Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

シバの女王の不思議

皆さんはシバの女王についてどんなことをどのくらいご存知ですか?なになに、全く知らなかったんですか?年配の方も「名前は聞いたことがあるけれど・・・」どこで、いつ頃、生きていて、どんなことをした人かをご存知ない方が多いのではないかと思います。ひょっとしたら伝説の女で実在してはいないと思っていませんか?

彼女をクエスト(quest探求/追跡)するYoutubeフィルムを見ました。ネットで関連情報も調べてみました。それらの内容を一挙に公開しましょう。

いつもは、ネットで収集した関連情報を紹介し、予備知識を持って頂いた上でフィルムの内容をご紹介するのですが、今回は嗜好(しこう)を変え、フィルム紹介からスタートしたいと思います。

その前に不思議な質問です。
「シバの女王は実在したのか?」
「としたら彼女の王国は何処か?」

それではYoutube「The Real Queen of Shebaシバの女王の真相」の始まり始まり~!
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歴史上で最も不可解な女性「シバの女王」を探求する旅を始めよう。
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聖書によれば彼女はソロモン王に会うため駱駝のキャラバンで砂漠を旅してエルサレムを訪れた。
(mh:ソロモン王が死んだのは紀元前931年とされています。と言うことは、彼女は今から3千年ほど前の人ってことです。)
聖書に書かれたこの話に隠されている事実はなんだろう?彼女の痕跡を探して、私(ジョッシュ・バーンスタイン)はアフリカ・エチオピアとアラビア半島南西端・イエメンを訪れるつもりだ。
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(mhフィルム公開は2006年だと思われます。)
シバの女王を巡ってはエキゾチックなラブ・ロマンスがある。ソロモン王との出来事だ。
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美しくて、魅力的で、利発で、統治力があり、その上、比類ない富を所有していたという。

私はジョッシュ・バーンスタイン。私の今回の旅の目的はシバの女王は本当に存在していたのか?としたら、どこから来たのか?を追跡することだ。
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最初に訪れるのは米国ワシントンDCのカソリック大学だ。(mh上の写真の背景がそうです。)
その図書館にとても貴重なテキストが保管されている。
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シバの女王については聖書の中で簡単に触れられている。それによると、伝え聞いたソロモン王の知恵を試すため、金、宝石、スパイスを積んだ駱駝のキャラバンを率いて砂漠を移動した。エルサレムを訪れ、王にプレゼントするためだ。しかし、彼女の国がどこにあるのかは聖書には書かれていない。
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また、スパイスとは「乳香(フランキンセンスfrankincense)」だ、と聖書の第6章には書かれている。
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当時、乳香は銀や金より貴重な香料だった。
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乳香の産地は限られている。従って乳香を辿(たど)れば彼女の国は簡単に判るだろう。
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カソリック大学のダグラス博士は言う「アラビア半島の南側と、紅海を挟んでアフリカ側の一帯が乳香の産地だった。」
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「ということはその辺りにあった国の女王と考えて間違いないのだろうか?」
「多分、間違いない。」

ダグラス博士によるとシバ(mh英語はshebaです。)は場所によって異なる発音をされていた。「スバー」だ。「スバー」は聖書の中でその場所が特定されている。南スーダンとエチオピアの一帯だ!
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Mh:ご聡明な読者には不要な解説ですが、とても重要なことなので、ここで確認させて頂きますと「シバの女王」とは「シバ、時にはスバー、と呼ばれる国の女王」であって、シバという名前の女王ではありません。また、旧約聖書によればソロモン王に面会していますから、今から3千年程前の紀元前10世紀に生きていた女性、ということになります、勿論、実在していたとすれば、の話です。

聖書の中で彼女のことを「アンシェイビーダーン」と呼んでいる章がある。「背が高い」という意味だ。ソロモンと並んでいる絵を見ればシバの背が高いことが確認できる。
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エチオピアにはシバの物語が残っていて国の大切な伝説の一つらしい。

彼女はエチオピア人なのか、それともアラビア半島の南一帯で暮らしていた人か?カソリック大学で聞いた話では、アラビア半島よりエチオピアの方に若干分がありそうだ。まずエチオピアに行ってみよう!
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エチオピア北部の高地の町ラリベラ。
(mh小さな町ですが10km南西に国際空港があります!)
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ラリベラは、ソロモン王と関係のあるシバの国を探求しようとする私には幸先のよいニックネームで呼ばれている。「新エルサレム」!!!
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エチオピアで最も神聖な所と言われている。

町のニックネームとシバが訪れたというエルサレムの関係とは何だろう?町の大通りを歩いてみたがソロモン王の王国の首都エルサレムとは似ても似つかない。

しかし、町には神聖な場所がある。新エルサレムと呼ばれる所以(ゆえん)だ。
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エチオピアには、この町を統治していた女王がソロモン王を訪ねたという言い伝えがあるという。ここが本当にシバの女王が住んでいた伝説の場所の一部なのか?
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地面に掘られた細い道やトンネルを抜けると教会があった。岩山を削って造ったものだ。
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何百年もの間、大勢の巡礼者が訪れている。
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今も、あちらこちらで僧侶や尼僧たちが祈りを捧げている。
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数十のトンネルや通路を通り抜け、最も神聖な場所に向かって進んでいく。
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エチオピアに伝わるシバの女王の物語はこうだ。
“ソロモン王は知恵が優れている”との噂を聞いてエルサレムを訪れた彼女に接見すると、ソロモンはその美しさに魅惑され、彼女の体を求めた。しかし彼女は王の申し出を拒絶する。でも社交辞令から“一晩、お客として宿泊しましょう”ということになった。そこでソロモンは罠を仕掛ける。

“私の部屋に忍び込んで物を取ってはならぬ!”“判りました。”

ソロモンは歓迎夕食会でとても辛い食事を彼女に準備する。
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しかし、飲み物はほとんど勧めなかった。夕食後にベッドに入った彼女は喉が渇いてどうしようもない。

ソロモンは仕上げの罠をセットしていた。喉(のど)が渇いたシバは水を探して王宮の中を歩きまわると、やっと水差しを見つけた。しかし、その水差しは王の部屋のベッドの脇に置かれていたのだ。
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彼女が部屋に忍び込み、水差しにそっと手を伸ばすと王に捕まえられた。
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女王は約束を破ったのだ!
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その夜の出来事で彼女は身ごもった、と伝説は続く。生まれた男の子はエチオピア王国の初代の王メネリック一世になる。帝国は1975年に終焉するまで3千年の間続いた。ということは、エチオピア王室はイスラエル人の血が入った系統だから、聖書によれば神に祝福されるべき国だとも言える。
(mh別の情報によるとシバの女王は6カ月の間、エルサレムに滞在し、最後の夜にソロモンが仕組んだ罠にはまって身ごもることになったとのこと。翌日、エチオピアに戻る時にイスラエル人の召使などを一緒に連れ帰かえったので、エチオピアでユダヤ人の系統が生まれることになった、ということらしいです。)

ラリベラの最も重要な教会!
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十字架の形だ。
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岩山を彫って造られている。
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そこに行くには岩山に掘られた細い道を通る。
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建物を囲む岩壁には穴が掘られている。
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それは墓で、中の遺骨は全てエルサレムからこの地に巡礼に来て居残った人のものだという。
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「つまりシバの女王とエルサレムは深い関係があったってことか!」

ラリベラの教会群が完成したのは7百年前らしい。しかし、シバが統治していたのは紀元前10世紀だ。キリスト教は生まれていない時代だ。
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もっとシバの女王との関係が深い証拠を探す必要がありそうだ。
エチオピアには昔から文明があったようだ。更に北に行ってみよう。スバー王国があった所かも知れない。乳香の産地だという。
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聖書によれば、彼女は、それまで誰も見たことが無い程大量の乳香をエルサレムに持って行った。乳香で知られるエチオピアが彼女の旅の出発点だった可能性は高い。

乳香の生産は高地の村シィレにある大きな建物で行われていた。
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中では大勢が作業していた。
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方法は昔とほとんど変わっていない。
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この辺りでは乳香は主な収入源の一つだ。
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村人の多くが乳香の産業に関与しているという。一家総出で働いている人たちも多いらしい。

乳香はボスウェリアと呼ばれる木から採取される。採取の方法はカエデの木からシロップを採る要領と変わらないが、木に固くへばりついてしまうらしい。木から剥がし取った乳香を建物に持ち込み、へばり付いた木片をきれいに取り除けば完成だ。

製品はアフリカ、中近東などに出荷される。数千年前も出荷されていたという。
「シバの女王はこれを持ってソロモン王を訪れたのか!」
「そうだ!当時は黄金より素晴らしい宝物だったんだから。」
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やっぱり、ここがシバの女王が統治していた場所かもしれない。
ついでにイェハYehaという小さな村に行ってみた。エチオピアの文明の発祥地だという。
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2500~3000年前に出来た小国らしい。シバの女王の頃だ。
そこでサビアン文明とのつながりを調べてみよう。
(mh:サビアンSabaean文明というのは「シバ王国の文明」という英語呼び名のようです。英語版Wikiの抜粋を載せておきますが、紅海を挟んでアラビア半島とアフリカに跨(またが)る地域に住んでいた人々Sabaeanの文明です。)
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古い寺院が残っている。
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中は何もなく、高い壁だけが残されている。その高さから大きな影響力があった所だろうと推察できる。
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シバの女王にふさわしい建物だったのかもしれない。今はキリスト教会に造り変えられている。
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しかし、壁に残るアンテロープの頭の文様は昔からのものだ。
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mh:アンテロープ (antelope) またはレイヨウ(羚羊)はアフリカを中心に棲息しているウシ科の動物で、古くはカモシカとも呼ばれています。ガゼルと似ていますが大型です。
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僧侶が教会に残るもっと重要な手工芸品を見せてくれた。
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何か文字が刻まれている!
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残念ながら、解読できる人はここにはいないという。事実、これらの文字はエチオピア生まれではない。
僧侶はサビアン文字だと言う。南アラビアから来た文字だ。
ワシントンDCのカソリック大学で仕入れた情報通りだ!シバの女王はアフリカのエチオピア辺りかアラビア半島の南の土地と関係があるのだ!
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アラビアからエチオピアに移住したのかも知れない。紅海の向うのイエメンYEMENに行ってみよう!アメリカ政府からは渡航警告を受けた、外国人には危険な場所だ。
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最初の訪問地は首都サナアSanaaだ!
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古くから都だった。
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サナア大学のフセイン博士は言う「サビアン(Sabaean)文明はこの地で生まれたものだ。サナアは王国の首都として数千年前から繁栄していたんだ。エチオピアの町はイエメンを拠点にするサビアン王国の植民地だった、と私は考えている。」
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この町は交易の拠点だった。インドの香辛料、アフリカの金や象牙、中国の絹が取引されていた。
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「交易品はメソポタミアや地中海方面にも運ばれていったんだ。」
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勿論、乳香も重要な商品だった。
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「しかし、サナアは古代サビアン帝国の首都ではない。当時の首都はマリブMaribだ!この山の向う、東に1百マイル(160Km)の所にある。」
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そこは種族間の紛争が絶えない危険な一帯で、私のような部外者が行くのは危険だという。しかし、今を逃したらもうチャンスはない!有能なエスコートを見つけよう!

フセイン博士はサバナの区長を紹介してくれた。区長によると砂漠の民ベドウィンは昔からの伝統を重視するという。「マリブに行くなら、まずジャンビアを手に入れろ!」と勧められた。
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サナアの男なら誰だって身に着けている短剣だ。男のシンボルのようなものだ。
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サビアン時代から使われているらしい。
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ジャンビアを見れば、その持ち主の家系や人間性が判るという。現代では刃は本物でなくても好いらしいが、握り部の形が重要だ。また、古いものほど価値があるらしい。
「どう、かっこ好いかい?」
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もうひとつの伝統も教えてくれた、カートだ。
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木の葉で、口に入れて噛む。
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私もトライした。少し苦いし、とても辛い!
「噛んでいれば気持ちが好くなって、頭は冴え、眠むれなくなるよ。」
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男の80%は毎日午後には噛んでいるという。エスプレッソみたいなものだ。ジャンビアも手に入れたし、カートも体験したから、種族抗争の町に乗り込む準備は整ったと言えそうだ。

翌朝、コーランを読む声に起こされて、埃にまみれた砂漠の道をマリブMaribに向かった。
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山道を登っていく。
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登り切ると草や木が少し残る砂漠道が続いていた。この道には車を狙う盗賊が出没するらしい。ある種族は誘拐して身代金を要求することもあるという。
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途中で、種族闘争に詳しい男を紹介してもらった。彼の名はオアヘという。ここからは彼が私を現地にエスコートしてくれる。
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オアヘの役目は、私が誘拐や暗殺などに合わぬようにすることだ。彼も「念のため」と言ってマシンガンを持ったガードを連れてきていた。一緒にマリブに向かう。
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マシンガンを持った3人のガードと一緒にドライブするのは初めての体験だ!
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途中14ヶ所ものチェックポイントで検閲を受けた。
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やっと目的地が見えて来た。ビルが沢山建っている。
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しかし近づいてみると町は廃墟だと判った。
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オアヘによれば建物は3百年前のものだと言う。
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しかし、もともと、町が造られたのは3千年前だという。シバの女王の時代だ。
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今は数百人が違法居住しているらしい。
(mh:Wikiによれば「マリブの旧市街は20世紀に入って放棄され、その3.5km北に新市街が建設された」とのことです。放棄された理由は不明です。)
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夜、区長と一緒に外出した。
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区長が私のためにアレンジしてくれた、この辺りの種族が集まる歓迎パーティに参加するのだ。
私は、勿論、ジャンビアとフータという伝統的なスカートを身に付けて出かけた。
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挨拶をかわし、区長が私の訪問目的を伝えると、食事が始まった。
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彼等の習慣に従って素手で食べ物を取って口に運ぶ。ベドウィンたちは暖かく歓迎してくれたが、下手をすれば襲い掛かってくることだってある!
「どこかで携帯電話の着信音が聞こえるね!」
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楽しく、少しひやひやものの夕食を終えてから、火を囲んでシバの女王の話をした。
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「アフリカのエチオピアじゃあ彼女の色々な逸話が伝わっていたけど。ここではどうなの?」
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若くて美しいビルキスと言う名の女性がいた!と言う。
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「砂漠の中から現れ、サバ(mnシバ)の王位に就くと、マリブを王国の都とした。コーランにもビルキスの国について記述がある。」

となると残る課題はその痕跡を見つけることだ!
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サバの土地は2つの楽園だったとコーランには書かれているらしい。ここマリブにはダムが造られ、オアシスがあった。その跡はまだ残っていると言う。
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「そこへ行って見たいけど・・・」
「いいだろう。君の持っているジャンビアを許可証と認めよう!」

翌日、ダムの跡だという場所に出かけていくと、考古学者ザイドゥーンが待ってくれていた。
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そこから6百m離れた所には別のダムの跡も見えた!このダムと合わせるとアメリカのフーバーダムの2倍の幅だ!
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(mn上の映像は分かり辛いのでGoogleEarthで見つけた第二のダムの跡をご紹介しておきましょう。上の映像写真と同じアングルです。)
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2つのダムに貯えられた水は下流の渓谷地の灌漑に使われていた。
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2つの運河に供給していた。
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2のダムから流れ出た運河は緑の台地を2つ造った。3万5千から5万人が暮していただろう。
これが2つの楽園と呼ばれたのだという。
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崩壊が進んでいるとは言え見事な遺跡だ。
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地震でかなり崩れてしまったらしい。交易ルートが変わったこともあって首都が衰退していた時期だったので修理する余力が無く、放置されたのだという。
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しかし、シバの女王はダムなんかよりももっと昔に暮らしていたはずだ。一体どこで?
遺跡の塔の壁にはエチオピアで見たものと同じサビアン文字が残されていた!
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ダムの土壁は紀元前7百年のものでシバの女王より数百年後のものだが、それよりも前に治水施設があったという。
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「最初の着工は3千2百年前だ。」
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それが正しいのならシバの女王が旅をしていた時には既にダムのようなものが出来ていて、灌漑は進み、町は繁栄していたと考えられる。とすればこの辺りに彼女が住んでいた王宮があってもおかしくない!

「勿論だ。彼女の王宮はあったよ。直ぐ近くだよ。」

マリブの町には砂に埋もれた遺跡があった。王女の名のマハラム・ビルキスで呼ばれる遺跡だ。「シバの女王の聖域」とも呼ばれている。
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ここで素晴らしい女性に遺跡を案内してもらうことになっている。メリリンだ。アメリカ基金のリーダーで、彼女が編成した発掘隊は10年近く発掘作業を続けている。
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遺跡は37エーカーに渡って広がっているらしい。
(mh:1エーカーは4千平方メートルですから、37エーカーは正方形なら一辺が概略4百mの面積です。)
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アラビアでも最大の寺院遺跡だという。大半はまだ砂に埋まっている。発掘シーズンを過ぎると砂嵐で遺跡は埋まってしまうので砂との戦いの繰り返しらしい。
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メリリンに、なぜ、このような禁断の土地に来たのかを訊いた。
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「弟の夢を完結させてあげたいからよ。でも今は私自身の情熱を捧げる場所になっているわ。」
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1950年代の始め、彼女の弟ウェンドゥ・フィリップスが参加した探検隊によって初めて発掘が始まった。
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遺跡のほとんど全てが砂の下にあった。
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発掘を始めた年、いくつかの手工芸品handicraftが見つかった。
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「弟はいろいろな物を見つけたわ。中でも最も素晴らしいものがあるの。見たい?イエメンの誰もが持っているものよ。」
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「50リアル札に書かれているの。」
「これを弟さんが見つけたのですか!」
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「4フィート(1.2m)の背丈の戦士像よ。」
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「この辺りを統治していた戦士よ。」彼の名はマディカラーだと言われている。
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サビアン時代の傑作と言えるだろう。紀元前6世紀頃のものだ。シバの女王の栄光の文明の証と言える。
戦士は腰にジャンビアを差していた。

しかし不幸にも弟ウェンドゥ・フィリップスは発掘を続けることは出来なかった。種族の争いがあって3ヶ月後には発掘を打ち切らざるを得なかったのだ。
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「石柱だけを残して全てはまた砂の中に埋もれてしまうことになったのよ。」

マリリンと彼女の発掘隊がここに戻ったのはその50年後だった。発掘すると遺跡が次々に出現した!壁石や石柱には飾りなのだろうか、文字が刻まれていた。これまで目にしてきたサビアン文字だ。
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当時の社会や経済、日常生活、宗教儀式、種族の名前などが書かれているという。
この石はまだ下に15mも続いているらしい。
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発掘は始まったばかりだ。
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「シバの女王の名前はまだ見つかっていない。しかし、発掘を続ければ彼女の時代に近づいていく。きっと彼女の名前も出てくるはずだ」と彼等は言っていた。

最近発掘された場所に連れていってくれた。主階段の脇にあるテラスの壁にはアンテロープの飾りが彫られている。
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エチオピアでも見た文様だ!シバの女王はセバ(サビアン)の女王でもあったのか!
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だからエチオピア人は「我々はシバの王国の子孫だ!」と考えていたのだろう。
ここがサビアン帝国の中心だった。シバの女王がここに住んでいたとしたら、彼女の威光は紅海を越えてエチオピアまで及んでいたということなのだろうか。

メリリンと現場の発掘補佐アブドゥは「見せたいものがある」という。
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それは階段の上の壁の下に埋まっていた。砂をかき分けると現れて来た!
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2001年に見つけたらしい。毎年、砂で覆って隠している。
「私の好きな発掘品の一つよ。シバの女王ではないかも知れないけど、きっと彼女に似ているに違いないわ!」
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毎年、発掘のたびに素晴らしい建物跡や手工芸品が見つかっているという。発掘を続ければ、シバの女王の証拠を見つけることが出来る、と彼等は信じている。
「彼女があなたに話しかけているわ。」「私を掘り出して!って言ってるのかな?」
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シバの女王の物語を辿る私の旅は成功だったと言えるだろう。彼女を見つけることは出来なかったが、彼女の文明を見つけることはできた。彼女がアフリカと南アラビアに影響力を持っていたことも確認できた。
多分、もう直ぐ、メリリンはシバの女王の証拠をこの地で見つけるに違いない!
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シバの女王の物語はこれからも大勢の人々の心を魅了し続けるだろう。
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The Real Queen of Sheba (AMAZING ANCIENT HISTORY DOCUMENTARY)
https://www.youtube.com/watch?v=eAIcuDSOx0w

以上で2006年放映のYoutube「シバの女王の真相」は大団円ですが、私の長~いブログはまだ終わりません。
ネット情報を元に、シバの女王の探求は続きます。

まず、確認しておきたいのですが、シバの女王が生きていたとするのは旧約聖書の記録だけです。それにはソロモン王との出来事が記録されていました。
言い換えると、彼女は紀元前10世紀の人のようですが、神話の中の人で、実在していた証拠はまだ見つかっていません。彼女が生きていた時はキリストより千年も前ですから、当然、彼女とキリスト教とは無関係です。エチオピアの遺跡がキリスト教と関連しているのは、古い寺院がキリスト教会に改築されたからというだけのことです。
しかし、エチオピア北部の村イェハYehaに造られ、今は教会となっている古い寺院の壁にアンテロープ(カモシカ)の文様が彫られていて、これがイエメンのマリブで見つかった遺跡の文様と瓜二つであること、エジプトの遺跡に彫られた文字がサビアン文字であること、はシバの女王を媒体としてエジプトとイエメンを関連づけています。

次の写真はマリブで発見されたアンテロープ(カモシカ)の文様が彫られた飾り石です。
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エチオピアとイエメンで見つかったアンテロープの文様と全く同じだと言える位似ていますから、2つの場所の文化的つながりが強かったのは間違いないでしょう。政治的な繋がりもあったかもしれません。
しかし・・・互いを隔絶する紅海があるから・・・
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でもGoogleEarthで調べるとイエメン南西端とアフリカは結構近そうです!!!アフリカ側は、今はジブチ共和国と呼ばれる土地です。紅海に浮かぶイエメンのPerim Island(ぺリム島)とジブチの間にあるバベルメンデブ(Bab el Mendeb)海峡の幅は21Kmですから、伊豆半島と伊豆大島の25Kmよりも近くて、昔でも比較的簡単に行き来できたと思われます。
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ジブチ共和国をWikiで調べると人口密度は20人/平方キロメートルで日本の16分の1ですから、人がまばらに棲んでいる砂漠の国ですが、この住民がどこから来たのか?は現在の民族データから凡そ推定できます。
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陸続きで隣接しているソマリアやエチオピアから来たようですね。
宗教はイスラムが94%ですが、欧州から移り住んでいる人が5%くらいいて、この人達はキリスト教でしょうから6%の国民はキリスト教、となっています。つまり、紅海を挟んだイエメンの影響でイスラム教が多いと考えれば全く矛盾はありません。

しかし、ジブチ共和国よりも内陸のエチオピアは実はキリスト教徒が多いのです!!!
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一体全体、エチオピアのキリスト教はどんなルートで伝わって来たのか???

伝わったのは、勿論、イエスキリストが生まれてからですから、シバの女王からは1千年以上も後のことです。エチオピアの北にあるエジプトでは太陽神などを信仰するファラオが治めていましたし、現在はイスラム教が主体ですから、エチオピアの北からキリスト教が伝わったとは考えづらいところです。東、つまりジブチからってことは可能性は薄いですねぇ、ジブチやその向こうのイエメンがイスラム主体の国だってことを考えると。

なら、エチオピアは何故キリスト教徒がイスラム教徒より多いのか?

フィルムでも紹介されたエチオピアの岩窟教会の写真です。
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建物は鉄柱で支えられた大きな金属屋根で保護されています。傷(いた)みが激しいのか、中に入り切れない信者が雨や直射日光で困らないよう配慮したのか・・・イスラム教徒のような衣服を着た人々ですが、れっきとしたキリスト教徒です!
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岩盤を掘って造られた十字架の形のキリスト教会。
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エチオピアがキリスト教徒の国だってことは・・・アフリカの宗教バランスはどうなっているのかと思ってネットを調べると次の勢力分布図が見つかりました。
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この地図の説明文には、北緯10度でイスラム教とキリスト教が勢力争いをしていて、イスラム教は7世紀(イスラム教が生まれた世紀です)に交易によって、キリスト教は15世紀以降の欧州列強の進出によって、広められた、と書かれていました。

とすればエチオピアのキリスト教も15世紀以降だと考えてもよいでしょう。
欧州列強が進出する前のエチオピアの宗教は日本語版Wikiには何の記述もありませんが、英語版Wikiにはありました!
「エチオピアは3つのエイブラハム系宗教(mh旧約聖書のエイブラハムが関係する宗教、つまりユダヤ教、キリスト教、イスラム教のことです)と長い間、密接な関係を持っている。4世紀には、世界でも最も早く、キリスト教を国教と定めた国の一つとなっていた。今では国教とは認められていないが、それでも多くの信者がいる。一方、イスラム教徒も人口の3分の1程で、影響力は大きい。Negashという町はイスラム教徒が移住し定着したアフリカで最初の場所だ。1980年代まではエチオピア系ユダヤ人もかなり住んでいた。(mh今はイスラエル政府のユダヤ人帰国支援政策に応じてイスラエルに移住してしまった、という意味だと思います。)」

エチオピアが4世紀にはキリスト教国家だったとは!どんな経緯があったのか?誰がどんなルートでキリスト教を伝えたのか?一番可能性が高そうなのは、宣教師の一団がエジプトでの布教を断念し、ナイルを更に遡って・・・と思って地図をみると、ナイル川はエチオピアの東、スーダンを流れていてエチオピアには川を伝ってやってくるルートは無いようです!いやいや、あるかも。ナイルはスーダンの首都ハルツームで2つに分かれています。主流は白ナイルでビクトリア湖から南下していますが、青ナイルはエチオピアからハルツームに流れています。こちらの流れは細いので船でエチオピアに行くのは難しそうですが、エチオピアはシバの女王の息子が創った帝国が3千年も続いていますから、きっと4世紀は白ナイルにまで版図を広げていたに違いありません。

ということで、エチオピアのキリスト教は4世紀以前にナイルを遡ってきたキリスト教徒によって広められ、4世紀にはエチオピア帝国の国教になった、という我田引水で少々無茶苦茶な結論を受け入れていただくことにして、ひとまず区切りをつけておきましょう。そうして頂かないと、いつまでたってもブログが終わりそうにありませんから。

で、次の断片的情報です。
乳香(frankincenseフランキンセンス)はボスウェリアという木(低木が多いようです)の樹液です。焚いて香りを楽しむとか、香水の原料として使われるようです。
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どんな香りかというと、どうやら檜(ひのき)などの森林の様な爽やかな香りらしく、こころを鎮める効能がある、ってことです。そんなものが、何故、黄金と同じ価値があったのか???これだけの情報量では、私の自由奔放で手前勝手な想像力を持ってしても、その理由は思い及びません!!!

フィルムで紹介されていたイエメンの50リアル札のもう少し明瞭な映像を見つけました。
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次は裏です。
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映像が鮮明でないのは、本物の紙幣でも印刷レベルが悪いからではないかと推察します。もし日本の印刷技術を採用する、または日本の造幣局に印刷を発注する、などしていたら、もっとスッキリした絵柄の札になっていたことは請け合いです。調べてみると記念銀貨やバングラディシュの通貨を造っていますが、いずれも紙幣ではなく貨幣です。
バングラディシュの2タカ(約3円)
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印刷の良し悪しは別にして、自国の主要通貨の紙幣くらいは好きな時に好きな量だけ印刷したい、とどの国も思うからでしょう、他国に紙幣の製作を依頼した事例は見当りませんでした。

さて、いよいよ、私の脱線もそろそろ終わりにしないと!皆さんから「付き合い切れない!」とのお小言が聞こえ出してきました。

「Wikiシバの女王」によると次の通りです。
シバの女王(シバのじょおう、ヘブライ語: מלכת שבא‎ Malkat Shva、ゲエズ語: ንግሥተ ሳባ Nigist Saba、アラビア語: ملكة سبأ‎ Malikat Sabaʾ)は、旧約聖書に登場する女王。
で、次の記事があります。
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上の引用例では女王の国はエチオピア説とイエメン説があり、いずれか明確ではない、となっています。

しかし!!!
Wiki「シバ王国」を調べると「Sheba(またはSaba)王国はアラビア半島南部に存在していた!」と断言しているではありませんか!!!
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英語版Wikiでも明言されています!
Modern archaeological studies support the view that the biblical kingdom of Sheba was the ancient Semitic civilization of Saba in Southern Arabia, in Yemen, between 1200 BC until 275 AD with its capital Marib.
「最近の考古学的研究によれば、イエメンの南アラビアのSabaで花開いた古代セミティック文明が旧約聖書に記されたシバ王国に相当するとの見解が支持されている。この文明は紀元前1200年から西暦275年までマリブMaribを首都として栄えた。」

マリブMaribに関する情報を更に続けます。
マリブ旧市街の写真です。
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サウジアラビアの支援で20世紀になってダムが造られ、湖もできました。
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今のダムには建物は見当たりません。灌漑用のようです。
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発見された兵士像。50リアル札にも使われました。
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文字も刻まれたレンガに埋め込まれた女性像。
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円形の大きな建物の跡のようです。
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太陽の神殿。2001年の発掘。「シバの女王」と題した写真も!
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更にネットを調べると決定的な情報が!!!
http://worldnewsdailyreport.com/archaeologists-discover-tomb-of-biblical-queen-of-sheba/
「考古学者達が聖書の「ンシバの女王」の墓を発見!」
(2015年2月6日金曜日)
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記事によればオックスフォード大学の発掘隊がマリブの太陽の神殿の近くにある王族の墓から中年の女性の遺骨を掘り出したとのこと。遺骨の周囲には手工芸品や容器に入った乳香も見つかった、とあります。
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カーボンデイティングなどによれば遺骨は紀元前970年から910年のものだと言いますから、シバの女王の可能性は7,80%あるってことです。
見つかった見事なアクセサリーの数々!!!
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発見された遺骨や装飾品は全て首都サナアの国立博物館で保管されて、詳細な調査が行われるのを待っているとのことです。

この新聞記事が本物で、内容も科学的に裏付けが取れたものだとすれば、シバの女王だと断言してもよいでしょうが、これを裏付けてくれる補足記事がネットではなかなか見つからないので、若干の不信感はぬぐえません。

最後に、有名な「ソロモンの知恵」をご紹介しておきましょう。
旧約聖書の列王記に次のような記述があります。
ソロモンが王になると神が夢の中に現れて「何を欲しいか、願え!」と言いました。
ソロモンは神に祝福された国イスラエルの王ですから、約束通り、神がソロモン王をサポートしてやるよ、ってことだったわけですね。
でソロモンは言います。「善悪を判断して、あなたの民を裁く力を与えて下さい。」神は「お前の願いは私の心にもかなった!」となって、神から知恵を授かりました。
(長寿や富や敵の命をほしいなんて言ったとしたら、それは神の御心にそわなかったのだが、とのコメント付きです。別の情報によれば、この時、ソロモンは動物や草木の言葉も理解できるようになったとあります。英雄の神格化の最たるものですね。)
ある日、2人の遊女が王の意見を求めます。
「私たちは二人とも、新たな子供を授かったばかりです。子供と一緒に寝ていたら、一人の子供が死んでしまい、生き残っていた子供を巡って、どちらの子供か喧嘩になっています。知恵者のソロモン王にお裁き頂きたいのです。」
するとソロモンはこう言いました。「剣で子供を2つに割(さ)いて、各々に与えよう。」
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片方の女は言いました「そんなことをするのなら、この子は、あの女におやりください。殺さないでください。」
もう一人の女は言いました「どちらのものにもしないで、断ち切ってください。」
で、ソロモンがどちらの女を本当の母親としたかは誰でもお解りでしょう。
この話が遠くシバ王国に住む女王にも伝わり、接見してみたいと考えた女王は黄金や乳香などを持ってエルサレムを訪れ、王の知恵を試す質問をすると見事に答えたので女王は感銘を受けた、というところまでが旧約聖書で書かれているようです。

しかし、子供を剣で割く話は出来過ぎですねぇ。日本の名奉行大岡越前守の大岡裁きと呼ばれる逸話も同じ構図つまり2人の母親による子供の取り合い、があり、中国でも、インドでも似た話が伝わっているようです。年代的には旧約聖書のソロモン王の話が古いので、これが大岡裁きや中国などの逸話(いつわ)の出所かと思われますが、ブログ「デービットとソロモンの不思議」でもご紹介したように、メソポタミアのウルUrの町に幽閉されたイスラエル人が書いた話ですから、創作の可能性が高いと思いますねぇ。そもそも子供を巡る取り合いで王に裁きを求めるっていうのは現実には起こりそうにない出来事です。どんな結果になろうが、悪いとされた方は打ち首、獄門が想定されますから、そこまで嘘をつき続けることは誰もしないでしょう。

で、もしシバの女王が黒人系だったら、っていう絵がYoutubeフィルムに出てきましたのでご参考に載せておきます。ソロモンの触手が伸びたとは思えない出来栄えですが、これは書いた人が悪いのであって、黒人でもすご~い美人は大勢いますからね。
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(完)

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