Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

アナサジの不思議

アナサジの不思議

今回は北アメリカ南西部の峡谷を中心に暮していた「アナサジAnasazi」と呼ばれる人々の生活遺跡についてご紹介しましょう。

皆さんもご承知のように、先コロンブス期(注1)の北アメリカではインディアンと呼ばれる人々が暮らしています。しかし、インディアンよりも前から住んでいた人々を祖先にもつ、プエブロと呼ばれる人々も暮らしてました。
(注1:先コロンブス期とはプレコロンビアンPre-Columbian eraとも呼ばれる、南北アメリカにおいて、コロンブスが大陸を発見する前の、白人の影響が現れる以前の時代の総称)

プエブロ人の祖先、つまり古代プエブロ人Ancient Pueblo People、は俗に「アナサジ」とも呼ばれていますが、現代のプエブロ人が好む呼び方でないようです!「アナサジ」をWiki検索すると「古代プエブロ人」に転送される、という事実から推定するに、聞く人によって侮蔑(ぶべつ)的に響く、ということなのでしょう。

しかし、古代プエブロ人ではまどろっこしいし、ブログのネタ元となるYoutubeでも「アナサジ」が使われていましたので、今回は私も使わせてもらうことにします。

ブログは峡谷の岩壁に造られた住居遺跡からスタートします。下の写真は「古代プエブロ」を紹介するBBCからコピーしました。
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遺跡群は現代のアメリカ人が「フォー・コーナーズfour corners」、つまり「4つの角(かど)」、と呼ぶ一帯に分布しています。

フォー・コーナーズとは、アメリカ合衆国のユタUtah、コロラドColorado、ニューメキシコNew Mexico、アリゾナArizona、の4つの州が交わる「点」を指します。
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州境が直線で、2本の直線が直交している点がfour-cornersです。
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丁度、その点をサン・ワン川San Juan Riverが(南東から北西に)流れていて、近くにはモニュメントバレーMonument Valleyと呼ばれる、西部劇ではお馴染みの景勝地もあります。
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それではYoutube「Digging for the Truth:Mystery of the Anasazi」の始まりです。
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コロラドの南西にある峡谷(Canyonキャニオン)の一角に19世紀になってから初めて発見された遺跡がある。
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アメリカでは有名な遺跡だ。発見以来、大勢の観光客も訪れている。
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岩壁に貼り付いたような住居跡だ。
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なぜ、アナサジはこの峡谷に移住したのか?
そして、なぜ、たった数十年でこの地を去ってしまったのか?

このミステリーは考古学者だけではなくアナサジの子孫たちの間でも論争になっている。

アナサジは西暦1世紀からこの一帯で農業を営んで平和に暮らしていた。始めは散在する小さな集落を形成していたのだが、12世紀の中ごろに何かが起き、岩壁に移住して集団で暮らし始めた。

この辺りには4つの集落が崖(がけ)に貼り付くようにして造られている。
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しかし、住み始めて50年も経たないうちに、身の回りの物を残したままどこかに去って、歴史から消滅してしまうのだ!
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他の部族に侵略されたのか?
飢饉にあったのか?
なぜ彼等の文明は突然崩壊することになったのか?
何が起きたのか?

ロリーサは観光客を案内したり学校で生徒達に遺跡を解説したりしているレンジャーだが、プエブロ人の子孫の一つ、ホーピー族の女性だ。
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ホーピーはアナサジの子孫だと考えられている。
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「なぜ、人々は、急にこの岩壁に移住し、50年も経たないのにまた出て行ったのだろう?」と訊いたら「今、水はこの近くに無いけれど昔は崖から水が湧き出ていたので住居を造って移住したの。でも旱魃(かんばつ)で水が枯れたので別の場所に移っていったのよ。」と言う。

ロリーサの説明は理に適っている。しかし、それが本当の理由なのだろうか?
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なぜ、こんな危険な場所に住むリスクを冒したのか?

考古学者たちはアナサジの暗い部分を指摘する。大量殺人、カニバリズム(人肉嗜食じんにくししょく)だ。つまり暴力が彼等を崖に追いやったと言う。

崖(がけ)にある石造りの建物は見事だ。このような遺跡が周辺に数百もある。

恐らく、他の住居を調べると、なぜアナサジが、突然この地を去ったのも判るだろう。
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少し見方を変えて、2人乗りの2つプロペラの手造り飛行機で空から眺めてみよう。
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4つの州が接する点フォー・コーナーズ。千年以上に渡りアナサジのホーム・グランドだった。
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平地や斜面の大半はpinyon pine(松)と juniper(常緑の低木)で覆われている。9百年前はトウモロコシ、スクヲッシュ(squashかぼちゃ)、豆類が栽培されていたようだ。
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4~5万人のアナサジが住んでいたと考古学者は考えている。
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ホーピー族の子孫ロリーサが言ったように水が枯れたので泉の噴出している岩壁に住居を移したのかも知れない。しかしそのためだけで、赤ん坊や子供も引き連れて危険な崖に移住しなければならなかったのだろうか?
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なぜ崖で暮らすリスクを取ったのか?
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地上に戻って自分の足で探索を続けてみよう。

ボーンはこの地区の保全の仕事をしながら長年アナサジの遺跡を調べている。この辺りなら自分の家の裏庭のように熟知している。
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まずは車で行けるところまで行こう、その後は徒歩だ。
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崖の中腹に建物跡が見える。
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崖の上には見張りの塔の跡がある。住民はこの辺りを管轄していたのだろう。
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しかし彼等は一体、何を見張っていたというのだろう?夜は塔から出て崖を降り、ねぐらに戻ったというのだろうか?
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崖の下までは数百フィート(7,80m)ある。もし頭を下にしてロープに吊り下げられたら死活問題だ!
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住居跡だ!
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驚いた!8百年以上前のトウモロコシの芯が今も残っている!昨日まで暮らしていたようだ。
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赤い岩肌に渦模様が描かれている。「ここに我々が住んでいる、移住してきた」という印なのではないかという説がある。
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羊の絵。
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まるで岩壁が大きなキャンバスのようだ。
なぜ、こんなところに子供達も一緒に連れてきて暮らし始めたのだろう?
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この石組みの壁はモルタルで固めている。その向うは切り立つ崖だ!大変な作業だ。
「判らない。しかし、何かが彼等にここでの暮しを強いたのだ!」
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覗き窓も造っている。誰か近づいてこないか、見張っていたのかもしれない。
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崖の上の見張りの塔もといい、この覗き窓といい、いったい誰を見張っていたというのだろう?
インディアンのナバホ族がアナサジの敵だったのは有名だが、ナバホがここに来たのは数百年後だ。どんな外敵も13世紀まで来たことが無いはずだ。ほかに敵がいたとでもいうのだろうか?

岩壁に移り住む前、アナサジがどんな暮らしをしていたのか調べる必要がある。古い友人に会ってみよう。コルテズに住んでいる。
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彼の名はアーキー・ハンソンだ。(Archie Hanson , Indian Camp Ranch)
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彼はアナサジが放浪の旅に出ることになった原因に関する証拠を掘り当てたという。
西暦650年から1150年までの間、この集落には4家族20人くらいの人がずっと暮らしていたらしい。
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「キーバ」と呼ばれる円筒状の公共の場所。そこに住空間に繋(つな)がるトンネルがある。
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住民は男が5フィート4インチ(162cm)、女は5フィート(150cm)くらいだった。6フィート(180cm)で189ポンド(86kg)の私には狭いトンネルだ!
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ここには3つの「キーバ」が掘られていた。しかし、そこではカニバリズム(人肉嗜食じんにくししょく)が行われていた!恐ろしい殺戮の場所だったのだ!

「沢山の人体がバラバラになって見つかっている!砕かれた頭蓋骨もあった。カニバリズムがあったことはほぼ間違いない。見つかった骨には切り傷が沢山ついている。刃物で何度も切られた跡だ。食用になった動物の骨に付いている傷と同じだ。ポットに入れて煮た痕跡も見つかっている!」
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この集落では、このような証拠が沢山見つかっているという。
インターネットで調べてみると50か所でカニバリズムを示すと思われる骨が見つかっているらしい。
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これが議論を呼んでいる。原住民の子孫は「我らの祖先がそんな野蛮なことをしたはずはない!」と言う。

友人のアーチーに訊いてみた。「なぜ、人々は他の場所に行ってしまったのだろう?」
彼の答えはこうだ。「恐らく、外からの侵入者によって追い出されたのだと思う。メキシコから来たと言う説もあるが、証拠は見つかっていない。大きなミステリーだ。」

興味を引くのは、これらの出来事が全て同じ時期に起きていることだ。西暦900年から1150年の間だ。
実は、これはアナサジがチャコー・キャニオンChaco Canyonを支配していた時期と重なる。チャコーは、今は荒涼とした砂漠に残る遺跡だ。PPG(パワード・パラグライダーpowered paraglider)で空から見てみよう。25マイル/時(時速40km)と低速なので都合がよい。
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渓谷を吹く風には注意しないと岩壁に打ち付けられる!PPGは4ガロン(15リットル)で3時間飛ぶことができる。このような場所を探索するには都合が好いし、その上とても経済的だ。
チャコー遺跡が見えてきた!
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チャコーの繁栄期は西暦900年から1150年だ。宗教都市だった。80km離れたところからも人が集まってきた。
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プエブロ・ベニードと呼ばれる4,5階建ての建物には8百の部屋があって数千人が暮らしていた。1800年末までに造られた、世界で最も大きなアパートだと言われている。歴史前のアメリカで、このような場所はここにしかない。
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チャコーは単なる都市ではなかった。何マイルも離れた場所から人々がやってきて、このような「キーバ」で神に祈りを捧げた宗教センターでもあったのだ。
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しかし、1150年までに人々はどこかに去っていって都市は完全に放棄された。
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旱魃(かんばつ)か?それとももっと不吉な原因があるのか?
残された石壁はヒントを与えてくれない。
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チャコー遺跡の中で、部屋として完全な形で残っている場所を訪れた。木製の梁(はり)は何か教えてくれるかもしれない!
アリゾナ大学年輪研究室のジェフに指導してもらい、年代測定用の小さなサンプルを取得することにした。この部屋がいつ造られたか判る!
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アメリカ南西部における年輪による年代測定法(dental chrenology)でジェフの右に出る者はいない。彼は数千の木のサンプルと、それから得た年輪データを持っている!

年輪をみれば、例えば1119年や1121年ではなく1120年の年輪と断言できると言う。更には年輪の幅からその年の雨量が推定できるらしい。
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「確かに、西暦450年に旱魃(かんばつ)があったようだ。洪水も起きていたはずだ。」
「住民が居なくなった理由は旱魃かもしれないが、都市人口が多過ぎたことも考えられる。」

旱魃は昔から何度も起きていたことは年輪データからも判っている。1100年代の旱魃が偶然、人々を他の場所に追いやったというのだろうか?

話が少し戻るが、チャコーが大きな宗教センターになったのはどんな理由からだろう?
メキシコから宣教師たちが来たのではないか、と考える考古学者達がいる。ある学者は侵入者たちがチャコーの人々を殺戮したのではないか、とも言っている。

私は遺跡調査でメキシコに何度か行ったことがある。そこでは昔、トーテクやアズテクが人間を生贄(いけにえ)にしていた。
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この風習が突然、アナサジの歴史に出現したのかも知れないが証拠が無いので単なる仮説でしかない。

チャコーの南、数十キロの砂漠で小さな村の遺跡を調べているジョージア州立大のチームがいる。チャコーと村との関係を調査しているのだ。彼らなら何か教えてくれるかもしれない!
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この村では3,40人が暮らしていたと思われる。自給自足していたが、宗教センターのチャコーと関係があったようだ。巡礼で訪れていたのかも知れない。

チャコーの宗教がどんなものだったのかを明確に知っている人はいない。多くの考古学者はダーク・サイド(暗闇)を持つ宗教だったと考えている。カニバリズム(人肉嗜食じんにくししょく)が行われていたからだ。

しかし、なぜ人々は50マイルも歩いてチャコーの神のそばにまで行ったのか?
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宗教上の貴重な物があったのだろうか?それを得るために人はチャコーに行ったのだろうか?

チャコーから離れたこの場所で、トルコ石や貝が見つかっている。
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チャコーに巡礼に行き、物々交換してこの貴重な物を持ち帰っていたのだろうか?
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1150年頃、旱魃(かんばつ)はあった。しかしそれはそれまでのものと比べれば小さい。

一方、チャコーには社会的な混乱、つまり暴力的な事件が起きた可能性がある。丁度その時期、カニバリズムもピークだった。
大量虐殺とカニバリズム・・・これから逃れるために、数千のチャコーの住民が岩壁の住居に移って行ったことも考えられる!

だんだん全貌が見えてきた気がする。しかし、まだヒントになりそうなものが残っている。それを調べてみよう。
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どんな理由だったかは別に、兎に角、人々は峡谷の岩壁に逃げることになった。
プエブロ族、ズーニ族、そしてホーピー族は祖先の歴史について夫々の伝承を持っている。
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ホーピー族の伝承によれば、アナサジは水を求めて岩壁に移ったという。
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その伝承をもう少し調べてみよう。ホーピー族の年配者達と一緒にホーピー族保護地内の川を下り、ペトログリフ(petroglyph岩に掘られた古代の絵)を調べてみるのだ。
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アナサジという呼び名はこの辺りの人にはあまり好かれていない。ナバホの敵、という印象が強いかららしい。代わりに古代ペブロと呼ぶ。

ペトログリフ(petroglyph)がある岩壁にきた。直立している!
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そこに1500年前のアナサジが描いた実物大の絵がある。
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しかし、古すぎて今のホーピー族には解読できないようだ。

近くに見かけた記号がある、渦巻き文様だ!ボーンと一緒に訪れた岩壁住居近くの岩肌に彫られていたマークと似ている!
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同行していたホーピー族の年配者達は言う「これはマイグレイション(migration移住)を表すシンボルだ。」
このフォー・コーナーズに暮らすことを希望している人を示しているという。
「社会的な混乱や暴力ではない、単に時が来てこの地に移住しただけだ」

彼等に一番辛らつな質問をしてみた。
「アナサジはカニバリズムの習慣があったのか?」「そんなことは断じてない!マイグレイション(移住)が始まった時は敵などいなかった!インディアンのナバホ族がやってくるまで、敵なんかいなかったし平和に暮らしていたんだ!」

しかし、敵は侵入者ではなかった!という考えはどうだろうか?つまり外敵がアナサジをクリフに追い込んだというのではなく、周辺に住んでいた仲間のアナサジから逃げるために岩壁の住居に移ったという考えだ。

ホーピー族の年配者が言うように、アナサジは消えてしまったのではない、単にこの地を去っただけかも知れない。移住していったのだ。年輪によると13世紀後半に大きな旱魃があったという。しかし、旱魃でもなく暴力でもなく、単に移住しただけだ、と考えることも出来る。
現地で調査している専門家の推定では外部からの侵入者によってアナサジは岩壁の棲家(すみか)に追いやられたことになっているが、ホーピー族の年配者達の言うように、単に新しい生活を始めるために南に移動していっただけなのかも知れない。

ゴムボートに乗ってホーピー族の祖先が住んでいた住居遺跡を訪れた。彼らにとって神聖な場所だ。そこでトウモロコシの粉を捧げて先祖の霊を敬った。
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(完)
Digging for the Truth - Season 1, Episode 13 - Mystery of the Anasazi
https://www.youtube.com/watch?v=_q1rVTvrDss
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