Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

インドの不思議な質問:仏教


お知らせ:
このブログに張り付けておいた写真は手違いで消去してしまいました。
保管しておいたpdfから再生したブログはライブドアのブログに張り付けておきましたので
もしご関心がございましたら、つぎのURLでご確認下さい。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/preview/edit/a6a76d8b385d8d73a8ccb8184127444d
なおライブドアブログのホームページURLは下記です。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/

<インドの不思議な質問>
仏教は、キリスト教やイスラム教より500~1,000年も早く生まれたのに、中近東、アフリカ、欧州、豪州、南北アメリカなどに広まらなかった。何故だろう?

世界の宗教分布の現状をご紹介しておきましょう。
宗教分布図
*インド:オレンジ/Hindoismヒンドゥ
*アフリカ地中海側から東アジアにかけての地域:
   緑系/Sunnism,Shiismスンニ派シーア派のイスラム               
*南北アメリカ、欧州、ロシア、アフリカ南部、オーストラリア:
   薄紫・淡青系/Catholicism,Orthodoxism,Protestantキリスト教    
*ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、スリランカ:黄色/Theravada小乗仏教    
*韓国:黄緑/Mahayana大乗仏教 
*中国:茶/Taoism道教 
*日本:薄紫/Shintoism神道 

文部科学省の宗教統計調査による日本人の宗教人口は、神道系約1億700万人、仏教系約8,900万人、キリスト教系約300万人、その他約1000万人、合計2億900万人で、日本の総人口の2倍弱にあたり、神道系と仏教系だけで2億人にもなります。
合計が人口より多い理由は、宗教団体に頼った集計なので大目に申告される、神仏両方に回答した人がいる、などです。

街頭で訊くと「宗教や信仰をもっている」と答える人は30%で、残る70%は無宗教(無信仰)または無神論者とのこと。文科省統計よりも実態に近そうです。

念のため、無宗教と無神論を辞書で調べました。
*無宗教:一定の信仰を持たないこと。また、宗教そのものに無関心なこと。
     葬儀などで,どの宗教の儀式にもよらないこと。
*無神論:神の存在を否定する立場。
     自然主義・唯物論・無神論的実存主義などが属する。

仏教発祥の地インドではヒンドゥ教やイスラム教からの迫害もあって仏教がほぼ消滅し、日本に仏教を伝えた中国すら道教に押されていることは知っていましたが、日本が神道の国だったとは!てっきり仏教国だと思っていました。

下のグラフは世界の宗教別人口割合です。
世界の宗教人口比
ヒンドゥ教徒は仏教徒の2倍なのに三大宗教ではありません。
インド一極集中だからです。仏教は複数国に分布しています。

私はというと、家系は日蓮宗で葬儀は仏式ですから仏教徒なのでしょうが、実態は無宗教者でしょう。仏陀は尊敬すべき人だと思うので仏教徒と呼ばれても不平は言いません。
でも初詣などで神社にいくとお賽銭をあげて願い事をしますから神道かも。
・・・どうもはっきりしません!!

兎に角、仏教は今や肩身が狭くなっています。日本においてさえも!!!
キリスト教やイスラム教より早く生まれて普及してきたはずなのに。何故??


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この質問は2013年10月の「仏教の八大聖地を巡る旅」の翌月、30年余り働いていた電機会社のOBで構成される生産技術研究会に公開しましたが、例に漏れず長い論文のため不評でした。
話が長すぎるが面白かったよ!と言ってくれた人もいるにはいたのですが・・・

そこで今回は、少し簡素化してみなさんにも公開させて頂くことにしました。

私の答えは近々、公表させて頂きます!!

質問編は以上で終りです。

が、それでは味気ないのでインドの旅の様子をご紹介しましょう。
まずはルートです。
route
デリー空港で日本語が堪能なインド人ガイドが出迎えてくれました。
2日目はデリーの世界遺産を何ヶ所か見たあと寝台特急でヒンドゥの聖地ベナレスに移動。そこからはチャーターした小型車で、ドライバー、ガイド、私の3人で仏教八大聖地を巡りました。ベナレスでは、ガンジス川でデンマーク人夫婦と一緒に小さなボートに乗り、川岸のガート(沐浴場)風景も観てきました。

仏教八大聖地は次の通りです。
1)誕生の地:ルンビニ: ここだけネパール。他は全てインドにあります。
2)成道の地:ブッダガヤ: 覚りを得て仏陀が生まれた、最も重要な聖地です。
3)初転法輪の地:サルナート: 仏陀が初めての説法をした場所です。
4)布教の地:ラージギル: 王舎城。「城」は町の意で山で囲まれた場所です。
5)教団の地:サヘート・マヘート: 祇園精舎の鐘の声、の祇園精舎です。
6)昇天の地:サンカーシャ
      天国で母マーヤに布教してから降り立った場所。唯一の伝説上の聖地
7)最後の旅の地:バイシャリ: この地で説法した後、最後の旅に出ました。
8)涅槃の地:クシナガル: 故郷カピラバストゥへの途中、この地で入滅しました。

畑の中の凸凹道を走り抜けてやっと集落に辿り着くと、牛や犬や人力車や道路まではみ出た出店や屋台やバザールに集まった人々を避けながら、車はゆっくり走ります。いくらノロノロ運転でも文句を言うのはバチアタリというものです。仏陀は歩いたのですから。

朝は、背筋をピンッと伸ばして自転車通学する女子学生を見かけます。その姿のなんと美しいこと!イングリッドバーグマンやオードリー・ヘプバーンの若かりし頃はかくあらん、と何度も感激しました!

最終日は、午前中タージマハルやアグラ城を見学し、午後は車でデリー空港まで移動して深夜便で帰国しました。
我慢、不便の多い旅でしたが、今思うと楽しいことばかりです。

  ルンビニ
(上)ネパールのルンビニ。ゴータマシッダールタ誕生の地です。白い建物はマヤデビ寺院で、母マーヤ(麻耶)から名付けられました。
 マハボディ寺院 marker stone
建物の中(上左)の、ガラスで覆われた1メートル四方の地面(上右)に岩が見えます。紀元前7~5世紀にシッダールタが生まれた場所です。生まれた年には諸説あり定まっていません。

建物の外の左側に立つ茶色の塔はアショーカピラー(アショーカ円柱)です。仏陀の死から凡そ200年後、仏教の熱烈な信奉者でインド亜大陸を統一したアショーカ王(BC304-232)は、仏陀史跡を巡り、由来を刻印した大理石のアショーカ・ピラーを建立して史跡の整備も行いました。

その後、仏教はインドで重要な宗教になっていきましたが、5世紀頃から衰退を始めます。よからぬ宗教だ、と言ってヒンドゥ教が排斥を始めたからです。
その後14世紀にインドに広まったイスラム教の信者たちによって仏教史跡は破壊され、なんの跡なのか判らなくなったものも多くあります。
しかし、アショーカピラーが見つかれば、そこは仏教の史跡です!

ルンビニではフィンランドから来た禅のインストラクターという女性とその生徒4,5人と話しました。京都にも行ったことがあるとのこと。みんな若い人ばかりで、仏教も静かに親しまれているのだなぁ、との思いを持ちました。

  アーナンダストゥーパ
(上)バイシャリ村にあるアショーカピラーとアーナンダのストゥーパです。
バイシャリは高弟アーナンダ(阿難;多聞第一)の故郷です。ピラーの上にはライオン像が載っています。他の聖地では象(エレファント)が載ったピラーもありました。
アショーカ王は、アーナンダの墓をレンガなどで立派なストゥーパ(卒塔婆)に仕上げ、ピラーを建てて功績を称えたのです。

バイシャリに関する伝承があります。
釈迦(仏陀)の一行がバイシャリに着くと、釈迦を尊敬していた娼婦が「私の家で食事をして休んでいって下さい。」と頼みました。釈迦は、これを受け入れました。
そのあとで豪族が来て「私の家で休んでいってほしい。」と頼みましたが、釈迦は「既に約束がある」と断りました。

この伝承が示すように、釈迦は誰にでも平等でした。当時の、そして今でもインドに残っている身分制度(カースト)や性差別をよしとしなかったのです。

玉座囲 菩提樹
(上左)成道の地ブッダガヤの菩提樹です。黄色い柵で囲まれています。
(上右)「仏陀の菩提樹」の葉です。先がカブトガニの尾のように伸びています。
菩提樹という名はサンスクリット語Bodhidrumaの音写で、仏陀の木、英語ではBodhi-Treeです。

仏陀の菩提樹は広く枝をのばし、その下でタイやミャンマーなどからの巡礼者たちがお祈りをしていました。運が好ければ、葉が落ちてきます。好い思い出になるはずです。私も、と思って暫く枝を見続けていましたが、ダメでした。
ガイドによると、葉を拾う幸運に恵まれる観光客はほとんどいないようです。やはり、何時間も、何日も、座ってお祈りする信仰心がないといけないのでしょうね。

  宝座
仏陀の菩提樹を囲む黄色い柵の隙間からデジカメを差し入れて金剛宝座を撮影しました。花が供えられている場所です。2千5百年もの昔、ここに座って丸一日瞑想したゴータマシッダールタはさとりを得て仏陀になりました。

たった1日でさとったの??いえいえ、そんなに簡単にはさとりは得られません!

29歳になったシッダールタは心の安らぎを得たいと考え、王子の身分や家族を捨てて出家しました。その後、6年間、骨と皮だけになりながら前正覚山の洞窟で苦行を積み重ねたのです。しかし苦行では悟りを得られない、と考え、山を下ります。近くの尼連禅河で沐浴しているとスジャータという娘が乳粥をくれました。これを食べて元気を得たシッダールタは、さとりを得るまでここを動かじ!と決意し、ブッダガヤの菩提樹の下で瞑想を始めました。そして1日、やっとさとりを得たのです。

“さとる”は「悟る」「覚る」「成道する」で、英語ではbe awakened(目覚める)、be enlightened(啓発される)です。
さとりを得たゴータマシッダールタは、仏陀、仏、釈迦(シャーキャ族の人)、釈迦牟尼、釈迦如来、釈尊などと呼ばれています。英語ではBuddha, The Awakened One, The Great Oneなどと言います。
もしもあなたが悟りを得ることが出来たなら、あなたも仏陀です!
シャーキャ族ではないので釈迦と呼ばれることはありませんが。

   クシナガル涅槃堂
ここはクシナガル。仏陀入滅の地です。手前の沙羅双樹の間に涅槃堂、その左奥には椀を伏せたような仏舎利塔が見えます。仏陀はこの仏舎利塔の直ぐ裏で入滅しました。
火葬され、遺骨は八つに分配されて信者達に分け与えられました。
仏舎利塔の中にはその一部が残されています。
それからずーっと2千5百年間、仏陀はここで眠り続けているのです。

  クシナガル涅槃仏
クシナガル涅槃堂内の涅槃仏です。1千年ほど前に造られました。涅槃仏の周りには多くの巡礼者が座ってお祈りをしていました。外の仏舎利塔の周りでは、ハンディマイクを持った僧が、海外から一緒に訪れた信者たちに法話をしていました。

宗教学者中村元の著書「ブッダ入門」で涅槃の様子が語られています。
“アーナンダと共にバイシャリを発った一行がクシナガルに到着すると、
 河の近くで釈尊はアーナンダに告げます。

「アーナンダよ。
 私のためにサーラの双樹の間に、北に向けて床を敷いておくれ。
 アーナンダよ。私は疲れた。横になりたい。」

そして最後の説法がなされました。お弟子たちが泣きます。

「やめよ、アーナンダよ。悲しむなかれ。嘆くなかれ。
 アーナンダよ。私はかってこのように説いたではないか。
 すべての者は、愛するもの、好むものから別れ、離れ、異なるに至るということを。
 あらゆるものは、生じ、存在し、作られ、破壊さるべきものであるのに、
 それが破壊しないということが、どうしてありえようか。
 アーナンダよ。
 長い間おまえは、慈愛のある、人のためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、
 身と言葉と心との行為によって、向上し来たれる人(私)に仕えてくれた。
 アーナンダよ。おまえは善いことをしてくれた。
 つとめはげむことを行なえ。すみやかに汚れのないものとなるであろう。」

そして、やがて釈尊はなくなりました。”

  ナーランダ大学
世界で最も古い大学の一つと言われるナーランダ大学の一画です。5世紀頃に造られた仏教を学ぶ処です。学生は最大時1万人、教師は1,500人でした。
奥にそびえる寺院跡は仏陀の高弟シャーリプトラのストゥーパの上に建てられています。シャーリプトラという名は聞き覚えが無いかもしれませんが、しゃりほつ(舎利弗:知恵第一)なら聞いたはずです。僧侶があげるお経に時々出てきます。

広い敷地には学生の宿舎跡も残っています。ここで、我らが玄奘三蔵も学生として6年、教師として6年、修行しました。彼の部屋だったと言われる場所はレンガで囲まれた四畳半程の、野ざらしで何の変哲もない空間でした。例にもれず、イスラム教徒によって建物や仏像は破壊され、基礎や壁の一部だけが残ったのです。写真の寺院跡も実は基礎だけで、その上の建物は無いのです。きっと昔はさぞ大きな寺院だったことでしょう。

平等で自由な釈迦の思想はインドで凡そ千年の間、多くの人に信仰されました。
しかし、慣習や儀式や身分制度を重視するヒンドゥ教、イスラム教などにとって目障りだったため、迫害を受け、誕生の地インドで急速に衰退してしまったのです。

(完)
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