Mysterious Questions In The World

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mh徒然草80: 仏舎利の不思議

ブログ「仏舎利の不思議」のネット投稿を終えました。後はタイマーが機能して3月14日午前0時に公開されるのを待つだけです。

仏陀の崇拝者の一人としては、彼の遺骨に関する大仕事を終え、感涙に咽(むせ)びながら余韻を味わっているところと言えば聞こえはいいのかもしれませんが・・・そうじゃぁないんですねぇ。で、いつもの悪い癖で、何故なんだろう?って分析を始めようとしている所です。

「仏舎利の不思議」でもコメントしていますが、疑い深いmhは、仏舎利がこんなにも世界各地にあるというのには胡散臭い事実があるのではないか?はっきり言えば、保存されているのは仏舎利ではないのに仏舎利塔(ストゥーパ)と称しているところが多いのではないのか?との疑問を完全には払拭できないのです。

仏陀が死んで150年ほど後にアショーカが仏陀や彼の高弟の足跡を辿り、ストゥーパを建てたようですが、アショーカの前の仏陀の遺骨を埋葬した墓は、簡単なものだったと紹介されていました。これはきっと正しいと思います。それが仏陀らしいと思います。

アショーカが建てたストゥーパは数百で、全てインド内でしょうし、これらのストゥーパに収められたのは仏舎利の可能性が高いと思います。他の人の遺骨だとしたら、それをアショーカが知らない訳はなく、大きなストゥーパを造って偽物の遺骨を納めるという、意味のない仕事をする必要はないはずですから、アショーカのストゥーパである以上、仏舎利が入れられた言ってよいでしょう。これはアショーカにとっては難し話しではありません。8分割された仏舎利が埋葬されていた墓を掘り起こし、骨壺の中の仏陀の遺骨や灰を、ほんのひとつまみして、いくつもの骨壺に分けてやればよいのです。もし、オリジナルの仏舎利が入っていた皿が直径20cmで、その底に1cmほど深さに仏舎利が入れられていれば、ひとつまみなら、精々0.05立方センチメートルでしょうから、一つの皿の仏舎利は6千個の骨壺に分けることができます。アショーカが造ったストゥーパが200個だとし、それぞれに等量の仏舎利が入れられていたとすると、一つのストゥーパに収容された仏舎利は1.5立方センチメートルで、角砂糖1個程度となります。

ストゥーパには、ブログ「仏舎利の不思議」で登場したように、かなり大量の仏舎利が収められたストゥーパも2,3はあったかもしれませんが、これは例外で、やはり、アショーカのストゥーパ数百には仏舎利が1~10立法センチメートル程度、収めら得ていたと考えるのが自然です。一人の人間の遺骨の量はそんなに沢山はないのですから。

で~問題はここからです。中国やスリランカなどにあるという仏舎利は、誰が、いつ、どんな方法で持ち出したものなのか?全ての仏舎利はアショーカのストゥーパに収められていたと考えるのが自然ですから、中国やスリランカだけではなく、日本の仏舎利塔などに収められている仏舎利はアショーカのストゥーパにあったものが掘り出されて移されたはずです!となると、一体、いつ頃、誰が、墓泥棒をしたと言うのでしょう?

玄奘三蔵がインドから長安に戻ったのは645年で、この時、彼は657部の経典を持ち帰ったとWikiにありました。仏舎利は?恐らく持ち帰ってはいないでしょう。

インドは13世紀以降、イスラムを信仰する外来人に統治され、この時にインド仏教の息の根が止められたとWikiにありますが、それ以前からもインド古来のヒンドゥ教徒による仏教迫害は続いていたので、ひょっとすると、この時、危機を感じたある仏教徒がアショーカのストゥーパを掘り起こし、大事なお師匠様の遺骨を取り出して、安全な場所、例えば仏教への信仰が厚いスリランカなどに持ち去った可能性はあるでしょう。

つまり、インド以外、もっと正確にいうとアショーカのストゥーパ以外の場所にある仏舎利はアショーカのストゥーパから持ち出されて外部に移されたもので、このような行為を行うとしたら、どんな人がいつ頃に行ったのか、調べないといけません。

ところが、アショーカから仏舎利を掘り出した人は、言わば盗人とも考えられる可能性がありますから、誰も名乗り出ることはなく、事実は闇から闇に葬られ、いつ、誰が、どこで見つけた仏舎利かもわからない遺骨が、世界中に分散しているってことになります。

TV番組に、なかなか人気の「なんでも鑑定団」があり、時々みますが、骨董品の価値を決める一つが、能書き書で、容器っていうのもかなり大切なようです。
で、ブログ「仏舎利の不思議」に出て来た仏舎利らしきものは能書き付きの古代容器に収められていたことから考えると、古代容器と能書きの文字が本物なら、その中に入っていた遺骨は本物の仏舎利ではなかろうか、っていう予測が正しい確率はかなり高いと思いますので、カルカッタのインド博物館で古代文字の専門家ハリー・フォーク博士Dr. Harry Falkが下した結論、すなわち「いい仕事をしてますねぇ、本物に間違いありません!」っていうのは正しいのではないかと推察します。となると、巡り巡ってこれを分骨してもらった愛知県の覺王山日泰寺の「奉安塔」の遺骨はきっと仏舎利でしょう。

しかし、他の仏舎利塔にあるかも知れない遺骨について、仏舎利だという、どんな証拠があるのか?およそ、証拠がないなら仏舎利ではない可能性の方が高いと思います。バチアタリと言われるかも知れませんが、能書き書のない、見ただけでは芸術的価値など何もない唯の遺骨を、証明するものもなく、これは仏舎利ですなんて言われて見せられても、誰だって信用しないと思います。幸い、科学は進み、遺骨のDNA分析も可能ですから、必要なら、この際、調べ直してみたらどうかと思います。もし偽物だとしたら、それを仏舎利だと言っていることこそがバチアありというものでしょうから、自信がないなら仏舎利などと言うべきではないと思います。

しかし・・・もっと根本的な疑問があります。仏舎利が収容されている仏舎利塔に手を合わせて祈ることは仏陀の教えに背く行為ではないのか?ということです。ブログ「ガンダーラの不思議」でご紹介しましたが、仏陀は、自分が死んでも墓などつくらなくていいよ、って言ってるんですね。彼の望みは彼を崇拝してくれることではなく、彼の教えを理解してくれることだったと思います。その上で、どう行動しようが、それはその人の勝手だと考えていたと思いますねぇ、私は。それでも、仏陀の声を聴きたい、姿を見たい、っていう願望が衆生(しゅじょう)にはあって、仏像やストゥーパが造られることになりました。

神社に行くと、手を合わせて「健康にしてください」「お金持ちにしてください」なんて衆生や庶民はお祈りしますが、神様は健康にもお金持ちにもしてくれません。それを仏陀は知っていました。

それで気が済むというのなら、それでもいいけど、私に頼んだからといって、私があなたを健康にすることは出来ないし、お金持ちにすることもできないよ。全て因果応報、健康でいたけれれば喫煙してはいけないよ、お金持ちになりたければ、無駄使いしてはだめだよ。でも喫煙しなくても、無駄遣いしなくても、健康になれないかもしれないし、お金持ちになれないかもしれないよ。私のお墓を訪れて手を合わせてもらっても、私は何もできないよ。

しかし・・・もし、仏舎利とDNA証明された鑑定書付きの遺骨があったら・・・
私もお守りとしたいので灰一粒でいいから分けてほしいです!一つまみ0.05ccの灰の中には恐らく数万の粒があるでしょうから、角砂糖1個相当の遺灰なら1万粒x1cc÷0.05cc=20万粒以上。1億人の仏教徒に1粒づつ渡すには500個の角砂糖(500cc)で足りますから骨壺半分程度で十分です。お寺の仏舎利塔などにしまっておかず、信者に分骨すべきだと思います。その方がお釈迦様も喜ぶでしょう。お釈迦様は「私に墓などいらないよ、みんな幸せになりなさいよ」って天国で言っているはずです。

スッタニパータSutta-nipata
仏陀の教えが記された経典の中で最も古いものだと言われています。岩波文庫「ブッダのことば」中村元著を読んで頂けると、仏陀がどんなことを言ったのか、したのか、が推察できます。推察と言うのは、仏陀の言葉や行動は自らが記したものが無く、彼の死後、数十年を経て(仏陀の死後、何年後頃にまとめられたものかについての記述はmhの調べた範囲では見つかりませんでした。)、弟子から弟子に伝えられ、やっと経典としてまとめられたので、どこまでが事実なのかは判然としないのです。しかし、スッタニパータに書いてあることを逸脱している話、例えば死後の世界についての話、は仏陀が語ったものではないと考えて良いと思います。仏陀は、今を大切に生きること、そのためには何をすべきかということ、これだけを説いたと、私は信じています。
岩波文庫本は800円。10年位前の価格です。ネットでも下記からアクセスできますが、文庫本は解説がありますし、旅行などにも持って出かけられますからお薦めです。
http://www.geocities.jp/koogakan/suttanipata.html

Roberta Flack - Killing me softly with his song
https://www.youtube.com/watch?v=R5o_i4bOE_A

(完)
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