Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ステップの帝国の不思議

今回はアルタイ山脈を中心とする匈奴(きょうど、中国語(拼音ピンイン):Xiōngnúションヌー)の皇帝の墓の発掘に携わるフランスとモンゴルの考古学者たちの活動フィルム「The Emperor of the Steppesステップの皇帝」をご紹介します。

このフィルムを楽しむための基礎知識をmhがネットで集めたので事前にお教えしておきましょう。
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次の写真、草原を駆ける騎手達の後ろには湖が・・・上方には雲が???いやいや雲ではなくアルタイ山脈です。
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次は西からアルタイ山脈を望んだCG映像(?)です。雪を被った山脈の向うはモンゴルです。右下の細長い湖はカザフスタンのバルハシ湖Balkhash lake。その右には天山山脈とその奥にタクラマカン砂漠が・・・
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アルタイ山脈を挟んで東のモンゴル高原と西のカザフスタンにはステップが広がっています。カザフスタンのステップは標高が概略700mですが、モンゴル側では概略1400m。今回のロケ地はモンゴル側ステップですが、標高や緯度が高いため、冬は寒く、夏も暑くはないので、ちょっとした工夫をすると地下3mが万年凍土になる可能性があるんですねぇ。その辺りはおいおいご紹介しましょう。

ところでステップとは何か?Wikiで確認しておきましょう。
Wiki:ステップ(ロシア語степь stepʹ、ウクライナ語степ step、英語steppe)
中央アジアのチェルノーゼム帯など世界各地に分布する草原を言う。ロシア語で「平らな乾燥した土地」の意味。ステップは植生や気候によって定義される。
ということで、草原のステップSteppeは英語のステップStepとは全く語源が異なるんです。

今回ご紹介するフィルムは次の2本。撮影は5年程前だと思われます。
「The Emperor of the Steppesステップの皇帝」
「The Frozen Tombs of Mongoliaモンゴルの凍った墓s」
皇帝とは匈奴の皇帝で、日本では「単于(ぜんう)」と言われています。凍った墓は「単于の墓」と思われるものです。墓の規模からみて間違いないでしょう。

Wiki:単于(呉音ぜんう、漢音せんう、拼音(ピンイン):Chányúシャンユー)
匈奴を始めとした北アジア遊牧国家の初期の君主号。妻は閼氏(えんし、あつし)という。

Wiki:匈奴(きょうど、中国語(拼音)Xiōngnúションヌー)
紀元前4世紀頃から後5世紀にかけて中央ユーラシアに存在した遊牧民族nomadおよび、それが中核になって興した遊牧国家(紀元前209年 - 93年)。モンゴル高原を中心とした中央ユーラシア東部に一大勢力を築いた。

次の地図は紀元前2百年頃の匈奴(地図表記でXiongnu Khanate:AKA Hsuing-nu)と周辺国の様子を示すものです。
中国はHan Dynasty(漢王国)、日本はYayoi Culture(弥生時代)となっています。
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匈奴といえば草原を馬で駆け巡り、中国に攻め入ったり、遠くはヨーロッパまで押し寄せた騎馬民族Normadで、フィルムではコーカサス(注)との混血もあったと紹介されています。

Wiki:コーカサス(英語:Caucasus、ロシア語:Кавказ、グルジア語კავკასია、アルメニア語Կովկաս、アゼルバイジャン語Qafqaz)は、黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈と、それを取り囲む低地からなる面積約44万(日本は38万です)km²の地域である。コーカサスの漢字表記は高加索。英語のコーカサス、ロシア語のカフカースとも古代ギリシア語: Καύκασος (Kaukasos; カウカーソス)に由来する。 「カウカーソス」自体は、一説に、古代スキタイ語のクロウカシス(白い雪)に由来するとされる。
次の写真はコーカサス山脈です。
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話が少しそれますが、フン族(フンぞく、Hun)とも呼ばれることがある匈奴がヨーロッパに勢力を拡大していったのでドイツ平原あたりの原住民だったゲルマン系のゴート族が南に逃れていったんですねぇ。これが「ゲルマン民族大移動」で、西ローマ帝国が王が死去した西暦453年の翌年に瓦解する原因の一つとなりました。

フィルムのロケ地はアルタイ山脈の東の麓と、更に7百Km東のモンゴルのステップの中央辺りです。

Wiki:アルタイ山脈Altai Mountains
西シベリアとモンゴルにまたがる山脈。モンゴル語で「金の山」を意味する。
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ロシア・カザフスタン国境に在るベルーハ山:標高3506mでアルタイ・シベリア地方の最高峰
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長い前置きはここで終え、まずはYoutube「The Emperor of the Steppesステップの皇帝」の始まりです。
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モンゴルの草原・・・
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「ステップの皇帝」
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2千年前、モンゴルの遊牧民の祖先は中央アジアに帝国を築いていた。
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帝国は匈奴(Xiōngnúションヌー)として知られている。長い間、宿敵の中国と勝ったり負けたりの紛争を続けながら、帝国の領土は拡大と縮小を繰り返していた。
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匈奴から国を守るため、中国は全長4千Kmにも渡るバリケード「万里の長城」を築いた。
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匈奴の武器はスピードだった。馬を駆って中国を攻め立てた。長城は時には防御に成功し、時には匈奴の侵入を許した。
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匈奴の歴史を調べるならモンゴルを訪れねばならない。首都ウランバートルUlaanbaatarは1950年に生まれた若い町だ。モンゴル人口の4分の1の70万人が暮らしている。フランス人考古学者のピエールが訪れたのは2月。外気温は零下20度だ。
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モンゴル歴史協会との打ち合わせがある。
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考古学者ネアバターと発掘の段取りを相談するのだ。何度か一緒に匈奴の遺跡調査を行った2人は良き友人だ。
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1957~58年のファイルに保管されている写真の左から2人目の男・・・
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考古学者ドロサラーンだ。匈奴の古代の共同墓地necropolisを調査している。
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その発掘はドロサラーンの生涯をかけた仕事となった。
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沢山の墓を見つけた。発掘場所が突然崩壊し、調査の継続を断念することになった数年後、彼はこの世を去った。調査を完了できなかった無念さを抱えたまま。

残されたノートによれば、恐らく彼は匈奴の皇帝の墓を見つけたのだ。
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mh:ノートの文字はモンゴル文字ですが、これはソグド文字から生まれたウイグル文字から来ているようです。
で、ソグド文字はというと・・・
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文字の種類や歴史を調べると、面白いことが判りそうですね。で、念のためお伝えしておくと、今回のフィルムが関係している匈奴の帝国では、文字は使われていませんでした。それで不思議が沢山残されることになったのですね。

話をフィルムに戻しましょう。

ウランバートルの西約5百KmのゴールマッドGol Mod。40数年前、ドロサラーンが発掘作業をした所だ。
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そこには数百の墓がある。巨大な墓もいくつか見つかっていた。
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匈奴は文字文化を持っていなかったので、生活の記録は遺跡しかない。
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多くの墓は石で枠取りされていた。四角形の墓には考古学者がドラマスと呼ぶ入り口がある。墓の中央に棺が埋められていたが、ほとんどの墓に盗掘の跡がある。
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ウランバートルでの打合せから4ヶ月後の6月。モンゴルの厳しい冬も終わり、草原を移動できる季節になった。フランス人のピエールとモンゴル人のネアバターは新たな発掘を始めるためウランバートルを出発した。目指すは先人の考古学者ドロサラーンが調査した場所ゴールマッドGol Modだ。3日間の旅になるはずだ。
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旅では予想していなかったトラブルが起きるものだ。
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アーハン川に架かるこの木造の古い橋は危険で車では渡れない!
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100Km迂回して新しい橋を渡る。
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平地での移動は快調だ。天気も最高!海抜約1千5百mに広がる草原は果てしない。
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高木で覆われた丘が見え出した。そろそろ目的地だ。
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サイトに到着するとピエールは直ちにドロサラーンが40数年前に発掘を断念した墓跡を見に出かけた。
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大きい!発掘では墓の中心に生えた木は撤去する必要がある。それにしても大きい墓だ。皇帝(単于ぜんう)のものに違いない。ここを第一発掘サイトとしよう。その他にもいくつかの墓を調べてみよう。

この墓が玄室まで6層で造られていたことはドロサレーンのノートに記されている。土壌を除去するには重機が必要だろう。
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発掘を行えるのは夏だけだ。来年の夏には、玄室を掘り出す予定だ。1951年、ロシア人考古学者コスロフが北モンゴルで見つけた玄室と似た玄室があるはずだ。
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金箔で覆われた部屋に棺は納められているはずだ。
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1950年以降に発見された匈奴の遺品は少ない。
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フェルトと絹で織られたタペストリー。二匹の動物が争っている。
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ブルドーザーとパワーショベルで、墓の周りの土砂の除去を始開始した。今年の調査期間は8週間しかない。急がねばならない。1日8時間、日の出から日没まで作業する。
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第二発掘サイトではボランティアの学生たちがピエールの指導で作業することになった。
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発掘チームは事前に造られていた木造小屋でこの夏を過ごす。小屋の一つは研究室に当てられた。
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食事は酪農製品が主体だ。昼も夜も羊肉のスープが振る舞われる。
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地方自治体から墓を囲む木の伐採許可が下りた。早速作業を始める。
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クレーターがとうとう姿を現した。この下が玄室だ。
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付近を発掘していると、墓への通路の石垣が現れ出した。何世紀も経て、土で埋まってしまったのだ。
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フランスから今回の発掘の指揮官ジャン・ポール・デハッシがやってきた。
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デハッシはパリのアジア芸術博物館の学芸員だ。
「匈奴の皇帝の単于が眠っているとしたらここだ!」
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匈奴が統治した500年の間、20人の皇帝(単于)が帝国を指揮していた。その間、中国は匈奴の宿敵だった。

遊牧民のサラッチの一家はゴールマッドGol Modで何世代も暮らしている。今年もこの地に移動してきた。
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毎年6月には、水が豊富にある所に夏の住居を構えることにしている。
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サラッチは30人の部落のリーダーだ。彼等は匈奴の時代と同じように、この地で自給自足の生活をしている。
ゲル(ger。中国ではパオと呼びます)を建て始めた。入り口は狭いので、まず家具類を配置する。
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その後、骨組みが完成したらヒツジの毛でつくったフェルトを被せる。
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男達が家造りをしている間、女たちはヤクyakや騾馬muleから乳を搾るのに忙しい。
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ミルクからはチーズも作る。
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発掘隊は近くの町ハイアーニで説明会を開くことにした。人口2千5百人の町だ。
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発掘目的を住民に理解しておいてもらうためだ。彼等は伝統を重視した生活を送っている。発掘作業で土壌が汚染され、生活が脅かされないか心配しているようだった。どんな副葬品が見つかりそうかについても関心を示していた。
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めずらしいことなので、大勢の住民が集まってきた。
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mh:若い女性はこんな説明会でも着飾って参加するんですねぇ。華やいだ集まりは大歓迎です。メイド服の女性が多いので驚きました。勿論、ここにはメイド・カフェなんかありません!都会らしい所は近くにはありませんから、人生の大半をゴールマッドGol Modの集落で過ごす人が多いのだと思います。そんな女性にとっては家事に便利なメイド服が一張羅(いっちょうら)なのかも知れません。

発掘サイトには国連とモンゴルとフランスの旗が立てられていた。
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その近くでは2人のフランス人を中心に第二サイトの発掘が進んでいる。土器のポットが見つかった!様子を見にぶらぶらとやって来たピエールは黄色いシャツを着たモンゴル人の同僚に言う「おぉ!これはすごい。今夜はみんなで一杯やろう!」
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mh:後でも触れますが、このピエールは他のフランス人に先駆け、単独で早々とモンゴルに入って現地で発掘の段取りなどを担当する、下働き専門のフランス人の親父さんです。何かあればワインかビールを飲もうと言い出す、mhによく似た親父さんで、同類の哀れみとも親しみとも言える共感みたいなものを感じました。

墓の外観が現れ出した。長さ40ヤード(1ヤード=3フィート≒0.9m)、幅33ヤード、面積は4900平方(mh?)フィートだ。
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黒い層が続いている。火災の跡だ。敵に焼き討ちされたのだろうか。
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墓には木製の屋根の建物があったことが判っている。
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そこに火を付けたのかも知れない。
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権力の象徴の建物を焼き尽くそうとして。
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8月。初年度の発掘作業の終わりの前夜、キャンプファイヤーの周りにチームメンバー全員が集った。
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冬はすぐ近くまでやって来ていた。今年はこれで終えるが、次の6月にはまた発掘が始められる。
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新しい年の発掘が始まった。
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第一発掘サイトでは最初からパワーショベルを投入した。
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玄室は地表から50フィート(15m)の所にあることが想定されていた。もう少しで到達するはずだ。しかし、ここまで発掘しても人が造った工芸品は出てきていない!どうしてだろうと思っていると突然、地表から25フィート(7.5m)の場所で青銅の大皿の欠片が現れた!
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続いて別の場所から騎馬戦車の部品も出て来た。
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最初に見つかった皿のような青銅はかなり大きい。埋葬された人間が高貴だった証拠だろう。
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第二発掘サイトでは魚の鱗のような金属部品が見つかった。
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匈奴は中国の戦士の影響を受けていた。きっと鎧(よろい)の一部だ。
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秦の始皇帝の軍勢は最も恐ろしい敵だった。
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彼の時代、中国では6つの小国が覇を競っていたが秦(Qinチン)がこれを統一した。だから秦(チン)の名が現在のチャイナChinaの基になっている。
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mh:その他の5国は趙Zhao、楚Chu、魏Wei、燕Yan、斉Qiです。

秦による統一の戦では、当時の人口3千万人の内の2百万人が死んでいる。始皇帝は全土に7百の宮殿を造った。
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内戦で手一杯の秦は匈奴の攻撃に何度も悩まされていた。
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ゴールマッドGol Modの第一発掘サイトで見つかった青銅部品は騎馬戦車のものだったことが確認された。小片となって散らばっている様子から、略奪が行われていたことが判った。
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玄室も荒らされているかも知れない。
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青銅の騎馬戦車は中国の戦車のレプリカで、皇帝の遺体とともに埋葬された副葬品だろう。
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200m離れた別の発掘サイトでは小さな墓の発掘が進んでいた。
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黄金の花模様の飾り物がいくつか見つかった。貴族の墓だろう。
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この花飾りも騎馬戦車同様、中国の文化の影響を受けたものだ。金はモンゴルの川で採取されたものに間違いない。

金の花飾りは玄室の壁を飾っていたはずだ。
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6月13日の朝、辺りは慌ただしくなっていた。
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バイク、馬、徒歩で人々が集まっている。丸二日行われる「ナダーム」と呼ばれる祭りを楽しむためだ。祭りの間、モンゴル人は働かない。そこで、発掘を中断し、みんなでナダームの見物に出かけた。
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呼び物の一つは馬のレースだ。
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騎手は子供だ。約22Kmを走って速さを競う、子供にはタフなレースだ。
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もう一つの呼び物はモンゴル相撲だ。日本相撲の源にもなった。戦いの前には鷲の踊りの儀式を行う。
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地面に倒れた者が敗者となる。
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近くでは馬のレースに参加した子供の家族が、勝者が戻ってくるのを今か今かと待っている。
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先頭が来た!勝者の一族が出迎える。
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勝者には「草原の騎手」という称号が与えられる。匈奴の時代と同じだ。
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ナダームが済むと発掘が再開した。今度は青銅の容器の断片が見つかった。
「君は大食家(glutonグルトン)のお面を見たことがあるか?これがそうだよ、taotieタオティエだ。」
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Wiki:饕餮(とうてつ、拼音: tāotièタオティエ)
中国神話の怪物。体は牛か羊で、曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔などを持つ。饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意である。何でも食べる猛獣、というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになった。
で、次の写真が代表的な饕餮(とうてつ)の姿です。中央が鼻で、その左右には上から、角、眉、目、口が描かれています。
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中国の銅鏡の欠片も見つかった。元の形は次のようなものだ。
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ここで我がピエールとネアバターはがっちり握手して喜びあいます。
ピエールがまた言いました「今夜は乾杯しよう!」
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しかし、いやなものも見つかった。盗掘に使われたと思われる木製のバール棒だ!
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やはり盗掘されていた!上から垂直に掘られた穴は、石か何かに突き当たった所で折れ曲がってから、玄室に到達しているようだ。
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「、棺がどうなっているか、最後まで掘ってみよう。」
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やはり盗掘されていた。遺体も残っていない!
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わずかに金の飾り物が見つかった。規模から考えて皇帝の墓に間違いない。
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皇帝の棺は地下55フィート(16.5m)に埋められていた。大きな墳墓だった。
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それが恐らく、敵軍によって燃え尽くされ、その上、盗掘にもあっていた。
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見つかった装飾品・・・
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陶器の破片・・・
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棺の木材のカーボンデイティングから造られたのは西暦30-50年だと判明した。匈奴の最後の皇帝フドウエルシ(注)の時代だ!
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(注)皇帝フドウエルシ(呼都而尸Hū dōu ér shī):呼都而尸道皐若鞮単于(ピンイン:Hūdōuérshīdàogāoruòdīchányú)というのは単于号で、姓は攣鞮氏(れんていし)、名は輿(よ)という。生年不明。死亡は西暦46年。

以上が最初のフィルム「The Emperor of the Steppesステップの皇帝」の粗筋です。
https://www.youtube.com/watch?v=E0B-vKoxaSE

補足ですが、匈奴、つまりステップの王国の創始者をご紹介しておきましょう。冒頓単于(ぼくとつぜんう)と言います。生年は不詳です。彼が単于に在位していたのは紀元前209~174年の36年間で、中国では秦末期~前漢前期でした。彼は、秦代に書かれた史書に初めて名前が出た頭曼単于(とうまんぜんう:~紀元前209年)の長男だったのですが、頭曼の寵愛する閼氏(えんし:単于の妻)が末子を生んだので、長男の冒頓を廃してその末子を太子に立てたいと考えた頭曼は、冒頓を敵の月氏へ人質として送ってしまいました。その後、頭曼は突然月氏を攻撃したため月氏は激怒して人質の冒頓を殺そうとしたのですが、冒頓は馬を盗んでなんとか逃げ帰ると、父の頭曼は彼の勇気に感心し、一万の騎兵を統率させました。冒頓はその騎兵の中からさらに自分の命令に忠実な者だけを選出し、父の頭曼と狩猟に出かけた際、父を射殺して単于となります。その後、近隣諸国を併合し、匈奴の大帝国を築いたのです。

ひき続いてYoutube「The Frozen Tombs of Mongoliaモンゴルの凍った墓s」を映像を中心にストリーミング調で簡単にご紹介しておきましょう。

フィルムの最初に登場する映像です。湖も広がるモンゴルの高原。石が丸く敷き詰められた場所が見えています。
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タイトルが出てきました:モンゴルの凍った墓(複数です)
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今回の発掘サイトはウランバートルから車で5日移動したアルタイ山脈の麓で、ゴールマッドGol Modから7百Kmも西にあります。
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赤い部分は匈奴の影響が及んでいた場所です。東の端はアルタイ山脈になっていますが、匈奴といえば、アルタイ山脈よりも東、つまりモンゴル側に広がった帝国のイメージが強く、ヨーロッパ側に重点が置かれたこの図は、ヨーロッパ人、特に今回の2つのフィルムを作成したフランス人、の関心の方向を示していると思われます。
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ペルシャの皇帝に貢物を献上するため匈奴の特使が都(ペルセポリス?)を訪れた時の様子か?
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このフィルムに何度か登場してコメントするフランスの歴史家です。発掘には参加していませんが、最初のフィルムにも登場し、今回も登場していて、発掘の先兵となった我がピエールより、格が高い考古学者だと思います。
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匈奴の遺跡から発掘された金の容器でしょう。発掘場所は不明ですが、恐らく、カザフスタンか、それよりもヨーロッパ側で、モンゴルではないと思います。最初にご紹介したフィルムで発見された品と比べると、明らかに新しい時代のものだと思われます。
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青銅(?)のスフィンクス。
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ペルシャやギリシャの影響が強く現れたスフィンクス。
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今回の発掘現場の一つです。発掘するのは石が敷かれた所、つまり墓です。
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地面にしみ込んだ雨水は冬に凍ってしまいますが、石を敷いておけば夏でも太陽の光が届かないために地表から3m程度になると永久凍土になってくれるようで、そこに埋葬された人間はミイラ化して腐らずに残っている可能性があるのです。
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我がピエール・アンリ・ジスカールPierre-Henri GISCARDです。発掘の先兵として最初のフィルムと同様、唯一人で現地に送られ、発掘の段取りを整える役を仰せつかっているのです。ま、今回のフィルムでは主役の一人くらいの扱いを受けていますので、下積み生活が報われたと言えるでしょう。
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Pierre-Henri GISCARDピエール・アンリ・ジスカール
Directeur Scientifique de l’Institut, 研究所の科学ディレクター
Fondateur et Directeur de la Mission Archéologique Française de l’Institut des Déserts et des Steppes
砂漠と草原の研究所のフランスの考古学ミッションの創設者兼ディレクター

ネットでピエールを検索しても単独では登場していません。考古学ジャーナルJ ARCHAEOL SCI, vol. 36「The warriors of the steppes: osteological evidence of warfare and violence from Pazyryk tumuli in the Mongolian Altai(2009)ステップの戦士たち:モンゴルのアルタイ地域のパジリク・ツムリ(パジリク古墳群)から見つかった戦と攻撃の骨学的証拠」の寄稿者8人の一人として7番目に名前が登場しているだけです。

モンゴル人の共同発掘者が匈奴の岩絵を見ています。
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鹿やオオカミや牛の絵のようです。
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木製の棺を開けてみました。木片に氷が残っています。
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中からいくつかの副葬品が見つかりました。

まずは木製の4本足の皿。足は本体に差し込まれていて、簡単にはずれました。
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木製の容器
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木製の馬。金箔で覆われていました。
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木製の短剣。昔は金箔で覆われていたはずです。
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埋葬の様子の解説資料です。男の脇の子供は生贄(いけにえ)で殺されたと考えられています。
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別の墓で見つかった棺。馬も生贄として棺の脇に置かれました。
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棺の蓋を開けています。
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棺の中で見つかった動物。長い角がついています。
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鹿の像かもしれません。
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取っ手が付いていたと思われる容器
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棺の中の様子
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死者とシャーマン(祈祷師):パジリク古墳(注)の壁画
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Wiki:パジリク古墳群(パジリクこふんぐん)
ロシア連邦、アルタイ共和国の標高1600mのパジリク河岸にある大型円墳5基、小型円墳9基からなる墳墓(クルガン)群。3世紀前半の古墳だと考えられている。

住民のゲル:太陽発電パネルと衛星通信アンテナが設置されています。標準的な家族のようで、今では衛星通信型の携帯電話を持つ家も多いようです。
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中でみんなが目を凝らしてみているのは・・・勿論テレビですね。
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発掘された墓の一つです。木製の棺が見えています。
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女性の戦士だと考えられています。頭には高さ50cmの飾り帽を付けていました。
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一緒に見つかった装飾品。金のようです。
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埋葬時の想像図
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ギリシャには女戦士がいたと言っていました。
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この絵はアルタイ系の女戦士の図
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墓で見つかった女性の頭蓋骨には矢で射貫かれたような穴があり、やはり女戦士だったのだろうと話していました。

棺は年代測定などの調査を終えたらウランバートルの博物館で保管されることになっています。
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ネットで見ると、この発掘レポートは2013年11月にフランス語で公開されていました。詳細は不明です。
The Frozen Tombs of Mongolia
https://www.youtube.com/watch?v=63M_HNxFeW4
(完)
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