Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

エジプト王朝設立の不思議

エジプト帝国は今から5千年前に誕生した、世界で最初の大帝国です。この帝国を産み出した男は、上(南)エジプトと下(北)エジプトに大別される当時のエジプトに40以上もあった「セパアト」と呼ばれる行政地区を統一して、始皇帝、つまり最初のファラオになりました。

(上とか下とか言うのはナイル(川)の上流、つまり南側と、下流、つまり北側、の2つにエジプトの文化圏が分かれていた時代があったことから生まれた区別方法です。エジプトといえば「全能の川Mighty Riverナイル」抜きでは考えられません!
で、全くの余談ですが、10月16日、H交通社のツアーで、ルクソール中心に船4泊、カイロ1泊の旅を予約しました。一人旅用の企画で募集人員20人。催行が確定しましたので事前調査を開始しました。

さて、話を本題に戻しますと、あなたが日本人なら、秦の始皇帝(諱(いみな)つまり真の名は“政”)は知っているとは思いますが、エジプトの始皇帝の名前は恐らく知らないでしょう。知っているとしたら、あなたは物知りだと太鼓判を押します。

その男はナルメルまたはナーマー(Narmer)と言います。紀元前31世紀の古代エジプトのファラオで、セルケト(「さそり王」)の後継者で、エジプト第1王朝の創始者であると考えられています。

エジプトでは蛇(コブラ)や蠍(さそり)は重要な神様の一つと考えられていますが、もう一つ有名な、動物の姿をした神様がいます。隼(はやぶさ)の姿の神ホルスhorusです。
です。
02001.png
また余談ですが、10月のエジプト旅行では、このホルス神殿を訪れます!
02002.png
Wiki:ホルス(horus)
「エジプト神話に登場する天空と太陽の神。エジプトの神々の中で最も古く、最も偉大で、最も多様化した神の一つである。」
02003.png
「ラーの息子で天空神・隼の神であるホルスと、ゲブとヌトの息子あるいはオシリスとイシスの息子のホルスという同名の神が二柱存在し、やがて習合されたものだとされている。これ以外にも様々な神との習合が見られる。通常は隼の頭を持ち太陽と月の両目を持つ男性として表現される。時代とともに、その姿は隼から人間の姿をとるようになる。有名なシンボルである「ウジャトの目」とは、ホルスの目のことである。
02004.png
「ラーは太陽神であり、古代エジプト人は太陽の昇り沈みとともにラー自体も変形すると考えた。日の出のときはタマオシコガネの姿のケプリとして現れ、日中はハヤブサの姿をして天を舞い、夜は雄羊の姿で夜の船に乗り死の世界(夜)を旅するとされている。これは太陽の動きを神格化したものであるとされている。」
02005.png
ラーの頭の上にある太陽の冠にはコブラが巻きついています。ラーが昼間に変身するスカラベ(scarab)はフンコロガシともカブトムシとも呼ばれる昆虫です。
02006.png
エジプトの神々には蠍(さそり)、蛇など、古代の人々を毒で殺した動物や、その動物を食べる隼のように強い動物、そして勿論、日常の生活に大きな影響を与える太陽、などが現れてきます。太陽といえば、およそどの古代信仰にも出現していて、伊勢神宮の内宮といわれる皇大神宮のご神体も、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)です。

さてさて、長い前置きはこれくらいにして、それではエジプト初のファラオのナーマー(Narmer日本ではナルメル)の物語「Planet Egypt - Episode 1: Birth of the Empireプラネット・エジプト第1話:帝国の誕生」の始まりです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
古代エジプト・・・戦争や平和を繰り返しながら3千年間続いた偉大な王国
02007.png
先進的な数学や技術、素晴らしい建造物などを創り出し、その遺産は今も残っている。
02008.png
ナイル沿岸に暮らす農民たちの国はどのようにして偉大な帝国に変貌していったのか?考古学者たちがその秘密を解き明かそうとしている。

5千年前のタブレットは重要な物語を語ってくれる。
02009.png
それによれば戦いがエジプト帝国の始まりだ。が、それは事実だろうか?
02010.png
謎に満ちたナーマー。恐らくエジプトの最初のファラオだった男の物語がこれから始まる。
02011.png
紀元前3千年のエジプトは「ゼロ帝国」の時代だった。漁夫、農夫、猟師たちは毎日、ささやかな平和を求めて暮らしていた。
02012.png
上下(南北)2つに分かれていた王国を統治するファラオがまだ現れていなかった時代、ナーマー王は上流エジプトを統治していた。

ある日、伝令は下流エジプトの王からの回答を持ち帰ってきた。
02013.png
その答えによってエジプトを平和裏に統一できるか、それとも戦が始まるのかが決まる。

ナーマー王は権力を拡大したいと考えていた。
02014.png
エジプトは当時、上(南)エジプトと下(北)エジプトに2分され、ゼロ帝国Dynasty Zeroと呼ばれる時代だった。
02015.png
上流エジプトの王ナーマーは、エジプトの原点とも言える下流のナイル・デルタには手を出しかねていた。

この時代のエジプトについては、最近になるまで知られていることは少なかった。
02016.png
当時、ナーマー王は上流エジプトを統治していた、恐らく、なんの武力闘争もなく平和裏に。
そこに伝令が情報を持ち帰ったのだ。ナイル・デルタの人々は統一ではなく独立を望んでいた!
02017.png
伝令が伝えたニュースは、全エジプトを統治し、地中海一帯にも権力を及ぼしたいと望んでいたナーマーの野心にそぐわなかった。下流エジプトのやつらは独立した今の状態の継続を望んでいたのだ!

しかし、彼等の決断もナーマーの野心を打ち砕くことはできなかった。
「戦だ!それしかない!南から北の地中海まで広がる国家を築くのだ!」
02018.png
5千年も過ぎた今、確実な証拠は少なく、作り話のような記録も多いこともあって、当時、何が起きたのか正確に知ることは難しい。しかし、ナーマーは、槍と石の棍棒(クラブclub;上の写真でナーマーが手にしている、木の棒の先に石が付いたものです。)で敵を粉砕し、統一したエジプト王国を造る行動に着手した!少なくとも「ナーマーのパレット」と呼ばれる石の碑文を信用するのなら!
02019.png
パレットは当時の様子を伝える重要な証拠だ。
02020.png
パレットに描かれているナーマーは、敵の男の頭を掴み、石の棍棒で殴り殺そうとしている。男の頭上には上エジプトのシンボルのパピルスが生えた土地に置かれた「頭」があり、その頭の鼻にはロープが懸けられている!
暴力が行われたのは間違いない!
その上、2つの夫々の王国で王が被(かぶ)っていた異なる王冠をナーマーは被っている!

ナーマーが武力を使って2つの王国を統一した証拠ではないのか?

ナーマーは彼の下に集まってきた兵士達に下流エジプトが提案を拒否したことを告げた。
「我々の提案を断ったやつらには、それにふさわしい仕打ちを与えねばならぬ!」
02021.png

一方、ナーマーが暴力を武器に統一に動き出したというのは間違いで、何十年、または何世代かをかけて徐々に2つのエジプトが統一されて一つの王国になったと考える考古学者も多い。

エジプトの統合は平和裏に進んだのか?それとも武力闘争で実現したのか?
02022.png
それを知ることはその後にやって来る、統一後のエジプト帝国3千年の歴史を理解する上で極めて重要だ。、その答えを見つけようと、学者達はエジプト中で調査を始めていた。

ナイル・デルタは毎年洪水で洗い流されてしまうので、5千年前の遺跡は少ない。
02023.png
しかし、ナイル上流にはゼロ帝国時代を知る上で重要なカギが隠されている。例えばアバイドスAbydosと呼ばれる政治的な場所だ。砂漠の中にあり、谷とナイルで挟まれている。
02024.png
この神聖な場所で、エジプト王国で初めてのファラオの墓が見つかった!
02025.png
エジプト王国がどのように形成されていったのか判るかもしれない。
02026.png
建物の跡からは土器の欠片しか出てこないが、これはその中でも素晴らしい発見の一つだろう。世界でも最も初期の記録に違いない。
02027.png
このようなチップは数十個以上見つかっている。

近くには、初代ファラオの墓よりも古い墓も沢山見つかった。6千年程前のものもある。
02028.png
これがナーマーの墓の場所だ。初めてエジプト帝国を造った王のものにしてはささやかだ。溝を掘って周りを脆いレンガの壁で囲っただけのもので、風化を避けるため調査の後に砂で埋められている。
02029.png
これは1981年の発掘時の写真だ。
02030.png
遺体を納めた部屋と、装飾品を収めた部屋の2つがあった。(これはCGです)
02031.png
その後数百年で墓の規模は急速に大きくなった。
02032.png
統治者の力が増して神のような存在となり、多くの労働者と数十年の歳月を使ってピラミッドが造られるようになったのだ。
このような事業が可能になったのも、一人の男が王国の統一を成し遂げたからだ。
02033.png
しかし、もしナーマーがエジプトを統一したのなら、何故、彼の墓の規模はこんなにも小さいのだろう?ナーマーが統一したというのは作り話なのだろうか?
02034.png

手がかりとなる記録はナーマーのパレットしかない。パレットに記されているように彼の蛮行は実際に行われたのだろうか、それとも行われていなかったのか?
02035.png
後世のファラオには自分が戦の勝利者だという嘘の誇張を記録に残す男も多い。多くの寺院の壁画にもそれが残されている。
02036.png
ナーマーもそうだったのだろうか?だからパレットにあんな記録を残したのだろうか?

アバイドスの250km南のヒエラコンポリス。ここにはエジプト王国の始まりに関する秘密が残されている。
02037.png
この都市は王国の創立に重要な役割を果たしている。
02038.png
5百年の間、ここが南エジプトで最大の都市だった。ナーマーの重要な拠点だったのだ。
02039.png

19世紀、考古学者はこの町の遺跡でナーマーのパレットを発見した。調査は今も続いている。どのような都市だったのかをよく知ろうとしている。
02040.png
古代エジプト人は土を焼いて、このような壁を造っていた。
02041.png
当時、町には土の家が並んでいた。10万人が暮らしていた。太い木の柱が何本も立っていた跡が見つかっている。町を管轄する大きな寺院の跡だろう。
02042.png
当時、世界でも最も大きな都市の一つだったはずだ。

考古学者はビール醸造所やパン屋の跡も見つけている。
02043.png
しかしもっと重要なものが郊外に見つかった。上流階級の墓で200以上もある。
02044.png
人間に並んで動物も埋葬されていた。動物を飼うのが権力の象徴だったからではないかと言う人もいるが、正確な理由は判っていない。
ヒエラコンポリスはナイル川に沿って5kmに渡り広がる町で、商業と交易で栄えていた。
02045.png
血なまぐさい町ではなかった。ということはナーマーの仕掛けた争いというのは、実は無かったのではないかと暗示しているが、それを証明するものは無い。
02046.png
理解を深めるには「古代のエジプト人がどこからやって来たのか」を知る必要があるだろう。
02047.png
サハラ砂漠の中・・・クリフ・ケビル台地で旅行者が数年前に偶然あるものを発見した。
02048.png
大きな岩の表面に何か絵が描かれている!これは手のようだ。
02049.png
9千年前の先史時代の絵としては、世界でも最も広い面積に描かれた絵だろう。踊りを踊っている絵もある。
02050.png
動物の絵もある。
02051.png
遊んでいる子供達や、キリンや、アンテロープ(カモシカ)の絵・・・

誰が、どうして、こんなところに住んでいたのだろう?
人骨など、人が住んでいた形跡も残っていた。
02052.png
洞窟の周りを調べたら驚くべき発見があった。堆積層だ!
かつてここが湖底だった証拠だ。
02053.png
9千年前、ここに緑があったのだ!水もあった!(CGです。)
02054.png
サバンナ気候だった。人々は快適に暮らしていだだろう。草原にはキリンもアンテロープも象もいただろう。しかし、雨は突然、途切れ、サバンナは砂漠に変化していったのだ。

人々は雨や水を求めて山地やオアシスに移り住み、最後はナイルの近くに落ち着くことになった。
02055.png
ナイル沿岸に暮らす人々によって古代のモニュメント群が建設され、世界でも最も長い間繁栄した文明が創られていった。
02056.png
この文明の切っ掛けはナーマーのエジプト統一だ。勿論、ナーマーのパレットが確かな事実を示しているという条件付きだが。

ナーマーの軍勢はいよいよ戦の準備が整った。
02057.png
剛健な兵士たちで十分な訓練も積んでいた。指導者で最もパワフルな戦士でもあったナーマーはついに命を下す。「出陣だ!」
02058.png
ナーマーは軍隊だけではなく、他の全ても掌握していた。商業、税金、宗教、毎年の収穫量・・・
02059.png
リーダーの彼は毎年かならず家族と共に支配下の地域を見回っていた。
02060.png
しかし、全ての権力を掌握するナーマーでも制御できないものがあった。彼よりパワフルなもの、全能なるナイルだ!この川の水が彼の国の富を左右していたのだ。
02061.png
ゼロ帝国の時代からエレファンティーン島はナイルの南のはずれにあった。ナイルの源と考えられ、多くの巡礼が訪れていた。そこにはエジプトで最も古い寺院があった。
02062.png
祀(まつ)られていたのはナイルの水量を決める女神サーテクトだ。
02063.png
「エレファンティーン島から湧き出る冷水を産み出す神」と呼ばれていた。
02064.png
実際のナイルの源が見つかるのは19世紀になってからだ。
その一つはエチオピアの山脈にある。流れ出た水は青ナイルになる。
02065.png
青ナイルはナイル全水量の60%を占めている。
02066.png
スーダンのカートゥーン(Khartoumハルツーム)で白ナイルと合流する。
02067.png
湿地帯にはパピルスや蓮が繁っている。
02068.png
毎年、夏になるとエチオピアに降る雨がナイルを膨らませ、水位は2~8mも上昇して辺り一面を水で覆う。水は川を流れくだり、最後には洪水となってナイル・デルタを飲み込んでしまう。
02069.png
その時はナイル・デルタの大半が浅い湖のようになる。
02070.png
低地に家を造ると全てを失ってしまう。生き残るには洪水をどう活用するか学ぶ必要があった。
古代エジプト人の子孫はナイルの水量を測定する方法を見つけていた。ナイロメーター(ナイル計)だ。
02071.png
ナイルに繋がるトンネルを持つ施設の壁には目盛が刻まれている。水位でその年の収穫を予測していたのだ。
02072.png
古代エジプト人にとってナイルの水量は重要な関心事だった。水量を決めるのは神だ。水量で神から受け取るものが祝福か呪いなのかが決まる。水量が適切なら収穫は多い。少なければ旱魃(かんばつ)で多ければ洪水だ。だから、当時の王にとって、ナイルの水の予測と管理は生命線だった。王ナーマーにとっては、水量が適正であるよう神に祈ることは重要な行為だった。

ナイルの水は2つの重要なものを提供した。
02073.png
全ての生物の生存に必要な水と、滋養に富んだ土砂だ。これらはエジプトに文明を育むことになる重要な贈り物だった。水と泥のおかげで農作物の収穫が可能だった。そして、泥は建設の材料ともなった、泥の煉瓦だ。
02074.png
ナイルの湿地ではパピルスが成長した。パピルスは世界でも最も古い紙の材料になり、これがエジプトの年代記や日常の手紙、それに「死者の本」にも使われた。
02075.png
ナイルの水を使い、いろいろな灌漑方法が生まれた。
02076.png
エジプト人には3つの季節しかなかった、洪水・植え付け・収穫だ。それが全てだった。
02077.png
2百50万ヘクタールの耕地で農業が行われていた。王は毎年、灌漑用運河に出て、植え付けの儀式をするのが習わしだった。
02078.png
水量が減ると貯水池に貯めておいた水を使った。
土が肥えたナイル周辺は小麦の成長が速かった。多分世界で最も速かっただろう。ゼロの王国の時代、数百万人の食糧は確保できていたはずだ。
02079.png
古代の絵には牛を使う農作業の絵が多い。エジプトは農業に大きく依存していたのだ。
02080.png
穀物は通貨と同じように取り扱われた。重要な輸出品でもあった。共同作業で収穫効率を上げ、余剰穀物は保存し旱魃(かんばつ)に備えた。

ナイルは移動や輸送手段としても重要な役割を果たした。
02081.png
食物の輸送や人の移動を可能にした。王ナーマーもナイルを移動し、彼の王国の全ての町に行くことが出来た。
南に移動する時は風を使ってナイルを遡(さかのぼ)った。風に乗れば時速4kmで移動できた。北に戻る時は水の流れに乗って移動した。
02082.png
30日あればナイル・デルタからナイルのずっと上流まで移動することができた。

多くの船が墓から見つかっている。どんなに重要だったのかが判る。
誰もが船を持っていた。農夫や漁夫は移動や漁業の時にパピルスで造った小さなボートを使っていた。
02083.png
船旅用の船はしっかり造られていた。パピルスを纏(まと)めて縛(しば)って船体とした。波を切れるように舳先(へさき)は曲げられていた。簡単な屋根とオールも付属していた。
02084.png
最初の木製のボートもパピルスのボートに似せて造られていた。
02085.png
木の板はパピルスの紐でがっちり縛られていた。重い荷物を運ぶことも出来た。
02086.png
必要があれば解体し、陸上を持ち運んだ。船はエジプトを統一する手段としても重要だった。こうした船の製造はゼロの王国の時代に既に始まっていた。

5千年前、ナイル流域では人々が平和に暮らしていた。
02087.png
しかし、ナーマーのパレットには恐ろしい様子が描かれていたのだ。手を縛られ、首を切られた男たち。首は足の間に置かれている!
02088.png
平和と殺戮(さつりく)・・・
02089.png
どちらが真実なのか?どうして対立する2つが起きていたのか?考古学者達はこの2つをどう解釈しているのか?

ナーマーのパレットはヒエラコンポリスのホルスを祀る寺院で見つかっている。
02090.png
考古学者は、ナーマーがパレットを寺院の神体ホルスに献納したのではないかと考えている。もしかするとエジプトの統一を祈願して献納したのではなかろうか?つまり、ナーマーの殺戮は実は行われていなくて、統一の意思を高めるためにパレットには残虐な絵を描かせただけなのではなかろうか?

カイロの博物館でナーマーのパレットを詳しく調査している学者がいる。
02091.png
パレットに記録されていることは事実か?それとも単なる権力のシンボルとして描かれただけなのか?
02091a.png
調べるにつれ、戦(いくさ)は実際に起きていたという結論になってきた。
02091b.png
ナーマーがパピルスの人々を打ち負かした年が記録された粘土板の欠片が、ヒエラコンポリスで調査していた学者によって発見された!王朝の始めの年、とある。
02091c.png
(上の土器の破片の写真に並ふ絵の内、左の絵は鯰とチゼル(鏨たがね)で「ナーマー」、中央の絵はパピルスを被った人間、右の絵は鯰とチゼル(つまりナーマー)が入った箱の上に止まっている隼を示しています。)

この小さな粘土板はエジプトの歴史を書き換えた!ナーマーがエジプトを統一したのは間違いない!
「戦いに勝ってナーマーの王国の最初の年が始まった」と記録されている!
しかし、戦いで行われた殺戮については触れぬままミステリーとしておく訳にはいかないだろう。
02091d.png
南エジプトで更なる事実が見つかった。岩絵だ。
02091e.png
今では痛みが激しいが、昔の写真が残っている。
白い王冠を被り、犬を連れた王と兵士・・・
02091f.png
それに、手を縛られている人々・・・
02091g.png
これらの様子からナーマーを描いた絵だろうと思われる。ナーマーが、王国の中心から離れた砂漠の中でさえも権力を持っていたことを記したものだろう。このような絵が別の場所でもいくつか見つかっている。

ナーマーが力でエジプトを統一したのは間違いないだろう。
北の下流エジプトがナーマーの支配を拒絶して戦は始まったのだ。
02091h.png
ナーマーの南エジプトが繁栄するためには、北の地中海や中近東との交易ルートの確保が必須だった。
02092.png

ナーマーは北に向けて進軍を開始した。
02092a.png
ナーマーのパレットは史実を描いていたのだ!そしてこの戦いの結果、エジプトは統一された。
02092b.png
戦いは記録に残るものの中で最大のものだったろう。

ナイル・デルタのどこかで戦いは始まった。
02092c.png
ナーマーは北の公国(Principality)を打ち負かした、慈悲のない戦いで!
彼が儀式で使った棍棒のヘッドには勝利のパレードが描かれている。
ナーマーはパピルスの国を象徴する王冠を被って輿(こし)に乗っている。後ろには数人の家臣が続いている。
02092d.png
12万人の捕虜、百万を超える山羊、40万の牛・・・
02092e.png

ナーマーは、手首を縛られ、斬首されて並ぶ敵兵の遺体を検分している。
02092f.png
敵の戦意は完全に消失していただろう。
こうしてナーマーはエジプトを統一した。パレットの片面のナーマーは上流エジプトの王冠を被っている。
02092g.png
しかし、その裏面では下流エジプトの王冠を被っている。
02092h.png
彼以降のファラオは、統一の象徴として2つの王冠を重ねて被ることを慣習とした。
02093.png
全く新しい歴史がナーマーから始まったのだ。
02093a.png
帝国は生まれた!以降、31の王朝が続くことになった。
02093b.png
ついに南のロータス(蓮)と北のパピルスが結びついたのだ。その後の王の重要な役目は統一の維持と国境の防御になっていった。
02093c.png
こうしてエジプトは世界で最初の帝国になった。
統一前は北に22、南に20の統治国があった。それがナーマーによって統一されたのだ。
02093d.png
ナーマーが死んだ時、エジプト全体が喪に服した。
02093e.png
アバイドスの町でナーマーは最後の旅に出た。ゼロ帝国時代から死は永遠の生命への入り口だった。
ミイラ化は重要だったが、当時はまだ技術が完成していなかった。
埋葬は以後の例と比べて簡単だった。しかし、彼の死は新しい時代の始まりになった。
02093f.png
アバイドスの埋葬場所の近くで新たな建築が始まった。
統一国家の最初のアクロポリス(首都)だ。
02093g.png
以降の王は統一に力を注ぐ必要はなくなり、その力を新たな目的に使うことになった。
02093h.png
その一つは墓の建設だ。後継の王たちは地下や地上に大きな墓を造った。
02094.png
そしてピラミッドが生まれることになった。
02094a.png
統一後のエジプト王国の栄光と権力の象徴だった。ピラミッドは訪れる人々の目に眩しく映(は)えていただろう、今もそうであるように。
02094b.png
エジプトの統一は人々の生活や文明の繁栄をもたらした。ナーマーによってエジプトが開花したのだ。
02094c.png
上エジプトに22、下エジプトに20の勢力がナイル沿いに点在していた。これらが全て一つにまとまった。
02094d.png
文明が産まれ繁栄した。ファラオの時代は彼によって始まったのだ。
Planet Egypt - Episode 1: Birth of the Empire (History Documentary)
https://www.youtube.com/watch?v=wJdB8ZEo40I
以上でYoutubeの紹介は終わりますが、補足情報をお知らせしましょう。

ナーマーのパレット:
02094e.png
Wiki:Narmer Palette
ヒエラコンポリスHierakonpolisで見つかった。紀元前31世紀のもので最も古いヒエログリフが使われている。上エジプトと下エジプトがナーマーによって統一されたことが記されていると考えられている。
片面で、王は上(南)エジプトの“球根形”の王冠を、その裏面では下(北)エジプトの平坦な王冠を被って描かれている。

Narmerのヒエログリフ:
02094f.png
「鯰(なまず)とチゼル(鏨たがね)はナーマーと発音する」と別のYoutubeフィルムで紹介されていました。

ヒエラコンポリスで見つかったファルコン像:ナーマーの時代より古い!
02094g.png
墓の跡から見つかった陶器のマスク
02094h.png
顔を永遠に守るために遺体にかぶせたのだろう。
02095.png
王の墓で見つかった勺杖(しゃくじょう):昔は金で塗られていたかもしれない。
02095a.png
(完)
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する