Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ムスタン(Mustang)の不思議

皆さんは「Mustang(ムスタン)」と聞くと何を思い浮かべますか?

私の場合、まず思いついたのは自動車の名でした。ネットで「ムスタング」で検索すると「スタング(Mustang )とは、米国の自動車メーカー、フォード・モーターが製造販売する乗用車。かつて日本では「スタング」とも表記された。」とあります。
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しかしWiki「ムスタング」で検索しても次の記事しか見つかりません!
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つまり、自動車「ムスタング」は、独立精神に富んだ馬に準(なぞら)えて付けられたネーミングだと思われます。

しかし、今回のブログで皆さんにご紹介したいMustangは馬や自動車ではありません。中国との国境にあるチベットの小さな地域、ムスタン王国Mustang Kingdomです。20世紀中頃、中国はチベットを一方的に併合しましたが、1350年に建国されたMustangは昔から独立国でチベットとは異なる国でしたので中国に吸収されず、今はネパールの自治領です。

Wiki「ムスタン王国」
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調べると、1992年秋にNHKが放映した2回シリーズのドキュメンタリー番組『奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン』で紹介されているので、以下のブログを見ると「そういえば・・・」と記憶を新たにされる方もいらっしゃるかもしれません。

今回はmhがYoutubeフィルムで入手した情報を中心にムスタン王国をご紹介します。
フィルムは2003年に公開されています。

Wiki「ムスタン王国」続き
ネパールとチベットの国境、ネパール中西部、ダウラギリ地方の北部、ガンダキ川の上流に位置する。南北約81km、東西約64km、面積3,640平方km。ほぼ奈良県と同じ広さである。チベット高原や中央アジアとインド平原を結ぶ回廊にあたるため重要な地点である。
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長い間、外国人立ち入り禁止だったために「禁断の王国」とも称される。首都はローマンタン(Lo-Manthang)。人口約9,000人で、住民はチベット人のロッパ族(チベット語で「南の人」の意味)である。そのため、王国はロ王国(Kingdom of Lo)とも言う。言語はチベット語。宗教は、チベット仏教を信仰するなど、チベット文化の影響が大きく、長い間鎖国されていた為、チベットの伝統や文化が破壊されずに原型をとどめている。特に1951年、チベットが中国の軍事侵略を受け併合され中国化されると、ムスタンは「チベットの外のチベット」「古き良きチベット」として知られる。
(Wiki完)

王国はヒマラヤ山脈の中央辺りに位置し、タクラマカン砂漠の南を通るシルクロード「西域南道(漠南道)」とインドを結ぶ、物流・仏教伝道の「街道」が通っています。この街道は「塩の道」とも呼ばれていたようです。中国・雲南省とミャンマーやラオスを繋いだ「茶葉街道」のお茶の葉のように、「塩の道」を伝って岩塩がチベットからムスタン側に、ムスタン側からはインドの雑多な商品がチベットに運ばれて交流が行われていました。
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下の写真でも推察できるように、ムスタン王国の王都ローマンタン(写真中央)は東西をヒマラヤ山脈で挟まれた峡谷の中にあり標高3850mです。
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1992年までネパール人以外の人間が訪れることは原則として禁止されていたので、5百年前の生活様式が守られていたのですが、今は首都ローマンタンには外国人向けのホテルやセブンイレブンのようなスーパーが並ぶ「目抜き通り」も出来ているようです。一度、文化的な生活を味わうと、その暮らしやすさを忘れ去ることは難しいのでしょう。
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チベット仏教同様、ネパールの仏教でもマニ車は重要な仏具です。
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最近は自動車のダッシュボードに置いて使う太陽電池型マニ車もネパールやブータンで流行っています。
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ネパールと言うと首都カトマンズーの仏教寺院らしき建物が頭に浮かんで、国民の90%以上は仏教徒だろう、と思っていましたが、Wiki「ネパール」で確認すると仏教徒はたったの11%なんですねぇ!
ヒンドゥー教徒 80.6%, 仏教徒 10.7%, イスラム教徒 4.2%, キラント教徒 3.6%, その他 0.9%(2001年国勢調査)で、「ヒンドゥー教は国教ではなくなった。」というコメントも記されていました。インドに隣接していますから、インドの主要宗教ヒンドゥー教によって仏教は押しやられてしまったのでしょう。首都カトマンズ―の寺院もヒンドゥ寺院が多いのです!
しかし、ムスタン王国では仏教が主体です。
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王都ローマンタンの概要です。赤い線はインド側から辿(たど)ったルートです。
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次の衛星写真(Google Earth)でも判るように、豹(ひょう!)の爪でひっかいたような南北に走る峡谷がヒマラヤ山脈を東西に分断しています。その峡谷にムスタン王国はあるのです。
(mh;豹(ひょう)の爪と言いましたが、実はこの辺りには雪豹が今でも出没しています。映像が消えてしまったので申し訳ありませんが今回は省略させて頂きました。)
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この峡谷を伝って、チベットが中国に占領された数年後の1959年、ダライラマ14世はインドに逃(のが)れました!
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ムスタン王国を流れるガンダキ川は一部で渓谷を形成しています。
下の写真の渓谷は幅20m位で深さ70m以上あるでしょうか。下を行く馬に乗った2人の姿は小さな点のように見えます。
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ヨルダンの世界遺産ペトラ(岩の意)のシーク(渓谷)を髣髴(ほうふつ)とさせる多様な色彩文様の岩壁があちらこちらで見受けられます。
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この文様は町の道路に沿った石組みの塀にも現れています。
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しかし、この王国が外国に知れ渡るきっかけは、ガンダキ川上流の岩壁に掘られた洞窟の存在ではないでしょうか。
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上の写真に、岩壁を登る、赤い服を着た探検家が写っていますが判りますか?

岩壁に開(あ)いた窓から中に入ると、通路で繋がった小部屋群があります。
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洞窟の内部のCG映像です。
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小部屋は竪穴で結ばれていて2~10階建てになっています。
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ある階には15の部屋も見つかりました。
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そして、通常、最上階にはお祈りの部屋があります。

次は雪原に浮かぶ軍艦のような岩山の写真です。中腹より少し上に窓のような洞窟群が見えますが、お墓です。12,13世紀頃に造られました。
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実は、岩壁が崩れたので穴が見えることになったのですが、崩れる前は完全に岩の中に埋もれていました。従って、岩壁が崩れなかったら、洞窟があることには誰も気づかなかっただろうと思います。

下の左の図は、岩壁の一部が崩れて穴が見えた状況を、右の図は、岩山の上から縦に垂直に掘られた穴の下に、洞窟、この場合は墓室、が掘られていた状況を解説する図です。
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上から掘られた竪穴は埋められていましたから、この墓の発見は偶然と言えるでしょう。
岩壁が崩れて見え出した穴に上から垂らしたロープを伝い入ってみたら、天井に竪穴らしきものがあることに気づいた、という経過を辿(たど)ったのではないでしょうか。

見つかった墓穴のCG図です。箱のような棺(ひつぎ)の外面の上半分には赤い絵の具で馬に乗る男、下半分には白や黒の絵の具で木の絵が描かれていて、中には金の仮面で顔を覆(おお)われた遺体がありました。
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豪族の墓だったのでしょう。棺の前の床には生贄(いけにえ)の動物の骨、小麦粉が載った皿、ビールが入っていたと思われる壺、がありました。不思議なのは10歳くらいの子供の骨もあったことで、その理由は不明です。

次の2つはヒマラヤ山脈というかカラコルム山脈の南側のインド北西部で見つかった純金のマスクです。
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同じようなマスクはヒマラヤ山脈の北にあるタクラマカン砂漠から更に遠くのカザフスタンに到る地域でも見つかっています。

貴金属のマスクを死者に被(かぶ)し埋葬する風習は、ウズベキスタン・カザフスタンなどの中央アジアから南のインドや東のチベット、ネパールに伝わったのではないかと推定されています。

パキスタンのビーズ(1)やイランのビーズ(7~11)も墓から見つかりました。
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中国産のシルクと、チベットでも見つかる青銅の皿状の品(鏡?)も見つかりました。
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これらの品々を見ると、ムスタンの人々や文化がヒマラヤ山脈の北または南のいずれから来たのか一概には言えず、北と南の民族と文化がこの地で交わって王国が形成されたと考えられます。
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ムスタンの人々は仏教徒です。
おばあさんが釈迦像の前で熱心にお祈りしています。水を注(そそ)いでいるお盆は頭蓋骨の頭頂部を切り取って造ったもので、縁に蝋燭が立っています。
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お祈りと共に楽器を奏でる風習はチベット仏教と同じです。
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次はムスタン王国初期の12世紀に出来た村の写真で、背景の岩壁には洞窟が見えます。
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「どんな方法であの洞窟にいくの?」と村人に聞くと「勿論、下から登るのさ。」と笑って応えてくれました。
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ムスタンを訪れたある国の探検隊。今回が2回目です。河原から垂直に立ち上がる岩壁の登頂を始める(下左)と、村人が集まってきてイチャモンを付け始めます(下右)。
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「盗掘に来たのか?我々の許可なく洞窟に入るのは困る!」

探検隊はネパール政府の許可を受けていたのですが、それを説明しても村人は納得しません!
いろいろ話してみると、彼らは結局、お金を欲しかったのです。
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議論の末、中の様子を撮影するだけ、との条件で僅かなお金を渡し、再度岩壁を登って洞窟の中を覗(のぞ)いてみたら何もありません!撮影した写真を村人に見せると、冷笑してから村に戻っていきました。

探検隊は、最初に村人の要求を聞いた時、一方的な主張に驚いていますが、冷静に考えれば、彼らの許可を得ずに外国人が勝手に、彼らの土地で、彼らの祖先が造った洞窟を探検するというのも問題があります。金のマスクなど貴重な宝が見つかり、探検隊が内緒で持ち去ってしまう可能性だってあるわけですから。

探検隊のメンバーも言っていました。「外国人が神聖な洞窟を勝手に見たりすることは制約されるべきだろう。しかし、神聖な物と世俗的な物の違いは何によって決まるのだろうか?お金か?」

岩山の岩壁に掘られた修道院群
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その中には仏教の教本や壁画が残っていました、数年前に探検した時のままです!
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壁画の現状(上)とCG修正(下)
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米国の専門家グループが王都ローマンタンの修道院を無償修復しようと訪れました。この提案を受け入れるべきか?国王は住民を修道院に集めて議論します。
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結局、提案を受け入れることになったので、修復チームは、まず天井を修理して雨漏りを防ぐことにしました。それが済むと内部の壁画に使われている顔料を調べて類似の絵具を製作し、カビ取り用の資材を準備し、足場を組んで、住民にも修復技術を指導しながら作業を進めます。
修復に数年を費やし、今、やっと一段落しました。

作業の足場を解体し、修復に携(たずさ)わった全員で記念撮影です。
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壁画の修復前と修復後の映像です。
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しかし、壁画の一部には絵を引き裂いたような白い傷が残こされることになりました。そこは原画が剥げ落ちてしまった部分で、原画の芸術性を尊重する立場から修復チームが手を付けるわけにはいかない、という欧米の発想によるものでした。
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修復祝賀式に出席して修復された壁画を見たムスタン国王は言います。
「よく出来ている。しかし不十分だ!白い傷の部分も昔のような状態に修復されるべきだ。」
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「ムスタンの人々には壁画は芸術ではなく信仰対象だ。傷が残っていては人々は心の安寧を得られない。」
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しかし、壁画には、左右が完全にずれていて原画を生かした修復が出来ない箇所もありました。
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壁画が一部だけ落ちてしまっただけの所は、後日再修正や復元ができるよう、水性絵の具を使って白い部分を埋めることにしました、ムスタンの人々が望むのだから。
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しかし、剥離面積が大きくて原画そのものが不明な部分は、後日除去できる水性絵の具を使って想像線を描くのが妥協限界だ!と伝えました。
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ムスタンの人々はこの妥協案に満足しません。修復祝賀に集まった僧たちも同じ意見でした。
「芸術ではない。信仰対象なんだ!だから完璧でなければだめだ!」
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これ以上、外部の人間が修復を進めるのは無理だ!と判断した外国人の修復チームは、白い部分をどう修復するか、誰にその修復を頼むか、はムスタンの人々に委ねて帰国しました。
その後、ムスタンの人々がどう対応したのか?は情報もなく判りません。出来るのなら私(mh)がムスタンを訪れて自分の眼で確認したいところです。

ムスタン王国では移動手段として昔も今も馬が使われています。しかし時代の波は、ネパールの奥地にも押し寄せます。道路工事が始まりました。
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レンガや石を組み上げて造られた修道院の壁は、道路を通るトラックの振動で破損する可能性も危惧されます。しかし、外部の人間ができることは現時点ではここまででしょう。あとはムスタンの人々に委ねるしかありません。

修復祝賀法要で僧侶や関係者が修道院に集まりました。中国によるチベット占領以来、この修道院で行われる半世紀ぶりの法要です。
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タルチョー(下段Wiki参照)に祈祷文を印刷し、ヒマラヤを吹き渡る風に靡(なび)かせて修道院復活を祝いました。
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(完)
Wiki「タルチョー」
タルチョー(チベット語:དར་ལྕོག་ dar lcog)はチベットの五色の祈祷旗である。寺院や峠、端に見られる。五色の順番は青・白・赤・緑・黄の順に決まっており、それぞれが天・風・火・水・地すなわち五大を表現する。タルチョ、タルチョク、マニ旗、ルンタ(རླུང་རཏ་ rlung rta)すなわち風馬旗とも言う。風の馬が描かれている場合にルンタと特に呼ばれ、仏法が風に乗って拡がるよう願いが込められている。他に願い事や六字大明呪、四神(虎、麒麟、鳳凰、龍)などが描かれている場合もある。経文が書かれている場合は風に靡くたびに読経したことになる。
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