Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

チベットの不思議1/5



チベットその1:訪問The Visit

今回はYoutube:「BBC. A Year In Tibet 1 of 5. The Visit:BBCチベットの1年Pt1/5訪問」をご紹介しましょう。
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Pt2/5は「BBC. A Year In Tibet 2 of 5.Three Husbands and a Wedding:3人の夫と1回の結婚」となってますが、一体全体、何を暗示する題名か、私も現時点では全く知りません。それは見るまでお楽しみということで次回ブログまでお待ちください。

これから5回も紹介するかも知れないとなると「チベット」の基礎知識を仕込んでおく必要があります。

まずは不思議な質問「チベットとは何か?」
・・・
Wikiで一定の答えを得ることは出来ます。
Wiki:チベット(英語:Tibet, チベット文字:བོད་; ワイリー方式:bod, 発音ポー, 簡体字:藏区, 拼音: ザンシー)
南はヒマラヤ山脈、北は崑崙(こんろん)山脈、東は邛崍(きょうらい)山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。チベット人自身は「プー (bod) 」(チベット語)と称する。日本語のチベットは英語「Tibet」経由で明治期に成立した呼称である。
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チベット人は「チベット」と言わず「プー」って言うんですねぇ、驚きです!

で~PCで「ちべっと」と入力すると「チベット」「西蔵」が出てきます。「西蔵」でいいと思うでしょ?しかし、それは少し違うようなんです。これもチベットの不思議ですねぇ。

Wiki: 西蔵(せいぞう/シーツァンXīzàng)
歴史的チベットのうち、アムドやカムを除く、西南部2分の1程度を占める部分に対する中国語による呼称として成立した、地域概念の用語。
つまり、チベット=西蔵は不正確なんですね、指す範囲が狭くなってしまうんです!

調べるにつれチベットが複雑な歴史を持っていることが判りました。どう複雑なのか正しく理解できていないmhが解説しても読者諸氏は混乱するばかりでしょう。「細かいことはいいから概要だけね」ってことでしょうから、mhの関心に力点をおき、一般論はさらっと流したいと思います。といっても、ダラダラ、長々はいつものことですのでご容赦下さい。

まずは中国におけるチベットの立ち位置を地図で。中国の西の端にあるんですね。
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紀元前2世紀、始皇帝が創った秦の都「咸陽」は中国中央部の陝西省にあります。中国に行かれた方はご存知かも知れませんが、咸陽は西安、昔の長安、から川一つ隔てた西側の都市で、その川というのは中国史をかじった方なら一度は聞いた「渭河」、あの「渭水」です!
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でぇ、言わんとすることですが・・・西蔵自治区省や青海省が、陝西省を避けるように配置されながら、意外に内モンゴル自治区と近いってことです!内モンゴルがあるのは、当然、外モンゴルという概念があってのことで、外モンゴルってのは・・・いまのモンゴル、つまり日本語の正式名で「モンゴル国」、英語ではMongoliaです。首都はウランバートルですね。

モンゴルMongoliaは中国の省ではなく、れっきとした独立国ですが、内モンゴル自治区、青海省、西蔵自治区は中国共産党が管轄する中華人民共和国の“省”です。ついでに言えば、西方の新疆ウイグルも中国共産党が管轄する自治区です。

以降、暫くWikiを引用させて頂くと・・・
チベットつまり西蔵は、今から2千年程前には「羌(きょうQiāng)」更には「氐(ていDī)」とも呼ばれ、現在のチベット自治区を主とし青海省の一部にも広がる地域でした。農民や遊牧民が暮らし、中国の手が及んでいない未開の地でした。リーダーが台頭したのは吐蕃(とばん)王国の代で、7世紀から9世紀中頃までチベット一帯を統治していました。

その後、1206年にチンギス・カンが創ったモンゴル帝国(注)に組み込まれ、帝国の属国というか同盟国のような国体を保ち、モンゴルから統治者を受け入れたりしながら、それでも中国には組み込まれずに独立性を維持しています。17世紀半ばにはダライラマ政権が誕生しました。

注:モンゴル帝国
そんな国があったのかしら?歴代の中国の国の名前の一つかと思っていたけど・・・ってな考えを持っていたとしたら(白状するとmhは錯覚していました)中国通とは言えませんねぇ。

モンゴル帝国はチンギス・カンGenghis Khan(1162年- 1227年)が創った国です。彼が死ぬと帝国の勢力は急速に弱体化しますが5代皇帝フビライ(1260年 - 1294年)が建て直し、最後の皇帝リンダン・ハーン(1603年 - 1634年)が死ぬと消滅しました。首都カラコルムはウランバートルの西300Kmで、長安からは北に1千5百Kmも離れています。モンゴル帝国が成立していた1162年から1634年、中国では南宋/金、元(モンゴル帝国の息がかかった政権)、明、清が古代漢王朝の流れを汲んだ王朝として存在しています。
ご参考に中国と日本の王朝年表を挙げておきましょう。
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17世紀半ばにチベットに生まれた「ダライ・ラマ政権」ですが・・・
Wiki検索すると「ガンデンポタン」に飛ぶんですねぇ!
Wiki:ガンデンポタン(ダライ・ラマ政権)
ダライ・ラマを長とし、ラサを本拠として1642年に成立したチベットの政府。太平洋戦争が終結した後の1959年、チベット動乱の際、ダライ・ラマとともにインドに脱出、現在はチベット亡命政府として十数万人からなるチベット難民組織の頂点に位置する。

ガンデンポタンが「チベット」だと特定する領域は現在のチベット自治区と青海省の全てです。
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で~ダライ・ラマとは何者かですが・・・
Wiki:ダライ・ラマ (Dalai Lama)
チベット仏教ゲルク派の高位のラマ(チベット仏教の僧侶)であり、チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマ(注)の名跡である。その名は、大海を意味するモンゴル語の「ダライ」と、師を意味するチベット語の「ラマ」とを合わせたものである。
(注)化身ラマ(けしん らま):チベット仏教の教義上において、この世の衆生を教え導くために、如来、菩薩、過去の偉大な仏道修行者の化身(応身)としてこの世に姿を現したとされるラマを指す。

ダライ・ラマが没すると、その遺言や遺体の状況、神降ろしによる託宣、聖なる湖であるラモイ・ラツォ湖(注)の観察、夢占い、何らかの奇跡などを元に僧たちによって次のダライ・ラマが生まれる地方やいくつかの特徴が予言される。その場所に行って子どもを探し、誕生時の特徴や幼少時の癖などを元にして、その予言に合致する子どもを候補者に選ぶ。その上でその候補者が本当の化身かどうかを前世の記憶を試して調査する。例えば、先代ゆかりの品物とそうでない品物を同時に見せて、ダライ・ラマの持ち物に愛着を示した時、あるいはその持ち物で先代が行っていたことと同様の癖を行ったりした場合に、その子どもがダライ・ラマの生まれ変わりと認定される。

(注)聖なる湖ラモイ・ラツォ湖
Google Earthで特定出来ませんでしたが、ここを訪れた僧侶のブログに次の写真がありました。お坊さんが嘘をつくとは思えませんから本物でしょう。ラサから145km離れた山の上にあるようで、観光客が訪れる場所ではないとのこと。意外に小さいですね。近くにはお寺もあるようです。
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(Wiki「ダライ・ラマ」続き)
認定された転生者は幼児期にして直ちに法王継承の儀式を受けるが、この時点ではあくまで宗教的権威に留まる。成人に達すると(通例は18歳)「チベット王」として改めて即位を執り行い、初めて政治的地位を持つこととなる。先代の遷化(死亡)から新法王の即位までの間は、摂政が国家元首の地位と政務を代行する。
ダライ・ラマは17世紀(1642年)に発足したチベット政府(ガンデンポタン)の長として、チベットの元首の地位を保有し、17世紀から1959年までの間のいくつかの特定の時期において、チベットの全域(1732年以降は「西藏」を中心とする地域)をラサから統治するチベット政府を指揮することが“あった。”
(mh:“あった”ってことは“なかったこともある”ってことでしょうから、3世紀の間、いつもダライ・ラマがチベットを統治していたのではなさそうです。とすれば、代わりに誰が統治していたのか、それとも統治者がいない時期があったということか。恐らく後者だと思いますが、裏付け情報はありません!)

で~、ダライ・ラマの居城だったポタラ宮はチベット自治区首府の拉薩(ラサ)にあります。
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1994年ユネスコ世界文化遺産に指定されました。

現在のダライ・ラマですが~
ダライ・ラマ14世(2012年10月)
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Wiki:ダライ・ラマ14世
1935年、アムド地方(現在の青海省)の農家に生まれ、幼名をラモ・トンドゥプといった。4歳の時にダライ・ラマ14世として認定され、1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に就いていたが、1959年に中華人民共和国からの侵略と人権侵害行為に反発してインドへ亡命して政治難民となり、インドのダラムサラに樹立された中央チベット行政府(現「チベット人民機構」、通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元首を務めている。

で~、ダライ・ラマ14世とは別に、パンチェン・ラマという高僧もいるんですね、ブログにも登場します!
Wiki:パンチェン・ラマ(Panchen Lama、漢語表記: 班禪喇嘛)
チベット仏教ゲルク派においてダライ・ラマに次ぐ高位の化身ラマへの称号である。無量光仏(阿弥陀如来に相当)の化身とされ、転生 (生まれ変わり) によって後継者が定められる。

上位のダライ・ラマがインドにいるのでパンチェン・ラマがチベットに暮らす人々の心の支えになるはずなのですが、実は、ダライ・ラマが認めた本来のパンチェン・ラマは所在が不明(中国政府に幽閉されている?)で、中国政府が認めたパンチェン・ラマは政府のお膝元の北京で暮らしています。名前はギェンツェン・ノルブで、チベット人には政府の傀儡(かいらい)だと思われています。1990年生といいますから現在25歳で、フィルムPart1/5撮影時は17歳です。撮影は2006年夏~2007年夏に行われています。

mhも必ずやチベットを訪れ、ポタラ宮やチベットの自然、人々の暮らしぶりなどを見せて頂くつもりですが、海外からの旅行者がチベットに入る手段は2つ、飛行機か鉄道です。恐らく往きが鉄道なら帰りは飛行機という組合せでしょ。

で~鉄道ですが、これがまた好いんですねぇ、青蔵鉄道です!
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Wiki:青蔵鉄道(せいぞうてつどう、靑藏鐵路チンツァンティエルー)
中華人民共和国西部の青海省西寧とチベット自治区首府ラサ(拉薩)を結ぶ高原鉄道で総延長1,956km。西部大開発の代表的なプロジェクトとして、1984年までに一期工事が行われ、2001年からの二期工事を経て2006年7月1日に全通した。建設の目的については、中国によるチベット支配の徹底と独立運動の抑制にあるという趣旨の指摘がなされている。

外国人と台湾人がラサまで乗車する場合は、チベット入域許可書が必要だが、個人的な入手は困難なため、旅行代理店が主催するツアーに参加する必要がある。

青蔵鉄道チベット区間は唐古拉(タングラ)山脈を超え、最高地点が海抜5,072 m の唐古拉峠である。その近くの唐古拉(タングラ)駅Tanggula railway stationが海抜5,068mで「世界一高い場所にある鉄道駅」となる。
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Google Earthではホーム全長は700m余りです!辺りに建物は見当たりません!何のために造ったのか・・・お釈迦様が仰ったように、因果応報、原因があってこその結果ですが・・・ここでmhの根拠のない思い付きを並べるのは控えさせて頂きましょう。線路に沿って走る道路は西寧からずっとラサまで続いています。
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プラットフォームの様子は冬ならこんな感じ。
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Wiki続き:青蔵鉄道の平均海抜は約4,500m、また海抜4,000m 以上の部分が960km もあり、このような高所に鉄道が建設されるのは世界でも例がない。まさに世界の屋根を走る鉄道といえる。ちなみに並行する青蔵公路の唐古拉(タングラ)峠は海抜5,231mである。

空気の希薄な地域を走行するため、航空機メーカーでもあるボンバルディアの技術を導入した25T系客車が投入されている。高所走行中は外気から酸素を抽出して生成される酸素濃度の高い空気を車内に供給し、車内の酸素濃度を平地より2%高い23%に高めることで、標高5,000mのタングラ峠通過時でも標高約3,000m並みに過ごせるようにしているという。
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見どころ
西寧〜ゴルムド:
旅客列車の多くはこの区間を夜間に約13時間かけて運行するため、景色は楽しめない。青海湖の北側湖畔を通過する。
ゴルムド-ラサ:
旅客列車の多くはこの区間を昼間に約13時間かけて運行するため、景色を楽しめる。
ゴルムド駅(海抜2829m):
ここで約20分間停車して、機関車を換えて、給水車で給水なども行なう。
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駅前広場の反対側は・・・町が広がっています。
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もう一つの交通手段の飛行機ですが・・・
「拉萨贡嘎ラサ・ゴンガルLhasa Gonggar机场Airport」に飛ぶんですね。
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ラサから直線距離で南西45Kmの、東西に流れている大きな川の視界良好な河原に飛行場は造られました。
で~何んという因縁でしょう!!!この川は東に流れてから南下し、ガンジス川に合流するYarlung Zangbo(Tsangpo)川なんです!
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お釈迦様の手のひらで飛びまわった孫悟空の心境です。因縁・因果応報がここまで及んでいたとは!!!

チベットと聞くと多くの読者はチベット仏教(これもお釈迦様です!)を思い浮かべるのではないかと思いますが、どんな仏教かというと・・・

Wiki:チベット仏教
チベットを中心に発展した仏教の一派。と、定義は単純明快です!

つまり、チベットに固有の仏教なんですね。Wikiを更に見ていくと次の解説があります。
「チベット仏教は、根本説一切有部の厳格な戒律に基づく出家制度から、大乗顕教の諸哲学や、金剛乗の密教までをも広く包含する総合仏教である。また、独自のチベット語訳の大蔵経を所依とする教義体系を持ち、漢訳経典に依拠する北伝仏教と並んで、現存する大乗仏教の二大系統をなす。
特に密教については、主に漢訳経典には前期密教〜後期密教が伝わっているのに対し、チベット仏教は国家仏教として8世紀-12世紀にかけて後期密教(無上瑜伽タントラ等)の教えを中心としたインド密教を広範に受け入れ、独自に消化した点にも大きな特徴がある。また、密教に限らず、中期・後期中観派の著作・思想なども含め、総じて8世紀以降の、イスラーム勢力の台頭によって中国にまで伝達されにくくなった(そしてやがて滅ぼされることになる)インド大乗仏教の系譜を、ヒマラヤ山脈を挟んで目と鼻の先という地の利を活かし、事実上世界で唯一継承・保全してきた極めて貴重な存在だと言える。」

以上をmh流に単純化すると「チベット仏教の特徴は、インドからヒマラヤを越えて直に伝えられた古代「密教」が残っていることである。密教とは、仏の教えを経典で伝える「顕教」の対義語で、秘密の教え、つまり経典に書かれることがなく、師から弟子に口伝される教えである。経典がなく、かつ古代の教えに近いということで、インドでの仏教が消滅した現在、チベット密教は世界でも独特の教えとなっている。」

で~チベット仏教の様子は、今から紹介するYoutubeに出てくるのではないかと思いますから、それを見て「あぁ、なるほどね。mhの言っていた通りだね」ってな感想を持って頂けたら幸いです。

最後にもう一つ、Pt1/5の撮影が行われた町ギャンツェGyantseのGoogle Earth情報をご紹介しておきましょう。
ラサから南西170Kmにあります。東には妙な形の大きな湖「yamdrok tso lake 羊卓雍錯」がありますが、これも「神聖な湖」と呼ばれているようです。
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・・・・・・・・・・・・・・
田舎町の寺院・・・
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小さな町ギャンツェGyantse・・・8千人のホームタウン。
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住民のほとんどはチベット人だ。
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最近は中国人も増えて来た。町の一画に集まって暮らしている。
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町を行きかうチベット人夫婦。
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チベット人にとって中国人と一緒に暮らすのは時にはしんどいようだ。
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大半のチベット人は、めまぐるしく進む生活様式の変化に関係なく、伝統的な暮らしをしている。
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このシリーズでは近代化が進んだ地域から隔離された神秘的な場所で暮らす普通のチベット人のユニークな生活を1年かけてレポートしよう。
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「A YEAR IN TIBET: (Part-1)The Visitチベットの1年:訪問」
(2006年夏~2007年夏)
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mh:
上の写真はラサから170Km南西の町ギャンツェGyantseの遠望です。右奥の肉まんのような形の丘は町の中央にある城跡、その手前に横たわる、長城のような壁が峰を走る丘の向う側の裾には僧院が在ります。その僧院は今回のレポートの舞台の一つです。

1951年、チベットは中華人民共和国(以下中国)の一部となった。
首府ラサ・・・ポタラ宮
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強力な中国軍に占領されたのだ。
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中国政府は自分たちのみが正統なチベット統治権を持っていると主張している。
ラサの大昭寺Dazhao temple
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ラサの様子は昔のままだが、占領されて以降、大勢の中国人民軍が駐留している。
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占領から50年以上経過した今、生活が好い方向に変化したことについてはチベット人も評価しているようだ。
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ラサの南西170Kmにある町ギャンツェ・・・
15世紀に造られたペル・コールPel Kor僧院がある。
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チベットを代表する僧院の一つで、中国政府に政治的なチャレンジを加える力も秘めているようだ。
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ツルトゥリムTsultrimはこの僧院で経理を取り仕切りながら弟子の教育もする高僧だ。
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僧院の最高責任者チョエフェルChoephelは、部下のツルトゥリムに数十年に一度の重要な役割を果たすよう指示した。
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「彼はいつくるんですか?16日?」
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ツルトゥリムは20年ぶりにこの地を訪れるパンチェン・ラマを迎える儀式の段取り一切(いっさい)を取り行うよう申し渡されたのだ。

ツルトゥリム「パンチェン・ラマがバイジュ僧院Baiju Monasteryを訪れるのはとても稀なことだ。」
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「恐らく1989年以来だろう。」
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中国政府がパンチェン・ラマ11世を指名したのは彼が6歳の時だ。これが大きな論争を巻き起こした。
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今でも彼の立場について異論が噴出している。彼が来るまでの数週間、彼を迎える準備を任されたツルトゥリムには悩ましい問題が付きまといそうだ。
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ツルトゥリムは一番若い修行僧のツェフンTsephunに手伝わせることにした。ツェフンは15歳。12歳の時にやってきた。
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「僕の仕事は、お茶を入れたり、洗濯したり、掃除したりすること。あぁ!いけない!バター茶に塩を入れるの忘れちゃった!」
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ここ数年、ギャンツェGyantseは西洋人や中国人の旅行客に人気の観光地になっている。
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チベット人のジェンザンJianzangは新しいスタイルのホテルを経営している。
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ホテルには40室あるが、ほとんど空室だ。
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小さなホテルを経営するのはリスクが高い。一晩で大きな利益が出るかと思うと、全く宿泊客がない日もある。

ジェンザンの心配事は他のホテルとの顧客獲得競争だ。「シガツェShigatseに向かう大型バスが今通過したけれど、あれはギャンツェ・ホテルの客なんだろうか。ちょっと行ってみてこよう。多分そうだろうけど・・・」
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ツェフンTsephunの朝の仕事は終わった。急いで修行堂に向かう。
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修業堂は丘の中腹だ。もう少し登らなければならない。
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「経典scriptureはほとんど判らないよ。講師の修行僧はあんまり教えてくれないんだ。」
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「僕はずっと僧侶になりたいと思っていた。」
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「学校は好きじゃなかったんだ。授業はさぼってばかりいた。」
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mh:次の建物は僧院から約8百m離れた丘の城塞Dzong Castleです。
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ジェンザンのホテルにオランダ人の夫婦連れが来た。ここまで連れて来た中国人の運転手が料金をふっかけているようなので助けてほしいと言う。
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教育も受けているジェンザンは中国語に堪能だ。しかし自分が中国人だと思ったことは無いと言う。中国人とのやりとりはいつも緊張が伴う。

中国人「俺はもっと料金を貰ってもいいはずだ。英語が判らないから、あいつら俺を見下しているよ。ジェンザンは英語を話すけど俺のこと、ちゃんと扱ってくれるよな?」
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中国人「シガツェShigatseまででいいって彼等は言ったんだ。だからその料金をほしいんだよ。

ジェンザン「しかし、あんたは途中で客を拾ったんだろ?それはないよ。」
中国人「俺は親切心で彼等を載せてやったんだ。せめてガソリン代だけでも払うべきだ!」
ジェンザン「漢人はわたしらよりも優遇されているんだよ。わたしらが優遇されることなんか何もないだ。あんたは法律を破っている!認可も受けずに客を乗せてお金を取っているんだからね。あんたが旅行業者か警察にかけこんで訴えても、損するのはあんただよ。もう行った方がいいよ!」
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中国人「ガソリン代くらい貰たっていいだろう!」
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ジェンザン「彼は、料金が少なすぎるて言ってたけど“認可を受けていないんだから十分なお金だろ!”って言ってやったんだ。彼は嘘をついている。2人を乗せただけじゃないんだ。他に3人も乗ってたんだ。なのに一人50元(¥800)も請求している。本当のタクシーだって25元なんだから、彼はもう十分なお金を手にしているんだ。」
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チベット人と中国人の関係は簡単ではない。ジェンザンは、客も中国人ではなく外国人に来てほしいと思っている。
「外国人はみんなマナーや態度がいい。中国の特に貧しい地域から来た人は、態度が悪いし、安い料金でいいホテルに泊まりたがるんだ。おかしいだろぅ?」
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タンマイTangmaiはギャンツェから車で30分の、典型的なチベットの村だ。
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チベット人の90%はこういう田舎町で暮らしている。
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生活スタイルは何世代経ってももなかなか変わらない。

ツェデンTsedenは近くの村の僧侶だが祈祷師でもある。父から息子に、代々伝えられている精神的な法力を持っていると主張している。
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今日も既に村人5,6人が病気を治してほしいと来ることになっている。何人かは歯痛で、一人は喉が腫(は)れていて、感染病infection(風邪?)の人もいるらしい。

最初は歯痛の奥方だ。
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チベットの呪術は仏教が伝えられる前からのもので、数千年も続いている。祈祷師は半分は治療士だが半分は助言者だ。つまり物質の世界と精神の世界をかけもちしている。
「毎日20人から30人の患者がやってくる。40人もやって来ると待合室が一杯で外で待っててもらうんだ。」

祈祷師ツェデンは何事かを念じながら歯痛持ちの女性の顔に唾(つば)をプッ、プッと吹きかけている。病気は体内に悪魔が住んでいるからで唾を吹き掛けて追い出すのだという。
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唾を吹き掛けられている女性は目をつむり何かお祈りをしている。
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脇で様子を見ている亭主はニヤニヤ笑っている。
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おまじないは効いたようだ。「痛みが消えた」と喜んで帰っていった。

沢山のマニ車が並ぶ参道。マニ車の側面にはマントラ(お経)が刻まれていて、回した数だけお経を唱えたことになるという。
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ギャンツェGyantseの朝・・・
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パンチェン・ラマが来る日まであと2週間だ。ツルトゥリムはパンチェン・ラマの座布団の準備に取り掛かった。
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誰も何年も倉庫に入ったことが無い。どこを探したらいいか誰も知らない。垂れ幕も探し出さないと・・・
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「ところでこれはどのくらい前に造ったものなんだろうか?」
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「かなり前さ。」
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「これなんかは2千年前のものかも知れない。」
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ギャンツェGyantseの主要道路・・・
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町には西洋スタイルの病院がある。
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若い妊婦が訪れていた。お腹が痛いようだ。医師は心配している。
「痛い?」
「それほどじゃあないわ。」
「痛くなって3日目なのね?」
「そう」
「じゃあ、服を少し上げて!恥ずかしがらないで!」
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妊婦の名はデキィDeki。8月13日にも緊急治療室に来たことがある。今日の検査の結果だと妊娠7ヶ月だ。このままではお腹の子が死ぬかも知れない。
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「妊娠中に大麦ビールを飲んだ?」
「少しだけ。」
チベットのビールは妊婦には悪い。それが原因かもしれないと医者は心配していた。超音波診断してみないと正確なことが分からない。
「朝、目が腫(は)れていない?」
「うん、少し耳鳴りがして、頭が痛いだけよ。」
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デキィDekiの村・・・
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家族はデキィとお腹の子供のことを心配していた。
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彼等は全てを西洋医術に委ねることに懸念している。
「仕来(しきた)り通り、祈祷師に頼んでデキィの体内の悪霊を追い払う儀式をしてもらおう。それが一番だ!」
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mh:横で黙々と仕事をしながらこれを聞いていた奥方は迷信深い亭主を信じておらず、デキィの体のことを心配している様子です。古い家の年取った家長っていうのは、どうも困ったものです!
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儀式となれば祈祷師ツェデンの出番だ。
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馬車に大きな太鼓やその他、儀式に必要な道具を載せてデキィの村に向かう。
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デキィの家に着くとツェデンはバターと大麦粉でルーLuを造る。悪霊への捧げものだ。
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これを使って悪霊を説得し、家から出て行ってもらうのだ。

「最上段の黄色い傘の下に座っているのは仏陀。その下の黄色いのはお経、ツァーツァtsa-tsaは仏陀の心を表わしている。仏陀の脇に立っているシルクの白い矢は家族の長寿を祈るものだ。」
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「下に配置した2つの人形は父母を表わしている。」
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「これは白い悪魔。」
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「黒いのが死の神、赤いのが無知、嫉妬、強欲の悪魔、青いのが体の悪魔。」
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悪魔を追い払うため、祈祷師ツェデンは1日中、デキィの家で教を上げていた。
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新たな朝がギャンツェGyantseにやってきた。
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ジェンザンJianzangは少しでも利益をあげようと奔走していた。
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つい最近、彼のホテルは2つ星の資格を取得したばかりだった。しかし、それでホテルの料金が高そうに思われて予約が少ないのではないかと危惧していた。
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そこで自ら問題を解決しようと動き出した。資格を返上しようと考えたのだ。それは思ったほど簡単ではなかった!地方旅行局の許可を貰わねばならない!電話で主旨を伝えると数人の役人がやってきた。
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彼等はチベット人だった。しかし大半の役人がそうであるように、彼等の給料も少ない。「ツイン・ベッドが基準に合っていないなぁ。新しいホテル管理基準だと中国式じゃなけりゃあ駄目だ。でもこれは西洋式だ。」
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どうも雲行きが怪しい!ジェンザンJianzangの思い通りに事を運ぶには、少々、忍耐と寛容を示す必要がありそうだ。
役人「2つ星を取るのは楽じゃあないんだよ。ある業者が、あんたのところのサービスは良くないって言ってたよ。今は競争の時代なんだから!中国の貧しい地方からだって大勢やってくるんだ。彼らがホテルの等級に関心がないって思ってるの?」
ジェンザン「いやぁ、ひょっとすると彼等も等級にびびって泊まらなくなっているかも知れないし・・・値引きを要求し辛いしね。」
役人「いずれにしても直ぐに対応はできないなぁ。帰って少し検討しないと。」
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最後は、中国式の妥協をして、誰も面子を潰さないところに落ち着いたようだ。
「私は政府の役人が来る時だけ2つ星の看板は吊るしておくって提案したんだよ。それ以外の時は私の事務室にしまっておくんだ。」
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病院ではデキィが重大な決断をしていた。体の調子は良くないのに病院を出ると言い出した。病院側は明日も、その次の日も観察する必要があると考えていた。その後なら返っても好いかもしれない。
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「私、これまで4人の子を産んだわ。でも3人目は死んだの。今、家には子供が3人いるわ。」
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デキィの家では祈祷師ツェデンが儀式のクライマックスを迎えようとしていた。まず天井の梁に釘を打たせて、そこから大太鼓を吊るした。炭火が入った碗(わん)に護摩のようなものをかける。
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シンバルみたいな「鐃鉢(にょうはち)」を吊り下げた棒で太鼓を叩きながらドン・ドン、ジャン・ジャンと景気好い音を立てて何やらお題目を唱え続けている。
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悪魔を追い払うのは医師なのか、それとも祈祷師か、いよいよ決着がつくのだろうか。
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祈祷師はデキィの家の屋上にもオマジナイの小さな旗を掲げさせていた。
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パンチェン・ラマの訪問日が迫っていた。僧侶ツルトゥリムTsultrimが責任者で進めている飾り物の準備作業は予定より遅れていた。裁縫士たちは連日、残業をかけて追い込んでいたのだが未だ完成しない!
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裁縫士「これはパンチェン・ラマが床で跪(ひざまず)く時に使うクッションだよ。一昨日(おととい)は5人で仕事をしたし、今いる3人は4日間も働いている!夜遅くまでやるんだ。でなきゃあ、とても終わらないよ。」
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やっと日傘(パラソル)が完成した!ツルトゥリムは出来栄えを念入りにチェックする。
「ゆっくり回してみて!」
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垂れ幕の飾り付けも始まった。
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観光客が物珍し気に集まってきた。
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デキィは病院から家に戻っていた。病院と祈祷師の両方にすがった甲斐があったようだ。
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デキィ「お医者さんは病院で産めって言ってたわ。」
レポーター「具合はどう?」
デキィ「退院して暫くたつけど、体調はいいわ。歩き回れるし腫れも引いたわ。」
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ツルトゥリムの飾りつけの仕事は順調に進んでいた。しかし問題が一つ残っていた。僧院は50匹の野良犬の住家になっていて、僧侶たちは犬との生活を楽しんでいた。しかしパンチェン・ラマが来るとなると犬が僧院をうろついていては具合が悪い。
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悪戯(いたずら)好きな犬はなかなか犬小屋に戻ってくれない。
「眠り薬を試してみよう。死んだりしたら悲しいけど、そんなこと無いだろう。」
ツルトゥリムはツェフンに命じて薬入りの餌を犬に与えさせた。
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しかし効果は無かった。犬が神経質になる理由もあったのだ。犬小屋の扉から中へ入れられたのは5匹だけだ。
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45匹はまだ外を歩き回っている。
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助っ人を頼んで、少し手荒い手段に訴えることにした。
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これで49匹目・・・
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残る一匹は・・・ツェフンが捕まえているみたいだ。
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朝3時、体調が悪化したのでデキィは急遽病院に行くことになった。チベットでは初産の場合10人中1人の子供は死産になる。中国の平均の3倍だ。あと4週間で出産予定だというのにデキィの調子は悪い。病院では注射して薬を持たせ自宅に戻ってもらったのだが数日で体調を崩してしまった。他のチベット人同様、デキィの家族は迷信深い。妙なことをすると不吉なことが起きると信じている。
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もう直ぐパンチェン・ラマが来場する日だ。
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ツルトゥリムは仲間の僧侶と一緒に院内の清掃を始めた。
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20年程前にパンチェン・ラマが来て以来、こんな大掛かりな掃除はしたことがない。
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何処から手掛ければいいのか誰も知っていない。
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ホコリの量は相当なものだ。でもこれでかなり綺麗になるだろう。
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「きっとこの20年で一番きれいになったはずだ。」
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「ツェフン!最初は濡れた布、その後は乾いた布で拭くんだよ!」
「判った!」
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「もっと落ち着いてしっかり擦(こす)って!急いで拭いちゃ駄目だよ!」
「判った!」
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「パンチェン・ラマは多分、僧院全体を視察して・・・」
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「みんなの長寿を祈念する儀式をすることになると思う。」
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「広場や道の掃除も徹底的にやらないと・・・」
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パンチェン・ラマが数日後に来るというのでホテルの部屋も観光客で満杯に近づいてきた。ジェンザンにもツキが回ってきたようだ。
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「町ではギャンツェ・ホテルの次にうちのホテルがいいって評判だ。海外客も多いんで、中国人の宿泊希望客とも価格交渉できる!」
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2つ星を返上したので申込みやすくなったのだろう。ジェンザンの思い付きは成功したようだ。ホテルのレストランも客で埋まってきた。
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村の診療所で、デキィの子供が生まれた!男の子で2.9Kgある。
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「もう子供は生まない方がいいわよ。次はIUD(Intrauterine device 子宮内避妊用具)を使わないとだめよ!」

1970年から一人っ子政策が実施されているが、チベット原住民には適用されないので何人産んでも好い。この子はデキィの5番目の出産だった。
「近頃は子供を産むより、育てる方が大変なのよ!学校や養育費は高いんだから!」
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ギャンツェでは飾り幕の裁縫仕事は終わり、犬は小屋に押し込み終え、僧院の掃除も完了した。
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しかしツルトゥリムには、まだ沢山の仕事が残っている。
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ジェンザンのホテルは客で満室になろうとしていた。
「朝食付き1泊310元(22ポンド:5千円)でも泊まってくれるようになったよ!ホテルを始めて以来、今日は最高の日だ!」
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僧院では最後の準備段階に入っていた。警備体制の見直しも始まった。
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僧院責任者チョエフェル「新しい身分証が警察から配布されたんだ。前のと全く違う!」
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「これは私の。Aって書いてある。多分パンチェン・ラマの近くに行けるってことじゃないかなぁ。」
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mh:ツルトゥリムTsultrim はBでした!
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「ツェフン!もう少し上に上げて!」(彼は当然Bですね。)
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町の空気は張りつめていた。パンチェン・ラマが来る日だ。
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僧院と警察の関係はこれまでいつだって単純ではなかった。警察は僧院のメンバーの誰かが(政府が選んだ)パンチェン・ラマの来場に反対したりしないかと心配していた。
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僧院では僧侶たちと町の責任者たちがパンチェン・ラマを迎える手順で揉めていた。こういう時は権限があって声が大きい方の主張に従うことになりがちだ。

ツェフンは花束を持って行列に加わることに決まった。
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mh:「ラッパ隊はここから出発して僧院に向かうんだ。」と町の責任者が指示しています。
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mh:地区警察が安全上の理由から(暴動が起きないよう)僧侶の数を減らすように指示してきたので「以前のように派手な儀式にはできそうにない」とツルトゥリムは愚痴をこぼしています。
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mh:ということで、どうすれば大勢の僧侶がいるように見せられるか、議論しています。
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mh:ここでも町の責任者が大声で自分の考えを僧侶たちに伝えています。
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ジェンザンのホテルでは詰まっていた排水溝の修理がやっと完了した。ジェンザンは業者にチップをはずんむ。
「今日は好い日だ!」
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義父「デキィ!気を付けて!ゆっくり!」(馬車の荷台に乗るところです。)
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義母「はい、このマフラーをして!自分の健康のことを考えるんだよ。いやになったらすぐ帰っておいで。あまり外へ出ちゃ駄目だよ。あんたと赤ちゃんに健康と幸せが訪れますように。」
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(デキィが実家に帰るんでしょう。義母はデキィに優しい言葉をかけてやったんですね。顔つきや振る舞いをみていて「好いお母さんだろうな」って思っていましたがやっぱりそうでした。)

とうとうその日になった。準備はすべて整っていた。正確には、ほとんどと言うべきだろうが。
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最後の仕上げは僧院への参道を飾る仕事だ。
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20年ぶりのパンチェン・ラマの来院だ。
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今回は新しいパンチェン・ラマの初めてのお披露目になる。
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ギャンツェには、かつてない厳しい警戒体制が敷かれていた。新しいパンチェン・ラマの選出については、ずっと問題視され論争が続いていたのだ。
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「このブーツ、右も左も関係なさそうだな。きちんと履かないと脱げそうだ。」
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「僕、はずかしいなぁ。」
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「いいか!撮るぞ!」
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ツェフン「見せて!こんなに沢山の花を持っているなんて、変な感じだなぁ。」
ツルトゥリム「そうでもないよ。とてもいいよ。」
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誰もがパンチェン・ラマが来るのを今は遅しと待っている。
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いよいよ出迎えのトランペットが鳴り出した。やってきたようだ。
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パンチェン・ラマ11世だ。名はギェンツェン・ノルブ。17歳だ。
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昔は大勢の候補の中からダライ・ラマがパンチェン・ラマを選んでいた。しかし中国政府はダライ・ラマの決定を拒絶し別の人物を指名した。これが今も論争の原因だ。ギェンツェン・ノルブはチベット委員会メンバーの息子ではない。8歳でパンチェン・ラマに指名され、以降、ずっと北京で暮らしているのだ。
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読経が始まった。終わると僧侶一人一人の頭に手を触れ、彼等を祝福することになっている。
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外ではギャンツェの善良なる人々が並んで、自分が祝福を受ける番を待っている。
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おばあさんは列に並びながら手を合わせてお祈りしている。
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来院者は金属探知機ゲートを通らされていた。
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mh:で~この警備員は、美人ですねぇ、私の尺度ですが。
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mh:他にも若い女性警備員がいますが、どういうわけか、みんなサングラスをかけているんですね。視線を隠す目的なんですかね。もったいないです。

金属チェックが終わるとマニ車が並ぶ参道に沿って一列にならんで順番を待つ。
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列の先にあるのは僧院の入口だ。
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中に入るとパンチェン・ラマのいる本堂に向かう。

現在のパンチェン・ラマの選出には問題があることはチベット人なら誰もが知っているが、仏教徒としての彼を受け入れ、敬意を払う。
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パンチェン・ラマは一人づつ頭に手をふれて祝福する。
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今日、僧侶は参拝者の一人一人にパンチェン・ラマの写真を配布した。
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一方、ダライ・ラマの肖像写真はチベットでは厳禁だ。
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持っていることが分かれば逮捕される。1959年以降、ダライ・ラマはチベットでは暮らしていない。
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そんな事情があるとはいえ、今日は町の人にとって特別の日であることには間違いない。
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僧院責任者チョエフェル「パンチェン・ラマは満足していたようだ。予想より上手く対応できたと思うよ。先月から準備した甲斐があったよ。」
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ツルトゥリム「やぁ~!無事終わって今はほっとしているよ。」
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パンチェン・ラマの祝福を受けたら、願い事をするのが僧侶たちの習わしだ。
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「人々が平和で幸せでありますように」とか・・・
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以下はPart2/5の予告編です。
祈祷師ツェデンの次の仕事は田舎の結婚式を取し切ることだった。
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太鼓を打ち鳴らし、両家と若い二人の幸運を呼び込もうとしている。
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しかし花嫁はこの結婚を喜んではいないようだ。(mh:大声で泣き続けています!)
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ツルトゥリムは仲間の僧侶たちと一緒に河原に行って体を洗っている。
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ツェフンは素っ裸だ!
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みんな、リラックスしたりはしゃいだりしている!
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(フィルム完)
ギャンツェの僧院(8百m離れた丘の上の城塞からの写真)
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Youtubeは次のURLからご覧になれます
BBC. A Year In Tibet 1 of 5. The Visit
https://www.youtube.com/watch?v=BA8eXDLVNTU
(Part1/5完)
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