Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ヒマラヤの高楼の不思議

今回は「ヒマラヤ地方の秘密の塔Secret Towers Of The Himalayas」からヒマラヤの高楼の不思議をご紹介しましょう。

レポーターはフランス人女性フレデリック・ダーラゴンFrederique Darragonです。彼女は中国の四川省/チベット自治区を何度も訪れて塔の調査をしています。勿論、中国語はペラペラです。今回ご紹介するフィルムや、これと同じ題名の本も出版し、得られた利益を成都・四川大学のユニコーン遺産協会に寄付するとともに、塔を世界自然遺産に登録しようと活動中です。

中国では碉楼/望楼と一般的に呼ばれているようです。以下にネットやGoogle-Earthで見つけた、鮮明な映像を挙げておきましょう。
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では、いよいよフィルム「ヒマラヤ地方の秘密の塔Secret Towers Of The Himalayas」の始まりです。
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中国のヒマラヤ地方には、どことも知れないような場所にポツンと立つ高楼が散在している。しかし、その由来を知る人はいない!
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高楼は四川省(しせんしょう)のCHENDU(チェンドゥ成都)からチベット自治区のLHASA(ラサ拉薩)の間、約1千Kmの地域の谷間の町に見つかっている。よく知られているのはQiangチャン, rGyalronジァロン, Miniakミニアック, Kongpoコンポ(工布)の高楼だろう。
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mh:
Qiangというのは羌(きょう:Qiāngチァン)だと思われます。ネット情報「紀元前1世紀の西域諸国」によればタクラマカン砂漠の南東、つまり現在のチベット自治区辺りにあった国で、現在も少数民族の「チャン族」が暮らす一帯です。
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1998年、初めて高楼を見た。その後少なくとも7百の塔を確認している。何度も足を運んで今回の訪問は6回目だ。
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まずは成都の近くの村を訪れてみよう。車が通る道ができたばかりの所もある。雨が降ると土砂崩れや洪水で不通になるのは日常茶飯だ。
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塔が造られた時代、この辺りでは文字は使われていなかった。従って記録がなく、いつ、何のために建てられたのか明確ではない。ある人によると、この塔はかなり前の地震で上の方が崩れたという。
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この塔では木材が見つからなかったのでカーボンデイティングが出来ない。従っていつ頃のものか判らない。
住民の祖先は3千年前ここに住み着いた。9世紀にはチァン(羌)王国が在った。チベットと呼ばれるようになる前の国だ。

村で一番物知りだ、という長老に訊いてみた。
「塔は何のために使われたの?」
「戦(いくさ)のためさ。」
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「敵が攻めてくるのが見えたら、逃げ込んだんだ。そうすりゃぁ身を守るのが楽だからね。」

奥方が言う「山の中腹の塔に行ってみたら?」
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言われるままに訪れてみたが、度重なる地震で塔や建物は崩れ、由来を教えてくれる人も住んでいない。半年後に訪れたら完全に壊れていた、ということも経験している。

村では顔なじみになっていた人達と麻雀を楽しんだ。明日はまた塔を探して旅に出る。
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塔のある村がまたあった。架台の一部に木が使われている。建築当時の木材だ!小片を持ち帰ってカーボンデイティングすれば塔が造られた年代が判る。
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昔、この辺りは何度も外部から軍隊が侵略してきたという。だから、こんなに沢山の塔が造られたのだろうか?
しかし、見張りの塔だとすれば、こんなにも密集して造る必要はないと思うが・・・
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それに石の厚い壁で造られて複雑な外形をしている。何故だろう?
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地震が多い地域なので頑丈にする必要があったからこんな形になった、と言う人もいる。
村はほぼ自給自足している。
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ほとんどの家が農家で、こんな急峻な斜面にも拘わらず色々な種類の食物を栽培している。ここの住民は、少なくとも今は仏教徒ではない。祖先の霊だという木々、朝靄(あさもや)、白い羊、白いサルなどが信仰対象だ。

聞けば、中国の皇帝軍に打ち負かされて以降、お上(かみ)の命令で50ft(15m)より高い塔は造れなくなったらしい。

塔について調べるためには塔のある町に行かねばならないが、これが結構難題だ。住民の関心が少なく、どこの村にどんな塔があるのか、よく知っていないのだ。
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塔に関する地図や映画も作られていないようで、正確な情報は驚くほど少ない。

次の目的地rGyalronジァロンに行くことにした。沢山の塔があることは既に判っている。
途中の村でまた塔に出会った。この2つの塔の高さは50ft(15m)以上ある!
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チベットの伝説によれば美しい女は塔に住んでいたという。それが塔の由来か?
この塔では入口は比較的低い所にあるので入り易い。
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梯子(はしご)階段がプラットフォームのような床を繋いでいる。
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壁は厚く、その分、中の空間は狭い。断面は8つの頂点をもつ星型だ。天井は壊れて草が生えている。
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ビーコン(のろしだい:狼煙台)だという説もある。としたら、塔の近くにまた別の塔を建てる必要はないだろう。高台の塔では入り口は3階建ての建物と同じ高さの位置に造られている!
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入るには長い梯子(はしご)が必要だ。
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高台の下にある塔にも行ってみた。塔の入り口の木枠はカーボンデイティングから50年前のものと判明したが、塔内部の木材は13世紀のものだった。つまり時々修理されていた、ということだ。
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塔が造られた13世紀、人々はどんな暮らしをしていたのだろう?ジンギスカン(成吉思汗)の軍隊も来ていることは判っている、多分、この村にも。
7百年も立ち続けているのだから、時代時代で異なる用途に使われたと考えて好いかも知れない。人々の生活様式も変化してきただろうから。今、住民は漢語を話すが、7世紀前はどんな言葉を使っていたのか・・・
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川に沿って車で移動してゆくと、また塔が現れて来た。星型だ。
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更に車で移動し、今日の目的地rGyalronジァロンに着いた。雨上がりで虹がかかっている。手前の斜面には10個ほどの塔が立っている。
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谷の向うにも5個ほど見えている。
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この一帯には集落はなく、それぞれの家は離れて建てられている。その家の近くに塔が立っている。いずれも急斜面で、中には高さ160ft(48m)の塔もある。

13世紀前、この地には豊かな王国があったという伝説がある。とすると塔は村やその家の富を表し、サイロのように穀物の保管に使われていた可能性もある。しかし、あんな高い所に入り口があるのはどう訳だ!判らない!
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高地だが温暖なこの村は「西の女王の暖かい谷間」と呼ばれ、穀物は豊富に採れる。主な産物はトウモロコシと小麦だ。
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しかし、収穫物は家の倉庫に保管され、塔が使われることはない。
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昔、個々の家が豊かで、一人の王に頼ることなく自分たちで自主防衛しようとして塔を造ったのだろうか??そうだとしても、住居は違う。脆(もろ)くて敵が攻めてきたら直ぐ壊されてしまいそうだ。

この塔には仏教では「風」を示すマークが白く描かれている!宗教目的か?まだ使われているかも!
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しかし、中には何もなかった。最近、誰かが住んでいた形跡もない。木材を使った古い梁のカーボンデイティングから630年前の塔だと判った。丁度その時期、この辺りでは、石組みの建物を強固にするためモルタル(漆喰)が使われ始めていた。この塔にもその特徴が残っている。

住居から離れた場所に立っている塔も多い。となるとサイロや自衛目的で造ったわけでもなさそうだ。
モンゴルが支配する中国(元)と交易し、豊かになることを願って建てられた、という伝承もあるらしい。
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しかし、別の村では、息子の誕生を祝って造られた、という言い伝えがある。生まれた年に基礎が造られ、その後、誕生日ごとに各層を積み上げていったという。
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多分地震が少ないのだろう、多くの塔の断面は星型ではなく正方形だ。所有者がいない塔も多いという。クライミングを楽しむには都合がいい。
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こんな様子だから普段、人は近づかない。木片からは790年前の塔だとわかった。

ある家に招待された。台所に飾られた卍(まんじsvastika スヴァスティカ)の印は仏教で永遠・吉祥を表す。丁度収穫を祝う祭りがあって、広場では踊りが行われていた。11世紀に仏教が親しまれるようになってからずっと続いているという。
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この辺りだけでも昔は260の塔があった。今でも約70が立っている。

更に南国のMiniakミニアックを目指して移動する。山の中腹にはぽつんと塔が立っているが、山裾(やますそ)などには低い四角の塔もある。この塔では左右に塔の高さの半分ほどの建物が隣接している。
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向うの崖の上には三つの塔がある。そのひとつは頂点が13個もある星型だ!塔の途中に見える白い石は幸運のシンボルだ。
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伝承によれば、13個の頂点をもつ華麗な星形のデザインは、チベットの女がBoard of Strings(弦楽器?)で地面に描いたものだ。見ていた王はその姿に魅せられ、膝まずいて結婚を申し出たという。

この辺りの人達はモンゴル来襲で滅(ほろ)んだ国の末裔でヤクの皮のテントに住み、放牧生活をしている。
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彼等の祖先も文字は持っていなかった。そのような人々が、何百年も前、地震でも崩れない塔を建てる技術を持っていたとは不思議だ。

次の村を訪れた。広々とした畑がある。豊かそうだ。塔もあった、丘の上に!
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双子の塔が立っている。造られた時のままのような美しさだ。
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この塔は1880年まで外国人が見ることは無かった。
近くの畑では若い娘が一人で野良仕事をしている。
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元気だ。明るくて幸せそうだ。
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2つの塔は、切り取った石のように平で、モルタルはほとんど使わず組み上げられている。2つとも完全に対称形で寸法も同じだ!カーボンデイティングによると850年前のものだった。
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塔への入口は比較的低い位置にあった。中に入ってみる。
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明かり採りの窓の周りに何か置かれている。これは葬式で使われるものだ。
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粘土で、時には死者の灰も混ぜて造られているらしい。

とすると宗教的な目的で塔が造られたのだろうか?この地方では鳥葬の伝統がある。
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最後には頭蓋骨も粉々に砕いて鳥に与える。何も残らない!魂は鳥と共に天国に上っていくのだ。

近くの修道院を訪れてみた。塔について何か判るかもしれない。
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経典に670年前から鳥葬が行われていたことが記されていたが、塔に関する記事はない。

塔については更に不可思議な事実がある。ここから400マイル(7百km)も離れた、四川省の隣のチベット自治区の町コンポ(Kongpo工布)でも見つかっているのだ!そこは高地にもかかわらず高木があり、サルが生息していて、サルの毛皮でできた服はエレガントだと思われているようだ。
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1935年には200以上の塔があったが今では12しか残っていない。
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そのほとんどが廃墟だ。使われている石は小さくモルタルの量は多い。

窓は小さ過ぎて使うことは出来ない!入口は地面に接しているので出入りは簡単だ。
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星型ではなく、90度の12個の頂点がある。10~14世紀に造られたものだ。
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一連の調査を終えてフランスに帰国し、文献調査もしてみたが、塔に関する有力な情報は見つからない。これまで判ったことを今一度整理してみると、建設は10~14世紀で、場所と人々によって形が異なり、記録は無く、塔の目的を明確に示す証拠は見つかっていない。よって答えは単純ではないと判った。
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ある場所の塔は厚い壁で防衛目的かもしれない、ある場所の塔は倉庫として使われ、富の象徴だったかもしれない、イタリアのサンジェミニアーノでも千年前に富の象徴で造られた塔があることだし・・・

mh:フィルムの最後はこのように結ばれています。
「フレデリック女史の熱意ある調査活動の結果、ヒマラヤの不思議な塔は「世界遺産に登録を検討すべきリスト」に書き加えられることになった。」
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以上がフィルムの内容です。

しかし、1千年~6百年も前に、ヒマラヤ山脈の北東で、1千kmにも渡って広がる一帯の奥深い谷間の斜面に、何のために沢山の塔が造られたのでしょう?

フレデリック女史の結論はこうでした。
「理由は明確ではない。誰もその理由を知っている者はいないし、テキストにも記載されていない。自己防衛のため、穀物保管のため、富の顕示のため、などが想定される。6百年から1千年という長い歴史があるので、造られた目的も時代や場所で様々だったのではなかろうか。」

しかし、この結論では皆さんもスッキリしないでしょう?私は不満です!もっと説得力ある理由があるはずです。

私も出来たら色々調べてみたいのですが、炬燵に当たっていながら出来ることは少なく、あれだけ熱心に現地調査したフレデリック女史ですら明確な理由を見出せなかったのですから、私なんぞに判るわけはないのです!

しかしです、このフィルムを何度か繰り返して見ているうちに閃(ひらめ)いたんですねぇ私は!到達した結論には自信があります!!!

確かに、彼女の言う通り、不思議な塔が造られた理由は場所や時代によって異なるようにも考えられます。しかし、1千年~8百年ほど前に塔が造られ始めたそもそもの切っ掛けは、必ず一つだったはずです。この場所では自己防衛、ここでは穀物保管、などという、気まぐれのようないろいろな理由が、同一時期にあちらこちらで自然発生して塔が立ち始めたなんて、そんな偶然が起きることは決してない、と断言してもよいでしょう。

とすれば、そもそも塔を建てることになった理由は何でしょう?えぇ?いつまでも御託(ごたく)を並べていないで、さっさと言え!ですって???

そういうことであればご紹介しましょう、私の結論を。
「今から1千年~6百年前に塔が建てられることになったそもそもの理由とは、我が尊敬するお釈迦様です!」

そう考えれば、フレデリック女史が投げ掛けていた全ての疑問はジグソーパズルのピースを嵌め込むように、ぴったり収まります。
1) 何故、住民は建てられた理由を知らないのか?
2) 何故、まとめて、時にはバラバラに離れて建てられたのか?
3) 何故、入口が高い所にあって出入りが大変な塔が多いのか?
4) 何故、一人で造れば何十年もかかるはずの塔が沢山あるのか?

これらの不可解な出来事は、強い信仰心をもつ昔の仏教修行僧の行動を考えれば、至極、当然のことだったのです。

ブログ「何故、仏教徒は洞窟を掘って立て籠もり、修行する習性があるのか?」にも通じるのですが、仏教徒は、実はこの塔に籠って生活し修行したのです。塔への出入りが容易である必要はありません。むしろ、外部から隔離された状態で瞑想したり読経したりすることを望んでいました。また、塔を造る作業そのものが仏に近づくための修行でしたから完成に到る必要はありません。自分が積み上げた分が自分が完成した分、とすれば十分でした。時には、別の修行僧がこれを引き継ぎ、さらに高い塔に積み上げることもあったであろうことは容易に推定できます。

このような、黙々と石を積み上げては塔を造り、その作業自体を修行とし、かつ出来た塔を修行の場所とする、という途轍(とてつ)もない熱意、これは執念と置き換えられるかも知れません、が時と共に人が変わり、徐々に薄れていったことも容易に推察できます。また、修行僧は自ら、塔の歴史などを記録することなど考えてもいませんでした。従って、当然、近年になって塔が造られることはないし記録も残っていません。時には一人離れて塔造りもしたでしょうし、師と仰ぐ修行僧の近くで弟子も塔を造り始めたこともあるはずで、塔が分散したり密集したりしているのも当たり前と言えるでしょう。

以上長々と述べた、仏教の修行僧が建てたとする建設理由の説明も、大雑把には次のように言うことが出来ます。
「そもそも、何のために造ったのか常人には判らない、造るのには想像できない程の苦労と長い年月が必要な、しかも時には人里離れた場所に、石の高楼を建てる!などという発想を持ち、かつ実行する人は、仏教の修行僧しか考えられない!」

この高楼が世界遺産に登録されることになれば、人々の関心は高まり、造られた理由も雨後の筍(たけのこ)のように現れ、なかには面白い情報もあるでしょうが、その先鞭(せんべん)としての私の見解は、きっといつか適切に評価され日の目を見るはずだ、と信じてこのブログを終わりにしましょう。

なお、鳥葬については、ショッキングな映像でしたので、詳細は控えめにしておきました。
フィルムは次でお楽しみください。鳥葬は最後の10分程です。これを見ずに終了しても塔を知る上では全く問題ありません。
Secret Towers Of The Himalayas
https://www.youtube.com/watch?v=LAr20-YOFgw
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