Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

カラコルムハイウェイKKHを辿る(後篇)

6月25日(木):カリマバード(フンザのバルチット)⇒ススト
朝、ホテルを出て3,40分、バスで走るとアッタバード湖に到着。
アッタバード湖
2010年1月の地震でフンザ川が堰き止められて出来た湖で、村やKKHが水に沈んだ。
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両舷に船外機を固定したボートで湖の上流の船着場を目指す。
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小雨が舞う中、船はL字形をした全長約23Kmの湖を約50分で移動。KKHを通るトラックは全て湖で荷をボートに移し替えねばならないのでかなり不自由な物流状態だと言える。中国の支援でトンネルを含む全22Kmの道路工事がほぼ終了し、この8月に開通式が予定されているらしい。トンネルは工事区間の6,70%だと思われる。所々でトンネルが切れては繋がっていて1本の長いトンネル、ということではないが、結構長いものもありそうだった。決壊による洪水を回避するため、パキスタン軍が水抜きをして水位は最大時よりも20mくらい低下したが、新KKHが開通したらダムとして発電に使う計画だという。それにしても船の上は寒かった!

船を下りると、これまでとは別のバスが待っていた。移動の途中でカテドラル山という、複数の峰がまとまった大聖堂のような山があったのだが、天候が悪く頂き辺りは雲の中で見えない。

グルミットGulmit村を訪問
以前はポロ、今はクリケットやサッカーのグラウンドの近くには学校があり、丁度昼休みになったのか、体育の時間か、制服を着た男女の学生が広場に出てきたので、英語で埒もない話をしているうちに当方の仲間はどんどん行ってしまったので慌てて追いかけた。
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うねうねとした村の路地を散策してから、絨毯工房に立ち寄る。販売もしていたが、シルクのキッチンマットが4万円というから決して安くはない。ドルか円で、ということだったが、H夫妻が使い道がないからといって余っている中国元で好ければ買ってもいいというと、最初は難色を示していたが2千元で折り合いが付いた。
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ひき続いて民家を見学。左の老婦人は伝統的な衣服を着用している。キッチンの奥にいる黒い服の女性は、旦那、つまり老婦人の息子、の所に嫁にきた人で、色白の美人だった。
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血筋
Gulmit村はフンザ藩主の夏の別荘があった所。藩主の血を引いた経営者が所有するホテル兼レストランで昼食を取った。経営者はバルチット砦に掲げられていた三代前の藩主と瓜二つ!
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パスーPassu氷河
氷河は道路まで到達していた。上流は氷だが道路から1kmほどの範囲では表面に土砂が被っていて、そこに氷河があることには気付かない。
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パスー村散策
豊かな自然に包まれて、せかせかせず長閑に暮らす人。
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学校帰りの子供
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こんな山間の小さな村で暮らす人もいるのだと、忘れかけていた昔馴染みの感傷がふと戻ってきた。羨ましい生活だが、秋にでもなれば雪も降り出し、冬は全く動きも取れず、厳しい暮らしを強いられているに違いない。それでも住めば都なのか、それとも他の選択肢がないのか・・・

なお、GulmitやPassu、この日の宿泊地スストSust、は上部フンザに属し、住民はワヒ族と呼ばれる。

スストSust(標高2850m)
パキスタン国境の町。中国人トラッカーの宿泊地で、KKH沿いには店やホテルが並ぶ。中国語が描かれた看板を掲げているところもあった。
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昔からの村はKKHからそそり立つ崖の上の平地にある。そこにはランド・ポート(コンテナ荷物の通関)もあると言う。行くには監視人もいる建物前のゲートを通り、坂道を1時間ほど登らねばならぬようだったので諦めた。
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(右を行くとカリマバードに戻る。左の坂の上がランド・ポート)

ホテルPTDC Motel Sust
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ホテルの屋根上から、バスで辿る方向を撮影。
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6月26日:ススト⇒中国タシュクルガン(タジク人の町)
手がかじかむ寒さの中、8時50分に出発。天候ははっきりしない。
ホテルから100m中国側に関門があり、右脇の大きな建物(写真の外)で出国手続きした。
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KKHを走って峠を目指す。
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クンジュラブ国立公園入口で2回目のパスポートチェック。顔写真も撮影された。
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カラコルム山脈を登ったところでヤクの群れに遭遇。
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ジプシーもこんな所まで来ているはずはないから野生だろう。霙(みぞれ)も舞っていた。
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標高4561mでバスを停め、車中でスストから持ってきたランチボックス昼食。シャリームさん達が造ってくれたおにぎりを頬張る。気圧は582hPa。
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高度と気温・気圧の関係
標高(高度)が1千m高くなると温度は7℃、気圧は100hPa、酸素濃度は10%、降下する。考えてみれば、気圧と酸素濃度の関係は「ボイルの法則」の通りだ。
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つまり、海上で常温(25℃)、常圧(1気圧1013 hPa)なら、クンジュラブ峠(4733m)の温度はマイナス8℃、気圧は0.5気圧、酸素濃度は半分、だ!

12:30峠に到着。パキスタン出国建物を過ぎて中国入国ゲートを目の前にする場所で記念撮影。パキスタン側の通関はノーチェック。建物には誰かいるのだろうが見かけなかった。
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一方の中国側ゲートは往時の玉門関かとも思われる建物で、そこが国境。近くに大勢がたむろしている。中国人に間違いないだろう。ここを一歩でも中国側に入った瞬間、写真撮影は禁止なので、早目にカメラをしまうよう添乗員から忠告を受ける。バスの外からカメラを見られると面倒なことが起きる可能性があるという。国境近辺の状況や施設の写真を外国で公表されないようにとの思惑だろう。撮影したことが発覚するとカメラは没収、入国拒否もあり、そんな事件がS旅行のツアーでも起きたことがあって、結局パキスタンに戻って帰国せざるを得なかったという。車内に若干の緊張が走る!
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中国入国
12:35
中国入国ゲート(玉門関)を過ぎて入国建物に到着。車内で待たされる!あとから来たパキスタン人の車の方から手続きしている。明らかに嫌がらせ!
13:05
バスを降りて建物に。中のトイレも使わせてもらえないようで、添乗員からは、素行に注意するよう事前に注意をうけていた。X線検査機のコンベア・ベルトの出口側の部屋で検察官に引かれた犬が2匹、うろうろしていた。麻薬チェックだろう。
入国検査室でバッグをひっくり返して検査されていたら、失くしたと思っていたタキシラで購入した古銭がポロッと出てきた。世の中、悪いことばかりじゃない!
13:55
手続きを終えバスに乗り込んだが発車しない!車中で1時間15分も待たされた!!!
15:10
やっと発車してタシュクルガンに向かう。中国人の官吏(軍人ではなさそう)が1人、乗り込んでタシュクルガンまで同行した。途中はトイレストップなし!!

中国入国手続ゾーンのスローガン
中国入国手続きが済んで外に出て、1時間以上もバスの車内待機している時、大きな赤い看板を見た。
   喀什団結、我的責任 喀什穏定 我的責任
   喀什発展 我的責任 喀什繁栄 我的責任
   喀什文明 我的責任 喀什和階 我的責任
意味は字から容易に推察できる。しかし、国は責任をもって喀什を守っているよ、発展させるよ、なんて公言しなければならぬのは、昔からウイグル族の住む土地に乗り込んできて石油や天然ガスなどの資源を搾取している漢民族の後ろめたさをカモフラージュためとしか思えない。

別のスローガンもあった。
   国门似鉄 宾至如歸(カタカナのリとヨを一文字にした“リヨ”)
帰国後ネットや手持ちの中国語辞典でしらべると、宾至は賓至で「頂点」の意味があるらしい。
「リ」と「ヨ」の組合せ字は帰の古い字体の歸の簡体字。帰と同じ意味のようだ。
で・・・意味が判らない!グーグル翻訳しても妙な日本語しか得られない。“国の門(出入国ゲート)は鉄に似て堅固に守備され、出入りする人は、賓客が国に帰ってくるかの如く心が休まる」ように国境を守ろう!”という意味か? 陽関や玉門関の扁額に書かれていそうな言葉だ。

クンジュラブ峠越えでは「眠るな」「写真を撮るな」と添乗員から注意されていたが、眠るのが何故悪いのか聞き損ねた。眠ると浅い呼吸しかできないから、空気が薄い所では高山病にかかり易いということか?

アイベックスとマーモットとヤク
峠の前後ではアイベックス(山羊属)とかマーモット(リス科)が見えるかも、とのことだったが残念ながらアイベックスには出会わなかった。
アイベックス:山羊属。スイスでは絶滅。残っているのは人工的な個体の子孫らしい。
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マーモット:哺乳綱ネズミ目(齧歯目)リス科マーモット属
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翌日のタシュクルガン~カシュガルの車中から、草原にマーモットが何匹かいるのを見たが停車してくれない。なんと気が利かない中国人ガイドと中国人ドライバーだ!

ヤク:ウシ目ウシ科ウシ属
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中国の官吏がバスに同乗
話を戻すと、中国入国手続きを終えて官吏(監察官?)1名が乗り込んだところでバスは出発。30分程走ると写真撮影に許可がでた!これは例外で、1時間、場合に寄ってはタシュクルガンに着くまで、撮影できないことがあるらしい。乗り込んできた官吏は若そうで、車中では一言もしゃべることなく、じっと前を見るか、大半は眠って、タシュクルガンまで同行した。
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パオが見えた!
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時々大きな建物を見た。KKH脇に発電所もあったが、他の大きな建物は工場に間違いないだろう。写真を一つ紹介する。
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KKHの整備工事に必要な材料(ブロック、コンクリート、砂利など)を遠くから運ぶのは効率が悪いので、パキスタンにも近いこの辺りで工事用の砂利の採取や、コンクリートブロックの製造をしているのかもしれない。工員は、工場の近くに造られた寮で暮らせば問題は少ない。しかし・・・人里離れ、なんの娯楽もなくてつまらないだろう!

段々とタシュクルガンが近くなったようだ。
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16:40
峠の入国審査場から約270Kmを走行した後、タシュクルガン(塔什库尔干)の通関に到着。勿論ここは撮影禁止。建物の入り口にバスをつけたが、いつまでも降ろしてくれない。トイレもだめだという。少ししてから「漏れそうだ!」と伝えたら、やっと離れた場所にあるトイレを使えることになった。
17:25
45分待たされた後、やっと建物に入る。荷物検査はX線だけで済んだ。ポリオ対策の白い飴玉のような薬を飲まされたが、官吏が見ていない時にティッシュに吐き出して、後で捨てた。まさか毒物ということはあるまいが、ひょっとすると体に悪いかもしれない。
18:00
通関完了。

感覚的には北京と3時間の差があるから、まだ15時という雰囲気で外はかなり明るい。ここからS旅行がアレンジを委託した現地旅行社がチャーターしたマイクロバス、ガイド(ブランベル女史;花びらの意。子供2人、カシュガル育ち)、ドライバー(アップシュルさん)で移動した。なおパキスタンではS旅行のパキスタン支社のガイド、マイクロバスでイスラマバードからフンザの先のアッタバード湖まで移動し、湖をボートで渡った後は、上部フンザでチャーターしたマイクロバスを使って中国まで来ている。

タシュクルガンはタジク族の町の意で人口5万人。4万人がタジク族、その他はウズベク族、漢族など。漢の時代は蒲犁(ホリ)国として知られ、タクラマカン砂漠からパミール高原を越えて西トルキスタンに至るシルクロード上のオアシス都市のひとつだったようだ。

まずは町中を通っているKKHを走り、石頭城址に向かう。
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石頭城
オリジナルは漢の時代に造られたというから2千1百年も昔だ。大唐西域記(玄奘三蔵が唐の太宗に命じられて提出した旅の報告書を編纂したもの)にも載っているという。綺麗な内城は清の時代に修復されたもので、土と石で組み上げられている。
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城跡からはムスターグ峰(7546m;詳細は後述)が見えた。
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パオが並ぶ草原の向うには「タシュクルガン川」、背景の山は崑崙山脈。
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ところで石頭城址を見た時、どこかで見たことがあるような・・・と思っていたら、思い出した。ウズベキスタンのアヤズ・カラに似ている!
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(撮影;2014年6月)
2つの砦はシルクロードで繋がっているから似ているのも当然かも知れない。
Wiki:アヤズ‐カラ(Ayaz-Kala)
ウズベキスタン西部、カラカルパクスタン共和国にある都城遺跡。キジルクム砂漠の縁に位置する都城の一つで、6世紀から7世紀頃の古代ホラズム王国のものとされる。
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その後、中華レストランで夕食を採りホテルへ。
ホテル:Crown Hotel(皇冠大酒店)
次の写真は翌朝撮影。朝日を受けて輝くのは西側にあるカラコルム山脈。
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6月27日(土):タシュクルガン(塔什库尔干)⇒カシュガル
朝の散歩で、KKHのバスの窓から見た川のそばを走る道路まで行ってみた。すぐそこに見えていたが予想以上に時間がかかる。広々としているので、いつもの距離感は当てにならない。ホテルに戻って川の名を従業員に訊いたが誰も知らない!ガイドのブランベル女史も知らぬという。ロビーで偶然出会った別の観光団体のガイドの男に彼女が訊いて教えてくれた。ディジナップ川だと言う。(後日、カシュガル空港内の本屋で見た地図で確認するとタシュクルガン川とあった!)全長は350Kmでクンジュラブ峠から流れた雪解け水はこの川を流れてタリム川に注ぐらしい。タクラマカン砂漠を東に向けて流れるタリム川(2千Km超)は砂漠の東の果て近くで消失してしまう世界5大内陸河川のひとつ(Wiki)。
次の写真は空港で見た地図の一部をタダ撮りしたものでKKHの中国ルート近辺が判り易い。
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ホテル出発時、同じホテルに宿泊し、カシュガルに戻るというイスラエル人ご一行(22人)の一人と話した。旅の全日程は3週間で、キルギスのビシュケクからカシュガル経由で来たと言う。「エルサレムに是非行ってみたいが、安全か?他に観光名所はあるのか?」と訊くと、笑って、安全だし、死海やその他の素晴らしい遺跡も沢山ある、と即座に応えてきた。必ず行ってみたい!

バスでホテルから川の方向に移動し、朝の石頭城址を眺めた。
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ティジナップ川(タシュクルガン川?)の草原のパオにはタジクの遊牧民が暮し、毎年、5月~10月は山に、11月~4月はこの辺りに下りてくるという。活動範囲には縄張りが決まっているようで、ここより下流のカシュガル方向には移住できないらしい。

タガルマ湿地帯
小一時間走ったところにあるタガルマ湿地Tagharma Viewing Point(塔合曼湿地景観台)で写真撮影!
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乗馬や野草鑑賞も楽しめて避暑地ならよかろうが、一年中暮らすのは大変だろう。

そこから30分ほど走ると西のタジキスタン共和国との出入国検査建物があり、更に走って標高4100mの峠を越え、カラクリ湖に到着。

カラクリ湖(Karakul)
ガイドによると黒い瞳の意味だというがWikiでは黒い湖でタジク語とある。標高3600mで、崑崙山脈の名峰ムスターグ峰(7546m)を背景に写真撮影。
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山の雪の厚みは300mで「雪の父」とも呼ばれるらしい。カラクリ湖に来る途中、この山の雪渓を間近で見ることが出来た。H夫妻から双眼鏡を借りて見てみると、そのスケールの大きさに感銘した。

土産売り
カラクリ湖では大人1人、小さな女の子2人の3人乗りバイクが近寄って来て、お土産用のネックレスなどを見せてくれた。
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ラピスラズリ製のネックレスが100元(2千円)だという。本物なら百倍の1万元(20万円)しても可笑しくない代物だが、「貧しい風体の物売りが、箱にも入らず裸のままで売り歩くネックレスが、高価な宝石でできている訳がない」というA氏の適切なコメントには、確かにねぇ、と感心させられた。元締めもいるに違いない。記念になるから偽物でも好いと考える人は買えば好いが、我が女房殿や嫁にいった娘は、翡翠やラズリに関心が薄いので、まして偽物では意味がない。

直ぐ近くにコングール峰(7718m)も7合目くらいまで姿を見せていたが山頂は全く雲で覆われ、どんな山なのか判らない。帰国後GEで拾った写真をつけておく。氷河で撮影したようだ。
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Wiki:コングール山(コングールさん、Kongur Tagh または Kongur、中国語: 公格尔山)は、中華人民共和国にある山で、標高は7,649m。崑崙山脈の最高峰!標高については7719mとの説もある。

更に移動してブルンコウ砂湖に(布崙口沙湖(Bù lún kǒu shā hú;ダム湖)
湖畔でバスを止めて写真タイム。昔は湖だったが、水が枯れ、湖底に溜まっていた砂が風で山まで吹き上げられた。その後、ダムが造られて湖が出来たので、山から湖畔まで砂丘が続く景観が出来上がったという。この世とは思えない場所だった。GEで見つけた写真を2枚載せておく。
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ブルンコウ砂湖を離れるとKKHは下り坂になり、カシュガルの平原までどんどん高度を下げていく。両側には切り立つ山が迫り、雪渓も見える。崖崩れが多いようで、あちらこちらで道路は寸断され、粗雑に修理された凸凹道や迂回路が多かったが、新しい縦貫道路を建設中で、コンクリートの橋げたや、土を盛り上げて真っ直ぐ引いた道路を造っている場所を頻繁に見た。
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道路の高架化は雪崩やがけ崩れで寸断されないようにとの考えだろうが、橋桁が壊される危険も高いから、かなり強固に造らねばならないだろう。
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寸断・修理の“もぐら叩き”が続く可能性は高いし、10月から4月は積雪でクンジュラブ峠が閉鎖になる上、道路は絶壁を切り開いたところが多くて車はスピードを出せないから・・・
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過酷な自然の中を走るKKHを中国・パキスタンの大動脈とするのは、どう考えても難題だ。そんなことは百も承知で、パキスタンに出張(でば)ってまで道路整備を主導し、重厚長大な事業を短期間で精力的に消化していく中国のパワーを目の当たりにすると、空恐ろしさすら感じる。
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川の向うにはキャラバン・サライ(隊商宿)の跡があった。
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平地に近づいてくると緑の岩肌の山(どんな成分の石か?)が暫く続き・・・
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そのうち赤い山並の「紅山」になってきた!鉄鉱石が採れるという。
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昼食は赤い山のところのレストランだというので、もうそろそろだろう、と思っていたらなかなか終わらない!赤い山々を見ながらゲーズ川に沿って暫くKKHを走り続けた。
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やっとレストランに到着
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ビール1本20元(400円)。銘柄は新疆碑酒Sinkiang(新疆Xīnjiāngじゃあない)!
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ここから喀什(カシ)までは45Km。かなり暖かくなってきた。

KKHの街路樹は胡楊、ポプラ、柳が多い。

カシュガルに到着した。
カシュガル(喀什葛尓):海抜1289m 
カシュガルは喀什と表記されると思っていたら、これではカシュとしか読みようがなく、正確には喀什葛尓(葛には口篇が付かないと駄目のようだがワープロには無い)と表記しないといけないと気付かされた。

ガイドのブランベル女史によればトルコ語で「玉で出来た町」の意。古代には疏勒(そろく)国の国都だったらしい。カシュガル地区の人口400万人、ウイグル族90%、漢族8%。地区の中心カシュガル市は人口40万人で70%がウイグル族、30%は・・・メモし忘れた。

まずはエイティガール・モスクと付近の繁華街の見学
イスラム教徒の多い新疆ウイグル自治区最大のモスク。
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モスクの門の建物を入ると緑が多い中庭にでる。
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奥にある本殿を見学。
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本殿の中のミフラーブ。メッカの方向だ。
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モスクを出て、近くの繁華街を観光した。まずは玉石店の「百玉翔」
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和田(ホータン)の翡翠などが売られていたが、高い!小さな石が2万元(40万円)もする!
モスクに沿て延びているバザールを歩く。
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通りの左右には店が並び、人の通行も多い。
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昔は繁盛していた板金屋の陰は薄くなったという。
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その後はバスで幹線路を移動。
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昔からあったという市場を見学
絨毯、フェイク時計、帽子、香辛料、衣類などの店が所狭しに並んだ規模が大きい市場だった。
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市場の中央口らしき所の写真がGEにあった。
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市場はこのモスクの向う側だが通り抜け出来そうにない。我々が入ったのは恐らく写真の左側の、モスクを回避した処にある入り口だと思う。モスク近辺を撮影したGEの衛星写真を載せておく。
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川を挟んで右側にある赤い蒲鉾屋根の市場を見学後、バスで橋を渡り、反対側にある旧市街へ行き、徒歩で街を見学した。
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瀬戸物街、鍛冶屋街(鍬の街と呼ばれるらしい)などが続いていた。自動車は通らない。
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鍛冶屋街の広場にあるモニュメント。子供たちが楽しそうに遊んでいた。
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夕食は凯斯尔宾馆(キャッスル・レストラン)。
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中は豪華絢爛。トイレを借りるため2階にゆくと、絨毯が敷かれた長い廊下の左右に個室が並んでいた。家族や団体用の個室だろう。1階ではバーもあり楽器演奏もしていた。
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夕食では件のシシカバブーを賞味。旧市街で添乗員が買ったハミウリも出て来た。
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両方とも美味しかったが、ビールが無い!その日がラマダンだからというのではなく、ビールはいつだっておおっぴらには飲めないようで、イスラム教徒には全く同情する。なお当日宿泊したホテルにはロビーのオープン・パブにあるガラス張りのケースに冷えた青島碑酒が並んでいた。

Wiki:ケバブ
中東地域とその周辺地域で供される、肉・魚・野菜などをローストして調理する料理の総称。日本語ではカバブという表記も一般的である。現代トルコ語では語末の子音が無声化して「kebap」と表記される。
串焼きのケバブは、「串」を意味する語を付して、トルコではシシュ・ケバブ、ウイグルではジク・カワープ 、アラビア語圏ではシーシュ・カバーブ、インドではシーク・カバーブ と呼ばれる。キルギスのドンガン語ではチエンチエンロウ(簽簽肉)と意訳して呼んでいる。日本では、インド料理のシークカバブが早くに紹介され、それがトルコ風に訛った「シシカバブー」という名前で親しまれてきた。

ホテル:天縁国際大酒店

6月28日(日):カシュガル⇒ウルムチ⇒北京
飛行場で
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中国地図を本屋でみたら、昨日の移動ルートがはっきり描かれている。元しか受け付けないというので、写真に収めて買うのを止めた。A1サイズの厚めのテカテカ光る紙に書かれていた。軍事用標準及び百姓の参考用と副題が書いてあり、物知りのA氏が「百姓とは農民ではなく、一般人民のこと。中国の姓の種類は百種類ほどなので百姓といっているだけだ」と教えてくれた。

この地図に寄れば、南シナ海の中国国境線はフィリピン、インドネシア、ベトナムの海域にかなり食い込んでいるが、尖閣諸島の部分については国境線が描かれていない!残念ながら、その辺りを写真で撮ることを忘れてと言うより遠慮してしまったのだが、この国境表記の意味するものは何か???古い中国地図では尖閣諸島は中国領土と確定していなかったと見て好いだろう。が、日本領土と認めているわけではない。というのは、尖閣辺りには国境線は描かれていなかったのだ!

機内で
利用する飛行機の到着が遅れたが、搭乗開始は当初予定の離陸時間10:20分より20分前の10時ジャスト。しかし、動き出したのは搭乗開始から70分後だった!隣に座った、医学学会レポートを読んでいた女は、CAが通るたびに何か一言文句を言っていた。多分、離陸の遅れにいらだっていたのだと思う。見るからに横柄で、典型的と言うと中国女性に失礼なので、古典的と言うが、そんな中国女に見えた。

北京に到着。中国南方航空の到着ターミナルから車で15分くらいのホテルへ向かう。
ホテル:Citic Hotel Beijin Airport国都大飯店

6月29日(月):北京⇒成田
朝5:30に朝食。直ちに北京国際空港に。ターミナルは数年前に利用したものと変わっていて、シャトルは使わずチェックインから徒歩で出国手続きができた。免税店で女房殿への形ばかりのお土産として翡翠のブレスレットをVISAで購入。どうせ娘に行くのだと思うが、何も土産がなくては少々気が引ける。500元(1万円)と手頃な値段のものを選ぶことにした。(その写真を載せようかとも思ったが、女房殿が既にどこかにしまった後なので言いだし辛くて写真は諦めた。

機内ではビールは飲まず、大人しく窓の外を見て過ごした。
浮遊感!!!
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フライト情報を移すディスプレイは懐かしいカラーモニターだが、色が安定しない!
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昔、電機会社でお世話になったカラーブラウン管が悪いと考えたくない気持ちもあって、多分、回路基板の電気部品が寿命になったんだろう、などと考えながら何度かモニターの様子をカメラに収めていたら、キャビンアテンダントがやってきて撮影は止めるようにジェスチャーしてきた。時代遅れの設備なので宣伝されると不名誉だと思ったからだろうが、まさか機密事項ということはないだろう。

そのうち富士山が雲の上に見えてきて、間もなくすると成田に到着。チェックイン荷物が無かったので、飛行機内で仲間とお別れの挨拶を済ませ、入国手続き完了したら直ぐに京成線乗り入れの京急で上大岡に向かった。

車中では大分から来たというアルジェリア女性と話して時間を潰した。旅行関係の仕事で別府に5年以上暮らしていると言う。日本語は片言。今回は三田まで行き、そこで多分乗り換えて、アルジェリアの大使館まで行くという。羽田を使わないのは飛行機と電車の料金を含めても成田の方が安かったかららしい。何でそんなことになるのか?距離が遠い国際空港の成田へ行く方が電車賃を含めても羽田に行くより安いなんて,理屈に合わないことが日本には多い!

やっと横浜・港南区の我が団地に着くと、女房殿は、荷物は全て洗濯機かベランダに運んで埃を全て落とすよう指示してきた。家に戻ったことを実感した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山脈
イスラマバード近くのKKHを北上すると左右と前方に大きな山脈が見え出す。
右:ヒマラヤ山脈Himalayan Range:
ヒマーラヤ(हिमालय  himālaya)は、サンスクリット語で、hima(ヒマ「雪」)+ ālaya(ア-ラヤ「すみか」)から「雪の住みか」の意
左:ヒンドゥクシュ山脈The Hindu Kush
名前の由来は不明。ペルシャ語で“インド人殺し”(中央アジアに送られるインド人奴隷がここで大勢死んだ)という説や、1世紀頃のインドのHinduとクシャーナ朝Kushan Empireから生まれた言葉だという説などがある。
前:カラコルム山脈The Karakoram, or Karakorum
トルコ語で「黒い砂利」という意味。
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現地の西遊旅行がくれた絵葉書とアルチット砦の入場券(右上)の写真。
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「カラコルム」についての雑情報
KKHカラコルム・ハイウェイ
中国人ガイドによれば、カシュガル~ラワルピンジの13百Km。パキスタン人ガイドはラワルピンジよりも少し中国側のハリプールだと言う。

Wiki:カラコルム・ハイウェイ (The Karakoram Highway: KKH)
中華人民共和国新疆ウイグル自治区最西部とパキスタンのギルギット・バルティスタン州(旧称:北方地域)を、カラコルム山脈を横断して結ぶ道路である。途中海抜4,693メートル(15,397フィート)のクンジュラブ峠(英語版)を通り、国境を横断する舗装道路としては世界一の高所を通る道路でもある。1959年着工し開通は1979年。工事で死亡した中国人の墓がパキスタンにもあるという。
中国では中パ友好道路とも言う。

KKHを走るトラック
俗称「デコトラ」は日本語らしく、英語ではジングル・トラックjingle truckとなっている!(jingle:チンチン鳴る)
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モンゴル帝国の首都カラコルム
Wikiを見ると「首都カラコルムKarakorum、カラコルム山脈The Karakoram、カラクム砂漠Karakum Desertを混同しないように!」との注意書きがまずあってから解説が始まる。
カラコルムは、13世紀のモンゴル帝国、14-15世紀には北元の首都(以下省略)。モンゴル高原中央部のモンゴル国首都ウランバートルから西へ230km、ウブルハンガイ県のオルホン河畔に位置する都市。カラコルムとはテュルク語・モンゴル語で「黒い砂礫」を意味する。
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Wiki:北元
1368年に、元(大元)の第14代大ハーンのトゴン・テムル・ハーン(在位:1333年 - 1370年)が長江流域に興った明の北伐を逃れて大都(現在の北京)からモンゴル高原に撤退し、中国の漢民族定住農耕地域を失ってから後の元(モンゴル帝国)についての後世の呼び方のことである。この政権に属する遊牧諸部族を同時代の漢文史料では韃靼(だったん)と呼ぶ。

カラコルム山脈(Karakoramカラコルムさんみゃく)
パキスタン・インド・中国の国境付近に横たわる山脈である。アジアの大きな山塊の一部として広義のヒマラヤ山脈の一部であるが、狭義のヒマラヤ山脈とは独立した山脈である。氷河の多くが瓦礫に覆われている。カラコルムとはトルコ語で「黒い砂利」という意味である。
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カラクム砂漠(Karakum)
中央アジアのトルクメニスタンに存在する砂漠である。テュルク系の言語で「黒い砂」を意味する。
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参考:
*キジル-クム砂漠(英語:Kyzyl-kum)
カザフスタン、ウズベキスタン、それにトルクメニスタンの一部にかけて広がる砂漠。テュルク諸語で「赤い砂」を意味する。
つまりキジルが赤でクムは砂。ということでカラは黒を表すテュルク語と言える。

カラクリ湖The Karakul or Karakuli
喀拉库勒湖(英語: Karakulまたは Karakul Lake)またはカラクル(Karakul=黒い湖の意味)は中国新疆ウイグル自治区クズルス・キルギス自治州にある湖である。南正面の眼前にムスタグ・アタ山(7,546m)、東に遠くコングール山(7,649m)の両雪山が見える。中国・パキスタン公路の途中にあり、海抜3,600メートルで、面積10平方キロメートル。通常カシュガルからの観光が行われている。
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Mt Kongur and Lake Karakul viewed by the Karakoram Highway, Xinjiang, China

(完)

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