”
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で~以降、暫くの間、Youtubeフィルムはネフェルティティとアカナーテンの生活の様子などの映像が続くのですが、今回のブログの狙いとはかけ離れているので省略して・・・

“6ヶ月前、ジョアンはネフェルティティかもしれないミイラを、ここで見つけた。”
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つまり、KV-35でザヒ・ハワス博士と一緒に3体のミイラが寝ている場所に入ってから6ヶ月後ってことですが・・・
撮影機器を沢山持ち込んできました!勿論、撮影クルーやX線撮影や遺体の性別や年齢なども推定する専門家たちも同行した大デレゲーションです!
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この時、ザヒ・ハワス博士は同行していないようでした、もし同行していたら、必ずフィルムにも再登場していたはずです。彼は、最初に壁を打ち破って少しの間、そこに留まっていただけでした。この辺りも今回のブログの重要な点かも知れません。

キャノン製のX線カメラなどの機材が墓の中に運ばれていきます。
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X線撮影機を穴の中にセットし、上方からX線を当て、ミイラの下に挿入した「X線感知電子乾板」情報をデジタル化し記録します。
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この撮影作業が終わると全員イギリスに戻り、X線情報から色々な検討をしました。

専門家によれば、Lady-Xは20歳くらいの女性のようだとのこと。ジョアンはがっかりします。何故って、もしネフェルティティなら6人の女の子の母親でもあったわけで、20歳以下ってことはないからです。彼女に同情したのか、それとも新たな事実がデジタル情報の中から見つかったのか、定かではありませんが「Lady-Xは30歳くらいだったかもしれない、35歳以上ということは絶対にない」って見解に修正されました。ジョアンにとっては朗報です。

口の傷は、死後、かなりの時間が経って死後硬直も完結した硬い遺体の状態になってから、刀のようなもので殴られたのではないかと結論しています。つまり彼女に怨みを持つ者が、彼女の死後、例えば1年以上たってから、彼女の遺体を辱めようとしてやったということです。実はその再現映像で使われていた刀はアラビアの刀だったようで、寄せられたアラビア人のコメントには「キリスト教徒の陰湿な中傷だ」との非難もありました!

で~骨相学からLady-Xの生前の様子がコンピューター・グラフィックCGで造り出されるのですが、それを見たジョアンは「信じられない!本当に信じられない!」って興奮しています。付け加えておきますと、フィルムのいろいろな場面で、彼女は、この信じられない、を連発していました。
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で~CGで造られた立体像は次の通りでした。
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似ていない、とは言えません。どちらかと言えば“似ている!”と言うべきでしょう。
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この顔を作るCGデザイナーもネフェルティティの胸像のイメージを十分頭に入れていたのではないかとmhは想像しますから、細面の女性なら、この種の顔に仕上がるのではないかなと思います。
ジョアンの仮説に基づいて行われた調査の様子からCGによるクライマックスまでを映したフィルムは次のURLから見ることが出来ます。
Discovery Documentary | Queen Nefertiti - The Most Beautiful Women ( History Documentary )
https://www.youtube.com/watch?v=64Y8_fzQX1A

言い忘れていましたが、KV-35はアメンホテプ2世の墓なのは間違いないようで、彼はネフェルティティの旦那となったアケナーテン、正式名はアメンホテプ4世、の祖父ですから、孫の女房だったネフェルティティが同じ墓で見つかったとしても違和感はないんです。

で~、ここからがブログの本題と言えるところなのかも知れないのですが、このYoutubeフィルムが2003年にディスカバリー・チャンネルTVで公開されると、ジョアンはザヒ・ハワス博士の逆鱗(げきりん)に触れたようで、以降、エジプトでの調査から完全に締め出されるのです!

これは有名な事件だったようです。で、Wiki:Joann Fletcherによると、彼女は1966年8月生まれってことですから今は49歳ってことですが、それは本題とは関係ないのですが、ザヒ・ハワス博士とのトラブルの経緯がWikiに書かれているんですねぇ。
以下に要点だけ記すようにしたいと思いますが、あまり端折(はしょ)ると真実が判らなくなる恐れもありますので、ほどほどに端折って説明すると・・・

“英国ヨーク大学のジョアンは、当時のエジプト最高考古庁(SCA)のリーダーのザヒ・ハワス博士の許可を受けた後、ディスカバリー・チャンネルの資金や技術支援を受けて編成した撮影チームを引き連れてKV-35を訪れた。そこには1898年発見された3つのミイラがあり、ジョアンは、そのうちの一体はネフェルティティのものではないかとの仮説を持っていた。この仮説は(mh:ここのところが重要です)現地調査が終わって直ぐにザヒ・ハワス博士及びSCAに提出されたレポートに記されていた。”

“ジョアンの仮説は、「あのミイラは、女ではなく、15歳くらいの男だ(これは後日、間違いだと判明)」とか「結論は状況証拠だけで導き出され、極めて曖昧なものだ」などと否定されている。アメリカ考古学協会が発行する「考古学」という本では「ネフェルティティだという断定はたわごとでしかない」と酷評されている。エジプト最高考古庁長官ザヒ・ハワス博士は「ジョアン博士は規則を破った」として彼女がエジプトで仕事をすることを禁じた。”

以下はWikiに記載されているザヒ・ハワス氏の意見です。
“規則では、全ての発見は事前にSCA(エジプト最高考古庁)に報告されねばならない、となっている。偉大な発見かもしれないことについて、先に公開してしまったことで、ジョアンはSCA(エジプト最高考古庁)とヨーク大学が結んだ契約を破った。多くの学者達が、まだ裏付け証拠が不十分だと考えていることをメディアに流したことにより、ジョアンは契約を破ったことになるので、ヨーク大学が改善したことを我々が認めない限り、彼女がエジプトで仕事をすることを禁じる。”

で、ジョアンと共に調査した面々やマスコミは、ジョアンがマスコミ公開前に仮説をSCAに送っていたこと、あくまでも“仮説”であってジョアンが“発見”と言ってない事、ディスカバリー・チャンネルで公開される前にザヒ・ハワス博士もこれを確認すべき時間があったこと、などを理由に反論し、結局2008年にはまた王家の谷でジョアンが考古学的な仕事に就けるようになっているようです!

で、Wiki: List of burials in the Valley of the Kings(王家の谷の埋葬者リスト)のKV35をクリックすると、次の重要な新情報が書かれていました!!!
“2003年、英国考古学者ジョアン・フレッチャーがネフェルティティではないかという若い女性のミイラについては、ザヒ・ハワス博士はツタンカーメンの母親とも考えられている女性キヤKiyaではないかと考えていて、論争となった。更には何人かの考古学者は、女ではなく男だと主張していた。しかし、DNA分析すると、女性はアメンホテプ3世の娘のティエTiyeで、ツタンカーメンの母であるとの結果が出た。場合に寄るとティエTiyeではなくNebetiahまたはBeketatenの可能性もある。”(mh:いずれも亭主アケナーテンの姉妹ですから類似したDNAなのでしょう。つまり兄妹でツタンカーメンを生んだってことです。)

DNA結果でLady-Xがネフェルティティでないとの結果が出ている以上、ジョアンが出演したYoutubeを主題にブログ化する訳にはいきません。そこで、お出まし頂くことにしたのが昨年末に世界を駆け巡ったニュース「ツタンカーメンの墓にネフェルティティが隠されているようだ」との情報です。

ツタンカーメンの墓の北側の壁の前で地底探査機をゆっくり移動している男・・・
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なんだか日本人みたいな・・・
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結果がディスプレーに映っています。
男「こことここで素材が変わってますね。」
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mhが見ても、あちこちに筋が見えるので、何が何だか判りませんが・・・あるんですね、きっと何かが。

2011年にザヒ・ハワス博士が引退したエジプト最高考古庁の大臣が言っています「ここからここの間で材質がちがってるんだ。きっと内部に空洞がある!」って。
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ここに、関係者4人が顔をそろえてますが・・・
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左から、日本人レーダー技術者の渡辺広勝氏、エジプト最高考古庁のマムドウ(ダマティ)氏、ここにネフェルティティが眠るかもしれない墓が隠れていると言う英国人考古学者ニコラス・リーブス氏、日本人考古学者の上野由美子氏。

ネット情報によれば
渡辺広勝氏は、株式会社光電製作所という、魚群探知機なんかを製造販売している会社の元従業員のようです。
上野由美子氏は、古代オリエントガラス研究家で、1995年~現在 UCL (ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン) 考古学研究所 在籍中です。

もう少し、4人がはっきり映った写真がありましたので載せておきます。
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で~、ニコラス・リーブス氏ですが・・・
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アリゾナ大学の上級エジプト学者となっています。

何故、彼は、この壁の向うにネフェルティティが眠る空洞(墓)があると言い出したのか?
次の、絵がデーター処理で除去された壁の凹凸を示す写真において、北側の壁は中央あたりの線―2から右端に近い線―3の間で、他の材質と異なっていて、線―2と線―3の間の中央辺りの下方には線―4,5,6で囲まれる、更に異なる材質で出来ているスペースがあるって言うんですね!!!
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何故、それに気付いたのか?
お釈迦様が仰るように因果応報、理由があるんですね。

実は、王家の谷には大勢の観光客が訪れるので壁画の劣化が危惧されていました。そこで重要な壁画のコピーを作っておこうという計画が出たんですね。まずは、手頃なサイズの壁画で、有名な墓をってことで、ツタンカーメンの棺が在る部屋とそっくりのレプリカを作り、その壁に、実物と瓜二つの壁画を準備しようということになったんです。

レプリカを造る仕事を請け負ったのが欧州の数カ国に拠点をもつファクトゥム・アルテFactum Arte(スペイン語:事実アート)という会社でした。

“ザヒ・ハワス博士が公開許可を出した”という、ファクトゥム・アルテ製作のツタンカーメンの墓のレプリカ製造過程の宣伝フィルムがありました。
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2009年、ツタンカーメンの墓に測定器を持ち込んで計測を始めました。
まず、レーザー走査カメラで壁面全体の凹凸を計測します。測定精度は±0.1mm程度でしょう。漆喰の壁面の凹凸を測るには十分すぎる性能です!
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次に高感度カメラを壁面に沿って走査し壁面の色彩情報を高解像度で取り込みます。
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類似の色見本を何種類か変えながら、壁画と一緒に撮影します。これにより照明の影響による実際の色とカメラ撮影された色の差を補正するのです。
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レーザー走査で測定されたデジタル情報から再生された表面は次の通りです。
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壁表面の凹凸が0.1mm単位で表わされているんですね。このデータを見たニコラス・リーブス氏は、“線”があると気付きました!確かに、何かひっかき傷みたいなものが見えます!で~、部屋があるんじゃあないのか?って妄想を抱いたんですね。そこで、2015年11月26日、ニコラス氏がネフェルティティの墓があるようだ、と発表する2日前、日本の光電製作所が造った(超音波?)レーダー探査機を持ち込んで渡辺氏が壁の内側の探査を行った結果、既にご紹介したような結論に至ったというわけです。

で、ツタンカーメンの墓室のレプリカですが、このmhも観させていただきました、エジプトで!
製造工程の宣伝フィルムをさらに見ていくと・・・
まず、壁となる素材をレーザー走査で測定した凹凸データに基づいて細いドリルで加工し、墓の壁と瓜二つの凹凸の石板を造ります。
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出来上がった壁の板です。
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絵の方はと言うと、プリンターでビニールシートに印刷します。
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これを壁になる板に貼り付けるのです。
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こうして壁画が完成していきます。
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これをエジプトのルクソールのナイル西岸にあるハワード・カーターの家の近くまで運びました。
カーターは1922年、ツタンカーメンの墓を発見するのですが、発掘作業の間、王家の谷から車で20分くらいナイル方向に走った場所にあった家に住んでいたのです。勿論、この私も訪問しています。
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で、この家からナイル方向に100mくらい離れた砂地にツタンカーメンの墓のレプリカが造られました。
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完成した2014年のお披露目会の様子です。
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部屋は砂に埋められています。
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で~、ツタンカーメンの墓の北の壁の裏には本当に墓が隠されているのか?そこに眠っているのは本当にネフェルティティか?

それは、まだ証明されていないんですねぇ。

まずもって、部屋があるのかすら、若干、疑われるところです。確かに、縦に走る線のような模様があちらこちらに見えてますから、そこがほかの所と違いそうだ、ってことは判るんですが・・・空間を示すものなのかどうか。
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仮に、空間があったとして、そこにネフェルティティが眠っているなんて、何で言えるのか?それを暗示する具体的な証拠や情報は何も説明されていませんから、ミイラがあるのか、あったとしてそれが女か、なんて判るわけないんです!、よって、ザヒ・ハワス博士ではありませんが、無責任な噂を立てまくる男なんか、二度とエジプトに来ることを認めない、ってな結論が出てもおかしくない位です。

前回のブログではクレオパトラの墓を探求する素人考古学者キャスリン・マルチネスをご紹介しました。これまで墓を探しても見つかっていないってことは・・・と言う消去法と、クレオパトラはイシスの現人神だと言っていたから、ひょっとすると神殿に埋葬されたのでは?という思い付きと、クレオパトラくらいの女王なら大きな構造物のある所に埋葬されているはずだ、との予測の結晶がタポシリス・マグナ複合神殿での重要な発見に結びついたことを考えると、考古学というものは、理屈よりも浪漫(ろまん)、分析よりも行動、が幅を利かしている分野なのかも知れません。

ネット記事によればザヒ・ハワス博士は、ニコラス・リーブス氏が主張するツタンカーメンの墓の北壁を少々破壊し、カメラを入れて調査するなどという主張は、エジプトの宝ともいえる墓を傷つけるだけで、許可できるものではない、と言ってます、もう彼は現役引退してますから、どこまで彼の意見が通るのか判りませんが。ザヒ・ハワス博士の独裁者的な言動は改められてしかるべきだと思っていましたし、何の証拠もなく、ネフェルティティが眠っていると思われるとの妄想を公言するニコラス・リーブス氏は誇大妄想狂とも思えるし、KV-35の遺体がネフェルティティだと思いこんだジョアン・フレッチャー女史もニコラス氏も同じ穴に住むムジナの様に思われてきて、これだったら、私だって安楽椅子探偵を気取って炬燵考古学者として立派にやって行けるのではないかという気がしてきました。次回はYoutubeの翻訳など、誰でもできそうな内容のブログではなく、世界をあっと言わせる大発見のブログを公開してみたいものだ、との思いを膨らましています。この私目に解き明かせたい不思議がございましたら、このブログのコメント欄に投稿して頂ければ、検討させて頂きますので、ご遠慮なく、お申し付けください。
Mystery Hunter
追記:4月9日、ツタンカーメンの壁画の裏の調査がどうなっているか確認したところ、3月末頃に何度目かのレーダ調査をしています。データの詳細分析をしないと結論がでないようですが、4月11日の週にはその結果がでるとのこと。何か発表があるかもしれませんが、mhの予測では、信頼できる新事実は見つからないのではないかと思います。なお、考古学庁のリーダーは最近、交替したとのこと。ザヒ・ハワス博士の呪いってことはないと思いますが・・・
詳細は次のURLで確認できます。
http://edition.cnn.com/2016/04/01/middleeast/nefertiti-tut-tomb-radar/

(完)

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mh徒然草83: 神様と天国と地獄

mhがお釈迦様を尊敬し、キリスト教やイスラム教、ヒンドゥ教などついては、非難めいたコメントをしていることについては、このブログの読者の皆様は先刻、ご承知だと思います。

キリスト(キリスト教の唯一神)、アッラー(ユダヤ教の唯一神)、ヤハウェ(ユダヤ教の唯一神)などは、人間を超越した神格、簡単に言えば「神」で、永遠の存在です。姿を変えて地上に現れたこともある神、例えばキリスト、もいますが、基本的には、神の住む空間で永遠に暮らし、消滅することはありません。

で~神が住む空間とはどこにある、何んという場所か?それは天国と呼ばれる空間なんですね。時々は教会とかモスクとか神社に降臨するのかも知れませんが、いつもは天国にいるんです。で、天国はどこにあるのかと問われれば、なんとも答えることが出来ません。で、心の中にあると言うことになるのだと思いますが、文字通り一心一体(一進一退)の人間の心に神がいるって言うことは・・・天国って人間の体の中にあるってことになります。

それはさすがに妙ちくりんな理屈になってしまいますから、そうじゃぁなくて、天国っていう所だよ、ってことに戻るわけですが、じゃあ、どこなんだ?と問われると答えられません。それは神社に祀られている神様についても同じだと思いますが・・・で、天国のイメージを明確にするために、対比として地獄を創造し、引き合いに出すことにしたのだと思います。

神格化された人間のような神様ではなく、太陽の神や風の神を敬う、所謂(いわゆる)原始宗教もあります。このような宗教では、信仰の対象は神というよりも自然そのものですから、見えるんですね、どこにあるのか。ま、風は直接は見ることはできないのですが、水、太陽、月、木、山、雨などは見ることができます。こういう宗教には天国などという不可解なものは不要なんですね、とても判りやすい、素直な宗教というか信仰だと思います。

で~、なんで、こんなことを書いているかっていいますと、実はこのブログでお釈迦様の生涯や教えについて情報を整理してみようかと考えたからなんですが・・・どんなストーリーなら皆さまに楽しんで頂けるか、まだまとまりません。実は、2年程前にインドに行くに当たって何度か見て感銘を受けた、仏陀の生涯を紹介する、2時間程のYoutubeフィルムがあるのですが、それをそのままご紹介しても、生まれて死ぬまで、どんな暮らしをしたのかは判るでしょうが、何を考え、何を弟子達に教え残したのかは、ほとんど紹介されていないのです。それじゃぁどうもねぇって思いまして、今もぐずぐずとキー・ボードを叩いている訳です。

さて、尊敬するお釈迦様を皆様に楽しくご紹介するにはどうしたらよいのか。もう少し、アイデアを整理してから再挑戦させて頂くことにして、若きmhにお釈迦様を教えてくれたかもしれない曲をお送りしましょう。
絲綢之路/喜多郎です。それが終わると続いて「飛天」。これもいい曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=SuWKMkfXqt0
(完)

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CleopatraとKathleen Martinez Berryの不思議

クレオパトラとキャスリン・マルチネス・ベリーの不思議?
クレオパトラなら知ってるけど・・・キャスリン?
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まずはネット記事をご紹介しましょう。
「Adventures in Archaeology: Kathleen Martinez Berry’s Quest to Find Cleopatra」
考古学の冒険:キャスリン・マルチネス・ベリーのクレオパトラ探求

以降、キャスリンの生い立ちや、エジプトでのエピソードが続きます。長い説明で、読んでくれと言うのは少々気が引けるのですが、これを見ておいて頂かないと、その後で紹介するYoutubeの内容はあまりに唐突で、ご理解頂けないのではないかと思いますので、頑張って、大意を理解する程度でよいですから通読願います。
(記事)
キャスリンはドミニカ共和国のサント・ドミンゴSanto Domingoで弁護士の父、フランス系英国人の母によって溺愛されながら育った。幼い頃は本が一杯の自宅の書斎で開かれる父と仲間の弁護士たちとの勉強会に父と一緒に“参加”し、議論の様子を見ていたという。学問を目指すようになって以降で特記すべきことは少ないが、何度もチェスのチャンピオンになったり、素晴らしい水泳者swimmerであったり、柔道、空手、ピアノにも打込んだりしていた。

学問への興味はかなり早い時期から現れていたようで、5歳で幼稚園初めての登園日、画用紙とクレヨンを渡されると直ぐ手を挙げて先生にこう言った。「お家で描いていいですか?先生に教えてもらうことはないと思うから。」

翌日、彼女は小学校1学年に推薦されることになった。その後も手を上げては質問することが多く、飛び級で進級し、結局18歳で法律学校を卒業した。ドミニカでは法律学校の学生は卒業前に実際の事件に取り組むことが必須だった。彼女は銀行家が関与した政治事件を取り上げた。ベテラン弁護士たちが引き受けるのを避けていた事件だったが、彼女は勝訴する。卒業後、市で最も有名な犯罪弁護士事務所に採用されると所長はこう言った「じゃあ、法律を教えてあげよう。」(mh:何を意味するのか・・・判りません!)

キャスリンは20年間、弁護士として働き、顧客との信頼関係を築き、自分の事務所を持つことになった。大抵の人なら、それで満足していただろう。5年間、スペインのマドリードで暮らしたが、ドミニカに戻ると、また事務所を再開した。“顧客は戻ってきてくれたわ。これ以上の冒険をするなんて、その時は想像もしていなかった。”

しかし、彼女の心はいつも何かを求めていた。彼女は何年も前に父と交わした約束を忘れていなかった。実は、1990年、父の書斎で何か読む本をと物色していて、父がもう見なくなった、シェイクスピアShakespeareの“アントニーとクレオパトラAntony and Cleopatra”を見つけたのだ。その時、父は言った“クレイパトラは単なる政治謀略家で、歴史的には注目するに当たらない。”

すると彼女はこう応えたらしい。“なぜそう言えるの?どうして知っているの?その情報源は何?”
その時、彼女は自分でその答えを探そうと誓ったのだという。

その作業は、インターネットがあまり普及していないカリブ海の小さな国では大変な仕事だった。“私はプラトン(Platoギリシャ語ではPlátōn),ソクラテスSocrates,そして特にローマ人の書物なら何でも読んだわ。”その結果、「歴史書は勝者によって書かれる」との自明の理axiomを悟ったという。“勿論、当時のローマ人はエジプト人を嫌っていたわ。彼等はクレオパトラが美しいのが気に入らなかったから「不細工だが、気になるほどじゃあない。」なんて評論したのよ。そこで、今度はエジプトの情報を探してみることにしたの。エジプト人の見解は全く違っていたわ。彼女は彼女の王朝(プトレマイオス朝)で最も偉大だった、世界でも最も重要な国を統治した、地上で最も重要な女性だった、18歳で女王になった、って書かれていたの。それで私は彼女が特別の女性だったとの結論に至ったの。彼女は9ヵ国語を話し、法律や薬の書物も書いたのよ。私、日を追うごとに彼女について関心を強めていったわ。”

彼女はクレオパトラに関する本なら何でも読んだ。そして若く、母親でもある女王についての理解を深めていった。その結果、クレオパトラの戦略や思考過程が判るようになったと言う。絨毯にくるまってジュリアス・シーザーの前に登場したという、よく語られる物語は、キャスリンには軍事戦略的な天才の思い付き、というだけでかたづけられるべき問題では無かった。

“クレオパトラは砂漠の中を逃げ隠れしながらシーザーがアレクサンドリアに滞在していることを知ったのよ。彼に会う必要がある、しかし、どんな方法で?で、私から、ってことで彼に絨毯をプレゼントすることに思い当たったの。だけど相手はローマの将軍で、身辺はがっちり警護されているから、捕まったらその場で殺されてしまうわ。そんな危険なことするなんて、とても信じられない大胆なことよ。バラク・オバマの執務室に入り込むことを想像してみてよ。兎に角、それで私は彼女のことを尊敬するようになったの。”

キャスリンは弁護士の仕事を続けながら空いた時間をクレオパトラの調査に費やした。特に、宝物も一緒に埋葬されたと言うクレオパトラの墓が、どうして今まで見つかっていないのかについて、自分なりの理由を整理し始めた。その結果、これまでの歴史学者たちは重要な点を見逃していると考えるようになった。“クレオパトラは自分がイシスIsis神の現人神(あらひとがみ;権化living form)で、12年の関係があって3人の子供を作ることになったアントニーはオシリスOsirisの現人神だ、って信じていたの。”
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そこで、キャスリンは、エジプト神話で最も有名なイシスとオシリスの現人神だと言われたクレオパトラとアントニーが死ぬと死体はどのように埋葬されるのかについて考えた。
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“当時、死は重要な瞬間でとても意味があったのよ。彼女はコブラを使って自殺したわ。コブラはイチジクを入れた籠に隠されて彼女の所に密かに持ち込まれたって言われているの。私はドミニカ共和国の刑務所をあちこち訪れたけど、蛇を持ち込むなんて、とても難しくて出来ないと思うわ。どうして、もっと小さな瓶に詰めた毒を持ち込まなかったのかしら?エジプトでは3人の女神が蛇の形で現されていて、コブラはファラオを守るために使われるのよ。コブラを使った彼女の死は、きっと、彼女を慕う人達へのメッセージだったのよ。女神として死にたいっていう。”

“で、思ったの。クレオパトラの墓がこれまで見つかっていないのは、彼女が埋葬されたのは墓じゃあないって。彼女とアントニーはイシスとオシリスの神殿に埋葬されたのよ。神殿じゃなきゃあだめよ。でもどの神殿かが問題ね。”

2002年、キャスリンの自宅の空いたスペースは地図で埋め尽くされていた。イシスとオシリスの神殿があるエジプト内の全ての地点は地図にプロットされていた。そして、いよいよ、初めてのエジプトへの旅を考え、まだ公開されていない寺院に入る許可をエジプト政府から得ようと何カ月も電話やファックスを使って接触を試みた。しかし、何の応答もなかった。

“そこで、兎に角、行ってみることにしたの”と当時の様子を振り返りながら力強く言い切った。“家族は泣き叫んで止めようとしたわ、エジプト人に殺されるって!でも、私は、何かしようと決めたら、いつだって、必ずやるのよ!”

その後の話はスパイ映画のようだ。非現実的過ぎるとハリウッド映画でも取り上げないだろう。
いとこと一緒に朝早くカイロに到着した。入国検査官は彼女のパスポートをスキャンすると “ミッキーマウスのパスポートだなぁ”とあざ笑った。彼女は審査室に連れていかれることになった。その時、ドミニカはなぜカイロに大使館を持ってないのかしらって思ったという。
(mh:“ミッキーマウスのパスポート”って何だろうと思ったんですが、次の写真を見ると何となくわかりますね。この顔写真がパスポートに貼って有れば・・・ミッキーマウスと言いたい気持ちが判ります!Youtubeに登場する彼女は、もっとミッキーに似ています。)
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彼女は審査室に数時間も留められることになった。最後に、審査官は彼女といとこに車に移動するよう命じた。ホテルに連れていくという。キャスリンは、彼等を信用しなかった。そこで、空港のお土産店が開店するまでの時間かせぎのため、トイレに行きたいと告げた。トイレから戻る時、開店していた旅行代理店に飛び込んだ。そして“車と、運転手と、スペイン語を話すガイドを急いで連れてきて!”と頼んだ。

“カウンターの向こうにいた男は言ったわ、でもあなた、英語しゃべれるじゃあないのって。でもスペイン語の通訳をって頼んだの。英語の通訳よりスペイン語の通訳を見つける方が時間がかかると思って。お金は今すぐ、クレジットカードで払うって言ったの。そうすれば、何かあった時、私の家族が、私がどうなったのか追跡し易いだろうと思って。”

当時を回想しながら、キャスリンは自分の行動が少し大げさだったかも知れないと考えている。あの時、車に乗ったとして、ホテルへ連れていかれなかった理由はあまり思いつかない。しかし、その時は気付かなかったのだが、この出来事は思わぬ効果を生むことになった。彼女が見つけたガイドはエジプト最高考古庁官の秘書を知っていたのだ。彼女は翌日10時に面会する約束を取り付けた。

キャスリンは緊張していた。考古学者の研究以外には公開されていない寺院の調査許可を得るための説得に与えられた時間は2分だけだった。しかし、彼女も驚いたことに、2か月間の調査が許可された!そこで、サント・ドミンゴで作って持ってきた地図を手に、イシスとオシリスの神殿を求めてエジプト中を歩き回った。しかし、どの神殿でも興味のある結果は得られなかった。残された時間が少なくなってきた時、最後の予定地、アレクサンドリアから50Km西のタポシリス・マグナ寺院Taposiris Magna Temple(注)を訪れることになった。既に数百年も発掘が続いている寺院で、破壊しつくされていたが、彼女にはある予感が在ったと言う。
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(注:Taposiris Magnaはナショナル・ジオグラフィックの記事では“タップ・オシリス・マグナ”と書かれていました。オシリスの神との関係を示す表記です!)

“そこに着くと直ぐに感じたの。普通の遺跡のようだけど、私の心には、ある思いが浮かんだのよ。私には判ったわ。で、思ったの、どうして他の人は何も感じないんだろうって!”

そこが永年、探し求められていたクレオパトラとアントニーの墓だという彼女の思いは確信的なものだった。これまでずっと持ち続けていた信念が実を結ぶ可能性があると思った。同時に、考古学者たちは何世代もの間、重要な事実を見逃してきた、という馬鹿げた主張をする人間に、エジプト政府がこの貴重な遺跡の発掘許可を与えてくれる可能性はないだろうとも思った。

“私は遺跡の石柱にもたれて座りながら泣いたわ。なぜかって言うの?私はドミニカの単なる一市民よ。有名な考古学者じゃあないわ。ハーバード大学みたいな有名な学校の後ろ盾もないのよ。私、思ったわ、こんなに遠くまできたけど、誰も私の言葉に耳を貸さないだろうし、発掘許可なんかくれるわけないって。でも、私、泣くのを止めたの。仮に残りの人生を全て掛けたとしても、発掘許可が取れるまで戦うって決めたのよ。”

キャスリンは国へ戻り、再びカイロを訪れる準備を始めた。まず、サント・ドミンゴ大学に自分の計画を説明し、支援を取り付けた。次に“ミッキーマウスのパスポート”を何とかしようと外務大臣に面会して頼み込んだ。するとドミニカで最初のエジプト文化大使に指名され、即座に外交官用パスポートを発行してもらえることになった。

6ヶ月後、彼女はエジプトに戻り、エジプトの遺跡発掘委員会のトップと直談判する機会を得た。

“与えられたのは、また2分よ。で、言ってやったの。私、多分、クレオパトラの墓を見つけたわって。すると、トップの男は身を乗り出して、こう言ってきたの。「で、あなたの名前は何て言うんでしたっけ?」で、私また言ってやったわ。あなた、私に2分くれたんでしょ?だったら私が話し終わるまで待ってよ。クレオパトラはエジプトの最後の女王で、もしあなたが彼女のことに関心がないなら、あなた、仕事、止めた方がいいわって。”

彼女の知識か、粘り強さか、それともその両方に感銘したのか、リーダーは発掘許可の最終判断権をもつ機関に彼女が申請できるよう手配してくれた。許可がでるとしてもずっと先のはずだった。毎年、150箇所の発掘に200件もの申請がある。ともあれ手続を終えて彼女はドミニカに戻った。

3週間後、発掘計画が承認されたとの連絡を受け取った。通常なら1年間の発掘期間が与えられるのだが、彼女の場合は2ヶ月だった。家族に説明するとみんな反対した。助けを求めた伯父は言った“もし、お前の考えが間違っていたら、これまで積み上げたキャリアは全て失くなって、ドミニカに戻れなくなるよ。”

“伯父の言うことは正しいって判っていたわ。”でも、彼女は喜んで自分の夢に賭けることを選んだ。

しかし、他にも障害はあった。キャスリンは、短い時間に追われながら発掘を引き受けてくれるチームを持っていない。自費で、エジプト政府と当時、エジプト最高考古庁大臣だったザヒ・ハワスZahi Hawass博士の支援で編成されたチームとともに発掘サイトに戻ったのは2004年だった。

発掘を始めると興味深いものが次々と出て来た!まず6つの墓室が見つかった。それまで神殿で墓室が見つかったことはなく、神殿と墓の関係についての従来の考えを変えることになるものだった。また、クレオパトラとアントニーの像が彫られた硬貨40個が見つかった。更にはクレオパトラの石膏(アラバスター)の胸像や、金属板も。これらはキャサリンの理論が正しそうだとの根拠となっている。

ザヒ・ハワス博士は自信を持って記者たちに次の様に語っている。「神殿の中で見つかった墓ということは重要な人物が埋葬されていたことを示している。我々はある理論(mh;キャスリンの思い付きです!)に従って発掘を進めている。もしアントニーとクレオパトラの墓を見つけたのなら、21世紀で最も偉大な発見になるだろう。もし、彼等の墓を見つけないとすれば、この神殿の内もしくは外で、何か重要な発見をするだろう。」

キャスリンにとっては、蛇や蠍(さそり)がうじゃうじゃいる洞穴を歩くのは全く問題ではなかった。なぜなら、それは彼女があこがれている女性の足跡を辿っている証だからだ。

“私の理論は80%証明されたと思うわ。なぜって、これがイシスとオシリスを祀った寺院だということがわかったんだから。残っているのは墓を見つけること、墓室を見つけることよ。当初、人々は私たちをみては嘲笑していたわ。今は私たちの仕事を尊敬してくれているの。とても充実しているわ。”

以上で長~い前置きは終わりです。それでは、コーヒーでも入れて一息ついてからYoutubeにお進みください。
・・・・・・・・・・・
エジプト・・・古代の宝が密かに隠れている国だ。
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あらゆる王や王女たちの中で、唯一人、不可解な人物がいる。クレオパトラだ。
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ジュリアス・シーザーやマーク・アントニーの愛人で、ある時期、世界で最も大きな権力をもつ女だった。エジプトで最後のこの女王は秘密のベールで包まれている。
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しかし、今、それが変わろうとしている。一人のアマチュア考古学者が、長い間失われていた寺院long-lost templeを発見した。
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素晴らしい骨董品artifactも見つけた。地下道にはまだ沢山の遺物が隠されている。そして、多分、最も新しくつくられた墓も。

「すばらしい墓場だわ!これ見てよ、ミイラよ。」
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これまで不可解だった女王に関する理解を変えるものだ。
「彼女は母親だったわ、女房で、女王で、女神で・・・」
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彼女が発見した、もっと驚くべきものは地下道だ。
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ある考古学者「きっと誰かが何かを隠したと考えてもいいだろう。」

そして、クレオパトラを探す上で最も大きな手掛かりとなりえるのは・・・ひょっとすると、キャスリンは、エジプト最後の女王クレオパトラが永い眠りに就いた場所を見つけたかも知れない、ということだ。
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エジプト探検協会会長ノートン博士「そこには大きな開口が岩に明けられていて、そこの竪穴を見たら、きっとそれは墓に通じるものだと思うだろう。」
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<クレオパトラの失われた墓>
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「あなたは女神です、クレオパトラ。女神なら何をしても許されるのです。」
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彼女の死から2千年後の今も、エジプトの伝説の女王は魅力を放っている。

我々が知っているクレオパトラはハリウッド版だ。男を惑わす女・・・エリザベス・テーラーが演じたクレオパトラは最高権力者のジュリアス・シーザーを誘惑する。
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「昨日、私、あなたを私の部屋に呼んだのよ。なぜって、貴方の部屋に行く許しは出ていないって言われたから。」
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ローマ帝国とエジプトの同盟関係が決裂すると、彼女は自殺した。しかし、本当のクレオパトラは、いくら調べても明らかにはなっていない。

「彼女の生涯は歴史の中の大きな不思議だ。」
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彼女の足跡を辿るためのあらゆる証拠は既にあるはずだが、最も大きなミステリーは残されたままだ。どこに埋葬されたのか?
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しかし、この件について、最近、新たなことが驚くべきところから見つかった。

キャスリン・マルチネスはドミニカ共和国の犯罪事件を扱う弁護士だ。しかし、この20年間、彼女の知識と経験をクレオパトラ探偵として使っている。
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「私は自分がクレオパトラに呪いをかけられた考古学者だとは思っていないわ。私の最初の経歴は犯罪弁護士よ。で、私はトレーニングの事例として彼女を調べ始めたのよ。」
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キャスリンは長い間、エジプト最後の女王に魅(ひ)き付けられていた。クレオパトラのことを沢山知っているし、彼女の死後や、彼女に関する伝説についても知っていると信じている。

この思いに憑りつかれた彼女はアレクサンドリアを訪れた。クレオパトラの時代に首都だったと信じられている所だ。
しかし、肝心な場所は千年以上も波の下で眠っている。
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考古学者達は海底で王宮の跡を見つけた。
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多くの人は、彼女の墓もそこにあると信じている。
しかし、キャスリンは女王がどこで眠っているかについて過激とも言える新しい理論を持っている!

紀元前31年、ローマ帝国の海軍はアクティウムの海戦でマーク・アントニーと共に戦うクレオパトラとその軍を打ち破った。
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エジプトに逃げ帰ると2人は自殺する。

キャスリンは、クレオパトラの自殺はローマの手で汚(けが)されぬよう、事前に検討されていた計画に従って行われたと信じている。
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「彼女の最後の日について、いろいろ分析した結果、それが宗教的な行動だって判ったの。そして、遺体はきっと寺院で見つかるはずだって思うようになったの。」
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キャスリンはクレオパトラが戦略家で、ローマの眼を逃れ、神聖な寺院の地下に遺体を密かに隠すことを考える力があったと信じている。古代の書物を調べ、埋葬地の候補とした21の場所で調査を行った。
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そのうちの1ヶ所だけが突出していた。タポシリス・マグナTaposiris Magnaだ。
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アレクサンドリアの西40Kmの複合神殿だ。
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キャサリンは、瓦礫が散らばるこの古代遺跡がクレオパトラの家系プトレマイオス王朝(注)の頃のものだろうと考えていたが、これまで誰もそれを証明したことはなかった。
(注:英語でPtolemyプトレマイと言います。)
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ノートン博士「そこは考古学的な関心が薄かった所だ。クレオパトラとの関係を示す何物も見つかっていなかった。」
20世紀、何人かの考古学者が発掘したが、興味を引く発見はなかった。
キャサリンの予測は証明されるのだろうか?これがプトレマイオス朝最後の墓なのだろうか?
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「一歩、寺院に入った時、私はうれしくて笑ったわ、なぜって、私、正しい場所にいるって知ったから。」
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壁に囲まれた一帯には、この複合神殿が造られた時代や関係する王朝について説明する看板などは何もなかった。
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「この寺院の発掘は完全に終わったと言える状態ではなかったの。」
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専門家たちは、興味ある所ではないと考え、発掘を打ち切っていたのだ。「でも、私、彼等は間違ってるって信じていたわ。」
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キャサリンは、この寺院が単なる古代の建物というだけのものではないという自分の考えを証明したかった。
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「何を探しているかっていう明確な考えを持った人がここに来たことはないのよ。」
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ノートン博士「キャサリンの考えはとてもセンセーショナルだ。しかし科学的なものが欠けている。彼女の発想に対しては多くの懐疑的な見方があった。」
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彼女はサイト一帯の大きさを計測して、クレオパトラの首都の面積に近いことを知り、自分の考えが正しいと確信したという。もしクレオパトラの墓を見つけることが出来たら、彼女の生活や、死についてどんなことが明確になるのだろうか。
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「人々はクレオパトラのことを映画で知っているわ。シーザーの妻で、薬を勉強して、法律書を書いて、女性の行動に制約があった時代でも多くのことをしたの。」
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哲学者で、科学者で、その上、政治的なリーダーだったと書いた歴史書もある。
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クレオパトラの生涯を調べているのはキャスリンだけではない。
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歴史家のドロシー・トンプソンはクレオパトラが統治していた頃に書かれた書類に関心を持っていた。
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ケンブリッジ大学トンプソン博士「私はエジプトの女王にとても関心を持っているの。想像などではなく、書物に描かれた女王の姿が私の研究対象よ。」

ベルリン博物館にはパピルスに書かれた2千年前の記録が保管されている。その記事の中にレオパトラの時代の統治の状況を垣間見ることができる。
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「これは紀元前50年のものよ。最初にバシリセスって書いてあるわ。クレオパトラのことよ。」
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「つまりクレオパトラが課税を命じたものね。女王になって1年半後のもので、彼女は、首都の住民は食糧を十分与えられるべきだと言っているの。」

クレオパトラはエジプトが飢饉で食糧難の時に次の宣言をした。「コーン(トウモロコシ)を買った者は北にも南にも、それを持って行ってはならぬ。全て首都に持って来なければならぬ。この命令に従わぬ者は何人であろうと死罪を与えられる。」
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彼女のイメージからはほど遠い内容だ。
トンプソン博士「これを見ると、したたかな政治家ね。問題を自分のものとし、何らかの解を考えだすの。男を誘惑する女って感じじゃあないわ。実務家の女王って感じ。」
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タポシリス・マグナの発掘を始める前、キャスリンはエジプトの権威機関に発掘許可申請していた。
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その時、クレオパトラの墓に関する理論をエジプト最高考古庁のトップに送っていた。
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前考古庁長官ザヒ・ハワス博士「私は発掘許可を与えることにした。彼女がとても頑固で、そこに墓があるって確信していたからだ。」
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彼女が自分の考えを証明するために許された発掘期間は2ヶ月だった。調査隊を編成すると直ぐ作業を開始した。しかし、8週間経過し、残る期間が少なくなっても、何も見つかっていなかった。
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「土器とか、そういったものすら見つからなかったので、みんな失望していたわ。」
発掘最終日、キャスリンはメンバーに、サイトに散って発掘するよう指示した。すると北側の門の近くで何かを掘り当てた。
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「石の下に穴があったの。で土や石を取り除くと竪穴が見つかったのよ。」
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地下深くまで続く、隠されていた竪穴を見つけたと関係者に報告した。
「竪穴の側面には小さなくぼみがあって、昔は梯子を使わずに下りていったの。下の横穴の形には驚かされたわ。」
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竪穴は深さ5mで、底の横穴は2つの部屋のようだった。何のための部屋なのか?
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「みて、壁には色が付いているのよ。」
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それは驚くべき発見と言える程のものではなかった。単なる穴で、以前の発掘で見逃されただけだ。祈祷師が儀式で使ったものかも知れない。
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どんな目的の穴だったにしろ、この発見で、彼女は発掘の延長許可を得ることに成功した。
「私が最も幸福だった瞬間よ。だって、この竪穴のおかげで、クレオパトラの調査を続けられることになったんだから。」
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タポシリス・マグナには探せばまだ何かが見つかるということをキャスリンは証明した。しかし、ここは本当に長い間、秘密の中に隠されていたクレオパトラの墓がある場所だろうか?

予想もしていなかったクレオパトラの最後の日はミステリーに覆われているshrouded in mystery。何が起きたのか、誰も書き残していない。ローマの海戦で負けてアントニーは自殺した。クレオパトラも彼に続いたと言われている。
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「古典によれば、クレオパトラは蛇の毒で自殺した。」
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しかし、その次に起きたことはミステリーだ。
ノートン博士「遺体がどうなったのか、誰も知らない。いろいろ言われているが、結局、彼女がどこに埋葬されたのか、誰も知らないのだ。」
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キャスリン・マルチネスは、自分は知っている、と信じている。クレオパトラはタポシリス・マグナのどこかにある寺院に埋められている!
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ノートン博士「もしキャスリンが墓を見つけることが出来たなら、ツタンカーメンの墓の発見と同じくらいのインパクトがあると思う。」

発掘の第二期、キャスリンは別の考古学者が発掘を終えていた建物の跡に集中して調査した。
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それは死を司る神オサイルスOsirisを祀ったものではないかと考えられていた。

しかし、最初に発掘されて以降、誰も関心を示してはいなかった。残されていた構造物は僅かで重要ではないと見なされていたのだ。しかし、キャサリンはそこで、すごいものを見つけた。その場所を特徴づける、壊れやすい石板が出て来たのだ!
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「それは不思議な瞬間だったわ。これが見つかった物よ、注意して触ってね。」
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「粘土と、ラピスラズリやトルコ石なんかの貴重な石で出来ているの。」

この骨董品artifactは寺院の基礎として奉納されたものだった!
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ノートン博士「建物の基礎建築時に埋められた奉納品はとても貴重だ。寺院がいつ竣工されたのかの情報が記されている。」

文字はかすんでいるが、判読可能だ。
キャスリン「文字が見えるけど、今なら何が書いてあるか判ってるの。ギリシャ語で“バスレオス・トロネア”。つまり王プトロミーPtolemy(プトレマイオス王)という意味よ。」
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石板は寺院竣工を記したものだった。エジプトを統治していたプトレマイオス4世が2200年前に建築を始めたと記されている!
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クレオパトラの祖祖祖祖父だ!
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キャスリンの発見は世界中の考古学者を驚かせた。彼女はこの寺院とクレオパトラ家の関係を証明したのだ。クレオパトラもここにきて祈りを捧げていたのではないかと考える根拠になる。
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「私たちは理論的な証拠を見つけたのよ、今までこの寺について書かれた全てのことは間違っていたっていう。」
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オサイルス(オシリス)寺院の竣工の時期が判ったのは、以降に続く更なる発見の始まりでしかなかった。数週間後、発掘を北に拡大して続けていると大きな発見をした。
「この方向に発掘を続けていたらこのブロックを見つけたの。壁の跡だと判ったの。更に発掘していくとこの建物の大きさが判るようになったの。入り口も見つかったわ。」
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それは第二の寺院だった。ギリシャ人の歴史家ホーマー(ホメロス;紀元前8世紀)も記録していた女神アイセス(イシス)に捧げられた寺院だ。
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アイセス寺院は区切られた3つの部屋を持っているようだった。その内の一つは何世紀もの間、使われていたようだ。ホーマーの記録と矛盾がない。これもクレオパトラとの関係を裏付けするものだった。

古代エジプト人にとって、アイセス(イシス)は絶大なる神だ。
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「アイセスはエジプト人にとってとても重要な神よ。一般の人に受け入れられていたの。」
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クレオパトラは自分をアイセスの生まれ変わりだと言っていた。
トンプソン博士「人々に受け入れられる、ずるいやり方ね。」
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生きたアイセスならここ以外のどこを自分の埋葬地に選ぶと言うのだろう。

アイセス寺院の内壁付近を発掘していると、キャスリンはここが神聖な寺院の様相を持っていた証拠を発見した。お宝を掘り当てたhit the jackpotのだ。
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「建物の内側で200個くらいのコインを見つけたの。いくつかはとてもいい状態だったわ。で、クレオパトラの顔が彫られていたのよ!」

「アイセスの寺院の内側でクレオパトラの顔があるコインを見つけた時、私がどんなに幸せだったか、あなたには多分想像できないわ。この美しいクレオパトラを。」
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ついにキャスリンはクレオパトラに面会したのだ。コインはクレオパトラの時代、寺院が使われていたという事実を示している。
「私たちは、コインはアイセスへの捧げものだったって考えているの。」

クレオパトラの顔が彫られた銅貨は彼女が賢い統治者だった証拠だろう。
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彼女の祖先達は金持ちが使う、もっと価値の高い銀貨に自分の姿を刻印させていた。クレオパトラが価値の低い銅貨に自分の姿を刻印したのは、多くの国民に自分を知らしめるためだったのだろう。
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国民なら金持ちも貧乏人も毎日、使う貨幣に自分の顔が描かれている!誰が統治者かを示したのだ。しかし、彼女が活躍したのはエジプト内部だけではなかった。国際的な場面にも登場した。

ベルリン博物館ではトンプソン博士が第二の古代パピルス書物を解読している。そこにはクレオパトラがローマに受け入れられようとしてやったことが書かれている。
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「これは女王がローマと同盟を結ぼうとしていたことを記した合意書で、ローマ人には無課税特権を与えると書いてあるわ。一番下には、一言“ギネシタゥ。”英語ではLet it happen(必ず実行せよ)という意味ね。」
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この表記から新たな憶測が生まれてくる。一体、誰に宛てて書いた書類なのだろう?
「とてもわくわくする疑問があるわ、これはクレオパトラが自らの手で書いたものではないのだろうかっていう。」
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「誰か別の人間に書かせたものかもしれない。真実がどうなのかは何とも言えないわね。でも、もし彼女が自分で書いたとしたら、素敵なことね。」

キャスリンの発掘が始まって4年目、彼女はアイセスの寺院の発見に続いて、クレオパトラの墓を見つけようと作業を進めてい時、寺院を囲む壁の近くで妙な場所に気付いた。
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キャスリン「そこを少し掘ったら、地下に向かう階段があって、竪穴だって判ったの。」
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掘り進めたら深さ25mの穴だと判った。「誰が私と一緒に竪穴に入ってくれるの?あなた、クレオパトラのためにリスクを冒す覚悟がある?」

竪穴から何トンもの土砂を除去してから、まずキャスリンが中に入ることにした。
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穴の底で彼女は2つのトンネルを見つけた。片方は北に向いて延びている。
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反対側は更に長く続いていそうだ。
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どちらかは隠れた墓に続いているかも知れない。トンネルは岩をチゼルで掘って造られている。
「近くに蛇がいないか教えてくれるベドウィンが必要ね。灯かしてくれる?」

地上に向かう別の竪穴もあった。
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「なぜ、いくつも入口を作ったのかしら?誰でも見つけられるわね。」

墓の兆候は見つからない。しかし瓦礫の中に何かを見つけた。
「これ寺院の一部よ!」
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北のトンネルは16mにいったところで行き止まりになった。

「アイセス寺院の一部の大理石、いつ頃のものか判るかも知れない土器の欠片、なんかを見つけたの。」
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恐らく一番すごいのは人骨の発見だ。「頭蓋骨の一部を見つけたの。」
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誰で、何をしていたのだろう。それはミステリーのままだ。

キャスリンが見つけたトンネルはこれまでのところだけで300mもあった。クレオパトラの墓もこの辺りの地下に隠されているかも知れない。
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クレオパトラが統治していた22年の間、エジプトとローマは敵対していたが、同盟を結んでいた時期もある。
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紀元前48年、クレオパトラが女王になって3年目、ジュリアス・シーザーはエジプトを征服した。彼は女王に魅せられ、二人は恋人同士になった。そして若いクレオパトラは彼女の知性と政治力を発揮することになる、政治的な同盟を強化するため。
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アリア博士「二人の間にあったのは誘惑だという見方がある一方で、政治的な策略だったという見方もある。恐らく両者だろう。ローマは地中海で最大の権力国家だった。エジプトは独自の権力を維持するためにローマの力を必要とした。ローマにとってはエジプトという食糧庫bread basketをポケットに入れることが出来たのだ。」
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2人の関係は4年つづいた。息子も生まれた。シーザーはクレオパトラをローマに連れて来て、彼女へのプレゼントとして彼女の栄誉を讃える寺院をローマに建てた。
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女王もお返しのプレゼントを持っていた。時間の秘密に関する科学的な宝物だ。
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シーザーの時代、ローマの暦は月の満ち欠けで定められていた。しかし1月が28日の周期では1年13ヶ月と季節との関係が曖昧だ。
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アリア博士「当時、ローマでは1年の内のある日というのが固定した日ではなかった。しかし、クレオパトラが持ち込んだエジプトのカレンダーは太陽の動きによって定められるものだった。」シーザーはこの考えを採用した。
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アリア博士「シーザーは太陽暦を整備し、1年365日を制定し、4年毎に閏年も定めた。ジュリアス・シーザーがローマに、帝国に、そして世界にこの方式を広めたのだ。」

紀元前44年、シーザーの時代は突然、終幕を迎える。暗殺されたのだ。クレオパトラはエジプトに逃げ帰った。キャスリンはクレオパトラがタポシリス・マグナ寺院で嘆き悲しんだだろうと考えている。
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10シーズンの発掘を終えた2014年までにキャスリンは素晴らしい骨董品を沢山見つけてきていた。全て、クレオパトラとその一族に関するものだ。

「これはお気に入りの骨董品の一つよ。多分クレオパトラの胸像ね。」
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「これはライナーで目の周辺に化粧をする時のもの。これは錘(おもり)。何かを引っ張る時につかったものよ。」

「これはボスのアレキサンダー大王!」
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「これはペニス。エジプトの神のものね。」
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これらの骨董品は寺院の特徴を示す重要なものだ。
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北側の扉の近くで複合神殿の発掘をしていると、また、キャスリンは興味深いものを掘り当てた。妙な形をした14本の石の列柱だ。
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「これが重要なのは、それぞれが異なった対称形をしているってことよ。」
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「これまで14の石柱を見つけたわ。多分、プトレマイオスと関係があるのよ。14人の統治者を示しているのよ。」
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(mh:プトレマイオス系はプトレマイオス14世(クレオパトラ(7世)とプトレマイオス13世の弟)まで続きました。プトレマイオス15世(カエサリオン:小カエサル)もいるにはいましたが、彼はクレオパトラとシーザーの間に出来た息子で、彼が17歳の時、母クレオパトラが死ぬと彼も暗殺されています。)

つまりプトレマイオス王たちの列柱だと言うのだ。キャスリンは、この上に石像があったと考えている。つまり、この列柱の間の通路はタポシリス・マグナ寺院に出入りする重要な通路だった可能性がある。その通路の先には女王の墓が在ったのかも知れない。
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2015年2月、外壁の直ぐ近くの列柱の間で重要な発見があった。大きな石灰石の石板tabletというか石碑stelaだ。
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有名なロゼッタ・ストーンと同じようにヒエログリフhieroglyphと共に、エジプト人が日常使っていた大衆文字demoticが併記されている。
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「このブロックがタポシリス・マグナの歴史を変えたってこと、あなた信じられる?」
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石碑はプトレマイオス5世の7年目に造られたものだった。ロゼッタ・ストーンより2年早い。石碑の記事によると、ここはクレオパトラが現人神だと主張するアイセスと関係がある寺院だった。
「プトレマイオス5世の時代、タポシリス・マグナはアイセスを祀る重要な寺院だったのよ。彼女は重要な聖地に埋葬されたってことになるわ。神殿の周囲の全てがアイセスを祀るためのものだったはずよ。」


ノートン博士「これはとても重要な石碑だ。当時、ここが王家の重要な寺院だった証拠だ。取るに足らぬ遺跡などではなかったのだ。」
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キャスリンが見つけた石碑は歴史を塗り替えた。タポシリス・マグナは北エジプトにおけるプトレマイオス家の重要な寺院だったのだ。
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「プトレマイオス王朝時、北エジプトで最も重要なアイセス神殿だったのよ。」クレオパトラ自身も何度も訪れて祈りを捧げたはずだ。しかし、彼女はここに埋葬されたのだろうか?キャスリンは発掘場所を、寺院を取り囲む壁の外まで拡大することにした。

500m東、灯台の形をした遺跡の近くで、周囲と少し様子が異なる場所に気付いた。
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「寺院と灯台の間だし、兎に角、掘ってみることにしたの。」
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「そしたら階段が現れたの。」
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その下には石で塞がれた穴があった。
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「マスクをした方がいいかもね。」キャスリンは、もしここに死体があれば微生物感染病に罹る可能性があることを知っていた。
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墓場だ!
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儀式的な埋葬が行われた証拠となる最初の墓の発見だった。大寺院の外のこの辺りも複合神殿Temple Complexの一部だったのだ。
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更に発掘を進めると古代の埋葬地の様子が明らかになってきた。複数の穴に遺骨が詰まっていた。ミイラが入った穴もあった。
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「どのくらい大きな墓場なのか判らない位よ。いままで多分8百以上の遺骨を見つけたわ。」
キャスリンは数百平方メートルの巨大な墓地を掘り当てたのだ。古代エジプトの死者の町だ。しかし、誰が埋葬されているのだろう?
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キャスリンの活動は何年もの間、考古学者達の間で懐疑的に見られていたが、専門家たちは彼女の発見したものを見たがるようになってきた。
「ここは素晴らしい場所ね。」
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サリマ・イクラム博士は古代の埋葬に関するエキスパートだ。
「あら、これはすごいわ。見てよ。」見つかったいくつかの頭蓋骨には金箔が布で巻きつけられている。
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「顔に油を塗ってべとべとにしてから薄い正方形の金箔を貼り付けて、その上から布を巻いたのよ。」ここに埋葬されている人物は明らに金持ちだ。
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金箔は単なる飾りではない。「プトレマイオス時代はミイラ処理が完璧には行われていなかったの。代わりに、体に油を塗って、金などの華やかなラッピングで包んだのよ。」この墓地の全ては、ミイラ処理も含め、クレオパトラの時代の埋葬であることを示している。
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イクラム博士「ここは、すばらしい墓地遺跡だと思うわ。沢山の遺体が手つかずの状態で見つかっているし。」
墓はアイシスとオサイルスの寺院にも近い。極めて特別なものとして用意された墓地なのだろうか?
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「とても神聖な場所に位置しているのよ。だから、みんな、ここに埋葬してほしいって望んでいたと思うわ。ここに埋葬されるのは高貴な人々で、直ぐに永遠の安眠に着くことができたと思うわ。」
キャスリンは、いよいよ究極的目標、つまりクレオパトラそのものの墓、が見つかるのは近いとの確信を強めていた。
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自学で知識を得た考古学者キャスリン・マルチネスは、多くの考古学者が何世紀もの間、探し求めていた、失われたクレオパトラの墓がもう直ぐ見つかるかも知れないと考えていた。
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ノートン博士「キャスリンはクレオパトラの墓を見つけたと言えると思う。彼女は世界で最も有名な考古学者の地位にまで達している!」
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キャスリンは既に、いくつもの説明がつけられない竪穴やトンネルをタポシリス・マグナの地下で見つけた。そして、自分が、ここでエジプト最後の女王クレオパトラの墓を見つけることを確信している。

古代のエジプト人が統治者の遺体を寺院に埋葬する例はあるのだろうか?
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2014年、考古学者のラムシーンが南エジプトの寺院群(mh:映像から、去年mhも訪れたルクソールのカルナック神殿に間違いありません!)で、ある興味深いものを見つけた。地下に続く竪穴だ。王家の儀式的な埋葬場所だと判明した。
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ノートン博士「このセンセーショナルな発見は王女カルマナに関するもので彼女は高位の祈祷師でもあった。」
カルマナはクレオパトラより900年も前の女性だ。クレオパトラは古代の伝統をタポシリス・マグナで復活させたのだろうか?
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ノートン博士「クレオパトラが、寺院に造られた王女カルマナの墓に似せて竪穴に埋葬されている可能性はある。特に高貴な家系の女性が寺院に掘られた竪穴に埋葬される例は、かなり見つかっているようだ。」

西門の近くで、キャスリンは地下室を見つけた。それほど深い所に造られたものではない。中には女性の遺骨が残っていた。
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「私たちは、この女性の遺骨を見つけたわ。お腹には赤ん坊がいたの。」
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分析によれば、妊娠中の女性でクレオパトラと考えるには若すぎるという。しかし、この発見の意義は大きい。寺院の敷地の中で女性の埋葬が行われていた明確な証拠だ。

キャスリンは直ぐにまた新たな発見をする。寺院内の北西の角地で階段を掘り当てた。
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大きな開口に繋がっている。その開口の底は岩で塞がっていた。
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「開口は10mx10mで深さは9mあったわ。とても大きな穴よ。」
そこを掘っていると竪穴が見つかった。かなり深い!
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竪穴に詰まっていた土砂を取り除いていくと深さ3mのところで遺骨を見つけたの。で私たちも興奮したわ、もっとすごいものが見つかるかも知れないって。」

キャスリンは結局35mを掘り進むことになった!何も出てこなかった。しかし、エジプトの墓の例から見ると、大きな開口から伸びた深い竪穴が示す意味は一つだ。
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「こんなに大きなサイズの穴となると、大物の墓としか思えない!」

これは偉大な発見につながるかも知れない。しかし、キャスリンに残されていた発掘許可期間は少なかった。そこで彼女は地下貫通型レーダーを持ち込むことにした。竪穴の側面を探査しようと言うのだ。そこに隠し部屋があるかも知れない。
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探査の結果、2つの空洞の可能性が確認された。
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「探査機は重要な空間を2つ、確認したわ。ファラオの最後の休息場所の可能性があるわ。」

「私はこう言えると思う。誰かが何かを隠しているって。何かは判らないけど、クレオパトラのミイラの可能性もある。」
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キャサリンの今年の発掘許可期間は終わった。竪穴の更なる調査は時を待たねばならない。しかし、この寺院には重要なものが隠されているというキャスリンの予感の正しさは証明された。彼女はタポシリス・マグナがクレオパトラと重大な関係をもつ大複合神殿であることを証明した。クレオパトラの墓は地下深く隠されているかも知れないのだ。
ノートン博士「キャサリンは誰よりもクレオパトラの発見に近づいたと思う。」
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キャスリンの発見はTVニュースでも取り上げられた。
「エジプトではクレオパトラの墓の発見がなされたのではないかとの話題で持ちきりだ。」
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世界は彼女の調査結果に注目し始めた。
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「これは大きな発見を成し遂げるためのスタートなのよ。私はクレオパトラの墓を見つけるまで、調査を止めないわ。」
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「彼女の墓はタポシリス・マグナに立つ私の下に隠れてるって感じるの。」
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Cleopatra's Lost Tomb
https://www.youtube.com/watch?v=PxCDe5Uk4hU
以上でフィルムは終わりです。

キャスリンは次々と興味深い発見をしました。でも、ブログの巻頭部でご紹介したネット記事やYoutubeフィルムの内容からも判るように、彼女がタポシリス・マグナで偉大とも言える発見をすることになった切っ掛けは、クレオパトラならイシス(アイシス)女神を祀った神殿に埋葬されているのではないのか?という、いわば思い付き(理論と関係者は読んでいるようですが)だったのです。手あたり次第にイシス神殿が残る場所の調査を始めると、タポシリス・マグナ遺跡は、他と比べて広大で、発掘もさほど進んでいなかった。そこで彼女はこう思ったんですね。「今まで大勢の考古学者が探しても見つからなかった偉大な女王の墓なら、敷地が広大な、あまり発掘調査が進んでいない、イシス寺院に見つかる可能性が高い」と。広大な寺院ってのは重大な遺物があってしかるべきです。そんなもの見つかってなかったってのは、発掘が不十分だという証拠です。大きな寺院なら掘れば沢山、価値あるものが出て来たはずです。で、彼女はそう信じて作業を始めたんですね、きっと。

で~、みなさん。クレオパトラはタポシリス・マグナで眠っていると思いますか?私はキャスリンの思考過程は単純だが要点をついていると思いますね。従って、クレオパトラの墓がタポシリス・マグナにある確率は、他の場所と比べて格段に高いと考えます。頑張れ、ミッキー!
(完)

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mh徒然草82: アメリカの大統領選の行方

今回も長い話になりそうですが、なるべく短くまとめるよう努力します。

次の宗教分布図を見て下さい。
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アフリカ北部から中国のタクラマカン砂漠にかけて広がる深緑はイスラム教スンニ派です。その中にポツン、ポツンと点在する濃い茶色はイスラム教シーア派で、盟主はイランです。アフリカ中・南部は薄紫でクリスチャンとイスラムが混在しています。

キリスト教に着目すると、スカンジナビア半島の北欧三国、デンマーク一帯と英国は薄茶色で‘大半がプロテスタント(Protestant)’です。メイフラワー号で移民が始まったアメリカ合衆国やカナダ、イギリス植民地だったオーストラリアもプロテスタントです。

で~、ヨーロッパ大陸は水色‘ローマン・カソリック(Roman Catholic)’で、スペインやポルトガルが植民地化したメキシコ以南の中南米もカソリックに改宗させられました。

旧東欧やロシアは黄色で‘ギリシャ正教(Greek Orthodox)または東方教会(Eastern Othodox)’です。

今回のブログに関係するプロテスタントですが・・・
Wiki「プロテスタント(Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。」
「1517年以降、マルティン・ルターらによりカトリック教会の改革を求める宗教改革運動が起こされた。1529年にルター派の諸侯や都市が神聖ローマ帝国皇帝カール5世に対して宗教改革を求める「抗議書(Protestatio, プロテスタティオ)」を送った。そのためこの派は「抗議者(Protestant, プロテスタント)」と呼ばれるようになった。」

ルターはドイツ人神学者で、彼の主張の根本は「人の姿となられた神の言葉としてのイエス・キリストにのみ従う」と言うもので、儀式や法王などの権威よりもキリスト教原典の聖書の教えを重視するようです。

キリスト教やイスラム教への関心が薄く、プロテスタントとカソリック、シーア派とスンニ派の教えがどんな点でどう違うのかもよく理解していない人が日本人には多いと思いますが、話が変わって、アングロサクソンとは具体的にどんな人なのかについても、よく知らない人が多いと思います。mhもそうでした。
Wikiによれば「アングロサクソン(Anglo-Saxons)とは、5世紀頃、現在のドイツ北岸、南部からグレートブリテン島に侵入してきたアングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称」です。

ブログのタイトルのアメリカ大統領選、宗教のプロテスタント、人種のアングロサクソン、と続くと、賢い読者は「ははぁ~、WASPのことを言おうってんだな?」って気付いたたかもしれません。

WASP(ワスプ)とは、「ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント」(White Anglo-Saxon Protestant)の頭文字をとった言葉で、アメリカ合衆国における白人エリート支配層の保守派を指す造語です。メイフラワー号Mayflowerでアメリカに移民したピューリタン(清教徒)も白人でアングロサクソンでプロテスタントでした。

で、いよいよ本題に入るわけですが~、アメリカ合衆国の大統領予備選挙で共和党で今日3月11日時点でトップを走っているドナルド・トランプ氏ですが、彼はドイツ系の白人でプロテスタントであることはWikiにも書かれていますので間違いないでしょう。アングロサクソンかどうかは未確認ですが、有色人種やイスラム教徒に対して散発する暴言から、典型的なWAPSの一人だと思います。

彼がWAPSではないか?と思った切っ掛けはWiki「ドナルド・トランプ」に書かれていたバラク・オバマ大統領に対する問題発言記事です。
「ハワイ州が発行したバラク・オバマ大統領の簡易な出生証明書に疑問を呈し、オバマは実際はハワイではなくアフリカ(ケニア)生まれで大統領の資格はないのではないかという国籍陰謀論を蒸し返し、2011年、注目を集めた。」
(mh:大統領はアメリカ生まれが必要条件の一つです。)
「ABCニュースに出演したトランプはカメラの前に自身の出生証明書を掲げ、オバマにも同じことをするように要求した。 「アフリカ生まれ」との疑惑を払拭するため、オバマは出生証明の原本をメディアに公開し、改めてハワイ生まれであるという事実を証明した。これについてトランプは、「バラク・オバマの出生情報を提出させることに成功した」と強引な自画自賛をしたばかりでなく、今度はオバマ大統領の学力と学歴に疑問があるとして、大学の成績証明の公開を要求した。」
「同月の世論調査では、トランプは、大統領選における共和党の候補として、アーカンソー州前知事マイク・ハッカビーと並んで、2位の支持率を獲得した(1位はマサチューセッツ州元知事ミット・ロムニー)。」

つまり、トランプ氏は自分は優れた人種、つまりWASP、だが、オバマ大統領は黒人で、ひょっとするとアフリカ生まれだ、と揶揄(やゆ)したんです。彼は傍若無人の発言が多く、自己顕示欲も強いことは周知の事実のようです。カジノやホテルで財をなし、自分の名を付けた建物を沢山もっていて、その代表はニューヨーク五番街のトランプ・タワーです。
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メキシコ国境に壁を造るとか、イスラム教徒のアメリカ入国を拒否するとか、日本については安全保障ではアメリカだけが日本を守る義務を負うので不平等だ、経済的に日本ばかりがアメリカを出し抜いていて不公平だと発言するなど、視聴率優先のマスコミには話題が多い人物で、今日(3月11日)のワイドショーでも彼の発言や予備選結果が紹介されていました。
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民主党ではクリントン女史1238人、サンダース氏572人。片や共和党ではトランプ氏461人、クルーズ氏360人、ルビオ氏154人、ケーシック氏54人となっています。

トランプ氏については、強硬発言や傍若無人な態度への批判が多く、選挙戦開始前の下馬評ではとても共和党の大統領候補には選ばれないとのことでしたが、蓋を開けたら、他を圧倒する勢いで、多くの支持者を集めました。このままどんどんいくのかしら、と思っていたら、最近になり、他候補の追い上げが激しくて混戦になりつつあり、トランプ氏は共和党代議員の45%しか獲得できていません。選挙開始時と比べると共和党の大統領候補に選出される可能性は低くなったと思いますが、それでも本日時点では共和党の第一候補です!

更には、Wiki「トランプ」でも記載されているように、過去にも共和党大統領候補者選で2位になったことがありますから、彼の言動や思想は、ある程度のアメリカ国民、少なくとも20%程度の国民、が支持していると見るべきでしょう。

もし共和党大統領候補に選ばれたなら、民主党の候補者、恐らくクリントン女史、と大統領の地位を争うことになりますが、その場合、mhの見立てでは、トランプ氏が大統領になる確率は高く、70%程度ではないかと思います。

マスコミでも紹介されているように、トランプ氏のような、破天荒で、自己主張が強く、大統領の器とは思えない人物に何故、これほど人気が集まるのか?最大の理由は既成の政治家に対する不信感でしょう。クリントン女史は頭は良いかもしれませんが、若者に人気がない、つまり古典的、政治的な発想の持ち主で、サンダース氏が若者受けしているのと全く逆です。それに彼女の夫ビル・クリントンは大統領でしたから、彼女が選ばれたら夫婦で大統領になるわけで、オバマ大統領の前のブッシュ大統領も父親は大統領でしたから、アメリカ大統領が世襲制、家族制なのが周知となります。安倍首相も首相の家系の生まれですから、政治家が世襲化しているのは世界中で同じだから驚くほどのことではないのですが、流石に国民もあきれ果て、そろそろ既成の世襲化政治家には鉄槌を下さねばならぬ、と感じているはずですから、トランプ氏に大統領の目が出てきます。

更には、既成の政治家が世界で起きている矛盾に無力なことが証明されています。イスラム教過激派のテロには有効な対策が打てず、モグラ叩きをしていますが、宗教やアラブ諸国の世襲制がからんでいて根が深いこともあり、見通しは全く得られていません。しかし、トランプ氏の言う「イスラム教徒の入国禁止」が実現できれば、一定の効果が期待できます、マイナス効果も大きいのは事実ですが。

また、メキシコからの移民も、トランプ氏が主張するように、貧しい人が多く、そういう人はアメリカ国内で犯罪を犯しやすいので、メキシコ移民を排斥するとの主張は、それなりに効果があると思います、マイナス面もありますが。

ということで、トランプ氏の発言は過激で、マイナス効果も大きいのですが、目的を達することができる唯一の直接的方法だと考える事が出来ます。トランプ氏以外の大統領候補は、いろいろきれいごとを言っていますが、彼らの主張通りに対応すれば問題が改善するかというと、これまで出来ていないわけですから、今後も期待できないという冷めた見方もでき、すりきれた正論を言う共和党対抗馬のクルーズ氏や民主党対抗馬のクリントン女史よりトランプ氏の方がましだと考える人が多いのです。

この状態は、ドイツのヒットラー台頭時と似ているかも知れません。あの時も、ドイツ国民はヒットラーの過激思想を熱烈に支持したのです。日本でも国民は戦争を支持し、日の丸の小旗を振って若者を戦地に送り出し、日清、日露、太平洋戦争へ邁進していったのです。

立ち直りのためには他国を犠牲にする発想のトランプ氏が人気を博している現在のアメリカは、ヒットラーが生まれる前のドイツのように病んでいると思います。アメリカが、移民や、異なる発想、宗教を受け入れる余裕が無くなってきたことを示しています、WASP自体が移民にもかかわらず。

mhの見立てだと、クリントン女史が大統領になっても、トランプ氏がなっても、結果としては大差ないと予測しています。としたら、既成の政治家が大統領になるより、破天荒なトランプ氏がなった方が、何か良いことが起きるかもしれない、という考えからトランプ大統領が生まれるシナリオは十分な可能性があります、その結果、ヒットラーと同じ悲劇が起きる可能性も高いのですが。

Oh! Carol ( 1959 ) - NEIL SEDAKA – Lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=G5VJ31s4FZo

(完)

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