Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ネムルト・ダギの不思議

Nemrut Dagi(ネムルト・ダギ;ネムルト山)はトルコ東部の標高2、134m(Wiki)の山です。
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山頂にはコンマゲネ(Kommagene)王国のアンティオカス1世Antiochus I(在位;紀元前69~同36年)が眠ると言われる高さ50m直径150mの古墳が、その周囲には“テラスTerrace”と呼ばれる3つの神殿があります。
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この古墳・・・石灰岩limestoneの小石で出来ています!

東テラスの夏の光景。
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そして冬の東テラス。
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テラスに並ぶ巨像は高さ8~9mでしたが、首が折れています。イコノクラスム( iconoclasm聖像破壊運動)と考えられています。

まずは短いフィルム(2分17秒)をお楽しみいただきましょう。ネムルト山に続いてローマ時代に造られたジェンデレCendere橋(詳細は後述)が出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=chWO2bXWO8Q

ネムルト山の古墳に眠ると考えられているアンティオカス1世(在位;紀元前69~同36年)はコンマゲネ王国Kingdom of Commagene(紀元前163 年~西暦72 年)の王です。アレキサンダー大王が創ったマケドニア帝国が分裂して生まれたセレウコス朝の属国でしたが、王朝の混乱に乗じて独立しました。

アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)は紀元前323年に亡くなるのですが・・・
Wikiを引用すると次の通りです。
「残された大帝国(マケドニア帝国)では、彼の遺将たちがバビロン会議、トリパラディソスの軍会という2度の協定によって安定化を目指したものの、大王の遺言に忠実に「最強の者が帝国を継承」しようとして覇を争うことになり、アンティゴノス、セレウコス、プトレマイオス他の諸将によるディアドコイ戦争を経て分裂した。紀元前3世紀にアンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトのヘレニズム三王国が出現し、それらは互いに相争っていたもののひとまずはこの三国鼎立(ていりつ)の形に落ち着いた。」

ご参考までに鼎(てい/かなえ)とは3本足の青銅器で、次は殷の末期の劉鼎です。
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で、話を戻しますと・・・
次はマケドニア帝国が分裂した後の紀元前3世紀のヘレニズム諸国の版図で、アンティパトロス朝(緑)、リュシマコス朝(オレンジ)、セレウコス朝(黄)、プトレマイオス朝(青)です。
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しかし、西暦元年頃にはバルカン半島、アナトリア(トルコ)、エジプトはローマ帝国に、中東からインド国境までの広大な領土を持つセレウコス朝は遊牧民の国家パルティアParthiaに取って代わられ、ヘレニズム諸国は消滅しました。

今回のブログの舞台コンマゲネ王国は、マケドニア、つまりギリシャ、に支配され、紀元前163 年に独立したものの、その240年後にはローマ帝国に組み込まれてしまう小国です。コンマゲネ王国に限らず、小アジアAsia Minorと呼ばれるアナトリア(トルコ~カスピ海西岸の一帯)の小国は、いずれも大国に翻弄される歴史を辿(だと)ったようです。

一昨日の4月3日付け朝日新聞によれば、アゼルバイジャンとアルメニアで紛争が起き、双方で1百人程が亡くなりました。
見出「アルメニアとアゼルバイジャン両軍衝突 死者数十人か」
モスクワ2016年4月2日22時37分
「旧ソ連のアゼルバイジャンからの独立を主張しているナゴルノ・カラバフ自治州で2日未明、アゼルバイジャン軍と同自治州に駐留するアルメニア軍が激しく衝突し、多数の死者が出た。双方が停戦違反を非難し合う中、ロシアのプーチン大統領は停戦を求め、収拾に乗り出した。(以下省略)」
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地図から判るように、紛争が起きた自治区はアルメニアとは国境を接していません!完全にアゼルバイジャン内の州です。この自治区を防衛するために隣国アルメニアから派遣されていた(!)軍が、アゼルバイジャンの軍隊と衝突したっていうんです!アルメニアの西にはアゼルバイジャンの飛び地の領土もありますから、ややこしい国境というか民族交錯地帯と言えるでしょう。

この民族交錯は、今日では旧ソ連が絡んで複雑になっているようですが、2千年前、ギリシャ、マケドニア、ローマ帝国、パルティアParthiaが小アジアで覇を競った歴史に源があると考えられます。民族、経済、文化の交差路だった小アジアは大国の思惑が交錯する所でもあったのです。

次の航空写真はアタチュルク湖上空から北東方向を撮影したものです。湖の北に広がる平地にコンマゲネ王国の首都Samosataサモサタ(現サムサット)がありました。聖地ネムルト山は写真の枠から少し右(東)にはみ出ていて見えていません。
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次のGoogle Earthの衛星写真で、シリア北部の小さな黄ピンがネムルト山です。
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シリア、イラクに近いですねぇ!ネムルト山辺りを流れる川が写っていますが、これこそ、メソポタミア文明をもたらした、かの歴史的大河ユーフラテスEuphrates川です!

ネムルト山Nemrut Dagiはトルコのアディアマン州Adiyaman Provinceの州都アディアマンから北東47Kmにあります。
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アディアマン市の南の大きな湖は、ユーフラテスEuphratesをダムで堰き止めて造られたトルコ最大の人造湖で、初代大統領の名からアタチュルク湖と呼ばれています。
ご参考:チグリスTigrisとユーフラテスEuphratesを示す図
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で~、今回は「ネムルト山の不思議」と題してお送りするのですが・・・英語版ドキュメンタリー・フィルムがネットから削除されてしまったので、その代わりと言ってはなんですが、“アディアマン州Adiyaman Province観光宣伝フィルム”の「NEMRUT - God's Heavenly Throneネムルト:天国の神の玉座」を参照してご紹介させて頂くことにしました。

観光宣伝フィルム曰く;
“興味深い遺跡や自然が残るアディアマン”
“文明の揺り籠とも言われるメソポタミア(ギリシャ語で“川の間”)の北部に位置するアディアマン”
をお楽しみ下さい。
・・・・・・
「アデイアマン!アナトリア南東に位置し、太陽が昇る場所アディアマン。神秘に満ちたアディアマン。様々な民族と信仰、言語を持つ人々が棲むアディアマン。肥沃な土壌が広がり、穏やかな地中海性気候と、東部では厳しい内陸性気候も併せ持ち、小麦、トウモロコシ、タバコ、葡萄、ザクロなどの農産物は世界中に出荷されている。雄大な自然、天国を思わせる流れのユーフラテス、トルコ最大のアタチュルク・ダムと湖、多くの文明が残した素晴らしい遺跡、これがアディアマンだ。」
以上は、フィルムの冒頭で、感動的な口調で何度も繰り返して語られる、アデイアマンを讃える美辞麗句を簡素化したものです。少し古風な上に、しつこい感じは否めませんが、アディアマン観光宣伝フィルムだからこんなものかもしれません。

フィルムでは「ネムルト山は古代の8番目の不思議で近代の6番目の不思議」と言っていますが・・・“世界の八不思議”は何十もあるようで、公的なものではありません。Wikiの“中世や現代の世界7不思議”にはネムルト山は含まれていませんから・・・何を根拠に仰っているのか・・・


そうは言ってもアディアマン州は魅力的な場所だと断言できると思います。必ずや訪れたい場所と言っても過言ではありません。

で~州都アディアマンはこんな町です。
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町の中心部に位置する州立博物館。
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建物も地味ですが、内部の展示も地味な感じ。
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州都の「オートラクチ・バザールOturakci Bazaarは、アディアマン州で作られた織物などの産物が並ぶ、最も賑やかな、旅行者なら訪れたい場所だ。」と宣伝フィルムが紹介しているバザール通りです。
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州都の南30Kmにあるトルコ最大のアタチュルク・ダム。
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ダムで生まれたアタチュルク湖はユーフラテス川の一部です。

「伝説上の天国の地を、何世紀もの間、優雅な姿で流れ続ける偉大な川ユーフラテス」と続きます。
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しかし・・・穏やかな流れの大河で、水も澄んでいて綺麗ですねぇ。空の青さがそのまま水面に映えている感じで、素晴らしい光景だと思います。両岸には肥沃な大地が広がっています。実は、ユーフラテス川上流のこの辺りは世界における小麦の原産地なんですね!小麦の栽培が始まって人々は定住し、集落、都市、そしてメソポタミア文明が生まれた大地です。

それでは、車で州都アディアマンを出発し、ネムルト山を目指す旅に出ましょう。
3KmでピリンPrin遺跡に到着です。
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コンマゲネ王国の5都市の一つで、オアシスがあり、キャラバンの宿泊地として栄えました。岩に掘られた共同墓地necropoliceも見つかっています。多くの住居は岩に掘られていたようです。
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更に農耕地が広がる高原にうねうね続く舗装道路を40Kmくらい北東方向に走ると古墳群が残る地域に到着します。道路脇の美しい円墳。
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コンマゲネ王国の二代目の王ミシュリダテスが、母ヒサスのために造りました。石柱の鳥(鷲)の像のイメージから“黒い鳥カラクシュKarakus”古墳と呼ばれています。
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カラクシュ古墳から10Km走ると、古代都市アーサメイアに残るジェンデレCendere橋に到着です。
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この橋は、現在、車の通行は禁止で、車は500m離れた新橋を使います。

およそ1800年前、コンマゲネ王国は消滅してローマ帝国の一部に編入されていました。この辺りの諸侯が当時のローマ皇帝セプティミウス・セウェルス(在位193-211年)を讃え、ユーフラテスの支流チャビナス・クリークChabinas Creekの上に造った橋だと言われています。
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橋の両側には高さ9mの石柱が2本並べて建てられ、その上に、夫々、ローマ皇帝セウェルス、妻、長男、次男の像が載っていました。しかし、帝位に就いた長男カラカラCaracallaは邪魔者の弟ゲタGetaを暗殺し、ゲタの記録を帝国から消し去る運動をしました。その時にゲタの像が載った石柱は壊されてしまったのです。
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ベルリンの博物館に残る直径30cmの木製のトンド(tondo;円形の絵、像)には、ジェンデレ橋を捧げられたローマ皇帝セウェルス夫婦と2人の息子が描かれていますが、弟の顔は消されています。
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皇帝カラカラは暴君として有名なようですが、遠征中に近衛兵の一人に暗殺されてしまいました。この近衛兵も捕えられ殺されているとのこと。北朝鮮でも将来、同じようなことが起きるのではないでしょうか。

さて、ジェンデレCendere新橋を渡りネムルトを目指して進むと、30Km足らずで古代都市アーサメイアarsameiaの中心に到着します。コンマゲネの夏の都で、ネムルト山の麓(ふもと)に造られました。
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アンティオカスの父ミトリダテス1世が埋葬された場所でもあります。
大きな山と小さな山、その間には小さな川が流れています。
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大きな山には石像や石碑が残っています。
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アンティオカス1世(父のミトリダテス?)とヘラクレスが“互いの右手で握手する(dexiosis)”レリーフ。
(Dexiosisrelief aus Arsameia, Mithridates or Antiochus I with Hercules)
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この“Dexiosis”レリーフはローマと友好関係にあった時代、アンティオカスが権力と不滅を示すために造らせたもので、アーサメイアだけでなく、ネムルト山など王国のあちらこちらに残されています。

谷を隔てた小さな山の上にはエニ・カレYeni Kale (新しい砦)が造られました。
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じつは“古い砦”と呼ばれるエスキ・カレもあるのですが、どれがその砦か判然としません。上の写真で一番左に写っている砦かと思います。一番右の砦は“新しい砦”で間違いありません。

古代都市アーサメイアarsameiaからは登りが15Kmほど続きます。山頂近くの駐車場に到着したら、徒歩で斜面を登っていくと・・・ネムルト山Nemrut Dagiの遺跡サイトです。

この山の紹介は、度々で恐縮ですが・・・旅行宣伝フィルムのトルコ調ナレーションで始まります!
「神の山ネムルト。2千年の歴史の山ネムルト。巨石の像が歴史と戦いながら残る山ネムルト。神々が棲む最も不可思議な世界。不死の男と神が並んで立つ山ネムルト。天の神々の王座の山ネムルト。」
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「アディアマンの歴史はキリスト時代から4万年遡る(?何を言いたいのか不明)。多くの文明が生まれた場所だ。ヒッタイト、ホーリアン(注)、フェィーリアン(注)、アッシリアン、ペルシャン、マサドニアン(マケドニア人)、そしてコンマゲネ!周辺に野心的な戦士が群がる中で、230年間、王国は繁栄した。王アンティオカスのおかげで!」
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(注:ホーリアン、フェィーリアンとはどんな民族か不明ですが、いずれか一方はフェニキアン(フェニキア人)を指していると思います。フェニキアはギリシャ語でPhoiníkē ポイニーケー、ローマ語でPhoenices/Poeni ポエニ、英語で Phoeniciaフェニキアと呼ばれていますから。)

「アンティオカスは不死immortalで神になろうとした。彼の祖先はペルシャ人でもありマサドニアンでもあった。コンマゲネ王国は東のペルシャと西のローマを繋ぐ重要な道にあった。ペルシャ王の娘と結婚して同盟を結び、ローマ帝国に対抗した。」
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「ローマとの戦いにも勝利し、名を遺した。彼に残された望みは永遠の命を得ることだけだった。忘れられないためには何かをしなければならない。何世紀もの後でも、己の名と偉大な力が人々に語られるために!」

で~彼は自分の像と神々の像を2206m(フィルムが言う標高です)のネムルト山の上に造ることにしたと言います。
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ネムルト山はこの一帯で最も高く、日の出と日の入りを見るのに最も適した場所だったので選ばれたようです。
写真は日の入りで、日の出も似たようなものでしたので省略します。
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「彼の目的は、ここで西と東の神々を統一することだった。新しい宗教、新しい信仰システムを造ることだった。そこで神々に2つの名を付けた。」と言います。

一つはマケドニア語(ギリシャ語)、もう一つはペルシャ語の呼び名で、ゼウスZeus=アラマズドAramazd、アポロンApollo=ミトゥラスMithras、Tycheタイケ=バクトBakht、ヘラクレスHercules=ヴァーグンVahagnなどです。何んでこんなことが判ってるのかって言うと、神々の坐像の台座に文字で記録が彫られていたからです。
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「神々が2つの名を持つことで西の文明も東の文明もこの像を壊すことは出来ないと考えた。つまりアンティオカスの最大の恐れは破壊され忘れ去られることだったのだ。」

碑文「この像を守るものは誰であろうと、全ての神々の祝福を受けるであろう。像を壊す者は神々の呪いを受けるであろう。その子孫は怒りの炎で焼かれて土となるであろう。」

「コンマゲネ王国の守護神の鷲は空を支配している象徴だ。ライオンの守護神は大地を支配していることを示している。これらの像は神々やアンティオカスの像の両脇に建てられていた。」
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ネムルトで発見された重要なものの一つと言われるライオンの天宮図horoscope。碑には月や、火星、水星、木星などが名前と共に刻まれています。
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ライオン天宮図は世界でも最も古い形式のもののようですが・・・ここの天宮図は紀元前62年7月7日を示しているらしいです。
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アンティオカスが王に就任した日です!

石像や、古墳の山を形成する小石は全て石灰岩limestoneだと言います。石像をここで彫刻し、その時の小片は古墳に使われたと思いますが、それだけではとても高さ50mの円墳を造ることは出来ません。小山の内部はどうなっているのか、石棺はどの辺りに埋められているのか、埋められていないのか?

ネムルトが発見されて以来、多くの考古学者が古墳の中を覗(のぞ)いて不可思議を解き明かそうと試みたのですが、誰も成功していないとのこと。超音波装置などを使って古墳の中の様子を調査する作業も行われていますが、これらの科学的な調査結果についてはネットでは見つかりませんでした。何かご存知の方がいらっしゃったら是非、教えて下さい。
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ネムルト山は1987年に世界遺産に指定されました。2004年にはGolden Appleを受賞したとのことです。この賞は旅行ジャーナリストや旅行作家の世界連盟FIJETが制定していて、詳細は次のURLで確認できますが・・・ネムルト受賞は2003年となっていました。で~アジアでの受賞はありません。
http://www.fijet.net/fijet_golden_appel_dyn.php?langue=en
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尻切れトンボになりますが、これをもって今回のブログ「ネムルト山の不思議」を終わります。
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アディアマンの観光宣伝フィルムは次のURLでお楽しみください。
NEMRUT - God's Heavenly Throne
https://www.youtube.com/watch?v=SZh9ZANsA80

次回のブログですが・・・アタチュルク・ダムからユーフラテスに沿って70Kmくらい下流に造られた古都の遺跡をダムによる水没から守る人々の活動をお送りする予定です。
(完)

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mh徒然草90: 一万円札増刷の意味は?

4月5日のネット・ニュースです。
見出「1万円札、1億8千万枚増刷へ…タンス預金増で」
記事「財務省は、2016年度に印刷する1万円札を前年度より1億8000万枚(1・8兆円分)多い12億3000万枚(12・3兆円分)とする計画を決めた。1万円札の印刷枚数はここ数年、年間10億5000万枚で横ばいだった。日本銀行が始めたマイナス金利政策の影響で利息が低下した銀行預金ではなく、自宅などで現金を1万円札で保有する「タンス預金」が増えているようだ。マイナンバー(共通番号)制度の運用が始まり、将来、自分の資産を国に把握されたくないと考える人が増えていることもタンス預金を拡大させているとみられる。一方、5千円札は8000万枚、千円札は1億枚、それぞれ印刷を減らす。日銀の2月のマネーストック速報によると、世の中に出回っている現金の量(月中平均)は、前年同月比6・7%増の90兆3000億円で、13年ぶりの高い伸び率だった。特に1万円札が6・9%と大きく伸びている。5千円札の伸びはわずか0・2%だった。」

1万円札の増刷額は対前年1.8兆円プラスで、5千円札と1千円札は印刷枚数が減って対前年で計5千億円マイナスですから、今年の紙幣印刷額は対前年1.3兆円プラスになります。

しかし、タンス預金に使われた分、紙幣が不足しているから増刷するという理屈は、単純なmhには理解不能です。

お金は政府(日銀)だけに発行権があります。道路や社会福祉や時には戦争のために必要なお金を印刷してきました。しかし、印刷する時は少なくとも次の2つのルールがあるはずです。
1. 政府が債券(国債)を発行し、その額だけ紙幣を印刷する。
この場合は市場に流通している紙幣総額は増えます。 
2. 古くなった紙幣を新紙幣に交換する分だけ印刷する。
この場合、市場に流通している紙幣総額は変りません。

そもそも、箪笥にしまわれてしまう1万円札は、以前、預金者が箪笥に貯めていてもよかったものを銀行にあずけていただけで、それを銀行から箪笥にもどすからといって市場の紙幣が不足するという筋合いのものではありません。

一体全体、タンス預金が増えると何故、市場に出回っている現金総額が不足し、増刷が必要なのか?

mhに思いつく案は次の通りです。日本人は貯金する性格が強く、箪笥に貯めてなんかいられない程のお金が手元にあって、邪魔だからこれを銀行に預けたんですが、銀行も沢山の現金が集まってきて困り果て、日銀に預けたら、日銀も現金をしまう金庫が足りなくなって、金庫スペースを減らそうと、日銀だけで通用する“1億円紙幣”を印刷し、その都度、貯まっていた1億円分の1万円札を廃棄していたところ、最近、タンス預金化が進んで銀行の1万円が不足し、銀行が日銀に「預けていたお金を返してほしい」と言い出したんで、“1億円紙幣”で返すわけにはいかないから、慌てて1万円札を増刷し、その分の“1億円札”を廃棄している、っていう構図です。

しかし、こんな漫画みたいな話が現実に起きているとは思えません。タンス預金が増えると、何故、1万円札を増刷しなければいけないのか?判る方がいらっしゃったら教えて下さい。

で~マイナス金利との関係はどうなんでしょう?一般銀行が日銀に現金を預けると利息をとるという制度ですから、日銀に溜まっていた現金は銀行を経由して市場に戻る方向になったはずですが、それでも現金が不足しているとは・・・日銀が銀行から預かったお金を使い込んだのか、はたまた、タンス預金などと噂を流し、密かに国債が発行されているのか。

一体全体、日本経済はどうなっているんでしょう?金融関係者が自分たちだけ勝ち残るマネーゲームを仕掛けて来た可能性もあります。で~mhも、このブログを完成させた4月14日、M証券の株を100株、注文し、身を持って市場の動きを確認してみることにしました。現在の配当利回(会社予測)は6.7%ですから市場連動で株価が下がっても配当で穴埋めしてもらえそうで、3ヶ月以内で10%くらいの不労所得1万円を期待しています。結果は3ヶ月以内にご報告致しましょう。

緊急追記(5月27日):
箪笥預金Upとの直接的な関係はありませんが、輸出して代金を外貨で払ってもらうと、日本では使えないので、円に換えることになります。すると、日銀に外貨が溜まり、相当分の円を増刷する必要はありそうです。つまり、輸出が増えると円札の増刷が必要になるってことですね、理屈の上では。

「ほほにかかる涙」ボビー・ソロ」
Una lacrima sul viso - Bobby Solo:1964年サンレモ音楽祭入賞曲
ひき続いて優勝曲「夢見る思い」が・・・
50年程前に話題になっていた曲で、田舎の少年mhは、意味不明のイタリア語の歌詞を今もあらかた覚えています。自分でも信じられません!!!お釈迦様も仰ったように必ず理由があるはずですが・・・
https://www.youtube.com/watch?v=ztH2ZLYJcCI
(完)

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西アフリカの不思議

今回はイギリスの芸術歴史家Art Historianガス・カセリー・ヘイフォードGus (Augustus) Casely-Hayfordがキャスターの「アフリカの失われた王国Lost Kingdoms in Africa」の第三弾「西アフリカWest Africa」をお送りしましょう。
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GusのLost Kingdoms in Africaシリーズでは「契約の箱とエチオピアの不思議2015年11月23日」、「バーバー王国の不思議2015年12月28日」をお送りしてきました。

今回のブログの舞台となる西アフリカでは、13世紀から17世紀にかけて繁栄したマリ帝国の首都ティンブクトウにスポットを当てた「ティンブクトゥの不思議2015年5月25日(Digging for the Truth)」もお送りしています。ギニア共和国、マリ共和国、ニジェール共和国を通ってナイジェリア連邦共和国で大西洋に注ぐ全長4千2百Kmの大河ニジェール川the Niger Riverの中流にティンブクトウTimbuktuがあります。
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共和国Republicというと君主を持たない国ですが、ナイジェリアは連邦共和国Federal Republicで、どことの連邦かっていうと大英帝国ですね。しかし、現在は選挙で選ばれる大統領が元首で、英国王室の実権は及んではいません。

今回のフィルムにはベニン王国Benin Empireが登場します。ナイジェリアにあり、ニジェール川河口西岸の現ベニン・シティを首都とした小国でした。大河ニジェールの河口ってことは・・・マリのティンブクトウなんかとも関係があるのかな?って言うんですか?さすがですねぇ、少し違っていますが、いいとこ突いてます!

で~地図を見るとナイジェリアの西にベニンBenin共和国があります。この国はベニンという名門の名を国名にしていますが、歴史的にも地理的にもベニン王国との直接の関係はありません。

で~、ナイジェリアにあったというベニン王国の文化は、ニジェール川中流域のティンブクトウではなくて、ティンブクトウから250Kmほど南のドゴンDogon台地辺りを起源としているようだっていうんですね。
(ドゴンDogon台地)
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勿論、お釈迦様が仰ったように、因果応報、原因があっての結果です!ニジェール川が一役も二役もかっているのは当然だと思うのですが、それについては何のコメントもありませんでした!残念です。

ま、それはさて置き、フィルムでは青銅bronzeの楯plaqueや像statueから話が始まるのですが・・・
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青銅って言うくらいですから青い銅ってことでいいんですが・・・
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青銅bronzeの主成分は銅Cuと錫(スズ)Snですね。スズの含有量が少ないと黄色で、10円硬貨。スズが増えると黄金(こがね)色、更に増えれば白銀(しろがね)色になります、青じゃぁありません!で~大気中で銅が酸化し、緑青(ろくしょう)と呼ばれる酸化物が形成されてくると青くなります。
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いずれも見事な芸術作品だと思います。もしナイジェリアに旅行したら是非、レプリカを買ってきたいと思いますが、結構おもそうなので、さて、どうしたものか・・・行く前から悩んでしまいます。

さて、下調べもざっと終わったところで、フィルムのご紹介を始めましょう。
・・・・・・・・・
アフリカ。人類発祥の地。およそ10億人が暮らす、信じられないほど多様な社会と文化の大陸。
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しかし、その歴史は他のどの大陸よりも知られていない。今、それが変わりつつある。
(Niger川の夕焼け)
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最近の数十年間での考古学的調査によって、他の大陸と同じような広範な活動が行われていたことが明らかになっている。その歴史が記録されたものが少ないことから、長年、無視されてきた。しかし、黄金、銅像、文化、芸術、伝説などから、アフリカの過去が明らかになってきたのだ。
(ナイル中流ヌビアNubiaのピラミッド)
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私の名はガスGus。何年もの間、アフリカの歴史や文化を学んでいる。
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芸術歴史家として、昔から伝わる対象物を絵に描いて研究に活用している。私はこれから歴史を発見しようと考えている。アフリカの失われた王国で、一体、何が起きていたのかを探し出すのだ。

アフリカに関する多くの物語は、ここロンドンの大英博物館から始まる。
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ここにはアフリカ大陸で収集され、購入され、搾取された数千の手工芸品が集まっている。西アフリカの品物が最初に発見された時、世界は驚愕した。
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この展示品は5百年前にベニン王国で造られたものだ。
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1897年、英国人が初めてこれらの作品に出会った時、彼等にはアフリカ人が造ったものとは信じられなかった。精緻で、錯雑(?intricacy)で、英国人にも深い感銘を与える卓越した芸術性を備えている!
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これらのアーカイブは銅が多めの真鍮(黄銅brass)や青銅bronzeで、900以上の楯(plaqueプラーク)が造られていたと考えられている。粘土の型に溶融した金属を流し込んで鋳造する、極めて高度な技術と技能が使われていた。
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アフリカ人のような原始的な人種が、いくつもの技術を組み合わせて当時のヨーロッパと同じレベルの手工芸品を造る技術を持っているなど、ヨーロッパ人にはとても信じられないことだった。
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どこで青銅鋳造技術を手に入れたのか?どこで材料を見つけたのか?
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手掛かりはこれらの作品が見つかった場所に残されているはずだ。多くは西アフリカの王国で造られたことが判っている。何故、これらを造ったのか?どんな意味があるのか?造られた時期と場所について何を語っているのか?
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いくつもの青銅の楯に登場している豹・・・
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王宮の屋根に横たわる蛇・・・
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これらの動物が象徴しているものは何か?何故、これが重要だったのか?

きっと、我々には理解できない原点を持っている!ブロンズはベニン王国の何を語っているのか?西アフリカが植民地化する前の何を伝えようとしているのか?

それを探して16世紀に最盛期を迎えていたベニン王国があった国、ナイジェリアを訪れるつもりだ。
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更に昔に遡(さかのぼ)る旅もする。ベニン王国よりも古い町があるマリ共和国で、ベニンの技術や芸術を可能にした源を探すのだ。
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まずベニン・シティを訪れた。かつてのベニン王国の首都だ。ナイジェリアで繁栄している都市の一つで1百万人以上の人々が暮らしている。町の中心の円形広場にはベニンの歴史を表す像や芸術品が飾られている。
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19世紀までの6百年間、一帯を統治していた。
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16世紀、王国は堀と城壁に囲まれていたという。
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今では注意しないとわからないが、考古学者たちの調査結果に寄ればジグザクに折れ曲がる9mの高さの城壁が、信じられないことに6千4百Km(注を参照)に渡り町を囲んでいた!!!西アフリカにおける文化、政治、商業の中心だった。王国は代々、ウーバー家が暮らす広い王宮から統治されていた。
(注:ベニン王国を囲んでいたという堀と城壁ですが、全長1万6千Km(!)で、万里の長城の4倍、人間が造った地上最大の構造物とネットにありました!!!)
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彼等の精神は、子孫だけではなく、動物や楯や芸術の中に残されていると信じられている。
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最盛期の軍事的経済的な勢力は40,000平方マイル(日本国土の1/4)に及んでいた。19世紀、英国はベニン王国を足掛かりにアフリカでの勢力を拡大しようと貿易協定を結んだが、関係は悪化し、英国からの派遣団は王宮に近づかないように警告されたにも拘らず攻め入って、200人を殺した。生き延びたのはたった2人だ。1ヶ月後、1897年、英国軍1千2百人が事後処理のために到着した。都市の城壁は彼等を留めることができず、王国は崩壊することになった。
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英国軍は王宮内で手工芸品を見つけた。アフリカで作られたとは思えないものばかりだった。
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2千にのぼる品は持ち去られ、売られ、西洋の博物館に分配された。ベニン王国にとって文字通り崩壊的な敗戦だった。

しかし、その記録は、中央広場に残る近代のモニュメントからは伺えない。そこではベニン人兵士が死にゆく英国軍兵士の上に立って勝利を祝っている!
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ベニンでは歴史は勝利者によって書かれてはいない。芸術家が書いている!
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しかし、ベニン王国が消滅していた期間は実は短い。1914年、植民地ナイジェリアを支援するため、英国はベニン・シティで王政monarchyの復活を認め、王宮も再建した。
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王国の伝統は残された。世襲の王と世襲の側近たちが毎日開催している集会に私も招待された。それは単なる象徴的会合ではなかった。持ち込まれた問題は、ここで討議され実施に移される。つまり、この王国はナイジェリアの政府と同格なのだ!(mh:ベニン・シティ限定でしょうから、規模は当然小さいのです。)

豹の像を足元に置いた玉座の王を見ていると、青銅の楯に描かれた絵に命が吹き込まれたようだ。
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王の説明によれば、青銅の楯に描かれているのは王宮での様々な行事や出来事で、歴史写真のようなものだったという。
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青銅鋳造のギルド(guild同業組合)は今も残っている。
(ベニン青銅鋳造同業組合;世界遺産サイト)
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(mh:調べると、かつて“ベニン”として世界遺産登録リストに仮登録されたようですが、青銅鋳造場所が登録されたっていうのは、円形広場の勝利の像と同様に“作られた事実”だと思います。)

主な商品は旅行者向けの土産品だ。しかし、製造方法は16世紀の技術と同じで、特に王宮向けの品物を造る技術者集団はギルドの頂点に立っているという。
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まず粘土で芯になる像を造る。その周りをワックスで固め、口とか目なども細工して原型を造る。その原型を泥で覆い、火に入れる。すると泥は固まり、中のワックスは溶け出てしまう。そこに溶かした金属を流し込む。
(mh:ロストワックス鋳造lost-wax castingです。)

16世紀、ポルトガルの貿易商が持ち込んだ銅製のブレスレットを溶かして真鍮brassや青銅bronzeの鋳物を造った。今は、どんな金属でも溶かして利用されているようだ。
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冷えたら泥の外型を金属棒で叩いて割る。こうして、キリスト教用の飾り(mh:手のようです)が数世紀も前の古い技術で造られている。
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(mh:ナイジェリアでは北部でイスラム教(50%)、南部でキリスト教(40%)、その他として土着の宗教(アミニズム:10%)が信仰されています。)

青銅の楯や像は、陶器技術と鋳造技術と芸術センスの塊だ。同じ技術が5百年前も必要だった。それが当時のビクトリア朝の英国人には信じられない技術だったのだ。
しかし、今、店に並ぶ商品は16世紀の品物のレベルに到達していないように思える。
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かつての王宮お抱え技術者が造った高品質の製品は中央広場のベニン博物館に展示されている。
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悲しいことだが、1897年に持ち去られた製品のレプリカが多い。例えそうだとしても、製品の錯雑(?intricacy)には驚きを禁じ得ない。どれも歴史書物を見ているようだ。着物も布地まで細かく描かれている!
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多くの製品は16世紀以降のものだ。王国の拡大を成し遂げた戦いなど、特別な出来事を描いている。この楯の絵は、エガラーの戦いでポルトガルの援助や武器のおかげで勝利したオーバエスジーが、お供の者と凱旋している図に思える。
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多くの楯は彼が王位にいた時代に造られた。その時、青銅の材料の多くはポルトガルが提供した。

しかし、こちらの豹の楯はポルトガルが来る前に造られたものだ。
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どこか別の所から金属材料が持ち込まれていたのだ。表現されているシンボルも楯とは異なる種類だ。どこからやって来たのだろう? 答えは西アフリカのダイナミックな、失われた文明の中にあるのかも知れない。

ベニン王国が生まれる数千年前、西アフリカでは、いくつかの王国が生まれては滅びていた。王国の間に固定の国境はなく、従って王国固有の文明とか文化というものもなかった。
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王国は貿易ルートで繋がっていた。14世紀になると、マリ王国が他を圧倒して繁栄していた。その首都はティンブクトウだ。
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5百年前に栄えたベニン王国の鋳造技能者の技術の源を探して、ティンブクトウを訪れてみることにした。
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1300年代、マリは西アフリカで最も力がある王国だった。皇帝マンサ・ムーサが世界で一番金持ちの男だと考えられていた時期もあった。
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彼は莫大な黄金を所有し、ヨーロッパにも名を轟かせていた。ティンブクトウはサハラの重要な交易ルートが集中するハブ都市で、富と権力の象徴だった。
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アラブ商人は砂漠を越えて絹、繊維、新しい金属類などを持ち込み、商いをしていた。ティンブクトウの裏通りでは今も金属業者が営業している。
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14世紀、駱駝の隊商は北アフリカから純銅を持ち込んでいた。それはさらに南のベニンにも運ばれていたという。
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しかし、銅の入手方法はこれだけだったのだろうか?他からも銅が運び込まれていなかったのだろうか?

アラブ商人が持ち込んだのは商品や銅だけではなかった。イスラム教も持ち込んだ。それは間違いなく、ベニンとは異なるものだ。

この地の歴史家に訊いてみた。
ガス「青銅の楯のイメージは、ティンブクトウと何か関係あるでしょうか?」
歴史家「この一帯で、こういう青銅の楯を見つけることは出来ない。というのは、イスラム教の教えで、我々は人間を描いた絵や像を造ることは禁じられているのだ。」
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「ここで見つかるのは幾何学的なデザインや文字飾りや土器だけだ。イスラムは読み書きを持ち込んだ。どんな理由があろうが、我々が人間の姿や像を取り扱う事はないんだ。」
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ティンブクトウの物語は大学や図書館に残る書物を使って教師や学者だけが語り継いでいるだけだ。手工芸家のギルドなどがあったという話はない。ティンブクトウは銅材料を南に供給する場所だったかも知れない。しかし、青銅の楯が持つイメージや技術はティンブクトウのものではなかった。

しかし・・・もう一つ、西アフリカで重要だった都市がある。ティンブクトウから南に350Kmの町ジェネーDjenneだ。
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そこでベニンの青銅文化や技術に関係する手掛かりを見つけられるかもしれない。
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西暦800年頃、ニジェール川の畔にジェネーは造られた。ティンブクトウより3世紀前、ベニン王国で青銅が鋳造されていた時期より800年も前のことだ。
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ここがジェネーDjenne、西アフリカの大きな市場marketの一つだ。市場が開いている時、人口は3倍に膨らむ。
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ジェネーは13世紀以降ずっと繁栄してきた市場だ。大きなモスクが町を睨(にら)むように威圧している。
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ここは単なる地域の市場ではない。遠い場所とも繋がりを持っている。その証拠は市場で見つけることが出来る。
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これはビーズだ。インドや中国で見つかる石が使われている。2千年以上前にも見つかっている。
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昔、恐らく西アフリカで最大の市場だったはずだ。交易で生み出された富はモスクだけではなく、この地域一帯の生活を支えていた。モスクの前の広場に立つ市は何キロも離れた場所から多くの人々を呼び寄せていた。
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アフリカの重要な地点にある大きな市場ジェネーは、昔から、いろいろな王国に占領される歴史を繰り返してきた。しかし、この町独特の伝統を今も残している。泥で造られている建物は、西アフリカの他の場所のものと異なる。

この綺麗な建物の形や構造には全て意味があるという。
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左右の柱の上を見ると、2人の女房が暮らし、中央の上にある5つの突起から、子供が5人いることが判る。

この象徴法は、北に320Kmのティンブクトウの、偶像を禁止するイスラムの文字表現文化よりも、南に900マイル離れたベニンの技能者たちの芸術的な考え方に似ている!この建築技術者たちの発想がベニンに伝えられたのではないだろうか。全ての家は視覚的な物語を持っているのだ。家族の者が死んだり、新しく子供が生まれたりすると、泥の家の象徴部は修正される。
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ジェネーの泥建築士はベニンの技能者と同じように世襲で伝えられているギルド(同業組合)を持っていた。昔から伝わる、独特の信仰に基づいた建築方法が今も残っている。泥にコメ、コーン、花の種などを混ぜて特別の煉瓦を造り、これに神秘的な魔力を込めるという。
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魔力をもつ煉瓦を5つ造り、建物の四隅と中央の柱に埋め込めば、人が住んでも壊れないという。この考えはベニンで見つかる豹や王宮の屋根の蛇の文様と繋がりがあるのだろうか?

ジェネーは大陸内部のデルタに造られた最初の都市ではなかった。2マイルも離れていない所で、サハラの南では最も古い遺跡の町ジェネー・ジェノーDjenne-Djenoが考古学者に発見されている。ガイド、考古学者と共に訪れてみた。
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何世紀もの間、ジェネー・ジェノーは忘れ去られていた。歴史的意味は全く判っていない。しかし33年前、考古学者チームが、この円形の大地moundの泥の下5mに、ベニンより数千年古い都市の証拠を見つけたのだ。
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紀元前200年から14世紀まで繁栄していた町の跡で、イスラムがやってきたことで終息したと考えられている。イスラムが来た時、ジェネー・ジェノーには宗教が異なる彼らが暮らす場所がなかった。そこでイスラム教徒は今のジェネーに町を造り、大きなモスクも建てた。そこが繁栄し始めると、ジェネー・ジェノーの住民も移り住んだのでジェネー・ジェノーが消滅したのではないかと考えられている。
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しかし、ジェネー・ジェノーの歴史的な価値は今も残されている。古い手工芸品が見つかっているのだ。それらは、この場所が紀元前200年から交易の中心地で、人が住んでいた証拠だと考古学者たちは考えている。証拠は今も地面の上に散らばっている。土器の欠片、それに金属片も!
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つまり鍛冶工blacksmithが居たのだ。この金属技術はサハラ以南で最も古いものだ。

さらに、古代から残されていると考古学者が信じているものがある。ギルド(同業組合)だ、ジェネーの石工masonやベニンの青銅鋳造者と同じように。
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ジェネー・ジェノーには鉄鉱石鉱山は見つかっていない。しかし、110Km離れたドゴンDogon地帯には今も伝わる実例がある。これからそこに行って、何故、どのように、文化と伝統が残ることになったのか、ベニンの青銅技術と関係があるのか、調べてみよう。
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ドゴン族はバンディアガラBandiagara台地の裾に点々と続く小さな村に暮らしている。サバンナから立ち上がる崖は160kmも続く見事な景観を提供してくれる。
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現地ガイドのケニーと一緒に台地の上までやってきた。
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考古学者達は、ジェネー・ジェノーの鉄はこの辺りに今も見つかる鉄鉱石が使われているのではなかろうかと考えている。ここに鉄技術の伝統が長い間残っているのも不思議ではない。
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考古学者たちによれば西アフリカの鉄技術は紀元前5百年頃に始まったという。ドゴンの社会の中で、鍛冶工は、ジェネーの石工やベニンの青銅鋳造者と同じように、特別な地位を築いている。

ガイド「この村で、この家系だけが鍛冶工だ。それが伝統だ。技術は父から子に受け継がれるだけだ。石炭も鉄鉱石も手に入れる。彼等は魔術師のような存在なのだ。」
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鍛冶工は鉄鉱石から鉄器を造るだけではない。木材から像やお面(マスク)を彫り出す仕事もしている。
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13世紀からずっと続く伝統だという。その成果を今夕、葬儀の一部として行われる儀式で見ることが出来るという。

ドゴンに人が住み着いたのは紀元前1万年頃らしい。確かなことを知る人は誰もいない。しかし、これらの儀式は何世紀もかけて発展し、今に至っているはずだ。人々が木製の面をつけて踊っている。
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これが、私が探し求めていた青銅の楯に現れるシンボルに繋がるものだろうか?
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これは死者の霊のお面だ。
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そしてこれが鷺(サギheron)だ。エレガンスを表現している。マスクや衣装で、動物の特徴を真似ている。
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ドゴンの伝統は何世紀も前に600Km離れた地から、この一帯に移ってきたという。イスラムに改宗させられるかもしれないとの恐怖から、隔絶した安全な地で暮らすことにした人々がいたのだ。

これが蛇だ。
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そしてこれらの部族が被っているのはトカゲの面だ。
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何世紀もの間、動物を象徴化して生活に取り入れているドゴン文化は、世の中の変化を受け付けることなく、支配者たちの圧力にも屈せず、独自性を保ち続けて来た。そして、このような見ごたえのある儀式が今も行われている。信じられないことだ。
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翌朝、ドゴン文化を表す別の証拠を見に出かけた。
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部族長で精神的なリーダーでもあるホゴンHogonの倉庫の窓の飾りは、彼の家系図を示すものだという。
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アカシアの樹を彫って作っている。これが祖先だ。
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ベニンの青銅の楯のデザインと比べると単純な技術だが、その目的は全く同じだ!
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文化的な遺産を記録や形にして残す考えは、ドゴンの文明、ベニンの鋳造技術者、ジェネーの石工、西アフリカの鍛冶工のギルド(同業組合)に共通している!
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ドゴンで暮らす人々と動物のシンボルの関係をもう少し調べるため、小さな村の長老たちと会うことにした。
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私が描いた動物のスケッチを彼等に見てもらうのだ。
「豹の伝統のようなものはありますか?」
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「豹はこの男の祖先を表している。もし誰かが豹を傷つけたり殺したりしたら、彼の家系にも重大な問題が起きるんだ。」
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「で、蛇についてはどうですか?」
「蛇は村のリーダーのホゴンの守護神だよ。」
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動物は種族の祖先を意味していたのだ!今から500年前、ドゴンから1300Km離れたベニンでも同じ意味だったのだろう。

この一帯には昔から土着の金属技術もある。
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しかし、ベニンの青銅鋳造では、ドゴンの技術より高度なものが必要だ。少なくとも粘土を使いこなす技術がなければならないのだが・・・

実は、このドゴン台地には、2千年前から泥を使う技術が使われていた証拠が残っていた!
「2千年前、この辺りは森林が広がり今よりずっと緑が多かった。森では多くの動物を狩猟することが出来た。」
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崖の下に抱かれるようにあるのは“アフリカの不思議”の一つだ。
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ケレンという部族が2千年前から暮らしていた跡だ。崖の下に造られていたため、今も良い状態で残されている。
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この構造物は余剰食料を保管する倉庫として使っていたという。生き残るというより繁栄するための倉庫だったのだ。

構造物は形状が美しいだけではなかった。装飾されている!倉庫の外壁に指で模様が描かれている!
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単なる倉庫ではなく、芸術性も付け加えた建物を造っていたのだ、2千年も前に!ある種のルネッサンス、文化の変化だったと言えるだろう。動物を捕獲し食糧を採取するだけの単純な生活に芸術性を付け加えていた。彫り模様がある枕、宝石類、金属製品も見つかった。数世紀以上も前に放棄されたというが、理由は誰も知らない。

しかし・・・宝石や倉庫の飾りなどが2千年前にこの地に出現していたという事実は重大な意味を持っている。ベニンの青銅鋳造よりも何世紀も前に、西アフリカ固有の芸術的な文化の発展があったのだ!
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この近くのジュグと呼ばれる場所で、更に驚くべき発見があった。それはアフリカの歴史を書き換えるものだ。発掘したのは考古学者ではなく、自然だ。川の浸食だった。
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2つの川が出合うこの場所は水位はもっと高かった。水は岸から溢れて方向を変えた。
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そして川が泥の中から彫り出したものが考古学を変えることになった。堆積した土壌の層の中に歴史の断面が現れたのだ!
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2002年、国際的な考古学者チームが前史時代の人間活動の証拠を見つけた。ダーマデン渓谷のこの遺跡は、今は国の考古学的遺産として保護されている。

考古学者達は、堆積層を掘り起こし、ある堆積層で土器の破片を見つけた。異なる年代の堆積層からは別の土器の破片を見つけた。
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土器の破片の炭素年代測定を行った結果は1万1千4百年前のものだった!ここで土器を使っていた人々は英国よりも8千年も前に出現していたのだ。アフリカで発見されたどんな土器より2千年も古い。世界で最も古い土器の出現時期と同じだ。
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この破片は人々の生活を完全に変えることになった土器のものだ。物を運び、保管することに使われていたはずのものだ。
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これこそ革命と言えるだろう。ヨーロッパが氷河期からやっと現われ始めた頃、アフリカは文明の先端を走っていたのだ。

英国人はベニンの青銅芸術の素晴らしさに気付いた。そしてそれを1897年に持ち去った。
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彼等は、アフリカ人には作れないはずだと考えていた。しかし、西アフリカには技術があったのだ。それが明らかになったのは最近のことだ。
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青銅の文様は、ベニン王国だけではなく、もっと古い歴史の内面も語っていた。いくつもの固有の文化や伝統は結びついていたのだ。
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西アフリカの王国はいくつもの側面を共有している。土器、金属製品。そして芸術を通じて語られる歴史。これら全てがアフリカの真実なのだ。
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Lost Kingdoms of Africa 4 of 4 West Africa
https://www.youtube.com/watch?v=QW_kaUuUg8Y
(完)

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mh徒然草89:しょっつるあたりめの値段?


Wiki:しょっつる
秋田県で作られる魚醤。塩魚汁とも書く。ハタハタなどの原料魚に塩を加え、1年以上かけて熟成させ作る。タンパク質が分解されたアミノ酸やペプチドを主成分とし、うま味と特有の風味を呈する。秋田県の伝統的な調味料で、江戸時代初期から製造されている。

でぇ、次の写真は12月に岩手出張した帰り、新幹線車中で買ったおつまみの残りで、家でも晩酌時のおつまみにしようと横浜の自宅に持ち帰ったものです。
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実は、一関の駅構内のキオスク(って今も言っているんでしょうか・・・)でビール「のどごし生500」¥200円と「いかそうめん」¥130円、それに日高昆布おにぎりと紅鮭お握りを買い込んだのですが、東京へ向かう車中で、ものの30分もしないうちに飲み尽くし、食べ尽くしてしまいました。少し飲み足りないということで、車中で「アサヒドライ350」¥280と「しょっつるあたりめ」¥280も追加して頂くことにしたんですね。勿論、若い女性のワゴン販売で、値段も聞かずに「これと、これ」って感じで選びました。支払は「スイカ」で済ませました。

横浜に戻り、「しょっつるあたりめ」の残りと一緒にジャケットのポケットから出て来たのが一関の構内のキオスクと新幹線車中のレシート。で、見て、おぉっと思いましたね。

キオスクのビールは500mlで200円でしたが新幹線車中のビールは350mlで280円です!キオスクのビールのml当たり単価なら新幹線車中のビールは140円なのですが、それが2倍の280円!そしてアタリメはっていうと、大した量が入っていた訳ではないのに、280円なんですね!

いやぁ、高いなあ、って思いました。一関でビールもツマミも2倍買い込んでくればよかった!次回は必ずそうしようと決心した次第です。新幹線のビールはサービス料金も入っているので仕方ないかという気もしますが、キオスクだってサービス料金は入っている訳ですから、やっぱ不当に高いと思いますね、是非見直しして頂き、仕事で疲れているお父さんのお小遣いをいたずらに巻き上げないでほしいと思います。

でぇ、「しょっつるあたりめ」ですが・・・確かに、その前に食べた「いかそうめん」と比べると製造に手が込んでいる感じはありましたし、風味も感じられましたので、いかそうめんよりも高級だとは思いますが、それにしても痩(やせ)せたイカで肉が薄くてこの値段では不当だと思いました。

「のどごし」は発泡酒で「アサヒドライ」は純正ビールですが、いつも第三のビールを飲んでいるmhにとっては、いずれも美味しいビールで味に有意差はありません。いずれもビール鋳造メーカーの自動化された製造ラインで仕込まれ、出荷され、なんでこんな大きな値差になるのか。税金もあるでしょうが、ネームバリューというか、発泡酒とビールは違うんだよって知らしめるために故意に値差をつけているだけじゃぁないのかしらって思いますね。

で、しょっつるあたりめはっていうと、商品名の響きから、やっぱ、手が込んでいて、なんといっても「しょっつる」という特殊な醤油を使っていますから、それで高いのかもしれませんが、それは値段のほんの一部でしかないと思います。

いかそうめんとしょっつるアタリメの値差はサービスの差と言えなくもありませんが、それは正解ではないでしょう。サービスしてくれる売り子の女性はキオスクも車中も大差なく親切だし、キオスクの女性と車中の女性の給与差は恐らく僅かだと思います。一体全体、しょっつるあたりめにmhが支払った高いサービス料はどこに消えているのかしら、との疑念を持ちました。寒風が吹く秋田の浜辺でしょっつるあたりめを仕込んだ人や、ワゴンを押して車中で商品を売り歩く女性に配分されるお金は恐らく僅かだと思いますね、というのはこれらの人がお金持ちで裕福な生活を送っている感じがしないのです。私からまきあげたお金は流通費と称して、JR東海を筆頭とする、自分ではなにもしないで物を右から左に移す指示だけする所謂(いわゆる)中間業者が吸い取ってしまうんだと思います。車中には酒屋がないから、飲みたいやつは高くても買うだろうってなスケベ根性で値段を高く設定しているとしたら許せません!

およそ、汗をかかずに指示だけする中間業者が不当に利益を得る社会は、間違っていると思います。政治家も国民のためになることもせずにスキャンダルを起こしたりしながら高給をむさぼって、自らの身を削る努力、つまり公約の議員数削減、もしていませんから、そんな日本はおかしいと思います。

今日は12月20日で日曜ですから、週2回の第三のビール解禁の日。スルメの足と柿の種をおつまみに、世の理不尽を嘆きながら一杯やるつもりです。

PAUL AND PAULA - Hey Paula
https://www.youtube.com/watch?v=xj-YqTQZ5iQ

(完)

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マヤ暗号を打ち破れ!

6月はメキシコ旅行です。メキシコシティに2泊し、テオティワカンやプエブラなどを見学したら、ユカタン半島のメリダに飛んで、チチェン・イツアなどのマヤ遺跡を訪れます。
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(テオティワカン)
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(チチェン・イツア)
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この一帯は中米Central AmericaとかメソアメリカMesoamericaと呼ばれる、世界6大文明のひとつメソアメリカ文明の発祥地です。
(世界6大文明;エジブト文明・メソポタミア文明・インダス文明・中国文明・アンデス文明・メソアメリカ文明)

メキシコのジャングルで見つかった巨人(コロッサスColossus)の頭・・・
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紀元前1千2百年頃に生まれ、紀元前3百年頃には足跡が途絶えたオルメカOlmeca文明を代表する遺物です。中心都市はサン・ロレンゾSan Lorenzoでした。
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更には紀元前9~前5百年に起源を持ち、西暦900年頃まで栄えた都市国家群が育てたマヤMaya文明、メキシコシティを首都とし1428年頃から1521年まで栄えたアステカ文明Azteca、がメソアメリカの3大文明と言えるでしょう。
ご参考
ブログ「テオティワカンの不思議」2014年10月20日
ブログ「オルメカ文明の不思議」2015年4月27日
ブログ「マヤの不思議」2015年1月5日、
ブログ「アステカ文明の不思議」2015年6月8日

このように、メソアメリカの文明は調べ尽くし、ブログ化し、知り尽くしているはずのmhですが、笊(ざる)のような脳みそから、ちょろちょろと音を立て、記憶が絶え間なく流れ出ていますから、頭の中はブランクというか、ホワイト・アウトの状態で、ブログを見直すまで“はて、どんな文明だったっけ?”と、我ながら情けない状態です。
しかし、ここで気落ちしてブログへの挑戦を打ち切ろうものなら、数か月で廃人になるだろうとの恐怖心に駆られ、今日も気力を奮い起こして、悲壮な覚悟で、この原稿を書き続けているのです。とばっちりを受ける読者の皆様、ご愁傷さまです。

で~、今回は、メキシコ旅行に先立って(今日は3月22日で出発の2ヶ月以上も前なのですが)、これから数日を注入し、Youtube「Cracking the Maya Codeマヤ・コードを砕く」つまり“マヤ暗号の解読”というタイトルのフィルムを中心に・・・
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mhがネットで調べたマヤ暗号情報を加え、「マヤ暗号を打ち破れ!Break the Maya Code!」としてお贈りしようと思います。さて、どんな結末になるのか・・・

みなさんもマヤ暗号/マヤ文字は見たことがあるでしょう。
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「Maya Code、Maya Sign、マヤ暗号、マヤ記号」などと呼ぶと、“限られた人だけに伝えられる、特殊な解読手法が必要な秘密情報”という感じになりますが、「マヤ文字Mayan Glyph/Maya script」となると、かなり丸くなって、“古代文字で書かれた物語”といった雰囲気が生まれてきます。実はWiki「マヤ文字」は後者の英訳が使われています。90%以上の文字が発音も意味も解読されている今日、暗号Code記号Signと呼ぶのは不適当だからでしょう。

マヤ文字は、エジプト文字と同じ、言わば絵文字(hierogryphヒエログリフ)でした。いくつかの絵文字を組み合わせて動詞や名詞の発音を一つにまとめた文字や、物の形を図形化した象形文字、王の名前などでは紋章emblemのような特殊絵文字、が使われています。

次の例は「Wikiマヤ文字」に見つかるもので、戦いの武器である楯Shieldを例に解説したものです。
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左側は象形文字一字で“楯”を、右側の絵文字では3つの異なる音節を表す絵文字を組み合わせて一塊(かたまり)とし、“パカルpacal(a)”つまり、マヤ語で“楯”を表す音を表記しています。
右側の、音節を2~6つ組み合わせた文字形式が主流のようです。

音節や“物”を表わす絵文字や象形文字は、現在、千種ほど解読されています。
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解読の経緯を紹介するフィルムが今回ご紹介するYoutube「Cracking the Maya Code」です。米国人小説家コウ氏Michael Douglas Coeの本「Breaking the Maya Code (1992)」が切っ掛けとなり、米国人マヤ文明研究家リンダ・シーレーLinda Scheleや、マヤ文字と遊んだ天才少年だった米国人ディビッド・スタートDavid Stuartも加わって1997年秋に撮影が始まり、11年を要して、2008年に完成して公開された、壮大とも言える記録フィルムです。

恐らく、フィルムで重要人物になるはずだったリンダは、撮影開始から半年もしない1998年始め、すい臓がんで亡くなりました。享年55歳でした。

次の写真は、ネットで見つけたものですが、フィルムにも登場しています。リンダが亡くなる10年以上前のものだと思いますが、一緒に写っているのは天才少年ディビッドです。
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それではフィルムに戻り、その展開に沿ってマヤ・コードの解明の経緯をご紹介していきましょう。
・・・・・・・・・・

中央アメリカのジャングルの中で発見された無人の都市遺跡群はマヤと呼ばれています。ヨーロッパやエジプト、アジアの古代文明から完全に隔離された場所に栄えた見事な文明でした。

近代文明によって発見された時、無人だった遺跡には得体が知れないヒエログリフhierogryphが刻印されたり、陶器に描かれたりして残されていました。樹皮に文字が書かれた本4冊も残っています。これらの文字には、どんな秘密が隠されていたのでしょう?百年を超える努力の結果、今、マヤ文字の秘密は解き明かされることになりました。

16世紀、炎はマヤ文明を焼き殺しました。焚書です。
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マヤ文字で書かれた本を焼き尽くしたのはスパニッシュ・コンキスタドールと共にスペインからやって来た聖職者ディエゴ・デ・ランダDiego de Landaでした。
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聖職者ランダの使命はユカタン半島をカソリックに変革することでした。キリスト教徒のスペイン人には“悪魔の文明”や“迷信”は不要だったのです。この時、何万ものマヤ人が拷問を受け、殺害されることにもなりました。
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スペインによる占領以降、マヤ人はスペイン人と同じ言葉や文字を使うよう強制され、占領から2世紀後の18世紀には、マヤ文字を書くことが出来る人は誰もいなくなっていました。
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フィルムにリンダが登場し解説しているシーンです。“死亡deceased”と付記されています。ご冥福をお祈りいたします。
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マヤの都市群は紀元前200年頃に最盛期を迎え、数十万人が暮らす都市もありましたが、西暦900年頃には多くの都市は放棄され、寺院などのモニュメントがジャングルに飲み込まれてしまいました。おかげで、マヤ文明やマヤ文字については多くの不思議が残されることになったのです。

都市が“突然、放棄された”理由についてはブログ「マヤを殺したのは誰だ!」(2015年6月29日)でご紹介済みですが・・・結局、はっきりしてはいないのです!メキシコシティ近くのテオティワカンも突然、放棄されたようですから、共通する、メソアメリカに固有の理由があるのかも知れません。農業崩壊説が有力だとmhは思うのですが・・・

話をフィルム「Cracking the Maya Code」に戻すと・・・
リンダに見初められた天才少年デイビッドは1965年生まれで、撮影当時は40歳くらいで登場しています。
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若干18歳でマッカーサー奨学資金を与えられ、最年少記録を打ち立てたようです。

マヤ文字の解読が始まった理由の一つは、正確な現地情報が得られるようになったことでしょう。探検家たちが、何だか判らない絵文字を手書きして持ち帰っていただけでしたが、1880年代、アルフォード・マーズリーがカメラを持ち込み、絵文字を写真に収めました。
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その結果、世界中の人が、マヤに行かなくても、あるがままのマヤ文字を見ることが出来るようになったのです。食糧や撮影機材を運ぶ大勢のポーターたちを引き連れてジャングルの中を移動しながらの撮影は、並大抵の苦労ではなかったでしょう。でも~楽しかったかも知れませんね。
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次の写真はマーズリーが撮影したものです。
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上の写真から作成されたヒエログリフ。
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このヒエログリフを見ても、意味は何か、意味のない発音記号なのか、としたらどう発音するのか、など思い付くわけがありませんよね?でも、今なら判っているのです、意味や発音が!さて、どうして判るようになったのか???

マヤ文字の解明は、焚書を免れた4つの本が発見されたことをきっかけに加速していったと言われています。マドリード、パリ、メキシコ、そしてドイツのドレスデンで見つかりました。誰かがマヤから密かに持ち帰っていたのです。
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解読に最も貢献したのはドレスデンの図書館に残っているドレスデン写本Dresden Codexです。樹皮に書かれたもので、ガラスのケースに入れられ展示されています。
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この写本の存在は、学者達に気付かれていなかったのですが、1810年、写本の写本(?)が公開されると研究者コンスタンティン・ラフィネスクの眼に留まりました。
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ある記号を見たラフィネスクは数字だ!と判ったんです。マヤ文字で初めての解読でした。
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ドレスデン写本に描かれていた「棒と点」は次の数字でした。
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零(ゼロ)は貝(a shell)です。20進法が使われていたのです。
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また本題からそれますが~何故、20進法vigesimalだったのかっていうとですね、10進法decimalの原点は手の指の数ですが、20進法は、足の指も加えたんですね。で~マヤで20進法が採用されていたわけですが~その経緯はmhには判りません!どこかに、その経緯を記したマヤ文字の記録でもない限り、誰も判らないでしょう。で~10進法は~と言いますと、アラビアを経由してヨーロッパに伝わったので、アラビア数字を使って表記されていますが、発祥はインドです。

12進法Duodecimalもありますね。時計一周が12時間とか、1年が12月とか、1フィートが12インチとか。12を選んだ理由は星の運行からで、1年間における満月の回数、つまりカレンダーだ、と思ったのですが、手の指から来たという説が結構、有力らしいです!!!片方の手の親指で、その手の他の4本の指の骨(3個/指)を指しながら数える方法で、今もアジアの多くの地域に残っている、とWikiにありました。

閑話休題、数字の解読に引き続き、偶然ドレスデン写本を見たドイツ人が、月の満ち干や星の運行が記録されていること、金星が戦いの神として崇められていること、に気付きました。次の絵で、両手に武器を持って暴れまわっているのが金星の神です。
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何故、金星かっていうと、宵の明星、明けの明星とも呼ばれ、特に明けの明星は一等星の170倍の明るで燦然(さんぜん)と輝いていて目立つからでしょう。

更に、宇宙が創られた年をマヤが算出していたことも判明しました。
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それによれば“4Ahauアファウ8Cumkuクンク”で今判っている知識によれば紀元前3114年8月13日らしいです。

その後、英国人考古学者トンプソン博士Sir John Eric Sidney Thompsonによって1930年代から1960年代までに800以上のマヤ絵の分類が行われました。
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“トンプソン数”、または“T数”と呼ばれマヤ文字研究者たちのバイブルになりました。しかし、この時点では文字の解読には至っていません。よって文字と呼ばれずに“数:number”と名付けられたんですね。

次に現れた解読者は、1930年に大学を卒業したアメリカ人女性タチアナ・プロスクリアコフです。なんとなくマヤ文明に興味を持つようになったという彼女は、マヤを訪れ、遺跡の絵も描き始めました。見事な絵で、崩れかけている遺跡も蘇り、階段の数なども仔細に描かれ、新たな事実が見えてくる絵だと言われたようです。その彼女が、1958年ハーバード大学ピーバディ博物館の地下で、保管されていたマヤの資料の見ていて、あることに気付きます。
寺院の遺跡の前に並ぶ石碑・・・
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その石碑の写真に写されたマヤ文字を見ていて、石碑が5年毎に建てられて並んでいることに気付いたんです。
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更に、一番最初に建てられた石碑に彫られた像は必ず座っていて・・・
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その下には生贄が!
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このパターンは、他の寺院遺跡の前に並んだ石碑でも同じでした!

更に、一列に並ぶ石碑のいくつかには、「歯痛の絵文字」と彼女が名付けた、包帯を巻いた鳥の頭が描かれた絵が年代文字の前に記されていました。
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そして、更に、いくつかの石碑には「歯痛の絵文字」の年より12~31年前の年がイグアナの絵文字とともに記されていたのです。
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これを見て彼女は気付きました。石碑に描かれた人物像は神なのではなく、王または王妃の姿で、イグアナの年は誕生年で、歯痛の鳥の頭の絵の年に王または王妃に就任したのだと!イグアナも鳥も書かれていない石碑は、その年に王が行った戦などの行事に関する絵が彫られていたのです。
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つまり、寺院前に並ぶ石碑は、一族の歴史を表していたのです。

新たな発見もありました。ロシア人言語学者ユーリー・クノーロゾフは、第二次世界大戦時、ドイツの図書館でマヤ文字に関する本に出会い、これをレニングラード(現サンクト・ペテルブルク)に持ち帰ると研究を始めました。

「20~35の記号でできているなら恐らくアルファベットで、各文字は単純な音を持っている。」
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(アフリカのソマリアのアルファベット)
「80~100なら、恐らく音節syllableに基づいている。」
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(アメリカ・インディアンのチェロキー族の音節)
「文字が数百なら、logographic表語文字、つまり一つの言葉を表す文字だ。」
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(漢字)
「マヤ文字は800種ほどで、アルファベットにしては多すぎるし、一つ一つの文字が異なる言葉だとすれば少なすぎる。」
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「恐らく限定的な表語文字体系だろう」と考えのです。しかし、一方では、どんな言語も一種類の記号だけで書かれることは無く、アルファベット文字体系でも数字や句読点などの記号と共に使われるのが普通だから、マヤ文字は表語記号と表音記号の組合せだろう、ってクノーロゾフは考えました。そしてマドリード写本の中の四方向を示している絵を分析してみたのです。
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西に当たる位置に記されている文字。“T数”を創ったマヤ文字解析の創始者とも言えるトンプソン博士によれば、手が完結を、丸い図形は太陽を表し、この組み合わせで“西”を表していることになっていました。
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しかし、クノーロゾフは音節の組合せだと考えたのです。手はチーchi、丸はキンkinだと。
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実はクノーロゾフはマヤ人が西をチーキンchikin、太陽をkinと呼んでいたことを知っていました。従って、手と丸を組み合わせた絵文字は2つの音節を組み合わせたchikinで、西westを表すと考えたのです。
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この考えが正しいことは今なら証明済みです。この考えに基づいた研究の結果、マヤ文字の解明が進むことになったのです。マヤ文字はマヤ人が使っていた言葉の音を表記したものだったのです。

しかし、東西冷戦の中、クノーロゾフと西側の文明との交流が少なく、また、マヤ文字の権威トンプソン博士に否定されたクノーロゾフの発想は西側の研究者に伝わることはありませんでした。

同じ時期、若きリンダ・シーリーLinda Sheleはマヤで石碑に描かれた文字に魅入られていました。1973年、彼女は再びマヤのパレンケPalenqueを訪れました。
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王朝の歴史を知ろうと思い、石碑の文字に記された年代とその時の出来事に着目して調べていると、それが、ある寺院の壁に彫られたマヤ文字に現れる年代と一致していることに気付きました。その人物とはLoad Shield(シールド:楯)でした。
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寺院の文字の中に、彼の紋章絵文字があったのです。白くライトアップされた四角の絵文字は楯Shildを表しています。
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すると、1948年の発見が意味を持つことになりました。その年、寺院に造られた階段が見つかり、地下の墓室にあった石棺の中には、翡翠のマスクを被った遺体が眠っていたのです。
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彼こそが“Load Shield楯王”に違いありません!初めて絵文字とマヤの王が結びついた瞬間でした。
寺院の壁にびっしりと彫られた絵文字はLoad Shieldと彼の子孫たちの王朝の歴史物語だと判り、これを解析することでマヤ文字の理解が加速することになりました。

しかし、王の名前が“Shiled楯”ではマヤの歴史をないがしろにしてしまいます。そこで後日、マヤ語で楯を表す“パカル”と改められることになりました。

しかし、まだマヤ文字を解読したと言うにはほど遠かったのです。ロシア人言語学者クノーロゾフの考えを完結する作業が残されていました。

これを進めたのがデイビッドです。彼は幼少期、父親に連れられてマヤを訪れていました。
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マヤ文字に興味を持ち始め、文字絵を自分で写し取ったりしていたのです。
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彼が描いたスケッチも残っていてフィルムで紹介されていました。
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アメリカに戻ったデイビッドはリンダの研究室を訪れました。父親が有名なマヤ文字研究者に会うチャンスを作ってくれたのです。その時、リンダはデイビッドが特殊な才能を持つ少年だと気づき、その夏、彼をつれてパレンケを訪れます。
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ディビッドはリンダがこれまで気付いていなかった絵文字の組合せ法則に直ぐ気付いたようで、リンダは「とても驚いた」と言っています。
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マヤから帰ると、若干12歳のデイビッドはマヤ絵文字に関する論文を書き上げました。それはかなり高度なもので、学者の3分の2は理解できなかったのではないかと言われています。
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デイビッドはマヤ文字の解明に没頭し、大学の卒業も遅れてしまうのですが、その時に偉大な発見をしたのです。

それまでトンプソン博士が“プラス、マイナス”を表す記号だと考えていた絵文字
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デイビッドは“イウティi u ti”、“ウティヤ u ti ya”と読んだんです!
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マヤ語でiutは“そして起きたthen it happened”を意味し、ウティイutiyは“それが起きたのでsince it happened”を意味し、この読み方を適用してみたら、文字が羅列されたレリーフや石碑の記述が意味を持ち始めたといいます。
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調べるにつれ、“ウu”の音を表す絵文字はいくつもあることが判ってきました。
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一つの音が沢山の文字で表されていることはマヤ文字の解読を困難にしていた一つの理由でした。
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そしてこれらの音節記号を組み合わせて一つの言葉としていたのです。
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ウトウパ:彼の耳飾り(mh:彼は“王”を指しています。)
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ウバキ、ウバック:彼の骨
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更には、文字と共に彫られたり描かれたりしている人物像・・・
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王と従者たちと思われる絵・・・
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絵に添えられた文字から、左側の蛇の口から祖先が現れる様子を表現したものだと判りました。
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つまり、絵が描かれたヒエログリフはマヤの人々の歴史や神話、王の偉業などを表す絵物語だと判るようになったのです。

今、ユカタン半島に暮らす原住民の間で、マヤ文字を学ぶ運動が起きていると言います。
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マヤ文字で残されていた古代マヤ人の歴史、信仰などが解読されるにつれ、祖先の思いを理解したい、との気運が高まっています。
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昔から密かに続けられていたマヤの宗教儀式も、堂々と行われるようになりました。子供の名前も、これまではスペイン的なものばかりだったのですが、マヤの王や王女の名前が使われるようになったと言います。
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祖先達の歴史を知ることでマヤ人としての誇りが生まれたのです。

PBS Nova S35E14 Cracking the Maya Code Full Documentary
https://www.youtube.com/watch?v=uoHezZpSRPE

(補足)
ドレスデン写本の6~8ページです。
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8ページ目の上の図をスケッチしたもの。擦り切れている部分も描かれています。
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オルメカ文明遺跡で見つかったヒエログリフ。
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数字の表記はマヤ文字と同じです。絵文字も雰囲気が似ていますが、Wikiによればマヤ文字との直接的な関係は認められていないとのこと。でも~かなり似ていますね、絵柄が!こちらの方は絵柄もシンプルで、“音節”の組合せも単純で、彫りは“沈み彫り”で原始的です。マヤ文字では絵柄が凝(こ)っていて、音節の組合せ数が多く、つまり複雑な言葉が使われていて、彫りは“浮き彫り”で絵柄が浮き出るように彫る、手が込んだ手法です。絵柄の複雑度や彫りの違いはありますが、絵柄は似ていて、文字が残る地域はオーバーラップしていますから、オルメカ文明とマヤ文明は一つの時間軸に乗っている同種のものではないかと思うのですが、何故、そうではないとの見方がなされているのか?お釈迦様が仰る通り、そこには因果応報の真理が働いていると思いますから、心を虚に、先入観を排除して眺めるというか、調べ直さないと真実は見えてこないのでしょう。遺骨のDNA分析とかミトコンドリア分析などから人類学的に調べられたとしたら、2つの文明は繋がるはずだと思うのですが、そう考えること自体も、まだ心を虚にしていない証拠で、どうも、mhはせっかちでいけません。

(完)

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mh徒然草88: 年金運用の最善策は?


今日4月6日のネット新聞です。
見出し「日経平均は7日続落、アベノミクス相場の連続安日数最長に」
ロイター 4月6日(水)15時38分配信
「東京株式市場で日経平均は7日続落。いわゆる「アベノミクス相場」開始以降、連続安日数の記録としては最長となった。ドル/円が一時109円台と、2014年10月下旬以来の水準まで円高が進行し、企業業績に対する懸念がさらに強まった。下落局面では買い戻しが入ったが、プラスに転じた場面では戻り売りに押される格好となった。
日経平均の7日連続安は、2012年11月5日─13日以来、約3年5カ月ぶりとなる。朝方は円高進行に一服感がみられたほか、原油先物相場も下げ渋る動きとなっていたことが支えとなり、日本株は比較的しっかりした動きとなった。“日経平均が1万6000円、ドル/円が110円を割れたことで、国内年金勢が買いに入るとの思惑が広がった”(国内証券)との声も聞かれた。(以下省略)」

株価が上った分野もあって「個別銘柄では 九州電力が大幅高。川内原子力発電所1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)について周辺住民が運転差し止めを求めた仮処分の即時抗告審で、福岡高裁宮崎支部が6日、昨年4月の鹿児島地裁の判断を支持し、住民請求を却下する決定を下したとの報道を材料視した。他の電力株にも連想買いが入り、関西電力、北海道電力なども上昇した。」とのこと。株価上下のネタって、何でもありですね。

で、日経平均株価の今週の変化を確認すると次の通りでした。17,000円から15,700円になりましたから7%の低下です。
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記事の中に「株価が下がったので国内年金勢が買いに回り、少し持ち直した」とのコメントがあり、国内年金勢ってどんな勢力なのかしら?と思って調べてみました。

Wikiでは定義が見つからないので、得体が知れない勢力です。しかし「労働者が積み立てている年金は、厚生労働省(年金局総務課)が主管する“年金積立金管理運用独立行政法人”(資本金1億円、全額政府出資)が運用している」とWiki日本年金機構にありましたので、国内年金勢とは主に、この行政法人を指しているのではないかと思います。

この“年金積立金管理運用独立行政法人”は年金積立金を何処に投資するかを決めるだけです。年金運用益を増やすため、また、アベノミクスを後押しして株価高を促すため、株式に投資している比率が高まっていると聞いていますから、この一週間で日経平均株価が7%下がったということは、行政法人の努力はマイナス方向に作用し、労働者の年金積立金の価値総額は大幅に下がったはずです。それでは困るから、株価を上げる施策を考えるのがアベノミクスでしょうから、円安になるよう国債を沢山発行してお金を集め、土木工事や福祉に大盤振る舞いすることにしたため、今年度の国家予算は過去最高の97兆円に膨らむ見込みです。市場に流通するお金を増やそうと、マイナス金利も設定しました。

これで効果がなければ、国債発行額を更に増やして市場にどんどん、お金を垂れ流していくしかないわけですから、借金はたまる一方です。すると円の信用は低下し、円安に振れるだろうから、輸出競争力が増加して国内の景気は好くなるはずだ、っていう狸の皮算用をしているかも知れません。

しかし、景気をよくするために、借金をどんどん増やしてお金を使えばよいという理屈は何かおかしいと思いませんか?お金に困ったら、借金をどんどん増やしてお金を集めれば、いい思いが出来るよ、って言われて、そうする気になりますか?そんなことをする個人は誰もいないと思います。人の金だから、勝手な理屈をこねて「運用している」と言い張り、そのための必要経費と称して自分の懐にちゃっかりとお金を入れている人が棲む所、それが年金積立金管理運用独立行政法人だと思います。

以前、競馬で30億円も儲けた男の話をしたような気がしますが、彼の手法は、過去の実績と統計だけに基づいて馬券を選んだようです。競馬なら、誰かが損した分、誰かが儲かるというゲーム理論も成り立つ環境ですが、株式市場は、株が暴落すれば、投資家全てが損をする世界ですから、確率統計と過去データだけで勝負する訳にはいきません。

このように先行きは誰もわからない世界に年金積立金を注ぎ込んでいるわけですが、今回の損失について、日本年金機構も運用独立行政法人も年金積立者である国民に何の詫びも入れてはいません。運用を開始した時期の資産と比べれば、まだ十分もうかっているっていう言い分なのかもしれませんが、それがいつまで続くか、何の保証もありません。儲かっているうちに株を売ってしまう考えもありますが、すると株価低迷を誘発して景気が悪化し、それはアベノミクスに反するので、株価が下がっても売ることはできず、上るのを待つだけ。つまり、上っても下がっても何の手も打てないのです。これで運用していると言うのはおこがましい!

そこで「年金運用の最善策は?」は何かという設問に戻ります。
まずはネットで調べてみました。

「年金運用」で検索すると、上に述べたmhの見解と似た記事が多く見つかりました。言い換えると、どう運用すれば年金の資産価値を増やせるのかを論理的に指導しているサイトはありません。つまり、必ず儲かる方法はない、と言い換えることも出来ます。

しかし「資金運用」で検索してみたら、うさんくさい運用会社の宣伝ページが沢山見つかりました。年率6%の利益を確保、といった感じ。どう運用するかについての詳しい話は個別に相談にのります、とあります。これを信じて、この会社に連絡でもしたなら、虎の子の退職金や年金は根こそぎ持っていかれると考えて間違いないでしょう。

ならば、年金運用の最善策は何か?

考えても無駄です。設問が間違っています。年金は運用して増やすべき性質の資産ではありません。収入が無くなった老齢者が、生活するために使うお金です。労働者が汗水たらして積み立てた年金を、政府が絡んで株式などのマネーゲーム(敗者がいれば必ず勝者がいるゼロ・サム(足し引きゼロ)の世界ではないので、ゲームと呼ぶのは不正確ですが)につぎ込むのは止めるべきだと思います。損失の穴埋め責任は誰もとれないし、穴埋めするために国債を増発するのでは本末転倒です。

リスクがあるからといって運用投資を止めたら、資産は減る一方で、将来、年金支給ができなくなってしまうのではないのか?

そう、全くその通りです。もっと正確にいえば、今まで通りの支給はできません。しかし、労働者が年金を積み立て続けている限り、資産が増える枠があるわけです。

今残っている積立金、毎月入ってくる積立金、これを上手く使う。運用ではありません、使うのです。それが最善策だと思います。

例えば、年金支給額を見直すのです。積み立てた額に連動して支給する今の年金方式では、高給取りだった人ほど、高額の年金を受け取れます。低所得者は収める年金額が少ないから、受け取る年金も少なくなります。これは、正に、貧富の格差を死ぬまで引き延ばしているようなものです。これを見直し、資産が多い人には年金支給額を減らし、資産が少ない人の年金は維持する。労働収入や資産運用収入がある人には課税を増やし、資産や収入が少ない人の年金は維持する。つまり、年金がないと平均的レベルの生活維持ができない人に特化した年金支給方式に変更するのが好いと思います。

汗水垂らすことなく、株の運用で資金を増やそうって魂胆は、発想が貧困でリスクが高く、特に、自分のお金でもない年金積立金を注ぎ込むなど筋違いもいいとこです。積立金の資産価値とは無関係に、年金積立金管理運用独立行政法人の理事長以下、役員5人、職員91人には、世間並以上の手当が支給され続けていると思いますから、積立金は確実に目減りしているのが現状です。

日本年金機構の職員数は1万3千人とのこと。関連する組織も沢山ぶら下がっているのではないのでしょうか。いっそのこと、年金制度は廃止して日本年金機構は解体し、所得税、固定資産税、相続税、法人税などから年金の原資を確保し、老齢者に一律定額支給するなど、抜本的な見直しをすべきでしょう。

積立金を運用して稼ごうっていう魂胆は頂けません。日本の年金システムは破綻していると思います。改革が必要です。
しかし・・・世の中って、癪に障ることが多いですねぇ、全く!!!

5月11日追記:伊勢サミットの事前協議のため(?)安倍総理は欧州を訪問し、財政出動を提唱しているようです。目的は低迷する世界経済の回復ですが、一体全体、財政出動ってなんなのか?胡散臭い名前なので、ネットで確認したら次の通りでした。
「景気の安定・底上げを図る経済政策の一。税金や国債などの財政資金を公共事業などに投資することによって公的需要・総需要を増加させ、国内総生産(GDP)や民間消費などの増加促進を図る。需要の増加による失業者の雇用機会の創出も見込まれる。不況期の景気刺激策として用いられる政策。」

つまり、景気が悪いから国債を発行して現金を増刷し、それを使って道路や公共建物を造ろうってことです。景気の良し悪しは恐らく、生活必需品の売れ行きがUPしたのかDOWNしたのかで判断するのだと思いますが、自動車や電化製品や衣服も必需品に含まれているでしょうから、まだ使えるのに捨てて買い替えるという発想が時代遅れになっている時に、昔と同じ発想で景気をよくしようなどと考えること自体が間違っていると思います。自動車や電化製品が売れなくなって景気が悪くなったから道路を造ると言う発想は脈絡が滅茶苦茶で、間違っていることは明白です。だったら自動車会社や電機会社の従業員の給与補償にお金を回す方がましでしょう。地球に穴掘りするお金は、目減りが激しい年金積立金にまわすべきだと思います。仕事が減って失業しても国が支援する体制を充実することが、景気浮揚で道路を造るよりも優先されるべきだと思います。

あはがり:作詞;朝崎郁恵、曲;沖縄民謡、歌;朝崎郁恵
(あはがり:沖縄言葉で「すべてがあかるい」の意)
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https://www.youtube.com/watch?v=RxiTGypwjYk&list=PLT636c5WuxYthNGOj7Qk8AHSKf6QzJK0i
(完)

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モナ・リサの秘密

Secrets of the Dead
死者たちの秘密(2014年3月TV-on air)
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彼女は世界で最も有名な芸術作品だ。名前は“陰謀”と同義だろう。
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彼女は5世紀もの間、秘密を保ち続けて来た。その顔はまさに笑い出そうとしているかのようだ。哲学的な絵で、絵画で何が出来るのかを示している。
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しかし、モナ・リサMona Lisaは、いつも有名人だったわけではない。彼女は奪われるまで脚光を浴びなかった。2年以上も、消失し、隠されていた。
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彼女がいない間に、第二のモナ・リサが現れた。その彼女はもっと若く、もっと躍動的だった。
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しかし、彼女は完成していなかった!
レオナルド・ダ・ヴィンチLeonardo da Vinciは世界で最も有名な肖像画を2度、描いたのだろうか?
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証拠によれば、彼は人生の中で、10年以上の期間を空けて、モナ・リサの仕事を2回した可能性がある。最近発見されたアーカイブ(archive保存版)と最新の科学を駆使し、彼女の不可解な微笑enigmatic smileの裏に隠された秘密を解き明かそうとする努力が実を結び・・・遂に、モナ・リサの秘密が・・・
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The Mona Lisa Mystery
モナ・リサの秘密
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1911年8月・・・パリ・ルーブル博物館で、小さな肖像画のモナ・リサはルネッサンス・ギャラリーの壁に掛けられ展示されていた。
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彼女の名声は低かったが、今、話題になろうとしていた。

博物館が閉館し、扉に鍵がかけられると、便利屋のヴィンセンゾ・ペルージアVincenzo Peruggiaは隠れていた所から這い出して、その肖像画を額から剥ぎ取った。ペルージアはギャラリーの配置を熟知していた。ルーブルの改修のため、最近、雇われたばかりだった。彼は注意深く高価な木製のパネルを布で包んだ。
(mh:ルーブルのモナ・リサは木の板に描かれています。)
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翌日、モナ・リサを脇に抱えた彼は白昼堂々、歩き去った。名作が無くなったことに気付いたのはその次の日だ。彼女は突然、マスコミの話題になった。
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盗難に遭うまで、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたこの肖像画は、主に芸術専門家の間で知られているだけだった。しかし、一晩にして、巷でも語られるようになった。スキャンダルが彼女をスーパー・スターにしたのだ。警察は多くの容疑者を尋問したが、便利屋のペルージアを疑うことはなかった。
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モナ・リザは完全に消失してしまった。彼女が再び現れるかどうか、誰も分からなかった。

彼女が居なくなった頃、一人の画商が、掘り出し物を求めてイングランドを旅していた。
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彼の話によると、サマーセット州の邸宅を訪問した時、ある人物が興味をそそる話を持ち掛けて来たという。記録に残されているのは、ヒュー・ブレーカーHugh Blakerという画商の名だけだ。
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親戚の者が、イタリア旅行をした際、一つの不思議な絵を持ち帰ってきたという。ブレーカーの目にはとても素晴らしい肖像画だと映った。
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見た瞬間、モナ・リサだと気付くのだが、どこか違っている。有名な肖像画の女性より若々しい。しかし同じ女性のようだ。彼女は、お馴染みの完璧さで描かれている。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたのだろうか?

1913年、モナ・リサは再び新聞の見出しを飾った。彼女がルーブルに戻ったのだ。
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盗人はその絵を2年以上も隠し続けていたが、フローレンスFlorence(Firenzeフィレンツェ)で売ろうとして逮捕されたのだ。
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イングランドでは、画商ヒュー・ブレーカーは持ちかけられた肖像画を買ったという。それは“アイルズワースのモナ・リサIsleworth Mona Lisa.”と呼ばれることになる。彼は、この不思議な入手品について、もっと知りたいと思っていた。モナ・リサは2つあるのではないのだろか?
(mh:IsleworthアイルズワースはGreater London大ロンドンの中の小さな町です。)
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アレッサンドロ・ベゾッシAlessandro Vezzosi
レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館責任者Director, Museo Ideale Leonardo Da Vinci
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「現時点で持ち合わせている知識によれば、2つの見方が考えられる。伝統的な見方によれば、ルーブルにある肖像画が唯一のものだ。もう一つの見方によれば、全く異なる絵が2つある。」

第二のモナ・リサの噂は、世間に出始めたばかりで“新たに発見された別のバージョンの絵”と考えられていた。画商だったブレーカーなら、これらの見方を理解していただろう。彼は語り草となっている第二のモナ・リザの誇らしげな所有者であり得るのだろうか?

モナ・リサの不思議は15・16世紀の芸術爆発、つまりルネッサンス、の時期にイタリアで始まった。
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レオナルドは隆盛を迎えた年齢で、芸術家で、発明家で、技術者で、ルネッサンスにおける中心的な男だった。彼の全ての行動は飽くなき科学的好奇心から生まれたものだった。
ニコルCharles Nicholl: Author作家
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「レオナルドは自分を体験・実験の信奉者と評していた。生涯を通じ、執拗で強情な体験主義者だった。好奇心を持ち、探求し、調査し、体験することは彼の信条で信念だった。芸術や技術に関し、比類のない新規性を求めて挑戦していた。」
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マーチンMartin: Art Historian芸術歴史家
「彼は絵画を通じてあるがままの姿を完全に映し出そうと望んでいた。彼は絵画の中に、全てが描かれることを望んでいた。動きも、命も、物体も、解剖学も、地質学も、植物学も、つまりある意味で、今日の映画が映し出すこと以上のものを絵画の中で描こうと望んでいた。彼は誰も、彼さえも満足することができない基準を絵画に課していたのだ。」
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1503年、この達人は驚くほど単純な仕事を請け負った。イタリアの豊かな都市国家の一つ、フローレンスの貴人の要請に応じたものだが、必ずしもレオナルドにとって単純ではなかったようだ。
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ニコルNicholl
「レオナルドとフローレンスの関係は、ある種の煩(わずら)わしいものでしかなかった。フローレンスは、彼が関係を望んでいたかも知れない町だったが、しかし彼の非合法性とか気まぐれ的な理由から、彼を排除しているように感じさせる町だった。そんな理由から、彼はそこで技術や技能を磨くことにしていたのだが、居心地の悪い場所だった。」
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「レオナルドが力を入れていた“発明”は、なかなか金を生み出してくれなかった。それで、実績のある絵筆で収入を得ていた。彼のパトロンは普通、王女や、地位の高い聖職者や、大衆に知られた人々だった。」

しかし、今回、たいして有名でもない絹商人の女房の肖像画を描くよう要請されていた。
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この奇妙な請負仕事が行われることになった理由についての手掛かりは、フローレンスにある世界でも有名な芸術品を所蔵している書房「ウフィツィ画廊Uffizi Gallery」で見ることが出来る。
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そこにはイタリアのルネッサンスにおける独創性に富んだ、ある芸術作品の初版が保管されている。「画家・彫刻家・建築家列伝Lives of the Most Excellent Italian Painters, Sculptors, and Architects 」で、ジョルジョ・ヴァザーリGiorgio Vasari によるものだ。

1550年に発刊されたこの書物は、ルネッサンス芸術に関する卓越した情報源と考えられている。ヴァザーリはその書物をレオナルドの死後に書いたが、彼についても十分な記録と証言を残している。
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VITA DI LIONARDO DA VINCIレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯
PITTORE ET SCVLTORE画家で彫刻家

ヴァザーリは絹商人フランチェスコ・デル・ギオコンドFrancesco del Giocondo についても記録に残している。ギオコンドの息子によるとレオナルドは母親の肖像画を描いたという。

母親の名前は・・・リサ。モナ・リサだ。Monaは婦人を意味するイタリア語だ。

ヴァザーリは肖像画についても詳細に記している。「まつ毛は最大の繊細さで、眉はこれ以上ない程に自然に、描かれている。」
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「口は、絵具で描かれたものではなく、本物の肉で出来ているように見える。」
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彼の表現では、まつ毛は重要な特徴として書かれていて、この絵の際立った特徴になっている。
ヴァザーリはルーブルで防弾ガラスに覆われて架けられている絵を言っているのだろうか?
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その絵には、ルネッサンスの画家を称賛することになった、まつ毛や、唇や、眉の跡方すらない!もし、ルーブルでモナ・リサを見たなら、我々はまつ毛など初めからなかったと思うだろう。
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ということは・・・ヴァザーリはルーブルの絵画を知っていなかったのではないのか?異なる2つの作品があったのではないのか?という疑いが生まれてくる。もしヴァザーリがルーブルの絵について述べていたなら、まつ毛や眉毛はどこにあるというのか?

近代の写真技術は塗料の下に隠された歴史の層を一つずつ、むき出して見せてくれる。フランス人技師パスカル・コッテPascal Cotteは最新鋭カメラを使い、失われた眉の不思議を解こうとしている。高解像度センサーは光の様々な波長の連続を記録することが出来る。
Pascal Cotte
「私はたった3つの波長フィルターと可視光だけで、眉を見つけた。」
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「赤外領域を使う必要はなかった。というのは、眉はとても薄く、絵のかなり表面に近い部分にあったからだ。何故、眉が失われることになったかについての明確な科学的答えはない。」
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「誰かがモナ・リサの表面のワニスvarnishをクリーニングしていて、ワニスの中に描かれていた眉を除去してしまったのではないかと推察できるだけだ。」

ほとんど残っていないということなら、ヴァザーリの説明を裏付けることはできそうにない。彼は異なるバージョンのモナ・リザを見たのかも知れない。

「多くの伝説的絵画は修理と復元という、いかがわしい歴史の中で変形させられている。私自身も多くの博物館で何百もの作品を研究してきたが、多くの見学者はオリジナルとは異なった表面を見ていることを理解していない。
つまり、多くの材料が絵に塗り重ねられ、多くの材料が絵から取り除かれるという、何回か行われる修復とクリーニング作業の結果、オリジナルは変化しているのだ。」
修復専門家アーンスト・ルックスErnst Luxは多くの名作を消滅から救ってきた。彼は昔の修復技術がどれほど芸術にダメージを与えて来たか知っている。
ルックスErnst Lux:Art Restorer美術修復家
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「当時、どんなクリーニングが行われていたのかを知っておかねばならない。テレビン油、アルコール、アンモニアを混ぜた一般的な混合液が使われていた。ラベンダー油や玉ねぎが加えられることもあった。これらの物質に共通するのは、全て、非常に攻撃的だということだ。」
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「従って、ルーブルの絵はヴァザーリが記述したモナ・リサで、繊細なまつ毛や眉は何世紀もの間に行われた修復作業で消し去られてしまった可能性もある。」

しかし、ヴァザーリの説明は肖像画の別の特質についても強調している。それはルーブルのモナ・リサからはかけ離れた指摘だ。彼が見た絵はまだ完成していなかったというのだ!
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とすれば、ヴァザーリはアイルズワースのモナ・リサ、つまりヒュー・ブレーカーがイングランドで買ったものについて記しているのではないだろうか?

現在、アイルズワースのモナ・リサはスイスの秘密の場所にある厳重にロックされた金庫の中にある。
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発見されて以降、その肖像画は多くの所有者の手を渡り歩き、2008年、国際的な投資家のグループによって購入されている。そのグループの詳細や購入価格は機密事項だ。

ヴァザーリの記述にあるもう一つの特徴は「背景が未完成だ」ということだ。アイルズワースでは、人物像の後ろの風景はほとんど完璧に失われている。
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例え未完成でも、レオナルドの作品の可能性がある。彼の様に名声を得た画家なら未完成で終わることは普通なのかもしれないのだ。
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ニコルNicholl
「レオナルドは自分が住む世界に常に多様な心情と興味を持っていたので、新しい発想、研究、絵画についても、手を付けては直ぐに切り離し、放棄し、絵画も未完成のまま放置することも多い男になっていたのではなかろうか。」

1503年、レオナルドは大きな仕事、フローレンスで最も名誉となる依頼を受けることになった。同じ年にモナ・リサの仕事も始めている。
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レオナルドはパラッゾ・ヴェッチオPalazzo Vecchioの壁絵を競って描く画家の一人に選ばれた。
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アンギアリAnghiariの戦いは都市国家フローレンスの歴史の中でも重要な出来事だ。
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壁画を描くため、彼はまだ試みたことが無い技術を準備した。

しかし、彼の独創性は裏目に出た。温度が高いワックスの絵具はいくら時間がたっても乾かず、壁を伝って垂れだした。フローレンスが準備した最も野心的な仕事に、レオナルドは失敗したのだ。
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仕事半ばで放棄し、未完成のフレスコ画を残したまま彼は去っていった。絵は、今ではどこにも残っていない。彼が契約した仕事を放棄したのはこれが初めてではない。彼のいくつかの有名な作品も未完成で残されている。
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「私は、レオナルドは絵画というものは完成させられるべきものだとは決して考えないタイプの画家だったと思う。」
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「彼はいつだって、更なる可能性を付け加えることを考えるタイプだった。いつも、もっと改善したいと考えるタイプだった。だから決して一つの結果に落ち着いていなかった。」

レオナルドが途中で絹商人の妻リサを描くことへの感心を失った可能性もある。

肖像画を比較すると、二人の女性はあきらかに同人物だが、未完成の絵の中の女性は少し若くみえる。これは彼女がいつ描かれたかの手掛かりになり得るだろうか?
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最近になり、時期に関する証拠がドイツのハイデルベルク大学で現れた。
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大学図書館の図書管理者が16世紀の本の中に、余白に書かれた手書きメモを偶然見つけたのだ。
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この本の古い所有者はアゴスチーノ・ヴェスプッチAgostino Vespucciで、彼はレオナルドを個人的に知っていた。彼がレオナルドの作業スタジオを訪れ、レオナルドの絵を見て、メモを本の余白に記したと考えられる。

彼は“レオナルドは主な部分を完成させると、しばしば残りの部分を未完成のまま放置していた”と記している。その例としてリサ・デル・ジオコンドの肖像画を挙げている。その日は1503年の10月だ。
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1503年10月、肖像画は完成していなかった!!!

その時、リサ・デル・ジオコンドは24歳の若さだった。リサの夫はレオナルドを雇い、彼女の絵を描かせていたのだ。彼女は二人目の子供を宿していた。
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彼女はレオナルドの最も魅惑的で欺瞞に満ちた女神になるのだが、その時点では彼女が彼と一緒に過ごす時間は少なかったと考えられる。
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マーチンMartin
「芸術家はスケッチをするものだ。つまり何か似たものを記録に残す。スケッチとはそういうものだ。絵を描く時、そこには座ったモデルはいない。椅子に座ったモデルsitterが居て、画家もそこに座っていて、長い時間をかけて画家が肖像画を描くということはほとんどない。」

レオナルドにとって、モナ・リサの肖像画を描く仕事は彼の広範囲に渡る通常の仕事つまり誇り高い政治的な肖像画や地味な宗教的場面などを描く仕事から一旦、気分を変えることでしかなかった。
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「彼女はフローレンスに住むブルジョアbourgeois女性で“親密intimate”な肖像画だ。偉大な、公共的な肖像画ではない。夫人が笑いながらあなたを見ている、とても親密な肖像画だ。我々が見るのは今にも笑いだそうとしている顔だ。つまりリサ・デル・ジオコンドが次の瞬間には笑っている未来を含んでいる。しかし、まだ彼女は笑っていない。」

「リサ自身は若い女で変化の最盛期にいる。何故なら彼女は既に母親で、ふくよかで、美しく、肉体的で人間的な変化を遂げつつあるからだ。若い母親で、若い奥方だからだ。」
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レオナルドが描いた肖像画なら、富豪とは言え、かなりの費用が必要だったはずだ。しかし、この仕事に関する費用の記録は存在していない。その理由に関する疑問はギウセッペ・パランティのような歴史学者を不思議がらせている。

ギゼッペGiuseppe Pallanti;Economic Historian経済歴史家
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「私は“アルキヴィオ・デグル・イノクンチ”を含め、フローレンスのアーカイブ資料を広範に調査してみた。しかし、フランチェスコ・デル・ギオコンドとレオナルドの間の契約に関する証拠書類を見つけることは無かった。」
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フローレンスの税金制度によれば市民は全ての収入と支出に関する詳細な記録を提出するよう求められていた。

「金銭処理と資産についての記録は細心の注意を払って保存されていた。それは歴史家には重要な情報源になる。全ての芸術歴史家が探し続けていた書類とは、その肖像画にお金が支払われたという書類だ。しかし、不幸にも、フランチェスコ・デル・ギオコンドがレオナルドに何がしかを支払ったと暗示する証拠は、ひと欠けらも見つかっていない。」
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1503年から1506年の間、レオナルドはフローレンスで暮らしていたが、ジオコンドが絵画に金銭を使ったという記録はない。多分、ジオコンドは完成した肖像画を受け取っていないのだ!

「何故、レオナルドは絵を渡さなかったのだろう?これを論理的に説明できるものは何もない。レオナルドは絵を渡して代金を受け取ることに関心があり、ジオコンドは、当時、最も有名な画家が描いた絵を所有することに関心があったはずだ。レオナルドが絵を描き、それを自分のために所有する合理的な理由はない。」

肖像画は完成していなかった。だからレオナルドは料金を回収しなかったと言う事かも知れない。そうだとしたら、彼はその絵をどうしたのだろう?もし自分自身のために残したとすれば、絵は長い間、例えば彼の残りの人生の間、ずっと彼と共にあったはずだ。
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レオナルドはフランシス1世の招待に応じて晩年をフランスで過ごした。
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ロワール渓谷の小さな城で1517年まで生き、その地の礼拝堂に埋葬された。
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彼の死の2年前、ある重要な招待客が思わせぶりな手掛かりを残すことになる。招待客の名はカーディナル・ルイギ・ドゥアラゴナ。彼は個人秘書アントニオ・デ・ベアティスを伴って訪れた。

秘書デ・ベアティスは細かく記した日記の中で枢機卿の訪問に関しても記している。
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老いたレオナルドは枢機卿に作品のいくつかを見せた。バプティスト聖ジョン、聖アンと共にいるマリアとキリスト、そして・・・デ・ベアティスが述べている、生涯をかけて仕上げられた、フローレンスのある女性の肖像画!
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この日記が400年程後の1905年に発行されると、レオナルドの最も有名な作品に関する憶測の嵐を巻き起こした。

日記によれば、モナ・リサはギウリアノ・デ・メティチGiuliano de’ Mediciに依頼されたものだという!レオナルドがリサの夫、絹商人フランチェスコ・デル・ギオコンドに雇われていたという記録と矛盾する!
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「ヴァザーリとデ・ベアティスによる二つの書類は書かれた年と文脈という点で異なる。これらからは明確な答えが出てこない。しかし、ジオコンドとメディチの二人が一つの絵を注文した客にはなり得ないのは明白だ。この事実から異なる肖像画があるとの考えは真実味を帯びてくる。」

もし二つの記録が正しければ、二つの肖像画が在ったことになる、ギウリアノ・デ・メティチのために描かれた完成した名作と、リサの夫に委託された未完成版だ。

2つのモナ・リサの物語は直ぐに芸術関連の世界で広まった、勿論、画商ヒュー・ブレーカーのような人達にも。ブレーカーは数年後に彼のアイルズワースのモナ・リザを見つけたと主張している。真実は、彼はそれを発見していなかったのではなかろうか?自分で、または才能ある贋作画家に依頼して、未完成の肖像画を生み出したのではないのだろうか?
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「レオナルドは彼の時代、もっとも模写された芸術家だった。それは16世紀の間も続いた傾向だ。」
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「人々は変形版やコピーを描き続けたので、どこにでも見られるようになった。」
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「人々はレオナルドのものだという絵を好んだのだ。」
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何百ものモナ・リサが、色々な時代、様々な出来栄えで世界中を駆け巡っていた。アイルズワースのモナ・リサはその一つという可能性もある。

贋作とすれば、その天才は明らかにルーブルの版から作ったはずだ。誰も、それを試みとして描かれた模写だとは疑わなかった。その絵は改めて描かれたモナ・リサだと思われていた。それが、ルネッサンスの書家ヴァザーリが記したように、未完成だった絵だ。

アイルズワースの彼女が発見された時期も怪しい。アイルズワースのモナ・リサはオリジナルがルーブルから盗まれた直後に現れた。彼女が居なくなっていた時期に、贋作者が現金化しようとしたのではないのだろうか。とすると、アイルズワースのモナ・リサは単なる偽物ではなかろうか?

Lux
「私が絵を調べる時は主面をまず見て、直ぐ裏返し、裏面を見ることにしている。何故なら裏面には絵に関する多くの歴史的な情報が見て取れるからだ。」
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「何世紀にも渡って積もり重なったホコリ、署名、収集家が記した番号などがある。時にはシールやスタンプなんかもある。つまり一般的に、表面より裏面の方が絵の歴史をそのまま変わらずに伝えてくれるのだ。」

アイルワースの裏面はこれまで精査されていない。20世紀の初め、新たなキャンバスの上に接着されていたのだ。
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アーンスト・ルックスには、これだけ取ってみても疑わしい。

Lux
「もし贋作を作ろうとしたら、このように裏地を張り替えることは沢山の作業の手間を省いてくれる。裏側を古めかしく見せるための、ホコリや署名などを古めかしく施す作業は不要だ。多くの場合、絵の表面を真似るより、裏面をそれらしく見せることの方が難しいのだ。」
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恐らく、ある卓越した贋作者が、考えられること全てを考えたのだ。しかし、彼でも、世に新たに生まれてくる技術にまで思いは至らなかったはずだ。
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チューリッヒのスイス連邦技術大学では、古物の認証でC14年代測定法を使っている。キャンバスは植物繊維を織って作られているので、絵画はこの測定には完璧な素材となる。調査で難しいのは必要な植物のみを採取することだ。キャンバスが別の層に接着され、覆われていると、楽な作業ではない。

ハンスHans:Physicist物理学者
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「サンプルはオリジナルのキャンバスだけから採取する必要がある。そうすれば正しい年代が判る。別のキャンバスの接着剤が混じると、間違った結果になる。」
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未完成であることとは別に、アイルズワースのモナ・リサの背景にはオリジナルと異なる特徴がある。アイルズワースでは、彼女は2本の柱で挟まれているのだ。
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ルーブルのモナ・リサでは柱の基礎部がわずかに見えているだけだ。
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何故、偽造者は柱を付け足したのか?

芸術歴史家たちは長い間、ルーブルのモナ・リザは両側から各々10cm切り取られたのではないかと想像している。これが事実なら、柱は昔なら見えていたことになる。

この考えは輝かしい証人、ルネッサンスの画家ラファエルによって支持されているように思われる。1504年頃、若き天才は、フローレンスに行った際にレオナルドのスタジオを訪ねたと言われている。
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恐らくこの訪問時、彼はレオナルドの作品の一つを極めて示唆的なスケッチに残している。
Martin
「ペンとインクで、とても見事に描かれた女性の絵で、脇に柱があるバルコニーに腰かけている。明らかにモナ・リサのラファエル版と言えるものだ。」
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彼のスケッチが表現していないのは、原画が完成していたかどうかだった。
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「そこには間違いなく注目に値する基本的な構成があった。人物、姿勢、2本の柱などだ。これらはフローレンスでは知られていた。ラファエルも1507年以前に知っていただろう。1508年、彼はフローレンスを離れた。」

どちらの絵を、どちらの柱をラファエルは見たのだろう?この不思議は2004年まで続くことになる。この年、ルーブルの修復作業者たちはモナ・リサを枠から取り外し、絵の隅が切り取られていないことを発見した。その肖像画には柱は無かったのだ!この啓示が意味する処によれば、見える柱とともに描かれたモナ・リサは恐らく贋作だということだ。

とすると、ラファエルの絵はどうなる?
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彼のスケッチとアイルズワースのモナ・リサは、柱の点でひときわ似ている!このことは、レオナルドのスタジオでラファエルが見たのはアイルズワースのモナ・リサだと示しているのではなかろうか?その絵が有名なモナ・リサよりも早い時期に描かれた版ということになるのだが。それとも、それは後の時代の贋作で、ある時期に柱が切り取られたという、新たに創られ話題になっていた神話に基づいて描かれたものなのだろうか?

彼女がいつ描かれたのかが確定できれば、予想するよりも、より確定的だ。しかし、彼女の正確な年齢はチューリヒの専門家からも逃げおうしている。
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「一般には、15世紀の終わりから17世紀の中頃までという時間幅は特定が難しい。この時期、C14(原子量14の放射性炭素)の大気中の含有量が大きく変化していて、正確な年代の確定が困難なのだ。」

分析により、アイルズワースのモナ・リサは恐らく1500年から1650年の間に造られたと判明している。レオナルドの生存中に造られた可能性があるということだ。
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「この結果は15世紀末期から16世紀初期の間のものだと指摘されたキャンバスの特質に合致する。」

キャンバスは時代的には問題ない。しかしレオナルドの手によって描かれたものなのだろうか?

Nicholl
「彼の下には階層構造があった。助手、生徒、年少者garzoneと呼ばれる小間使いだ。各々は分業していた。」
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「レオナルドの助手たちは時には熟練した芸術家でもあった。レオナルドは構想を立て、絵画の主要部を提示する、しかし背景や煩わしい細部は喜んで弟子達に絵筆を渡していたはずだ。」
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マウリMauri:Art Diagnostician芸術診断家
「勿論、全体のスタイル、構想、対象の創造性、は主筆レオナルドの重要な仕事だったと考えて良い。しかし、絵を描く作業そのものを主筆だけが行ったと考えるのは幻想だ。」

ルネッサンスにおける芸術品の創造は分業に頼っていた。レオナルドのスタジオのように繁盛していると需要には追い付かなかったかもしれない。分業はレオナルドが創造的な仕事に係る時間を生み出していたのだ。
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Nicholl
「モナ・リサについては証人もいる、証拠もある。従来とは異なる技術や塗料やワニスや釉薬をその都度レオナルドは実験していた。勿論、画家というものは自分だけの塗料調合法を持っていた。」
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「店に行って塗料が入った瓶や缶を買いそろえるなんて馬鹿なことはなかった。自分で自分だけの塗料を調合し、特別な顔料を使い、特別な母料を使い、油とワニスの特別な調合法や特別な油を使った。」
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現在、この芸術的錬金術alchemyは画家の署名ともなり得る。それを調べるためには、研究者は顔料の顕微鏡用サンプルを採取する。
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アイルズワースのモナ・リサから採取する塗料は、作者が詐欺師だと明かすことになるのだろうか?

試験サンプルはレジンで固められて顕微鏡で調べられ、塗料の構造、顔料の調合法や積み重ね方などが明らかになる。注目すべきは塗料調合法がレオナルドの時代に使われた調合と一致しているかどうかだ。彼の死後に発明されたどんな顔料も、その肖像画は贋作だと示すことになる。
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検査の結果、アイルワースの絵には新しい物質はなにも使われていないことが判った。

顔料を調べたら、全て問題はなかった。炭素年代測定法もOK、ワニスもOK, 額もOK。つまり技術的には全てOKなのだ。
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だとしても、肖像画自体は主筆によって描かれたものなのだろうか。もしレオナルドではないとすれば彼の身近な人物の誰かが描いたのではないだろうか?

彼の生徒の一人、サライSalaiと綽名(あだな)で呼ばれた男、は生徒以上の存在だった。
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Nicholl
「サライは、最近見つかった証拠、更には我々の最近の予測によれば、レオナルドの愛人だった!レオナルドの秘密の人物、友人、右腕、そしてベッド・メイトだ。ヴァザーリはこの事実をかなり婉曲に言っているが、レオナルドがサライを愛していたことは極めて明らかだ。」

レオナルドの若き愛人、才能ある芸術家、が彼の主人の絵モナ・リサのコピーを始めたのかもしれない。
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Nicholl
「つまり、2つ、または2つ以上のいくつかのモナ・リサ版がある、ということは、レオナルド自身が、一つ目を1503年、そのずっと後に2つ目以降の、完全に別な絵を描いたということではない。私の意見では、別のモナ・リサ、つまりルーブルに座っているものではないもの、はスタジオで描かれた製品だ。」

もしサライがレオナルドのスタジオでモナ・リサを模写したとすれば、彼だけが模写したということはない、とう可能性がある。
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マドリードのプラド博物館で別のコピーが見つかった。
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その絵では、頭、肩、指が修正されていた。ルーブル版でも見つかった修正と特徴が似ている。誰かが同じ時期にオリジナルに合わせてコピーも修正したのだ。
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「スタジオでコピーを描いたり、別版を描いたりすることは極めて一般的だった。過去の偉大な芸術家を見れば、彼らのほとんどがスタジオを持ち、小型版の絵を持っていたことに気付く。マドンナ(Madonna聖マリア)などは、いくつか作られただろうし、生徒達もそれを手伝っただろう。この点ではレオナルドも違わなかったはずだ。このようにして、小型版、レオナルド製絵画、が造られていたのは明らかだ。」
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「レオナルド自身も3種類の絵を持つべきだと言っている。最高の出来のもの、例えばモナ・リサのようなもの、それに中間の出来のもの、例えば“ヤーンワインダーのマドンナMadonna of the Yarnwinder”といったスタジオでレオナルドが造り出した小型版のマドンナ、そして三つめには、悪い出来ではないが、基本的にはスタジオ製品だ。つまりレオナルドが絵画を何段階かにして持っていたと考える十分な証拠はある。」
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しかし、この証拠は、アイルワースはレオナルドのスタジオで描かれたと強調するに十分だろうか?キャンバスの年代は正しい。顔料はレオナルドの時代に使われた典型的な物だ。しかし、一つの大きな違いがアイルワースを疑いの中に呼び戻す。

レオナルドの絵として知られる「聖アンと共にいる処女と子供The Virgin and Child with Saint Anne」
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「聖ジョン洗礼者Saint John the Baptist」
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「岩の処女The Virgin of the Rocks」
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これらはアイルズワースと異なり、全て木の板に描かれている。何故、彼はキャンバス版の絵を木の上に描がくのだろう?

バチカン図書館はコーデックス・ウルビナスCodex Urbinasと呼ばれるレオナルドが描いた価値のあるコレクションを所蔵している。
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その中の「絵画に関する論文」で、彼はキャンバスを使った作品作り技術に関して一章をまるまる当てて解説している。
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彼は明らかにキャンバス絵画を調べていたし、自分でも試していたのだ。アイルズワースのモナ・リサはこの実験の一つなのだろうか?
絵のX線検査が手掛かりを提供している。
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Lux
「レオナルドや同期の画家たちの絵のX線写真は、みんなぼやけている。これは下地で使われる鉛白(えんぱく白色顔料)によるものだ。鉛白がX線を遮断しているのだ。」
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「アイルズワースのモナ・リサのX線像のイメージはクリアーだ。」
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「これは下地に多くの鉛白が使われてはいないということを示している。」

レオナルドや同期の絵描きなら下地に多かれ少なかれ鉛白を使うのが通常だった。しかし、必ずしもいつも、と言う事ではなかったのかも知れない。彼の「論文」で、彼はキャンバスを造る手法を細かく説明しているが、鉛白については一言も言及していない。
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鉛白を使わないことは妙なことだが、絶えず新しい技術を求める男なら妙だとは言えないのかも知れない。

「科学的な調査がレオナルドの技術について明らかにしてくれたことは、それがとても多様だということだ。彼はあたかも、絵を描くたびに新しい技術に取り組んでいたかのように思われる。」
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「木の上に絵を描くとき、鉛白の下地は色彩を明るく、豊かにする。レオナルドがモナ・リサで実現した3次元的効果を生み出す基本だ。」
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しかし、色の調合や塗り付けについての彼の熟練は、それ自体が芸術のレベルにあった。

彼の絵を見れば油釉薬や極めて薄い色の層をコントロールし、各々の色が混乱を生じないように上塗りしていく能力に気付く。もし乾燥し切っていない顔料の上に乾燥しつつある顔料を塗れば、手に負えない問題を起こすのが普通だからだ。
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レオナルドの技術は完璧な準備によるものだ。彼のスタジオでは全ての顔料は彼の基準に正確に従っていなければならなかった。どんな色でも手抜きは許されなかった。
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レオナルドを鮮明に特徴付ける色付けは、彼の作品に隠れた手掛かりを残していて、その芸術的な署名を辿れば絵の著者に辿り着くことが出来るかもしれない。

一人の男がそれを見つけた、と確信している。サン・ディエゴのカリフォルニア大学の調査物理学者ジョン・アスムスは、2つのモナ・リサを調べたことがある世界でも数少ない人物の一人だ。彼は色彩や明度の統計的特質を対比すれば、天才の手による製品を特定できると信じている。
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アスムスJohn Asmus: Research Physicist調査物理学者
「贋作者や模写者がコピーする時、その模倣者の技術は絵に現れるが、普通の観察者は「これらの絵は同じだ」というかも知れない。しかし統計学や統計的に処理された数値で眺めれば必ず違いを見つけられる。そこで、我々は2つのモナ・リサを数値化し、画素の統計値を比較してみた。強度、標準偏差、分散などだ。この方法で目利き達もこれら2つの絵画を見て科学的に検証しているはずなのだ。」
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画素から画素に走査した結果を分析し、アスムスAsmusは光と色の流れから個性的な絵筆の動きに到るまで比較した。結果は彼さえ驚くものだった。
アスムスAsmus
「2つのモナ・リサにおけるヒストグラムが事実上、同じだと判明した!」
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「もし私の目の前で2つを入れ替えたとしても、どちらがどちらか区別できないだろう。統計的な結果を見るなら、2つのモナ・リサは同一の画家によって描かれた、と99%の信頼性をもって言える。」

この結果が正しいのなら、何故、レオナルド・ダ・ヴィンチは同じ対象を2度、描いたのだろう?その答えはローマで見つかるかも知れない。晩年、レオナルドはローマで彼の技術を完成させていたのだ。
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Nicholl
「ローマの“ベルベデーレBelvedere”で彼が何を実験していたのか、我々は完璧に知っている訳ではない。しかし、彼がある記述に残しているように、それは“太陽光を捕える”アイデアだったようだ。その作業を続けていたため、ローマで彼のかなり疑わしい評判が生まれることになる。彼は手品師か祈祷師の類(たぐい)の何かをしているのではないか?」
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多くの専門家たちはレオナルドの光、色、陰の素晴らしい表現が、彼の最後の作品“聖ジョン洗礼者”で完成の極地に達したと信じている。その絵は法王レオ10世から委託されたもののようだ。レオナルドの連れ添い、サライ、は聖人のモデルを務めたと考えられている。
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今日、その絵はルーブルで、二つの同時代の作品「聖アンと共にいる処女と子供」「モナ・リサ」の直ぐ脇に展示されている。
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これら3つの絵で、彼はスフマート技術(注)を使い、人間の目が映し出す微妙な変化を色と光で描いている。
(注:スフマート:深み、ボリュームや形状の認識を造り出すため、色彩の透明な層を上塗りする絵画の技法)
Nicholl
「ローマにおけるレオナルドは、極めて薄い釉薬とワニスについて実験していた。そこでは絵具の表面を何度も何度も薄く塗り、キラキラ輝く、蜃気楼のような特質を造り出していた。」
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「そしてレオナルドは、特にローマにおいて、ローマでの最後の時期に、こうした微妙な油とワニスの作り方について錬金術師のような仕事ぶりをしていた。実際の所、彼と同時期にローマにいたメディチ家出身の教皇レオ10世はレオナルドを懐疑的に見ていたようで、彼が絵描き仕事に取り掛かる時に化学用の壺や皿を使ってワニスなどを作っていることに不満を言っている。勿論、レオナルドにしてみれば「私は絵具の準備をしているだけで、これは仕事にかかるために基本的なことですから」ということだろうが。」
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モナ・リサも芸術的極地に到りつつある彼の後期に描かれたのだろうか?
Martin
「モナ・リサは彼が極地に在る時のもので、そこでは全てが効果を発揮している。つまり、不鮮明性veil、透明性、不透明な顔料、全てが機能している。彼はこれら全てを思い通り駆使していた、恐らく1503年以降は。それは全ての実験的作業の後の完璧な熟練の結果だった。」
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「晩年には、彼が釉薬技術を使って描いていたことは明白だ。彼が聖ジョン洗礼者を同じ時期に同じ技術で描いていたことも判っている。従って、彼が聖ジョン洗礼者を仕上げていた時にモナ・リサも完成させていたという仮説が成り立つ。」

ルーブルのモナ・リサは30もの極めて微(かす)かな塗料の膜から出来ている。沢山の膜を持っているので、裸眼では個々の刷毛の動きをもはや見ることは出来ない。レオナルドは、ずっと昔に放棄していた古い作品で彼の新しい技術を試してみたかったと考えられないだろうか。彼は、オリジナル品はキャンバス絵での失敗作品だと見ていたかも知れない。

今なら彼は最も華やかな年齢の魅惑的なフローレンスの女を甦らせることが出来た、手にしたばかりの芸術的な進歩を使って。
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2つの肖像画の類似性は、単に明白だと言うレベルを通り過ぎたものだ。アイルズワースの絵のサイズは少し大きいが、外枠も広くなっているので、縮尺を合わせれば、人物は全く同じ大きさで同じ比率で描かれている。
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2つの絵の最大の違いは、外観などではなく、状態だ。ルーブルのものと表情が似ているのに対し、アイルズワースのモナ・リサでは時代の移り変わりがほとんど感じられない。
Lux
「とても稀な事だと思うが、この絵は、見る限りでは、ほとんど完璧な状態だ。小さな剥げ落ちや僅かな補修もないわけではないが、絵の表面に傷ついた箇所はどこにもない。」
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「私が修復作業者として仕事をした全ての絵には、少なくとも私が知る限り、どれも完全なオリジナルとは異なって、時間の経過による瑕(きず)がついている。従って、アイルズワースの絵は500年前のものではあり得ない、という印象を私は持っている。」

アイルズワースのモナ・リサが500年もの間、完全な状態の下に保管されていたなどと言う事はとても考えられない。ましてや、世間から全く未知だったのに、ルーブルのモナ・リサが消え失せた丁度その時期に画商が偶然に出くわしたなどということは!
Lux
「従って、この絵をレオナルドのものだろうとするには多くの説明が必要になる。簡単な説明で済ますと、この絵はレオナルドが描いたものではない、と私は思っている。」

他の人たちの中には、もしレオナルドがどちらか一つを描いたのなら、両方とも描いたはずだ、という人もいる。
それは2つの絵は、同じ画家が同じ手で同じ技術を使わなければ描けるものではないという理由からだ。
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ある人はモナ・リサの秘密は既に解かれたと信じている。別の人にとっては、明言するにはまだ証拠は不足している。最も高度な科学と言えども、それが贋作であれ秀作であれ、天才を出し抜くのは容易ではない。モナ・リサは決して彼女の秘密を漏らすことはないかも知れない。
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「今日、どんな試験やどんな科学者をもってしても、レオナルドでさえ、絵を描いた画家が誰なのか特定することは出来ないのだ。」
・・・・・・
PBS Secrets of the Dead | The Mona Lisa Mystery
https://www.youtube.com/watch?v=u131VTSzWJ8
今回のブログは英語字幕付きの次のURLを翻訳しました。
https://www.youtube.com/watch?v=i11NiyjV8Tc

WikiでみつけたラファエルRaphaelのスケッチをご紹介しておきましょう。確かに柱が両側にありますね、はっきり描かれています!
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ルーブルのモナ・リサはオリジナルのままで、両側が切り取られたことはないという“事実”と、柱が明確に描かれていないということから考えれば、ラファエルがスケッチの参考にした絵は“ルーブルの絵ではない”と考えるべきでしょう。よって“柱があるモナ・リサがオリジナルだ”と考えることさえ出来ます。

それにしても、モナ・リサの模写は沢山あるのに、何故、アイルズワースのモナ・リサが注目を集めることになったのか?

フィルムでは遠回しに言っていますが、アイルズワースはレオナルドが描いたと考えてもよい条件を持っていたからに他なりません。外観はオリジナル同様の出来栄えで、X線、炭素年代測定、絵具組成などの科学的分析でもレオナルドが描いたとしても不思議はないとの結果が出ています。

しかし、だからと言って、アイルズワースがレオナルドの手になるものとは断言できません。確証が見つかっていません。Wikiにもありますが、レオナルドが好んだ、ルーブルのモナ・リサのような“板絵”ではなく、キャンバス(布)に描かれていることや、その他の出来栄えから、レオナルドが描いたものではない、と主張する学者も多いのです。

それにも拘らず、国際的な投機家グループはアイルズワースを購入しました。投機家ですから、買う前に、お金もかけて分析したはずです。ネットで調べると、アイルズワースのモナ・リサは2015年1月12日シンガポールのthe Arts Houseで展示されているんですね、初めての公開だと記事にあります。更には、スイスの非営利団体モナ・リサ財団Swiss non-profit The Mona Lisa Foundationが35年もかけてあらゆる分析をした結果、アイルズワースはレオナルドの手になる絵だとの結論に達しているんです。
この情報は次のURLでご覧になれます。
http://www.forbes.com/sites/clairevoon/2015/01/12/alleged-early-mona-lisa-on-display-for-the-first-time/#e2c185b29d17
投機家グループが何のためにこの絵を購入し、何のためにスイスの金庫に収めていたのか?それは勿論、投資、つまり殖財、金儲けのためです。絵を見て楽しむために買ったなら、自宅か美術館に展示し、金庫なんかにしまってなどおきません。

で、投機家たちは何故、この絵を投資対象としたのか?何故、株や債券ではなかったのか?理由は明白です。この絵に、株や債券が持っていない価値、つまり、金塊や、ダイヤモンドや、骨董品のような価値を見出していたからです。

mhは常々、資産は円ではなく、ドルなど外貨にしておくよう提案していますし、mhの僅かな資産も、半分近くが外貨になっていますが、投機家たちは資産を通貨で持つのではなく、絵を選んだんですね。

金儲けの専門家たちは、資産を守る、増やすために、通貨以外のものに変えておくことを重要な選択肢と考え、かつ実践しているってことです!

しかし、私は思うんですが、お金儲けばかりを考えて暮らすのは不幸です。暮らしに困っているなら、少しでも楽に暮らせるよう、お金儲けを考える必要がありますが、ギャンブルや投機で儲けようととするのではなく、やっぱ、汗水たらして働いて稼ぐのが筋だと思います。そうして必要以上のお金を稼いだら、必要分だけ残し、余りを自分が本当にしたいことや、困っている人のために使う、ってのが人としての道だと思います。

モナ・リサについて言えば、ルーブルもアイルズワースも、本当にレオナルド自身がレオナルドだけが手掛けた絵かどうか。mhは、いずれの絵もレオナルド以外の手が加えられて描かれたものだろうと思います。

しかし・・・誰が描いたかなんか、問題じゃあないと思いますね。大切なのは見て感動できるかどうかです。

mhはっていうと、ルーブルのモナ・リサを見るより、モロッコやメキシコを見たいと思っていて、6月にはいずれかを訪れるつもりです。そこでいろいろな人に出会い、彼らが暮らす土地で、彼らの生活ぶり、彼等の祖先の残した遺跡、を見たり体験したりしたいと思っています。

(モナ・リサの不思議:完)

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mh徒然草87: 我が団地に小さくて青系の花が多い理由?

朝、団地内の遊歩道を胸を張って、腿(もも)を蹴り上げるようにして散歩するのをルーチンとしていることについてはお伝えしました。胸を張るのは猫背の矯正によいと信じてのことです。二月、まだ外気は冷たかったのですが、梅の樹には薄桃色や白、中には真っ赤な花が咲いていました。3月初旬には、小さな、よく見ないと若葉と見まがう花を沢山つけた背の低い生垣のような植物があって、ネットで調べてみるとヒュウガミズキ(日向水木)というようで、葉が出る前に花を咲かせていました。
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3月中旬になるとレンギョウ(連翹)の花も加わって、いよいよ春だなぁと感じました。
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今日3月28日、ソメイヨシノも一分咲きで、そろそろ春爛漫の時節です。

猫背の矯正にもなり、好きな音楽を聞きながら頭もリフレッシュでき、健康に好く、花も楽しめる朝の散歩。途中で休憩する場所にはベンチもあって、その背もたれを使って腕立て伏せ60回してからラジオ体操第一を消化すると、今日もまたいい日が始まったぞ、と満足感が湧き上がってきます。空に雲が少ない日は、成田や羽田を発った飛行機が西に向けて飛ぶ雄姿も見えて、そろそろ次の旅行の時期だな、ってな期待感も加わり、充実したひと時を体験することができます。

で~今回のブログのテーマは~少し長いのですが「我が団地に小さくて青系の花が多い理由?」とさせて頂きました。なんで、これをテーマにする気になったのかというと、最初に挙げたヒュウガミズキの印象が強かったからです。

背丈1mくらいの、葉っぱのような、でもよく見ると緑の小さな花を一杯つけた低木が3本、遊歩道の脇に並んでいたんです。何ていう名の植物だ?と気になって調べたらヒュウガミズキと判ったのですが、春は緑や白や薄桃色の花が多いなあと思いました。中には椿など、真紅の花も咲いてはいますが、やっぱ青っぽいというか緑っぽいというか、赤からはほど遠い、淡い色の花が春には多いと思います。また、花びらの長さも精々数センチという、小さな花ばかりです。

で思ったんですね、何故、我が団地には小さくて青系の花がおおいのかしら?って。

ネットで調べてみました。するとある学者の次のコメントが見つかりました。
「高山の花といえば青系、熱帯の花と言えば赤系が多いとよく言われているようですが、全く根拠がないわけではありません。」
で~彼女があげていた理由は次の二つでした。
1. 熱帯には虫媒花、鳥媒花が多い。虫や鳥の視覚には赤が目立つので受粉確率が高い。
2. 紫外線が強いと赤の色素が形成されやすい。
そう言えば・・・と思い出したんですが、植物学者の講演会をラジオで聞くチャンスがあったんですが、彼によれば、春から夏にかけて、咲く花の色は白から黄色、赤に変化していき、夏を過ぎると黄色、白に変化していくというのが定説らしいです。紫外線の強度による色素の量が関係していると考えれば納得です。

で~虫や鳥の目には赤が鮮烈に写るので赤い花の受粉確率が高いだろうという理屈も納得できますが、これが熱帯で赤、高山では青の花が多いということにどう結び付くのか?
暖かい地方には虫や鳥が多く、高山では少ないでしょうから、これが理由だとすれば、次のような仮説が成り立ちます。「自然界に自然に咲く花は青系が多い。しかし、中には赤系もある。ここに虫や鳥が介在すると、赤系の受粉が加速するので赤の比率が高くなる。」どうも信憑性が高そうな理屈とは思えませんが、全く見当違いということもなさそうな感じです。

で~小さな花が多いってことについてはどんな理屈が考えられるんでしょうか?これについてはかなり自信がある理屈を持っています。

自然界には元々、沢山の花が咲く植物が多いんですね、子孫繁栄に好都合ですから。そして沢山の花を付ける場合は、小さな花が多いんです。木の根や葉から取り込まれる栄養には限度がありますから、とても大きな花を沢山付けている訳にはいきません。で~大きな花はというと、自然に派生したものは少ないんですね。花屋さんには大きな花が多いですが、自然界の花はレンゲ、菜の花、菫(すみれ)、秋桜(こすもす)、など小さな花が多いんです。

しかし中には、大きな花もありました。例えば蓮の花です。私は小さな花が好きなんですが、大きくて赤い紅バラやハイビスカスなんかも華やかでいいですねぇ。でも自然界には赤くて大きな花は少なかったんです、きっと。そこで、品種改良で、赤い、大きな、華やかな色の花が増えてきたっていうことだと思います。

我が団地の遊歩道には、手入れをしなくても毎年咲くよう、自然の花を付ける低木が多いんです。従って緑や白、青系統の、控えめな色の小さな花を付ける植物が、特に紫外線が少ない春には多い、ってことだったのだろう、と理屈付けをしてみました。

さて、みなさんはどう思われましたか?また、性懲りも埒もない、どちらでもいいようなテーマを長々と!と思われた方が多いかも知れませんが、書いている張本人は、それなりにまとまったかな?と自画自賛しています。

最初の質問にもどれば「我が団地に小さくて青系の花が多い理由」でした。こんな、何とも答えようがない疑問に、間違っているかも知れないとは言え、一定の答えを導く能力をもつ私mhは、捨てたものではないと言えるでしょう。言えますよね?そんなこと、どっちでもいいって言うんですか?

アン・サリー - 蘇州夜曲
https://www.youtube.com/watch?v=bggdf-xi4Tk
次のバージョンは中国語です。中国人の多くは、蘇州夜曲が中国の歌だと思っているようですね。むべなるかな。作詞(西条八十)作曲(服部良一)した日本人が中国をイメージして作ったんですから、日本離れしていて当然です。
https://www.youtube.com/watch?v=Az1pSD3PAWg

(完)

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The Buddha Part 2

仏陀Part2
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Bodh Gaya is a small town in northeastern India.
ブッダガヤはインド北東部の小さな町だ。
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Throngs of pilgrims have come here from all over the world for more than 16 centuries.
巡礼者の集団が世界中からここにやって来ている、16世紀以上もの間。
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For Buddhists, there are hundreds of holy places but none more sacred than this one.
仏教徒には、何百もの神聖な場所があるが、ここよりも神聖な場所はない。
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Bodh Gaya is the sacred point from which the Buddhist faith radiates.
ブッダガヤは神聖な場所で、そこから仏教の信仰が広がっている。
Some pilgrims travel great distances, reciting prayers and prostrating themselves every step of the way.
ある巡礼者はものすごい距離を旅してやって来る、念仏を唱えながら、一歩、路を歩くたびにひれ伏しながら(mh:五体投地です)。
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It is their Mecca and Jerusalem.
ここが彼等のメッカでありエルサレムなのだ。
Their holy of holies is not the imposing temple beside them but a simple fig tree: ficus religiosa, the Bodhi tree.
彼等の聖なるものの中の最も聖なるものとは近くにある重々しい寺院ではなく、単なる無花果の樹、フィカス・レエィシオサ、つまり菩提樹(仏陀の木)だ。
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The tree, it is said, is descended from the Buddha’s time.
その木は言い伝えに寄れば仏陀の時代から生き続いている。
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Every pilgrim knows the story of how Siddhartha, after accepting the rice milk from the young girl, put aside the rags he was wearing, bathed himself in a nearby river, and strengthened, sat down in the shade of the Bodhi tree, and began to meditate.
全ての巡礼者は、シッダールタが若い少女からコメ粥(みるく)を受け取った後、纏っていた布きれを脱いで脇に置き、近くの川で身を洗い、力を取り戻し、菩提樹の陰に座り、瞑想を始めたことを知っている。
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It was springtime.
それは春の時期だった。
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The moon was full.
月は満ちていた。
Before the sun would rise, Siddhartha’s long search would be over.
日が昇る前、シッダールタの長い探求は終わるのだ。
He sat down under a bodhi tree, in the shelter of the natural world in all of its beauty and fullness, and he said, “I will not move from this place until I have solved my problem.”
彼は菩提樹の下に座った、その自然界の美と豊かさに溢れた逃避の場所で、そして彼は言った“私はこの場所を動かないだろう、私が私の問題を解決するまで。”
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“Let my skin and sinews and bones dry up, together with all the flesh and blood of my body,” he said.
“私の皮膚と筋と骨を干乾びさせよう、私の体の全ての肉と血とともに”と彼は言った。
“I welcome it.
“私はよろこんでそうする。
But I will not move from this spot until I have attained the supreme and final wisdom.”
しかし、どうあっても、私はこの地点を動かないだろう、私が究極のそして最終の知恵を獲得するまで。”

“All at once, Mara, Load of Desire, rose to challenge him.
すると直ぐ、マーラ、つまり欲望の神、が彼に挑戦すべく立ち上がった。
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With an army of demons, he attacked.
悪魔の軍勢を連れ、彼は攻撃してきた。
Siddhartha did not move, and their weapons turned into flowers. ”
シッダールタは動かなかった、すると彼等の武器は花に変わってしまった。
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Mara is the ruler of this realm of desire, this world that we all live in.
マーラはこの欲望の国、我々が暮らしているこの世界、の統治者だ。
And what he’s afraid Siddhartha is going to do when he attains enlightenment and becomes the Buddha is conquer that world.
そして彼が恐れていたのはシッダールタがしようとしていること、彼が覚醒を得て仏陀になり世界を統括することだった。
That is, he’s going to do away with desire.
それこそが、彼が欲望を使って消し去ろうとしていたことだ。
He’s going to—he’s going to wreck the whole game.
彼は全てのゲームを破壊してしまうつもりだった。

Mara did not give up.
マーラは諦めなかった。
He sent his three daughters to seduce him.
彼は彼の3人の娘を送りシッダールタを誘惑させようとした。
Siddhartha remained still.
シッダールタはじっとしたままだった。
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When he faces Mara, he faces himself and his own destructive capacity.
彼がマーラに対した時、彼は自分自身と自分の破壊的な能力に対していた。
But he’s not the warrior trying to do battle with those qualities.
しかし彼はそういった性質のものと戦いをする戦士ではなかった。
He’s discovered his own capacity for equanimity.
彼は自分自身の平静を保つ能力を既に見つけていたのだ。
He has become like, you know, the top of the great Himalayan mountains, you know: the weather is passing over him, storms are raging around him, and he sits like the top of the mountain—impassive—not in a trance state, you know, totally aware of everything.
彼はいわば偉大なヒマラヤ山脈の頂きのようになっていた、天候の変動は彼の上を過ぎていく、嵐は彼の周りで暴れまくっている、そして彼は山の頂に座っているかのようだった、無表情で、だからといってトランス状態ではなく、つまり完全に全てのことを承知していたのだ。
So he frustrates Mara.
だから彼はマーラをイラつかせた。

Siddhartha resisted every temptation Mara could devise.
シッダールタはマーラが準備できた全ての誘惑を跳ね除けた。
The Lord of Desire had one final test.
欲望の神は最後の試験をした。
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He demanded to know who would testify that Siddhartha was worthy of attaining ultimate wisdom, and his demon army rose up to support him.
彼は、誰がシッダールタが究極の知恵を得る価値があると証言するのか知りたいと要求し、悪魔の軍隊も立ち上がって彼を支援した。
Siddhartha said nothing.
シッダールタは何も言わなかった。
He reached down and touched the ground, and the earth shuddered.
シッダールタは手を下に伸ばして地面に触れた、すると大地は身震いした。
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Mara’s demon fled.
マーラの悪魔は逃げ去った。

W. S. Merwin
The Buddha reaches down and, with his finger, touches the Earth.
仏陀は手を下に到達させ、指で大地に触れた。
He says, ”The Earth is my witness.”
彼は言った“大地が私の証人だ”
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He said, ”Mara, you are not the Earth. The Earth is right here, beneath my finger.”
彼は言った“マーラよ、お前は大地ではない。大地はまさにここにある、私の指の下に”
And the Earth is what we’re talking about—accepting the Earth, not owning the Earth, not possessing the Earth, but the Earth just as it is: abused and exploited and despised and rejected and plowed and mined and spat on and everything else, you know.
そして大地こそが我々が言おうとしていることだ、大地を受け入れるのだ、大地に頼るのではなく、大地を所有するのではなく、そこにあるがままの大地だ、掘り返し、搾り取り、卑しめ、排除し、耕し、採掘し、唾したりするといった全てをしようが。
It’s still the Earth, and it’s—it is—it’s—we owe everything to it.
それでも大地は大地のままだ、そしてそれは、つまり我々は全てを大地に頼っているということだ。

Siddhartha meditated throughout the night, and all his former lives passed before him.
シッダールタは一晩中瞑想した、そして全ての彼の前世が彼の前を通り過ぎていった。

Robert Tenzin Thurman Columbia University
He remembers all his previous lives, infinite numbers of previous lives, female and male and every other race and every other being in the vast ocean of life-forms.
彼は彼の以前の命を全て思い出した、無数の以前の命を、女だったり男だったり、生命の形をした広大な海洋の中にいる、あらゆる種、あらゆる他の生物を。
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And he remembered that all viscerally.
そして彼はそれらすべてを体内的に思い出した。
So that means his awareness expanded to be—so that all the moments of the past were completely present to him.
それはつまり、彼の意識が拡大して、過去のあらゆる瞬間が完璧に彼の前に現れたということを意味する。

He gains the power to see the process of birth, death, and rebirth that all creatures go through.
彼は生、死、そして再生という全ての創造物が通過するプロセスを見る力を得ていた。
He’s given this sort of cosmic vision of the workings of the entire universe.
彼にはこの種の、宇宙全体に作用している遠大な視界というものを与えられたのだ。
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As the morning star appeared, he roared like a lion.
夜明けの明星が現れると、彼はライオンのように咆哮した。
“My mind,” he said, ”is at peace.”
“私の心は”と彼は言った“平穏である。”
The heavens shook, and the bodhi tree rained down flowers.
天は震え、菩提樹は花を雨の如く降らせた。
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He had become the “Awakened One,” the Buddha.
彼は“目覚めた者”、仏陀となったのだ。

Something new opens up for him, which he calls “Nirvana” or which he calls “awakening.”
何か新しいものが彼に開けた、それを彼は呼んでいる“ニーバーナ”または“覚醒”と。

He said, “At this moment, all beings and I awaken together.”
彼は言った“この瞬間、全てのものと私は共に目覚めたのだ。”
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So it was not just him.
つまり、それは彼だけではなかったのだ。
It was all the universe.
それは宇宙全てだった。
He touched the Earth, “as Earth is my witness, seeing this morning star, all things and I awaken together.”
彼は大地に触れた、“大地が私の目撃者で、この夜明けの明星を見ながら、全ての事物と私は共に目覚めたのだ。”

It’s not like entering a new state.
それは新しい状態に入ったというものではなかった。
It’s uncovering or surrendering to the reality that has always been there.
それは、そこにずっとあった現実というものを解き明かすというか、受け入れるということだった。
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He realized he’d always been in Nirvana, that Nirvana was always the case.
彼はいつもニーバーナの中にいたと悟った、そのニーバーナはいつでも存在していたのだ。
Your reality itself is Nirvana.
貴方が生きていること自体がニーバーナだ。
It’s the unreality, it’s your ignorance that makes you think you’re this self-centered separate being, trying to fight off an overwhelming universe and failing.
それは非現実であなたの無知だ、つまりあなたがこの自己中心で切り離された生き物で、圧倒的な宇宙から切り離れようと戦い、それに失敗していると考えさせているものは。
You are that universe.
あたなこそがその宇宙なのだ。

You’re already enlightened.
あなたは既に覚醒している。
He’s saying the capacity for enlightenment—that your awake-ness already exists within you.
彼は言っている、覚醒の能力、貴方の覚醒は既にあなたの中にあると。

Nirvana is this moment seen directly.
ニーバーナとは直接見ることが出来る今、この瞬間だ。
There is nowhere else than here.
ここ以外にはどこもない。
The only gate is now.
唯一の入口は今だ。
The only doorway is your own body and mind.
唯一の扉はあなた自身の体と心だ。
There’s nowhere to go.
行くべきところはどこもない。
There’s nothing else to be.
それ以外には何もない。
There’s no destination.
他に行先はない。
It’s not something to aim for in the afterlife.
それは死後の世界で何かを得ようということではない。
It’s simply the quality of this moment.
それは全く、この瞬間の性質だ。

Just this. Just this, this room where we are.
これだけ、これだけ、我々がいまいるこの空間だけ。
Pay attention to that.
それに注意を払え。
Pay attention to who’s there.
そこにいる人に注意を払え。
Pay attention to what isn’t known there.
そこでまだ気づいていないものに注意を払え。
Pay attention to what everyone is thinking and feeling, what you’re doing there.
誰もが考え、感じていること、あなたがそこでしていること、に注意を払え。
Pay attention. Pay attention!
注意を払え、注意を払え。
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For weeks, the Buddha remained near the Bodhi tree, peaceful and serene.
数週間の間、仏陀は菩提樹の近くに留まり、平和で平穏だった。
He was tempted to retire into a profound solitude, instead of trying to teach others what it had taken him six long years to discover for himself.
彼は深淵なる孤独の中に引きこもりたくなっていた、6年もの長い時間をかけて彼自身が見つけたことを他の人に教えることなどせず。

He wants to stay there.
彼はそこに留まっていたかった。
He’s very happy.
彼はとても幸福だった。
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He doesn’t want to go out.
彼はそこを出ていきたくなかった。
He says to himself, “No one is going to understand this.
彼は自分自身に言った“誰もこれを理解しないだろう。
You know, people are going to think I’m crazy.
多分、人々は私は気が狂っていると思うだろう。
They’re going to think I’m nuts.”
彼等は私は狂気だと思うだろう。

Venerable Bhaddamanika
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Buddha saw the nature of the people; envy and jealousy and the strong negative mental states.
仏陀は人々の特性をこう見ていた;人を羨(うらや)み、嫉妬し、強い否定的な心理状態だと。
All the people in the world, they are like the fishes wriggling in the very shallow water.
世の中の全ての人々、彼等はとても浅い水の中でもがいている魚のようなものだ。
So Buddha, he himself afraid to teach the people.
それで、仏陀は人々を導くことを恐れていた。

The myth is that a god comes to the Buddha.
神話によればある一人の神が仏陀の所にやって来る。
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Brahma comes on his knees and says, “Please, we need you.
梵天が膝ですり寄って来て言った、“どうかお願いします、我々はあなたを必要としています。
Why don’t you try talking about what you just understood?
何故、あなたは今理解したばかりのことを語ろうとしないのですか?
‘Cause the world needs—the gods needs it, and the men need it.”
世の中は必要としているのです、神もそれを必要としているし人々も必要としています。”
You know, “the people need it.”
そう、“人々もそれを必要としている。”

And then Buddha decided to give his teachings…because of a great compassion.
そこで、仏陀は彼の教えを与えることに決めた。偉大な慈悲(同情、憐み)から。
It’s not an ordinary compassion.
それは普通の慈悲ではない。
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When you feel the feelings of others, you automatically don’t want them to feel bad.
他人の感情を感じる時、誰も彼等を悪い気分にすることは当然、望まない。
You feel the feeling of your hand; you don’t put it in the oven.
手の感情を感じる、だから手をオーブンの中には入れない。
I mean, you’re not being compassionate to your hand.
私が言いたい事は、自分の手に同情的だからということではないということだ。
You just feel the pain, so you’re not gonna put it there.
単に痛みを感じているのだ、だから手をそこに入れない。
So if you feel other’s pain, you’re going to do your best to help them alleviate it.
従ってもし他人の痛みを感じるなら、その痛みが軽減するよう、彼等を助けることに最善を尽くすだろう。

Venerable Metteyya Sakyaputta
When somebody becomes enlightened, something blooms in his heart.
誰でも覚醒する時、心の中で何かが開花する。
It’s like a flower blooms, and it cannot hold the fragrance.
それは花が開花するのに似ている、香りを伴ってはいないが。
It has to naturally release.
それは自然的に放(はな)たれていかねばならない。
So it’s like he naturally had to release his radiance.
つまり彼が自然に彼の輝きを放たねばならなかったように。
He has to share this joy that was in his heart.
彼は彼の心の中にあるこの喜びを分け与えねばならない。
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35 years old, the Buddha would devote the rest of his life to bringing his teachings—the Dharma, the fundamental laws of all things—into the world.
35歳だった仏陀は、彼の残りの人生を、彼の教え、つまりダルマ、あらゆる事物に基本的な法則、を世界中に与えることに捧げることになる。
But as he had feared, it would not be easy.
しかし、彼が恐れていたように、それは簡単ではなかっただろう。
As he set off to share what he had learned, he met a wandering ascetic.
彼が学んだことを分け与えようと歩き出すと、彼は一人の迷いをもっている行者に会った。
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“Who is your guru?” the ascetic asked him.
“あなたのグル(指導者)は誰ですか?”と行者は彼に尋ねた。
The Buddha said he had no guru, that he had attained enlightenment on his own.
仏陀は自分はグルを持っていないと言った、自分一人で覚醒を得たと言った。
“It may be so,” the ascetic said and walked away.
“そうなんですか、”と行者は言い、歩き去っていった。
On his first attempt to teach, the Buddha had failed.
彼の最初の指導という試みに関して、仏陀は失敗してしまったのだ。
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Buddha meets someone who doesn’t see anything special about him, because the awakened Buddha doesn’t look any different from anybody else.
仏陀が会った人は仏陀に関して何か特別な物は見なかった人だった、何故なら目覚めた仏陀は他の誰かと違うようには見えなかったのだ。
He is ordinary.
彼は普通だった。
Buddhism is not about being special.
仏教は特別でいようとするものではない。
Buddhism is about being ordinary.
仏教は普通でいようとするものだ。
And it is not about the continual exudation of bliss.
そしてそれは絶えず至福を滲(にじ)みだすことではない。
It is about walking a normal human life with normal human beings, doing normal human things, and this reminds you that you yourself might be a Buddha.
それは普通の人間としての人生を普通の人間と共に歩み、普通の人間的な事をすることであって、このことからもあなたでも仏陀になれると気付かせてくれる。
At this moment, the person you’re looking at might be one.
たった今、この瞬間、貴方が見ている人は仏陀かも知れないのだ。
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It’s an interesting practice; just each person you see as you walk down the street: “Buddha? Buddha? Buddha. Buddha. Buddha.”
それは興味深い体験だ、あなたが通りを歩きながら見かける一人一人の人、“この人は仏陀か?仏陀か?仏陀だ。仏陀だ。仏陀だ。”

From Bodh Gaya, the Buddha walked west nearly 200 miles, and crossed the Ganges river.
ブッダガヤから、仏陀は西に200マイル(320Km)ほど歩いてガンジス川を渡った。
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He was still searching for a way to explain to others what he feared was unexplainable, the path to the enlightenment he himself had experienced.
彼はまだ他の人に彼が体験した覚醒への道を説明する方法を探していた、彼の恐怖は説明できないほどだった、彼が体験した覚醒への道を説明するのは。

In a deer park in Sarnath, not far from the Ganges, he would try again.
サルナートの鹿公園(鹿野苑ろくやおん)はガンジスから遠くないところだが、そこで彼は再び試みた。
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His five former companions were still practicing the austerities he himself had abandoned.
彼の5人の以前の仲間は、彼が放棄した禁欲をまだ訓練していた。
“From far off, they saw me coming and, on seeing me, made a pact with one another,” the Buddha recalled.
“遠く離れた所から彼らは私が近づくのを見ていて、お互いにうなずき合っていた”と仏陀は当時を思い出して言った。
“Friends, here comes Siddhartha, living luxuriously, straying from his ascetic practice.
“友よ、仏陀がやってくるぞ、贅沢に暮らし、禁欲修行からはぐれ出ていった男だ。
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He doesn’t deserve to be bowed down to.”
彼は頭を下げるに値しない。”

D. Max Moerman Barnard College
These are his buddies, who were just disappointed and disgusted with him for giving in after they’d all been trying to starve themselves into enlightenment.
彼等は彼の仲間だったが、彼に失望し嫌悪していた、というのは、みんなで悟りを得ようと飢えを試していた後に彼は諦めてしまったのだ。
So they—they’re a little distrustful at the beginning.
それで、最初、彼等は少し疑い深かった。

Kevin Trainor University of Vermontケビン;バーモント大学
They refer to him as an equal, and he then tells them, “No, that’s not the term you should use when you refer to a Tathagata, a being who’s gone beyond.”
彼等は彼と対等に話した、すると彼は彼等に話した“それは間違いだ、それはタタガタと話す時に使うべき言葉ではない、タタガタは図抜けた人なのだから”
And so he sets them straight, and they then become the first people to hear the content of what he realized under the Bodhi tree.
そしてそこで彼は彼等に居住まいを正させ、そして彼等は彼が菩提樹の下で悟った内容を聞く初めての人々となった。

His first teaching would later be called ‘setting in motion the wheel of the Dharma’ because it brought the Buddha’s message into the world for the first time.
彼の最初の説教は後に‘ダルマの輪を回し始めること(初転法輪)’と呼ばれることになる、というのはそれこそが仏陀のメッセージを世の中に初めてもたらしたのだから。
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He did not propound a dogma.
彼はドグマ(原理)を説教しなかった。
Instead, he spoke from his own experience, out of his own heart.
代わりに彼は彼の体験から、彼自身の心から語った。
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He had known the abandon of the sensualist and the rigors of the ascetic.
彼は、好色家たちの堕落や行者たちの厳しさを知っていた。(mh体験済みだから)
Now, he would disavow both of them.
今や彼はそれら両者を否認している。

The Buddha said, “I’ve discovered a new way, and it’s not the path of asceticism, and it’s not the path of sensory indulgence. It’s the middle way.”
仏陀は言った“私は新しい道を見つけた、それは禁欲主義の道ではない、それは感覚的な耽溺(たんでき)の道ではない。それは中間的な道である。”(mh禁欲と耽溺の中間)
What the Buddha was always doing was saying, “Everything needs to be balanced.”
仏陀が常にしていたのは、こう言うことだった“あらゆることは調和していることが必要だ。”
So, you know, the middle way was always balancing between, you know, excesses on this side, excesses on the other side.
つまり、中間の道というのはいつもこちら側の過剰とあちら側の過剰の間で調和している。

“Fair goes the dancing when the sitar is tuned.
美女は踊ることが出来る、シタールが調律されている時は。
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Tune us the sitar neither high nor low, and we will dance away the hearts of men.
我々はシタールを高すぎず低すぎず調律せねばならぬ、そうすれば我々は人の心から離れて踊ることが出来るだろう。
But the string too tight breaks…and the music dies.
しかし、あまりにきつく張られた弦は切れ、そして音楽は死ぬ。
The string too slack that no sound and the music dies.
あまりに弛(ゆる)い弦は音を立てず、音楽は死ぬ。
There is a middle way.
中間の道というものはあるのだ。
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Tune us the sitar neither low nor high, and we will dance away the hearts of men.”
我々はシタールを低くも高くも無く調律せねばならぬ、そうすれば我々は人の心を離れて踊ることが出来るだろう。

“The path to enlightenment lay along the middle way.” the Buddha taught, and the ascetics listened.
‟覚醒への道は中間の道に沿って敷かれている”と仏陀は説いた、そして行者たちは聞き入れた。
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Now, he would answer the question that six years before had provoked his spiritual journey: the question of suffering.
いよいよ彼は6年前に彼の精神的な旅を始める切っ掛けになった疑問に答えることになる。苦悩の疑問だ。

Buddhists don’t have a creation story.
仏教徒は天地創造物語は持っていない。
There is no creator deity.
創造の神はいない。
It’s not really of interest.
それは全く関心事ではない。
It’s not an issue.
それは問題ではない。
What’s of interest is the problem of human suffering and the solution to human suffering.
関心があるのは人間の苦悩の問題と、人間の苦悩への解答だ。
Pretty much everything else, all right, is beside the point.
その他のほとんどすべてのことは、そう、関心事の脇にある。

The Buddha’s analysis of suffering came in the form of what have come to be called “the Four Noble Truth.”
仏陀の苦悩に関する解析は“4つの高貴な真実(四諦したい)”と呼ばれる形で示されていた。
mh:四諦(したい)とは次の通りです。
苦諦(くたい) :一切は苦であるという真理
集諦(じったい):苦には原因があるという真理
滅諦(めったい):苦は滅するという真理
道諦(どうたい):苦を滅する道があるという真理
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There is no commandment or anything.
神の規則とかそういったものは無い。
“The First Noble Truth” is that there is suffering in the world. Generally, this “suffering” has been mistranslated.
“第一の高貴な真実”は世の中には苦悩があるということだ。一般的には、ここでいう“苦悩”はこれまで誤解されている。

“Suffering” is not entirely accurate to the word that the Buddha probably used.
“苦悩”は多分、仏陀が使った言葉と全く同じということではない。
It means something closer to “dissatisfaction”—that, you know, we’re never quite happy, and if we are, that’s gone in an instant, anyhow.
それは例えば“不満足”に近い意味で、つまり我々は決して全く幸せということはなく、そしてもしわれわれが幸せというのなら、それは瞬間的に消え失せてしまう程度のものだ。

And he says that this suffering, this unsatisfactoriness, doesn’t arise by itself; it has causes. Our own mind causes it.
そして彼は言っている、この苦悩、この不満足な状態、はそれ自身によって発生するものではない、原因があるのだ。我々自身の心がそれを起こすのだ。
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While “the Second Noble Truth” asserts that suffering has a cause, “the Third Noble Truth” makes an astonishing claim.
“第二の高貴な真実”が苦悩には原因があると主張する一方で、“第三の高貴な真実”は驚くべき主張をする。

You really can be free of suffering by understanding the cause of suffering.
誰も苦悩から解放される、苦悩の原因を理解すれば。
Nobody tells you that, and so that was a huge announcement.
誰もそんなことを話してくれない、だからそれは重大な発表だった。

The problem, Buddha taught, is desire, how to live with the confused and entangling desires of our own minds.
問題は、と仏陀は教えた、欲望だ、どのようにして、混乱し絡み合っている我々自身の心の欲望と共に生きるかだ。
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People often misunderstand Buddhism as saying: “In order to wipe out suffering, you have to wipe out desire.”
人々はしばしば仏陀がこう言っていると誤解する“苦悩を拭い去るには欲望を拭い去らねばならない。”
If that was what the Buddha was saying, then where does the desire for enlightenment fit in, you know?
もし、それが仏陀の言ったことだとすれば、覚醒したいという欲望はどうなるのだ?
The Buddha’s saying: “Be smart about your desires.”
仏陀は言っている“欲望に賢くあれ”。

His Holiness The Dalai Lama
Desire must be there.
欲望はあらねばならぬ。
Without desire, how can we lead our life?
欲望がなければ、どうやって我々の生活を導くことができるというのか。
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Without desire, how can we achieve Buddhahood?
欲望が無ければ、どうやって我々は仏陀らしさを成し遂げることができるというのか。
Strong desire to become Buddha.
仏陀になりたいという強い欲望。
But desire to…harmful, no, that’s bad.
しかし害のある欲望、それは悪だ。

With “the Fourth and final Noble Truth”, the Buddha laid out a series of instructions for his disciples to follow, a way of leading the mind to enlightenment called “the Noble Eightfold Path,” the cultivation of moral discipline, mindfulness, and wisdom.
“第四のそして最後の高貴な真実”については、仏陀は弟子達が従うべき一連の説明を準備している、 “高貴な8重の道(八正道はっしょうどう)”、つまり道徳的規律や注意深さや知恵の育成、と言われる覚醒に心を導くための方法を。
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They are, as I like to think of them, a set of possible recipes that you can try on your own life and see which one makes the best soup.
それらは、私は次の様に考えたいのだが、実現可能な調理法の1式で、だれでも自分の人生で試すことができ、どれが一番いいスープを造る方法か確認することができるといったものだ。

The Buddha didn’t speak for long, but when he was finished, the five skeptical ascetics had been won over.
仏陀は長くは話さなかった、しかし彼が話し終えた時、5人の懐疑的な行者は完全に打ちのめされた。
They became his first disciples.
彼等は彼の最初の弟子達となった。(mh:五比丘)
Word quickly spread of the sage teaching in the deer park at Sarnath.
サルナートの鹿公園(鹿野苑ろくやおん)で説教している聖人の話は直ぐに広まった。
Hundreds came to hear him and became disciples too.
何百人もが彼の話を聞きに来て、弟子になった。
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Many were wealthy merchants or their sons, living just five miles away in a thriving trading center on the Ganges, the holy city of Benares.
多くは豊かな商人やその息子たちで、ほんの5マイル(8Km)離れたガンジス川岸で繁栄している商業センター、聖なる都市ベナレスに暮らす者たちだった。

Today, Benares is the most sacred city in all of India, as it has been for millennia.
今日、ベナレスはインド中で最も神聖な都市で、もう1千年も神聖な都市でいる。
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Even before the time of the Buddha, pilgrims came here to worship their gods and bathe in the holy river of heaven.
仏陀の前の時代においてさえ、巡礼者が神を崇拝し、天国の聖なる河で沐浴するためにここに来ていた。
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You see people purifying themselves bathing in the Ganges.
人々がガンジス川で沐浴して身を清めているのをみるだろう。
You see priests performing rituals.
祈祷師が儀式を取り仕切っているのをみるだろう。
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You see corpses, because that’s the best place to end one’s life.
死体を見るだろう、何故ならそこが命を終える最高の場所だから。
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So you see going on here a great range of religious activity, and much of it of the type that does go back to the Buddha’s time.
そんなふうに、幅広い宗教活動が行われているのを見るだろう、そしてその多くの形式は仏陀の時代まで遡(さかのぼ)る。
Many of today’s sacred ceremonies on the Ganges echo the ancient practices of the Vedic priests, the Brahmans.
ガンジスの畔(ほとり)の今日の神聖な儀式の多くはベーダの祈祷師、バラモン、の古代の行為の趣(おもむき)を備えている。
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In the Buddha’s day, only the Brahmans could mediate between the gods and men.
仏陀の時代、バラモンだけが神々と人間の間を取り持つことが出来た。
Only they could conduct the holy rituals that were said to preserve the universe itself.
彼らだけが万物をそのままに保つと言われる神聖な儀式を執り行うことが出来た。

The Brahman priests stood at the pinnacle of a rigid social hierarchy: a sacred system of caste.
バラモンは厳格な社会的階層、つまり神聖なカースト制度、の頂点に立っていた。
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Beneath them were the warriors, the caste to which the Buddha belonged.
彼等の下には戦士があった、そのカーストに仏陀は属していた。
Below them were farmers.
その下は農民だった。
At the bottom were the servants and, still lower, outcastes.
底辺には召使と、もっと下には‘カースト外’がいた。

Those social groups are not merely social conventions, but rather, they’re hardwired into the nature of the universe.
これらの社会的集団は単に社会的な因習というものではなく、むしろそれらは万物の性質と強く結びつけられていた。
You’re supposed to stay in that group, and the survival of society depends upon your continuing to perform the function associated with that social status.
誰もが自分のグループに留まることになっていて、社会の存続は、誰もが絶えず社会的立場に合わせて機能することに頼っていた。
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Caste was irrelevant to the Buddha.
カーストは仏陀にとって関係ないことだった。
So were priestly rituals to preserve the universe.
万物を維持するための祈祷師的な儀式も関係ないことだった。
His teachings focused on the universe within.
彼の教えは万物の内部に焦点を当てていた。

Mark Epstein Pshchiatrist/Author
The Buddha said you could be from any caste.
仏陀は言った、どんなカーストでも好いと。
What makes you noble is if you understand reality, you know, if you’re a good person. If you’re a wise person, ten you’re noble.
貴方を高貴にするのはあなたが真実を理解するかどうか、とか、あなたが良い人間かどうかだ。もしあなたが賢い人なら、あなたは高貴だ。

In time, a devoted gathering of monks formed around the Buddha at Sarnath, near the Ganges.
丁度その頃、ガンジスの近くのサルナートでは出家した僧侶の集団が仏陀を中心に形成された。
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Broken stones and fallen pillars mark what remains of what grew to be a vibrant monastic community, the Sangha.
壊された石や倒れた柱はサンガSanghaと呼ばれる活気ある僧院社会になっていった場所の遺跡の跡だ。
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Jane Hirshfield Poet
It took the Buddha many, many years to find his way.
道を見つけるために仏陀は多くの年月を使った。
But he didn’t want it to be so hard for people, and so he established a community who could live together and help one another.
しかし彼は同じような厳しさを人々に押し付けることは望んでいなかった、そこで共同して助け合いながら暮せる集団を造った。(mhサンガです)
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In a ceremony evoking the beginning of the Buddha’s own spiritual journey, fledgling monks of all ages say good-bye to their families and homes and join the Sangha.
仏陀の精神的な旅の始めとなる儀式に置いては、駆け出しの僧侶はどんな年齢であろうと家族や家に別れを告げてサンガに加わった。
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I go to the refuge of the Buddha, I go to the refuge of the Dharma, and I go to the refuge of the Sangha.
私は仏陀の避難場所に行く、私はダルマの避難場所に行く、私はサンガの避難場所に行く。
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Venerable Metteyya Sakyaputta
The Sangha is an embodiment of Buddha’s experience and wisdom.
サンガは仏陀の体験と知識(を学ぶため)の団体だ。
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What happens if people practice this thing?
もしこれを実践したら人はどうなるのか?
Are they truly happy or not?
本当に幸せになれるのか、それともなれないのか?
Are they joyful or not?
彼等は幸せなのか、そうでないのか?
So I think Buddha wanted us to lead a perfect example of his teaching: an alive teaching, a teaching that walks, a teaching that can talk, a teaching that can laugh.
つまり、仏陀は我々が彼の教えの完璧な例を実践することを望んでいたと私は思う、生きた教えで、歩き、話すことが出来、笑うことが出来る教えだ。
So I would say Sangha is just like a living example of Buddha’s teaching.
つまりこうも言える、サンガは仏陀の教えの活きた例のようなものだと。

The first Sangha was a radical institution, open to people of every caste and, remarkable for the times in which the Buddha lived, to both men and women.
最初のサンガは急進的な施設だった、あらゆるカーストの人に開放されていて、仏陀が生きていた時代のものであって、男にも女にも開放されていた。
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The Buddha was part of a culture deeply suspicious of women.
仏陀は女には極めて疑い深い文化の部分にいた(mh男尊女卑の時代に活きていた。)
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The attitude towards women at the time was very critical, and many things were impossible for them.
当時の女性に対する姿勢は極めて批判的だった、そして多くのことは女性には認められていなかった。
So that was a very revolutionary thing to do that in that time of India.
だからそれは当時のインドではとても革命的な事だった。

By ordaining women as nuns, the Buddha gave women the chance to escape the drudgery of daily life.
女性を比丘尼として認めることで仏陀は日常生活の苦役から女性が逃げるチャンスを与えたのだ。
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Life was so hard for most women that entering the Sangha was a liberation, as we know from their ecstatic, heart-rending poems.
生活は女性にとってとても厳しかったので、サンガに加わることは解放だった、それは彼女たちの恍惚とした心を割くような詩からも判る。

“So freed! So freed!
“こんなにも自由だ!本当に自由だ!
So thoroughly freed am I—from my pestle, my shameless husband, and his sunshade making, my moldy old pot with its water-snake smell.
こんなに完全に自由な私――乳棒(穀物を叩いて磨り潰す棒)から、厚かましい夫から、彼に日陰を造る仕事から、水を泳ぐ蛇の臭いが染みついたかび臭い古い水差しから切り離された私!
Aversion and passion I cut with a chop.
嫌悪と激情は一刀のもとに切り捨てた。
Having come to the foot of a tree, I meditate, absorbed in the bliss.
木の下に来て、瞑想し、至福に浸る。
‘What bliss!’”
なんというすばらしい至福だろうか!”
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Bliss, Nirvana, the Buddha taught, could be found in the fleeting moment through the practice of meditation.
至福、ニーバーナは、と仏陀は説いた、瞑想の訓練の中で、本の一瞬、見つかるものだ。
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The Buddha showed his followers how to come to terms with their own roiling thoughts and desires by paying attention to them, by becoming aware, becoming mindful.
仏陀は、彼に従う者たちに彼等自身をかき乱す思いや欲望と折り合う方法を示した、注意を払い、意識し、心を広くすることによって。
As an ancient poem counsels: “Like an archer, an arrow, the wise man steadies his trembling mind, a fickle and restless weapon.”
古代の詩が説明しているように“射手や、矢や、賢い人間が自らの揺れ動く心や、浮ついて不安定な武器を安定させるように”

Many times, our mind is not peaceful enough.
多くの時、我々の心は十分平穏である、ということはない。
So we realize that perhaps we need to understand more about mind itself and how balance the emotions, how to balance our mind, and try to cultivate more happiness.
それだから、我々は多分、心そのものについて、感情をどう平衡に保つかについて、心をどう均衡させるかについて、もっともっと理解する必要があるし、もっと幸福を醸造する必要がある。

Venerable Bhaddamanika
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The difficulties come from within.
困難は自分の中から生まれる。
One experiences unexpected thigs from one’s mind: the most dangerous skeptical doubts, doubts about one’s self, doubts about the Buddha.
人は自分の心から生まれてくる、本当なら期待していなかった事を体験する、つまり最も危険な懐疑的な疑いだ、我々自身に関する疑い、仏陀に関する疑いだ。
Physical is –we can get from—from the food and from the supplement of vitamins and—yeah, and for the mind, this is the only way we have to…only medicine.
肉体的には、我々は食べ物はビタミン剤などのサプリメントから得ることが出来る、そして心的には、これが我々がしなければならない唯一の方法だが、薬だけだ。

Meditation is not about getting rid of anger, or getting rid of lust, or getting rid of jealousy.
瞑想というのは怒りを取り除くことではなく、欲望を取り除くことではなく、嫉妬を取り除くことでもない。
Even while becoming a monk, often we experience angers; it happens. And it often happens when people start teasing you, like, “shaven bald-head person.”
僧侶でいる間と言えども、しばしば我々は怒りを体験する、それは起きるものなのだ。そしてそれはしばしば、人々がこう言ってからかう時に起きる“ツルツル頭の人”と。
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But it gives a good chance for us to realize that, “Okay, let’s see, this anger arises.
しかし、そのことは我々が悟るのによい機会を与える“そうだ、考えてみろ、これが怒りが起きていると言う事だ”と。
What is it?”
それ(怒り)とは何だ?

What most often happens in our ordinary life is that whenever we experience these emotions, we get stuck into it.
我々の日常で最もしばしば起きていることは、こういうことを体験する時はいつでも我々がそれに固執しているということだ。
It starts twisting us.
それは我々を捻じ曲げ始める。
But Buddhism is going through inside it and getting out of it peacefully.
しかし仏教とはその内部に入っていき、そこから平和に抜け出すことだ。
And I think that gives us more joy.
それだからこそ、もっと喜びを与えてくれると私は思っている。
And that makes human life more full, more round.
そしてそのことが人間の生活をもっと充実させ円くしてくれる。
It’s not like—we are not living a partial truth, but it’s like the whole of things together.
そう、我々は部分的な真実を生きているのではない、何もかも全て一緒に活きているようなものだ。

It takes time to comprehend this, and then by practicing again and again, the practitioner becomes very balanced, and one reaches the state of very strong equanimity, equanimity towards the physical and mental objects.
このことを理解するには時間がかかる、そして何度も繰り返して訓練することによって訓練者はとても調和がとれるようになり、非常に強い平静の状態に到達する、肉体的精神的な平静だ。
And this is the base camp for the summit: ‘Enlightenment’.
そしてこれがベース・キャンプだ、頂上‘覚醒’のための。
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“After washing my feet,” a disciple said, “I watch the water going down the drain.”
“足を洗った後で”とある弟子が言った“私は排水口に流れていく水を見る。”
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“I am calm. I control my mind, like a noble thoroughbred horse.
“私は平穏だ。私は私の心を管理している、高貴なサラブレッドの馬のように。
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Taking a lamp, I enter my cell; thinking of sleep, I sit on my bed.
ランプを取って私は私の個室に入る。眠ることを考えながら私は私のベッドに座る。
I touch the wick.
私はランプの芯に触る。
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The lamp goes out: ‘Nirvana’. My mind is freed.”
ランプの火が消える、‘ニーバーナ’私の心は自由だ。”
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“The mind is as restless as a monkey,” the Buddha taught.
“心はサルの様に落ち着きがない”と仏陀は説いた。
Who you are, what you think of as your “self”, is constantly changing…like a river, endlessly flowing.
貴方が誰なのか、あなたは自分を何だと考えているのか、は絶えず変化している、川の、絶え間ない流れのように。
One thing today, another tomorrow.
今日はこれ、明日はあれと。

There’s water in a river, then there’s water in a glass, and then the water is back in the air, and then it’s back in the river.
川には水がある、そしてコップの中にも水がある、そして更に水は大気の中に戻り、そしてまた川に戻ってくる。
The water’s there, but what is it?
水がそこにある、しかしそれは何だ?
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That’s a way to think about the self in Buddhism.
それが仏教において自分自身を考える方法だ。
One moment you’re angry.
在る瞬間、あなたは怒ってる。
The next moment you’re laughing.
次の瞬間にはあなたは笑っている。
Who are you?
あなたは誰だ?

“A seed becomes a plant.
“種は植物になる。
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Wisps of grass are spun into a rope.
僅かな草はねじられて縄になる。
A trickling stream turns into a river.”
滴(したた)り落ちる水が川に変わる。”
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The self comes, and the self goes.
それ自身がやって来て、それ自身は去っていく。
Simply notice how from one moment to another, your self is actually not as much the same as we think it is.
まず気付いてほしい、瞬間から瞬間にかけてあなた自身は我々がそうだと思っている人と同じではない、ということを。

D. Max Moerman Barnard College
What the Buddha realizes is that if we can get rid of this fundamental misunderstanding of the nature of the self based on egotism, we won’t cling to things, we won’t screw up everything we do because we’re thinking about it in the wrong way.
仏陀が悟ったこととは、もしわれわれが固執に基づいた自分の性質についての基本的な誤解を取り除くことができれば、我々は物事にへばりついていないだろうし、間違った方法で考えていることによって我々がしでかすあらゆることを台無しにすることはいだろう。

Once you stop centering your feelings about your feelings on your self, what naturally arises is simple compassion: compassion for your own suffering, compassion for the suffering of others.
自分自身の感情に関するあなたの感情を中心に持って来くることを止めれば、自然に湧き上がってくるのは純粋な慈悲だ。あなた自身の苦悩に対する慈悲、他人の苦悩に対する慈悲だ。

Even the most abstract of the Buddha’s teachings had a practical, ethical dimension.
仏陀の教えの最も中心的なものさえも現実的な、倫理的な面を持っていた。
Compassion, the Buddha taught, comes from understanding impermanence, transience, flow: how one thing passes into another, how everything and everyone is connected.
慈悲、と仏陀は諭した、それは非永続性、はかなさ、流れを理解することから生まれる、一つのことがどのように別のことに移って行くのか、全てが全ての人がどのように関係をもっているのか。

“When this is, that is.
“これが在る時にあれが在る。
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From the arising of this comes the arising of that.
これが起きる時に、あれが起きる。
When this isn’t, that isn’t.
これが無い時に、あれは無い。
From the cessation of this comes the cessation of that.”
これが止まると、あれが止まる。”

Trinh Xuan Thuan; Astrophysisist
This is always connected to that.
これはいつもあれと繋がっている。
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Everything is connected to everything else.
全ては他の全てと繋がっている。
You never live by yourself.
貴方は一人で生きているのではない。
You live always within a family, a society, or culture.
あなたはいつも家族、社会、文化の中で生きている。
You constantly interact with other people all the time.
あなたは絶えず他の人々と相互に関連して行動している、いつでも。
So our happiness depends on their happiness as well.
だから我々の幸せも他の人の幸せのおかげである。
How can we be happy if we are the only one happy in—on, you know, just an island of happiness within an ocean of misery?
我々はどうして自分一人で幸せになれると言うのだろうか、幸せという島にいたとしても悲しみの海の中にあるとしたら。
Of course, that’s not possible.
勿論、そんなことは可能ではない。

Compassion stirred the Buddha to send his monks out into the community.
慈悲のために仏陀は彼の僧侶たちを社会に送ることにした。
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Sworn to chastity and poverty, they wandered the roads, bringing the Buddha’s teachings into the world.
貞淑と貧困を固く守って、彼等は道を彷徨い続け、仏陀の教えを世界に持ち運んだ。

“Go forth, monks, for the happiness of the many, out of compassion for the world.
“行け、修行僧よ、多くの幸せのために、世の中に対する慈悲の心を持って。
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There are beings whose eyes have little dust on them, who will perish if they do not hear the teaching.
目に小さなホコリが在る者や、教えを聞かなければ滅びる者がいる。
But if they hear the teaching, they will gain liberation.”
しかしもし彼らが教えを聞くなら、彼等は自由を得るだろう。”

The monks exist by begging.
修行僧は物乞いをして生きている。
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We think of begging as kind of a bad thing.
我々は物乞いは何か悪いことのように考える。
Begging in this tradition is a good thing.
伝統的な物乞いは好いことなのだ。
It’s a sign of spiritual purity.
それは精神的な純粋さの表れなのだ。

Robert Tenzin Thurman Columbia University
You’re not allowed to beg tomorrow’s lunch today—only today’s lunch.
明日の昼食を今日、物乞いしてはならない。今日の昼食だけだ。
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Then you can’t eat from noon until dawn the next day.
そうすると、昼から次の日の夜明けまで食べることは出来ない。
Then you have to go out and get another lunch.
そこでまた別の昼食を得るために出かけねばならなくなる。
And then in exchange for lunch, you give a lecture, unless they say, “we don’t want to hear about it.”
そして、昼食のお礼として、説教をしなければならない“私たちはそれを聞きたくない”と言わない限り。
Then you don’t.
そういうのなら説教はしなくてもよい。
But that’s the only thing—but that forces you to interact with the lay community.
しかし、それだけでよい。しかしそのことは一般社会と関係することに集中してくれるだろう。
And if you’re not serving them, if you’re not doing something useful for them, they won’t put anything in your bowl, and that will be the end of your community.
そしてもし彼等に奉仕していなければ、もし彼等のためになることをしていなければ、彼等は(托鉢(たくはつ)の)鉢には何も入れてくれないだろう、それは社会とのつながりの終わりである。
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The Buddha himself wandered across northeast India, teaching and gathering new disciples everywhere he went.
仏陀自身もインド島北部をさ迷い歩いた、行く先々で説教をし、新しい弟子を集めながら。
You didn’t have to become a monk or a nun, to become a Buddhist.
仏教徒になるために僧侶や尼僧になる必要はない。
The Buddha’s teachings were for everyone.
仏陀の教えは全ての人のためのものだ。

“Everything is burning.
全てが燃えている。
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What is burning?
何が燃えている?
The eyes are burning.
目が燃えている。
Everything seen by the eyes is burning.
目によって見える全てが燃えている。
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The ears are burning.
耳が燃えている。
What is burning?
何が燃えている?
Everything heard by the ears is burning.
耳に寄って聞こえる全てが燃えている。

The nose is burning.
鼻が燃えている。
Smells are ablaze.
臭いがギラギラしている。
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The tongue is burning.
舌が燃えている。
Tastes are ablaze.
味覚がギラギラしている。

The body is burning.
体が燃えている。
The mind is burning.”
心が燃えている。
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We are on fire.
我々は火にかけられている。
We may not know it, but we’re on fire, and we have to put that fire out.
それに気付かないかも知れない、しかし火にかけられている。だからその火を消さねばならない。
We’re burning with desire, all right.
そう、我々は欲望で燃えているんだ。
We’re burning with craving.
我々は渇望で燃えている。
Everything—everything about us is out of control.
全て、我々の周りの全ては手が付けられない状態だ。

W. S. Merwin Poet
The Buddha goes on to talk about ‘The Three Poisons’, ‘Greed’ and ‘Anger’ and ‘Ignorance’, and how ‘The Three Poisons’ are what is making the fire, and the way out of doing this is not to deny The Three Poisons but to recognize that if you turn them around, you come to their opposites.
仏陀は‘三つの毒’つまり‘貪欲’そして‘怒り’そして‘無知’について、そして‘三つの毒’がどうして火を起こすのか、そしてその火を消すのは三つの毒を否定することではなくてそれを認めてその向きを変えることが出来ればその反対側に抜け出すことが出来るかを語っている。
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Instead of greed, you have generosity.
貪欲の代わりに寛大さを持つのだ。
Instead of anger, you have compassion.
怒りの代わりに、慈悲を持つのだ。
And instead of ignorance, you have wisdom.
そして無知の代わりに知恵を持つのだ。

“I can give my teachings in brief,” the Buddha said.
“私は私の教えを短くして与えることが出来る”と仏陀は言った。
“I can teach in detail. It is those who understand that are hard to find.”
“私は詳細に教えることが出来る。それを理解する人を見つけることは難しい。”
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There are stories of people coming to the Buddha and saying: “I am leaving your teaching because you have not told me about whether there is a life after death or whether there is another world.”
ある人々についての物語が在る。彼等は仏陀の所に来て言った“私はあなたの教えから離れていこうと思う。なぜならあなたは死後の世界があるのか、とか別の世界があるのか、について語ってくれないから。”
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And the Buddha says, “did I ever say that I would give you the answer to these things?”
すると仏陀は言った“これらについてあなたに答えを教えようと私が言ったことがありますか?”
“No, load, you didn’t.”
“いいえ、師匠様、ありません。”
“Why do you think that I never said that I would give you the answer to these things?
“何故わたしがこれらのことについてあなたに答えを教えようと言わなかったと思いますか?
Because these are not the things that you need to know.
なぜなら、これらのことはあなたが知る必要がないことだからです。
The thing that you need to know is how to deal with suffering, because at his very moment, what made you ask that question was suffering.”
あなたが知る必要があることは、苦悩をどう処理するかを知ることです、なぜなら、その質問をさせるのはいつでも苦悩だからです。”
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The Buddha was, above all, a pragmatist.
仏陀は取り分けて現実主義者だったのだ。
He did not expect his followers to agree with everything he said.
彼は彼に従う者が彼が言った全てに同意することを期待していなかった。
He encouraged them to debate and argue, to challenge him.
彼は彼らが反論し、議論し、挑戦してくるよう仕向けた。

His Holiness The Dalai Lama
Buddha says, “My followers should not accept my teaching out of devotion but rather your own experiment.”
仏陀は言った“私に従う者は献身から私の教えを受け入れることがあってはならない、自分自身で体験して受け入れねばならない。”
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Even Buddha himself, in order to get final enlightenment, needed hard work.
仏陀自身と言えども、最終的な覚醒を得るためには、厳しい修行が必要だった。
So investigate based on reason, through logical investigation.
だから根拠に基づいて論理的な調査を通じて調査せねばならない。
If something contradict, in Buddha’s own words, then we have the right to reject that.
もし仏陀の言葉の中で何かが矛盾していたら、我々はそれを排除する権利がある。

As the Buddha gathered more and more followers, stories spread of his miracles, which mixed the marvelous with the mundane.
仏陀が段々と信奉者を集めるにつれ、彼の奇蹟についての話が広まっていった、それは些細な事に見事な事を混ぜ合わせて造られたものだった。
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One story tells how 500 pieces of firewood split at the Buddha’s command.
ある物語によると薪500本が仏陀の命令で割れて出来た。

In another, a mad elephant charged wildly down a street, forcing everyone to flee.
別の話によれば、気が狂った象が通りを荒らしまくり、人々を逃げ惑わせた。
Only the Buddha remained, quietly waiting.
仏陀だけが残り、静かに待っていた。
The elephant, overcome by the Buddha’s radiant kindness, knelt before him, and the Buddha patted his leathery trunk.
象は仏陀が発する温情に打ち負かされ、彼の前に跪(ひざまず)いた、すると仏陀は象のゴワゴワした鼻を軽くたたいた。
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What is the meaning of “miracle”?
“奇蹟”とはどんな意味だろう?
A miracle is something unexpected.
奇蹟とは予想出来ない何かだ。
I think, a hundred years ago, jumbo jet, or some of these computers, or these—
I think, in their eye, this is something—miracle.
私はこう思う、百年前、ジャンボジェットやコンピュータとかいったもの、これらは、私は思うんだが、彼等の眼にはまさに奇蹟のはずだ。
Because miracle is something you cannot understand.
何故なら、奇跡とはあなたが信じることが出来ない何かだからだ。
So now I think that within this century, we may find some new ideas or new facts.
だから今なら私はこう考える、この1世紀の中で、我々は新しい考えや事実を見つけるだろう。
So far, we spent all our energy and time for research on matter, not internal world.
これまでのところ、我々は物質に関する探究のためにエネルギーと時間を浪費してきた、けっして内部世界のためにではなく。
This skull, a small space, but lot of mysterious things still there.
この頭蓋骨、小さな空間だ、しかし、多くの不可思議な事がまだ残っている。
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The great field of knowledge is as tiny as the Earth is in the universe.
知識という偉大な分野でさえも、まだ宇宙の中の地球のように小さいのだ。
I mean, it’s a tiny—it’s a speck.
つまり、それは小さくて、それは小片みたいなものだ。
And the—the universe is what we don’t know, and it will always be that way.
そして、宇宙については我々は好くは知らない、そしてそれはいつだってそうだ。
However much we find out, it will still be that way, because the unknown is vastly—it’s unspeakably greater than anything we will ever know.
どんなに沢山のことを我々が見つけたとしても、宇宙は宇宙だ、何故なら、未知のことは広大だからだ、我々が知っていることなんかよりもずっと、言葉で言えないほど大きいんだ。

In one of the most storied miracles, the Buddha strode on a jeweled walkway suspended in midair while streams of water spouted and flames flashed from his body, shooting out to the very edge of the universe.
最も語られる奇蹟の一つでは、仏陀は中空に架かった宝石で飾られたような歩道を歩いていた。
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その一方で、彼の体から水流が注ぎ出て炎が燃え上がり、その水と炎が宇宙の隅々まで飛び散っていた。
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And as the Buddha sat on a lotus flower giving his teachings, he replicated himself, filling the sky with multitudes of Buddhas for all to see and wonder.
そして仏陀が蓮の花の上に座り説教していると、彼は自分の分身を造りだして空を沢山の分身で埋め尽くし、みんながそれを見て不思議に思う。
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Do we believe that literally?
我々はそれを文字通り信じるだろうか?
Does it matter whether we believe it literally?
我々がそれを文字通り信じるかどうかは重要なのだろうか?
What many of those miraculous stories are about is the sheer wonder of it all.
これらの不可思議な物語の多くが語っていることは薄っぺらな不思議でしかない。
The very fact that the whole of unknown time and space has led down to this—led to this very moment when we’re sitting here talking—when we are sitting here talking to each other is utterly miraculous.
想像つかない時間と空間の全てがこのことに繋がっているという事実、我々がここに座って話していて、つまりお互い同士で話しているというこの瞬間に繋がっている、ということが完全に不可思議といえるのだ。

Jane Hirshfield Poet
Sitting here in a room, having had a cup of coffee, having taken it out of a beautiful blue-and-white porcelain mug, what could be more miraculous than that?
部屋の中のこの場所に座り、一杯のコーヒーを飲み、美しい青磁のマグから注いでいる、これ以上不可思議なことがあるだろうか?
Everyday life around us is already so implausible and so glorious, that what need for further miracles?
我々の周囲の日常の生活は既にとても信じがたく輝かしいのだから、どうしてこれ以上の奇蹟が必要だというのか?
And that’s the teaching of the Buddha.
そしてそれが仏陀の教えだった。
That’s the miraculous teaching of the Buddha.
それが仏陀の奇蹟的な教えだ。
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Violence, the Buddha taught, always leads to more violence.
暴力は、と仏陀は教えた、いつも更なる暴力に繋がっていくと。
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“To the slayer comes a slayer.
人殺しのところには人殺しがやってくる。
To the conqueror comes a conqueror.
征服者のところには征服者がやってくる。
He who plunders is plundered in turn.”
略奪する者は、略奪される番がくる。
War was endemic in the Buddha’s age, ravaging northeast India again and again.
仏陀の時代、戦争はいつも辺り一帯で行われていた、インド東北部を何度も破壊していた。
Although kings and their ministers sought his council, the Buddha offered no grand political vision.
多くの王や大臣たちが仏陀の助言を求めたが、仏陀は華々しい政治的な見解を決して与えなかった。
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He was powerless to stop the killing and the fighting.
彼は殺戮や戦いを止める力を持ち合わせていなかった。
Even the men, women, and children of his former kingdom were massacred by a marauding king: forced into pits and trampled by elephants.
彼の以前の王国の男や女や子供たちさえも略奪的な王によって大勢殺された、穴に埋められたり象に踏まれたりして。
It was said that the Buddha received the news in silence.
言い伝えに寄れば仏陀はこれらの知らせを黙って聞いていた。
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Hundreds of them killed. So that day, Buddha was sad.
何百人もが殺された。だからその日、仏陀は悲しかった。
Buddha is a human being.
仏陀は人間だ。
So he acted like a human being.
だから彼は人間として行動した。
So sometimes he also, you see…failed.
だから時には彼でも、そう、失敗した。
He failed to perform a miracle.
彼は奇蹟を起こすことに失敗した。
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The Buddha failed, but we, as the Buddha, fail constantly, and part of our suffering is our—is our failure, our recognition of our failure.
仏陀は失敗した。しかし我々も、仏陀として、いつも失敗している、そして我々の苦悩の一部は我々の失敗、我々が失敗することを認識することだ。

Buddhism doesn’t argue with reality.
仏教は現実に関しては反論しない。
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There will always be both the potential for awakening in any moment and the potential for incredible damage at any moment, and if we fool ourselves into thinking we’re past that, we will o incredible damage.
どんな時でも覚醒する潜在力と、どんな瞬間でも信じられないような被害を受ける可能性の2つがあって、もし我々が愚かにもその瞬間を見過ごすとしたら、我々は信じられない損失を受けるだろう。

Change, the Buddha said, must come from within.
変化、と仏陀は言った、それは内部から出てこなければならない。
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Mark Epstein Psychiatrist/Author
The Buddha starts always with the mind, and talks about the violence in the mind and says that violence in the world is a result of violence in the mind.
仏陀は常に心から考えることを始めた、そして心の中にある暴力について話した、そして世の中の暴力は心の中の暴力の結果だと言った。

A tree lives on its roots; if you change the root, you change the tree.
一本の樹が根の上で生きている、もし根を変えたなら木が変わる。
Culture lives in human beings; if you change the human heart, the culture will follow.
文化は人間の中に生きている、もし人間の心を変えれば、文化もそれに従う。

For decades, the Buddha shared his teachings all across northeastern India.
何十年もの間、仏陀は彼の教えをインド東北部全域に教え広めた。
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“Let all beings be happy,” he taught, “weak or strong, great or small.
“あらゆる生き物が幸せであれ”と彼は教えた“弱きものも強きものも、大きなものも小さなものも。
Let us cherish all creatures, as a mother her only child.”
全ての創造物を慈しむのだ、母が唯一の子を慈しむように。”
Barefoot in his robes, he was still walking the roads when he was 80, but old age was upon him.
裸足でローブを身にまとい、彼はまだ道を歩いていた、80歳になった時でも、しかし、老齢は彼に降り懸かっていた。
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His back hurt.
彼の背は痛んだ。
His stomach was often in pain.
彼の胃は時々痛んだ。
“I am old, worn out,” he told a trusted disciple, “like a dilapidated cart held together with thin straps.”
“私は年とって疲れ果てている”と彼は信頼できる弟子に語った“薄い皮で繋がれた、ガタガタな台車のようなものだ。”
The world is so sweet, he said, that he could understand wanting to live for at least another century.
世界はとても甘美だ、と彼は言った、少なくともあと1世紀(百年)生きていたいと思うほどだと。
But he was frail and exhausted.
しかし彼は弱弱しく、疲れ果てていた。
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He became ill near Kushinagar, a remote village near the border of Nepal, when he was offered a meal which would prove deadly.
彼はクシナガルの近くで病に罹った、そこはネパールとの国境の近くの村で、彼が与えられた食事が致命的だったのだ。
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The food was spoiled.
その食事は腐っていたのだ。
He ate what was offered to him, and it’s said that he knew it was bad, but he took it anyway ‘cause it was offered and didn’t want the person who offered it to feel bad, ‘cause it was his time.
彼は彼に与えられた食事を食べた、そして彼はそのことを知っていたらしい、しかし彼はそれを食べた、というのはそれは与えられたもので、与えてくれた人の気分を害したくなかったからで、それは彼の言わば運命の時だったからだ。
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Today, Kushinagar is revered by pilgrims as the place where the Buddha finally left the world.
今日、クシナガルは巡礼者たちに寄って、仏陀がこの世を最後に離れた場所だとして受け取られている。
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It was in Kushinagar where he grew weak and asked to be laid on his side in a quiet grove of sal trees.
クシナガルは、彼が耐力を失い、脇を下に置いて静かな沙羅双樹の樹の中に横たわった所だ。
As he neared the end, his disciples began to weep, stricken with grief.
彼が終わりに近づくと彼の弟子達は悲しみに襲われて泣いた。
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But the Buddha reassured them.
しかし仏陀は彼等を安心させた。
“All things change,” he said. “Whatever is born is subject to decay.”
“全てのことは変化する”と彼は言った“生まれたものは全て朽ちていくのが定めだ。”
He’s saying that is a natural process.
彼はそれが自然の流れなのだと言ったのだ。

He tells his disciples: “Use this time, use the energy here, even this, for your own awakening.”
彼は弟子たちに語った“この瞬間を使え、ここにあるエネルギーを使え、この死に臨んだ時さえも、お前たちの覚醒のために使うのだ。”
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So he used even his own death and their sadness as a time to remind them of what their real task was.
そういって彼は自分の死さえ、弟子達の悲しみさえ、彼等の本当の修行とは何かを彼等に思い起させるために使った。
What he’s actually doing is inviting those who are close to him into the experience.
彼が実際にしようとしたことは彼の身近にいる人々を実践に導くことだった。
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I don’t think the Buddha’s teaching in any way argues against grief or sadness or loss.
私は、仏陀の教えというものが、何らかの方法で嘆きや悲しみや損失を否定しているとは思わない。

The teachings, if they make any sense, have to make sense in ordinary circumstances, in ordinary lives.
教えは、もしそれが意味があるとしたら、普通の環境の中で、平凡な生活の中で意味をなさねばならない。
And in ordinary lives, we grieve when we lose.
そして平凡な生活の中では、我々は損失すれば悲しむ。
We-we grieve. We—when it hurts, we say, “ouch.”
我々は悲しむ。痛むと我々は言う“痛い!”と。

Buddhism is trying to look at things the way they are, the way it is, just as it is.
仏教は物事をあるがままに見ようとする、それがそうであるように、それがそれだと。
It hurts.
それが痛い。
This is life.
これが命というものだ。
This is our life.
これが我々の命だ。
And our relation to life involves losing it too.
そして命と関係するということは、命を失うことでもある。
You don’t get beyond these things.
これらの事実を越えることはない。
You don’t get beyond them.
これらの事実から逃げられない。
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It’s all right to feel what human beings feel, and we are not supposed to turn into rocks or trees when we practice Buddhism.
人間が感じることを感じるのは全く問題ない、そして我々は仏教を実践する時に岩や木に変化することを期待されていない。
Buddhas laugh, cry, dance, feel ecstasy, probably even feel despair.
仏陀になっても笑い、泣き、踊り、恍惚を感じ、恐らく絶望さえも感じるのだ。
It is how we know the world.
それが世の中を知る方法だ。
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It is how we live inside of our hearts and not dissociated from them.
それが心の中で、心から離れずに生きる方法なのだ。

The Buddha had always been saying good-bye.
仏陀はいつも、もうお別れだと言っていた。
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Now he prepared to leave the Earth forever.
今、彼は地上を永遠に去る備えを終えた。
He would never be reborn, never die again.
彼は決して再び生まれることは無く、再び死ぬことはない。
“It may be that after I am gone,” the Buddha told his disciples, “that some of you will think, ‘now we have no teacher.’
“私が去ったのちだが、恐らく”と仏陀は彼の弟子達に話した“お前たちの何人かは‘もう教師となるものはいない’と考えるだろう。
But that is not how you should see it.
しかし、それは考え違いというものだ。
Let the Dharma and the discipline that I have taught you be your teacher. All individual things pass away. Strive on, untiringly.”
私がお前たちに教えたダルマと教義をお前たちの教師とせよ。全てのものは過ぎ去ってしまうものだ。努力し続けよ、疲れを惜しまずに”
These were the Buddha’s last words.
これらが仏陀の最後の言葉だった。
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The Buddha died peacefully.
仏陀は静かに亡くなった。
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His head was pointed to the north, his face to the west.
彼の頭は北に、顔は西に向けられていた。
The stories tell how the Earth shook, and the trees suddenly burst into bloom…their petals falling gently on his still body, falling out of reverence.
伝説では大地が揺れ、木々は突然、花を開き、花びらは彼の動かない体の上に静かに、畏敬の念から(天国から?)降り注いだという。
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Divine coralflowers and divine sandalwood powders fell from above on the Buddha’s body out of reverence.
天国の珊瑚花(?)や白檀(びゃくだん)の花が畏敬の念から仏陀の遺体の上に降り注いだ。

His disciples were quite upset: “What are we going to do without our teacher?
彼の弟子達はとても動転してしまっていた。“先生なくして、どうすればいいのだろう?
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We will be lost without our teacher.”
我々は先生なしで放り出されてしまったのだ。”
But his instruction was so simple and so clear: “I am not your light.
しかし仏陀の指示はとても単純で明確だったのだ“私はお前たちの光ではない。
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I am not your authority.
私はお前たちの上司ではない。
You’ve been with me a long time now.
お前たちは既に私と長い間、一緒にいた。
Be your own light.”
自分が自分の光となれ。”

mh:自灯明法灯明の教えですね。
比丘僧伽(びく・そうぎゃ(サンガ))は私に何を期待するのか。私はすでに内外の区別もなく、ことごとく法を説いた。阿難(アーナンダ)よ、如来の教法には、あるものを弟子に隠すということはない。教師の握りしめた秘密の奥義(師拳)はない。だから、汝らは、みずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすることのないように。

The Buddha saw death and life as inseparable.
仏陀は死と命とは切り離せられないと見ていた。
These are two sides of the same thing.
これらは同じことの2つの面だ。
Death is always with us.
死は常に我々と共にある。
Death is part of the whole large unknown.
死は深く大きな未知の一部だ。
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And if we are unable to smile at the idea of the unknown, we’re in real trouble.
そしてもし我々が未知という考えに笑って対することが出来なければ、我々はどうしようもない困難の中にいることになる。
That’s the realism that the Buddha was talking about: trying to come to terms with reality.
それこそが仏陀が語った現実主義だった、現実と上手く付き合うように努力することだ。

When he was 29 and still prince Siddhartha, the Buddha has left his wife, child, and family to try and understand the nature of suffering.
彼が29歳で、まだ王子シッダールタだった時、仏陀は彼の妻、子供そして家庭を捨て、苦悩の性質を理解しようと試みた。
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He had attained enlightenment, shared what he had learned, and left a path for others to follow.
彼は覚醒を獲得し、彼が学んだことを分け与え、そして他の者に、彼に続く道を残した。
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Now he was gone.
ついに彼はこの世を去ってしまった。

But before he died, he had asked his followers to remember him by making pilgrimage…to the place of his death…to where he gave his first teachings…where he achieved enlightenment…and where he was born.
しかし、死ぬ前、彼は彼に従う者たちに巡礼をすることで自分を思い出してほしいと頼んだ、彼の死んだ場所、彼が最初に教えを説いた場所、彼が覚醒を獲得した場所、そして彼が生まれた場所を巡礼して。
(クシナガル:死んだ場所)
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(サルナート:最初に教えを説いた場所)
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(ブッダガヤ:覚醒を獲得した場所)
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(ルンビニ:生まれた場所)
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Those four places mark out a sacred biography.
これら4つの場所は神聖な一生の足跡だ。
And in tracing that pilgrimage route, you are learning the story of that life.
そしてその巡礼ルートを辿りながら、その一生の話を学ぶのだ。
At places of pilgrimage, temples were built, images were installed, and relics were enshrined.
巡礼地には寺院が建てられ、像が造られ、古跡が祀られている。
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Millions of people get immense inspiration.
何百万もの人々が絶大な感銘を受けている。
Buddha’s spirit is always there.
仏陀の精神はいつもそこにある。
But the real Buddha’s holy place is within one’s self.
しかし本当の仏陀の聖なる場所は人々の中にある。
That’s important.
それが重要な事なのだ。
So real Buddha’s sacred place we must build within ourself.
だから本当の仏陀の神聖な場所は、我々が我々の中に造らねばならない。
We must build within our heart.
我々が心の中に造らねばならない。
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Although the Buddha had predicted that his teachings, like everything else, would in time disappear, Buddhism flourished in India for 1,500 years, spread into Sri Lanka, central and southeast Asia, Tibet, China, Korea, Japan, and in the 20th century, to Europe and the Americas, adapting different forms and shapes wherever it took root, attracting many millions of men and women who practice the Buddha’s teachings both within and outside the monastic community.
仏陀は彼の教えが、他の全てと同じように、そのうちに消滅してしまうだろうと予言していたけれど、仏教はインドで1,500年の間繁栄し、スリランカ、中央・東南アジア、チベット、中国、韓国、日本、そして20世紀にはヨーロッパ、南北アメリカ、に広がり、様々な形態で、その起源も様々で、何百万人もの男や女を惹きつけて僧院社会の内部や外部で仏陀の教えを実践させている。
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But everywhere and in every age, the essence of the story remains the same.
しかし、どこであろうが、いつの時代であろうが、物語の本質は同じだ。
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The Buddha said that we’ve turned this world into a painful place, and this world does not have to be a painful place.
仏陀は言った、我々はこの世界を悲しみが満ちた場所に変えてしまった、そうとはいえ、この世界は悲しみが満ちた場所である必要はない。
This world can be a world inhabited by Buddhas.
この世界は仏陀たちが暮らす世界にもなり得る。
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But it’s up to each one of us to turn ourselves into a Buddha.
しかし、それは我々自身が仏陀になれるかどうかにかかっている。
That’s really—that’s the work.
それこそが、それこそが成すべき仕事だ。
If the Buddha is not you, finally, the Buddha is of no interest to you.
もし仏陀があなたでなければ、仏陀はあなたに何の効用も与えない。
The Buddha is—the Buddha is of such interest to you because you are the Buddha.
仏陀はあなたに善いことをもたらしてくれる、もしあなたが仏陀であれば。

Every sentient being, even insects, have Buddha nature.
全ての知覚ある生き物は、昆虫でさえ、仏陀の性質を持っている。
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The seed of Buddha.
仏陀に生まれ変われる種だ。
That’s the seed of enlightenment.
それが覚醒の種だ。
So therefore, there’s no reason to believe some sentient beings cannot become Buddha.
だから、どんな知覚生物も仏陀になることは出来ないと考える理由はないのだ。
So like that.
そういうことだ。

I know that there are supposed to be preserved footprints of the Buddha which are kept in one of the sacred places in India or Nepal, and, you know, you can stand in them, and if you stand in them, maybe you realize, “Ah, ten toes. Me too.”
私は、仏陀の足形だと考えられ保存されている神聖な場所が一つ、インドかネパールにあることを知っている、そして、そう、あなたもその足形の中に立つことができて、もしそこに立ったら、多分気付くだろう、“あぁ、10本の足指がある。私と同じだ。”と。

There is a story of a Brahman who one day found the Buddha under a tree, calmly meditating.
あるバラモンの物語が在る、有る日、彼は仏陀を木の下で見つけた、彼は静かに瞑想していた。
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The Buddha’s mind was still.
仏陀の心は平静だった。
He radiated such power and strength that the Brahman was reminded of a tusker elephant.
彼は力と強さを発散していたので、バラモンは大人しい象を思い浮かべた。
The Brahman asked him who he was.
バラモンは彼に訊いた、お前は誰だと。
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“Imagine a lotus that had begun life underwater,” the Buddha replied, “but grew and rose above the surface until it stood free.
“水面下で生まれた蓮を思え”と仏陀は答えた“しかし成長し水面の上に頭を出し、ついには自由に立っている蓮だ。”
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So I, too, have transcended the world and attained the supreme enlightenment.”
そのようにして私は世界を超越し究極の覚醒を達成したのだ。”
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“Who are you then?” the Brahman wondered.
“つまりお前は誰なのだ?”とバラモンは疑問に思った。
“Remember me,” the Buddha said, “as the one who woke up.”
“私を覚えてほしい”と仏陀は言った“眼覚めた者だと。”
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The Buddha完
Youtubeは下記でお楽しみください。
The Buddha - PBS Documentary Part 2
https://www.youtube.com/watch?v=_hXSKNLcSNc
上記URLにはテロップはありませんが、実は英文テロップ付きのフィルムを見ながら今回のブログの英文をタイプしています。よってかなり正確です!
The Buddha. HD (English Subtitle)
https://www.youtube.com/watch?v=aWvI2WZJjwE

テロップが出る都度、動画を停止してタイプしたら動画を再スタートし、次のテロップが出たら、また動画を停止してタイプする、といった具合にして書き上げました。その後、タイプとテロップを比較修正し、翻訳し、絵を貼り付けるという一連の作業で7日もかかりましたが、時々、女房殿と外出してショッピングしたり、ファミレスで昼食を採ったりしながらですから実質は40時間というところでしょうか。タイプ作業が続いたので手首が少し痛くなりましたが、シッダールタの修行に比べれたら、どーってことありません。これで私も少しは仏陀の領域に近づいたと言えるかも知れませんが、直ぐに悟りを忘れて悪い欲に走る性格が災いするので、まだまだ道半ばとまで言えないほど、仏陀への道のりは遠く続いているばかりです。

それでも、つい1週間ほど前だと思いますが、確定申告で還付された何がしかのお金のうち、3万円をかねがね支援しなければと思っていた「国境なき医師団」にネットを通じて寄付させて頂きましたので、その瞬間、つまり送金のクリックを叩き出した瞬間だけは、かなり仏陀に近い位置に立ったのではないかなと、自画自賛しています。

Youtubeフィルムでは欧米の知識人と、出家してインドの恐らくブッダガヤで修行している2人の僧侶が、仏陀、仏陀の教え、仏教をどのように理解しているのかが紹介されていたのですが、凡そ、mhがこれまで理解していた内容と同じだったので安心しました。
やはり、仏陀は神ではなく「覚った人」で、永遠の時間の中のある瞬間を、見事に生き切った、我々と同じ人間だと思いました。しかし、立派な人物だと思います。ますます、尊敬してしまいました。

なお、フィルムでは、仏陀の教えの基本の一つとして「compassion」があげられていました。慈悲と訳しましたが、「compassion」は「同情」「憐憫「思いやり」とした方が適切だったかも知れません。自分に対する、他人に対する思いやり!これが仏陀の教えの神髄の一つだとはmhは明確に悟っていなかったので、フィルムを見て納得でき、仏陀の教えを更に理解できたかなと思います。
皆さんも「思いやり」について考え、それを実践し、その効果を享受する機会を沢山持たれることを祈念して、ブログ「仏陀」を終わります。
(完)

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