ザ・ガンジーズThe Ganges(ガンジス川の英語発音です)。
(以下ガンジー/ガンガーとさせて頂きます。)
これらの神聖な水(watersとsが付いて複数の流れ)とそれらが流れる平原(sがついて複数です)は想像を絶する多様な生命に滋養を与え続けている。
そして、その岸辺に暮らす人々はガンジーがもたらす自然と強く結びついて生活している。
しかし、このように密接な関係は、何世紀も経緯する時の流れの中からどのように生まれ、育まれてきたのだろう。どんな生物が現れては繁栄し、または消滅しようとしているのだろう。
(砂漠を流れるガンジーの支流)
(タージ・マハルを流れるガンジー)
(コブラの村)
(ガンジーに棲息する川イルカ)
(コルカタのゴミ山を住家とするブラック・カイト)
(ガンジス河岸を越えた洪水)
(ヒンドゥの聖地バラナシ)
(バラナシ付近かと思いますが・・・)
River of Life命の川・・・
12年に一度おこなわれているクンブ・メーラKumbha melaには5千万人がガンジーの岸部に集まってくる!
ヒンドゥ教のこのお祭りは世界で最も人が集まる行事だろう。
この光景に出会うと、ガンジーが5億人の生活を支えている川であることに改めて気づかされる。
地球上の10人に一人が、肥沃なガンジス平原に支えられて生きているのだ。
しかし岸辺に集まる巨大な群衆はガンジーが持つ偉大な力の一部を示しているに過ぎない。
ガンジス平原は、かつてインドでもっとも野性に満ちた場所だった。ガンジス川は山岳地帯から流れ始め、世界で最大のデルタに流れ出て終わりとなる。
約2400Kmに渡って北部インドの中心を流れ下る大河だ。
この広大な平地はガンジス平原として知られている。
川は山々が連なるヒマラヤの麓で初めて平地に出会う。
ヒマラヤ山地を流れ下る水は冷たく、速い!
山を下るにつれて流れは緩やかになり、平地に出て広がると、海を目指してゆっくり流れ始める。
平地では、流れの周辺に草原がうまれた。
この青々した平原はテライと呼ばれ、インドで有数な農耕地の一つだ。
草は1年で4mも延びる。
大型の野生動物だって何処に隠れているのかわからない。
テライのほとんどは農耕地として開拓されているが、それでも部分的にこのような草原が残されていて、野生動物の棲む場所になっている。
かつて、この地に暮らしていたインド犀(サイ)はガンジス平原全域にまで勢力を広げていた。鹿は今でも多い。
しかし、獲物の近くには必ずそれを狙う捕食者(プレデターpredator)がいるものだ。
このような湿原にトラが暮らしているのは驚くべきことだ。
生息数が少なくなったとはいえ、まだこのような動物が生き残っていることは、かつてガンジーがどれほど豊かな自然を産み出してきたかを物語っている。
そしてこのような土地に人が初めてやってきたのは4万年前だった。
人はガンジーが彼等の生活を支えてくれる多くの生命で満ちていることに気付いた。
そこで川岸に住み着くことにした。今日でも多くの人が魚を捕って生計を立てている。
ガンジー河岸に集まってきた人々は流れに沿って徐々に広い地域に拡散し、増えていった。
ダライを離れて流れ出たガンジーは川幅を広げながら、焼けつくような大地が広がる場所にでる。
ガンジーを1本の川と考えると理解することは出来ない。というのは何千もの支流の水を集めながら海まで流れているからだ。
多くの支流は、それ一つでも大河だ。
ガンジーの南側の台地から流れ出る水もガンジーと合流する。
とても考え付かない所から流れ出している支流もある。
西インドの砂漠から流れ出すチャンブァルChambal川だ。
mh:Chambal川は次の地図の左端部を流れる大河です。
地下から湧き出る泉の水を集めて平原に流れ出る。
かつてガンジー一帯で繁栄していた動物がまだ川辺で見受けられる。
渡り鳥のバー・ヘディッド・ギース(?Bar-headed-geese)はヒマラヤから、この砂漠の地にやってくる。
スプーン・ビルSpoon-bill(スプーン状の嘴(くちばし))
インディアン・スキナーズが魚を捕る姿は1年じゅう見受けられる。
水面すれすれに飛びながら下の嘴(くちばし)の外側で魚を感知して捕まえる。
人間の影響で川は大きく変化してきたが、今も川に住み着き、自然の恵みを受けている変わった生物もいる。
夜のとばりが砂漠に落ちると現れるのだ。
5月の暖かい夜、カリオァと呼ばれる鰐(わに)は奇妙なうめき声に導かれるように陸に上がってきた。
カリオァのメスは砂の中で卵から孵(かえ)った子供の泣き声が聞こえてくる所を掘り返し、子供が楽に地中から出られるよう手助けする。
捕食者に見つかり食べられてしまわないよう、子供は素早く砂浜を下って母なる川を目指す。
カリオァのメスの体長は6mもある。彼等は夜、狩りをする。
子供のカリオァは、昼間はいつも母親のそばを離れない。他の動物に食べられないよう守ってもらうのだ。
6ヶ月は子供の面倒をみる。時には母親同士が交替で面倒を見て、手がすいた方が狩りをする。
平地からガンジーに合流する支流は少なく、多くの支流は雪山から流れ出している。
水源は高山が連なるヒマラヤ山脈だ。
エベレストもガンジーを潤す山だ。
ここで水を生み出すのは雨ではなくて氷だ。
氷から生まれる水は、乾季でもガンジーに安定した量の水を提供している。ガンジーの水のほぼ半分は氷河が生み出しているのだ。
5月、平地の気温は急上昇して50℃になる。
流石のガンジーも干上がって、細く、浅い流れになる。
大地は太陽で焼かれて乾燥していく。
もう耐えられなくなった頃、大気の様子が変化し始める。海からの風が大量の水蒸気をはこんできて、夏空には雲が現れる。
6月中旬、黒い雲と共にモンスーンが到着する。
連日、灰色の空が続き、大量の雨が降る。
モンスーンが乾いた土地で暮らす全ての生物を生き返らせるのだ。
誰もが待ち望んでいた雨だ。
3か月間大地に降り注いだ大量の雨水は、再び海まで流れていく。
しかしヒマラヤに降った雨は、山を削り、土砂を平地に運んでくる。
ガンジーは大量の水を保持し続けられず、余剰の水を川岸の外にまき散らしていく。
こうして何千平方Kmもの平地が洪水に襲われ、水浸しになる。
モンスーンが終わり、あふれ出ていた水が引くと、自然の恵みが現れてくる。肥沃な土壌だ。
ヒマラヤのミネラルや有機物を含んだ5億トンもの土壌が毎年運ばれてくるのだ。
数百万年の間くりかえされ、平地は肥沃な土壌に生まれ変わっていた。ところによっては、この土壌は深さ5Kmもある。
お蔭で何千年もの間、この肥沃な平原は、ガンジーの水の恵みも受けながら、ここで生活する人々に大量の収穫を提供してきた。
農業が安定し、繁栄し始めると、人々は奇蹟的な恵みをもたらしてくれるガンジーに深い感謝を示すようになった。
mh:マリーゴールドだと思うんですが・・・
インドでよく見かける花です。神へのお供えや花飾りなどでよく使われていて、火が付いた蝋燭にこの花が添えられたフロート(灯篭流し)がガンジーを流れるシーンが後段で出てきますのでご確認下さい。
しかし、人々に最も尊ばれている植物はなんといっても「米(コメ)」だろう。
乾季と洪水が繰り返された7千年の間、コメはずっと主食の穀物だった。
平原は水田で埋め尽くされ、この地はインドの食糧倉庫になった。
米作は大地の姿を変えただけではない。新しい生物に住家を提供することになった。家鴨(あひる)だ!
インド人は動物を天才的な方法で使う名人だ。家鴨飼いは古くから伝わる、実入りの好い職業だ。卵を産んでくれる。
足のびれで水田の泥をかき回してくれるし、雑草を食べてくれるし、有機物に富んだ糞は肥料としてコメの成長を助けてくれる。
湿田は家畜や家鴨だけではなく、野生の鳥にも住家を提供してくれる。
幸運を運んでくると言うソーレス鷺(さぎ)だ。首を延ばして立つと2mもある世界最大の飛鳥だ。
優雅にダンスをし、ゆっくりと羽ばたいて飛行する。
環境の変化に合わせて繁栄する動物もいる一方で、農業の拡大で生存が危ぶまれる動物もいる。
木々が茂る島のような土地には、アフリカのサバンナを思わせる動物がいる。ライオンだ!
かつて大量のライオンやチーターがインドで生息していたことは忘れ去られようとしている。
人間の生活環境が変わり、それにつれて自然の環境が変わる中で、このような捕食者(他の動物を捕まえて食べながら命を繋ぐ動物)はいつまで生き残れるのだろうか。
ガンジーは交通手段を提供し、文明を育んできた。それにつれて野生動物は徐々に住家を失っている。
水上交通が発達し始めると、小さな取引で始まった村は大きな港町に変化していった。
文明が成熟し、それと共に宗教は高度化していった。
mh:この花です!黄色のマリーゴールド?きっと聖者か神像に捧げられていた花輪です。
そして、ガンジーの岸部でヒンドゥ教が生まれることになった。
周辺の自然を組み入れながら多様な神々を生み出していく。
しかし、どんな時でもガンジス川、つまりガンジー、が信仰の中心に置かれていた。そしてガンジーそのものもがヒンドゥ教にとって重要な地位を占めることになった。ガンガー、創造と豊潤の女神だ。
ガンジーで、他の場所よりもずっと尊いと考えられている場所がある。
バラナシだ。ガンジーのほぼ中心に位置している。
バラナシはガンジー河畔で生まれた最古の町で、ヒンドゥ教と強い関係を持っている。
多くの信者が訪れて沐浴し、川に向かって祈りを捧げる所だ。
ヒンドゥ教ではいろいろな動物が神として崇められている。象の頭を持つガネーシャ、サルから生まれたハヌマンという戦士、はよく知られているが、それ以外の多くの動物も神と考えられている。
神とされる動物があまりに多いので、どの動物の神がどんな理由で崇められるようになり、どんな幸運を運んでくれるのかを正しく理解することは難しい。
時には、ある人には神でも、他の人には悪魔だ。
毎年、2万人のインド人がコブラの毒で死んでいる。多くのインド人はコブラを嫌っているが、この村では違う。重要な信仰対象だ。おかげで、村のあちらこちらでコブラに出会う。
村人はコブラと共に暮らし、コブラを見ても、コブラが近づいても怖がらない。
コブラに噛まれるのはこの村では稀なことではない。しかし、噛まれても治療を受けることを拒否するという。
村では誰もコブラの毒で死んだ者はいないという。
子供でさえも奇蹟的な回復をしている。
mh:ここでも黄色いマリーゴールドが使われています!
村人はコブラの神に毎日、祈りを捧げている。
ヒンドゥ教はガンジーに沿って急速に広がっていった。
信仰は野生動物の保護にもつながっている。自然を敬うという思想だ。
ここバディシュロという町では住民が身近な動物に極端に寛大なのに驚かされる。
ゲトゥマキャッツ(?猿ですが・・)は町中でも我が物顔に振る舞っている。
焼いたナンは、ちょっと目を離すと、直ぐに盗られてしまう。
しかし、この地の人々にとって、サルとの出会いは別の意味があるのだ。
数千年の間、ヒンドゥ教徒は川と共に暮らすことが極めて神聖だと考えて来た。
mh:で、この女性も魅力的ですねぇ。インドは美人が多い国だと思います!
しかし、およそ1千年前、物事は変わり始めた。西からイスラムの風が渡ってきたのだ。ムガル帝国の誕生だ。影響はガンジス平原を覆うことになった。
イスラムを受け入れると、新しい技術、文化、芸術が花開いた。
イスラム様式の繊細な建築や装飾が取り入れられていった。
精緻な文様はムガルの世界の魅力を表している。
しかし彼等の自然に対する姿勢は、昔からこの地で暮らすヒンドゥ教徒と大きく異なっていた。
王宮の庭には、捕まえてきた動物を放し飼いしていた。
中央アジアの砂漠からやってきたムガルはガンジーの野生動物に魅かれたのだ。
彼等はインドで初めての自然崇拝者だと考えられていたが、熱を挙げた野外活動もあった。貪欲なハンターだったのだ。対象が強敵であればあるほど、狩りの対象となった。大型のネコ科の動物の多くが殺された。しかし彼等の次に現れた侵入者たちと比べれば、ムガルが行った野生動物の殺戮はささやかだったと言えるだろう。
英国人は商売目的でインドにやってきた。
彼等はガンジス平原が秘めた可能性に直ぐ気付いた。そして農業は重要な産業に成っていく。産業の振興とって猛獣は邪魔者だった。それで多くの猛獣が殺されることになる。
今日、350匹のライオンが生き残っているが草原からは完全に消えてしまった。
インディアン・チーターは更に悲劇的だった。20世紀の中頃に絶滅したと宣言されている。
狩りは野生動物に致命的な打撃を与えたが、象の場合は異なっていた。森林で暮らしていた象は、森林を伐採してできた木材を運ぶために活用され出した。
自然は急速に破壊されつつあった。インドは工業化に向かって動き出していたのだ。
木材の需要は巨大だった。特に鉄道網の拡大には欠かせなかった。
1870年代、拡大する線路への対応で、毎年1百万の寝台車Sleeperを造る必要があった。木材の切り出しは加速していた。
英国が去った20世紀中旬、平原にあったほとんど全ての森林は失われていた。かつてはその森林で暮らしていた象はホームレスになってしまったのだ。
今日では機械化が進んで、象が労働で活躍するチャンスもめっきり少なくなっている。
沢山の動物が取引されている所がガンジス沿いに残っていた。
ソンフォルメイラはアジア最大の牛の取引場だ。ここでの取引きは数千年前に始まったが、以降、規模が大きくなってきた。
11月の最初の満月の日、人々は家畜を売買するために北インド中から集まってくる。
牛はガンジス平原では最もポピュラーな動物だ。
馬も、集まってきた人々に娯楽を提供してくれる動物だが、何んと言っても象はみんなの注目の的だ。
毎朝、象たちは川辺で水浴びをする。
その時は象を崇拝する数千の人々が集まってくる。
人と象の親密な関係は数千年続いてきた。今も象は人々から高い尊敬を受けているのだ。
ガンジスは東に流れ、終わりのない農耕地を抜け出してバンゴードに入っていく。
バンゴードでは米の収穫の秋になっていた。
しかし、ある村では、まだ完全に実り切る前から忙しく刈り取りが行われていた。
夜が迫ってきた。刈り取ったコメを囲いで守られた所に急いで運び込む。
闇に紛れてやってくる攻撃者に対する準備を始めなければならないのだ。
それは以降6ヶ月の間(注)、毎晩行われる戦いだ。木の上の小屋から周囲を見張る。
攻撃者は戦場に向かって移動しているようだがまだ遠くのようだ。暗いのでどこにいるのかはっきり判らない。特殊カメラを使って撮影してみよう。
いよいよ姿を現した!食糧を探している!
草原のコメはほとんど収穫済みで象の取り分は少ない。村を襲ってくるかもしれない。象を村から遠ざけねばならない!村人は象を追い払うために戦場に出ていく!
飢えた象は攻撃的で危険だ。象の神ガネーシャを崇拝する人も、この戦いを避けることはできない。
戦いで、バンゴードだけでも毎年100もの命が失われている、象から、そして人間からも。
今夜はほとんど血を流すことも無く、収穫したコメも守られた。しかし空腹のまま逃げることになった象はさらに激しく攻撃してくるに違いない。
(注:6カ月間、象と村人との戦いが毎晩続く、とフィルムで言っています。恐らく二期作で、年2回、コメの収穫があり、その都度、象との戦いが行われることになる、という意味だと思います。ってことは、一年中ってことですかねぇ。)
ガンジーはバンゴールを流れながら海の近くまでやってきた。
(下の写真は海ではなくて川です!しかし広そうですねぇ!)
そこで、川はいくつかの支流に分かれ、海に向かって流れていく。
支流の一つフーグリー川Hooghly Riverは東インド最大の都市コルカタKolkataを流れている。
イギリス統治時代の首都だ。
市外一帯を含めると15百万人が暮らしている。
技術と工業化が町の経済を支配する、急速に変化を続ける大都市だ。
野生とはかけ離れた所だが、消費される全ての食糧はガンジーが生み出したものだ。
人が造り出した都市環境の中で繁栄し始めた生物もいる。
人が生み出したゴミの山で。他の生物は生存できないだろう。
ゴミ山から取り出すことができる価値のあるものは極めて少ない。
しかし、ここが天国だという生物もいるのだ。
ブラック・カイトだ。ゴミの中から餌を見つけ出す。
餌を巡って仲間同士で戦いもする。
この地に初めてガンジーが到達して以来、ガンジー流域の形態は大きく変化してきた、元の姿も判らないほどに。
ガンジーは多くのものを生み出し、繁栄させてきた。それは今後も続くだろう。しかし、どのくらい長く続くのだろうか。
ヒンドゥ教徒がこの世を去る時、もっとも好まれる場所はガンジス河岸だ。
体は灰となり、産みだしてくれた水と共に流れていく。
魂は救われ、罪は消える。ガンガーが来世を保証してくれるのだ。
永久に続く、生と死と再生の輪廻はヒンドゥの信仰の中心にある。
新しい朝が川の上にやってくる時も、ガンジーは予知することが不可能な未来に向けて流れ続けていた。
人口の増加は川を汚染し、水量も減りつつある。しかし、全てが失われていくわけではない。
川イルカはガンジスの水で生きているもっとも素晴らしい生物だろう。
この素晴らしい動物も他の動物と同じように減少しつつある。
しかし、川イルカが生き残っている限り、新たな自然を産み出せるかもしれないという希望は残されているのだ。
デルタで、ガンジーは輪廻の最後の段階に入る。広大な海の中の流れとなり、生命を育て生命を奪う川として再び生まれ変わるのだ。
GANGES or GANGA - FLOWING FROM HARIDWAR TO CALCUTTA
https://www.youtube.com/watch?v=aDKZSpDyn-Y
補足
12月6日(日曜)の朝日新聞特番Globeで見た記事をネットで見つけたので追加します。
National Geographic
「Learning to Live With Leopards豹と共に生きる方法を探して」
As humans encroach on their habitat, the big cats are adapting. Can we do the same?
人が侵害してきても大型ネコ科動物は適応している。我々もおなじことができるだろうか?
Lit by a camera-trap flash and the glow of urban Mumbai, a leopard prowls the edge of India’s Sanjay Gandhi National Park.
動物検出カメラのフラッシュと都市ムンバイの灯に照らされ、インドのサンジャイ・ガンディ国立公園の縁をうろついている豹
About 35 leopards live in and around this park.
およそ35匹の豹が、公園と周辺に棲息している。
http://ngm.nationalgeographic.com/2015/12/leopards-moving-to-cities-text
(ガンジーPart-2:完)
(以下ガンジー/ガンガーとさせて頂きます。)
これらの神聖な水(watersとsが付いて複数の流れ)とそれらが流れる平原(sがついて複数です)は想像を絶する多様な生命に滋養を与え続けている。
そして、その岸辺に暮らす人々はガンジーがもたらす自然と強く結びついて生活している。
しかし、このように密接な関係は、何世紀も経緯する時の流れの中からどのように生まれ、育まれてきたのだろう。どんな生物が現れては繁栄し、または消滅しようとしているのだろう。
(砂漠を流れるガンジーの支流)
(タージ・マハルを流れるガンジー)
(コブラの村)
(ガンジーに棲息する川イルカ)
(コルカタのゴミ山を住家とするブラック・カイト)
(ガンジス河岸を越えた洪水)
(ヒンドゥの聖地バラナシ)
(バラナシ付近かと思いますが・・・)
River of Life命の川・・・
12年に一度おこなわれているクンブ・メーラKumbha melaには5千万人がガンジーの岸部に集まってくる!
ヒンドゥ教のこのお祭りは世界で最も人が集まる行事だろう。
この光景に出会うと、ガンジーが5億人の生活を支えている川であることに改めて気づかされる。
地球上の10人に一人が、肥沃なガンジス平原に支えられて生きているのだ。
しかし岸辺に集まる巨大な群衆はガンジーが持つ偉大な力の一部を示しているに過ぎない。
ガンジス平原は、かつてインドでもっとも野性に満ちた場所だった。ガンジス川は山岳地帯から流れ始め、世界で最大のデルタに流れ出て終わりとなる。
約2400Kmに渡って北部インドの中心を流れ下る大河だ。
この広大な平地はガンジス平原として知られている。
川は山々が連なるヒマラヤの麓で初めて平地に出会う。
ヒマラヤ山地を流れ下る水は冷たく、速い!
山を下るにつれて流れは緩やかになり、平地に出て広がると、海を目指してゆっくり流れ始める。
平地では、流れの周辺に草原がうまれた。
この青々した平原はテライと呼ばれ、インドで有数な農耕地の一つだ。
草は1年で4mも延びる。
大型の野生動物だって何処に隠れているのかわからない。
テライのほとんどは農耕地として開拓されているが、それでも部分的にこのような草原が残されていて、野生動物の棲む場所になっている。
かつて、この地に暮らしていたインド犀(サイ)はガンジス平原全域にまで勢力を広げていた。鹿は今でも多い。
しかし、獲物の近くには必ずそれを狙う捕食者(プレデターpredator)がいるものだ。
このような湿原にトラが暮らしているのは驚くべきことだ。
生息数が少なくなったとはいえ、まだこのような動物が生き残っていることは、かつてガンジーがどれほど豊かな自然を産み出してきたかを物語っている。
そしてこのような土地に人が初めてやってきたのは4万年前だった。
人はガンジーが彼等の生活を支えてくれる多くの生命で満ちていることに気付いた。
そこで川岸に住み着くことにした。今日でも多くの人が魚を捕って生計を立てている。
ガンジー河岸に集まってきた人々は流れに沿って徐々に広い地域に拡散し、増えていった。
ダライを離れて流れ出たガンジーは川幅を広げながら、焼けつくような大地が広がる場所にでる。
ガンジーを1本の川と考えると理解することは出来ない。というのは何千もの支流の水を集めながら海まで流れているからだ。
多くの支流は、それ一つでも大河だ。
ガンジーの南側の台地から流れ出る水もガンジーと合流する。
とても考え付かない所から流れ出している支流もある。
西インドの砂漠から流れ出すチャンブァルChambal川だ。
mh:Chambal川は次の地図の左端部を流れる大河です。
地下から湧き出る泉の水を集めて平原に流れ出る。
かつてガンジー一帯で繁栄していた動物がまだ川辺で見受けられる。
渡り鳥のバー・ヘディッド・ギース(?Bar-headed-geese)はヒマラヤから、この砂漠の地にやってくる。
スプーン・ビルSpoon-bill(スプーン状の嘴(くちばし))
インディアン・スキナーズが魚を捕る姿は1年じゅう見受けられる。
水面すれすれに飛びながら下の嘴(くちばし)の外側で魚を感知して捕まえる。
人間の影響で川は大きく変化してきたが、今も川に住み着き、自然の恵みを受けている変わった生物もいる。
夜のとばりが砂漠に落ちると現れるのだ。
5月の暖かい夜、カリオァと呼ばれる鰐(わに)は奇妙なうめき声に導かれるように陸に上がってきた。
カリオァのメスは砂の中で卵から孵(かえ)った子供の泣き声が聞こえてくる所を掘り返し、子供が楽に地中から出られるよう手助けする。
捕食者に見つかり食べられてしまわないよう、子供は素早く砂浜を下って母なる川を目指す。
カリオァのメスの体長は6mもある。彼等は夜、狩りをする。
子供のカリオァは、昼間はいつも母親のそばを離れない。他の動物に食べられないよう守ってもらうのだ。
6ヶ月は子供の面倒をみる。時には母親同士が交替で面倒を見て、手がすいた方が狩りをする。
平地からガンジーに合流する支流は少なく、多くの支流は雪山から流れ出している。
水源は高山が連なるヒマラヤ山脈だ。
エベレストもガンジーを潤す山だ。
ここで水を生み出すのは雨ではなくて氷だ。
氷から生まれる水は、乾季でもガンジーに安定した量の水を提供している。ガンジーの水のほぼ半分は氷河が生み出しているのだ。
5月、平地の気温は急上昇して50℃になる。
流石のガンジーも干上がって、細く、浅い流れになる。
大地は太陽で焼かれて乾燥していく。
もう耐えられなくなった頃、大気の様子が変化し始める。海からの風が大量の水蒸気をはこんできて、夏空には雲が現れる。
6月中旬、黒い雲と共にモンスーンが到着する。
連日、灰色の空が続き、大量の雨が降る。
モンスーンが乾いた土地で暮らす全ての生物を生き返らせるのだ。
誰もが待ち望んでいた雨だ。
3か月間大地に降り注いだ大量の雨水は、再び海まで流れていく。
しかしヒマラヤに降った雨は、山を削り、土砂を平地に運んでくる。
ガンジーは大量の水を保持し続けられず、余剰の水を川岸の外にまき散らしていく。
こうして何千平方Kmもの平地が洪水に襲われ、水浸しになる。
モンスーンが終わり、あふれ出ていた水が引くと、自然の恵みが現れてくる。肥沃な土壌だ。
ヒマラヤのミネラルや有機物を含んだ5億トンもの土壌が毎年運ばれてくるのだ。
数百万年の間くりかえされ、平地は肥沃な土壌に生まれ変わっていた。ところによっては、この土壌は深さ5Kmもある。
お蔭で何千年もの間、この肥沃な平原は、ガンジーの水の恵みも受けながら、ここで生活する人々に大量の収穫を提供してきた。
農業が安定し、繁栄し始めると、人々は奇蹟的な恵みをもたらしてくれるガンジーに深い感謝を示すようになった。
mh:マリーゴールドだと思うんですが・・・
インドでよく見かける花です。神へのお供えや花飾りなどでよく使われていて、火が付いた蝋燭にこの花が添えられたフロート(灯篭流し)がガンジーを流れるシーンが後段で出てきますのでご確認下さい。
しかし、人々に最も尊ばれている植物はなんといっても「米(コメ)」だろう。
乾季と洪水が繰り返された7千年の間、コメはずっと主食の穀物だった。
平原は水田で埋め尽くされ、この地はインドの食糧倉庫になった。
米作は大地の姿を変えただけではない。新しい生物に住家を提供することになった。家鴨(あひる)だ!
インド人は動物を天才的な方法で使う名人だ。家鴨飼いは古くから伝わる、実入りの好い職業だ。卵を産んでくれる。
足のびれで水田の泥をかき回してくれるし、雑草を食べてくれるし、有機物に富んだ糞は肥料としてコメの成長を助けてくれる。
湿田は家畜や家鴨だけではなく、野生の鳥にも住家を提供してくれる。
幸運を運んでくると言うソーレス鷺(さぎ)だ。首を延ばして立つと2mもある世界最大の飛鳥だ。
優雅にダンスをし、ゆっくりと羽ばたいて飛行する。
環境の変化に合わせて繁栄する動物もいる一方で、農業の拡大で生存が危ぶまれる動物もいる。
木々が茂る島のような土地には、アフリカのサバンナを思わせる動物がいる。ライオンだ!
かつて大量のライオンやチーターがインドで生息していたことは忘れ去られようとしている。
人間の生活環境が変わり、それにつれて自然の環境が変わる中で、このような捕食者(他の動物を捕まえて食べながら命を繋ぐ動物)はいつまで生き残れるのだろうか。
ガンジーは交通手段を提供し、文明を育んできた。それにつれて野生動物は徐々に住家を失っている。
水上交通が発達し始めると、小さな取引で始まった村は大きな港町に変化していった。
文明が成熟し、それと共に宗教は高度化していった。
mh:この花です!黄色のマリーゴールド?きっと聖者か神像に捧げられていた花輪です。
そして、ガンジーの岸部でヒンドゥ教が生まれることになった。
周辺の自然を組み入れながら多様な神々を生み出していく。
しかし、どんな時でもガンジス川、つまりガンジー、が信仰の中心に置かれていた。そしてガンジーそのものもがヒンドゥ教にとって重要な地位を占めることになった。ガンガー、創造と豊潤の女神だ。
ガンジーで、他の場所よりもずっと尊いと考えられている場所がある。
バラナシだ。ガンジーのほぼ中心に位置している。
バラナシはガンジー河畔で生まれた最古の町で、ヒンドゥ教と強い関係を持っている。
多くの信者が訪れて沐浴し、川に向かって祈りを捧げる所だ。
ヒンドゥ教ではいろいろな動物が神として崇められている。象の頭を持つガネーシャ、サルから生まれたハヌマンという戦士、はよく知られているが、それ以外の多くの動物も神と考えられている。
神とされる動物があまりに多いので、どの動物の神がどんな理由で崇められるようになり、どんな幸運を運んでくれるのかを正しく理解することは難しい。
時には、ある人には神でも、他の人には悪魔だ。
毎年、2万人のインド人がコブラの毒で死んでいる。多くのインド人はコブラを嫌っているが、この村では違う。重要な信仰対象だ。おかげで、村のあちらこちらでコブラに出会う。
村人はコブラと共に暮らし、コブラを見ても、コブラが近づいても怖がらない。
コブラに噛まれるのはこの村では稀なことではない。しかし、噛まれても治療を受けることを拒否するという。
村では誰もコブラの毒で死んだ者はいないという。
子供でさえも奇蹟的な回復をしている。
mh:ここでも黄色いマリーゴールドが使われています!
村人はコブラの神に毎日、祈りを捧げている。
ヒンドゥ教はガンジーに沿って急速に広がっていった。
信仰は野生動物の保護にもつながっている。自然を敬うという思想だ。
ここバディシュロという町では住民が身近な動物に極端に寛大なのに驚かされる。
ゲトゥマキャッツ(?猿ですが・・)は町中でも我が物顔に振る舞っている。
焼いたナンは、ちょっと目を離すと、直ぐに盗られてしまう。
しかし、この地の人々にとって、サルとの出会いは別の意味があるのだ。
数千年の間、ヒンドゥ教徒は川と共に暮らすことが極めて神聖だと考えて来た。
mh:で、この女性も魅力的ですねぇ。インドは美人が多い国だと思います!
しかし、およそ1千年前、物事は変わり始めた。西からイスラムの風が渡ってきたのだ。ムガル帝国の誕生だ。影響はガンジス平原を覆うことになった。
イスラムを受け入れると、新しい技術、文化、芸術が花開いた。
イスラム様式の繊細な建築や装飾が取り入れられていった。
精緻な文様はムガルの世界の魅力を表している。
しかし彼等の自然に対する姿勢は、昔からこの地で暮らすヒンドゥ教徒と大きく異なっていた。
王宮の庭には、捕まえてきた動物を放し飼いしていた。
中央アジアの砂漠からやってきたムガルはガンジーの野生動物に魅かれたのだ。
彼等はインドで初めての自然崇拝者だと考えられていたが、熱を挙げた野外活動もあった。貪欲なハンターだったのだ。対象が強敵であればあるほど、狩りの対象となった。大型のネコ科の動物の多くが殺された。しかし彼等の次に現れた侵入者たちと比べれば、ムガルが行った野生動物の殺戮はささやかだったと言えるだろう。
英国人は商売目的でインドにやってきた。
彼等はガンジス平原が秘めた可能性に直ぐ気付いた。そして農業は重要な産業に成っていく。産業の振興とって猛獣は邪魔者だった。それで多くの猛獣が殺されることになる。
今日、350匹のライオンが生き残っているが草原からは完全に消えてしまった。
インディアン・チーターは更に悲劇的だった。20世紀の中頃に絶滅したと宣言されている。
狩りは野生動物に致命的な打撃を与えたが、象の場合は異なっていた。森林で暮らしていた象は、森林を伐採してできた木材を運ぶために活用され出した。
自然は急速に破壊されつつあった。インドは工業化に向かって動き出していたのだ。
木材の需要は巨大だった。特に鉄道網の拡大には欠かせなかった。
1870年代、拡大する線路への対応で、毎年1百万の寝台車Sleeperを造る必要があった。木材の切り出しは加速していた。
英国が去った20世紀中旬、平原にあったほとんど全ての森林は失われていた。かつてはその森林で暮らしていた象はホームレスになってしまったのだ。
今日では機械化が進んで、象が労働で活躍するチャンスもめっきり少なくなっている。
沢山の動物が取引されている所がガンジス沿いに残っていた。
ソンフォルメイラはアジア最大の牛の取引場だ。ここでの取引きは数千年前に始まったが、以降、規模が大きくなってきた。
11月の最初の満月の日、人々は家畜を売買するために北インド中から集まってくる。
牛はガンジス平原では最もポピュラーな動物だ。
馬も、集まってきた人々に娯楽を提供してくれる動物だが、何んと言っても象はみんなの注目の的だ。
毎朝、象たちは川辺で水浴びをする。
その時は象を崇拝する数千の人々が集まってくる。
人と象の親密な関係は数千年続いてきた。今も象は人々から高い尊敬を受けているのだ。
ガンジスは東に流れ、終わりのない農耕地を抜け出してバンゴードに入っていく。
バンゴードでは米の収穫の秋になっていた。
しかし、ある村では、まだ完全に実り切る前から忙しく刈り取りが行われていた。
夜が迫ってきた。刈り取ったコメを囲いで守られた所に急いで運び込む。
闇に紛れてやってくる攻撃者に対する準備を始めなければならないのだ。
それは以降6ヶ月の間(注)、毎晩行われる戦いだ。木の上の小屋から周囲を見張る。
攻撃者は戦場に向かって移動しているようだがまだ遠くのようだ。暗いのでどこにいるのかはっきり判らない。特殊カメラを使って撮影してみよう。
いよいよ姿を現した!食糧を探している!
草原のコメはほとんど収穫済みで象の取り分は少ない。村を襲ってくるかもしれない。象を村から遠ざけねばならない!村人は象を追い払うために戦場に出ていく!
飢えた象は攻撃的で危険だ。象の神ガネーシャを崇拝する人も、この戦いを避けることはできない。
戦いで、バンゴードだけでも毎年100もの命が失われている、象から、そして人間からも。
今夜はほとんど血を流すことも無く、収穫したコメも守られた。しかし空腹のまま逃げることになった象はさらに激しく攻撃してくるに違いない。
(注:6カ月間、象と村人との戦いが毎晩続く、とフィルムで言っています。恐らく二期作で、年2回、コメの収穫があり、その都度、象との戦いが行われることになる、という意味だと思います。ってことは、一年中ってことですかねぇ。)
ガンジーはバンゴールを流れながら海の近くまでやってきた。
(下の写真は海ではなくて川です!しかし広そうですねぇ!)
そこで、川はいくつかの支流に分かれ、海に向かって流れていく。
支流の一つフーグリー川Hooghly Riverは東インド最大の都市コルカタKolkataを流れている。
イギリス統治時代の首都だ。
市外一帯を含めると15百万人が暮らしている。
技術と工業化が町の経済を支配する、急速に変化を続ける大都市だ。
野生とはかけ離れた所だが、消費される全ての食糧はガンジーが生み出したものだ。
人が造り出した都市環境の中で繁栄し始めた生物もいる。
人が生み出したゴミの山で。他の生物は生存できないだろう。
ゴミ山から取り出すことができる価値のあるものは極めて少ない。
しかし、ここが天国だという生物もいるのだ。
ブラック・カイトだ。ゴミの中から餌を見つけ出す。
餌を巡って仲間同士で戦いもする。
この地に初めてガンジーが到達して以来、ガンジー流域の形態は大きく変化してきた、元の姿も判らないほどに。
ガンジーは多くのものを生み出し、繁栄させてきた。それは今後も続くだろう。しかし、どのくらい長く続くのだろうか。
ヒンドゥ教徒がこの世を去る時、もっとも好まれる場所はガンジス河岸だ。
体は灰となり、産みだしてくれた水と共に流れていく。
魂は救われ、罪は消える。ガンガーが来世を保証してくれるのだ。
永久に続く、生と死と再生の輪廻はヒンドゥの信仰の中心にある。
新しい朝が川の上にやってくる時も、ガンジーは予知することが不可能な未来に向けて流れ続けていた。
人口の増加は川を汚染し、水量も減りつつある。しかし、全てが失われていくわけではない。
川イルカはガンジスの水で生きているもっとも素晴らしい生物だろう。
この素晴らしい動物も他の動物と同じように減少しつつある。
しかし、川イルカが生き残っている限り、新たな自然を産み出せるかもしれないという希望は残されているのだ。
デルタで、ガンジーは輪廻の最後の段階に入る。広大な海の中の流れとなり、生命を育て生命を奪う川として再び生まれ変わるのだ。
GANGES or GANGA - FLOWING FROM HARIDWAR TO CALCUTTA
https://www.youtube.com/watch?v=aDKZSpDyn-Y
補足
12月6日(日曜)の朝日新聞特番Globeで見た記事をネットで見つけたので追加します。
National Geographic
「Learning to Live With Leopards豹と共に生きる方法を探して」
As humans encroach on their habitat, the big cats are adapting. Can we do the same?
人が侵害してきても大型ネコ科動物は適応している。我々もおなじことができるだろうか?
Lit by a camera-trap flash and the glow of urban Mumbai, a leopard prowls the edge of India’s Sanjay Gandhi National Park.
動物検出カメラのフラッシュと都市ムンバイの灯に照らされ、インドのサンジャイ・ガンディ国立公園の縁をうろついている豹
About 35 leopards live in and around this park.
およそ35匹の豹が、公園と周辺に棲息している。
http://ngm.nationalgeographic.com/2015/12/leopards-moving-to-cities-text
(ガンジーPart-2:完)
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