Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

モロッコの旅:写真アルバム

2月16日~25日、モロッコ・ツアーに参加して、無事もどりました。
3月末には消去されています。あしからず。
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(完)

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エジプト0王朝の不思議


ゼロ王朝Dynasty Zeroと読みます。

古代エジプト王朝は、上ナイルと下ナイルを統一したナーマーが最初のファラオとなった第1王朝から始まったと考えられています。ナーマーについてはブログ「エジプト王朝設立の不思議」がありますので関心がございましたら次のURLでご確認下さい。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/archives/37490084.html

ナーマー以降、ファラオが登場し、かの有名なラムセス2世(ラムセス大王)の父セティ1世がアビドスAbydosに建てた寺院には、代々のファラオの一覧表がヒエログリフで残され、これを参考にエジプト考古学は解明が進みました。
ファラオの一覧表が彫られている部屋の壁(1)
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壁(2):壁(1)の反対側。結構細長い部屋ですね。
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で、この一覧表には76人のファラオの名が古い順から並べられています。
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第1番のファラオは第一王朝のナーマーNarmer (Menes)、そして最後の76番目は、この一覧表がある寺院を造った第19王朝のセティ1世Seti 1(Menmaatra)ですね、当然ですが。

で~今回のブログ・タイトルの“0王朝”とは何か???

実は、初代ファラオのナーマーより2百年程前、ナーマーの本拠地だった上エジプト(ナイル上流)で王国を創った男がいたのです!スコルピオン1世(以降スコルピオンと呼ばせて頂きます)と呼ばれています。下エジプトの統合は果たしてはいないようですが、ナイル・デルタの町と関係を持っていたようです。スコルピオンの存在に気付いたのは最近(20年程前?)のようで、既に第1王朝がナーマーで始まったことで確定していたため、スコルピオンが創った王朝は第0王朝(Dynasty Zero日本では黎明期などと呼んでいるようです)と名付けられました。0王朝の創始者スコルピオンはアビドスAbydosに埋葬されていました。後に第一ファラオのナーマーも埋葬された場所です。アビドスは昔のテーベThebe、今のルクソールLuxorから50Km程下流のナイル西岸にあります。
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ナイル河岸の丘にファラオの一覧表があるセティの寺院があり、そこから1kmほどの砂漠の砂の下にナーマーの墓、スコルピオンの墓が見つかっています。
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で、寺院やピラミッドが丘というか砂漠に造られていて、ナイル川近くの草地には造られていない理由ですが・・・何だとと思います???

ブログを見続けて頂いた方ならお気づきかもしれませんが・・・
ナイルは毎年氾濫するんですね。で、氾濫しても水に浸からない丘に寺院やピラミッドが造られたってことです。

長い前置きは終えYoutube「The Scorpion Kingスコルピオン王」をご紹介致しましょう。
・・・・・・・・・・・・
エジプト。隠された宝の土地。埋められている秘密と見事な新発見。
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岩壁に彫られた岩絵は、この国がどのようにして生まれたのかを理解するためのカギになるかも知れない。
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岩絵は長い間忘れ去られていたスコルピオンと呼ばれる王に命を吹き込むのだ。
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いくつかの証拠は彼の統治が歴史上最も長期間続いた文明の基礎を打ち建てたことを示している。そして、今日の考古学者たちは、断片をつなぎ合わせてスコルピオン王の世界を再現しようとしている。
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素晴らしい寺院から息をのむような墓室まで、古代エジプトの栄光を創り出した卓越した社会が、5千年前、どのようにして突然出現したのかを説明しようと、考古学者たちは奮戦している。最近の一連の発見は、彼らの“文明の夜明け”についての考えを今、変え始めている。
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南エジプトのゲベル・チャウティGebel Tjautiはナイル川の16Km西にある。
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考古学者ジョン・ダルネルJohn Darnellは何年もの間、この一帯を調査している。乾燥した大地の中を古代の通商ルートに沿って調べていた時、彼はエジプトで最も興味深い統治者の一人が描かれた岩絵を発見した。
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ジョン「ここに、とてもきれいな面を持つ自然のままの石灰岩がある。そこに岩絵が描かれていて、古代エジプト人たちは、めったにしないことだったが、そうせずにいれなかったのだろうが、何かを説明しようとしている。この場所を我々が発見したのは、夕闇が迫り、日の光は薄れ始めていた時だった。」
鏡で光を当てて調べてみた。無秩序な古代の岩絵の中で、ある部分がジョン・ダルネルの調査チームの注意を惹きつけた。
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ジョン「綺麗な絵の上の方には、明らかに何かのイメージが描かれていることに気付いた。しかしその時は、それが何か判らなかった。」

ジョンは、傷のように彫られていた、もつれた糸をほどき始めた。すると何かが連続して繋がっていることに気付いた。人間、そして動物だ。絵はエジプトの標準と比べても古いものだった。絵の様子からファラオたちよりも200年程前のものだと思われる。しかも、絵の中にはファラオと関係があるシンボルがあった。隼(はやぶさfalcon)の神ホルスの像だ!
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それは王の紋章だ!
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ジョン「隼は最も初期の王の印だ。隼やそのほかの象徴と共に知られている統治者は大勢いる。」
ジョンは彼に王の名前を与えてくれる第二のシンボルを探した。彼はそれを、隼のシンボルの真下で見つけた。
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砂漠の中でも最も固有な生物とも言えるスコルピオン(蠍さそり)だ!
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ジョン「もしこれが本当に隼・スコルピオンという王室の特別な象徴とともに記された統治者の岩絵なら、これはスコルピオン王に関する一種の記念碑で、スコルピオン王の統治時代における何等かの出来事に関する一つの歴史的な表記の試みでもあると言える。」

ジョンはまだ場面が示している本当の意味について解読しなければならなかったが、スコルピオンと言う名だけとってみても、驚くべき発見だ。歴史家たちはこれまで凡そ1百年の間、スコルピオン王を探していたのだ。
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ザヒ・ハワス「スコルピオン王は実際の所、謎の王のようなものだ。彼の名前は誰にとっても興味深い。」

彼が存在していたという最初の印はゲベル・チャウティから1百Kmの古代都市ヒエロコンポリスHierakonpolisで見つかっていた。
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1898年、英国人考古学者ジェイムズ・クラベルは彫刻で覆われた多くの石の破片を掘り出した。
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組合せてみると、棍棒(こんぼう)の頭だった。棍棒は木の棒に石の“頭head”を取り付けたもので、古代の武器の一つだ。
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この特別な棍棒の頭は明らかに儀式で使われた物であることを示している。
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表面を飾っているものの中に、クラベルは間違いようのないスコルピオンの像を見つけた。

刻まれている場面をよく調べてみると、中央の像がファラオのように見えることに気付いた。彼が頭に付けているのはエジプトの歴史を通じ、王が付けている冠と同じ形だった。見つかっていた他の破片も王室の象徴と思われるものだった。
レニー・フリードマン博士「彼は王室のキルト(短いスカート)、それに腰には牛のしっぽを身に付けているわ。これらの品物は王だけが着けるものよ。」
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とすれば、彼は誰だ?
次にクラベルは彼の頭の隣の2つのシンボルに着目した。スコルピオンとロゼット(注)だ。
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Wikiロゼット(rosette):
地表に葉を平らに並べた植物の状態を現す言葉

この二つ合わせると彼の名前になる。
ピーター・ブランド博士「我々は他にも明確に名前をしるしたシンボルと一緒に描かれた小さなロゼットを見つけている。つまり、この棍棒の頭はスコルピオンと言う名の王を示していると考えていい。」

彫刻の形式からクラベルは棍棒の頭が、知られているエジプトの歴史よりも更に昔のものだと判断した。名前も最初のファラオと彼との関係を示しているように思われる。
ピーター「第一王朝の王を見てみると、闘争王、砦王、コブラ王、殺人鬼王など、軍事的または攻撃的なテーマが名前になっている。このことは、これらの王が最初の国の守護者で、戦争の指導者だったことを示している。従って、こういった風土の中で、恐ろしい毒の棘(とげ)をもったスコルピオン王という名前は、完全に意味がある。」

しかしクラベルと彼の仲間たちは論争していた。エジプト人は、ファラオの名前が連続して記載された詳細な一覧表を残している。
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王たちの名は石に文字通り刻まれている。そこにスコルピオンという名はない!

棍棒の頭を見つけた場所から数mの所で、クラベルは第二の発見をした。それは歴史の中でのスコルピオンの位置を決める手助けとなった。
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レニー「それは私たちがナーマーのパレットと呼ぶ、素晴らしい一品なの。石に彫られた世界で最初の歴史的な書類なのよ。」
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パレットは染料と化粧品を混ぜるために使われる儀式用の平な石で、両面は王の像が現れる入り組んだ彫刻で飾られている。両面に残る2つのヒエログリフは“ナマズ”と“チゼル(注)”だ。
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(注)チゼル:石を削るための金属製の鑿(ノミ)

“ナマズ”と“チゼル”の2つは“ナーマー”という名前を示す文字だ。彫刻のスタイルはスコルピオン王が描かれた棍棒の頭のものと似ている。
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いずれの像も同じ王室の冠をつけている。しかし重要な違いがある。ナーマーだけは第二の冠を付けている。
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それは、彼がもっと広い領土を支配していたことを表わしている。

クラベルの時代の学者たちは、古代エジプト人たちが彼らの土地が明確に2つに分かれていたと見ていたことを知っている。
トビー・ウィルキンソン博士「国の南の、狭いナイル谷の上エジプトと、国の北の、河口に広いデルタ(三角州)がある下エジプトだ。一人の統治者が国の全てを支配するようになった時、彼の象徴はこれら2つの国に響き渡ることになった。」
ファラオの典型的な像をみると、高い上エジプトの冠か、これと全く異なる下エジプトの冠を付けている。スコルピオンはどうも国の南を支配していたようだ。しかし、ナーマーは北と南を支配している。これがこれまで見つかった中で最も古い、2つのエジプトを支配する王を表わすイメージだった。

専門家たちは、パレットに彫られた場面はエジプトが統一された瞬間で、ナーマーは名誉ある最初のファラオとなったと結論付けた。
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棍棒の頭のイメージと比べてみると、スコルピオン王もナーマーと同じ時代の王だと思われた。

トビー「パレットの上にナーマーを描いた手法が、棍棒の頭にスコルピオン王を描いた手法と、極めて似ていることから、我々はスコルピオン王がナーマーと同時期かまたはそれ以前の王だと導き出した。つまり第一王朝よりも前の王だ。」
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多くのスコルピオンの像がさらに古い品物にも描かれていることから、彼は古い人物だと考えて間違いない。考古学者たちはエジプトの歴史において、正に新しい章の扉(とびら)を開いたのだ。当時、エジプト文明は紀元前3千年頃、最初のファラオの登場と共に突然、発生したと広く考えられていた。
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レニー「多くの人は、卓越した民族による侵略があったのではないかと考えていたの。エジプト文明が想像した芸術品のような素晴らしいものは、とてもアフリカでその時代に生まれた文明によるものではないと思ったのよ。彼らは、エジプト文明の基礎はメソポタミアか、ヨーロッパじゃあないのかって期待していたの。とても人種差別的だったとも言えるわ。」

ファラオは外部から来た侵略者で、急速な進歩を持ち込んで来たという考えに疑問をもつエジプト学者は少なかった。
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しかしクラベルが、ファラオよりも古い王の存在を発見したことで、この考えも崩れ始めた。歴史の本は書き換えられようとしていた。
トビー「第一王朝のナーマーよりも前に王がいたという発見で、エジプト学者たちは、第一王朝の前、国の異なる地域で王たちが存在していたであろう0王朝という新しい考えを見つけなければならなくなった。」
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ジェイムズ・クラベルと仲間たちは、それまで知られていなかった時代と、興味深い名前を持つ男という2つの存在を明らかにした。その発見から1世紀後、考古学者たちは、スコルピオン王の人生と素晴らしい業績の断片を組み合わせ始めている。
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ジョン・ダルネルは、岩に残されていた絵はスコルピオンの人生における鍵となる出来事だと確信していた。

mh:ここで読者の理解の補助として、岩絵の全貌を解説しておきましょう。
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これをスケッチしたのが次の図です。
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右上にファルコン(隼)、その下にはスコルピオン(蠍)、その左は祈祷師か?、その左は蛇を銜(くわ)えたコウノトリ、その左が髪を振り乱し、後ろ手に縛られた罪人、その左には、片手に罪人に繋がれた縄、反対の手に棍棒を持つ支配者(スコルピオン王)が、物語を語る一連の絵として描かれています。

ジョン「右から左側にいくと、スコルピオンは一般的には神とみなされる動物で、これに従うように長い外套(がいとう)を着た男は何かを持っていて、恐らく聖職者のような姿だが、次は罪人で、腕はぞっとする歪んだ姿で後ろ手に縛られ、髪は乱暴に逆立っていて、彼を縛る縄は、彼の後ろに立っている、棍棒を振り回している大きな男によって握られている。」
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ジョンはこの男こそがスコルピオンだと信じている。彼の様子は後の世のファラオたちによって彫られているイメージと強い類似性がある。罪人の頭の上に降り上げられている棍棒は止(とど)めの一撃を加えようとしている。
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この場面は単なる象徴でしかない。しかし、軍事的な勝利を表現するものでもある。ジョンは、見つけた岩絵が実際に会った戦いを祝うものだと信じている。

彼は絵の中央のコウノトリと蛇の組合せの中でさらなる証拠を見つけている。
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ジョン「コウノトリと蛇は混乱のあとの秩序の象徴だと考えられる。つまり、この一連の岩絵で、この絵の作者はスコルピオン王と罪人で勝利を意味しようと試みているのだ。」
とするのなら、スコルピオン王は誰を打ち破り、罪人としたのだろう?
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一つのヒントは絵が描かれた岩の場所にあるかも知れない。古代都市ナカダNaqadaからの道の途中にある。ファラオがエジプトを統一する前、ナカダは南エジプトのアビドスやヒエロコンポリスという別の偉大な都市に敵対する拠点だった。
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トビー「我々はこれらの3つの王国を可視化することが出来る。王朝時代前に、上エジプト全体の究極の権力のために戦いを始めていた。」
彫刻された棍棒の頭では、スコルピオン王は上エジプトの高い冠を付けている。それは彼が、この戦いで勝利したことを示している。ジョンは、岩絵は、遠征を終え帰路の途上で、決定的な戦いを描き残したものだと信じている。
ジョン「スコルピオンと罪人が登り道の方向に向いていることから、罪人を都市ナカダの方向から、恐らくアビドスに連れて戻るところだと思われる。」

もしそうだとすれば、これはエジプトの歴史における一里塚となる。ナカダを打ち破ったことで、スコルピオン王は上エジプトを統一しエジプトの南は全て彼の支配下になったのだ。
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これがあったからこそ、彼の後継者のナーマーは、勢力を北に拡大し、全エジプトを統一して最初のファラオになったのだ。
ジョン「私はスコルピオンの岩絵は、恐らく上エジプトを統一し、0王朝の設立を記念する最後の軍事的勝利を祝う様子を示すものだと信じている。」

ジョンは、岩絵は棍棒の頭の時代よりも凡そ200年前のものだと割り出した。彼はこれが、エジプト初期の支配者として、スコルピオン王がいかに重要な人物だったかを表わす印だと考えている。
ジョン「私は、スコルピオンがエジプトを統一したナーマーの精神的、政治的な先人として重要な役割を果たしたと考えている。」

ナーマーが最終的にエジプトを支配したのは、南エジプトにおけるスコルピオンの勝利なしではあり得なかったかもしれない。
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棍棒の頭には、それが破壊的な勝利として表されている。スコルピオン王の上方には、一連の棒がありその先に、異なる地方を表わしていると思われるものが載っている。
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その表現方法は残忍とも言えるほどだ。地方の象徴からは大型の千鳥が首で吊り下げられている。
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それぞれの地方の人々が新しい主人のスコルピオン王に服従している様子を示しているかのようだ。それは恐らく彼が生きていた荒々しい世界を見せている。
トビー「栄光を求めてトップの位置にのし上がるためには、スコルピオン王たちは優れた軍事技術をもつ強い指導者というだけではなく、彼に従う人々から支持を得、彼らを動機付けできる能力を持つカリスマ的な指導者でなければならなかった。」

ジョンは、彼の発見が、スコルピオン王が偉大な戦士王だったことを明らかにしたと考えている。南エジプトの地域を一人の支配者の下に統一した男だ。
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しかし、考古学者たちは彼の統治下における業績の新たな証拠も発見していた。彼らはスコルピオンの墓の中でそれを見つけた。
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古代都市アビドスはナイルの直ぐ西にある。ここにスコルピオン王は縛り上げた罪人を連れて来たとジョンは考えている。そしてアビドスはまた、エジプトの初期のファラオたちの埋葬地でもある。
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エジプト人たちは死の神オシリスはここに埋葬されたと信じている。その場所に散らばっている沢山の土器の欠片が、この信仰を裏付けしている。
グンター・ドレイヤー教授「何世紀もの間、巡礼者たちはオシリスを敬うためにここを訪れ、捧げものを入れた土器を残している。乱暴な見積だが、凡そ1千万個の土器があるだろう。数えるのはとても大変だ。」
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グンターは墓を発掘し続けていて、もっと古い、もっと素晴らしい何かに気が付いた。
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グンター「私たちがまず見つけたのは煉瓦の壁で、信じれない事に、それは大きな部屋のものだった。更に、いくつもの壁で仕切られた部屋が現れて来た。」

泥の煉瓦構造が風化するのを防ぐため、今は再び砂で埋められているが、墓は12の部屋からなっていて、80平方メートルの広さだ。炭素年代測定の結果、墓は最初のファラオより2百年前に造られた。
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グンター「我々は古い時代の大きな墓の発見に驚いた。おかげで、エジプト初期に対する考えが全く変わってしまった。」
この墓は“墓U-J”という洗礼名を与えられた。
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グンター「これが墓U-Jが発掘されていた時の様子だ。手前の一番大きい部屋が埋葬室で、西側にある。床のわずかな変色は木製の祭壇が置かれていた跡を示している。」

誰がここに埋められていたか判らないが、その人物は資産家で権力があったはずだ。墓泥棒たちは重要な品物を全て剥がし取ってしまっていた。しかし、かつて油やビールを入れていた沢山の容器が残っていた。
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700のワイン容器もあった。1200ガロン(約4リットル/ガロン)は入る。そしてグンターは決定的な瞬間を迎えた。これが誰か裕福な商人の墓というのではなく、王のものだと気付いたのだ!

「この部屋の隅で、我々は曲がった象牙の笏(しゃく)を発見した。王の持ち物として埋葬されたものだ。明らかに支配者の道具を示すものだ。」
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象牙の笏は、18世紀後のツタンカーメンの墓に埋められていた、曲がった鞭(むち)の魁(さきがけ)でファラオの力を示すシンボルだ。しかし、この象牙の笏はどんな王の所有物だったのだろう?
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土器の欠片を復元しているとグンターは更なるヒントを発見した。植物や動物のシンボルだ。容器には元々、油のようなものが入れられていた。グンターは、これらのシンボルが、容器が何処から来たのかを表わしていて、動物は場所の名前だと考えた。このシンボルの中にスコルピオン(蠍さそり)がある。

グンター「これが前の爪、そして毒のある尾がここだ。小さな植物がここに描かれている。」
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スコルピオンが描かれていたのは1つの容器だけではなかった。
グンター「これまでの所、植物とともにスコルピオンが描かれた容器の数が一番多い。70のスコルピオンと、6匹の魚と5匹の蛇などだ。これらの容器は恐らく、支配者スコルピオンによって打ち建てられた地域から来たものだ。従って我々は、この墓がスコルピオンのものだと考えている。」
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グンター・ドレイヤーはスコルピオンと呼ばれる王の埋葬地を発見したと確信している。そして墓が造られた時期は、ここから約60Km離れた所でジョン・ダルネルが発見した岩絵が描かれた時期に極めて近い。

ジョン「この岩絵でとても興味深いことは、アビドスの墓U-Jで見つかったものに類似しているものがあるということだ。例えば描かれている絵の形式などだ。この岩絵は、墓U-Jの時代と同じ頃に描かれているんだ。」
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南エジプトが統一された時、スコルピオン王はアビドスを支配者の埋葬地に選んだようだ。発見は神出鬼没だった人物の調査に大きな進歩をもたらした。

しかし、グンター・ドレイヤーは更に細かな調査と分析を進め、エジプト文明の初期におき、スコルピオンがさらに決定的な役割を果たしていたことを発見した。
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グンター・ドレイヤーはこの墓がファラオの王宮形式の墓の起源だと考えている。スコルピオンの墓の外観はファラオたちが追従した、ピラミッドという象徴的な発明の発想を秘めている。
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グンター「これらの部屋は木の梁で天井が張られ、その上にマットのようなものを敷いて、煉瓦や泥や砂や瓦礫で人工の塚(つかmound)に仕上げられていた。」

アビドスにおけるグンターの発掘は、この塚が時を経て、石組みのマスタバと呼ばれる構造に発達したことを示している。
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マスタバはスコルピオンから6百年の間、王室の標準的な墓となった。そして、ファラオのジョセルが最初に上に行くほど小さくなるマスタバを積み上げた墓を造った。階段ピラミッドだ。
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そして、我々が今日知っている巨大な構造物に進化していった。

エジプト考古学主任のザヒ・ハワス博士は何年もの間、ピラミッドの研究をしている。スコルピオンの墓の発見で、これらの象徴的な記念碑がエジプトの前王朝に、最初に現れた墓の影響を受けていることが確認された。
ザヒ・ハワス「この時期が無かったなら、偉大なピラミッドや寺院を見ることは無かっただろう。従って、前王朝時代がエジプトを打ち建てたと私は思う。」
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そして、今、スコルピオン王を文明の重要な紋章の一つの誕生と結びつける更なる証拠がある。文字だ!
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グンター・ドレイヤーはスコルピオン王の墓の中で、散在していた凡そ180個の象牙のタグ(札)を見つけた。各々には不思議な像が描かれている。像のいくつかは、間違いなく、動物で、その他のものは判読が難しい。意味するものは驚くべきものだ。
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グンター「私たちが墓室の中に溜まっていた砂の中からこの小さなタグを最初に発見した時、信じることが出来なかった。何故なら、最初に見た時、これらが後世に現れたヒエログリフに類似していることが直ぐ判ったからだ。我々が知っていた文字の出現は、この墓よりも200年後だった。これは新しい書式なのだろうか?」

ヒエログリフは意味と音の両方の印として使われる。それを組み合わせれば言葉になる。ファラオはヒエログリフを王国の言葉として何千年もの間使っている。しかし、これまで誰もファラオの時代以前のヒエログリフの印を見つけたことは無い。
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これまで、文字の発想は北アフリカではなく、中東の古代メソポタミアで生まれたのではないかと考えられていた。そこでは、最初のファラオが現れる前に、楔形文字cuneiformと呼ばれる記述様式が文字として開発されていた。
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ファラオ以前の墓U-Jでは見つかったタグには小さな孔が開けられている。近くで見つかっていた木の箱かそれとは別の容器に取り付けるためではないかと思われる。
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グンター「このようなタグの用途とはどんなものだろう?単なる飾りか?とてもそうは思えない。この孔を使ってタグは何かに固定されていたに違いない。最も考えられるのは、何かの情報を伝えているということだ。そこから我々は、タグの意味を理解し、それを読む作業に取り掛かった。」

タグがヒエログリフと同じような意味を持っていることをグンターが見つけると、謎は解け始めた。
ある一つのタグは、コウノトリと椅子を示している。
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グンター「これはどんな意味を持ち得るだろう?椅子に座ったコウノトリ?それはあり得ない。しかし、後世のヒエログリフ式記述では、この内容が発音を表わしている。コウノトリは“バー”と読める。椅子は“セット”だ。合わせれば“バーセットBaset”になる。それはナイル・デルタの、ある都市の名前だ!」
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バーセットはアビドスの北500Kmの古代の都市の名前だった。グンターは別のタグも見つけ出した。それもエジプトの場所の名前だった。

グンター「重要なのは、タグに描かれている絵は発音を表記したものだということだ。絵は言語の発音を表わしている。それは記述形式を開発する重要な第一歩だ。ここにあるのは初期の発音記述の例だったのだ。メソポタミアで見つかったものより、もっと昔のものだ。」
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つまりこれまで発見された最も古い記述の断片はエジプト製だということを意味する。グンター・ドレイヤーの発見は重大なものだ。
ザヒ・ハワス「それは、文明の誕生が記述方法と共にエジプトで起きたことを示している。他の文明よりもずっと古い時代に!これが文字記述の始まりだったんだ。」

グンター・ドレイヤーはタグには産物を税として王に送った都市や地方の名前が書かれていたと考えている。この文字の解読は過去を見るための新たな窓を開いてくれた。
グンター「事件や人々や統治者については、記述が見つからなければ知ることが出来ない。スコルピオン王の墓U-Jの発見で、我々は人類の歴史から失われていた200年から250年を取り戻したのだ。」

タグは、スコルピオンの影響が、彼の領土の南エジプトからは遠く離れた所まで届いていたことを示していた。ヒエログリフの“バーセットBaset”同様、グンターは北部の第二の都市の名前を見つけた。“ブートーButo”だ。
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地中海海岸の近くに造られた町で、最近の発掘によれば、この町は東方との交易のハブ(中心)で、スコルピオン王の関心が強い、重要な地点だった。
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彼の墓で見つかったワインの容器の多くはアビドスから800Kmの、エジプトの外の、古代パレスティナから届けられたものだった。
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グンター「中近東のパレスティナと交易関係があったんだ。スコルピオンはこの交易路を安全に保つ力があったに違いない。つまり彼の影響力は甚大だったんだ。」
スコルピオン王はエジプトの歴史の重要な時期にエジプトを統治していたのだ。エジプトの北と南を交易で結び付けていただけではなく、後世の栄光の種を既に作っていたのだ。

トビー「0王朝時、エジプト文明のための全ての基本的な建設用ブロックは仕込み終わっていたのだ。王政の概念、権威、経済統括、宗教、芸術、建築。これら全ての基礎が固まったのは0王朝の時代だったのだ。」
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しかし今、新たな証拠が、スコルピオン王が、これまで考えられていたよりも、もっと高度な世界を継承していただけかも知れないことを示している。(mh:スコルピオンよりも古い時代に、かなり発達した文明があり、スコルピオンはそれを継承しただけだ、という意味ですね、少々判り辛いですが。)

古代エジプト。学者たちは伝統的に、この高度な社会は突然発生したのでファラオはどこか別の所からやって来たのではないかと考えて来た。
トビー「ファラオの偉大な功績を見たエジプト学者たちは、エジプト文明が北アフリカ人、エジプト人によって造られたものとは信じられなかった。彼らは東方のメソポタミアなど、もっと発達した土地のどこかから持ち込まれたものだと考えていた。」
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スコルピオン王に関する最近の発見は、初期の学者たちが大きな誤解をしていたことを示している。砂漠の岩肌の上に刻まれた場面は、スコルピオンが最初のファラオよりも200年前にエジプトの都市を統一するという重要な役割を果たしたことを示している。
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そして彼の墓の発見は、記述の誕生、ピラミッドの発明など、エジプト文明の幾つかの偉大な業績が彼の統治時代にルーツを持っているという証拠を明らかにした。

スコルピオン王の存在は、今から1世紀ほど前、南エジプトの古代都市ヒエロコンポリスで初めて発見された。この地での直近の発掘は、彼の世界における見事な、新たな光景を提示してくれる。それは専門家たちが考えていたよりも、かなり進んだ世界だったようだ。
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レニー・フリードマンに率いられた考古学者たちのチームは、ここでスコルピオン王より数世紀前、権力的な都市があった証拠を見つけている。
レニー「町は、現在は低いレベルの砂漠の縁(ふち)に沿って、少なくとも3Kmに渡って広がっていたことが分かっています。」
レニーは、ある工芸品を見つけていた。この神がこの地で何百年も前から崇拝されていたという証拠だ。
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レニー「これが最も初期の、時期の確定が可能なホロスの像です。隼で、エジプトの前王朝期のものです。ここで、この像を見つけた時はとても感激しました。」

レニーは、この隼は最初のファラオから700年前のものだと割り出した。彼女の発掘チームは同じ時代の別の発見もしている。
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ファラオの特徴の一つは食糧や飲料を一ヵ所で集中的に造っていたことだった。造られた食料は人々に分配された。このシステムが想像していたよりも初期に実行されていたという証拠となったものは、ヒエロコンポリスで行われていた工業的な規模の食糧の配達施設の発見だった。
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レニー「中心には大きな陶器の容器があったの。高さは丁度、このくらいで1mかしら。」
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「それを支持していたのは地面から伸びていた棒状の陶器で、魚の尾の先のような形をしているの。ある角度がついていて、容器にセメントで固定されていたの。そのおかげで容器は真っ直ぐ、安定して立っていたのよ。火は周辺から容器に当てられていて、低めの均一の熱だったのよ。」
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他にも7つの大きな容器(桶)が並んで設置されていた。火の熱が逃げ出さないよう、泥の壁で周囲が覆われていた。造られていた製品も驚きだ。
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レニー「これが見つかった残留物よ。糊(のり)が発酵したものよ。基本的には砂糖の燃えカスといえるわ。」
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「容器の底に残っていたのよ。調べいくと、ここで作っていたのは結局、ビールだったと判ったの。」

パンから作るビールはファラオの時代、エジプトの主食の一つだった。古代のヒエロコンポリスで既に大きな需要があったことは明らかだ。
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レニー「少なくとも8つの大きな容器で醸造していたということは、毎回、1千ガロン(4千リットル)を作っていたってことよ。2日毎に作っていたと考えると、1家族が必要とする量よりもずっと多いわ。」

レニー・フリードマンにとって、これはエジプトが他のどこよりも早く始まったという更なる証拠だった。
レニー「誰も、この時期、こんなに進んだ文明があったなんて考えたことはなかったはずよ。ずっと続いていた疑問は、ここの人たちがどんな暮らしをしていたかということよ。」

醸造場所から遠くない所で、隼の神の都市は見事な答えを準備していた。レニーは墓地複合体の基礎を見つけ出していた。そこはヒエロコンポリスの古代の王の埋葬地だった。

レニー「ここが当時では最大の墓よ。紀元前3800年のものね。大きさは5.5mx3mで、我々が知っている墓の2から3倍あるのよ。」
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発掘の結果、建物の大きさは記念碑的なものだと判った。スコルピオンの祖先たちはその周辺で住んでいたのかも知れない。そして彼らはファラオが暮らす巨大な建物を造っていた。
墓の周囲に、昔、木の柱が建てられていた孔がある。柱の基礎部の一つが6千年も経過しているというのに完璧な形で残っていた。アカシアの木で作られていた。かつて、この不毛の土地に木が育っていた証だ。柱が埋められていた深さは凡そ1.5mだ。レニーは、これらの柱は巨大な構造物を支持していたと考えている。
レニー「地面からの高さが6m位もあったなんて信じられる?アカシアの木は10m位あったのよ。とても劇的な建物だったと思うわ。」
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柱の間の距離から、上には恐らく葦の屋根があったと考えられている。中東から入手した赤い石膏と糸杉の木の破片は、壁が豪華に仕上げられ、色鮮やかな模様で装飾されていたことを暗示している。
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墓の中から、ファラオの命令によって作られた古典的な芸術品が掘り出されている。その中には、等身大の像のものだった鼻や耳、それに陶器の埋葬用仮面も含まれている。
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レニー「これは頭や顔を永遠に保護するためのものよ。金メッキされた面の魁ね。例えば黄金とラピスラズリで作られたツタンカーメンのお面も、全て、このお面から始まったのよ。」
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墓から数mのところで考古学者たちは第二の木製構造体の痕跡を見つけた。ファラオの石造りの構造物の原型とも言える建物だ。
レニー「ここにあったのは寺院だったはずよ。」
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mh:で~暫く、柱の跡からこんな建物もあったってな話が続きますが省略して映像だけでご紹介しておきます。2千年後に建てられたカルナック神殿の記念碑的な“柱の間”と同じ発想のものだと言っています。
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神聖な寺と墓が造られていたことから、スコルピオンや0王朝の王たちはここに統治者の墓地を作ったことは間違いない。
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レニー「最初の最も初期の王と考えられていた王は、結局は彼が生まれる5百年前に行われていた発達と改革という長い伝統の後継者だったのよ。」

ヒエロコンポリスでの発見は、スコルピオン王が暮らしていた都市を専門家たちが想像する時の助けとなるだろう。
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今、考古学者たちはスコルピオン王の興味をそそる形をした紋章の中に、さらに時代を遡るエジプトの手掛かりを見つけたかも知れない。

かつてスコルピオン王の遺体が埋められていた墓の中で、考古学者は曲がった笏(しゃく)を発見した。18世紀後のツタンカーメンと一緒に埋められた笏の魁となるものだ。専門家たちは、それが、エジプト文明が最初の起源を驚くべき場所に持っている印だと見ている。砂漠だ。
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今日、エジプトの人口のほとんどは、ナイルが定めた、狭くて細い、耕作地に詰め込まれている。その西も東も、乾燥した砂漠の広い帯だ。その中にある、最近調査された東サハラの領域のひとつの中で、ルドルフ・クーパーは人間の活動の証拠を収集している。
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彼は、ここにある岩絵はファラオの数千年前のものだと考えている。彫られている絵は想像できないものだ。砂漠の真ん中の象だ。
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ルドルフ「これがしっぽ、これが足、これが牙で、長い鼻がある。砂漠の中の象の絵は、奇跡のように思えるよ。」

それを説明するものは気候変化だ。紀元前1万年頃、モンスーンの雨がサハラを砂漠から肥沃な土地に変えた。今は消えてしまった象、ダチョウ、その他多くの動物の生息地だった。
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植物が生まれ、それを求めて動物が、それを求めて人間がやって来た。彼らは狩人や、農耕者や、漁民だった。その後、ファラオの3千年程前には、サハラの狩人たちが牛や羊や山羊の牧畜民に変ってしまったことを岩絵は示しているように思われる。
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クーパーは広い砂漠に散乱している、これらの遊牧民の痕跡を沢山、発見した。一方、何世紀にも渡る発掘にも拘わらず、この時期にナイル谷で暮らしていた人類の証拠は何も見つかっていない。
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ルドルフ「このことは、簡単に考えれば、ナイル谷の環境は余りに湿度が高く、多くの病原などがあったため、人々はそこに住みたいと思わなかったということだ。」
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そして雨は再び上がってしまった。草原は砂漠に逆戻りを始めた。そこで遊牧民も離れていった。ファラオの数千年前には、人々のほとんどは、アフリカのあちらこちらに散っていった。同時期、突然、ナイル谷で定住が始まった痕跡が見つかっている。
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そこは、もはや、湿潤でも不健康でもなかった。人の移動を伴った、この時期の気象変化は、エジプト文明が何故発生したのか説明することが出来るかも知れない。
ルドルフ「サハラの貢献がアフリカの歴史を形作った決定的なものだと言えるかも知れない。」
砂漠から東のナイル谷に向かった人々が砂漠の文化を運んだように思われる。
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ルドルフ「彼らは経済や生活様式だけではなく、信仰も考え方も持って行った。古代エジプトの宗教の中には一部が残っているんだ。」

砂漠の遊牧民的な牧畜民族は、動物との関係が強く、ファラオの権力を表わす重要なシンボルのいくつかの源になっているかも知れない。
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トピー博士「動物の畜産で使われていた、曲がった笏と牛追い用のけばけばした棒という2つの古典的な王の紋章は、古代エジプトの統治者の起源を先史時代の牛飼育人にまで遡(さかのぼ)らせている。」
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ファラオの前、スコルピオン王も、象牙から彫られた曲がった笏と共に埋葬された。これは彼だけの象徴と言う訳ではなかった。後継者に引き継がれていったのだ。
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トビー「スコルピオン王やナーマー以降、ファラオの腰ひもに付けられた王室の重要な紋章の一つが牛の尾だ。動物の精力の象徴で、これもまた古代の牛飼育人の時代にさかのぼるものだ。」
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今から2千4百年前、ギリシャの歴史家ヘロドトスはエジプトを“ナイルの賜物(たまもの)the gift of the Nile”と記した。
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クーパーは、それは物語の半分でしかないと考えている。
クーパー「砂漠の影響を考えるなら、エジプトは完全にとは言わないが、砂漠の賜物だと思うよ。」
これらの発見で、今から1百年前、最初にスコルピオン王の存在を世に出したジェイムズ・クラベルによって始められた仕事は完成だ。彼は卓越した人種が外部からやって来てエジプト文明が始まったという流布していた仮定に疑問をもっていた大勢の一人だった。今、全く異なった様子が明らかになって来た。
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トビー「エジプトはもはや、どこからともなくピラミッドと共に、または第一王朝と共に現れたとは思えない。我々はその源を先史時代に遡って追跡でき、北アフリカにおける文明の発達に新しい光を当てることがるのだ。」

スコルピオン王の探求は古代エジプトの創造における重要な人物像を明らかにした。
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ザヒ・ハワス「彼は謎の王だった。しかし、今、彼が何をし、どんなことを成し遂げたのかを知っている。その本当の人間像を見ることが出来るようになったんだ。」
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彼は、偉大な都市ヒエロコンポリスに残されている、これまで知られていたよりも古い文化の基礎を完成させた。彼は交易と闘争を通じてエジプトの統一を支援した。
ジョン・ダルネル「スコルピオンが上エジプトを統一したことで、我々がファラオの歴史の主な要素と考えている段階が始まったと言える」
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彼は世界で最も早く生まれた音声記述を使い、彼の王国を組織した。彼はファラオの複雑な墓やピラミッドの新しい形式の埋葬を始めた。今も、考古学者たちは古代エジプトの本当の起源とスコルピオン王の素晴らしい遺産を発見し続けているのだ。
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The Scorpion King
https://www.youtube.com/watch?v=kh9ByB2jVU4

補足:
岩絵の全貌と思われるスケッチです。
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牛や、ファルコンの絵が上の方にも描かれていたようですね。

1995年に発見されると、“世界最初の歴史書the world's earliest historical document”と新聞などで称され、発表されました。“物語性がある世界最初の絵”という意味でしょうか。全体の幅が50cm足らずの小さな絵で、固い尖った石で岩に傷をつけて描いたような感じですから、よく見つけたなぁと思います。
アメリカ・エール大学のエジプト学者ジョン・ダルネルは、エジプト学者の奥方たちとエジプト・サハラの交易路を調査していて、この岩絵を見つけました。

(完)

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mh徒然草125: ノロウイルスが怖くて?


歳の瀬が迫った今日12月21日、ネット新聞に次の記事がありました。

見出し:ノロウイルス怖くて「餅つき中止」広がる…素手作業多く、感染が心配
このニュースは大方の読者諸氏もご承知でしょう。
「やめた方が…」と保健所が言っているようですね。
「国立感染症研究所が20日発表した定点調査の速報によると、ノロウイルスなどによる感染性胃腸炎の患者数は、直近1週間(5~11日)で、1医療機関当たり19・45人。13都県で同20人を超える警報レベルに達した。近年では2006年、12年に次ぐ規模の流行という。」

つまり、この冬はノロウイルスが他の冬と比べて流行しそうだからウイルスが付着しているかも知れない手でこねた餅を食べる羽目になるかもしれない餅つき大会は止めた方がよいだろうという保健所の提言を鵜呑みにして、大会を中止する団体が多いっていうんです。

この保健所と団体の姿勢、皆さんはどう思われたでしょう。

mhは思います。猛威を振るっているという程ではないようです。2006年以降10年間で、感染率は三番目ですから、2006年や2012年の餅つき大会時よりもリスクは低いはずです。折角の恒例の餅つき大会を、ノロウイルスに罹るかも知れないと心配する人のためだけに中止してしまうのは、mhは反対です。そんなことを言い出したら、外食なんかできません!レストランには大勢のお客や料理人がいて、彼らが悪いウイルスを持っていないという保証はないんですから。

ノロウイルスを恐れて餅つき大会を止める団体は、止めることで、楽しみを奪われる人のことを考えていません。ノロウイルスに罹(かか)る人が出た時、責任を取りたくないとの一心で、少しでもリスクがあることは止めた方がいいとだけ言うのです。こういう逃げの姿勢の保健所は責任を果たしていないと思いますねえmhは。

保健所なら、リスクの程度を公開し、リスク回避の対策を指導すべきで、リスクがあるからやめた方がいいというだけでは全く機能していないと断言させて頂きます。その内、ノロウイルスに感染しないよう外出は控えて下さいなどと馬鹿なことを言い出しかねません。

止めた方がいいだろうという保健所の提言を鵜呑みにして、餅つき大会を中止する団体も、大会を楽しみにしている子供たちのことを考えていませんねぇ。責任回避を選択しただけです。全く、役目を全うしていません!

この冬、鳥ウイルスは話題になっていますが、ノロウイルスの脅威は、鳥ウイルス程、騒がれてはいません。餅つき大会なら、手を洗い、消毒し、ビニール手袋の着用を着用するなどの対策をいつもより念入りにやりさえすれば、例年以下の感染率に抑えられるのではないかと思います。

保健所の仕事は、病気に罹りづらい対策を指導し、援助することで、餅つき大会を中止した方がよいとか、外出は控えた方がよいという指導はお門違いで責任逃避で業務怠慢です。保健所とは何をすべきか、考え直してほしいと思います。団体も餅つき大会を楽しみにしている子供たちのことを考え、保健所とタイアップして、対策を打ち、大会を開いてほしかったと思います。仮に餅つき大会をやめるのなら、がっかりしている子供たちを楽しませる、別の企画に切り替えてほしいと思いますが、そんな団体はあったのでしょうか?あったのなら、拍手ですが・・・自治会や町内会なら代替行事で子供たちを喜ばせたかも知れませんが、役場や区役所などの行政団体とすれば、期待する方が間違いかもしれません。

I will be right here waiting for you - Richard Marx
https://www.youtube.com/watch?v=m_uWS6K-VF8

(完)

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チンギス・ハーンの不思議

モンゴルの3つの民族の生活を紹介する「モンゴルの不思議」を2週連続でお送りしましたが、今回はチンギス・ハーンとその軍隊を採り上げたYoutube 「Lost Empire of Genghis Khaan チンギス・ハーンの失われた帝国」をお送りしましょう。
・・・・・・・・・・・・
世界が目の当たりにしたどんなものとも似つかない領土占領集団を調べてみよう。チンギス・ハーンと彼の軍だ。
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70年弱で、彼らは人間の歴史の中で最大の領土を獲得した。チンギス・ハーンの軍隊はどうして、そんなにも広大な範囲で軍事支配を実現出来たのだろう。何がハーンの偉大な帝国を造るきっかけになったのだろう。
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それを探すため、私はモンゴルのステップでゲルを建て、モンゴルの兵士のように馬の背に乗って弓を射てみるつもりだ。DNA技術で軍事の天才チンギス・ハーンの遺伝伝説の追跡もするつもりでいる。
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8世紀前、中央アジアのステップは帝国の誕生を目撃した。世界がこれまでに見た中で最も偉大な帝国のひとつだ。私はジョッシュ・バーンスタイン。
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モンゴル軍と悪名高い支配者チンギス・ハーンの歴史と遺産を調査するためにモンゴルMongoliaにやってきた。
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中央アジアのステップに位置するモンゴルは人口2百50万の小さな国だ。
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20世紀の大半、モンゴルはソビエト連邦の衛星国だった。その間、ソビエトはチンギス・ハーンに対するモンゴル国民の自負を積極的に弱体化した。今日、モンゴルは独立国だ。首都ウランバートルを歩いていると、国民が彼に対して持っている尊敬の念を見ることが出来る。
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チンギス・ハーンの名と肖像は、建物や、ビール瓶や、紙幣など、どこにでも見つかる。山の斜面にも彼の顔が描かれている。

西洋人には、チンギス・ハーンのモンゴル軍の恐怖は伝説的だ。13世紀、彼らはモンゴルから湧き上がり、蝗(イナゴ)のように文明化された世界に流れ出していった。
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彼らは無差別に虐殺し、強姦し、略奪した。彼らは読み書きが出来ず、農業や芸術もない原始的な野蛮人だと言われていた。それが、我々が聞いてきたことだ。伝説の後ろに隠れている真実を調査してみようと思い、チンギスの顔の上で、モンゴル歴史家クリス・アトウッド博士に会うことにした。

ジョッシュ「我々が立っているのは顔の中ですね。ジンギス・ハーンですか?それともチンギス・ハーンですか?
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クリス「チンギス・ハーンです。18世紀にフランス人の学者が彼に関する記録を研究していた時、名前を読み間違えて、チンギス・ハーンをジンギス・ハーンに変えてしまったんです。以降、人々は彼をジンギス・ハーンと呼ぶようになりましたが、それは正しくはありません。」
ジョッシュ「で、チンギス・ハーンとはどんな人物なんですか?」
クリス「世界の歴史の中で最も広大な土地の帝国land empireの創立者です。」
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ジョッシュ「これまでに多くの帝国がありましたが・・・」
クリス「モンゴル帝国のようなものはありません。モンゴル帝国の最大時と比べると、ローマ帝国は最大時でも三分の一、アレキサンダー大王の帝国(マケドニア王国)は半分しかありません。それは地図の上の話だけで、重要なのは、全てがたった70年弱で造られたという点です。」
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モンゴル帝国は現在のロシアや中国の大半を含みながら、太平洋から黒海まで広がっていた。36百万平方マイルという驚異的な広さだ。最大の土地帝国だ。彼らは、当時、技術的に進歩していた文明の多くを打ち破った。中国人、ペルシャ人、ヨーロッパ人も。このことから、何故、近代のモンゴル人が彼を尊(とうと)ぶのか容易に理解できる。
クリス「彼が国の基礎を造ったんです。孤立し、分散していた民族を、アジアを統治する国の国民に変えたんです。」

チンギス・ハーンは呼称や名前以上のもので、“宇宙の指導者”を意味する。1162年に生まれた時、彼はテムジンと名付けられた。当時、5つの民族がステップを支配していた。
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各々の民族はそれぞれのハーン(指導者)を持っていた。彼らは継続的な無政府状態で存在し、絶え間ない武力闘争は、部族間で同盟や定常的な暴力沙汰の様相を生み出していた。
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テムジンが9歳の時、父が敵対する部族に毒殺された。テムジンは全ての遊牧民は一人のハーンの下で統一され、ステップの外の敵に対抗すべきだと考えるようになる。

彼に関する古代の民族伝説がある。5つの民族のように、テムジンの5人の兄弟はいつも喧嘩をしていた。母は喧嘩をやめさせ、こう言った。「みんな、矢を1本取って折って見なさい。」
その後でこう言った。「今度は束ねた5本の矢を折ってごらんなさい。もしあなた方がこの束ねた矢のようになれば、無敵です。」
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テムジンの夢は持前の能力を活かし、5つの遊牧民族を統一することになっていた。

チンギス・ハーンと彼の軍が成し遂げたことは驚きでしかない。古代モンゴル人の彼らが、そんなにも大々的に敵を打ち負かすことが出来たなんて、何が特別だったのだろう?それを見つけるため、考古学者ツーメン・ダッシュタダ博士に会おうとモンゴル国立大学に来ている。ツーメン博士は考古学の調査遠征を指導しながら2004年にすばらしい発見をした。一つの石の跡から7つの古代の墓を見つけたのだ。
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ツーメン「この部屋は考古学的な発見品を保存しておくところよ。」
ジョッシュ「棚の箱の中は何ですか?」
ツーメン「頭蓋骨よ。」
一つの箱を取り出し、中身を見せてくれた。女性の頭蓋骨だという。

他の頭蓋骨も隣の部屋に並べて用意してあるという。
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それは中世のモンゴルで見つかった珍しい骸骨のひとつだという。遊牧民は普通、遺体を動物が食べられるよう、埋めずに地上に置いておくという。但し、エリートだけは埋められる。ツーメン博士は、発見した上流階級の墓がハーンの時代の生活に関する価値がある手掛かりを持っていると考えている。
ジョッシュ「彼女がいつ頃の人か判っているんですか?」
ツーメン「はい。チンギス・カーンの時代に生きていました。1190年から1230年頃です。」
ジョッシュ「とすると彼女はチンギス・ハーンを知っていた可能性がありますね?」
ツーメン「多分ね」

これを支持する証拠がある。ツーメン博士は私に金メッキされた鎧(よろい)や、鷹(たか)の像が刻まれた黄金の指輪など、女性と一緒に埋められていたいくつかの宝物を見せてくれた。
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ツーメン「鷹はチンギス族のシンボルだったの。」
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指輪はこの女性がチンギスと関係があったことを示しているのかも知れない。でもどんな関係だったのかは謎だ。彼の妻の一人だった可能性もある。彼は36人の妻を持っていたと言われていた。

しかし、鷹はモンゴルの貴族があの世へ連れていく唯一の動物ではなかった。
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ツーメン「彼女は馬と一緒に埋められていたのよ。」
ジョッシュ「えぇ!彼女の下に?」
ツーメン「そうじゃあなくて隣によ。これが馬の頭の骨よ」
ジョッシュ「ほかの人たちも馬と一緒に埋められていたんですか?」
ツーメン「そうよ。この発掘サイトで見つかった7つの墓では、そのすべてに一人の人と一匹の馬の骨があったの」
ジョッシュ「彼らは最も大切なものと一緒に埋められていたと考えていいんでしょうか?」
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ツーメン「勿論よ。馬は黄金と同じ価値があったのよ」
もし古代モンゴル人が王室関係者の埋葬で馬を一緒に埋めたとするなら、馬は極めて大切に扱われていた動物だということになる。

私は彼らが馬に乗って戦に出向いていたことを知っている。それは敵も同じだったはずだ。しかし敵は馬と一緒に埋葬されてはいない。何がモンゴルの馬をハーンの帝国にとってそんなにも重要なものにしていたのだろう?
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私は13世紀におけるチンギス・ハーンのモンゴル軍の破壊的な力の後ろに隠されている秘密を明らかにしようと調べているところだ。ハーンの王室は馬と共に埋葬されていたことが分かった。
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この関係をさらに調べることで、どのようにしてモンゴル人がユーラシアの半分をたった70年で占領することができたのかを明らかに出来るかも知れない。そこで私は首都ウランバートルを発って、ステップに向かうことにした。
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私はハーンの時代の人々がとても大切にしていた馬たちの子孫をよく見たいと思っている。
ジョッシュ「道をそれてから馬と一緒の男を探せっていっていたなぁ。彼じゃぁないかな?」

エンキバヤ・シャグダール・ゴンタヴはモンゴル人の通訳でガイドだ。彼は馬の背に乗ってモンゴルの視点からステップを案内してくれる。
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エンキー「ジョッシュ。モンゴルへようこそ!」
ジョッシュ「馬だね。思っていたよりも小さいなぁ。」
エンキー「でもすごくタフだよ。ヨーロパの馬は16手(注)くらいあるけど、ここの馬は12とか13手なんだ。でも頑丈(がんじょう)だ」
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(mh手:馬の体の長さを手幅で測って表現するようですね)
エンキー「それに彼らの走りは野生的だ。野草を食べて育つ。」
ジョッシュ「補助的な穀物なんかは必要ないってことだね。」
エンキー「そう。草だけでいいんだ。じゃあ、友達の家まで行こう。遊牧民の家だ。」
エンキーが言うには、モンゴルでは馬の数は人間の数の13倍だ。
私はいつも取り扱いが難しい馬に乗るのが好きだ。ここの馬は大抵、広いステップを自由に走り回っていて、必要な時だけ遊牧民が馬を寄せ集めている。そういう飼い方だと馬の性格は乱暴になる。

ジョッシュ「今のところはよさそうだな」
しかし、馬は噂にたがわなかった。エンキーの馬は私のやり方を好まないようだ。
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(ジョッシュが振り落とされました)
ジョッシュ「一体どうしたっていうんだろう。ちょっと回ってみようと思っただけなのに。もう一度やってみよう。」
もう少しモンゴルの馬やそれを乗りこなす遊牧民に対する敬意をもたなければいけないようだ。
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すぐそこに住んでいるというエンキーの遊牧民の友人に会うのを期待していたが、彼らは何Kmも先にいるようだ。ここまで半分ほどの距離を気まぐれな馬にのって進んで来た。あたりの風景は私がこれまで見たことがないものだった。
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草の平原と川は地平線の丘までゆったりうねりながら続いている。それは無限だ。モンゴル人はその価値を満喫している。
ジョッシュ「こんなステップなら行きたいところまでどこまでも行けるね。」
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モンゴル人口の半数はチンギス・ハーンの時代のように伝統的なゲルで暮らしている。アメリカではヤーツyurtsと呼ばれるテントだ。エンキーの友達は儀式用衣服を着て、客に対する挨拶で迎えてくれた。
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エンキーは私をゴンジジッドとニアグリに紹介してくれた。彼らはこの場所に一カ月間、暮らしている。寒くなるまで留まるらしい。私を家に案内してくれてから、ゲルの建て方を見せて教えてくれた。私も彼らのお手伝いをした。どんなシェルターもゲルほど素晴らしくも、美しくも快適でも、移動容易でもないだろう。
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中央の2本の柱は構造的に必ず必要というものではないが、象徴的に重要だという。建物と天国をつなぐ、魂が素早く動く道のようなものだという。骨組みが終わると断熱材を取り付ける。羊の毛をフェルトにして梳(と)いて、水を浸して、圧力をかけて、布に詰めてシート状にしたものだ。
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ジョッシュ「これはチンギスもしたことなんだよね?どこか違いはあるの?」
エンキー「当時は白いカバーは持っていなかったんだ。だからフェルトはフェルトのままさ。他は全てチンギス・ハーンの時代と同じだ。」
伝統的なゲルの内部はかなり暗い。明り取りの丸い穴が一つだ。それにステップでの一番重要な燃料、動物の糞、が燃えて出す煙が充満する。
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今日のゲルは、構造は同じだが何点か美的に改善されている。
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(mh駱駝の糞などを燃やす暖房・調理兼用のストーブが中心に置かれ、煙は煙突で天窓から排気されます。)
ジョッシュ「この中で寝るの?」
エンキー「ここは両親と子供達が寝る場所だ。電気もある。太陽電池を使っている。」

モンゴルの習慣によれば、客は飲み物を与えられる。
エンキー「これは雌馬のミルクだ。どんな感じ?」
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ジョッシュ「においが強くて発酵したミルクって感じ。でも旨いよ。」
ミルクは大抵、沸騰させて飲む。すると生き返った心地がする。

飲んで食べた後は別の習慣がある。スナッフ(嗅ぎタバコ)だ。これをやると目が覚める。
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外で子供たちが馬を集めていた。5歳になると馬を自在に乗りこなす。
ジョッシュ「ここではどんな子供もあのくらい上手く馬を乗りこなせるの?」
エンキー「そうだよ。歩けるようになると直ぐに馬に乗るんだ。」
ジョッシュ「本当に?」
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エンキーによれば彼らの騎手としての技術はチンギス・ハーンが帝国を造るために使うことが出来たものの一つだ。しかし、打ち負かさねばならない障害もあった。主に種族間の絶え間ない権力闘争だ。
まだテムジンの時、彼は循環を断ち切り、遊牧民を統一する方法を見つけた。
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彼は自分たち一族だけに忠節を尽くす覇権の形を排除したのだ。テムジンは親族より、戦いで勇敢な男たちを優先して登用した。別の種族を打ち負かした時、身分の低い者は助け、自分の仲間に取り込み、平等に扱った。
彼の頬に傷をつけた敵兵を彼は称賛したという話が伝わっている。その兵士に名誉ある地位を与えたという。
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このようにしてテムジンは核心にあった古い繋がりと敵対心を破壊した。彼は彼に敵対するどんな家族をも破壊した。敵の指導者を死刑にする有名な方法は槍を使って背骨を折ることだと言われている。
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1206年にはステップで彼に挑戦する者はなく、チンギス・ハーン“全ての遊牧民の統治者”と宣言した。そして5つの部族はそのうちの一つの部族の名前である“モンゴル”と呼ばれるようになった。
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部族が統一したことで、大きな勢力が生まれた。彼の領土はその時すでに西ヨーロッパと同じくらいだった。しかし彼はそこで終わらなかった。一つの旗の下に多くの兵士を集めたことで領土の外の豊かな文明にも目を向ける切っ掛けが生まれることになった。

これまで、私の旅のほとんどで、私は過去を見つけるために地面の下を見なければならなかった。しかし、ここモンゴルでは、過去は地上にある。モンゴルの遊牧民が生きている歴史だ。
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家族は伝統的な食事を作っている。熱い石を詰めて茹(ゆで)でた肉だ。
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遊牧民は大抵、農業ではなく、飼育している動物から得る肉と乳製品を食べて育つ。チンギス・ハーンの時代、動物性タンパク質は中国などの隣人たちより抜き出た体力を与えてくれた。モンゴルを取り囲んでいた農民文明は多くの人を効率的な穀物収穫で維持し、遊牧民の人口を大きく上回っていた。モンゴルの人口はわずか2百万人程度だった。このような少ない人口のモンゴル人がどうして1億人もの領土を占領することが出来たのだろうか?
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もう少し滞在していたかったがお別れの時だ。次の場所でさらにチンギス・ハーンのルーツを探(さぐ)らねばならない。
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私はステップでチンギス・ハーンの時代に遊牧民がどんな暮らしをしていたのかを知ることが出来た。人々はゲルで寝て、輸送と食糧は馬に頼っていた。そんな環境の中で、後にチンギス・ハーンと呼ばれるテムジンは遊牧民の強者に育っていった。

遊牧民のハンターたちを世界征服の兵士たちに変えたものが何かを探し出すため、私はモンゴル歴史国立博物館に来ている。
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モンゴルの有名な考古学者ビラ・シャグダール博士は私が答えを見つけるのを手助けしてくれる。
ビラ「これがチンギス・カーンでモンゴル帝国創立の父です。左右の旗は、白い方が平和、黒い方が戦いを表わしています。」
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しかしビラ博士は、モンゴルの呪術信仰では旗は兵士たちの運命を運び、死ぬと魂を運ぶものだったという。彼らは天の神を崇拝していた。チンギス・ハーンは天の神が彼に世界を統治するように命じたと信じていた。
ビラ「彼は自分が偉大な支配者になるのは天の指示だと考えていました。」
ジョッシュ「それで彼は自分の領土が他のハーンのものよりも広くなければならないって考えた訳ですね。」
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ビラ「そうです。彼の哲学は、天に一つの太陽があるように、ハーンは一人でなければならないというものでした。その一人とは彼自身です。」
チンギス・カーンは彼の運命は神によって任命されていると考えた。彼は階級や血統などは気にしなかった。彼に従うものには報奨を与えた。もし彼の前に立ちふさがれば、それを破壊した。

種族を統一すると、直ちにモンゴルでの内戦を禁止した。神から与えられた世界統一の使命を果たすため、チンギスは占領という動機をもつことになった。しかし、彼の3万の軍勢は近在の敵と比べると少なかった。
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中国はもっと巨大な軍勢を集めることが出来た。モンゴルは1対2で不足していた。なのに、どうしてチンギス・ハーンは敵を打ち破ることが出来たのだろう?

ウランバートルで再びクリス・アトウッド博士に会った。彼は私の質問に答える手助けをしてくれるという。最初に理解しておかなければならないことは、モンゴルの武器の選択だという。我々はバット・モンクに会うことになった。彼は伝統的な弓と矢を作る。その技術は何世紀もの間、伝えられてきたものだ。
ジョッシュ「どのくらい多くの人々がどんな方法で造るのかを知っているんですか?」
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バット「恐らく3人です。ウランバートルに二人、地方に一人でしょう。何代も弓を作り続け、技術を継承してきたのです。」
弓は3つの材料の複合体だ。角、木材、筋(?sinew)だ。強さと同時に柔軟性も与えてくれる。その後、カバノキのべニア板で覆われる。チンギス・ハーンの時代、多くの兵士は自分で弓を作ったという。形は、射手と反対側に曲げられているもので、長弓のように単純なC形をした弓と比べ、弦を引くには大きな力が必要だ。
ジョッシュ「OK。これで試してみよう。」
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郊外の競技場ではアーチェリーは人気スポーツとして今も生き続いている。チンギス・ハーンは人々に弓道を奨励することで有名だった。
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私でもモンゴル兵士並みになれるのだろうか?

歴史家ピーター・マーシュは偉大なモンゴル軍隊の射撃隊について調べる手助けをしてくれることになっている。しかし、その前に、馬無しで、この弓をつかって矢を射る練習をしてみたい。
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ピーター「ジョッシュ。モンゴルの弓道の指導者ガンバーさんを紹介するよ。」
ガンバーは私の弓にとても関心を持ったようだ。そこで、彼に、試してみてくれないかと頼んでみた。二人で何かモンゴル語で冗談を言い合っているようだが、私には何だかわからない。
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でも、直ぐにそれが分かった。ガンバーは親指を保護するための小さな角でできた部品を貸してくれ、モンゴル式の弓の使い方を簡単に教えてくれた。
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ジョッシュ「そして、こんな感じで弦を引くんですね?それじゃあ、やってみましょう。」

私は有能な射手だが、弦を完全に引くのはとても大変だった。この弓では45Kgの力が必要だ。指を弾いたら怪我をするだろう。
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ガンバーが射るのを見ていて少し疑い深くなってきた。
ジョッシュ「ちょっとその弓を貸してください。あぁ、そういうことね!この弓でやらせてください!」
私の弓は弦を引くのに45Kgだが、彼のはもっと軽い!
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モンゴル兵は100m先の的を射ることが出来た。敵が使っていた長弓やクロスボウより30mも長い。
ジョッシュ「こうして弦を張りながらも馬に乗っていたんですね?」
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馬に乗りながら弓を射るのはとても大変な作業だ。私もモンゴル兵になれるか、試してみよう。
どうも、そんなに簡単じゃあないようだ。
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しかし卓越した射手なら、決定的な組み合わせだった。兵士は疾走中に鐙(あぶみ:足かけ)で立ち上がり、腰を浮かせながら、好きな方向に矢を射ることが出来た。馬と弓は完璧な組み合わせだった。
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これだけではモンゴルの成功を説明することはできない。アジアでは前にそった弓を馬の上から射る文化は少なくとも1千年の間続いている。

しかし、彼らにはチンギス・ハーンのような軍事の天才が欠けていた。彼は偉大な射手で偉大な騎手であるという遊牧民の二つの強さに、組織力という新しい要素を加えた。

チンギス・ハーンは新しい、効率的な軍隊階層を生み出した。兵士は10人のグループで構成され、これを10集めて100人、1千人、1万人の師団にした。
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全ての兵士が騎手という、古代では特異な軍だった。各々の騎手は2,3頭の馬を持っていた。おかげで兵士たちは戦場でもその外でも先例のない機動性を持っていた。彼らは1日110Kmを移動できた。当時、他の軍勢は20Kmの移動ですら苦労していた。チンギス・ハーンは馬の優位性をどのように使えばよいかを知っていたのだ。
近在の敵は彼らを原始的な野蛮人と呼んでいたかも知れない。しかし、戦場ではチンギス軍は、彼らより何世紀も先をいっていたのだ。その結果は、近隣の人々の血を以て記録に残されることになった。最初に陥落したのは南の、中国の金Jin王朝だった。
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1206年に始まった、いくつかの季節に渡る遠征で、モンゴルは200万平方Kmを占領した。彼らのやり方は地方を攻撃してから都市に降伏するよう要求するものだった。1221年にはペルシャ帝国への攻撃が始まった。この戦いで6百万人が殺されたとも言われている。
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好まれた戦術は、敵の守備兵たちに時には数日、後を追わせてから逆襲に転じるものだったようだ。彼らは戦で負けたことはない。もし都市がモンゴル軍に対抗したら、都市とそこに住む人々を完璧に破壊した。その結果、彼らは“野蛮人”との評判をもらうことになった。
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チンギス・ハーンの息子たちは父親の殺人者としての足跡に従うことになった。東の太平洋から西の黒海まで帝国を拡大しながら、1億人以上の人民を統治下に置くことになった。

今日のモンゴルを見て、これらのことを想像するのは難しい。
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しかし、ここが世界で最も広大な帝国の土地だったのだ。“どこにそれがあるのか?”“何が残っているのか?”と不思議に思うかも知れない。その答えを見つけるため、私はウランバートルを発ってモンゴルの最初の首都カラコルムに向かっているところだ。
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私はモンゴルに来ている。13世紀にモンゴル軍はどのようにして世界が知っている限りで最大の大地の帝国を設立したのかを知るためだ。私はその秘密の一部をモンゴル軍の裏に隠れていた卓越した騎手精神と、前方に反った弓と、チンギス・ハーンという指導者の天才的な組織力の中に見つけた。今、私は帝国の首都だったカラコルムに向かっている。野蛮人と呼ばれていた彼らがどのようにして1億人を統治していたのかを調べるためだ。
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その場所は今日では考古学的サイトで、ウランバートルから370km南西にある。多くの人は、モンゴル人は意図して帝国を創造したのではなく、単に遊牧民として生活したいと望み、何もせずにいた人々を攻撃し略奪しただけだと言う。しかし、あまりに見事に敵を壊滅したので、自分たちの町を造らざるを得なくなった。私はカラコルムにある16世紀に造られた修道院の外壁のそばで再びクリス・アトウッド博士に会った。
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クリス「僧院のこの壁は昔のカラコルムの町から運んだ石で造られているんです。」
ジョッシュ「じゃあ、元々の町はどこなんですか?」
クリス「向うです。行ってみましょう。」
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クリス「ここが本当の13世紀の古代都市カラコルムが最もよく残されている場所です。」
ジョッシュ「ここに見えているのが首都の建物の跡ですか?」
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クリス「そうです。建物の柱の跡です。」
ジョッシュ「でも、まだ沢山、発掘されていないものが残されているんですね?」
クリス「そうです。」

クリス「これは恐らく、ここにあった王宮か寺院の屋根の瓦の欠片でしょう。勿論、ハーンの時代のものです。13世紀の緑の釉薬で焼かれた陶器です。」
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ジョッシュ「あちこちに見つかりますね」
クリス「きっと大きな屋根だったんでしょう。」
柱の座や屋根瓦だけが地表に残されている。しかし、13世紀のオランダ人宣教師ウィリアム・ルービックは、中央アジアへの旅について記録を残していた。
(世界の東側)
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彼はモンゴル人をキリスト教徒に変換する試みに失敗している。彼は記録の中で、カラコルムについて詳細に描写している。

主にチンギス・ハーンの息子オゴディ・カアンによって建てられた。数平方Kmしかない比較的小さい町で、周囲はゲルで囲まれている。
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4つの市場がそれぞれの門の近くに設けられていた。約1万人が暮らす町だった。12の礼拝施設があった。全てが異なる宗教で、その多様性は中世では類がない。オゴディの王宮は町の最も美しい建物で、繊細なレリーフと、緑や赤の瓦をもっていた。
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ジョッシュ「遊牧民の軍勢がどうして王宮を必要としたのでしょうか?」
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クリス「この町はモンゴルが蓄えた富を保管しておく場所だったんです。でも、そんなに多くの富は蓄積していませんでした。というのはハーンが富を報酬としてばらまいていたからです。職人や専門家やモンゴルに従うことになった様々な国から来た人々、例えば中国人、ペルシャ人、ヨーロッパ人、ロシア人なんかに。彼らは、帝国の中では、モンゴルの王子たちのために働いていましたが、ステップで暮らすことはできなかったんです。で、カラコルムから離れて生活していました。」
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チンギス・ハーン自身も、カラコルムを訪れた時、城壁の外のゲルで生活していた。
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帝国が拡大するにつれ、彼は卓越した戦士以上の力を示し始めた。彼は革新的な行政官で司法官だった。
クリス「チンギス・カーンが成し遂げたことは東洋を西洋に連結したことです。中東の文明を取り込み、それを互いに学ばせたんです。」
ジョッシュ「考え方や技術を自在に交流させて、中国人はペルシャ人に、ペルシャ人はヨーロッパ人に語りつないだってことですか?」
クリス「そうです。コペルニクスを知っていますか。彼の星座表はモンゴルの援助があったからこそです。モンゴル人は中東の天文学が最適か、中国の天文学が最適か、全く知らなかったんです。そこで彼らに、2つを合わせて最高の天文学にするよう指示していたんです。」
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ジョッシュ「つまりここは帝国中の文化の坩堝(るつぼ)のようなものだったんですね。」
クリス「そうです。ステップの真ん中の坩堝だったんです。」

チンギス・ハーンは死と破壊を通じて彼の帝国を造り、そこから世界の文化を過激に変化させていった。彼はヨーロッパと中国の最初の接触をもたらし、帝国内での貿易量を劇的に増やした。駱駝の隊商の安全を保障した。
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最初の仔馬を使った通信網を発明した。“外交的免疫”という考えを立案した。
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拷問を禁止した。

たいした野蛮人と言える。一体何がチンギス・ハーンに起きたのだろう?

彼が死んだ時、彼は何の痕跡も残さず、密かに埋葬されたとクリスは話してくれた。
クリス「あるモンゴルの歴史書によれば、彼が死んで、全てのものが埋められたといわれています。チンギス・ハーンが埋められ、彼を埋めた人たちは殺され、殺した人々も殺されました。埋めた跡は、そこには何もないかのようになるまで馬が踏み均(なら)しました。完全に秘密にするためだったんです。」

カラコルムはというと、たった50年しか存在しなかった。1227年にチンギス・ハーンが死ぬと、帝国は小さなハーン王国に分裂を始めた。1274年、孫のフビライ・ハーンは首都を南の中国に移し、都市北京を造った。ステップの都市カラコルムは機能を失くし、放棄された。

歴史は勝者によって書かれると言われている。しかし、今回の場合、歴史は犠牲者たちによって書かれることになった。ペルシャ人、中国人、ヨーロッパ人によって“悪魔のような殺人者たちの軍勢”と。
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それが今日、しばしば語られる内容だ。しかし、モンゴルでは異なる。チンギス・ハーンがステップの民族を統一して8百年後の今日、モンゴル人が帝国を打ち建てたことは誇りの源になっている。

私は13世紀のモンゴルの野蛮人と呼ばれた人々が、戦いでは残忍で、しかし当時なら驚くほどの忍耐力をもって帝国を治めていたことを発見した。8百年後、モンゴルは平穏な国になっている。
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しかし、チンギス・ハーンがユーラシアに与えた衝撃は測り知れない。モンゴル人が彼らの歴史を自慢するのは驚くようなことではない。そして首都ウランバートルほど、それが明らかな場所はない。チンギス・ハーンが創立したモンゴル帝国の建国800年を祝うため、誰もがやってきている。
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これは毎年行われるナーダム祭だ。彼らに栄光をもたらした2つの技術を公演する。馬術と弓術だ。
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チンギスによる帝国建設はモンゴル人の生活に完全な変化をもたらした。文明化された近隣の人々からは裏庭の遊牧民と嘲笑され馬鹿にされていたモンゴル人が、一夜にして宇宙の支配者になったのだ。チンギス・ハーンはモンゴルを地図の上に残した。今日、モンゴル人は理想的な創立の父として彼を尊敬している。

チンギス・ハーンの魂はモンゴル人の中に今も生きている。遺伝子科学者たちは人々の血液の中にも彼の遺産が残っているのではないかと調査している。

私がやって来たのはモンゴル科学研究所だ。チンギス・ハーンの遺伝子の追跡を続けている遺伝子研究者に会うためだ。ダッシュアム・ブンベイン博士の研究班は3百万のアジア人のDNAサンプルを取っている。
ジョッシュ「コーカサスアジアからサンプルを集めているんですね?」
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ダッシュアム「そうです。私たちはY染色体chromosomeだけを調べました。男の“サイン”です。」
ジョッシュ「Y染色体はいつまでも変わらないんですよね。」
ダッシュアム「ええ。父から息子に、直接、変化せずに伝えられるんです。」
染色体は人間の性を確定する。女は2つのX染色体を持っているが、男はX染色体とY染色体を持っている。息子が父と全く同じY染色体を持っている以上、遺伝子学者はこの染色体を選別することで、男の親子関係を代々に渡って追跡できる。
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ジョッシュ「私のY染色体サンプルも調べてもらおう。このバイアル(vial小さなカプセル)に入れて研究室に送る。すると綿についたDNAを取り出せばY染色体の連続情報がわかるんだ。」
ダッシュアム博士は、調査の結果、モンゴルでは、家族の木family treeの、ある一つの枝branchが巨大であることを見つけた。
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同じY染色体が何回も現れたのだ。ダッシュアム博士は、そのY染色体が13世紀に生きていた男の物だと割り出した。
ジョッシュ「誰かが子作りで忙しかったってことですね?」
ダッシュアム「そうです。私たちが持つ遺伝子データと計算によればその男とはチンギス・ハーンです。」
ジョッシュ「何故、それがチンギス・ハーンのDNAだと言えるのでしょうか?遺体も見つかっていませんから、当時生きていた誰か別の男かも知れませんよね。どうしてわかるのですか?」
ダッシュアム「2つ理由があります。一つは遺伝子データで、もう一つは歴史的データです。歴史書を詳細に読むと、チンギス・ハーンがどんな人物だったのか、何人の息子や孫や妻を持っていたのかを知ることができます。彼の歴史的データが遺伝子データと一致しているんです。」
ジョッシュ「つまり彼は帝国を征服しながら、別のことを始めていたってことですね?」
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チンギスと彼に続いた息子たちはそれぞれが何百もの妾を持っていた。そして彼らの子孫を、征服した広大な領土に広げる使命を負っていた。最初の遠征の大量殺人量と、彼の家族の血統の拡大の組み合わせは一つの果実borne fruitのようにも思われる(?)。
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そして8百年後の今、ナーダム祭りはモンゴル中からの訪問者を惹きつけ、単なる記念行事ではなくなっている。それは巨大な家族会だ。周りを見渡したら、何人がチンギス・ハーンの親戚なのだろう?
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ひょっとすると、今回の撮影チームのメンバーの中にも親戚がいるかも知れない。偉大な指導者の子孫が。そこで、私を含め、チームメンバー全員がDANサンプルを提供し、調べてもらうことにした。

まず私だ。1対の数字は遺伝子の種類を表わしている。最初の2つの組ではチンギスと私の遺伝子は一致している。しかし、それ以降はだめだ。
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クルー全員の遺伝子結果がある。一人が一致していた!
ジョッシュ「で、勝利者は・・・バツーさんだ!」
ほとんどの番号がチンギス・ハーンの遺伝子と一致している。
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つまり、この国にはチンギス・ハーンの子孫がどこにでもいるということだ。それはモンゴル人が自慢することのひとつでもある。多くの国民は撮影クルーのバツーと子孫を共有しているのだ。ダッシュアム博士は占領した土地全体では8%がチンギス・ハーンの子孫ではないかと試算している。
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世界中でいうと200人に1人ということになる。彼の現在の家族の数は3千2百万ということになる。このことは歴史の中で、彼を成功した祖先にしている。

彼は世界が知っているどんな人物にも似ていない軍事の天才だった。そして彼の血は何百万人もの人の中で流れ続けている。彼の帝国は古代の歴史だが、チンギス・ハーンという遺産は現代の遺伝子の中に生きているのだ。
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Lost Empire of Genghis Khaan
https://www.youtube.com/watch?v=1KDNI2d58Aw

補足:
遺伝子調査でチンギス・ハーンの子孫が多いとのことですが、Wikiにも、若干の疑念は残っているものの、間違いなさそうだとありました。

兄弟喧嘩を収めようとする母からテムジンが教えられたという5本の矢の話ですが、似た話は中国の十六国春秋という歴史書(5,6世紀頃)にあり、日本の毛利元就(16世紀)の3本の矢の話もひょっとすると中国が原典かも、と思われているようですが、アフリカにも似た話があるので、偶然の一致ってこともあり得るとのこと。どうなんでしょうかねぇ。

で~“3本の矢”でネット検索すると、毛利元就の三子教訓状とともに現れるのが安倍首相のアベノミクス“三本の矢”でした。
皆さんも忘れたのではないかと思いますので首相官邸のホームページの資料を揚げておきましょう。
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この政策の結果、生活が向上した方が何%で逆に悪化した方が何%いらっしゃるか判りませんが、mhの場合、改善したとはとても言えません。緩やかな悪化状況という所です。倒産した会社数は減っていると安倍首相は国会答弁したような記憶がありますが、多額の国債を増刷して仕事を発注しているはずにも拘わらず正規・非正規従業員の数の大きな変化はなく、待機児童の数の削減や、老人ホームの収容能力やサービスの拡充などは進んでいないようですから、どうなっているんでしょう。もし追加発行した国債が保育園や老人ホームの増設に使われていたなら直ぐに結果に反映していると思うんですが、そうじゃあないってことは、そうではない所にお金が流れているってことになります。政治家や大会社だけにお金が流れているじゃあないの、って愚痴りたい気分です。政治家はもっと真面目に国民のために仕事をしてほしいと言わせて頂きましょう。

(完)

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mh徒然草:この人は何を言っているのか?


この人は何を言っているのか?
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オリンピックのゴルフ会場の話ですね。
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見出し「ゴルフ場問題 埼玉知事「何を今さら」と大臣に反論」
テレビ朝日系(ANN) 2/7(火) 18:55配信
 東京オリンピックのゴルフ会場を巡って埼玉県知事が反論です。
 埼玉県・上田清司知事:「『女性会員がいないのはおかしいではないか』と。今頃になって何を言っているのかと。前の五輪大臣は何をしていたんでしょうか。それを引き継いだのが今の大臣でもある訳です」
 埼玉県川越市の霞ヶ関カンツリー倶楽部は、女性が正会員になれない規則があり、丸川大臣が「深刻に受け止めてほしい」と早期の改善を求めていました。上田知事は定例会見で、「数あるゴルフ場のなかから最良のゴルフ場として選ばれた。本来であれば最初から言ってほしい」などと反論しました。
・・・・・・
つぎのURLで記者会見の様子を見ることができます。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20170207-00000058-ann-soci
・・・・・・
ゴルフ会場の決定経緯、女性会員問題がどうなっているのか、整理して皆さんにご報告しようと思い、オリンピック・ゴルフ会場、小池都知事、丸川五輪相手、森JOC会長などをキーワードにネットで検索し、いくつもの情報に目を通したmhの結論は“とても込み入っている!”ってことです。

4,5年前に行われた2016年東京五輪の招致運動時、ゴルフ会場の候補地は若洲GLだったのですが、2020年大会の招致運動では、ゴルフ愛好家たちが密室で、霞ヶ関カンツリー俱楽部に変えてしまっていたっていうんですね、2013年に。

で~以降は成行きで、霞ヶ関カンツリー俱楽部で進めていたら、IOC世界オリンピック委員会から“女性会員を認めない会場はオリンピックに相応(ふさわ)しくない”とクレームが届いたようです。届いた先は森会長のJOC日本オリンピック組織委員会じゃあないかと思いますが確かではありません。が、どういう経緯(いきさつ)が、どういう思惑があったのか判りませんが、丸川五輪相が動くことにしたようですね。で~誰にどう働きかけたらいいのか判らなかったので、小池都知事に電話したようです。都知事はボート会場をどこにするか画策していますから、この人を無視すると、後日いじめられるとでも思ったのじゃあないかとmhは邪推しています。

で~電話をもらった小池都知事は「せっかくスカートをはいておられる五輪相もいるのだから、もっと明確に言うべきではないか」というようなことを、丸川五輪相に伝えたんですね。この、スカート云々(うんぬん)の見解は、電話の前日か数日前、都知事が記者会見で述べていたもので、丸川五輪相はその真意を確認するために電話したとの見方もできるのですが・・・いずれにしても、電話で問われた都知事は「言葉の通りです」って答えたと言います。つまり電話ではスカート云々はなく「記者会見で伝えた通りです!」ってな調子で答えたんですね。で~これを聞いた丸川五輪相は、俄然と意を強くして、自分が動いて決着つけようと決めたようです。

で、彼女はどうも、JOCを動かして、霞ヶ関カンツリー俱楽部に女性会員を認めるよう検討を促したようです。同時に埼玉県にも、その旨を連絡したと推定します。多分、JOCから、ひょっとすると丸川五輪相自身も、私からもお願いしたいってなことを伝えたかも知れません。でないと埼玉県知事のTV会見は余りに唐突ですからね。

で~冒頭にご紹介した上田埼玉県知事のTV発言になったわけです。

で~森喜朗JOC会長はどうからんでいるのかというと・・・1月末、“霞ヶ関カンツリー俱楽部は東京から遠すぎるので若洲GL(2016年招致時の候補だったようです)にすべきでは”と言い出して物議を醸していますが、この発言は女性会員問題とは関係ありません。単に問題を起こし、自分に衆目を集めたかっただけだろうとmhは推察しています。

つまり・・・一連の動きを見ると、責任をもってIOC世界オリンピック委員会の要請に応える意思のある人はいないんですね。関係者が集まって最善策を議論するわけでもなく、みんな勝手に自分の思い付きを記者会見やTVで主張しあっているだけです。

ゴルフ場の女性会員についていえば、認めないというのは時代錯誤も甚だしく、男女平等の思想にも反していますから、霞ヶ関カンツリー俱楽部が女性会員を認めないのなら会場を変えるべきだとmhは考えます。ゴルフ発祥地のセントアンドリュースでさえ女性会員を認めているんですからね。

上田埼玉県知事についていえば、なんで、つまらんイチャモンをつける人なんだろうと思いました。女性会員を認める必要などない、と言っているに等しい発言をしているんですから、男の風上にも置けない人物だと思います。きっと、女性会員問題には関心はなく、丸川五輪相や小池都知事に指図されるのがいやだって、駄々をこねているだけなのでしょう。

丸川五輪相についていえば、仕事の進め方を知らない人だと思いますね。ネットには彼女の言動に対する多くの批判が見受けられます。元総理の鳩山由紀夫氏と同じ人種(宇宙人)のようですね。

小池都知事についていえば、丸川などという生意気な小娘はいじめてやらねばという、自分本位な目立ちたがり屋の様相が透けて見えています。mhが嫌いな人間のタイプの一つですね。
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森JOC会長についていえば、早く若い人に任せて、自分の意見を公に発表するのを控えてほしいです。彼の発言は問題を大きくするだけで、誰のためにもなりません。選んだのは安倍首相だと思いますが、責任をとってほしいと思いますね。早く替えるべきだと思います。

こうして、ゴルフ場問題は、意固地で、自己主張が強く、関係者の間で調整する能力も意思もない関係者全員の間をコロコロところげまわっている内に、解消するどころか、雪だるまのように膨らんでいくのです。今のメンバーが居座っている限り、新たな五輪問題がもぐら叩きのモグラのように出現してくるでしょう。

魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界にはとても付いていけませんが、彼らが綱を引き合っている間、無関係な多くの人々の生活が混乱し、国税、都民税、埼玉県民税が浪費されていくのですから、看過できません。だからといってmhが出張(でば)って大岡裁きをやるわけにもいかず・・・
兎に角、あきれて、物申す気力も失せてしまいそうです。
(追記)
2月16~25日、Y旅行社のパックツアーでモロッコに行っています。帰国後、ご報告させて頂きます。
Cliff Richard - Summer Holiday Club Penguin
https://www.youtube.com/watch?v=bMwVTNrMTZ4

(完)

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モンゴルの不思議(後篇)


(先週の続きです。)

低地ではまだ夏の頃、ドークホッド・サヤニ山脈の谷間には、数週間前、突然、予告も無く秋が訪れていた。
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森の木々の葉は色づき、徐々に赤や黄色が現れている。ここはアジアでも最も少数でほとんど知られていない民族のひとつ、サッタン族の故郷だ。
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この山岳遊牧民にとって、生活の重要な柱はトナカイ(馴鹿)だ。
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しかし、それだけでは暮しに必要な基本的なもの全てを賄うことはできない。生活環境はとても厳しいので、モンゴルでも最も貧しい遊牧民である彼らはギリギリの暮しをしている。ここにいる人たちは7日前、山の頂から下りて来たばかりで、残っている秋を、ここで過ごす予定だ。
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今は夏の終わりなのに、最初の雪が降り、森は徐々に白い絨毯で覆われていく。
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サッタンにとって今が一年で最高の季節だ。というのは、もはや蚊に悩まされることがなく、気温もかなり穏やかmildで、まだトナカイに十分な食料が残っているからだ。
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彼らの一日は家畜の乳搾りから始まる。一年のこの時期はトナカイから一日2回、乳を搾ることができる。
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ミルクからはバター、“アールール”というチーズ、クリーム、ヨーグルトを作る。燻(いぶ)った肉と野生の木の実が彼らには完璧な食事になる。

サッタン族の生活は、これまでも決して楽なものではなかった。しかし、共産主義の到来以降、彼らの文化や伝統や日常生活の一部は破壊されてしまった。
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記憶の限りでずっと彼らの物だったトナカイの群れは、国家の財産になった。何人かのサッタンの人々は、トナカイが失われるのを見るより自らを殺すことを好んだ。彼らの習慣や伝統に全く無知なモンゴル政府に対応しながら、遊牧民の生活習慣に全く馴染まない厳格な法律に自分たちを適応するよう強いねばならなかった。
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乳搾りが終わると、トナカイは解放され、1日の残りの時間、山の中で餌を漁(あさ)って過ごす。
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12家族86人のこの居住地はたった2百頭のトナカイを飼っているだけだが、小麦粉、塩、タバコ、お茶を飼うのに十分な収入を得ている。多くのトナカイの角が切り取られているのに気づいて驚いたかもしれない。
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追加収入を得るため、サッタンは1Kg当たり4百円で中国人に角を売る。角は粉末にされ媚薬に使われる。
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山中でトナカイが穏やかに餌を食べている時、人々はテントの中の火の周りで暖を取ってゆっくり過ごす。それが、彼らの日常だ。
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ゴンボは一族の長だ。
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彼は、ロシアのタイガで55年前に生まれたが、6歳の時、両親と共に国境を越えモンゴルに棲み着いた。彼はツェンデリィと結婚した。
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彼女は50歳で、二人は8人の子供を持ったが生き残っているのは4人だけだ。長女は子供を産んだばかりで、父親はダーハット族だ。
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これはサッタン族の間ではあまりない事だが、このような厳しい時代には、どんな手段を採ってでも貧困から抜け出す道を探さねばならない。ほんの数年前まで、女たちは他の一族の男と結婚していたが、それでもいつも同じ種族の仲間だった。
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しかし、サッタン族の人口がたった2百人の今では、近親交配による奇形と病気の問題で悩み始めていた。モンゴル政府は従弟や兄弟と姉妹との間や、さらには両親とその子供たちとの性的関係によるものだと非難している。
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外では雪が降り続き、寒さが増している。一番若いものが木を割って薪を作る。
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火が絶えることがあてはならない。サッタン族は文字通り“トナカイの人々”を意味し、元々はロシアのシベリア地方の種族で、彼らが使う言語はトルコで生まれたものだ。
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しかし、1920年代における、モンゴル人民共和国の建国とこれに続く国境の設定で、1千人ほどのサッタン族の集団と6千頭のトナカイはモンゴル側に残ることになった。
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火の周りで団欒(だんらん)し、お茶を飲んでいる間に、その日も過ぎていった。吹雪は少し静まって、ゴンボの長男のダライバヤは、一足先に外に出て、トナカイたちに居住地に戻る時間がきたことを笛で知らせる。
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日が沈むと、タイガは集団で群れを襲うオオカミたちの領域domainになる。家畜を失うと家族の経済は大惨事になるが、今では、そんな事態を起こすことはほとんどなくなった。
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毎年、生まれるトナカイの数は減っていて、ここでも近親交配で人間にも感染する病を引き起こし、問題になっている。動物が戻ってくると、キャンプ地にも活気が戻る。
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それぞれの家族は群れから自分たちのトナカイを選び出し、乳搾りをしてから塩をなめさせる。
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その後、夕食を準備する。少量のミルクまたはヨーグルトと、幸運なら、少々のお米だ。明日も同じ作業だ。もし天候が許すなら、男たちは狩りに出かけ、女や子供たちは森に出かけて野生の木の実や草の実を探す。
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これがサッタン族の生活における一日だが、不幸にも、彼らは消滅していく運命にあるようだ。
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・・・・・・・・・・・・
アルタイ地域では冬は、いつもよりも厳しい勢力で訪れていた。
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10月の始め、既に厚く積もった雪の層は山々を覆っていた。ここは、まだモンゴルの領域内だが、人々の多くは元々カザフの出身だ。
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モンゴルの遊牧民と同様、彼らもゲルで生活しているが、かなり大きく、もっと綺麗に飾られている。
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生活している土地は極めて貧しいのだが、カザフ族は豊かな牧人(herdsmen畜産民族)で、1千頭の牛を飼っている家族も稀(まれ)な存在ではない。
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バルガン家が占有する、この小さなキャンプ地では、女たちはヤクの乳搾りで一日を始める。しかし、辺りには男たちがいないことが目立つ。

山岳地帯の出身のカザフ族にとって鷲(わし)と共に行う狩りより刺激的で娯楽的なものはないだろう。
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その季節は丁度始まったばかりで、これらの男たちにとって、今日はこの春が始まって以来、初めての狩りの遠征だ。
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ずっと待ちきれずにいた瞬間だ。
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古代の法律によれば、狩りの季節は冬の雪が初めて訪れるまで始められない。その時期は通常なら10月だ。そうすることで、彼らは獲物に小休止を与え、夏の間、若い獲物たちはよく食べ成長することができる。
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もし雪が降るのがいつもよりも遅ければ、狩人たちは祈祷師の所に行き、早く雪を降らせるよう圧力をかける。彼らは狩りのない人生を考えることができない。“カザフ族がこの世に生まれた時、既に鷲狩人だったんだ”と彼らは主張している。
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この伝統は1千年以上前から始まっていて、トルコ人の祖先たちからカザフ族が受け継いだものだ。そして15世紀に初めてカザフ族として現れた時から、彼らは既にそれを実行していた。
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3時間、馬で移動した後、5人の騎手はバルカン・アルタイの頂に到着した。
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高さ3900mで、この辺りでは最高峰だ。そこからは多くの谷間や近くの山々を見渡すことができる。
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狩りの間、彼らは、一帯で一番高い場所の周りで移動したがり、斜面の下で鷲を飛び立たせることはめったにない。一方、獲物追い出し役(beater叩く人)は、ウサギや狐を驚かせて巣穴から飛び出させようと谷で動き回る。
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アルタイ地方はカザフ族がとても恐れているオオカミたちの居住区でもある。オオカミはよく、牛を襲うのだ。もしオオカミが現れたら、例え鷲が大怪我をし、殺されることがあろうとも、狩人たち全員が鷲を解き離す。
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今、狩人たちが出来ることは忍耐強く待つことだけだ。
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メス狐が獲物追い出し役の叫び声に驚いて巣穴から飛び出した。
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コサン(男の名)は古い双眼鏡で狐を捕え、視界から逃がさない。
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その一方でアルタイカン(男の名)はトマガと呼ばれている鷲の目の覆いを取り外し、地平線上に目を凝らす。
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メス狐は逃げ続け、どこか隠れる場所を必死に探している。クマルカンとタライカンの鷲たちは獲物の場所を確認すると直ちに飛び立っていった。
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タライカンの鷲が最初にメス狐に跳びかかった。
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タライカンは獲物の貴重な毛皮に傷がつく前に、または必死に抵抗するメス狐が彼の鷲を傷つける前に、その場所に到達しようと、山の斜面を馬を駆けて下り始めた。

メス狐は、奇跡的にも、なんとか殺人鬼の爪から逃げ出し、傷ついたものの逃走し始めた。
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しかし、そう遠くまでは行けないだろう。それまでただ見物していただけのシェッケン(男の名)は、直ちに動くことに決め、鷲から目隠しを外し、空に向けて解き放った。
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襲撃に驚き、疲れ切ったメス狐は彼女の運命が確定したことを知り、屈服することを決めたようだ。最後の空しい試みとして、気付かれないよう蹲(うずくま)ると、死期を待った。
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狐の後ろ足を動かないように掴むと、鷲は1平方センチメートル当たり数百Kgの圧力をかけることが出来る鋭い嘴(くちばし)の先で狐の頭を攻撃して麻痺させた。
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タライカンが鷲の所まで行った時には、メス狐は既に死んでいた。

彼は鷲の爪から狐を取り外さねばならないのだが、それは決して楽な仕事ではない。
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この地の狩人たちは常にメスの黄金鷲を使う。オスよりもずっと攻撃的だと考えているからだ。羽を広げると2m程で、体重7Kgもあり、狩りの時は2つの重要な特質を持っている。急降下時の飛行速度は時速160Kmに到達する。また驚くべき視力を持っている。恐らく人間の視力の8倍の精度だろう。

笛の音を聞き、肉片に引かれて、鷲たちは主人の腕に戻って来る。
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タライカンは6歳の時に崇高なスポーツである狩りの技術を学び始めた。
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彼の家系には、ずっと偉大な狩りの伝統が引き継がれていた。彼の父のクマルカンは、この地区では最も尊敬されている狩人の一人だ。そしてどの家庭にとっても、狩人を持つことは名誉と富の印だ。多くの牛を持つ人たちだけに鷲を育て、教育する贅沢が許される。昔は中央アジアで上流階級の人たちだけが行っていたスポーツだった。
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カザフ族は、鷲が食べ終わり、飛べなくなっている時に、網を使って鷲を捕える。最初の1ヶ月間は音や臭いに慣れるよう、ゲルに閉じ込めておく。その後、数週間、訓練を受けると、鷲は、馬で疾走する騎手の腕の上でもバランスが取れるようになる。最後に最も困難な、飛び立ってから主人の腕に戻って来る訓練が行われる。
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鷲は捕えられてからずっと主人の身近で過ごし、寝る時も隣にいる。
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・・・・・・
10月中旬、この遠く北の、昼がかなり短い場所では、午後2時になったばかりだがキャンプに戻らなければならない時間で、狩人たちは山を下り始めた。
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空では太陽は急速に沈んでいき、少しずつ日暮れの色がアルタイの峰々を包み込む。
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昼の光が死にゆく中で、カザフの狩人たちはキャンプに着いた。そこでは子羊の肉の食事が彼らを待っている。
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しかし食事の前に、彼らは腹をすかせた鷲に餌を与えなければならない。冬の最初の狩りの飛行の後で、鷲たちは疲れ切っている。狩人の師匠クマルカンは鷲が嘴の先を傷つけないよう牛の肝臓肉を木の器に入れて与える。
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ここにいる狩り用の鷲たちは、1年間で1匹が2頭分の牛肉を食べる。
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伝統的な方法で準備された柔らかい子羊の肉で一杯の皿の周りで、狩人たちはアッラーに感謝を捧げたら、直ぐに御馳走の肉にむしゃぶりつく。
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しかし、今夜は特別だ。狩りの季節の始まりを祝福するだけではない。明日、5人の友が、馬で4日のジョルジョクという小さな居住地に向けて旅立つのだ。そこでは狩人たちが集まって、初めての競技会が開かれることになっている。残る家族はキャンプを畳み、冬の住家に移住する。
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全てが静寂の中で、まだ前夜のウォッカの酔いを残しながら、クマルカン、アルタイカン、タライカン、シェッケン、そしてコサンは長旅に備えて馬の手入れをしている。
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一方、女や子供たちは、30分余りでゲルを解体する。
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この国の他の遊牧民と異なり、カザフ族は低地にある、木と天日瓦(てんぴかわら)で造られた家で冬を過ごす。
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そこでは今頃の外気温は例年なら零下45℃だが、家の中なら忍耐できる限界に近い。彼らは言わば季節的な遊牧民だ。つまり1年に4回、移住し、それは偶然、四季と一致する。

5人の狩人たちは出発の準備が整った。
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1日6時間ほど馬に乗り、道中で見つかるゲルで夜を過ごす。地上の全ての遊牧民が共通して持っているものがあるというのなら、それは厚情hospitalityだ。
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4百のカザフ族の中で、この地で継続的に狩りをしている72が競技会に申し込み、そのいくつかは3百Km離れた場所からやって来た。とても長旅だが、今回は極めて特殊な行事だ。みんな、チャパンと呼ばれるコートと絹やオオカミの毛皮で造られたケペシュと呼ばれる特徴的な帽子を身に付けている。
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実際のところ、民族紛争を逃れ、モンゴルのこの片隅に定住した17世紀の終わり以降、ここに集まったイスラム教徒の牧人(畜産民族)の暮らしぶりはほとんど変わっていない。
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1世紀後、この地のモンゴル人を全滅した満州皇帝による多くの壊滅的な侵略の後、カザフ族はこの過酷で限界の地を支配下に置いた。今日、アルタイ山脈とホブド川によって隔離されているため、ここにいる狩人たちは、言語や文化の伝統やカザフとしての個性を守り続けている。
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彼らの間で共通している特徴は梟(フクロウ)の羽根で、ケペシュという帽子を飾っていて、薄い黒い縞模様はコーランの詩句に似ていて、狩りの間、彼らを守り、幸運をもたらすお守りのようなものだ。
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鷲の頭を覆っているトマガという蔽い(おおい)も銀象嵌(ぎんぞうがん)で飾られていて、所有者はこれまで悪事をしていないという印だ。
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ベルギーとほぼ同じ広さのこの地に9万の住民がいるが、社会的な行事はとても稀なため、今日は大勢が集まる光栄の機会で、古い友人にあったり、他の人々の暮し振りを知るおかげで今風の振る舞いをしたりする。
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ゲルの中の雰囲気は極めて活気がある。輪になったいくつものグループで、狩人たちは狩りに出ている日々の1千1回(注)の闘いの話にくれる。
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結局、地球の隔離された片隅にいても、彼らは狩人たちであり、狩人というのはどういう人たちかはわかっている。
(注:“1千1回”は千夜一夜物語のように、“沢山の御伽噺(おとぎばなし)”の意味だと思いますが、確かではありません。)
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人が大勢いるので、クク・ベルKuk Berの良い機会でもある。
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中央アジアではとても人気がある遊びで、覚えていられない程の昔からカザフ族はクク・ベルを楽しんでいる。ソビエト時代に禁止されていたクク・ベルは実際の所、ルールらしきものはない。しかし、それぞれの国で、異なった方法で遊ばれている。
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カザフ族は2人で競技し、ゲームは羊か山羊の毛皮を握って行われる。最後に、勝者は続いて行われる次の競技のため毛皮を地面の上に残す。

クク・ベルは、普通、結婚式で遊ばれる。祝賀が済んで、誰もが沢山のウォッカを飲み終えてから、花嫁の父親が毛皮を地面に投げ捨てる。それを取って花嫁の両親の棲むゲルに持って行った人が賞品を受け取れるのだ。賞品はヤク1頭だ。難しいのは他の客との争奪戦ではない。花嫁の家はとても遠い所にある場合が多く、ゲームは数時間続くことがあるのだ。しかしヤク1頭なら戦う価値は十分にある。
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競技会の日は雲一つなく太陽とともに明けた。
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朝の最初の光が差す頃、参加者たちは丘の上の場所に陣取っていた。大気中に、ある種の緊張が感じられる。技術を試すために多くの狩人たちが初めて集まったということ以外に、昨日、ゲルの中で、多くの賭けが行われ、そのいくつかは、かなりの金額になっていたのだ。

競技の最初は馬に引かれた狐の毛皮に向け、旗の合図を目安に、鷲を1匹ずつ放つことから始まる。
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狐の毛皮に最も少ない時間で到達した5匹の鷲が最終戦に参加できる。
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最終戦で目標になるのは生きた狐だ。
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夕闇が迫っている。勝ち残った5人は決勝戦の準備を終えている。狩りの師匠クマルカンは、5人の中の一人だ。
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競技会は終わり、参加者たちは自分の鷲を呼び寄せる。
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クマルカンは勝者ではなかったが、それほど気にはしていない。来年、彼は息子のタライカンや、友人たちと戻って来て、もう一度、生き続けている芸術や伝統とも言える狩りの競技会に参加するつもりだ。残念ながら、彼の故郷の、お隣の国カザフスタンでは、ずっと昔、狩りは死んでしまった。
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騒々しいお別れの挨拶はなく、全くの静寂の中で、狩人たちはゆっくりとジョルジョクを離れ、無限の空間と広大な平原が待つ彼らの世界に戻っていく。
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ゴビ砂漠では、10月中旬になると草は枯れ始める。
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タンセンダリアの一族にはキャンプを畳み、冬を過ごせる、ここよりも厳しくない土地に向けて出発する時だ。
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牛と家族の一部は夜明けに出発し、残っていた人々は駱駝に荷物を載せ、キャラバンを組んで出発するのだ。
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彼らは8日間歩いて、砂漠の北西の端まで移動する。そして春の始まりと共に、ステップの高原の中に移り、その後でゴビに戻って来る。それは彼らの祖先がしたことで、彼らがすることでもあり、彼らの子供たちがすることでもある。
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これが今も移動を続けながら暮している3つの部族の集団の物語だ。彼らは、狂ったように国際化に向かおうとしている社会によって少しずつ消し去られつつある、彼らの最も大切な宝、文化を守ろうと戦っている。
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モンゴルの不思議:後編完
・・・・・・
モンゴルは面積が日本の4倍、総人口3百万人は日本の1/40です。首都ウランバートルの人口が総人口の40%ということを考えると、ゴビやステップには村すらめったに見当たらないのではないかと思います。正確な統計が見つからないのですが、30%の家族は牧畜で暮らしている(英語Wiki)ようで、ウランバートルには40%の家族が集まっているわけですから、首都の外では半数が牧畜で暮らしていることになります。モンゴルの主食は“赤い食べ物”と言われる肉と、“白い食べ物”と言われる乳製品が主体だとネット情報にありました。野菜は中国の内モンゴル自治区に近いモンゴル南東部で栽培されているようですが、冬は寒いですから、生鮮食料品は、恐らく中国から買っているのではないかと推定します。地下資源が比較的豊富なようですから、資源発掘に従事する人の比率も高いのではないかと思いますが、やっぱ、モンゴルは遊牧民の国だと言えるのではないでしょうか。

少し長いですが、Wikiモンゴル国の「経済」を掲載しておきます。

「IMFの統計によると、2013年のモンゴルのGDPは約115億ドル。一人当たりのGDPは3,996ドルで、世界平均のおよそ40%の水準である。 2011年の調査では、1日2ドル未満で暮らす貧困層は115万人と推計されており、国民の40%以上を占めている。2014年で主な輸出相手国は中華人民共和国で輸出の95.3%を占め、主な輸入相手国は中国が41.5%、ロシアが27.4%、韓国が6.5%、日本が6.1%となっている。

主に畜産業と鉱業が中心でモリブデンは世界屈指の埋蔵量を持っている。現在、モンゴル政府は金鉱や銅鉱、モリブデン、石炭等の開発を推進しており、エルデネト鉱業は社会主義時代からモンゴル国内最大の企業である。そして近年では、豊富な天然資源とりわけオユトルゴイ鉱山を目的に外資系が活発になってきている。しかしながら、政治的安定性が未だに構築されておらず、政権が変わる度に、その政策方針が二転三転することで、外国の投資家に警戒感を持たせている。畜産は、ヒツジ1,168.6万頭、ヤギ1,223.8万頭、ウシ184.2万頭、ウマ200.5万頭、ラクダ25.7万頭を飼育し(2004年統計)、牧草地の広さは国土の約80%である。畜産は、そのほとんどが遊牧で行われている。農業は、社会主義時代は土を掘ることを忌避する風習が改められ、食糧自給できたものの、市場経済化で穀物生産は落ち込み現在は中国やロシアからの輸入が多い。

内陸国ではあるが、便宜置籍船の手数料を取るビジネスも盛んであり、約400隻を超える海外船舶が認められており、例えば北朝鮮当局の保有する貨物船等がモンゴル船籍を取得していたが、現在は国連の対北朝鮮制裁で登録は全て取り消しされている。

モンゴルの警察は、汚職疑惑などで出国禁止措置を取ることがある。こうした汚職疑惑に巻き込まれて、何年も母国に帰れない投資家や実業家など約50人が存在する。彼らは拘束されず、パスポートなども取り上げられていないが、明確な根拠もなく出国が禁止されており、事実上の監禁状態となっている。この事から、モンゴルに投資価値はないと判断する者もいる。」

(終わり)

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mh徒然草(特番)神道の小学校?

今日2月9日、朝日新聞朝刊を見て、“えぇ?なんだ、これは!”と思いました。同じ内容の記事がネットで見つかったのでご紹介しましょう。

見出「学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か」
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 財務省近畿財務局が学校法人に払い下げた大阪府豊中市内の国有地をめぐり、財務局が売却額などを非公表にしていることが分かった。朝日新聞が調査したところ、売却額は同じ規模の近隣国有地の10分の1だった。国有地の売却は透明性の観点から「原則公表」とされており、地元市議は8日、非公表とした財務局の決定の取り消しを求めて大阪地裁に提訴した。
売却されたのは、豊中市野田町の約8770平方メートルの国有地。近畿財務局が2013年6~9月に売却先を公募し、昨年6月に大阪市内で幼稚園を営む学校法人「森友学園」に売った。契約方法は、公益目的で購入を希望する自治体や学校法人、社会福祉法人などを優先する「公共随意契約」がとられた。
 この契約について、地元の豊中市議が昨年9月に情報公開請求したところ、財務局は売却額などを非公表とした。朝日新聞も同年12月に公開請求したが、今年1月に同じく非公表とされた。国有地の売却結果は透明性と公正性を図る観点から、1999年の旧大蔵省理財局長通達で原則として公表するとされている。だが、財務局は取材に「学園側から非公表を強く申し入れられた。公表によって学校運営に悪影響が出るおそれがある」と説明した。
 朝日新聞が登記簿などを調べると、森友学園側に契約違反があった場合、国が「1億3400万円」で買い戻す特約がついていた。公益財団法人の不動産流通推進センターによると、買い戻し特約の代金は売却額と同じ額におおむねなるという。森友学園の籠池泰典理事長も売却額が買い戻し特約と同額と認めた。
 一方、財務局が森友学園に売った土地の東側にも、国有地(9492平方メートル)があった。財務局が10年に公共随契で豊中市に売ったが、価格は約14億2300万円。森友学園への売却額の約10倍とみられる。ここは公園として整備された。
■「日本初、神道の小学校」開校の予定
 森友学園が買った土地には、今春に同学園が運営する小学校が開校する予定。籠池理事長は憲法改正を求めている日本会議大阪の役員で、ホームページによると、同校は「日本初で唯一の神道の小学校」とし、教育理念に「日本人としての礼節を尊び、愛国心と誇りを育てる」と掲げている。同校の名誉校長は安倍晋三首相の妻・昭恵氏。
 籠池氏は取材に「(非公表を)強く求めていない。はっきりではないが、具体的な売却額は財務局が出したと記憶している」と説明している。昭恵氏には安倍事務所を通じて文書で質問状を送ったが、回答は届いていない。
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ネットで“森友学園”を検索すると、購入した土地に建設中の小学校は「瑞穂の國記念小學院」のようです。この4月に開校し、名誉校長は確かに、首相夫人の安倍明恵氏です。
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で~「教育理念」はというと・・・
先人から伝承された日本人としての礼節を尊び、それに裏打ちされた愛国心と誇りを育て、すべての子供が持っているたくましい生命力と包容力を指導者が明るい表情と態度と言葉で引き伸ばしていく教育を誠実に心を込めて実践しています。子供と父母共に人間力が高まります。

で~「教育理念」における“教育の要”はというと・・・
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読み辛いでしょうからトップ5を転記すると次です
⇒天皇国日本を再認識。皇室を尊ぶ。伊勢神宮・天照大御神外八百万神を通して日本人の原心(神ながらの心)、日本の国柄(神ながらの道)を感じる。
⇒愛国心の醸成。国家観を確立。
⇒教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成(全教科の要)。道徳心を育て、教養人を育成。
⇒「大學」素読による人間学の習得。
⇒大祓詞・般若心経朗唱宗教的情操の育成。

で~「教育方針」は次の通り。
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で~教育勅語はというと次の通りです。
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で~「大學」ですが・・・四書五経の一つです。
Wiki「四書五経」によれば・・・
四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」をいう。
中国国内だけでなく、日本や韓国でも広く講義され、とくに封建社会の中で広まりを見せた。

で~大祓詞(おおはらえのことば)は次の通りです。
(長いので半分ほど掲載します)
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何が書いてあるかわからないでしょう。
出だしの部分だけご紹介すると・・・
高天原爾神留坐須 皇賀親神漏岐神漏美命以知氐
八百萬神等乎神集閉爾集賜比 神議里爾議賜比氐
我賀皇御孫命波 豐葦原乃水穗國乎安國登平介久
知食世登事依奉里伎
意味はっていいますと、次の通りらしいです。
高天原(たかまのはら ※天上の神々の国)にいらっしゃる皇祖神
(すめみおやのかみ ※親神様)の御命令によって、八百万(数多く)の
神々が一堂に集まり、幾度も議論が重ねられた。
こうした神々による会議・相談の結果、
皇御孫命(すめみまのみこと=瓊々岐命 ににぎのみこと)は
豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに=日本国)を平和で
穏やかな国として統治しなさい、とお任せになった。

ご参考にWiki「安倍明恵」によれば生い立ちは次の通りです。
父は森永製菓社長を務めた松崎昭雄。聖心女子学院初等科・中等科・高等科を経て、聖心女子専門学校卒業後、電通に入社。新聞雑誌局で勤務した。
(mh念のため聖心女子学院を調べてみましたが、神道の学校じゃあありませんね。キリスト教関連の学校です)

新聞記事とネット情報を整理すると・・・
「安倍首相の夫人明恵氏が名誉校長を務める「瑞穂の國記念小學院」が、この4月、大阪・梅田の近くで開校予定だが、その土地は国有地で、随意契約(国、地方公共団体などが競争入札によらずに任意で決定した相手と契約を締結すること)により小学校を運営する森友学園に市場価格の10分の1で払い下げられた。小学校では神道を中心に、教育勅語、「大學」、般若心経なども教えられ、日本で初めての“神道の小学校”になる」
ってことです。

国が随意契約で首相夫人が名誉校長の学校建設用の土地を市場価格の10分の1で売り渡したというのは異常な行為です。国が、首相の便宜を図って国民の財産を切り売りしたとしか考えられません。何故、国はそんな行動をとったのか?まさか、首相の指示があったとは思えません。恐らく、首相の意向を“忖度(そんたく)”した役人の仕業(しわざ)でしょう。

安倍明恵氏が画策したとは思えませんが、一役買うことになったのは事実でしょう。「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長を引き受けていますからね。で~この小学校は彼女が若い時に学んだキリスト教ではなく、神道を教える、日本で初めての小学校なのです!

安倍明恵氏が神道に心酔していたとは知りませんでした。思想や宗教の自由は憲法が認めていますし、神道じゃあなくてイスラム教だって何だっていいのですが、結果として、明恵氏は国民が納得しないと思われる国有地の払い下げに一役買っているのです。

既に、この4月の開校を目指して、学校の建築工事は進んでいるようですから、どうなるんでしょうねぇ。

アメリカではトランプ大統領の娘さんがデザインする服をデパートが扱わないことにしたら、大統領が名指しでデパートを非難していますから、安倍首相も朝日新聞を非難するんでしょうか?

mhが尊敬する孔子様の言葉じゃあないようですが「瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず、李下(りか)に冠(かんむり)を正さず」と言います。瓜(うり)の畑で靴(くつ)を履きなおしていると瓜を盗んでいるように思われるからやめなさい。李(すもも)の木の下で冠(かんむり)を直そうとしていると李を盗んでいるように思われるからやめなさい」という教えです。特に首相や首相夫人など、人の上に立つ人は、心すべきだと思います。

それにしても、日本の右傾化は進んでいるんだなぁと思いました。右傾化とは違いますが、中国の共産党一極化も過激になっています。韓国の日本バッシングも予想以上の激しさです。以前のブログでもお話ししたように、第二次世界大戦が終わって、丁度、人間の一生とほぼ同じ70年という時が過ぎた今、忘れていた人間の独善が頭を持ち上げ、歴史は繰り返すという格言の通り、争い事が始まろうとしているのでしょう。日本は、八百万の神とか天照大神を敬う国になり、キリスト教・イスラム教・仏教などを信仰する国々から孤立して世界に打って出ることになるのでしょうか。

過則勿憚改(あやまてば、すなわち、あらたむるにはばかることなかれ;自分に過ちがあると思ったら、グズグズせずにすぐに改めなさい)という孔子様のありがたい教えを、安倍首相も、明恵夫人も思い起こしてほしいと思います。そうでなければ、日本はアメリカや、中国や、権力に固執する国王がいるシリアと同じ混沌に突き進むしかなくなります。

安倍首相はトランプ大統領とゴルフをするようですが、それは日本とアメリカにとっては良い結果をもたらすかも知れませんが、第三国には、日本がアメリカに媚びを売っているとしか見えないのではないかと危惧しています。ゴルフでは、媚びを売るような約束をしたり、歯が浮くお世辞を言ったりしないよう、心してプレーしてほしいと思います。

Kitaro Kojiki Reimei.
https://www.youtube.com/watch?v=X338mL9xKd8
(完)

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モンゴルの不思議(前篇)


今回はGenghis Khan. The Empire | Culture (チンギス・ハーン:帝国と文明)から、モンゴルに暮らす3つの民族を紹介します。
フィルムは5分割されていて、合計で45分程度ですが、映像を多くご紹介したいと思いますので、2回に分けてお送りします。

モンゴルの歴史についてはブログ「ステップの帝国の不思議」で匈奴(きょうど)と呼ばれる人々の墓の発掘をテーマにモンゴルの様子をご紹介しました。
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(ステップの皇帝)
Wiki:ステップ(ロシア語степь stepʹ、ウクライナ語степ step)
中央アジアのチェルノーゼム帯など世界各地に分布する草原を言う。ロシア語で「平らな乾燥した土地」の意味。

Wiki:匈奴(拼音: Xiōngnúションヌー)
紀元前4世紀頃から5世紀にかけて中央ユーラシアに存在した遊牧民族および、それが中核になって興した遊牧国家(紀元前209年 - 93年)。モンゴル高原を中心とした中央ユーラシア東部に一大勢力を築いた。

匈奴の居住中心はアルタイ山脈の東に広がるステップですが、今回のブログでは現在、モンゴルに暮らす民族にスポットを当てています。まずはモンゴルの地勢を確認しておきましょう。
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Wiki:モンゴル国(英語;Mongolia、中国語;蒙古国)
人口:3百万人
面積:160万平方Km(日本:38万⇒4倍)
言語:モンゴル語(国民の95%が話す)
首都:ウランバートル(人口:130万人)
宗教:主にはチベット仏教。歴史的にチベットとの関わりが深い。またシャーマニズム信仰も根深い。カザフ民族(4%)はイスラム教
国旗:
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Wiki:モンゴルの国旗
赤・青・赤の順で、左側の赤地にソヨンボという意匠を配した旗。ソヨンボ文字はかつてモンゴルで使われていた文字で、ソヨンボの意味には色々な説がある。それぞれの図形は上から、火・地球・水・太陽・月・陰陽をあらわしている。

モンゴル文字:ウイグル文字と同じ。
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元来、文字は無かった。1204年にチンギス・ハーンがナイマン王国を攻略したとき、捕虜となったナイマンの宰相でウイグル人が伝えた。現在ではウイグル文字は教養として学ぶだけで、日常的にはロシア語と同じキリル文字が使われる。
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民族:
 モンゴル系:モンゴル民族(ハルハ族)、ブリヤート民族、オイラト族
 チュルク系:カザフ民族、ツァータン
 ツングース系:エヴェンキ民族

Google Earth:南にゴビ砂漠(“礫の草原”)、東にアルタイ山脈(“金の山”)、北はシベリアでバイカル湖があります。
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モンゴルと言えばチンギス・ハーン。チンギス・ハーンと言えばこれでしょう。
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(成吉思汗、1162~1227年;享年65歳)
幅47cmx高さ59cmの絵で、いつ頃、どこで描かれ、今どこに所蔵されているかというとですね・・・
14世紀の中国は元の時代、シルクの布に描かれ、台北の故宮博物院が所蔵しています。

遠征中に病死したようです。
墓についてWikiに次の記事があります。
「チンギス・カンの死後、その遺骸はモンゴル高原の故郷へと帰った。『元史』などの記述から、チンギスと歴代のハーンたちの埋葬地はある地域にまとまって営まれたと見られているが、その位置は重要機密とされ、『東方見聞録』によればチンギスの遺体を運ぶ隊列を見た者は秘密保持のために全て殺されたという。また、埋葬された後はその痕跡を消すために一千頭の馬を走らせ、一帯の地面を完全に踏み固めさせたとされる。チンギスは死の間際、自分の死が世間に知られれば直ちに敵国が攻めてくる恐れがあると考え、自分の死を決して公表しないよう家臣達に遺言したと言われている。」
「東西冷戦が終結してモンゴルへの行き来が容易になった1990年代以降、各国の調査隊はチンギス・カンの墓探しを行い、様々な比定地を提示してきた。しかしモンゴルでは土を掘ることを嫌う風習と民族の英雄であるチンギス・カンの神聖視される墓が外国人に発掘されることからこれに不満を持つ人が多いという。」

ということで、埋葬地の比定は不完全なままですが、どうもこの一帯らしい、といわれているのがウランバートルの北東180Km辺りのブルカン・カルドゥン“仏陀の孤嶺”と呼ばれる地域です。
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「大山ブルカン・カルドゥンと周辺の神聖な景観」で世界遺産登録されました。

モンゴル帝国の首都だったカラコルムKarakorum はウランバートルの西300Kmの平原にあります。一辺が約4百mの外壁で囲まれた正方形の領域内に、いくつかのお寺があります。
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この一画はチベット仏教の修道院で、首都の王宮や街並みはこの近くにあったようです。王宮の屋根瓦ではないかと思われる緑や青の瓦の欠片が見つかっています。

チンギス・ハーンが死んで8年後の西暦1235年から1260年にかけ、カラコルムはモンゴル帝国の首都でしたが、第五代皇帝クビライ・ハーンは帝国の名を“元”と改め、首都を大都(だいと;現在の北京)に移しました。その後、カラコルムも避暑地などとして有名でしたが、中国に明王朝が誕生すると、追い出されたモンゴル族は北宋を打ち建て、カラコルムを首都としています。

さて、それではいよいよ「モンゴルの不思議(前篇)」の始まりです。

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800年前、ティムインTimuyin、又はチンギス・ハーン“宇宙の王”としてもっとよく知られている男は、これまでの人類の歴史の中で最も広大な帝国を創造した。
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それは全て、彼がモンゴルの異なる遊牧民族を取りまとめ、一つの強力な20万人の軍隊を作った1190年に始まった。
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彼の軍隊と、彼の疑うべくもない卓越した軍事的才能は、太平洋からヨーロッパの中心まで、北シベリアからインド、イラン、トルコまで広がる広大な領土を占領することを可能にした。
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彼の軍は比較的小規模で、高度に統率され、見事に訓練され、革新的な戦闘技能、驚くべき機動力を持ち、1万の騎兵から成る“トウーマンtoumans”と呼ばれる師団で構成されていた。
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モンゴルの大軍は草原で暮らし、彼らの戦術は度肝を抜く奇襲が特徴で、主力騎兵軍が仕掛ける前に、敵の側面や後方防衛を攻撃することだった。
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ハーン王朝(注)の終わりと共に始まった一連の内戦が国に混乱をもたらすと、1578年まで、アルタン・ハーンAltan Khaanの指導の下で仏教が政府機能を果たすことになった。
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(注:“ハーン”はモンゴル語で王/皇帝の意です。チンギス・ハーン(成吉思汗、1162~1227年;享年65歳)が打ち建てたハーン王朝は通常、モンゴル帝国と呼ばれます。チンギス・ハーンを初代皇帝とし、第40代リンダン・ハーン(~1634年)まで続きますが、第5代のクビライ・ハーンKublai Khan(~1294年)が死ぬと勢力は急速に弱まったようです。アルタン・ハーン(16世紀)の時代には、複数のハーンが覇権を競っています。アルタイの孫は第4代ダライラマです。)

その2世紀後、モンゴルは中国の統制下に入り、1924年にはソビエト連邦の設立と共に共産主義に変革され、連邦の衛星国家になった。
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ロシア時代になると近代化と工業化が急速に進んだ。建物、橋、道路、鉄道、工場、学校などが造られ、遊牧民は、驚きながらも傍観していた。彼らの国は、たった1日で原始的な封建社会から20世紀の先進社会に変革されたかのようだった。
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ウランバートルは新たに生まれた国の新しい世界的首都になった。
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寒く、ソビエトの非人間的な都市計画の標準に従って設計された町だった。その雰囲気は、訪問者たちにシベリアの、失われた、隔離された都市に来た印象を与えた。
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しかし、1989年のベルリンの壁崩壊と、これに続くソビエト連邦の分裂で、ロシア人は、やって来た時と同じ素早さで引き揚げ、モンゴルは1日にして完全に麻痺(まひ)し、政治的にも経済的にも崩壊した。それは今でも完璧には回復してはいない。
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以来、都市は急速に劣化し、住民は最善を尽くして生き残ろうと苦闘している。
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郊外の様子も劇的に変わった。毎日、数百の家族が貧困や飢えから逃れようとしてウランバートルにやって来る。
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近年に造られた新しい住居地により、ウランバートルの面積は倍に膨らんだが、およそ40%の都市住民は今もまだ遊牧民の家“ゲルger”で暮らし続けている。
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しかし、いかなる場合も、そして偉大な帝国、侵略、内戦、政治的社会的実験を経験してきたにも拘わらず、国の奥地の生活は、チンギス・ハーン時代以降ほとんど変っていない。
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広大なシベリアのステップ(草原)では、冬は10ヶ月続き、遊牧民の暮しはほとんど祖先と同じだ。
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馬は今も彼らの運搬手段で、牛を飼育し、狩りをして暮らし続けている。
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このフィルムは3つの民族集団の物語だ。彼らは同じ地域に暮らしているが、異なる文化と伝統を持っている。
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しかし、彼らは“チンギス・ハーンの後継ぎThe Heirs of Genghis Khan”という共通分母を持っている。
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この男がたった今見つけたものは恐竜の骨だ。
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インディアナ・ジョーンズの人物モデルで、1921年にゴビ砂漠で最初に恐竜の卵を発見したロイ・チャップマン・アンドリュース以来、この砂漠は科学者や古生物学者が憧れる研究室になっている。
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彼らは、発掘の都度、多くの疑問に対する答えを見つけ続けている。例えば、恐竜は、少なくとも6億年前、雪崩や砂嵐の結果、ゴビ砂漠からいなくなったという。
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最も重要な発見は1993年に行われた。ニューヨークの自然歴史博物館の資金支援を受けたアメリカとモンゴルの古生物学者の共同チームは、1百を超える恐竜の完全な骨や多くの化石を見つけた。
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それらの幾つかは孵化(ふか)し、また幾つかは、まだ完全に胎児のままだった。

これらの発見の多くは今も欧米の主要な博物館で展示されているが、ウランバートルの自然歴史博物館は2億5千万年前に地上で暮らしていたこれらの動物をもっと見つけるためには見事な場所だ。
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ゴビは烈しい、乾燥した砂漠で、モンゴルの3分の1を覆っている。
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所々では、絶え間なく吹き続く風に打たれている砂丘が横切っていて、ここを最初に横断したヨーロッパ人はイタリアの旅行家マルコ・ポーロで1275年だった。夏には50℃を越え、冬はマイナス40℃にまで下がるので、ゴビで生きていくのは厳しく、困難だ。
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夏が到来すると、砂漠の遊牧民は、長く、寒い冬にゲルを保護するために使われるフェルトのキャンバス(画布)を作る羊毛を刈り取る。
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また、夏は駱駝の糞を回収し保存する好い時期でもある。
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これらの動物は、このような不毛の砂漠で人間が生存しようと思ったら不可欠だ。木が1本もない土地では、家畜の糞は暖房や調理で必要な唯一のエネルギー源だ。これなしでは暮らしていけないだろう。
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しかし、毎年、夏の嵐が来ると、ゴビは短期間の小休止を住民にもたらす。
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数週間、自然の奇跡が砂漠に戻り、辺りは一面、新鮮な緑の草の絨毯で覆われる。
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水は再び砂丘の間を流れ、乾き切ってひび割れた大地によって貪欲に吸収され、ゴビは再び生き返る。
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数日前まで単に石や塵だった大地が、思いつくすべての様々な緑で青々とした庭の様相を見せる。
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コウノトリは北の涼しい土地に移動する途中、体力を取り戻すために立ち寄る。
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グルヴァンサイカン・ヌルウ山脈は、野生の山羊やスカベンジャー(scavenger腐肉食動物(ハゲワシみたいな動物))だけが棲み着いている領域だが、アイベックスibexが餌を求めて高地から下りてくる。
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可能なところならどこにでも草が生え、ゴビは厳しい、乾燥した砂漠から、信じられないような土地にほとんど超現実的と思える変化をする。
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誰もが、この状態が続く限り、自然からの恵みを受けようと望み、ゴビを囲んでいる高地ステップから砂漠に人間や動物が沢山集まって来る。
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人口の60%が牛を繁殖させて、3千5百万頭の牛を飼って生計を建てている遊牧民の国では、新鮮な牧草地は最も貴重な生活領域で、どの家族も最高の土地に自分の群れを連れていく。
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しかし、ここでは相変わらず駱駝(らくだ)が王様だ。今のところ遊牧民にとって最も価値がある動物で、昔から商人や旅人たちに重宝がられている。
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このような反芻(はんすう)動物にとっては、今はエネルギーを蓄える時期だ。体から立ち上がる瘤(こぶ)は、その証拠で、十分な食料を獲得したという間違い様がない印だ。もし働かなくてもよければ、彼らは水を飲まなくても、蓄えたものだけで10ヶ月は生きていける。体重は25%減るが危険な状態に陥ることは無い。何故なら、失う水分は体の組織からだけで、血液からの水分ではないため、心臓に余分な負担がかからないからだ。

80年以上の間、タンセンダリア(男の名)の家族は、2百頭の馬、8百頭の羊や山羊、2百頭の牛と共に、夏になるとこの土地にやって来る。
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2年前に格段と厳しい冬があり、飼っていた牛の半分を失ったにもかかわらず、彼らは牛の繁殖者として豊かに暮らし続けている。タンセンダリアの家族は4つのゲルで成るキャンプで生活している。ゲルは伝統的なシェルターで遊牧民の生活の必要性に完璧に適合している。
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安く、十分な広さで、組立や解体はとても素早く行える。輸送は容易で、頑丈で、夏は涼しく冬は暖かい。
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ゲルはいつも入口を南に向けて建てられる。入り口は悪霊を払い除けるため、明るく塗られている。
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内部には、暖房にも使われるストーブが中央に据え付けられ、周りにベッド、少ない家具、そして最も大切な釈迦寺(mh仏壇とは違うようです。)が配置される。
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彼らの食糧が肉、特に羊の肉や、ミルクを基本としているのは言うまでもない。
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ミルクからは少なくとも12種もの製品を作り出している。その中には雌馬の乳を発酵させたものから作る、夏の間だけの飲み物エアラグairagがある。
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とても健康に良く、結核対策にもなる。そしてアルギargiは牛の乳を蒸留した酒で、何千年もの間、人々は作り続けている。
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女たちがゲルの中で家事をしている間、男たちは、この遊牧民族が好む仕事のひとつの準備にかかる。春に生まれた仔馬の仕分けだ。
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一族のリーダーのニンテン・パサラ(男の名)の指示に従いながら、乗り手たちは馬を寄せ集め、飼い馴らされていない仔馬たちを集団の中心に閉じ込めてから、棒を使って捕まえる。
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モンゴル人は、決して馬に印を付けたり、名前を付けたりしない。色や、区別するための200もの言葉を使って識別するのだ。

彼等にとって馬は、移動や物を運ぶために使う単なる動物という以上のものだ。彼らは、キリストよりも4千年前から、馬を手懐(てなず)け始めていた。
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小さな体で、繊維状の毛で、そして信じられない程反抗的で、しかし、体の大きさに似合わない力を持つこれらの馬はチンギス・ハーンがあんなにも強力な軍隊を作ることができた重要な要素だった。
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歴史書によれば兵士たちは夜の進軍を続けながら、馬の上で眠ったという。食料に欠乏すると馬の血さえ飲んだ。
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国の反対側の、シベリアとの国境に沿った、砂漠から遠く離れた、無限にステップが広がっている地方では、垂直な世界が立ち上がっていて、タイガ(taiga針葉樹林)によって支配されている。
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タイガは、ロシア語で椴(タン;とどまつ)、カラマツ、白樺で構成された北方の森林のことで、強風や低温に適応している自然の森だ。
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ここはモンゴルの最も人里離れた場所のひとつだ。道はなく、居住地は遊牧民が踏み均(なら)した小道だけで繋がっている。
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夏の終わりには、山から溶けて流れ出た水が草原や谷の大半を埋め尽くし、牛を連れて移動することは極端に困難になる。

秋になったら、チンギス・ハーンの時代から、これらの地に暮らすダーハット族は、家畜の群れを高地からもう少し暮らしやすくなる地域に移す。
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ダーハットは、より肥沃な土地や風が厳しくない場所を探して、1年に15回くらい移動することができる。
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しかし、草が乏しくなる冬になると、家族ごとに分かれて、それぞれが食糧を探さねばならない。ロシアが去って以降、今も残っている唯一の筏(いかだ)ボートでは、全ての牛をサガン・ヌウル川を横切って運ぶことはできない。
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しかし、ここでは時間は重要ではない。人々は、待っている間、雑談したりお茶を飲んだりする。もし、今日中に渡れなければ、明日、渡ればよい。
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モンゴルの不思議:前篇完
Genghis Khan. The Empire | Culture - Planet Doc
https://www.youtube.com/watch?v=VgW1EWhC5H8&list=PL_xnDE04X2MefNJowWSK7lrjD8n-fx5g9&index=19
(続く)

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mh徒然草114: 歴史は繰り返す?

「歴史は繰り返す」という格言は古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスQuintus Curtius Rufusの言葉「History repeats itself.」の訳語のようですね。“いつの時代も人間の本質に変わりないため、過去にあったことは、また後の時代にも繰り返して起きるということ”だとネット辞典にありました。
繰り返すといったら、波でしょうか。水面は高くなったかと思うと低くなり、これが繰り返します。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2#/media/File:Shallow_water_wave.gif
不幸な状態の人には慰めとして、幸福の絶頂で調子に乗り過ぎている人には戒(いまし)めとして「人生には不幸な時もあるが、いつも不幸ということはなく、必ず幸福になれる時が来る。逆にいつまでも幸福であることはなく、いつか不幸が訪れる。」と言うことがありますが、これを「歴史は繰り返す」と言ったら、的外れです。歴史家クルティウスは1世紀のローマ上院議員で“アレキサンダー大王の歴史”の著者のようですから、“戦いや戦争で帝国は興亡を繰り返す”ことを比喩したのは間違いありません。

太平洋戦争の終戦から70年以上経過した今、世界には新たな紛争が散発し、歴史は繰り返しているかのようです。平和ボケしている日本は中国やロシアに攻められて国土を乗っ取られてしまうから、軍備を拡充しなければいけないと声高に主張する人が多くなりました。このような主張をするのは、戦争を体験していない人か、戦争で愛する人を失ったことがない人でしょう。かくいう私は、戦争体験はないし、親族が戦争で死んだということもありませんが、軍備拡張には反対です。

で~、中国が日本に攻め入ったとしても、それを“歴史は繰り返す”と言うのは筋違いです。日中戦争で攻め入ったのは日本ですからね。鎌倉時代まで遡れば、中国(正確には元)は日本に攻めて来たのだから、尖閣に上陸したら歴史は繰り返したと言いう人がいるかもしれませんが、そんなに遡っては時代錯誤が過ぎると言うものです。

昨日(10月18日)、図書館で借りて来たミステリー本を読み終わったmhは、暇を潰そうと、自宅の本棚にずっと眠っていた「ソフィーの世界Sophie’s World」を引っ張り出し、ベッドに寝そべって読み始めました。Simplified Englishで書かれていて、2、3ページ読むと直ぐに眠りに落ちるので、いつまでたっても読み終えることがない本ですが、小アジアAsia Minorからギリシャに移り住んだヘラクリタスHeraclitus(c.540—480 BC)の考えが紹介されていました。

“Everything flows.”・・・すべては流れている。
“我々は同じ川に踏み込むことはできない。2度目に川に踏み込む時、私たちも川も、前と同じではない。”
これは尊敬するお釈迦様の“諸行無常”と同じですね。真理だと思います。

ヘラクリタスは、別の指摘もしています。
「世界は反対の物によって特徴付けられる:病気になったことが無ければ健康とは何か分からないだろう。飢えを知らなければ、満ち足りている喜びに気付かないだろう。戦争がなければ、平和を享受することはないだろう。」
「生まれてこなければ、死なないだろう(mh)」

“世界は反対のものによって特徴付けられる”というヘラクリタスの見解は正しいと思います。戦争を体験した人は、戦争の悲惨さを理解します。しかし、戦争を体験していなければ、その悲惨さを理解できないとは言えません。昔ならいざ知らず、情報化された現代なら、記録本や写真や映画や遺跡を通じて、戦争の恐ろしさを知ることが出来ます。知らない人が多いのも事実ですが、そういう人は知ろうとしたことがない人です。

人間には教育というか、学習というか、知識や事実や真理など、なんでもいいのですが、新たな事を探求する姿勢が重要で、それがあれば、悪い歴史が繰り返すことはないでしょう。

“反対の物”について言えば、学習する精神がなければ、不幸を体験した後に満ち足りたとしても、幸せだと思わないでしょう。歴史が繰り返すように、幸福であっても必ずいつか不幸になるとしたら、いつも幸福でいることは出来ず、繰り返す波に翻弄され続けることになりますが、この悪循環を断ち切る簡単な方法はあると思います。どんな方法か?少し考えるだけでも、いくつも見つかりそうです。どうしたら見つけられるのかというと・・・それはやはり、学習ですね。調べなければ見つけられません。一生懸命調べればいくつも見つかると思います。その中から、年齢や過去の体験に応じて自分に合った方法を実践すればよいと思います。

で~mhがそれを見つけたかどうかですが・・・
いくつか見つけました。問題は実行にあります!実行できる時もあれば、そうでない時もあったりして、反省してはやり直す毎日です。こんな頼りない自分を思うにつけ、真理を見極め、それを貫徹したお釈迦様は、やっぱ立派な人だったんだなぁと、改めて感心させられます。

The Rose - by Bette Midler
https://www.youtube.com/watch?v=zxSTzSEiZ2c
(完)

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