Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

インドの不思議:補足

インドの不思議:補足・修正
                  ’14年1月18日 Mystery Hunter
私の大作『インドの不思議な質問』の論文ブログを読んでくれた奇特な方からコメントを頂いたので私の感想も付記してご紹介します。
(実は、読んでくれる人は少ない、と踏んで、予めいろいろな伝手を使って、読んでくれるようお願いしておいたのです。仲介してくれた人、読んでくれた人には大変感謝いたします。また、もうひと方からも読んだよとの連絡も頂きありがとうございました。)
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<読者X氏>
仏教でいう「仏」とは、普遍の真実の道理に目覚めた者:悟った人という事です。
成仏とは、人が修業をして仏になる~ということです。
一神教でいう「神」とは違うように思います。
このことの理解を助けてくれる書物に
 ☆『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎・大澤真幸著
      講談社現代新書 2100円  
その本の帯には、日本人の神様とGODは、何が違うか?とあります。

<Mystery Hunter:私です!>
インドの不思議をまとめている時から、神と仏の差がいまいち不鮮明でした!

Wiki(神)で仏教の中の神について調べてみました。
仏教は、本来は神のような信仰対象を持たない宗教であった。
原始仏教は煩悩から解放された涅槃の境地に至るための実践の道であり、超越的な存在を信仰するものではなかった。
現在は神と同じ様に崇拝されている開祖のゴータマ・シッダルタも、神を崇拝することを自分の宗教に含めず、また自身を神として崇拝することも許さなかった。
時代が下るにつれ、ゴータマらの偉大な先人が、悟りを得たもの(仏)として尊敬を集め、崇拝されるようになり、仏教は多神教的な色彩を帯びていく。(以下省略)

Wiki(仏の一覧)で調べてみました。
本来、「仏」とは、仏教における最高の存在であり、悟りを開いた者である仏陀(如来)とする(狭義の仏)。しかし後に、仏陀に準ずる存在で悟りを開こうと修行している菩薩、密教特有の尊である明王、天部の護法善神などを含めた、仏教の信仰、造像の対象となる尊格を、広義の解釈として「仏」と総称するようになった。・・・

仏の一覧によると次の通りです。
1)如来部
  釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、五智如来(含:大日如来、盧舎那仏)、他
2)菩薩部
  金剛総持(そうじ?)、金剛薩埵(さった)、観音菩薩(含十一面観音他)
  文殊菩薩、普賢菩薩、他
3)観音部
  観音菩薩、他(過去現在未来で呼び名が異なるようです。山ほどいます!) 
4)明王部
  五大明王(含:不動明王)、孔雀明王、他
5)天部
  四天王、梵天、帝釈天、弁財天、大黒天、韋駄天、他
6)開祖・高僧
  十大弟子(仏陀直属のアーナンダ、シャーリプトラなど)、羅漢、他
7)垂迹神(すいじゃくしん)
  秋葉権現、熊野権現、他
8)その他
  麻耶夫人、他
羅列された仏を全て数えてみると、とも思いましたが、多すぎるのでやめます!

やっぱり、神と仏の差はわかるような、わからぬような・・・

X氏によると「ふしぎなキリスト教」の本の帯に、日本の神とGod(基督?)の違いが書いてあるとのこと。帯を見るだけならタダですから、直ぐに調べてみましょう。
大きな本屋しか置いてなさそうな本です。帯だけでは判らないなら立ち読みすることになりますが、キリスト教にもミステリーが沢山ありますから買う必要もでてくるかも。直ぐ思いつくところではモーゼが海を割いて逃げた(割いたのは神でしょうが)、とかノアの箱舟とか。その他にも神話と呼べそうな不思議が山ほど聖書には詰まっているでしょう!

<読者X氏>

自力本願とありましたが、他力本願もあります。
自力本願の代表とも言うべき禅は、・・・・(以下省略)
(X氏は禅をやっているようです!)
しかし、明治政府は・・・・・・明文化する必要が生じました。
そのため、道元禅師の「正法眼蔵」は、仏の教えをどう受け取るべきかを、懇切丁寧に説法したものですので、明治時代になって「修証義」としてコンパクトにまとめられました。 ☆「正法眼蔵」を読み解くー書と共に味わう「修証義」         編著:中野東禅  発行:一粟社 発売:心交社

他力本願については☆「他力」 五木寛之著 講談社、にあるように「目に見えない自分以外のなにか大きな力が自分の生き方を支えている~という考え方なのです。 目に見えない大きな宇宙の力と言ってもよく、大きなエネルギーが風のように流れていると感じるのです。

<Mystery Hunter>
ネット辞書で他力本願を調べました。
たりき‐ほんがん 〔‐ホングワン〕 【他力本願】
 1 《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。
 2 《誤用が定着したものか》俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。

私は、はなから他力本願の意は2だと思っていましたが、阿弥陀仏が絡んでいるなんて驚きです。
しかし、1にしても、自分の力ではなく、阿弥陀仏が本願して(悟って)くれることにより自分が救済される、ということのようなので、結局2と同義のように思われます。これがなぜ誤用と呼ばれるのか?理解する力はありません。

この解釈よりもX氏が紹介してくれた五木寛之氏の解釈の方が価値がありそうですね。

(補足・修正:完)
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