Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ラァジャ・ラァジャの不思議


何の不思議かですって?
題にある通り「ラァジャ・ラァジャRaja Rajaの不思議です!!!」
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9世紀~13世紀、南インドではタミル系ヒンドゥ王朝(ヒンドゥ教が国教の王朝)のチョーラ朝(Chola Dynasty)の時代でした。何人かいた王の中で最も知られるのが今回の主人公ラァジャ・ラァジャ・チョーラ1世Raja Raja Chola Iです。ラァジャ・ラァジャは「王の中の王King of Kings」の意です。西暦985年に38歳で即位し、58歳で亡くなる1年前の1014年まで国王として君臨していました。彼の時代、海峡を隔てたスリランカ北部も併合され、王朝の版図は最大になりました。
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彼の時代の首都はタンジャーヴールThanjavurですが、どんな理由か、お釈迦様ではありませんが因果応報で理由はきっとあるのですが、9世紀~13世紀のチョーラ朝黄金期に遷都は4回行われています。

ラァジャ・ラァジャ大王は、祖先同様、敬虔なヒンドゥ教徒で、特にシヴァ神を崇めていました。
ここでヒンドゥ教についてWiki情報で簡単におさらいしておきましょう。
発祥については定かではないようです。「インダス文明(紀元前2,300年 - 1,800年)のハラッパーから出土した印章には、現代のシヴァ神崇拝につながる結跏趺坐(けっかふざ:ヨガのように足を組んだ座り方)した行者の絵や、シヴァ神に豊穣を願うリンガ崇拝につながる、直立した男性性器を示す絵が見られる。しかしインダス文明の文字は解読できていないので、後代との明確な関係は不明である。」

ヒンドゥ教は多神教ですが次の3神が有名です。
ブラフマー:宇宙の創造を司る神
ヴィシュヌ:宇宙の維持を司る神
シヴァ:宇宙の寿命が尽きた時に世界の破壊を司る神

これらの三神は実は元々は同じ神(三神一体:トリムルティ)だと考えるのが今では一般的のようですが、人気者はシヴァでしょう。次の三神の写真ではシヴァだけが結跏趺坐(けっかふざ)しています。
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“「ヒンドゥ」という言葉はペルシア(現在のイラン)の側からインダス河対岸一帯を指した地域名「ヒンド (Hind)」の形容詞形”ですが、実態は失われ、ヒンドゥクシュ山脈(Hindu Kush:ヒンドゥの人々を殺す、の意)とか「ヒンドゥスタン (Hindustan:インド亜大陸)」などで残るだけです。しかし「インダスIndus」も「インド」という国名も、元を辿れば「ヒンドゥ」から派生した言葉でしょう。

結局、ヒンドゥクシュ山脈やヒマラヤ山脈に水源を持つインダス川Indus River、及びインダス川に沿って流れていた、伝説の川サラスヴァティSarasvati River流域で生まれたインダス文明によって育まれた宗教、それがヒンドゥ教Hinduismだと考えて良いと思います。

ラァジャ・ラァジャはタミル人でした。普通、○○人とは○○語を話す人を指し、仮にXX国で暮らしていても○○語を日常言語とする人は○○人だと言えるでしょう。タミル人の彼は勿論タミル語を話していました!

タミル語Tamilですが、最古のタミル語は紀元前3世紀に造られた碑文に残されています。どんな言葉か解説しだすと際限がなくなるので、どんな文字なのか、数字を例にご紹介しておきましょう。
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楔形文字なんかより味わい深くて芸術的ですねぇ。

タミル語は現在も南インドの主力言語ですが、インドの公用語はヒンディー語Hindiだけだと憲法で決められています。どんな文字かというと・・・
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ヒンディーHindiはインド北部や中部を中心に5億人が日常的に使っていますが、残る7億人が使う言葉は千差万別のようで、結局、30の異なる言語と2千の方言があるといいます。さすが亜大陸と呼ばれるにふさわしい多民族国家というか多言語国家です。

インド憲法では公用語ヒンディー以外に22の言語が公的に使える言語として指定されています。タミル語も有力な指定言語で、南インドのタミル・ナードゥ州を中心にインドで6千万人、スリランカでも3百万人が使っています。
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南インドとスリランカのタミル語話者の分布(1961年)

かつてはチョーラ朝の領土だったインド南西のケーララ州KERALAの公用語はマラヤーラム語ですが、昔の名残か、タミル語とかなり類似しているとのことでした。

インド連邦には州・連邦首都圏(デリー)・連邦直轄領があり、各々の地域で公用語が設定されています。
地域が定める公用語は、英語とその他の1つの言語で、例えば英語とヒンディー語、英語とタミル語などです。従って英語はインド共和国全体の公用語とも言えますが、国の公用語は既に述べたようにヒンディー語だけで、英語は征服者の言葉だった訳ですから公用語という名誉ある地位からはずされたのです。しかし、インドのような多言語国家で、かつ交通や物流の発達した現代、多くの人が理解し、国際的な地位も高い英語は無視できないんですねぇ、至極当然です!で、英語は準公用語と呼ばれ、以前のような公用語に復帰することは叶いませんでしたが、それなりの名誉回復はなされました。今では、インドの全ての大学で使われる言語は英語です。これはインドの工業、情報産業の発達に大きく貢献しています。

さてさて、いつものように長い前置きになりましたが、それではいよいよYoutubeフィルム「The Lost Temples of Indiaインドの失われていた寺院群」をご紹介しましょう。

そうそう、前置きの最後になりますが、ラァジャ・ラァジャのチョーラ朝に関係する有名なヒンドゥ寺院の位置をプロットした地図を上げて起きますのでざっとご覧下さい。
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1838年、一人のイギリス人探検家が南インドを探検していた。
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ジャングルの中に分け入った彼は美しい寺院を発見した。
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近くでよく見た彼は赤面した。寺院は赤裸々な性描写のレリーフで覆われていたのだ!
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寺院は、今も多くの欧米人が敬遠する、「失われた寺院」になった。
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世界の多くの人々が知っているインドの寺院タージマハル。
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美しく高貴な姿、大理石の輝き・・・世界で最も美しい建物の一つだろう。
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16世紀の中旬、フランスでベルサイユが造られた頃、イスラム寺院として王チャージ・ハーンが妻モン・タージ・マハルのために造った。妻は14人目の子供を産んで亡くなるとき、何処にもない程美しい墓を造ってほしいと夫に頼んだ。夫はその約束を守った。01814.png
何百人もの奥方の中で王はタージ・マハルを最も愛していた。
2人の棺が並ぶ主室。
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玉石を集め、花の形にして棺、床、壁などの大理石に埋め込んだ。
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ラピス(瑠璃)、アンバー(琥珀)、ジャスパー(碧玉)、アメジスト(紫水晶)・・・
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完成した白亜の建物は長い庭の奥に聳えている。
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インドと聞くと、人々はまずタージマハルを思い浮かべる。しかし・・・
インドには沢山の古い秘密が南インドのジャングルに隠されている。今では忘れ去られているが、人類の歴史の不可思議ともいえる何千もの寺院があるのだ!
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ここは南インド。伝統的な信仰と文化が残る地域だ。ヤシの森も広がっている。
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2,3Kmもいくと、高くそびえる寺院がある。
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1千年前、一人の偉大な王が人類史上で最も大きな宝ともいえる寺院をここに建てた。
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今も建設は続いている。ギザのピラミッドよりも多くの石材が使われている。
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ラァジャ・ラァジャ寺院は今もラージャー(larger:より大きく)になっているのだ!

寺院はタージマハルを200以上収容する面積がある。
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ラァジャ・ラァジャは何故こんなに大きな寺院を造ったのだろうか?ヨーロッパで大きな教会を造ったり、エジプトでピラミッドを造ったりした時と同じ理由、つまり信仰の力に動かされたのだ。
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神を崇拝していた。
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大勢の人々が暮らしている村。
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毎日、日の出とともに16歳の少女は家の前の庭に模様を描き始める。
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幸運を呼び込むため、色が付いた米粉で描くカラムと呼ばれる絵だ。毎朝、女が玄関の前の庭に描くのが習わしだ。
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カラムは人や家畜が歩けば直ぐに崩れてしまう。だから、毎日、庭を掃いて綺麗にしてからカラムを描く。使われている米粉は蟻や昆虫の餌になる。ヒンドゥ教では全ての生物は神聖な命を授かっていると考えられている。

この寺では何百もの祈祷師が祈りを捧げている。リンガ(リンガム)が御神体だ。毎日、ミルクをかけて洗い清めている。
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リンガや裸の像や多くの顔をもつ神を崇拝する信仰は西洋人には理解しがたい。
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お祭りには、輿(こし)に乗った多くの神々が寺の庭を練り歩く。
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その日の終わりになると、神の衣装は新しいものに交換され、安息所で一休みする。
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神々は見返りとして村を守り、病を直し、収穫を保証し、人々に永遠の命を約束する。
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どの宗教でも高い身分の支援者が必要だ。特に多くの寺院を必要とするヒンドゥ教徒には絶対だった。だからラァジャ・ラァジャのような王を支援者に持てたのは幸運だった。タンジョーァの町の偉大な寺院はその始まりだった。
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完成時、塔の高さは、当時の最大の建物の10倍だった。
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大きいだけでなく世界でも最も固い石の一つ花崗岩graniteで造られている。
ラァジャ・ラァジャの形跡(パーソナリティ)は寺院の至る所に捺印されている。南インドで最も成功した王だから、最も美しい寺院を建てる必要があったのだ。
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寺院の最も高い塔の中には、高さ3.6m、直径1.5mのリンガが奉られている。
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リンガはヒンドゥ教で最もパワフルな神シヴァのシンボルだ。
毎日、祈祷師はリンガをミルクで洗い花や布で飾り付ける。
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リンガは王の力と豊穣のために造られた。最高の王ラァジャ・ラァジャが造るリンガはインドでも最大でなければならなかった。

つい最近まで、王がどんな姿だったのかは全く知られていなかった。しかし考古学者は注目すべき発見をした。彼等は最も重要は寺の中で細い通路を見つけた。
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数百年もの間、通路の入り口は壁で覆われていたので気付かなかったのだ。
通路や小さな空間の壁には絵が描かれていた。
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シヴァや取り巻きの神々、若い女たち・・・
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ダンスする女たち。
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とりわけ重要なのは王の絵だ。彼が崇拝するグル(教祖)と一緒に描かれている。
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王はグルの後ろに立ち、尊敬の眼差しでグルを見つめている。精神的な指導者のグルは寺院の建設を進めるよう王を諭(さと)したのだろう。
こんなにも大きな寺院を建てるには莫大な資金が必要だった。その資金を最も簡単に得る方法は、いつの時代もどこの国でもそうだったのだが、弱い国からまきあげることだ。
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ラァジャ・ラァジャを助けたのはインドのユニークな兵器、象だった!
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王の命令を受けた男たちはジャングルで多くの象を捕獲した。
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1960年、丘の麓で昔と同じ方法で象の捕獲が行われている。
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ラァジャ・ラァジャの時代、捕獲された象の中で、元気な象は戦や建設作業に、そうでない象は農業に使われた。力の強い象は6千頭の馬に匹敵すると言われていた。
戦に慣らすために、象同士で争わせて訓練した。戦場では鼻で敵を倒した。
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象はとても頭が良い。訓練すれば複雑な作業も鼻を手の様に使ってこなしてくれる。

ラァジャ・ラァジャ寺院の建設で使われたは数十万トンの花崗岩は80km離れた石切り場から運ばれたものだ。千年前、どんな方法で切り出した石を運んだのだろうか?

コラクルと呼ばれるボートだ。作り方や形は今も昔のままだ。
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ボートの材料は曲げやすい木と動物の皮だ。このコラクルでは精々1トンの石しか運べない。タンジョーァで使われている多くの石には十分だっただろう。

寺院の塔の先端のキャップ・ストーンは40トンの花崗岩2つで造られている。
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1千年前の1010年、40トンもの石を数100ft(30m以上)もある建物の先端にどのようにして運び上げたのだろう。
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それは長い間、歴史家を悩ませたミステリーだった。ミステリーを解くヒントを与えてくれたのは現在のタンジョーァの王子だ。
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彼は、代々語り伝えられてきた話を教えてくれた。

寺から離れた場所に残るランプramp(スロープ)の跡だ。
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傾斜角6度で1.6km離れた寺院に向いている!
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65mの高さにあるキャップ・ストーンに向いている!

多くのヒンドゥ寺院は日の出に向けて東に面している。
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従って東側には小さな寺院が造られ、一番西に一番高い寺院が造られる。その高い寺院の西側に、今回見つけたランプの跡があるのだ。
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どんな方法で40トンの石を寺院の上まで運び上げたのか?象だ!

25トンの石で試してみよう。実際と同じ40トンでないのは、トラックの最大積載重量が25トンだからだ。3日かけて320Km離れた石切り場から運んできた。
傾斜が6度の坂道に並べた丸太の上に石を載せ、後ろからは象2頭が頭で石を押し、前では1頭が石に架けられたロープを鼻で引く。
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動いた!石を動かし終えると、象は石の後ろの丸太を前に運んで並べる作業もしてくれる!きっとこうして昔も石を運んだのだろう。
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では石を切り出すにはどうしていたのか?1千年前、固くて有名な花崗岩を、原始的な道具だけで、どのようにして切り出していたのか?
郊外のある町の主な産業は花崗岩を使った彫刻だ。
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神ハヌマンを彫るのには、現代の優れた鋼の鏨(たがね)を使っても10人で6ヶ月かかる。
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9世紀、石を彫刻するために使われた鉄は柔らかく、直ぐ使い物にならなくなっていただろう。
複雑で大きな石の加工なら何十年もかかったはずだ。

ここに彫られている模様は宇宙創造の物語を表現している。
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片足で立ち、手を空に向けて祈る猫。その右下ではネズミも同じスタイルで祈りを捧げている。
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しかし、インド人なら誰でも知っている。祈りを捧げている猫は、その後、祈りを捧げていたネズミを食い殺すのだ。彫像は摂理(せつり)の罠(わな)を説いている。

千年以上も昔に石切り場から花崗岩を切り出した手法は、石切り場に残された石を見れば判る。
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花崗岩に鉄の鏨(たがね;チズル)で小さな浅い孔を明け、固い木を打ち込んでから水をかけた。
木は湿気で膨らみ、石に亀裂を作った。
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このようにしてラァジャ・ラァジャは沢山の石を切り出し、寺院の建設を進めていった。
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エジプトのギザのピラミッドを造るのと同じくらい沢山の石を切り出して寺院を建て続ける狂乱ともいえる熱意を産んだもの、それは宗教、つまり信仰だ!
その信仰は殺戮を禁止していた。しかし、ラァジャ・ラァジャは王として近隣諸国と戦をしなければならなかった。彼は数万人の敵兵の死について責任があった。
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彼はリインカーネーション(reincarnation輪廻転生)を強く信じていた。
来世の幸福のためには現世で神に貢献しておかねばならない。だから秘密の通路の壁に描かれた絵が示すように、グルを尊敬していたのだ。グルは王の命運を握っていた!
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グルは告げたに違いない。「来世にもっと幸せになりたければもっと沢山の寺院を造れ!」こう告げるグルを敬う姿勢を示すため、自分がグルの後ろに立つ絵を描かせたのだ。

寺を造る仕事は大事業で費用もかかった。そして、出来上がった寺の維持も数千人が必要だった。
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今、この寺で、一人の男が働いている。彼の仕事は寺の広い花壇で花を摘むことだ。それが彼の家に代々伝わる仕事だ。
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彼は58歳だが独身だ。結婚できない決まりなのだ。花壇で仕事をしている時は口を利かない。これも昔からの仕来りだ。
毎日、夜明け前に起きて花壇に出かけ、花を摘んでは花飾りを造る。花飾りには市販の紐は使えない。自分でバナナの木の皮を剥き、乾かして造った紐を使う。
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花飾りを造る部屋は決められていて、彼しか入ることは出来ない。ここで彼は20人の神々のために20組の花飾りを作る。
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毎日5回、花飾りを入れた籠を担ぎ、人々が行きかう通りを歩いて寺院に向かう。
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町では50万の人が寺院と共に暮らしている。が、彼は寺を維持する、特別な数百人の一人だ。ラァジャ・ラァジャの時代、彼の給料を含め、寺に関する費用は全て王が負担した。
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寺の本殿に着くと、彼は持ってきた花飾りを祈祷師に渡す。祈祷師はそれを御神体にかけて飾り上げる。
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こうしてインドの多くの神々は大切に世話をしてもらっているのだ。

ラァジャ・ラァジャの時代、タンジョーァの寺院は最高の寺院だった。寺院の管理には数百人が必要だった。寺院のランプを灯す油を確保するため、4千頭の牛、7千頭の羊、30頭の水牛が必要だったとの記録が残っている。きっと寺院の内部は眩(まばゆ)い程に明るかったに違いない。
ラァジャ・ラァジャは数百の寺院を造ったのだから、カルマ(mh業(ごう)の意で、輪廻転生を決める人間の行為を指す)を正しく維持するために莫大な費用をつぎ込んでいたことになる。
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ラァジャ・ラァジャによって高められた文明によって繁栄した商人たちは、彼等の神、芸術、建築技術を季節風と共に船で東南アジアに運んでいった。
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その結果、数千km離れたカンボジアのジャングルにアンコール・ワットが造られることになった。カンボジアの神ではなくインドの神を崇拝するための寺院だ。
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ここにも女性が踊るレリーフが沢山残っている。
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商人たちは宗教だけでなく、インドの最高の宗教芸術をカンボジアに持ち込んだのだ。
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南インドに残るこのブロンズ像は、ラァジャ・ラァジャのために造られた。美と技術が結びついて完成した結果だ。ヨーロッパは暗黒時代で人々が苦しんでいる時だった。
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これは踊りの神様だ。シヴァ神であってラァジャではない。
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踊っている神は、創造のドラムを叩いて踊りながら、無知の部屋を破壊する火の輪の中で指を上に向け「恐れなくても好い」と告げている。
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タンジャーラの近くでは今も昔と同じ方法でブロンズ像を造っている。まずワックス(蝋ロウ)で形を造る。
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これを粘土で包み込む。
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そうしたら火でゆっくり加熱し、粘土を乾かしながら中のワックスを溶かして抜き取る。これで鋳型が完成する。
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鋳型に銅、真鍮、錫、金、銀を混ぜて溶かして流し込む。温度は1000℃以上だ。
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冷えたら鋳型を壊せば像が出来上がる。
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ラァジャ・ラァジャの時代の像が美しい光沢を持っているのは含まれている金が多いからだ。しかし今は金の量は減っているという。
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3匹の悪魔を踏みつけているシヴァの姿はラァジャ・ラァジャが好んだものだったという。
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踊りのない寺院はチアリーダーがいないフットボール・チームのようなものだ。
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踊りは祈りを捧げるためのものだった。これなしでは神は人々や寺院を守ってはくれない。
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寺院を飾るレリーフに多くの踊り子が現れるのはそのためだ。
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しかし、どんな栄光も永遠に続くことはない。北から攻め込んだイスラム教徒の軍によって彼の王国は終焉を迎えることになる。
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南インドの全てのヒンドゥ寺院は悲惨な運命を辿ることになった。イスラム教徒は王や金持ちを襲うだけではなかった。ヒンドゥ教に関する全てのイメージを嫌った。像や絵は破壊された。壊すのが大変な像では顔だけを破壊(deface)した。
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このイスラムの波はヒンドゥ教をインドから消し去ることを狙っていた。しかし、特に彼等に狙われたのは金やダイヤモンドが使われていたブロンズ像だ。高く売りさばくことが出来たのだ。
イスラム教徒に奪われたり壊されたりしないよう、ある時、ヒンドゥの神像は集められ、秘密の部屋に隠された。見つかったのは1985年だ。20世紀における考古学上の最大の発見の一つだろう。
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部屋には近くの寺院から集められた青銅や石の像が隠されていた。数百年後に見つかったということもあって、どこの寺院の像か判らないので、今もこの場所で祈りを捧げられている。
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侵入してきたイスラム教徒たちは宗教を壊しはしなかった。壊したのは建物や像だ。貴金属や宝石を盗むためだったのだ。
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イスラム教徒が去ると、南インドでは以前に増してヒンドゥ教が深く信仰された。
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火星の表面とも見間違えそうに荒廃し、世間から忘れ去られていた南インドのこの地には、過去には間違いなく繁栄していた町が残っている。
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ラァジャ・ラァジャが築いた黄金時代に、彼が考えた以上に素晴らしい出来栄えで仕上がった町だ。
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ラァジャ・ラァジャ寺院がジャングルの中に飲み込まれてから百年後に現れたリジナグラと呼ばれるミステリアスで神聖なこの町は「勝利の都市」と呼ばれていた。
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完成したのは1350年で、その30年後には当時のロンドンやパリの50倍の人口を抱える大都市になっていた。
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ラァジャ・ラァジャの王朝の混沌とした文化の中で、最高の芸術と建築技術で造られた寺院と言えるだろう。
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王は狩りが好きだったようだ。
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多くの寺院で見られる踊り子のレリーフもある。
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顎鬚(あごひげ)をはやした2人のポルトガル商人が王に謁見している!
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外国商人は町や面会した王の生活などについて記録に残している。それによると、王は商人が王の戦士たちが毎朝おこなう日課を見ることを許可していた。
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戦士たちは、1パイントのオイルを飲み、さらに多くの油を肌に塗りこんでからレスリングで筋肉を鍛えていた。リジナグラの人々は今も伝統的なレスリングを楽しんでいる。現代のルールでは、相手を3秒以上持ち上げれば勝ちだ。
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しかし、古代はそんな生易しいものではなく、極めて残酷なものだった。ポルトガル人は、歯を折り、目が飛び出て、話すことも出来ない状態の男を同僚がリングから運び出すのを見ていた。
朝のトレーニングが終わると王は馬で偉大な都市を、片側から反対側まで駆けた。
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南インドの全ては王の手中にあった。アラブやポルトガルとの交易で町は繁栄していた。通りは広くて美しく、商人や役人たちの豪華な家が並んでいた。
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彼等の家はダイヤモンドや宝石で溢れていた。
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夕方には家畜や野菜、オレンジやグレープなどの果物を売る市が立ち、それらは通りの向うの宮殿まで続いていた。
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暑さの夏は、近くの川やプールで水浴びをした。
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皇女から農家の女まで、女たちは毎日、神への祈りを捧げながら沐浴した。
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これをみたヨーロッパ人が年1回風呂に入るよりも毎日入った方が好さそうだ、と考えるようになったという。
女王や女中たちが沐浴するプールには見事に整備された水道橋で水が引き込まれていた。
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勝利の町の壁や床には何十もの遊び(ゲーム)の絵が残っている。
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チェスがインドで発明されたのは驚くべきことではない。インドのチェスはチャタランガと呼ばれる。
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リジナグラの王も楽しんでいた。戦場での作戦を磨くには最適の遊びだった。
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象の駒は現代の城(ルーク)の駒に相当する。最も強く、どの方向にも動けた。しかし、一番弱い歩兵の駒よりも弱い!戦場で象が歩兵の槍で倒されたことを示している。
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チャタランガは、実際の戦いと同じように、王が負けを宣言するまで、1日、時には1週間も続くゲームだった。

この見事な町も完成してから2百年後、イスラム教徒の軍団に侵略され破壊されてしまった。
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イスラム教徒との戦いは単に領土を巡る戦(いくさ)ではなく、イスラムの神アッラーとヒンドゥの数百の神のどちらが優れているかを決める戦だった。ヒンドゥの将軍たちが打ち負かされて戦は終った。
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兵士は武器を捨て投降した。王は首をはねられた。
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都市は引き裂かれ、壊滅した。そして今でも放棄されたままだ。
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かつてポルトガルの商人にローマよりも大きいと讃えられていた偉大な町は、ポンペイと同じゴーストタウンになってしまった。

しかし、この町よりも南の地方で復興が始まった。寺院はラァジャ・ラァジャの時代より大きくなっていた。
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しかし、南インドの、信じられないほど見事な寺院を訪れる旅行客インドを訪れる旅行客の10分の1以下だ。
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多くの旅行客は北インドや西インドに行ってしまう。
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この寺院の主殿の屋根は金で覆われていて、今も最初に造られたままの高さだ。
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しかし、その他の寺院は増築され、どんどん高くなっていった。
寺院の増築で、ゴウプリーズと呼ばれる装飾された門が造られた。
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この門は、空に高く突きあげ、千を超える像で飾られている。
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いつも塗装補修が行われていて、当時と同じカラフルな外観を保つ門はこの世のものとは思えない。その高さはクレムリンやアメリカの上院議事堂やイギリスの議事堂と比較しても劣ることはない。ベルサイユ宮殿やローマの聖ピーター寺院よりも沢山の部屋がある。

寺院では今もラァジャ・ラァジャの時代と同じように祈りが捧げられている。
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世界の多くの人ばかりでなく、インドの多くの人々にとってさえ、この地は失われ忘れ去られた世界と言えるかも知れない。
何故、ラァジャ・ラァジャの遺産や寺院が世界の多くの人から無視され忘れ去られようとしているのだろう?
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1838年2月に起きたことが原因の一つに違いない!
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イギリスの探検家キャプテン・ブルックによって発見された。そこは「何百年も放置されていたカジュラファだ」と案内の男は語った。遺跡は木々で隠されていた。
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トラブルは探検家ブルックが寺院に近づいて彫られたレリーフを見た時に起きた。
「遠くから見ると、美しく、見事に彫刻が施されている建物だと思った。しかし、近寄ってよく見ると、いくつかの像は極端に下品だった!ヒンドゥ教の寺院についてはこれ以上調べる必要はない!」
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寺院の壁は沢山の男と女のグループ・セックスのレリーフで覆われていた。
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西洋のキリスト教徒が宗教施設で目にするものから全くかけ離れていた。
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ヒンドゥ教徒の考えは異なっていた。ヒンドゥの神々の一人は愛の神だ。寺院にセクシャルな彫り物があっても全く問題ない。

しかし、結局、インドのこれらの寺院は西洋人の眼からは完全に閉ざされることになってしまった。イギリスがインドを征服した時、イギリス人はインド人のことを、野蛮で、西洋人より劣り、奴隷にしてもよい人種だと考えた。インド人の宗教はインドを征服したイギリス人には過激で異端だったのだ。以降、南インドの寺院や宗教が語られることは無かった。旅行者には無視され、学者達も調査をしなかった。そのために、寺院は、ジャングルの中の失われた世界に戻っていってしまったのだ。
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インドを訪れるヨーロッパ人の多くはヒンドゥ教を奇妙な、非文明的な宗教だと思っているだろう。しかし、北インドにある、イスラム教徒が建てた建築物には感銘したり、唯一神アッラーの思想に共感を示したりする。
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イスラムの世界には、大勢の神はいない。裸の像などはないし、リンガを崇める説教者もいない。白く輝く大理石の建物があるだけだ。これこそがヨーロッパ人が想像していた不思議な東洋の姿だった。
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だから北インドには大勢の旅行客が訪れるが、南インドのヒンドゥ寺院に行く人は少ない。
ラァジャ・ラァジャの偉大な功績もヨーロッパ人には無視され続けている。
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しかし、南インドでは今でも数千年前からの伝統に従った祈りが、ラァジャ・ラァジャが建てた寺院で続いているのだ。
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ソロモン王の寺院や、北京の紫禁城の灯は完全に消えてしまった。しかし、インドのラァジャ・ラァジャ寺院では、今も絶えることなく灯がともされ、祈りが捧げられている。
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毎日、夜明けになると祈祷師は神を讃える神秘の言葉を奏上して祈りを捧げる。ラァジャ・ラァジャの命により岩に彫られた神の眼を覚まそうとしているのだ。
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The Lost Temples of India
https://www.youtube.com/watch?v=OYlO16Uy4Zw

以下に、ネットで見つけた南インドの見事な寺院の写真を載せておきますのでお楽しみ下さい。

カルナータカ・ハンピの寺院Virupaksha Temple世界遺産
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古代都市リジナグラ:15世紀の市場通り
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Sangameshvara temple ,Pattadakal
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Kapaleeshwar Temple, Chennai
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Arunachaleswar Temple,Thiruvannamalai
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Temple, mahabalipurham
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Gangaikonda Cholapuram
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Sarath.Wijayathilaka
スリランカSri Lanka. Polonnaruwa. Royal Palace
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KANCHI KAMAKSHI AMMAN TEMPLE, KANCHI
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Meenkashi Temple, Madurai世界遺産
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Airavateswarar Temple Darasuram. Kumbakonam
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Murugan Temple, Tiruchendur
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Giant Temple Door
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brihadheeswara temple, thanjavur
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(完)
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