Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

アステカ文明の不思議

メキシコ・シティ。2千5百万人が暮らす世界でも最大の都市の一つだ。
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しかし、かつては未開の地だった。周りを山脈や火山に囲まれた湖や湿地帯が広がっていた。
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14世紀になるとメシカと呼ばれる人々が住み着いた。彼等の名前からメキシコという名が生まれた。
しかし、メシカよりもアステカの方が聞き慣れているだろう。中央アメリカで最大の帝国を築き上げた人々だ。
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彼等は、それまでなかったような強力な帝国を打ち建てたが、僅(わず)か200年で地上から去ってしまった。しかし遺跡や、独特な宗教的社会を記述した記録は残された。
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mh:アステカ文明ではピクトグラム(Pictogram絵文字)が使われていたようです。この文字で書かれた経典(テキスト)のようなものは沢山あったのですが、征服者スパニッシュ・コンキスタドールやスペインからやって来たキリスト教宣教師達によってほとんどの本は燃やされてしまいました、邪教だということで。残った本は、たったの数冊です。
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暗黒で塗りつぶされた面もある社会だった。恐怖とともに暮らしていたのだ。
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世界のどの歴史にも現れたことがない程の大規模な生贄の儀式が行われていた!それはアステカ文明の最大の特徴とも言えるだろう。
人の生贄という恐ろしい行為が、どうして文明化した社会で行われ続けていたのだろう?
アステカ人とはどういう人々だったのだろう。

「血と花Blood and Flowers:アステカの探求」
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1519年スパニッシュ・コンキスタドール(征服者)はメキシコ湾岸に到着した。アステカの話を漏れ聞き、宝物を盗もうとやってきたのだ。
初めてアステカ帝国の都テノチティトランを見た時、彼等はその美しさに打たれ、夢ではないかと疑った。そしてこの地を「アメリカのベニス」と呼んだ。
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当時、アステカの首都テノチティトランは湖の中の島に在った。日曜日はこのように人々が船で乗り出して楽しい時間を過ごしていたに違いない。
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人口20万人のテノチティトランは世界で最大の都市の一つだっただろう。現在の首都メキシコ・シティはこの都市の上に建てられている。
メキシコ・シティは、5百年前のように今も花で満ちている。
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花は儀式で使われていた。その儀式は、さすがのスペイン人をも震え上がらせる。
「我々は生贄のため神殿の階段を引きずられながら登っていく男をみた!」
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「祈祷師は男を石の台の上に仰向けに寝かせ、ナイフで心臓を抉(えぐ)り出した!」
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「心臓は彼等の神の偶像に捧げられ、心臓を切り取られた体は階段からけ落とされた!」
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これらの記録を解析した専門家は言う。
「アステカで行われていた生贄はエイリアンの行為そのものだ。つまり我々と同じ人間がしたことだとは思えない!そうなった経緯(いきさつ)は推定するしかないのだが、その行為自体が政権の儀式芸術と考えられていたのだろう。」

なぜ、このように残虐な儀式が行われるようになったのか?そのヒントは、アステカ人がこの地に来た時に発見したものにある。

実は、彼等は北方のインディアンだった。南に旅をしていた。
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そして湖に浮かぶ島にやってきた。
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すると、そこで鷲が蛇を銜(くわ)えてサボテンの上にとまるのを見た。伝説によれば、それは預言通りだったのだ。
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そこで、その場所を都とすることに決めた。
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mh:この逸話はメキシコの国旗に残されています。サボテンの上の鷲は蛇をくわえています。
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島から50km北でアステカ人はテオティワカンに出会った。
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彼らが見たのは偉大な幽霊都市だった!彼らより千年以上も昔から暮らしていた人々はどこかに消え失せ、誰も住んでいなかった!

しかし、テオティワカンに残されていた建築物はアステカ人に思想を植え付けた。
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彼らはピラミッドに彫刻されていた神を自分たちの神として受け入れた。雨の神と、羽が生えた蛇の神だ。しかし、羽が生えた蛇の神は、アステカ人に悲しみの歴史をもたらすことになる。
(mh:テオティワカンや羽が生えた蛇は10月20日のブログを参照ください。)
いずれにしても、アステカ人はこの都市に魅かれた。自分たちの祖先の都市だと考えた。
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アステカ人によれば、太陽の4つの状態を経て世界は造られたという。
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その4つ時代のシンボルが描かれた「太陽の石」。直径3.6mで厚さ1.2m、重量は24トンもある。
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1790年、メキシコ・シティの中央広場の地中で見つかった。
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中央に太陽の顔がある。
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その口には生贄用のナイフが刺されていた!
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伝説によれば、4つの時代は数万年続いた後に破壊され消滅している。
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第四の時代が終わると世界は暗黒で覆われてしまった。
そこで神々はテオティワカンの神殿に集い、火を焚いて新しい太陽を創り出す。
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太陽に命を与え、空を移動して世界を隅々まで照らすよう願った神は、自らを生贄として火の中に飛び込み、心臓を切り出して太陽に捧げた。その時に流れ出た血はアステカ文明の夜明けとなる第5の太陽を創り出した。
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つまり犠牲や生贄は太陽が毎日のぼるための補償だと信じていたのだ。
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犠牲や生贄の風習はアステカ文明で有名になっている出来事だが、実はそれ以前にアメリカで生まれたテオティワカン、マヤ、ト-テックスなどでも行われていた。
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太陽は沈むと二度と現れない。だから太陽を宥(なだ)めておく必要がある、とアステカ人は考えていた。宥める方法の一つが犠牲や生贄だ。

敵対する部族に囲まれていたアステカだが、自然に恵まれ、肥沃な環境の中で力を蓄えていった。
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500年前もアステカ人が暮らす土地からは偉大な山がはっきり見えていた。
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メキシコ・シティから50km離れた場所にアステカ人の信仰を産んだ場所がある。寺院のモデルも見つかっている。
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祈りとともに、花、食べ物、人間の血などが捧げられていた場所だと考えられている。
血が流れる溝と小さな溜まり場が彫られた石もある。
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これらの遺跡はみんな偉大な山の方向を向いて造られている。

アステカ人は湖や湿地を灌漑し、塩水が溜まっていた場所には新鮮な水を引いて耕地を広げていった。チナンパス(浮いている庭)と呼ばれる、メキシコ・シティ周辺の畑は、アステカ人が初めて開拓したものだ。
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今でも昔から行われていた方法で農作業をしている。
水路の底に溜まった肥沃な土壌を掬(すく)い取る。
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それを台地に撒(ま)いて耕地とし、作物を造る。
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こうして造られた肥沃な耕地チナンパスは当時の都テノチティトランに住む人々にとって「パンの籠(Bread Basket)」だった。
しかし、雨が少なければ収穫は落ちる。そんなことが起きないよう雨乞いの儀式を捧げるため、ミニチュア寺院を造って、神への忠誠を表した。寺院は「雲(雨)を造る山」と首都テノチティトランを結ぶ直線状上に配置されている。

アステカ人が「翡翠(ひすい)の様に貴重なもの」と呼んだ首都テノチティトランは湖の中の島にあった。
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そこに、彼らは偉大な寺院テンプロマヨールを造った。
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この寺院には、雨の神と戦いの神が祀られていた。
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そこで生贄にされ心臓をえぐられた死体は階段の下にある石に向けて蹴(け)落された。
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石は直径3.3mで、「太陽の神の軍人」によってバラバラに切り裂かれた「月の神」が彫られていた。
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石は、偉大なピラミッド「テンプロマヨール」で1978年に見つかった。
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この発見の後で偉大な寺院の発掘は開始されている。
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階段は狭くて急勾配だ!これなら死体も途中で止まらず一気に転げ落ちただろう。
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アステカの首都テノチティトランは発達を続け、市場は人と物で溢れていった。
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同じ場所で今でも人々は日常用品や食料の全てを手に入れることができる。
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どんなものが寺院に捧げられていたのかを知ろうと、1990年、科学者たちは、偉大な寺院の土壌を採取して分析を始めた。驚くべき結果も見つかっている。

50種類を超える植物が検出された。小麦粉や種子が重要な食材だった。135種類もの豆類も捧げられていたことが判った。
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動物や植物などで出来た飾りも見つかっている。
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雨と水の神。
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翡翠(ひすい)のビーズは水滴を表している。
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蛇の頭・・・
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アフリカのエジプトに造られた寺院が、身内や関係者だけが集まって祈りを捧げる、いわば内側に向いた寺院のシンボルだとすれば、メキシコの寺院は劇場のような存在で、自然や日常の生活の様子を人々に見せる、外側に向けられた寺院のシンボルだと言えよう。
その、劇場とも言える寺院に展示されていた石の像。リークエと言う名の地中の神だ!
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高さ2.4mで、重さは12トンもある!

「途方も無い石の塊だ!何を使おうが貫くことは出来ない!男でも女でもない!原始的な芸術品とも言える。現代人から見ればエイリアンだ。人間とは全くことなる怪物だ。しかし、自身の存在を強烈に主張している!“お前たちと私とは違うのだ。それを忘れるな!”と言っているのが聞こえるようだ。」

血の流れた跡を象徴する2匹の蛇(serpent)が首に巻かれている。
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この像が持つイメージはアステカ人の生と死の概念を理解する鍵だ、とある考古学者は主張する。
肉体は血が無ければ活動できない。つまり血は神から与えられたものなのだ。
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彼等は儀式の中で血をどのように扱っていたのだろうか。偉大な寺院のそばで見つかった建物がそれを語ってくれる。
ここは鷲の戦士の寺院だと考えられている遺跡だ。
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ここで像が見つかっている。頭に鷲の面を載せ、統治者と同じ服をまとっている。
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更に中に進んでいくと2つの恐ろしい像が並んで立っていた。
死を司る神と神聖な場所を守護する神だ。
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ここでどんな儀式が行われていたのか?考古学者と科学者が共同で調査している。
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床の漆喰(しっくい)を採取し、含まれている物質を検出する。
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香が炊かれていたようだ。儀式の前に室内の大気を純化するためだろう。
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科学者は血の痕跡を見つけた。大量の血が流されていたのだ。
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絵画はかつてサボテン(?)の花があった場所を示している。
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その棘(とげ)で自らの舌や耳を突いては血を流し、神に捧げていた!
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使われたと思われる棘が見つかっている。
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このような自己犠牲や生贄はアステカでは一般的に行われていた。
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このレリーフは戦士がサボテンの花に向かって進んでいる様子を示している。生贄の儀式を行おうとしているのだ。
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多分、アステカの指導者も自らの血を捧げるためにやってきただろう。
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流された血の跡は「死の神」の周りに沢山見つかった。
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記録に残されていたように、きっと大量の血を死の神に掛け流して捧げていたのだろう。
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この儀式は、一人の指導者の死と、後任の指導者の就任を記念して行われていたと考古学者たちは考えている。人間界における生と死のサイクルが永遠に続くことを確認する儀式だった。

こうした儀式が神に認められたのだろうか、北からメキシコの地に移住してたった150年で、アステカはメキシコ湾から太平洋まで広がる帝国を築くことができた。その60年後にスペイン人がやって来た時にはガテマラにも拡大していた。
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アステカ帝国は征服した土地の住民には宝物を差し出すよう要求した。
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翡翠、トルコ石などの宝物が偉大な寺院の近くで見つかっている。
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アステカはビラミッド型の階層社会だった。頂点には軍隊を統率するリーダーが君臨していた。
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統治下の人々から多くの生贄(いけにえ)を召し上げ、神に捧(ささ)げていた。その一方で、アステカ部族からも生贄や犠牲者を捧げていた。つまり、アステカ人にとって、生贄や犠牲は名誉だったのだ。
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しかし、アステカに敵対する部族には、受け入れがたい、致命的なものだったはずだ。
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血は土地にしみ込んで土地を潤し、花を育て、命を育み、そして季節は巡る、というサイクルを信じていたアステカ人は、生贄の儀式という習慣を見る限り、野蛮で非情な人々だったという非難は当てはまるだろう。
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そうは言っても、この時代には、スペインやイギリスなど世界のあちらこちらで、異端者とか政敵とかいう理由から打ち首やさらし首にされた人は多い。アステカ人だけが特別だったというのではなく、彼らにも他の国の人々とおなじ人間的な面があったのは間違いない。つまり、アステカの血と花で飾られた歴史は、アステカ人が奇異な種族だったからというのではなく、人間の複雑な精神面の一つの現れだったと考えるべきだろう。
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アステカ人の優しい心情は彼等の芸術に現れている。「この世に生まれたのは生きるためではない。静かに眠り、夢を見るためだ」という美しい詩も残されている。
そして彼等は花を愛していた。「春になると草は緑になり、花は開く。すると我々の心も花のように開き、そしていつかは死んでいく。」
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詩は音楽であり、喜びであった。このように詩を愛し、花を愛(め)でる一方で、肉体的な犠牲や生贄を捧げ続けた。彼らにとって、生と死は常に一体だった。血の儀式はアステカを支える柱だった。
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1450年、それまで4年続いた飢饉は最悪な状態を迎えていた。
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アステカ人が残した記録によれば数千人が病や飢えで死んでいった。恐らく、神はもっと多くの生贄を要求していたに違いない。

偉大な寺院の近く、今はマーケットがある場所のそばで、考古学者は恐ろしいものを発掘した。飢饉のあった年に起きた出来事の跡だ。
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寺院の下の段をおりた場所に子供の遺骨40体を見つけた。
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骨は神への捧げ物と一緒に見つかった。
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偉大な寺院でも同じ時期に捧げられた子供の犠牲者の骨が沢山見つかっている。子供を生贄にするのはアステカ人にとって珍しいことではないが、この数の多さは異常だ。犠牲者は全て2~6歳だった。
科学者たちは、これらの子供たちが選ばれた理由を知るために骨のDNA分析をしている。彼等の性別や健康状態についても判るだろう。
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いずれにしても飢饉をなんとか乗り切った人々は、感謝のためテスコシンゴの丘に寺院を造った。
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水の神とその女神に捧げられた寺院だ。このことはアステカ人の記録にも残されていた。
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水を現実の世界に導く理想的な世界のモデルをこの地で造り上げたのだ。
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祈祷師は寺院を巡るように造られた水路に沿った道を歩きながら祈りを捧げた。
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アステカ人は園芸にも優れた能力を持っていた。新種の植物を育てた。ハーブや麻酔などの植物の開発でも有名だ。
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しかし、彼等の癒(いや)しの能力や努力も、次にやって来た災難には無力だった。
スペイン人がやって来る1519年の数年前、オーメンズ(?敵対する部族です)の度重なる侵略を受けた。
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その時、偉大な寺院は火災にあった。そして、落ち着くまもなくスパニッシュ・コンキスタドール(征服者)が来たのだ。
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彼等はアステカ人にとってエイリアンのように理解しがたいものだった。アステカが亡んだのは、この、全く異質な人種に対する恐れが原因だったのではなかろうか。しかも、スペイン人がアステカにやってきたのは、太陽が沈んで消滅する時、つまりアステカ人が信じていた時代の変わり目の時でもあった。更に、預言によれば、その暗黒を終わらせ平和と正義をもたらす者は白い肌をもった人だった!そんなこともあって当初、アステカ人はスペイン人を歓迎した。
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(mh:しかし、そんなに都合の良い時期に都合よくスペイン人が、神に招かれて(?)メキシコに来たんですかねぇ?宝物を分捕りに来たんでしょ?どうも、南北アメリカに進出した欧州の征服者の都合よい理屈に聞こえて仕方ありません。神様っていうのは、誰かさんの都合の良いことばかり、言ったり、したりしているようで、そういう神様は好きになれませんねぇ、私は。)

スペイン人のリーダーはアステカ人の第一印象を次の様にスペイン国王に伝えている。
「ここの人々は調和がとれ組織的でスペイン人のようだ。信仰深く、文化的で、そのうえ友好的だ。」
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しかし、アステカに敵対する原住民の間には、1487年に8万人の人が生贄として捧げられた恨みが残っていた。そこに持ってきて、スペイン人は、もともと、アステカ帝国を占領するためだけに来たのではない、富を得るために来たのだ!そこで、アステカに敵対していた数十万の原住民と、たった数百人のスパニッシュ・コンキスタドールは連合してアステカ人の殺戮(さつりく)を開始した!
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つまりアステカ帝国の占領はスペイン人による占領であるとともにインディアンたちによる占領でもあった。(mh:これも欧州人の一方的な見方だと思いますねぇ。)

こうして、アステカは滅ぼされてしまった。スペイン人占領者はアステカの寺院を解体し、その材料を使ってキリスト教会を造った。
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偉大な寺院跡には、メキシコ・シティの中心である大聖堂(カシードラルcathedral)が造られた。
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スペイン語はこの地の主力言語になっていった。

スペイン人はアステカ人に労働を強いた。多くのアステカ人が処刑されることもあった。
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その結果、占領から100年で90%のメキシコの土着民は消滅してしまう。
最強の殺戮者は流行り病だ。天然痘(smallpox)などの外来病によって抵抗力が無かったアメリカの土着民の多くが死んでいった。
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新しくできた国家は原住民に厳(きび)しい体制を敷いた。おかげでアステカ人は辛い生活を送るはめになった。
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こうして消滅してしまったアステカ帝国から新しい世代が生まれることになった。メスチーソだ。
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メスチーソはヨーロッパ人とインディアン(原住民)の混血で生まれた人種だ。今のメキシコの大半を占めている。
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アステカとスペインの文明の融合は宗教にも表れている。
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「キリスト教のシンボルであるイエスキリストは十字架の上で自分を犠牲にした。これはアステカ人が自らを犠牲にして神に血を捧げた考えと共通する。」
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文明と信仰は融合しながら変貌し、新しい文明を造る時代が始まった。
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メキシコは新たな国家として発展を続けているが、その裏にはいろいろな問題を抱えている。
アステカ文明の発達と滅亡は、先例や警告となってメキシコの発展に役立つことになるだろう。
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以上がBBC英国放送協会の教育チャンネル(BBC Learning)で放送されたフィルムですが、文中でもコメントしたように、スペインの肩を持ちすぎている番組ではないかと思います。「スペイン人がアステカを破壊しなければ今のメキシコはない」というのはレトリックとしては成立しますが、そもそもスペイン人は黄金などの宝物を略奪するためにアメリカに渡り、略奪だけでは飽き足らずに原住民を殺害し尽くしたのですから、非難されるべきで、称賛されるのはどう考えても納得いきません。
スペイン人が来なくてもアステカ人自らが変革し成長して独自の文化や文明を築いていたであろうことは間違いありません。

このフィルムを作成したBBC英国放送協会のあるイギリスも、スペインに負けず劣らず、アフリカや中近東、アジアにまで侵略し、富と労力と資源を搾取した歴史がありますから、スペインを非難すると自国の汚点をさらけ出すことになります。それでは、視聴者の英国民の気分を害する番組になるので、自分たちに都合のいいレトリックで歴史をベールに包んで番組制作したのだと思います。

頼まれもしないのに、他国に攻め入り、他国の人々を殺戮し、他国の富や資源を奪う行為は、キリスト教徒の国によって行われましたが、神道のわが日本も彼等を手本に中国や東南アジアに進出した実績があります。共産主義のロシアや中国も周辺の弱小国を取り込んでは搾取した歴史がありますし、今も続けています。アステカ人も他の部族を滅ぼしたり生贄として殺戮したりしたのですから、スペイン人に滅ぼされたのは因果応報と言えますが、このような理不尽な事件は、人間の愚かさを考えると、今後も世界のあちらこちらで起こる可能性がありますから、どうしたもんでしょうねぇ。
なんとかするには、国際交流を広め、深め、お互いを理解する以外に道はないのではないかと思います。とすればmhのブログや海外旅行は世界平和の礎(いしずえ)になる重要なイベントです。今後も、体力と資金が続く限り、ブログと世界旅行を続けよう、と改めて決意した次第です。
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(完)
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頼まれもしないのに、他国に攻め入り、他国の人々を殺戮し、他国の富や資源を奪う行為は、キリスト教徒の国によって行われましたが、神道のわが日本も彼等を手本に中国や東南アジアに進出した実績があります。共産主義のロシアや中国も周辺の弱小国を取り込んでは搾取した歴史がありますし、今も続けています。アステカ人も他の部族を滅ぼしたり生贄として殺戮したりしたのですから、スペイン人に滅ぼされたのは因果応報と言えますが、このような理不尽な事件は、人間の愚かさを考えると、今後も世界のあちらこちらで起こる可能性がありますから、どうしたもんでしょうねぇ。

頼まれてとは書いておりませんよ。
ちょうど良いタイミングに来たと書いてあります。
白人が押し付けがましいのではなく、自信を持っている事から着ます。
自信があり、自分より相手が自分が勝つことを決めるという事となっております。
そんな事はあるのかと言いますが、戦いとは常に向かい合わないことです。ですのでどちらかが勝つのです。
タイミングがありますので、それまで見方につけているという事を言っているわけです。
ですので相手が逆らった事は自信に関係の無い事で自信に関係がないのです。
特に自信に関係することですので、南アメリカの話は流行っていることとなっております。

かなりいいこ | URL | 2015-06-10(Wed)12:56 [編集]