Mysterious Questions In The World

世界のミステリーをご紹介します。

仏舎利の不思議

Wiki:仏舎利(ぶっしゃり)
入滅した釈迦が荼毘(だび)に付された際の遺骨及び棺、荼毘祭壇の灰塵を指す。「舎利」は遺骨または遺体を意味する梵語シャリーラ(śarīra)の音写。
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2013年10月、インドの仏教8大聖地を訪れました。旅を始める前、仏陀の生涯に関するYoutubeフィルムを見たり、中村元氏の著書「ブッダのことば」(岩波文庫)を読んだりして仏陀とはどんな人物だったのか、どんな教えを説いたのか、をかじりました。そして仏陀の足跡を辿りながらインド、ネパールを旅して以降、私はすっかり仏陀のファンになってしまいました。この辺の経緯はブログ「インドの不思議な質問:仏教」(2014年1月10日)でご紹介していますので時間がありましたらご確認ください。
http://blog.livedoor.jp/mysteryhunter/archives/2014-01-10.html
釈迦誕生の地ネパールのルンビニは、ブログ「チベットの不思議」で登場するギャンツェGyantseのホテル・オーナーのジェンザンJianzangも女房殿と一緒に訪れています。

入滅の地はインドのクシナガルKushinagarです。死を悟った仏陀が弟子アーナンダ阿難を伴って生まれ故郷に戻る途中でした。

次の写真は2013年、mhがクシナガルで撮影しました。
右側が涅槃堂、その後ろ(左)には仏舎利塔があります。
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涅槃堂の中には涅槃仏があり、大勢の信者がお祈りしていました。
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仏舎利塔の直ぐ後ろに、水路で囲まれた一画があります。ここが入滅スポットです。
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遺体は、この地から1.5Km離れた場所で荼毘に付されました。そこにはアショーカ王が造ったストゥーパがあります。
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仏舎利は8つに分けられ、信者がインド各地に持ち帰るのですが・・・
勿論、遺骨の一部は残され、クシナガルの仏舎利塔の中にあると考えて良いでしょう。

8つに分けられた仏舎利は、巡り巡って、さらにまた分割されて・・・タイ、ミャンマー、スリランカ、はたまたかつてガンダーラと呼ばれたパキスタンや、玄奘三蔵の中国など、仏舎利を収めていると称する仏舎利塔は五万とあります!勿論、我が日本にもあちこちに仏舎利塔があるのは皆さまもご承知の通りです。

Wiki「仏舎利」には日本に伝わった仏舎利について次の記事があります。
「日本への仏教伝来は538年とも552年とも伝えられており、このとき仏像や経典が渡来したとあるが、舎利についての記述はない。
『日本書紀』には、推古元年正月15日(西暦593年)に、「仏の舎利を以て、法興寺の刹の柱の礎の中に置く」とある。 1956年、飛鳥寺周辺の発掘調査により、法興寺(または元輿寺)の遺構が現れた。そして今は失われた仏塔の芯礎から、木箱に収められた舎利容器が発見された。舎利は593年に芯礎に安置されたが、完成した仏塔は1196年に落雷のため焼失した。舎利は翌年いったん掘り出され、新しい舎利容器と木箱に入れて、ふたたび芯礎部分に埋めたという。
飛鳥時代には法興寺、斑鳩寺(現在の法隆寺)、現在の四天王寺など、立派な仏塔を備えた寺院が建立されているが、これらの仏塔は仏舎利を祭るものである。
『日本書紀』はまた、推古30年7月(西暦623年)に新羅の真平王が仏像・金塔・舎利などを贈ってきたとある。この舎利は四天王寺に収められたとされている。
初期仏教では仏法(教え)を貴び、またインドの慣習儀礼に基づき像を造ることがなかったので、仏舎利が唯一具体的な形を持った信仰対象となっていた。しかし日本へ伝来したときは最初から仏像があったので、仏舎利とそれを祭る仏塔は必ずしも信仰の中心ではなかった。
754年に鑑真が仏舎利を携えて来日しているが、806年に空海らが真言密教とともに大量の仏舎利を持ち帰った。以降、日本において仏舎利信仰が再燃し、仏塔だけでなく舎利容器に収めたものを室内でも礼拝するようになる。
江戸時代の鎖国、明治の廃仏毀釈などで海外との交流は途絶えるが、明治末期の1900年以降、スリランカ、タイなどの上座部仏教圏との交流から仏舎利を贈与された例がいくつかある。
第二次世界大戦後、熊本市花岡山、静岡県御殿場市平和公園など日本各地にインドのネルー首相から仏舎利が贈与され、ドーム様の仏舎利塔が多数建立された。」

熊本市花岡山のストゥーパ
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御殿場市平和公園のストゥーパ
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mhが住む横浜市の団地から直線距離で10Kmにある、江の島を見下ろす高台の龍口寺にも仏舎利塔があります。ネットで調べたら昭和45年(1970)建立とありました。ネルー首相が亡くなったのは1964年とありますから、ネルー首相から直接分けてもらった舎利ではないでしょう。
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しかし・・・こんなに沢山のストゥーパがあって、そこに真舎利(仏陀の本当の遺骨・遺灰)があるというのはどんなものでしょう、ちょっと考え辛い気がしますが・・・

そもそも、仏陀は亡くなって数日後に荼毘に付され、真舎利は8つに分けてインド各地に持ち去られ、貴重な宝物として大事に保管されていたはずです。その後、インド古来のヒンドゥ教の信者や、インドに侵攻してきたイスラム教徒によって仏教は迫害を受け、仏教寺院やストゥーパは壊されていますから、真舎利が世界中に拡散したということ自体が考え辛いのですが、仏教徒は根が優しいから、ほしいと言う人には真舎利と言えども分け与えた、ということもあるかと思いますので、日本の仏舎利塔の舎利の多くは真舎利ではないと言えるほどの確証はmhにはありません。

少なくともWikiにあったネルー首相が分骨してくれた舎利は真舎利だと思われますから、江の島の仏舎利塔は別としても、熊本と御殿場の仏舎利塔には真舎利があると考えてよいかと思います。

ここで、もうひとつの仏舎利塔をご紹介しましょう。愛知県の覺王山日泰寺の「奉安塔」です。
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1918年に完成しました。タイ国王から分けてもらった真舎利が中段の円筒の中に収められています。で~タイの国王はどこから真舎利を手に入れたのか???

それはこれからご紹介するフィルム“Bones of the Buddha仏陀の骨”と重大な関係があるんです!
“Bones of the Buddha”is a 2013 television documentary produced by Icon Films and commissioned by WNET/THIRTEEN and ARTE France for the National Geographic Channels. It concerns a controversial Buddhist reliquary(聖遺物箱) from the Piprahwa Stupa in Uttar Pradesh, India. It was released in May, 2013, and was broadcast in July 2013 in the US on PBS as part of the Secrets of the Dead series.

さらには、mhが2013年10月に訪れた時の次の写真!特に、この場所は、今回のフィルムの舞台と言って好いでしょう。
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場所の名前はKapilavastuカピラバストゥ。別名Piprahwaピプラーワー。後ろに見えているストゥーパこそが今回の不思議が“掘り出された”場所でした!!!
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北インドの見事な風景の中を旅する著名な歴史学者チャールズ・アレンCharles Allenは、肉と血を持ち、実在した男の足跡を辿っている。歴史的な男、仏陀だ。インディアナ・ジョーンズ張りのものすごい宝物の話を今から確認しようというのだ。
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1898年、インド植民地でイギリス人の地主が驚くべき考古学上の発見をした。彼が見つけたものは恐らく数千年前のものだ。ひょっとすると仏陀自身の墓かも知れない。
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アレン「キリストの骨を見つけたことを想像してみてくれ。」
a1203.png しかし、当初から、見つかった遺物は偽物だと見なされていた。
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アレン「あなたは、さっきから、ずっと見続けているだけですが・・・これは本物ですか?」
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<Secrets of the Dead死者たちの秘話シリーズ>
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このフィルムはミステリーを追い続け、それを明らかにすることを目的としている。
北インドで見つかった墓は本当に仏陀のものか?としたら、誰が、いつ造ったのか?世界の4億の仏教徒にとって賭け率は高くはないかも知れない。
<BONES of the BUDDHA仏陀の骨>
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北インドのブッダガヤBodhgayaは仏教の最高の聖地だ。
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2千5百年前、王子の地位を捨てたシャカ・ムニ・ゴータマは、この地で悟りenlightenmentを得て目覚めた人Awakened Manすなわち仏陀buddhaになった。

ブッダガヤはストゥーパと呼ばれる記念碑的な円丘moundの始まりとなった地だ。ブッダガヤから320Km北のストゥーパはインドに沢山あるストゥーパの中で最も神聖なものなのだろうか?
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その答えを見つけるため、歴史学者チャールズ・アレンは調査を開始した。インドではなく、イギリスの町の郊外の静かな通りで!彼は数年前、そこでお宝を見たのだ。驚くべきミステリーが始まった所だ。
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チャールズと同じでニール・ぺぺもインド育ちだ。植民地だったインドのピプラーワーPiprahwaという場所で驚くべき発見をした W.C. Peppéウイリアム・クラストン・ ぺぺの孫だ。
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W.C. Peppé ぺぺの金庫には当時の資料が保管されている。
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この写真はW.C. Peppéぺぺが発掘したストゥーパを写したものだ。中央には溝が掘られている。
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このストゥーパの下6mでぺぺは重い石で造られた棺を見つけた。中にはいくつかの聖遺物容器reliquaryがあった。1千以上の、小さく、バラバラにほぐされたような宝石類、彫刻された貴石、更には値を付けるのが難しい金銀の品物もあった。ここにあるのは全て複製品で100年以上前に発掘者のぺぺが貰い受け、家族が大事に保管してきたものだ。
アレン「私はこれを見に来たんです。ピプラーワーの宝物を!」
ニール(孫)「この木製のフレームはお爺さんの手造りですよ。」
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アレン「これらの宝石品や金細工品は素晴らしい手工芸品handicraftです!数千年前のものに間違いないでしょう。しかし、どのくらい古いか、何故、このような貴重品が集められ残されていたのか。それを見つけられたらいいなぁと考えています。」
ニール「私も期待しています。」
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もし、ぺぺが見つけたものは本物だとアレンが確認することができたならば、長年の汚名を返上できる。

アレン「お爺さんが見つけたものは贋作ではないかと未だに言われていますが、そのことをあなたはどう思いますか?」
ニール「とても困惑しています。非論理的な非難だし、理解できません。家族の立場で言わせてもらうと、お爺さんが贋作を準備する能力があったとはとても思えませんし。」
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孫のニールは、祖父ぺぺが驚くべき発見をしたインドのバード・コート(邸宅)で祖父らと共に暮らしていた。
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家族はこの邸宅を50年前に離れ、イギリスに戻っている。
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6千4百Km離れた場所には、この邸宅が残っていた。
アレン「当時の面影は見る影もないほど荒れている。しかし間違いなく、ぺぺの家族3世代が同居して住んでいた家だ!」
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イギリス領インド帝国(1858年~1947年)の技師だったぺぺがアマチュア考古学者になったのは40歳の1897年だった。
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北インドのこの辺りはテライと呼ばれる広大な平原だった。平原の北側のピプラーワーPiprahwaには不思議な円丘があった。
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(mh:白い線はインド・ネパール国境線。PiprahwaはカピラバストゥKapilVastuとも呼ばれ、mhも訪れています。若き仏陀が釈迦族の王子として暮らしていた所と言われています。)

そここそ、ぺぺが発掘をした所だ。1週間ほど表面の土を掘り起こすと、作業者は煉瓦で造られた構造物の最上面のようなものに辿り着いた。その下にあったのは・・・
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アレン「ここがぺぺが発掘した場所だ。今はきれいな状態で保存されている。1898年には私が立っている所から6m上まで土の中だった。つまり、この遺跡を発掘するには、まず土壌を除かねばならなかったのだ。」
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「1898年1月、彼らは円丘の中央部に大きな溝を掘り始める。」
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「そして竪穴の底の方に小さな石棺を見つけた。それはエジプトの石棺のようだった。中にあるのは宝物か、遺体か。発掘に携わっていた誰もが興奮したに違いない。それは特別な時間だった。」
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1898年1月18日の朝、ペペ達は竪穴の底に到達した。待ち望んでいた瞬間だ。
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凡そ1トンの石の蓋を横に滑らせて箱の中を覗きこむと、ペペは作業者たちに一旦、その場を立ち去るよう指示した。
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そして、現場監督者数人を残し、自らの手で、中身を取り出し始めた。

アレン「まず、水差しのようなものを取り出したことが記録に残されている。特別のものではなさそうだった。それを隣に控えていた現場監督に渡した。」
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アレン「次は石で造られた見事な出来栄えの蓋付き容器のようなものだった。ペペは少し興奮したに違いない。それをまた現場監督に渡した。」
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次のものは何か素晴らしそうな品物だった。背の低い、蓋付き容器だ。
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これも新聞紙で注意深く包まれ、木箱に移された。

しかし、これらよりも素晴らし品物が現れる。
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アレン「これが一番すばらしい、とペペは思った。何故ならそれは、結晶のように光り輝いていたのだ。魚の形のツマミがついた蓋をもつ容器だった。蓋を開けた瞬間、彼は思わず叫び声を上げた。小さな花の形をした数百の輝石類が入っていたのだ。」
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「更に石棺の底を調べると600個以上の黄金や宝石が見つかった。石棺の底は、独特な形に造られた捧げもののような品物で埋め尽くされていたのだ。なんと不思議な瞬間だっただろう。」
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既にインドで行われていた他の古代遺物の発見と比べたら奇蹟と呼べるほどのものではなかった。しかし、今回発見したものはどのくらい前のものだろう?そして何故ここなのか?それは誰にも判らなかった。
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ペペはイギリス領インド帝国の管理者として赴任していただけで、考古学者ではない。2つ目の容器から出て来た小さな輝石類は彼にとってさほど注目すべきものではなかった。しかし、それらの小さな輝石と一緒に出て来たものがある。灰や小さな欠片だ。
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アレン「灰や小片は人体の部分ではなかろうか、とペペは考えたようだ。誰で、何歳くらいで死んだのかなどについては彼には推察すらできなかった。しかし、貴重なものかもしれないと考え、それを石の容器に戻し、蓋をし、中身が外に出ないよう包んで保管した。そして机に向かうと、重要な手紙を2通、書き始めた。」
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「1通目は30Km南にいる、地方公務員のビンスン・スミスに宛てたものだ。スミスは骨董品や遺物などに詳しい人物だった。2通目は本物の考古学者アントン・フューラー博士Dr Alois Anton Führer宛てで、当時、30Km北で発掘作業をしていた。」
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「2人とも今回の発見に驚いたようだ。そして2人とも“何か書かれたような物は出てこなかったのか?”と同じ質問を送って寄こした。」

ペペは発見した品物を調べ直してみた。一つの容器の首の周りに36個の妙な形の文字のようなものが彫られている!
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全く見たことも無い形だが文字に間違いないようだ。しかし、ペペには何が書かれているのか、全く解読できなかった。そこで、これらの文字を紙に注意深く書き写してスミスたちに送ることにした。
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アレン「ペペが写し取った文字が描かれた手紙がまだ残っていたというのはとても驚きだ。それを見ると彼がいかに注意深く写し取ったかが判る。その下にスミスは翻訳を書き記し、送り返していた。それによると最初の方の文字は“ヤー・サニダー・アニラ・ブラッサ”だ。」
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「そして手紙の裏側には次のコメントが記されている。“The relics appear to those of the Buddha himself仏陀自身が書いたもののようだ”。」
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これを見たペペの心臓は飛び出していたに違いない!仮にそうだとしても全く不思議ではない。2千5百年程前に死んだ仏陀自身が書いた記述は発見されたことはないのだから!これがそうなら、まさに心臓が飛び出す事実mind-blowing stuffだ!
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アレン「ペペがそれを発見したとしたら、極めて重大な事実だ。フューラー博士の反応はもっと明快だった。“あなたの‘寺’には仏陀自身の手書きという極めて稀なものが含まれている”と言って寄こした。」

インド北部で発掘中だったのにも拘らず、フューラー博士は1週間もしない内にペペに会いにやって来た。しかし、彼の訪問は悪い結果をもたらすことになる。当時は誰も知らない事だが“山師”との悪い噂がある人物だった。その博士に、発見から4週間で面会して相談したのだから。
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フューラー博士のスキャンダルはその数か月後に噴出した。このドイツ人の考古学者は仏陀の手書きだと称して、その根拠の報告書と、これが最悪だったのだが、偽造した古代の説明書きを付けた上で、ある手紙を売りさばいたのだ。逮捕される前に彼は退職していた。

イギリス領インド帝国の首都カルカッタの政府はこのスキャンダルに晒されようとしていた。フューラー博士は政府が発掘で雇った単なる高名な考古学者というだけだったのに。
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アレン「英国政府は彼の仕事や、彼の存在すら消し去ろうとした。沢山の宝石類と仏陀のものだと言われた灰や遺骨が見つかったピプラーワー遺跡の発見も、フューラー博士の関与があるために疑いがかけられることになった。そこで、英国政府は問題を他の国に押し付けてしまうことにしたようだ。」
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政府は一石二鳥の手段に気付いた。英国の名誉をないがしろにしていたインドの近くの国サイアムSiam(現在のタイ王国)の仏教徒の王ラマ5世に仏陀の灰と遺骨だと称される遺物を英国政府からの贈り物として与えることにしたのだ。
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フューラー博士のスキャンダルが騒ぎを引き起こす前なら外交的にすばらしい贈り物だし、内政的にはうさんくさいピプラーワーの遺物を切り捨てることができた。
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しかし、フューラー博士への疑いはペペとピプラーワーの発見に黒い影を残すことになった。ひょっとしたら発掘場所に密かに行って石棺の中に何かを入れたのではないのか?ぺぺもからんで、とてつもない贋作行為が行われたのではないのか?」
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この疑問を解明する鍵は石の容器に彫られていた文にある。「フューラー博士は容器に彫られていた文字の専門家だから、それらしく見える贋作を造ることができたはずだ。」
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この疑念は、その後1世紀以上も放置され、解明されることはなかった。しかし、当時の首都カルカッタには今でも決定的な証拠が残されている。
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インド博物館にピプラーワーで見つかったオリジナルが残っているのだ。
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石の蓋付きで、表面に記述が彫られた容器だ。本物の専門家なら、その記述の中に決定的なヒントを見つけられるかも知れない。
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アレン「博物館ではハリー・フォーク博士Dr. Harry Falkが待っていてくれる。彼は世界でもトップクラスの古代インド文字の専門家だ。彼は私からの問い合わせに応じてくれた。これから彼に会うが、何が起きるか、全く想像つかない。」

フォーク博士はドイツ人で、ベルリンの古インド学専門学院の教授だ。彼は古代インド文字を40年以上研究している。アントン・フューラー博士の見立てに対する評価はどうなのだろうか?
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アレン「では、これからご意見を伺わせて頂きましょう。いやいや、これがそうですね?」
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アレン「写真では見たことがありましたが、こんなにはっきり文字が彫られていたんですか!で、ハリーさん。あなたは先ほどからずっと容器を見続けていますが・・・偽物ですか?」
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ハリー「これは間違いなく、偽物ではないと言えます。」
アレン「何故、そう言えるんですか?」
ハリー「まず文体が間違いなく本物です。容器もです。言語についても当時の北インド辺りで使われていたものです。」
アレン「しかし、当時の政府はフューラー博士ならこれを造ることが出来ると言ってましたが。」
ハリー「できるでしょう。彼は考古学者として政府に雇われていたのですから。しかし、サンスクリット語に関する彼の知識は不十分です。その上“ナハダーニ”という、他では使われていない言葉が使われているし・・・」
アレン「なんです、それは?」
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ハリー「“ナハダーニ”、つまり容器という意味の言葉です。この言葉は他の同種の容器では見つかっていません。」
アレン「ということは、この容器が極めて特殊なものだと言うことでしょうか?フューラーがどこかで見て、それをコピーしたということはあり得ないと・・・」
ハリー「そうです、彼にそんなセンスや文字に対する理解があったとは思えません。」
アレン「ということは、やはり、この容器に書かれた文章は本物だということですか?」
ハリー「間違いありません。本物です。スキディマティナンサーハキニカーナムアプタナハダーニイヤンサダーラニ“ブッダダサリエーナカバティー”ササキヤ。そしてスペースが無くなったので蓋に2文字“ヤーナム”。」
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アレン「で、一体、何んと言ってるんですか?」
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ハリー「“この聖遺物箱relicurary、つまり・・・聖遺物箱は仏陀、テライの釈迦族の王”」
アレン「それで、あなたはこの聖遺物箱は仏陀の遺骨を納めていたものだという自信があるんですね?」
ハリー「はい、絶対の自信があります。何故なら、書かれた文章は“ブッダダサリエーナカバティー”と言っていますが、それは“これらは仏陀が書いた文である”との意味です。」
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世界的な専門家は、容器に書かれた決定的とも言える文は本物だと確信している!ペペの汚名も晴れたと言えるだろう。しかし、そうなると更に大きな不思議が現れることになる。ハリーの翻訳によると“仏陀が書いた文である”と仏陀が使った文章ならば仏陀が死ぬ時は存在していないはずなのだ。その上、彼の死後、かなりの時を経た今も、どこにも見つかってはいない。
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アレン「つまり、ハリー。あなたはこの容器には仏陀の遺骨が入っていたのは間違いないが、容器は仏陀の時代のものではなく、仏陀の死後およそ1世紀半後のものだと考えているということですか?」
ハリー「その説明は、全く的確です。」
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何故、この容器に仏陀の遺骨が残っていたと言えるだろうか?死後150年も立っていたのに!

その質問への答えを見つけるにはぺぺが容器を発見した時から約2300年前の仏陀自身が生存していた頃まで時間を遡らねばならない。
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生身の肉と血を持った男はどのように新たな宗教を生み出したのか?何故、どこで、彼は亡くなったのか?どんな経緯で、ペペが見つけた丘に彼の遺骨が納められていたのか?

アレン「ジャナポリフォーカット(というインドの本)に登場する仏陀の見事な姿は誰もが見たことがあるだろう。彼は生身の肉と血を持つ人間そのものとして描かれている。キリストやムハンマドと同じだ。彼は紀元前5世紀、インド平原で暮らしていた。多分、紀元前500年頃に生まれ、およそ紀元前410年に死んだ。」
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仏陀はピプラーワーから遠くはないルンビニで生まれた。
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王子として育てられたが30代の始め、贅を凝らした暮しの王宮から外に出て、「病、老、死」という人間の苦悩sufferingsを初めて知ることになった。そして、老いた隠者hermitを見た時、これまでの生活を捨て、隠者になることを決意した。
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王宮を去って6年間、彼は通常の暮らしぶりを放棄して修行を積み、釈迦牟尼という名を得た。釈迦族の聖なる人、という意味だ。そして、彼を覚醒させる場所ブッダガヤにやってくることになった。
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当時、そこは樹木ばかりのジャングルのような所だった。しかし何世紀も経た今はメッカやエルサレムのような偉大な聖地だ。
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アレン「何百万の信者が訪れている。彼等には、ここが宇宙の中心だ。チベット、中国、ビルマ、タイ、スリランカ、それに西洋から来た人もいる。精神的なパワーに満ちた所で、私も感動している。ここが仏教の震源地epicenterだ。ピプラーワーは知らないかも知れないが、ブッダガヤなら誰もが知っている。仏教で極めて重大な意味を持つ場所だろう。」
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聖地の中心には菩提樹bodhi-treeがある。この下で仏陀は人間の苦悩sufferingsの根源を知り、悟りenlightenmentを得た。そして仏教という新しい宗教が生まれることになった。
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およそ2千5百年前に彼が歩いただろう場所を今、巡礼者たちは静かに歩いている。
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ここブッダガヤで仏陀は時間を超越し、未来でも過去でもなく、永遠の存在になった。

釈迦族の子孫のバンティは、この永遠が彼に仏陀の力を与えてくれるという。
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バンティ「ルンビニで産まれ、過去に存在していたが、未来や、そして現在では存在していない。しかし菩提樹の下で、彼は悟りを得て仏陀として生まれ変わった。仏陀は過去の人ではなく、今も、そして未来も存在しているのだ。」

80歳頃になって仏陀は最後の旅に出た。釈迦族の暮らす故郷、ピプラーワー近くの場所に向けて。
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彼の生涯において、彼がたどった道には、後年、それを記すストゥーパや石柱などの記念碑が建てられている。最後の旅で訪れたバイシャリVaishaliの近くで最後の説教をし・・・
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次に訪れたケサリアKesariaで身近な弟子たちに真理を伝え・・・
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誕生の地ルンビニから100KmのクシナガルKushinagarでは2本の沙羅双樹の間に横たわり、そして・・・死んだ!
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クシナガルにある、この大きな仏像は、仏教徒なら涅槃とよぶ“仏陀の死”が訪れた場所に造られている。
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彼の死の後、何が起きたのかがピプラーワーのミステリーを解く鍵だ。

アレン「仏陀は死ぬと直ぐ火葬にされた。集まっていた大勢の信者たちは遺骨を分ける方法を議論し、結局、8つに分けてインドの8ヶ所から来た8人の王たちが持ち帰ることになった。この8人には釈迦族の王も含まれている。
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ピプラーワーで見つかった聖遺物箱には“釈迦の遺骨が収められている”と書かれていた。ピプラーワー(カピラバストゥ)は釈迦族が棲む土地、仏陀の故郷、の中心にある。つまり、ペペが見つけたのは、釈迦族の王が持ち帰った釈迦のオリジナルの遺骨の可能性がある。8つに分けられた遺骨の一つで、これまでで初めて見つかったオリジナルの遺骨ではなかろうか。
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当時、8分割され持ち帰られたオリジナルの遺骨の埋葬は簡単だった。遺骨は花と一緒に簡単な容器に入れられ、小さな穴に埋められただけで、ぺぺが見つけたような大きな墓などはなかった。
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従って、遺骨が仏陀のものだとしても、手の込んだあの墓は、後年、何者かによって造られたものだと考えてよいだろう。
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としたら誰が造ったのか?いつ?何故?この決定的な質問に答えを出せる場所がある。インドの中心の重要な場所にあるサンチーSanchiだ。
アレン「あそこだ。あの丘だ。あそこに大きな、世界でも最も素晴らしいストゥーパがある!」
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ストゥーパは高さ15mだ。サンチーは仏教が広められることになった場所だ。
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この素晴らしいストゥーパを造った男が、ペペが発掘したピプラーワーのストゥーパを造った男ではなかろうか?

アレン「2千年以上の長い時間を経た今も見事な彫刻が残っているというのは驚くべきことだ。息を飲むような素晴らしいストゥーパだ。」
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サンチーは偉大な皇帝によって造られた。彼は仏陀の死からおよそ1百年後、インド全体を仏教に変えていた。名はアショーカ。彼の行為は彼の人生感を完全に変えるものだった。
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アレン「アショーカは非情な王だった。不安定な性格で兄弟をも抹殺した。しかし釈迦の教えに出合い、全く新しい人間に生まれ変わった。以降、アショーカは道徳に従って行動する王になったのだ。彼こそがインドの片隅で生まれた名も無い教えを世界の宗教に広めた男だ。」
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3つの重要な事実がアショーカとピプラーワーの繋がりを示している。サンチーはアショーカがインドの数百か所に煉瓦でストゥーパを造ったことを示している。
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彼は、どのようにして仏陀の遺物がそこにあったことを知り、それを新しい場所に移設し分割していたのか?ピプラーワーもその中の一つではないのか?
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更には、仏陀の新しい哲学を世界に広める際、アショーカには、新しいサンスクリット文字を使うチャンスがある。岩山にもこの文字が彫られて残されている。
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この文字がイーディクト文字を生み出し、彼が建てたアショーカ柱とも呼ばれる大きな石柱に描かれている。
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ブラーミーと呼ばれる古代の仏教経典にも使われている言語だ。その文字はまさに、ピプラーワーで発見された容器に彫られていた文字と同じだ。
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ハリー・フォークによれば、その文字は仏陀が死んでから凡そ150年後に生まれた。丁度アショーカがインドを統治していた時代だ。
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しかし、もしアショーカがピプラーワーの墓を造ったのなら、そこは釈迦族の暮らす場所で、仏教の聖地の一つにもなっているくらいなのに、どうして、ぺぺが彫り出すまで忘れ去られていたのだろう。
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その質問への答えはアショーカ以降に仏教に起きた事件にある。
アレン「アショーカは彼の国を仏教の国に変えようと望んだ。それは遠すぎる道のりだったのだ。」
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アショーカが建てたこの仏像は勿論、最初から頭がなかったわけではない。仏教は卑しく異端の宗教だと考えていたインド古来の宗教ヒンドゥ教の信者の仕業だ。そしてヒンドゥ教徒が始めたことをイスラム教徒が引き継いで完結することになる。
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何世紀もの間、アショーカ、ブラーミー経典、インド仏教、は存在していなかったかの如く、記憶から消し去られていた。そして1800年代、英国人考古学者達が中心になり、初めて仏教遺跡の発掘が始まることになったのだ。
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ブラーミーは解読されることになった。
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アショーカの存在も確認された。サンチーのような仏教遺跡も。
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そして最後まで残っていたものの一つがピプラーワーだ。1898年、それをペペが掘り起こすことになった。全ての証拠はアショーカがピプラーワーの見事な墓を造ったことを指している。
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世界的なエキスパートであるハリー・フォークには大きな石棺が決め手になった。
ハリー「縦は132cm弱だ。」
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「寸法は他のアショーカの手による石棺と同じだ!外観や仕上がりも全てアショーカの時代のものと同じだ。」
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ハリーは石棺が砂岩で出来ていることに気付いた。アショーカが石柱に使った石材だ。ルンビニでも同じ時代に同じ石材で石柱が建てられている。
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アレン「としたら、この石棺が造られたのはいつ頃だと言えますか?」
ハリー「アショーカがルンビニの近辺にいて、彼の統治20年目くらいで・・・およそ紀元前245年だろう。」
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アレン「あなたはかなり厳密に特定しますねぇ、とても信じられないことです!」

この厳密な年は、ミステリー解明の手掛かりになりそうだ。しかし、決定的な疑問vital questionが残っている。アショーカは釈迦族の土地だから仏陀の遺骨を残す場所にピプラーワーを選んだのだろか?
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答えは永遠に埋もれたままかも知れない。しかし1970年代にピプラーワーの再調査を始めたインド人の考古学者たちは素晴らしい発見をしていた。
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ぺぺが石棺を発見した所の直ぐ下に、それより古い時代の埋葬場所を見つけていたのだ。
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そこにあった小さな2つの空間にはそれぞれに小さな骨壺と赤土で造られた、壊れた陶器の皿があった。研究者達は結論した。「この墓は仏陀の時代に造られたものだ。」
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アレンには、それはジグソーパズルの最後のピースだった。その場所こそ、仏陀の遺骨が初めて埋葬されていた所だ!
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後に、この上に造られた新しい墓に仏陀の遺骨は移されたのだ、まさに容器に文字で記録されていたように。
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アレン「ぺぺが大きな石棺を見つけた時の作業を昔に遡らせたことが起きていたのだ。誰かが陶器の皿に入っていた遺骨や遺灰を宝石や貴金属と一緒に石棺に移し替えていたのだ!」
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「恐らく、それはアショーカだったのだろう。石棺はアショーカが作る石棺と同じ材料や寸法だった。容器に描かれていた文字はアショーカの時代のものだ。この調査を始めた時、答えが得られるか判らないままだったが、今は答えを得たと確信していて、その上、感動もしている。」
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私はこれで安心してイギリスに帰ることが出来る。そしてぺぺの孫のニール氏にお爺さんは嘘つきではなかったこと、遺骨は本物だったこと、宝石も本物で・・・

ニール・ぺぺ「信じられない!素晴らしい結末だ。」
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アレンは一人の男の名誉を回復する以上のことを成し遂げることになった、世界中にいる4億人の仏教徒のために。
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彼はピプラーワーが2400年以上も昔、仏陀の骨が初めて埋められた場所の一つだと証明した。後(のち)に、そこにはアショーカが、仏陀の栄誉を讃え、仏陀自身のための見事な墓を造っていたのだ。
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ピプラーワー出土仏舎利骨壺:高さ15cm。壺の上部に文字が刻まれているのが見える。
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(インド博物館所蔵、1998年撮影)

Bones Of The Buddha
https://www.youtube.com/watch?v=yn3lk6xTF24
(完)
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