Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

チャチャポヤの不思議

今回は南米ペルーにあった古代都市チャチャポヤを巡るお話です。天空の城マチュピチュから北西に約1千Km離れたアンデス山中にありました。
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もう少し正確に言うと、アンデス山脈のアマゾン側斜面に造られた都市です。チャチャポヤの代表的な遺跡「クエラップ砦Kuelap Fortress」は、西に急斜面を、東に緩斜面をもち、麓(ふもと)の渓谷からは1千mの山の頂きに造られています。海抜は3千mですからかなりの高地なのは間違いありませんが、4千mを超えるアンデス山脈と比べれば低地とも言えます。
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砦の大きさは幅140m、長さ600mでしょうか。
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高さ18mの石垣で囲まれ、入口は4箇所あります。
次の写真は緩斜面側の入口から南半分の様子です。
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次の写真は北方向の様子です。
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円錐形をした入口は、入ってゆくにつれて狭くなり、最後は人一人が通れる幅になります。そして石段を登ると沢山の建物遺跡が広がる場所に到ります。
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上の写真には屋根の付いた建物が一つありますが、観光用に復元されたものだと思います。

このKuelap遺跡に行くのは、なかなか大変なようです。ペルーの首都リマから飛行機、そこからは車で14時間程、最後には徒歩で山の上まで登らねばなりません。リマから車でいくこともあるようですが、早朝に出発しても翌日の夜遅く到着するという強行軍でしょう。山岳部の道路事情は悪いと予想されますので、大袈裟に言えば命がけのドライブでしょうが、見事な遺跡で一度は訪れてみたい所です。

昔、この辺りに住んでいた人々が何と呼ばれていたかについては記録がありませんが、インカ帝国時代に付けられた「チャチャポヤ」という呼び名が今も使われているようです。チャチャポヤの人々、つまりチャチャポヤス、の暮らしと文明が今回ご紹介するYoutubeフィルムのテーマです。
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ペルー北部で千年以上も昔に生まれ、5百年以上も栄えていた神秘の文明がある。チャチャポヤ文明だ。住民は「雲海の人々People of the Clouds」とも呼ばれている。
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チャチャポヤ人(チャチャポヤス)とはどんな人達だったのか?どんな文明を築き、なぜ滅んでしまったのか?
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(南アメリカの失われた王国/雲海の人々)
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西暦900年、アンデスの山の頂にチャチャポヤスと呼ばれる人々が住んでいた。
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彼等の文明について知られていることは少ない。
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高い山の、崩れやすい崖に造られた墓。
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洞窟で見つかった多くのミイラ。
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そして南アメリカで最も興味深い遺跡の一つ、クエラップKuelap。
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1千年以上もの昔、なぜ、高度な文明がこんなにも人里離れた高地で花開くことになったのだろう?
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調査はペルーの首都リマの図書館から始まる。
スパニッシュ・コンキスタドール(スペイン人征服者)が残したチャチャポヤについての記録がある。
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山間(やまあい)に暮らす風変わりな人々だという。
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集落にリーダーがいた形跡はないらしい。不思議な社会だ。
チャチャポヤ文化を調査している女性考古学者と図書館で会って話を聴いた。
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「これまでに発見された遺跡は全体の5%程度です。チャチャポヤに関する資料はあまりに少なく、研究者の数も多くはありません。理由は単純です。調査するにはあまりに人里離れているんです。ペルーに住む学者だって、行くとなると何十時間も車で移動しなければならないんです!」

チャチャポヤはペルーの北部、アンデス山脈の東側にある。
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リマから飛行機で、そこから14時間もドライブしてチャチャポヤ地域に入った。こんな所に文明が開けていたとは驚きだ!
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1万4千年前、人類はアラスカからアメリカ大陸に移り住んでいった。その後、数千年をかけて南アメリカにも到達し繁栄していった。
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その南アメリカでチャチャポヤ文明が現れたのは今から1千1百年前の西暦900年頃だ。
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考古学者たちはアマゾン側の低地から徐々に高地に移り住んだのではないかと考えている。
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斜面に住居を造った。円形をしたものが多い。
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人口は50万人強だったと思われている。
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西にはアンデス山脈が南北に連なり、東には熱帯のジャングルに覆われたアマゾン盆地が広がっている。
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近くを流れるウトクバンバ川。アマゾン川に合流し、数千Km離れた大西洋に注いでいる。
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川はアマゾンとアンデスを結ぶハイウェイだ。ジャングルを行けば数週間かかる旅も川を使えば数日で済む。
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熱帯のジャングルで採れる豊富な量と種類の果物、ハーブ、薬、動物などがアンデスの高地で栽培された農作物などと交易され、文化が築き上げられていったのだろう。
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つまり、チャチャポヤは理想的な交易場所だったわけだ。
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チャチャポヤで作られた品物は経時劣化し易いものが多いが、中には当時のまま残っているものもある。この飾り帽子ではオウムの羽根が使われている。恐らくアマゾンのものだろう。
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動物の毛皮。ミイラ化されて保存されている。
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動物のようなものが彫られた棒。
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こうした製品はアマゾン盆地とアンデス山中の間を行き来して取引きされていた。

アンデス山脈が太平洋岸とアマゾン盆地の交流にとって大きな障害だったの間違いないだろう。しかし、アンデスを流れる川は、山岳を削り、渓谷を形成して低地を提供した。そこはアンデスに掘られたトンネルのようなものだ。川を使えば太平洋岸とアマゾン盆地を結ぶことができた。
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都市チャチャポヤスのある場所はアンデスとアマゾンの丁度中間だ。
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標高2300mにあるチャチャポヤスは今も北部アンデスの主要な町だ。
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ここにはチャチャポヤ文明が産んだ製品が大切に保存されている。
これはリャマの形をした土器だ。
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リャマは食肉にもなったが、南アメリカに馬がない前コロンブス時代、人や荷物の運搬に重要な動物だった。

これは太平洋のエクアドル近辺でよく見つかる貝だ。
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兵士の墓から見つかった。孔が明いている。笛のような楽器だったのではないだろうか。

小さな木の実だ。アマゾンのものに違いない。溝を加工し、紐で腕に巻き付けて腕飾りにしていたようだ。
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チャチャポヤスのマーケットは物で溢れている。昔も同じだっただろう。
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物の交流はいつも情報の交流を伴う。つまり知識が生まれる源だ。
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織物も盛んだ。昔の織物で今も残るものは少ないが技術は変わっていない。
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絵柄は動物が多い。しかし、何を意味しているのかはよく判っていない。
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恐らく低地と高地を結び付けた文明とか信仰などで使われたシンボルのようなものだろう。
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これはキープーと呼ばれる、紐を使ったコード(記号)だ。
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キープーは、インカの言葉で「結び目」を意味する。
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まだ解読できていないコード(記号)だが、驚くべき仕組みになっている。
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当時ですら限られたキープー管理者だけが解読でき、利用していたと考えられている。
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西洋のアルファベットはたった24文字だが、キープーは複雑だ。主紐には長さが異なるいくつもの副紐が結び付けられていて、その間隔はまちまちだ。更には副紐に、このコード(記号)の語源となったキープー、つまり結び目、が様々な形で、かつ様々な間隔で作られている。
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発見された当初は数字の羅列ではないかと思われていた。しかし今では言葉が秘められていると考えられている。キープーは3次元の暗号システムだ。神話や伝説がコード化されているかも知れない。

チャチャポヤス、つまりチャチャポヤの人々、は飲料水や交易手段を提供してくれる川に依存して暮らしていた。にもかかわらず川から離れた山地や崖で暮らしていたのは何故だろう?
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山の斜面では農業をしていた。主要な作物はジャガイモだ。また、斜面の高度に応じて作物の種類は異なっていたようだ。
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山の頂(いただき)には主に宗教的な建物が、中腹には住民の住居が造られたと考えられている。
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今でも屋根の付いた丸い建物が住居や倉庫として使われている。
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秘境の墓場があるという。車はいけない所なので馬に乗り換える。
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目指すはラピタカと呼ばれる所だ。
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侵入者や宝探しなどの目が届かない所にある大きな岩山。
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崖の中腹に「雲海の人」の墓場がある!死者のチャチャポヤだ。
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崖は上から下まで300mある!近代の技術や道具をもってしても、そこへ行くには勇気が必要だ。
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何世紀もの昔、人々はこの崖に死者を弔(とむら)っていた。
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くずれ易い石灰岩の崖だ。恐らく下から登って死者を運び上げたのだろう。

崖の中腹にある洞窟。
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一族の墓だったのだろうか、中には複数の骨があった。
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一体、どんな方法でチャチャポヤの人はここまで登ってきたのだろう???
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崖に木の梁(はり)が飛び出ている所もある。
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高度な建築技術が使われていたようだ。でも、こんな場所にどうして・・・
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他(ほか)にも驚くべき墓場が見つかっていた。ある時、強風で巨木が倒れると洞窟の入り口が現れた。中に200以上ものミイラが眠っていたのだ!
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見つかったミイラは細心の注意を払い保管されている。

子供のミイラもあった。
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一体ずつナイロンの網で作られた保存袋に入れて保管され、調査が行われている。
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布の袋に入ったミイラもあるが、いずれも体や手足が縛られている。
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女性の考古学者と一緒に袋を開いてミイラを調べてみよう。
事前に行われたX線検査で、このミイラは成人で、結核で死んだことが判っている。
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大きな耳飾りを付けている。木製のようだ。
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手を紐でしっかり結び、それを更に顔に結び付けている。袋に入れて持ち運びし易くするためだったと思われている。

チャチャポヤの人々は、ミイラにしてもらい、安心して永遠の眠りについたのだろう。
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「でも何故、彼らはミイラにして死体を残したのですか?」
「だって、それ以外には死者の記憶を残す方法が無かったからよ。先祖を身近に感じ、先祖に見守られながら生活するためだったのよ。」

チャチャポヤの葬儀文化の特徴はミイラだけではない。
サルコファガス・ガイ(sarcophagus石棺guy男)だ。
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粘土で造った人形の棺桶だ。(mh「ペルーのモアイ」とも呼ばれるようです。)
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中には人骨が入っている。
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誰が造ったのか、調査は進んでいない。
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まるで幽霊のように風景の中に溶け込んで一体化している。
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今も自然に守られながら残っている。
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殺人蜂の巣になっているものもあるので近づくのは危険だ。
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山の斜面にはテラスも造られている。目的ははっきりしていない。「我々がここに居るぞ」と誇示するためではないかと考える学者もいる。
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チャチャポヤ遺跡から階級社会の存在を示す形跡は一切(いっさい)見つかっていない。ピラミッドのような墓や金銀財宝が埋葬された墓などは見当らないのだ。全ての人々は、平等で対等に暮らしていたようだ。
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600年の間、この斜面で、文化を育(はぐく)み、階級社会を造らず、祖先を敬(うやま)い、平穏に生きてきた人々。
彼らはチャチャポヤの中心に傑作を造った。クエラップだ!
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高さ19mの石垣。完成まで百年以上かかっただろう。
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最大の石は3トンもある。手作業で造ったなんて信じられない!
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山の頂に造られた要塞のようだ。なぜ、何百万もの石を山の上まで運んでまでして造ったのだろうか?
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入口は4つある。入るにつれて狭くなり、最後は1人しか通過できない構造だ。
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外敵が来ても一人ずつしか入れないから戦いに有利だ。
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そこを抜けるとひらけた場所に出る。
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そこには丸い形の建物の跡がある。
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地中に埋まっているものも含めると400くらいあるらしい。
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クエラップの建設は西暦400年頃に始まったという。完成したのはマチュピチュ遺跡より5百年以上も前だ!
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用途とその構造はとても興味深い。一見、防御を目的とした場所のようだ。
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案内してくれた考古学者は言う「大きさ、城壁、管理された門などから砦だろうと考えている人が多い。しかし、注意深く見ると、ある方向からの攻撃には無防備だ。その上、城壁のところどころに、不思議な彫り物がある。」
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「砦よりもっと意味がある場所だったのではないだろうか。」
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「例えば信仰の場所だ。沢山の遺骨も見つかっている。」
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アンデス山中でひっそりと平和に暮らしていたチャチャポヤスを恐怖が襲うことになった。新しく生まれてきたインカ帝国だ。
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ローマがヨーロッパを征服したように、インカ帝国はエクアドルからアルゼンチンまで南アメリカの西海岸で勢力を拡大していた。
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1470年頃、とうとうチャチャポヤにも手を伸ばしてきた。インカ帝国に張り巡らされていた道路はチャチャポヤに到達した。
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チャチャポヤの繁栄の源だったアマゾンや太平洋との交易ルートはインカ帝国が引き継いだ。チャチャポヤは帝国に2回の反乱を行ったがいずれも征圧された。
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反乱の代償は高かった。多くのチャチャポヤスが戦(いくさ)で殺され、多くの生き残りは追放された。遠くエクアドルや、チチカカ湖まで追いやられた人々もいる。
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結局、チャチャポヤに残ることができた人は、ほんの一握りだった。クエラップでも男や女、大人や子供の200近くの遺骨が見つかっている。それは恐らくインカ軍の大量虐殺によるものだろう。クエラップに居たチャチャポヤスは、こうして消滅することになった。
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インカはチャチャポヤを勢力下に置くことになったが、新たな征服者がこの地にやってくる。スパニッシュ・コンキスタドール(スペイン人征服者)だ。スペイン人は生き残っていたチャチャポヤスたちに「共にインカを攻めよう」と持ち掛けた。

結局、インカ帝国による統治は1535年に終息するが、皮肉なことに、ヨーロッパ人との出会いはチャチャポヤ文明を完全に葬(ほうむ)ることになる。スペイン人が持ち込んだ天然痘や疱瘡などの病(やまい)で、ほそぼそと生き残っていたチャチャポヤスの90%はスペイン人の到来から2百年で死に絶えてしまったのだ。
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そうして「雲海の人の王国」には雲だけが残ることになった。
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しかし、この広い山岳地帯には、チャチャポヤスの痕跡がまだ沢山隠れている。ヨーロッパ人が侵略してくる千年以上も昔に南アメリカで開けた素晴らしい文明の証拠は今も残されているのだ。
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以上がYoutube情報です。

ところで、フィルムによれば、統治者のものらしき大きな墓や統治者なら持っていたと思われる金銀財宝が見つかっていないことから、チャチャポヤの社会は統治者がいなくて、みんな平等で楽しく暮らしていたと結論付けていますが、皆さんも、そう思いますか?

記録が残っていれば白黒の決着が付けられるのですが・・・

記録といえば文字か絵物語が必要でしょう。中南米ではマヤの絵文字が使われていました。紀元前3世紀頃に生まれたようで、最近、解読できるようになりました。
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マヤ文字は物や意味を表す表意文字と、一つの文字が一つの音(おん)を表す音節文字の2種類で構成されているようですが、ルールを知らなければ、見たって表意文字か音節文字かは判りません。

マヤの絵文字は唯一の例外で、その他の文字が南北アメリカで産まれ、使われていたという証拠は見つかっていないようです。つまり、中南米ではスパニッシュ・コンキスタドール、北米ではイタリア人、イギリス人、フランス人などが持ち込んだ、スペイン語、イタリア語、英語、フランス語が使われだす前の南北アメリカ大陸では、マヤを除けば文字は無かったので、住民がどんな生活をしていたのかを知るのはなかなか大変なのです。ナスカ地上絵やマチュピチュなどが、いつ頃、何のために造られたのか、科学的な調査が進むまで、なかなか判りませんでした。今でも判らないことは沢山残されています。

で、話をチャチャポヤに戻すと、チャチャポヤではリーダーが存在しない、誰もが平等な生活が千年もの間、続いていた、というのは本当でしょうか?そうだとしたら、それこそがユートピア(理想郷)とも言えるでしょう。しかし、ユートピアという言葉は1516年、イギリスの法律家トマス・モアがラテン語で書いた長編小説「ユートピア」で始めて現れた、ギリシャ語からの造語で、「どこにもない場所」との意味だということですから、現存したチャチャポヤにリーダーが存在していなかったなんていうことがある訳ない!っていうのがmhの見立てです。

人々を統率していたリーダーは必ず居たと思いますねぇ。
どんなリーダーだったか?可能性が高いのは、宗教、呪術と言ったほうが好いかも知れません、のリーダーかシャーマンなどの超能力者でしょう!日本だったら卑弥呼ですね。ひょっとするとチャチャポヤでも女のリーダーだったかもしれませんが、古今東西、女のリーダーが子々孫々に渡って町や国を統括していたという歴史はないようですから、やっぱ男のリーダーでしょう。

その男が天空の砦「クエラップ」に暮らしていたのだと思います。クエラップに沢山残る丸い建物跡は、寺院もあるでしょうが、大半は住居と妾(めかけ)の棲家(すみか)だと考えると、これまで世界のあちらこちらに伝わる事実と付合して極めて合理的です(?)。

最後になりますが、「チャチャポヤ」という言葉の由来をお知らせしておきましょう。英語版wikiによると次の通りです。「この都市を占拠したインカ帝国が付けた名前で「アイマラ語を話す、森に住む人」という意味の言葉。チャチャポヤの住民が自分達をどう呼んでいたのかは不明。」
因みにアイマラ語はペルーやボリビアの一部で使われていた方言です。

Youtubeフィルムをご覧になりたい方は次のURLでどうぞ。
Lost Kingdoms of South America (2013) Ep1 People of the Clouds
https://www.youtube.com/watch?v=GvGf0JIat0s
(完)
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