Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

アブシンベル神殿の不思議

ブログの題は「ナセル湖の出現で埋没する運命となった寺院群の救済運動;アブシンベル神殿、アマダ神殿、カラブシャ神殿、等」とした方が正確なのですが、お役所や裁判所の書類名のような長たらしさで皆さんに敬遠されるといけませんから、Youtubeフィルム「Monster Moves: Abu Simbel temples:モンスターの移動:アブシンベル神殿s(s:神殿は1つではありません!)」を参考に「アブシンベル神殿の不思議」とさせて頂きました。

次の写真はGoogle Earthでみつけたもので、右が小神殿(The Small Temple)、左が大神殿(The Great Temple)です。英語ではTempleの後に「アブシンベルに在るat Abu Simbel」を付け、The Great Temple at Abu Simbelなどと呼びます。いずれも紀元前13世紀にラムセス2世Ramesses IIによって建てられました。
01301.png
次の写真は60年前のものです。寺院の場所は今(上の写真)と全く違うんです!!!
01302.png
今回のブログのもう一つの主役のナセル湖Lake Nasser、脇役のカラブシャ寺院The Temple of Kalabsha (also Temple of Mandulis)、アマダ寺院The Temple of Amada、イシス寺院Isis Templeの位置関係をGoogle Earthでご紹介しておきましょう。
地図は都合で右側を北(ナイル下流、地中海側)としています。
01303.png
アスワンダム付近拡大図
01304.png
アスワン・ハイ・ダムで生まれた大きな貯水池のナセル湖は、最大長550Km、最大幅35Km,最大水深180mです。ソ連の支援を受け、1958年に着工、1970年に完成しました。つまり、45年前の話が今回のブログのテーマです。なお、ハイダムの約10Km下流にあるアスワン・ロー・ダムはイギリスの援助で1902年に完成しています。

ナセル湖によって18の歴史的な寺社・教会が水没する運命と決まりましたが、ユネスコなどの支援により、アブシンベル神殿を含むいくつかの遺跡は移設され、難を逃れました。この遺跡保護活動が世界遺産の魁(さきがけ)になりました。

今回は、寺院がどのように水没を逃れたのか、Youtubeフィルムからご紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ラムセス2世(注)が統治していた時代に造られた神殿・・・
01305.png
(注:ラムセス2世(Ramesses IIラムセス大王):紀元前1314頃―紀元前1224年、古代エジプト第19王朝ファラオ)

神殿の入口は注意深く、ある方向に向けられていた。
01306.png
1年に2回、2月22日と10月22日、太陽の光は神殿の一番奥の神聖な場所に差し込んで神々を照らすのだ。その瞬間に立ち会おうと多くの観光客が押し寄せる。
01307.png
しかし、1960年、この現象は見ることが出来なくなった。数千年の繁栄の歴史はナイルのおかげだ。しかし、そのナイルによって、寺院は大きく変貌しようとしていたのだ。
長さ4kmのダムで大きな貯水池Reservoirを造り、水力発電によってエジプトの更なる繁栄をもたらそうという計画が動き出したのだ。ダムは灌漑や洪水対策でも期待されていた。

貯水池ができると20もの遺跡が水没する。人類の重要な資産をなんとかして守らなければならない!
最も規模が大きな遺跡はアブシンベル神殿だった。
01308.png
神殿入口の像は高さ33mだ。
01309.png
入り口を入ると通路が岩山の奥に続いている。
01310.png
壁や天井はヒエログリフで装飾されている。最も奥の神聖な場所Holy of Holiesにはラムセス2世と、彼が崇拝する神々の像の合計4体が並んで座っている。
01311.png
1年に2回、通路から差し込む日光が一番左の「地下の神」を除く、太陽の神・ラムセス2世・月の神、の3体を照らす。
01312.png
これらの条件を確保しながら寺院を移設するのは難題だ。そこでエジプト政府は国連に支援を要請した。
01313.png
50カ国の技術者たちが救済方法の検討を始めた。
一つの案は水に沈んだ状態で透明のカプセルで寺院を保護するものだった。
01314.png
見学客は水上の展望台や、水中エレベータで寺院を観賞する。
01315.png
しかし水で岩が脆化し、将来、崩壊が起きる危険がある!

結局、寺院を水のない場所に移すしかないとの結論になった。
水面上昇は60mと見積もられていた。そこで、油圧ジャッキで現在の神殿の状態を保ったまま、65m持ち上げる案が提示された。
01316.png
何度かに分けてジャッキで段階的に持ち上げるのだ。しかし工事途中で崩壊するリスクは大きい!
01317.png
25万トンを持ち上げる作業も大変だ!

ジャッキの代わりに水の浮力で浮かぶ大きな筏に寺院を載せて他の場所に移す案も出た。
01318.png
しかし、寺院が完全に浮きあがる状態になるまでの6年間、波などで筏が変則的に揺れ、寺院が損傷する可能性があった。

いろいろ検討した結果、技術者たちは最も現実的な答えに行き着いた。寺院を幾つもの小さなブロックに切断し、搬送し、今より65m高くて、川から200m後退した場所に組み立て直すのだ。この案は考古学者達を脅かした。つぎはぎだらけの惨めな姿になるのではないか、切断で像やヒエログリフが大きなダメージを受けるのではないか。
01319.png
しかし、この案で進めることが最終決定された。移設後も、寺院が岩山に覆われた姿を確保することも実施条件に加えられた。

1964年始め、スウェーデン、イタリア、フランス、ドイツ、エジプトを中心に2千人の国際的な技術集団が寺院の解体に着手した。
01320.png
最大の課題の一つは、地上20mにある重量30トンのラムセス2世の頭を切断し再組立てする方法だった。
01321.png
技術者たちは重量が実物の1/3のモデルを造って解体方法を確認した。
01322.png
作業の様子を現代の専門家に再現してもらおう。
これは今回デモ用に造ったラムセス2世の頭部のモデルで、当時のモデルと同じ大きさだ。
01323.png
これを切断し、持ち上げて移動し、再組立てする、という3つの工程にトライする。使う道具や技術は1960年当時のものだ。
当時の検討結果によれば、神殿をすべて同一寸法のグリッド状に切断すると問題が大きかった。
01324.png
例えば目や喉の部分を切断すると、後で切断部が目立ち、切断時に石が欠ける可能性も高い。
そこで、損傷を最小限にすることを重視して、異なる寸法のブロックに切断することになった。
01325.png
外部にある像だけでなく、内部の床や天井、ヒエログリフなどがある壁も切って移さなければならない。
01326.png
結局5千か所で切断し、1050個のブロックにすることになった。
01327.png
寺院移設後も、山全体が再現されている必要もあった。
(次の写真で、丘の頂上あたりには人間が立っています!)
01328.png
あと6ヶ月で水は足元までやって来る。少しでも工期を延ばせるよう、水の防御柵を建てた。これで40日位は稼げる。
01329.png
寺院内部の移設では天井の上の岩を取り除く必要があった、でないと岩山の中に造られている回廊や部屋の天井、壁などを切り取ることができない!
33万トンの岩山の岩をダイナマイトで取り除いたら寺院の天井や壁に損傷が出る。そこで、スティール・ワイヤーやチェーン・ソーを使って岩をスライスしていくことになった。
01330.png
寺院の上の岩山を削り取るのには500人x7ヶ月の工数がかかった。
像の切断では岩が欠けないよう、切断箇所に特殊な包帯(バンデッジ)を接着固定することにした。
01331.png
現代のチームが当時と同じ方法で作業をする。まず、切断位置に包帯を巻く。
01332.png
切断ではチェーン・ソーを使わない。切断幅が大きくなる上に切断振動で岩が欠けやすいからだ。代わりにハンド・ソーを使う。鋸(のこぎり:ソー)の厚みは8mmだ。
01333.png
鋸で切断する時は、最初の切り込みを正しく入れることが肝心だ。最初が上手くいけば、後は力仕事で決着がつく。
01334.png
実際のアブシンベル神殿で行われた切断長さは合計で10Kmだ。9ヶ月を要した。
01335.png

現代のチームも苦労していた。鋸の刃がすり減ると切断速度が落ちる。定期的に歯を研ぐ必要があった。
01336.png
これは今のアブシンベル神殿だ。勿論、移設後のものだ。
01337.png
「私は40年前、ここで切断作業の監督をしていた。ここだ、切断の跡が微かに残っている。」
01338.png
「当時、天井だってハンド・ソーで切断していたんだ。レリーフやヒエログリフがある天井や壁は特に注意深く作業する必要があった。」
01339.png
「どこを切ればもっとも損傷が少ないかにも、配慮しなければならなかった。」
01340.png
「結局、切断後のブロックの数は千を超えた。一番大きなブロックは30トンだった。」

アブシンベル神殿と同じように移設が必要な寺院はあと18もあった。
01341.png
カラブシャKalabsha寺院もその一つだ。共和制ローマの支配下だった紀元前30年頃に完成した。ブロックを組み上げて造られた寺院なので移設は易しそうだったが、問題は、ナイル川の氾濫で1年のうち9ヶ月も水に浸かっていたため石が脆(もろ)くなっていたことだ。普通の方法では難しかった。
01342.png
この寺院の移設ではドイツ人が活躍した。
彼等は水が寺院の周りに溢(あふ)れて来るのを待って、ボートで接近し、寺院の上の部分から、少しずつ解体した。
01343.png
解体したブロックは50Km離れた島に運び、そこで組み立て直したのだ。
01344.png
5万を超えるブロックの解体・移設・現地組み立ては大変な作業だった。
01345.png
しかし、結果は大成功だった。現在、カラブシャ寺院はアスワン・ハイ・ダムの近くの島に在る。
01346.png

アブシンベル神殿の切断作業は信じられないほど過酷な作業だっただろう。我が現代のチームは交替しながら作業しているが、そろそろ夕方だというのに1mくらいしか切断出来ていない。
01347.png
切断が進むと顔が前に倒れ落ちる心配がでてきた。支えを取付けてから作業を再開する。
01348.png
12時間後、やっと切断し終えた!
01349.png
神殿の切断には500人x9ヶ月かかっている。作業に連れて効率は上がったはずだが、それにしても大事業だったことが判った。しかし、事業はまだ終わっていない。次のチャレンジは切断済みのブロックを移動し、組み立て直すことだ。

アブシンベル神殿から80km離れた所ではフランス人技術者がアマダ寺院の移設に取り組んでいた。
01350.png
内装がとても美しく、分解して運ぶのは不適当だった。
01351.png
そこで支持材部材を寺院の周囲に取り付け、高張力鋼バンで全体を縛って補強した。
01352.png
その後、下にコンクリートのビームを差し込み、持ち上げたら車輪ユニットを下にセットする。
01353.png
そして線路に載せ、後ろからジャッキで押して移動した。
01354.png
(mh:確か、この方法は日本でも明治時代の建物を移設する方法として使われ、その状況がTVで実況されていたのを見た記憶があります。いつ頃の話か全く覚えがありませんが、30年程前でしょうか。)
01355.png
2.5Kmを移動し、25m高い所まで移すのに3ヶ月かかった。
01356.png
次の写真は現在の様子です。
01357.png
寺院の内部のレリーフ
01358.png

アブシンベル神殿では最後の切断段階だった。特に難しいのは複雑な形状をしたラムセス像の顔のブロックの移取り外しだ。クレーンから垂らしたストラップ(紐)をブロックに懸けて吊り上げるとストラップが当たる所で岩が欠ける危険があった。
01359.png
技術者はこれを避ける好い方法を見つけた。2本のスチールを顔のブロックに埋め込み、このスチールをクレーンで引き上げるのだ。
01360.png
現代のチームもおなじ方法でやってみた。上手くいく!
01361.png
1965年10月10日、現地では最初のブロック取り外し作業が始まっていた。
01362.png
取り外しを終えたブロックはトラックに載せられ、注意深く運ばれた。
01363.png
この作業は何千回も繰り返された。
01364.png
保管サイトは坂道を800m走った所だった。最終移転先は保管サイトの近くで、元の場所からは約200m離れていた。
01365.png
保管サイトでは各ブロックはクレーンで操作され、整然と配置された。
01366.png
どこから切り出したブロックか判るよう、各ブロックには番号が付けられた。
01367.png
1966年4月、最後まで残っていた巨像の足が運びだされた。
01368.png
その4ヶ月後、ナイルの水は元の寺院の跡を覆い尽くした。
01369.png
一先ず安心できる状態になった。しかし、まだ仕事は残っている。新しいサイトでの組立だ。
01370.png

ナセル湖で沈む寺院の救済で最後になったのはフィラエ島の寺院だった。
01371.png
既に水に消えようとしていた。
01372.png
女神アイセスIsisを祀った神殿だ。(下は現在の様子です)
01373.png
Wiki:イシス (Isisアイセス) は、ナイル川デルタ地帯のブシリス北方のペル・ヘベットの女神で、豊かなナイルの土壌を表す豊饒の女神。フィラエ神殿は、エジプト南部、アスワン近郊のヌビア遺跡で女神イシスを祀っている。アスワン・ロー・ダムの建設(1902年)で、既に半水没状態だったが上流のアスワン・ハイ・ダムの建設を機にユネスコにより1980年、フィラエ島からアギルキア島に移築、保存されることとなった。現在はアギルキア島をフィラエ島と呼んでいる。
01374.png
この寺院を救済するため、技術者たちはまず寺院を保護塀で囲んだ。
01375.png
そして塀の中の水を抜いてから解体したのだ。
01376.png
しかし、保護塀は主殿の解体だけに適用され、主殿から離れた場所の遺跡は水の中に沈んだままだった。その遺跡の中には島に入る入口の「ローマ門」もあった。
これが移設後の門だ。
01377.png
現地で解体する時は既に水没していた。
下の写真はGoogle Earthから見つけたものです。
01378.png
水没した遺跡は泥で覆われていた。そこで高圧空気で泥を吹き飛ばし、仕上げは真空クリーナーで泥を吸い取って取り除いた。作業中は水が濁り、目は役に立たず、10本の指が目の役目をした。
水中でハンマーとチゼルで遺跡を0.5トン以下の重さのブロックに分解した。
01379.png
そのブロックに浮き袋を付けて水面まで浮かび上がらせた。
01380.png
浮き上がってきたブロックをクレーンで船に移した。
01381.png
450個のブロックを切り出し、船に積んで運び出す作業には6ヶ月かかった。

1966年1月、新しいサイトでアブシンベル神殿の復元組立が始まった。
01382.png
組立と並行して技術者は寺院を収容する山の手配を始めた。
01383.png
寺院の上に山を積み上げるのは厳しいチャレンジだ。
01384.png
岩の重量で組み立てた寺院のブロックの位置がずれたり、倒れたり、破損したりする危険がある!
01385.png
これを回避するため、寺院全体を巨大なコンクリート・ビームのドームで覆うことにした。
01386.png
大きなドームは300もの連結部材で補強された。
01387.png
ドームが完成すると、その上に岩を積んで、以前と同じような岩山の外観を創り上げた。
01388.png

01389.png
ラムセスの顔のブロックを頭に固着する方法は素晴らしいものだった。セメントを接着剤に使うと、経時劣化して顔が剥がれる恐れが高い。
01390.png
そこで、まず、L字形のカウンター・ウエイト用コンクリートブロックをスチール棒で顔のブロックにがっちりと固定した。
01391.png
頭には、L字形のブロックがピッタリはまる溝を加工しておく。
01392.png
そしてクレーンで吊り上げた顔のブロックを注意深く溝に嵌めていく。
01393.png
クレーン作業には神経を使った。ブロックを壊さないようにしながら元の位置にピッタリ嵌め込まねばならない。次の写真が実際の作業の様子だ。
01394.png
このような細心の注意が必要な作業が1年7ヶ月続き、組立は完了した。
仕上げは切断部などを漆喰で隠して目立たなくすることだった。
01395.png
解体に着手して4年半後の1968年10月31日、計画より20ヶ月も早く作業は完成した。
01396.png
誰もが願ったように、アブシンベル神殿は以前の輝きを取り戻した。
01397.png
それはまるで昔からそこにあったかのような出来栄えだった。ラムセス2世も満足しているだろう。
01398.png
2月、太陽の光が寺院内に差し込んできた。
01398a.png
光りは3千年前と同じように通路の一番奥の3つの像を照らした。
01398b.png
これから先、何世紀もの間、この奇蹟は起き続けるだろう。
Monster Moves: Abu Simbel temples
https://www.youtube.com/watch?v=2SxLufRZr4c
(完)

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する