Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

聖槍の不思議


前回のブログは「聖遺物の不思議」に変わってしまいましたが、今回こそ「聖槍(せいそう)の不思議」をお送りしましょう。

長いプロローグはもう飽きていると思いますから、今回は単刀直入に、まずは(?)Youtubeフィルム「The Legend Behind The Holy Spear聖槍の裏の伝説」をご紹介致します。
・・・・・・・・・・・・
今から2千年前、単純な武器が超自然的な力を持ち始め、多くの人がそれを所有したいと望んだ。
b1801.png
今日、それは3つ残っている。そのうちの一つは十字架の磔(はりつけ)で使われたのだろうか?
科学はついに答えを用意することができた。
「Legend of the Holy Spear聖槍の伝説」
b1802.png
聖槍の伝説はイエス・キリストの磔から始まる。聖書は我々に、彼の死は慈悲深い程に瞬間的だったと語っている。
b1803.png
それを確かめるため、ローマ兵士は槍(やり)を持ってイエスのそばにいた。槍の一突きはキリスト信仰における決定的瞬間だ。イエスの死の確定であり、彼の復活を可能にした。その槍は傑出したキリスト教の聖遺物になった。
b1804.png
イエスの死に続く数世紀の間、伝説的な噂話が流布され始めていた。コンスタンティン皇帝がローマ帝国にキリスト教を課した時、彼は聖槍を所有していたという。
b1805.png
シャレメインCharlemagne(カール大帝)は、聖槍を身辺に保持しながら、中世の混沌の中からヨーロッパの統一を初めて成し遂げた。
b1806.png
ナポレオンとヒトラーは世界を統治しようとして、聖槍の不可思議な力を切望していた。

今日、3つの聖槍が残されている。それらが複製品か、偽物かは知られていない。一つはアルメニアに、一つはバチカンに、残る一つはヴィエナVienna(ウイーン;オーストリア)にある。これらの一つがイエスの槍の可能性があるのだろうか?
b1807.png
英国教会Chirch of Englandの牧師ピーター・オーエン・ジョーンズは、ずっとそれを知りたいと考えていた。彼は、それらの槍がイエスの磔の時のものかを確認するため、それぞれの槍の歴史を探求する旅に出ようとしている。
b1808.png
ピーター「聖槍は、キリスト教の歴史だけではなく全ての歴史において、他の多くのキリスト教の聖遺物と同じように極めて重要な部分を占めている」
古代の金属や手工芸品の専門家ロバート・フェザーは、年代と出所を確定するため、それぞれの槍を科学的に評価したいと望んでいる。
b1809.png
ロバート「3つの槍について科学的、歴史的な観点で調べると、全てが、歴史的にはかなり初期のもので、イエスの時代に近いという特徴を強く示している。」

我々が最初に訊いた磔の槍はアルメニアARMENIAに現れた。
b1810.png
アルメニア人は聖槍を所有していると主張している。そこでピーターは、まずアルメニアから調査を始めることにした。
ピーター「これはエチミアジン(Echmiadzin)大聖堂で、アルメニアの使徒教会の中心であり魂だ
b1811.png
「そしてそこで、彼らは聖槍を保管している。何故この地に聖槍があるのかについては驚くべき物語がある。」

アルメニアの教会の話によれば、イエスの12使徒の一人が聖槍を持ってアルメニアにやって来た。
ピーター「磔の丁度2年後、使徒タディアスThaddeusがこの地に来た。彼は聖槍を持っていた。異教徒の祈祷師たちは彼の出現にとても驚かされ、彼の首を刎(は)ねてしまった」
殺される前、タディアスは数人の異教徒をキリスト教に改宗していた。彼らは聖槍を、恐らく秘密の洞穴の中で保管した。後に、その場所はゲイハードGeghard修道院になったという。ゲイハードはアルメニア語で槍を意味する。
b1812.png
聖槍は、2百年以上、隠され続けていた。しかし、グレゴリーという名の現地の男がアルメニアで福音を唱えながら異教徒の祈祷師たちに挑戦した。異教徒たちは力を持っていた。グレゴリーは投獄されてしまう。

ノアの箱舟が漂着したと言われるアララト山の陰(かげ)の中に、古代のアルメニアの修道院ホルヴィラップが佇(たたず)んでいる。
b1813.png
ピーターはグレゴリーの物語を追いかけて人里離れたこの寺院を訪れた。
b1814.png
ピーター「グレゴリーは拷問(ごうもん)され、蛇で一杯の穴に投げ込まれた。その穴がここにある。彼は、13年という長い年月、穴に閉じ込められていた。奇跡的にもグレゴリーは蛇で満ちた穴の中で13年を生き延びた」
伝説によれば彼はその後、聖槍を取り戻したという。

ピーター「聖槍を手にした彼は、異教徒の神々を打ち負かし、王たちや、王宮の全ての人々をキリスト教徒に改宗した。そして西暦301年、アルメニアは最初のキリスト教国になった」
b1815.png
そして聖槍はアルメニアの最初の教会Mother Churchのエチミアジン大聖堂の中心に保管されることになった。
エチミアジン大聖堂バロール神父「それは我々の教会にある最も神聖な品物の一つだ。」
この教会は7年に一度、聖槍を取り出しているのだが、ピーターは特別の拝観許可を得た。
b1816.png
この槍が今から2千年前、イエスの脇を突いたのだろうか?

ロバート・フェザーはアルメニアの槍のレプリカを造っていた。彼はそれをローマ時代の武器の専門家マーク・ハッサルに見せた。
マーク「それはイエスの脇を突いた槍じゃあありません」
ロバート「何故ですか?」
マーク「ローマの槍先じゃあないのです。ローマの槍先は全く違う形をしています」
b1817.png
アルメニアの教会は、その槍がローマの武器ではないことは認めたが、十字の穴があけれていて、当時、ユダヤ人の兵士が使っていたものだと言う。

ピーターが次に調べる聖槍はバチカンに保管されている。この槍は2つの決定的な敵イスラム教とキリスト教の間で平和裏に寄贈されたものだ。
バチカンの槍に関するピーターの調査は、ここコンスタンティノープル、現代のイスタンブール、の城壁のそばで始まる。磔から6百年後、エルサレムはペルシャに占領された。その時点で、バチカンの槍の話は2つに分かれている。
b1818.png
ピーター「エルサレムに槍があった当時、先端が折れてしまった。折れた経緯は不明だが、先端だけが東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに運ばれ、周辺を宝石で飾った十字架に取り付けられた」
b1819.png
「そして、ここで終わる。当時、キリスト教会だったアヤソフィアAyasofyaだ」
b1820.png
「その後(Wiki;80年後)、槍の他の部分も、ここで槍先と一緒になった」

槍の2つの部分はその後6百年間、コンスタンティノープルに残っていたが、フランス王ルイLouie9世が槍先だけ買い取った。彼は、このような重要な聖遺物が彼を神と直結し、名誉と権威を強化してくれると信じていた。槍先はパリで保管されていたが、フランス革命の間に消失した。槍の残りの部分は、15世紀にコンスタンティノープルがイスラム教徒によって陥落されるまで、町に留まっていた。
b1821.png
ピーター「西洋世界はキリスト教とイスラム教という、2つの巨大なブロックに分割され、キリストの槍もまた、先端部はキリスト教のパリ、残りの本体部はイスラム教のコンスタンティノープルに残されていた。そして1492年、イスラムのサルタン(皇帝)は、王位継承を狙う弟をイタリアで幽閉してくれることを交換条件に、神聖な槍の本体をローマ教皇に渡した」
b1822.png
それは2つの偉大な、対立する宗教の指導者たちの間で行われた信じられない取引とも言えるだろう。先端が欠け落ちている槍は聖ピーターの聖堂に収められ、目に触れることはほとんどなくなった。バチカンは、槍の真贋(しんがん)についていかなる主張もしていない。
b1823.png
ピーター聖堂ギセッペ神父「もしこの槍が本物なら、キリストの苦しみを理解する必要がある。神のご慈悲はキリストになされた悪行に対する仕返しを望まないだろう」

残念なことに、バチカンはこの槍を公開してくれないし、科学的な試験も許可してくれない。ロバート・フェザーが出来たのは、バチカンの槍として残されていた1900年代の始めに描かれたいくつかの絵を探し出すことだけだった。
b1824.png
彼はそれを武器専門家のマークに見せた。
マーク「この形なら本物の槍の可能性はある」

伝説によればアルメニアとバチカンの槍は、いずれも歴史的に大きな衝撃を与えた。しかし、ロバート・フェザーは磔との関係を見つけ出してはいない。
彼とピーターは、残るもう一つのヴィエナ(ウイーン)の槍を調べることにした。
b1825.png
この槍は信じられない程の評価を得ているのだ。そして詳細な検査の結果、驚くべき秘密が現れる。

ヴィエナのコンシストリセスKunsthistorisches博物館には、立ち入り禁止の財宝保管室がある。
b1826.png
そこがヴィエナの槍が保管されている場所だ。
b1827.png
槍は、ヨーロッパの最も素晴らしい宝石や聖遺物のいくつかを集めたものの中のひとつだ。そこがピーターが次に訪れる場所だ。彼はこの傑出した聖遺物が辿った数奇な旅を調べ上げたいと望んでいる。
ピーター「ヴィエナの槍の物語は、権力、栄光、そして欲望の歴史だ。その評判は驚くべきものだ。例え、この槍に関する伝説の一部だけが真実だとしても、人間の運命を形成する助けとなるはずだ(?)」
他の槍と異なり、この槍は教会の保有物ではない。
b1828.png
博物館は値段をつけようがない程に貴重な聖遺物を調べる機会をロバート・フェザーに与えてくれた。古代の金属に関わっている専門家にとって、これ以上の条件はなかった。そして、彼が発見する事実は、槍の物語を追跡するピーターを、時代を超えた驚くべき旅に送り出す。それは過去2千年を通して強力で恐ろしい人物を含んでいた。
b1829.png
ロバート・フェザーは数年前、既にヴィエナの槍の調査を始めていた。
ロバート「ヴィエナの槍の非破壊検査をしてくれないかという特別な依頼を受けました。槍が博物館から運ばれてくるのを待ちながら、私は徐々に興奮していました。圧倒的な歴史的意味を持つ聖遺物を調べる好機だったんですから。その検査で私が発見したことは、とても驚くべきものでした」
ロバートは槍に、いかなる傷や破損を与えることも許されていなかった。例えば炭素年代測定は計り知れない価値をもつ聖遺物を損傷する恐れがある。しかし、調べる方法は他に沢山ある。その調査で槍の秘密が明らかになるかも知れない。

彼は、寸法と重量の測定から始めた。
ロバート「ヴィエナの槍が一般的なローマ帝国の槍に適用されるパラメータの中にあるか、確認する必要があった」
b1830.png
次に、磁性を調べてみた。磁石は、槍が主に鉄で造られていることを示した。ロバートは更に古代の聖遺物の法医学的検査として“付着物”の採取を試みた。微量の生物的痕跡(mh血痕などです)でも人間のものかどうかを確定できる。
b1831.png
博物館が1970年に槍を洗浄していたので、残念ながら“付着物”は検出できなかった。しかし、洗浄のために槍を分解した時、博物館は一連の部品の写真を撮っていた。
b1832.png
写真は、槍が沢山の異なる部品から出来ていることを示していた。
b1833.png
更に写真は、外側の黄金の鞘(さや)の下に、文字が刻まれた銀の鞘が隠されていたことを示していた。
b1834.png
“ランチア・サンティ・マディチ・サントス・モレシウス”つまり“聖モリスの聖槍Holy Lance”だ。しかし、聖モリスとはどんな人物なのだろう?

湖畔の森林で、ピーターは聖モリスの伝説を掘り出した。それによれば、イエスの磔(はりつけ)の数年後、聖槍は初期のキリスト教徒に引き継がれていき、エジプトに到達していた。そこでモーリシャス又はモリスと呼ばれる、100人のローマ兵士からなる軍の師団長centurionの手に渡った。
b1835.png
彼はキリスト教徒で、キリスト教徒の兵士たちで構成される軍隊の司令官だった。伝承によれば西暦286年、彼は槍を持ってヨーロッパに行った。

ピーター「ローマ皇帝マクシミアンは現在のスイスにあるジュネーヴGeneva湖(mhレマン湖)近くのドールで発生した騒動を鎮めるようモリスと彼の軍団に命令した。しかし、彼がそこに到着した時には、暴力的な破壊に発展していた。モリスは虐殺された仲間のキリスト教徒を見て恐れおののいた。
b1836.png
皇帝マクシミアンは、目的を達成するため、異教徒を生贄にするよう命令したが、モリスと彼の部下たちは戦いへの参加を丁重に断った。
エディンバラ大学ティモシー教授「皇帝や帝国の成功のため、帝国の全ての住民は生贄にされるかもしれなかったが、キリスト教徒がその命令に従わないという事実は、間違いのない罪だった。」
ピーター「激怒した皇帝マクシミアンは軍勢の兵士全員を死刑にした」
b1837.png
「6千人以上が惨殺された。死刑に直面した中での、モリスの揺るぎない信念への献身は中世の騎士たちには騎士道の鑑(かがみ)になった。聖モリスは騎士や兵士の聖なる擁護者patronだった」
b1838.png
銀の鞘に文字を刻んだのが誰であろうと、聖モリスがその槍を携えていたと考えていたのは間違いない。この人物は誰なのだろう?そして何故、銀の鞘が追加されたのだろう?
b1839.png
写真を分析したロバート・フェザーはある部分で槍は2つに分解されていることを発見した。
ロバート「銀の鞘は槍が壊れた後、補強するために追加されている」
ロバートは、ある釘(くぎ)を取り付けようとして大きな穴を槍の刃の中に明けた時に壊れたのだろうと考えている。彼は、その不思議な釘をよく見るため、刃のX線写真を撮った。釘は、変わった形状をしている。何故、この釘が槍の刃の中に組み込まれていたのだろう?誰が、釘を組み込んだのだろう?これらの疑問に対する答えは歴史における最も重要な決断のひとつに繋がっていく。
b1840.png
ヴィエナの槍の伝説を追跡しながら、ピーターは歴史の重要な変換点の中にその答えを見つけた。
聖モリスと軍団が死刑にされた後、槍は世界の運命を形づくった男の手に渡っていた。ローマ皇帝コンスタンティンだ。
b1841.png
コンスタンティンが現れた時、ローマ帝国は政治的にも、宗教的にも、致命的に分割されていた。西の帝国はイタリアから、東の帝国はトルコから統治されていた。
ピーター「コンスタンティンは力強かった。その上、強い野心を持っていた。彼はローマ帝国を再び強国にしたいと望んでいた。そのためには一人の指導者の下で統一される必要がある。その指導者とは彼自身だ」

ピーター「伝説によれば、コンスタンティンの時代、帝国の統治者を決める決定的な戦いの前に、彼は啓示を見たと言う。炎につつまれた十字が太陽の上に出現し、その中の文字が“お前は占領しなければならない”と告げていた。コンスタンテインは自分が見た啓示に感動し、キリストの名の中の最初の2つの文字、XとP、を彼や彼の軍隊の楯に描いた」
b1842.png
ピーター「伝説は、戦いの最中、彼が聖槍を保持していたとも伝えている。コンスタンティンは戦いに勝利し、キリスト教を擁立(ようりつ)する」

ティモシー教授「彼は、キリスト教徒の皇帝となれば殺戮を続けられるとは考えていなかった。そこで、自分の洗礼を遅らせた。というのは当時、洗礼は、それまでに犯した罪を拭い去ってくれるものだと信じられていた。しかし、洗礼後の罪は対象外だ」
b1843.png
ピーター「コンスタンティンは彼の新しい宗教を、分割されていた帝国を統一する手段として見ていた。そこで彼は人類の運命を変える決定をする。キリスト教をローマ帝国の国教にしたのだ」
ピーター「伝説は、この決定をする時、彼は聖槍を持っていたという。この話は真実としては出来過ぎているかも知れない。しかし、もし、戦いに勝利を与えてくれた槍を彼が持っていたとするなら、この重要な決定の瞬間もそれを手にしていたはずだとも言える」
b1844.png
皇帝になると、コンスタンティンは新しいキリスト教徒の帝国の首都を建設した。コンスタンティノープルだ。
b1845.png
コンスタンティンよりも前にキリスト教徒に改宗していた彼の母ヘレンは、キリスト教の聖遺物を求めて、聖地に旅をした。彼女は、聖十字架と、本物の磔用の釘ではないかと彼女が考えた遺物を含む大きな成果を持ち帰った。そして、息子を守るため、その釘を息子の鎧(よろい)の中に取り付けた。
b1846.png
恐らく、彼女は、聖槍にも釘を取り付けたのだろう。

ロバート・フェザーは槍の顕微鏡写真を撮った。拡大してみる釘は更に興味深い。
b1847.png
ロバート「もしそれが釘でないとするなら、ピンと言えるものかもしれない。黄色い十字の印がついた3つの球根状の膨らみを持っている。これらは何を意味するのか?何故、そこにあるのか?誰がその印をつけたのか?」
そのヒントを探そうと、ロバートは、槍のその他の部分に注意を向けることにした。X線写真やその他の古い写真から、彼は、部品を組み立てるとどのようになるかを確認できるようなCGモデルを準備していた。
b1848.png
それは、新たな謎の存在を告げていた。槍の基の部分には二つの刃のように見える羽根が、後で取り付けたかのように組み込まれていた。ローマ時代のものには見えない。
b1849.png
ロバートは、ヴィエナの槍のX線写真をマーク・ハッセルに見せた。
ロバート「このX線写真を見ると、槍の基の部分は槍の中心の形から遠く離れている。だから、この部分を取り外すと・・・」
マーク「元々の品物はローマの槍のように見える。しかし、小さな連結棒crosspieceのようなものがあって、その部分はローマの槍のようではなく、暗黒時代のパレスチナのものかもしれない。」
b1850.png
ロバート「羽根のような2つの刃は、恐らく、短剣の部品で、7~8世紀に追加されたものだ」
槍の様々な部品は中世に追加されたように見える。槍の全ての部分がその当時に造られたのだろうか?マークは槍の頭部はローマ時代のものかもしれないと考えている。キリストの時代のものであるかも知れない。ロバート・フェザーは磔刑との直接的な関連を発見するだろうか?
b1851.png
ヴィエナの槍の物語を再追跡しながら、ピーター・オーウェン・ジョーンズ牧師は、中世に槍が人々の生活を形づくる上で中心的な働きをしていたことを発見する。

西暦476年、ヨーロッパにおけるローマ帝国は崩壊し、ゲルマン民族のものになった。これが中世middle agesの始まりだ。帝国の秩序は混沌と暴力に置き換えられた。そして、恐怖と不確実のこの時期、ヴィエナの槍の多くの部品が追加されたと考えられている。聖槍に関する話は、2百年の間、どこにも現れていなかったが、チャールズ大王(Charles the Greatカール大帝;742~814年)またはシャラメイネ(Charlemagne)と呼ばれるドイツの強力な王とともに世に出現する。
b1852.png
ピータ「シャラメイネは敬虔なキリスト教徒だった。彼は古代ローマの栄光の力を吹き込まれていた。伝説によれば、絶えず紛争を起こしていた近代ヨーロッパの12の国々を統一する際、彼は聖槍を手中にしていた。そして西暦800年、教皇Popeはこの王を広大な領土の皇帝と認め、領土は“神聖ローマ帝国Holy Roman Empire”になった」
b1853.png
シャラメイネは恐らくヨーロッパで最も権力を持つ男だった。彼が、妙な形の翼のような部品を黄金の槍に追加したのだろうか?
b1854.png
それを調べようと、ピーターは槍を追って神聖ローマ帝国の中心ニューレンバーグNuremberg(mhドイツの町)を訪れた。
ピーター「これがニューレンバーグ城だ」
b1855.png
「西暦1500年まで、神聖ローマ帝国の皇帝の居城だった。シャラメイネの時代に書き残された槍に関する記録によれば、コンスタンティンが槍を所有していた可能性は高い。クレモナのループラウドと呼ばれる大僧正が10世紀に書き記した物によれば、シャラメイネの槍は、かつてコンスタンティンが所有していたものだという。恐らくシャラメイネはコンスタンティンが神聖な、強力な力を秘めているこの槍を持っていたという話を聞き知っていて、彼もまた、分散されていたローマ帝国をキリスト教という一つの宗教の下に統一することになったのだ。聖槍を手にしていた彼は、コンスタンティンと同じ仕事を成し遂げようと考えていたのだろう」
b1856.png
キャロライン博士「槍は統治者を支援する神のまたはキリストの印として、それを所有していることでキリストの体に触れているかのような気分を与えるだけでなく、統治の神聖な権利、占領の神聖な権利を与えていたの」
b1857.png
恐らく、この理由から銀の鞘(さや)の説明書きが追加されることになったのだろう。それは、この槍が聖槍であると強調している。ロバート・フェザーは誰が追加したのかを知ろうとして銀の鞘を検査し直している。
b1858.png
ロバート「“クラレス・ドミニカス・アリーカス・ディ・グラシアタシアス・ロマノ・インプラト・オーガスタス;神の守護を受けた第三のローマの皇帝ヘンリーは、神の釘とサンマリノの槍を補強するため、この銀の帯を作るよう命じた”」

ヘンリー三世はシャロメイネの子孫だ。彼は1046年、神聖ローマ帝国の皇帝に就いた。このことが銀の鞘の年代を調べていたロバートを助けてくれることになった。
b1859.png
ロバート「銀の鞘は11世紀のものだ。」

ロバートがヴィエナの槍が磔刑との関連を持っていると信じ始めていた時、中世の別の伝説が、ヨーロッパから遠く離れた場所で影響力を持っていたことを示していた。
b1860.png
それは1097年のことで、最初の十字軍の時期だった。ヨーロッパの、およそ7万人の男女が、聖地をイスラムの占領から解放しようとの呼びかけに応えた。エルサレムに向かう途中、彼らはアンティオーク(mhシリアの町)を包囲した。
b1861.png
ピーター「アンティオークの町はオロンテス川の肥沃な谷にあり、高い丘や城壁で囲まれていた。町は8ヶ月という長期間、包囲に持ちこたえたが、ついに打ち負かされ、十字軍が町を占領した」
城壁内に討ち入ると直ぐ、トルコの大軍勢が到着し、十字軍がいる町を取り囲んだ。事態は急遽、絶望的になった。十字軍は食糧や水に欠乏し、死人が出始めた。その時、ピーター・バーソロメイ(Wiki;ペトルス・バルトロメオ)と言う名の貧しい農夫があるお告げを見た」
聖アンドレイ(アンデレ;十二使徒の一人)が彼の元に現れ、キリストの槍が、アンティオークの聖堂の中にあると告げたという。その聖堂はもう存在していない。しかし、町の上の、山を彫って造られた古代の聖ピーター礼拝堂は今も残っている。
b1862.png
ピーター「十字軍は、憑りつかれた様に必死になって聖堂の床を掘り始めた。そして彼らは、またはピーター・バーソロメイは、それを見つけ出した。神からの伝言に違いない!もう、飢えることはないし、降伏することもない。戦うのだ!」
b1863.png
「十字軍は包囲されていた町から打って出て、数の劣勢にも関わらず、奇跡的にトルコの大軍を打ち破った」
槍に護られた十字軍はアンティオークを発ってエルサレムを目指した。しかし、その後、話は途絶え、槍がどうなってしまったのかは判っていない。

ヴィエナの槍に話を戻すと、槍がどうなったのかに関する次の手掛かりが銀の鞘を覆っている黄金の鞘の中から現れた。この鞘にもラテン語の説明文がある。
b1864.png
“ランチア・アト・クラボス・ドミニ;神の槍と釘”
誰が書いたのだろう?そして何故?

ニューレンバーグ城でピーターは、聖槍の次の検証可能な所有者が、14世紀の強力な統治者だったことを発見していた。
ピーター「1300年代の中頃、チャールズ4世がドイツの王だった。彼は次の神聖ローマ帝国の皇帝になりたいと望んでいた。彼は、力と信託を彼に授(さず)けてくれる何か重要な聖遺物を必要としていた。そこで彼は聖槍を手に入れた」
聖遺物などを保管しておくため、チャールズはチェコのプラハPragueの郊外に難攻不落の砦を建てた。カールシュタイン城と呼ばれている。
b1865.png
城壁の内側に、彼は値のつけようがない芸術品と貴重な石で飾られた美しい礼拝堂を建てた。キリストの槍や、その他の聖遺物は祭壇の後ろの秘密の部屋に保管された。
b1866.png
ピーター「彼は、そのことによって、天国にいる全ての聖人と直接的な繋がりが与えられると信じていた。聖人たちは最後の審判の日に地上に戻って自分たちの聖遺物を返してほしいと要求し、それらを大切にしてくれた人物に好意的であるはずだ」
銀の鞘の上に黄金の鞘を被せたのはチャールズだと信じられている。恐らく、聖人たちに良い印象を与えるためだ。
ロバート「黄金の鞘は間違いなく14世紀のものだ」
b1867.png
いずれの鞘も神の釘について述べている。磔刑で使われた釘なのだろうか?
b1868.png
ピーター牧師は力強い統治者の間で次々に引き継がれてきたヴィエナの槍を数世紀に渡って追跡してきた。彼は、これから、優雅からの恐ろしい転落を追跡することになる。

それは1400年の始めだった。チャールズ四世の一人の子孫が資金が必要となり、聖槍をニューレンバーグ市庁に売却した。当時、力強い聖遺物は中世の、最も高い利益を得られる取引での重要な呼び物になっていた。聖遺物商売だ。
b1869.png
バーミンガム大学サイモン博士「15世紀における聖遺物の最大の利用価値は、布施、特にお金の布施を集めることだった」
ピーター「都市の中心部に、特別にテンプル礼拝堂が造られ、貴人や聖職者たちは、厳粛な様子で自分たちの役柄を演じながら聖遺物を展示した。洗礼者ジョンの歯や、キリストが生まれた馬小屋の桶(おけ)の木材の破片もあった。中でも価値があったのは聖槍だった」
b1870.png
「教会は信仰を利用して多額の利益を得た。その後に起きたことは判るだろう。人々は悪用されることに飽き飽きし、変革の動きが加速するとニューレンバーグの資産は傾き始めた」
槍は凝った造りの銀の箱の中に仕舞われ、その後4百年間、人々から忘れ去られていた。
(mh天井から吊り下げられている箱です)
b1871.png
ロバート・フェザーは、槍の本体に取り付けられている不思議なピンに関して手掛かりとなるものを探していた。彼は槍にX線蛍光銃を当て、金属の組成を分析しようとしている。X線蛍光では鉄の年代を正確に判断することは出来ない。
b1872.png
従ってマーク・ハッセルに槍の先頭部に関する意見を求めなければならなかった。彼によれば、それは恐らく1世紀から4世紀の間のローマ帝国の槍だという。

しかし、ピンは興味深い結果を与えてくれるのだ。
b1873.png

その時、ピーターは聖槍の謎を追って、18世紀の混沌の時代まで来ていた。当時、別の征服者が権力と栄光を手にしたいと望んでいた。
ピーター「1796年、ナポレオン軍はヨーロッパ中で暴れ回っていた。彼がニューレンバーグの近くまでやって来た時、支庁の面々は恐れていた。もし彼が聖槍を手にしたら、彼は無敵になるだろう。槍は、それを持つ者に世界を支配させるだろうといいう闇に隠された約束を秘めていた。そしてもし、この約束を信じるのなら、もっと重要かも知れないことは、別の人々にも、それを信じさせることが出来るかも知れないということだった。それは信じられない程に強い力を与えてくれるに違いない」
b1874.png
ナポレオンを恐れていたニューレンバーグ市庁は槍をヴィエナに隠すことを決めた。ヴィエナの人々は平和が戻れば直ぐ槍を返すと約束した。
b1875.png
ピーター「10年後、ナポレオンはドイツを含むヨーロッパの大半を征服した。これにより、彼は1千年続いた神聖ローマ帝国に終止符を打つことになった。その後に続く混沌と混乱の中で、槍はヴィエナに残されたままになっている」

ロバート・フェザーは強力な拡大顕微鏡を使ってピンの丸み部を調べている。彼は奇妙なことを発見した。丸み部とピン本体との間に“繋ぎ目”があるように見える。
b1876.png
ロバート「高倍率で見ると、丸み部はピン本体から切り離されているようだ。2つの別々の金属が使われているのだ。XRF分析やX線写真からもそれは明らかだ。膨らみは、ある段階で付け足されたのだ。それがいつ頃かを確かめるのは簡単ではない」
ロバートは決定的な試験を試みた。1世紀に作られたローマの釘の金属成分を測定してみた。
b1877.png
それは丸み部の成分と一致するのか?もしそうなら、ヴィエナの槍は磔刑で使われた釘の欠片(かけら)が含まれていることになる。恐らくヘレンがコンスタンティン皇帝のために聖地から持ち帰った釘だ。

一方、ピーターの旅は彼を聖槍の歴史の中で、最も暗い、そして最も最近の章に導いていた。
ナポレオン以来100年以上の間、槍はヴィエナに残されていた。
b1878.png
1933年、アドルフ・ヒトラーが権力を握ると、5年後、彼はオーストリアを併合した。
b1879.png
それはナチス帝国という彼の夢を実現する第一歩だった。Third Reich第三帝国だ!
(mh:Third Reichサード・ライヒ(第三帝国)とは、第一のライヒ(国)の神聖ローマ帝国と、第二のライヒのドイツ帝国(プロイセン王国:1871~1918年)の正統性を受け継ぐ「第三のライヒ(第三帝国)」つまりナチス帝国を指す言葉です」

ヒトラーは、帝国の栄光の過去の宝石や聖遺物を略奪するのに時間を浪費しなかった。キリストの槍は歴史の中で最も悪名高い独裁者の一人の手に落ちることになった。
ピーター「皮肉にもニューレンバーグはナチスの魂の生まれた場所だ。ここがヒトラーが槍を持ち込んだ場所だ」
b1880.png
運命の奇妙な捩じれの中で、ヒトラーは聖槍をニューレンバーグに戻すことになった。そこはかつて4百年間、槍が保管されていた場所だ。

ヒトラーのナチス帝国の夢は短かった。1945年の4月にはロシア軍がベルリンを掌握していた。
ピーター「ドイツが敗れると、ナチスがヨーロッパ中から略奪した価値が高い手工芸品や聖遺物を取り戻そうと、アメリカが動き出した。そして聖槍はここで見つかっている」
b1881.png
アメリカは槍をヴィエナに返却し、今日、ホフブルク宮殿Hofburg Palaceに保管されている。

ロバート・フェザーが1世紀の釘で行ったX線蛍光試験の結果は興味深いものだった。コバルトCoも含んでいた。丸み部の鉄と同じだ!
b1882.png
(mh3つの材料の結果が表になっています。最初のものは鉄ピンIRON PIN本体でCoは-(検出できず)、2番目はROUNDEL丸み部でCoは++(検出)、一番下は1世紀の釘でCoは++です)

このことは、ピン本体にハンマーで叩いて追加されたと思われる丸み部は、1世紀のローマの釘からきたものだと言っているのではないのだろうか?

ヴィエナの槍に取り付けられていたピンの詳細な分析を完了したので、ロバート・フェザーは彼が見つけた驚くべき秘密を明らかにする段階になった。何世紀もの間、裸眼から隠されていた秘密だ。ロバートは槍が磔刑と関係している証拠を見つけたのだろうか?
ロバート「とても驚くべきことに、ここにある何かは、本当に素晴らしいものだ。丸み部の上に魚の形が描かれている。自然に出来た単なる傷ではなく、明らかに意図的に描かれたものだ」
b1883.png
ピーター「魚は秘密の印だ。ローマ帝国が国教としてキリスト教を受け入れる前、キリスト教徒に使われていた秘密の印だ。」
b1884.png
「彼らが印を使ったのはコンスタンティン以前で、当時は彼らに生命の危険があったからだ。キリスト教徒は拷問に晒(さら)されたり、殺されたりする恐れがあった」

この秘密の印の重要性を強調するかのように、魚の隣に2つの奇妙な文字らしきものがあるのをロバートは見つけた。
ロバート「魚の後に彫られているのは、2つのローマ字でI(アイ)とR(アール)だ。」
b1885.png
(mhペン先にI、その右にRらしき文字のようなものが・・・)

「二重外線double outlineを使った文字で歴史上、ローマの書物の中の極めて初期の書式の中で見受けられるものだ。何を意味するのかは憶測でしかないが、“アイエイソス・ラックス”つまり“王イエスJesus the King”から来ているのではないかと私は考える。十字架の上にはINRIという4文字が彫られている」
b1886.png
「アイエイソス・ナゾリーナス・レックス・イウデイオーム、つまり“Jesus of Nazareth King of the Jewsナザレのイエス;ユダヤ人の王”だ。IRはこの短縮形としてしばしば使われていた」

小さな魚と文字は顕微鏡を通してのみ確認することが出来る。キリストの時代、こんなに小さなものを彫ることが出来たのだろうか?
b1887.png
ロンドンのピートゥリー博物館は古代エジプトと重要な関係がある手工芸品を保管している。その中に驚くべきミニチュア絵がある。
b1888.png
ロバート「女神ネブカで、ファラオの守護神だった。私が言いたい事は、虫眼鏡を使うだけでは、見るのは簡単ではない絵だと言うことだ。そしてこれはローマ時代のレンズだ。淡い白色をしているが、造られた当時は透明だった。丸くて虫メガネとして使われていたはずだ。これらはいずれも2千年前のものだ。つまり、当時でも微視的なレベルで見て彫る技術はあったのだ」
b1889.png
これらの発見はロバートを魅惑的な可能性に導いた。
ロバート「誰かが苦労しながら十字架の印をピンの中に埋め込んだ。明らかに何か価値のあることを記(しる)すつもりだったのだ。キリストの磔刑で使われた釘の欠片(かけら)が使われたかどうかは、微かな可能性でしかないが、排除できない可能性だ」
b1890.png
この発見で、ヴィエナの槍に関するロバートの調査はかなり磔刑に近づいたと言えるだろう。キリスト教徒にとって重大な、意味のある成果だ。
b1891.png
ピーター「我々にとって、この仕事の重要な価値は、それが信仰の試金石だということだ。信じるとは何かという知性へ我々を導いてくれる。信念のシステムがどんなに力強いものだったのかを我々に見せてくれる(mh????)」
b1892.png
聖槍は歴史の一部であり、伝説の一部だ。しかし、キリスト教徒は現在、世界のどこにでもいる。彼らは信仰の力強い一部であり、従って、その価値は測ることが出来ない。
b1893.png
The Legend Behind The Holy Spear
https://www.youtube.com/watch?v=R8uPzpNB8hk
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
フィルムで紹介された、現存する3つの槍と、アンティオーク(アンティオキア)の礼拝堂で見つかったという槍についてはWiki「聖槍」に解り易く記されていましたので、活用させて頂きましたが、フィルムと全く同じ内容でした。

バチカンに所蔵されている先端が欠けた槍が真の聖槍でないという科学的法医学的(?)根拠はありません。

ヴィエナ(ウイーン)の槍ですが・・・
オーストリアの首都ウィーンは、ドイツ語Wien〈ヴィーン〉、バイエルン・オーストリア語Wean〈ヴェアン〉、フランス語Vienne〈ヴィエンヌ〉、英語Vienna〈ヴィエナ〉なんですね。ややっこしいです!

で~ヴィエナの槍は・・・聖槍なのか?
問題は、組み込まれていた釘ですが・・・
丸み部は1世紀の鉄の可能性があるといってます。ってことは、残りの部分はそうではないってことだと思われます。
で~Wiki聖釘を調べてみると、mhも家族とともに訪れたことがある、イタリアの都市シエーナSienaのサンタ・マリア・デラ・スカラSanta Maria della Scalaに保管されているようですね。
b1894.png
で~その釘ですが~ガラス瓶に仕舞われています。.断面が正方形の“紡錘形”で、いかにも古代の釘という感じです。
b1895.png
フィルムの比較試験で登場した1世紀の釘も、いかにも釘の形をしていましたが、ヴィエナの槍の釘は、洗練されたデザインのピンのようで、どうみたって釘とは思えません。で~途中の丸み部だけが1世紀の鉄のようだって言っているんですが・・・苦しい口実に思えます。聖釘の一部だけを切り取って丸み部を造る合理的な理由は思い付きません!

つまり、バチカンの槍もヴィエナの槍も、造られた年代がキリスト時代のものではないと断言する証拠がないと言っているだけで、キリスト時代のものだと言っているわけではありません。更には、キリスト時代、沢山の釘、沢山の槍、があったでしょうから、聖釘だ!聖槍だ!という証拠が無ければ、1世紀の釘や槍だと思えても聖釘や聖槍であるとは言えないだろうというのがmhの鑑定です。

ま、Youtubeフィルムの製作者も、本物の聖槍だなんて信じていないけれども、楽しい話題を提供しようという善意から物語を創造しただけでしょうから、mhのようないい年配者が、口角に泡を飛ばして非難するっていうのは、いかがなものかとご批判を受けそうですから、聖槍の不思議は、この辺で大団円とさせて頂きましょう。

(完)

スポンサーサイト

PageTop

mh徒然草:豊洲に早期移転しない愚


今日は6月7日です。

築地移転をどうするか、今でも結論に至る見通しはありません。豊洲を売り払う、築地に高層マンションを建てて売却利益で費用補填(ほてん)する等々、代替案は雨後の筍(たけのこ)のように出て、焦点は発散しています。東京都議選は告示6月23日、投開票7月2日ですが、告示前に小池都知事が移転に対する決断をしない場合は、小池氏が責任者の“都民ファーストの会”の躍進は望みが薄いという見方がありますが、しかし決断しないだろうとの見方も提示されています。どんな結論を出そうとも、“都民ファーストの会”や小池氏に対する風当たりが強く、選挙に不利に働くというのです。

この見方は当たっていると思います。小池氏は選挙結果が出る前に築地問題の決断をすることはありません。決断の遅れによる都民や築地関係者の被害などは選挙や自分の面子(めんつ)に比べれば重要じゃあないんです。都民ファーストというお題目は空しく響くばかりです。

ところで、菅官房長官ですが・・・
家計学園問題で、安倍内閣を守るため、なりふり構わず、文科省の内部資料調査を無視、妨害、放棄しています。“内閣トップの意向が働いた”資料が存在する、との前川前事務次官の指摘は正しいだろうと国民の半数以上が思っているのに、これを無視し続けるのは、不都合な資料が存在していて、それが公になれば、安倍首相や自分に大きな被害が及び、この被害と比べれば、調査を拒否し続けて国民に非難される被害の方がずっと小さいと踏んでいるからです。
官房長官のその読みは正しいでしょう。しかし、文科省の役人は、前川氏に言わせれば“あるものを無いとは言えない”という心からの叫びを政府によって封印されているんですから、政府に対する恨みは募るばかりで、一生、忘れないはずです。それを知ってか知らでか、政府は態度を改めません。落ちる所まで落ちた政府は、韓国の朴大統領と同じように、弾劾裁判に値するでしょう。国のトップが私的な目的で国税を使って白を切り続けるとは何をかいわんや。

そんな菅官房長官ですが、つい数日前に小池氏を批判した“決められない都知事”という指摘は正しいと思います。小池都知事は築地の移転問題を自分で決められないんです。オリンピックの費用分担もそうでしたが。

(補足:決められないのは自民党も同じですね。たばこの受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案の今国会への提出は見送られたようです。喫煙者の権利を侵害するとか、飲食店の売り上げが悪化するという理由のようですが、本心は、次の国会議員選挙で不利になると思っているからです。地球温暖化は嘘だ、とトランプ氏は主張してパリ協定の脱退を決めましたが、日本の麻生副総理も、喫煙が健康に悪いというのは嘘だと主張していました。きっと、同じ人種じゃあないかと思いますが、二人を比べれば、麻生氏の方がずっとましだと弁護しておきましょう。で、受動喫煙対策ですが、今度の都議選では小池氏が率いる“都民ファーストの会”は対策推進をマニフェストに加えると思います。日本の対応は遅れ過ぎています。喫煙が健康に悪いのは周知の事実で、都民の多くは賛同すると思います。都議選に立候補する自民党候補も推進に賛同するでしょう。そうしないと選挙に不利ですからね。でも、自民党の国会議員は都議選など、どっちでもいいんです。考えるのは自分のことで国民のことじゃあありません。)

で~小池都知事が築地移転問題を決断できない理由ですが~

豊洲移転を決断すべきだったのに自らの間違いで時期を逸したと思っているからでしょう。でなければ、どうしていいか判らないからですね。そして、それを認めたくないからです。

専門家委員会などが、築地問題の解決案をいくつも提示していますが、そのいずれも、豊洲への早期移転案に優るとはmhには思えません。豊洲早期移転案は、都知事が決断し、築地関係者を納得させれば、その時点で移転を始められます。しかし、それ以外の案は、何もしないで問題を先送りするという案を除けば、豊洲以外への移転であろうが築地の修復であろうが、3,4年はかかるでしょう。この間に発生する費用や、築地関係者の被害は大きく、それは代替案の致命的な欠陥です。

代替案の第二の重要な問題は、どんな代替案であっても、完遂(かんすい)されることはないということです!
何故、完遂されないのか?それは、強い責任感で最後までやりぬく人がいないからです。推進につれて問題は噴出するでしょう。それを解決する能力と、意志を持つ人は極めて少ない上、仮にその資質を持つ人が選ばれても、小池都知事の思惑に振り回されて嫌気が差し、辞任して計画は頓挫するのです。

つまり、豊洲への早期移転を決断しない限り、代替案を完遂する意志や能力を持たない小池都知事がいては築地問題は解消しないのです。

間違いを認めようとしない安倍内閣や小池都知事には救いはありません!そんな彼らは、いつか、必ずや、しっぺ返しを受けるのです。

そういえば、思い出しましたが、道徳の時間にパン屋さんを和菓子屋さんと呼ばせることになったようですね。こんな見当違いなことに気を使う文科省や安倍内閣の愛国思想には呆れました。問題があるとは言え、中国政府の孔子学院に倣(なら)い、道徳には教育勅語じゃあなく、論語を取り入れる方がましでしょう。

我が尊敬する孔子先生は仰いました。
「過(あやま)てば改むるに憚(はばか)ることなかれ」
「思いに邪(よこしま)無し」
この教えは真理で、真理を曲げては救いはありません。

Bee Gees with Celine Dion - Immortality (不死)
https://www.youtube.com/watch?v=bsQq5lZ4CFM
(完)

PageTop

聖遺物の不思議


実は・・・
このブログは「聖槍(せいそう)の不思議」との題で投稿する予定でした。
しかし・・・
プロローグprologueを書き始めると、どんどんと脇道にそれ出して・・・
長~くなってしまい・・・

で~題を「聖遺物の不思議」に替え、プロローグprologueを投稿させて頂くことに致しました!

・・・・・・・・・・・・

「聖槍の不思議」

神聖な槍Holy Spear / Holy Lanceはイエス・キリスト(以下イエス)の脇を刺して死に至らしめた槍(やり)です。この聖槍は、前回のブログでご紹介したコンスタンティンの母ヘレン(以下聖ヘレン)が、エルサレムを訪れた時に探し出したいくつかの聖遺物の一つです。

Wiki「聖遺物」(英語版はRelic)のリストによれば
聖十字架/聖釘/聖槍/聖骸布/聖杯
の5つが挙げられています。お気付きでしょうが、全てイエス関連のものばかり!

まず聖十字架ですが、西暦326年、聖ヘレンがエルサレムに巡礼した時に見つけました。3つ見つかったようですが、その中のひとつに触れた女性の病が癒(いや)されたので、イエスが磔(はりつけ)にされた聖十字架と判ったと言います。持ち帰った十字架は、その後、細かく分割されてしまったらしく、多くの教会が所蔵していると主張しているようですが、“総計すると十字架数十本分に当たり、ゆえにほとんどがまがい物であり、そもそも“イエスが磔にされた十字架”の存在・再発見の真実性まで辿(さかのぼ)り考えることとなる“とWikiにありました。

聖釘(せいてい)は“イエスが磔にされた際に手足に打ちつけられた釘(くぎ)”で、聖十字架に打ち付けられていて、勿論、聖ヘレンがエルサレムから持ち帰ったんです。今も30本ほど残っていて、最も有名な聖釘は、今回のブログに登場します。

聖槍(せいそう)は、フィルムの紹介の時に説明させて頂くとして・・・

聖骸布(せいがいふ、Holy Shroud)は、イエスが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布です。イエスの風貌を写したという布は複数あったといわれていますが、現存するのはトリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている「トリノの聖骸布」(Shroud of Turin)だけです。サイズは1.1 x 4.4m。
b1701.png
顔の部分の拡大とそのネガは次の通りです。
b1702.png
1988年に行われた炭素年代分析によれば、布は“中世のもの”だったようですが、この辺りをバチカンはどう考えているのか不明です。恐らく、バチカンに所蔵されていない品々の真偽についてはコメントしないという立場なのでしょう。

聖杯(せいはい)についてはブログ「聖杯の不思議」でご紹介済みです。

調べると、他にもイエスの“聖遺物”はあるんですねぇ。
例えば“イエスの血”ですが、前述の聖骸布のシミは“イエスの血”そのもののはずですが、それ以外にもイエスの頭を包んでいた布があるんです。オヴィエドの布Shroud of Oviedoと呼ばれるようです。
b1703.png
大きさは1mx0.6mで、スペインのオヴィエドOviedoにある聖サルバドール大聖堂の重厚な箱に仕舞われていて、年3回、一般公開されているようです。

更には“聖衣Holy Robe”もあります。
b1704.png
多くのカソリック教会が同じような聖衣を所有しているようですが、上の写真はドイツのトリールTrier大聖堂の衣です。

で~我が尊敬するお釈迦様についての聖遺物はというと、英語版Wiki「Relic」には記事があるのですが、日本語版Wiki「聖遺物」にはないんですねぇ。なんででしょうか。
ま、ここで文句を言っていてもしょうがないのでWiki「Relic」から要旨をご紹介すると、骨とか歯ですね、これ以外にはお釈迦様の聖遺物はありません!

パキスタンのペシャワールPeshawarのストゥーパで見つかった骨は、今はミャンマーのマンダレーMandalayに保管されているとのこと。
b1705.png
ネットで見つけたブログ情報によれば、仏教修道院の埃(ほこり)だらけの小さな展示室に仕舞われていて、丁重にお願いすれば、見せてもらえるかもしれないとのこと。ガラス瓶crystal phialに入った小さな骨で、虫眼鏡を貸してもらえるようですからWikiで見つけた上の写真がそうでしょう!蓋(円柱状のもの)をはずした中身が中央にある台で、中心にガラス瓶のようなものが載っています。

仏陀は入滅から数日して火葬され、骨は8人の王が分割して持ち帰り、ストゥーパなどに保管しました。弟子たちが仏陀の教えだけでなく、生涯や遺骨の分割も記録に残していますから、仏舎利(仏陀の骨)が何ヶ所かで大事に保管されることになったのは事実だと思います。

仏陀と比べ、イエスには沢山の聖遺物が残っているわけですが、信憑性は全て“イマイチ”です。鑑定書もないし、勿論、由緒書きも見つかっていないようですからね。

しかし、イエスが実在していたなら、遺骨はどこかに残っているはずです。十字架の上に聖釘で打ち付けられ、血を流して死んだ人物ですから、人並みに骨はあったはずで、“神だったので骨などはない!”ってなことを言い出す人はまさかいないでしょう。

で~聖ヘレンは、その骨を見つけたかというと、どうもそうではないんですねぇ。聖ヘレンがエルサレムに巡礼した西暦326年、彼女は骨を探した、見つけ出した、っていう話は伝わっていないんです。

で~mhが鑑賞したYoutube“Discovery Channel; The Lost Tomb of Jesusイエスの失われた墓”から簡単にご紹介すると・・・

磔にされたイエスは墓に埋められたのですが、伝説によれば、死から3日後、マリー・マグダレンが墓に行くと遺体はなく、弟子たちがイエスの家族の墓に移した後だったといいます。
b1706.png
そして1年後、弟子たちは、イエスの母マリアやマリー・マグダレンやイエスの兄弟などイエスの親族と共に、最後の埋葬をするのです。
最後の埋葬とは、遺体が腐ったところで、骨だけを集め、骨箱(石灰石の箱ossuary)に詰め直す儀式です。
b1707.png
骨箱には“Jesusイエス”と名が刻まれました。
それから1千9百年後の1980年、集団住宅の建設工事中に墓が見つかったのです。
b1708.png
最初に気付いたのは子供達だったようです。
入り口の上には屋根のマークの下に丸い印が・・・
b1709.png
中には10の骨箱がありました。
b1710.png
(mh墓には4m四方ほどの部屋があり、そこに遺体を安置しておきます。1年程したら、関係者が集まり、白骨化した骨を骨箱に詰め、部屋の隅に設けられている穴に保管するようです)

この骨箱は倉庫に保管されていました。しかし、墓が見つかった時期は住宅工事のラッシュ時期だったので、あちらこちらで墓が掘り出され、何百もの骨箱が見つかり、大きな倉庫に保管されることになりました。その中から、Youtubeフィルムのプレゼンテーター;シムカ・ジャコボヴィッチSimcha Jacobovici(赤い服の人物)が、リストを頼りに件(くだん)の骨箱を探します。見つけ出したものを確認すると、イエスとかマリーとかジョセフといった名前が刻まれていました。
b1711.png
で、1980年に見つかった墓はイエスの家系の墓である可能性が高いとの結論を出すのですが、件(くだん)の墓が今どうなっているかというと・・・
b1712.png
コンクリートで蓋をされ、アパート群の間のテラスにあるんですね。
b1713.png
そこには何の掲示板も銘板もありません。ここにイエスの墓があり、残っていた骨箱の一つにイエスの骨が入っていたと考えている人はほとんどいないようですね。というのは、件のイエスが生きていたころ、エルサレムにはイエス、マリア、ジョセフといった名の人間は大勢いたんです。また、見つかった墓の入口の上に刻まれたファサード(建物の正面の飾り)は、特別のものではなかったんですね。どこにでもある、普通の模様だったんです。
そして・・・前回のブログでもご紹介したように、“Discovery Channel; The Lost Tomb of Jesusイエスの墓”で“やらせ取材”が行われていた!と告発するYoutubeも見つかりました。

このような経緯から、シムカ氏がプレゼンテーターを務めたYoutube“イエスの墓”を皆さまにご紹介するのを控えさせていただくことにしたのです。
それをご承知の上で、ご関心がありましたら、次の2つのURLでご確認下さい。
Discovery Channel The Lost Tomb of Jesus
(シムカ氏がイエスの墓だったと主張するフィルム)
http://www.dailymotion.com/video/x2jbdz3
The Jesus Tomb Unmasked | Refuting the Lost Tomb of Jesus
(シムカ氏に反論するrefute)
https://www.youtube.com/watch?v=aIa0PckpZZI

しかし・・・
またまた新しい予告フィルム(2分)が見つかりました。National Geographic ですから少し信頼できそうですが、粗筋は次の通りです。

“この大理石の石板の下は、イエスの最後の休息場所だったと多くの信者が信じている”
b1714.png
“「聖なる岩」は何世紀もの後で初めて取り外され、予想できない新たな発見を提示する”
b1715.png
“墓はエディクルEdiculeの中に仕舞われていて、エルサレムの旧市街にある聖墳墓教会(注)の中心に位置している”
b1716.png
(注:Church of the Holy Sepulchreは聖墳墓教会です。墳墓Sepulchre、つまり、ここがイエスの墓だってことを宣言しているんですねぇ)

で~エディクルというのは、ドームの中に造られた建物です。周辺に観光客が大勢いる、高さ凡そ8m位の構造物です。
b1717.png
墓らしきものを覆っている大理石の板が開けられようとしています。この映像から墓らしきものはエディクルEdiculeの床下にあると思われます。
b1718.png
石板が開いた状態を横から撮影した映像です。
b1719.png
で~石板の下に在ったものは・・・
b1720.png
粘土が平坦に詰められていたようですね。その一部は壊されているように見えます。人骨は見つかりませんでした。瓦礫debris を採集したので、分析することになっています。

“聖なる墓bedが再び蓋をされた後、エディクル改修工事は続けられ、今後何世紀もの間、巡礼者のための神聖な場所として保存されるだろう。”
b1721.png
EXCLUSIVE: A Closer Look Inside Christ's Unsealed Tomb | National Geographic
https://www.youtube.com/watch?v=nkmx_k9wVs0

なるほど。聖墳墓教会があるとなれば、アパート群の中のテラスでコンクリートで蓋をされた場所にお参りする巡礼者がいないのは、やむを得ないでしょう。

で~結局、イエスの遺骨は、今も見つかっていないんです。イエスが神なら遺骨が残っているのは極めて不自然です(人間の体だけを借りた神だったと言うことかも知れませんが)。よって、見つかっていないということは骨など持っていない神であって人間では無かったってことかもしれませんが、となると血が流れたっていうのは矛盾しますから、骨や血がある人間の体をもつ神だったってことだとすれば、肉体が滅んだ後のイエスは、今、どこで、どんな状態で存在しているのか???
???????????????????????????????
(聖遺物の不思議:完)
・・・・・・・・・・・・
真の「聖槍の不思議」は次回ご紹介させて頂きます。
悪しからずご了承ください。
(完)

PageTop

mh徒然草:政治家が腐敗する理由


それは、とりもなおさず、そういう政治家を選んだ国民が腐敗してきたからですね。

それにしても政治家の最近の言動はひどいです。

日本の安倍首相は、瑞穂の國記念小學院や加計学園の獣医学部新設で、首相の意向が働いた国権や国費の私物化でなないかと思われる疑念が指摘されても、名誉棄損で訴えることもせず、釈明や調査は拒否し、内閣府や、首相に牛耳られている自民党も、ひたすら、もみ消しを図っています。前川前文部科学事務次官の内部告発(総理のご意向)があると、政権寄りの読売新聞は前川氏が出会い系バーに行っていたというスキャンダルを流しましたが、これは前川氏を貶(おとし)めて、彼の指摘を無力化しようとする試みとしか思えません。稚拙な、卑劣な手段で、呆れてものも言えません。こんな政府に誰が国政を委託したのか?それは我々、日本国民ですね。反省し、正常に戻さないと、事態は悪化し、日本の将来や民主主義の維持は覚束(おぼつか)なくなっていくばかりです。こんなブログを投稿していると、不特定多数の仲間と図って政府を転覆しようとするテロだと言われ、共謀罪で取り調べられる恐れすら出てきました。

で~馬鹿げた話は安倍首相ばっかりじゃあないんですねぇ。アメリカのトランプ大統領の言動も同じです。トランプ氏を選んだのはアメリカ国民ですから、彼のツケはアメリカ国民が払わなければなりません。今日は6月4日(日曜日)ですが、2日前、ホワイトハウスで地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」からの離脱演説をしました。その内容の低俗さには世界中が唖然とし、呆れ果てたことでしょう。原稿は誰かがチェックしているはずですが、その結果が、あの内容では、さすがのアメリカ国民も落胆したはずです。未曾有を“みぞうゆう”と読んで国民からも失笑をかった麻生副総理ですら“そんな程の国だったんだね、アメリカは!”と、例によって不遜な態度で、公然と扱(こ)き下ろしていました。麻生氏の発言自体は小気味よく、よくぞ言った!と褒めたいところですが、厳密にいえば間違いで、“そんな程度の大統領だったんだね”と言うべきでしょう。しかし、このトランプ氏を大統領に選んだのはアメリカという国ですから、麻生氏の発言が全く間違いというわけじゃあありません。トランプ氏は、ロシア・ゲートで選挙に勝利し、モスクワのホテルに娼婦を呼んで乱痴気騒ぎをしたことをプーチンに知られている、って話は、きっと真実だろうと思います。これらの不都合なスキャンダルを公開されぬよう、プーチンに気を使っているトランプ氏は、ロシアに骨抜きにされ、アメリカの魂をロシアに渡しているも同じです。それにしても、こんな低俗なトランプ氏に勝利できなかったクリントン女史も、どうかと思いますね。どちらにも投票したくない選挙を強いられたアメリカ国民の嘆きは、痛い程に解りますが、日本国民も対岸の火事だと静観していられる状況じゃあありません。

中国の習近平主席、ロシアのプーチン大統領、日本の安倍首相、アメリカのトランプ大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領、トルコのエルドラン大統領、北朝鮮の金正恩総書記、などなど、独裁政治を志向する国家リーダが幅を利かせています。

極めて当たり前ではありますが、どこの国の政権も長期化するほど腐ってきます。国家という大きな樹だって腐れば倒れてしまいます。早く手を打たないといけないのに、腐るばかりの政権を国民が支持し続けた結果が現状を創った訳ですから、やっぱ、国民も腐ってきたと見るべきでしょう。その点、アメリカには救いがあります。トランプ大統領はこれまでの政権や政治家の腐ったDNAを持っていません。問題だらけの言動は、国民に新鮮な示唆を与え、反省を促すでしょう。彼は、あと半年もしない内に、大統領の職を放棄するか、韓国のように弾劾裁判で辞任に追いやられ、アメリカは気分一新して新たな一歩を踏み出すでしょうから、日本などのように、ダラダラと腐り続けていく国よりも早く、立ち直れます。よって、今、111円前後をウロウロしている米ドルは、年内のトランプ氏辞任で120円を超すというのがmhの予測です。

アメリカと似ている動きをしたのが東京都でしょうか。近々、行われる都議選では、小池都知事が自民党に脱退届を出し“都民ファーストの会”で選挙に打って出ることになりました。アメリカ・ファーストを標榜(ひょうぼう)するトランプ氏のトバッチリもあるとは思いますが“都民ファースト”も色あせ、変質してきたようで、都議会で自民党都議から“小池ファーストじゃあないの?”と皮肉られています。mhは最初から、そう思っていましたが、非難する自民党都議も、これまで“ブラックボックス”で都政を牛耳ってきたんですから、目糞鼻糞を笑うようなものです。そう考えれば、東京都も流れが変って問題が浮き彫りになり、(解決は進んでいませんが)良かったと言えなくもありません。今回の選挙でどんな人物を選択するか、東京都民は試されようとしています。

腐敗した政治家を選び続け、腐敗に向かって突き進む国民は、笛吹き男に先導され、おぼれ死ぬ運命に向かっていくハーメルンの鼠(ネズミ)に似ています。早く打開策を見出さねばなりません。それには、兎に角(とにかく、であって、ウサギにツノじゃあありません!)流れを変えることでしょう。麻生副総理に笑われちゃうかも知れませんが“身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ”って格言を一緒に確認したいと思います。

Cliff Richard - The Young Ones (with lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=-Q5nBoKdAk0
(完)

PageTop

コンスタンティンの不思議


コンスタンティンConstantineとは???

よく使われる男性の名で、世界中には大勢のコンスタンティンを名乗る男がいるはずですが、今回取り上げるのは歴史上で恐らくは最も有名なコンスタンティンです。

で~どんな男か?

こんな男なんですねぇ。
b1601.png
ローマのカピトリーノ美術館の中庭に展示されています。
巨像Colossusの高さは約12mでした。
b1602.png

正式名はガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌスGaius Flavius Valerius Constantinus(西暦272年~337年)。ローマ帝国の皇帝です。コンスタンティヌス1世Constantine Iとも、コンスタンティヌス大帝Constantine the Greatとも呼ばれますが、聖コンスタンティンSaint Constantine とも呼ばれているんですね。

今回は、コンスタンティンが聖コンスタンティンSaint Constantineと呼ばれることになった経緯に疑問符を投げかけるYoutubeフィルムを軸に、Wikiやネット情報を織り混ぜて「コンスタンティンの不思議」をお贈り致します。
・・・・・・・・・・・・
コンスタンティンの父はコンスタンティウス・クロルスConstantius Chlorusです。ローマ帝国が4分割され“テトラルキアTetrarchy(西暦293年~323年)”と呼ばれている時代、ガリア(フランス)とブリタニア(イギリス)一帯を統治していました。

テトラルキアにおけるローマ帝国版図です。
b1603.png
黄色の一帯が、コンスタンティンが育った“District of Constantius as Caesarカエサルとしてのコンスタンティウスの領”です。首都Trierトリール(現在のドイツの町)には当時の遺跡が残っています。
b1604.png
“District of Constantius as Caesar”の“Caesarカエサル”ですが、クレオパトラの愛人だった共和制ローマの執政官ユリウス・カエサルJulius Caesar(ジュリアス・シーザー)以来、ローマ帝国における皇帝の称号として一般化され、英語でJunior Emperor、日本語で“副帝”を意味します。

テトラルキア時代、現在のイタリア一帯は“District of Maximian as Augustusオーガスタスとしてのマクシミアンの領”で、ここでのオーガスタスAugustus(アウグストゥス)は、執政官シーザーの後を継いで初代ローマ皇帝となったオーガスタスAugustusに因(ちな)み、“皇帝”の称号として使われています。

つまり、西暦293年に始まったテトラルキアTetrarchyでは、帝国は二人のAugustus(皇帝)と二人のCaesar(副帝)によって4分割され統治されていたのです。この4つを統一しようと動き出したのがコンスタンティンでした。

西暦312年、コンスタンティン軍はアルプスを越えて現イタリア、当時の“マクシミアンの領”に攻め入り、今もローマ市内に残るミルウィウス橋で皇帝マクシミアヌスの息子マクセンティウス皇帝の軍隊と衝突しました。
b1605.png
橋の下を流れるのは有名なテヴェレ川(Tevere)です。橋は何度か修理され、今も健在ですが、通れるのは歩行者だけで、自動車は駄目です。

ラファエロの弟子ジュリオ・ロマーノGiulio Romano が描いたフレスコ画“ミルウィス橋の戦いThe Battle of Milvian Bridge”がヴァチカン美術館のラファエロの間にあります。サイズは2mx5m位でしょう。
b1606.png
白馬に乗るコンスタンティンの頭上では3人の天使がコンスタンティンを守っています!
b1607.png
コンスタンティンの視線の先のテヴェレ川には皇帝マクセンティウスがいます。彼は、この戦いで命を落としました。
b1608.png
ラファエロが描いた“ミルウィス橋の戦い”では聖十字架を抱いた3人の天使が描かれています。
b1609.png
伝説によれば、コンスタンテインは、夢の中でイエスの声を聞いたり、橋に向かって進軍している時、太陽の前に十字架を見たりイエスの声を聞いたりしたようです。

また、ヴァチカン美術館の“コンスタンティンの間Hall of Constantine”には“The Donation of Constantineコンスタンティンの寄贈”という画題のフレスコ画もあります。画家は同じくジュリオ・ロマーノだと言われています。
b1610.png
絵の中のコンスタンティンは時の法王Popeシルベスター1世の前で跪(ひざまず)き、小さな像を法王に寄贈しているようですが、ひょっとするとご褒美に法王から像を寄贈してもらう様子かも知れません。
b1611.png
いずれにしろ、この絵の題は“The Donation of Constantineコンスタンティンの寄贈”で、意味する処は、コンスタンティンが都市ローマと西ローマ帝国の統治権を法王に与えたということです。統治権を与えたというのは捏造(ねつぞう)であり、都市伝説であって事実ではありません。しかし、この絵が暗示することは重要です。コンスタンティンは法王、つまりキリスト教に絶大なる力を与えることを約束したのです。

これで、何故、コンスタンティンが聖コンスタンティンSaint Constantineと呼ばれているかお分かり頂けたことでしょう。理由はこの絵に表現されていたのです。

ミルウィウス橋の戦いで勝利したコンスタンティンは、西暦312年に西ローマ帝国の皇帝になりました。

一方、テトラルキアの残る2つの領ですが、現在のセルビアに首都サーミウムSirmiumを持つ“ガレリウスの領”の皇帝リキニウスは、現在のトルコに首都ニコメディアNicomediaをもつ“ディオクレティアヌスの領”の皇帝マクシミヌス・ダイアを破り、東ローマ帝国の皇帝に収まりました。この時点で東西2つのローマ帝国になったわけです。

その後、2人の皇帝リキニウスとコンスタンティンは対立し、戦を繰り返します。皇帝リキニウスは異教崇拝(paganismペイガニズム)の勢力を代表するゴート族の傭兵が支援し、皇帝コンスタンティンはというと、キリスト教を象徴するラバルム(Labarum)の旗印の下に行軍していたようです。
b1612.png
キリストのギリシア語綴(つづ)りは“Χριστος”で、最初の2文字のXとPをかたどった旗印です。

そして、324年、ハドリアノポリス、ヘレスポントス海峡、クリュソポリスなどの戦いを制したコンスタンティンはリキニウスを処刑し、東西ローマは再統一されました。

で、コンスタンティンは統一後の帝国の首都をどこに置いたかというと・・・
ローマじゃあなかったんですね。もうお気づきだと思いますが、コンスタンティノープルConstantinopleで現在のイスタンブールİstanbulです。
b1613.png
当時Byzantiumビザンチウムと呼ばれていたこの町は、紀元前667年頃に移り住んだ古代ギリシア人が造りました。勿論、上の写真の右のアヤソフィアAyasofyaを建てたのはコンスタンティンの息子コンスタンティン二世で、西暦360年に完成しました。キリスト教会で、写真のようなドーム構造ではありませんでした。左の青いモスクとも呼ばれるスルタンアフメト・モスクは西暦1616年、オスマン帝国の第14代スルタン(皇帝)アフメト1世によって造られたものです。

で~少々長くて恐縮ですが、コンスタンティンとキリスト教との関係をWikiから抜粋しておきましょう。
・・・・・・
Wiki:コンスタンティヌス1世とキリスト教
コンスタンティヌス1世は、初めてのキリスト教徒皇帝として有名である。それ以前のローマ帝国では、ネロ帝(54年 - 68年)のキリスト教徒迫害に始まり、ディオクレティアヌス帝(284年 - 305年)の迫害まで、何度かキリスト教が迫害を受ける時期があった。そんな一部の時期を除くほとんどの間、キリスト教徒であることは黙認されていたが、発覚した場合は改宗を迫られ拒絶した者は処刑された。

5世紀の歴史家ソゾメノスによると、コンスタンティヌスはガリアまたはブリタンニアの辺りに駐在している間、現地で広まっていたキリスト教の洗礼を受けたという。ただし、洗礼の時期については、当時の風習に従い死の直前だったという説もある。コンスタンティヌスは自らキリスト教を信仰しただけではなく、宮殿でもキリスト教を広めようとした。コンスタンティヌスがキリスト教を広めた理由について、哲学者バートランド・ラッセルを始めとする多くの歴史家は、キリスト教の持つ組織力に目をつけたためだと指摘している。
(キリスト教の持つ組織力に目をつけた???!!!)

伝説によると、コンスタンティヌスが改宗したのは、神の予兆を見たためと伝えられる。伝説では、コンスタンティヌスは、312年のミルウィウス橋の戦いに向かう行軍中に太陽の前に逆十字と、ギリシア文字 Χ と Ρ(ギリシア語で「キリスト」の先頭2文字)が浮かび、並んで「この印と共にあれば勝てる」というギリシア語が浮かんでいるのを見た。この伝説はラクタンティウスなどいくつかの資料で詳しく伝えられているが、4-5世紀頃の文献に多く現れる神の予兆や魔法などの話のひとつである。ちなみに、この後のローマ軍団兵の盾にはそれを模(かたど)った紋章が描かれたという。
のちに「コンスタンティヌスの寄進状」という文書が偽造され、ヨーロッパ史に影響を及ぼした。

なお、コンスタンティヌス1世を正教会は「亜使徒聖大帝コンスタンティン」として記憶する事は冒頭に述べた通りであるが、日本正教会の宇都宮ハリストス正教会の会堂は「亜使徒聖大帝コンスタンティン及び聖大后エレナ会堂」であり、コンステンティヌス1世と母太后ヘレナを記憶している。
(mh:母太后ヘレナについては後述します。)
・・・・・・
しかし・・・
Saint Constantine聖コンスタンティンとも呼ばれる男が、キリスト教を方便とし、実は異教・邪教(mhキリスト教徒にとっては、キリスト教以外の宗教は全て異教であり邪教です)を信仰していたのではないのか?というのがYoutube 「The Deception of Constantineコンスタンティンの欺瞞(ぎまん)」です。フィルムに登場するプレゼンテーターのシムカ・ジャコボヴィッチSimcha Jacoboviciはイスラエル系カナダ人で、映画監督・製作、フリージャーナリストfreelance journalist、作家ですが、Wikiによれば、多くの賞を受賞していて、なかなか著名人のようです。で~Youtube でシムカ氏の主張を知った素直なmhは、“おぉ!すごい着想だなぁ!”って感心し、皆さんにも是非、ご紹介しようと思い立ったわけですが・・・

Wikiにもあるように、コンスタンティンがキリスト教を方便に使っていたのではないかというシムカ氏の疑念は、既に多くの歴史家も持っていたんですねぇ。その上、シムカ氏がプレゼンテーターで登場する別のYoutube“キリストの墓”(後日、紹介いたします)も見たのですが、これを“やらせ取材”だと告発するYoutubeが見つかりました。で~素直なmhは途端にシムカ氏に欺瞞Deceptionを感じた訳です。

しかし・・・当方にも、次回のブログとの関係という、どちらでもいいじゃあないのって笑われるかもしれない個人的な都合もある上に、コンスタンティンがキリスト教を方便としていたという指摘がシムカ氏に限るものではないということもありますので、ご迷惑かもしれませんが、Youtube 「The Deception of Constantineコンスタンティンの欺瞞(ぎまん)」に沿って、何故、そんな疑念を持たれるようになったのか、ご紹介したいと思います。
・・・・・・・・・・・・
ローマのコロセウムの脇に、コンスタンティン凱旋門the Arch of Constantineがあります。312年のミルウィス橋の闘いでの勝利を祝い、315年に建てられました。
b1614.png
レリーフ(relief浮き彫り)には、川の神タイバー(横たわった男)、風の女神ビクトリー(羽根を持つ立像)、ローマの女神(タイバーの頭の所に立っている像)があり、この3神に囲まれた空白のスペースには、剥がれてしまっているがコンスタンティンの像があったといいます。つまり、彼は“邪教Paganの象徴のパッチワークで囲まれて居る”とシムカ氏は主張します。
b1615.png
更には、門の中央に刻まれている文字に“神聖な導きによりDivinely Inspired”とあり、ここでいう神はキリストではないかも知れないとの疑念を提示します。
b1616.png
何故なら、門に彫られているのはギリシア神話の太陽の神アポロApolloなどで、キリスト教から見れば邪教Paganの神ばかりです。
b1617.png
更には、門の中心が古代の通りStreetの中心から2mほどずれているのは、門が建てられる前から立っていた30mのアポロ像を門の中心に持ってくるためだったと主張します。
b1618.png
門の上にはチャリオットに乗るコンスタンティンの像があったとも言います。
b1619.png
それは太陽の神アポロと重なっていたのです。(シムカ氏の主張)
b1620.png
門には、キリスト教から見たら異教の神々は彫られているのに、キリストを表す物は十字架一つ、彫られていない。コンスタンティンは本当にキリスト教徒だったのか?
(シムカ氏の主張です)

更には、新しい都コンスタンティノープルの広場にアポロ像が載った記念柱を建てたようですね。像の顔はコンスタンティンに似ていたはずだと(シムカ氏は)言います。
b1621.png
コンスタンティンはキリスト教以外の邪教を信仰していた???
b1622.png

ローマのサンタ・プリスカ教会の地下には邪教の神を祀る部屋が残っています。
b1623.png
(mh邪教の寺院の上に、新しい宗教キリスト教の教会が建てらていたということですね。同じことは、よく行われていたようです)

マントを靡(なび)かせているのは太陽神ミスラです。左手には屠(ほふ)った牛の頭を持っています。
b1624.png
右下に横たわっているのはエジプトの神オシリスで、額にあるのは再生のシンボルだといいます。
b1625.png
Wiki:ミトラ教またはミトラス教またはミスラス教(Mithraism)
古代ローマで隆盛した、牡牛を屠(ほふ)る太陽神ミトラス(ミスラス)を主神とする密儀宗教である。ミトラス教は古代のインド・イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変え、主にローマ帝国治下で紀元前1世紀より5世紀にかけて発展、大きな勢力を持つにいたったと考えられている。しかし、その起源や実体については不明な部分が多い。

で、ミスラ神の典型的な姿は次の通りです。
b1626.png
ミスラ神が被っている帽子ですが・・・
b1627.png
ブログ「東方の三賢人の不思議」で紹介した三賢人の帽子と同じです。
b1628.png
三賢人が描かれたモザイク画はイタリアのアドリア海に面した都市ラヴェンナRavenna にあるサンタポリナーレ・ヌオボ聖堂Sant'Apollinare NuovoのバシリカBasilica(細長い講堂)に残されています。
b1629.png
で~コンスタンティン凱旋門に飾られている聖人像の帽子も東方の三聖人と同じなんですね。
b1630.png
さて・・・所変わって・・・
コンスタンティン時代、ブリタニア(Britanniaイギリス)の北限ではヘイドリアン(ハドリアヌス)の長城Hadrian's Wall)が北方からの蛮族の侵入を阻んでいたのですが、長城の近くにはローマ帝国軍の駐屯地が造られていました。
b1631.png
幾つかの石に十字架が刻まれています。
b1632.png
ローマ帝国の兵士や家族の中にキリスト教の信者がいたのです。
その一方で、妙な寺院跡も見つかっています。
b1633.png
祀られていたのは・・・ミスラ神です。
b1634.png
で、ミスラ神の冠は・・・
b1635.png
“イエスの冠(光背)と似ている!”ってYoutubeフィルムのプレゼンテ―ターのシムカ氏は言うんですね。
b1636.png
イタリアのラヴェンナRavennaのアーチビショップ礼拝堂Archbishop’s Chapelに一風変わったモザイクがあります。6世紀に作られたもので、キリストだと言うのですが・・・
b1637.png
兵士のように見えます!足元の蛇はミスラ神を暗示しています。
b1638.png
この男は聖コンスタンティンではないのか?
本来なら、こうなっていなければいけないはずなのに・・・
b1639.png

で~Wiki「コンスタンティヌスの凱旋門」によれば・・・
「コンスタンティヌスの時代から遡ること200年前の建築物の装飾が用いられているため、近年、この凱旋門は実は2世紀頃に建設されたものであり、コンスタンティヌスはこれを改変しただけであるとする説も提唱されている。1960年のローマオリンピックでは、マラソン競技のゴール地点に選ばれた」
ともありました。
よってYoutubeフィルムで紹介されていたプレゼンテーター;シムカ氏の指摘は、証拠不足というか、欺瞞に満ちたもので、mhはミスリードされてしまったのかな?と疑い始めています。

少々欺瞞に満ちたYoutubeの情報や、mhが集めたネット情報を散発的にご紹介しましたが、自分で見直しても焦点がぼけていて恐縮しています。

気を取り直して要点を箇条書きで整理すると次の通りです。
1) 紀元前1世紀にローマ帝国が生まれた当時、ローマではミスラ神やアポロ神が崇拝されていた。
2) 古来の神を信仰するローマ人にとって、イエスは邪教を布教しようとする異端児で、ローマ皇帝には目障(めざわ)りだったため、西暦30年頃、エルサレムにあるゴルゴタの丘で磔刑(はりつけけい)にした。
3) しかし、キリスト教は徐々に浸透し、コンスタンティン(西暦272年~337年)の時代には、ローマ人の中にもキリスト教徒が現れていた。
4) ローマ帝国を統一する西暦324年まで、コンスタンティンはアポロ神やミスラ神だけを信仰していた可能性が高いが、彼の軍勢にはキリスト教徒も大勢いたので、キリスト教を迫害せずに受け入れていた。
5) 帝国統一後の西暦326年、バチカンにあったキリストの使徒ペトロの墓所に最初の教会を建てた(Wiki)。
6) コンスタンティンは洗礼を受け、キリスト教に改宗したが、洗礼の時期は不明である。
7) コンスタンテインの母ヘレンも洗礼を受け、キリスト教徒となった(Wiki)。

つまり、彼が、キリスト教を迫害することなく、ローマ帝国統一後にはバチカンに教会も建て、キリスト教の布教を支援したのは事実であり、後のキリスト教徒にSaint Constantineと呼ばれる資格はあるとして好いと思います。

それを「コンスタンティンの欺瞞The Deception of Constantine」と言うのは、誤解というよりも悪意のある曲解と言った方がよいのではないか?

で~今一度、フィルムを落ち着いて見直したら、なんと!正式なタイトルは「キリスト教の秘密Secrets of Christianity」で、副題は「Selling Christianityキリスト教の売り込み」なんですね!
b1640.png
決して「コンスタンティンの欺瞞The Deception of Constantine」ではなかったんです!

ネットで確認すると、今回のブログの発端になったYoutubeは、「Secrets of Christianity」シリーズの“Episode 5 - Selling Christianity”だと判明しました!

番組紹介によれば次の通りです。
「4世紀、ローマ皇帝コンスタンティンは(西洋を)キリスト教に変えたと歴史は語っている。しかし、キリスト教がローマを征服したのか?それとも異教徒のローマがキリスト教を征服したのか?」
(mhやっぱシムカ氏は、フィルムでコンスタンティンが異教徒だったと暗示していたんですね)

「ローマとイスタンブールに残る考古学的事実は、皇帝が駆け引きの才覚the instincts of a marketing geniusを持っていたことを示している。多くの神格を戦略的に組合せながら、コンスタンティンは、例えば誕生日が12月25日のミスラ神など、太陽の神々を合併する手段として、イエス・キリストを“売り込んだ。”軍事力によって、新しい宗教は、本来のイエス・キリストの運動や、その関連で芽生えていた何百もの多様なキリスト教を抑圧した。コンスタンティンの(新しい)キリスト教は、今も世界で最も成功している流れになっている。」

つまり、Youtube 「The Deception of Constantineコンスタンティンの欺瞞(ぎまん)」と誰かが副題をつけたのは、全くの勘違いということではなさそうです。更には、彼が広めることになったキリスト教は、皇帝や法王に都合の良い教えであって、イエス・キリストが望んでいた教えではないかもしれない!って考えも含まれているのですね。

神を尊敬する宗教家が異なる宗教を邪教と呼び、弾圧し、殺戮するのは、なにもイスラム教に限ったことではなく、魔女狩りしかり、中南米でのキリスト教布教もしかりで、キリスト教でも行われていました。自分が正しく、自分と異なる考えや教えは邪(よこしま)だという排他的な考えは、トランプ大統領と同じです。コンスタンティンが聖コンスタンティンと呼ばれるのはキリスト教をローマ帝国の国教に育てたから、これで利益を得たキリスト教徒は聖人として祭ることにしたのですが、コンスタンティンは多くの敵兵を殺しているのです。それでも聖人と呼ぶとは、キリスト教とはなんと恐ろしい宗教なのでしょうか。バチカンのやり方に異を唱えたのがイギリスで生まれたプロテスタントではないかと思います。

取り留めもないブログになってしまい、本当に恐縮しています。そろそろ終わりましょう。

しかし、これだけはお伝えしておかねばなりません!!!

次回のブログは、コンスタンティンの母ヘレンが関係している不思議です。
ヘレンの生い立ちについては諸説あるようですが、キリスト教徒だったのは間違いないようで、聖ヘレンSt. Helenとも呼ばれています。

彼女には多くの伝説・逸話が残っているんですね。
「西暦320年頃、ゴルゴタに巡礼し、キリストが磔(はりつけ)になった十字架を発見した、とされる。伝説によればヘレナは息子のコンスタンティヌスに依頼されてこの地を訪れ、9月14日に探し出したという。」
「このとき同じ場所でキリストを十字架に打ち付けた聖釘も見つかった。聖釘と十字架の破片はモンツァ(イタリア)の博物館が所蔵している。この十字架をめぐるヘレナの伝説は4世紀末にヨーロッパから起こった。」
「イエスの脇腹を刺した槍を発見。」
「イエス生誕に来訪し救世主として礼拝したという3人の博士(王)の遺骸を発見し、コンスタンティノポリスに運び、ミラノ司教であった聖エウストルギウスに懇願されてこれらを贈与した。」
「聖母マリアがイエスを産み落とす時に使った飼い葉桶のまぐさをローマに持ち帰った。」

次回のブログはヘレンが持ち帰ったものかも知れない「槍」と「聖釘」をご紹介いたします。

The Deception of Constantine
Secrets of Christianity Episode 5 - Selling Christianity
http://www.dailymotion.com/video/x18s8gs_selling-christianity-secrets-of-christianity-decoding-the-ancients-documentary-by-simcha-jacob_shortfilms
(完)

PageTop

mh徒然草:ガラパゴスの日本

昨日の4月20日、福岡で3億8千万円が強奪され、一夜明けた今日、福岡空港から韓国に出国しようとしていた韓国人を含む4人組が7億円を保持していたことがX線検査で確認され、警察に保留されているようです。銀行でお金をおろした29歳の男性は、4人の顔を見て、犯人ではないと言っているようですが・・・

盗まれたのは4億円弱で、持ち出そうとしていたのは7億円というのは奇妙ですが、常識的に推察すれば、昨日強奪された4億円も入っているのではないでしょうか。この辺りはこのブログが公開される5月には明確になっているでしょう。

今回の強奪事件では、たった一人で4億円近くもの大金を引き出し、銀行員も車まで護衛しなかったというのも不可解ですが、mhの関心を引いたのは、卸したお金の用途で、金塊の買い取りだといいます。金塊売買といえば田中貴金属くらいしか知らないmhですが、ネットでも売買可能で電子マネーや銀行間送金で好いはずだと思うのですが・・・韓国への送金なら銀行から怪しまれるから、キャッシュが必要だったということかも知れません。

金塊の買い取りを現金で行う習慣があるのかどうか知りませんが、15年程前なら、不動産売買では現金の慣習がありました。mhは偶然、その取引に関与したのですが、何故、銀行振込じゃあダメなのか?関係者に確認することもなく、昔からのやり方が残っているのだろうと勝手に納得していました。

不動産や金塊の売買は、売り手も買い手も、税法上や刑法上などの、公にしたくない問題を抱えていることがあり“越後屋!お主も悪よのぅ”といった裏取引も時には必要で、そんなことから、あと腐れがないよう、現金を目の前に積んで、取引きする習慣が昔からあって、それが今の時代にも残っているのではないかと、mhは推察しています。今回の福岡での強奪事件については、4億円を銀行口座から現金化した人物が誰か、誰のお金か、は銀行口座から明確ですが、もし、盗まれずに使われていたなら、何に使われ、誰にいくら支払われたのかを追跡するのは、自白がなければ不可能でしょう。愛人に1千万円、タンス預金に1億円、海外に持ち出してマンション購入に1億円、と言う具合に使ったとしても、用途や支払先が簡単に知られる事はありません。しかし、もしこれが全て銀行振込だったら、送金情報は銀行の記録に残り、いつ、誰に、いくら渡ったかは直ぐ判ってしまいます。

このような、日本に昔から伝わる不透明で不可解な慣習の典型例は、元号(年号)と判子(認め印)じゃあないでしょうか。

記憶や暗算がおぼつかないmhは、今年が平成何年なのか、特に新しい年になって数か月の間は、思い出せない時もあります。公的書類や日常生活では西暦だけとし、誕生日も全て、元号はやめて、西暦で通せばよいと思うんですが、そうはなりません。それに反対する勢力が“元号は守るべき日本固有の文化だ!”と声高々に廃止に反対しているからだと思います。

判子はといえば、銀行口座を開くと、判子が必要で、三文判を使うと、それが古くなって使えなくなり、新しい三文判を買ってそれでお金を卸そうとすると、“これは登録印と違います!”などと銀行から言われ、“じゃあどんな登録印だったの?”って当の本人が問合せても“見せられない!”などと言われ、銀行に預けた自分のお金が引き出し辛い世の中になっています。世界中で、登録印がないとお金を卸せないのは日本だけだと思うし、判子の文化は中国のものなのに、今や、これが、日本固有の、守るべき文化となり、いつまで経っても見直される様子はありません。

こうして、日本はガラパゴス化していき、北朝鮮と同じように、極東の、理解不能な国になっていくのです。

FROM A DISTANCE (Lyrics) - BETTE MIDLER
https://www.youtube.com/watch?v=EC3FW_RU-GI
(完)

PageTop