Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ツタンカーメンの呪い

エジプトの王(ファラオ)ツタンカーメンの墓はナイル中流の「王家の谷The Kings’ Valley」にあります。下のGoogle Earthでナイルに刺された黄色のピンの位置です。
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王家の谷はナイル西岸の砂漠に、東岸は今も残る古代都市ルクソールLuxorです。
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王家の谷の近辺の衛星写真です。一番西(左側)のピンはピラミッド・マウンテン、その北東に王家の谷、その南東にはハトシェプスト女王寺院があります。
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下の写真はGoogle Earthで見つけました。道路の奥には王家の谷。その奥に聳(そび)える三角の山がピラミッド・マウンテンです。
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王家の谷から山一つ隔てた世界遺産ハトシェプスト女王寺院。
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王家の谷とハトシェプスト女王寺院の間にある小高い山の上から全方向撮影したGoogle Earthの連続写真を見てみましょう。
北を12時方向とすると、次の写真は2時方向。遠くに見えるのはナイルです。ハトシェプスト女王寺院へのアクセス道路が見えていますが、寺院は手前の山の陰で見えません。
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次の写真は1時方向。左奥の舗装された道路は王家の谷へ続く道です。
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次は11時方向。中央辺りが王家の谷の中心です。
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次は10時方向。左奥に聳えるのがピラミッド・マウンテンです。
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一方、ナイル東岸のルクソールには、これまた世界遺産のカルナック神殿があります。
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見事な石柱群です!
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ファラオの大きな石像があります。
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ファラオというと立派な髭をもつ像がほとんどですが、実生活では髭は綺麗に剃(そ)られていて、像になる場合だけ付けられていた、というネット情報がありました。理由は"信仰"の一語に尽きるとのこと。「死後の世界で死者たちを裁く役目のオシリス神は残存する美術品の数々に姿を見せているが、その立派な髭は独特で人工的な感じだ。」
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ファラオ像では、これを真似た、というんです。
別の情報も調べて見ましょう。
ある女性のブロガーの記事によると「あれはファラオのお言葉、ご意思を示している」とのこと。
別の記事によれば、髭は王としての威厳を示すためのもので「堂々たるあごひげを生やしている必要があったことから、ツタンカーメンのような若者は、つけひげを着用した。女性ファラオだったハトシェプストも、わざわざつけひげを利用していた。ファラオの像にも、たいていあごひげが描かれている」。
つまり、普段から髭を生やしていたファラオもいたし、髭をはやしていないファラオは威厳を示す儀式などでは付け髭をした、ということのようです。

これまで多くの遺跡に関するブログをご紹介し、その中でもご指摘させて頂きましたが、リーダーは神か、もしくは神と人民を取り持つ神官が多いんです。リーダーっていう人達は、どうしても神の力をバックに持ちたがるんですねぇ。日本の天皇もそうで、神の子孫です。卑弥呼も霊媒者です。イスラム国家のイランもアッラーに仕えるイスラム教指導者が実質的な国家元首です。
つまるところ、リーダーはその正当性を神から与えられたことにしないと収まりが付かないってことではないかと思います。その点、共産主義は神を否定し、国民の意志でリーダーが選ばれるのですから民主的(!?)に見えますが、選ばれた人や党員は、いずれ権力に固執しますから、落ち着く先はみんな同じで、権力の私物化や世襲化は世界の至る所で繰り返され継続されることになります。

話が大分、本題から反(そ)れてしまいました。それでは、いよいよYoutubeフィルム「World of Mysteries – Tutankhamun」の始まりです。
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3千年の間、ツタンカーメンの墓はエジプトの砂漠の砂の下に隠されていた、考古学者が彼の眠りを覚まして恐ろしい呪いの連鎖を引き起こすまで・・・
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呪いは100年も続いている。
「Tutankhamun Curse of the Boy Kingツタンカーメン;少年王の呪い」
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3千年前にエジプトの王が突然死んだ時、その死を巡るミステリーが、あることが切っ掛けとなって科学者の関心を引くことになった。
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1922年、彼の墓が発掘された。その時、彼の呪いが始まったのだ!!!
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エジプトの砂漠・・・アメリカ・テキサス州の2倍の面積がある。
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その砂漠を滔々(とうとう)と流れるナイル。エジプトの命の源となる川だ。
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エジプトは神秘に満ちている。見事なモニュメントも一杯ある。
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偉大な過去を今も見せつけるような寺院・・・
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今から3千年前、エジプトは世界で最も進んだ文明を築き上げていた。
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化学、天文学、文字(ヒエログリフ)、高度な宗教・・・
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そのエジプトで、成功と勝利、恐怖と悲劇をもたらす物語が始まる。
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考古学者がエジプトの砂漠の丘でツタンカーメンの墓を発見した時、彼は素晴らしい宝物も見つけた!
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しかし、その宝物はほんの手始めでしかなかったのだ!!!

ロンドンの西60Kmのハイクリア城。
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女王の守護貴族フォード・クナーベンの居城だ。現城主のクナーベンは8代目になる。
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第5代クナーベン、つまり彼の祖祖父ジョージ・ハーバット・クナーベン。
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ツタンカーメンの墓の発見はこの男のおかげだった。

「祖祖父ジョージは偉大な探検家だった。」
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「競馬、写真、スポーツカー、など広い分野に関心を持っていた。」
(mh:私に言わせれば単なる娯楽や趣味でしかありません。それにしても、羨ましいです!!!)
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1903年ジョージ・クナーベンはエジプトを訪れた。
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当時、エジプトはミステリーで満ち溢(あふ)れていた。
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クナーベンは趣味のカメラで写真を撮りまくった。
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これらの写真は今もクナーベン家に伝わるアルバムに残されている。
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クナーベンは言った「ピラミッドを見るとエジプト人は超能力を持っていたのではないかと思わざるを得ない。」
エジプトが秘めた多くのミステリーとモニュメントはクナーベンを陶酔させていた。そして、そのエジプトでクナーベンは考古学者ハウァード・カーターに出会う。
(下の写真:左;ジョージ・クナーベン、右;ハウァード・カーター)
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カーターは野心家で行動力があり「エジプトで王の墓を見つけて名を成したい!」と考えていた。発掘隊を編成し、3千5百年前に造られたという王家の谷の発掘を進めていた。
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ヨーロッパの探検家たちが150年程前に王家の谷にやって来た時、大半の墓は既に墓荒らしが盗掘済みだった。しかし探検家カーターは素晴らしい墓が一つ残されているはずだ、と確信していた。

詳しく調べるには資金が必要だ!
そこで彼はイギリスのクナーベン城を訪れ、城主に資金提供を依頼した。
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クナーベンは関心を示した。カーターの情熱はとうとうクナーベンから資金援助を引き出すことに成功する。

「3千5百年前の宝物を見つけるのだ。ひょっとすると寝ている悪魔を目覚めさせてしまうかも知れないけれど」
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1907年、王家の谷でささやかだが発見があった。
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KB54と名づけられた場所を発掘していた作業者が、墓の存在を暗示する土器や飾りを見つけた。
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それには「ツタンカーメン」という名が書かれていた!
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この出来事は彼らが墓を見つける12年前のことで、その後、暫くの間、はかばかしい発見は無かった。
1921年、クナーベンは発掘の打ち切りを決めた。これを伝え聞いたカーターはエジプトからイギリスに戻り「もう少し作業を続ければきっと何か発見できる!」とクナーベンを説得した。
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「わかった、もう1年の資金は提供しよう。」

この決断が成果を生み出すことになる。
1922年11月1日、カーター探検隊で働いていた少年が階段を見つけた。
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10年余の作業で最も意味のある出来事だった。何が見つかるのだろうか?カーターは夢を膨らませた。

次の日、カーターは地下に繋がる階段を確認した。
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階段の下には壁があった。
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壁の向うに宝があるに違いない!

イギリスにいたクナーベンは「急いでエジプトに来るように」というカーターからの電報を受け取ると、直ぐに出発することを決めた。

出発の前夜、クナーベンは交霊会を開いた。
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そこで霊媒師は「墓の中には危険が潜んでいる!」と告げる。しかし、クナーベンは忠告を無視してエジプトに向かった。

彼が現場に着くと、直ちに壁の破壊作業が開始された。すると通路が現れた。
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通路の奥には、また壁がある。その壁を見て身の毛がよだった!「ツタンカーメン」とスタンプが押されている!
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この向うに十年以上捜し求めて来た宝物があるに違いない!!!

カーターは壁をハンマーで叩いて穴を明けた。3千5百年の間、闇で覆われていた空間に外の空気が流れ込んだ瞬間だった。
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カーターが灯の付いた蝋燭(ろうそく)を中に入れると吹き消されるように消えてしまった。
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もう一度、火をつけ、中に入れて照らしてみた。僅かな灯に反射するものがある!
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宝物だ!!!
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それも沢山ある!!!
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そこはこの墓の第一の部屋で、黄泉の国で王が必要とする品々が保管されていた所だった。
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(mh:いずれも当時の現場写真です。)
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壁を破壊した丁度その時、カーターがエジプトの家で鳥かごにいれて飼っていたカナリアが、侵入してきた蛇に殺されてしまった!
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それは恐ろしい出来事の前兆だった。

エジプトの王は蛇の飾りがついた兜(かぶと:ヘルメット)を被る。蛇は敵の目に毒を吐きつけて退散させると言われていた。
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カナリアが蛇に殺されたのはツタンカーメンが最初の犠牲者を要求したからなのか?

新聞はこぞって、この事件を取り上げた。墓には「王の眠りを乱すものは死をもって償(つぐな)わねばならない!」と書かれたタブレット(石板)があった!と言う記事も出た、そのタブレットが何処にあったのかは、実は誰も知っていない。いずれにしても新聞は「エジプトの墓には墓を守る不思議な力が蓄えられている!」と書き立てた。

カーターとクナーベンは第一の部屋で多くの宝物を見つけたが棺は無かった。どこかに隠し部屋があるに間違いない!
(CG:中央に第一の部屋、そこから右下隅に延びるのが外部に繋がる通路)
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棺を見つける前に、カーターとクナーベンは、まず宝物を運び出さねばならなかった。
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ツタンカーメンの宝の発見は1920年代で最大の大衆的ニュースになった。
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次から次に運び出された宝はカイロに運ばれた。
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カーターは有頂天だった。夢が現実になったのだ!
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クナーベンは自分のアルバムに保管する写真の撮影に忙しかった。
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第一の部屋の宝を持ち出し終えた処でツタンカーメンの棺の探索を再開した。
彼は必ず近くで眠っている!しかしどこで???

長椅子の下に小さな穴を見つけていた。玄室への入り口か???
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しかし、穴の向こうの第二の部屋は単なる倉庫だった。めぼしい物は何も無い。
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彼等は次に、第一の部屋の右壁に注目した。2つの兵士像が守るように立っている!
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3千年の眠りについている王の玄室を隠した壁かも知れない!
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今度は成功した。壁の向こうの第三の部屋には光り輝く黄金があった!
・・・が、棺は無い。
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しかし、とうとう、彼らは棺の部屋を探し当てる。
第三の部屋の壁を壊すと第四の部屋が見つかったのだ。棺が置かれた玄室だった!
(玄室は下のCGで一番右上隅の部屋です。)
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玄室には更に貴重な宝物があった!
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屏風で囲われた祭壇だ。屏風は3つ折りで、300ポンド(150Kg)の純金で出来ていた。
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その屏風を開けると・・・ツタンカーメンのミイラが現れた!
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見事な黄金のマスクを被っている!
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しかしカーターがミイラに直接対面する前、クナーベンは死んでしまうのだ!

棺発見から10日後、クナーベンは蚊に顔を刺された。誰も気にもしなかった。しかし数日で健康状態が悪化し、クナーベンは王家の谷の町ルクソールからナイルを1千Km下ったカイロのホテルに戻ることにした。熱が高く、血液中毒(blood poisoning)に罹(かか)ったらしい。1923年4月5日の夕方、足を引きずりながら、やっとホテルに到着した。
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その7時間後、クナーベンは死亡する!

奇妙な出来事はこれで終わりではなかった。ナーベンが死んだ時、カイロ中が停電した!
同じ頃、イギリスではクナーベンのペット犬がひと鳴きした後で死んでしまった!

2年後、カーターがミイラの詳細調査をした時、彼はミイラの頬に傷を見つけた。クナーベンが蚊に刺された、丁度同じ位置にある!
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忌(いま)まわしい事件はクナーベンの死で終わりにはならなかった!
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発掘に直接かかわった22人が、元気だったのにも関わらず死んでいった。それはツタンカーメンの呪いなのか?それとも単なる偶然か?

探検隊のリーダー格だったアーサー・メイスは肺炎で死亡した。
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棺桶の蓋を開けた放射線科医は突然倒れて死亡した。原因は不明だ。
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カーターの同僚で墓の発掘に立ち会ったアーサー・キャレンダーは肺炎で死亡した。
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アメリカ人ビジネスマンのジョージ・デイグーは墓に入って24時間後、高熱で死亡した。
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クナーベンの妻カルテス・アルミーナも虫に噛(か)まれて死亡した。
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弟のオブリー・ハーバートは血液中毒で死亡した。
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クナーベンの秘書だったリチャード・ベッソルはロンドンのクラブで不自然死をし遂げた。

ラトゥルの父、ロード・ウェスパリーは呪いに楯突く言葉を吐きながら、城の屋上から飛び降りて自殺した。
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「ウェストバリー卿とファラオの呪い:考古学者の息子の死を嘆いて;自殺の前に書かれた遺書“私はこれ以上、恐怖に耐えられない!”」

ツタンカーメンの呪いの物語は数年の間、世界中で囁(ささや)かれ続けた。
しかし、現在では「ミイラの復讐」とは異なる問題があったのではないかと専門家たちは信じている。
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(ハリウッド映画より;3千年も死んでいるのに、生きている!)

1922年にクナーベンとカーターが墓を暴(あば)いて王の眠りを妨げたから呪いを受けたのだ、というのが大衆の意見だった。それを題材に映画も作られた。

「この棺を開けた者は全て永遠の罪を受けるであろう!」
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「ファラオの呪い」という概念は大衆の心の中に植え付けられてしまった!
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永遠の眠りについている王の墓を暴くのはタブーで、それを犯した者は罰せられる、という話は大衆には受け入れやすかった。マスコミも、一連の出来事を単に宝の発見の話だけで終わらせたくなかった。もっと扇情的な話題を求めていた。だから呪いの話は尾ひれがついて語られることになったのではなかろうか。

「墓の発掘から1週間後にクナーベン卿が死亡したが、その時に物語が始まったのだ!」
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「爆発的に広がるツタンカーメンの呪い:ミイラを包んだ包帯を取り外す作業に立ち会い、今も生きている人たち全員の現状」
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「マリー・コレリ女史は、病床のクナーベン卿の蚊に刺された場所より、ファラオの手相に着目した。 “ミイラを追い求めたことで不幸が起きないよう希望している”と書いた手紙をクナーベン卿に送っていた、と彼女はニューヨーク・ワールド紙に投稿した。」

こんなことがあったりしたものだからミイラの呪いの話は更に膨らんでいった。
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ハリウッドは映画を作って呪いの話を更に掻き立てた。お蔭でクナーベンの名誉は傷つけられただろう。
「タブーを破ったのだから罰せられても当然だ!」

真実はどうであれ、呪いの話でエジプト観光客が減ることは無かった。
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観光客はナイル・クルーズで平穏な時間を楽しみ、古代遺跡を訪れて好奇心を満足させた。
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ツタンカーメンを巡るミステリーはエジプトを訪れる絶好の動機にもなった。
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死者の谷はエジプトロジストと呼ばれる考古学者達が必ず訪れるメッカになった。
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考古学者たちは呪いを見つけに来るのではない、古代のエジプトの様子をもっと知ろうとして訪れるのだ。

イギリス人科学者ドドゥソンもその一人だ。
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彼は呪いには関心はない。ツタンカーメンの生活と、多くの考古学者が関心を持っている、王が死に至った理由、を知りたいと考えていた。
彼はルクソールから調査を開始した。テーベと呼ばれていた首都だ。恐らく世界で最も有名な町だった。
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ルクソールはナイルを挟んで王家の墓の対岸にある。
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ツタンカーメンの時代でも、ナイルはエジプトで最も重要な役割を果たしていた。ツタンカーメンの死後に行われた儀式でも重要な役割を果たしたことをドドゥソンは知っている。
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彼はルクソールにあるカルナック神殿でツタンカーメンを知るために重要なヒントを見つけた。この神殿は200エーカー(注)もあり、今でもエジプト最大の寺院だ。
(注:1エーカーは約4千平方メートルですから200エーカーとなると1辺が900mの正方形の面積と同じです!)

かつてエジプトの王はここを歩いた、169本の石柱があったホールだ。
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今は年間数百万人の観光客たちの関心を惹き付けている遺跡だ。
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彼は、若きツタンカーメンがどんな男だったのか、なぜ彼は死んだのかを確かめようとしている。
数百年の間、ツタンカーメンについてはこの像でしか知られていなかった。
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彼の名と彼の生きていた時代については知られていたが、どんな人間関係を持つ男か、何歳で死んだのか、などについては誰も知らなかった。しかし彼の墓の発見は多くの疑問を解き明かしてくれた。最も重要な情報を持っていたのは彼の遺体だろう。特に科学者にとっては重要な情報源だった。

「エジプト人は“死ぬと体は現世に残り、精神は来世を生き続ける”と信じていた。だから体は永遠に保存され続けねばならないと考えた。これを成し遂げるため、特殊な儀式を考案した。王が死ぬと死体はナイルを横切ってルクソールの対岸に運ばれた。それは生の世界から死の世界へ、日がいずる現世から日が沈む来世への旅立ちだった。」
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対岸で死体にミイラ処理が施された。

対岸にある町。この町全体がネクロポリス(necropolis)つまり死者の都市だった。今でも1万以上の死体が埋められている。
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ミイラ処理ではまず、全ての内臓を除去する。
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脳みそは鼻から取り出す。
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細い金属の棒を鼻から頭蓋骨の中に差し込んで明けた穴から脳みそを取り出し、最後に水で洗い流していた。
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その後、体全体を塩漬けして脱水する。
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最後に体全体をリネン(注)で包む。
(注:リネン;フラックス(亜麻)という草の茎から作る麻)
ツタンカーメンもこうしてミイラ処理され、3千年の眠りについた。

ツタンカーメンは殺されたのかを調べるために科学者ドドゥソンは彼の墓を訪れた。出来れば、誰が、何が、彼を殺したのかも知りたかった。(mh:棺は今でも昔からの場所に残されているようです。)
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ドドゥソンは、墓がほかの王たちのものより小さいことに気付いた。恐らく、王の死が突然だったからに違いない。
しかし、もっと重要だったのは王が20歳に到る前に死んでいることだ。
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1960年まで、何故死んだのかを示すものは見つかっていなかった。
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1968年、発見後初めて、遺体(ミイラ)を詳しく調べることになった。リネンの布が取り払われた。
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ツタンカーメン王の頭は体から取り外された。
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そしてX線で調べられた。
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科学者は妙なものに気付いた。後頭部にできた小さな傷だ。何かが強く当たって出来たものだ。
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彼は殺されたのではないだろうか?としたら、誰が、何のために殺したのか?
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3人の候補者がいた。一人目は神官のアイだ。ツタンカーメンの後に王位に就いた。
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二人目の候補者ホルエムヘブ将軍はアイの後をついで王位についた。
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もう一人の候補者はツタンカーメンの妻、アンケセナーメンだ。
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なんと言っても最有力候補はアイだ。ツタンカーメンが王だった時、彼は軍隊のリーダーだった。彼はツタンカーメンの死後、なんの血縁もないのに王位につく。墓の壁に描かれていた絵はアイがこの後ろめたさを隠そうとしていることを暗示している。ミイラになり、白いリネンの布に包(くる)まったツタンカーメンがアイに王位を譲る様子を示す絵だ。
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こんな様子を描いた絵はエジプトの長い歴史の中でもこれだけだ!アイは、自分が王位についたことの正当性を示したかったのに違いない!
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アイは殺人の動機を持っているように思える。アイに殺された可能性は高い!

しかし、他にもツタンカーメンの死を説明することもできる。滑って転んだり、狩りなどで怪我をしたり、戦いで怪我をしたりして死んだのかもしれないのだ。

どんな原因で死んだにしろ、ツタンカーメンは膨大な量の宝物とともに埋葬された。そのこと自体が呪いを産み出すことになったとも言える。
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旅行者にとってエジプトはアフリカの中でも最も人気の場所だ。彼等の重要な滞在地は言うまでも無く首都カイロだ。
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人口1千7百万人。世界でも最大の都市の一つで人口密度も最も高い。
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30年前、人に溢れて喧騒なこの町が一連の事故死に襲われた。人々はツタンカーメンの呪いではないかと口にした。

1922年に墓で発見された宝物はカイロのエジプト博物館に移されていた。
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博物館の展示物は3分の1がツタンカーメンに関するものだ。
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それらは、かつて、狭い墓の中に詰め込まれ何千年もの間、保管されていた。
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そしてこれが、世界で最も価値があるものの一つだ。何百万人もの人がこれを見て感嘆する。
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黄金のマスクだ。道具を使ってツタンカーメンの頭から取り除かれたものだ。
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今はカイロの博物館に戻されている。しかし1970年、世界旅行に出たことがあるのだ。

ツタンカーメンの呪いがまた始まるのではないか、と人々は噂し出した。博物館の骨董品責任者は、ツタンカーメンの宝はエジプトに置いておかねばならない、と信じていた。会議を終え博物館の前の道路を横切ろうとした時、彼は車に跳ねられて即死してしまう。

1972年、後任のガムエル・メツレズ博士はカイロから英国に宝を運び出す手はずを整えた。そして次の日の夜、心臓発作で死亡した。
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ロンドンに宝を運ぶ飛行機の操縦士や機関士の3人は、家が火事にあったり、事故で片足が不自由になったり、心臓発作で死亡したりした。
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今、ツタンカーメンの黄金のマスクはエジプト博物館で展示されていて、ツタンカーメンの呪いについても心ゆくまで調べられる状態になっている。
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サリマ博士は言う「ツタンカーメンの墓は黄金で一杯だったので大勢の関心を引いたのよ。」
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「宝の発見以降、エジプトを初めて訪れる欧米人も多くなって、その人たちの中には、エジプト人は古代からの知恵の積み重ねのおかげで信じられないような不思議な能力を持っているって思う人が多かったの。」
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もしそれが真実ならミイラの呪いだってエジプト人なら引き起こせたに違いない。
確かに、昔のテキストの中には、墓を荒らした者の所に特別な鳥や動物がやってきて呪い殺してしまう物語が描かれているものもある。
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この類(たぐい)の話は、それを信じる人々に対しては効果的だが、そうでない人には全く効力がない!

彼女は“これまでの色々な事件は単なる偶然で、不思議な力が引き起こしたものではない”という。
「クナーベンが死んだ夜に停電になったというけど、カイロの停電は当時なら頻繁に起きていたの。今もしょっちゅう起きてるわ。ペットだって、今まで一緒だった主人が外国に行ってしまうと、死んでしまったのではないかと落胆して、体調を崩して死んでしまうことだってあるはずだわ。」

発見から50年後、宝はアメリカに運び出された。
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この時も呪いの話は世間を騒がせた。次のような出来事もあった。
アメリカのある人からエジプトにミイラの欠片(かけら)が送られてきた。“昔、爺さんがエジプトを訪れた時にミイラの小さな骨を買って持ち帰った。でも、その呪いで自分が死ぬのでは、と心配になったので、骨はエジプトに返したい”とのことだった!

不思議な出来事は最近ツタンカーメンの墓を訪れた人にも起きている。
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ツタンカーメンのミイラは当時の様に復元された黄金の棺の中で眠っている。
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1992年、歴史家クリストファーは、人々の間で話題だった少年王ツタンカーメンのTV番組撮影で6週間、エジプトに滞在していた。
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クリストファーは言う「私はツタンカーメンの墓の中で解説を始めたんだ。」
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「その際中に全ての光が突然消えて完全な暗闇になってしまった!」
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「出口がどこかもはっきり覚えていない墓の中の暗闇にいると誰だって冷や汗ものだよ。幸い、その時は何事も起きなかったけどね。」

「その後、撮影メンバー全員と一緒にカイロのホテルの26階の自分の部屋に戻ってから、外に行こうとエレベータ(英国人ですからリフトと言います!)に乗ったら、下がり始めて直ぐに“ドウィーン”と妙な音がして下降速度を速め、そのうちガタガタッと音をたてて止まってしまったんだ。ボーイがドアを道具でこじ開けてくれたので助かったけど、本心を話すと、びくびくだったね、背中にツタンカーメンがいて私を刺すのではないかと思ったよ。」

しかし、墓を暴(あば)いた後に起きた多くの死については、他の説明もあるはずだ。
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「他にも理由があるよ」という専門家がいる。ミイラの保存作業や調査をしているナズリ博士だ。
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「私は呪いなんて信じていないね。奇妙な事件も全て呪い以外の理由で説明はつくよ。」
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ナズリ博士はこれまでに何百ものミイラの調査を手掛けて来た。数えきれないほど墓にも入っている。
今は3千年前のラムゼイ二世のミイラの保存作業をしている。
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これまで27体の王のミイラを手掛けた、一つの注目すべき例外を除いて。
「我々はツタンカーメンのミイラをこの研究室に連れてきたことはない。それは今でも、昔からあった場所に保管されている。」
「これまでの経験によれば、長い間、墓の中の狭い空間に閉じ込められていると酸素が使い果たされ、微生物がミイラの中で冬眠している可能性がある。しかし、墓に風穴があけられた瞬間、状況は一変する。流れ込んだ大気中の酸素はバクテリアなどの微生物を活性化する。そして墓を初めて開けた時に立ち会っている人々の中でも体力に欠けた人を攻撃する。恐らく、これが、墓の発掘に立ち会った人々の特に年配者が病気になる確率が高い理由だ。私たちはミイラと共に30年以上仕事をしているけれど、メンバーの中では誰も問題は出ていないよ。」

バクテリア以外で致命的な事故を引き起こすものはないのだろうか?
歴史学者クリストファーは言う「ミイラを造る過程でウラニウムを多く含む物質が使われていたようだ。有る種の岩は沢山のウランを含んでいる。王家の谷にもウランがあった。いくつかの墓で強い放射能が確認されたこともある。」
「ある科学者は、古代のエジプト人がミイラ処理でも放射性物質を使ったのではないかと、その証拠探しをしたことがある。TV番組で、カイロ大学でガイガーカウンターを使ってミイラの体を調べたものがあるんだ。」
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「体のある場所で、カウンターが急にバズバズッて音を立てたんだよ!でも私は、墓の発掘に立ち会った人たちが放射能で病気になったとは信じていないがね。」

今でも少年王ツタンカーメンとその呪いはミステリーに覆(おお)われている。ミイラの呪いの話にはもうあきあきしたよ、と人々は笑い飛ばすだろうが、いざその時になると少し気になる時だってある。
旅行者が王家の谷に入るのをやめた、という事は起きてはない。しかし、そこには今もミステリーが残されているかも知れないのだ。
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以上でYoutubeフィルムは終わりです。

World of Mysteries – Tutankhamun
https://www.youtube.com/watch?v=gG9nXFy0pPU
(Copy Right: Pioneer Productions 2002)

今回紹介したフィルムは2002年に作成されたようですが、当時でもツタンカーメンの呪いは作り話だとの見方が主力でした。しかし、マスコミやハリウッド映画界では、話題性がある少年王の墓の発見と、それにまつわる関係者の死を、ミステリーのベールで包んで歓心を引こうと、ことさら大袈裟に騒ぎ立てたというのが実情でしょう。その後の冷静な調査によれば、墓を掘り出した時に立ち会った人達は亡くなるまで平均で24年も生きているようです。
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ネットには次の情報もみつかりました。
「Christine el-Mahdyによると、ファラオ(王)の墓に踏み入った人は、命を吹き返したミイラに攻撃される、という話は1世紀にエジプトにいたアラブ人が言い始めたことだ。」
「小説家Marie Correlliは、クナーベンが死ぬ前に新聞社に宛てた手紙で次の様に述べている。
“永年、特別に厳粛に保存されていたエジプトの王の墓に踏み入り、彼の所有物である宝物を盗み出すと、何らかの危険が及ぶであろうと考えざるを得ない。私が持っている、極めて珍しい本【ピラミッドに関するエジプトの歴史】これはアラビア語のテキストだ、によれば、封印された墓に最初に侵入したものは悲惨な罰を与えられるという。その本によれば、気付かないうちに健康を害してしまう秘密の毒が箱(棺?)に入っているという。だから私は「クナーベン卿を苦しめているのは蚊が刺したからなの?」と訊いたのよ。”クナーベン卿が死んだ時、彼女の指摘は正しかったことが明らかになった!」
「シャーロック・ホームズを産み出した推理小説家Sir Arthur Conan Doyleは「クナーベンはファラオの呪いで殺されたと確信している」と述べたので、マスコミはこぞって、それが事実の如きに騒ぎ立てた。」

「しかし、誰もが呪いを信じたわけではない。「King Solomon’s Minesソロモン王の黄金」の作者Sir Henry Rider Haggardは呪いという人々の考えに対し「それは危険な見方だ、世に蔓延(はびこ)っている迷信を増長させてしまう」と言っている。」

「墓を整理している時に、マスコミを遠ざけていたいとクナーベン卿が考えていたのは誰もが知る事実だ。唯一「Times」社にだけ、墓に入って撮影することを許可していた。このことは他のジャーナリスト、特にThe Daily Mailで最も著名なWeigallを怒らせた。彼は「墓は呪われている」との記事を発表した。ある新聞社は「墓の入り口には次の予言がヒエログリフ文字で彫られている!」と発表した。
「この神聖な墓に入った者には直ちに死の翼が訪れるであろう。」
しかし、ツタンカーメンの墓でそのような事実は見つかっていない!」
(完
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