Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ヘロド大王の不思議

今回は英語でヘロド・ザ・グレートHerod the Great、日本語ではヘロデ大王として知られる男が残した、偉業というより異業と言うべき遺跡についてのYoutubeフィルムの紹介です。

彼が生きていた時に、彼が生きていた場所で使われていたかも知れないヘブライ語では הוֹרְדוֹס‎, Hordos, 当時の有力な言語ギリシャ語では Ἡρῴδης, Hērōdēsで、 ギリシャ語をローマ字読みするとヘロデスですから、なんで日本語ではヘロデに落ち着いたんでしょうかねぇ。特に名前の発音は、現実に発音された通りであるべきだと思いますから、恐らく昔に近い発音記号に従うのがよろしいかと思います。とすればヘロデスが最も正しそうで、英語のヘロドや日本語のヘロデは間違いだと思いますが、英語のフィルムを翻訳して原稿を作った都合上、英語読み音表記のヘロドで通させて頂きます。ご了承下さい。
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ヘロド:紀元前74年~後04年(キリストより少し早い生まれです)
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ヘロド・ザ・グレートHerod the Great
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聖地イスラエルの荒涼とした砂漠・・・
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2千年前にヘロド王が出現した時、この一帯はジュディアJudeaと呼ばれていた。
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彼は死海の近くのマサダMasadaの岩山に砦を造ることを決めた。
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その砦の跡は今も残っている。
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麓(ふもと)から450mの台地の上に建てられた。
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昔なら大変な思いをして登ったのだろうが、今はゴンドラが使える。
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台地は岩でできた山だ。
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崩れやすい崖の上に造られていたのだ。
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崖の崩落を防ぐための杭を何本も埋め込んで砦を造った!
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砦は宮殿でもあり逃避の場所でもあった!
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何故なら、ヘロドの立場はとても安全とは言い難いものだったからだ。
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彼は王位を継承したのではない。昔からこの地を治めていたユダヤ人の家系でもなかった。無慈悲な仕業(しわざ)と政治的な陰謀で王位を獲得したのだ。
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彼は古代の超大国ローマ帝国の支援を受けていた。それは大きな支えだった。しかし、ジュディアのユダヤ人エリート階級から彼に向けられる眼差しは冷たく、怒りに満ちていた。
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だから、王位に居る間も、取り巻きの忠誠心には極めて猜疑的だった。家族に対しても心を開かなかった。
こんな彼にとって、マサダは自分の命を守る最後の砦だった。クーデターから身を守る準備を怠ることはできない!
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岩山の上のマサダには水や食料はない。燃料や日蔭となる場所すらなかった。しかし、重要な物はあった。砦を築くための石材だ。ここが採石場だ。
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宮殿は城というより要塞だった。
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彼はこの要塞に風呂をつくって娯楽の場所としていた。
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床を温める暖房施設も整っていた。
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部屋の中の温度は完全に制御されていた。
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しかし稼動するには燃料や水が必要だ。どうして手に入れていたのだろう。
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水路を造っていたのだ。
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水路のあった所には名残の草が生えている。
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水は遠くの山から水路を流れてマサダまで運ばれてきた。
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そして砦の近くの竪穴に蓄えられた。その量は4万立方メートルだ。竪穴から山頂の砦までは人が運び上げた。
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この砦で見るべきは空中宮殿と呼ばれる場所だろう。
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山頂より少し低い場所がテラスとして整備された。
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そのテラスに空中庭園と呼ばれる宮殿が建てられた。
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屋根も設けられた、リラックスできる宮殿だった。そこから下界の風景を楽しむことが出来た。
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ヘロドは人が棲むにはふさわしくない岩山をオアシスに変える建築技術を獲得していたのだ。
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彼はこの聖地を独裁者として統治していた。
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暗殺や陰謀の噂に満ちた王だった。誰も彼を信用していなかった。それに気付いていたので岩山で暮らして身を守っていたのだ。

彼は領地の中に11の砦を造っていた。その一つのヘロディアムHerodium。
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火山地帯の一角にある。丘に登る道の途中には人の手が掛けられた形跡はない。
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しかし海抜738mの丘を登り切ると、そこには大きな宮殿の跡が広がっている。
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ヘロディアムだ。直径は195mもある。
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下の平地から別のルートで斜面を登ってみた。
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この辺りの岩を見ると何かの作業が行われたようだ。
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しかしどんな方法でこんな急斜面で・・・
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実はヘロドは、砦をこの辺りで最も高い所にするため、向うに見えるあの丘を削り、その土や岩をこの丘に盛り上げていたのだ!
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彼は砦をこの辺りで最も威圧的な所にしたかったのだ!
斜面は上に行くほど急になる。この辺りは45度だ。
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周りの平地から120mも突き出た丘からは、24Km離れた町エルサレムが見えていた!
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しかしエルサレムからは砦にいる彼を見ることは出来ない!
丘には2重の円形の壁で囲われた砦が造られていた。
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周囲には4つの塔が造られていた。なかでも東の塔は最も高かった。
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これが東の塔の跡だ。
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見晴らしがよいだけでなく、砂漠の中でも涼しい空間を与えてくれた。ヘロドも好んだ場所だろう。
今、門は瓦礫で塞がっている。昔、この門を入ると宮殿があった。
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そこには庭や風呂の跡も見つかっている。涼しい部屋、暖かい部屋、バスルーム、サウナ、トルコ風呂もあった。
中でもここは建築上、最も素晴らしい所だろう。
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その理由は上を見れば判る。
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世界で最初に造られた岩のドームだ!中央の眼窓(oculus)からは光が差し込んでいた。円形天井の内面はフレスコ画で埋め尽くされていた。建築家としてのヘロドの野心の象徴とも言える建造物だろう。
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全ての岩には圧縮力が全方向均一に加わる構造だ。
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恐らく内部を土で埋めながら石を積み上げていったと思われる。
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水の確保のために長くて深いトンネルも掘っていた。
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丘の下の平地には38エーカー(15万平方メートル)の娯楽施設が造られていた。砦の守護にあたる兵士達の楽園だった。
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オリンピック水泳競技プールの2倍以上の面積をもつプールには水道橋で水を運んだ。
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砂漠の中で、ここはオアシスでもありヘロドの理想郷でもあっただろう。

ヘロドの野心はこれで終りではない。地中海での交易で大きな富を得ようとしていた。栄光のローマと対抗できる全く新しい港を地中海沿岸に造り始めた。紀元前28年のことだ。
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その港はシーゼリアCaesareaと呼ばれる。今の海岸線から4百m沖合まで港は延びていた。当時の波除けブロックの一部が今も残っている。
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港には2つの高い塔が造られていた。その一つは灯台だった。

ローマ人は火山で生まれた石灰石の粉を水で土と混ぜるとコンクリートが造れることに気付いていた。考古学者はシーゼリアの水中に木の枠が埋められていることを発見した。この枠の中にコンクリートを流し込み、水中に建物の基礎となるケーソンを造っていたのだ。
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陸地には競技場も造っていた。
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ここがその跡だ。
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チャリオット・レース(馬車の戦車の競走)が行われていた。
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ここにチャリオットが並び、一斉にスタートした。
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競技場を囲むスタンドには8千人の観客が陣取ってレースを楽しんでいた。
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ローマ帝国時代、ヘロドは素晴らしい建造物をこの地に造っていたのだ。
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円形劇場も造っていた。ジュディアで最初のものだ。
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ヘドロは彼のパトロンでローマ帝国のリーダーだったシーザーの名前から港をシーゼリアと名付け、シーザーの歓心を引こうとしていたのだ。それは効果があった。ローマの庇護を受け、シーゼリアの統治を勝手気ままに行うことができた。彼に歯向かうものはいなかった。

そしていよいよ彼は神聖な国家イスラエルの首都エルサレムの再建に着手する。
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彼は非情で残酷な王だったが民衆の心をつかむ方法を知っていた。彼等には食糧と娯楽を提供した。もっとも重要だったのは水だ。シローンの水槽として知られる大きなプールをエルサレムに造った。聖書では知られていたが実際に発見されたのは最近のことだ。
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デイビッドの国が造られたという神聖な丘。
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毎年10万人以上の巡礼者が訪れていた。
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そこに造られたプールの大きさは50mx100mもあった。サッカー競技場の広さだ。プールの目的は飲料水の確保だが、時には沐浴の儀式にも使われた。水は420m離れたギアンの泉から運ばれてきた。
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(mh:上の写真の中央には人が写っています。)
彼が造った地下水道には今も水が流れている。
これが彼の時代のシローンの水槽の想像図だ。
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このプールで沐浴すると盲目の人が見えるようになったという伝説がある。ヘロドが造った地下水道はエルサレムの町中を走り回っていた。
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水道橋で水を運ぶのに山を迂回せずトンネルを通すことも行われてはいたが、トンネル工事の方が楽だったからということではない。2千年も昔に岩山にトンネルを通す作業は労力だけではなく技術も必要だった。ヘロドはその技術を獲得していたのだ。
彼の技術者たちはエルサレムの水供給システムの高度化を実現していた。ソロモン王の水源からベツレヘムを経由してエルサレムまで水道橋を整備した。
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その水道橋の一部が今も残っている。
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石膏を使い、水が地面にしみ込まない工夫が施されている。
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水が安定して流れるよう54ft/9マイル(千分の1)の勾配が付いている。

彼が造った最も素晴らしい水道橋はシーゼリアに水を供給する水道橋だろう。
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およそ5マイル(8Km)離れた水源から水を引いた。水源の近くの側溝は石の覆(おお)いがあって水が埃で汚れないよう工夫している。
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水道橋は海まで続いていた。
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ローマ帝国の支援を受けて王になったヘドロはローマへの気遣いを怠らなかった。同時に民衆への心配りも示した。
彼は、ユダヤ人たちの心のふるさとだったエルサレムの神殿の再建に着手する。
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破壊し尽くされていた神殿跡地に神殿の丘を造り、その上に神殿を建てたのだ。
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丘は石壁で囲われた。
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この場所は西壁と呼ばれる。
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ヘドロによって造られた壁だがユダヤ人にとってはソロモン王が初めて造った神殿と同じ価値があった。
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今、我々がこの場所で見ることが出来るのはヘロドの遺産のほんの一部だけだ。
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寺院の丘の全貌は、少し離れたアルロス山からでないと判らない!
ヘドロが造った寺院の丘の中央には今は黄金のモスクが建てられている。
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ヘロドはエルサレムの丘に、寺院の丘と呼ばれる場所を造るため、過去に例のない建築方法を採用した。
まず石壁を造って丘を拡大した。
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東の壁の高さは30mで10階建てビルと同じだ。
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壁のコーナーを良く見ると、大きな石と少し小さな石が千鳥(交互)に組み合わされて重ねられている。強度を保つためだ。

更に注目すべきは丘の基礎構造だ。大きなアーチ型のボルト(空間構造物)を敷き詰めた。
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ここは西壁の内側の面だ。保存状態はとても好い。2千年前の建設当時の傷跡もそのまま残っている。
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使われているのは石灰岩だ。13.2mの長さの石もある!厚みは3.3mだ。4.8mの奥行きがあることは判っているので、体積に比重2・4をかけると・・・重量は550トンもある!

ヘロドは、寺院の丘の建設だけでなく、第二の壁も造って面積を倍増し、そこに自分の王宮も造った、ユダヤ人たちの住居から最も離れた場所に!
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つまりユダヤ人側に寺院の丘を、そしてローマに近い側に彼の王宮を造ったのだ。
ここが彼の王宮のあったところだ。まるで砦だ。
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堀も造った。
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ヘドロの狂気は高い3つの塔に現れている。
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塔が向いているのは外ではない、壁の内側だ!彼はローマではなく彼の人民であるはずのユダヤ人を恐れ、監視していたのだ!
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ユダヤ人は南の階段から城壁内に入った。この階段にもヘロドの工夫が盛り込まれた。
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石段の幅が異なる!30cmの段と60cmの段を交互に造った。
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この石段を登る時、人々は意識しなければならなかった。これからヘロドの町に、寺院の丘に入っていくのだということを。
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寺院は千年も前にソロモン王が最初に建造していた。
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その跡地にヘロドが新たな寺院を造ったのだ。
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彼の寺院は寺院の丘で最も重要な建物となった。

王ヘロドは無慈悲で思い込みが激しく、激情的だった。自分の身を守るため身内すら殺害した。
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しかし、その男は歴史に残るモニュメントを次々に造っていったのだ。
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2007年春、ヘロディアムで発掘中の考古学者が豪華に装飾された墓を発見した。
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何の記録も見つかってはいないので誰の墓か判らないが、その豪華さからヘロド王の最後の休息所ではないかと考えられている。
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もしそうだとしたら、これは古代の偉大な建築家の墓だと言えるだろう。調査は今も続いている。

Youtube : King Herods Magnificent Temple 「ヘロド王の華麗な寺院」
https://www.youtube.com/watch?v=dBnhwY1sXCc
<関連遺跡の位置>
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Herodionヘロディオン
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Wiki:ヘロデ(ヘブライ語: הורדוס‎、英語: Herod、紀元前73年頃 - 紀元前4年)
共和政ローマ末期からローマ帝国初期にユダヤ地区を統治したユダヤ人の王(在位:紀元前37年 - 紀元前4年)である。イスラエルレビ族が祭司王として統治したハスモン朝を破って、エドム人ヘロデが統治するヘロデ朝を創設、ローマとの協調関係を構築した。エルサレム神殿の大改築を含む多くの建築物を残した。だが、猜疑心が強く身内を含む多くの人間を殺害した。息子たちと区別してヘロデ大王とも言われる。
紀元前31年のアクティウムの海戦でアントニウス派に味方したがオクタウィアヌス派に敗北を喫した。戦後、ヘロデはオクタウィアヌスへ帰順した。ヘロデはローマの指導層との友好関係こそが自らの政権の唯一の基盤であることを熟知していたのである。

王位についたヘロデが徹底したことは前政権ハスモン朝の血をひくものをすべて抹殺することであった。
紀元前37年、最後のハスモン王アンティゴノスをローマ人によって処刑させた。
紀元前36年頃、妻マリアムネ1世の弟アリストブロス3世を暗殺。
紀元前29年、妻マリアムネ1世を処刑。
紀元前28年、彼女の母であるアレクサンドラを処刑。
紀元前7年、ヘロデとマリアムネ1世との間に生まれた自分の二人の王子アリストブロス4世とアレクサンドロスを処刑。

また自分に対して敵対的であったユダヤ教の指導層最高法院の指導的なレビ族の祭司たちを迷わず処刑している。これ以降最高法院の影響力は弱まり、宗教的な問題のみを裁くようになる。

なお、ヘロデがハスモン朝を母系で血を引く二人の息子を処刑した時期は、キリスト教の歴史認識において、新たな王(救世主)の誕生を恐れたヘロデ大王が二歳以下の幼児を虐殺(幼児虐殺)させた時期に相当する。キリスト教の教典である新約聖書のマタイによる福音書には、イエスと両親がエジプトに避難したという記事がある。しかし、この点については否定的な裏付けしか無く、歴史的事実とは認められない。

ただし、ハスモン朝の血を引く者が根絶やしになったわけではない。ヘロデによって処刑されたアリストブロス4世とヘロデの姪ベロニカの間の息子、即ちヘロデの孫アグリッパ1世(紀元前10年‐紀元後44年)が在った。そしてその息子アグリッパ2世(紀元後27年頃‐100年?)も在る。ヘロデの曾孫アグリッパ2世は、第1次ユダヤ戦争の際、ローマ帝国と同盟してヘロデが造営したエルサレム神殿を破壊したことが知られている。

ヘロデは都市計画において業績を残した。人工港湾都市カイサリア、歴史に名を残す大要塞マサダ、アウグストゥスの名前を冠した新都市セバステ(サマリア)、エルサレムのアントニア要塞、要塞都市ヘロディオン、マカイロスなどはすべてヘロデの時代につくられた計画都市である。それだけでなくヘレニズム君主としてパレスティナや小アジアのユダヤ人が住む多くの都市に多くの公共施設を提供している。この行為はギリシャ系住民の間でヘロデの名声を高めたが、ユダヤ系住民にはかえって反感を買うことになった。
(完)

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