Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

カラコルムハイウェイKKHを辿る(前篇)

「クンジュラブ峠越え、パミール大横断11日間」の旅 (S旅行社)(前篇)
期間  :2015年6月19日~29日
参加者 :A氏70歳、・・・鎌倉
      K氏75?歳・・・深谷
      N氏68歳・・・西東京
      H夫妻(72歳?)・・・大阪(神戸?)
      mh
添乗員: F氏(31歳、S旅行)・・・?
以上の合計7人で、成田~イスラマバード~カシュガル~成田を移動。

6月19日:成田⇒イスラマバード
9時少し前に横浜の自宅を出発。成田には12時前に到着した。成田発14時のパキスタン航空で北京を中継してイスラマバードへ向かう。飛行機の最終目的地はラホールLahore。成田出発は1時間半ほど遅れた。いつものことのようだ。
今回の旅ではカラコルム・ハイウェイ(KKH)を辿ってイスラマバードからカラコルム山脈のクンジュラブ峠を越え、中国カシュガルに向けて北上する計画だ。旅行ルートを次の衛星写真に黄色いピンで示しておく。
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パキスタンと日本の時差:4時間
イスラマバード:首都。隣接するラワルピンジと合わせて人口320万人。新たに造られた首都で、その前はインダス川河口のカラチが首都だった。
イスラマバードは到着当日の6月19日の昼で41℃と高温で、ジャスミン、ハイビスカス、ブーゲンビリアの季節だった。到着は2時間遅れの23:30。当日イスラムの断食ラマダンが始まった。

ホテル:Hillview
Ramadan Kareemなるカードがロビーにあったが、ラマダン・カレー?日が沈んだら食べる食事がホテルでも準備されているという知らせか?

6月20日:イスラマバード⇒ベシャム
早朝、ホテル周辺を散歩。店の広告は英語ばかり。現地のウルドゥー語の表記少なくて驚いた。
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S旅行社の専用マイクロバスでタキシラ遺跡に向かう。
ガイドはシャリームさん。背が高く知的でハンサム。35歳?高校までフンザで育った。父親はフンザの校長だったらしい。ドライバーはガタールさんで50歳くらい。控えめな人だった。

ホテルを出てShah Faisal Mosqueを外から見学。
アジア最大のモスク。屋内は10万人、屋外を含めると80万人収容できるという。元大統領で女性のベーナズィール・ブットー氏を奉る小さな廟もあった。2007年、ラワルピンジで選挙演説中、イスラム過激派の銃弾と自爆テロで暗殺された。
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モスクを写真に収めたところでグランド・トランク・ロード(グレート・トランク・ロード)GTRを通ってタキシラ博物館へ。GTRはカラコルム・ハイウェイKKHと並ぶパキスタンの重要幹線道路で、次の地図に寄ればインド~パキスタン~アフガニスタンを走る。
Wiki:GTR
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Wikiによると「大幹道( Grand Trunk Road)は、アジアの最古で最長の主要道の1つである。バングラデシュのチッタゴンからインドの西ベンガル州のハウラーを経由して、北インドを横断しパキスタンのラホールを越え、アフガニスタンのカブールに至る。2000年以上前からインド亜大陸の東と西、即ち南アジアと中央アジアを結んでいる道で、アジアンハイウェイと呼ばれる道路網の一部になっている。」

タキシラ博物館(Taxila; Gandhara)
付近一帯に散在する遺跡から移設した仏像、壁面芸術、小形のストゥーパ、古銭、道具、石器土器が展示されていた。館内は撮影禁止だが、ブラブラしている監視員が「写真とってもいいよ」と誘ってくる。これは罠で、うっかり応じると数十USDの罰金を個人的に請求される!との事前情報を添乗員から受けていたので「No, thank you」で対応。
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タキシラの都城址シルカップ:世界遺産
古代都市遺跡。中央通りにはパン屋などが並んでいた所も。ゾロアスター、仏教、バラモン教(ブラフマン教でヒンドゥの一種)などの寺院跡もあった。近寄ってきた男から10ドルでアショーカ王が刻印された古銭を購入。真贋の程は大いに疑問だが、宝くじを買うより夢のある買い物だと思うと楽しい。
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Wiki:シルカップ(タキシラ遺跡群)
タキシラの対岸に位置し、バクトリア人によって建設された。2世紀にクシャーナ朝により、シルスフが建設されるまで首都としての機能を有していた。町を南北に貫くメイン・ストリートの存在、碁盤目状の都市形態であり、家屋は石灰岩のレンガを積み上げた上で、その上を泥や壁土で塗装したものも見受けられる。北に置かれたメイン・ゲートから南に100mのところには仏教寺院が設けられ、さらに、南には双頭の鷲のレリーフを彫りこんだストゥーパが建設されていた。インド、ギリシア、イランの3つの文化の融合を示す象徴である。都市の南部は王宮であり、謁見室やハレムが設けられた。

Wiki解説に出てくるバクトリア、クシャーナ朝などについては後日公開予定のFC2ブログ「Mysterious questions in the world」仮題「ガンダーラの不思議」をご覧下さい。

そこからバスで20分ほど移動して・・・
ジョウリアン僧院址:世界遺産
丘の上にあった。途中、ダムから引いた水が流れる運河を渡る。水浴びしていた。遺跡には綺麗な石組みの壁が残っている。博物館でも見たが、石壁は、古いものほど見事で芸術的だ!
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Wiki:ジョーリヤーン
タキシラ考古遺跡の北東に位置するジョーリヤーン(Jaulian)は、タキシラを一望することができる丘の上にある考古遺跡である。2世紀のクシャーナ朝時代に建設されたジョーリヤーンにもまたストゥーパと僧院が建設された。メイン・ストゥーパの周囲には小ストゥーパ群が展開していると同時に、様々な彫刻群が施されている。メイン・ストゥーパの東側に僧院が広がっていた。僧院の在りし日の姿は中庭を僧坊が囲む形で建設されていた。ジョーリヤーンで発見された瞑想する仏陀の坐像はグレコ・インド様式からグプタ様式への過渡期に作られたものである。

カラコルム・ハイウェイKKHに入る!
グランド・トランク・ロードを離れ、いよいよカラコルム・ハイウェイ(以下KKH)を北上する。中国では「中パ友好道路」とも呼ばれている。インダス川~ギルギット川~フンザ川にそってカラコルム山脈のクンジュラブ峠を越え、カシュガルまで行くのだ!全長は約1,300Km。
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KKHのパキスタン側起点については諸説ある。ガイドのシャリーム氏はハリプールHaripurだと言い、後日一緒に旅をした中国のガイドはラワルピンジRawalpindiだと言った。中国側起点はカシュガルKashgarで問題はないようだ。

ここからKKHだ!
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昼食
湖畔の、KKHから少し入ったホテル兼レストランで休憩。スープ、焼きそば、ライス、お粥、ナン、ゆで卵、などを食べた。日本人に向いた上品(控えめ)な味付けで、どれも美味しかった。湖の大きさは琵琶湖より二回り小さい感じ。帰国後Google Earth(GE)で調べたらKhanpur Lakeのようだ。
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パキスタンの男の服
「ズボンとシャツ」という意味の「シュルワール・カミーズShrwar Qamiz」と呼ばれる。カミーズはシミーズのことらしい。外出用のステテコとすっぽり被るゆるゆるシャツを少し上品にしたようなもの。暑い地方では快適だと思う。次の果物屋の写真にこれを着る人が写っているので参照のこと。

果物屋に立ち寄る。
外国人がめずらしいようで人が集まってきた。楽器を弾く老人もきて、金をせびっている風だったが無視し、500ルピー(600円くらい)で林檎と葡萄を購入。価格は日本の1/2程。平均給料は1万円程度のようだが、この辺りではもっと安いだろうから、店で買わねば入手できない葡萄や大きなリンゴ(この辺りのリンゴは小さいものが多い!)、バナナは彼らにとって高価ではないかと思うが、結構沢山おいてあるから・・・
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以前は欧米から大勢の観光客が訪れたが、ニューヨークの9・11テロや、これに続くイラク戦争などでアメリカとパキスタンの関係が悪化して以来、観光客は極端に減って、今は日本人や中国人が多いという。今回の旅行会社であるS旅行社はパキスタンに関しては日本の最大手だろうとの添乗員の弁。旅行中、日本人旅行客に会わなかったので、誇大宣伝ではなさそうだ。

軍施設で成り立つ町を通過
結構大きくて、見た目では人口3万くらいか?レンガの塀で囲われた軍敷地がKKHに面している処は何箇所も見たが、この町では特に多い。大病院もあって、過去に地震が起きた時、遠くから大勢の怪我人が詰めかけたらしい。

今回パキスタンで見た軍施設は、広い敷地を囲む塀の上に有刺鉄線がコイル状に巻かれて置かれ進入を防いでいるが、塀の向こうには大きな建物が少なく、軍用トラックなどの車両の駐車と、ライフル射撃訓練をしている程度では?と思われるものばかり。とても戦車やミサイルなどがあるようには思えなかった。アフガニスタン国境やインドと紛争になっているカシミールあたりに精鋭部隊が配置されているのだろう。参考に、ギルギットに向かう途中で撮影したKKH沿いの典型的な軍施設の写真を載せておく。
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ビンラディン暗殺の町アボッタバードを通過
2011年5月、アメリカ人の特殊部隊に暗殺された。イスラムの同朋を守れなかったとの負い目から、パキスタン内で事件が公に語られることはなく、彼が殺害された家は潰して公園にする計画が出ているらしい。場所はKKHから百mほど入った所だという。

バタグラム村(町)を通過
厳格なスンニ派の村。通過したのは午後4時頃だったと思うが、道路は買い物をする男達で溢れていた。ラマダン中の夕食では、健康のためか、主食の前に果物を食べる習慣があるようで、これを買い出しするために店が並ぶ通りに出てきているらしい。
女性はラマダンとは関係なく、特にスンニ派の女性なら、いつだって外に出ることは少ないという。勿論、学校に行って勉強することもなく、インターネットなど触ったこともない。こんな女性が着る服は、彼女の希望を聞いた男が店で生地を買い、女性が自分で仕立てるか、仲間の仕立屋に縫製を頼むらしい。

ホテル:PTDC Besham Motel (PTDC; Pakistan Tourism Development Corporation)
あるホテルでみたPTDCの記事によれば、1970年に創立された、政府が99.75%の株を持つ観光促進法人のようなもので、ホテルやモーテルの経営と観光促進活動を行っている。この日のホテルは、添乗員によれば今回の旅で一番「しょぼい」とのことだった。裏庭の手すりの直ぐ下はインダスの川原。庭にマレーシアから来たという夫婦がいたので2ショット写真を撮ってやり、雑談した。自転車に乗ったり飛行機で運んだりしてインドからパキスタンに入った所とのこと。こんな調子でヨーロッパまで行くらしい。目標は世界一周かも知れない。
(ホテルの庭からインダスの下流側を望む)
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6月21日(日):ベシャム⇒チラス
KKHから脇に入る道路の入り口辺りには関門を設けて見張りを立てているところもある。こんな道路の先には村があって、村の女を取られないよう見張るのが目的で始まった監視システムらしい。国中がこんなだとしたら、パキスタンは外国人女性が一人で旅することができる国とは思えない。

警備兵の同行
途中から警備兵が同行することになった。この警備兵はバスを先導する小型車で同行。
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こうして、町や自治体が変わるたびに警備兵が変わり、時には警備兵なしで、ギルギットの近くまで移動を続けることになった。外国人旅行者を守ることが理由だろうが、他にも理由があるなら恐ろしい。

大麻
KKHの随所で路肩に野生の大麻が見うけられた。畑で栽培しているのも見た。香辛料として使うらしい。
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中国に持ち込めば死刑の恐れがある。2013年10月、中国・広州の飛行場で覚醒剤3Kgがスーツケースの二重底と、中身のサンダルの底から見つかったという愛知県稲沢市議は、ネットで確認したら、既に何度か法廷に立ったが結審は先送りされている(本年1月頃の話)。無期懲役か死刑の可能性が高いらしい。
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チラスの岩絵
2~10世紀にかけて褐色の岩の表面に描かれた。シルクロードを辿る旅人がインダスを渡るためにこの辺りで寝泊まりしながら描いた、仏教、ヒンドゥ教、イスラム教関連の絵や文字だ。キャンバスになった褐色の石の種類が判らないが、多分、鉄分を含み、これが酸化して赤みを帯びた表面を、硬い石か銅などの金属で叩いて剥がし、絵を浮き上がらせているのだと思う。
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ダム予定地を通過
インダス対岸の山肌に「Diamer Dasha Dam/Well Come」と白く書かれている!白線は予定水位を示すのだろう。2018年完成予定というから、あと3年しかないが、それらしい工事現場は見なかったので、中国主導で突貫工事が行われるのかも知れない。山肌に白く文様を描くには、その辺りに転がっている石に白いペンキのような塗料を塗り、白い部分が道路から見えるようにして山肌に並べてゆくようだ。この方法でかれたサインは、何度は見かけた。KKHの脇の岩壁にペンキで書いた選挙ポスターのようなものやホテル案内も多かった。
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ホテル:Shangrila Indusview
夕食前、外を眺められる廊下でテーブルを囲み、ツアー仲間の男4人で柿の種などをつまみに、K氏が日本から持ち込んだ焼酎で歓談した。私は成田で買ったアタリメを供出。
(裏庭でインダス下流方向を望む)
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翌朝(6月22日)にホテル・フロントで投函を依頼した絵葉書は、帰国後の7月9日、横浜自宅に配達された!

6月22日(月):チラス⇒カリマバード(フンザのバルチット)
左にヒンドゥクシュ山脈(ペルシャ語:インド殺し)、右にヒマラヤ山脈(サンスクリット語:緑の山)、前にカラコルム山脈(トルコ語:黒い石)を眺めながらKKHを進んでいく。
今日の最初は髭のお爺さんが我々のガードだ。写真撮影を催促されたのでパチリ!
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パスポート・チェック
砂漠の中にあるような渓谷を走り、地方空港もある町ギルギットGilgitの領域に入ろうという所で、KKH脇の砦のような建物で警備兵(国軍?)に通行チェックを受ける。担当の兵は、まず、ガソリン式の発電機を作動してパソコンを起動。そして1人ずつ机の脇の椅子に呼び寄せ、ディスクトップのキーボードを叩いてはパスポート情報を入力し、小型カメラで顔写真もPCに取り込んだ。
次の写真は砦内で撮影したもの。西部劇の“メキシコ砦”のセットみたいな場所だった。
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世界第9峰でパキスタン第2峰のナンガ・パルバットNanga Parbat(8126m)
ガイドによると、パキスタンでは6千m以下は山とはみなされず名が付かない。8千m超の高山は世界に9山で、パキスタンには5山があり、最高峰がK2(8611m)で、これは世界第2峰。K2もNanga Parbatもカラコルム山脈にある。
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カラコルム山脈、カラコルム・ハイウェイなどの「カラコルム」という言葉は、トルクメニスタンのカラクム(砂漠)や、今から訪れるカラクリ(湖)と響きが似ている。モンゴル帝国の首都カラコルムもある。なにか理由があるだろうと思ってWikiで調べるとトルコ語系の「黒い石」を意味する語のようだ。詳しい情報は最終段で紹介する。

インダスではジプシー(遊牧民)が砂金採りをするようでそれらしいテントも見たが、遊牧が主業でこちらは副業らしい。彼等が飼っている羊はイスラム教徒のお祭り時は生贄として高く売れるとのこと。羊が村人の敷地に入り草や野菜を食べるとと、村人と喧嘩になることがあるという。
次の写真では、インダスはガードレールの直下で見えない。中央奥の雪山から流れくる渓流に寄り添うように村がある。灌漑水路で山裾に沿って水を引き、畑や果樹園を営んでいる。
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インダス川との別れ
ここからインダスを離れ、Gilgit川に沿ってKKHを走っていく。
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中央奥から流れてくるのがインダス本流。左側からKKHに沿って流れてくるのが支流のギルギット川だ。
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インダス川はギルギットGilgit川との合流点から少し上流で大きく南東に曲がりヒマラヤ山脈に続いている。水源地はチベットだという。

次のインダスを示す地図にはGilgit川とIndus川の合流点が図の上のほうに現れているが、我々の目的地のカリマバードを流れるフンザHunza川は地図には記載されていない。フンザ川はGilgit川に下流域で合流している。
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次の写真はギルギットの町に向かう途中で撮影した。
やはり、渓流が流れている場所に緑と村とが集中する。ここは紅葉の時期は最も美しいスポットの一つらしい。
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KKH建設の碑
ギルギットの町をかすって通過して直ぐの所に中国とパキスタンの共同作業で造られた舗装路KKHの完成を記念して建てられた碑があった。フンザ川対岸のノームル村の背後の山の陰に、この5月、パキスタン軍ヘリが墜落し、フンザ観光促進のために招待され搭乗していたノルウェー大使などが死亡している。日本大使が載ったヘリは問題なかった。
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建設の碑を過ぎるといよいよフンザの懐カリマバードに近づいていく。
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フンザHunzaとナガールNagar
フンザ川を挟んで隣り合う2つの地域は何かと違いがあるようだ。
          フンザ       ナガール      、
場所    フンザ川の西    フンザ川の東
名の意味   弓と矢        花
人口      5万人       7万人
宗教    イスマイル派     シーア派(の何派?)
      Ismaili Shia Muslims  Shia Muslims.

決定的な違いはイスラムの宗派差による戒律の違いと、観光資源の量だ。観光の村として既に名も知られ、その地位を確立しているフンザには、観光中心のカリマバードKarimabad(バルチットBaltitとも言う)という人口8千の村があり、外国人も泊まるホテルが集中している。

フンザの宗教のイスマイル派はシーア派の一つだが、特に規則が緩い。女性の地位に対する偏見は最高指導者によって取り除かれていて、女性は学校にも行くし、外出もする。よって生徒数は多く学校も多い。しかし、対岸のナガールはシーア派の別の宗派で、女性の行動に制約が多く、ホテルや学校もフンザと比べれば格段に貧弱だ。ナガールの女性はフンザの女性を羨んでいるという。

Wikiには次の表記も見つかる。
「フンザではシーア派イスラムのイスマイル派信者が多く、パキスタン他地域のイスラム教徒と比べると、風習や服装はかなり異なる。」

ここで簡単にイスラム教宗派の解説をしておく。
イスラム宗派
スンニ派:
「預言者ムハンマドの時代からの『慣行』(al-Sunna スンナ)に従う・護持する人々」というほどの意味で、アラビア語ではさらにこれを略して「スンナに従う人」を意味する「スンニー」の語からスンニ派とも呼ばれる。戒律(慣行)を厳格に守り、女性には厳しい。世界のイスラム教徒の70%程度が所属。
シーア派:
シーアはアラビア語で「党派」を意味する普通名詞で、いくつも派生した宗派の一つ。シーア派と呼ぶのは厳密に言うと派・派となり同一語の繰り返しとも言える。20%程度が所属。
 
いずれもコーラン(又はクルアーン。英語ではQuran(Qurʾan)またはKoran)を経典とするが、一般的にシーア派の方が緩やかだと言われている。

フンザの識字率literacy rateは95%以上でパキスタン国内でも最高レベルらしい。午前2時頃にスピーカーから流れてきたイスラムのお祈り「ハザーン」は対岸ナガールのもので、フンザでは規則による縛りが緩いためか控えめだ。

シルクロード
千年以上も前、KKHに沿ってシルクロードがあった。大半は崖崩れで消滅するかKKHに置き換えられてしまったが、今も山肌の所々に残っている。馬に乗って通れる程度の道らしいが、川向うにかすかに見えているだけなので、道幅は正確には判らない。崩れないよう石を組み上げて造った部分もあった。

次の写真には古代のシルクロードが映っている!
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岩肌を手前の河原と平行に走るのは水路で、緑の草がうっすら見受けられる。左端の中央辺りから緩い角度で河原の方向に下る細い筋がシルクロードだ。こんな場所に造るものだから、崖崩れや、時には雪崩にあって寸断されることが多い。今ではKKHに置き換わったので崩壊しても修理されることはないから、これからは徐々に消え去っていくのだろう。

ガイドは「玄奘三蔵やマルコ・ポーロも通った!」というが、三蔵はバーミヤンを通っているはずだと思っていたので、帰国してからネットで確認してみた。

不思議な疑問
  1)玄奘三蔵はKKH沿いの旧道を通ったか?
  2)マルコ・ポーロはKKH沿いの旧道を通ったか?
  3)KKH沿いの旧道は本当にシルクロードか?

玄奘三蔵が辿ったルートについて、Wikiには「隋から唐になって直ぐの629年に中国を出発し、河西回廊をへてヒンドゥクシュ山脈を越え、インドに到り、インドで凡そ10年の仏教修行の後、出発から16年後の645年に、西域南道を通って戻ってきた」とあるがこれだけではルートはよく判らない。彼が記したと言う大唐西域記に書かれた内容からルートを地図に記したものがいくつか見つかった。どれも凡そ同じルートなので、一番判り易いものを紹介すると次の通りである。
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やはり三蔵法師はKKHルートを通っていない!

ではマルコ・ポーロはどうか?
Wiki:マルコ・ポーロMarco Polo(1254年9月15日 - 1324年1月9日)
ヴェネツィア共和国の商人であり、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した『東方見聞録』(写本名:『イル・ミリオーネ (Il Milione)』もしくは『世界の記述 (Divisement dou monde)』)を口述した冒険家でもある。(帰国後、兵士として)志願し従軍したが、ジェノヴァに捕らえられた。 数ヶ月の収監中、彼は旅の詳細を口述し、これを書き留めたのが、彼と同じく投獄されていた職業的著述家のルスティケロ・ダ・ピサであった。

つまり刑務所内でマルコ・ポーロが話したことを仲間の囚人が本にしたのが「東方見聞録」だったのだ。
で、マルコ・ポーロが辿ったルートは・・・
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別のもう少し詳しい地図もネットにあったが、よく見ると結局は上の地図と同じルート。つまり、マルコ・ポーロもKKHルートを通らなかった!

シルクロードはどうなのか?
シルクロードの地図は山ほど見つかる。時代と共にルートは消滅したり追加・変更されたりしているので、1枚の地図で「これがシルクロードだ!」と言えるようなものはないが、広く知られていると思われる見やすい例を一つ挙げる。

<1世紀頃のシルクロード>
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紀元前の秦の都だった咸陽が前漢(紀元前206年)の時代に長安Chang’anと改名され、長安Chang’anからカシュガルKashgarを通るシルクロードが描かれているが、その先は西に向かい、南、つまりKKHルートは載っていない!

しかし、次の地図が見つかった。これによれば、まさにカシュガルとイスラマバードを結ぶKKHに沿ってシルクロードはあった!、
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KKHに沿った旧道はシルクロードだ!と断言しても好いだろう。

ラカポシ峰Rakaposhi(7788m)を見ながら昼食 
ラカポシから流れ出ている渓流脇のテントで昼食を取った。空気も爽やかで快適だった。
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パキスタンには高い山が多く、名前がつくのは6千mを越える山だけだと言う。因みにラカポシの意味は「隠れている岩」とも言われる。なおWikiでは「この地方の伝説上の人物にちなみ「ラカの物見台」を意味するといわれ、また「雲の首飾り」の意のドゥマニ (Dumani) の名で呼ばれることもあるカラコルム山脈の山」となっていた。

今回、自分で直接確認することが出来なかったパキスタン第一峰のK2(8,611m)もカラコルム山脈の山で、カラコルム山脈測量番号2号からK2と呼ばれるが、Chhogori/Qogir(チベット語;大きい山の意)、Ketu/Kechu(K2の英語音?)、Mount Godwin-Austen(英国探検家の名を冠した)などとも呼ばれ、ヒマラヤ山脈のEverest(8848m) に次いで世界第二とWikiにあった。
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お宝探し
カリマバードに向かう途中でバスを停め、そそり立つ崖から路肩に崩れ落ちた細かな石の中にガーネット探しをした。ダイヤモンドの次に固い物質で、ネックレスや、粒子が細かいものは大量に入手できるので紙やすりに使われる。私が見つけた石を、アショーカ王が刻印された直径2cm足らずの古銭と一緒に写真に収めた。
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H氏は一回り大きい、直径1.5~1.8cm位(2cmはなかった!)のガーネット2個を見つけ、満面の笑顔を見せていた。

Wiki;ガーネット
柘榴石(石榴石、ざくろいし、garnet)はケイ酸塩鉱物(ネソ珪酸塩鉱物)のグループ。宝石としてはガーネット、紅榴石の名前でよばれる。1月の誕生石で石言葉は「真実・友愛・忠実・勝利」など。

当日の目的地カリマバード(フンザにある村)に近づくと色々な山が見えてくる。
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レディー・フィンガー、ウルタ1・2峰、フンザ峰etc. 名がある山は・・・6千m超だけ!
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ホテルに到着 Hunza Embassy Hotel
夕食はラマダンに合わせて少し遅めの7:30から開始となり、時間があったので全員で坂を上った土産物屋通りに出かけた。自由解散後、男4人で更に少し上ってバルチット砦まで散歩。標高が高いので息切れした。
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ホテルに戻り、夕食前にレストランから500mlの缶ビール(10ドル)1個を仕入れ、成田のコンビニで買った焼貝の干物(ホタテの筋!百円だったか?)をツマミにして、テラスで一人で乾杯!夕食時にも一杯。翌朝は少し頭が痛かった。高山病とビール(防腐剤入り?)のダブルパンチ?
因みにこのビールはパキスタン製で、輸入物ではない。
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ホテル・ロビーの右壁には幻の山羊アイベックス!
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6月23日:カリマバード(フンザのバルチット)
御来光
朝4時に起き、ジープで40分程坂道を上って目的の丘に到着。日の出を待つ間にサービスされた暖かいミルクティーとビスケットが美味しかった。雲間から差す日の光で輝くゴールデン・ピーク(7027m)はハリウッド・パラマウント映画の最初のシーンにある山に似ている。
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ツアーメンバー全員で記念撮影。年齢も価値観も似た者同士。旅を楽しくしてくれた仲間だ。
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丘からはフンザ川沿いにアルチット砦が見えた。
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バルチット砦は小さな岩山の頂きにチョコンと載っていた。
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ナガール川上流域探索
朝食後、ジープに分乗してフンザ川に合流しているナガール川に沿って上流を目指した。
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途中、岩山の上に造られた村が見えた。どうしてあんな不便なところに家を造るのか?岩山の下には渓流が流れているのに・・・
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ホパール氷河
氷河の直ぐ脇にある丘の展望台が今回の最終目的地。ずっと奥にある万年雪の山の間から流れ下る氷河の長さは上流側に9Km、下流側にまだ3Km続く。展望台に立つ私の足元にも到達していた。
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氷河の下流方向に広がる絶景!白い連山はフンザの7千m級の山だ。
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丘の直ぐ下のレストランで昼食を取りフンザに戻った。

カリマバード散歩
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水路に沿った歩道の脇には、サクランボや林檎の木を植えた庭を持つ家が多い。
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ホテルでWi-Fiを使い見たニュースに「熱波のためカラチで200人死亡」とあった。その後死亡者数は増え1千人を超えたようだ。電力不足で扇風機も動かず、野党は政府の失策が原因だとして26日に全国デモを打って政府を糾弾する予定ともあった。デモの結果は訊いていないが、我々の旅行には全く影響なかった。

デモと言えば・・・前日、小さな町の中で渋滞に出くわした。車の列が家に隠れて見えなくなった辺りに煙が上っていたが、道路の様子が見渡せないので何が起きているのか判らない。辺りに居た人によれば、デモで道路が封鎖されているとのこと。デモの原因は度忘れしてしまったが、不満分子が路上で何かを燃やしたりして騒いでいたようだ。幸い我がドライバーはこの辺りの生まれで道に詳しく、躊躇せず折り返し、暫くKKHを戻って川向こうの脇道に入った。その後は全くの田舎の山道をどんどん走り、30分ほど後に川を渡ってKKHに戻りると、そこからは先を走る車が全くない快適なドライブが続いた。

フンザはリンゴ、杏子、サクランボ、桃、クルミ、桑の実、ナシ、アーモンド等の果物の木が沢山ある村で、春は花が一斉に咲き競い、さながら桃源郷のようになるという。でも、紅葉と果実が実る秋の方が観光としては最高かもしれないと添乗員の弁。今は初夏だが、十分うつくしい。

アレキサンダー軍の子孫?
フンザには赤毛・金髪、青い目、白い肌の人が多い。
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フンザ:父と娘
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マケドニアのアレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)が小アジア(トルコ)に出征したのが紀元前334年。以降エジプトを攻略してアレクサンドリアを造り、ペルシャからインドに向けて遠征したが「紀元前326年にインダス川を越えてパンジャブ地方に侵入」とWikiにある。
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パキスタンのパンジャブ州はタキシラTaxilaの直ぐ南だから、フンザには紀元前327年頃にはやって来たことになる。その末裔ではなかろうか?

若い兵士とフンザの女の間に生まれたギリシャやマケドニア風の血が今に繋がっている、という説はロマンがあり、事実の可能性も高い。フンザの北西で紀元前3世紀に生まれたバクトリアBactria王国にはギリシャ人の統治者がいたという史実もあるから、やはりギリシャやマケドニアの血が入っていると考えたいが、「血を一滴いれても海は赤くならない」という言葉もあるようで、ギリシャ人の末裔説も完璧ではなく、学者も結論に至っていないという。

草原の椅子
宮本輝の新聞連載小説。1997年12月から1年間『毎日新聞』朝刊に連載され2013年、映画化。
今回のガイドのシャリーム氏も特別出演しているらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=ZKZ2pF9oUNY
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次の風景はインダス川の砂漠地帯のものだろう。
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ホテルのロビーの壁にあったポスターの写真
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 佐藤浩市、西村雅彦、吉瀬美智子;真昼の月の静けさに(テーマ曲);Glay、2013年放映
 「ぼく、すてられちゃった。血の繋がらない子を愛した時、もう一度生き抜くと決めた男二人と女一人」

実は、この映画のロケがフンザで行われ、俳優たちが我々と同じホテルに、しかも私の泊まった303号室には吉瀬美智子が泊まっていたというのだ!これは嘘ではなく、全くの事実です!
 
6月24日(水):カリマバード(フンザのバルチット)

長谷川スクール訪問
朝食後、ホテルから徒歩15分の長谷川学校に出かけた。幼稚園から短大までの一貫教育、自由な校風、でパキスタンでも優良校として知られているとのこと。朝礼は、外出中の校長に代わって苦労人と思われる教頭が指揮して行われていた。
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まずは、教頭のお説教。校長の場合はすごく長いらしいが、教頭は簡単だった。その後、イスラムのお祈りの言葉を全員で短く、そして国歌斉唱。ひき続いて我々ツアー全員が壇上に上がって紹介され、生徒達の歓迎の踊りの後、日本語の「春が来た」を3番まで全員で歌った。続いてS旅行社のF氏が日本語と英語を混ぜて感謝の挨拶。次に私がしゃしゃり出て英語で簡単なお説教をした!!!

その後は校舎で授業の様子を見学。PCが20台ならぶ部屋が2つあり、一つは生徒用、一つは教師用とのことだった。見学後、全員が小銭を寄付金箱に。私は2千ルピーを寄付し、その日のビール2本はおあずけとした。途中で校長が戻って来て校長室で学校の歴史や方針を聞いた。流暢な英語でいろいろしゃべってくれたが、教師というより経営者タイプ。英国留学したとかで、年齢も30代半ばのようで、それまで我々の世話をしてくれた控えめで温厚そうな教頭とのタイプの差は大きい。
教頭の写真
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小学校低学年の教室。英語の教科書で授業が行われていた。
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長谷川学校は登山家の長谷川氏の名を冠している。彼は、ウルタ第2峰を目指していた時に雪崩にあった。住民は彼を慕っていたようで、急いで探しに出かけ、翌日には遺体がみつかったという。墓はバルチット砦の直ぐ脇に流れ下って来る渓流にそって3時間ほど登った山中にあるとのこと。

長谷川氏と奥方が登山のためにフンザに滞在した時、建物が無い場所で勉強している子供達を見て、学校を寄付したいなぁと話していたので、奥方と長谷川氏を慕う篤志家たちが寄贈した資金を元に学校が造られた。

授業で使う言語はパキスタンの主要な国語のウルドゥー語と英語で、多くの異なる言語が今も使われているパキスタンや海外のどこにいっても言葉で不自由しないよう配慮している。長谷川学校についてはA氏のレポートが詳しいのでそのまま引用させてもらう。

【長谷川メモリアルスクール】 
世界的な登山家長谷川恒男氏(アルプス三大北壁の冬期単独登攀の成功は世界初)が、フンザからウルタル峰に登る途中に、青空の下で小学生が勉強している光景を目にし、登頂に成功すれば学校を建てたいと語っていたそうだ。1991年、ウルタル峰で雪崩に巻き込まれて亡くなった時、村人たちの遺体捜索協力の恩返しにと、長谷川氏の未亡人が建てた学校で1998年に開校。また、この周辺はジャパン・チョークと呼ばれ、日本政府が上水道整備に貢献した碑も立っている。お会いした英国留学の経験がある30歳代の校長先生が、将来は理系の大学も作りたいと熱く語っていた。彼の話によると、このスクールは幼稚園、小学校から短大まであり、約1000人強の児童、生徒がいる。教師は50人強、スタッフは10人程度とのこと。男女の構成は60%が女性で男社会のパキスタンでは珍しいそうだ。50人程度が奨学資金で通学しているそうで、この地域では抜群の学校との評判。朝から朝礼を見学し、授業を参観する。さながら孫の参観日のようだ。幼稚園ではカーペットの上に先生がチョークで数字の”2”を書きその上に、園児がトウモロコシの実をその上に並べて数字を学んでいるようだ。小学3年生までは机と椅子がなくカーペットの上に車座になって勉強している。高学年になるとさすがに机と椅子がある。将来の夢を聞いてみると医師やエンジニアになりたいと言う。授業も同じ教室で男女共学。イスラム社会としては稀有なこと。授業料は1200円程度で、サラリーマンの月給が6000円程度のパキスタンではかなり負担が重い。学校の運営は主に寄付に頼っているそうだ。日本人が寄付した図書室やパソコンルームや三菱商事が寄付した教師用補助教材室などがあった。最後にdonation boxに少しばかりの志を入れて学校を後にした。

なおWikiの長谷川氏についての情報は次の通り
長谷川 恒男(はせがわ つねお)
1947年(昭和22年)12月8日 - 1991年(平成3年)10月10日)は、日本の登山家。日本アルパインガイド協会専務理事を務めた。ウータンクラブ主催。アルプス三大北壁の冬期単独登攀の成功は世界初。神奈川県立神奈川工業高等学校卒業。神奈川県愛甲郡愛川町半原出身。1991年 ウルタルII峰(7388m)で雪崩に巻き込まれ星野清隆と共に遭難死。遺体はフンザ渓谷内のベースキャンプ近くに埋葬され、墓地も造営された。

廊下に飾られていた長谷川氏の写真
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THE GREAT BENEFACTOR 偉大な恩人
TSUNEO HASEGAWA 1947-91 長谷川恒夫 1947-91
1947年といえば私の生年だ!

国語と公用語(Wiki)
1988年までに英語に代えてウルドゥー語を公用語化することになっていたが、2004年現在も実現にいたっていない。同時にウルドゥー語が公用語化されるまでは英語を公用語とする旨規定している。憲法を始めとする全ての法令や、公文書は英語で書かれている。政府の公式ウェブサイトは英語でだけ書かれている。全ての高等教育機関が英語を教授言語としている。ただ、ほとんどの初等中等教育はウルドゥー語で行われているため、英語を自由に操るパキスタン国民はあまり多くない。

その後、バルチット砦を見学
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輿入れの時に花嫁がバルチスタン(小チベット)から3百人を連れてきて砦を修復し、今の建物の姿が出来上った。言われてみればチベットのポタラ宮を思わせる外観だ。1945年、藩主Mir of Hunzaは砦の下の村に住居を移し、砦は無人になって劣化が進んだため、英国人が中心に基金を募って1.5百万ドルを投入し修復された。砦には40~60人が住んでいたらしい。一番下の階は牢屋で、日光が差し込む小さな小窓が高い位置にあり、上の階から見張りが監視していた。

住居空間は2,3階で階段が繋いでいる。次の写真は建物中央辺りの踊場。
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花崗岩をくり抜いた大きな壺や、瓢箪や銅の容器などが飾られていた。
居間には絨毯が敷かれている所が多い。寒かったのだろうか。
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金属の鍋類と、木製のネズミ取り!
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揺り籠が置かれた居間。天窓もある。
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左の壁にはスプーン、右の壁には楽器が飾られた居間
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歴代のイスマイル派指導者と歴代のフンザ藩主の肖像画・肖像写真が掲げられた部屋。
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青い服を着た初代藩主の顔が面白い!後に訪れたグルミットGulmit村のレストラン兼ホテルのオーナーが藩主の家系ということで写真を撮らせてもらったが、よく似ている!!
旅行記後編のGulmitの項で写真を挙げるのでお楽しみに。

左の壁の肖像はイスラム教シーア派の中のイスマイル派の歴代指導者たちで、白い服の、リチャード・ギアのようなハンサムが現在の指導者Highness Prince Karim Aga Khan IV(4世)で、祖父で先代の指導者3世はインドのカラチ(現パキスタン)で暮らしていていたが亡命し、孫の4世は今はフランスのパリで暮らしながら世界中のイスマイル派のリーダとして機能しているらしい。ネットで確認すると、競馬で蓄財する大富豪のようだ!!!
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砦の屋上の、円形屋根の下にあるごろ寝用の縁台で、FC2ブログ「シャングリラの不思議」(1月19日)を思い浮かべながら記念写真を撮ってもらった!
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内部の写真撮影料金は200ルピーだった。

建物を出た処で、ある人物に出くわした!砦のガイド???
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FC2ブログ「シャングリラの不思議」に登場した人に違いない!
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https://www.youtube.com/watch?v=DmPdzt3wcT4

藩主制度は廃止されたが、世が世なら藩主の人物は今もフンザを代表する人で、我々のホテルの直ぐ上にある近代的な王宮風の建物で暮らしている。
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今もいつも暮らしているのかどうかについてはガイドも知らないようだ。しかし、奥方と息子はフンザがお気に召さず、都会に住んでいるのは間違いないという。息子(1977年生まれだから38歳)は父の後釜を狙って2009年のパキスタン国会(?)総選挙に立候補し落選したが、カリマバード村での得票率は高かったという。参考としてバルチット砦の壁に飾ってあった、元藩主の妻で今はカリマバードを捨てて町に住んでいる女性と、選挙に落選した息子の肖像写真を挙げておく。
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バルチット砦見学の後、A氏と二人でアルチット砦に行った。
途中のクリケット場がある通りで出会った女の子たち
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バルチット:上の村     アルチット:下の村
バルチット砦:800年前、 アルチット砦:9百年前

アルチット砦
バルチットのホテルから徒歩40分。アルチット村の中の細い路地を砦に向かって歩いていたら男に呼び止められ、チケットを売る建物に連れ戻された。入場料700ルピー(8百円)を払って券を購入。
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ふと壁を見ると、チャールズ皇太子(ウェールズ公チャールズCharles, Prince of Wales)がアルチット砦を訪れた時の写真が掲げてあった。

砦の敷地までチケット売りが付いてきて、「ガイドが付くが、年寄りの方がいいか、それとも普通の男でよいか」と訊くので「年寄りで」と頼むと、待合の建物があるので、そこで待てという。暫くすると、それらしき年寄りが来たが、もう少し待て、と言ってどこかに行ってしまった。20分ほど待ったが誰も来ないので、坂を上り砦の建物に入る。そこにイスラマバードからの女学大生一行(17人)の観光グループがいて「ガイドは同行していないのか?」と訊いてきたので、事情を話すと、だったら一緒に見学しようとなり、華やいで楽しい時間を過ごさせてもらった。彼女たちは中国から戻る途中らしい。砦はフンザ川から屹立する崖の上に築かれ、ユニークな建物だった。
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砦の山側は直ぐ近くまで住居が密集している。
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出会った美女たちと一緒に記念写真。手すりの上の木の像は幻の山羊アイベックス。
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クリケット
砦見学を終えホテルに戻る途中でクリケット場に入ってみた。男ばかりがプレーしたり、見物したりしていた。後でガイドに訊いたら以前はポロ競技場だったという。
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フンザは世界の三大長寿村(だった)
男の方が長生きで、女は多産で仕事も多く、男より短命だったらしい。長生きの秘訣はきれいな水と空気だろうという。ガイドのシャリームさんの仲間でアリさん(カリマバードからスストまで客の出迎えで同行)は、お爺さんが103歳。106歳の祖先もいたらしい。しかし、最近はだめだと言う。食習慣が変わり、化学物質を含む食品や飽食が理由か?女の方が働き者というのは世界の共通で我が家も例外ではない。

日本人の指導でアプリコットの事業化を目指す
JICAと共同でフンザのアプリコットを事業に育成しようと活動している東京T㈱の社員1人が、2、3ヶ月の滞在予定で同じホテルに泊まっていて、話を聞いた。毎年、今の時期に数か月間だけフンザを訪れていて今回が2度目で、来年も来る予定らしい。パキスタンの町や国外でも売れるアプリコット製品をフンザの現金収入手段に育てることが最終目的で、フンザだけでなく川向うのナガールの女性たちにも、栽培方法、収穫方法、商品化(ドライフルーツ化)方法を指導している。硫黄燻蒸すると綺麗な飴色になり、乾燥の手間も少ないらしいが「オーガニックを好む客が海外には多いし、味も深みがあるんだよ、という考えで指導しているけれど、現実の市場の評判がどうか、が最大の問題で、バイヤーにも来てもらって、品評会をするんだ!」と意気込んでいた。翌日の品評会にはバイヤーが大勢詰めかけ、評判は好かった!と喜んでいた。彼も言っていたが、パキスタンの男は怠けものが多く、アプリコット事業の成否は女にかかっているらしい。
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東京T㈱は東京にある資本金5千万円の会社で、レアメタルの輸入、フィリピンでのココナッツ関連事業をしている(ネット情報)。

(前篇:完)
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コメント


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本当だ~年齢も価値観も似た者同士!!

1週間ぐらいの旅を前篇、後篇に・・・うまく纏められていますね。

元藩主の妻は、やっぱり魅了なセレブな雰囲気がありますこと!!

「シャングリラの不思議」に登場した人に違いない砦のガイドさんには、確認しなかったんですか?

地理に疎い私ですが、パキスタンってインドの隣なんですね!?
旅行ルートを表す衛星地図に懐かしいダージリンやタイガーヒルが・・・。


monalisa | URL | 2015-07-15(Wed)08:55 [編集]


Re: タイトルなし

次週月曜日(20日)の後編もお楽しみに。
ドキュメンタリー・タッチでいつものブログの雰囲気と異なり、読んで頂くのも気が引ける長編ですみません。
シャングリラの不思議の人物ですが、あれぇ?この人ってあの~、てなこを思いながら記憶の引き出しを探っている内にみなさんがどんどんと行ってしまうもので、気付いたのは暫くしてからでした。

で、私事ですが、神田のお勤めは来週、再来週の火曜の2回で打ち止め。今後はブログに専念です!10月17日出発でエジプト・ナイルのクルーズ(一人旅専用20名まで。25万円と格安!)に申込みも終えて、いよいよ「世界のミステリー」にいりびたりの時間を送れそうです。やっぱ、足腰と頭のほうはしっかりしておかねばなりませんから、旅行と事前調査、事後のブログ化、は続けねばなりません! それにしてもカラコルムの旅、景色も温度も標高も変化に富んで楽しめました。モナリザさんも今秋あたり行ってみるといいですよ。

mystery hunter | URL | 2015-07-15(Wed)09:25 [編集]


私は、世界史や地理に疎いので、
同じところに行っても、きっと観点が違うでしょう。

今年は、仕事に専念して
別荘化した実家に連休の旅に出かけて
のんびり過ごす~のじゃ!!

来年まで長期の旅は、御預けです。

ブログに専念・・・とのことですが
愚痴の多い内容には私は触れたくもありませんので
くれぐれも楽しい、興味深いブログ内容にしてください。

最近、読書しなければ・・・の心が~ムクムクと・・・
『読書の秋』に先立って4冊の本をアマゾンから~

それから、カラオケにも嵌り・・・レパートリー増やしています。
今年は、三十七会に出席して、マイク独り占めです。


そうそう、facebookは、削除したんですね?

monalisa | URL | 2015-07-15(Wed)10:21 [編集]


Re: タイトルなし

facebookですが・・・削除されてないと思いますが自信ありません。タイムラインのお知らせは来てますよ!確認のため、久しぶりにコメント入れておきましょう。

mystery hunter | URL | 2015-07-15(Wed)10:32 [編集]