Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

マチュピチュ(ナショナルジオグラフィックより)


お知らせ:
このブログに張り付けておいた写真は手違いで消去してしまいました。
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天空都市マチュピチュ
今回は2月12日~24日の南米旅行中に訪れるマチュピチュの謎を追跡したドキュメンタリー映画の内容を紹介しましょう。Youtubeで見つけたものです。
タイトル:Machu Picchu The City of the Incas
URL:http://www.youtube.com/watch?v=nJv0_Oz59W4
作成:The National Geographic (映像:52分)
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誰が造ったのか?
何故ここに造ったのか?


城壁がないので砦ではなさそうだ。
代わりに水路や泉、神殿や祭壇がある。
高度な技術で造られた石組みには一分の隙間もない。
鉄器、車輪、文字(Written Language)を持たない人々がどのようにしてこの素晴らしい建造物(master piece)を造ったのか?
01;machupicchu
02;monuments
03;monuments

謎を解明するため、新たな発掘調査が開始され、多くの人骨が見つかった。
04;excavation,skelton

標高2450mの山の上の、0.5haの緑地に造られた、綺麗に切断された石組みの天空都市マチュピチュ。

誰が造ったのか?
何故このような不可能な場所(impossible place)に?
そして、何故この都市を捨てたのか?
・・・・・ここで「National Geographic」のロゴが出ます!・・・・・
05;Title of film

インカ帝国には文字が無かった。代りに、キープという、紐で作られた伝達手段が使われていた。そこにスペイン軍が侵攻してきた!
06;quipu

スペイン侵攻の時期に生れたインディオの画家が、インカ帝国の様子や当時の生活を絵に残した。帝国の興亡や人々の暮しの様子を伝える重要な資料だ。
07;drawings

インディオは皇帝を中心とする南北3800kmのインカ帝国を造りあげた。
08;map-inca

しかし驚くべきは、たった100年でこの帝国が崩壊したことだ。
原因は流行病、内戦、そしてスペイン軍の侵攻だ。

インカ帝国にはスペイン軍も見つけられなかった都市があったという。
その都市の名はビルカバンバ。黄金の都市と言われている。

ビルカバンバはどこにあるのか?
幻の黄金都市を求め、アメリカの若き考古学者ハイラム・ビンガムは原住民と共にウルバンバ川に沿って進んでいった。
(Mystery Hunter注)
ウルバンバ川はクスコの東約20kmを流れている。北上しマチュピチュを巡ってアンデス山脈の渓谷を流れ、熱帯雨林に出るとアマゾン川に合流して東に流れ、マナウスを通って大西洋に注ぐ。

1911年、ビンガムは山の上に遺跡を発見した
09;old-picture
10;old-picture
11;old-picture
12;old-picture

インディオはマチュピチュと呼んでいたが、ビンガムはこれが黄金都市ビルカバンバではないか?と考えた。

調べてゆくと沢山の人骨が見つかった。80%は女性の骨だ!
13;old-p-skeltons

8歳から死ぬまで皇帝に仕えた処女たち(Virgines of Sun)ではないのか?
スペイン軍から逃れて密かに集められたのではないのか?
14; girl

ビンガムは、この場所こそ黄金都市ビルカバンバだと確信し、The National Geopraphicに投稿した。
記事は1913年4月に公開され、大センセイションを巻き起こした。
そしてビンガムは一夜にしてヒーローになった。
15;Book Bingham
16;Book-front

しかし、ここに一つの問題があった。
彼の理論は間違っていたのだ!

いろいろな資料によれば、スペイン軍は全ての施設や都市を破壊した。
ビルカバンバも破壊されたはずだ。
しかし、マチュピチュは手つかずで残っていた!

ビンガムの理論に対する最大の反論は、埋まっていた骨が物語っている。
小さいからといって女性だったとは限らない。インディオの体型は小さいのだ。
ビンガムが見つけた骨を新たな技術で再調査したところ、80%が女性だったという説は否定された。

としたら、ビルカバンバではないのだ。だったらこの都市はなんだったのか?

マチュピチュから20kmほど離れた遺跡で頭蓋骨が見つかった。
頭の傷は武器による打撲の跡だ。兵士が住み、戦いがあったのだ。
一方、マチュピチュには寺院や祭壇が沢山ある。
マチュピチュは軍事要塞だったのか?それとも宗教の中心地だったのか?
17;Damaged-Skeltons
                        (上右:インティワタ)

この疑問を解く鍵はインカ帝国の首都だったCuzco(クスコ)に見つかった。
毎年行われるローマンカソリックのお祭りでは聖母マリアなどの輿が町を繰り歩く。
18;float

しかし、インディオたちが踏み鳴らすステップや音楽はインカの時代から継承されてきたものに違いない。
19;Dance,music

インカ帝国の時代、音楽やダンスとともに繰り出された輿に載っていたのは聖母マリアではなく、皇帝のミイラだったのだ。
20;Mummy Float

インカ帝国でも最も偉大だった皇帝パチャクテクは、死後も、ミイラとなり儀式に現れて民衆を導いたのだ。この皇帝の指導なくして、高度な建築技術と多くの労力を必要とするマチュピチュ建設は実現しない。
21;Stone Structure

最も決定的な証拠はクスコに残されていたスペイン人の記録にある。
「ピチュという町をインカユパンキ、またの名をパチャクテクが所有していた。」
22;Records in Cuzco

マチュピチュは偉大な皇帝パチャクテクによって造られたのだ。
皇帝の力があってこそ、高度な建築技術で、あのような不可能な場所に、見事な都市を築くことが出来た。

急峻な地形だけが建設上の問題ではなかった。
毎年、雨季になると激しい雨が降る。これは地滑りの原因になる。
地震もあった。2ヶ所の断層が見つかっている。
23;Machupicchu-base

しかし近くには泉と建材用の岩も多くあった。

皇帝の指示で工事が始まった。まずは急な斜面をテラスで固め、基礎を整備した。
狭いが耕作地としても利用できる。
24;terrace

テラスは、下から瓦礫、小石、肥沃な土壌、の3層構造をしている。
激しい雨を少しづつ流して町の土台の崩壊や滑落を防ぐことが出来る。
25;terrace

テラスだけではない。町が造られる丘にも瓦礫と小石を敷き詰めた上に土をかぶせ基礎を造った。町に降る雨は少しづつ瓦礫の中を流れて排出されてゆく。
26;town base

このように、マチュピチュ建設の50%は基礎の整備に費やされた。
そして、完璧な基礎があったからこそ、何百年もの間、その姿は残ることになった。

鉄器を持たないインカでは、石の加工は石を工具として行われていた。
大きさや固さの異なる工具用の石を準備し、目的に合わせ、削りたい部分に工具用の石を打ち当てて、砕き、削り、磨いて加工した。
大きな石の搬送には、ロープと丸太が使われた。
27;stone curving

16の泉も用意され生活の便を担った。

しかし、なんのためにパチャクテクは、このような禁断の地に町を造ったのか?
宗教的な目的なのか?太陽、水、山などを信仰対象とした?

南米には子供の人身御供(Child Sacrifice)の慣習がある。
1999年、アルゼンチンの高山の山頂付近で子供の死体が見つかった。
間違いなく生贄にされた子だ。山は神聖な儀式の場所だったのだ。
28;Child Sacrifice

Cuzcoから徒歩5日のマチュピチュも神聖な場所だったのではなかろうか。
Cuzcoの近くには、あきらかに山岳信仰を思わせる聖なる岩もある。
29;Cusco-Religious Icon

マチュピチュを訪れると、まずワイナピチュ山を後ろに控える街並みが川によって囲まれている光景を目にすることになる。
川は農業を重視したインカ帝国ではとても大切な祈祷対象だった。
その川がマチュピチュを囲んでいるのだ!
30;Machupicchu-with-river

マチュピチュで一番の高台にあるインティワタは4つの神の山の交点にある。
31;Intiwaka-alignment

パチャクテクは、どのようにマチュピチュを利用したのか?

マチュピチュで見つかった人骨は、女性ばかりではなかった。
兵士たちばかりでもなかった。
貴重品が見つかっていないので高貴な人々とも思えない。
骨の形から建築労働者たちだったとも思えない。

詳しく調べるため、骨をアイソトーピック分析してみた。
粉末にしてから、その中に吸収された食糧を見つけるのだ。
そこには沢山の13C(炭素)アイソトープが見つかった。コーンの兆候だ。
コーンはインカ時代、主に高貴な人々の食糧だった。
マチュピチュのテラス(段々畑)ではコーンの栽培も確認されていた。

マチュピチュは皇帝の別荘として、また神聖な場所として利用されていたのだ。
住人の多くは、皇帝やその客をもてなす人達だった。
32;Parade-to-machupicchu

しかし、マチュピチュの近くの遺跡では沢山の兵士の骨も見つかっている。

マチュピチュは平和の町か?戦いの町か?

1400年代の中頃に帝位を継承した第9代皇帝パチャクテクは、戦いによって周辺の小国を併合していった。血生臭いこの戦いを人の目から隠すために平和都市マチュピチュ建設に着手したのだ。
人々に天空都市を見せ、誰が皇帝なのか知らしめようとしたのだ。

としたら、帝国の全ての都市を破壊し略奪を繰り返したスペイン軍は、何故そのような重要な都市を壊滅しなかったのだろう?

偉大な皇帝パチャクテクの死後、子供に帝位が引き継がれていく過程で権力は徐々に弱くなっていった。
流行病で帝国の活力も削がれ、やがてマチュピチュへの関心は薄れた。

結局、スペイン軍はマチュピチュの話を聞くことも無かったし、これが重要なのだが、マチュピチュを見つけることもなかった!
幸運な間違い(lucky mistake)でビンガムが先に見つけることになったのだ。


(完)
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