Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

mh徒然草40:感銘する俳句は?

私の知人に「おそまつ屋」の号で俳句を楽しんでいる人がいますが、俳句と言えば何て言ったって松尾芭蕉でしょう。芭蕉が俳句を世に出したのでは?と思ってネットで松尾芭蕉を検索すると次の通りでした。

Wiki松尾芭蕉:
「寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日)。蕉風と呼ばれる、芸術性の極めて高い句風を確立し、後世では俳聖として世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である。」

で、辞世の句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を詠んでから遺書をしたため、弟子たちに見守られながら亡くなったようです。享年50歳でした。

因(ちな)みに、10月12日の命日は桃青忌(別号が桃青だから付いた)、翁忌、時雨忌(時雨を使った俳句が好きだった)、芭蕉忌とも呼ばれています。

Wikiのこの解説から考えると、俳句のようなものは芭蕉以前から嗜(たしな)まれていたようです。
でWiki「俳句」で確認してみました。
「俳句(はいく)とは、五・七・五の十七音から成る日本語の定型詩である。世界最短の定型詩とされる。十七文字(じゅうしちもじ)、十七音(じゅうしちおん)、十七語(じゅうしちご)とも呼ばれる。自由律俳句もあるので、音数での俳句の定義はできない。また、無季俳句もある。俳句を詠む(作る)人を俳人と呼ぶ。」
「俳句は近世に発展した文芸である俳諧連歌(連歌は“れんか”ではなく“れんが”と読みます!)、略して俳諧、から生まれた近代文芸である。室町時代に流行した連歌(れんが)の遊戯性、庶民性を高めた文芸が俳諧であったが17世紀に松尾芭蕉が出てその芸術性を高め、なかでも単独でも鑑賞に堪える自立性の高い発句、すなわち地発句を数多く詠んだ事が後世の俳句の源流となる。」

つまり足利将軍家によって統治された室町時代(1336~1573)の連歌が松尾芭蕉によって俳句という新たな芸術の域に昇華したということですから、やっぱり芭蕉が俳句を確立した、と言っても大きな間違いではなさそうです。

で、俳句を産み出すことになった連歌とは何かというと、wiki「連歌は、鎌倉時代ごろから興り、南北朝時代から室町時代にかけて大成された、日本の伝統的な詩形の一種。多人数による連作形式を取りつつも、厳密なルール(式目)を基にして全体的な構造を持つ。和歌のつよい影響のもとに成立し、後に俳諧の連歌や発句(俳句)がここから派生している。」とのことで、例えば短連歌では、ある人が上の句の五七五を読んだら次の人は下の句の七七を読んで一つの和歌にするようです。長連歌になると、五七五、七七、五七五、七七と繋(つな)いでいって、およそ百句をもって一作品とするとのことでした。

俳句では五・七・五で一句とし、この中に季語を含むことが原則です。俳句に疎(うと)いmhが最初に覚え、今も覚えている句は、誰もが知る次の句です。
古池や蛙飛びこむ水の音 (ふるいけや かはづとびこむ みずのおと)
しかし、今だもって、この俳句のどこが好いのか判りません! 「静寂な庭にある古池で、誰が脅(おど)したわけでもないのに、カエルが気まぐれに水に飛び込んだ。その音は小さかったけれど、私の耳にまで響いてきた。感動したなあ!(?)」ってことでしょうが、だからどうだって言うんでしょうかねぇ。埒もない現象をそのまま言葉にしただけで、いい俳句だなぁ、なんてとても思えません、私の場合は。

しかし、昨日(4月11日)、朝日新聞の土曜版beにあった種田山頭火の俳句を見た時は感動しました!俳句とともに山頭火の生涯が簡単に紹介されていました。

その記事によれば1882年(明治15年)に山口県の今の防府(ほうふ)市の大地主の家に生まれました。種田山頭火は本名のようです。東京専門学校(早稲田大学の前身)を卒業後、防府市で種田酒造場を開業しましたが、上手くいかず、店を売却します。その後、俳句に関心を持つようになり同人誌なども発行しています。結婚して子供もできましたが、家を捨てて僧になり1925年(43歳)に放浪の旅に出ます。1939年、58歳で世を去りました。放浪を始めてから亡くなるまでの14年間、一度も家には帰っていないようです。一度、子供を養いながら頑張っている妻の店の前に前触れもなく訪れたことはあるようですが。

山頭火が好んだ俳句は五・七・五の定型詩ではなく、語数や季語に囚(とら)われない自由律俳句でした。私が知った山頭火の最初の俳句は「ほととぎす、明日はあの山、越えていこ」です。福山雅治がTVコマーシャルの中でこの俳句を詠んでいるのを聞き、なんだ~?これは?と思って調べたのが山頭火を知る切っ掛けでした。

今も「ほととぎす」の句の好さは感じられずにいますが、朝日新聞beの巻頭にあった句を見た時は本当に感動しました!!!

「分け入っても分け入っても青い山」

この歌が詠まれた場所がどこかははっきりしていないとのことですが、放浪の旅を続けていた山頭火が一人で山中を歩いていた時に感じた気持ちを詠んだ歌であるのは間違いありません。
この歌をくちずさむと、無粋な私でも山中を歩いている気分に浸(ひた)ることが出来て「いや~、見事な(自由律)俳句だなぁ」と感嘆せざるを得ません。

それ以外にも山頭火の俳句は沢山あります。
*あるけばかつこういそげばかつこう
*へうへうとして水を味ふ
*うしろすがたのしぐれてゆくか
*どうしようもない私が歩いている
*生まれた家はあとかたもないほうたる
*音はしぐれか
*酔うてこほろぎと寝ていたよ
*鴉啼いてわたしも一人
*笠にとんぼをとまらせてあるく
*けふもいちにち風を歩いてきた
*まつすぐな道でさみしい
*すべつてころんで山がひつそり
*また見ることもない山が遠ざかる
*ほろほろほろびゆくわたくしの秋
*おちついて死ねそうな草萌ゆる
*濁れる水の流れつつ澄む

記事beによると「近代の俳人では出世頭(しゅっせがしら)だが、この半世紀の間、山頭火の名を知る人は少なかった」と言いますから、私が知らなかったのもむべなるかな。
山頭火の孫にあたる女性を探し出してbeが取材を申し込んだら「山頭火の孫だと言う事は学校でも職場でもずっと隠してきた。そっとしておいてほしい」と断られたとのこと。「CMで有名タレントが句を詠み、名前を冠したラーメン店が全国展開。今やほとんどの中高の教科書に句が載る。なのに遺族は屈託を抱えているようだった」とbeのコメントにありました。

私には、山頭火の歌の大半は、その好さが理解できません。だから言う訳ではありませんが、僅か十七文字前後の俳句だけを見て、その歌が含む意味を理解することは容易ではないと思います。詠み人の境遇や、その時の環境、心情を知らなければ句の好さが判らない場合が大半ではないでしょうか。

しかし、どういうわけか、「分け入っても分け入っても青い山」は私の心に響いたんですねぇ。お釈迦様が仰るように因果応報ですから、きっと共感できる何かが私の心の中にあったということでしょう。そして、それは、私だけでなく、他の多くの人の心の中にもあって、山頭火のこの句に感銘を受ける人が多いということだと思います。山頭火と、この歌に感銘する人の心に通じ合うものは何でしょうか?それは多分、木々で覆われた奥深い山道を一人黙々と歩み続ける山頭火の姿が、長く(短いのかも知れませんが)、たいした取り柄もない人生を、ひたすら生き抜いてきた自らの姿に重なるからではないかと思います。

つまり、この句は読み手を作者の気分に引き込む魔力があると言えます。忘れられない一句となりそうです。

The Beatles - The Long And Winding Road
https://www.youtube.com/watch?v=Xqu9qhBHWNs
(完)
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コメント


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俳句ですか!?
私も、この世界は・・・?

でも、俳句を詠むと、『なるほど!!』~と感動します。
CMなどのキャッチフレーズにも感動することも・・・。

数年前の事になりますが、フジTVの深夜番組に
『世界は言葉でできている』という偉人・有名人の残した言葉が、一部空欄で伏せられた状態で出題され
その偉人の足跡や名言が生まれた背景を紹介するVTRを見た後、コトバスターたちは空欄を埋める言葉を考える・・・というゲームがありましたが、とても面白く毎週楽しみにしていました。

同じ人が発する言葉でも
その時の置かれている立場や環境によっても違ってきますね。

monalisa | URL | 2015-06-09(Tue)23:29 [編集]


Re: タイトルなし

心に響く言葉や句は沢山ありますねぇ。その言葉を最初に発しただけでは歴史に残らないので自らまたはこれを聞いて感動した人が記録して残ったはずですが、日本では意外に少なく、海外で多いような気がします。日本は言葉でなく心で意思を伝える文化だから訓練されていないからかも。

mystery hunter | URL | 2015-06-10(Wed)12:30 [編集]