Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

デイビッドとソロモンの王国???

タイトルの「デイビッドとソロモンの王国」を見て、いつ頃、何処にあった、どんな男達の王国かを思い描くことが出来たあなたは間違いなく物知りだ、と私は太鼓判を押します。私などは「ソロモンと言えば「ソロモンの秘宝」とかいう歴史冒険物語が子供の頃にあったかな?」程度の記憶しか持ち合わせがなく、ましてやデイビッドの王国となるとイメージすら浮かんできません!

今回のブログはYoutube「Kingdom of David and Solomon(2008年)」に私がWikiで調べた情報を加えた大作です!!!大作、つまり長いぞ!映像が沢山あるぞ!ってことですが、加えて、旧約聖書が生まれた経緯、現在のイスラエルの首都エルサレムの歴史、はたまた放浪の民イスラエル人について、私と同じ仏教徒の皆さんなら馴染みの薄い史実を含んだ、それはそれは、やっぱ大作としか言いようがないブログになるはずです!

ということで、これから1時間ほどお付き合い頂けない方には、ブログの内容が理解できないかも知れないし、私のいつもながらの回りくどい解説を読んで誤解するかも知れない、ということを予めお断りしておきます。実はYoutubeのストーリー展開も時代が進んだり戻ったりして進行するので、何度も繰り返して見た私でさえ、話のどこが始まりでどこが終わりなのか混乱気味で、ましてやその私が纏めたブログとなれば、皆さんは更に頭を悩ますことになるのではないか、と心配です。

さてさて、いつも通りの長~い前置きになってしまいましたが、このブログを読んでみてもいいよ、という寛大な方に、出来るだけ正確に理解して頂けるよう、Youtubeフィルムの紹介の前にWikiから得た基礎知識をご紹介しておきましょう。

まず一つ目の基礎知識です。
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なになに?この彫像は何だ?誰だ?
これはルネッサンス期のイタリアの巨匠ミケランジェロが作ったと言われるダビデ像です。何故、これを紹介するかというと、この男こそが正に今回の主人公「デイビッド」だからです!ダビデ、すなわちデイビッドDavidで、決してギリシャ神話の神ではなく、旧約聖書に最も頻繁に出現しているイスラエル人なのです!

デイビッドは農夫の息子でした。
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当時、デイビッドが暮らしていたイスラエル人の国はソールという名の王が統治していましたが、実に手の付けようの無い困った男で、神は彼のことで頭を痛めていました。ある日、ゴリアテという名の巨大兵士がやって来て「俺と一対一で戦う勇気のあるものはいるか?」と問い質した時、立ち上がったのはデイビッドだけでした。彼はたった一発の投石でゴリアテを仕留めます。すると彼の名声はイスラエル中に広がりました。王ソールはデイビッドに嫉妬し、何度も殺そうとするのですが結局デイビッドにしてやられます。そしてソールが死ぬとデイビッドはイスラエルの王になります。

もう一方のソロモンはというと王デイビッドの息子です!従って「デイビッドとソロモンの王国」は、この2人の親子が造り上げた国のことです。それはどこに、いつ頃あったと思われる王国で、実在していたのか?について史実、遺跡、証拠書類を辿(たど)りながらYoutubeフィルムのストーリーが展開していきます。

2つ目の基礎知識は「神殿の丘Temple Mount」です。
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ヨルダン領の東エルサレムにありますが、イスラエルが実行支配しています。
東西約2百m、南北約3百mの長方形の石組みの壁で囲まれた丘の中央には金色のドーム「岩の神殿Dome of the Rock」があり、その手前にアル・アクサー・モスクAl-Aqsa Mosqueが、そして丘の西側、写真では左側、の石壁(写真では壁の位置はわかりますが西壁自体は死角で見えていません)は「嘆きの壁Wailing Wall」と呼ばれる所です。

「岩の神殿」の中にはその名の由来となる大きな岩があります。
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言い伝えによれば、神ヤハウェYahwehの指示に従ってエイブラハムAbrahamは息子のアイザックIsaacを生贄に捧げようとしました、この岩の上で!

アル・アクサー・モスク(「遠隔のモスク」つまりメッカから離れているモスク、の意)はイスラムの預言者ムハンマドMuhammadが天馬ブラークに跨(またが)って昇天したことを記念するために造られました。

つまり、神殿の丘「Temple Mount」は3つの宗教、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教、の聖地なのです!

まだまだ必要な基礎知識が沢山残っていますが次で最後としましょう。
3つ目の基礎知識は「エイブラハムAbraham」です。彼については別のYoutubeフィルムからご紹介しましょう。
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このフィルムも3回ほど見ましたが大幅に端折ってご紹介すます、ご容赦下さい。

デイビッドやその息子ソロモンが造った王国を滅ぼしたバビロニア軍は、イスラエルの民を奴隷としてバビロンに連れ戻ります。バビロンに幽閉されたイスラエル人はバビロニア人に内緒で聖書の原典「ヘブライ語聖書」すなわち旧約聖書、を編纂(へんさん)します!!!

懐かしい故郷イスラエルに戻りたいという気持ちから、昔からあった原典の中にバビロンで創作した作り話を加えました。その作り話の一つはエイブラハムの物語です。

“イスラエル人のエイブラハムは、父が崇拝する多神教の神を受け入れることはできなかった。彼にとって信ずるべき神は一人ヤハウェだけだ。ある日、その神が彼に次の様に告げた。”
「私が指示する場所、つまりお前の国に行け。そこを、お前とお前の子孫たちのための偉大な国にしてあげよう。」
「私はお前を祝福する者を祝福する。お前を呪うものを呪う。地上の全ての人民はお前によって祝福されるだろう。」

神は、エジプトの近くの「テイナ」と言う所にエイブラハムを導き、そこで彼を試します。
「エイブラハム、エイブラハム。お前のただ一人の息子アイザックを、私が指示する山の上で火の中に入れて生贄にせよ。」
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山の頂に着くと祭壇(これがエルサレムの「岩のドーム」の岩ということになります!)を整え、火を燃やし、「ナイフで殺してから」と息子に手を伸ばしました。すると神の使いの天使が彼に呼びかけます。「エイブラハム、エイブラハム。息子を手にかけてはならない!お前が神を恐れ敬っていることが判った。私が準備する子羊を息子の代わりに生贄にせよ!」エイブラハムが辺りを見ると近くに羊がいました、神が放った子羊です!!!その羊を石の上で殺して、神に肉と血を捧げます。

エイブラハムが神に従う確証を得た神は彼に確約します。「お前の信仰心を讃えて、お前に多くの祝福を与えよう。星の数ほどの子孫繁栄を与えよう。」
こうしてエイブラハムの遺伝子を持った人々が沢山産まれることになってイスラエル人が出現することになった、という壮大な叙事詩というか作り話とも言える物語が出来上がるのです!!!

ノアの箱舟の話もエイブラハムと同時期に旧約聖書に盛り込まれた叙事詩というか作り話です。既にブログでご紹介していますので省略しますが、もしご存知でなければ3月30日公開の「ノアの箱舟の不思議」をご覧ください。

さて、この辺りで長い長~い前置きを終えて本題のフィルムの紹介を始めましょう。
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「デイビッドとソロモンの王国Kingdom of David and Solomon 」
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ヘブライ語聖書の中で最も頻繁に現れる人物はデイビッドだろう。彼はエジプトからメソポタミアまで広がる王国を築き上げたと記されている。王国の首都はエルサレムだ。
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ヤハウェ(神)とイスラエル人の間の契約で、デイビッドとその子孫はこの地を永遠に支配することが認められていた。デイビッドの息子ソロモンはヤハウェを祀る寺院を建てた。寺院があった場所は、今は「イスラエル国State of Israel」が保護している。
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聖書によれば、その王国は神により創られた統一国家だった。
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数百年の間、デイビッドとソロモンが造った王国の痕跡を求めて考古学者たちはエルサレムの発掘を行っている。
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しかしエルサレムでの遺跡発掘には異論が多い。何故なら、この町は現代の3つの唯一神宗教の聖地だからだ。
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神の御子(みこ)キリストはこの地で活動し、埋葬された。
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イスラム教の預言者ムハンマドは尊い巡礼で訪れた。
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ユダヤ教徒にとっては彼等の先祖のデイビッドやソロモンが暮らした所だ。
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そのことはちゃんとヘブライ語聖書(旧約聖書とも呼ばれる)に記述されている!
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3つの宗教の聖地として手が付けづらいエルサレムで、何とか許可を得てデイビッドとソロモンの王国を探し求めて発掘を続けている考古学者がいる。エイラット・マザールだ。
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この辺りでは数千年に渡って破壊と再建が繰り返されてきたので、当時のまま残る遺跡を見つけるのは至難の業だった。
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しかし、幅3m、長さは発掘した範囲で30m、の壁が見つかった!
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大きな建築物の一部分だ。「王国の城壁に違いない!」と彼女は考えた。
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(CGで宮殿一帯を描き上げていきます。上の写真の右上には神殿の丘にあるアル・アクサー・モスクのドームが見えています。)
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城壁に囲まれた王宮だとしても、本当にデイビッドの王国なのだろうか?
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そうだとしたら紀元前1千年頃に建築されたものでなければならない。
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しかし、石の壁だけでは建設された時代を特定することは出来ない!
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土器が見つかるとある程度の年代は把握できる。
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土器による年代特定には2つのアイデアがある。
一つは形による特定だ。同じ形なら同じ時代のものだろうとの推定が成り立つ。
もう一つは埋められていた地層(stratum)による特定だ。深い所にあるもの程、古い時代の土器だと考えて良いだろう。
この2つで相対的な年代比較が可能だ。考古学者がいう比較年代測定法だ。
しかし・・・
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しかし・・・どちらがどのくらい古いかという相対的年代は判るが、絶対的年代、つまり何年前のものかを特定することは出来ない!

この問題を解決しようと、聖書考古学の父とも言われるオーブライトは、聖書やエジプト、メソポタミアのテキストを参照して、土器の形で凡その年代を知る手法を整備した。
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彼の年代推定法は後継者達によって少しずつ改善されながら考古学者の間で使われるようになっている。
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エイラットは、発掘場所で、この近辺のものではない赤と黒の土器を見つけた。オーブライトの年代推定法によれば紀元前1千年頃の典型的な土器だった!
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ということは、エイラットはデイビッドの王国を掘り当てたのだろうか?
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彼女は主張する。「発掘中の建物は大きい。エルサレムでも最も古い場所に造られている。それにオーブライトの土器年代推定法によれば紀元前1千年頃の遺跡だ。デイビッドの王国の跡に違いない!」
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エイラットの主張は土器の形による年代推定を重要な拠り所にしている。つまり聖書の記述が正しいと認めた上での推定だと言い換えることが出来る。

しかし、考古学者の多くは聖書にかかれた事が全て正しいとは考えていない!土器の形や地層の順以外の、もう少し信頼性の高い年代特定がなければ、科学的に導かれた結論だと見なすことに抵抗がある。
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土器より信頼性が高い年代特定方法はある。カーボンデイティング(放射性炭素年代法)だ!
女性学者エリザベッタはイスラエルの20か所以上の場所で見つけた種子や炭などのサンプルでカーボン・デイティングを行った。
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土器と一緒に種子や炭などが見つかれば、土器と年代との関係が特定できる!
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その結果、エイラットが見つけた土器はデイビッドの70年後頃のものだと判明した!古い昔のことなので、70年という違いは無視できる。この結果、城壁はデイビッドのものだという可能性が出て来た!

古代タピー・アルファベットが書かれた石が見つかった。
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デイビッドとソロモンの時代のものだ。やはり、ここが彼らの王国か?
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しかし、もしそうだとすると聖書(ヘブライ語聖書)で書かれた王国のサイズと比べてあまりに小さい!
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これではエルサレムは首都というよりも田舎の町のようだ。
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しかし、話はそんなに単純ではなかった。
他の考古学者が発見した種子のカーボン・デイティングによって、タピー・アルファベットの石が紀元前10世紀頃の物だと判った。
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誤差±30年を配慮しなければならないが、デイビッドの王国の可能性が高まってきた。
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幸運にも聖書(ヘブライ語聖書)は王国の存在の確認に関する別の記述を含んでいた。
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神は、デイビッドが建国し息子ソロモンがこれを堅固に造り上げるよう指示を与えていた。
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「これがソロモンに課せられた仕事の目的だ。すなわちヤーウェイ(YHWH神)の神殿、エルサレムの城壁、・・・」
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「ハッツァーHazar、メギッドMegiddo、ゲザールGezerの城壁を造ることだ。」

ここがハッツァーHazorだ!ソロモンの建設計画の一つだったはずの場所だ!
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記述にあるように門は6つの部屋を持っていた。
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聖書に記された3つの門は相次いで発見された!
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みんな似た構造だ!同じ王国の門だったと考えて好いのではなかろうか?
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ということは、3つの門で守られた広大な王国があり、エルサレムの王宮がその中心だったと考えて好いのではないだろうか?

しかし、それがデイビッドやその息子ソロモンの王国だという確信を得るにはどうすればよいのだろう?その答えのヒントはエジプトの遺跡に残るヒエログリフに見つかった。
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シィシャックという名の第22代エジプト王朝のファラオの戦いに関する記事があった。イスラエルにも侵攻した王で、そのことは聖書の中に記録されていた。
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「レホボーン王の5年目、エジプト王シィシャックはエルサレムに進軍し、神殿と王宮にあった宝物の全てを持ち去った。」

エジプトの年表によれば、侵攻した年は紀元前925年だ。聖書の記事の年代がこれで現実の年代と関係付けられた。つまり、ソロモンが死んだのは、エジプト軍の侵攻の5年前で紀元前930年ということだ。
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このことから、デイビッドとソロモンという2人の男たちが紀元前10世紀に生きていたことの明確な証拠が一通り集まったとも言える。

エジプトの壁に彫られたヒエログリフには別の事実も見つかった。シィシャックが征服した場所についても記述があったのだ!
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その一つはゲザールGezerだ。1960年代にイスラエルで発見された。
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ソロモンが造ったと言われる、6つの部屋を持つ3つの門の一つだ。

もう一度よく調べてみよう。下の石はしっかりしている。中間の石灰石は少し脆(もろ)そうだ。一番上の石は熱で溶けて崩れた様になっている。
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紀元前925年にシェシャックによって火責めにされた門だと考えられる。つまり火責めの5年前に死亡したソロモン王が造った門だと言っても良いだろう。

これだけの証拠が揃うと、デイビッドが造った南北に広がる広大な王国が紀元前10世紀に存在し、エルサレムがその中心だったという考えは信憑性がある!
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エルサレムは政治の中心であると同時に信仰の中心でもあった。そして、エルサレムの持つ不思議な力は、そこに造られた寺院そのものだったとも言える。唯一神ヤハウェを崇めるための神殿だ。
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一人の神ヤハウェの国、ユダヤ人の国、それがエルサレムを中心とする王国の骨格だった。
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当時のイスラエル人の信仰が今のユダヤ教と似ている点は少ない。
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一体、寺院はどんな構造をしていたのか?どんな儀式や祈り作法でヤハウェを崇(あが)めていたのか?
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当時のイスラエル人の信仰を理解するためには寺院の発掘調査が極めて有効だ。
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しかし、それは簡単ではない。寺院の跡地と考えられている場所は、イスラム教の第三の聖地で、岩のドームも含まれていて、発掘許可が取れないのだ。ソロモンの造った寺院の欠片すら今も発掘確認されていない。
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しかし聖書の中には寺院の構造について細かな記述があった。
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「ソロモン王がヤハウェYHWHのために建てた寺院は、長さ60キュービット、幅20キュービット、高さ30キュービットだった。」
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「建物内の聖なる場所に、ソロモンは2つのチェラビーンを造った、夫々の高さは10キュービットだった。彼はチェラビーンを金箔で覆った。」

この記述のレイアウトは別の場所に造られた、別の神を祀る寺院の構造と似ている!
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エルサレムの北数百Kmの、シリアのエイン・ダラAin Daraで発見された寺院。
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聖書に記されているソロモンの寺院と構造も大きさも似ている。聖書ではチェラビーンと呼ばれるスフィンクスの像もある!
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エイン・ダラに特徴的なのは、ここに棲(す)んでいた神の大きな足跡があることだ。
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この足の先に最も神聖な場所がある。
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これで、ソロモンの寺院がどんな様子だったのか、イスラエル人がどのように神を崇めていたのか、がかなり細かく推測できる。

寺院の前の広場には大きな祭壇があった。
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寺院に入ると神聖な場所Holy Placeがあった。
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その奥の階段の上には「最も神聖な場所The Holy of Holies」があった。2頭のチェラビーンも控えていた。
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そして、伝説によれば神の言葉が記されたタブレット(石板)が収められたArk of the Covenant(注)が置かれていた。
(注:Ark of the Covenant契約の箱。モーゼが神から与えられた十戒が刻まれたタブレット(石板)が入っていたとされる。)
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そこは世界で最も神聖な場所The Holy of Holiesだと考えられていた。そこで神の存在を見ることが出来たからだ!

イスラエル人は彼等の神ヤハウェが特殊な要求をしていたと信じている。その証拠は今もパレスチナのギャラジーン山で行われる生贄の儀式に残されている。ここの住民は自分たちこそイスラエル人の直系だと信じている。伝説によれば2500年前にイスラエル人が行っていたという生贄の儀式を今も続けている。彼らに言わせると、人間の世と神の世を結び付ける儀式だ。その儀式に必要なのは血だ。血こそ生命そのもので、最も神聖なものだ。
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当時、少なくとも説教者たちは神ヤハウェに忠実であり続けたようだが、他のイスラエル人たちもそうだった、というわけではなかったようだ。イスラエル人住居遺跡からは当時の信仰の対象とされていた像が見つかる。
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豊潤を約束する女神の像だ。この像は豊潤の証(あかし)の子供を抱いている!

この、ヤハウェではない、異教徒の女神は誰だ???

それは1968年に明らかになった。南イスラエルの墓から見つかったタブレットに彼女の名が書かれていた。「ヤハウェ」と併記されていた。「アッシャラ」だ!
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拡大してみると良くわかる。
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アッシャラの像はイスラエルのあちらこちらで見つかった!多くの考古学者はこれがアッシャラの顔だと信じている。
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神ヤハウェの女房だ!数百年もの間、唯一神ヤハウェへの信仰は裏切られていたのだ!
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ボブと言う名の神も信仰されていたようだ。
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エイブラハムによって「ヤーウェイこそがイスラエル人の唯一の神とされねばならぬ」と定められていた。
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そしてモーゼの教えにもあるように、ヤハウェだけを信仰することをイスラエル人は神に約束していた。

しかし・・・
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「私(神)が彼等(イスラエル人)に呼びかければ呼びかけるほど、彼等はバール(異教徒の神)に献身し偶像(idols)に焼香している!!!」

イスラエル人は神と別の約束もしていた!「もし教えを守れば神は彼等を祝福し、裏切れば神は彼等を罰するであろう」と。

偶像や異教徒の神を信仰し続けていた報(むく)いだろうか。神ヤハウェは、イスラエルの外部にある力や武器を使ってイスラエル人を罰することにしたようだ。王ソロモンが死ぬと北の10部族が反乱を起こし、王国は南北に分離した。
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その後、ヤハウェに約束された土地はアッシリア人の巨大な国に飲み込まれてしまう。
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紀元前722年、アッシリア軍は北のイスラエルを滅ぼした。
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住民は南のイスラエルに逃げた。
その中の一人ジョサヤ王はエルサレムの寺院で聖書を見ることになった。
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そこには「神ヤハウェを裏切ると罰が与えられる!」とあった。
ジョサヤ王が見たのは恐らくドドラノミーと呼ばれる聖書だ。Dライターとも呼ばれるスクロールだった。
(mh;ヘブライ語聖書と呼ばれる旧約聖書の元になったのは、それ以前に書かれていたテキストです。そのテキストにはいくつかあって夫々にドドラノミー(Dライター?)やらEライターやらPライターやらあるようです。恐らく、それぞれが異なる内容の教えを含んでいて、これら全てを編纂し、ついでに新しい創作話を追加して出来上がったのがヘブライ語聖書、つまり旧約聖書です。)
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神とイスラエル人との契約を詳しく記載したものだ。
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「お前たちは私(神)を愛さねばならない、なぜなら私はイスラエルを愛しているからだ。」神はイスラエルを愛する見返りとして絶対的な忠誠心を要求していた。

「神ヤハウェを裏切ったからこんなことになってしまったのだ!」と王ジョサヤは怒り、イスラエルにあった全ての像と寺院を壊すように命じた。
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神とイスラエル人との約束事は十戒にも明記されていた。
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「私はヤハウェ、お前たちの神だ。お前たちは私以外の神を崇拝してはならない。
偶像を造ってはならない。偶像に礼拝したり偶像を崇拝してはならない。」
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この十戒はジュジュラノミーとエクセディスの2つのバイブルに記されている。
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それは神との約束であると同時に人々の行動規範だった。そしてこれが西洋文明の理想的行動基準にもなっていった。

しかし、このような約束や規範があったのにもかかわらず、古代イスラエル人は他の神を信じていたのだ!

アッシリアに打ち負かされた後の紀元前568年、今度はメソポタミア軍がイスラエルに侵攻してきた。
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バビロニア軍は神聖な都市エルサレムを破壊し焼き払ってしまった。
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そしてイスラエル最後の王サヤカヤを捕え、目を潰してしまった。
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とうとう、神ヤハウェとイスラエル人が交わした約束は崩壊してしまうことになった。永遠に続くはずだったデイビッドとソロモンの王国は建国から400年後に消滅してしまったのだ。
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バビロニア人はイスラエル人を鎖と縄で縛り、奴隷とすべくバビロニアに連れていった。
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楔形文字で残されたバビロンの記録によれば、聖職者も王も、イスラエル人は全てバビロニアに追放されたとある。
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寺院も王も土地も失ったイスラエル人は、どうしたら生き残れたというのだろう。
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しかし・・・寺院に収められていた重要な書類、スクロール(巻物の経典)、はイスラエル人説教者などによって火事の中から持ち出され、密かにバビロニアまで運ばれた。

そして物語は消失を免れたスクロールに記述されていた内容から始まる(???)。
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推定によれば、イスラエルからバビロンに連れてこられた説教者達はバビロンで聖書の編纂を始めた。これがヘブライ語経典と呼ばれる聖書だ!
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Jソース、Dソース、Eソース、これらを編纂しなおしてPソースが出来た、トーラと呼ばれる最初のバイブルだ。
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単に編纂するだけでなく、エイブラハムの物語も、神との約束も追加した。
(mh:神がイスラエル人に土地を与える、という約束事はバビロンに連れて行かれてから創作されたものです!!!ってことは、それまで暮らしていたイスラエルは約束でもらった国ではない、ってことになります。この辺りから話は混沌とし始め、タイムマシンで昔に戻っては歴史を塗り替える作業を繰り返す、捉えどころの無い物語と化していくのです。)

「お前はお前の肉を捧げねばならない。それが私とお前の契約の証となるであろう。」創造記17章。
この一節を記すことで、バビロンに幽閉されたイスラエル人は自分たちが選ばれた民である、という特殊性を確認しあったのだろう。
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エイブラハムが息子を生贄にしようとした話は信仰の力を表現したものだ。Pソースでエイブラハムがバビロニアの首都バビロンよりもユーフラテス川下流の町ウルUrで生まれた、とされたのは単なる偶然ではない。
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バビロンに幽閉されていたイスラエル人は、生まれた土地に帰ることを夢見て、エイブラハムという男を創造し、彼をして神に約束された自分達の土地イスラエルに帰る物語を創作したのだ。
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紀元前6世紀、バビロンのイスラエル人の間で、この物語は強力な影響力を持ち始めた。かつて(?)彼等のために行動してくれた神は、もう一度、立ち上がってくれるのではなかろうか?

彼等はイスラエルに戻る話が書き込まれたテキストをみんなで読み合った。
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生まれ故郷から遠く離れても、王や寺院や土地や宗教指導者が無い今でも、神を尊敬し崇拝し、神との契約を守ることを誓い合った。これはユダヤ教の起源となった。幽閉されていた間に新しい宗教が生まれることになったのだ。

そうしてヘブライ語聖書の最初の5巻(注)が完成した。
(mh注:律法(トーラー)5巻。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)

この経緯はもっと古い証拠によって裏付けられることになった!?
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もっとも明確な古いバイブルは「死海スクロール」だ。1947年、死海の近くの洞穴で羊飼いが偶然、見つけた。
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暑く、乾燥した砂漠だったので、長い間、そのままで保存されていたのだ。49巻あった!
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羊の革やパピルスで造られたスクロールだから永い年月をかけて編集されたものだろう。
調べたら紀元前2世紀のものだった。イスラエル人のバビロニア幽閉から300年後だ。
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幽閉される前にイスラエル人がイスラエルで暮らしていたという事実がもっと確実に証明されなければ、イスラエルと言う国や、イスラエル人という人々の存在すらも疑わしい、と考える考古学者もいた。
「彼等はイスラエルという国があったという物語を創造しただけではないのか?」

エルサレムの古い修道院で新たな発見があった。
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紀元前7世紀ジョサヤ王の時代につくられた洞窟が見つかった。最初、ひどく荒れていたので大きな期待は持たれていなかった所だ。

ある日、ボランティアで発掘作業を手伝っていた13歳の少年が洞窟の床を叩くと一部が崩れ落ちた。床ではなくて天井だったのだ!
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下の床に煙草の吸殻(すいがら)のような小さなものがあった!
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長さ25mm、直径12mmの小さなものだった。銀で造られていることが直ぐ判った。結局2つ見つかった。それらは小さなスクロール(巻物)だった。
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イスラエル博物館の研究室に持ち帰り、慎重にスクロールを広げてみた。
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何かが書かれている!
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神の名のようだ!
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ヤハウェという名が確認された!
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ヘブライ語聖書の一部だ!
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「神をしてあなたを祝福し支えさせん。神をして、その顔を輝かせ、あなたを讃えさせん。神をしてあなたの前に立ちあがらせ、あなたに平穏を与えさせん。」
最も古い聖書の一つに書かれている内容と同じだ!紀元前7世紀の陶磁器に書かれていた記載とも同じだ。死海スクロールより4百年前のものだ。
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つまり銀のスクロールに書かれているヘブライ経典、はイスラエル人がバビロンに幽閉される前のジョサヤ王の時代に書かれた経典の内容と同じだと考えられる。
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やはり、トーラといわれる最初のバイブル(ヘブライ語の経典)はバビロンに幽閉されていた人々が編纂したと考えて好い。
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ヘブライに幽閉された彼等は厳しい現実に立ち向かわねばならなかった。毎日、悩んだ。「何故バビロニアで辛い生活を送らねばならならぬ羽目に陥ったのだろう?何故ヤハウェは我々を見捨てたのだろう?」
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もし別の神を崇拝する王国に打ち負かされたとすれば彼等の神の方が力があったということだ。とすれば自分たちの神を見捨てて彼等の神を崇拝すればよい。しかし生き残ったイスラエル人はヤハウェを敬い続けた。そして、このような悲劇が起きることになった原因はなんだったのだろうか、と苦しみ続けたのだ。
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そこで、イスラエル人は多神教を捨てることを決めたのだ。考古学的証拠がこれを裏付けている。偶像はイスラエルの遺跡で沢山見つかっていた。
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しかし、王国が破壊されると、この信仰は完全に消滅していた。
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バビロニアへ連れていかれて以降、現在の神の概念が生まれることになった。
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一つの国、一つの民のための神ではなく、宇宙全体の神の概念が造られたのだ。
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紀元前539年、バビロニアはペルシャ帝国に吸収される。
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各民族の文化や宗教に寛大なペルシャ帝国の下で、ヤハウェの信仰は公然と町の通りでも語り始められた。
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その説教者の中にエズラという男がいた。彼はイスラエルに戻ると朝から晩まで、通りに出ては人々に聖書を読み聞かせた。人々は神の言葉に魅惑されていった。イスラエル人の追放生活は終焉を迎えたのだ。

このバイブルはヘブライ語聖書となり、現代では旧約聖書として30億人の神聖な聖書になった。旧約聖書は新しい宗教を産んでいったのだ。

イスラム教・・・
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キリスト教・・・
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ユダヤ教・・・
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イスラエル人の神ヤーウェイは3つの宗教の唯一神になった。経典の教えから、現在のモラルと正義は生まれた。
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そうして、3千年前の物語は今も続いている。
(完)
Kingdom of David and Solomon DISCOVERED - Scriptures In The Bible Documentary(2008)
https://www.youtube.com/watch?v=4mKWrIVLNpI

聖書には旧約聖書と新約聖書があります。今回のフィルムはヘブライ語聖書とも呼ばれる旧約聖書の誕生を紹介しています。もう一つの聖書、つまり新約聖書は、キリストの生涯と言葉(福音)や教会の歴史、教会指導者たちの書簡で構成されていて、ギリシャ語聖書と呼ばれています。紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれました。

なお、ユダヤ教はヘブライ語聖書しか認めていないため、新約聖書と区別する旧約聖書という言葉を使わないようです。つまりユダヤ教徒にとってはヘブライ語聖書だけが唯一の聖書で、新約聖書はキリスト教徒が勝手に創ったものだ、といことでしょう。

いやはや、旧約聖書がこのように複雑な経緯の中から2千5百年も前に生まれた物語だとは今回、初めて知ることになりましたが、どこの国でも神を建国の祖に祭り上げる発想はあるようですねぇ。エジプトも神が支配していて、神の子のファラオ、つまり権力者、は神だから国民を統治する権利がある、とか、日本の天皇も天照大神の血統で神の子だから日本帝国のリーダーだ、と言われていました。こういう話を聞くにつけ、神話とか神様というものは、その時の統治者達が、自分たちの権力を正当化するために編み出した方便という気がしてなりません。

そこへいくと我が尊敬するお釈迦様は偉いですねぇ、統治者だった王家に生まれたのに、特権を捨て、人間の幸せとは何かを求めて修行して悟りを開いたんですから。私は断然、神様や聖書に書いてあることより、お釈迦様の教えを信用することに決めてます。
(完)
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