Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ハトシェプストHatshepsutの不思議

10月16日からエジプトです!今回の旅の主な訪問先は次の通りです。
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ルクソールに飛んでカルナック神殿、王家の谷、ハトシェプスト葬祭殿などを見学した後、船でナイル川をアブシンベル神殿まで遡り、アスワンに戻ってダムを見学してからカイロに飛び、ツタンカーメンの秘宝の展示で知られるカイロ博物館(エジプト考古学博物館)、ギザのピラミッド・スフィンクスを見学して日本に戻る旅です。憧れのナイル・クルーズではボートに4泊します!
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全く知らなかったのですが、アスワン・ダムって2つあるんです!ルクソールから150Km上流のアスワン・ロー・ダム(1902年完成)と、その5Km上流のアスワン・ハイ・ダム(1970年完成)。ハイ・ダムで巨大なナセル湖が生まれました。ダムから150km上流の湖畔にはアブシンベル神殿があります。
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ルクソールLuxor(昔のテーベThebes)からアブシンベル神殿までナイル川クルーズですから2つのダムを船で通過するはずですが、どんな方法で通過するのか?パナマ運河式(閘門式)?スエズ運河式ってことはありませんね、ダムを挟んで水位に差があるわけですから。それともクレーンか?まさかトレーラーで陸路?それとも船を乗り換える?
この目で、デジカメで、真実を記録してご報告致しましょう。夜間通過とすると見逃す恐れもありますが、その場合は資料をかき集めてでも解説させて頂きます。

今は8月9日で出発まで2ヶ月余り前ですが、気が早いmhはエジプトで訪れる場所についての情報を集め始めています。今までの分を取りまとめて、世界の不思議と称し、今回から5回連続で皆様にお届けします。構想整理中の「王家の谷」を除くと、3つのブログ原稿は完了していまして、ま、我ながら仕事(遊び?)が手早いなぁ!と感心するというか、少々あきれてもいます。
1)ハトシェプストの不思議(9月21日公開予定)
2)アブシンベル神殿の不思議(9月28日)
3)スフィンクスの不思議(10月5日)
4)王家の谷の不思議(10月12日)
5)エジプトの失われた都市(10月19日)
帰国したら、後日談もご紹介しましょう。

で、今回は第一弾「ハトシェプストの不思議」です。
(ハトシェプスト葬祭殿の写真:GoogleEarth)
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ハトシェプストの取り巻きの人物を順にご紹介しましょう。

Wiki:トトメス1世(Thutmose、在位:紀元前1524年頃 - 1518年頃)
古代エジプト第18王朝の第3代ファラオ(王)でハトシェプストの実父。先代のファラオ・アメンホテプ1世の子ではなかったが、優秀な軍人で、シリア、ヌビアへの遠征軍を指揮して信頼を勝ち得、アメンホテプ1世の王女イアフメス(ハトシェプストの実母)と結婚したことで王の実子たちを差し置いて後継者と定められた。 その後、アメンホテプ1世の絶大な信頼を受けて共同統治者として実績を積み、各方面に遠征して領土を拡大し第18王朝の最初の絶頂期を現出させた。

Wiki:トトメス2世(在位:紀元前1518年 頃- 1504年頃)
古代エジプト第18王朝の第4代ファラオ(王)でハトシェプストの夫。トトメス1世の下位の王妃の子であったが、政治的手腕に優れ、正妃の第一王女であった異母姉ハトシェプストと結婚して王位を継承した。即位後はハトシェプストの野心を見抜き、王位簒奪(mhさんだつ)を警戒して側室イシスとの間の子トトメス3世を後継者に指名しハトシェプストを牽制するが、病弱だったためトトメス3世の成長を待たずに亡くなり、ハトシェプストの専横(mh!!!)を許すことになる。

で、いよいよWiki:ハトシェプスト女王(Hatshepsut)です。
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古代エジプト第18王朝5代目のファラオ!!!在位は、紀元前1479年頃 - 紀元前1458年頃。父はトトメス1世、母はイアフメス。夫はトトメス2世、娘はネフゥルウラー。詳細はYoutube解説をご覧ください。
(ハトシェプスト葬祭殿のGE写真より)
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Wiki:トトメス3世
古代エジプト第18王朝6代目のファラオ(在位:紀元前1479年頃 - 紀元前1425年頃)。
父はトトメス2世、母はイシス。父王トトメス2世によって後継者に指名されていたが、幼くして父王が亡くなったため、継母ハトシェプストが即位、全権を掌握することになる。治世の前半は、ハトシェプストの補佐という形でしか政治を行えず、大半の時間を軍隊で過ごしたと伝わる。この時期の経験から高い軍事的能力を身につけ、ハトシェプストの退位後となる治世の後半はハトシェプスト時代の外交を改めて周辺諸国に遠征し、国威を回復、エジプト史上最大の帝国を築いた。ことにメギド(イスラエルの丘)の戦いでの大勝で名高い。その積極的な外征と軍事的偉業から「エジプトのナポレオン」と呼ばれることも多い。
実権を掌握してからはハトシェプストの存在を抹殺しており、ハトシェプストの名前や肖像を軒並み削り取った。これには「恨みによるもの」とした説と「女王の前例を残さないよう、即位した事実を抹消する為」とした説がある。

つまり、ハトシェプストは女だから王位を継承する権利はなかったのに王位に就いたということのようですねぇ!王は戦上手(いくさじょうず)でないと国を守ることが出来ないということだと思ますが、女は戦に不向きという理由で男だけが王位継承の権利を与えられていたのでしょう、推察ですが。日本でも今は女の天皇は認められていませんから、天皇家に女しか生まれなければ、その旦那が天皇になり、以降、女系の家族から天皇が続いていくことになります。ま、私には全く関係ないので、どう継承されても好いのですが、天皇という名を引き継ぐなら、それなりの品位を持つ人になってほしいし、家系が途絶えたら、新たな天皇を無理にひねり出す必要もないと思います。

Wikiには「ファラオの一覧」があります。これによれば、紀元前1570年から前1293年まで約3百年続いた第18王朝には14人のファラオがいて、ハトシェプストはその一人です。ツタンカーメンもハトシェプストより後の第18王朝のファラオです。第18王朝最後のファラオのホルエムヘブHoremhebには息子がいなかったので、信頼していた部下の宰相にファラオの地位を譲り、以降、新しい家系でファラオが続くことになって第19王朝が始まります。王位を譲られた男こそラムセス1世Ramesses Iで、エジプト旅行ブログ第二弾の「アブシンベル神殿」を造ったラムセス2世の祖父になります。

Wiki:ハトシェプスト女王葬祭殿
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「エジプト・ルクソールのナイル西岸にある古代エジプトのファラオ、ハトシェプストが造営した葬祭殿。ハトシェプストの側近で建築家センムトSenenmutが設計した。後にトトメス3世によって壁画や銘文が削られるなど一部破壊を受けた。」
(mh葬祭殿はジェサ・ジェサルDjeser-Djeseru、つまり聖地の中の聖地 "the Holy of Holies"、とも呼ばれるようです。)
「手前にメンチュヘテプ2世の王墓があり、葬祭殿と合わせてデル・エル・バハリ(Deir el-Bahri。アラビア語で「北の修道院」の意味。後にコプト正教会の教会として使われていたため)とも呼ばれている。1997年11月、ルクソール事件の現場となり外国人58人を含む62人が亡くなる事件が発生し、その中には多くの日本人新婚旅行者も含まれた。」

実は、この葬祭殿を設計した男センムトはハトシェプストの生涯に、いや死後の世界においてさえ、大きく関係している男です、噂話の領域ですが。その辺りもこれからご披露するYoutubeフィルムで解説されていますのでご確認下さい。
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ハトシェプストの物語はナイル中流の町テーベ(現ルクソール)の対岸から始まる。テーベは政政治・経済そして宗教に関してもエジプトの中心だった。

170年前、若きフランス人シャンポリオンは、ルクソールのナイル対岸にあった、この寺院を訪れた。
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ロゼッタ・ストーンを解析し、エジプト古代文字ヒエログリフを初めて解明した男だ。彼は、この寺院の回廊でミステリーに気付く。

壁に2人の王の絵が描かれていた。一人はトトメス3世だ。考古学者なら誰でも知っている人物だ。ナイル川に沿って点在する他の寺院にも描かれている。
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しかし、もう一人の王は聞いたことが無い名前だ。ヒエログリフでは「ハトシェプスト王」となっている。
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他の王の前で跪(ひざまづ)き、神の祝福を受けている、とても奇妙な構図のレリーフだ。

ここにシャンポリオンが書いた報告書がある。
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「髭を付けている。ミニスカートを穿いている。いずれもエジプト王の典型的な姿だ。しかし、この王の行為は女性動詞で記されている!!!」

シャンポリオンは理解できなかった。これはどういうことだ?
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ハトシェプストは男装しているが女王だったのに違いない!彼女の父親は寺院の背後に聳える崖の向うの「王家の谷」に埋葬されている。ツタンカーメンやラムセス大王も眠る所だ。
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ハトシェプストに関する記録を調べたら父親はトトメス1世であることが判った。

彼女が生まれる数千年前から、ファラオは砂漠の中のピラミッドに埋葬されるのが一般的だった。
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しかし、ほとんど全てのピラミッドでは盗掘が行われていた。
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エジプトは長い間、世情不安と混乱の中にあった。それが今、やっと秩序を回復しつつあった。
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ハトシェプストの父親トトメス1世は自分の遺体や宝物を安全に匿(かくま)う場所を必要としていた。そこで、誰もが棲まない荒廃した谷を埋葬場所に定めた。
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その場所は以降のファラオが墓とし、後年、「王家の谷」として知られるようになる。
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トトメスは野心家で、王になるとヌビア(ナイルの上流で今のスーダン)に侵攻を開始した。ナイルを遡る彼の軍船は何度も激流を乗り越えねばならず、その都度、多くの船が沈んでしまった。
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しかし、彼は苦難を乗り越え、ヌビアの奥深くまで攻め込んだ。今まで、どの王も成し遂げられなかった遠征だった。
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彼はヌビア人の町を征服し支配下におくことになった。
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トトメスには5人の子供がいた。しかし生き残ったのはハトシェプストだけだ。
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彼女だけが血のつながりを持つ子だった。しかし、女は王になれるのか?古代エジプトで王を決める規則は複雑で王室以外の者は知りえない極秘事項だ。
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当時、王宮は多くの小部屋で構成されていた。大勢が一緒に生活していた。
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王は複数の妻を持っていた。正妻、つまり王妃、が一人。その下には複数の后(きさきminor wife)が、さらに多くの妾(めかけconcubine)もいた。彼女らの誰もが、いつか自分の息子が王になる日を夢見ていたのだ。

ハトシェプストは沢山の人々と共にこの宮殿で暮らしていた。彼女は賢かった。もし男だったら何の問題もなく父の後を継いで王になっていただろう。

ハトシェプストが12歳の時、父トトメス1世は死んだ。彼女だけが正統な後継ぎだったがエジプトは国王を必要としていた。そこで彼女は父の后の息子、つまり異母兄弟、と結婚する。彼女の夫がトトメス2世だ。20歳の夫が国王に、12歳の妻ハトシェプストは女王になった。

トトメス2世は体が小さくて脆弱で、病にかかり勝ちだった。そして40代で死んでしまう。
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彼はトトメス1世とは全く異なる目立たない王だった。出兵して他国を征服することも無く、寺院を建てることもなかった。

ハトシェプストはトトメス2世との間に子供を一人もうけていた。娘ネファルレイだ。
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トトメス2世が死ぬと、ハトシェプストは自由の身になる。32歳だった。エジプトの女王だった。そこで彼女はエジプトの女王がそれまで成さなかった事業を始める。自らの葬祭殿の建設だ。死後も崇拝を受けるためだ。
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崖を背景にして直線的な建物を配置した。建物を見たエジプトの人々は見事さに息を飲んだに違いない。古代エジプトでも最も美しい建物の一つだった。
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それまでファラオは戦に明けくれていた。この建物は混乱が収まり安定期に入ったばかりのエジプトから初めて現れた、洗練されたモニュメントと言えるだろう。
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高い芸術性と寺院の神秘性を兼ね備えていた。
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ハトシェプストの輝かしい人生を具現化したものだった。
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20年間、彼女はトトメス2世の下で、控えめな王妃として振る舞ってきた。しかし夫亡き今、父から受け継いだ力を発揮する時を迎えたのだ。この寺院がその表れだ。
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エジプトの石工はファラオの像を沢山残しているが、ハトシェプストの像はそれまでの女性のファラオの像とは異なる。彼女は少しやせていて、若く、活き活きした表情を呈している。
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テーベの南200kmのこの石切り場では歴代の王たちがオベリスクを切り出していた。切り出されずに放棄されたものもある。これはかなり大きい!
(mh奥に見える白い点が人間です。)
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岩盤から切り取るために彫られた溝をみても、作業に多くの時間がかかったことが容易に想像できる。
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ハトシェプストの2つのオベリスクは、7ヶ月で完成した。これをテーベのカルナック神殿に運んだ時の記録が残されている。
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夫々が350トンで30mを越える2本のオベリスクは今も垂直に立っている。
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エジプト人がオベリスクを立てた手法に関する記録は残っていないが、斜面を持つ花崗岩Graniteに載せてから、ロープを懸けて引き起こしたのではないかと考えられている。
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直立しているオベリスクを支持する部材はない。つまり、平な基礎の石の上に柱の石が置かれているだけだ。当時の建築技師の作業精度が高い証拠だ。
彼女のオベリスクの下側には次のように書かれている。
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「父トトメス1世と神アムーンAmonのために2本の偉大なオベリスクを奉納する。」
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石切り場に残っていた1千トンを超えるオベリスクも彼女の手によるものだった。通常の10倍の代物だ!しかし彫り進んでみたら岩に瑕(きず)が見つかったので放棄されたのだろう。
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葬祭殿やオベリスクなどの建築事業を進めるためには、助けてくれる男が必要だった。その男こそがセンムトSenenmutだ。
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ハトシェプストは、娘の家庭教師センムトを彼女の事業の総監督に格上げした。センムトに全幅の信頼を置いていたのだ。センムトは彼女の期待に応えた。その結果、彼はとうとう最高指揮官に昇格する。

彼は60Km南のナイルの岩壁の上に寺院も造っている。鰐(わに)の神に捧げられた寺院だ。
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トトメス2世が死亡した時、ハトシェプストの義理の息子で次期ファラオの権利を持つトプモーセスは幼かった。だからハトシェスプトが女王として統治しても反発は少なかった。しかし、トプモーセスもそろそろ大人だ。彼女が権力の座から降りる時期だった。

考えてみよう。彼女は既に7年間、国を統治していた。素晴らしい体験だった。彼女は掴んだ権力を維持し続けたいと望んでいた。しかし、それには問題がある。義理の息子トプモーセスが結婚したら彼の妻が王妃で、自分は叔母でしかなくなる。彼女の王位は消滅するだろう。どうしたらいいのだろうか?

彼女はエジプト史上、先例がない行動をとる。それまでは先王の后(きさき)として次期の王に指名されていた子供が成長するまで間接的に統治していただけだ。しかし彼女は「これからは私が王だ!」と宣言したのだ!儀式では偽の髭(ひげ)をつけ、王であることを顕示した。
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しかし、実務では女であることを隠さなかった。ハトシェスプトと言う名前も「高貴な女」という意味だ。彼女は先代の王と第一王妃の子供で、王家の血を引き継ぐ唯一正当な子供だった。彼女が統治している時でもエジプトは安定し、繁栄していた。問題は無いはずだ!しかし、義理の息子トプモーセスは彼女を王と認めていたのだろうか?
あらゆる記録は、ティーンエイジヤーのトプモーセスは「幸福と言うよりも絶頂状態にいた」ことを示している!
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彼は軍を指揮することに関心が強く、他国に侵攻して勝利を収めては自分が置かれた地位を楽しんでいたのだ。シリアに攻め込んでヒッタイトとも戦った。

シリアは商業や宗教の要所の場所だ。時代が変わり、エジプトの権威が失われた1世紀以降にはローマがシリアを引き継ぎ、さらに後年には十字軍が大きな要塞を建て、聖地へのルートと貿易を管轄する場所としていた。
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神権政治が行われ、軍や食料、武器弾薬が砦に保管されていた。
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トプモーセスは軍事力によって交易すら管理できることを知っていたのだ。トプモーセスがシリアなど、エジプト周辺に睨みを利かせていたので、ハトシェプストはエジプトでファラオの地位を維持し続けることが出来たといえるだろう。

そこで彼女はパントの統治に乗り出した。ワディハママットと呼ばれる砂漠地帯を150Km行く。
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紅海に出ると、船で900Km南まで旅をした。
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ハントは今のスーダンで、エチオピアとの国境近くにあった。
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土着民が暮らしていた。
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ハトシェプストはハントへの旅行に関する記録を寺院の壁に残した。
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旅はエジプトの歴史で初めての南方遠征となった。
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乳香や水銀などを持ち帰った。
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このような大規模な遠征は繁栄している国だからこそ出来たことだ。これこそがハトシェプストのエジプトだった。

彼女の治世で繁栄していた時代、センムトより大きな恩恵を受けた男はいないだろう。
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ハトシェプストが王になると、彼は彼女の葬祭殿近くの丘に自分の墓を造ることを認められた。
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墓に続く洞窟の壁にセンムトは自分の名を残している。
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そこには彼がハトシェプストの全ての事業の最高責任者だったことが記されている。
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墓の中の通路の片隅に洞窟がある。その奥に彼の遺体は埋葬されていた。
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彼がどんなに大きな権力を持っていたかは、破壊され散乱していた破片を集めて復元した石棺を見れば判る。
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表面には高貴な人物として彼の名が記されている。
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多くの証拠を見る限り、ハトシェプストとセンムトは愛人同士だったことが暗示されている。ハンムトが一生、独身だったこともこの推察を裏付けている。古代エジプトではとても考えられない関係だった。
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もしそうだとしたら二人の関係は秘密にしておかねばならなかった。何故なら片方は女王で片方は実務最高責任者だからだ。しかし、二人が恋人同士だった、もっと確かな証拠はあるのだろうか?

葬祭殿のあるデル・エル・バハリで石工が壁にいたずら書きを残していた。男女がセックスしている!
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女は鬘(かつら)を被っているようだ。ファラオの鬘だ!二人の関係に関する疑念は石工だけのものではなかった。多くの人が2人の仲を疑っていたのだ。

更に別の証拠もある。ハトシェプスト葬祭殿の壁画にはハンムトが何十回も現れてくる!全てハトシェプストを敬う姿勢で描かれている。彼以外には、こんなに頻繁に現れる人物はいない。彼とハトシェプストの関係が特別だったことは間違いない。
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一方、ハトシェプストは彼を全く必要としていなかったと見る少数意見もある。ハンムトは王家の血筋からは全くかけ離れた男だから、と言うのだ。
二人の関係はどんなものだったのだろうか。今もミステリーの一つだ。

アスワンの近くの岩山。
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ここにセンムトが遠征から帰国する途中で描いたものがある。
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ヌビアにハトシェプスト軍が現れたというのは珍しいことだった。だから記録が残されたのだ。探していた絵が見つからないが、しかし、この絵にはハトシェプストが建てた2本のオベリスクが描かれている。ヌビアの指揮官は捕らえられ彼女の前に引き出された、との記載もある。
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ハトシェプスト統治時代の後期、センムトはハトシェプスト葬祭殿近くに埋葬される許可を得ていた。これは王家と関係がない一般的な人物に対しては異常な計らいだった。しかし、ハンムトは一般的な男ではない。女王の愛人だったとしたら至極当然の計らいだ。
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センムトの墓には特徴があった。壁に描かれたハンムトの頬に深いシワがあるのだ。
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センムトが最後に埋葬された部屋だ。
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「死者の書the book of the dead」も引用されている。
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ハンムトの墓の入り口はハトシェプスト葬祭殿から百m以上離れている。しかし玄室は葬祭殿の真下まで掘られた通路の先にあった!
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そして葬祭殿の背後の岩山の向うにある「王家の谷」からは別の孔が葬祭殿の方向に向けて掘られていた。ハトシェプストの玄室だ!
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死後の世界でも永遠に寄り添って過ごそうと考えたのではなかろうか。

ハンムトが死んで数年後、ハトシェプストは後を追うように死んでいる。王家の谷に掘って造られた彼女の墓も普通ではなかった。今、彼女の墓に掘られた洞窟を下に向かって進んでいるところだ。どこまでも下っている!
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この洞窟は探検家カーターによって1903年に発見された。彼がツタンカーメンの墓を発掘する20年前だ。洞窟はとても深く、水も溜まっていて、王家の谷の墓の発掘でも最も苦労が多かった一つだろう。
2ヶ月の洞窟内の通路確保作業の後でカーターは作業を中断した。暑くて、暗くて、蝋燭の灯ではとても作業が出来なくなっていたのだ。そこで当時では進歩的だった電燈を持ち込んで発掘を再開した。しかし、いつまで掘ってもトンネルは続いている!

玄室とするに適当な石灰岩limestoneの層に行き当らなかったから掘り続けたのかも知れない。しかし、とうとうカーターは2つの見事な石棺が置かれた玄室に辿り着く。
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石棺の外面に彫られたヒエログリフで、一つはハトシェプスト、もう一つは彼女の父のものだと判った。
彼女は父の墓から父の棺を自分の墓に移していたのだ!死後の世界でも強い男が近くに居てくれることを望んだのだ。
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ハトシェプストの死後、やっとトトメス3世はファラオに就任した。彼は偉大なヒーローだった。彼が統治した33年間に17回の遠征をした。シリアやチグリス・ユーフラテス川にも出かけている。彼が自由に遠征出来たのもハトシェプストが軍隊を確保し育成していたからだ。
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トトメス3世は寺院やモニュメントの建設には関心がなかった。ハトシェスプトがファラオの時、彼は戦いに没頭し、それで満足していた。ルクソールのカルナック神殿に残された「赤い石の礼拝堂Red Stone Chapel」には二人の関係は双方にメリットがあったことを暗示している。
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解体された壁の一部にはハトシェプストとトトメス3世が並んで描かれていた。
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これを見る限り2人は共存共栄の統治者に見える。実際、彼等は敵同士ではなかった。しかしトトメス3世が王として統治を始めて20年後、心変わりしたかのように、赤い石の礼拝堂は解体されてしまったのだ。
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更には、ハトシェプストの名前があらゆるモニュメントから消し去られてしまった。
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歴史が塗り変えられたのだ。ハトシェプストは存在していなかったかのように歴史から消し去られたのだ。
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エジプトにとって女の王は伝統ではない。女の王を戴かないのが仕来りだ。それが神の指示にも合致するのだ!
しかし歴史は、片方だけに味方することはなかった。
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1870年、一人の偉大な探検家が隠されていた事実を見つけた。一つの墓から1ダースを越えるミイラが出て来たのだ!
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古代エジプトでは王家の谷の墓も安全ではなかった。そこでミイラは一つの玄室に集められていたのだ。
(この経緯は第四弾「王家の谷の不思議」で触れる予定です。)
見つかったミイラはエジプト政府によってカイロ博物館に移された。
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その中にはトトメス1世、2世、3世、ラムセス1世のミイラもあった。
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誰のものか判明していないミイラの中にハトシェプストやセンムトのミイラがあるかも知れない。
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これはハトシェプストかも知れないミイラだ!
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そしてこれがセンムトのミイラかも知れない。頬に独特の深いシワがある!
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2人は今エジプト考古学博物館で静かに眠っている。彼らが望んだように、二人でより添って。
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ハトシェプストの22年の統治は十分な成果を上げることが出来た。貿易も盛んになった。記念碑も建造し、軍事行動でも成果を上げた。しかし、トトメス3世が王位について20年後、彼は何故かハトシェプストの記録を歴史から消し去ろうとした。
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確かに、彼女が王の地位にいたとすると神の命令に従わなかったことになる。ファラオは、戦士で、政治家で、外交官で、なによりも男でなければならない。女のファラオの存在は消しておかねばならなかっただろう。
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彼女が犯した罪は、女が王になったということだけだ。エジプトで最も高いオベリスクはハトシェプストがカルナック神殿に建てている。
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最も美しい寺院はハトシェプストが建てた葬祭殿だ。
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The Great Egyptians - Hatshepsut: The Queen Who Would Be King
https://www.youtube.com/watch?v=L01bDlX5pTA
(完)

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