Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

ティワナクの不思議

2014年2月にペルー・ボリビアを旅行した時、チチカカ湖畔の町プーノで一泊しました。翌日、バスとフェリーを乗り継いでチチカカ湖を横切りボリビアに入国し、またバスで首都ラパスに向かう予定だったのですが、ストライキで道路が閉鎖されたために朝8時の出発が午後1時頃にずれ、小型車でチチカカ湖の南を迂回してラパスに向かったのです。
00201.png
この経緯(いきさつ)をレポートしたブログを下記に挙げておきますので時間がありましたらご確認下さい。
2014年2月28日「チチカカ湖とウユニ塩湖の不思議な質問の答え」
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/preview/edit/da2dd16f4e98591840f5a1e9b9c2e7b4
同3月9日「南米で出会った人達の不思議」
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/preview/edit/68dc65af559a6df9a4a34feef3f22647

この変更のおかげでチチカカ湖から流れ出る唯一の川デサグアデーロ川に架かる橋を徒歩で渡り、国境を越えてペルーからボリビアに入国することになったのですが、国境から首都ラパスへの途中、ちょっと立ち寄った場所がありました。それは今振り返って考えてみるに、今回の不思議「ティワナクTiwanaku」だったのです!!!
00202.png
計画では訪れるスポットではなかったので用意周到なmhの調査対象外でしたし、さらに不運なことに、ラパスに続く主要道路の途中で折れて脇道に入り、確かに遺跡の近くまで行ったのですが、生憎と観光客には閉鎖されていたようで中に立ち入ることが出来ず、車を降りて数分、遠くから見ただけで「何か、土が盛り上がった所が広がっているなぁ」程度の印象しかなく、帰国するとすっかり記憶からも消し去られていました。

その場所が、メソポタミアと肩を並べる古代文明の発祥地で、世界で最も高地に残された古代文明の遺跡で、おまけに世界遺産にも登録されていたっていうんですから、折角のチャンスをつかみ損ねたmhの落胆は測り知れません。ま、湖畔の町プーノでストライキに出くわさなければ立ち寄らなかった場所ですから、近くに行っただけで幸運だったと言えなくもありませんから、私にとって不思議なめぐりあわせの場所と言えます。

話はそれますが「文明が発祥するための最も重要な必要十分条件を挙げよ」っていう漠然とした問を投げかけられたら皆さんはなんて答えますか?川?文字?町?言葉?土器?信仰?

川かも知れません。世界四大文明はナイル、チグリス・ユーフラテス、インダス、黄河、という大河の畔(ほとり)で生まれました。しかし、アマゾンやミシシッピー、ガンジスなど他にも沢山の大河があるし、ブログで紹介したペルーのカラル遺跡、トルコのギョベクリ・テペ遺跡などは極めて小さな川のそばで生まれた文明であることを考慮すると、川さえあれば文明が生まれるということなら何百何千の文明が世界中で生まれていなければなりませんが、実態はそうではありません。よって川は正解とは言えず、また、文字や町や言葉や土器や信仰は文明が発祥してから生まれるものとも言えそうですから、少々、的外れでしょう。
・・・
・・・
文明が発祥するための唯一最大の必要かつ十分な条件、それは「農業」だと思います。農業で収穫された食糧を糧(かて)にして人が生きている場所は、必要量の水と、作物の育成に適した気候が確保されていて、大抵の場合、人はその場所に定住しています。定着していると人々の間の助け合いが自然発生して集落が生まれていったに違いありません。そして、集団で定住生活を始めるようになって初めて文明が現れたのではないかと思います。アマゾンでは焼き畑農業が行われていました。そういうところでは、次から次に焼き畑を行いながら移動していくため、定住することはなく、文明は生まれません。しかし、一般的に、農業で暮らしていこうとすれば定住することになり、集落ができることで諸々のシステムが生まれ、言葉や規則、収穫を左右する気象への関心の高まり、などが発生し、これらが文明になっていくのではないでしょうか。

遊牧民が暮らすモンゴルでは、河や草原があるわけで、農業を営むことだって可能だったのですが、土地を耕して、種をまいて、育てて、収穫するという農業独特のゆったりしたプロセス・サイクルではなく、馬を駆けて草のある場所を巡り廻り、家畜を放し飼いしてその辺りに生えている草を食べさせながら育て、家畜の乳や肉に頼って暮らす、農業と比べたら自由奔放な生活サイクルを選んでしまうと、町は出来ず、従って文明も生まれないのだと思います。かくいうmhは、どちらかというと遊牧民族の生活への憧れが強く、そんな場所を求めて海外旅行を続けているのかしら、と自己分析している次第です。

以上はmhが思いついた結論ですが、よ~く考え直すと、また別の答えが出てくるかもしれないという、少々心もとない気分が残っていることは正直に認めなければなりません。

さてさて、何のための前置きか、焦点も段々とそれてきて、皆さまからは「いい加減に本題に入れ!」とのお叱りが出てきたようですから、いよいよフィルムの紹介を始めさせていただきましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現地の言葉で「世界の中心にある石」ティワナク・・・
海抜3900mの高地に造られた「一枚岩の寺院」
00203.png
今回は3千年前にアンデスの高地で生まれた文明「ティワナク」についての物語だ。
それは単なる場所ではない。長い年月をかけて人々によって創られ、5百年続いた文明でもある。
00204.png
どうして、このように厳しい自然環境の中で人々は繁栄し文明を創ることが出来たのか?今それが考古学者の努力によって明らかになってきた。
(中心の石Stone at the Center)
00205.png
ペルーとボリビアにまたがるアンデス山脈に沿ってアルチプラノ高地が広がっている。
00206.png
標高3千8百メートル以上の荒涼とした大地に高木が育つことはなく、雨も少ない。
00207.png
呼吸は困難で、温度は昼間でも20℃程度、夜には零下まで下がることもある。しかし、そこにも人は暮らしている。西暦600年から1100年の5百年の間、この地には数百万の人々が暮らしていた!その人々が創った文明は、ボリビアは勿論、ペルー、チリ、アルゼンチンにも影響を及ぼしていた。

文明を築いた人々の子孫は今もこの台地で細々と暮らしている。
00208.png
その一人を訪ねてみた。アイマラと呼ばれる、インディオの一部族だ。彼等の祖先は6千年前、この辺りで暮らし始めた。
(mh:フィルムで見るアイマラの人は、私がボリビアに訪れて出会った人と比べても背が低い人が多く、今更ながら驚きました!)
00209.png
彼等にとってリャマは大切な家畜だ。群れにして何匹も飼っている。
00210.png
リャマの毛から糸を紡ぎ、布に織って寒さから身を護る服を作るのは女の重要な仕事だ。使われる糸の色は昔から集落ごとに定められている。
00211.png
リャマは布以外でも大いに役立っている。まず、糞は乾燥して肥料に使う。これがないと農業の収穫は半分以下だ。
00212.png
また、空気の薄い高地でも長い時間動き回れるので、四輪車やトラクターの役目も果たしてくれる。
リャマの群れを保有しているかどうかで、この高地で生き残れるかどうかが決まると言っても過言ではない。
00213.png
アルチプラノ高地のペルーとボリビア国境にあるチチカカ湖の畔(ほとり)。3千年前から農業が行われている。
00214.png
耕地は22千平方マイル(5万6千平方Km)も広がっている。近くのチチカカ湖は世界で最も高地にある航行可能な湖だ。その周辺はチチカカ盆地とも呼ばれている。

標高3千5百mもあるこの高地で農業が可能な理由は、チチカカ湖一帯に固有の微気候(microclimateマイクロクライメイト)による。湖の水が他の乾燥した高地にはないマイルドな気候を作ってくれるのだ。その上、チチカカ湖に流れ込む川が運んできた沈殿物は肥沃な土壌となって作物の生育を促進してくれる。
00215.png
この土地からティワナクの生活や文明は発生した。しかし厳しい条件が多いため、気象変化があれば収穫量は大きく変動する。
00216.png
そこで、人々は土地を変革して収穫を安定化する方法を見つけ出していた。灌漑耕地だ。その痕跡は今も草原に残っている。
00217.png
川や湖から耕作地まで特殊なパターンで水路を巡らして水を引き込んでいた。
00218.png
山で溶けた氷河の水が水路に運んでくる肥沃な土壌を掬(すく)い上げては耕作地に積み上げ、作物の栄養源とした。
また、水路に溜められ昼の太陽で温められた水は、夜の冷え込みを抑制する機能を果たした。つまり耕作地一帯にも微気候microclimateが形成されていて植物を霜などから守る役目を果たしていたのだ。収穫量は灌漑していない場所と比べて25%も多かった。
00219.png
この灌漑農業は一人の力では成し遂げられないし維持することも出来ない。この地では集団で農耕する習慣が生まれていたのだ。
こうしてティワナク一帯は数万人の食糧も確保できる一大農耕地となり、次々と集落が生まれていた。
00220.png
チチカカ湖の周辺に分散している集落で考古学者は沢山の寺院跡を発見している。今も人が暮らしている小さな集落にその一つがある。
00221.png
地面を2mほど掘り下げて造られた長方形の区画で、周囲の側面は大小の石で組まれた壁で補強されている。「沈んだ広場Sunken Court」だ。
00222.png
3千年程前に造られ、神に祈りを捧げたり、豊作を祈念したりする寺院の機能を果たしていた。広場の周辺に集まった人々は2m下の広場で行われている行事を見下ろしていた。
00223.png
側面のところどころにはめ込まれた様に立つ大きな石には血の跡が残っていた。今もリャマの生贄(いけにえ)の儀式では血がかけられている。
00224.png
分散した沢山の集落のそれぞれの寺院でおこなわれていた祈りの儀式は、後には大寺院で行われるようになっていく。

アンデスの高地・・・
00225.png
祭りの日、コーカラという小さな村にどこからともなく人々が集まってきた。いつもなら250人の村はお祭りになると4千人に膨れ上がる。飲んで、踊って、ボリビア式のパーティを開くのだ。
00226.png
アンデス固有の竹笛を吹き鳴らして楽しそうだ!
00227.png
mh:
民族楽器:サンポーニャ(西: zampoña)
南米アンデス地方の民族音楽フォルクローレに使われる笛の一種。先住民の言葉アイマラ語ではシーク(sicu)と呼び、またこの楽器を使用した合奏をシクリアーダ(sicuriada)と呼ぶ。
(mhスペインは漢字(中国語)で西班牙です)
00228.png
ケーナ(quena):
南米ペルー、ボリビアなどが発祥の縦笛(気鳴管楽器)。
00229.png
ご興味がありましたら「El Condor Pasaコンドルは飛んでゆく」をしばしお楽しみください。
https://www.youtube.com/watch?v=lEe92FfxmJk
00230.png
集まるのは人ばかりではない。リャマも群れを成してやってくる。
00231.png
羊もやってくる。みんな、この荒涼とした高地を歩いてやってくる!!!
00232.png
スペイン人コンキスタドールが持ち込んだキリスト教は今では人々の大切な心の支えだ。町を訪れた人々は必ず教会に寄って敬虔な祈りを捧げる。
00233.png
教会を一歩外に出れば、そこは賑やかなお祭りの場所だ。
00234.png
男も女も音楽に合わせて踊り歩く。今年の豊作を祈念するためだ。お祭りが賑やかな程、収穫は期待できる。それが3千年前から受け継がれている儀式の一つだ。
00235.png
ティワナクはおよそ8世紀をかけて拡大し、紀元前200年頃になると、南アメリカでは例がない大きな寺院複合体Temple Complexの建設を始めた。

チチカカ湖畔から16Kmくらいのアイマラの集落に「中心に置かれた石」を意味するティワナクが造られた。
00236.png
巨石を彫って造られた何体もの像が広場などに立っている。
00237.png

最初に完成したのは「沈んだ寺院Sunken Temple」だ。周囲の石垣の石は高度な石材技術によって隙間なく積み上げられていて、表面も研磨されたように滑らかだ。
00238.png
しかも大小の石が見事に組み合わされ、所々に当時の人の顔が彫られた石が嵌め込まれている。
00239.png
小高く積み上げられたピラミッドの丘から見た太陽の寺院。西暦500年頃に出来たものだ。中庭の中央に立つ巨像の周りに観光客が集まっているのが見える。
00240.png
mh:ここでティワナクの遺跡の概要をGoogle Earthと鮮明な写真でご紹介しておきましょう。
00241.png
ピラミッドから見た写真:右は沈んだ寺院、左は太陽の寺院
00242.png
沈んだ寺院越しに太陽の寺院を見た写真。中庭に立つ巨像が門からのぞいています。
00243.png
太陽の寺院の広場の北西部にたつ太陽の門。一枚岩から造られ、表面にはカレンダー、中央上には太陽・雨・収穫を司る神が彫られています。
00244.png
太陽の寺院から西に約3百m離れた丘に残る月の門。これも一枚岩から出来ています。
00245.png
1500年前、数万の人々が集まって儀式を行ったと言われる太陽の寺院の広場を西に向かって歩いているところ。
00246.png

ティワナク遺跡を支配している大きな台地・・・
00247.png
そこでは巨石が沢山使われている。重い石は50トンもある。当時、車輪は使われてはいなかった。どんな方法でティワナクの寺院が造られたのかは考古学者の関心を引く点だった。
00248.png
火山性の石なので切り出したポイントは特定しやすい。
00249.png
約40Km北西の、チチカカ湖に突き出た岬にある石切り場QUARRY SITEだ。
00250.png
途中には放棄された岩ABANDONED STONESが何個か残っている。
どんな方法でこのように大きな石を運んだのだろう?
00252.png
湖を利用して運んだのは間違いないだろう。それ以外には考えられない。
00253.png
チチカカ湖にはトトラと呼ばれる葦(あし)が生えている。湖で人が暮らす浮島の材料としても使われている。
00254.png
このトトラは昔から船の材料として使われてきた。トトラの船は浮島の住民の大事な足だ。今も造られ、使われている。
00255.png
トトラの茎の断面には中空の細いパイプが沢山ある。従って強くて軽い。
00256.png
試しにトトラの船に乗ってみた。想像していたよりもしっかりしている。その上とても軽くて浮力は十分だ。
00257.png
2002年、全長15mのトトラの船が造られた。
00258.png
その船には昔の石切り場で9トンの石が積み込まれた。
00259.png
船は岬を迂回し、ティワナク遺跡に向けて湖面を移動した。
00260.png
その時のルートは次の通りで、全行程24Km。昔の石材搬送ルートも似ていたはずだ。
00261.png
船から陸に石を移す作業は女も子供も加わって50人で行われた。
00262.png
その50人で陸揚げされた石が丸太の上を縄で引かれて移動した。
00263.png
「これがその時の石だ。1時間足らずで60mも動かすことが出来たんだ!」
00264.png
当時、車輪などの便利な道具は無かったので、陸での石の移動は農作業と同様、大勢の人々が集まり、石に架けた縄を引いて運んだに違いない。
00265.png
「大勢の人が、あたかもお祭りを楽しむように集まって、集落ごとに石運び競走を楽しんでいたのではないだろうか。」
00266.png

ティワナクは大きなお祭りの場所としてだけではなく、別の目的でも使われたことが判ってきた。太陽の動きを知る場所でもあったのだ!
00267.png
集落の長など重要な人々が太陽の寺院の広場の中央に立ち、日の出と日の入りが外壁のどこで起きるのかを確認した。大きな石は夏至や冬至、春分、秋分を決めるものだ。例えばあの大きな石から太陽が昇る時が夏至だ。
00268.png
つまりこの広場「カラソサヤ」は大きなカレンダーだった。お祭りの日やお祈りの日も決められていたに違いない。

「もし、ここに西暦500年にこの広場を訪れたら、白い服を着た人が広場の中央に立ち、カラフルに塗られた石の上でコカの葉を噛んだり、麻薬のような薬を飲んだり嗅いだりして精神を高揚させながら、太陽に祈りを捧げているのを見るだろう。」
00269.png
広場の土の中から見つかった土器のビアグラスから、ティワナクの人々にはビールを嗜(たしな)む風習があったことが確認されている。
この石像・・・左手にビアグラス、右手に精神高揚の嗅ぎ煙草パイプを持っている!
00270.png
昔、色とりどりに塗られた石の広場には大勢の人が集い、儀式が行われていた。
00271.png
儀式は祈祷師が取り仕切っていたのだろう。人々は太陽とともに生活のリズムを築き上げていたのだ。
00272.png

このような人々のユートピアのような生活にも暗黒の部分が出現しつつあった。2005年、冬の太陽が沈む壁の辺りの地中で、考古学者があるものを見つけた。この倉庫の中に保管されている。
00273.png
小さな頭蓋骨に穴が開いている。子供だったのだろう。生贄にされたのだ!
00274.png

ティワナクで生贄の証拠が見つかったのは初めてだった。多くの生贄は農繁期と雨季に行われていたという。農業の収穫量がどれほど人々にとって重大な関心事だったのかが判る。

寺院の完成から200年後、アカパナ・ピラミッドが造られた。完全に人口の丘だ。
00275.png
その後、千年以上を経て、形は大きく変わってしまった。今の高さは17mだ。
頂きに立つとカラソサヤ(太陽の寺院の広場)で行われている儀式は手に取るように眺められる。
00276.png
エジプトだったらファラオ(王)がここに立って儀式を統括しただろう。しかし、ティワナクにはファラオやリーダーがいた証拠は全く見つかっていない!王のために造られた建造物なども何処にも残っていないのだ!

山からの雪解け水はティワナクの広大な灌漑地を潤していた。ティワナクを統治していたのは、人間ではなく、自然崇拝という思想だったのだ。
00277.png
ここ「中央の石」ティワナクは厳しい自然の真っただ中にあったのだ。
00278.png
ティワナクのイメージを更に正確に理解するためボリビアの首都ラパスを訪れた。
00279.png
標高3600mの、世界でも最も高地にある首都だ。
00280.png
博物館にはティワナクの手工芸品が展示されている。
00281.png
ティワナクで行われていた古代の祭りの様子が沸々と湧いてくる。
00282.png
印象的なものがあった。ティワナクで見つかった頭蓋骨だ!極端に変形している。これはティワナクのエリートの特徴だ。
00283.png
勿論、ティワナク遺跡で見つかったケロスkerosと呼ばれるビアカップもある。形といい文様といい、ティワナク独特の土器だ。特に儀式の時は、この容器にビールを注いで飲むのが仕来りだった。
00284.png
ティワナク独特の図形が織り込まれた布も展示されている。
00285.png
リャマの頭を表していると思われるパターンが繰り返して現れている。
00286.png
ティワナクの歴史を記したものは残っていない。だからといって、記録が全く残されていなかった訳ではなかったのだ。布に繰り返して現れる図形は当時の人々が何をどう見ていたのかを語りかけている。その言葉はまだ正確には解読できていないが、きっと彼らが紡ぎ出した物語がこの布に織り込まれているのに違いないのだ。
00287.png
西暦700年頃になるとティワナクの文明がチチカカ湖周辺から数百キロメートル以上も離れたチリやペルーにも普及していたことが判ってきた。
00287a.png
そして驚くことに、この文明の普及は平和的に行われていた。決して土地を占領し植民地化し帝国化するためではなく、文明を共有し生活を豊かにするためのものだったのだ。

チチカカ湖畔から4百キロメートル東、海抜は1500mも低いコチャバンバの町にその証拠が残っている。
00288.png
これが海抜2、250mの近代都市コチャバンバだ。
00289.png
ティワナクの文明がリャマや人々によって西暦750年頃にこの地に伝えられた時、ここは細々と農業が営まれる場所だった。しかし、チチカカ湖周辺と比べて格段に温暖な気候のこの地で農業が発展しない訳は無かった。ティワナクではジャガイモ中心の農業だったが、この地ではいろいろな作物が豊富に収穫されるようになっていった。
00290.png
今も市場には沢山の種類の果物や野菜が豊富に並んでいる。そして、この「メイズmaize」も山ほど栽培されることになった!ティワナクの人々にとって重要な飲み物「ビール」の原料だ!
00291.png
mh:とうもろこしはコメ、小麦と並ぶ世界三大穀物の一つで「Corn(コーン)」と呼ばれますが、これは米国、カナダ、オーストラリアなどでの呼び名で、その他の国では一般に「Maize(メイズ)」と呼ばれているようです。ちなみに「コーン」はイギリスでは小麦、スコットランドやアイルランドではオーツ麦を指すようです。今回のフィルムはBBC製作ですからイギリスで、よってメイズと呼んでいました。

ボリビアでチーチャChichaと呼ばれているメイズビールの醸造所を訪ねてみた。
00292.png

これがチーチャだ。
00293.png
ティワナクがこのコチャバンバの谷間にやって来たのは、ビールの原料を求めていたからではないかという説もあるくらいだ。
(mh:若いイギリス人レポーターのジャゴ・クーパーは「Quite tasty!とてもおいしい」って言ってますが本当かなぁ?見かけはとても飲めるような代物ではありません!)

しかし、数百キロメートルも離れたこの地にティワナクの人々はどのようにして到達することになったのか、どんな過程を経て、この地の自然の恵みをコントロールすることになったのか?
それを知るには当時の跡が残る場所に行ってみなければならないだろう。
00294.png
1985年、コチャバンバの郊外で建築工事を始めようと丘の土を掘り始めると沢山の人骨が現れた。工事は中止され、考古学者が発掘を引き継ぐことになった。
00295.png
1300年前の遺跡だと言う。キャリン博士に説明してもらった。281

「一番下の地層は西暦700年から750年のものよ。上の地層は西暦1100年の地層でティワナクの末期のものなの。」
ということは、ティワナクはおよそ4百年の間、この地をコントロールしていたことになる。
00295a.png

ここは人々が代々暮らし続けていただけではなく、死体を葬るところでもあった。尖った頭蓋骨が見つかっている。幼いころから頭を布などで強く巻いて変形させていたのだろう。
00295b.png
勿論、ティワナクのビアカップ「ケロス」も発見された。デザインはティワナク調だ。しかし、ティワナクから持ち込まれた物ではない。この地で造られたものだ。その証拠にカップの内側にはティワナクのカップには見受けられない模様が描かれている。
00295c.png

ボリビアの伝統ビールのチーチャ。ティワナクから生まれ、今もチーチャ・バーで大勢の人に親しまれている。
00295d.png
西暦1000年代、ティワナクの文化はチチカカ湖一帯からアンデスを越えた遠方まで広がっていたのだ。
00295e.png
ティワナクは王国でも帝国でも無かった。その基本は人々の生活を通じた集団性だった。決して覇権をしてはいなかった。平和的な文化拡大だったのだ。そしてそれは理想的に機能していた。

しかし、そうした環境はいつまでも続くことはなかった。
(mh:お釈迦様も仰るように、諸行無常、栄枯盛衰は森羅万象の定めなのです。)
00295f.png
次に行く所はあの雪に覆われた標高5千m以上の山だ。チチカカ湖の死命を制しているとも言える所だ。

ティワナクは太陽と雨の絶妙な組み合わせを生活の拠り所としていた。そして山から流れ来る雪解け水で耕地を灌漑した。全ての儀式は、これらの自然の恵みが順調に続くことを祈願したものだと言える。

しかし、繁栄を始めて5百年過ぎたところでバランスが崩れてしまったようなのだ。
00295g.png
ティワナクは世界でも最も高地で生まれた文明だ。気候の変化は他の文明発祥地とは比較にならない規模の影響を及ぼす。特にアンデスの氷河はティワナク文明の繁栄を左右する重大な要因だった。
その氷河が溶けるのを止め、流れ出す水の量が激減したらどうなるのだろう。それは現実に起きることになった。

今歩いている氷河は段々と死んでいく氷河だ。全長は毎年15m短くなっている。表面状態から、西暦1100年以降、この氷河から流れ出す水が激減し旱魃が常態化していることが判った。
00295h.png
ティワナクに流れ出ていく雪解け水の量は年々、急速に減っていったのだ。いくら神に祈っても、この自然の流れを変えることは出来なかった。
00296.png
西暦1100年頃、偉大なティワナクの寺院は見捨てられることになった。一枚岩から彫られた神々の顔は失望した人々に寄って辱められてしまった。
00296a.png
しかし、ティワナクが放棄されたからといってティワナクの人々が死に絶えてしまったわけではない。散り散りになってしまったが、あちらこちらで小さな集落を形成し、暮し続けていた。
00296b.png
ティワナクの寺院はスペイン人のコンキスタドール(征服者)がやってくるまでの400年間、廃墟のままだった。
00296c.png
コンキスタドールは見捨てられていたティワナクの寺院を見て、その素晴らしさに驚愕した。しかし、彼等は寺院をそのまま、そっとしておかなかった。
00296d.png
これは現在のティワナクの教会だ。1580年から1612年にかけて建設された。
00296e.png

建設に使われた石材は全て、古代ティワナクの寺院で使われていた石だ。ここに立っているキリスト教の聖人石像も古代ティワナクの石像を削って造っている。
00296f.png
1865年、ボリビアはスペインの支配から独立した。
00296g.png
以降、少しずつ、自分たちの運命を自分たちで築き始めている。
00296h.png
古代ティワナクを放棄して1千年を経た今日、現地人のアイマラはティワナク寺院を自分たちの管理下に置こうと政府に働きかけている。
00297.png
9月21日の春分の朝、アイマラのリーダーたちは太陽に向かって祈りを捧げた。
00297a.png
1千年前、ティワナクでは人々の集団の力で生活が営まれ寺院が造られ、維持され、文明が育まれていた。
00297b.png
百万人を超える人々がティワナクの文明の恩恵を受けながら寺院と共に暮らしていた。
00297c.png
そして今も、この寺院で、古代の仕来りに従って儀式が執り行われている。また新たに生まれ変わろうとしているのだ。
00297d.png
Lost Kingdoms Of South America S01 E02 The Stone At The Centre
https://www.youtube.com/watch?v=ZmT0lBSc54o
最後になりますが、このフィルムのプレゼンテイターのジャゴ・クーパー氏の経歴の概略をご紹介しておきましょう。
次の写真はブログ「チャチャポヤの不思議」でご紹介したクエラップKuelap Fortressで撮影されたものです。
00297e.png
Jago Cooper (born 1 June 1977) is a British archaeologist(考古学者) and the Curator(学芸員) of the Americas at the British Museum whose career has focused on the archaeology of South America and the Caribbean, in particular the historic effects of climate change on island communities. In recent years he has written and presented a series of programmes for BBC Four(BBC4チャンネル), including Lost Kingdoms of South America, Lost Kingdoms of Central America, Easter Island(イースター島): Mysteries of a Lost World and The Inca: Masters of the Clouds(雲の支配者;チャチャポヤスです!).
(完)
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する