Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

エジプトの失われた都市

今回はBBC Learning Channelから「Egypt’s Lost Cityエジプトの失われた都市」をお送りしましょう。

極東の島国で暮らす仏陀崇拝者mhが、ブログの題を「ネフェルティティNefertitiの秘密」とか「ツタンカーメンの秘密」にしようかと悩む程、今回のフィルム「エジプトの失われた都市」はミステリーだらけです!エジプト考古学者には疑問を挟む余地がない常識なのでしょうが「えぇ?そんな話があったの?!それって本当なの??」ってなくらいに不思議な事件が、あのツタンカーメンの一族に起きていたのです!

思えば、その前触れはブログ「王家の谷の不思議」に現れていました!鉄格子の扉が開いているのがツタンカーメンの墓の入口です。
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真鍮の銘板には「TOMB OF TUT ANKH AMONツツ・アンク・アモンの墓」とあります。その奥で列なす観光客はラムセス6世の墓を見学しようとする人達で、片やツタンカーメンの墓の扉の向うには観光客は一人も写っていません!ツタンカーメンの墓で見つかった宝物は、他のどの墓の宝物も足元に及ばないのですが、どの墓よりも小さく、壁の装飾も貧弱で、黄金がカイロ博物館に持ち去られた今となっては関心が薄れているのです!!!

どんなにつまらない墓であろうと、ブログでツタンカーメンの情報を調べ上げたmhとしては10月の旅行で必ず見たいスポットでしたが、それが叶わぬ事態になりました。本日8月15日に旅行社から届いたメールに「予定していたツタンカーメンの墓の見学は、エアコンの修理で不可能になり、代わりに彼の墓の発見者ハワード・カーターの家を見学することにしたので了承してほしい」とあります!!!真に残念ですが、お釈迦様も仰るように、ならぬものはならぬ(?)ということで、涙を呑むほかありません。

緊急追記(10月16日)
今日、午後22時20分に成田発カラール航空で中東のドーハ経由ルクソールに出かけます。横浜はあいにくの小雨ですが、移動には問題ありません。ところで、お聞きかと思いますが、カイロ博物館の呼び物、ツタンカーメンの黄金のマスク、は今回は公開されていない見込みです。マスクに付いていた髭が、博物館の作業員のミスで落下し、接着剤で付け直して誤魔化していたのですが過剰な接着剤が髭にこびり付いてこれを修理するためのようです。代わりにミイラ展示室(有料)を無料で公開してくれるようですが、残念です。ブログ「ツタンカーメンの呪い」は事実だったのか!!!としたら今回、ツタンカーメンの墓を見ることができなくなったのも含めて、ラッキー!と言わねばなりません。ミイラ展示室ではラムセス2世とお会いしてくるつもりです。
なお、今回のブログのヒーローでもあるネフェルティティですが、彼女の墓かもしれない小さな部屋が王家の谷のツタンカーメンの墓で見つかったようです。地中レーダーにひっかかったようですね。ネフェルティティの墓かどうかは全く推定でしかありませんが、彼女はツタンカーメンの女房で、ファラオにもなり、実はツタンカーメンの実母の可能性もあるようで、全く神秘な女性です。
(追記完了)

ところで、ツタンカーメンの墓が、こんな結果、つまり、あんなにも有名なツタンカーメンの墓が、観光客の関心は少なく、みすぼらしいのは、お釈迦様も仰るように因果応報で、原因はあるのです。彼の名もそれを暗示しています。ツタンカーメンの名は当初「tut-ankh-atenツツ・アンク・アテン」(アテンの現世の姿)でした。これが「tut-ankh-amonツツ・アンク・アモン」(アモンの現世の姿)に変わったのは父アケナーテン(アメンホテプ4世)が死んだ後です!

ツタンカーメンの父アケナーテンAkhenatenとはどんな男だったのか?
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父アケナーテンAkhenatenが死んだ後、息子ツタンカーメンの改名は誰の意思で何故行われたのか?
アテンatenとは?アモンamonとの違いとは?

さらに、父王アケナーテンにはミステリーに富んだ王妃がいました!妃(きさき)は5人ですが、筆頭が「ネフェルティティNefertiti」で、古代エジプト三大美女の一人と言われています。
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mh:古代エジプト三大美女は「クレオパトラ」「ネフェルティティ」「ネフェルタリ(ラムセス2世の正妃)」と言われているようです。話は変わりますが、世界三大美女と言えば「クレオパトラ、楊貴妃、小野小町」のようですが、小野小町を挙げるのは日本人だけで、外国では代わりに「ヘレネ(ギリシャ神話の女神)」を挙げるようです。しかし、どんな根拠で誰がこの3人を選んだのか。はなはだ怪しい美人番付であることは賢明な読者なら既にお気付きでしょう。そうです、世界三大美女などと言ってはしゃぐのは日本人だけです。多分、古代エジプト三大美女を唱え出したのも日本人で、このような、証拠も、根拠も、埒すらも無いことを話題に上げて騒ぐ国民は日本人しかいない!と思って間違いないでしょう。

で、恐らく日本人が選んだエジプト三大美女、世界三大美女ですが、これらの美女に共通する条件は何だと思いますか???綺麗だった、というのは概ね正解だとは思いますが、もっと明確で定量的(!)で、誰もが納得する事実があります。

不思議な質問「エジプト三大美女、世界三大美女」に共通する美女の条件とは?
mhが気付いた答えはブログの最後でご披露いたしましょう。

ところで既出のネフェルティティの胸像ですが、ドイツの博物館の所蔵品で、ベルリンの壁崩壊直後にベルリンを訪れたmhは、直接お会いしていました!当時は古代エジプトに関心はなく、知識も持ち合わせていなかったので、仕事の合間にぶらっと入った宮殿のような造りの博物館で偶然お会いして「綺麗な像だなぁ」ってな位の感想しかなく、たった今までお会いしたことすら忘れていました!彼女の左目は、瞳(ひとみ)が描かれずに真っ白です。あまり完璧だと不自然だから欠陥を一つ残した、といった思わせぶりな理由ではないようです。この点も含め、彼女の不思議についても今回のブログでご紹介していますのでご確認下さい。

いつものように長~い前置きはやっと終わり、いよいよ「エジプトの失われた都市」の始まりです。
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カイロの数百マイル南で発見された町・・・(1マイル≒1.6Km)
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その町から少し離れた崖の、王家の墓に描かれた壁画・・・
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この町は、かつて、偉大なエジプト帝国の首都アケターテンAkhetatenだった。今はアマーナAmernaと呼ばれている。
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何が起きたのか?なぜ、ほとんど全てのものが失われてしまったのか?
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前世紀(19世紀)、ナイルの中流、カイロやルクソールから数百マイルはなれたアマーナAmarnaの砂漠で古代都市の跡が発見された。不思議な都市だった。
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都市の大半は今もこの砂の下に埋まっている。
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この都市が何だったのかは、都市の東の岩壁に残された墓が教えてくれる。
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墓の壁には他の遺跡で見られないレリーフがある。写実的な人物の姿だ。服装から明らかに王ファラオだ。
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しかし、王の顔も、王妃の顔も、削り取られている。
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彼らの名前すら消されている。
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しかし、壁に彫られている太陽のデザインはどこかでみたことがある。そう、ツタンカーメンの墓で見つかった黄金の玉座の背もたれにあった太陽の形と同じだ!
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玉座に刻まれたツタンカーメンは裸で、体の表現もリアリスティックだ。古代エジプトでは見られなかった表現手法だ。
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アマーナで見つかった3人の像も類似性がある!ツタンカーメンと両親かも知れない!
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ミステリーに包まれた王と王妃の像はアマーナの墓だけに残されている。
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これが王アケナーテンだ!
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そしてこれが妻のネフェルティティだ。世界でも最も美しい女性の一人だ。その上、パワフルだった。
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レリーフの彼女は、棍棒で敵の頭を撃ち割ろうとしている!
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男のファラオ(王)だけがすることだ。彼女は普通の女王ではなかった。権力を持っていたのだ。

アケナーテンとネフェルティティは紀元前14世紀の中頃、二人でエジプトを支配していた。
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それはツタンカーメンが王位に就く20年前に始まったことだった。二人は重大なことをなした。しかし、存在していなかったかの如き扱いを受けている!

ルクソールから60マイル北のアビドスAbydosに残るセティ1世Seti Iの寺院
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(mh:セティ1世は在位が紀元前1294年 ~紀元前1279年で、アケナーテンから約50年後のファラオです。)

寺院の壁には歴代の王のリストがある。しかし、本来ここにあるはずのアケナーテンやネフェルティティの名は痕跡すら見当たらない!
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実は、2人を歴史から消し去るキャンペーンが行われていたのだ!
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ネフェルティティの顔も削り取られている。
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アケナーテンがしようとしていたことは人々にとって恐怖に満ちたものだったからだ。
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それは2人が信仰していた神と関係がある!
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アケナーテンもネフェルティティもテーベ(現ルクソール)で暮らしていた。南のスーダンから北のシリアまでを版図とした彼等のエジプト帝国は偉大な力を持っていた。
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首都テーベには帝国の歴史でも重要なカルナック神殿がある。
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バチカンより広い敷地と、バチカンより3千年以上も古い歴史を持つ寺院だ。
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人民を代表して、王は祈祷師と共に神に祈りを捧げていた。

エジプトの宗教はPolytheism(多神教)で、沢山の神々がいた。中でも重要な神アムンAmunは豊穣と創造の神だ。2枚の羽根の冠を付けている。
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mh:アムンはAmun, Amun-Ra, Amun-Re, Amon,Amenなどと表記されます。英語版Wikiによれば「King of the gods and god of the wind神々の王で風の神」で、普通、2枚の羽根または2本の羊の角を頭に付けて描かれます。

アムンの像を載せ、船でナイルを渡る御幸は、昔から重要な年中行事だった。
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しかし、紀元前1353年頃にアケナーテンが王に就くと、アムン崇拝は打ち切られた。
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彼はアムン神を放棄し、異なる神を敬うことにしたのだ!
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アテン神Aten、丸い太陽Sun Discだ!数千年前、ピラミッドが造られた時代に敬われていた神でもある。
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ルクソールのカルナック神殿にはアムンAmunを祀る建物がある。そこで跪(ひざまづ)いてアムンを讃える王の姿もレリーフに残されている。しかし、このアムン信仰は、太陽神アテンAtenを崇拝するアカナーテンにとっては遺棄すべきものだった!

実は、彼の父アメンヘテプ3世もアテンAtenに傾斜していた。証拠が残っている。ナイルを挟み、首都テーベの街並みとは反対の西岸にあるアメンヘテプ3世の巨像だ。
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数キロ離れた石切り場で採取された特殊な石で造られている。当時、この像は金色に塗られて光り輝いていた。それは、あたかも自分が太陽の息子だと示しているようだった。テーベの住民は朝の光を受けてナイル対岸で輝く王の像をみて一日を始めていたのだ。
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治世5年目、アケナーテンは首都テーベを見捨てることを決意する。「アムンを讃えるカルナック神殿の町を、アテンを敬う我が町とすることは出来ない!」
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彼は、アテン神に相応(ふさわ)しい神聖な都市を新たに造ることにし、テーベThebesで船に乗ると、ナイルを下り、メンフィスMemphisとテーベThebesの真ん中あたり、テーベから270Kmの岸部に降り立った。今ならAmarnaアマーナと呼ばれる地だ。
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住民は今もナイル西岸に広がる肥沃な平地で暮らしている。
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東岸は砂漠で、その更に東には、ナイルに沿って砂漠を挟むように岩壁が走っている。
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こんなところにエジプトの首都を建てようなどと誰も夢にも思わない所だ。しかし、まさにこの地にアカナーテンは新しい首都を造ったのだ!テーベから新たな町アケターテンAkhetaten(今のアマーナ)への遷都に人々は驚いたに違いない。

アケナーテンは新天地アマーナの岩壁にアテンのシンボルを刻んだ。「この地こそ太陽神アテンにふさわしい!」
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このシンボルの下には経典Textも刻まれている。「王はここにアテンが生まれた場所を見いだした!金銀で装飾された馬車に乗る王がこの地を栄えさせるであろう。」
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何故、アケナーテンは、ここがアテンの生まれた所だと信じたのだろう?元々この地には何もなかった。神と繋がるものなど何も無かったはずだ。なぜ!

彼はあることに気付き、確信を持ったのに違いない!

エジプト人は太陽が地平線から昇る場所を「アヘ」と呼んでいた。丸い太陽Sun Diskが昇る2つの峰の間だ。
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アマーナの平地の東には岩壁がそそり立っている。その岩壁に昇る太陽をアケナーテンは見たに違いない!
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彼は新しい町を「アケターテンAkhetaten太陽が昇る地平線」と名付けた。今のアマーナAmarnaだ。

数千年間、砂に埋もれていた町アケターテンでは、今発掘が進んでいる。
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中心にはアテン神殿があった。
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神殿に隣接してパレス(宮殿)が造られた。
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アケターテンは永い間放置されていた。しかし現在、近くでは大勢の人が暮らしている。
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神殿やパレスは廃墟と化したが、川向うを中心に、今も昔の通り庶民生活が続いているというのは皮肉だ。
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中世にアラブから移った人もいるが多くは昔からの土着民だ。当時の生活の様子はアケナーテン寺院の壁のレリーフに残っている。
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人々は賃金の代わりにパンやビールを受け取っていた。
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ナイルは今も人々の生活を支えているが、古都にも水はあった。大きな共同井戸の跡が残っている。
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ここは彫刻家トトメスの家の跡だ。とても広い!
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今世紀(20世紀です)初め、まさにこの部屋で考古学者がネフェルティティの胸像を見つけた。
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それはアケナーテンが生んだ芸術の集大成と言えるものだった。
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像は3千年以上も砂の中で眠っていた。左眼が完成していない。はめ込まれていた石英が落剥したと考えられているが、付近で見つかっていないので、本当のところはわからない。

これは王宮の跡だ。当時、壁は全て壁画で覆(おお)われていた。今、復元作業が進んでいる。
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壁画で飾られた王宮の部屋は、外部と隔離する中庭に続いていた。
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しかし、最も保存状態が好いのは王宮や町から離れた所に造られた墓の内部だろう。
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執政官アイだ。王妃ネフェルティティの父で、ツタンカーメンの死後、王位を継ぐ男だ!
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ハイライトは宗教経典だろう。アケナーテンが太陽神アテンに傾倒していた証(あかし)だ。
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驚くべきは、その内容だ。
O living sun disk,thou art beautiful,great,glittering…
生命のある太陽よ(mh太陽は日食時以外は丸いのでDiskディスクと形容されたのでしょう)!
汝は美しく、偉大で、輝き・・・
When thy movements fade,the land is in darkness…
汝が空を渡って彼方に沈む時、大地は暗闇と化し・・・
every lion is out of his den
全てのライオンは自らの巣穴を出でる。

これがヘブライ聖書(旧約聖書)に似ている!ヘブライ聖書の「詩篇The book of Psalmsプサルム」に次のような詩がある。
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O load my God, thou art very great,thou art clothed with honour and majesty.
我が神よ!汝はとても偉大だ、汝は名誉と威厳を身にまとっている。
thou makest darkness,and it is night;…
汝が闇を造り、そして夜となる
The young lions roar after their prey
若きライオンたちは祈りを捧(ささ)げた後、咆哮(ほうこう)をあげる。

(mh唯一神として太陽をイメージするのは、日本でも天照大神(あまてらすおおみかみ)の例がありますから驚くべき類似とは言えませんが、「ライオン」となると、ヘブライ聖書が讃える唯一神「ヤハウェイYahweh」と「アテン神Aten」に少なからぬ繋がりがあると考えても間違いないでしょう!)

しかしアテン神はもっと驚くべきものだった。
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O so God, with no other except him、Ra created the earth according to thy heart,while thou art one.
(英語は少々怪しいです)
神よ、この神以外には神は無い。ラー(太陽神です)は汝一人の思いでこの台地を創造した。
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まさに歴史上初めての唯一神、ただ一人の本当の神、の出現だ!ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が生まれる前に、ただ一つの神を敬うことにしたのだ。アケナーテンはこれらの宗教の魁(さきがけ)だったと言えよう。
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彼の仕事はまだ始まったばかりだった。儀礼的な崇拝を信仰にまで高めねばならない!

アテン神はこの寺院に祀(まつ)られていた。
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そこでは、古来のしきたりに従い、アケナーテンと祈祷師だけでアテンを讃える儀式を取り進めていた。
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しかし、アケナーテンは、住民も共にアテンを崇拝させることを思いつく。
ナイル東岸にある寺院・王宮の形を拡大すると、ナイルを挟む町全体の形と同じだ!住民は寺院の中で神に護られて暮らすことになるのだ!
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アケナーテンの思いとは別に、町の跡から発掘された品々からは、人々が昔の伝統的な宗教に拘(こだわ)っていたことが窺(うかが)える。カバの姿をした豊潤の神だ!
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住民は多神教Polytheismに関心があり、アテン神はどうでもよかった。
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アケナーテンは人々の間で更なる論議を巻き起こす改革を進めた。歴代の王は神と人を繋ぐだけだったが、彼は、王の存在を格上げしたのだ。

次のレリーフでは、王が、王妃や子供とともにバルコニーに出て、贈り物を信者に分け与えている。
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同じ構図の複数のレリーフから、カラーで判り易いコピーが造られている。バルコニーの下で王からの贈り物を受けるのは大神官アイで、彼はネフェルティティの父だ。
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最近の発掘で北の王宮から小さな金箔が見つかった。1920年の発掘開始以来、初めての黄金だ。
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像に貼られていたものだろう、日の光で輝いていたはずだ。金箔が貼られた像となればアケナーテンだ。
アテン寺院の入口には2つの像が立っていた。
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中央の入口は西を向き、本殿は東側に配置されていた。その向うには南北に連なる岩壁が見えていた。
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となると崇拝の対象だったものは何か?
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アケナーテンは他の王たちと同様に生存中に墓を造った。寺院や宮殿の東に連なる岩壁の間の谷にある。
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何故、神殿やパレスから遠いこの地に造ったのだろう?
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墓が20世紀初頭に発見された時、中はほとんど空だったが、持ち出せないものは残っていた。壁に彫られたレリーフだ。そこにアケナーテンの宗教観や芸術観が見て取れる。
この崩壊している王と王妃のレリーフは等身大で、その上、肉体的だ。
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従来のレリーフには見られない写実的な手法だ。
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次のレリーフもそうだ。人間の体を見た通り表現している。
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王や王妃のヌードを見た古代エジプト人はショックを受けただろう。

古代の寺院のレリーフでは王と神が並んだものが多い。王が神に捧げものをする様子や、死の旅立ちをする王が神の手に寄って導かれる様子の絵だ。しかし、アケナーテンの寺院のレリーフでは違う。彼自身が中心にいる!
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王と王妃が娘の死を悼んで悲しんでいる様子。
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アケナーテンが母親と夕食を楽しんでいる様子。
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アケナーテンとネフェルティティが愛情の籠った眼差しで見つめ合っている!
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「お前たちに幸せをもたらす者は神ではない。私だ!」と人々に示しているのではなかろうか。
どの王も、アケナーテンほど神の存在に近づいたことはなかった。
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そうはいっても、太陽はアケナーテンより高い場所で輝いている。

アケナーテンの野望は死後の世界にも表れている。それまでの王は沈む太陽とともに死の世界に旅立った。墓は都市の西、太陽が沈む方向に造られていた。そこで神の力を授かった王の魂は、東から昇る太陽とともに復活するのだ。
(mh;ブログ「ギザの大ピラミッドの不思議」でピラミッドはナイルの西に造られていることを指摘し、その理由は、西日で輝く墓を町の住民に見せるため、としたのですが、太陽と共に死の国に旅立っていったことを比喩するものでもあったことをここで付け加えさせていただきます。ご了承下さい。)
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しかしアケナーテンの場合は違っていた。墓は東にある、あの岩壁の下に造られていた!
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太陽が昇る地平線に!
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なぜだろう?

ヒントは墓のリリーフにある。
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太陽の光線は町の隅々まで照らしている!
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墓の位置が示す所は明確だ。太陽が生まれる場所、そこが王の墓なのだ!
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アケナーテンの魂も太陽とともに甦(よみがえ)るのだ!

この、神をも恐れぬ異端の発想は、昔からの信仰を忘れられない人々には忌(いま)わしい蛮行だった。アケナーテンは以降、異端者というよりも犯罪者と見なされていく。

古代エジプトの信仰に従えば、神々が町を訪れ、人々に信仰を促し、見返りとして平穏を与えていた。しかしアケナーテンは違った。自らが黄金の馬車に乗り、王だけが通る道を駆けて寺院を巡ったのだ!
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彼自身が神そのものだと人々に示すためだった。この御幸には王妃も馬車で同行した。
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記録によれば、馬車によるアケナーテンの寺巡りは大勢のお供を伴う重大行事だった。

彼の行動を人々がどう見ていたのかを伝える記録はない。しかし、妙なレリーフが町の跡の壁に残っている。馬車を駆けているのは王ではなくて猿だ!
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王就任から10年、アケナーテンの行為はエスカレートする。寺院にある古代からの神アムンの顔は叩き潰されている。
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カルナック神殿のオベリスクに書かれた神の名も消されている。
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犯罪とも言えるこの行為は帝国中で進められた。革命はいつもそうだ。コミュニズム(共産主義)、ナチズムでも、まず新しいアイデアで人々を洗脳する。アケナーテンも唯一神アテンを人々の頭に叩きこもうと、古い神の抹殺を進めていたのだ。

17年の統治後、30代の後半だったアケナーテンは全ての記録から消された。彼が眠っていたはずの王族の墓が空になっていた理由は誰も知ってはいない。彼は暗殺されたという噂がある。いや、自然死だという噂もある。

王の暗殺は珍しいことではない。アケナーテンの死もその可能性は排除できないと考える専門家は多い。
暗殺だとすると、一般的に王位を継いだ者が暗殺に関与している可能性が高いが、誰が彼の後を継いだのか、実は不透明なのだ!
スメンクカーラーSmenkhKaRaだと言う考古学者がいる。彼は、アケナーテンの弟か、息子だったと言う。しかし、そんな男は存在していなかったと言う考古学者も多い。別の人間が王位を継いだと言うのだ!
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最近の調査で、ネフェルティティが極めて強い政治力を発揮していたことが判ってきた。アケナーテンは共同統治者として彼女を指名していた。アケナーテンが死ぬと、彼女がスメンクカーラーと名を変え、王位を継承した可能性がある!

しかし、仮に彼女が統治していたとしても、その期間は短かった。スメンクカーラーは直ぐに死んでしまうのだ。
次の王は誰だったのか?
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少年王ツタンカーメンだ!アケナーテンの息子だったことはほぼ間違いないが、ミステリーに満ちた少年王だ。9歳で王となり、18歳で亡くなっている。
75年前に王家の谷で発見された彼の墓には、莫大な埋葬品があった。(mh発見は1922年ですから、このフィルムは1997年製と言えます)
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彼の死はあまりに早すぎる。暗殺の可能性を全く否定することはできないだろう。

少年王ツタンカーメンは極めて微妙な時期に王になった。父の宗教観を引き継ぐのか、それとも以前の宗教に戻るのか。歴史はツタンカーメンの時代に古代エジプトの宗教への回帰が始まったことを示している。
王家の谷で見つかった少年王の玉座。
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ひじ掛けには彼の名を記すカトゥシュがある。
右のひじ掛けには「ツツ・タンク・アテンTut-ankh-aten現世のアテン神の姿」とある。太陽神のイメージだ。
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左のひじ掛けには「ツツ・アンク・アムンTut-ankh-amun現世のアムン神の姿」とある。新たな名だ!
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ツタンカーメンは若かった。ネフェルティティの父で大司祭のアイが、ツタンカーメンを使って古い宗教に回帰させたと考えられる。大司祭アイは王アケナーテンの信頼を得ていた。バルコニーに立つ王から贈り物を受けるレリーフも残っていた位だ。
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事実、若干18歳でツタンカーメンが死ぬと、アイ自身が王位を継いでいる!次の壁画で、手を交錯し、死の世界に旅立つツタンカーメンの前で、アイは次期の王位を継承している!
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ツタンカーメンの黄金の輝きは父アケナーテン譲りかも知れない。
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アケナーテンが死ぬと、都は少しずつ崩壊を始め、ついには忘れ去られてしまうのだ。
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1907年、ある探検家が墓の跡で躓(つまず)いた。アケナーテンの都があったアマーナではなく、ルクソール近くの王家の谷でのことだ。
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王家の谷の墓KV52。壊れた家具などと共に棺も見つかった。
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棺はカイロ博物館に移されている。ツタンカーメンの墓の近くの墓穴なので彼と関係がありそうだ。マスクは引き剥がされている。
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名前も削り取られている。誰の棺だろう?
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中にはミイラ化した遺体があった。DNAテストは現在のところ許可されていない。X線写真を見るとツタンカーメンの頭蓋骨(左)との強い類似性が確認された。
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一等親の関係、つまり、父、息子、兄弟、の関係がありそうだ。
頭蓋骨を調べた結果では35歳から40歳で死んだ男のようだ。アケナーテンではないか?
ツタンカーメンが死んだ時、父アケナーテンの遺体もアマーナの墓から王家の谷に移された可能性がある。紀元前1336年頃、アケナーテンは死んだ。元の墓が無視され辱められてしまったので遺体を移したのかもしれない。

いずれにしてもアケナーテンは忘れ去られていたのだ。
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彼が築こうとした新たな宗教は砂漠の砂となって消え失せてしまったかのようだ。
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しかし彼の「唯一人の神」という宗教観は残った!ヘブライ聖書に出現するモーゼは、虐げられていたユダヤ人を引き連れてエジプトを脱出し、唯一神ヤハウェに約束された土地イスラエルに向かう。アケナーテンが造った神聖な町で育まれた夢「唯一人の神」は、モーゼ崇拝からユダヤ教、キリスト教に受け継がれ、新たな信仰を産むことになるのだ。
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以上でYoutubeフィルムの紹介は終わりです。

さて、ブログの初めで皆様に投げ掛けた不思議な質問ですが・・・
「エジプト三大美女、世界三大美女に共通する美女の条件とは?」

mh回答:死亡時の年齢は40歳以下でした!
Wikiによれば、クレオパトラ:39歳、楊貴妃:37歳、ネフェルティティ:40歳です。
小野小町は生没年不詳ですが、町というのは役職名で、小さい町ということから下っ端でまだ若いと考えて良いでしょう。恐らく40歳以下で死んだのです。でなければ小野小町ではなく小野大町の贈り名が付いたはずです。
また、エジプト三大美女のネフェルタリは、90歳で死んだ夫ラムセス2世より43年早く亡くなっていることから40歳以前に死んだと考えてよいでしょう。夫との歳の差が7歳というのは古代エジプトでは少ない方で、20歳くらいの差があっても当時の慣例から全く不思議ではありません。
よって、もし貴女(あなた)が美女という贈り名を後世に残したいと望むなら、40歳になる前に男たちの前から身を隠すか、あの世とやらへ旅立たねばなりません。なに?もう50歳を過ぎたんですか!なら諦めて頂くしか仕様がありませんねぇ。

ドイツ博物館のネフェルティティ像をじっくり見たい方は次のURLをお試しください。
https://www.khanacademy.org/humanities/ancient-art-civilizations/egypt-art/new-kingdom/v/thutmose-bust-of-nefertiti-c-1340-bce

BBC Learning Channel Egypt’s Lost City
https://www.youtube.com/watch?v=VsdCZ4wPE6g
(完)

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