Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

マヤを殺したのは誰だ!

今回は「Who killed Maya?マヤを殺したのは誰だ!」をお送りしましょう。
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上のピラミッドは、マヤにいくつか在った都市国家の一つ、チェチェン・イツア Chichen Itzaに造られた寺院で、ククルカン寺院とも呼ばれています。最下段の正方形の一辺の長さは55.3m。四方に設けられている91段の石段を登った最上段は高さ24mで、そこには本殿があります。石段の合計は4方向x91段+1段(最上段の本殿に入るための1段)=365段となり1年の日数365日と同じです。本殿の高さは6mでピラミッド全高は30mです。

このククルカン寺院は、春分と秋分の午後、石段の側面に寺院を下る蛇が浮かび出ることで有名です。
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蛇といえば英語ではsnakeスネイクだと思っていましたが、serpentサーペントという語もあるんですねぇ。マヤのピラミッドに現れる大蛇はsnakeよりserpentが適切なようです。

そもそもククルカンKukulkanという言葉はマヤの神「羽の生えた蛇」の呼び名です。この神はアステカ文明Aztecでも継承され、ケツァルコアトルQuetzalcoatlと呼ばれました。
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以前のブログ「マヤの不思議」(1月5日)で、大袈裟にいえばマヤの死生観についてご紹介しましたが、その時、マヤ文明の消滅過程についても調べてご紹介したいと考えていました。そこで、Youtubeを漁(あさ)って「Who killed Maya?マヤを殺したのは誰だ!」というフィルムを見つけ、3回ほど見たのですが、内容が浅い感じがしたので、別のフィルム「The Red Queen - A Mayan Mystery赤い女王―マヤの不思議」もチェックしてみました。タイトルは面白そうですが、内容はマヤの都市国家の家系図を追跡するもので私の関心からはかけ離れていたので「さて、どうしたものか・・・」と思案の挙句、ここは一番(なんだかDeNA中畑監督みたいで心許ない限りですが本日5月25日時点ではセリーグのトップを驀進中です!)mhなりの「マヤ滅亡史」を集大成してご紹介した方が好いだろう、と決断するに至った次第です。

これまでも何度も書きましたが、南北アメリカで生まれた文明を最後に葬ったのはヨーロッパからやって来た白人です。彼らがアメリカ大陸に来る前も、いろいろな原因で文明や都市が生まれては崩壊してきたのですが、コロンブス後にヨーロッパからやって来た白人が最後のとどめを刺したのは隠しようがない事実だ、と私は今回も改めて実感しましたねぇ。

wikiで確認するとマヤ文明の興亡は次の通りです。
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マヤ文明の黎明(れいめい)は紀元前3千年だったんですねぇ。古いですねぇ!エジプトに統一王朝が初めて出来たのが紀元前3150年頃(wiki)ですから、丁度同じ頃に生まれたってことです。ご承知のようにマヤ文明はユカタン半島一帯で興(お)きましたが、マヤは帝国として統一された歴史はなく、多くの都市国家の集合体でした。都市国家の一つ、ティカルTikalには上の写真のティカル2号神殿があります。これは紀元前3千年に造られたのではなく、恐らく古典期後期(西暦6~9百年)の作だと推察します。

次もTikal遺跡です。
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マヤ文明は西暦15百年代に侵略して来たスペイン人によって最終的に壊滅された、と言える位、徹底的に衰退してしまうのですが、それ以前でも2回、衰退しているんですねぇ、既に挙げたWiki「1.歴史」にそう書かれています!

最初の衰退は西暦250年頃の「先古典期マヤ文明の衰退」ですが、英語版wikiを見ろ!って指示がありましたので、さっそく見てみました。
「多くの古代都市は放棄された。その理由は現在もまだ定かでない。」
つまり理由は判らないのですが、都市から住民が居なくなっちゃったっていうんですねぇ。次の写真は、その時に放棄された都市エルミラドール(El Miradorスペイン語:展望台)遺跡の一つです。
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西暦250年というと日本では卑弥呼(ひみこ、生年不明 ―248年頃)が死んだ2年後くらいです。卑弥呼の時代、マヤには既に綺麗なレリーフが彫られた石造りの建造物があったってことです。

それから650年くらいした西暦900年頃、2回目の衰退が起きました。
次のピラミッドは当時の有力な都市カラクムルCalakmul に造られていた寺院跡です。
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この時の衰退の理由についてwikiは次のように説明しています。
「9世紀頃から中部地域のマヤの諸都市国家は次々と連鎖的に衰退していった。原因は、遺跡の石碑の図像や土器から、メキシコからの侵入者があった(外敵侵入説)、北部地域に交易の利権が移って経済的に干上がった(通商網崩壊説)、農民反乱説、内紛説、疫病説、気候変動説、農業生産性低下説など有力な説だけでも多数ある。しかし、原因は1つでなくいくつもの要因が複合したと考えられている。また、古典期後期の終わり頃の人骨に栄養失調の傾向があったことが判明している。焼畑(ミルパ)農法や、漆喰を造るための森林伐採により、地力が減少して食糧不足や疫病の流行が起こり、さらにそれによる支配階層の権威の失墜と少ない資源を巡って激化した戦争が衰退の主な原因と考えられている。」

その後、マヤの人々はジャングルの中というより海岸の近くに町を造くり暮らすようになります。
後古典期(西暦900―1524年):
「後古典期には、マヤパン(Mayapan)やコスメル島(Cozmel Island)が、カカオ豆やユカタン半島の塩などの交易で繁栄した。統一国家を樹立することなく、各地の都市国家が合従連衡と興亡を繰り返した。」

次の写真は後古典期の都市国家のひとつマヤパンMayapan遺跡です。
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以上の解説で登場した都市国家の位置を地図に示してみました。地図の最も左、現メキシコ・シティ近くにある「テオティフワカンteotihuacan(紀元前2世紀~6世紀に繁栄、7世紀には急速に衰退)」はマヤ文明には含まれないのが一般的です。マヤ地区からは8百Kmほど離れているのでマヤとの関連が薄いからなのでしょうが、ピラミッドや宗教には類似性があります。詳しくはブログ「テオティワカンの不思議(10月20日)」をご確認下さい。
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西暦1521年、メキシコ湾岸から内陸に侵攻してきたスパニッシュ・コンキスタドールの攻撃でアステカ帝国の首都テノチティトラン(現メキシコ・シティ)が陥落しました。するとコンキスタドールは次の目標のグアテマラ、つまりマヤ文明が発達した地域、に向け騎兵180人、歩兵300人、大砲4門、それに捕虜にしたアステカ軍隊を引き連れて南下を始めます。

アステカ帝国陥落から25年後の1546年、細々と続いていたマヤの都市国家群はたった1つを除いてスペイン人の手に落ちました。

パレンケPalenqueのピラミッドです。
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スパニッシュ・コンキスタドールが来た時、ここは既に廃墟でした。
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西暦1697年、最後まで残っていたマヤの都市ノジュペテンNojpetenが陥落します。これでマヤで栄えた都市国家は全て息の根を絶たれてしまったのです。このノジュペテンは、ペテン・イツァ湖に浮かぶ美しい島にありました。
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今はグアテマラの町フローレス島(Flores:スペイン語で花の意)です。

以上、Wiki情報を中心にマヤの衰退・滅亡を駆け足で辿りました。見事に栄えた都市国家群のマヤ文明ですが、実は西暦900年前頃の衰退が切っ掛けで急速に崩壊してしまい、スパニッシュ・コンキスタドールが攻め入った時は既に崩壊していたというのが真実のようです。

このような変遷を辿(たど)ったマヤ文明の研究者にとって最大の興味は、西暦900年頃のユカタン半島全体に渡る都市国家の衰退原因を見つけることのようですが、ドイツ人考古学者ニコライNikolai Grubeの活動を収録したフィルムがYoutube「Who killed Maya?」でした。

ということで、少々大雑把になるかもしれませんが、そのフィルムの内容をご紹介しましょう。
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パワフルな文明が中央アメリカに生まれ、数千年の繁栄の後、突然、消滅した。このアポカリプス(注)の引き金になったものは何だろうか?
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注:アポカリプス(apocalypse黙示録)
新約聖書の最後の一書。西暦95年ごろ、ローマの迫害下にある小アジア(mhアナトリアとも呼ばれる、トルコ一帯です)の諸教会のキリスト教徒に激励と警告を与えるために書かれた文書で、この世の終末と最後の審判、キリストの再臨と神の国の到来、信仰者の勝利など、預言的内容が象徴的表現で描かれている。ヨハネ黙示録とも呼ばれる。

今、一人の男が、新しい証拠に行き当った!とうとう、誰がマヤを滅亡させた(殺した)のかを知ることになるのだろうか?
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マヤについてはピラミッド、マヤ文字、生贄の儀式などがよく知られている。
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ニコライはマヤ文字の解読に貢献した学者の一人だ。
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ニコライはマヤに残された書物を調べた結果、レディ・シックス・スカイ(Lady Six Sky王女シックスカイ)がマヤの崩壊を引き起こしたのではないかと考えている。

レディ・シックス・スカイはジャングルに囲まれたマヤの都市で生まれた。
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ヨーロッパが暗黒時代に在った時、マヤでは芸術、数学、天文学、高度な文字による文化が繁栄していた。しかし、彼等が造ったもの全てが2百年で失われてしまう。
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9世紀までに、実質的な文明は崩壊し、人々はどこかに消えてしまったのだ!どんな間違いがあったというのだろう?
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レディ・シックス・スカイの追跡をしていたニコライは興味深いものを見つけた。
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彼はマヤ文字の解読に携わった者の一人で、文字には精通している。
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昔、マヤには多くの本があった。しかし、1500年代の始めにやってきたスペイン人が、悪魔の本と決めつけて全て燃やし煙と化してしまった。幸いスペイン人の目を免(まぬが)れた4冊の本と石碑に彫られた文字がマヤの歴史を伝えるテキストだ。
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テキストによれば、マヤの人々はガリレオなどよりもずっと昔に太陽系について理解していた。
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文明が産まれ始めた頃には既に権力者が現れていた。
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2つの大きな都市国家がマヤ全体に影響を及ぼしていた。カラクムルとティカルだ。
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富と権力をコントロールしていた。この2つの都市国家が均衡していればマヤ全体は平穏だった。

ドス・ピラスはレディ・シックス・スカイが生まれた王国だ。マヤ衰退の物語が始まった所だ!
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2002年、嵐がドス・ピラスに隠れていた碑文をさらけ出した。
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更に見つかった石段には重大な記録が描かれていた。
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マヤのアポカリプス(黙示録)が描かれていたのだ。
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プリンセス・ドスピラス・・・どんな女性だったのか?何をしたのだろう?

プリンセス・ドスピラスは7世紀の後期に生まれた。成長し、ドス・ピラスの近くのナランホゥNaranjoという都市国家でリーダーになる。そこに彼女は記念碑を残した、彼女の力を誇示するものだ!驚くべきは、彼女はその時まだ20歳になっていなかったということだ。しかし類(たぐい)稀な統率力と政治力を持っていた。彼女の野心を引きとめることが出来るものは無かっただろう。

彼女がナランホゥに嫁いだ時、都市はティカルの攻撃で疲弊していたが、彼女が建て直した。彼女は生まれ故郷ドス・ピラスに軍隊を派遣して併合し、偉大な帝国ティカルにも手を伸ばす。
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そしてそこに、最も特徴的な石碑が残っている。
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ティカルのジャソウ・チャンカ・ウィール王が永年の宿敵カラクムルを695年に滅ぼした、と書かれている。
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その石にはナシュトゥーンという耳慣れない都市の名も刻まれていた。
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ナシュトゥーンとティカルは何らかの関係があるに違いない。しかし、どこにある都市国家なのだろう?
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ティカルの最も高いピラミッドから町の外を眺めてもジャングルが広がっているだけだ。
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1920年、ここから60kmのジャングルで遺跡が発見された。既に100年たつが、調査は進んでいない。遺跡はナシュトゥーンNaashtun(遠い石の意)と名付けられている。
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ナシュトゥーンは2つの超大国カラクムとティカルの間に造られた。小さな町だが、恐らく政治的な意味は大きかったに違いない。

ニコライはナシュトゥーンを目指すことにした。全日程は5日。驢馬(ろば)と徒歩でジャングルを分け入って進んでいくのだ。何かが見つかる保証は何もない。
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普通、ピラミッドは365段の石段があり最上段の寺院で儀式が行われていた。急な石段は神聖な場所を示すだけのものではなかった。生贄の儀式にも使われていたのだ。
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多くの発見は人間の生贄儀式が行われていたことを示している。
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死体は階段から転げ落とされていた。天国への階段は、突然の死をもたらす階段でもあった。
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中央アメリカに生まれたマヤ文明の信仰の中心には人間の生贄があった。平和な日常生活の中に恐ろしい儀式が組み込まれていたのだ。
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出発から2日目、やっと遺跡らしきものを見つけた。こんなところに都市があったなんてとても信じられない!
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展望台のような所がある。
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マヤでは星の観測が重要だった。特に重要なのは金星だ。戦いの行方を決める星だった。
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mh:なぜ金星か???恐らく次の理由です。
「地球から見ると、(1)明け方と夕方にのみ観測でき、(2)太陽、月についで明るく見える星である。明け方に見えるのが「明けの明星」、夕方に見えるのが「宵の明星」という。」

しかし、レディ・シックス・スカイは星占いのような慣習に拘(こだわ)る男たちの戦術とは無関係だった。伝統的な戦術や王位への固執は彼女の関心事ではなかった。

しかし彼女は権力を得る、王になった息子を使って!!!

ニコライの調査は足踏みしていた。ジャングルでは樹木や雨のおかげで調査は思うように捗(はかど)らない。
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GPSで位置確認が出来るので、昔と比べれば、かなり効率的であることは間違いない。
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石碑が見つかった!ナシュトゥーン・・・。他の文字は読み取れない。夜、もう一度来なければいけない!
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暗闇の中で懐中電灯の光を斜めから当てると、石に刻まれた文様や文字は見やすいのだ!
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751年・・・見たことも無い王国の紋章・・・
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最後の5日目、思いもしていなかった発見があった。
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これはナシュトゥーンの王の名に違いない!
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ナシュトゥーンはここに在ったのだ!王国は、どんな力を持っていたのだろう?
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マヤの人は、地下にシバウバという神聖な場所があると信じていた。ピラミッドを都市の中心に造ることが伝統だった。ナシュトゥーンという名は「悪い都市」という意味を持っているのではないか?とニコライは疑っている。

レディ・シックス・スカイが生まれた時、マヤは既に全盛期heydayを迎えていた。ジャングルにあるこの地も、開拓され、開墾され、大勢の人々が暮らす都市になっていた。
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1万人ほど暮らしていただろう。その人たちが飢饉(ききん)で食糧不足に陥り都市を捨てたとすれば、それは極めて重大な飢饉だったはずだ。
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しかし、そんな飢饉があったとは考えづらい。
マヤは多様な自然に囲まれている。
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ジオロジー(地理学)でも・・・
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エコロジー(生態学)でも・・・
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どこかの地方で雨が少なく飢饉が起きたとしても他の場所では雨が降って豊作だったに違いない。マヤの人々が都市を捨てたのは、飢饉などではなく、政治システムに大きな変化が起きたからではないだろうか?

マヤでは王が重要な役割を果たした。神と人々を繋ぐのが王の役目だった。
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地下の魂から蒼穹(そうきゅう)の星の神まで、王が仲介して取り仕切っていた。
そして王は最も強力な手段で意思を表現した、戦いだ!
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殺し合いは尊厳な行為だった。儀式に必要な生贄を確保するための誘拐はスポーツのようなものだった。戦いは2つの偉大な都市ティカルとカラクムルの間で数世紀に渡って繰り返されていたのだろう。

しかし、レディ・シックス・スカイはこれらの男のゲームには加わらなかった。彼女にとって過去の統治手法は何の意味も無かった。息子のスカイバーナーが国家都市ナランホゥの王位に就くと、町の繁栄と拡大を優先した。
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息子が王の時代、彼女は12の戦いを仕掛けている。カラクムルと同盟を組んでティカルを攻撃した。
695年、彼女は敵の王を捕えて虐殺する。ティカルはカラクムルに仕返しの反撃に出た。彼女によって2つのスーパー・パワーが殺戮(さつりく)競走を始めたのだ。

ナランホゥは2つの王国の間に位置して政治的な価値を高めていった。しかし、一旦始まった殺戮ゲームはマヤの都市国家全体にドミノ倒しのように拡散していき、マヤの滅亡を引き起こすことになる。彼女が死ぬと、ナランホゥ自体も争いに巻き込まれて消滅したた。相次ぐ戦で将来を担う子供達も殺されていった。

9世紀までに、スーパー・パワーは消滅してしまった。わずかに残った弱小国家は細々と生き延びることになったが、実質的には、マヤ文明はこの時点で歴史から消し去られてしまった。都市が壊滅すると飢えが襲ってきた。農業が崩壊し交易も行われず、灌漑されていた耕地も荒れ果てて作物は採れなくなっていた。

マヤ文明は何度も危機を乗り切ってきたはずだ。しかし今回、どうして乗り切ることができずに崩壊してしまったのだろうか?飢饉、土地の劣化、人口の増加、森林の崩壊なども原因の一つだろう。しかし、今回は、インフラストラクチャーが崩壊したのだ。政治システムも灌漑システムも崩壊してしまった。そしてジャングルの中で暮らすことはもうできなくなったのだ。

741年、レディ・シックス・スカイは死んだ。その後1百年で彼女の王国は消滅したが彼女が偉大なリーダーだったことは間違いない。男たちが取り仕切っていた世を生き抜き、力を蓄え、周りの国を攻撃して滅ぼし、時には同盟を組み、政治的にも活躍した。彼女は男達が綿々と築いてきた古い秩序を破壊したのだ。彼女の死後、マヤを支えていた宗教、神と交信する王、そしてその王が管轄する王国、といった従来のシステムが崩壊していく。この経緯は石碑の中にも記録され残されている。
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しかし、まだ他にも秘密は隠されているかも知れない。
今も3百万人のマヤの子孫が中央アメリカで暮らしている。1千年以上前の争いを逃れた人々の子孫だ。
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彼等の言葉は昔とよく似ているので考古学者ニコライが石碑の絵文字を解読するのに役に立つ。
彼らは今も神に祈りを捧げている。
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2百年間に渡って行われた戦いが2千年をかけて築き上げたマヤ文明を崩壊してしまった。それはレディ・シックス・スカイが触媒となって起きたものだが、もし彼女がいなければ、他の人間が彼女の代わりをしていただろう。
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mh:マヤの歴史には特記すべき3人の女性がいるようですが、中でもレディ・シックス・ガイLady Six Skyは権力や戦と関係が強い女性でした。石碑の一つで、将軍として描かれている彼女は捕虜の上に立っています。
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以上で「Who killed Maya?マヤを殺したのは誰だ!」のフィルム紹介を終え、引き続いて次のフィルム「The Red Queen, a mayan mystery赤い女王;マヤの不思議」のエッセンスだけご紹介します。
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パランケで1994年に見つかった赤い遺骨。寺院で見つかった最初で最後の女性の遺骨だった。
(mh赤いのは死体に装飾用顔料が塗られていたからです。性別は骨の大きさのバランスから推察しています。勿論、一緒に埋葬された装飾品も判断根拠でしょう。)
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翡翠(ひすい)の面を被っていた。ポランケの赤い女王と言う名が付けられた。
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王パカオの墓の隣の小さな寺院。
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その地下に彼女が眠る石棺があった。
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パカオの妻が赤の女王か?

以降、遺骨や歯を分析して、これらに含まれるカルシウム、残っていたバクテリア、細胞中のミトコンドリアなどの分析や、カーボンデイティング手法、石碑に残された王や王国の名前、年代などを整理した結果から、あーでもない、こーでもない、と赤の女王のクエスト(探求)を進めて、最後は消去法で答えを出します。
「ソク・ブー・ハウが消去法で残されたただ一人の赤い女王の候補だ。パカオ大王の妻だ。」
以上で「赤い女王」は完結です。

さてさて、いつものように、取り留めの無い、何の紹介なのか訳がわからないブログになってしまいました。強引にまとめましょう。

マヤ文明が西暦900年頃に崩壊を始めた理由は、考古学者ニコライによれば、レディ・シックス・ガイが火をつけた「仁義なき戦い」で都市国家が潰(つぶ)し合いを始めたからでした。これを生贄の習慣が後押しします。安定した生活を続けるには神のご機嫌を伺い続けねばならず、そのためには隣の都市国家から生贄となる人間を調達しなければいけないということで、誘拐ごっこの連鎖が続き、互いに疲弊し切ってしまった、ってシナリオです。短く言えば「人間の狂気の連鎖」でしょうか、たしかに可能性はありますねぇ。お金や名誉や権力に飽(あ)くことがない人間の煩悩(ぼんのう)は捨てがたくてかつ救いがたく、手の施しようはありません。そのことに早々と気付いたお釈迦様に倣(なら)って世捨て人になればいいのかも知れませんが、それが出来ない凡人としては、巻き込まれないよう細心の注意を払いつつ、ほどほどの願いを追い求めて生きていくしかないのでしょうか。

てことで、さて、次の海外旅行はどこに行ってみようか?いろいろ調べるのもささやかな幸せというものです。
(完)
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