Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

エジプト死者の書の不思議

先週のチベット死者の書にひき続き、チベット死者の書より3千年以上も前の紀元前2千6千年頃にエジプトで生まれたエジプト死者の書についてご紹介しましょう。

エジプトといえばピラミッドですが・・・ピラミッドといえば、南米ペルーのカラルで1994年、女性考古学者によって掘り出されたピラミッドは紀元前3千年頃のもので、古代の南米にもエジプトに匹敵するような文明があったことに世界中の考古学者は驚きました。
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アンデス山脈から太平洋に注ぐスペ川の河口から25kmの一帯の砂漠で見つかりましたが、当時は緑豊かな場所だったはずです。ここのピラミッドは墓ではなく、寺院だったようです。

更には、6月に訪れたメキシコでは、ユカタン半島を中心に、ジャングルの中に数百のピラミッドが造られていました。マヤの有力な都市国家パレンケPalenqueに残る、ピラミッドのひとつです。
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最上段の祭殿で、地下に延びる階段が見つかりました。その最下段には玄室にあって、石棺から翡翠の面を被った王の遺体が見つかりました。首都メキシコ・シティの国立人類考古学博物館に展示されていたお面の写真です。
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博物館で案内してくれた日本人ガイドによれば国宝級とのこと。古代マヤ人はシバルバという死後の世界が地下にあると信じていたということで、お面専用の展示室は地下に造られていました。永遠の安眠を守ろうとしたのでしょう。マヤでは、パレンケのこのピラミッドのように遺体を収容するピラミッドは数十程度しか見つかっていないようで、残る数百のピラミッドは単なる寺院だと言われています。

一方、紀元前3千年に生まれたエジプト帝国に残る全てのピラミッドは王の墓として造られました。エジプト人は死ぬと死者の国に行き、死者の国を司る神によって裁かれ、楽園で暮らすか、または心臓を食べられて完全なる死に到ると考えていたようです。この思想はバビロンに幽閉されたイスラエル人が紀元前5,6世紀に編纂したヘブライ聖書に引き継がれ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教でも全ての死者は世界が崩壊する日に蘇り、神による最後の審判で、天国に行くか地獄に落ちるか裁かれるという物語が生まれることになった、という見方があるようです。

マヤの死後の世界は地下にありましたが、エジプトのあの世は、神々の暮らす天国か、葦(あしreed)が茂る緑豊かな土地か、地下のいずれかにあるようです。無事に死後の世界に辿り着き、神の裁きを受け、そこで永遠の命を得るための“ガイドブック”で、玄室に到る通路の壁や棺などに記されたり、はたまたパピルスに書かれて墓に納められたりして、死者を無事にあの世に導いたというエジプト“死者の書”とはどのようなものか?それをYoutubeフィルム「The Egyptian Book Of The Deadエジプト死者の書」からご紹介いたしましょう。

なお主要な登場人物のアーネスト・アルフレッド・トンプソン・ワリス・バッジ卿Sir Ernest Alfred Thompson Wallis Budge (27 July 1857 – 23 November 1934)はフィルムでは俳優が演じていますが、実物は次の写真の人物です。
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恐らく晩年の写真で、エジプトで活躍(暗躍?)していた時は30歳でした。
・・・・・・・・・
およそ4千年の間、続いた物語だ。泥沼のような論争を巻き起こした。それが伝えんとすることはどの時代でも通用する不思議なものだ。エジプト死者の書はあの世に導くための古代エジプトの手引きだ。恐らく世界で最も古い宗教的な書類だろう。異色の考古学者がそれをエジプトから盗み出したと言う。恐るべき死後の世界への旅に関する本だ。エジプト死者の書は文明と同じくらいに古い物だ。最後の審判の概念が最初に現れた本だ。本は何千年もの間、人類が抱き続けて来た質問に答えてくれるかも知れない。
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ミイラ・・・古代文明のミステリアスな遺物の一つ。彼等は長く続いた時の流れや秘密を囁きかけながら、古代の布の中に巻き込まれている。誰もが知っているが、しかし、この世のものとは思えない。誰もが死すべき運命にあることを思い起こさせる一方で、永遠の生命を約束しているかのようだ。
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ミイラは遠い時代の偉大な不可思議の唯一の遺物だ。古代エジプト人は広大で複雑なあの世の存在を信じていた。ミイラ化された死体はある一つの手引き“エジプト死者の書”によって、別の世で復活することを望んでいる。死者の書は、古代エジプトでミイラ化された死体と一緒に墓に埋葬された巻物に付けられた名前だ。
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スタート助教授「死者の書は死者のための、一種のガイドブックだ。第8~80(?)章には死者があの世への旅と永遠の命を得る過程が書かれている。」
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(mh:事前にお知らせするのを忘れていましたがエジプト死者の書には192の章chapter/spellがあり、どの章を組み合わせて自分のガイドブックにするかは生前に自分で、又は死後に関係者がえらんで編集し、あの世への副葬品にしていたようです。)

作家マルコム「それは間違いなく不思議な書だ。幾つもの章から構成されていて死者があの世へ旅発ち、永遠の命を得るためのものだ。」

ザヒ・ハワス博士「それは死者のための書で、あの世で出くわすことを教えてくれるものだ。だから死者の書と呼んでいる。それはとても重要な本だ。何故ならそれは永遠の命に関する疑問なのだから。」
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昔から、古代エジプト人は、現世よりも来世の生活の方に関心を示していたという。来世の方がずっと長く続くのだから。
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紀元前1250年、今から3千年以上も昔の第19王朝時代のテーベThebes、今のルクソールLuxor。そこで歴史書でアニーAniとだけ記録されている男の物語が始まる。

アニー「私の心よ。あの世で私を欺かないでくれよな。」
友人「ここから離れた方がいい。死はまだ先のことだ。」

アニーは紀元前1600年から紀元前1200年まで続いた新王朝の繁栄の中で生きていた。
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輝かしい軍人のファラオたちがヌビアからシリアまでの土地を征服していた時代だ。ラムセスとかセティといったファラオは巨大な王宮や壮麗な宗教寺院を造っていた。アニーは裕福な生活を享受していた。この時代、人々は命と死後の世界という哲学的な問題について考え始めるようになっていた。

アニー「女房の父が死んでしまった。彼はミイラにしてもらうこともなく、墓も造ってもらえず、貧民として埋葬された。」

死後の世界はアニーの心に重くのしかかっていた。次の世のための適切な準備が成されないまま死んでいくということは永遠の楽園に行くための機会を奪ってしまうかも知れない。
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アニー「すごく気にかかっているんだ。」
友人「お前が気に掛けても死者の助けにはならないよ。お前にはお前の人生があるんだよ。」
アニー「でも、その人生は短い。しかし永遠というのはとても長い時間なんだ。」

アニーが死後の世界のことを深く考えていたという証拠は彼の葬儀のために準備された驚嘆すべき芸術作品だ。アニーの巻物Scroll of Aniと呼ばれている。
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スタート助教授「アニーの巻物は最も有名な死者の書のコピーだと言えるだろう。文字や美しく描かれた描写などは他の死者の書と比較にならない程高い芸術性を備えているからだ。」
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考古学者たちは2万5千以上もの死者の書のコピーを発見している。最も古い書は紀元前1千5百年に作られ、最も新しい書は4世紀に書かれている。
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しかし、21世紀の今、有名なアニーの巻物が保管され、見ることができる場所はロンドンの大英博物館だ。
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凡そ紀元前1250年に描かれた書には65の祈りと不可思議な章と150もの色彩豊かなイラストが描かれている。
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この素晴らしい作品はこれまでに発見された中でも最も長い巻物の一つだ。開くと長さは23mもある。しかし大英博物館がこの書を入手した経緯には批判も多い。
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巻物は1887年、博物館の学芸員curatorのアーネスト・アルフレッド・トンプソン・ワリス・バッジ博士Dr. Ernest Alfred Thompson Wallis Budgeによってエジプトから持ち込まれた。彼はエジプト考古学に関する百以上もの本を書いた作家でもある。
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ヒエログリフで書かれたエジプトの重要な記録のいくつかも翻訳して発行している。数千もの卓越した芸術品と認められている骨董品も蒐集している。
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しかしバッジは二流の学者で、貧しい考古学者で、どんな汚い手段をとっても骨董品を収集した盗人だという人々もいる。

スタート助教授「彼の時代なら、彼が骨董品を入手した手法は異常に薄汚い方法であったとは言えないと弁護する人もいる。」
編集者ジェームス「イギリスやフランスが競争で骨董品を奪い合っていた時代でもあったのだ。」

しかしエジプト人のザヒ・ハワス博士は言う「バッジは盗人(ぬすっと)だと私は考えている。もし正直な人間なら、どんな理由があろうとも他人の物は盗まない。」

現代ならば彼は非難の対称になる男かも知れない。しかし、彼の時代、彼は尊敬される翻訳家で英国博物館の優れた学芸員の一人でもあった。1887年秋、芸術品収集の目的で大英博物館は彼をエジプトに派遣した。
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彼の旅は丁度いいタイミングだった。到着するや否や、新しく見つかった芸術品の噂が出回ったのだ。彼は自伝にそれを記している。
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バッジ自伝「カイロに到着して数時間もしないうちに、上エジプトで発見された芸術品が人々の話題になっていた。噂はヨーロッパの都市にも流れていて、どの国の博物館もそれを手に入れようと虎視眈々と狙っていた。」

バッジはまず仲間のエジプト研究家に会うためにカイロのエジプト博物館を訪れた。
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そこで彼は博物館の収集品のみすぼらしさにショックを受けた。発見された芸術品はエジプト博物館に運ばれてくる前に、どこかで誰かに引き渡され、国外に持ち出されていたのだ。
当時、エジプトの遺物発掘や保存は植民地骨董品局が進めていた。局長はフランス人ユージン・ガーブルだった。ガーブルは英国が骨董品を盗んでいると非難していた。バッジはエジプト博物館で、懇意にしていたエジプト人助手ラムジーから、ルクソールで興味深い骨董品が見つかったという情報を聞き出し、自分の目で確かめようと直ぐにルクソールに向かう計画を立てた。ルクソールはナイル川に沿って720km上流の町だ。他の誰よりも早くルクソールに到着しなければならない。

アニーの巻物の発見はエジプト考古学における偉大な物語の一つで、陰謀と非難の対象でもあるワリス・バッジの冒険談とも言えるだろう。
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バッジ自伝「墓盗賊がとても重要な発見をしたという情報を現地人から入手した。彼によればナイル西岸の墓からこれまで見たことも無いような見事なパピルスの巻物が見つかったという。彼は国の役人が盗賊を見つけて逮捕してしまう前にすぐ来るよう私に伝えて来た。」
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スタート助教授「19世紀後期はエジプト考古学にとってはとてもダイナミックな時代だった。近代考古学が現れ始めた時期であると同時に、古くて長い間続いてきた伝統に従い発掘場所で骨董品の売買が行われていた時期でもあった。」
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バッジは自分で墓から骨董品を発見したことはない。仲介人から買い取るのが彼のやり方だった。この闇市black marketはとても繁盛していて英国博物館の重要な収集品の源ともなっていた。しかしそれは同時にエジプトの考古学的な秘宝を破壊することでもあった。

ザヒ・ハワス博士「エジプトの宝物を売り買いする闇市そのものは悪だ。エジプトは侵されてしまったのだ。彼等は国の遺産を持ち出してしまったのだ。」

バッジの助手ラムジーはバッジを闇市の仲介人の所に連れていった。そこでバッジはルクソールで発見された興味をそそられる骨董品を見せられた。
バッジ「“彼は弱者を強者から守った。そして足枷(あしかせ)を付けられた者たちの叫びを聞いた”って書いてあるな。」
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1887年、バッジはヒエログリフを読むことが出来る数少ない西洋人の一人だったのだ。
エジプト人仲介人「本物でしょ?」
バッジ「うん、これは本物だ。第18王朝における太陽の神ラーに関する記述だ。死者の書のコピーじゃあないかと思う。世界でも最も古いエジプトの聖書だと言ってもいい。人がしてはいけない罪のリスト、いわゆる“否定の告白”が書かれている。旧約聖書のモーゼの十戒の基になったものだ。このパピルスしかないのか?」
エジプト人仲介人「いいや、そうじゃあない。発見者は巻物を見つけ出したけれど、それを小さな片に切って収集家に売ろうと考えているんだ。彼はルクソールにいる。私が持っているのは、この一枚だけだ。」
バッジ「とりあえずこれを買わせてもらうよ。」
仲介人「明日、あんたにガイドを会せよう。発見者の所までは2日の旅だ。」
バッジは骨董品局局長のフランス人ユージン・ガーブルもこの骨董品を狙っていることを知っていた。彼よりも早く、手に入れねばならない。
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1887年当時、死者の書は話題をさらっていたが、その本当の価値が判るようになったのは現代になってからだ。今では誰もが、世界で最も古い宗教的な記録だと考えている。
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ザヒ・ハワス博士「聖書、旧約聖書、コーランの中に記されていることが死者の書に記されているんだ。つまり死者の書とこれらの経典の関係は突然あらわれたものではない。死後の世界に関する考えも死者の書で初めて現れたのだ。」

スタート助教授「死者の書はピラミッドに残された、世界で最も古い宗教的な記録を引き継いだものだ。第5王朝のピラミッドで紀元前2千3百年ころのものだ。」
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カローラ教授「その後は高貴なエジプト人たちがピラミッドに書かれていた記述を自分たちの棺桶の内側に書くようになり“棺桶の書”として知られるようになったの。」
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「そして新王朝の時代にはミイラとともに埋葬されるパピルスの巻物に書かれ始めるようになったってわけね。」

紀元前1250年、アニーが生きていた時代、死者の書は生まれて既に1千年を迎えていた。記録によればアニーは寺院の司書だった。今日なら税理士のような仕事をしていたようだ。
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スタート助教授「当時、寺院は宗教的な施設であるとともに経済的な施設でもあった。彼は貢物や寺院の食糧倉庫を管理する仕事に就いていた。」

アニーの司書という地位は教育をうけた人物だけが就けるもので、当時のエジプト社会ではエリートに属していた。彼は死後の世界に大いなる関心を持っていた。永遠の命は死者の書を持っていて初めて保証される。

スタート助教授「死者の書は恐らく“生命局”と呼ばれる部門によって作られていた。恐らく大寺院の中の部門で、そこでは宗教にかんする学問が奨励され、儀式が企画され、葬儀の様式が決定されていた。」
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アニーは寺院の祈祷師に会って死者の書に関していろいろ話を聞いただろう。

デイビッド教授「死者の書を手に入れる方法は2つある。一つは特注する。特注だから大金を払う必要があったはずだ。書は注文者のためだけに書きあげられていた。もう一つの方法は、名前の部分が空白のまま書かれた死者の書を購入することだ。沢山の書が予め準備されていて、値段は安かった。購入したら、空白部に自分の名前を書き入れるんだ。」
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大寺院は祈りを捧げる場所であるとともにビジネスの場所でもあったのだ。
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祈祷師「アニーよ。我々の仕事の内容が判ったか?」
アニー「判りました。でも私に何が必要なのかについてはまだです。」
祈祷師「死者の書の巻物が造られている所を見せてあげよう。ここだ。この書だけがあの世への手引きとなるのだ。」

エジプトの巻物はナイル川に沿って生い茂っている植物パピルスで造られている。まず、パピルスの茎の皮をむき、芯を紐状にしたら叩いて薄く延ばす。
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エジプトの乾燥した気候の中でパピルスは安定した状態に保たれ、何千年ものあいだ劣化することはない。
死者の書の次の段階は各章をパピルスの上に書く作業だ。
カローラ教授「司書の仕事は古代世界では権力を持つ職業だったのよ。司書は知識を管理していたの。彼等は思い付きで記述するのではなく、子供の時から寺院や宮殿に設けられていた司書育成学校で厳格な教育を受け、何年もヒエログリフの勉強を続けたの。」
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「古代エジプトでは言葉そのものが創造的で不可思議な力を持っていたのよ。言葉はヨハネの福音書Gospel of Johnと同じような力をね(?何を仰りたいのか不明です)。死者の書は、言葉が持つ力を使って祝福されるべきあの世を創造することが目的だったのよ。」

死者の書の最後の仕上げは、持ち主自身の姿を描き込むことだった。その絵は不可思議な力を持ち、その人物の運命を決定すると考えられていた。
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祈祷師「聡明な男は望む限りの力を得ることが出来る。」

デイビッド教授「金持ちは、死者の書の作成の過程で、自分の姿を書の中に、絵に盛り込ませていた。そういった書は、とても価値が高いと考えられていた。」
死者の書を特注購入するとなれば、アニーの家族に大きな影響が及んだことだろう。何故ならそれはかなり高価だったはずだからだ。アニーの地位としたら、恐らく年収の半分が必要だった。
古代の記録によればアニーの妻はトゥトゥという名の女だった。二人は死者の書を手に入れるに当たって何度も話し合ったはずだ。新王朝の家族にとって、今の生活を将来の永遠のために当てるべきかどうかという選択は難しいものだっただろう。
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アニー「我々は死者の書を買わねばならないと思う。」
トゥトゥ「年収の半分もするのよ。今から少しずつお金を貯めていかなければいけないわ。死ぬのはずっと先なんだから。」
アニー「しかし、死は永遠に続くんだよ。」
アニーの永遠の命に対する強い願望は3千年後、収集家バッジがアニーの死者の書を手に入れたことで現実のものになった。

古代エジプト文明は死の文化だ。エジプト人の日常生活に関する遺物はほとんど残されていない。しかし我々は、彼らが墓に捧げた壮麗な努力や宝物や巻物やミイラ化された遺体については良く知っている。今、ファラオの信仰は21世紀の近代技術に出会った。
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これまで前例のない調査の中で、エジプト学者は最先端の医療科学を使って3千年前のミイラの調査をしている。
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デジタル技術によってミイラを傷つけることなく仮想解剖することが出来るようになった。
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ミイラを包む布の下では2千年前のお守りamuletが、死後の世界に襲ってくるはずの危険から死者を守っていた。

サリマ准教授「当時の人々が死体を布で巻く時は、体の前から背中まで、あちこちにお守りを飾り付けて死者をあの世で守ってやるの。このお守りと死者の書が強く働き合って、あの世で出会う危険から死者を守るっていう考えは素敵だと思うわ。」
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しかし何故、古代エジプト人は手間をかけてまでして死体を保護しようと考えたのだろう。

サリマ准教授「エジプト人が死体をミイラ化したのはあの世の生活を楽しむためには、肉体的な移動体が必要だと信じていたからよ。体を保存しておいて、後で魂をその体に戻してから、飲んだり食べたりしながら、永遠の命を今と同じように楽しく享受しようと考えたの。」

しかし死体をミイラ化するのは簡単ではない。
サリマ准教授「まず肺や肝臓や胃や腸などの内臓を取り出すの。」
内臓はコノーピックと呼ばれる儀式用容器に保管され、ミイラ埋葬時に遺体のそばに置かれた。
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内臓を取り出した後は、先が曲がった長いフックを鼻の孔に差込み、頭蓋骨の中から脳を取り出した。古代エジプト人は脳が重要な器官だとは考えていなかったので取り出した脳は捨てられていた。
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サリマ准教授「脳や内臓が取り除かれたら、そこに接着剤のようなものを溶かして流し込んで塗りたくったの。このおかげで何千年もの間バクテリアで遺体が蝕まれないことになったのよ。」

しかし心臓だけは遺体の中に残された。知性と感覚の中心的なもので、あの世でも必要だと考えられていたのだ。

サリマ准教授「死体は洗浄され、塩と焼成されたソーダの混合物の一種の重炭酸ソーダで40日ほど乾燥されたら体中に油を塗られ布で巻かれて葬儀に臨んだ後で埋葬されたの。」

ミイラ化は死者の魂が辿る長い旅路の始まりでしかなかった。エジプト死者の書だけが墓の向う側での唯一の手引書だった。
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紀元前1250年頃のテーベ:
アニーという名のエジプト人の司書は、あの世について真剣に考え始めていた。彼は死者の書が心に平穏を与えてくれると信じていた。

サリマ准教授「あなたが死んで、あの世に旅立つ時、その先にはとても危険が待っていたの。再び生まれて永遠に生きるためには、一連の試練をパスしなければならなかったの。死者の書は死者を守るために、その試練に対する答えを準備していたのよ。」
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ザヒ・ハワス博士「試練というのは永遠の命へ至るための質問だ。死者の書に書かれていることを知らなければ、死者はあの世に行き着くことが出来ない。古代のエジプト人にとって最も重要だったのは、あの世のことだったんだ。」

死者の書を手に入れるには大金が必要だった。従ってその購入を決める過程は難しくて複雑だった。186の選択すべき章があり、書を必要とする人の要望と予算に合わせ、いくつかの章を組み合わせて巻物が造られた。祈祷師は、注文主の意見を訊きながら、どの章が必要か、どの章を選ぶと好いかなど、相談に乗っていた。
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祈祷師「全ての死者は、あの世で唇が湾曲したカブト虫と出会う。カブト虫は餌の糞かのように死者を食べてしまう。また、全ての死者は神アミットと出会う。この神も死者の魂を食べようと虎視眈々と狙っている。巻物だけが、このような恐ろしい試練から死者を救うことができる。」

カローラ教授「私は時々、死者の書はお金をもうけようという意図で始まった少し特殊な副業ではないかと疑っているの。だからお金持ちの人に死者の書を持つべきだって勧めて、高い値段を押し付けていたんじゃあないかって。」

特定の個人が所有する死者の書を作るということはその人の地位の象徴としての意味もあっただろう。

スタート助教授「死者の書は一般人には極めて高い買い物だった。従ってこれまで見つかった多くの書もエリートたちに限られたものだ。」

これはエジプトの文化が始まったばかりの時代とは随分、異なっていた。当初はミイラ化と神々が暮らすあの世での生活はファラオ(王)だけに約束されたものだった。しかしアニーの時代になると、中間層や時には貧しい人でもあの世での生活を望み、そのために喜んでお金を出すようになっていたのだ。
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(mh:アニーのパピルス(巻物)に描かれたアニーです。)

ウィレック助教授「それはあの世の民主化を示しているって考えてもいいと思うの。なぜなら最初の書は王のためだけのものだったけれど、新王朝時代になってから高貴な人々だけでなく多くの人が手に出来るようになったんだから。」
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ザヒ・ハワス博士「最初は王のためだけだった死者の書が、新王朝時代には、死者の書は全ての人のために書かれるようになった。個人の墓からも見つかっているし高貴な人々の墓からも見つかっている。職工の墓からも。」

あの世に関する信仰は中流階級にも広がり始めただけではない。ある学者は死者の書はユダヤ教やキリスト教の経典にも影響を与えたと考えている。
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エジプト学者タマーラ「古代のキリスト教は古代エジプトの天国の概念に依る部分が大きい。その理由のひとつは初期のキリスト教関係者はエジプト人の祖先を持っているからだろう。従ってキリスト教におけるあの世に関する記述のオリジナルはエジプトに見つかる。あの世で、愛していた人々と一緒に過ごすという発想もキリスト教と古代エジプトの考えに共通している。」
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(mh:アニーのパピルスでアニーと妻トゥトウが描かれています。)

エジプト死者の書がキリスト教のイメージを創ったと思われる例もある。
カローラ教授「イエスを信仰する姿はエジプトの神オシリス(Osirisオサイリス)を信仰する姿と似ていると考えられているの。象徴的なものとしては、キリストが聖母メリーの膝(ひざ)に抱かれる姿は、オシリスの妻イシス (Isisアイシス)がその子ホルスを抱いている姿を象徴的に現したものではないかって。」
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死者の書とキリスト教聖書の関係に最初に気付いた人の一人がワリス・バッジだった。
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バッジ自伝「エジプト人は一人の神オシリス(Osirisオサイリス)を信じていたという事実が残っている。彼はこの世で悲惨な死を与えられ再生している。キリスト教のある宗派における見解と宗教的な考えがエジプトのものを直接的に受け継いでいることに疑いは無い。」
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サリマ准教授「人々の民族的、宗教的な信仰が、どの民族であれ、いつの世紀であれ、共通しているっていうことに気付くのは楽しいことよ。」

1887年、ワリス・バッジがエジプトに到着した時、エジプトは欧州連合によって統治されていた。5年前の1882年に国粋主義者による反乱の後、大英帝国とフランスが分担しながら植民地化してしまったのだ。当時の重要課題は運河だった。
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2つの国は数十年に渡ってエジプトの政治と経済を管轄し続けた。しかしその共同管轄は夫々にとって決して穏やかなものではなかった、特にバッジのような人物にとっては。バッジは大発見がルクソールであったという噂を聞き付け、フランス人のユージン・ガーブルと競うことになった。
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ガーブルはエジプトの骨董品局の責任者であり、バッジがエジプトの骨董品を海外に持ち出すことを取り締まる立場にあった。しかし、イギリス同様にフランスもエジプトの骨董品をパリのルーブル博物館に持ち出していたのだ。

バッジはもしエジプトの骨董品を持っていることが見つかればフランス当局によって逮捕されるかもしれないと感じていたが、そのリスクは喜んで引き受けるつもりだった。兎に角、早くルクソールに行って貴重な骨董品を手に入れねばならない。

紀元前1250年、アニーの家:
妻トゥトゥ「アニー、どうしたの、突然起きたりして。」
アニー「私は死にたくない。永遠に生きていたい。永遠の命を得たい。」
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もし古代のエジプト人が永遠の命を保証したいと望むのなら、答えはたった一つだった。死者の書だ。

アニー「巻物を手に入れねばならない!」
祈祷師「今それを買いたいのか?」
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死者の書は人それぞれで内容が異なっていた。

カローラ教授「我々が知る限り死者の書として使われるべき章は189章があるの。これら全てを収めた死者の書というのは今まで見つかっていないのよ。従って、私たちは注文主の神学的関心や好みによって編纂されていると考えているの。」

スタート助教授「死者の書の章には死者を悪魔から守る内容や二回目の死(mh;あの世でまた死ぬこと)から死者を守る内容が含まれている。」

エジプト人はあの世で厳しい労働に直面することになっていた。自分だけではなく神々のための土地すらも鋤(すき)で耕さねばならないのだ。
祈祷師「アニー、お前はそんな厳しい仕事をしたいと思わないだろう?」
アニー「したくはありません。」
祈祷師「ならお前にはシャブティshabtiが必要だ。あの世でお前のために働いてくれる不思議な労働者だ。」
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カローラ教授「第6章では死者が、労働に駆り出される時、自分のクローンを連れていき、彼等に仕事をさせることが認められていたの。だから死者の書を望む人は誰もが書の中に第6章を書き込む程重要な章だったのよ。クローン、つまりシャブティはメイドのようなもので、もし彼らが居なければ身の回りの世話も全て自分でやらねばならなかったってわけ。」
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サリマ準教授「エジプト人は心臓が最も重要な器官だと信じていたの。そこには魂があって命の源があって知性や発想などの全てが生まれる所だと考えていたの。ミイラ化される時でも心臓は体の中に残されていたのは、あの世に到るためにも心臓が必要だと信じていたからよ。」
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そんなに重要な器官なら特別な保護が必要だったはずだ。その保護は心臓スカラベheart scarabという形で現れている。
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デイビッド教授「心臓スカラベはスカラベ・カブト虫を象徴している。エジプトでの日の出はカブト虫、特に地平線から舞い上がる、羽を広げたカブト虫で象徴されていた。つまり心臓スカラベは日の出の象徴であり、死者の再生を象徴するものでもあったのだ。」
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サリマ准教授「スカラベの裏側を見ると死者の書に書かれている文章が刻まれていることが多いの。私は嘘つきではない、心は正しい、と言った内容がね。死者があの世で質問された時に、こっそりのぞき込む答えが書かれているのよ。経典のようなものね。心臓には現世の行いの善悪が現れていたっていう考えによるものだと思うわ。」
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祈祷師「巻物さえあれば、お前も永遠の命を生きることが出来る。」

死者の書と同じくらい重要だったのは壮麗な挿絵だ。
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スタート助教授「死者の書の中の挿絵は記述の内容を死者に
明確に判り易く示すために描かれた。つまり死後の世界で死者を守るためには重要なものだったのだ。」

アニーの巻物を仕上げるためには数か月、もしかすると1年ほどの期間が必要だっただろう。古代エジプト人にとっては、永遠の命を意味するものだったからそれくらい時間と労力を注ぎ込む価値があったのだ。我々は巻物が完成してアニーがどれだけ救われた思いをしたのか想像できるだけだ。
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(mh:アニーと妻トゥトウです。)

古代エジプトからは多くの巻物が見つかっている。しかし、間違いもほとんどなく、芸術的な美さえ備えた巻物といえばアニーの巻物しかない。

ジェイムズ・ヲッサーマンはグラフィック芸術家であり本の編集者でもある。
編集者ジェイムズ「私がこの巻物を見た時、息を飲んだ。信じられなかった。色彩豊かで映像のもつ不可思議さはとてもパワフルで、学ぶべきものが沢山含まれていた。」
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ジェイムズ・ヲッサーマンはアニーの巻物を採り上げた本を発行した。それは全長23mの巻物の全てを含んでいるだけではなく、記述の英訳も併記されていた。
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今ならアニーの死者の書を読むことが出来る、昔アニーが読んだであろうように。
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編集者ジェイムズ「もしこの本を読んで、そこにある挿絵も観たなら、この世を離れる嘆きと未練の感情を見るだろうし、あの世でモラルを調べられる試練に耐える心情を理解できるようになるだろう。このページではアニーと彼の妻トゥトゥが、最もドラマチックな事態に近づいていく様子が描かれている。」
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「アニーの心臓は秤(はかり)に掛けられていて、女神マーの真実の羽根と釣り合っている。もし彼の心臓の方が重ければ、彼は直ちに、この怪物アミートに食べられてしまうのだ。」
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古代エジプト人にとって死は再生の第一歩だった。アニーの妻が死んだ時、巻物は彼女の墓には埋められなかったが、彼女をあの世に導いてくれたはずだ。アニーの巻物の中で既に、二人はあの世の楽園である葦(あし)の草原で一緒に暮らすことが約束されていたのだから。

アニーの娘「悲しまないで、お父さん。私たちはお母さんのために全てをしてあげたんだから。お母さんは何も後悔していなかったと思うわ。お母さんは直ぐに葦の平原に到達して永遠の楽園での生活を楽しむことができるはずよ。」

1887年、バッジはルクソールに向かう途中、エジプト骨董品局のユージン・ガーブルの指示で逮捕されたが、バッジの助手ラムジーの機転によってまんまと逃げ失せることが出来た。バッジはラムジーに50ポンドの褒美を与えたらしい。バッジは既に“いかがわしい人物”との評判を得ていた。彼の骨董品収集手法は今日でさえ論争の対称になっている。

スタート助教授「バッジにとって問題だったのは、彼が考古学者ではなかった点だ。彼は手っ取り早く仕事を成し遂げるタイプで、規則を曲解し、お金を使って秘密の取引をするなど、倫理性に欠けている面を持っていた。」

カローラ教授「バッジに対して私は大英博物館の小さな控室に座っている年とった可愛い学者というよりもインディアナ・ジョーンズのような印象を持っているわ。」

しかし彼女によればバッジのようなやり方は当時なら一般的だった。

編集者ジェィムズ「失われ、破壊され、盗まれてしまった多くの骨董品のことを考えるなら、悪党かも知れないが、どこへでもでかけ、骨董品を買い漁ったバッジのような人物の方を好ましいと思うんじゃあないだろうか。何故って、彼は骨董品を保護するために買い集めたんだから。」

ザヒ・ハワス博士「バッジは彼が持つ影響力を使い、学者としての立場を使い、エジプトから沢山の骨董品を盗んで大英博物館に持ち出した。汚いやり方だ。」
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バッジ自伝「私がルクソールに着いた時には、仲介人たちは既にテーベの西の墓から沢山の価値のあるコレクションを集め終えていた。現地の人達は政府からの骨董品保護に関する要請を馬鹿にしていた。骨董品は既に市場に沢山出回っていた。しかし、お金はそうではなかった。」
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3千年前、ルクソールがテーベとして知られていた時、アニーの巻物は年収の半分の価格だっただろう。あの世で役立つのか、確かめられる時が来ていた。
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我々はアニーがどのように死んでいったのかを知ってはいない。しかし、彼がどのように埋葬されたのかについてはかなり明確な考えがある。国の司書だったアニーはエリートに属する男だった。彼の墓は綺麗に仕上げられ、その費用も高かったはずだ。

カローラ教授「ミイラ化には費用に応じて色々なやり方があったの。貧しい人は極めて簡素なミイラ化が行われ、別の人の墓やピラミッドのそばの砂漠に埋められて、隣人のおこぼれを得ようとしたのよ。多くの費用で葬儀を行う場合は、最大272日もかけてミイラ化して、棺桶coffinと石棺sarcophagusも準備したの。」

ミイラ化の後で、遺体は牛に牽かれる、船型の木のソリに載せられ、ナイル西岸の大きな集団墓地にある自分の墓まで連れていかれて埋葬された。
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エジプトの葬儀の絵によれば、嘆き悲しむ親族だけではなく、楽団や踊り子や祈祷師や職業的な泣き女が登場している。
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古代エジプトのファラオは手間がかかる墓に埋葬されている。最も古い墓は紀元前2千6百年前に造られたピラミッドで、新しくは王家の谷だった。王家の谷では5世紀の間、ファラオやその家族たちが埋葬されることになった。エリートや中間層の人間も彼等自身の墓や集団墓地を利用した。そしてこれらの墓には副葬品として宝石なども埋葬されたので、何世紀もの間、墓荒らしのターゲットになっていた。
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1887年、バッジがルクソールに到着した時、墓荒らしは昔から代々続く職業だった。
バッジ自伝「彼等はエジプトの宝でもある骨董品をカイロ博物館に収めるためではなく、生活のために売ってお金にする目的で墓荒らしをしていた。エジプト政府以外の者なら誰とでも取引するつもりだった。」

バッジの骨董品収集についての噂は墓荒らしたちも知っていた。彼等はルクソールの南のカーナKernaにバッジを案内したようだ。王家の谷に近い所だ。
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集団墓地があり、かなり計画的に盗掘が進んでいた。そこでバッジは見事な巻物に出くわした。ヒエログリフを解読できるバッジには直ぐにわかった。「死者の書だ!王の司書でアニーという男のために作られている!」
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バッジは直ぐに200ポンドを払って買い取った。バッジのようなエジプト学者にとって、巻物は魅力的な工芸品だった。

しかし古代エジプト人のアニーにとってはあの世への鍵となる書だ。

スタート助教授「エジプト人はあの世は危険に満ちた所だと信じていた。これは恐らく死の恐怖を象徴化したためだろう。」

古代エジプト人には死は旅の始まりで地獄への入口でしかなかった。

スタート助教授「死はエジプト人にとって打ち勝たねばならない危機だった。しかし彼等は楽天的で、必ず逃れられるものだと考えていた。」

死者の書では恐ろしい世界の様子が挿絵で示されていた。そこでは死者は恐ろしい生物に脅(おびや)かされる。
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スタート助教授「死者の書では挿絵がヒエログリフと共に使われていて、ビデオ・ゲームのような印象すら持っていた。敵を次々に打倒し、障害物を乗り越えて、新しい場面に進んでいく。良く知られている蛇の頭をもった悪魔に出会った時は、書に書かれているヒエログリフがもし綺麗なまま残っていれば命を得て悪魔を退治してくれた。」
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アニーを守る味方も死者の書に書かれている。

スタート助教授「ヌビスという神が現れ、死者を導いてくれると死者の書には書かれている。」
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デイビッド教授「ヌビスはあの世ではとても重要な神で、死者のミイラ化や埋葬儀式にも関与している。彼はいつも犬canineの頭をして現れる。ジャッカルや野生の犬を象徴していて、谷の隅の集団墓地の近くで暮らしている。死者にとっては守護神であり、あの世への案内人でもある。」

死者の書で最も重要な章の一つは“口を開ける”という不思議な儀式だ。
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アニー「死の神よ。止めて下さい!」
神ヌビス「お前の口は今、空いた。お前はもう喋ることが出来る。」

カローラ教授「私がこの章で好きなところは、口を象徴的に開けるというだけではなく、目も耳も開けるというところなの。とても哲学的な表現だと思うわ。」
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スタート助教授「“口を開ける”というのは精神としての死者の体を目覚めさせる意味がある。人は死んでしまえば、全ての感覚は一旦、閉じられてしまう。しかし、この儀式で魂の入れ物でしかなった死体が、見たり、捧げものを味見したり、香の香りを嗅いだり、祈りの言葉を聞いたりできるようになるのだ。」

神ヌビス「巻物はお前の旅の鍵だ。」
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死者には地下世界の中で目指すべき目的地がある。葦の平原だ。そこで死者は永遠に生きることが出来る。しかし、そこに行きつくには多くの危険が待ち構えている。死者が楽園に着くことを邪魔するのだ。
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ルクソールでは、バッジは骨董局の逮捕の手からかろうじて逃げのびて収集を続けていた。しかし彼のやり方は強力な敵を作り出していたのだ。バッジは、アニーの巻物をイギリスに持ち出す帰国の旅の準備をしていた。ルクソールを発とうとしていたその時、彼の旅は望んでいなかった客によって中断されてしまう。フランス人のガーブル骨董品局長だ。
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バッジは逮捕され、アニーの巻物を没収された上に牢屋に入れられてしまった。巻物はもう二度と彼の手に戻ることは無いかも知れない。

紀元前1230年のテーベ:
司書のアニーに永遠に葦の平原で暮らす権利があるかどうかを神が裁いていた。死者の書に書かれた章が攻撃を加えてくる悪魔を撃退してアニーを守っていた。

ある一つの章はアシャルーと呼ばれる死者を食べてしまう悪魔の神から身を守るために準備されていた。

アニー「砂漠を闊歩(かっぽ)する者よ。下がれ!お前の真の姿に戻れ!」
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地下世界は不思議な所だ。混沌と出会う場所だと考えられていた。死者の書には悪魔を退治する魔術を記載した章が沢山準備されていた。

3千年後の1887年、アニーの巻物は当局によって押収されバッジは牢屋に入れられてしまった。しかし、彼は突然、解放される。エジプト人の助手ラムジーが看守に賄賂を渡して牢屋を開けさせたのだ。自由の身になったバッジは直ぐにアニーの巻物を取り戻すべく動き出した。彼等に渡していては安全に保管される保証はない。ラムジーによれば没収された巻物は価値があると判断され、切り売りするために20枚のシートに切断され、没収された他の骨董品と共にルクソール・ホテルの建物と壁一つで隔てられている倉庫に保管されているという。
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バッジは自伝に、巻物を取り返す計画を書き残していた。
バッジ自伝「ホテルの壁ひとつ向うにそれが保管されている。私はホテルのマネージャーに自分の希望を伝えた。彼だけが望みの綱だった。“このままではエジプトの宝はフランスに持ち出されてしまう。何とかしてそれを阻止しなければならない。協力してほしい”。」

マネージャー「で、どんな協力をしろっていうのですか?」
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バッジはホテルの壁に倉庫に繋がる孔を明けるため、工夫を雇って作業の時期を計っていた。夜、一気に作業するしかない!彼の算段は成功するのか、それともアニーの巻物は永遠に彼の元には戻ってこないのか。

紀元前1230年のテーベ:
古代エジプトでは死によって命が完全に終わるわけではなかった。死は長い旅の始まりでしかない。アニーは巻物の指示に従ってあの世での旅を続け、ついに最後の試練の場所に到達していた。“審判の広間”だ。
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ここで彼は42のドアの向うにいる42の神々に出会う。各々の神の前で彼は異なる罪のいずれをも犯さなかったと申し立てなければならない。あの世における大きな試練のひとつだった。

オグデン教授「もし、質問への答え方を知らなければ扉を抜けて次の世界に行くことは出来ない。」

この42の試練は“否定の告白negative confession”と呼ばれていた。

スタート助教授「つまり、私はこんな罪、あんな罪を犯さなかったと証言するのだ。殺さなかった、盗まなかった、という具合だ。」
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この“否定の告白”の扉を全て無事に通るための手段は死者の書しかなかった。興味深いのは“モーゼの十戒”の内容が“否定の告白”の中に記されていることだ!
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死者の書から何百年も後に書かれることになった十戒は“否定の告白”の中から拾い集められたものだったのだろうか?

エジプト学者タマーラ「神はたった一人だという記述は“否定の告白“には無いの。一人の神だけが崇拝されねばならないと言う記述もないわ。しかし、十戒にある全ての“こうしてはならない”という命令dommandmentは死者の書に現れているのよ。」

カローラ教授「エジプトはモーゼの故郷なの。エジプトの死者の書や文化が聖書に色々な面で影響を与えたと考えることは不自然ではないわ。」

“否定の告白”がモーゼの十戒の基になったかどうかは別にしても、エジプト人は現世を正しく生きねばならないと信じていた。
サリマ准教授「死者の世界にいけば“お前は何をしたのか、何をしなかったのか”と問い質す神が沢山いるの。沢山の試験を受けることになるのよ。」
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ザヒ・ハワス博士「あの世についたら42の扉の全てを通り抜けねばならないのだ。巨大な神に護られた扉を抜けていくのは簡単な事ではない。」

それぞれの神は恐ろしい名前を持っていた。魂を飲み込む神、骨を粉々に砕く神・・・

アニー「私はその罪は犯しておりません。」
神「お前はこの扉を通ってもよい!」

こうして次々に扉を通り抜け、最後の扉を抜けると、アニーは神ホルスに出会う。オシリスとイシスの間に生まれた息子だ。彼がアニーを“審判の間”に案内してくれる。
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死者の書における決定的な瞬間は“心臓の重さ測定weighing of heart”だ。
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サリマ准教授「死者の心臓は死者の知識と感情の象徴なの。良いことも悪いことも心臓が重要な役割をはたすのよ。」

死者は心臓カブト虫のお守りをホロスに渡す。女神マーアートの一本の羽根の重さとお守りの重さを秤にかけて調べるのだ。

サリマ准教授「女神マーアートは真実、正義を測りの釣り合いで判断する女神なの。」
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カローラ教授「心臓が重すぎてはいけないし、逆に軽すぎても駄目で、釣り合いが完全に取れなければいけないの。もし死者の書に従わず、秤の釣り合いがとれなければ、死者はアミートの前に投げ出されて食べられてしまうのよ。アミートは鰐(わに)とライオンが組み合わされて生まれた生き物で、有罪とされた死者を瞬時に食べ尽くす恐ろしい動物なの。」
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石でつくられた心臓カブト虫が最後の試験にかけられる。永遠かそれとも消滅か。
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アニーが“審判の間”に到着した時、彼は自分の旅の最後の場面に来たことに気づいていた。最後の試験だけが残されていた。彼が望んでいる永遠を得ることが出来るかどうかが決まるのだ。
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バッジはエジプト当局から巻物を取り戻そうと画策していた。ホテルの部屋の泥の煉瓦の壁を打ち砕いて保管庫に続く穴を明けるのだ。

バッジ自伝「夜の静寂のなかで壁に穴を明ける作業の音は遠くまで響く恐れがある。保管庫の外で警備している男達は腹を空かせているに違いないから酒と食事を与えて油断させておこう。」
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ザヒ・ハワス博士「バッジはとても不思議な性格の男だった。良い面もあり、悪い面もあった。」

また捕えられる危険があった。しかし、バッジはそのリスクを冒すことをいとわなかった、得られる骨董品の価値はそれほどに大きかったのだ。
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バッジ自伝「彼らがうたた寝を始めると、私の仲間たちが壁に孔を空け、保管庫の中の骨董品を次々にホテルの部屋に移し替えていった。こうして我々は多くの骨董品と共にアニーのパピルス巻物を救うことができたのだ。」

3千年前:
死者の書はアニーにとっては測り知れない程に重要なものだった。“心臓の重さ測定”の試験に合格するための唯一の指導書だった。永遠の楽園へのチャンスは一度しかない。

アニー「私の心臓よ。この法廷で私を裏切ってはならぬ。私に逆らってはならぬ。神の名において、私について嘘を語ってはならぬ。」
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死者の書の手引きでアニーは“審判の間”における最後の裁きを乗り切った。彼の旅は終わり、試練は全て完了した。今から楽園である葦の平原に入っていくのだ。
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1887年、バッジも彼の旅を終えようとしていた。バッジと、彼が持ち出した宝物はナイルを下る船の上に在った。行先はカイロ、そして勿論、その先のロンドンだ。1887年末、彼は大英博物館に戻っていた、アニーの巻物の全てと共に。しかし、そこで彼が行った行為は考古学的な破壊としか言いようがない、と非難している人がいる。

編集者ジェィムズ「バッジは20のシートに分割されていた巻物を、更に細かく、章ごとに切り離してしまったのだ。
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切り取った各章を木製の板に貼り、翻訳に便利な形にしてしまった。確かに、解読には便利だったかもしれない。しかし、パピルスのもつ整合性integrityを永遠に破壊してしまったのだ。」

その後、彼は大英博物館のエジプト骨董品の管理者として余生を過ごした。彼が書いた100冊もの本のほとんどは今でも印刷され出版されていて、議論を巻き起こしている。

サリマ准教授「バッジはエジプト考古学者としては複雑な評判を得ているの。彼が産み出した物は多いけれど、彼の学究成果はそれほど深淵なものではないわ。アニーの巻物を持ち出したのも、間違いなく自分の欲望に従っただけだと思うわ。」
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ザヒ・ハワス博士「彼が多くの本を書いたことは評価してもよいかもしれない。重要なものもある。しかし、彼が盗人だったという事実は消すことが出来ない。」

バッジが学者だったのか、冒険家だったのか、それとも盗人だったのか、は別にしてもアニーの巻物はエジプト学に大きな話題を持ち込んだ。彼がエジプト死者の書を世界に紹介したと言っても過言ではないだろう。他の誰も、アニーの死者の書ほどに見事で完成されたものを、これまで見つけ出してはいないのだ。

バッジ自伝「博物館を訪れた何百万もの人はアニーの巻物を見て感動している。アニーが何者かについては詳しくは知らないが、彼が私を祝福してくれることを望んでいる。」
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カローラ教授「私は、生と死は人間の長年に渡る疑問だと思っているわ。死者の書は長い間、この疑問に関わってきたの。でも、エジプト人が死者の書を描いたのはあの世のためではなく、今の命を崇拝していて、それが続いてほしいと思っていたからじゃあないかと思うわ。今の世を充実して生きるための書なのよ。」
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最終的には、エジプト死者の書は現在を生きるための手引きだったのだ。地上でどのように生きていけばよいのか、あの世を獲得するため、モラルと倫理に従って今を生きるように教えている。

しかし古代エジプトの不思議は残されたままだ。それはエジプトの死者の書の中に今も残されている。生と死の、そしてその後の永遠の不思議。信仰、希望、想像的作業、そして心、だけが理解できるかもしれない不思議だ。
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Documentary ancient Egyptian - The Egyptian Book Of The Dead
https://www.youtube.com/watch?v=LCO53xH5adg&nohtml5=False

以上で2週間に渡るチベットとエジプトの死者の書シリーズは終わりですが、人は死ぬとどうなるのか、どこに行くのか、について明確な答えを得られましたか?まだモヤモヤしてるっていうんですか?

我が尊敬するお釈迦様はどうだったかっていうと、既にご紹介済みですが、若かりし頃は“何故、人は、自分は死ななければならないのか”を理解できず悩んでいたんですね。でも菩提樹の下で瞑想して悟ったんです。死について考える必要はなく、考えるべきではないと。そんなことより、今を大切に生きることを考えろ、って仰ったんですね。卓見だと思います。キリストやアッラーなんかよりずっと頼り甲斐がある人だと思いますねmhは。

ということで、今後も、楽しい人生を送ることだけを考えて過ごしたいと思います。みなさんも是非、工夫して楽しい生活を送って下さい。そうそう、出来たら、自分だけではなく、家族や友達や同僚なんかも楽しくさせてあげて下さい。人生の至福を体験できること受け合いです。このブログを読んで、もし面白かったって感じて頂けたなら、mhとしては本望です。ここまで読むのに疲れた!と思われた方はご愁傷さまでした。懲りずに、今後もよろしくお願い致します。
(完)

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mh徒然草103: 異国の日本


7月29日の今日、時間が有り余っているmhが、いつものようにネット記事をサーフィンでmh徒然草のネタ探しをしていると
「養育費の受け取り、母子家庭の2割 不払いが見過ごされている背景」
との見出しが目に入りました。
「ひとり親家庭の貧困率が54・6%(2012年)と深刻だ。背景には、その8割を占める母子家庭の就労環境の厳しさとともに、離別した親からの養育費が得られていないことがある。11年度全国母子世帯等調査によると、養育費を受け取っている母子家庭は20%、父子家庭は4%にすぎない。なぜこんな状況が見過ごされているのか。」 

海外では養育費の支払いをさぼると厳しい罰が課されます。
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しかし
「日本では、12年度から離婚届に、養育費取り決めの有無についてチェック欄が設けられたが、強制ではないし、内容の確認もないため実効性に乏しい。不払い時の強制執行も、離婚時に2人で公証役場に行き、養育費に関する合意書を証書で残すなどした、ごく限られた人しかできない。」
「養育費不払いは約20年前から指摘されてきたのに進展がないのは、日本では選挙の争点にならず、政治課題に上らないからだ。今の政権は父、母、子という「伝統的家族」に重きを置いている。国民の間にも、戦前の「家」制度に基づいた家族観は根強く、離婚で他方の親が引き取った時点で「別の家の子」となり、「養育費はその家が何とかすべきだ」と考える人が少なくない。3組に1組が離婚する時代になってもなお離婚がタブー視され、「好きで離婚したんだから」と問題が放置され、その陰で子どもたちが泣いてきた。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160729-00010001-nishinp-soci

厚生労働省の資料によれば、離婚で子供を引き取る割合は、夫1に対し妻5~6で、妻が引き取る方が圧倒的に多いようです。
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その理由は明記されていませんが、mhが思うには、夫は仕事、妻は家事の家庭が多く、離婚後でも夫は仕事を続けて子供の養育費を稼ぎ、妻は家で子供の養育を継続するパターンを引きずっているからでしょう。離婚して子供を引き取った妻は、夫からお金を貰わなければ子供の養育どころか食費の確保もままならないわけですが、離婚後に夫が養育費とともに母子家庭の生活費を支払うケースは稀でしょうから、妻は子供を養育しながらパート仕事などをして生活費を稼がねばなりません。子供を引き取るのが夫の場合も、自分と子供のために働いてお金を稼がねばならないのは同じですが、女が子供を引き取る方が多く、かつ離婚時に専業主婦の人は多いでしょうから、女の負担は計り知れません。

生活費を稼ごうとパートをしても女の賃金は男より20%低いのです。
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ネット記事によれば、母子家庭の母のみの平均年収は200万円以下だと言います。月平均収入は16万円ってことですね。都会でアパート暮らしなら家賃は6万円くらいでしょうから、10万円で食費や学費、衣類などの消耗品、電気・水道・ガス、それに電話料金などのインフラ費用を支払わねばなりませんが、どう見積もっても不足です。よって、別れた夫から養育費+αを貰えなければ生活保護を受けるしかありません。

こんな状態なのにもかかわらず、養育費を支払わない夫がいても、法的に強要できないとは、日本という国は、一体どうなっているのでしょう。よその国のように給料天引きを制度化すべきだと思いますが、何故、しないのでしょう。

ニュース記事では、国会議員の関心が低いせいだと言います。しかし、国会にも女性議員がいるのですから、彼女たちが団結して立法化を目指せば、男性議員も反対できないでしょう。

恐らく、女性は控えめであるべきで、それが女性の美徳で、そういう風土があってこそ、世界でも優れた日本の文化が維持されるのだ、と考えている女性議員や男性議員が多いからでしょう。もっと平たく言えば、女の方が男より地位や手当や権力が高くなれば、他国に誇れる日本の良さは無くなると考えている国会議員が多いのです。よって、母子家庭の悲劇も国会の話題にならないのです。この傾向は日本国民全体にも言えるのではないかと思います。

だとしたら、その考え自体が、日本が国際化していない証拠です。男女格差を保って日本の良さを維持しようという発想が反国際化そのものです。その点、外国では話が分かりやすく、男女差ではなくて能力差で判断します。体力的に劣る女性には体力仕事ではハンディを与えるだけの思いやりも示します。

以前のブログでも書いたように、日本は極東の、世界から一番遠い島国なので、国際化が叫ばれる今も、発想はちっとも国際化していません。英語も得意ではありません。国際化が良いことだ、必須だ、とは言いませんが、他国の制度や生活習慣や考え方を学び、正しければ受け入れる度量を持たない日本は世界から孤立した“異なる国”になっていくのです。

姫神「神々の詩」
https://www.youtube.com/watch?v=_qtfW6ihnPE
mh:歌詞は縄文語だといいます。浪漫がありますね。しかし、Wikiによれば縄文人が使っていた言葉は定かではなく、検証不能です。解析できたら楽しいでしょうね。
御参考までに縄文語に関する考察をご紹介しておきましょう。
http://homepage2.nifty.com/natsu-s/natsuiro/kokugo/joumongo.htm
(完)

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チベット死者の書の不思議


「人はどこから来て、どこに行くのか?」と書き始めたところで、今日(6月28日)が火曜日で、近くのスーパーの玉子特売日だと思い出しました。早速、ショッピングバッグを肩に、開店10分後に入店して、玉子と、これまた特売のレタスをゲットしてきたところです。1個99円のレタスが山積みされた場所にはおばさんとおばあさんが群がっていて、次々にレタスを掴んでは少し開き気味の外葉を取り去って近くに置かれた段ボール箱に投げ入れています。芯だけ買うのかと思いきや、段ボールに溜まった外葉も一緒に買い物籠に入れてレジに向かいました。結局、1個のレタスの代金で、1個の芯レタスと、沢山の外葉をゲットするんですねぇ。浅ましいとしか言いようがありません。mhの家では、少し固くて虫が食っている外葉だってきれいに洗って御馳走にさせて頂いていますから、人様が購入するレタスの外葉を勝手に取り去ってしまう行為は、言語道断で、許しがたく、気の短いmhにはとても受け入れがたい事態です。だからと言っていちいち文句を言っても聞いて頂ける雰囲気ではありませんから、mhとして出来る抵抗は、彼女らの頭越しに手を延ばし、外葉を取られる前のレタスをサッとゲットすることしかありません。

人様が買うレタスの外葉までもぎ取って、自分のレタスを膨らます人は、僅かな年金でその日暮らしを強いられ、「自分はどこから来て、どこに行くのか」なんて能天気なことを考えている暇などないのだろうと思いますが、中には内緒で沢山の箪笥貯金を持っていて、余命も少ないのに、まだお金を貯めたいっていう欲張りもいるかも知れません。食費にまわす費用に事欠いている人だとしたら同情に値しますが、もしガリガリの金銭亡者だとしたら許せません!

話がとんでもない方向にそれてしまったので、一旦、元に戻しましょう。
「人はどこから来て、どこに行くのか?」

どこから来たのかについては、客観的な説明ができそうです。つまり、人は「無」からきたんですね、ビッグバンが人の始点です。137(138?)億年前、「無」の中で“大きな爆発ビッグバンBig Bang”が起き、宇宙が生まれました。爆発で生まれた宇宙は、当初、急速に膨張し、その後は、一定の速度で膨張を続けているようです。Wikiで見つけた、宇宙の大きさの変化の概念図をご紹介しておきましょう。
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大爆発が起きたのは上の図において、左側で明るく光っている時点です。13.7十億年を経過した今も宇宙は拡大を続けています。宇宙の未来は不透明で、ある時期、拡大は止まり収束して無に帰し、再びビッグバンを繰り返すという考えもあるようですが、どうなるんでしょうねぇ。

で~人が生まれる種は、このビッグバンだと断言してもよいかと思います。ビッグバンから生まれた物質が地球を、生物を、人間を産み出したのです。よって、人間はビッグバンから始まったという見方だって間違いではないでしょう。

しかし・・・生み出された人間は、お釈迦様も仰ったように、必ず滅する、つまり死ぬ運命にあります。短い人生ですが、有意義に過ごしたいものです。

で~誰も逃れることができない運命の死ですが・・・死ねばそれで全くの無に帰すのか?それとも別の世界にいく(他界する)のか?それとも生まれ変わる(輪廻)のか?

我々の関心は、我々はどこから来たかよりも、死ぬとどうなるのかに向きがちで、長い間、多くの人間が考え、悩んできました。そして、くつかの見解が提示されています。

Wiki“死生観(しせいかん)”によれば、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教においては、人は死んでも永遠に墓のなかで眠るのではなく、(世界の)最後の日に呼び戻されて“最後の審判”を受け、永遠の生命を与えられる者と地獄へ墜ちる者とに分けるという「復活」思想があります。生前、善い行いをしていれば、死後の遠い将来である、世界の終わりの日、神によって救われるっていうんですね。

で~我が日本の死生観はどうかっていうと、『日本書紀』に根の国、古事記には黄泉国という表記で表される地下の世界があって、イザナギ(伊邪那岐命、伊耶那岐命)とイザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美)にまつわる話がよく知られている、といいます。黄泉国に先だった妻イザナミに会いたくてイザナギが訪れると、そこに腐敗したイザナミを見て、慌てふためいたイザナギはこの世に逃げ戻るって話のようです。
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我が国の仏教には、死ぬと地獄か極楽浄土に行くっていう向きの話もあるようですが、それを明確に記した経典は恐らくないはずです。お釈迦様は、死後の世界について一言も仰らなかったようですし、輪廻転生という生まれ変わり思想はお釈迦様が生まれたインドでヒンドゥ教を中心に根付いた概念であって、お釈迦様の直接の教えではありません。

しかし・・・お釈迦様を崇拝するチベット密教には、死後の世界を解説する経典があるんですねぇ、“死者の書The Book of the Dead”と呼ばれています。エジプトでも3千年程前に生まれた死者の書がありますので、区別するために“チベットの死者の書Tibetan Book of the Dead”と呼ばれます。
(以降は“チベット死者の書”とさせて頂きます。

今回はこれを紹介するYoutube「Secret Tibetan Book of the Deadチベット死者の書の秘密」です。
・・・・・・・・・
それは世界で最も神聖な書の一つだ。ダライ・ラマにとって重要な経典の一つでもある。臨死患者が医学的に死んでいる状態で体験する現象の解説書でもある。8世紀に書かれたチベットの死者の書は死者を導くガイド本だ。我々が死後の世界で出くわすことになる旅の地図だ。
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作家マイケル・ダンハン「私はチベット死者の書は“手引き書how-to book”だと言えると思う。」
それが西洋文明の人々の想像力をどのようにして捉えることになったのだろう。
作家ブライアン「その本を手にした人は誰でも何かを学んだはずだ。ある種の普遍的な知恵がそこにある。」
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死者の書は、生きると言う事について何を語っているのだろう。
僧侶「生きている我々が自由を得るための手段でもある。」
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これらの内容が我々を魅了する。もし古代のチベットの文化が正しければ、チベット死者の書は死後の世界への鍵であり、人類の最も古い質問に対する答えだ。
「過去を解く;チベット死者の書」
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死・・・人類の最大の不可思議だ。シェクスピアは「いったら誰も戻ってこない見知らぬ国」と呼んだ。あらゆる文明で、死は探求されたが、その最終性finalityに人々は当惑し、誰もその不可思議を解き明かすものは現れなかった。
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しかし、世界の片隅ともいえる僻地に暮らす人々は、死後に何が起きるのかを自分たちは明確に知っていると信じている。
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答えは1千2百年前の不思議な経典“チベット死者の書”の中に記されているという。
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僧侶「チベット死者の書は旅行ガイドブックのように理解可能だ。生命の究極の意味と死後の世界の体験を見出すことが出来る。」
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作家マイケル「チベットの死者の書は最初の手引書、つまりマニュアルだと思う。死者があの世を旅するための助言が記された案内書だ。」

何世紀もの間、この本は禁断の王国として知られる隔絶された地域の中で秘密のベールに包まれていた。
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20世紀初頭、一人のアメリカ人が精神的な探求の旅に出た。名はウォルター・エヴァンズ・ウェンツWalter Evans Wentzという。彼は、古代の知恵を求めてオックスフォード大学で民俗学を学んだ。たった一人で、ヨーロッパ、アラビア、インドを抜けて旅をし、最後にチベットとヒマラヤの境まで来た。
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そして、そこの小さな王国で、死後の世界の不可思議を知っていると主張する本を最初に読んだ西洋人になった。
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作家アラン・ウォーレス「深淵な精神的な経典だった。同時に体験的な挑戦を強いているものでもあった。科学的な方法とは異なっていた。哲学的な解説書だった。」
エヴァンズ・ウェンツは3年かけてその経典の翻訳を手伝い、1927年、英語版として出版した。
今日、この驚くべき内容の本は何か国かの言語に翻訳され、大きな書店ならどこででも手に入れることができる。その内容を支持する人々はハリウッドの俳優からダライ・ラマまで、広範だ。
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8世紀に書かれたチベット死者の書は、誰もが死後の世界で苦悩し体験する、チベット人が“バードーBardo”と呼ぶ苦悩に関する正確な解説書だ。
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僧侶「彼らがこの世を去ると、生まれ変わるのだが、それまで彼らが死と生の間で生活を送ることになるどこかの場所、それを我々チベット人はバードーと呼ぶ。チベット仏教では、この世は重要だが次の世ほど重要ではないという点を重視している。」
(mh:かならず生まれ変わる前提で、次の世をもっと良くするために今の世があるとの発想です。)

興味深いことにチベット死者の書に記された物語は、手術台で医学的には死んでいると宣言された人々が体験する、いわゆる臨死体験の近代的な解説と整合しているように思われる。
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作家マイケル「私はそれらの類似性に背筋がぞくっとした気分だ。臨死体験した誰もが、ぼんやりとした明かり、白っぽい明かりについて語っている。チベット死者の書でも白い明かりの存在が明確に記されている。」
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死者の書は、その明かりについて正確に明確に記している。
“気高く生まれ来たりし者よ。死と呼ばれるものが今やってきた。純粋の現実の明確な光の輝きを体験せよ。”
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作家マイケル「それはとても魅惑的だ。臨死について興味深いことは、彼らがその光の方向に行きたがり、医師が彼らの意識を取り戻させると、彼らは光から離れてしまい気落ちしたような感じを持つと言う事だ。」

近代西洋の都市にいようが、人里離れたチベットの村にいようが、全ての人類にとって共通のひとつのこと、それは死の不可思議だ。
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チベットの田舎の小さな村に死は訪れた。それは昨日だったのかもしれないし、何世紀以上も前だったのかも知れない。チベットでは死の儀式は少なくとも6百年以上も同じまま残っている。
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若い男が村で死んだ。家族は彼が逝ったことを嘆き悲しみながらも葬儀の準備を始めている。母親は地方の仏教徒、ラマ僧侶、を呼び寄せるために人を送った。
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僧侶はやってくると、チベット死者の書を読むために死体の脇に座った。僧侶たちの言葉は恐ろしい死後の世界で死者を導くためのものだ。
“気高く生まれ来たりし者よ。この世を離れるのはお前だけではない。死は誰にでも訪れるのだ。”
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その体験は恐ろしいものだろう。
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僧侶「バードーBardoでは、死者は様々な明かり、様々な映像を見、更には多くの困惑、恐怖をも体験する。」
その時、チベット死者の書だけが魂を新しい世界に安全に導くことが出来る。

本が持つ力を理解するには、まずその発祥について知っておかねばならない。チベット人は仏教体系を実践している。アジアにおける偉大な宗教のひとつだ。
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インドの聖人で信仰者たちから仏陀または覚醒者として知られる男の教えによって、キリスト誕生の5百年前に始まった。
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作家アラン「仏教は2千5百年の伝統を持つ古い教えで、長い時間をかけて様々な文化の中で拡散し、同化してきた。1千5百年前のアフガニスタンから北朝鮮やシベリア、東南アジアやスリランカ、中国そして勿論チベットまで正に多様な文化の中に溶け込んでいった。しかし、その多様性や広範な教えにも拘わらず、仏教の伝統の中にはいくつかの核になるものがある。“これが仏教101(注)だ!”と言えるものだ。」
(mh:101は入門書の意です)
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仏教の基本的な信仰は単純で、しかし深淵な真実だ。人生は苦悩sufferingに満ちている。仏教徒によれば苦悩は欲望と無知によって引き起こされる。しかし、苦悩は瞑想、学習、慈悲によって取り除くことが出来る。
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僧侶「私が思うには、それは宗教というよりも哲学だ。しかし我々は2つのことに重きを置いている。ひとつは慈悲で一つは知恵だ。この2つを獲得出来れば覚醒したと言えるだろう。」

あらゆる形態の仏教の中心を形成する概念に輪廻がある。死後にまた生まれ変わるという発想だ。
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その考えに基づいて、カルマという概念が生まれた。この世における善行と悪行によって次の世界が左右されるという考えだ。
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メッツナー教授「チベット仏教徒は悪いと思う事をすると、この世で罰せられないかも知れないが、カルマによって必ず裁かれることを知っている。だから悪いことをしてはならないと考える。」
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仏教の最終目標は永遠に続くカルマの回転から解脱し、苦悩から解放されることだ。チベット死者の書は“手軽な解放shortcut of liberation”を確約している。
作家ブライアン「我々には死者の意識をより良い世界に導く技術があると言っているのだ。」
1920年代に英語に翻訳されて出版されるまで何世紀もの間、チベットの死者の書はヒマラヤという山岳地帯の広大な自然の中で完璧に守られてきた。
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作家ブライアン「1927年以降、他の6カ国くらいの言語に翻訳されて印刷出版されるようになって、西洋の発想が取り入れられだした。」

本は1964年に更に有名になった。サイケデリックな指導者ティモシー・リアリーTimothy Learyがチベット死者の書を再翻訳し、LSDのトリップを説明する理想的な解説書であると主張したのだ。
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チベット死者の書はビートルズの歌やハリウッド映画やポップ文化のスローガンやファッション・デザインの中に浸透していった。
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しかし、それら全ての裏側には古代文化の単純で力強い不可思議があったのだ。
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作家アラン「死後に何が起きるかを知ることは、現実的に可能かもしれない。そこには偉大で不思議な知恵というだけではなく、意識というものの特性の実証的な内面が在るのだろう。 死のかなたにおいても、死者の意識は続いているのかもしれないのだ。」
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世界の片隅で生まれた、この古代の経典は、人類の最も古い質問に対する答えを持っているのだろうか?
僧侶が死者のために読経を始めると、死者の魂は恐るべき旅を始める。墓場の向うの世界で彼を導くものは一つ、チベット死者の書だ。

死はどの家にも訪れる。しかしチベットでは死と葬儀は世界のどの葬儀の伝統とも異なる。それは死者の脇で僧侶が読経することから始まる。僧侶が読み上げるのはチベット死者の書だ。それはバードーと呼ばれる死後の世界のいくつかの段階を通じて魂を導く。
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“気高く生まれ来たりし者よ。今が死の瞬間だ。注意して聴け。3つのバードーを経験するだろう、それを覚えて置け。恐れるではない。”

作家アラン「魂は家とか仕事場など、死者が良く知っている場所に舞い戻ってくると言われている。魂は死者が愛していた人々の周りを浮遊し回っている。」 
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作家マイケル「家族がしなければいけない最も大切なことは“何も心配する必要がないから、バードーであなたがしなければならない事に注力するように”と静かに魂を宥(なだ)めることだ。」 

死から数日後、死体は専門家によりチベットの葬儀方法に従って埋葬準備される。
作家ロバート・ターナー「チベットの伝統的な葬儀方法では、家族の要請を受けたラギャラーと言われる特別な身分の人が死体を処分する。」
伝統によれば死体は胎児の姿勢をさせられる。その時、背骨は折られ、手足はまとめて縛り上げられる。こうして、死体が半分ほどの大きさまで縮め上げられたら、布でしっかり巻いて小さな担架に固定できる状態にする。
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チベットの伝統的な葬儀は鳥葬sky burialとして知られている。布包みは人里離れた場所に運ばれて置き去りにされ、死体はハゲタカの食糧に提供される。
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作家マイケル「西洋人の発想ではぞっとするおぞましい方法だが、一方ではとても現実的な考えだと言える。チベット人は、死んでしまえば、もう肉体には価値がないと信じている。となれば、この世を去るに当たり、自分の肉体を他の生き物に与えるほうが良いという発想だ。」これが肉体の最後だ。しかし魂の終わりではない。
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その後の7週間の間、僧侶はチベット死者の書に書かれた経を読み続け、死後の世界、つまりバードー、の中で彷徨い続けている魂を導くのだ。

“気高く生まれ来たりし者よ。この世にへばりついているなかれ。落ち着きなく彷徨い続けるなかれ。恐れるなかれ。”
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チベット仏教の形式は他の偉大なアジアの宗教形式とは異なっている。
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メッツナー教授「チベットの死者の書はチベット人仏教徒のヨギyogiや瞑想者達の何世紀にも渡る体験に基づいている。地球に生まれた教えの中でも精神的に高度なものだと言える。」
チベット仏教が他と異なるもののひとつに、砂の曼荼羅がある。
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宇宙を、色の付いた砂で幾何学的に表現したものだ。それを創り上げる作業は瞑想の一つの形態だ。知恵を別の形で表現したもので構成されている。この美しい芸術作品を一つ仕上げるのに何人かの僧侶で数週間もかかることがある。
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僧侶「物理的な構造は僧侶たちの覚醒の度合いを表している。もし正しく、完璧な動機を持ち続けて描くことが出来れば、その曼荼羅に生命の力を与えることが出来る。」
砂の曼荼羅は生命の象徴だ。この複雑な芸術作品は、完成すると直ちに破壊されてしまうのだ。それは短い生命そのものと確実な死という意味深長な象徴なのだ。
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チベット人の信仰の中心にある死と輪廻はチベット死者の書の中に秘められている。
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しかし、本が造られることになった経緯は、記されている死後の世界の解説と同様、奇妙で当惑させられる。それはチベットからインドに旅をした、不思議な力を持つ不思議な人物とともに始まる。
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彼の本当の名前さえ知られていないが、何世紀もの間、パドマサンバヴァとして知られていた。「蓮華に生じた者」という意味だ。
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作家マイケル「パドマサンバヴァはパキスタンの北西端地方で今のスワ・バリーか、今のアフガニスタンで生まれた。彼はインドを訪れ、彼が持つ魔力でスーパースターになった。」
西暦750年、ヨーロッパではバイキングたちが英国の海岸に侵攻し、大陸ではチャーレマグネ(Charlemagneカール大帝)が戦好きの部族を束ねて王国を造り上げていた時、アジアでは仏陀は既に12百年も前に死んでいた。彼の教えはアフガニスタンから日本まで広がっていた。そしてヒマラヤの人里離れた高原にパドマサンバヴァが仏教の教えを携(たずさ)えて現れた。彼の最初の任務はチベットで悪行を働いていた悪魔たちを不可思議な力によって打ち負かすことだった。
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作家ブライアン「彼は悪魔たちを打ち負かしただけではなく、力を持って悪魔たちを仏教徒に改宗させた。以来、これらの土着の魂というか悪魔たちはチベット宗教の中で、仏教の守護者としてのある役割を担うことになったのだ。」
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悪魔たちを鎮め、改心させたことに加えて、パドマサンバヴァは奇蹟を施した。病人を回復させ、未来を予言し、彼に従う者たちに空を飛ぶ方法を教えることすらも行ったという。
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しかし、パドマサンバヴァの最も偉大な挑戦は死を打ち破ることだった。西暦800年頃、このインドの聖人パドマサンバヴァは死と再生の過程に関する特別な指導書を書き上げた。彼はそれをバードートードゥと読んだ。
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あの世で聞くことになる解放の書だ。それは存在するどんな仏教経典と似ても似つかないものだ。

作家ロバート「死や再生についての知識を持ったインド人でさえ、死に対する、良く知られた本を持っていない。それを持っているのはチベット人だけだ。」

本が持つメッセージは力強く、そこに書かれた指導内容はとても重要なものだったので、パドマサンバヴァは“危険すぎる”と考えた。
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作家ロバート「チベット人は、まだこの教えを受け入れられる体制にないと彼は考えた。彼らは別のものとして誤解してしまうに違いないと。何かのカルトの目的で、降霊術士などによって過って使われてしまうかも知れないと。」

作家ブライアン「伝承によれば、パドマサンバヴァは、彼の教えをどこかに隠してしまうことにした。将来、その場所が判るような予言を残して。伝承によれば彼は人里離れた奇妙な場所の、石を積み上げた中に経典を隠した。」
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パドマサンバヴァは西暦800年頃に死んだ。彼が成し遂げたことは素晴らしいものだった。チベット全体を軍隊の帝国から地上でも最も精神的な社会に変えたのだ。
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しかし、彼の最も偉大な仕事は消えてしまった。残されたのは秘密の予言だけだ。そして、その予言は600年後に実現する。
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チベットの村で若い男が死んだ。死者は49日の間、チベット死者の書の読経だけに導かれて死後の世界を彷徨うと言われている。チベット死者の書には3段階のバードーが解説されている。第一のステージである死の瞬間、明るく輝く白い光に出合い・・・
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死者は第二のステージ、平穏な神々の段階、に入る。
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“気高く生まれ来たりし者よ。お前が、女の配偶者ローチャナ神と性結合しているバジラサトラ神になる前に、知恵の白い光がお前の上で明るく、はっきりと輝くだろう。”
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穏やかな神々の一人一人が魂を楽園、神々の喜びの中心、に導いてくれる。しかしこの神々は罠にもなり得る。
メッツナー教授「もしあまりに誘惑され過ぎてしまうと、それに溺れてしまう。」
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“気高く生まれ来たりし者よ。神々の柔らかい光に誘惑されるでない。それは解脱には障害なのだ。”
バードーの最終目標は覚醒の達成で、神々の悦楽を追求することではない。もし魂が平穏な神々が仕掛けた試験に失敗すると、激怒の神々に出会うように強いられてしまう。
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仏教僧の読経だけが彷徨える魂を乱暴な神々のバードーで正しい方向に導くことが出来る。最も手が込んだバードーの写実は、あの世を3次元で小型化して表現した曼荼羅だ。
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この見事な彫り物はチベット死者の書をリアルに表したものだ。
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目的は、死者の書と同様、生きている人が次の世のために準備するのを手伝うことだ。
作家アラン「もし教えを熟知し、生前にバードーについて学ぶことが出来たら、バードーの世界に潜り込み、どんなところかを予め実体験することが出来る。“恐ろしいところじゃあないな”と。」

あの世についての、この手が込んだチベット芸術は8世紀に初めて生まれることになった。
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そしてインドの聖人パドマサンバヴァによって書き写されて神聖な経典になると、彼は、不釣り合いな人々の目から隠すため、予言で600年後に見つかるまで、経典をある場所に隠してしまうのだ。
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作家ブライアン「14世紀の初め、この経典が見つかったことが確認されている。パドマサンバヴァが8世紀に隠してしまった彼の教えは、タートゥームと呼ばれる宝物探求者によって見つけ出された。見つけたのはカーマ・リンパと言う名のタートゥームだ。彼は経典が隠されている場所を示す地図を見つけ出したと言われている。
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作家ブライアン「興味深いことは、地図は預言で指定されたこの男以外の誰も読むことが出来ない文字を使った暗号で描かれていたということだ。」

1350年頃、カーマ・リンパは地図に従ってヒマラヤのギャンパダー山地にやって来た。
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そこで彼は長い間、隠されていたあの世への手引書を掘り出した。死者の書の発見はチベット仏教に重大な影響を持つことになった。
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その後の数世紀の間、本は伝統的なチベットの葬儀における死と再生の究極的な不可思議への鍵となる標準的な経典になった。
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しかし、チベットとその精神的な遺産は20世紀になるまで、他の世から隔離されたままだった。死者の書の物語の西洋への旅は、東洋の知恵を探求しようとしていたアメリカ人の学者が1919年にヒマラヤの麓に踏み込んだことから始まる。
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作家アラン「ウォルター・エヴァンズ・ウェンツWalter Evans Wentzはとても風変わりな、興味深い、そして洞察力のある人物だった。彼はとにかく理解者で、チベット仏教に強く魅惑された。」

1878年にニュー・ジャージで生まれたエヴァンズ・ウェンツはオックスフォード大学でカルト神話を学んでいて、第一次大戦直後に彼がアジアにやってきた時には、既に名の知れた作家だった。しかしチベット国境に到達した最初の西洋人として、彼は深い精神的な文化に驚愕することになった。
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仏教の瞑想について勉強していた時、あるチベット人から妙な書類を見せられた。そこにはチベット仏教で最も偉大な精神的不可思議が書かれていると教えられた。死後の世界の不可思議だ。

ウェンツは直ぐに現地の瞑想指導者を見つけ出し、彼の翻訳を手伝ってもらうことにした。そして彼は深淵なる精神的教義を発見したことを確信し、それを外部の世界に伝えることが自分の役目だと感じた。
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“この経典は悟りを得るための至高の手法を表している。この本は知恵を求める人々のために書かれたものと言ってもいいだろう;ウォルター・エヴァンズ・ウェンツ”
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1927年にエヴァンズ・ウェンツがチベット死者の書を発行した時、精神的な探求者の数十人くらいは関心を持ってくれるのではなかろうかと考えていた。しかし彼は間違っていた。
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作家ブライアン「1927年の状況を我々が調べた限りでは、本は大ヒットした。カルトや異国情緒に溢れた宗教的な発想が盛り込まれたベストセラーだった。」
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翻訳本のおかげでエヴァンズ・ウェンツはその後、チベットに関する最も影響力のある作家になった。
作家ロバート「エヴァンズ・ウェンツは真摯な学者で精神的な探求者だった。彼の仕事は価値があり、彼の言葉は現代の我々には古風の趣も感じられるが、作品自体は長い間、古びれてしまうことは無かった。」

1965年に亡くなるのだが、その1年前、彼の本はティモシー・リアリーTimothy Learyと言う名の型破りの学者によって改修されることになった。
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リアリーはチベット死者の書はドラッグ世代の人々にとって完璧な聖書だと主張した。

チベットでは、人が死ぬと、49日間、死後の世界を旅すると言われている。各々の段階、つまりバードーBardoは試練で、その試練によって彼の次の命が地上のものか、天国でのものか、それとも恐ろしい地獄のものか決定される。そして最も驚くべきバードーは悪魔としてしられる激怒の神との出会いだ。
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“気高く生まれ来たりし者よ。ここは恐ろしい激怒の神々のバードーだ。58もの火焔地獄で怒り狂い、生き血を飲む神々の世界だ。彼等はお前のところにやって来る!”
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メッツナー教授「チベット仏教では、これらの悪魔は目が飛び出した恐ろしい形相の顔をしている。それを生前から目にしているので、死後の世界で出会うと“これがあの悪魔か!”と直ぐに気付いて恐怖におののくのだ。」
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彷徨っている魂は恐怖と困惑に襲われ、我を失ってしまうことになる。これらの幻覚的な体験は、チベット死者の書に記されている極めて突拍子もない輪廻を際立たせる役目を果たしている。

これに新たな強調、新たなタイトルが加えられたのがアメリカの翻訳本だった。
「サイケデリックな体験Psychedelic Experience」
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この本はハーバードの教授ティモシー・リアリーによって1964年に書かれた。彼の協力者で弟子だったのはラルフ・メッツナーRalph Metzner(mh:今回もコメンテイターとして登場しているメッツナー教授です)だ。ラルフはハーバード大学の心理学科を卒業した学生で、ティモシーと一緒にサイケデリック・ドラッグに関する研究をしていた。

研究者達はドラッグ体験とチベットの死体験との間に強い類似性を見つけている。
メッツナー教授「ドラッグによる中間的・遷移的な期間に起きる現象は死と再生の期間の現象と同じだと言われている。」
レアリーとメッツナー、それにリチャード・アルパートRichard Alpertが加わって、チベット死者の書をサイケデリック・ドラッグ愛好者の手引書に書き直したのだ。
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メッツナー教授「我々がしたことは仏教徒に固有な教えや経典に使われた図像類を赤裸々な形にしてから引用することだった。彼らのメッセージの中核は“常に意識を確保し、驚嘆すべき映像を見ても驚嘆し過ぎず、興味を引く、美しい映像に魅惑されるようにする。しかし、これらすべてはあなたの心の中で組み立てられたものだと言う事を忘れてはならない”というものだ。」

死者の書の言葉は近代化されアメリカ化されたが、メッセージは残っていたのだ。
“友よ。よく聞け。この幻覚はあなたにどんな害をも及ぼすことはない。リラックスせよ。サイケデリックな体験を享受せよ。”
サイケデリック・イクスペリエンスは、従来の文化と対局する分野でベストセラーになり、ロック音楽や、アングラ(アンダーグラウンド)映画、実験的な劇場が刺激を受けて隆盛した。
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メッツナー教授「今でも我々は、サイケデリック・イクスペリエンスが恐らく本物の体験だと考える人々から感謝の手紙を受け取っている。」

しかし、体験的な類似性がどんなものであろうが、死とサイケデリック・イクスペリエンスは明確に異なっている。バードーで彷徨っている魂にとっては、これらの映像は正真正銘の、かつ恐怖に満ちた体験かも知れないのだ。バードーは最も強力な神との出会いで終わることになる。チベット人はその神をヤーマと呼んでいる。彼が“死”だ。
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僧侶「あなたがあの世に行くと、ヤーマに出会う。ヤーマは激怒の神に似ている。バードーのどこかであなたを待っている。」

死の神ヤーマは、死者の行為を試験する。生前に行った善行の数を白い石で、悪行の数を黒い石を使って数えて裁くのだ。
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善行が多い魂には、神々の世界に通じるかもしれない肯定的な再生が、悪行が多い魂には動物への再生か地獄での永遠の拷問が待っている。
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しかし、チベット死者の書はカルマという無慈悲な裁定から逃れる方法を準備している。魂は遠くから流れてくる僧侶の読経の声を聴き、死の神の前から逃げ出すことが出来るのだ。

“気高く生まれ来たりし者よ。死の神を恐れるでない。彼は全て幻覚でしかないのだ。我の声を聞け、そして前に進め。”
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チベット死者の書を読み上げる僧侶の助けを受け、魂は第三のバードーに入ることが出来る。
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そこで彼は自分の再生を自分自身で選ぶのだ。そこには将来の自分の両親となりえる男女が大勢いて、正に彼を創造する性交合をしている。
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チベット死者の書は、死者をよりよい生活に導く手助けをする。しかし、どんな再生になるのかは、その人のカルマの善悪による。聖人のような人ならよりよい世界での再生が可能だ。特に悪質な人は動物、悪魔、最悪の場合は餓鬼(飢えた化け物)として再生する。
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作家マイケル「イメージで言うと、どうしようもない程の飢餓で苛まれるのだ。しかし首のサイズは鉛筆程度しかない。だから何かを飲み込もうとしてもそれができなくて、いつでも飢えていなければならないのだ。いつまでも前世での暮らしに未練を持ち続け、決して満足することは無い。それが苦悩と呼ばれている。」
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善い人生を生きた人は、神に生まれ変わることすらできる。しかし、それよりも良いかもしれないチャンスもある。人間として再生することだ。
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作家マイケル「バードーで苦悩すると、人間の生活に戻りたくなるものなのだ。苦悩を学習する機会を持ち、誰もが苦悩を持っていると理解したからだ。苦悩を体験し理解するのはとてもよい機会だと思うのだ。」
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僧侶「もし苦悩を持っているなら、そのことで何かを学ぶことができる。例えば、間違いをすれば何かを学ぶ。苦悩から何かを学び、それに対して何らかの行動をとることができるのだ。」

チベットの輪廻に対する概念と近代物理学の類似点がある解説者によって説明されている。
作家アラン「仏教は死後の意識の持続という理論を持っている。それはエネルギー保存則という科学的な理論と共通している。あらゆる種類のものがエネルギーに変換することができ、エネルギーに変換できないものはないと言える。同様に全てのものは意識に変換することが出来る。2つは宇宙の核的なものと言える。宇宙を破壊することは出来ないようにエネルギーや意識を破壊することは出来ない。」
彷徨える魂が人間として再生する準備ができると、その魂はチベット死者の書の中で最もエロチックな場面を体験する。

“気高く生まれ来たりし者よ。今、目にしているのは男と女が性交合している場面だ。彼らの気分を強く瞑想せよ。”
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メッツナー教授「すると魂は交尾している愛人たちの映像を見始める。それは魂が新しい世界に入って行くことを意味する。そしたら強く瞑想し、気に入った家族を選ぶことに注力しなければならないのだ。」
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それが最終試験だ。魂が未来を予見し、自分が生きていくことになる次の世界を選ぶ瞬間だ。

“種と卵が結合するその瞬間、魂は至福を体験するだろう。生まれ来たりし高貴な者よ。産道に入れ。頭を持ち上げて歩け、そして人間に繋がる明るい道に進んでいけ。”
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輝く光につながっている暗く長いトンネルを抜けると旅は終わる。トンネルは子宮で、出口の明るみは新たに生まれた赤子が目を開けてみる最初の光だ。
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それはバードーの一つの段階の終わりで、命と呼ばれるバードーの始まりだ。

僧侶「仏教の教えが伝えんとするところは、あなたの生誕は準備されているということだ。」

チベット人にとって、死は避けられないものだが、それで終わりではない。
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メッツナー教授「死と再生は典型的な過程だ。一義的なイメージの核をなすもので、全ての人々に共有されているものだ。それゆえにチベット死者の書が作られることになった。非存在を意味しているのではない。それとは全く逆で、解脱の機会、意識の拡大を与えてくれるものだ。」 

作家マイケル「私はラルフ・ウォルツナーは棚の本にホコリをかぶせ、それを見ざるを得なくさせる傾向があると思う。死者の書の価値は、好ましからざる死を受け入れることで人生をさらに良いものにすることだ。」

作家ロバート「死者の書はあなたの人生はあなたが死んだ後も続くということを知らせようとしている。それがどんなものかは、あなたがどのように生きるかによっている。だから正しく生きよ、努力せよと伝えているのだ。それが死者の書のメッセージだ。」

世界中の宗教的な信仰や予言において、人の限りある命を調べようとする決意は知恵の獲得への第一歩だ。それは西洋の大都市の大通りにおいても、人里離れたヒマラヤの王国にある険しい山中においても同じだ。
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チベット死者の書は千年以上も前のもので、世界の片隅から生まれたものだが、未来を見つめ、死の不可思議について悩んでいる全ての人類の壮大な質問への答えを述べたものと言えるだろう。
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Secret Tibetan Book of the Dead
http://documentaryaddict.com/films/secret-tibetan-book-of-the-dead

映画鑑賞後の感想ですが・・・
魂が消滅しないのは近代物理学におけるエネルギー保存則と同じ真理だっていう理屈には驚かされました。あなたも驚いたんじゃあありません?で、納得しましたか?納得した方は幸せな方だと思います。mhはっていうと、もやもやとしていて、まだ狐につままれている感じです。
世の中には不可思議な理論があって、例えばマーフィーの法則っていうのが一時期、話題になりました「失敗する可能性のあるものは必ず失敗する」ってやつです。
英語表記だと次の通り。
"If it can happen, it will happen."
"Anything that can go wrong will go wrong."
"Everything that can possibly go wrong will go wrong."

これらの論理には一部の真理と多くの虚偽、誇張、仮設、が含まれていて・・・てなネガティブな発想のmhにはチベット死者の書は手に余ります。

ブログ冒頭でご紹介したように、死後に再び生まれ変わるという輪廻とか再生という概念は多くの宗教で取り入れられていますが、我が尊敬するお釈迦様の教えには含まれていません。お釈迦様の弟子がお釈迦様の教えを広めようと、当時のインドで広く信じられていた輪廻の思想を取り込んでいろいろな話を創造したので、チベット仏教にも死者の書が現れることになりました。

そういえば、mhが子供のころ、町のお寺の壁には火焔地獄の絵が架かっていたような気がします。日本の仏教は中国から伝えられたものなので、地獄が在るとの教えが日本仏教にもあるとすれば、中国にあった概念だということになりますが、地獄や天国の存在についてもお釈迦様は何も仰っていなかったようですから、お釈迦様はとても冷静に真実だけを見て物事を判断しようとされた立派な方だと思います。

近々、エジプト死者の書を調べてみて、死者の書が生まれることになった因果応報を垣間見て、死後の世界がどのように不思議なものかを再調査してみようかな、なんて考えています。
(完)

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mh徒然草102: 別の立場でものを考えることの大切さ


今日は7月4日。数日前にバングラディッシュで日本人7人がイスラムを信奉する若者に殺害されました。テロリスト側にも言い分はあると思いますが、決して許される行為ではありません。

この考えは7月1日のmh徒然草(特番)で紹介させて頂きましたが、今日(4日)になってお風呂に入っている時に、ふと思ったのです。“言い分はあるのだろうが許されるものではない”という見解は極めてまっとうで大勢の人に受け入れられるかも知れないが、不十分ではなかろうかと。

冷静で、客観的で、正当に思われる主張が、冷淡なものに思えたんです。“加害者にも言い分はあった”と言って加害者の人間性を認めてはいるけれど“決して許されない”と切り捨てる。詰まる所、私は彼等の立場に立って考えるつもりは持っていませんよ、と宣言しているわけです。

似た話は他にも沢山あります。私の選挙区から参議院選に立候補している自民党の三原じゅん子氏は、核武装の検討の必要性を主張しています。他にも数名、核武装賛成の候補がいます。安倍首相ですら核武装の必要性を公式に主張したことはなく、非核三原則の堅持が公式な立場だと思うのですが、そんな自民党に公認された三原じゅん子氏が正々堂々と核武装の必要性を認めているのです。日本が核武装すべきだと主張する人は、北朝鮮や中国が核武装している以上、日本を守るためにも我らも核武装すべきだとの発想で、筋が通っているように響きますが、核を持つ相手に核で対抗する姿勢でよいのか、他に対抗策はないのか、という観点が完全に脱落しています。こんな短絡的な発想をした国ばかりになると、いつ核戦争が起きてもおかしくありませんが、核攻撃される前に相手の都市や核兵器を破壊すればいい、などと自分本位の理屈を持っているのに違いありません。

古い話ですが、秋葉原の歩行者天国にトラックで乗り入れ、人を牽(ひ)き、その後、車を降りて歩行者にナイフで襲い掛かり、結局7人を殺害した若者は、「死刑になりたかった」と語っていました。彼は非正規従業員で、仕事を解雇されたのを機に自暴自棄になり、自分で死ねないので人に殺してもらうことに決めて無関係の人を殺すことになったのですが、いくら不遇の生活だったからといえ、無関係な人を7人も殺めるなんて許せる行為ではない、と切り捨てる人が多かったと思います。

しかし、こんな風に、他人や他国の考えや主張を切り捨てていては問題は解決しない、とふと思ったんですね、今日、お風呂の中で。

バングラディッシュの事件について言えば、イスラム教徒たちに他宗教を否定しないよう働きかける努力を不断に行う対応が考えられます。中国や北朝鮮の核武装に対しては、世界中から核兵器を根絶する活動に真剣に取り組む対応が考えられます。秋葉原の無差別殺人事件に対しては、非正規従業員を正規従業員化する対策が考えられます。しかし、こういった観点で物事を考える姿勢は薄れ、相手を無視し、または否定して捻じ伏せる傾向が強まっている気がします。

強者は弱者を切り捨てようとしています。憐れみや同情を示すことがあっても、弱者の立場で考え、弱者のまま放置しておかないと態度で示すことはありません。弱者がいてこそ強者の特権が確保されるとの思いがあるからなのでしょうか。しかし、そんな社会は、弱者のみならず強者にとっても良い社会には思えません。必ずや、テロや戦争などの武力抗争が起きて、強者も弱者も取り返しのつかない損失を受けることになるのです。

弱者と言えども最低限の生活が保証され、意見を言える社会を目指すことこそが強者が採るべき道だと思います。しかし、そう思わない、自分にしか目がいかない強者が多くなりつつあるのが今の世界の傾向です。これは変えていかねばなりません。

Nancy Sinatra - Bang Bang
https://www.youtube.com/watch?v=N-AgYXz2n9Y
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絵が生まれた日の不思議


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絵が生まれた日:The day pictures were born.

皆さんは、一体全体いつ絵が生まれたと思いますか?

そんな取り留めも無い問に答えなんてあるわけないよ、って思われた方は、mh同様、思い込みが激しい方です。絵が生まれた日、つまり人類が初めて絵を描いた日、があったことには一点の疑いもありません!それがいつか?っていうとですねぇ、世界に残されている古い絵の全てについて、それがいつ描かれたものかを調べ上げないと明言できない、というのが理屈というものでしょう!

古代の絵は、およそ洞窟などに残されていて、これまでの調査結果によればヨーロッパの洞窟画はおよそ1万5千年以上も前のもので、最も古いものは3万5千年程前のようです。ようですというのは、絵が描かれた時期を特定するのが困難だからです。生物ならば放射性炭素年代測定法が適用できますが、絵具や洞窟の石の年代測定には使えません。仮に絵の近くに動物や人間の骨などがあったとして、その年代が炭素測定法で特定できたとしても、骨と洞窟画のどちらがどのくらい古いのか、それとも同じ時期のものなのか、を特定する証拠が無いのが普通ですから、洞窟画が描かれた時期を確定するのは難しいのです。

取り敢えず、絵がいつ生まれたのか?という質問の答えは、現時点では3万5千年前だとしておきましょう。それが、Youtubeで紹介されていた“絵が生まれた日”です。

で~、その日、人類史上、初めて描かれた絵とはどんなものなのか?

どうも動物の絵のようですね、洞窟画の重要な特徴でもあります。
Wiki:アルタミラ洞窟壁画
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「先史prehistoricヨーロッパ時代の区分で主にマドレーヌ期(約18,000年 - 10,000年前)と呼ばれる旧石器時代末期に描かれた野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物を中心とする壁画である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。」

で~何故、絵が描かれることになったのか?

そんなこと、描いた人に訊いてみなけりゃあ判りません!って開き直りたいところでしょう。3万年も前に初めて絵を描くことになった理由なんて判る訳などありません!

しかし、お釈迦様が仰るように因果応報、絵を初めて描くことになったのには、当然、理由ってのがあるんです!で~、その理由、つまり、何故、我々の祖先は、ある日、突然、絵を描くことになったのか、を消去法と仮説と人間の習性を組み合わせて明らかにした人がいるっていうんですから驚きです!!!

何故、人類は、絵を描き始めたのか?
このミステリーを解くYoutube「Prehistoric Europeans. People Who Invented Art先史時代のヨーロッパ人;芸術を発明した人々」をご紹介しましょう。それを見て、みなさんは、どんな感想を持たれるのでしょうか?

その前に、フィルムに登場するプレゼンテイターをご紹介しておきましょう。
Nigel Jonathan Spivey (born 16 October 1958)ニゲル・ジョナサン・スパイヴェイ
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古代芸術や考古学を専門とするイギリス人の研究家で58歳。ケンブリッジ大学で上級講師として活躍中です。
・・・・・・・・・

私が馬の絵を描いていると悟るまでにどのくらいの時間がかかりました?1秒?もっと短時間?
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我々はほぼ瞬時に、何を考えることもなく、それが馬を表す2次元的な映像だと理解することが出来ます。
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私は芸術家のような技量を持ち合わせていませんが、そんな私でも、鉛筆の線を組合せて絵を描くことができ、私があなたに見せたいと思っているものを提示することが出来ます。馬だけではなく、およそ世の中のあらゆるものを絵として描くことが出来ます。それを見たあなたは、何が描かれているのかを想像できるでしょう。
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我々は、人類の歴史の中のある“瞬間”、絵の能力を初めて手にしたはずです。我々が絵を創造し、それが何を意味するのかを理解した“瞬間”です。

としたら、その時、何が起きたのでしょうか?どのようにして我々人類はイメージを創造する能力を初めて手に入れたのでしょうか?その答えを探し出すためには、時間を遡って調べなければなりません。

2千年遡ると、どうだったでしょう?これは古典絵画における馬のイメージです。
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紀元前1百年、ローマの家の壁に飾られていました。この絵を描いた芸術家が2次元的表現方法について、何の問題も持っていないことは明白です。

更に数千年遡って紀元前1千2百年を見てみましょう。この小さな欠片は古代エジプトのものです。描いた人物は身の回りのものを表現する方法を完璧に知っています。
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もっともっと昔に遡ってみましょう。私は今、北スペインのアルタミラを訪れています。19世紀の終わり頃、ここアルタミラで発見されたものは、イメージが創造された時期がいつなのかに関する認識を過激に変化させたのです。この歴史的発見をしたのは9歳の少女マリアでした。
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地方のスペイン貴族で、素人考古学者でもあるマルセリーノ・デ・サウトゥオラ侯爵の娘でした。アルタミラに興味をそそられていたデ・サウトゥオラ侯爵は、1879年秋、マリアと共に洞窟探検をしていました。
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侯爵「この洞窟は私が探検する2年前まで全く知られていなかった。私は全くの素人だけれど、自身で調べてみようと訪れたのだ。」

貴族の研究者として、デ・サウトゥオラは先史時代の出来事について新たな発見をしたいと強く望んでいました。しかし当時の考古学者たちは、古代人は野蛮な動物で、サルより若干ましとはいえ、洞窟は彼等にとって雨風を凌ぐためのものでしかなく、そこで何かを創造するなどということはありえない、と考えていたのです。
侯爵「私は調査を通じて、この山中に暮らしていた古代人がどこから来たのか、どんな習慣を持っていたのか知りたいと望んでいた。」
デ・サウトゥオラは洞窟の床を掘り返して先史を語るもの、例えば骨や道具、を見つけたいと考えていました。しかし、アルタミラを有名にする発見をしたのはマリアだったのです。
「パパ、来てみて!牛よ!」
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侯爵「私は驚きに打ちのめされた!私が目にしたのは想像を絶するもので、口では言い表せないものだった。」
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若いマリアによって先史の絵画ギャラリーが初めて発見されて以降、世界中で、同じような洞窟ギャラリーの発見が続くことになりましたが、アルタミラの絵は、今でも最も美しい洞窟絵画のひとつだと考えられています。
アルタミラ洞窟の天井は数十匹のオーロックス(古代の牡牛)の絵で埋められています。
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オーロックスはずいぶん前に消滅している牛の種です。絵の中では、牡牛は立っていたり、寝ていたり、駆けていたりしているように見えます。
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この洞窟画を見たデ・サウトゥオラ侯爵は、先史人が描いたのに違いないと直感しました。しかし、他の人々は彼のようには考えなかったのです。デ・サウトゥオラが彼の発見を世界に公表すると、考古学者たちは直ちにその真偽を問題視しました。“イメージは、あまりに見事過ぎる。先史の野蛮人が描いたとはとても思えない。”
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専門家たちは、これらの絵は偽物で、デ・サウトゥオラ侯爵はその被害者か、もしくは加害者だろうと主張しました。
デ・サウトゥオラは自分の名誉のために戦いました「絶滅した動物が描かれているのだから古代のものに違いない。」
しかし、考古学者たちはみな懐疑的でした。数年後、デ・サウトゥオラはアルタミラから遠くないこの実家で失意の中で亡くなるのです。
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信頼や尊敬を受けることなく、不誠実だと告発され、心を砕かれてしまったことが彼の命を縮めることになったと彼の支援者たちは信じています。

しかし、デ・サウトゥオラ侯爵の見解が認められる時は巡ってくるのです。アルタミラ絵画の発見以降の数十年の間に、多くの洞窟画の発見が相次いで行われたのです。
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フランスやスペインで見つかった洞窟画から、これらが先史時代のものであることが証明されました。ラスコーと呼ばれる洞窟ではさらに画期的な発見がありました。息を飲むような美しい絵で埋まったギャラリーとも言える洞窟画です。
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多くの洞窟画が脚光を浴び始めると、先史時代の芸術家が現代の芸術家に匹敵する技量と確信を持っていたことが明らかになってきました。
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洞窟画を眼にしたパブロ・ピカソは言っています「我々は何も学んでこなかった。」
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専門家たちはこれらの絵画の年代分析を始めました。すると別の驚きがあったのです。イメージを創造し始めたのは、人類の歴史のかなり後期だったのです。どういうことかというと、もし現生人類の歴史をこの階段で表すなら、ホモサピエンスが出現したのは15万年前で、今、私が立っている所です。
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その後10万年以上もの間、彼等はイメージを創造することはなく、イメージが初めて現れたのはここ、つまり今から3万5千年前なのです。この時点で、何かが変り始めたのです!
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考古学者たちは、それを“創造的爆発”と呼びました。人々が初めて絵を描き始めた瞬間です。その時、何が起きたのでしょうか?何故、人類は突然、身の回りの世界のイメージを描き始めようと決めたのでしょうか?

専門家たちはその答えを求めて調査を始めました。そしてまず思いついたのは、至極当然と思われる説明でした。今日、我々が絵を描く主な理由のひとつは、世の中に存在しているものを表現する物を創り出すためです。専門家たちは、数千年前の先史時代の人々も“身の周りに在るものを表すために絵を描いた”と考えたのです。しかし、洞窟画が見つかり出すにつれて、この解釈は間違っていることが明確になってきました。

今日、芸術家たちは、生活している中で見つかる色々な物を絵に表しています。
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しかし、先史人は、ほぼ一つのイメージだけを絵にしているのです。先史時代の芸術家は動物に凝り固まっていたのです!
どんな動物でもいいというわけではなく、ある特別の動物でした。例えば馬
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バイソン(牛)
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そしてトナカイです!
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しかし、何故!これらの動物の何が我々の祖先の気を引いたと言うのでしょう。

オンリー・ボゥイはフランス人の説教師です。しかし彼は20世紀において、屈指の洞窟画の専門家として長い間、知られていた人物でした。
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彼は信じていました、岩絵は狩猟の様子を描いたものだと。その考え自体は驚くべきことではないと言えるでしょう。先史時代の芸術家が狩猟の成功を高めようと考えて動物の絵を描いた、という考え方は筋が通っています。特定の動物だけが描かれることになった理由の説明にもなります。ボゥイは人々の疑問を解決したかに思われました。
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しかし、さらに最近になって、洞窟の周りで狩猟され食されたと考えられる動物の骨を調査した考古学者たちは、妙なことに気付きました。“人々が狩猟の成功率を上げようとして洞窟画を描き始めたとしたら、狩猟され食された動物の絵が描かれているべきだ。しかし、絵の動物はそれと異なる!”
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例えばアルタミラの場合、先史時代の芸術家は牡牛Oxenの絵を描いています。しかし、残されていた骨は鹿のものでした!ほかの場所では、古代の山羊を食べていました。絵の動物と食糧になった動物の間には関係がなかったのです!
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つまりボゥイの狩猟動物説もまた“何故、人は初めて絵を描くことになったか”という問題を解決することに失敗したのです。

元々、これらの理論にはもっと大きな問題がありました。理論が正しいとすれば、絵は、人々が見やすい場所に描かれている必要があります。しかし、実際には、古代の芸術家が、洞窟の奥深く、狭い空間に押し込まれながら描いた絵が多いのです!例えば、ここは、フランスのパシュメールPech Merleですが、近づくことすら困難な場所に絵が描かれています!
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芸術家はどんな姿勢でこの絵を描いたのか?一体、他の誰が、ここに来て絵を称賛してくれたというのか?とても想像することは出来ません。
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この絵の場合、近づくのが難しいというだけではなく、絵を見ても、芸術家が描こうとしたものが何かを理解することすら出来ません!というのは他の洞窟画の多くと同じように、絵は何物をも表していないのです。点と線、または抽象的な形や模様で出来ているのです。
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先史時代の芸術家が暮らしていた自然界の何物も、この絵に似てはいないでしょう。そして、不思議なことに、多くの場合、これらの模様はもっと判りやすいイメージの近くで無作為に繰り返され、または散りばめるように配置されて描かれているのです!
パシュメール洞窟では古代芸術家は見事な2頭の馬を描きました。それを見ると、馬はいくつもの点模様で覆われています。この模様と狩猟との間にどんな関係があると言えるのでしょうか?考えてみても何も思いつきません。
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考古学者たちは、点模様や抽象的なパターンが描かれた絵は、他の洞窟画と同じように考えても理解することはできないと気付きました。狩猟のためにこれらのイメージを描いたという理論を根拠にしていたら決して問題を解くことは出来ないのです。つまり、身の回りで目にできる物を描いたと言う理論も狩猟する動物を描いたという理論も、重要な点で不十分なのです。
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洞窟画の不思議を解き明かすためには“何故、人々はイメージを洞窟に描いたのか”ではなく、“どのようにして我々はイメージを創造するという驚くべき能力を初めて得ることになったのか”から始めるべきだったのです。

何かの絵を描くためには、まず、絵とは何かを知る必要があります。しかし、絵を見たことが無ければ、どうしたら絵について知ることが出来ると言えるのでしょうか。
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この点が問題の要(かなめ)であることはボゥイだけは気付いていました。彼は19世紀のトルコ人に関する興味深い物語を話しています。その男は絵を見せられました。馬の絵でした。しかし、彼は全く絵の意味を理解することが出来なかったのです。生まれてこの方、一度も絵を見たことが無かったので、何を見ているのかについて思いが及ばなかったのです。このトルコ人は敬虔なイスラム教徒でした。厳格なイスラムでは生物のイメージを禁止しています。つまり、彼は人間が動物の2次元的イメージを創造することが出来ると信じることを拒絶していたのです。彼は言いました「これが馬だとは思えない。何故なら、後ろに回って見ることが出来ないんだから。」
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世の中に存在する何かを生き生きと描いた絵を見ても、それが何かを理解することが出来ないという彼の感覚は、我々にはとても信じられません。

これが、一度も絵を見たことが無い人々に見える状態なのかも知れません。何の意味もない線と色とマーキングの組合せです。
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絵を見たことが無く、絵とは何かを理解していないとしたら、そのような絵を創造してみようとする思い付きはどのようにして生まれてくるのでしょうか。
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古代の我々の祖先はどのようにして、線、点、色の組合せが何かを表すことができるということを理解するようになったのでしょう。数千年以上も以前に、どんな切っ掛けがあったというのでしょう。それは人類の創造性に関する重大な不可思議の一つと言えるでしょう。専門家たちは長い間、この不可思議を解決しようと試みてきましたが、上手くいきませんでした。

しかし、数年前、革命的な考えが出現したのです。それは正にこの不可思議を解き明かすかもしれない発想です。その発想が生まれたのはヨーロッパではなく、数千Km離れた場所、南アフリカでした。ドラケンズバーグDrakensbergの岩の高地の裂け目の中に、ヨーロッパの洞窟画のような岩絵が隠れていました。
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そこでも大きな動物が特徴的に描かれていました。
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一見すると狩猟の様子を表しています。ヨーロッパで見つかった絵と異なり、これらの絵は何千年も前のものではありません。
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2,3百年前に描かれたものです、大抵は記憶に従って。絵を描いた人々はサン族と呼ばれるブッシュマンです。
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これらの絵は長年、ほとんど無視されてきました。しかし、一人の男がこの絵に魅せられたのです。デイビッド・ルイス・ウィリアムズDavid Lewis-Williamsです。
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ルイス「ドラケンズバーグの岩絵を見た時、最初は日常生活の様子を描いたものだろうと思いました。何故ならサン(ブッシュマン)は狩猟族ですから。例えばこの絵では、イーランド(注)がいて、狩り人がイーランドのしっぽを掴んでいるように見えます。」
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(mhイーランドeland:巻角の大型カモシカantelope)
「イーランドがブッシュマンに捕まえられたところと言えるでしょうか。狩人の勇敢さを示す絵のように思われます。しかし、絵の詳細をもう少し調べてみると、その考えは違うのではなかろうかと考えさせる点に気付きます。例えば、この人の足は“ひずめhoof”であって“足foot”ではありません。」
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ニゲル「これは誰も気付かなかったでしょうねぇ。」
ルイス「更に、人は足を交差し、イーランドも後ろ足を交差しているんです。」

ルイス「更には、この人はカモシカの頭を持っています。そして体からは毛が立っているんです。」
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「イーランドの体からも毛が立っています。」
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「これらのことから、この絵は日常生活の様子を表したものだとは思えません。これらの奇妙な点に気付いた時、この絵が意味している不可思議を解く切っ掛けを得たのではないかと感じました。」

しかし、調査を始めると彼は直ぐに問題に直面しました。というのは、これが現代のサン族です!
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彼等は、とても山の中とは言えない、ドラケンズバーグから数千Kmも離れたナミビアのカラハリ草原で暮らしているのです。実は、彼等の祖先たちは迫害を受け、数世紀前から南アフリカのドラケンズバーグDrakensbergから追い出され始めていたのです。サン族は狩猟を続けてはいますが、絵は描かなくなりました。新たな場所カラハリには彼らが絵を描ける岩山が無かったからです。おかげで、古代の伝統は失われてしまうことになりました。サン族の芸術家は絵の秘密を抱えたまま消滅してしまったのです。岩山に描かれた奇妙な絵の不思議を解く鍵は永遠に失われたかのようでした。
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ルイス「絵を描いた人々が消滅してしまった以上、絵の不思議を解き明かすことは不可能に思われました。」
しかし、その時、ドラケンズバーグDrakensbergから遠く離れた場所でルイス・ウィリアムズは最初のヒントを見つけたのです。それはヨーロッパにおける先史時代の洞窟絵に繋がる追跡の始まりでもありました。

山の岩肌に絵を描いた記憶を持つブッシュマンは今ではもういなくなりましたが、19世紀、僅かに残っていた何人かのサン族の人々が話した内容の記録が保管されていたのです。ケープタウンに保管されている古文書archiveの中に残っていました。
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19世紀の終わり、ドイツ人移民のヴィルハム・ブレイクが、ドラケンズバーグDrakensberg付近で生き残っているサン族のブッシュマンを見つけ出しました。ブレイクはかすかに残る過去への入口を見つけ出したと感じ、ブッシュマンから聞き取りを始めたのです。ここに残る1万2千書にも渡る膨大な古文書にブッシュマンたちの証言が記録されています。ブレイクは、今はもう消滅した文化に関する興味をそそる情報の欠片を我々に残してくれたのです。
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ルイスは、これらの書類の中に、ドラケンズバーグに描かれていたイメージの本来の意味につながる、ブッシュマンが聖書のように信じている何かが埋もれているとの予感を持ちました。そして、実際、そこにはあるものが埋もれていたのです。
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ルイス「書類を読んでいると、彼等の信仰は精神的な世界で旅をする感覚によって組み上げられていることが明確になりました。サン族は、生きている間でも魂は体を離れ、精神的な世界を訪れることができると信じていたようです。それはトランス状態、言わば意識の変換状態にある時に起こるのです。」
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サン族のこの伝統は今でも続いていました。自分の目で確かめたいと考え、私はナミビアのチュンクエィの近くの村を訪れました。
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そこで私は集落の治療士healerで祈祷師shamanでもある人物に紹介されました。彼は精神世界を旅する人だと言われているのです。
ルイス「どのようにしてトランスになるのですか?」
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祈祷師「誰かから、助けてほしいと頼まれたら、私は別の世界にでかけて行く。戻ったら、それが役立ったかどうかを確認するんだ。」
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mh:全くの余談ですが・・・このシャーマン!見たことがあります!2015年3月23日「骸骨の砂漠の不思議」に登場していました!

その夕、集落でトランス・ダンスの集いが開かれました。シャーマンは私がその集まりに参加してダンスを見ることを許可してくれました。ダンスは、人々の力強いリズミカルな手拍子や掛け声とともに始まりました。儀式を指揮するのはシャーマン自身です。
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ダンスが盛り上がってくるにつれ、劇的な何かが彼に起きる兆候が現れ始めました。彼はリズムの中に埋没し、周りの出来事から切り離れて自分自身を失いつつあるように見え出しました。
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彼は意識を失くして地面に倒れ込みました。トランス状態になると意識を失うのです。その時、“死んで精神世界に入っている”と言います。そして向うの世界から、人々の悩みや病気を治すことが出来ると言うのです。
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ルイス・ウィリアムはサン族の社会でトランスが果たす決定的な役割を発見しました。しかし、そのことが、祖先によって描かれた、死の世界に憑(と)りつかれたようなあの岩絵の不可思議を解き明かすのに、どのように役立つと言うのでしょう。

ルイス「私はブレイクの書類を読んで意識の変換状態に関する記述を見つけました。もう一方では不思議な岩絵を見つけていました。重要なのはこれら2つの事象を結合し、サン族がどんな思いで岩絵を描いたのかを解き明かすことでした。それは難しいパズルのようなもので、長い間、私は闇の中に置かれていました。」
しかし、答えは突然、現れたのです。それは文字通り目の前にあって彼を見つめていたのです。
ルイス「当時、私はヴィルハム・ブレイクが作った岩絵のコピーを持っていました。家の暖炉の上の壁に飾って、いつも眺めては思索していました。すると、一つの絵が私を闇から解き放つことになったのです。」
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それは山の中でルイスが私に解説してくれた岩絵のコピーでした。
ルイス「ある日、この絵を見ていたら、突然、何が起きているのか閃いたんです。」
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「描かれているイーランドは死んでいるのではないのだろうか?後足を交差し、何かにつまずいて頭が下がっていているようで、体からは毛が立ちあがっています。恐らく、毒矢に打たれて死んでいく様子だろうと思いました。更にはイーランドのしっぽを握る男は、足を交差し、見事な色のひずめの先端で立っています。彼もイーランドと同じ様に死んでいるのは間違いありません!つまり、この絵は、日常生活ではなく、トランス状態における精神的な体験を表しているものだと気付いたのです。」
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これがサン族の絵の背後にある本当の意味だったのです。イーランドはアフリカで最大のカモシカantelopeです。その気高さと力強さはサン族の創造力を魅了し、不思議な効能がイーランドに授けられていたのでしょう。絵は彼等がトランス状態の中で見たことだったのです!サン族が描いた岩絵は狩猟の様子ではなく、動物との幻覚的な出会いを再現していたのです。
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この新しい野心的な考えはルイス・ウィリアムの心を捕え始めました。何故なら彼はサン族の絵にとても類似した他の絵があることに気付いていたからです。その絵は何千年も以前に描かれた、ヨーロッパの岩絵でした。
ルイス「私は何年もの間、フランスやスペインの洞窟画に興味を持っていました。それらが私に訴えるものの一つは、ヨーロッパの岩絵と南アフリカの岩絵の類似性だったのです。」
サン族がイーランドに憑(と)りつかれていたように、先史時代の芸術家も2,3の重要な動物を限定して描いていました。
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そして南アフリカのイメージにもあるように、ヨーロッパの絵にも人間の体に動物の特徴を取り入れて新しい生物を創造したように思えるものがあります。
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しかし、それよりもなお、サン族とヨーロッパの絵画には、ある一つの説明不可能な共通的特徴があり、それがルイスを魅了していたのです。ここにサン・ブッシュマンの絵の写しがあります。恐らく2百年前に描かれた岩絵のコピーです。
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イーランドと、その周りにサン族が描かれています。しかし、他にも重要な物が描かれています。この絵を描いた芸術家は、点を、像全体に撒(ま)き散らすように描いています!

そういえば・・・フランスのパシュメール洞窟に描かれた2匹の馬の絵にも・・・点パターンが撒き散らされています!
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たった2百年前のアフリカの岩絵で、サン族は数万年前のヨーロッパの洞窟の絵と同じ抽象的なパターンを創造していました。しかし何故!場所も時代も全く異なる中で生きていた人々が、このような驚くべき類似性のある幾何学的パターンを描いたのはどうしてなのでしょうか。ルイスは悩み始めました。ひょっとすると、答えは芸術ではなく、その芸術を創り上げる人間の脳に関係しているのではないか?

ルイス「南アフリカの岩絵から、芸術がトランス体験、無意識状態から生まれてきたことを知りました。 従って、意識の変換状態を研究室レベルで調査している専門家に、意識の変換時に脳の中で何が起きるか訊いてみればいいと単純に考えたのです。調べてみたら、意識の変換状態に入ると、人はまずジグザグに折れ曲がった線を見ることが判りました。明るくて、点滅している折れ線です。」
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「更には多くの点の塊、格子パターンです。全ての感覚が神経線で頭脳に繋がっていることからこのような結果になるようです。」

誰であれ、どの地方の生まれであれ、我々の頭脳は同じように機能するようです。
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肉体的にみると、我々の頭脳は人類が最初に現れた時から大きな変化はしていません。そのことは、もし我々の頭脳が刺激を受けると、例えばトランス状態に入り込んだとすると、古代の祖先と同じ反応をすることを暗示しています。これは岩絵や洞窟画に現れている不思議なパターンを考える上でとても興味深い見方だと言えるでしょう。しかし、事実なのでしょうか?

それを確認してみようと考え、私はロンドンの心理学研究所を訪れました。
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そこでは私の頭の中にトランス状態と同じ現象を起こそうと試してくれることになっています。
ニゲル「で~この箱の中身は何ですか?」
ドミニク「あなたの頭脳の中の視覚部を特別な方法で刺激するための器具です。」
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ドミニク・フィッチェ博士はいろいろなタイプの視覚性無秩序症の患者を治療しています。患者は眼そのものには欠陥を持ってはいません。問題は映像を取り扱う脳にあるのです。被験者の状態を調べるため、彼は一風変わった装置を開発しました。
ドミニク「とても単純な装置です。ゴーグルのようなもので、コンピューターで点滅する高強度の光発行ダイオードLEDが配置されています。どのLEDをどのタイミングで何秒発光させるかはコンピューターで制御します。このゴーグルを装着して下さい。目は閉じていてください。」
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LEDが点滅すると、患者は、目の前に妙なパターンが現れるように感じるというのです。

ドミニク「何が見えますか?」
ニゲル「見えるのは・・・様々な色が飛び出してくるような・・・背景には魚網のような・・・黒くて細い線が繋がっていて・・・蜂の巣のパターンのような・・・」
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ドミニク「今度は片側の目だけを刺激してみましょう。」
ニゲル「電子チェス盤みたいな・・・白黒の・・・」

ニゲル「これは私には全く初めての体験です。目を閉じているのに何故、何かが見えたのでしょう?」
ドミニク「頭脳には見たものの中にあるかも知れない、グリッドパターンというか格子のようなものを認識する視覚部があります。恐らく光がこれらの視覚部をいらつかせて幻覚を引き起こしているのだと思います。この試験では大抵の被験者が同じタイプの体験をしています。逆説的には、視覚システムへの情報が少ない時も、全く同じ現象を感じると言えるでしょう。」
ニゲル「そう言われてみれば、洞窟の暗闇の中では、光源は全くないのですが、今と同じような現象を見たような気もします!」

これが奇妙なパターンの説明になるのではないでしょうか。洞窟の奥深く、完全な暗闇の中で、先史時代の芸術家は感覚の剥離を体験し、それが抽象的な形やパターンの幻覚を引き起こしたのです。そして幻覚の中で見たものを岩に描いたのです!

しかし、ルイス・ウィリアムは抽象的なパターンは手始めでしかないことを知っていました。
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トランス状態に長くいる程、幻覚が感情的に重要な役割を果たすようになり、その結果、サン族や我々の先史時代の祖先たちの創造力を捕える力を持ったのは動物だったのです!
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ルイス「我々は幻覚を見ます。サン族の場合、それはイーランドでした。ヨーロッパの先史人には牛(バイソン)だったのです。」
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「または馬を見たのかも知れません。そこでは文明が大きな役割を果たしていたのでしょう。」
これらのイメージは幻覚として与えられ、後になって二次元的な表現としてそれを思い出し、岩壁に描いたのです。
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ルイス「人々は、ある日、突然、絵を描くことを発明したのではありません。頭脳が生み出すイメージに慣れていたので、それを岩肌に投影したのが絵になったのです。そのイメージをしっかり記す、永遠に岩肌に残しておく。それが彼等の望みでした。単に洞窟の外で見た馬という実体を描いていた訳ではありません。彼等はヴィジョン(映像)を記録していたのです。」

ルイス・ウィリアムは、それまで絵というものを見たことも無い何千年も前の人々が、2次元のイメージをどのように創造したのかという不可思議に対する答えをとうとう見つけたのです。それらは自然の実体をコピーしたものではなく、彼等の頭の中で創られたビジョンを表現したものだったのです。
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とうとう、我々は初めて、長年専門家たちを不思議がらせていたパズルを解く理論を手にしました。それは洞窟芸術を調査して組み上げられた理論ですが、同時に、これらの絵を描いた人々の頭の中で起きたことに対する科学的な理解方法でもあったのです。
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それは、洞窟に描かれた、イメージとは呼べない絵を説明する根拠にもなり得ます。しかし、過去の絵から出発して、現代の生活に大きな影響を与えている映像や絵まで、どのように続いてきたのかを説明してはくれません。何故なら、凡そ1万2千年前、ある奇妙な事が起きていたのです。人々は洞窟で絵を描くことを止めてしまったのです!
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考古学者も一体なにが起きたのか把握できてはいませんが、兎に角、ヨーロッパ中で、数千年の間、イメージの創造はほとんど行われなくなっていたのです。どのようにイメージを創造するのかを発見し、それを何世代も伝えてきた先史の人々は、イメージへの関心を失ってしまったのでしょうか。それとも、イメージは人類の存在の重要な部分ではなくなってしまったのでしょうか。イメージは単なるたしなみでしかなかったと言うのでしょうか。

イメージは人々の心の中の孔の底に落ちて消失してしまいました。としたら、イメージを喪失した過去のある点から・・・
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イメージで溢れている現在のこの時点まで・・・
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我々はどのようにして辿り着いたのでしょう。絵の力はどのようにして、イメージなしでは考えられない世界に暮らす我々の創造力を再び掴むことになったのでしょう。

最近になって、その答えが見つかりました。私は今、トルコ南部に来ています。ここはギョベクリ・テペと呼ばれる大きな丘の麓です。丘の上には数千年以上前に、イメージについて起きたあることを示すものがあります。
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1960年代、研究者たちは初めてギョベクリ・テペを訪れました。そこで見つけたのは火打石で作られた石器の破片が絨毯のように散乱している丘でした。彼等は、考古学的には重要なものではないと考えました。そして、およそ10年程前、ドイツ人考古学者たちがここで発掘を始めたところ、見つかったものは彼等を驚かせました。何故なら足元の地中から多くの巨石の構造物が、T字形の巨石で作られた円形構造物が出て来たのです。
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現場の面積は広大でした。そこに、石で造られた少なくとも20の円形構造物が、数百の石柱とともに埋められていたのです。英国でストーン・ヘンジが造られたのは4千5百年程前ですが、ここはその3倍、つまり1万2千年前のものでした。人々が洞窟で絵を描くことを止めた頃のものです。
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ギョベクリ・テペが、ある種の宗教的なセンターで、この丘に構造物を造った人々が集まる宗教的な力を持っていた所だったことは間違いありません。しかし、我々が創造力を創り出すことになった理由を説明する上で、そのことがどのように役立つというのでしょう。
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それを確認する最適な時は夜です。というのは、我々の物語に重要なものは柱の上にあるからです。単なる巨石の柱ではなく、装飾が施されているのです。
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柱はイノシシ
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ライオン
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鷺、狐など、野生の動物の彫像で覆われているのです。

1万2千年前、ヨーロッパの洞窟画が放棄された正にその時代、ここトルコの丘で、イメージは人々の創造力を掴んでいたのです。イメージは単なる一時的なたしなみではありませんでした。どのようにしてイメージを創造するかを知った人類は、心の中で、それを放棄することは無かったのです。この場所は、ひょっとすると、もっと大きな秘密を隠しているかも知れません。というのは、ここに残されているイメージは死後の世界のものなどではなく、我々が生きている世界のものだからです。
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丘の反対側で考古学者は石切場として使われた所を発見しました。ここがギョベクリ・テペを支配的なものにしている巨石が切り出された石灰岩の岩床です。未完成の柱が残っています。理由は判らないが途中で放棄されたのです。
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この空間は石柱が切り出されてしまった跡でしょう。金属器ではなく単純な工具だけで、石柱が切り出され、その上にイメージが彫り込まれたというのは驚くべきことです。また、注目すべきは、その大きさで、石柱は長さ6m、凡そ50トンもあります。500人が集まらなければ、ここから丘の上に移動することは出来なかったでしょう。

丘そのものも人工のものでした。
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これらに費やされた莫大な努力に関する重要な点は、ギョベクリ・テペという社会が持つ影響力でしょう。1万2千年前、ここで働き、祈りを捧げるために数百人の人々が長い旅をしたのです。そして勿論、彼等は食べねば生きていけません。

当時、世界中の人々は、動物を狩猟し、野生の植物を採集して食糧として暮らしていました。
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狩猟と採集は人々の集団が小さい時は上手く機能します。しかし、今日、我々はもっと多くの人々を養うため、穀物を育て、家畜を飼育する農業を採用しています。農業は近代社会の礎なのです。
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考古学者は何が人々に狩猟や採集を諦めさせ、農業を始めさせることになったのか不思議がっています。農業革命が人類の歴史における重要な変化であることは明らかでしょう。ギョベクリ・テペが学者たちの関心を集める理由にもなっているのは、実は、農業が発祥したのはこの辺りだからです。そして、ほぼ同時に構造物の建設が行われているのです。ギョベクリ・テペを建設し、そこで祈りを捧げる多くの人々の食を確保する必要から農業が始まったというのでしょうか。としたらそれを裏付ける証拠が必要です。

最近になって、科学者は近代の耕作用小麦がどこから来たのかを発見しました。農場の食糧用小麦の遺伝子分析から始め、野生の小麦についても調べて遺伝子構造を比較した処、我々が食する耕作用小麦の祖先は、ギョベクリ・テペから30Km離れたあの山で成長している小麦だと判ったのです。
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恐らく、野生の小麦はあの山からこの地に運ばれ、栽培され、構造物を造る人々に食されることになったのではないでしょうか。
ここに重要な結果が導き出されることになりました。イメージは人々の心の中でとても影響力を持つようになり、人々の歴史に大きな変革を起こすことになったのです。

我々の近代社会は、絵によって支配されています。古代の祖先は、自分たちが生み出したイメージがどこまで社会に影響を与え変革を引き起こすのか、想像すらしていなかったでしょう。
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もし数千年前に祖先が啓示を受けなかったなら、今の社会はないでしょう。線、形、色で描かれた“啓示”が今、世界を掌握しているのです。

以上が「Prehistoric Europeans. People Who Invented Art」の内容です。
https://www.youtube.com/watch?v=LvhDb4phhzY

で~、皆さんは、どんな感想を持たれましたか?狐につままれたようだって?

人類が絵を描いたのは幻覚をイメージに残すためだったという見解は、新鮮味があり興味深いと思いました。しかし、どこかおかしくありません?

フィルムの仮説では、普通の人ならとても入り込んでいかないはずの、洞窟の奥深くの暗闇の、狭い空間の天上や側面に、抽象的で幾何学的なパターンが描かれているのは、幻覚がなせる業だと言います。
<ペシュメルルPech Merle洞窟壁画>
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それなりの説得力はありますが、バイソンや馬やカモシカの見事な姿も、それらを一度も見たことが無い人が幻覚の中で見て、その姿を思い出しながら描いたっていうのは、いくらなんでも不自然が過ぎます。洞窟画の馬の姿は、mhが描く絵なんかよりもずっとリアルでダイナミックです。馬を一度も見たことが無い人が、こんな見事に、実物と同じ姿の馬の絵を幻想で思い浮かべるなんてこと、あるわけがありません!やっぱ、馬を見た人が描いたと考えるべきだと思います。
<ラスコーLascaux洞窟壁画>
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mhはこう思います。
馬やカモシカやバイソンは、時々、古代人の目の前に現れ、草をはみ、草原を駆け抜けて過ぎ去りました。古代人はそれを見て感動したのです。何故って、馬やカモシカやバイソンは人間なんかよりもずっと早く、長く走ることが出来るし、力強く跳躍することも出来たからです。これらの動物は古代人の憧れになり、信仰対象になりました。その結果、洞窟画に描かれることになったのです。つまり洞窟は古代人の神殿とも言える所だったというわけです。
御参考:赤線で示された大断崖がドラケンズバーグDrakensberg
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(完)

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mh徒然草101: ブリテン・ファースト

今日は6月19日です。メキシコ旅行から昨日帰国しました。22日には入院し、翌日には全身麻酔で手術を受けねばならないのですが、メキシコを離れる日に下痢症状が出始め、自宅に戻っても1日中トイレを占有しています。食事も採らず水だけで丸1日過ごしたら少し体調も戻ってきましたが、もし今日(日曜)中に回復確認できなければ、明日、病院に電話して、手術日程を変えてもらうつもりです。

で~手術ですが、親不知(wisdom tooth)の抜歯です!虫歯治療で見つかり、抜く方がいいだろうと言われていました。親不知の根元近くを神経が走っていて、局所麻酔では不十分なため、この際、全身麻酔で抜歯するから、何の痛みも無いですよ、とまるで他人事のように言う(?)大病院の若い歯科医師に説得され、1ヶ月以上も前に、3泊4日の入院生活を送る運命は確定しました。手術までの経緯と手術に関する雑多な情報や感想を、術後に纏め、皆様にご紹介しようと思っていたのですが、メキシコから帰国して英国国会議員の殺害事件を知り、親不知抜歯事件なんかよりも、考えることがあったものですから、記念すべき第101回のmh徒然草のテーマとさせて頂くことにしました。

で~なんで第101回が記念すべき回であって、第100回がそうじゃあないのか、ということですが、100回を一つの区切りとすれば、第100回は区切りの最後で、第101回が新しい区切りの始まりということになりますから、第101回は第1回に似た価値があるってことになります。だからと言って第100回よりも第101回の方が意義深いかどうかについては話をしている張本人も良く判ってはいないのです。

さて、話題を「ブリテン・ファースト」に戻すと、難民受け入れやEU残留に賛成の労働党女性代議士が、4日後の23日に行われるEU残留・離脱国民投票を控えた今、EU離脱に賛成する極右メンバーに心酔している男によって射殺され、逮捕時、男は「Britain First!」と叫んだと言います。

Britain Firstは2011年に結成された極右国粋主義団体とその活動に付けられたニックネームのようですが、言葉の意味はもっと多様です。文字通りには“英国第一”ですが、どのように“第一”なのか?

英国は世界一の文明国だ、英国人は世界一優れた国民だ、と言っているとすれば、他の国の文明や国民は英国よりも劣っていると主張していることになり、全く持って傲慢な態度と言えるでしょう。

しかし“英国第一”は“英国が最優先”という意味合いの方が強いでしょう。例えば、人道的観点から北アフリカ難民を受け入れると英国の富を彼等に分け与え、その分、自分たちに回ってくる富が減ることになるわけで、英国第一の人は、難民拒絶の立場を採ります。EUに加盟していれば英国の主張がEU全体主義的観点から否定されることもあるわけですから、EU離脱の立場を採ります。

つまり“ブリテン・ファースト”は英国の利益が他のどの国の利益よりも優先するという立場に立ち、それだけでも身勝手な考えに聞こえますが、その裏には、もっと恐ろしい、他国の利益を奪ってでも自国の利益を獲得するという独善が潜んでいます。

かつて大英帝国Great Britainは世界中に覇権し、富や労力や資源を搾取しました。その“古き良き時代を取り戻そう”という考えが“英国第一Britain First”です。日本から遠く離れたヨーロッパのことですから、大した関心も湧かないという向きもありますが、日本の隣国の中国でも“中国第一”主義が現れ始めています。今日のニュースでは口永良部島の近くを中国の軍船が通過し、日本が抗議しても中国は公海上の通過であり問題ないと言うだけで、正に“中国第一”を主張しています。日本でも在留朝鮮人へのヘイト・スピーチなど、国粋主義傾向が高まってきていますから、英国や中国ばかりを非難できる立場ではありません。米国でもトランプ氏が掲げるイスラム教徒排斥に同調する人は増えています。

つまり世界中で“自国第一”主義傾向が高まっていて、そのためには“他国への覇権”も重要な手段になりつつあるのです。覇権を拒むためには武器で対抗しなければならないことも出てくるでしょう。戦争の始まりです。戦争では勝者も敗者も取り返しがつかない損失を被るのは誰もが知っているのに、そんなことにはお構いなしです。戦争で受ける損失より戦争に勝利して得られる利益の方が大きいと考えるからでしょうが、その考えは間違っています。

“自己第一”、“自国第一”が強くなってきた世の中を見ていると、愚かな人類は紛争や戦争を避けることは出来ないと思わざるを得ません。

John Denver - Leaving On A Jet Plane (with lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=-hCH2KiG7B8
(完)

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エーゲ海の黙示録の不思議

今回はYoutube「The secrets of the Agean Apocalipseエーゲ海の黙示録の秘密」(Bronze Age collapse青銅時代の崩壊)をお送りしましょう。

クリスチャンでもない日本人でも“黙示録”という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。私の場合はハリウッド映画「地獄の黙示録(原題:Apocalypse Now)」でしょうか。
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舞台はベトナム戦争当時のベトナムです。戦争の開始時期についてはいろいろな見方があるようですが、アメリカの本格的な参戦はトンキン湾事件(1964年)からで、以降10年以上続いた戦いは、1975年4月30日のサイゴン陥落で終結しました。

映画「Apocalipse Now」の撮影開始は1976年で終戦の翌年です。ロケ地はさすがにベトナムという訳にはいかず、フィリピンのジャングルでした。
映画の日本公開は1980年で主演は次の通りです。
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ところで、黙示録とは一体全体なにか?
Wiki:黙示録
ヨハネの黙示録(Apocalypsis Iōannis)のこと。『新約聖書』の最後に配された聖典であり、『新約聖書』の中で唯一預言書的性格を持つ書である。
で、英語表記はThe Book of Revelation又はRevelation、又はThe Apocalypse of Johnです。

黙示録を書いたと思われる人物のヨハネについては、よく判っていないようです。呼び方も、日本語のヨハネはローマ語Johannesヨハネスから来ていますが、 フランス語Jeanジャン、イタリア語Giovanniジョヴァンニ、英語Johnジョン、スペイン語Juanフアン、ドイツ語Johannesヨハネス(省略形で Hansハンス、Johannヨハン)と様々で、訳が分かりません!

黙示録が予言するものは明確で「世界の終末Apocalypse」です。
「キリストが空中に再臨し、クリスチャンを空中にひきあげ(携挙)、その後大きな困難が地上を襲う(患難時代)。患難期の最後にハルマゲドンの戦いが起こり、そのときキリストは地上に再臨し、最後の審判をした後でサタンと地獄へ行くべき人間を滅ぼし、地上に神が直接統治する王国を建国する。千年が終わった後に新しい天と地(天国)が始まる。(千年王国)」

ペルー旅行の報告で、最後の審判の絵が描かれた教会が多いとお伝えしましたが、キリスト教以前に、最後の審判の概念はあったと言います。
Wiki:最後の審判(抜粋)
「最後の審判」という概念はキリスト教やイスラム教に特有のものではなく、それより先発のゾロアスター教に既に存在している。ゾロアスター教の世界観では、世界は善なる神アフラ・マズダ(注を参照)と悪なる神アンラ・マンユとの闘争の場として考えられており、最終的に悪が滅びた後で世界も滅び、その後、最後の審判が行なわれると考えられている。ゾロアスター教の最後の審判は、地上に世界の誕生以来の死者が全員復活し、そこに天から彗星が降ってきて、世界中のすべての鉱物が熔解し、復活した死者たちを飲み込み、義者は全く熱さを感じないが、不義者は苦悶に泣き叫ぶことになる。一説には、これが三日間続き、不義者の罪も浄化されて、全員が理想世界に生まれ変わるとされる。別の説では、この結果、悪人(不義者)は地獄で、善人(義人)は天国で永遠に過ごすことになるとされる。

注:アフラ・マズダ(Wiki)
ゾロアスター教の最高神である。 宗教画などでは、有翼光輪を背景にした王者の姿で表される。その名は「智恵ある神」を意味し、善と悪とを峻別する正義と法の神であり、最高神とされる。
ゾロアスター教の神学では、この世界の歴史は、善神スプンタ・マンユと悪神アンラ・マンユらとの戦いの歴史そのものであるとされる。 そして、世界の終末の日に最後の審判を下し、善なるものと悪しきものを再び分離するのがアフラ・マズダの役目である。その意味では、彼は善悪の対立を超越して両者を裁く絶対の存在とも言える。
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アフラ・マズダ神(右)から王権の象徴を授与されるアルダシール1世(左)のレリーフ

イエスの生誕を祝おうとお土産を持って訪れた三賢人はゾロアスター教の祈祷師マジMagiだという話はご紹介済みですが、キリスト教はヘブライ聖書に、ヘブライ聖書はメソポタミア文明に影響を受けていますから、メソポタミアやペルシャで信仰されていた世界最古の一神教といわれるゾロアスター教がキリスト教に影響を与えたのは、我が尊敬するお釈迦様が仰るように因果応報ってものでしょう。

それでは、ダラダラ続いた長い前置きはこれで終え、Youtube「The secrets of the Agean Apocalipseエーゲ海の黙示録の秘密」をご紹介いたしましょう。
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ハルマゲドン・・・アポカリプス・・・世界終焉・・・
何千回も予言された出来事だが、紀元前1千2百年、それが現実に起きた。
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その様子を目撃した物は誰もいない。しかし、いくつもの偉大な文明が、わずか一世代の間(mh:30~50年か?)に消し去られてしまったのだ。
ジョージ・ワシントン大学エリック・クライン教授「全てが破壊され、崩壊した。」
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ノヴィツキー「紀元前13世紀の末に起きた出来事は今もミステリーのままだ。」
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それはホメロスの叙事詩イリアスIliadやオデッセイOdyssey、旧約聖書のジョシュア記Book of Joshuaや士師記Book of Judgesにも記録された出来事だ。
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しかし、何がこの叙事的epic崩壊を引き起こしたのだろう?エリック「人間か?母なる地球か?」

それは何十年もの間、激論された課題だった。しかし、山の上で発見された古代遺跡が新しい考古学的証拠を提供してくれたおかげで、古代の天変地異cataclysmの原因は姿を現したと言えるかも知れない。
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The secrets of the Agean Apocalipseエーゲ海の黙示録の秘密
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考古学者にとって、過去とは残された遺跡や遺物によって語られるものだ。ツタンカーメンの墓の宝、クノッサスの偉大なギリシャ神殿の崩壊した塔、古代の土器、繰り返される戦いを描いた石のレリーフ。
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これらは後に武器に使われていた金属から青銅器時代と名付けられた紀元前1千3百年の古代世界のものだ。
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古代世界、エジプトから黒海まで広がった一帯には、王や軍隊によって支配された好戦的で強力な国家がひしめき合っていた。マイセニアンやミノアンやエーゲ海の伝説的な英雄たちはギリシャ、クレタ島、エーゲ海の島々に王宮を建てていた。旧約聖書にも引用されているファラオのラムセスは、ナイルの肥沃な土地を変革し、カルナック神殿を増築していた。聖書にエジプトの好敵手と記されている好戦的なヒッタイトは現在のトルコと北シリアを支配していた。
一方、交易の重要なルートに暮らす商人ケニオナイツは後に聖なる土地と呼ばれることになるイスラエル、レバノン、ヨルダンを管轄していた。
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(御参考)
HATTIハッティ:ヒッタイト民族
CANAANケイナン(日本語:カナン):地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯の人々。聖書で神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地であることから、約束の地“カナン”とも呼ばれる。

それはあたかも近づき、時には離れ合う、特徴的な構成や文明を持つ多くの王国で作られたパッチワークだった。しかし、1930年代に考古学者たちが初めてこの一帯を発掘した時、混乱の様相を示す遺物が現れ始めたのだ。
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エリック「我々が掘り出した物は一連の破壊の痕跡だった。主要な都市や町や宮殿のほとんどが様々な原因で破壊されていた。」
破壊の証拠は一帯に広がっていた。破壊が起きた時期は一致する。紀元前1千2百年前後だ。
エリック「その50年間で、少なくとも4つの大きな文明が崩壊している。マイソニアンが消失し、ミノアンが消失し、ヒッタイトが消失し、ケイナイツが大幅に消失し、エジプトも衰弱して昔の面影はなくなった。驚くべきは、この大規模な崩壊が1,2世代の中に行われたことだ。」
シカゴ・オリエンタル大学エミリー「ラムセス三世が就任した時のエジプトは強力な国家で、見事な建築物を建て、巨大な富を所有していた。が、体制に小さな亀裂が入り、経済的にも宗教的にも急速に衰退しつつあった。」
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「その後、彼の代に、驚くほどのインフレが起き、記念碑のサイズも小さくなり、税制度も維持できず、大きな経済問題を抱えることになる。「神よ、助け給え」と救いを求める言葉が記されたヒエログリフも残こされた。そんなことは、以前に起きたことはなかった。」
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紀元前1千3百年にウガリットUgrit(注)でアルファベット式記述が急速に発達し、最初の音楽表記法がシリアでや生まれていたが、その1世紀ほど後、全ての記録が突然、途絶えてしまったのだ。
(注)ウガリット:現在のシリアにあった古代都市国家。
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その後に来たものは不吉にも暗黒時代Dark Ageとして知られることになる。
エリック「エーゲ海や東地中海の暗黒時代には2つの重要な側面がある。文明の重要な部分が全く失われたことだ。その後2百年程の間、ギリシャでは文字が消え失せた。大きな建物の建設も行われていない。再び現れるまでに、2,3百年もかかっている。それは我々考古学者にとっても暗黒な時期だ。何が起きたのか、判っていないのだ。」
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記録されたものがなければ、考古学者は、紀元前1千2百年頃の研究が不可能だ。クレタ島では、貿易や商業に携わる人々は海岸に近い定住地から内陸側の山岳地帯に押し込まれ、農夫や牧夫のように暮らすことになった。
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クレタ・先史エーゲ海研究所ドナルド・ハギス「マイソニアン時代には、この後ろの内陸部には、人が棲んでいた痕跡はほとんど見当たらない。」
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「居住数はとても少なかった。しかし数世紀後、内陸部、山岳部の人口は増えている。何故、どこから来たのかは明確になっていない。」
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都市の崩壊の跡と住民の消滅は何かを語り掛けているはずだが、どう考えても平和的な集団移動ではなさそうだ。
エリック「崩壊の原因が何がを明言するのはとても難しい。発掘をすると、燃えカスや灰や、骨が見つかる。破壊が起きたのは明らかだ。しかし、何がこれらの破壊を起こしたのだろうか。」

答えは、王宮の瓦礫の中にではなく、町から離れた山の中にあるのかも知れない。一人の考古学者が彼の人生をかけて、そのヒントとなる痕跡を調査し続けている。
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彼は急峻な崖を這うように続く道を発見した。生き残った人々の足跡を見つけたのだ。どのように、どうして、彼等の世界が崩壊したのかが判るかも知れない。数十年の間ミステリーとされている紀元前1千2百年頃の、海岸近くの偉大な都市や王宮の突然の崩壊。何がそれを引き起こすことが出来たのか?

多くの調査員たちは偉大な都市を発掘して、そのヒントを見つけようとしている。しかし本当の証拠は、そんなところにではなく、エーゲ海の島々の内陸部にある山や谷に潜(ひそ)んでいる。下層階級の農民や牧夫たちがかつて大麦やレンズ豆lentilsやオリーブを作っていたところだ。1983年の夏、初めてその地に光があたることになった。当時26歳の学生だったポーランドの考古学者クリストファー・ノヴィツキーKrzystof Nowickiはクレタ島の山カーフィKarfiに登った。
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当初の目的は有史前prehistoricの人々がカーフィの山頂に造った新石器時代neolithicの宗教的寺院を研究することだった。

しかし、海抜1200mの頂上に到達した彼は別の遺跡群に引き付けられた。山頂の村だ。英国人考古学者ジョン・ペンドゥルブリーによって1930年代に部分的に発掘が済んでいて、その後は見捨てられていた。
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極寒のひと冬をカーフィ山頂で体験したジョン・ペンドゥルブリーは、村が全く一時的な、季節的な住居地だろうと結論付けた。しかし、ノヴィツキーには、大きな塊の石で組み立てられた遺跡は何か別の事実を暗示していた。
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ポーランド科学学院クリストファー・ノヴィツキー「ここの家々で私の関心を引いたものは、しっかり積み上げられた石組みだ。きっと長い間、住み続けるつもりだったのだろうと思った。」
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発掘された痕跡にそって住居を地図に配置しながら、彼は自分の予想が正しいと確信した。
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ノヴィツキー「発掘の結果、すくなくとも25から30の家が見つかっていた。現時点では、保存状態は良くないが、住居の壁や部屋の跡ははっきり確認できる。恐らく120から150家族が暮らし、6百人から1千2百人の住民がいた、かなり大きな村だったことは間違いない。」
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新たに造られた村は海抜1千1百mの高地にあり、人が棲む場所としては奇妙に思える。
ノヴィツキー「高地の岩山で暮らすことを人々に強いたのは何かを明確にすることは難しいと思っていた。今は夏で暖かいが、冬になれば風が強くて温度もとても低い。快適に暮らせる所だとは思えない。」
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住民たちは何故、低地の丘や平地を離れ、高地を居住地としたのか?
ノヴィツキー「何故人々はこの地に移ってきたのか?何故人々は登るのも難しい山の上に家を造ったのか?何故、彼等は家族を引き連れてこの場所に移ったのか?何故彼等は、全ての生活基盤をこんな場所に移したのか?」
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最初にここを訪れた英国人考古学者ジョン・ペンドゥルブリーはこれらの住居は新しい時代のものだろうと考えていたが、土器やその他の手工芸品などから炭素年代測定すろと、それは正に、青銅器時代の惨事が起きていた紀元前1千2百年頃のものだと判明したのだ。
「紀元前1千2百年までは、人々は海の近くや平地や谷間で暮らしていた。まさに紀元前1千2百年の直前、これらの多くの都市は破壊されるか、放棄されている。」
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避けて通れない疑問は、何がこれらの人々を海岸から山に移したのかだ。ノヴィツキーは歴史的、考古学的な記録を調査し直すことにした。しかし、突然でかつ劇的な変化を示すどんな事実も見つけることが出来なかった。
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エリック「青銅器時代の初期におけるこの現象を理由づけるため、考えられるあらゆる気違いじみた思い付きが提示されていた。火山爆発、宇宙人来襲、とにかく、何でもありだった。」
しかしほとんどの仮説は、昔から常に存在している自然の驚異と関係しているものだった。
エリック「主要なものは旱魃(かんばつ)説だ。エーゲ海全域や地中海の東側一帯、更には欧州南部に起き、人々を移動させたというのだ。確かに水位が下がった事実はあるようだ。」
別の可能性は、この地一帯で定期的に発生した破壊的な地震だ。
エリック「青銅器時代の後期、エーゲ海や地中海では地震で、たった50年の中に多くの町が破壊された証拠を持っている。マイセニ、トロイ、ウガリット、メギドなどだ。」
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「問題は、一つの地震が全ての場所を破壊したというのは考えずらいということだ。これらの都市は50年の内の異なる年代で破壊されているのだ。」
地震による破壊の時期が異なっているとは言え、やはり、原因は地震だったのかも知れない。
エリック「現在の地球物理学者が言う所の地震連鎖というものがあるのかも知れない。地震の嵐とも言えるもので、地震はそのエネルギーの一部を放出し、1年後、10年後、残りのエネルギーを放出し続けると言う考えだ。地震の発生場所は東から西に、北から南に、徐々に移動を繰り返し、地震の嵐というよりも連鎖地震を30年から60年に渡って起こしたというのだ。断層の上に造られていた多くの都市は次々に破壊されていった。破壊された都市を地図にプロットしてみれば、断層に近い場所に造られているという。」
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しかし地震説は、これまで反論も多かった。
ハギス「人間は地震による災害から短期間に回復するものだ。かりに地震が何度も繰り返すからと言っても。」

ノヴィツキーは、どんな自然災害も、人々を平地から山岳地帯に移動させた理由の説明にはならないと考えていた。
ノヴィツキー「1千1百mの山岳地帯に人々が移る理由は自然災害なんかではなかったはずだ。地震から逃げるために岩山の頂で暮らすことにしたと言うのか?自然災害から逃げ出して岩山に移り住む人が居るとは考えれれない。意味がない。」
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ノヴィツキーは、人を寄せ付けない、思いもしないような高地に人々が移り住んだのは、自然災害からではなく敵対する人間から逃げるためだったからではないか信じている。
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ノヴィツキー「這いつくばりながら登らねばならない岩山なら敵の襲撃から身を護るのに最適だ。」
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もしエーゲ海の黙示録に関するノヴィツキーの理論が正しいとすれば、クレタ島の高い山々には、一ダース以上の避難地が、発掘されるのを待って隠れて眠っているはずだ。
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もし彼がそれらを見つけることが出来れば、人も棲み着かないような高地に逃げて生き残りの人々と、彼等を山にまで追いやることになった敵との、生と死の戦いの詳細を明らかに出来るだろう。

紀元前1千2百年、ヒッタイトやケイオナイツやマイソニアンやミノアンの輝かしい青銅器時代の文明を破壊した“黙示録”を引き起こしたものに関しては多くの理論がある。ある人達は怒る神が引き起こした自然災害や疫病pestilenceが原因だという。しかし、もし、自然ではなく人が引き起こしたものだとするなら、誰が繁栄していた文明を一世代のうちに破壊し尽くしたというのか。
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数十年の間、考古学者は放棄された都市遺跡を次々と調査し続けていたが、わずかな断片的なヒントしか得られていなかった。そして1930年代に、決定的な記録が記された石板stone tabletが北シリアで見つかった。紀元前1千2百年頃、火をかけられ破壊したウグリットの王宮の跡で見つかったこの石板は、来るべき破壊の前触れを告げるものだった。ウグリットの王が言ってる“父よ。敵の7隻の船が我が国土に横付けされ、大きな損失を引き起こしている。もし、更に敵の船が来るのを見たら、教えてほしい”。」
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「この石板は父に送られることはなく、敵が町を破壊した時、石板を焼き固めようとしていた窯の中から見つかった。」

海からやってきた敵とは誰だろう?唯一、エジプトだけが青銅器時代の崩壊を生き抜き、その敵に名前を付けていた。
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古代の絵文字は、恐ろしい敵の戦士たちを“海の民Sea People”と呼んでいた。
エリック「海の民がどんな人だったのかはエジプトの記録だけに残されている。壁に残された記録文や、彼らの外観を示すレリーフ絵もある。ある種の兜(かぶと)や頭飾りheaddressを付けていた。妻や子供達家族や家財道具を載せて牛が牽く車で移動している様子が示された絵もある。」
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エミリー「これは地中海の東一帯における全ての古代文化を揺り動かした大きな流れだった。それまで起きたことが無い事件で、偉大な帝国だったエジプトでさえも海の民の動きに震え上がったのだ。海の民は攻撃してくるだけではなく、一部は征服した土地に住み着いたのだ。」
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それらは考古学者ノヴィツキーがカーフィの山頂で初めて住居遺跡を見つけた時に予想したことだった。追い詰められた牧夫や農夫たちは昔から良く知っていた山に追いやられたのだ。
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しかし、彼はカーフィだけが特殊例ではないということを証明できるのだろうか。つまり計画的な住民の大移動が他でも行われていた例を示すことが出来るのだろうか。

ノヴィツキーは自らの理論を裏付けようと20年以上を費やした。最小限の食糧や毛布などを持って一人で山岳地帯を移動した。山は時には険しく、岩に貼り付きながら登らねばならないこともあった。そして、この、考えられない高地で、彼は重大な発見をした。カタリマータKatalimataの山頂の居住地だ。
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この場所を訪れようとしたら、ゴツゴツの岩壁を、どこにあるか判らない手掛かりを探りながら岩に貼付いて登るしかない。
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1990年、現地確認のためドナルド・ハギスがノヴィツキーと一緒に訪れた。
ハギス「この場所はものすごい所だ。平地からそそり立つ石灰岩の鋭い岩壁にある。足を掛けるとガリガリ音を立てる岩肌にしがみ付きながら登らなければならない。渓谷に入るには細い道を通る必要がある。」
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そこで見つかった手工芸品artifactsは岩壁で暮らす人々がいたことを示している。ここに暮らしていた牧夫や農夫は生活用品を急斜面に造られた道なき道を辿って一つづつ、住居まで運ばなければならなかった。老人や体の弱い人達は運び上げられた。死者が出ると死体は山頂に造られた墓穴に埋められた。下の谷では、安全な時だけ、家畜や穀物の世話をしていた。
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ハギス「調査で見つかった証拠は、彼らが住居を、かなり長期間使っていたことを示している。生活するには快適な所とは言えない。住居も狭く、拡張できる場所は少なかった。」
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カタリマータの生活は極端に困難なものだったとは言え、一つだけ優れた点があった。警備securityだ。
ノヴィツキー「この場所は、普通の考えではとても暮らせる所ではないだろう。登るのだって大変だ。」
ハギス「そこは砦のような場所だ。自然を要塞として活用している。」
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この住居に侵入を試みるどんな外敵も何Kmも先に発見できるので、山の住民は準備の時間が十分とれただろう。一方、侵入者たちは、一人づつ、手には十分な武器を持てぬまま、岩にしがみつき、岩を這うように登らねばならない。
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ノヴィツキー「彼等が登坂ルートを見つけたとしても、簡単に阻まれてしまっただろう。たった数人で大勢の敵を退散させることが出来たはずだ。」

カタリマータはノヴィツキーが見つけた沢山の逃避地の最初のものでしかない。クレタ島の2千もの山岳地を調査した結果、彼は80もの逃避地を発見した。
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これらは全て紀元前1千2百年頃のものだと思われるものだった。一つの共通事項は、海の民の攻撃に対処できる場所だということだ。

ノヴィツキー「住民が海からやってくる人々を恐れていたとどうして判るのかというと、彼らが恐れていたのが近隣の人々ではないからだ。それぞれの住居がどんな場所にどのように作られているかを見れば明らかだ。山に住居を造ったのは海からやって来る敵から逃れるためだったのだ。」
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海の民の流入は古代世界の様相を変えたはずだ。一体、海の民とは何者なのだろうか?エジプトのメディネ・ハブーMedinet Habu遺跡に刻まれていた戦記表によれば、エジプト人は海の民には9派閥を特定していた。
エリック「海の民がどこから来たのかに関する理論の多くでは、海の民の派閥の名前などから文献学philologyを根拠に場所を特定している。彼等は危険な地域、例えばシシリー島、から来たという。しかし彼等はシシリー島から来たのか?それともシシリー島に戻っていったのか?」
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数十年の間、学者達は海の民の発祥地について論争を続けている。ある人はトルコ南東部やシリア北部だと言い、ある人はサーディニアSardiniaやシシリーだという。
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エリック「海の民が東から来て西に移動したのか?それとも西から東に移ってきたのか?知っている人は誰もいない。」
この9派閥の侵入者たちはどこからやってきたのだろうか?それとも彼等の攻撃は彼等の拠点に近い場所で行われていたのだろうか?
ある理論によると古代世界は王宮とそこで暮らす全能の王だけで構成され、全体としてはテロや内部紛争に対して脆弱(ぜいじゃく)な体制だったという。
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エリック「王は、ほぼ全てを統括していた。王室直轄の商人や企業組織があった。王が政権を指導し、軍隊を指揮し、他国との交易を管理し、外交権も全て王が握っていた。従って、日常の75%から90%が王の影響を受けていた。」
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“青銅器時代の終焉”著者ロバート・ドゥリューズ「王や王妃は神と共にあった。彼等は人間の代表であって、神々は像で表現されていた。更に職業軍人の軍隊があり、それ以外の人々は、王や王妃が満足する状態を保つためだけのものだった。」
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ロバート「戦となれば、体制の外部にいた工夫や農夫たちは、王の軍勢の中で“その他の兵士たち”に属し、役目といえばチャリオット(馬車戦車)に付き添って戦う卑屈なものでしかなかった。」
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ロバート「青銅器時代の典型的な戦では、数百、時には数千のチャリオットが最前線で対峙した。」
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ロバート「チャリオットに乗った戦士は重装備で、主な武器としては弓を使い、戦いは一般的に長時間に渡ることが多かった。勿論、敵を攻撃した後は、チャリオットを停めて、誰かが敵を仕留める作業が必要だった。そこで登場するのが歩兵で、蛮族など、雑用をするために雇われた兵士だ。」
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これらの名も無き兵士たちは、いろいろな貧しい地域から寄せ集められた人々だった。
ロバート「我々が手にした石板では、王族たちがチャリオットを重視していたことが確認できている。チャリオットは全て名前が付いていて、それに乗って戦う騎士はエリートで、歩兵たちとの間には社会的な地位の差が歴然としていた。」
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紛争がある限り、歩兵たちが働く所があった。しかし、大きな崩壊につながる時代には、前例がない程に平穏な時があった。
エミリー「多くの国は多かれ少なかれ平和だった。ラムセス2世のエジプトとヒッタイトの間には偉大な条約が結ばれていた。」
エリック「第一次および第二次世界大戦の後には、ある種の平衡があった。多くの国家が平和条約を結び、国家間の戦争を平和裏に集結させた。おかげで半世紀とか1世紀の間の平和を我々も享受している。これと似たことが古代世界でも起きていたはずだ。それが崩れる時が来たのだ。」

下層階級の兵士が雇用される機会が減ったという事実が、変化を引き起こしたのだろうか。それとも失業した兵士が外部の敵に雇用されたのだろうか?
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ノヴィツキー「このような兵士たちがグループで、または地方のリーダに雇用されて略奪を始めた可能性がある。彼等はしたい放題の諸行を働いたはずだ。誰も彼等を捕えることは出来なかった。」
エジプトの記録によれば、侵入者たちの構成は50年以上に渡り変化し続けていたという。
エリック「エジプトの記録では、海の民は何度か攻撃を仕掛けて来が、少なくとも一回目と二回目では敵軍の構成に変化があった、と記されている。これが事実かどうか判らないが、エジプトが大きな痛手を受けたことは間違いない。」
そしてエジプトのレリーフが示すように、所謂(いわゆる)海の民はチャリオットに付き添う歩兵と同じ武装していた。
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ロバート「彼等は軽装で、実際のところ重装備なら戦場において歩兵としての機動性は発揮できなかっただろう。その代わりに彼等は、木の枠に獣の皮を張って作られた円形の小さめの楯(たて)を持っていて、実戦的ではないが精神的な防御としてのヘルメットを被(かぶ)っていた。」
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正確な出身地は特定できてはいないが、考古学者ノヴィツキーは手掛かりになる場所の一つを発見したと考えている。クレタ島の東端のカストリKastriで、彼は、これまで見つけた島の内陸部の避難地とは異なる住居跡を見つけた。
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この、若干、接近しやすい丘の住居には戦(いくさ)に熟練した勢力が暮らしていた気配が残されていた。
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ノヴィツキー「ここに暮らしていた人々は普通の牧夫や農夫ではなかった。小さな集団の農夫たちだとしたら住むには危険すぎる場所だ。侵入者たちは容易に住居地に攻撃を仕掛けることができる。」
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しかし、地勢的に見ると、クレタ島の海岸や近くの島々に行くのが簡単だという戦略的な優位点が備えられている。
ノヴィツキー「我々は2,3隻の船がここに停泊していたと考えている。恐らく50人から100人くらいの人がいた。それだけいればクレタ島の海岸の町を攻撃するには十分だ。」

もしノヴィツキーの考えが正しいとすれば、このカストリの地の優位性を認めたのは海の民だけではない。1940年代、この丘は周辺の島々を支配しようとしたドイツ軍によって抑えられた。

ドイツ軍は結局この地を追い出されることになったが、海の民はクレタ島やエーゲ海を我が物顔に攻撃し続けたのだ。
ハギス「破壊の拡大は主にアナトリアや中央ギリシャに向かって行われた。彼等は組織化されてはいなかったが十分な武器を準備して攻撃したようだと言う人々もいる。」
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この攻撃者が外部からの侵入者か、不満を持つ地方出身の戦士か、またはそれらの組合せかどうかは別にして、同じ疑問は相変わらず残されたままだ。
「とにかく驚くべき点は、寄せ集めの略奪集団や海賊が、優れた文明を破壊したことだ。どうしてそんなことが出来たのかについては大きな疑問のままだ。」

答えは海の民がどこで生まれたのかではなく、彼等の戦闘方法にあるのかも知れない。キリスト誕生の1千2百年前、残忍な武力集団が古代世界の風景を一変させてしまった。証拠は崩壊されたマイソニアンの跡地や放棄された王宮に残されている。
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生き残った人々の絶望はクレタ島の山頂に残る不安定な避難地に垣間見ることが出来る。ミノアンやヒッタイトなどの偉大な文明は飢饉や地震などの自然災害では生き延びたが、海の民と呼ばれる不可解な武力集団の蛮族によって破壊されることになったのだ。しかし、これらの侵略者たちはチャリオットや鎧兜(よろいかぶと)は持っていなかった。そんな彼らがどのようにして王国の軍隊を手玉に取ることが出来たのだろう。
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ロバート「13世紀の終わり頃になると、高価なチャリオットやチャリオット軍団が戦争で勝つための条件ではない時代が始まったのだ。大勢の歩兵を組織すればよかった。その方が費用も少なく、チャリオットを孤立させて戦うことも出来たのだ。」
ある一つの武器が、これらの歩兵たちを手ごわい戦士に仕立て上げていた。
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ロバート「単純で、昔なら狩りに使われた武器だ。槍だ。恐らく長さ1.2mくらいで先端には小さな金属の穂先がついていた。致命傷を与えられたとは思わないが、間違いなく敵を傷付け、殴り倒すことは出来たはずだ。」
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侵略者達がチャリオットに集団で襲い掛かると、正式な装備をしたチャリオットも急に脆(もろ)くなる。
ロバート「チャリオットの戦士は恐らく20Kgほどの鎧兜を身に付けていたので、走ることは出来なかった。従って馬無しの戦いで身を護ることは難しかった。」
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まさにこれこそ、短い刀や軽量の楯を持った侵略者達の集団が数や機動性で勝れていた点だ。
ロバート「彼等はまず馬を傷つけてチャリオットを動けなくした。そしてから接近戦に持ち込み、チャリオットの戦士を仕留めていった。」
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こうした攻略が成功し出すと侵略者達の力はますます強力になり、エーゲ海一帯にその力を及ぼすようになった。唯一、エジプトだけが、弱体化を強いられたものの、外敵の猛攻を耐え忍ぶことが出来た。
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マイソニアンやミノアンやヒッタイトが凌(しの)げなかった攻撃をファラオの軍隊はどのように耐えたのだろうか?

エミリー「外交的なやり取りがあった。それに黄金などの多くの取引が南のヌビア経由で行われ、多くの馬がエジプトに持ち込まれ、その他さまざまな品物がエジプトと他国の間で交換されていた。それで、エジプトは海の民が攻め込んでくるという情報を事前に入手し、防衛に活かしていたのだろう。エジプトは敵の攻撃に素早く対処するため首都をテーベThebesから北のパイラムセスPiramsesに移している。」
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エリック「エジプトには平和な時代から、優れたスパイ組織があって周辺国の情報を入手していた。海の民の動きも事前に察知していたのは間違いないだろう。」
その時までには、エジプト人は、海の民としてしか知らない彼らが、海上だけではなく陸上でも強力な軍団であることを知っていた。
ロバート「戦いはほとんどが陸地で行われていた。しかしラムセス三世は1179年、これらの攻撃者たちが内陸に侵入するのを押しとどめることに成功している。」
エリック「それはエジプトの文字や絵に残された、海上で行われた戦いの記録から判る。河口なのか海上なのかは明確ではないが、海の民の船が沈められ、船の上の兵士達が上陸前に攻撃を受けている。重要な水上戦だったはずだ。」
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ロバート「エジプトの兵士が陸地から弓を射る姿や船の上の混乱状況が描かれている。海の民の軍勢には逃げ戻るしか生き延びる道はなかっただろう。」
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ファラオの弓隊によって大勢の兵士が殺されたため、海の民の最後の攻撃は失敗に終わり、以降、彼等の痕跡は途絶えてしまう。

しかし、戦い方は大きく変化することになった。
ロバート「青銅器時代の後期、王国の防衛はチャリオットに乗ったエリートの兵士にかかっていた。しかし、青銅器時代のこの混乱に引い続いて生まれた鉄器時代になると、歩兵の重要性が増加し、チャリオットの先制攻撃は決定的なものではなくなった。暫くの間チャリオットも使われてはいたが、重要なのは歩兵になった。」
たった数年で、古代世界の王の軍隊は力を失い、新しい軍隊集団の発想が生まれたのだ。
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エリック「海の民が造り上げたのは、権力の空白だった。青銅器時代が終わった後、全く新しい時代になった。権力の頂点にいた王やエリートは壊滅していなくなり、下級、中級の人や農夫、奴隷たちは生き残ることはできたのだろう。すると彼等は何をしたのだろうか。」

山の頂に避難していた牧夫や農夫の場合、考古学的な証拠では明確になっている。海の民の破壊が終わり、消え失せてしまうと、厳しい生活を強いられていた彼等は徐々に低地の生活に戻っていった。
ノヴィツキー「紀元前1千2百年以降になると、人々はこの山頂から1、2Km離れた低地に移動した。」
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以降、彼等には二度と高地で暮らす必要は無くなった。一方、海の民として知られる人々が辿った運命の結末を知る人は誰もいない。
エリック「エジプト人自身は生き残りの一部がエジプトやカノンCannanに住み付いたと言っている。」
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エリック「イスラエルの都市ドーアDorが暗殺者の町に変ってしまったことや、ポレッサと呼ばれる海の民がケイノンCannonに定住しフィレスタインPhillistinesと呼ばれるようになったという証拠がある。」
ある人は、これらの海の民の生き残りは混血したはずだから、将来、墓に眠る遺体をDNA分析すれば、明らかできると信じている。
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エリック「恐らく、海の民が滅ぼした様々な文明の残された部分もあるはずだ。海の民の中にマイソニアン、ミノアン、ヒッタイト、ルーカスが含まれていたのではないのだろうか。彼らが生き残るチャンスは彼等の文明を破壊した海の民に従っていくしかなかったはずだ。海の民の立場は彼等が征服したどの人々よりも強かったのだろうから。」
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否定できないのは、文明や海の民の凋落の後、全く新しいものが現れたということだ。
エリック「我々は坩堝(るつぼ)で混ぜ合わされて新しいものが生まれてくるまで2世紀程の間、暗黒の時代を迎えた。燃えカスの中からフェニックス(不死鳥)のように現れたものは新しい政治体制と新しい文明を産んだギリシャだ。ギリシャが立ち上がると民主主義も生まれてきた。」
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ロバート「海の民は一つの世界を破壊した。しかし、彼等は、それまでチャンスを与えられていなかった人々にチャンスを与えることになった。」
エリック「イスラエル人が、デイビッドやソロモンが生まれた。イスラエルやユダヤの王国が生まれた。これらは青銅器時代後期の偉大な王国が倒されていなければ生まれてこなかったかもしれない。従って海の民は、古い世界の終焉と新しい世界の始まりを運んできたといえる。」
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古い時代を終わらせ、新しい時代を立ち上げた一連の出来事が何かを正確に理解するための調査は今も続いている。
ハギス「私は完璧な答えが得られたとは考えていない。しかし、ノヴィツキーは正解に近づいていると思う。」
エリック「実際に起きたことは、いくつかの出来事の重なりだろう。海の民は幸運だった。彼等には旱魃や地震などの自然災害も味方にしたはずだ。一つや二つの理由でいくつもの文明が崩壊することはない。複数の原因が重なり、その相乗効果で海の民は前例のない力を発揮することが出来たのだ。」
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考古学者達は突然起きた文明の崩壊の原因を見つけ出したかも知れないが、更なる裏付け証拠を求めて今も調査を続けている。
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エリック「エジプト人は、ヒッタイトがこんなに簡単に崩壊するなどと考えていなかったと私は思っている。色々な出来事を総合的に考えれば、海の民の力は強力になっていたかも知れないのだ。今日の社会のために学ぶべきことがあるとすれば、旱魃(かんばつ)はそんなに重要なことではないかもしれない。地震も単なる一撃でしかないだろう。しかし二つの自然災害に人災が重なれば、予想もしなかった結果に襲われるかもしれないのだ。」
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Bronze Age collapse
https://www.youtube.com/watch?v=HH8Ln4j3X0Q
(補足情報)
ネットで調べると、“海の民”の軍勢の規模は小さく、イタリアから来たり、クレタ島の住民だったり、ヒッタイト人だったり、つまり、国家が弱体した中から生まれた低所得者の強奪集団だったようです。エジプトの遺跡のレリーフに残された海の民とエジプト軍の戦いの図は、例によって誇張で、実際はそんなに大きな戦いではなかったと考えるのが正しいだろうとのことでした。結局、海の民は夜襲や奇襲で、海辺の小さな町や村を攻撃しただけで、ミケーネ文明Mycenaean civilization、ミノア文明Minoan civilization、ヒッタイトHittitesを滅ぼす力は持ち合わせていなかったのではないかと考えられています。
(完)

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mh徒然草100:人は動物を殺す権利があるか?

今日は6月10日です。
秋田の十和田湖付近で、山菜取りの女性が熊に殺され、遺体が発見されました。先月下旬に男性3人が近在の山で殺されていて、これで4人目です。猟友会が1頭を駆除する様子がTVで流されましたが、仕留められた熊はそれほど大きくなく、今回の事件とは無関係かも知れません。

そういえば、数週間前、米オハイオ州シンシナティの動物園で3歳の男の子がゴリラの檻に落ち(柵を通り抜けた?)、ゴリラに引きずり回されている映像が流れていました。普段は大人しいゴリラだったのですが、子供を離さずに引きずり回し続けたので、射殺されたようです。子供には大した怪我はありませんでした。
この事件では、動物園の対応や子供の親に対する非難が起きています。人間の不注意から、檻に閉じ込められていたゴリラが射殺される羽目に到った結末に矛盾を感じる人が多かったのです。
詳細は次のURLでご確認下さい。
http://www.bbc.com/japanese/36423356

しかし・・・秋田の熊の駆除では、やりすぎとの意見は出ていません。4人も殺されましたから、駆除を続ける必要があるという意見は出て来ても、熊を殺すべきではないという主張は、恐らく、現れてこないでしょう。

くしくも今日ブログ公開した捕鯨問題もそうですが、動物を殺すことに対する考え方は、所謂(いわゆる)民度に関係しているのではないかと思います。

民度が高ければ“動物の中で最も権力を持つ人間は、他の動物の生命に対しても責任を有する”と考え、民度が低くなると“人間に害を与えるのだから駆除してもよい”となり、更に低くなると“人間が生きるため、殺して食用にしても好い”となります。

秋田の熊の駆除のニュースを聞いた日本人には、この際、徹底的に駆除しておくべきだと考える人が多い気がします。熊を殺さずに共存する方法がないか、という観点を持たない日本人の民度は、アメリカの民度に及ばないと言えるでしょう。そんなアメリカ人が選ぶ大統領なら、ヒラリー・クリントンでもドナルド・トランプでも安倍首相よりはましではないでしょうか。

(御参考)
“民度”(ネット辞書):ある地域に住む人々の,生活水準や文化水準の程度。

(追記)
FC2事務局からメールがあり「JASRAC(一般社団法人日本音楽著作権協会)様よりDMCAによる著作権違反の連絡が届いておりますので該当記事を凍結いたしました。」とのこと。
対称ブログは本年3月4日「mh徒然草78: You raise me upの不思議(問題篇)」と昨年11月13日「mh徒然草62:中国の宗教弾圧」で、末尾に挙げた音楽‟You raise me up, The Locomotion/I Will Always Love You”のURLコピーが違法と判断されたようです。
ご了承下さい。

Simon & Garfunkel - Bridge over troubled water
https://www.youtube.com/watch?v=jjNgn4r6SOA
(完)

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Civilization Lostの不思議

“Lost Civilization失われた文明”ではなく“Civilization Lost”です。辞書で確認するとlostは他動詞lose(失う)の過去・過去分詞形で、自動詞の意味(消える)はないようですから、Civilization Lostは“文明が消えた”ではなく、“文明の消滅”とでも訳すのが適当でしょうか。日本語で“失われた文明”と“文明の消滅”では大差はないと言えますが、おいおいわかるように、言いたい事は異なるんですね。

“Civilization Lost文明の消滅”とは何か?

勿論、文明が消えるってことです。町や住民、文字、記録が、跡形なく消え失せてしまうのですから、文明があったことすら誰も気付かないってことです。

そんな文明があったのでしょうか?仮にあったとしても跡形なく消え失せたのなら、誰も気付いていない訳ですから、あったなんて言える訳がないのであって、その辺りは、どうしても歯切れが悪くなるんですが・・・

今回ご紹介するYoutube「Civilization Lost文明の消滅」では今から5千年以上前に生まれた文明は、そのほとんどが後世に伝えられることなく消えてしまったと断言し、その原因を推定していくのです!

北アフリカを例にオサライしておきましょう。北アフリカと言えばサハラ(砂漠)とナイル川ですね。
ブログ「サハラの不思議2014・8・18」によれば、現サハラ(砂漠の意)が砂漠化を開始したのは3百万年前です。そんな昔のことがどうして判ったのか?
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北アフリカ・モロッコ沖での海底ボーリングで、3百万年前以降の地層から砂が見つかったんです。アフリカ上空を吹き渡る風が運んだ砂で、サハラ砂漠化の始まりです。

そうは言っても、サハラには、まだまだ木々も多く、湖や川もあって、動物や人が暮らし続けていました。しかし、砂漠化は着実に進行し、今から6千年程前に描かれたと思われる岩絵を最後に、人間がサハラで暮らしていた痕跡は途絶えます。セルビアの地球物理学者が唱えたミランコビッチ・サイクル(注)による気象変動が原因ではなかろうか、と結んでいました。

(注)ミランコビッチ・サイクル:
「地球の、自転軸の傾き、歳差運動、公転軌道の離心率、の周期的変化により、日射量の変動が約2万年、約4万年、約10万年という3つの周期で起きる」とする説。

また、2014・12・15ブログ「エジプト第一中間期の不思議“Ancient Apocalypse Death on the Nile古代の黙示録;ナイル川の死”」によれば、今から4千2百年前(紀元前2千2百年)、ナイル川は死にました!気象変化で、長期に渡り水量が減ったんですね。おかげで農業が壊滅的被害を受け、人心が乱れてエジプト古王朝が崩壊したのです。この気象変化を裏付ける証拠の一つは、大西洋の海底ボーリングで見つかったアイスランドの火山灰の変化です!
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アイスランドの火山灰を含んだ氷河の氷は毎年、海流に乗って大西洋を南下し、溶けると海底に灰を沈殿させます。大西洋のいろいろな地点で海底をボーリングして、どの地点の、どの年代の地層にアイスランドの灰が見つかるかを調べてみたら、最も南の地点で灰が見つかった地層は紀元前2千2百年頃のものでした。つまり、その時は他の時期と比べて気温や水温が低く、氷が溶ける位置が、いつもより南寄りだったのです。
更には、イスラエルの鍾乳洞で採取した鍾乳石に閉じ込められた雨水の中の酸素の重さを年代別に質量計で調べると、やはり紀元前2千2百年頃、重い酸素の率が軽い酸素に対して増加していました。雨が少なかった証拠です。

つまり、何らかの原因で紀元前2千2百年頃、気象変動が起きてナイルの水量が減り、飢饉が起きたのは間違いないというのです。

今回ご紹介するフィルム「Civilization Lost文明の消滅」はもっとショッキングなんですね。“今から5千~6千年前に何かが起き、それ以前に生まれていた文明のほとんどが地上から消えた”って言うんですから!
本当にそんなことが起きていたのか?とすれば何故?

長い前置きはこれで終わり、Youtube「Civilization Lost」に沿ってご紹介しましょう。フィルムは1時間半の長さなので、mh流に端折らせて頂きます。悪しからず。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
最近、科学者や考古学者達は、古代の、かつて繁栄していた文化を見つけ出している。それらは、これまで誰もが考えていたより数千年以上も古いのだ!何がその文明に起きたのか?どうして消滅してしまったのか?そんなことが今後も起こり得るのか?祖先と同じように、我々も地表から消し去られる運命なのだろうか?そして、その後には、まったく新たな文明が生まれるとでもいうのだろうか?
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人が住んでいたとは思えないオマーンOmanのルブ・アル・ハリ砂漠。
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どこまでも続く砂漠には人が棲んでいた気配は見当たらない。
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しかし言い伝えによれば、およそ5千年前、不思議な王国ウバールUbarが在った。
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コーランや旧約聖書によると、豊かな王国だったが神の怒りにふれて破壊されたという。この、今まで全く神話の町だと思われていたウバールが実在していたことが、つい最近、衛星を使った観測技術や考古学者の古典的な発掘作業の結合により確認された。

1983年、考古学者チームは、観測衛星の特殊写真から、砂漠の中にあった川や交易ルートの痕跡を見つけ出した。
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現場を訪れた彼等は、そこで失われていた都市ウバールの遺跡を掘り当てた。
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古代の記録にあったように、8つの塔と9mの塀の跡も確認できた。
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地下水源の水が減って出来た空洞に建物が落ちて消滅したと考えられている。
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しかし・・・文明が跡形なく消し去られてしまうなどということはあるのだろうか?科学者たちは“可能性があるだけではなく、極めて起こり得るNot only possible but also too probable”と言う。
(スーダン・ヌビアのピラミッド)
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数十年の間、 “人類はおよそ20万年前に生まれ、我々が文明と呼ぶものは2千~3千年前a few thousand years agoに生まれた”と考えられてきた。しかし、近年の新たな発見は“我々が知っているのは歴史の全てではないのではないか”と問いかけている。
(メキシコ・テオティワカンのピラミッド)
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近代考古学では、例えば都市や文字の出現が文明の出現だと考えられている。メソポタミアで紀元前3千5百年に文明が現れた。狩猟から農業への生活の変化があり、人々は定住し、文明が生まれたのだ。
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人間らしい生活を始めることと、文明を創ることのギャップは大きい。従って文明が生まれた時期はどこまで遡るのかを知るのは興味深いことだ。

ウバールUbarが現実に存在していたとすれば、他にどれだけ多くの都市が発見されるのを待ち望みながら埋もれ続けているのだろう?それを発見したら、我々は何を見つけ出すことになるのだろう?祖先の過去か?それとも、将来起こり得る破滅の予兆か?
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1994年、東トルコのサンリウルファSANLIURFA。丘の上で土地を耕していた農夫が大きな長方形の石を見つけた。ゴベクリ・テペGobekli Tepe遺跡の発見だ。
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直ぐに考古学者たちが集まってきて本格的な発掘調査が始まった。石にはイノシシ、狐、牛、鳥、ライオンなど動物の彫刻が見つかった。
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多くの動物は、その地では見受けられないものだった。
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考古学者が最も驚いたのは、ゴベクリ・テペが1万1千年も昔のものだったことだ!エジプトのピラミッドより7千年も古い!!!
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誰が何のために造ったのか?20もの楕円形の構造物の跡が見つかっている。大きなものは直径30mだ。中に立てられているT字型の石は20トン以上もある。
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新石器時代の遊牧民が、神聖なこの場所まで移動しては造り上げた宗教的な施設だろうと考える考古学者が多い。寺院だったというのだ。この地で見つからないはずの動物も石に彫られている。儀式や生贄の場所だったのかも知れない。住居でないことは間違いないだろう。2千年ほど使われ、紀元前7千年までには意図的に埋められて放棄されたという。何故!
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何かの理由で離れた所に移住しなければならなくなり、神聖な場所を放置することができずに埋葬したとでもいうのだろうか。

ゴベクリ・テペが埋葬された時期は北米に隕石が落ちた時期に重なる。世界的なcatastrophe大惨事だったのか?それともその余波aftermathか?

原因は数百Km離れた山にあるのではないかと考える科学者もいる。大洪水が引いてノアの箱舟が到着したと言われているアララト山。
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箱船を出た動物が拡散し、ゴベクリ・テペの石に残されることになったのではないのか?

洪水神話はアメリカ版、中国版、ギリシャ神話、ヒンドゥ神話など、世界中に残されている。恐らく洪水による惨事は現実に起きていた。だから神話にもなった。

2004年、スマトラ沖で発生した津波で20万人以上が死亡した。2百万人以上が住居を移さざるを得なかった。
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7年後の2011年、東日本大震災では、地震後の津波で2万人が死んだ。
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ベスビオ山の噴火ではポンペイが消滅している。
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地球で暮らす限り、自然の驚異からは逃れられない。津波、地震、噴火。これらが文明を一瞬の中に消し去ってしまったのだろうか?

ギリシャ・クレタ島CreteのヘラクリオンHeraklion。1894年、英国人の言語学者で考古学者アーサー・エバンス卿が当時発見されたばかりの粘土板に描かれた文字の解読のためにエーゲ海の島々を訪れた。それはギリシャ時代の初期のものではないかと思われていた。
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しかし、エバンス卿の結論は世界中を驚かせた。ハイログリフ(hieroglyph象形文字)のような文字は紀元前5千年の、まだよく知られていない文明のものだったのだ!
( mh“ファイストスの円盤”として 巻末で詳細をご紹介します。)

3年後、発掘チームを引き連れて戻ったエバンス卿が見つけたものは、ミノアの宮殿だった。
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美しい壁画などで飾られた部屋、冷水と温水の風呂、室内トイレがあった。今では、ミノア文明は地中海で生まれた最初の偉大な文明だと考えられている。紀元前2千5百年~同1千6百年に渡り繁栄していた。
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これだけの文化や施設を残す力と技術を持った人々が、何故、突然、消滅してしまったのだろう?
多くの科学者は、100Km北のテラTheraで起きた巨大な火山爆発が原因だろうと考えている。
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その後に起きた津波がクレタ島のミノア文明を消し去ったというのだ。
(mh:宮殿は高地にあり、津波で破壊されたとは考えられないという学者も多いようです。)

ある文明が突然消滅し、それを知らずに次の文明が生まれてくるということはあるのだろうか?とすれば、我々が全く知らない、もっと古い文明があるのではないのか?

“火山爆発が一つの文明を完全に消し去る可能性はある”と火山学者達は考えている。
カナリア諸島近くのラ・パルマ島で何らかの事件が起こり、火山が大きな地滑りを起こした。その結果で引き起こされた高さ10~20mの津波が大西洋の反対側のアメリカ大陸にも被害をもたらした証拠があるという。
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しかし・・・津波や地震や火山の噴火が痕跡すら残さずに文明を破壊し尽くすということは本当にあるのだろうか?ひょっとするとその証拠を、黒海の沿岸にある、黄金で埋め尽くされた古代の墓の跡で見つけられるかもしれない。

ブルガリアのバルナVarna。長い間、貿易で繁栄していた。
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西暦2世紀、ローマ帝国の影響をうけ、大公衆浴場も造られた。
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しかし、その時、町の更に下に、別の文明が埋まっていたことを知る者はいなかった。それが見つかった途端、欧州の歴史は一変することになる。

1972年、電線埋設工事をしていた工夫が銅製品を見つけた。数週間後、考古学者が男の家を訪れ、それを見て驚いた。翌日、その場所に行って調べ直すと金製品が出て来た!共同墓地necropolisで300以上の墓が見つかったのだ。
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紀元前4千5百年のものだった。考古学者を驚かせたのは彼等の文明が卓越していたことだ。遺体は北か北東に向けられていて、銅や翡翠や沢山の金や宝石のアクセサリー以外に権力の象徴とも言える黄金の錫杖(しゃくじょう)も見つかった。
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黄金の埋葬品の多くは、数か所の墓に集中していた。有史前時代、人々はみな平等だったと考えられていた。しかしバルナの墓は異なっていた!権力者がいたのだ。沢山の武器も見つかっている。
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見つかった石像。
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都市バルナはストーンヘンジが造られた時代より、少なくとも3百年以上も前まで存在していた。
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エジプトやメソポタミアやミノアの文明よりも古い。何世紀もの間、繁栄していたバルナの人々が、どうして、紀元前4千1百年ごろ、消えてしまったというのか?
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紀元前4200年ころ劇的な気候変動があったということは証明されている。大気温は上昇し、水位も上昇し、そのために農業環境が悪化し、飢饉や洪水などが起きてバルナが消滅したのだろうか?最近、中東で行われた考古学的発掘から、新しい情報が見つかっている。多くの学者はバルナやその他の都市で文明が消滅した原因を教えてくれるのではないかと期待している。しかし、もっと信じられないような証拠もある。それは我々の時代も先が短いという警告でもある。

2000年の北東シリアのテル・ハモウカルTell Hamoukar。これまで全く知られていなかった6千年前の文明の跡が発見された。
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1Kmx1Kmの広さの都市で、1~2万人が暮らしていただろう。
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文字も持っていたようだ。最初の古代都市は600Km離れた南メソポタミア、現在のイラクだった、という考古学者たちの考えを覆すことになった。しかし、どうして突然、テル・ハモウカルは消滅したのか?
「紀元前3500年頃は悪い時代だった。外部からの攻撃があった。火をかけられた跡がある。埋葬も正常ではなかった。投石機(スリング・ショットSlingshot)も使われていたようだ。」
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「恐らく、南のメソポタミアから進攻して来た軍勢によって滅ぼされたのではなかろうか。」

テル・ハモウカルの数百Km西には新たに見つかった遺跡テル・カゥナルがある。
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2007年発掘が始まると5つの大きな石の塔の跡が見つかった。直径4.5m、高さは推定で6m。目的は判っていない。少なくとも1万年前のものだと考えられている。
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ここが重要なのは、石を積み上げて造られた最も古い町と言われてきたジェリコ(注)よりも2千年も古いということだ。
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Wiki:ジェリコJericho
死海の北西部にある、古代オリエントの中でも古い町で、紀元前8千年紀(紀元前8000年から紀元前7001年)には周囲を壁で囲った集落が出現した。世界最古の町と評されることもある。世界で最も標高の低い町でもある。

テル・カゥナルも南メソポタミアから侵入してきた軍勢によって破壊されたのではないかと多くの考古学者は考えている。しかし、最近は別の意見も出て来た。自発的なspontaneous核爆発ではないのか?
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1972年、科学者たちはアフリカのウラニウム鉱山の底深くで、そのような事実を発見している。
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必要なのは2つ。高密度のウラニウムと、中性子の移動速度を落とすもの、つまり水だ。この2つがあれば天然の原子核反応炉が生まれる。しかし、これを実証した人はいない。
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このような自発的核爆発ではウラン鉱脈の数千Kmとは言わないが、数百Kmの中の生命を消し去る可能性がある。それが西アフリカで起きたとすれば、他の場所でも起こり得るのではなかろうか。例えばテル・ハモウカルで。

有史以前の文明は自然に起きた悲惨な地球内爆発で破壊されたのだろうか?1968年、NASAアポロ8号は人類初めて月に向かった。月の周回軌道を10周した時に撮影した表面写真を見るとクレーターが沢山あった。全て火山爆発によるものだと考えられていたが、大きな隕石の衝突跡も多いことが分かった。
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地球も隕石で大被害を受けていた。今なら隕石がユカタン半島に落下したことが恐竜滅亡の原因だろうことを誰もが知っている。
アリゾナ州の有名な隕石meteoriteクレーターは5万年前、直径凡そ45mの小惑星asteroidが時速4万Kmで衝突して出来たと考えられている。
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衝突の威力は広島原爆の1千倍で、出来上がったクレーターの直径は1.2Km、深さは60mもある。

2002年、フットボール場ほどの大きさの小惑星が地球と月の間の月までの距離の1/3の場所を通過した。もし地球に落下していれば大爆発か大きな津波を起こしていた。小さな惑星や隕石は大気圏内で燃え尽き、30m以上のものだけが地上に到達する。

最近では、1908年、シベリアのタンガスカTUNGUSKAに落下した。大きさは30~40mだろう。地上から6km上空で爆発し、2千平方Kmで木々が倒壊した。
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5メガトンのダイナマイトで広島の385倍だと推定されている。太陽系内には1kmを越える小惑星が数百以上もあり、もし地球に衝突すれば地球全域に影響を与える。衝撃よりも大きな問題は大気中にまき散らされる細かな粒子だ。太陽光を遮断し、酸性雨をもたらし、飛び上がった破片は再び火の玉となって地上にまき散らされて火災を引き起こす。

NASAの近地球物体調査チームNear Earth Object Teamは宇宙空間に打ち上げたカメラの調査対象を140mの小惑星まで広げた。
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2029年に地球に接近する300mの小惑星が確認されている。この時は地球に衝突することはないだろう。しかし、7年周期でまた戻ってくる。2036年には地球に衝突するかも知れない。

我々にとって不運なのは、小惑星が衝突するかどうかではなく、いつ衝突するか、だと科学者たちは考えている。それが起きれば文明は全て失われるのだろうか?エコシステムが崩壊し、全ての種が失われる可能性はある。どんな記録も次の世代に受け継がれることなく。

宇宙からの驚異が、古代文明が崩壊し、ほとんど忘れ去られてしまったことに関係しているのだろうか?我々が生きている間に小惑星が衝突したとして、その影響を最小化する方法はあるのだろうか?数世紀をかけて培った技術の優位性が消滅しない方法を我々は準備できるのだろうか。それとも我々は考えている以上に脆弱なのだろうか。

タンザニアのキリマンジャロ山。
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2000年、地球気象学者は山頂を蔽っている氷のコアを採取した。その中には気象状況の数万年に渡る変化の痕跡が残されている。氷の層の厚さ、閉じ込められている粒子、空気、微生物・・・地球の気象は周期的に変動しているのだ。オハイオ州立大学には総延長7kmの、世界中の氷河の氷のサンプルが保存されている。
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これらを分析した結果、5千2百年前に劇的な気象変化が地球に起きていたことが確認されている。この時期は偶然にも多くの新しい文明がアジアや中東で生まれた時期に一致している。
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なぜ、その時に文明が起きることになったと言うのだろうか?

それ以前、人々は恐らく平和に暮らしていたのだ。文明もあった。例えばサハラ砂漠には5千年前まで湖もあり、人々が漁業をしていた証拠が岩絵に残されている。
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それが何らかの理由で突然消し去られたのだ。その後で5千2百年前、新しい文明が生まれて来たと考えることが出来る。

もし世界的な惨事があったとして、それを引き起こしたものは何だろう?世界全域に渡る旱魃(かんばつdrought)か?隕石meteoriteの衝突による太陽光の遮断か?火山の爆発か?
火山は地球にはつきもので可能性は高い。しかし、今残っている火山を見ると世界的な惨事を引き起こすには小さすぎる、超火山があるなら別だが。

ある科学者によれば超火山Super Volcanoは世界中に7つはあるという。最大の火山はワイオミング州イエローストーン国立公園の地下に潜んでいる。
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最近の爆発は60万年前だった。次がいつかは誰も正確に予測できていない。もし爆発すれば灰や有毒ガスの影響で太陽光は数年間、遮断され、動植物に大きな影響を与える。大勢の餓死者もでるだろう。
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地球的規模の大惨事は科学小説の世界での話だと思うかも知れないが、多くの政府や事業者はそんな危機に備えている!しかし、それには不吉な質問が付きまとう。彼等の計画は上手くいくのだろうか?もし惨事が起きれば我々の文明や技術は完全に失われてしまうのではないのだろうか?

もし、集積された知識が全て破壊されてしまったら、その後には何が起きるのだろう。アレキサンドリアの図書館は西暦1世紀に破壊され、多くの知識が消滅した。それは単にエジプトだけではなく世界的な知識の損失でもあったのだ。
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もし文明や知識を失ってしまえば、回復するまでどのくらいの期間が必要なのかは想像もつかない。もしかすると古代には今より優れた知識が在ったかもしれない。残っていたなら今の文明を更に素晴らしいものにしていたかも知れないのだ。

カンザス州ハッチンソンHutchinson Kansas。地下200mに、巨大な貯蔵施設がある。
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フットボール場35個の広さだ!東西冷戦から政府関係の重要な資料や資材を守るため、1959年、岩塩床の中の洞窟が倉庫として使われることになった。そこは“永遠保管場”として知られる、世界で最大規模のタイムカプセルだ。
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永久に保管できるかについては疑問もある。しかし、温度(20℃)と湿度は安定しているので保存には最適だろう。その上、塩で囲まれている。
動物の皮で作られた聖書の巻物“死海文書Dead Sea Scroll”が見つかったのは死海の近くだ。
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塩の環境下で微生物が少ないことが主因だろう。
今では政府関係資料以外に、映画、TVフィルム、写真なども保管されている。

洞窟といえば、欧州のいくつかの洞窟では岩絵が完璧に保管されている。最も古いのは1994年に発見されたフランスのアーデッシュ・ヴァレィArdeche Valleyの洞窟で、紀元前3万年よりも前のものだ。
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3万年前の絵とは思えない芸術的な絵もある。馬や犀(さい)や熊。近代の美術館に飾られてもよいものもある。人類によって描かれた最も古い芸術作品だと認められている。
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洞窟は他から隔離されているため、保存には最適だ。人々は、遠い未来にまで残そうと思って、洞窟の壁に絵を描いたのだろうか?
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北極から240Km南の、人の棲む所から遠く離れたノルウェイ領のスピッツベルゲン島Spitsbergen Islandの地下120mに、スヴァールバル世界種子貯蔵庫Svalbard Global Seed Vaultがある。
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植物や穀物が不慮のトラブルで失われた時、直ぐ種子を供給できるよう保存しておくために造られた。2千万種類の種が保管されている。長持ちしない種子は定期的に更新されている。
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人類の優れた特徴は過去、現在から、未来を予測できることだ。何を子孫に引き継いだらよいのかを考えることが出来る。もし古代の人々が優れた文明や知識や技術を全て洞窟に残していたのなら、我々は誰で、どこから来たのか、我々の文明がこれから先どのくらい生き残れるのか、を語ってくれたのではなかろうか。

我々はこの星に何の足跡も残さず消滅してしまうのだろうか?
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科学者によれば、惑星“地球”は45億年前に生まれた。人類の歴史はたった20万年しかない。もし文明が数千万年前に生まれていたなら、地表から深い場所に痕跡が残っているのではなかろうか?もし地球全体が大きな惨事に襲われたら、人類には何が起きるのだろう。
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ひょっとすると原子力発電の副産物の核廃棄物が、人類を破壊する可能性がある。
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そんなことが起きないよう、少なくとも1万年間、核廃棄物を安全に保管する施設の検討がアメリカで行われている。埋めた場所には高さ7.5mの花崗岩graniteのマーカーを建てる。
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核の墓場には様々な言語で警告文を書いておく。しかし、その警告文は1万年後でも有効だろうか?
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人類は核戦争を起こし、消滅する可能性もある。もし、そんなに簡単に文明が消滅するとしたら、過去において、誰も知らない文明が消滅していた可能性だってある。我々の文明も、ギョベクリ・テペやストーンヘンジのようになってしまうのだろうか?
それは誰にも判らない。
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補足:ファイストスの円盤
1908年7月3日にクレタ島南岸のファイストス宮殿(もしくは神殿)の内部でイタリア人ルイジ・ペルニエル によって発見された厚さ2.1cm、直径16cmの粘土製の考古学上の遺物である。粘土のひもを渦巻き状に巻いて作ったことが分かっている。紀元前1600年代、宮殿は火災によって被害を受けており、ファイストスの円盤も焼き固められた状態で見つかった。ファイストスの円盤はクレタ島のイラクリオン考古学博物館に収蔵されており、一般にも公開されている。
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円盤の模型
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文字は未解読です。Wikiによれば理由は3つ。
1.同じ文字が記された粘土版が他に見つからない。
2.定型文ではない。
3.文字の数がギリシャ語の音節の数と合わない。

Civilization Lost
https://www.youtube.com/watch?v=etmhB2ZwqJs

(完)

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