Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ラムセス2世の不思議

お詫び:ナイル・クルーズの特番を入れたため公開が1週間遅れました。

美女の話から始めましょう。前回のブログ「エジプトの失われた都市」で古代エジプトの三大美女について、誰が選んだのか判らないが恐らく日本固有のランキングだろうとのコメント付きで「クレオパトラ」「ネフェルティティ」「ネフェルタリ」をご紹介しました。確かに選出根拠は不明瞭ですが、この3人はなかなかの女だったようです。特にクレオパトラとネフェルティティは単なる王妃ではなく、ファラオ、つまり女王だったようですから、頭は切れ、美女かどうかはおくとしても、魅力的な女だったと思います。

では「ネフェルタリNefertari」はどんな女だったのか?こんな女でした。
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ラムセス2世の妻です。上の壁画は「王妃の谷The valley of Queens」の彼女の墓に描かれているものです。

「王妃の谷」については、これまでご説明する機会がありませんでしたが、ラムセス2世が最も愛した王妃、その上、三大美女、のネフェルタリをご紹介する以上、彼女が眠る谷に触れないわけにはいきません。

王妃の谷The Valley of Queensは、ピラミッド山Al-Qurnを挟み王家の谷The Valley of Kingsの反対にあります。
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次の写真で、右のアーチ状の入口はネフェルタリの墓に通じています。
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王妃の谷には少なくとも88の墓があり、王妃だけではなく、王子、王女の墓もあります。

ところで、ナセル湖畔のアブ・シンベル神殿には、大神殿The Great Temple at Abu Simbelと小神殿The small Temple at Abu Simbelがありますが、実は小神殿はハトホル神と王妃ネフェルタリに捧げられた神殿なのです。
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入り口には、2体のネフェルタリ像及び4体のラムセス2世像が交互に配置され、足元には子供の像もあります。
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このアブ・シンベル神殿を造った王こそ、今回のテーマのラムセス2世Ramesses IIです。ラムセス大王Ramesses the Greatとも呼ばれる第19王朝の偉大な王(大王)で、ラムセスI世の息子セティ1世Seti Iの子供でした。ラムセスは紀元前1314頃から紀元前1224年頃まで90年余を生き、多くの軍事遠征や寺院の建設をしています。

次の図はカルナック神殿に残るラムセスの父セティ1世の遠征図のスケッチと実物写真です。
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実は、この図が暗示するものも今回のブログの話題の一つなのです。

詳細はおいおい説明するとして、それでは本題の「ラムセス2世の不思議」の始まりです。
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戦士、モニュメント建造者、恋人、神・・・ラムセス2世、ラムセス大王
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エジプトの首都カイロ
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エジプト主席考古学者Supreme Council of Antiquitiesザヒ・ハワス博士Dr.Zahi Hawasが統括するカイロ博物館の奥の薄暗く妖(あや)しい部屋の一画にラムセス大王は眠っている。
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「戦士で、家族思いで、信仰心も篤い男だった。エジプトを66年に渡って統治し、広い帝国の隅々で墓、礼拝堂(チャペルchapel)、石像を建造した。」
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「偉大な王だった。歴史は彼を忘れることはない。」
緊急追記:mhも現地でお会いしてきました!
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ラムセス大王の統治は紀元前1279年頃に始まった。王は100人余の子供の父親でもあった。90歳頃、静かに永遠の眠りにつき、栄光とともに王家の谷に埋葬された。
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彼の業績の痕跡はエジプトの隅々に残された。鉤鼻で背の低い男が偉大な王だったというのは本当なのか?遺跡に残る記録は単なる宣伝文句ではないのか?
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ラムセスが王位に就いた時、エジプトのファラオの時代は既に2千年以上続いていた。ピラミッドが初めて建てられた時から数えても千年は経過していた。エジプトはナイル流域の肥沃な土地を中心とした巨大な帝国になっていた。
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(mh:この像がラムセス2世だと、何故、断言できるのか?それはカルトゥーシュ (cartouche)が像の近くに掘られているからです!)
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しかし、周辺には対立している国があった。南のヌビアン(Nubiansヌビア)、西のリビアン(Lybiansリビア)、北のヒッタイト(Hittites)だ。ラムセスは大きな危険の真っただ中にいたのだ!
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エジプト帝国は、安定を維持できる強力な王、強い戦士を必要としていた。ラムセスが王位に就いたのは、丁度、そんな時だ。25歳だった。
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彼はどのように育てられたのか?答えはルクソールからナイルを下った町アビドスAbydosにある。
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ラムセスの父セティ1世Seti Iが神々を讃(たた)えるために建てた神殿がある神聖な町だ。
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メンフィス大学のピーター博士がセティの神殿を案内してくれる。
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博士は第19王朝を中心に研究している考古学者だ。
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彼によれば、ラムセスはここアビドスAbydosで皇帝学を学び、彼がしなければならない事を父から教えられて育った。
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父セティ1世も勇敢な戦士だった。北のヒッタイトとの戦いに多くのエネルギーを使っていた。
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ラムセス自身もファラオだった70年間の多くを、帝国の守護と拡大の戦いに費やしている。
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エジプト考古学ではピラミッドや墓の調査に重点が置かれるのが一般的だ。しかし、今、エジプトを囲む広域に調査の手は広がっている。地中海沿岸、リビア、シナイ半島北部、シリア、ヌビアなどで、エジプト帝国の足跡を見つけようというのだ。

地中海岸から直線距離で南に700Km入ったナイル東岸の町ルクソール。エジプト帝国の中心とも言えるこの町のカルナック神殿のパイロン(塔門)には戦いの様子を描いたレリーフがある。
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ラムセスの父セティが遠征から戻る様子を描いたとてもユニークなレリーフだ。
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王が乗る馬車と馬の下に小さく描かれている2つの四角形は砦だ。
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これらの砦は、エジプト帝国の守護のため、シナイ半島の北部を通ってアジアに続く街道沿いに建てられていた。砦の名前や、どんなタイプの砦だったのかは記録に残されている。その一つ、港の近くの大きな砦がチャールTjaruだ。ラムセスも遠征時に何度か通過している。しかし、その位置を特定する考古学的調査は放置されていた。
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カルナック神殿のレリーフに描かれた馬の前方には太い線が縦と横に走っている。
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縦の線は左右を草で囲まれていて、線上には魚や鰐が描かれている。これから戻っていく場所、つまりナイルに違いない!その河口には、横に走る、魚も描かれた水域がある。これは地中海だ!
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砦は地中海の近くに在る!ナイルの氾濫でナイルデルタは拡大を続け、海岸線はこの3千年で50Kmほど北に移っている。従って、砦のあった海辺の場所は、今なら砂の海の中だ。

2006年、考古学者が砦跡を発見した!パナマ運河の直ぐ脇の砂の中に。
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(mh:手前が遺跡の一部。奥に見えるのは建物ではなくパナマを南に移動する貨物船に積まれたコンテナです。)
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この辺りに何かあると気付いたのは1968年の古い衛星写真からだ。
この黒い線がナイル運河。
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この一帯は遊牧民の村だった。しかし、開発が進んだ今、Google Earthの衛星映像をみても灌漑農業、ビル、住居、発電所、道路などが多く、昔の様子は判読困難だ。だから開発が行われる前の1960年代の衛星写真が役に立つ。

スエズ運河からシナイ半島側に入った所に何かの跡があった!
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発掘を進めると大きな砦が見つかった。土煉瓦で組んだ城壁だ!
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城壁にそって多くの見張り塔が造られていた(CGです)。チャール砦に違いない!
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砦の中の建物跡から牛の骨が見つかった。3千年前のものだ。戦いに出かける前に勝利を祈念して神に供えたのだろう。
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決定的な証拠が見つかった。ラムセスの名前が彫られた壁画だ!
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平穏を祈念して神に捧げものをしている。
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砦を囲む城壁は高さ9m、幅12mで、24の監視塔が造られていた。砦内側の面積は20エーカー(8万平方メートル)で、兵士の住居と食糧倉庫、中央にラムセスが建てた寺院があった。この砦はこの辺りに近接して2つ建てられていたチャール砦の内の「東チャール砦」に違いない。
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海岸の近くに建てられた2つのチャール砦の更に東にもいくつか砦の跡が見つかっている。
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これらの砦はエジプト帝国の首都ピラムセスPi-Ramsesからシナイ半島、ヒッタイト(小アジア)に続く古代の道Horus Way(ホルスの道)に造られ、通行を管理していた。
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チャール砦こそがアジア遠征の軍事キャンペーンの拠点で守りの要でもあった。そこから先は危険に満ちた敵地だ!若きラムセスは敵を打ち破る決意で砦を拡充していった。
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小アジア(トルコ一帯)に拠点を置くヒッタイトHittitesはエジプトには手ごわい相手だった。ラムセスが王になる40年ほど前から、彼らとの熾烈な戦いが続いていた。

王就任から5年後、ラムセスはヒッタイトを目指して地中海沿岸を移動し、彼等の領土に攻め入った。
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カデッシュKadeshの戦いの様子がカルナック神殿に残こされている。
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そこには驚くべき内容が含まれている。
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深入りし、敵の待ち伏せに遭(あ)ったラムセスが、かろうじて逃げ戻る様子だ!
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ラムセスは、この苦い体験を国民にどう伝えるか悩んだはずだ。普通の王なら、事実を隠すか、勝利したと虚偽の報告をしただろう。しかし彼は事実を隠さなかった。苦境から生きて帰国できたのは自らの勇気と神の加護によるものだと記録に残した。
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彼は、自分が完璧な将軍ではないことを認めたのだ。それでも王の威光を堅持できる確信があったのに違いない。

それにしても、ヒッタイトは侮れない敵なのは間違いなかった!そこで、ラムセスは国境の警備を強化すべく、首都をメンフィスから北のパイラムセスPi-Ramsesに移した。
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かつての首都パイラムセスの跡には遺跡の断片が散乱しているばかりで当時を偲(しの)ぶことは難しい。
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紀元前1258年、ラムセスは国境を堅持するために驚くべき行動に出た。カルナック神殿にヒッタイトと結んだ契約文が刻まれて残っている。相互不可侵安全保障条約だ!
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50年に渡る戦いを経て、2つの大国は互いを尊重しながら発展する道を選んだのだ。いずれかが他国から攻撃されたら互いに協力して敵に当たる約束までしていた!(この辺りは近々、ブログ「ヒッタイトの不思議」で詳細をご紹介する予定です。)

牛に対抗するに牛の角を掴んで立ち向かう力を持っていることを彼は証明した。小躯(しょうく)だったことは彼のミイラから判っている。体は小さくてもエジプトの歴史上、最も偉大な王だったと言っても過言ではないだろう。彼に出会う者は誰もが額(ぬか)づいたに違いない。
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ヒッタイトとの和平条約を機に、ラムセスは国力を戦から統治に切り替えた。ルクソールのナイル対岸に彼が建てた建物が残っている。
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そこには長い煉瓦のアーチが何列も残っている!
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古代エジプトでは穀物は重要で、現金と同じ価値があった。
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賃金も税金も穀物だった。その穀物を大量に保管する倉庫を造ったのだ。
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穀物倉庫は彼の建築事業の一部でしかない。神のためにもその力を発揮した。父セティが始めたカルナック神殿での建築を拡充させ完成させたのだ。

彼が担当した列柱室は、世界の八不思議に加えられるべきモニュメントだろう。
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ノートルダム寺院もこの石柱室の中にすっぽり入る。
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複数の神々が暮らす空間で、面積は5400万平方メートル。16列に並んだ134本の石柱のほとんどは高さ15mで、特に中央の12本は24mもある!
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古代エジプトに起重機はなかった。どんな方法でこの石柱を建てたのか?石柱室の近くにヒントが残っていた。レンガが積まれている。斜面を利用したのだ。
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まず柱の基礎を並べ隙間を瓦礫で埋めた。
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次の石柱を基礎の石柱の上に載せた。
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そして隙間を瓦礫で埋めた。これを何度も繰り返して柱が組み上げられていった。
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最後に瓦礫を取り除けば石柱室の出来上がりだ。
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ラムセスはアブ・シンベル神殿も造った。この見事な神殿のおかげで彼は大王と呼ばれることになったと言えるかも知れない。
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入口の左右の巨像は高さ20mで、どのファラオが造った像よりも大きい。
内部のホールに入ると8対のラムセス像がある。高さ18mだ。人間で、かつ神でもある男として参拝者を見下ろしている。
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古来、エジプトでは、王は神と人間を取り持つ役だけを担(にな)っていた。しかし、ラムセスは、もっと神の立場に近い位置に自分を置いたのだ。別の部屋のレリーフを見ると、どれだけ自らを神格化していたか判る。
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彼は神が座るべきイスに座り、捧げものを受け取っている!頭の上には丸い太陽が描かれている!
かれの顔に巻かれた髪の形は2本の角を持つアムン神の姿そのものだ。
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その上、ヒエログリフに「ラムセス大王太陽神」とある!!!
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彼は一人の男としては大きすぎる仕事を成し遂げた。だから自分は神に相応(ふさわ)しいと考えたのに違いない。

しかし、アブ・シンベルにはラムセスの人間らしさも残されている。
帝国で彼の次に重要な人間のために造られた神殿だ。
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女のために造られた。
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ネフェルタリだ。40年以上も前に死んでしまった彼の妻だ。2人は十代で結婚した。
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彼女の名ネフェルタリは「すべての中で最も美しい女性」を意味する。「偉大な妻」というタイトルもある。それは彼女の子供が次の王になることを指している。寺院入口の彼女の像の足元にも子供の像が刻まれている。
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壁画の中の彼女は神が被る冠を付け、左右に女神を引き連れている。
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このような構図は王だけに許される。ネフェルタリは王と同じ扱いを受けていたのだ。

このレリーフで彼女は船に乗る牛の姿の神に捧げものをしている。これも王だけが許される行為だ。
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寺院で祈りを捧げることが出来るのは王と祈祷師だけだが、これらの壁画を見る限り、ネフェルタリも女神に祈りを捧げていただろう。

真実は別で、壁画は彼女に対するラムセスの賛辞の現れでしかないのかもしれない。しかし彼女の死がラムセスに大きな悲しみを与えたことは間違いない。

第一王女で、ラムセスの長男の母親で、20年以上も連れ合いだった。遺体はルクソールの王妃の谷に埋葬された。
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墓の内部
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こんな見事な王妃の墓は他に類がない。ラムセスは最高の芸術家に装飾を指示したのだろう。
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ネフェルタリを深く愛していのだ。
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王家の墓
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墓KV05の構成は驚くべきものだった。新たに発見された通路の奥にはラムセス2世の像があり、近くに百を超える部屋が造られていたのだ。
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神と名乗る以上、ラムセスに出来ぬことは無いはずだった。あらゆることに対処するため、沢山いる息子たちを帝国中に配置し、彼の名代で働いてもらうつもりだったに違いない。しかし、多くの息子たちは彼よりも先に死んでいった。「ファラオとして葬ってやらねばならぬ!」
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KV05は、最初は小規模な墓だった。しかし、次々に死んでいく子供達のために父王は墓を拡張していったのだ。

紀元前13世紀の終わりまで60年以上、ラムセスは王として君臨した。砦を拡充し、国を守備し、カルナック神殿の列柱室やアブ・シンベル神殿を建て、自らを神の地位にまで高めた。しかし全能のファラオでも免(まぬが)れることが出来ないものがあった。死だ。紀元前1213年頃、100人を超える子供の父ラムセスは死んだ。90歳になったところだった。
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遺体はミイラ処理され、王家の谷に埋葬された。墓の建設は王就任の2年目に始まり、65年をかけて完成していた。

長い通路が地下に向かって伸びている。
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両脇の壁にわずかに残るレリーフ・・・
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荘厳な美で満ち溢れていたはずの墓は、今、単なる洞穴のようだ。
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洪水が運んだ瓦礫で内部は破壊されてしまったのだ。考古学者達は、わずかに残る手がかりから当時の様子を再現している。

死んだファラオが次の世に行くゲートを通るには、冥土を司る神から出される質問に答えねばならない。間違えばゲートは閉じたままだ。王は、通路を下りながら壁に描かれたガイド(手順書)を見て、神の質問に備えながら玄室に向かった。

これがラムセスの玄室の復元CGだ。石棺は黄金で飾られていた。
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今は壁画や柱すらも破壊されてしまっている。
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70年に渡りラムセスはエジプトに君臨した。彼の統治手法は以降のファラオの手本となった。軍事の平穏と経済の安定を実現した。彼は、最高の建築家、最強の戦士、そして現人神(あらひとがみ)と讃えられる偉大な王だったのだ!

Rameses The Great
https://www.youtube.com/watch?v=9cn1Kqu_unc
(完)
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