Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ペルセポリスの不思議

今回はペルシャ帝国で最も偉大だった都市ペルセポリスについてご紹介しましょう。
イランの世界遺産の一つです。
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五芒星の公園は最近のもので今回のブログとは関係ありません。
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それではYoutube「蘇(よみがえ)ったペルセポリス」Persepolis Recreated(製作2004年)を軸に, Wiki, Google-Earthの情報も追加してお送りします。
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最盛期には「太陽の下で最も豊かな都」と呼ばれたペルシャ帝国の首都ペルセポリス。造られたのは今から25百年前だ。
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アレキサンダー大王率いるマケドニア軍に焼き尽くされ、その後の地震や大きな寒暖差による風化で昔の面影が消えてしまった都は、今では古代の遺跡となって静かに時を刻んでいる。
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しかし今、考古学的発見を基に作られたCG技術で蘇ろうとしている。
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アケメネス朝ペルシャ(紀元前550年 – 同330年)は古代の重要な文明の一つだ。
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アレキサンダー大王誕生より2世紀前、ペルシャは歴史上でも最も広大な帝国だった。
ペルシャ人はインド・ヨーロッパ系民族だ。イラン台地に移り住んだ。
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紀元前550年、大王サイラス(Cyrus:キュロス2世)は世界でも類を見たことがないユニークな帝国を打ち建てた。異なる民族、文化、宗教にも寛大な国家、アケメネス朝ペルシャ帝国だ。
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バビロン(現イラク、ユーフラテス下流にあった古代の都市)では奴隷を解放し、その経典に救世主と記された。
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ギリシャ人旅行家は「賢く寛大な王」と記録に残した。

首都ペルセポリスから40km北東のパサルガーデにはサイラスの墓と庭園跡がある。
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サイラスは庭園をこよなく愛したことで有名だ。
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彼の庭園は「パラダイサ」、つまり生命が光を浴びて空中を舞う所(Life flies with the essence of light)と呼ばれた。
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これが「パラダイス(楽園)」の語源だ。

サイラスの後、大王ダリアスが引き継ぐとアケメネス朝ペルシャ帝国は最盛期を迎えた。
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帝国の版図はインド、リビア、東ヨーロッパ、ロシアまで広がった。
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28の国家が「王の中の王」にかしずいた。ペルセポリスのレリーフにもこれが窺(うかが)える。
玉座に座る大王を、下の28人の貴人が支えている。
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帝国は巨大だった。そのため首都は4つ設けられていた。
バビロン、スーサ、エクバターナ。
そして最も美しいパールサ(Persiaペルシャ)。リシャ人がペルセポリスと呼んだ都だ。
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(下はCGで当時を再現したもの)
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アレキサンダー大王が歴史記録家を引き連れて来た時、この都は「太陽の下で最も豊かな都市」だった。
紀元前580年に竣工された。大きな石で組み上げられた高さ14mのプラットフォーム。
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その上の2万5千平方m(500mx500m)の台地に王宮は造られていた。
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ペルシャ帝国の手がかりは壁や柱に刻まれたレリーフの随所に残されている。
階段の側壁のレリーフには、最も素晴らしい贈り物を王に捧げるために都を訪れた多くの民族が描かれている。
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新年の祝賀でペルセポリスにやってきたのだ。ラピスラズリの器、動物・・・
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綿の布を献上しにバビロンから来た貴人だ。
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リビアからは家畜を連れてやってきた。
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幸運にも同じ図案のレリーフや献上品の実物が各地に残っているのでそうだと判る。
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ペルセポリスで見つかった財宝の多くは大英博物館に、残りはロシアの美術館などで展示されている。
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カラフルな絨毯はペルシャの特産品だ。ペルセポリスの王宮にも使われていた。
現代でもイランの重要な特産品で、5千㎡の世界最大の絨毯も作られている。
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勿論、バザールに行けばレギュラーサイズの絨毯も沢山売られている。田舎では全くの手織りで絨毯が織られている。
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新年のシンボルは牛に襲い掛かるライオンだった。各国から祝賀で貴人が訪れて来た。
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王は手に花を持って貴人を迎えた。
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各国の貴人が一人の王に忠誠を尽くすことを示す場所、それがペルセポリスだった。

訪れた貴人は、まず最初に高さ14mのテラスに向き合い、階段を登る。
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2匹の牛が待ち構える入口を入る時「ペルシャ帝国の心臓部に入っていく!」と感じていた。
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各地からの代表者はこの部屋に集まった。
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大きな扉を出て次の建物に移動する。
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次に待っているのは「100の柱の広間」と呼ばれる建物だ。
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そこを抜けるとアカダマと呼ばれる「謁見の間」の建物が待ち構えていた。
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訪問者は入口の、高さ20mの柱の大きさに強烈な印象を受ける。心臓の動悸は高まっていく。
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巨大なドアが開くと王が待つ部屋だ。天井までの高さは18mだ。
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床には色彩豊富なカーペットが敷き詰められ、天井は豪華な装飾で満ちていた。
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そして一番奥の玉座に王がいた。
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アカダマの建物を彩っていた壁の一部が今でも残っている。
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柱の上で天井の梁を支えるのは2つの頭をもつライオンだ。
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ダリアスの命(めい)に従うものは祝福を受け繁栄を享受することが出来た。

ダリアスはナイルから紅海へ続く運河を造った。
「我は命じた。エジプトを流れるナイルという川からパールサ(ペルシャ)の海につながる運河を造れと!」I gave a order to dig this canal from the river by named Nile which flows in Egypt to the sea which goes from Persia.
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ペルセポリスとエーゲ海に面した町サーディスSardisを繋(つな)ぐ2600kmのハイウエイも造った。「王の道」と呼ばれたこの道は、旅人、商人、軍隊の移動だけでなく、郵便の走りとなった通信道路としても使われた。
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郵便士は途中の駅で馬を乗り換えて走り繋いだので、短期間で書類を届けることができた。
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標準化された重量計量システムが導入されていた。硬貨も使われていた。
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しかし彼らの最大の創作成果は帝国そのものだろう。
帝国はあらゆる民族と文化を寛容した。単に認めるだけでなく、その繁栄を促しもした。
ゾロアスター教が今も発祥の地ペルシャに残っているのは寛容な精神が続いている証だ。エジプトやバビロニアでも彼らの文化と宗教を認めた。奴隷の解放もおこなった。
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歴史上初めて人間が造った国際的な自由思想の国家だったのだ。
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レリーフにもそれが現されている。各国の貴人が互いに肩に手を置いたり手を握ったりして談笑している。
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貴人たちは手に手に、新年を祝う花や丸い林檎や玉子などを持って集まっていた。
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しかし紀元前330年、進軍してきたアレキサンダー大王は、建物に放火して町を破壊し尽くしたのだ。跡地から布の燃えカスが見つかっている。
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セラミックのタブレットも沢山見つかった。楔形文字で当時の様子が記されている。
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「彫刻をした大工は23グラムの銀の褒美を手にした。」
「女の監督に男の作業者の2倍の報酬を与えた。」
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これらの記録はペルセポリスの労働者が奴隷ではなかった証(あかし)だ。技術や成果に応じて適切な報奨を与えていたのだ。
滑車も見つかった。建築工事で使われたのだろう。
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ダリアスの王宮も見事な建物だった。
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ハビーシと呼ばれた王の個人的な王宮も素晴らしかった。権威の象徴でもあった。実はここにアレキサンダー大王は放火した!だから他の建物よりも完全に破壊されている。床すら炭になるほどだ。
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ハビーシの南には女王のパレスがあった。1930年、一部が再建され、今はペルセポリス博物館として遺品などを展示している。
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ペルセポリスで最も大きい建物は「100の柱の広間」だ。
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ここがその中央通路だ。黒塗りの大理石の柱が並んでいた。
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2つの牛の頭の枕で天井を支える100本の柱の広間は4600㎡の広さだった。
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帝国を支える軍隊の指揮官100人が一堂に会し、中央通路の左右に50人づつ整列して王への忠誠を誓った。広間の入り口の左右の柱にそのレリーフが残っている。
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ペルセポリスは帝国の重要な儀式が行われる場所だったのだ。
大王サイラスは言っている「私は、この地に、適切で、安全で、壮麗な王宮を創造しよう。」
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しかしペルセポリスの栄光は2世紀しか続かなかった。
紀元前330年、アレキサンダー大王とマケドニアの軍隊がやってきた。アレキサンダーはペルセポリスの意味を、重大さをよく知っていた。
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彼等がペルセポリスに来た時、他の町は既に陥落し、国の防衛能力は喪失していた。それでも彼らは町を焼き尽くし王宮を破壊したのだ。

こうして、最も豊かな都市は完全に消滅してしまうことになったのだ。
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(完)
Persepolis Recreated (English)
https://www.youtube.com/watch?v=aYlzEU8-GpM
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