Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

バーミヤンの不思議

今回はナショナルジオグラフィックのYoutubeフィルム「アフガニスタンの失われた宝」をご紹介しましょう。

バーミヤンはヒンドォウクシ山脈の中の渓谷にある小さな町です。
05501.png
首都カブールから西北西約130kmの山間に位置しています。
05502.png

フィルムの内容紹介の前に、アフガニスタン(以下アフガン)大使館の資料からバーミヤンの概要をご紹介しておきましょう。

「バーミヤンとは「光り輝く土地」のことである。高低を異にして畳々と連なる山並みは、それぞれに色彩を違えて美しい。北に 4000 メートルを悠に越えるヒンドゥークシュの巨大な山並みを背負い、南に5143 メートルのシャー・フォーラーディーを主峰とするコー・エ・バーバーの鋭い山稜を有し、これらの高山が東西に相並んで走る山襞のあわいに生まれたのがバーミヤンの谷である。 厳しい自然の変化と共に人間がこの谷で織り成した多様な歴史の混然とした融合が、可視なるものとして現に存在しているバーミヤンは、今も訪れる人びとの魂をゆさぶる。」
05503.png
「バーミヤンには時代を少しずつ異にする仏教の石窟寺院がある。文化的遺産の核をなすのは、主谷の摩崖に刻まれた東、西2体の大仏立像と1000にも及ぶ石窟と、それを飾る多彩な壁画であった。ガンダーラ文化の衰滅の後、アフガニスタンのほぼ中央部に再び咲いたバーミヤンの仏教文化は文明の十字路の名にふさわしく複合的で独自のものである。」 

「バーミヤンでいつ頃から仏教が始まったかは明らかではないが、紀元後2世紀から4世紀に渉って多くの佛寺が造営されていた。バーミヤンに関するもっとも正確な情報を最初に記録したのは630 年頃バーミヤンの王に迎えられ、この地を訪れた中国の求法僧玄奘(Hiuen Tsang =Xuan Zang) である。彼は15 日間の滞在後、『大唐西域記』(Da Tang Xiyu ji, ed.in 646 )にこの時の状況を書きしるした。玄奘によれば、王城の東北の山の隅に高さ140-150 尺の立仏の石像があった。(現在の55 メートルの西大仏のことである。)そしてこの大仏の東に「先王が建てた伽藍」があった。(おそらくバーミヤン最大の座仏洞の前、地上に建てられた伽藍であろう。)さらにこの伽藍の東に高さ百尺余の立仏があったと記録されている。(現在の38 メートルの東大仏のことである)。その地には伽藍が数十ヶ所にあったと伝えているから、この時すでに今日みる石窟の半分は造営されていたと思われる。」
05504.png
(三蔵法師が辿った道筋:アフガン=阿富汗、カブール=喀布尓)

「バーミヤンにイスラムの文化が深く導入されるようになるのは、ガズニー朝( 998-1030 年)のスルタン・マフムード(Sultan Mahmud) が権力を握った後のことであった。1221 年、モンゴルの大軍がバーミヤンに攻め入り、シャル・イ・バーミヤンを落城させ、仏教遺跡を傷つけて去ったのち、シャル・イ・バーミヤンはシャル・イ・ゴルゴラと呼ばれ、廃城となった。人煙は絶え、バーミヤンは忽然と歴史の闇の中に沈んだのである。」

「久しく沈黙を守ってきたバーミヤンが、再び歴史の舞台に登場するとき、不吉にもそれは砲撃の音と共であった。 1647 年、バルフよりカブールへと退却の途中、ムガール朝の皇帝アウラグゼーブは、腹いせに大仏に向かって砲弾を撃ち込んだのである。西大仏の左右の足の破壊はこの砲撃によっておこなわれたのである。」

「20 世紀中頃、アフガニスタンにおける考古調査が、国際的に広く門戸が開かれ、それぞれ視点を異にしたバーミヤン遺跡の国際的な調査・研究が大きな高まりを見せようとしていたとき、不幸にも戦争がまたもやバーミヤンにさらなる禍をもたらすことになったのである。戦火の中にあるアフガニスタンからの大量の流出品は、国内の異常な事態を告知するものであった。」

「2000 年夏、国際的な非難の声が高まるにつれて、逆にタリバン政権は態度を硬化させ、ついに2001 年2月26 日、タリバンの指導者は「この国にあるすべての偶像を破壊することが決定された」という声明を発表した。そしてその歴史的価値、その文化的意味からしてもかけがいのない貴重さを無視し、大量の爆薬を使用して蛮行におよんだのである。
 大仏の爆破は、東西の大仏だけではなかった。バーミヤンのもうひとつの渓谷、カクラクの山肌に刻まれた高さ 6.7 mの立仏も、バーミヤンの第二の座仏も、また、爆破されていた。バーミヤンの不幸は、大仏の爆破だけにとどまっていなかった。2002 年秋、日本・ユネスコ合同調査団は、シルクロード上にあってインドや中国西域の壁画と深い繋がりをもった華麗なバーミヤン壁画も、その80 %を失ってしまったことを認めないわけにはいかなかった。壁画は実に、意図的に消し去られていた。」
  05505.png
上:西の大仏(爆破前後)
下:東の大仏(爆破前後)
  05506.png
「バーミヤンはかつて世界に燦然とした光を放った大仏やその周辺の壁画を失ったが、残された多くの石窟は、なお美しい壁画を有し、その多用な構造によって、宗教文化とその建築の歴史にとっても、いぜんとしてかけがえのない重要性を有している。バーミヤンが今日まで生きてきた歴史は、イスラムの聖蹟も含めて、人間の精神が偉大な文化を生み出すことの意味を深く教えるものとして、宗教や国の違いを超えて心開らいて受け取られるべきものであろう。」
(資料提供 : アフガニスタン文化研究所所長・和光大学名誉教授 前田耕作氏)

では「アフガニスタンの失われた宝」の始まりです。
05507.png
2003年、アフガン系アメリカ人のタディアはカブール空港に降り立った。彼女はアメリカでアフガン発掘を支援する基金を立ち上げている。
05508.png
13歳の時、父と共にフランスに亡命して以来、初めて踏む祖国の土だ。40年以上、親しく家族の付き合いをしている友人が出迎えてくれた。
05509.png
彼女の目的地はバーミヤン渓谷だ。父サマイヤラ・タージーが遺跡を発掘している。父とは1年以上会っていない。
05510.png
そこは想像していたより遠い場所だった。内戦の爪痕がそこここに残されていた。
05511.png
渓谷の道に入った。もうすぐバーミヤンだ。
05512.png
バーミヤンに着いて父の元気な姿を見ると、タディアはまた涙を流してしまった。これから2週間、父の作業を手伝うことにしている。
05513.png
ここでYoutubeでは紹介していなかったタージー氏のWiki情報をご披露しておきましょう。
(Wiki: Zemaryalai Tarziゼマリャライ・タージー)
1939年カブールで生まれフランスで考古学を学んだ。カブールの考古学協会の責任者としてアフガンの遺跡保護を進めていたが、1979年、タリバン政権によりフランスに追放され、Strasbourg大学で東洋考古学の教授を務めた。現在はフランス主導のバーミヤン発掘調査団の責任者である。
(Wiki完)
2人が再会したバーミヤンは世界で最も美しい谷だ。高さ120mの岸壁が5km続いている。ヒンドゥクシィ山脈の中の小さな町で、最盛期には数百の洞窟と5千人を越す僧侶が修行していた。
05514.png
(左(西)に55mの大仏、右(東)に38mの大仏が立っていた洞窟が見えます。)
バーミヤンは仏教が西に広がる時のルートだった。
05515.png
     05516.png
2つの大仏があることから大仏の谷(Valley of the Gods)とも呼ばれていた。
しかし、2001年3月、タリバン政府によって仏像は爆破された。
05518.png
タージー「その時、私は丁度自宅でスリッパを穿きながらTVを見ていた。突然流されてきた大仏爆破のニュース映像を見て思わずスリッパをTVに投げつけた。見たくなかった。私は泣き叫んだ!」
05519.png
「この出来事は世界中の人々の心に大きな衝撃の記憶として残り続けていくだろう。」
05520.png
「将来、アフガン国民は、タリバンが何をしたのか理解するだろう。野蛮な男たちが世界の遺産を破壊してしまったのだ。」
05521.png
戦(いくさ)がタージーをアフガンから追い出してしまった。しかし、彼は世界の誰よりもバーミヤンの大仏を知っている。1970年には修復で訪れていたのだ。
タージーはタリバンが知らないことを知っていた。破壊された2つの大仏以外にもうひとつ、第三の大仏があるかも知れないのだ!バーミヤンの涅槃仏と呼ばれている。古代の書物に記録されている。長さは300mだ。
05522.png
エッフェル塔の高さを超える。タージーは今、それを見つけようとしているのだ。
05523.png
タリバンの爆破で大仏を失って以来、バーミヤンとアフガンの人々はその穴埋めの方法を探している。
   05524.png
もし涅槃仏を見つけることが出来れば祖国への大きなプレゼントになる。
しかし1千年以上前の話だ。本当に残っているのか?どこにあるのか?

過去を探してカブールの繁華街を歩いているもう一人の偉大な考古学者がいる。ロシア人のビクター・サリアディーディ博士だ。
05525.png
「最後にここに来たのは20年以上前だった。飛行場からここまで、いろいろ見て回ったが、変わってしまった。馴染みのあるものが見当たらない。とても悲しい。」
05526.png
博士がカブールに招待された理由は、昔、彼が発見してアフガン政府に引き渡した後で見失われていた宝物が戻ってくるかもしれないからだ。「バクトリアン・ゴールド」と呼ばれている宝のコレクションだ。
05527.png
2千年前に造られた金の宝物だ。1980年には、どこかに消えてしまった。溶かされてしまったとか、オサマビンラディンに献上された、とかいう噂があった。しかし大統領宮殿に隠されているようだと判ったのだ。明日、その検証に立ち会うことになっている。

その宝はアフガンの北部、ティラテペという丘で見つかった。
05528.png
1978年、彼はソビエト・アフガン共同発掘隊を指揮していた。ある日、地面に輝くものを見つけた。
05529.png
5人の女性と1人の男性の墓が次々に見つかり、金の飾りや置物や王冠が出て来た。
恐らく、2千年前のキリスト時代の王室の人々の墓だ。
05530.png
アレキサンダーの庇護やシルクロードの交易で繁栄した人々だ。発見した宝はアフガニスタン政府に全て渡したのだが、その後の混乱で、どこに行ったのか判らなくなっていたのだ。

1979年、ソ連邦がアフガンに侵入した。10年間の争いがあった。
05531.png
アフガン政府軍にゲリラも加わった反撃でソ連軍を撤退させることは出来たが、その後、国内の治安は急速に崩壊してゆくことになった。

1993年、ロケット弾が国立博物館を爆破した。バクトリアン・ゴールドを保管していた場所の一つだ。
05532.png

そして状況は更に悪くなろうとしていた。
05533.png
1996、タリバンが実権を握り、ソ連寄りだったモハメッド・マジブラ大統領は公開処刑された。
05534.png
カクサールはかってタリバンの内政大臣だった。
05535.png
彼は言う「タリバンは厳しいイスラムの教えを強制した。崩壊の法律だ。」
05536.png
「物を盗んだといっては手を切断し、人を殺したといっては処刑した。」
05537.png
特に女性への厳しい罰則はカクサールを困惑させた。
05538.png
偶像や生き物の崇拝はコーランで禁じられている。だからバーミヤン大仏は破壊されたのだ。
破壊行為は加速し、国立博物館や大統領官邸にあった多くの芸術品も破壊されていった。
05539.png
50年に渡るアフガンの記録フィルムも燃やされて煙になってしまった。
05540.png
ついには特定の民族の抹殺をも始めだした。
「ハザーラ人は人間でない、彼らをこの世から葬(ほうむ)るのだ!」

バーミヤンの住民はハザーラ人だった。
05541.png
フセインはタリバンがバーミヤンで人々を殺戮するのを目撃した。
「ある場所では200人が殺された。別の場所でも200人が埋められた!」
タリバンは2~3千人を殺した。その中には彼の子供2人も含まれている!

「彼らは家にやってきた。私は捉えられ、他の数人と一緒にバーミヤン大仏に連れていかれた。ロープで上から吊るされ、大仏に爆薬を仕込む穴を明ける作業をさせられたのだ。そしてあの爆発が起きた!」
   05542.png
「ここに来てあの空洞を見ると“あの時、私の命は終わった”といつも思う。私が死んだら、大仏が建っていたこの場所に埋葬してほしい、神に祈っている。」
05543.png
タージーは娘と一緒に発掘作業を続けていた。
05544.png
彼は玄奘の言葉を頼りとしていた。仏陀の神聖な経典を求めて7世紀に中国からインドに旅をし、632年バーミヤンに立ち寄っていた。
05545.png
玄奘は記録に残している。
「ここの人々には驚かされる。友人を大切にし、信じられないほど信仰心が高い。」
05546.png
「150尺の仏陀が岩壁に彫られている。金色の姿が光り輝いている。」
05547.png
しかし、玄奘によれば、ほかにも仏陀があった!
「町の東の修道院に仏陀があった。長さが千尺(300m)の涅槃(ニバーナ/ニルヴァーナ)の仏だ。」
05522.png
もし玄奘の言う事が正しいのなら、千年以上も見失われている修道院を探せばよい。そこに涅槃仏があるのだ。
「玄奘は2つの大仏の間の東側で修道院をみた」と記載している。東側にある小さい大仏の近くということになる。
「私は大きな仏像の西にある王宮の町から東へ2~3里を歩いた。そして千尺の涅槃仏に到達した。」出発点の王宮の町は何処にあったのかは明らかになっている。
05548.png
問題は当時の1里がどのくらいの距離だったのか?だ。1/3マイル(500m)か?4/10マイル(640m)か?
05549.png
1エーカー(4千平方m)の場所を探さねばならない!
タージーは、これまで2箇所で試験発掘をしたがだめだった。発掘を初めて2年目、やっと建物の跡を見つけた。
05550.png
「これが玄奘のいう修道院か?」それを示す確実な痕跡はまだ発見できていない。
「しかしここを見てくれ。4つの壁が重なっている。モニュメント的な重いものを支えていたに違いない。位置からして涅槃仏の足あたりの場所だ!」
05551.png
「事実はどうなのかまだ判らないが、とても重要な発見だと思う。興奮している。これまで沢山の仏像の断片を見つけている。合計すれば、きっとコロッサス(巨大な石像)くらいの重量になるだろう。」
05552.png

タージーの気分は高揚していた。きっと東の修道院の跡だ!
しかし、仮にそうだとしても1400年も前の涅槃仏は形を留(とど)めているのだろうか?今年、彼に残された発掘期間は1週間しかない。フランスの大学に戻ってレポートを纏めなければならないのだ。

アフガン人のモハメッド・アサヒは医者でかつ有名な画家だ。彼の耳に、タリバンの次の破壊対象がは国立美術館の絵画だ!との噂が伝わってきた。人や動物などの生き物が描かれた絵を破壊し始めていたのだ。アサヒは国の大切な絵画を守ろうと決心した。発覚すればタリバンに殺されるかもしれない。
 05553.png
アサヒはタリバンに破壊されそうな絵を美術館の空き部屋に持ち込んだ。そこはアサヒの仕事場になった。彼は生き物が描かれた部分に絵具で別の絵を重ねて生き物を隠していった。
05554.png
これは効果があった。タリバン宗教警察は気付かなかった!
タリバンが去り平和が戻ってから、水を含ませたスポンジで上塗りした絵具を除去してやると、オリジナルの絵が現れた。
05555.png
80枚の絵画が守られることになり、今はギャラリーに展示されている。
05556.png
05557.png

タリバンは闘鶏、踊り、凧上げなどの娯楽や遊びも禁止した。しかし今は復活している。
05558.png
アフガンの人々は結局、昔からの伝統を忘れてはいなかったのだ。

いよいよロシアから招待されたサリアディーディ博士の出番がやってきた。今日の午後、大統領宮殿で20年以上昔に彼が見た宝物の調査に立ち会うのだ。彼だけが、それが本物か証言できる。
05559.png
金庫は出てきたが鍵が見つからない。そこで扉を切り開くことになった。繊細な宝物だ。もし中に残っているなら熱でダメージを受けるかもしれない!
05560.png
扉が開いて最初の品物が姿を現した。髪飾りだ。本物だ。問題なさそうだ!
05561.png
1978年の冬、サリアディーディが初めて発見した宝だ。次々に金庫から宝物が取り出された。
05562.png
「25年前の友達に出会った気分だ。」

2千年前の、恐らく25~30歳の王女のものだったと思われる。
05563.png
あまり知られていない古い寺院に密(ひそ)かに埋葬され、墓石などの印も付けられなかった。それで誰の眼にもとまらず今日ままで残っていたのだろう。

バーミヤンの王室は、ローマの戦士たちの後ろ盾を受けながらシルクロードの交易の富を蓄え、偉大なオアシス都市を造っていったのだ。
05564.png

ナディアとタージーはバーミヤンで西暦5百年頃の仏陀の像を掃除していた。
05565.png
紀元前3世紀のアレキサンダー大王の遠征後、この地でアレキサンダー軍の子孫と仏陀の教えが出会った。
05566.png
ギリシャ文明の影響を受けたヘレニズム文化が生まれ、初めはストゥーパ、足跡、菩提樹などでシンボル化されていた仏陀が、人間の姿になって残されることになった。
髪の雰囲気、高い鼻、小さな口、はギリシャ風だ。仏陀の顔はアポロンに似ている。
05567.png
これらの仏陀像は今年の博士の発見の主な物だ。そろそろ帰国しなければならない。
05568.png
しかし、涅槃仏については何の発見もないままだ。

娘がアメリカの家に帰る日になった。
「今年は涅槃仏を見つけられないかも知れないが、父が落胆してないのは嬉しいことだ。」
05569.png
年老いたタージーはバーミヤンに残った。すると、驚くべき物が見つかった。
発掘場所から赤く塗られた土が出現したのだ。2平方mくらいある。
05570.png
「ひょっとすると涅槃仏の足の部分かもしれない!」
発掘を続けるべきか、予定通りフランスに帰り、今年のレポートをまとめるべきか。
05571.png
「これは素晴らしい発見だ。しかし今年の発掘作業の終わりの時期に見つかったというのは残念だ。
修道院と思われる遺跡の西の端(はし)で見つかったので足の可能性がある。」
05572.png
仏教の言い伝えによれば、涅槃の仏陀の頭は東で足は西だったのだから。

アフガン・シネマ館では昔失われていたフィルムが上演されていた。見ているのはこの記録の保存に成功した面々だ。全てが破壊された今となっては昔のフィルムは貴重な記録だ。
05573.png
タリバンがこの映画記録館にきてフィルムを焼くよう指示した時、我々は狼狽えた、どうしよう!
05574.png
タリバンは言った。「少しでもフィルムが残っていたら、我々はここにいる全員を捉え、フィルムと一緒に燃してしまうぞ!」

「しかし我々は一計を講じた。フィルムは提出し、ネガを隠すのだ。
タリバンはフィルムを燃やした、我々の目の前で。大切な友が目の前で殺されるかのようだった。」
05575.png
しかし、ネガがあれば再生できることを彼等は知っていなかった。

「どこにネガを隠したらよいのか?答えは単純だった。建物の一番奥の部屋に詰め込めるだけのネガを詰め込んでからドアを漆喰で埋めて隠した。この部屋だ。タリバン警察は何度も来たが、この前は通り過ぎた。」
05576.png
タリバンが権力から失墜した後でネガからアーカイブが再生された。
ネガを隠し続けたヒーローたちが集まってくれた。
05577.png
「文化が無い国は歴史が無い国とも言える。だから我々は文化を守ったのだ。みんな、タリバン時代のIDカードを持っている。この時、文化を守ったことを記憶しておくために。」

大統領宮殿でも文化が再生しようとしていた。6つの金庫から見つかった宝物をカタログと照合していった。
05578.png
05579.png

これは王女の冠だ、この像は王女の胸の上に置かれていた。
05580.png
像はギリシャ風でもあるが南インドの雰囲気もある。アフガンはシルクロードで運ばれた文化の融合点だったのだ。

宝物の確認を終えたサリアディーディ博士はもう疑いを持っていなかった。
「今日は私にとって素晴らしい日になった。1978年に私が発掘したバクトリアン・ゴールドに再会できたのだから。」
05581.png
彼の素晴らしい貢献は失われていなかった!

バーミヤンではサージー博士はサイトを埋めるよう指示していた。
05582.png
「仏陀は数m下に眠っているかもしれない。発掘を続けられないのは残念だが、急いで進めて貴重な遺跡を破壊してしまう訳にはいかない。300mの仏陀を見つけたいという私の夢は来年実現する可能性もあるのだから。」

タリバン政権が消えてアフガンの瓦解は止まり、将来に向けた復興が始まっている。
05583.png
破損した石像の修復や絵画の展示施設の建設も進んでいる。
カブール大学では芸術家を目指す女性も技術の習得に励んでいる。
05584.png
明日への希望をみんなで繋なごうとしている。
05585.png
(完)
後日談です。
2008年9月付けのネット記事によれば、タージー博士はこのフィルムが撮影された2003年以降も発掘を続け、涅槃仏を発見しました。長さは18mで、その写真が掲載されていないことから、恐らく、形はかなり崩れているのではないかと思います。博士は「今後も300mの涅槃仏の発見を目指す!」とのことです。
一方、BBCネット記事によれば18mの発見を次のように報じています。
「アフガンのインディージョーンズが失われていたバーミヤン像を発見」
  05586.png
インディージョーンズというのはタージー博士のことで、上の写真にも写っています。ひょっとしてこの写真に写っているのが涅槃仏かも!

三蔵玄奘が記した大唐西域記の涅槃仏に関する記事情報を中国ウェブで見つけたのでご紹介します。
意味は漢字からご自身で推察下さい。中国語は、英語と同じSVOC構造で、漢字ですから、単語の意味は何となく理解できるのではないかと思います。
<第三尊大佛之謎>
《大唐西域记》关于睡佛,迄今有力的文献考证是公元7世纪中国唐朝和尚玄奘西行时的游记。记述梵衍那国(注1)一段中提及“城东二三里伽蓝中有佛入涅盘卧像,长千余尺”,应为长300余米的卧佛形象。
游记表明,睡佛就在两尊立佛之间(注2),长为900英尺,是180英尺的最大立佛的5倍。其躺卧的位置,稍微偏向小立佛所在的一端

中国唐代高僧玄奘从西域来印度取经时,曾经在巴米扬(注3)逗留过一段时间。他在《大唐西域记》卷一《梵衍那国》里写道:“……伽蓝数十所,僧徒数千人,宗学小乘说出世部。王城东北山阿有立佛石像,高百四五十尺,金色光耀,宝饰焕烂。东有伽蓝,此国先王之所建也。伽蓝东有石释迎佛立像,高百余尺,分身别铸,总合成立。”
注1:梵衍那国 サンスクリット語でラーマヤーナの国、つまりインドです。
注2:睡佛就在两尊立佛之间 眠り仏は二つの尊い立ち仏の間に在った。
注3:巴米扬 バーミヤン
NatGeo: Lost Treasures of Afghanistan

https://www.youtube.com/watch?v=Qi1N9JYEKJg
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する