Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

シルクロードの不思議な質問(2)答え


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シルクロードの不思議な質問(2)の解答編 (公開:2014年1月6日)
                           2013年7月 Mystery Hunter
<質問2>。 
「ところで、漢詩は韻を踏むのに、日本の詩は韻を踏まないのが普通ですよね。
 どうしてですかねえ?」


質問(2)が入試問題なら次の解答が正しい。
  漢詩では韻が必要条件に定められている。上等な漢詩は韻を踏むのだ。
  日本詩では韻や音に関する規則はない。
  和歌なら文字数が五七五七七、俳句なら五七五で季語を含むという程度だ。
  以上から、漢詩は韻を踏み、日本詩は韻を踏まないのだ。

しかし、このような紋切型の一般解で好奇心旺盛な生産技術研究会の諸兄が満足するわけがない。K氏も納得しないはずだ。
もっと本質的な説得力ある答えが求められている。

そのためには、時空を遡って漢詩と日本詩の起源に迫らねばならない。
努力の甲斐あって、私はついに諸兄も納得するであろう答えに到ることができた。

答えの解説の前に、韻がどのように使われているか確認しておこう。

1)大友家持
  新しき 年初め 初春   今日降る雪  いやしけ吉事
 万葉仮名表記
  新   年  波都波流 家布敷流由伎 伊夜之家餘其騰

2)金子みすず:雀のかあさん
  子どもが小雀つかまえ。 その子のかあさん笑って
  雀のかあさんそれみてた。 お屋根で鳴かずにそれ見てた

3)金子みすず:星とたんぽぽ
  青いお空底ふかく、 海の小石そのように、 夜がくるまで沈んで
  畫のお星は目にみえぬ見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ
  散ってすがれたたんぽぽの、 瓦のすきに、だァまって、 春のくるまでかくれて
  つよいその根は眼に見えぬ見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ

4)<涼州詞 王翰>
  葡萄美酒夜光  葡萄の美酒、夜光杯
  欲飲琵琶馬上  飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
  酔臥沙場君莫笑  酔って砂漠に臥すとも、君、笑うことなかれ
  古来征戦幾人  古来、戦に行き、幾人が帰って来たというのだ。

5)<春望 杜甫>
  國破山河在  国破れて山河在り、
  城春草木  城春にして草木深し
  感時花濺涙  時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
  恨別鳥驚  別れを恨みては鳥にも心を驚かす
  烽火連三月  烽火 三月に連なり
  家書抵萬  家書 万金に抵(あた)る
  白頭掻更短  白頭掻けば更に短く
  渾欲不勝  渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す

以上は質問編で紹介済みのものだ。日本詩は韻といえるか疑わしい。
しかし、漢詩は明らかに韻の規則に従って作られている。

中国語の文法的特徴と韻との関係は見逃せない。
上の4)涼州詞の第2句「欲飲琵琶馬上」(飲まんと欲すれば琵琶、馬上に催す)は「欲飲琵琶馬上」とも書ける。むしろこの方が自然な中国語だ。しかし、それでは韻のルールから逸脱する。そこで語順を入れ替えて韻を踏ませているのだ。
この「語順の自由度」は漢詩に韻を適用し易くしている。

他の詩(歌)も見ておこう。
6)山部赤人
  田子の浦ゆ うち出でてみれば ま白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りけり
  田兒之浦従 打出而見者    真白衣  不盡能高嶺尓 雪波零家留

7)額田王
  にぎたつに ふなのりせむと つきまてば しおもかなひぬ いまはこぎいでな
  熟田津尓  船乗世武登   月待者   潮毛可奈比沼  今者許藝乞菜

6)7)とも全く韻を踏んでいない。

8)Yesterday : Beatles
  Yesterday,
  All my troubles seemed so far away
  Now, it looks as though they’re here to stay
  Oh, I believe in yesterday,
  Suddenly,
  I’m not half the man I used to be.
  There’s a shadow hanging over me.
  Oh, yesterday came suddenly

9)From Mother Goose's Melodies
  Hush a bye baby, on the tree top,
  When the wind blows, the cradle will rock.
  When the bough breaks, the cradle will fall.
  And down will come baby, cradle and all.

10)Die Forelle(鱒):作詞シューバルト、作曲シューベルト
  In einem Bächlein helle  Da schoß in froher Eil
  Die launische Forelle Vorüber wie ein Pfeil.
  Ich stand an dem Gestade Und sah in süßer Ruh
  Des muntern Fischleins Bade Im klaren Bächlein zu.

上の例から、英語やドイツ語の詩でも韻が踏まれていることが確認できる!
10)鱒は、作詞者シューバルト、作曲者シューベルトというのも偶然の「韻」だ!
ラテン系の英語やドイツ語の詩も、漢詩と同じで韻を踏むのが条件なのだ。
鱒はシューベルトの曲として演奏を聞くことが日本では一般的だ。しかしドイツでは歌詞を付けて歌われる方が好まれている、と某氏から聞いた。
鱒に限らずYesterdayもMother-Gooseも歌が好まれているのは周知の通りだ!

11)北国の春
  白樺、青空、南風、
  亭亭白桦 悠悠碧空 微微南来风
  TingTingBaihua YouyouBiKong WeiweiNanlaifeng
  辛夷(こぶし)咲くあの丘北国の、ああ北国の春
  木兰花开山岗上 北国之春天 啊北国之春已来临
  Mulanhuakaishangangshang Beiguozhichuntian A Beiguozhichunyilailin
  季節が都会では、判らないだろと、
  城里不知季节变换 不知季节已变换
  Chenglibuzhijijiebianhuan Buzhijijieyibianhuan
  届いたお袋の小さな包み、
  妈妈犹在寄来包裹 送来寒衣御严冬
  Mamayouzaijilaibaoguo Songlaihanyiyuyandong
  あの故郷に帰ろかな帰ろかな
  故乡啊故乡 我的故乡 何时能回你怀中
  Guxiang-A-guxiang Wodeguxiang Heshinenghuinihuaizhong

日本語の歌詞では最後の「帰ろかな~か~えろ~かな」が韻とも言えるが他では韻は見当たらない。
これに反し、中国語の歌詞では韻のオンパレードだ。

しかし日本でも、韻を踏んだ(?)詩が著名な詩人の間でも出始めている。
12)高村光太郎:道程
  僕のに道はない、僕の後ろに道は出来る、
  ああ、自然よ、父よを一人立ちにさせた広大な父よ
  から目を離さないで守る事をせよ、常に父の気魄を僕に充たせよ
  この遠い道程のためこの遠い道程のため

これは、文化が時と共に変化している証であろう。「聞いて心地よく、詩情が味わえるなら、語呂合わせであろうとも、それで好し!」とする風潮が生まれているのだ。
しかし、まだ韻が日本の現代詩の規則に組み入れられたわけではない。本屋に行っても「教本:漢詩の韻の踏み方」はあるが「教本:日本詩の韻の踏み方」はない。

ここまでくると、韻と文字・言語が密接に関係していることに気付く!

そこで、まず文字の歴史を俯瞰しみよう。
文字

紀元前3千年頃、エジプトでヒエログリフ(絵文字)が、ほぼ時を同じくしてメソポタミアで楔形文字が生まれた。
紀元前7世紀頃には、2つの文字からラテン文字(ローマ字)が地中海東部で生まれ、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ギリシャ語、英語が派生した。

中国では紀元前1600年の殷で甲骨文字が生まれ、発達して漢字となった。
漢字は紀元3世紀頃(古墳時代)に日本に渡り、平安時代に平仮名・片仮名に変化して現在に至っている。

以上の情報を頭に入れたところで、いよいよ時空を遡り、漢詩と日本詩における韻の違いに迫ってみよう。
そこから唐/奈良時代(7世紀)まで辿れば答えが見えてくるはずだ。

数百万年前にアフリカで生まれた人類の祖先が、永い時間をかけて全世界に拡散し、今日の人種や民族が生まれたことは、最新解析技術「細胞内のミトコンドリアDNAの系統解析」で証明されている。漢民族のルーツは北京市郊外で見つかった北京原人ではなかったのだ。わが日本民族もアフリカで生まれた祖先を持ち、気の遠くなるような年月を経て大陸や海を伝って日本列島に辿りつき、定住し、現在に至っている。
人類の移動と年代
<斎藤成也国立遺伝学研究所教授による人類の移動とその年代を示した図>

日本人のルーツは、旧石器時代(我らが祖先が日本列島へ移住した時期~1万6千年前)に始まった。その時代には日本列島は海で大陸から分離していた。
Wiki「日本列島の旧石器時代」では「青森県外ヶ浜町大平山元I遺跡出土で、炭化物のAMS法放射性炭素年代測定暦年較正年代法で1万6500年前と判明した土器」と、「9〜8万年前(岩手県遠野市金取遺跡)に遡る日本人の足跡の化石」が掲載されている。

祖先が北方からきたのか、南方からきたのかは諸説があり特定できていない。
幼児の尻に蒙古斑ができることから、日本人はモンゴロイドに属する。
が、モンゴロイドは、中国、モンゴル、朝鮮だけでなく、インドネシアなど東南アジアにも広く分布しているので、モンゴロイドだから北方から来たとは言えない。恐らく、北方と南方の両方から海を渡ってきたモンゴロイドが今の日本人になったのだろう。
人種分布

しかし「韻」の検討では、日本人がどこから来たのかより、日本の文化がどこからきたのか、の方が重要だ。
従って、これ以上日本人のルーツに拘る愚を避け、旧石器時代には既に人が日本列島に定住していた、という事実だけを強調しておきたい。以降、時代は、前6世紀までの新石器時代/縄文時代、後3世紀までの弥生時代、その後の古墳時代、飛鳥時代、奈良時代(710~794)と移ってゆく。

アジアにおける文化の成長を眺めてみると、日本の文化がインドネシア方面から来たとするのは無理がありそうだ。
そこで、少なくとも文化の源は、北方から伝わって日本に定着し、それが発展して日本の文化になった、と考えて検討を進めてみる。

Wiki「モンゴル語」によれば「モンゴル語は日本語と同じ語順で「私は(主語:S)モンゴル語を(補語:O)学ぶ(述語:V)」のSOVだ。また、関係代名詞がなく動詞が連体形を取って名詞を修飾する、つまり「私が(主語)学んでいる(動詞連体形)言語(名詞)」という点でも同じである。」

一方、Wiki「日本語の起源」では、「日本語は、いまだに系統関係が不透明な言語のひとつ」だとしつつも次の事実が指摘されている。
 1)朝鮮語と日本語は語彙や音韻で違いがある。
   しかし、文法構造(SOVなど)で類似点が多い。
 2)琉球語と日本語の差は、語彙と、動詞及び形容詞の活用である。
   しかし、その他は類似点が多い。
 3)中国語と日本語は、文法構造が異なる。
   つまり中国語ではSVOで日本語はSOVだ。
   しかし、語彙では、一部の大和言葉と中国語に類似性がある。
   例えば身体を表す、目、耳、口などの名詞や、
   倒れる、香る、壊れるなどの動詞だ。
   このような類似性は日本語と朝鮮語との間にはないものである。
 4)アルタイ語(モンゴル語もその一つ)と日本語の関係は強いとの主張がある。

以上から次の有力な仮説が成立する。
1)モンゴル、朝鮮、日本では語彙発音は異なるが文法は同じだ。
  その文法は中国の文法とは異なる。
  だから漢詩が韻を踏んでも、モンゴル/朝鮮/日本の詩は韻を踏まないのだ。
2)中国は隣接するモンゴルや朝鮮や日本に、言葉や生活の面で影響を与えてきた。
  従って、日本語における単語のいくつかが中国語と同じなのは当然だ。
  例えば中国語の口(kou;コウ)は大和言葉の口(発音は未確認)に同じだ。
  恐らく、朝鮮からの渡来人や遣隋使などが伝えたのだろう。
3)アルタイ語はモンゴル、朝鮮、を経由し、日本にきた。
  漢民族の文化の中心は長安近辺の黄河中流域だ。
  したがって中国東北地方の満州族は支配を免れていた。
  しかし、ついには中国全土を制圧して中国最後の清王朝を築いた。
  これは映画「ラストエンペラー」でも紹介されている。
  この満州族は祖先がツングース族で、アルタイ系民族に属し漢民族ではない。
  つまり中国語圏を迂回して伝わったアルタイ語とつながりを持つ日本語は、言語学的に中国語と異なる言葉なのだ。
4)日本が島国であるという特殊性も無視できない。
  違う言語をもつ民族との交流は海で遮断されていた。
  小さな邑で農業に勤しみ、平穏に暮らしてきたのだ。
  地続きで多くの国と接する中国と比べ、異国人と言い争う必要性がなかった。
  よって、日本人の言葉の調子は穏やかで、沢山の語彙は不要だった。
  自分の意見や感情を強調する抑揚なども必要なかったのだ。
  このことは、漢詩には韻があり日本詩にはないことと関係しているはずだ。

いずれの時代であろうとも、人が生活するにはコミュニケーションが絶対必要だ。
縄文時代も、その前の石器時代でも、石の矢じりを使った矢で敵と戦をしたり、集団で農業を営んで暮らしていたはずだ。
ならば意思疎通が必要で「言葉」が使われていたに違いない。
つまり、言葉はかなり昔から日本にもあった。

言葉の出現と比べると、文字の出現は遅い!
縄文土器や弥生土器は数多く発掘されている。
しかし、文字が記された土器は発見されていない。
古墳時代、飛鳥時代でも見つかっていないのだ。
(木簡は古墳時代にもあったようではある。)
奈良/平安時代になり、中国から輸入された漢字を使った古事記、日本書紀、万葉集などが現れるようになって、やっと日本の文字文化は始まったと言えるだろう。

当初は、漢字の意味は無視し、ひとつの漢字を、母音単独または子音と母音の組合せで作られる一つの音に割り当てた。万葉仮名だ。日本で始めて生まれた詩集「万葉集」に使われた。
しかしこの時点では「漢字の音訓だけを借用して日本語を表記しようとした」だけで、「漢字の意味を活かして詩を造る余裕」はなかった。
韻や抑揚などを詩の中に盛り込む余裕などは全く無かったのだ。

中国ではどうか?
紀元前1600年の殷代の亀の甲羅や青銅器から漢字が発見されている。
漢字は、漢詩が隆盛を迎える唐時代より2千年も前に使われていたのだ!

漢字は「木、日、火、山、川、田、子」など事物の形から生まれた象形文字が起源だ。
例えば「木」は、台地に根を張り、空に枝を広げた樹木の形から生まれた。
次に生まれた文字は会意文字だ。「林、森、炎、東(木と日から成る)」など、象形文字を組合わせた、他の意味を持つ文字だ。
更に、意味を表す部分と発音を表す部分とを合成した形声文字も生まれた。
「河」は、さんずいが水を示し、可は音を示す。「忘」は亡が音を、心が‘こころ’を示す。
また、抽象的な概念を示す指示文字も生まれた。「一、二、三」などがその例である。
文字の数では、会意文字が一番多い。(日本語倶楽部編「漢字の謎」より抜粋)

漢字は、いろいろな用途で使われるようになり語彙を増やしていったが、同時に、問題も生まれた。数が多くなりすぎて、話し言葉で使おうとすると混乱を起こすのだ。

漢字は、人類史上、最も文字数が多い文字体系で、その数は10万文字をはるかに超え、他の文字体系を圧倒している。しかし、歴史的な文書でしか見られない頻度の文字も多い。中国で機能的非識字状態にならないためには、3~4千文字を知っていれば十分という。

そうは言っても、最低で3000もの文字が必要で、これら全てに音が付かないと会話ができない。
母音と子音の組合せでつくることが出来る音は少なく、字数は多いので、音だけで字の区別を付けるのは不可能だ。
そこで、音に抑揚、つまり四声をつける方法を使って、一つの漢字を少ない音で区別する方法が生まれた。

漢字は見れば意味の違いが直ぐ判る。
例えば「買」は買うで、「賣」は反対の「売る」の意だ。
ところが、いずれの字も中国語の音はmai(マイ)で同じだ!
字は異なり、意味も正反対だが、発音が同じ、というのでは都合が悪い!
そこで、前者は「四声(四つの音調)」の第三声ӑ(aの音が一度下がって直ぐ上がる‘マァイ’)、後者は同第四声à(aの音が高い音から急速に下がる‘マィ’)と決めた。
これで、同じmaiでも「mӑi」か「mài」かで聞き分けられるようになった。

漢字は、象形文字として生まれた直後から、会意文字、形声文字、指示文字、と次々に新しい字を生み出しながら成長した。語彙も多く、見れば意味が瞬時に分かり、意思疎通に好都合だ(覚えるのには苦労しそうだが)。ピンイン(四声)で聞き分けられるという特徴もある。
そうして、便利な文字の漢字は中国人の生活に溶け込み、漢字文化が成長した。

漢字が完成すると、自然への畏敬の念や人間の感情などを書き留めたり他人に伝えるための漢字表現の一つとして詩が生まれた。これが発展を続け、唐王朝初期に、詩を創る楽しみ、見る楽しみ、読む楽しみ、を深める工夫(遊び心とも言えるのだろう)として、文字や句の数、韻、平仄(四声)、などからなる規則(条件)が生まれ、体系化され、近体詩としての漢詩が確立したのだ。

<解答のまとめ>
漢詩に韻が生まれたのは、「漢字」が早い時期に生まれたことが理由だ。漢字の誕生から2千年後の唐王朝初期には、自然や人間の感情を表現する文章は、韻や平仄(四声)も組み入れた漢詩文化として完成したのだ。

片や日本では、中国から輸入された漢字を使った万葉集が文字文化の始まりだ。
まだまだ未熟で、韻や平仄(抑揚)を詩に組み込む余裕などなかったのだ

(最近、韻を踏む詩も少し現れだした。文化は時とともに変化している。)

以上でQ. E. D. (ラテン語 Quod Erat Demonstrandum:証明完了)です。
いつものように長い長~い論文になり、本当に恐縮しています。
ここまで読んで頂いた方に感謝します。

最後に、K氏と、昔、電機会社で大変お世話頂いたKH氏が、これは中国語だ!と教えてくれた、日本語とタイ語を紹介して終わりたいと思います。
<K氏:シルクロードにて>
中国語      ピンイン・発音           対応日本語        
听不懂、看不懂  ting-bu-dong,kan-bu-dong      チンプン・カンプン
   http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/preview/edit/d0cb731a37ef7624094a755707ebe2ed      ティンプートン、カンプートン
听:聞く、看:見る、不:否定、懂:分かる、理解する
⇒聞いてもわからない、見てもわからないの意

<KH氏:バンコクにて>
中国語      ピンイン・発音      対応日本語      対応タイ語  
没有       mei-you           ない         meimi
         メイヨウ         (無いよう)    (発音:メイミー)                     
没:ない、持ってない、達しない
有:有る。
⇒没有:有りません、無い、の意

中国語は、日本、韓国、ベトナム、タイ、ミャンマー、モンゴルなどで、生活に溶け込んで、脈々と生きているのです

(完)
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