Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

エデンの園の不思議

不思議な質問:エデンの園は実在していたか?とすれば何処に?

エデンの園The Garden of Edenは旧約聖書(ヘブライ聖書)で現れる楽園(パラダイスparadise)です。

旧約聖書が生まれた経緯については5月18日公開「デイビットとソロモンの王国???」でご紹介しましたが、仏教徒の読者諸氏は、その時理解しても、今は記憶に残っていないのではないかと思いますので、簡単に、いや、いつものようにダラダラと長くなるかも知れませんが、おさらいしておきましょう。
Wiki:旧約聖書
キリスト教及びユダヤ教の正典。一部はイスラム教聖典「クルアーン(コーランQuran)」にもなっています。これを書いたのは、神が与えてくれた土地「イスラエル」からバビロンに捕囚されたイスラエル人(ユダヤ人)でした。

Wiki:バビロン捕囚(バビロンほしゅう)
新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国のユダヤ人たちが、バビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され、移住させられた事件を指す。バビロン幽囚、バビロンの幽囚ともいう。
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紀元前597年、ネブカドネザル王はエルサレム市街に入城し、住民のうちもっとも有力な若い者をユダヤ人の王エホヤキムとともに殺害し、約3,000人の有力者を捕虜としてバビロンに拉致した。
エホヤキムの息子エホヤキンが王国を嗣いだが、ネブカドネザル王は謀反を恐れ、エホヤキンや王族をはじめとしてエルサレム市内の若者や職人たちのすべてをバビロンに連行させた。その数は10,832人に達したという。エホヤキン王の叔父ゼデキヤが王位を継承したが、紀元前586年、エルサレムは破壊され、ゼデキヤ王以下ユダヤ人たちはバビロンへ連行された。

つまり紀元前6世紀、新バビロニアの王ネブカドネザルの軍によってイスラエル(注)の首都エルサレムは焼き尽くされ、住民1万3千人ほどが捕虜としてメソポタミアの南部にある町バビロンに連行され、イスラエルは世界から消滅したのですが、捕虜たちはエルサレムを偲び、身に降りかかった悲惨な運命を嘆き、反省をこめて後にヘブライ聖書と呼ばれる叙事詩を書き上げたのです。
(注)イスラエル
古代イスラエルは、ソロモンの死(前931年)の後、部族間の抗争で北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂しました。以降、エルサレムJerusalemは正しくはユダ王国の首都だったのです。
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ヘブライ聖書は、勿論、ヘブライ語で書かれた書物(巻物)す。
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文字は音を表す記号、所謂(いわゆる)表音文字で、漢字のような有意文字ではありません。形は楔形文字(cuneiform)に似ています。
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楔形文字はメソポタミアに住んでいたシュメール人が紀元前3千年頃に使い始め、中近東やアナトリア(トルコ、古代ヒッタイト帝国)にも広まった文字ですから古代イスラエル人(ユダヤ人)が使ったヘブライ文字が楔形文字に似ているのも頷(うなず)けます。イスラエルは紀元前6世紀に消滅し、古代ヘブライ語も使われなくなったのですが、19世紀後半、世界各地からユダヤ人がパレスチナの地に戻り始めると、共通言語として、祖先が使っていた古代ヘブライ語に近い現代ヘブライ語が生まれました。
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現代ヘブライ語は1948年に建国されたイスラエル国State of Israelの公用語となり、もう一つの公用語アラビア語とともに国内で使われています。

で、古代ヘブライ語で書かれた旧約聖書、正式にはヘブライ聖書、を構成する数十冊の書物の中で、律法(トーラー)とも呼ばれる「モーセ五書」は次の5つから構成されています。
1.創世記Genesis(ヘブライ語の原題は「初めに」の意)
2.出エジプト記Exodus(同「名」の意)
3.レビ記:Leviticus(同「神は呼ばれた」の意)
4.民数記Nunbers(同「荒れ野に」の意)
5.申命記Deuteronomy(同「言葉」の意)

2番目の「出エジプト記」はブログ「エチオピアの不思議」でも触れましたが、紀元前13世紀(ラムセス2世が統治していた)エジプトで虐待されていたユダヤ人2百万人をモーセが率いて、神が定めた土地イスラエルに向けて脱出する壮大な物語です。

で、1番目の「創世記」は、文字通りこの世の始まり、つまり、太陽や地球などの天空、地球の自然、昼と夜、人類などがどのように生まれたのかを記したものです。全ては神の思い付きで創られ、わが国最古の歴史書ともいえる日本書紀とも同じ展開です。

Wikiによれば、創世記は次の構成になっています。
1. 天地創造と原初の人類
天地創造 1章
アダムとエバ、失楽園 2章 - 3章
カインとアベル 4章
ノアの方舟 5章 - 11章
バベルの塔 11章
2. 太祖たちの物語
アブラハムの生涯 12章 - 25章
ソドムとゴモラの滅亡 18章 - 19章
イサクをささげようとするアブラハム 22章
イサクの生涯 26章 - 27章
イスラエルと呼ばれたヤコブの生涯 27章 - 36章
3. ヨセフの物語
夢見るヨセフ 37章 - 38章
エジプトでのヨセフ 38章 - 41章
ヨセフと兄弟たち 42章 - 45章
その後のヨセフ 46章 - 50章

で、天地創造によれば神は次の手順でいろいろ創りました。
1日目 暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。
2日目 神は空(天)をつくった。
3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。
4日目 神は太陽と月と星をつくった。
5日目 神は魚と鳥をつくった。
6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。
7日目 神は休んだ。

人間は、魚や鳥より後に創られたんですねぇ!まずアダムAdamが創られました。
次の絵はバチカン宮殿システィーナ礼拝堂の「アダム創造」でミケランジェロの作とされています。唯一神のヤハウェがアダムを創った瞬間でしょう。
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で~、何からアダムを創ったかっていうと、塵(ちりdust (ヘブライ語 adamah))からだって言うんですから驚きです!

エバ(Eveイブ)はって言うと、アダムの肋骨(ろっこつ)から創ったっていうんですから、またまた驚きです。2人は神が準備した「エデンの園」と呼ばれる楽園で暮らし始めました。そこで蛇の誘惑に負け、神の命令に逆らって禁断の実(善悪を知る木の果実)を食べ、エデンの園から追放された結果、人間がドドッと増えてきますが洪水で多くの人々は死んでしまいます。その後の経緯は未確認ですが、人々が再び増え出し、平穏に暮し始めると、徐々に神への畏敬の念が薄れ始め、これに怒った神はまた、洪水を起して人々を抹殺するのですが、今度は箱舟に乗った敬虔なノアの一家だけが生き残り、水が引くと、生き延びた子孫から人類がドドッと増えて今の我々がある、という、それはそれは壮大な物語に展開していくのが「創世記」です。

話がここまで膨らんでくると、最初の質問「エデンの園は実在していたか?とすれば何処に?」の答えを探す努力は空(むな)しく馬鹿らしく思われる方が、特に我が日本の仏教信者の方には多いと思いますが、外国にはエデンの園を真面目に探している人もいるようで、そこら辺りがどうなっているのか、Youtubeを中心にご紹介いたしましょう。

その前に、最初に挙げた不思議な質問:エデンの園は実在していたか?とすれば何処に?についてmhの答えをご披露しておきます。

エデンの園はありました!このブログを読んで頂ければ、あなたも信じてくれるでしょう。「エデン」と呼ばれていた可能性すらあります。あった所はペルシャ湾で、今は海の底です。実は、かのコロンブスは南アメリカでエデンの園を見つけたとの記録を残しています。黒海とカスピ海の間のアルメニア、チグリス・ユーフラテス川の間のメソポタミア、アラビア半島のバーレーン、も宗教学者や考古学者によって候補とされています。北アメリカにあったと言う人もいるようです。しかし、今回ご紹介するフィルムを見る限り、そして何よりも科学的根拠に基づく限り、ペルシャ湾説が最有力候補と考えても好いでしょう、mhの依怙贔屓(えこひいき)かも知れませんが。

その辺りを次のYoutubeから、ご自身でご確認下さい。
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エデンの園はどこにあったのか?について古来、色々な考えが提示されていた。中には、旧約聖書の物語のほとんどは作り話だから、何処にあったか考えるのは馬鹿げている、という冷めた見方もある。
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しかし、どんな話にも、その基になった出来事や事実があるものだ。それは現実に起きていたのか?作り話か?としたら何を根拠に造られたのか?

このフィルムは一人の男がエデンの園を探す物語だ。ミズリー州立大学で中東の歴史を研究している考古学者ジュリス・ザリンJuris Zarins教授は、学生たちと共にエデンの園の調査を進めていた。
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1987年、ある有名な雑誌がザリンの野心的な見解を掲載した。
「Has the Garden of Eden been located at last?」
エデンの園の位置はついに特定された?
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「学際的(学問領域が複数に渡る)調査によって、考古学者ザリンZarinsは園を見つけ、その場所を特定できたと信じている!」

世間は彼の見解に懐疑的だった。多くの人はエデンの園は全くの絵空事だと思っていた。しかし、ザリンは他の人の意見には関心がなかった。エデンの園の探求は、彼にとって知識を追求する旅の一つでしかなかった。人間社会の根源を知るためにもエデンの園について知りたいと思っていたのだ。彼の考えが理解されるまでには時間が必要だった。

エデンの園についての情報の源はたった一つ、旧約聖書だ。何故、このような話が旧約聖書に書かれたのか?何を根拠に書かれたのか?

Missouri State Universityミズリー州立大学。ザリンの仕事場だ。
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この環境が、彼の信念の追求を可能にしてくれた。ビジネスマンだったら、エデンの園の探求などにはまり込んでいる資金や時間の余裕はない。

荒涼としたアラビアの砂漠・・・
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ギリシャ、エジプトなどと違い、考古学上の未開の地だ。
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ザリン教授は、そのアラビアである程度の名声を得ていた。彼は、アラビア半島で、聖書やイスラム教の聖典コーランThe Quranに記録されている乳香の道を探していた。

新約聖書の中には、生まれたばかりのイエスを祝福するため、土産物の黄金、乳香、没薬(gold, frankincense, myrrh)を持って旅をした「東方の三博士(Magis, Three Wise Men, Three Kings)」が登場する。
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昔、アラビアの乳香は有名だった。これを各地に運ぶ「乳香の道」も通っていた。
(下は乳香が取れるボスウェリア属植物の写真です)
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ザリンは4年間も調査を続けた。そして、とうとう、ある遺跡を見つけた。ウバールUbarだ。
「失われた都市UBARを求めて:1991年12月9日」
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mh:話が脇道にそれますが、上の記事で右上の人物Owen女史は、ザリン教授の研究助手でした。今回紹介するYoutebeフィルムに何度か現れては、思い出話やザリン教授の仕事ぶりなどを紹介してくれるのですが、話し好きで、話し上手で、フィルムの進行には欠かせないユニークなキャラクターの持ち主だと見ました。
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「東方の三博士」は千一夜物語にも現れてくる。
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イスラム聖書クルアーンによれば、イラム(注)という町が神によって破壊された。緑あふれる町だったと記録されている。そんな町が砂漠に在るとは誰も考えていなかった。ザリンの調査によれば、乳香はこの地を通って8千年間、交易されていた。勿論、イエスの生まれた聖なる地にも運ばれていたはずだ。

乳香と共に運ばれた物もあったはずだ。例えばストーリー(物語)だ。聖書にも記された可能性は高い。

mh:ウバール遺跡は中東オマーンOmanのドファールDhofarで見つかりました。
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ザリン教授たちは、ウバールUbarが伝説の都市イラムIramだと考えています。
Wiki:円柱のイラム (英語: Iram of the pillars)
イスラム聖典クルアーンに登場する伝説の都市の名称。「アード族のシャッダード王が天国の都市を地表に再現しようと、砂漠の中に何百年もの長い年月をかけて、数多くの宝石を使い豪華絢爛な住居や宮殿などから出来ている都市を造ったが、預言者フードの警告を無視したために神アッラーフによって王たちは滅ぼされ、都市は廃墟になった。」

ザリン教授の次の研究対象はエデンEdenだった。旧約聖書に現れてくる。
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ザリンは考えていた。「エデンの園の話は、ヘブライ聖書を作った人々が考え出したオリジナルの話ではない。きっと基になる話があったはずだ。その話はどこから来ているのだろう?」

エデンは実在するのか?としたらどこにあるのか?彼の調査が始まった。

最初のヒントはEdenという言葉だ。語感から考えると、ヘブライ語ではなく、シュメール語を翻訳した疑いがある。ヘブライ聖書を作成した人は、Edenという言葉をどこで最初に訊いたのだろう?

チグリス川とユーフラテス川は、アナトリア(トルコ半島)に水源をもつ大河だ。昔から変わらずに水を湛えて流れ、合流してからペルシャ湾に注いでいる。
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この2つの川の流域は、古代ギリシャ語で「河の間」を意味するメソポタミアMesopotamiaと呼ばれる地域で、古代の文明を創り上げたシュメール人Sumerianが暮らしていた。
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(下は「ウルのスタンダードStandard of Ur」と呼ばれる箱の表面の一部です。)
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mh:ウルのスタンダード
大英博物館の有名な謎の「箱」。メソポタミアの古代都市ウルで、王家の墓から見つかった。紀元前2500 年頃のもので 高さ21.6cm 幅49.5cm 奥行4.5cm。貝、ラピスラズリ、赤色石灰岩、ビチューメン(瀝青)などで当時の様子が描かれているため、発見者により「スタンダード(標準)」の名が付いたが、用途は不明。楽器、寄付金箱、などの説もある。実物が東京の国立博物館にやってきたので私も見ています!

紀元前5千5百年には既に農耕が行われていた。農耕社会を形成し、川を使って交易もしていた。
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紀元前3500年、2つの川チグリス・ユーフラテスの下流域にはウルクUrukやウルUrなどの都市国家も生まれていた。実は、彼らシュメール人がEdenという言葉を使っていたのだ。「領域の外にある耕作されていない土地」を意味する言葉だった。
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言い換えると「人間によって管理されていない土地」だ。とすれば、エデンの園はメソポタミアか、その近くにあったと考えるのが自然だ。
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聖書の多くの物語はメソポタミアから生まれたものが多い。バベルの塔もそうだ。

旧約聖書に現れるエイブラハムも、メソポタミアのウルUrの生まれだ。神に導かれて約束の地カナン(パレスチナ)を目指してウルから旅に出ている。
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エデンはメソポタミアにあったと考えても良いのではないか?ザリンは1980年代に調査を開始した。

調査のスタートとなったのは聖書「創世記Genesis」そのものだ。
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エデンの園はEdenの東側にあった。そこは緑が豊富で、暮らしやすい土地だったはずだ。最初の人間アダムAdamとエバEve(イブ)も暮らしていた。
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あらゆる種類の植物が生い茂っていた。その中に「生命の樹」と「善と悪の知恵の樹」もあった。しかし、蛇の誘惑に負け、神に禁じられていた知恵の木の実(禁断の果実)を食べてしまう。
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次いで生命の樹の実をも食べてしまったので、神は彼等が永遠に生きることを恐れ、エデンの園から追放(失楽園)し、Edenを洪水で満たしてしまう。
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Edenの位置について、ヘブライ聖書は思わせぶりなヒントを提供してくれている。Edenには4つの川が流れ込んでいたという。川の名はチグリスTigris、ユーフラテスEuphrates、ピーションPishon、ギーホンGihonだ。
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チグリス川とユーフラテス川はヘブライ聖書が作られた紀元前6世紀頃にも流れていた大河だ。しかし、残る2つ、ピーション川Pishonとギーホン川Gihonがどこにあるのかは特定できていない。旧約聖書には「ピーションPishonはハビラHavilahを、ギーホンGihonはクシュCushを流れていた」との記述がある。クシュとエチオピアの関係も記述されていた。
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Pishon川とGihon川の位置の特定は、昔から人々を悩ませていた。
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ピーションPishonはガンジス川だ、という人もいる。インドの聖なる河だ。
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そしてギーホンGihonはナイルだと考える聖書研究者も多い。
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確かに、クシュCushはナイル中流の、スーダンとエジプトの国境一帯のヌビアと呼ばれる地域だ。
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しかし、ナイルがピーションPishonやチグリス・ユーフラテス川と合流すると考えることには問題がありすぎる。
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こんな矛盾がある旧約聖書を信じるとすれば、エデンの園はどんな所でも好いということになってしまう。
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そこで、自分が望む場所をEdenと呼ぶ人が現れ出した。
ミズリー川のジャクソンJackson郡にあったと主張する男もいた。
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コロンブスはベネズエラ(南米)のオリノコ川の近くでエデンを発見したと主張した。
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極東Far Eastの中国にあったと言う人もいる。
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ザリンの調査は行き詰ってしまった。そこで彼は聖書を離れ、もっとアカデミックな分野から調査してみることに決めた。歴史だ。

Edenという言葉は世界でも最初に生まれたメソポタミア文明から来ていることを知っていた。シュメール語だ。
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そしてスーマ(Sumerシュメール)という地域がチグリス・ユーフラテス川の流域にあったことも判っている。
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シュメール人は世界初ともいえる楔形文字を発明した。
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商取引や納税の内容が楔形文字で記録されたタブレット(粘土板)も見つかっている。
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世界で初めて物語を発明し、それを記録に残したのは彼等だろう。
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シュメール人が楔形文字でタブレットに記録して残した物語「ギルガメシュ叙事詩」が見つかっている。その中には旧約聖書のエデンの園の話に酷似した物語も含まれているのだ。
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ギルガメッシュは紀元前2千6百年頃、ウルックUrukの王だった。3分の2は神で3分の1が人間だ。
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神とすれば不滅だ。死ぬことは無い。その不滅の秘密が何か?に彼は関心を持った。そして色々な魔物に会って「不滅ではない人間たちがどのように生まれて来たのか?」と聞きまくった。
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人間の男は粘土から創られた、と魔物はギルガメッシュに答えた。女は男から創られ、人々は病のない穏やかな土地で暮らしていたと言う。
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旧約聖書のエデンの話と瓜二つだ。アダムAdamも土から創られている。

大きな違いは2人が暮らしていた場所の名前だ。シュメール人はEdenと呼ばずディルモンDilmunと呼んでいた。
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人々はディルモンDilmunで病や食料などの心配をすることなく、楽しく暮らしていた。エデンとディルモンの類似性はこれだけに留まらない。ディルモンDilmunもエデンEden同様、洪水によって滅ぼされるのだ!
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一握りの人間を除いて、人々は死に絶える。
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生き残る人物の名は旧約聖書ではノアだが、ギルガメシュ叙事詩ではウツネピシュティンだ。
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ウツネピシュティンは王ギルガメッシュに永遠の命の秘密を教える。水の中に生えている、ある草を食べればよい。その草はディルモンにあるという。ギルガメッシュは壮大な旅をしてディルモンに着くと、その草を見つけて食べようとした。
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その瞬間、悲劇が起きた。蛇が現れ、その草を横取りしてしまうのだ。
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人類が永遠の命を得るチャンスは失われてしまった。似た運命はアダムとエバにも起きている。
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エデンの話はギルガメシュ叙事詩をヘブライ風に翻訳したに過ぎない。ヘブライ人はシュメール人の話を脚色して旧約聖書に潜り込ませたのだ!
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しかし、ギルガメシュ叙事詩には、エデンの園の場所について記されていない。また行き詰ってしまったようだ。

そうは言っても、一つの手掛かりは残った。シュメール人は楽園のことをディルモンDilmunと呼んでいた。Edenを見つけることが出来なくてもディルモンDilmunを見つけることは出来るかも知れない。

この事実に気付いたのはザリン教授が初めてではない。何人かの学者はEdenとDilmunが何らかの関係を持っているはずだと指摘していた。しかしザリンはDilmunが単に叙事詩の中の場所ではなく、現実に在った場所だと考えた。そして1970年代に、その場所を発見したと発表したのだ。
「過去を探して:考古学・人類学の教授ザリン博士はSMS(ミズリー州立大学の正式名称)で最も秘密に富んだ・・・」
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ディルモンDilmunは今のバーレーン辺りの古代の地名だった。
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しかし、今は砂漠が広がるだけで楽園と呼ぶには程遠い場所だ。
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なぜシュメール人はここをパラダイスだと考えたのだろう。
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そこはペルシャ湾の西海岸に面している。シュメール人も船でやってきて交易したはずだ。そして彼等は、この地をDilmunと呼んでいた!
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シュメール人がディルモンDilmunに行く主な手段は船だった。ディルモンからスーマに戻ると、彼等はディルモンDilmunの素晴らしさを語って聞かせた。
「昔から船乗りは自分の町のことは話さないんだ。いつだって遠くの町の話をしたがるんだよ。」
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「Dilmunは美しい所だ。楽園だ!」とシュメール人は考えたに違いない。
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そして、ディルモンDilmunでシュメール人の先祖となる人間も創造されたと考えた。
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しかしザリンが見つけたDilmunが楽園とほど遠い砂漠なのは何故だろう。本当にこの一帯が楽園だったのだろうか?

ザリンは古い話からエデンを探すのを諦め、ハードサイエンス(mh理論に裏付けされた科学という意味だと思います)に戻って検討を再開した。チグリス・ユーフラテス川を含む4つの川の下流域がEdenだ。従ってアラビアのどこかにあるはずだ。Pishon川とGihon川を見つけられなければ、答えは見つからない!

行き詰っていたとき、答えが下りて来た、天から!
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NASAが人工衛星ランドサットを打ち上げた。衛星からは膨大な情報が送られてきた。1980年代なら革命的な変化だった。情報は今なら誰でもネットで入手できるが、当時はそうはいかなかった。しかし幸運なことにザリンにはNASAに友人がいた。そこで、友人から衛星の画像情報を入手した。
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ザリンは自分が見つけたディルモンDilmun(バーレーン)を宇宙から見た映像を初めて見ることになった。
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それは全く、新しい局面を提供してくれた。地上で見渡すだけでは気付かないことが見通せたのだ。映像を調べていると、驚くべき発見があった。川の跡が見つかったのだ!正確には乾燥し切った川が、蛇のようにアラビアの砂漠の東側を流れていた!
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これが三番目の川Pishonに違いない!砂に埋もれていて、地上では決して見つけることが出来ない川だ。
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この川が流れていた当時、ディルモンDilmunは水の豊かな土地だったに違いない。川も流れ、岸には沢山の植物もあっただろう。動物も人間も暮らしていたはずだ。
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しかし問題がある。ピーション川Pishonがチグリス・ユーフラテス川と合流した辺り一帯は砂漠で、エデンと思われる場所がない。それに、第4のギーホン川Gihonはどこにあるのか?
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また行き詰ったが、見方を変えたら答えが見つかった。川がどこを流れていたのかだけではなく、いつ流れていたのかが重要だ!ピーション川が流れていたのは最後の氷河期だ。従って紀元前5,6千年に遡って考えればいい。
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氷河期の末期、ペルシャ湾は無かった!海面は今より500m低かったのだ。とすればチグリス・ユーフラテス川とピーション川Pishonが合流した川は、さらに数百Km流れて海に達していたはずだ!
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今から8千年前、モンスーン(季節風)の影響で特にアラビアの南部は雨も多かった。
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雑多な動植物に満ちていた。だからシュメール人はそこで人間が発生したと考えたのだ。つまり、そこはパラダイス(楽園)だったと考えた。

たしかにディルモンDilmunがあった辺りはEdenのような所だったと考えて良いだろうが、本当のEdenとしたらギーホン川Gihonはどこにあったのだろう?

聖書によればギーホンGihonはクシュと呼ばれる土地を流れている。学者達は、クシュがあったのは東アフリカだと考えている。しかしザリンはイランのザグロス山脈のことではないか、と考えた。そこにはカルーンと呼ばれる川が流れている。この川がギーホンだとすれば聖書の通りだ。Edenは4つの川が合流した川の下流にあった。今はペルシャ湾の海底だ。
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エデンの園を探索するザリン教授の調査は結論を見つけた。彼はとうとう古代のパズルを解くことに成功したのだ。

しかし、これで完全に終わった訳ではない。エデンの園の場所を特定するのが彼の最終目的ではなかった。聖書に記述されたことが事実なのか、それは一体、何を伝えたかったのかを確認したかった。
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人間がどのように創造されたのかではなく、人間社会がどのように形成されてきたのかを伝えたかったのではないのだろうか?豊富に実った果物を食べて暮らしていたという話は、農耕が始まったことを暗示しているのではないのだろうか。
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ディルモンDilmun一帯は緑だった。いろいろな種類の動物も暮らす楽園だった。
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しかし、最後の氷河期が終わると、海の水位は上昇し、エデンは海の底に沈んでしまったのだ。
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人々は北に移動していった。そして新たな土地メソポタミアで農耕を始めた。植物を食べたければ食物を育てなければならなかったのだ。
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1987年、ザリンの研究はスミソニアン誌に発表された。
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驚くべきことは、彼の見解が信心深いキリスト教徒から排斥されなかったことだ。むしろ歓迎されたと言っていい。彼はエデンの園の物語を絵空事で終わりとせず、公衆の関心事にしてくれたのだ。
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彼は、エデンの園の物語は真実かもしれないと考えた。それは、人類社会がどのように生まれたのかを解き明かすものだったのだ。
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Hunt for the garden of eden
https://www.youtube.com/watch?v=J11B6xFLYnAhttps://www.youtube.com/watch?v=J11B6xFLYnA

補足情報です。
シュメール人:礼拝者の像(紀元前2750 - 2600年)
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楔形文字でギルガメシュ叙事詩の一部が刻まれた粘土板
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Wikiギルガメシュ叙事詩
実在していた可能性のある古代メソポタミアの伝説的な王ギルガメシュをめぐる物語。主人公のギルガメシュは、紀元前2600年ごろ、シュメールの都市国家ウルクに実在したとされる王であるが、後に伝説化して物語の主人公にされたと考えられる。最古の写本は、紀元前二千年紀初頭に作成されたシュメール語版ギルガメシュ諸伝承の写本。シュメール語版の編纂は紀元前三千年紀に遡る可能性が極めて高い。

エルサレム
紀元前30世紀頃、カナンと呼ばれていた土地において古代セム系民族がオフェルの丘に集落を築いたのが起源とされている。紀元前1000年頃にヘブライ王国が成立すると、2代目のダビデ王によって都と定められた。3代目のソロモン王によって王国は絶頂期を迎え、エルサレム神殿(第一神殿)が建設されたが、ソロモンの死から数年後の紀元前930年ごろに王国は北のイスラエル、南のユダに分裂、エルサレムはユダ王国の都となった。
その後、エルサレムは300年以上ユダ王国の都として存続したものの、王国は紀元前597年に新バビロニア王国の支配下に入り、新バビロニア王ネブカドネザル2世によってエルサレムの住民約3000人がバビロンへと連行された。ついで紀元前586年7月11日、ユダ王国は完全に滅ぼされ、エルサレムの神殿ならびに都市も破壊され、住民はすべてバビロンへと連行された。バビロン捕囚である。
(完)

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